はてなキーワード: 新年度とは
コロナ禍で忘年会も新年会もなくなり、今後もこうした会合が消滅するのは確実だ。もうずっと業務時間外の集まりはない。
世間一般、特にWeb上では忘年会等の会社関連での集まりがevilとされて久しいけど、自分の勤務先では特に強制される事もなく、参加すれば確実に楽しい時間が過ごせる。
私は1人暮らしで周囲に知人など皆無なので、業務に関係のない他愛もない話をしたいのだ。
そんなことは自身のコミュニティでやれと言われるだろうし、それを求めていろいろ参加したこともあったけど、結局属性が似ていて話が合うのは社内の人たちだった。
個人的に電話で話すようなことでもなく、ただなんとなく、ワイワイ場を共有するのが好きで。
新年度だから、プロジェクトが終わったから、何はないけどたまにみんなで行こうか、でなんとなく集まっていたのが一切なくなると、こんなにも雑談的会話をする機会がなくなるのだな、と衝撃を受けている。
旨い食事と酒を味わいながら、敬愛する上司やメンバーとじっくり話をしたい。
今後劇的に事態が収束することもなさそうだし、もう叶わなくなってしまった。
寂しいな。
自分が課長から気にもされない期待もされないどうでもいい存在だと気づいて約2週間。
本当に何もないんだと苦しくなった。直属の先輩たちは難しい事業に取り組んでて、課長の期待と信頼を得ているし、新人ちゃんも期待されていると思う。それがより惨めになる。
おはようございますとかお疲れ様ですとか挨拶した時、課長が誰かと話ている途中なら返ってこない。でもそれが適応されるのは自分ともう1人の再任用のおじさんの2人だけで、他の人が挨拶した時は会話を切り上げて挨拶している事が多い。
課長挨拶占い〜今日返事あればいいことあるかも!?という感じで先週から気にしてみた。5日間あって朝の返事1回だけだった。SSR大吉でしたわ
ちなみに本日も、挨拶は返ってこなかった。おはよう占い何もなかった。
課長は陰湿な考えをするタイプではないし、何かあるなら直接言う人間だから、気にしすぎかもしれないが、会話を切り上げてまで返事しようとは思われない人間だったという事実が悲しい。ただただ悲しい。
小さい会社を経営している。博士号を持つメンバーを中心に顧客の研究を支援する仕事をしていて、今期は黒字になりそうだ。
こう書くと自分で読んでも順風満帆に思うが、私の心持ちはかなり違う。
毎年新年度を迎えると人件費の確保に心を砕き、年度内は払えるようになると次年度を想像して震え上がる。そういう繰り返しがここ数年のパターンになっている。最近、ふとしたことがきっかけで、現状を疑問に感じるようになった。
すこし昔の話をさせて欲しい。
私は地方の、おそらくそう貧乏でもないラボで大学院生をしていた。時々教授が外部資金をとってくれると、研究資材をストックして細々と使う。スタッフはいない。ホームページやサーバーの管理は学生が交代でこなした。
大学院生のとき、卒業したら研究から離れてサラリーマンになろうと思っていた。私の研究は、とても役に立ちそうになかった。それがたまたまビッグデータ/データサイエンスの流行に乗り、博士論文の研究で特許を取って会社をつくった。もちろん何年もやるつもりはなく、流行りの間だけ研究費が稼げれば儲けものだと思っていた。
幸運が度重なり、会社の人は増えた。会社から発表した論文も正確な数が答えられなくなった。そんな中である日、数百万円分の資材がダブついていることがわかった。大学院生のときの私に渡したなら、きっと嬉々として全部持ち帰っただろう。
いまの私は、余っている数百万円分の資材の楽しい使い道が思い浮かばなかった。それでいいのか?私はいったいどうなってしまったのだ?何のために仕事をしている?
