はてなキーワード: ディスポーザブルとは
安倍首相がアベノマスクを外したとのニュースを見て、非常に個人的な理由から少々安堵しました。
布マスクの場合は中心で縫い合わせてある立体型のものを使っているのですが、
ひとりだけ、アベノマスクと同じタイプの、昔の小学生の給食当番のようなマスクをしている方がいらっしゃいました。
50代、他部署の男性管理職、気のいいおじさんとして振る舞っているように見受けられる方です。
私も話しやすいなと思って、話しかけられれば雑談程度には応じていました。
ところが、ある日、新型コロナはまだ中国の問題だと思っていた頃です。
業務中にその方が私のデスクまでやってきて(これは普段からよくあることでした。)、こう言うのです。
確かに私はあまりネイルなどしないタイプではありますが、それは爪が薄くて塗ってもすぐに剥げてしまうからで、
たまたま友達から持ちのいいベースとトップコートを教えてもらって、それならばと試してみたのです。
まぁそんな背景はどうでもいいのですが、この手の質問は、された方は損しかしないのです。
答えれば知られたくもない異性関係を近くの席の同僚にまで知られ、答えたくないと拒絶すれば愛想が悪いと言われ、
うまくかわすにはそれなりの経験と突然の不愉快に対応する柔軟で強靭なメンタルが必要。
大ごとにしても構わないならコンプライアンス窓口へ、という方法もありますが、
この程度で訴え出るには、細心の注意が必要で、下手をすればこちらが怪我をすることになりかねません。
結局この時は、突然の異性関係を問う質問に面食らって、うまく交わせたかは別として、うまく交わす方向へ舵を切りました。
「ネイルは自分がテンション上がるからするんですよ。男性はむしろネイル塗ってるの嫌がりませんかー?」と。
もやもやとしたものは残りましたが、新型コロナの感染拡大とともに、この件はいつの間にか記憶から薄れていきました。
その後、緊急事態宣言と在宅勤務が始まり、解除になり、久しぶりに出社した頃、その同僚とたまたま給湯室でふたりきりになりました。
彼はいつもの気のいいおじさんの顔にアベノマスクを貼りつけて、フレンチスリーブのワンピースを着ていた私にこう言ったのです。
これにはうまく交わそうにも、交わす言葉もまったく出てこず、むしろ瞬間的に気持ち悪さと怒りがわいて、
おそらく私の表情が硬直したのでしょう。彼も咄嗟にまずいと思ったのか、立て続けにこう言いました。
この時はうまく言語化できませんでしたが、「セクハラ」は女性達が長い間不愉快な思いをしてきて、
それにどうにか声を上げ、その訴えが世の中に少しずつ浸透して、やっと適切でない言動だと認められたものでしょう。
それを、セクハラをしたことの免罪符(自分でもまずいって分かってるんだけどね、という言い分)に使うのは、
まったく持っていかがなものか。「そうですね、セクハラです。」と絞り出した声は、かなり固かったと思います。
彼はさらに続けて「昔は許してもらえたんだけどなー」と言いましたが、それにいよいよ腹が立ち、
それでいて、のどが締まるような緊張と屈辱も感じながら、「それは、昔の女性が相当我慢してたんでしょうね」と返しました。
彼の表情はアベノマスクに隠れてよく分かりませんでしたが、その後も弁明する声はにやにやしたままでした。
アベノマスク、全世帯に配布したそうですが、つけている人をほぼ見かけませんでしたね。
週明けに学校再開予定の某県の養護教諭です。新年度に向け、緊急対応や生活を送る上での注意点などのマニュアルを作成したり、保護者向けのお願い文書やメール連絡網の文面を考えたり、必要な衛生物品の在庫を整備したり、健診の日程や持ち方を検討したりしています。
もう限界です。
消毒液やそれを入れる霧吹き、液体石けん、ディスポーザブル手袋やマスク、すべての衛生物品が足りない。手に入らない。文科省からは「マスクがない場合は養護教諭や家庭科教員などが作れ」などという通知も出ています。何を考えているのですか。今回の対応のために、厚労省や文科省の出している通知を読みました。3月24日の大臣会見の内容も読みました。この状況下で、なぜ学校再開という決断に至ったのか気になったからです。「一斉臨時休業を始めたときよりも状況が改善しているわけではなく、むしろ感染者が増えている地域もある中で、なぜ学校を再開するのかというと、国民の皆様の感染拡大防止に関する意識が高まっているという認識があるからであります」と仰っていました。全身の力が抜けました。意識があっても、消毒薬や石鹸やマスクがないのです。どう感染予防をするのですか。意識があれば、確実にひとり1メートルなどという距離を取ることは到底困難な教室で授業をしても感染拡大しないのですか。小学校低学年は、正直、身の回りの清潔を保つこともままなっていないような子もいます。指しゃぶりや爪噛みをしたり、鼻を触ったり、床に寝そべったり、平気でします。ましてや新年度です。今日から小学生になりたての子供たちです。在校生も、1ヶ月以上休んだ後、久しぶりに学校に来ています。教員の指導や対応でどうにかなるレベルは越えています。
