はてなキーワード: ももちとは
嫁に思い出話をしたら、そう言われた。
高校時代の部活で顧問による体罰事件があり、顧問の先生が罰されても、なお先生に泣きながら復帰してくださいと懇願する生徒たちの姿を洗脳と言っていた。僕も当時は一種の洗脳だと思ったが、とても言い出せる雰囲気ではなかった。
さて、いきなり嫁との会話を書いてしまったが順を追って書こうと思う。
そもそもこの話を書こうと思ったは、今マスコミを賑わしている日大アメフト部のコーチによる暴力が原因だ。顧問による暴力と聞くと、僕も高校時代に顧問による暴力に多少縁があったからだ。また、このニュース記事の見出しの「盲目」という単語が目についた。僕の顧問の先生も、人を盲目的にさせる天才だったなと。
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3380718.html
あれから10年、そろそろ言葉にして残しておきたいと考えたので筆を取ることにした。僕は高校時代に吹奏楽部に所属していた。その吹奏楽部は全国常連の高校で非常に規律が厳しかった。具体的に言うとSNS禁止、買い食い禁止、部内恋愛禁止、登校中の音楽禁止である。僕はほとんど守れてなかったが。そして顧問の先生が猛烈に厳しい人だった。まぁ昭和の熱血先生という感じだ。「お前らに一生の思い出を残してやるから、ついてこい。この部活でやれば人間力が鍛えられる」が口癖だ。僕と全然合わなかった。
部活内のイベントとして月に一回、全校舎大掃除と言うイベントがあった。普段使わせてもらっている校舎に対して感謝の念を込めて学校全体を部員全員で清掃すると言うものだ。僕が3年生の時に、掃除がいい加減だったので、いきなり顧問が女子部長を何回も顔面を平手打ちし始めた。最初は混乱して理解できなかった。人の突然の暴力ほど混乱するものはないと感じている。さすがにやりすぎだと思ったのか、矢継ぎ早に他の部員が止めに入ったが次々顔面を平手打ちされていた。僕は臆病者なので、とても止めに入ることができなかった。もう音楽室の端にすぐ逃げてしまった。暴力を振るわれるのが怖かったのだ。無抵抗の人に暴力を振るうことが無意識に怖かった。言葉では説明できないが本能的に逃げしまった。顧問が怒って音楽室から出た後、部員達から出たセリフは「自分たちがいけないから平手打ちされたんだ」と言うセリフだ。この時点でちょっと違和感を感じていた。なんで暴力を受けてるのに慕うのか理解できなかった。愛のある暴力をなんて存在しないと思っていたからだ。後日、この1件のことをOBが聞いていて、「男子だったら積極的に女子をかばうように動けよ」と責められた。このお叱りは今でも意味が分からない。生まれつき暴力に耐性のない人だっているのだ。
数日後、先生と3年生部員達と話し合いの場が設けられた。そこでは、主に2つの意見が出た。「頑張って全国大会に出たいのでご指導お願いします。」「暴力を振るう先生なんてついていけません。退部します。」の2つだ。25:5ぐらいの割れ具合だったが。ここまで読んでいる読者はお判りだと思うが、僕はもちろん「退部します」の側だ。退部派の人たちは、合計2~3時間かけて退部を止めるために説得される。推測だが、吹奏楽コンクールの前に部員の退部を防ぎたかったのだろう。必死に止められた。説得のされ方は、顧問が「君は部活に必要な人材だ、Aくんそう思うよな?Bくんはどう思う?」と周りの同調意識を利用した方法だ。一応暴力のことに関しては謝罪はあったが、僕を含めた5人は同調意識に負けて続けざる得なかった。このことは今でも後悔している。当時にやりたいことがあり、その時退部していればできたのではないかと思った。内心、クソみたいな説得方法だと思ったが、退部を撤回するまで部屋から出してくれなさそうな雰囲気だった。僕は顧問に屈してしまったのだった。
それから一週間後、大変なことが起こった。読売新聞の地方面に、顧問の暴力の件が詳細に載っていた。誰かの親が新聞社に告発したのだ。内容も明らかに、その場にいた人しか分からないことが書いてあった。僕は内心、顧問の先生に正当な罰が下されると思った。その次の日に、部活内の保護者を集めた説明会が行われた。顧問は確か2週間ぐらいの停職処分が校長先生から説明された。顧問も謝罪していた。そこで生徒の何人かがいきなり泣き始めた。「顧問の先生は、僕たちを思って平手打ちしたのです。顧問は悪くない。僕たちのことを指導してください。」のようなことを言い始めた。やがてほとんどの部員は賛同し泣き崩れた。泣いていなかったのは、退部派の人たちだけだ。当時は言わなかったが、内心「この人たち大丈夫かな?」と思っていたと思う。少なくとも僕ともう一人は、そう思っていた。ここで冒頭の嫁との会話に戻る。このことを顧問による洗脳だと言ったのだ。全国大会に行かせてやるから俺を信じろと言って部員たちを盲目にして、顧問の意見は絶対に聞かなければならない。ちなみに、保護者の中で誰が新聞社にタレ込んだかプチ犯人探しが始まったのは、想像に難しくない。