いちど違和感に気づくと、自分のあらゆる行動が不適切で、問題を抱えているように見えた。研究の費用を捻出することはいつの時代も大変で、まだシニアのような信用を勝ち得ていない私の年齢で、数百万円、数千万円の研究費を使える機会は稀有であろう。年間一千万円近い研究費は、ふつうそのキャリアの黄昏に、膨大な業績リストの上に支給され、組織運営等沢山の業務の合間を縫って取り組むものだ。その頃には自身の眼や手はかなり自由が利かなくなっていて、スタッフに頼んだり、あるいは学生の成長に期待することになる。
振り返ってみると、数ヶ月前も研究拠点になりそうな建物への先行投資を考えたことがあった。来年の体制維持に怯え、場所だけでも研究者でいられるように確保しようとしたのだ。思うにいまの私は「金勘定で忙しい今が落ち着いたら研究をしよう」と考えている。これでは鬼に笑われる。
単年でも研究できると思ってはじめたはずだ。それがいつの間にか、いま研究に没頭していない言い訳を、来年の経営の心配のせいにするようになっていた。研究をすすめるための振る舞いの代わりに、研究者を名乗るための、名乗り続けるための振る舞いをしている。
深夜に変なスピリチュアルの広告読んでゲラゲラ笑った後に、ちょっと思うことがあったから思いついたから書いただけなんだ。
乱雑だし、プロット作りも推敲も何もしていない。ただずっと抱えていたものを吐き出す場が欲しかっただけなので、とりわけ目立つものもない。
これを書いている私は、いま地方大で歴史を学ぶ大学院生だ。ストレートで大学院まで上がった位の年齢だと思ってほしい。
私の専門は歴史だが、そこから興味が広がって宗教や、それに関連する文化の話も好きだ。本来専門ではないけれど、色々本を読んでみたりしている。
そこで思うことがあった。宗教・信仰は本当に人の暮らしに密接に関わっていると実感した。そして、勉強を続けたからこそ気付く事や、それまで抱えていた自分の気持ちに整理をつけることができた。
この記事はそんな私の20年ちょっとの人生で触れてきた宗教に関する思い出の覚書だ。
私の家の目の前には、カトリック教会があって、附属幼稚園が教会のすぐ隣にある。ミッション系というやつだろう。
家からすぐということもあって、私と妹はそこの幼稚園に通っていた。
朝幼稚園に来たら、シスターたちに挨拶をし、玄関のマリア像の前で十字を切る。朝礼やお昼のお弁当を食べる前には「主の祈り(天におられる私たちの父よ~のやつだ)」を唱えたし、クリスマスの時期になれば、年長クラスの子たちがキリストの聖誕劇をやるために練習をしていた。
ああそう、あとメダイもちゃんともらっていた。確か聖母子像か、聖母マリアのものだったはずだが、年に数回会うおじいちゃん(どう考えても教会の神父だ。園長って呼んでいたけど)から、新年度になるたびに名札につけてもらっていた。
そんな幼稚園でキリスト教に触れる生活を送っていた幼少期。年長クラスはクリスマスに聖誕劇をしていたけど、年中クラスや年少クラスだって讃美歌を歌ったり、合奏をしていたので、どこの幼稚園もこういう歌を覚えているものだと思っていた。
卒園式のお祝いには、聖書を分かりやすくまとめた絵本をもらった。絵本といっても結構文字が書いてあるし、ハードカバーの大型絵本だった。聖書の教えも何度か聞いていたはずだが、私がきちんと聖書の物語に触れたのはあの卒園式の日だったに違いない。
既に本の虫だった私は、それなりに漢字も読める方の子どもだった。だからその絵本も気になって、天地創造から長い時間をかけて読み通した。
当時6歳の私は、意味はあまり分かっていなかったけど、ところどころの挿絵のインパクトは強烈だった。
洪水に翻弄されるノアの方舟、モーセが海を割るシーン、キリストが茨の冠を被せられ、鞭うたれるシーン。幼い私は、もうそれはそれはびっくりしたのだ。
それから数年経って、小学校を卒業して中二病が芽生えるような年になった頃、私はイキってまた聖書に関心を持ってみた。
西洋美術が分かるやつはかっこいいし、その元ネタが分かるとなおかっこいいと思っていた。恥ずかしい話だが。
そこでもう一度聖書のストーリーを絵本(今度は妹がもらってきたやつだ。まったく同じ絵本だが)を読んでおさらいし、やっぱり意味は理解しないままミルトンの『失楽園』とかを読んでいた。
この後、ぼんやり興味を薄く抱き続けたまま、今一度大学院に入ってからちゃんと勉強をしようと思い、現在に至っている。世界史とかは大事な要素だしね。
こうしてみると私はクリスチャンのように見えるのだが、家には仏壇があるし、今の興味の原点がある幼稚園時代にはその仏壇で「まんまんちゃんあん(関西で仏壇やお墓でお参りをするときに言う幼児語)」をしていた。祖母は今でも毎朝、犬の散歩から帰ると仏壇の前でお経を上げる。
父方の祖母と同居しているのだが、祖父は私が生まれる1年ほど前に亡くなっている。祖母は幼いころの私の面倒を、共働きの両親に代わって見てくれていたから、幼稚園から帰ると「おじいちゃんにまんまんちゃんあんして、ただいま言うんやで」と言われるがまま、お鈴を叩いて手を合わせていた。今でも何か報告(たとえば大学に受かった時や、卒業認定をされた時)があるときは仏壇の前に座ることがある。
お盆やお彼岸には、お墓参りはできるだけしようと思っているし、昨年京都に行ったときは私の家の宗派の本山のお寺にもお参りした。これは本当になんとなくだったけれど、行ってよかったなとは思っている。
だから私は、今のところは仏教徒で、ごく一般的な日本人の宗教観なのだけど、困ったことに、私はとある宗教の3世にあたる血筋でもある。
名前を出すのは少しはばかられるので婉曲的な表現をするが、先述のように私の家は仏壇のある仏教徒の家だ。宗派を言えば浄土真宗。