今わたしの頭の中にあるのは、万が一本校で感染拡大が起こった場合、たとえ十分なエビデンスが担保できていないような対応策であっても、報道やSNSで批判されないような「十分な対応を取りました」というポーズを取るための対応策を考えねば、ということと、もし自分が感染者となった場合、動向調査や報道で明らかになって批判されるような行動を絶対にしてはならないな、ということだけです。感染拡大防止は正直、無理です。いずれどこかの教育機関で起こります。起こらなかったとしたら、それはただの偶然です。
感染拡大が起こるなら、わたしの勤務地以外の場所であって欲しい。寧ろ政府が危機感を持ち、再度の一斉休校と、学童等の可能な限りの閉鎖の判断をしてくれるなら、早くどこかの学校で感染拡大が起こって欲しい、とすら思ってしまいます。心労からか毎日胃が痛く、寝ても覚めても辛いです。帰るころにはスーパーも閉まっており、外食なんてこの状況下でもってのほかですし、家事をする気力もないので、毎日カロリーメイトなどを食べて、痛みを紛らわせるためにお酒を飲んで寝ています。養護教諭ですから、このままでは体を壊してしまうなという自覚はあります。しかし、コロナウィルスに感染し、専門職としての信頼を失い、メディアで報道されるくらいなら、コロナの為に身を粉にして働き、結果体を壊した・命を失ったほうが人間として清いのではないかと思うのです。最近、自分が何か行動を起こすたびに「養護教諭から感染拡大 教育機関のずさんな感染予防体制」「感染者発生市で外食か 市内養護教諭コロナ陽性」「趣味は「バンド演奏」 養護教諭からコロナ感染拡大」など、ありもしないニュースの見出しが頭に浮かびます。
今日は友人から聞いた訪問入浴サービスの現場の実態について書く。
まず訪問入浴サービス(以下、訪問入浴)とは「自宅の浴槽では入浴が困難な方に対し専門のスタッフ3名(看護師1名・介護職員2名)が移動入浴車で、浴槽を自宅に持ち込み入浴介助を行なうサービス」(引用元:http://www.yasashiite.com/subdomains/div_page/04/2/)のこと。
訪問入浴の利用対象者は身体や知的障害をお持ちの方が大半だという(他にも要介護の方なども対象)。
利用者の自宅に持ち込んだ浴槽に利用者の体を入れて入浴介助を行うため、当然身体的接触は多い。むしろ身体的接触だらけだ。
感染症の予防、衛生管理のために当然ディスポーザブル(使い捨て)手袋をその都度はめて仕事に当たっているかと思いきや、実態はそうではないそうである。
なんでも「利用者に失礼」だとか「ご家族の意向」だとか、なんとも情緒的な、それでいて肝心の衛生面の確保を疎かにしていることに無自覚な理由があるのだという。
これには頭を抱えた。前述したとおり利用者は障害をお持ちの方も多く、中には入浴中に排泄してしまうケースもあるという…。
自分が訪問入浴を利用する立場だったら衛生上、当然ディスポーザブル手袋ははめてもらいたいと思うが。
ディスポーザブル手袋を使用したい旨を会社に伝えても、利用者に失礼とかご家族の意向という全く理由になっていない理由でディスポーザブル手袋の使用を認めない。
かといって訪問入浴の利用者はどんどん増えている。需要はめちゃくちゃあるのだ。しかしスタッフの離職率は高い。
毎日何件もの仕事を抱え、身体的には精神的にもきつい労働環境、勤務時間は朝早くからで夜の21時、22時くらいに会社を出るという。
残業時間は月100時間は余裕で超え(過労死ライン超え)、休みは週一。
衛生面を疎かにしてでも利用者に失礼とか、そういう空気を読んだ、非科学的なことがまかり通るサービス、仕事、業界に未来は無い。
勘違いさせてしまった献血ルーム側も悪いかもしれないけど、基本的に、200ml献血は
罪悪感とか、恥ずかしい気持ちとか、それをルームに転嫁させて少し憤慨しているような、そういう気持ちがあると思います。
でもそれらは抱く必要はありません、献血は、(たとえ募集してる人がどんなに必死だったり強い言葉で叫んでいても)、
やりたい人、かつ、できる人が、できる時にやることだからです。
だから、200を断られた増田がそれならやりませんということは、なんら悪いことでもなんでもありません。
それをまず認識してください。
あのですね、献血ルームはそもそも牛丼屋のように「お客様」が「並、大盛り」を選べる場ではありません。
「やりたい人」と「必要なもの」があって初めてできるものです。