そのあと停職になった顧問と、その家族は非常に心を病んでしまったようだ。何せ地方欄とはいえ新聞で報道されたのだ。そこで顧問と家族に向けて手紙を書くことになった。いや、確か部長により半強制的に書かされることになったのだ。ほとんどの人は「先生は悪くありません。私たちはいつまでも待っています。私たちを全国へ導いてください。」と言った旨を真面目に書いていたようだ。僕の中では顧問は信頼できない人となってしまったので、「元気出してください。待ってます。」などと適当に書いたのは覚えている。多分全部員の中で一番短い自信がある。今考えれば顧問に手紙なんておかしいよなと思う。
顧問は、2週間停職のあとは、普通に顧問にとして復帰した。それからもたまに怒ることがあり、その時に「俺をまた新聞に載せたいのか」と怒鳴られたこともあった。全然反省してねーなと思った。時たま「俺の葬式には、歴代の教え子たちがとんでもない数くるから楽しみにしておけ」とも言われた。ここも嫁に話したら、ドン引きしていた。そんなゴタゴタがあったその年のコンクールは、都大会銀賞で残念ながら全国に進めなかった。ほとんどの人が全国に行けなかったと号泣していたが、僕は涙が一滴も出なかった。むしろ終わってくれて嬉しかった。(その後次の年は、全国大会金賞を受賞していた。)気がつけば結局引退までズルズル続けててしまった。
僕は社会に出て何年か経過したが、この部活で学んだ人間力とやらは全く役に立たなかった。会社では、高校の部活より厳しく感じる規律も感じたことがない。こんな部活やめておけばよかったと後悔はある。この後悔があるからこそ、会社で働く原動力になっているところはあるので、そういう意味ではよかったのかもしれない。
ここだけは他人に向けてへの言葉なので、文調を変えます。顧問による暴力というのは、部員の心身を傷つけるものだと思います。ご自身の思い通りにならない行動をされても、そもそも一人の人間である他人に対して、暴力による組織統治を行うのはどうかと思います。勝負の主役は部員であり、顧問ではありません。勝たせてあげたいのば分かりますが、暴力を使わずに言葉で指導して欲しいです。また、きちんと部員達に個人の意思を尊重してあげてください。気持ちが一丸とならないと勝てないとか言う人もいますが、所詮赤の他人の集まりが気持ちを統一することなど不可能です。思考を強要せず、多用的な考えを受け入れてください。会社と同じで、そうしなければ生き残れないと思います。
長文雑文を申し訳ありません。ここまで読んでいただきありがとうございます。ただの高校時代の思い出なので、適当に流してください。
PS.
この日記を多くの方に読んでいただき感謝の気持ちでいっぱいです。正直10ブックマークがせいぜいかなと思っていました。こんなに読まれるのであれば、推敲すべきでした。僕の恥ずかしい記録として、残しておきます。はてぶのコメントもほとんど拝見しています。ポジティブ、ネガティブ両方の意見をいただき、どちらももっともな意見でした。
この日記の趣旨は、はてな匿名ダイヤリーの名の通りパブリックな日記です。その時の自分の気持ちを文字にすることが目的です。ちょっとばかり人に読んでもらいたい気持ちもあります。約10年間、同期同士でも触れるのを避けていた話題で、言語化する機会がなかったので日記という形で残しました。高校の吹奏楽について詳しい人は特定できる内容になっています。最初は高校名を書こうとは思いましたが、なんとなく直接書くのはやめました。
「洗脳」と言う言葉を使いましたが、結局のところ本人の受け取り方により異なります。一方から見た場合はそう見えても、他の人から見たら(この場合は顧問を信じている部員)「洗脳」とは受け取らない場合ももちろんあります。ここでは僕が忘れてしまわないよう、当時に思った気持ちを言葉にしてみました。
ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。
昨日の今日で、言い訳を会計検査院と考えてきたらしい太田。コイツとんでもないタヌキだね。殊勝な態度に騙されてはいけない。
29年8月作成の、「会計検査院検査報告原案への主な意見」という別の文書も入手していて、その中では金額が提示されていることを暴露。ちなみに最終的に国会に提出された報告書には金額の記載はなく、ゴミの総量だけしか記載されてないからね。これには太田も、やってないとは言えず、寺岡を通じて対応というの菅の会見への質問対応のことだと思う、と最後まで菅をかばう姿勢を見せた。その役人根性、いいね!菅の代わりに自分のクビを差し出そうっていうなら、どうぞクビで。
29年8月「会計検査院から報告書原案が財務省に示されており、それに関して理財局内で議論。金額について記載アリ」
29年9月7日「財務省と国交省が報告書原案について相談。金額を総量にすべきだとの提案。検査院には官邸マターだと言っても通用しないから、菅の秘書官・寺岡を通じて対応していく、と記載。」
29年11月22日「金額の記載が消え、ゴミの総量についてのみ試算結果を記載。」
会計検査院長、河戸もクビで。