ただ母方は宗派が違い、日蓮宗なのだ。分かりやすく言えば父方の祖母は「南無阿弥陀仏」と唱えるけれど、母方の祖母は「南無妙法蓮華経」と唱える。
この時点で察しの良い方はお分かりかもしれない。母方の祖母はいわゆる「学会員」だ。
だから、母方の祖母の家に遊びに行くと某新聞が置いてあったし、本棚を見れば某氏の著作が置いてあった。
母自身は学会員ではない(嫁いでいるし)し、母の姉夫婦もそうでないのは知っている。私自身会員ではない。
だから3世を名乗る立場ではないのだが、私は学会員としての祖母の姿を見て、ああいった宗教に対する疑問を抱くようになった。
実際あの学会について「おや?」と思ったのは、私を可愛がっていた母方の祖父が亡くなった数年後だった。
祖父が亡くなった後、葬儀や四十九日の法要に関しては違和感を感じることはなかった。後になり、伯父がかなり骨を折ったことを知ったのだが。
違和感をはっきりと感じたのは母方の伯母夫婦、大叔母、そして私たち家族と祖母が参加した七回忌の法要だ。
いわゆる法事だから、自分の認識では「お坊さんを呼んで、お経を読んでもらって、そのあと親族で食事をする」というものだった。事実父方の祖父の法事はお坊さんを呼んでいる。
まず、お坊さんを呼んでいなかったのだ。黒スーツに黒いネクタイを締めた見知らぬ男性(見た感じ祖母とそれほど歳は変わらない人だった)が居て、私の知らない親戚かと思っていた。最初は。
いつになったらお坊さんが来るのだろうと思ったら、法事が始まるから仏壇の部屋に来いと言われた。言われるがまま妹の隣に座り、数珠を持っているとその男性が仏壇の前に座って、読経を始めた。
「は?」と思った。なんでこのオッサンがお経読んでるねん。お坊さん来られへんかったん?違和感しかなかった。
どうやら件の学会ではその地区で一番偉い学会員が法要の読経をするということを知ったのは、さらにそれから2年ほど経った頃だ。
ただ法事の時に、伯父が「僕はちゃんとした日蓮宗のお寺に骨を埋めてもらうように言っている」と若干怒気をはらんだ口調で言っていた理由が、理解できた。
母方の伯母夫婦とは、その七回忌の法要以降会っていない。いや、何度か伯母とは会ったが、伯父とはそれ以来もう何年も会っていない。
昔はよく祖母の家にお盆や正月の折に触れて来てくれていたのだけど、仕事の関係で来れない、と言うのが聞いている理由だ。でも、多分彼はきっと、学会員である祖母宅周辺の人に会いたくないのだろう。少しだけ言い合いになっていたし、伯父が祖父の葬儀に口出ししたことで何かがあったのだろう。
同時に、祖母が熱心に読経を一日に何度も行う理由、祖母の家にあった新聞や書籍がなんだったか、芋づる式に分かってちょっとだけ嫌気がさした。
祖母よりも熱心だったのは大叔母(祖父の姉)で、会合(というのがあるらしいが、この辺りは詳しく知らない)にも熱心に参加していたみたいだ。
別にこの記事で批判をしたいわけじゃない。けれど、どうしても伯父の言葉がずっと心に引っかかっているのだ。
「お義父さんの事も、ちゃんとお弔いしたいのにそれが出来ないのはほんまに悔しい」という伯父の言葉が。
いま色々な宗教の事を学び、宗教が社会に与える影響の強さを知った上で、私は伯父の言葉に同意したい。
信仰は自由だ。それはこの日本で認められた権利だ。けれど、大好きだった祖父のことを、あんなジジイの安い読経で弔いたくはないのだ。
そしてああ言った新興宗教団体が、親族との軋轢を産んでいることを伯母夫婦の一件で身に染みて実感したのだ。
母方の祖母と我が家の仲はいい。祖母はいま一人暮らしだし、私も長生きしてほしいと思っている。
けど、少しだけわがままを言うなら学会と縁は切ってほしいかな、と思わなくはない。
少し愚痴っぽくなったが、最後にその新興宗教がらみの話をちょっとだけ聞いてほしい。
大学進学以降そうした新興宗教がらみのトラブルやエピソードは少なからずあると知った。友人も巻き込まれたことがあったらしい。
大学の最寄駅前には某証人の人達が冊子を配るために立っているし、家にも何回かチラシがポスティングされたり、勧誘がそもそも来たりした。迷惑だから帰れ、と総スルーをかましたが。
去年なんか、右翼のおっさんが一般人に絡んで暴行しかけた事件の証言を、某会の勧誘をしていた女性二人がしていて「情報量が多い!」と内心ツッコミを入れた現場を目撃した。
彼らも、それを信仰するのは自由だけど、私のように嫌悪するまでもないがもやを抱えた人間を周りに産んでいるのではないかな、と時折思わなくない。
スピリチュアル系のトンデモ科学に関するツイートがTwitterなどでも話題になりがちだが、そういうのを見ても「ああ、なんというか、かわいそうだな」と思ってしまう。
思ってしまうだけで、それを思いっきりネタにして笑い飛ばしているあたり、私はかなり嫌な人物だなと自戒しなくもないが。
何度も言うが、批判する意図はない。あなたがもしここまでに挙げた何かの信者であっても、私は知らない。
ただ、ひとりの学生が格好をつけて、自分は何を信仰しているのだろうな、と思い返すための文章だから、大した感想も求めていないのだ。
週末はひどく精神の調子が悪く、死にたい気持ちとずっと闘っていた。当たり前に寝つきも悪く、泣きながらどうにか3時間だけ寝て出勤したら、職場の人が死んだと朝礼で聞かされた。この週末に自殺したそうだ。
なんでだ。
という気持ちが最初に来た。私は二日間ずっと死なないように頑張っていたのに、と思った。それがすぐ頓珍漢な嫉妬だと気がついてやめた。私はやり遂げられない人間だけれども、その人はやり遂げられる人間で、やり遂げたのだ。
どうして?