しかも「200を用意しておくな」などと文句を言う筋合いも君たちにはありません。
仮に新生児が200人単位で事故にあったりすれば、もしかしたら200の需要が急激に高まるかもしれないですし、もしそれがなくとも、それを変えるのはあなたがたの「文句」ではなく、日赤が医学的根拠に基づき必要があれば変えることです。
日赤の日々の医療への貢献と比べて、あんたらのブコメがなんの屁の役に立ってるのか少しは考えてみてはいかがでしょう。
まぁ、日赤にとっても献血って儲かるんですけどね、それは別の話として。
200を現在必要ないのに採れば、血液の提供者にはそれだけ負担もかかるし、針を刺すことで指に麻痺などの障害が残るリスクがあり、また看護師含めスタッフの人件費、ディスポーザブルの器具のコスト等がかかります。だから断られます。
来てやったのに断られた!と憤慨する必要はないので、(今知ったかのように憤慨するということは今まで献血に興味も持たなかったのでしょうし)、何も知らないのに献血ルームのネガキャンをするのはやめなさい。
その前に、自分の無知を恥じろとは言いません、自分を一度振り返ることくらいはしてみてはいかがでしょう。
私は一介の献血好きですが、16歳になって意気揚々と200mlをやりにいったら18歳になってからと断られ、
今も血管の細さや貧血で毎度のように断られ、血管が細いため血液を「返す」ことが難しいので、成分献血はできず、うまくいっても400ml献血しかできません。
そんな献血好きの私が、「よいルーム、よいスタッフ」にあたるコツを最後に少しだけお教えしましょう。
これが大間違いです。いや、増田は悪くない、それどころか、呼びかけに応じて入ってくれて、とても良い人です。
その善意を活かすなら、今度は「大声で献血を募集している献血ルーム」または、「その日だけ来て血を集める献血カー」は、避けましょう。
どうせそこを避けていい献血ルームにいっても、困るのは患者ではなく当該のルームだけです。
県内で一括して集めるのだから、どうせなら、いい待遇で安心して献血しましょう。
「穏やかに協力者を募集している献血ルーム」または、「協力者を募集していない献血ルーム」へ行くのです。
新しく、きれいで、少し混んでるくらいのところがいいです。
そういったところでは、「献血できないのに来るな」などという扱いはほぼ受けません。
仮に検査値が満たなかったり、こわくなってやめたとしても、ビスケットやポカリスエットなんかを持たせて、にこやかに送り出してくれます。
献血カーなんかより広々、清潔で、お土産やサービスも豊富です。
看護師も腕のいい人が多いです。
一度でも嫌な思いをさせて献血離れを加速させる一部の献血ルームスタッフはもちろん良くないです。
しかし、一度嫌な思いをしたくらいで、避けるには献血は勿体ないですよ。
きれいな看護師さんに優しくされ、お医者さんに心配され、献血ルームのスタッフ全員に入った瞬間から出る瞬間まで感謝され、献血ルームによっては美味しいコーヒーが飲めたり新刊のマンガが読み放題だったり、献血自体もなんとなくデトックスになったりする。
帰りにお米とか歯磨き粉や洗剤がもらえる。
(私は何回かでけんけつちゃん×ハローキティ×横浜赤レンガ倉庫の謎コラボタオルをもらいました、あまりにシュールな品で、かつ何回か献血しなければもらえなかったので、その達成感もあいまって今も宝物です)
また、巡り巡ってどこかでそれが助けになってる難病の患者さんがいる。
私は針を刺されるのがとても苦手です。針を刺されるとき、刺さっている腕、絶対に見れません。
なので解剖学的構造を理解している、信頼できる看護師さんにされるのがいちばん安心します。
そういった看護師さんは、いくつかルームをまわらないとなかなか見つからないですが、それもまたルーレットのようで楽しいです。
いいルームでは、難しい血管は上手な看護師さんにすぐに代わってもらえます。
こわい旨は素直に伝えましょう。
そういったオプションではなく、本質として「血を抜かれる」ことも、昔は「瀉血」として治療法とされていました、今は医学的効果は否定されてます、ですがやはりスッキリするのでそれも私は好きです。
お帰りの際は立ちくらみにはくれぐれもご注意ください。
小綺麗でも、必ず安心できるいいルームとは限りません。それに関しては、いくつか回ってみることが必要です。
のやり方をもっとフィードバックする必要があるかもしれません。
でも、自分にとって行きつけの献血ルームができたら、数ヶ月おきにそういった「2~3時間の空き時間」をとても有意義に使うことができますよ!
正直、どんなにうまくいっても女性は年に2回しか全血の献血はできないので、男性や体格のいい方、健康な方や血管がクッキリ出ている方がとても羨ましいです。