が次に来た。次にどうやって? も来た。来たものの、それを解決する答えはどこにもない。聞けなかったし教えてもらえなかった。当たり前か。
その人は同じフロアで働いていたけれども、部署は違うし、いくつか先輩だし、なんなら異性なので、あまり関わりは無い。無かった。お互いの部署に書類を持っていく時に、二言三言言葉を交わすくらい。あとは、私がこの後ライブ行くんです!と宣言して退勤した時に「これからライブなの?楽しんでね」と声をかけてくれるとか、それくらいのものだ。
それくらいのもので、それ以上でも以下でも無いのに、なんだか漠然と、ぼんやりと、してしまう。仕事中もふとした瞬間、あの人自殺したんだ、なんで?と繰り返し思った。家に帰ってからも思っている。
なんで?どうして?どうやって?
何故?
何故?
ずっと混乱しているのかもしれない。
突発的か計画的か、定かでは無いけれど、私は計画的なものでは無いかと思う。隣の部署の仕事が、先週落ち着いたところだからだ。ここしか無いくらい、ちょうどのタイミングで。だから。
でも
私の知るその人は穏やかだった。喋り方もゆっくりで、年上の男性から発せられる威圧感はまるでなくて、それをフロアのみんなに好まれていた。困った時にはへへへと笑っていた。のほほんとした雰囲気を纏っていて、だからそれが、その人が自ら死を選んで、それを成し遂げたということに頭がついていかない。
何故?どうして?なにがあったんだろう?
私にできることは、まあ正直無かっただろうけれど。コロナが収まってライブが開催されても、その人がのんびり笑って「楽しんでね」と声をかけてくれることももう無い。
どうして?
追記:
そうか、この書き方だと職場が激務で精神を病んだみたいになるのか……新年度だからまあ忙しいっちゃ忙しいけど、残業多くても30時間もないくらい
だから余計 どうして? が深まるし、考えても絶対わかることはないし、考えたってその人が帰ってきたりもしないんだけど
私が病んでるのはただのメンヘラ
前提として、以下の「会議」というのは職員全員による職員会議ではない。
平成12年の学教法施行規則改正により、職員会議は意思決定の場ではなく決定事項の連絡・伝達の場とすることになっていて、通常その前段階で分掌主任や管理職など一部によって構成される会議が設定されており、そこが様々な事項の調整・決定の場となる。自分はその会議の一員。
また、公立学校は通常「中央」からの通達・通知文を受けて動く。小中だったらその自治体の教育委員会、高校だったら県庁、都なら教育庁。
記憶に頼ってるところもあることも了承されたい。飽きなければ追記していこうと思う。
授業しながら生徒と「新型コロナウイルスやばいねー」なんて話してた。
2月頭のダイヤモンドプリンセス号を皮切りに国内で流行し始める。
この頃から職員同士でも「潜伏期間2週間だなんてもう我々ももらっててもおかしくないよね」とか言ってた。
時期としては3月頭からの学年末テスト、成績処理に向けて動いてる時期。
内容は「当面通学時間をラッシュと重ならないよう配慮する。具体的には10時登校、短縮授業して早めに返す。部活は禁止。学年末テストはやっていい。明日からよろしく。」
それを受けて午後の授業時間中に明日以降の時程を細かく決めて、保護者宛のお手紙を全校生徒分印刷して、明日からに備えてる。
生徒は10時登校。生徒にもテストはやる旨を伝えて6時間こなして放課。
さぁテスト作らなきゃねと残業していたところに、安倍首相による一斉休校要請の報道。
内容は「来週3月2日から春休み一杯まで、私立・公立に関わらず休校にすることを各自治体に要請」
たしか19時くらいだったかな。管理職もいないし、皆で「え、テストやれるの?成績どうやって決めるの?」「要請って何?どんなレベル?」なんてなりながら、その日は一旦退勤。
朝イチから校長が職員室に来ていて、会議メンバーのいる人だけで簡単に打ち合わせ。
「要はお上の決定を翌日さらに上から国がひっくりかえした形。国の要請には従うしかない。中央ではいま通知文を整えてるところだけど、大まかな方針は各校長に既に届いてるからそれに従って今日中に対応して欲しい。」
その内容は
こんなのが来た以上今日も授業どころじゃないので連絡文を急いで作って、授業潰して生徒たちにその旨を伝えて帰らせる。
お昼をまたいで臨時会議。正式な通知文を受けて校長が当面の対応をレジュメにまとめたので皆で確認する。
通知文には上記の他にも
などの事項があった。
この辺で課題になったのが、次年度用の教科書販売とかどうしようか、とか。学校によっては代引き郵送の学校もあるらしい。
この日の報道で安倍首相が「ああは言ったけどあれは基本方針であってまぁ地域の現状に合わせて柔軟に判断を」って発言して「なんやねーん」ってなったのを覚えてる。
それを受けて教科毎に成績をどうつけるか確認しあい、成績会議に向けて仮成績をつける。
その上で、このままだと単位未修得の恐れのある生徒は個別に呼び出して、課題を課すなどの対応を行った。
個別の対応に関しては、登校させる時間帯等に配慮すればいいよ、とのこと。
成績も教科内で決まっていよいよやれることがなくなると、一部の職員が時差通勤や自宅勤務をし始める。
卒業式。
「卒業生が入場します。盛大な拍手でお迎えください。」なんつって教員数十人しかいないのでもの寂しい。
けどまぁ保護者・来賓がいなくてかたっ苦しくない、アットホームな雰囲気の卒業式も、それはそれで良かった。
成績会議。実際単位未修得、場合によっては進級の可否に関わる、というような生徒は毎年いて、そういう生徒には学年末テストやその前後で頑張らせるんだけど、それもできないし、こんな状況だし、で最低限の課題クリアで認める雰囲気があった。
東日本大震災のときに似てる。あのときも「こんなときだから」という空気があった。
お上から通知文。来年度の入学式について、参列者は「保護者1名に限る」と。
新入生の入学説明会(今回の対応で資料の配布と教科書販売のみに変更)を控えていたので、急いでその案内を作成し、準備していた配布資料に詰め込む。
東京五輪延期発表。
修了式、離任式。
生徒は久しぶりの登校。こちら側も生徒の顔が久しぶりに見られて嬉しかった。
生徒は教室から動かないまま放送で式を実施、今回の新型コロナウイルスを受けた春休み中の過ごし方に関する注意を行い、今年度修了。
この日は休暇の教員も多く会議はなかったけど、校長は「もうこれでいくしかないからねぇ」って言ってた。
新規採用者は通常中央での集まり、初任者研修があるため初日からしばらくはこないんだけど、今回はそれも中止になったので学校に来てた。
教科でも顔合わせ。にしても休校になった以上今後の予定も立てられないので、分掌毎に今年度の役割分担を確認して終了。
また入学式も無観客試合にすることが決まったので、提出書類から急いでデータを打ち込んで住所録を作り、その旨のお手紙を新入生家庭に送る。
6日午前中って6日始業式で終わったら生徒帰るんですけどどうせえっちゅうねんという感じでこの日はお開き。
あとは高体連関係で6月までの大会や講習、総会なども全て中止する旨のお手紙も届いた。
始業式。うちでは2年と3年を午前午後で分ける形となった。
昼過ぎに管理職が職員室に慌てて入ってくる。「正式な通知文はまだだけど明日の入学式は延期」と。
WebサイトとTwitterアカウントでその旨告知して、あとは電話連絡もできるかという話になったけど新入生家庭全てに今から半日で電話連絡は無理という結論になり今日やれることはそこまで。
TwitterやWebサイトをみた保護者数名から問い合わせがあった。
それと前後して報道では「明日にも緊急事態宣言を発表する見通し」とのこと。
「入学式は延期としますが本日付で皆さんの入学とします」、「しばらくは登校日も設定できそうにないので以下の課題やっておいてください」という内容の送付物を新入生全員分作成し郵便局へ。
文書を作成している間に入学式が実施されると思った新入生が数名来たので謝って帰ってもらう。
すでに教職員の一部にも在宅勤務や時差通勤を実施しているが、校務に差し支えない範囲で全員原則在宅勤務とするようにとお達し。
部署ごとに会議を開き、今後の見通し(見通しなんて立ってない)を確認し、ToDoを洗い出し、必要な人数やスケジュールを共有して、翌日からの自宅勤務体制を整える。
「郵便物が届かない」「学校からの連絡受信に使うWebサービス・アプリの使い方がわからない」と数件問い合わせ。
自分は自宅だったので(家で出来る事なんて本当にほとんどない)週末明けに出勤して対応しますと学校に伝える。
出勤。
保護者から連絡サービス・アプリが使えない・繋がらないという問い合わせに答えているところに報道。まさに使っているその教育プラットフォームサービスを提供する会社が不正アクセスによるデータ流出があったと発表。そこから学校としての対応を問う電話もかかってくるようになる。
会議メンバーのうち出勤している人数名で集まって方針決めて、当分利用を見合わせる旨をWebサイトに掲載。
週明けに学校再開予定の某県の養護教諭です。新年度に向け、緊急対応や生活を送る上での注意点などのマニュアルを作成したり、保護者向けのお願い文書やメール連絡網の文面を考えたり、必要な衛生物品の在庫を整備したり、健診の日程や持ち方を検討したりしています。
もう限界です。
消毒液やそれを入れる霧吹き、液体石けん、ディスポーザブル手袋やマスク、すべての衛生物品が足りない。手に入らない。文科省からは「マスクがない場合は養護教諭や家庭科教員などが作れ」などという通知も出ています。何を考えているのですか。今回の対応のために、厚労省や文科省の出している通知を読みました。3月24日の大臣会見の内容も読みました。この状況下で、なぜ学校再開という決断に至ったのか気になったからです。「一斉臨時休業を始めたときよりも状況が改善しているわけではなく、むしろ感染者が増えている地域もある中で、なぜ学校を再開するのかというと、国民の皆様の感染拡大防止に関する意識が高まっているという認識があるからであります」と仰っていました。全身の力が抜けました。意識があっても、消毒薬や石鹸やマスクがないのです。どう感染予防をするのですか。意識があれば、確実にひとり1メートルなどという距離を取ることは到底困難な教室で授業をしても感染拡大しないのですか。小学校低学年は、正直、身の回りの清潔を保つこともままなっていないような子もいます。指しゃぶりや爪噛みをしたり、鼻を触ったり、床に寝そべったり、平気でします。ましてや新年度です。今日から小学生になりたての子供たちです。在校生も、1ヶ月以上休んだ後、久しぶりに学校に来ています。教員の指導や対応でどうにかなるレベルは越えています。
今わたしの頭の中にあるのは、万が一本校で感染拡大が起こった場合、たとえ十分なエビデンスが担保できていないような対応策であっても、報道やSNSで批判されないような「十分な対応を取りました」というポーズを取るための対応策を考えねば、ということと、もし自分が感染者となった場合、動向調査や報道で明らかになって批判されるような行動を絶対にしてはならないな、ということだけです。感染拡大防止は正直、無理です。いずれどこかの教育機関で起こります。起こらなかったとしたら、それはただの偶然です。
感染拡大が起こるなら、わたしの勤務地以外の場所であって欲しい。寧ろ政府が危機感を持ち、再度の一斉休校と、学童等の可能な限りの閉鎖の判断をしてくれるなら、早くどこかの学校で感染拡大が起こって欲しい、とすら思ってしまいます。心労からか毎日胃が痛く、寝ても覚めても辛いです。帰るころにはスーパーも閉まっており、外食なんてこの状況下でもってのほかですし、家事をする気力もないので、毎日カロリーメイトなどを食べて、痛みを紛らわせるためにお酒を飲んで寝ています。養護教諭ですから、このままでは体を壊してしまうなという自覚はあります。しかし、コロナウィルスに感染し、専門職としての信頼を失い、メディアで報道されるくらいなら、コロナの為に身を粉にして働き、結果体を壊した・命を失ったほうが人間として清いのではないかと思うのです。最近、自分が何か行動を起こすたびに「養護教諭から感染拡大 教育機関のずさんな感染予防体制」「感染者発生市で外食か 市内養護教諭コロナ陽性」「趣味は「バンド演奏」 養護教諭からコロナ感染拡大」など、ありもしないニュースの見出しが頭に浮かびます。
アラサー・男・独身・東京在住在勤・中堅メーカー営業職という前提で。
仕事について
・基本在宅勤務で、毎週月曜と木曜、13時〜17時だけ出勤することになった。出勤時は5名以上の打ち合わせ禁止。営業訪問&出張は原則禁止。
・3月上旬は新年度向けの見積作成や在庫の社内調整でそこそこ忙しかったが、中旬過ぎると基本的に暇。会社からも積極的に有休を消化するようお触れが出た。
・テレビ会議なんて高尚なものは導入されていないので、電話とメール、チャットツールで対応している。管理職は大変そう。
・平日は毎朝体温を測定し、総務に報告。最初はメールでの報告だったが、数日後にウェブフォームが設定された。
・3月までの定期代は返上不要で、各自払い戻して差額を週2回の出勤時の交通費や電気代等に充てて欲しいとのこと。4月以降は定期代の支給を取り止め、個別清算&在宅勤務手当の支給だって。
・新規の中途採用はストップ。進行中のもののみ。4/1付でチームに1人中途が入るが、顔合わせはどうするんだろう?
周囲のいろんなお店について
・チェーン飲食店は閑古鳥。クーポンやらキャッシュバックやらのキャンペーンが目立つようになってきた。
・個人飲食店はそこそこ繁盛しているが、アルバイトはシフトを減らしている模様。オーナー1人でやっていると、客が少なければ閉店時間前でも閉店させられるからだって。
・キャバクラとガールズバーは閑古鳥。駅前での客引きが増えた。風俗はそこそこ繁盛。ただし常連客のみで新規は皆無。
・繁華街にあるアジアンエステ(中国人やタイ人などのグレーな風俗)の看板の電気が消えていることが増えたと思う。出稼ぎで来られなくなったから?
・ホテル。GW前までの直近は激安。しばらく先は普通の値段だがスカスカ。とりあえず7月の京都を予約した。前日までキャンセル料がかからないのはありがたいが、これが日本の宿泊業の甘いところだと思う。
・ラブホ。平日でも混んでるような気がする。ここで感染はしたくないな。韓国でもラブホでの感染が晒されたってニュースがあったし。
・アパレル。安いブランドは横ばい。てか、通販が絶好調。高いブランドはインバウンド効果が消えたことで死屍累々。
七尾市議会は、23日にあった3月定例会最終日の本会議で、議員定数を現在の18から3人削減する動議について賛成5、反対12で否決した。4月から議員報酬が現行の2割増となることに伴い、動議を提出し結論を急ぎたい会派「新政会」と、議会の在り方から慎重に議論を行いたい意向を示していた他会派や無会派議員との溝が浮き彫りとなった。(中川紘希)
この問題を巡っては、新政会が一月末、杉木勉議長に定数削減をするための議論を求める申し入れを行った。杉木議長は、新年度当初予算を審議する三月定例会終了後から議論を行う方針を示していた。
削減の動議を提出した新政会代表の永崎陽議員は、四月から市議報酬が月額七万九千円アップの四十八万円(議長は同四万三千円増の五十八万円)に引き上げとなる状況を踏まえ、「市民から多くの抗議を賜っている。真摯(しんし)に受け止め身を切る改革を示したい」と説明。三人の削減なら、常任委員会や本会議における議会の役割は果たせると主張した。
一方、反対討論に立った山崎智之議員(灘会)は、特別職報酬等審議会が市議報酬引き上げを認めた上で議会活動の活性化を求めたことを念頭に「議会の在り方を全議員が検討しようとしているのに、その矢先に、流れに逆行するような動議。市民の声を無視するのかという疑問が生じる」と批判した。
議長を除く十七人による採決では、新政会の議員四人と杉本忠一議員(無会派)が賛成し、灘会とその他の無会派の議員計十二人が反対し、否決された。
杉木議長は本会議終了後、「これから議論をしようとしていたのに動議で振り出しに戻った。また一から対応を話し合う」と述べた。永崎議員は「報酬引き上げと定数削減は一体的に議論すべきで否決は残念。今後も議論を求めていく」と話した。
三月十七日(火)
今朝は猛烈な便意で電車を降りた。昨晩の肉が生焼けだったせいだろうか。それとも、日曜日のシュラスコに含まれていた脂肪分のせいだろうか。下痢というほどではないが軟便気味で、午後にも強烈な便意。とはいえ、一度排泄すれば具合はよくなるし、腹痛もほとんどないので、それほどたちが悪いものではなかったのだろう。昼は大事を取って薬膳カレーにしたが、いつものように唐揚げを添えたので、どこまで胃腸に優しかったかは疑わしい。それにしても、屁と便の区別が肛門の感覚で区別できなかったので、トイレに駆け込んで正解だった。年齢を重ねて肛門による直感が衰えてきているのだろうか。いつ服を汚す羽目になるのかと思うと恐ろしい。
業務中のムラムラは昨日よりも強め。集中力をそぐほどではないが、今晩にでも抜いておきたい程度の欲求である。帰宅時に風俗に寄ってもよかったのかもしれないが、腹具合があまりよくないし、人と話をするのも面倒だ。爪もまだ治っていない。血はもうにじんでいないので絆創膏は巻いていない。
コロナウイルスについてはほとんど心配していない。性病のほうがよっぽどリスクが高いと考えている。とはいえ、余計なことをしないで家にこもっているのが賢明だというのもまた本当なのだろう。増田で日記を書かずに、とっとと抜けばいいのである。
関係ないのだが、最近は土日に時間をつぶすために映画を見ることが減った。別に嫌いになったわけでもないのだが、十年前のように優れたものは何でも見なければいけないという危機感が薄れてしまったらしい。感受性の停滞だろうか。ただ、そうした芸術鑑賞により内面を太らせるよりも、誰かいつくしむべき相手がそろそろ欲しいところだ。自分一人だけの話ではないので、簡単にできる話ではないだろうが。
ところで、今日は業務を遂行する上でのちょっとした工夫を思いついた。明日から少し作業スピードが速まるといい。
あと、新年度が近いのでそろそろ手帳を入手しないといけないが、コロナウイルスのせいで近所の雑貨屋が早めに店じまいをする。同じ手帳が欲しいのだが、職場近くにも置いているだろうか。都内だから何の心配もないだろうが、知らない店をうろつくのも面倒くさい。
別の部署に出した書類については返信なし。特に不満がないので、何も言ってこないのだろう。明日は上司との会食なので、体調を整えておきたい。基本的に祝いの席なので、肩ひじ張る必要はどこにもないし、話しやすい相手なのではあるが、それでも上司は上司なのである。
https://twitter.com/pink_yellowish/status/1057925168406773761?s=20
【2012年】
□第2次安倍内閣発足
【2013年】
●アベノミクス発表
●東京五輪決定
【2014年】
●消費税8%引き上げ
□第3次安倍内閣発足
【2015年】
【2016年】
【2017年】
●森友問題
【2018年】
【2018年続き】
●省庁の障害者雇用水増し発覚
【2018年続き】
□第4次安倍改造内閣発足
【2018年続き】
●平井大臣 選挙運動費用収支報告書に約700万円分の無宛名領収書61枚
【2018年続き】
●片山さつき 暴力団交際者から事務所無償提供&秘書給与肩代わり
【2018年続き】
【2018年続き】
【2019年】
【2019年続き】
【2019年続き】
●安倍首相「自衛隊募集は都道府県6割以上が協力拒否」実際は9割協力
●政府統計 2018年1月から日雇労働者120万人外し賃金操作
【2019年続き】
【2019年続き】
【2019年続き】
【2019年続き】
●消費税8%据え置きの軽減税率食料品 政府指針で増税前値上げを推奨
●エジプト・シナイ半島で活動する多国籍軍に陸上自衛官の派遣決定
●塚田一郎副国土交通相 下関北九州道路建設計画「私が忖度した」発言辞任
●新元号「令和」に米NYタイムズ紙「Order and Peace(命令と平和)」
【2019年続き】
●米WSJ紙社説 日本の消費増税が「自傷行為」になるとの見解
●F35戦闘機 米報告書で未解決欠陥966件 100件以上は安全に関わる重大欠陥→政府100機追加購入
【2019年続き】
【2019年続き】
●WTO逆転敗訴 政府の「日本産食品の科学的安全性認められた」は虚偽説明
●日の丸掲揚と君が代斉唱に従わない教職員の懲戒処分 国際労働機関ILOが是正勧告
【2019年続き】
○元号が令和となる
●経産省キャリア職員 覚醒剤使用で現行犯逮捕 省内の机から注射器押収
●自民党兵庫県議谷口氏 選挙期間中当て逃げ 親族が身代わり出頭
【2019年続き】
【2019年続き】
●トランプ氏来日 過剰接待 大相撲でソファ土俵にスリッパ 日米で批判
【2019年続き】
【2019年続き】
●人口自然減 初の40万人超 出生率3年連続減 出生数過去最少更新
【2019年続き】
●国家戦略特区 政府WG委員関連会社 提案者から指導料200万円
●非正規雇用者 10人中4人に増加 年収200万円未満75%
【2019年続き】
●老後2000万円報告書「質問への答弁控える」政府が閣議決定
【2019年続き】
【2019年続き】
●国連特別報告者 日本メディア独立性疑念への日本の拒絶反応に「驚愕した」
【2019年続き】
正確に言うと、新年度に合わせて異動が起こるのでこれから4月まで新型コロナウイルスは日本中で感染拡大を続けるだろう。
ここ一、二週間が感染拡大を防ぐために最も重要と言われているが、同時にいま日本は一年で最大の引っ越しシーズンを迎えようとしているのだ。
自分も今日不動産屋に行ってきたのだが、どこの店にもマスクをしてゴホゴホ咳き込んでいる社員がいる。
不動産屋に入店しカウンターに座ると、顔を真っ赤にしながらゴホゴホ咳をしている社員が相手をしてくれる。
マスクをしているから大丈夫かと思いきや、物件の申し込み状況を確認するために電話をするので通話がしやすいようマスクを外したりする。
そういうわけなので、社員間で共有しているであろうカウンターの電話やパソコンは軒並み汚染されていると考えられる。
物件の賃料や間取りをまとめた資料をプリントアウトして客に手渡ししてくれるが、これももちろん汚染されている。
物件を見に行くことになれば、社用車に乗せて連れて行ってくれるが、当然その社用車の座席やハンドルも汚染されている。
見に行く物件の手すりやドアノブなども当然だが汚染されている。
というわけで、これから4月まで不動産屋とそこに出入りする客の間で爆発的に感染が拡大することが予想される。
そして物件選びを無事に終えて引っ越しを行うということになると、今度は引っ越し業者がやってくる。
この季節の引っ越し業者は連日のように違う客と濃厚接触を繰り返す。そして、引っ越し業者の中に感染者がいた場合、引っ越しが終わった時点で客の荷物や家具の多くが汚染されることとなる。
不動産屋も引っ越し業者も今が書き入れ時だから、シフトを崩さないために少しぐらい体調が悪くても無理をして仕事をすることを選ぶだろう。
客の方も、引っ越しが終わらないまま今住んでいる家の退去日を迎えることを考えれば作業員に咳をしている者がいることには目をつぶるという人が多いだろう。
こうして引っ越し業者を介した感染拡大もやはり4月まで続くだろう。
そして、はれて引っ越しをすませた人々が挨拶まわりを行い新しい職場に出社することで感染拡大の仕上げとなる。