川内さんは、頭が良く、結構キレキレなタイプだと思うけど、語り口は柔らかく、わかりやすく質疑しようという態度が好き。消費税増税の党方針に反して、公認資格を喪失して落選してたんだけど、復活してよかった。おめでとう。
それはともかく、会計検査院、終わってるわ。
「昨日の予算委員会で話題になった、9月7日の意見交換概要について(略)昨日の御答弁だと、太田理財局長は、お会いになったということは、覚えているよーと、いうことだったと理解していますが、その中において、8億円の値引きの根拠になった新たなゴミの量、新たなゴミの量について、金額で生々しく言われるより、ゴミの量で言われる方が、まだマシだねーと。いうような話をしたと、昨日の審議でお話があったわけですが、そのような事実があったのか、そして、その会合を受けて、ちょっと、金額じゃなくて、量にしてよ、と。その方が正確じゃん、と。理財局長から、あるいは財務省から会計検査院に対して要請をしたのかしなかったのかについてお答えください。」
「(昨日通告が来てなかったことをタラタラと言いつのり、急に聞かれたからああいう答えになったと言い訳したのち、)
そして今の川内委員のご質問ですが、9月7日に、ということであれば、基本的にそうだということであります。で、その頃何を話していたかというと、(蝦名とは初対面だったから顔合わせの意味で会った、これからの仕事の進め方について話しあった。)仕事なので、情報交換について、話をするのは当たり前の事だと思います。最終的に検査院にどう、という点については、検査に関わることなので、と検査院さんもお答えになると思いますので(昨日か今日か打ち合わせしたんだね^^クビでどうぞ)、私の方からどうこうは言えないのでありますが、いずれにせよ、検査院は独立した第三者機関であって、我々財務省として、こうしてくれ、と言えるようなものではなく、もちろん我々の主張をなるほどそうだと思っていただければ、そうなることはあるとは思いますが、基本的には検査院が独立の判断をして、どちらかといえば、我々の方が検査を受ける立場ということで、立場が下、下という表現もあれかもしれませんけれども、ということで、検査院はあくまで独立した第三者機関、誇りも持ってやっておられると思いますので、我々ももちろんそういうものだと思って検査を受けておりますので、そういう関係、前提の話であるということでございます。」
「その前提の話として、会合の結果として、検査院に対して金額じゃなくて、ゴミの量にしてよ、と要請をされたのかと。もちろんそれを取り入れるかは検査院が最終的に判断することなんでしょうけど、財務省としてそういう要請をしたのか、という事実確認をさせていただいております。」
「検査、先ほど申し上げましたのは、検査をうける過程において、いろんなことを言われ、それに対してお答えをしてるということを申し上げましたが、委員の今のご質問にお答えするのは、具体的に、検査について、どういうやりとりがあったのかお答えをせよ、ということではないかと思いますので、それは、検査院としても、我々は受ける立場でございますので、いよいよお答えをすることを差し控えたいと、いうことでございます。」
「検査院として、今回は国交と財務省ですが、検査の対象となる省庁からの事前の調整、あるいは要望・要請、というものを、検査報告を出す前にですね、会合をすることは当然にしてあるという理解でいいですか。」
「一般論として、検査報告は、検査対象の会計報告を非難しまして、その情報を国会等に報告するものでありますから、その内容につきましては、正確を期して、誤りのないようにすることが大変重要であります。このため、会計検査院では、不適切あるいは不正な経理等を発見した場合には、対象期間に対して、事実関係の確認あるいは、弁明の聴取等をいたしております。そして検査報告に掲記すべき内容につきましては、外部からの干渉を受けることなく、あくまでも会計検査院内部における慎重な審議のもと、最終的には検査官会議の決議を持って、最終的には技術的に掲記をしているところであります。」(事情聴取はするが、書く内容については、干渉を受けないというあったりまえのことしか言ってない)
「事前に検査対象と確認をすると、そういうことでいいわけですよね。」(これは質問の筋が良くない。事実関係の確認をすることと、報告書案を見せることは全く別。)
「事実関係の確認はされていると。では一点後確認したいのは、検査院としては、情報公開法にもあるように、検査内容とか検査の過程について、検査院として答えられないよーというのはそれはそれでよろしい、検査対象がこういうことを言いましたよーという事実関係を国会に答えることは構いませんよーという立場でよろしいかと、確認させてください。」
「検査対象と検査院との間の検査期間におけるやりとりに関するお尋ねであると理解しております。これは検査対象と検査院との討議、あるいは検査院内での討議に関わる審議検討、または討議に関するものであり、検査官会議の議決を受けていないいわば未成熟な情報でございます。このような検査対象機関と、検査院とのやりとりが公表された場合には、今後の検査に置きます、会計検査院と対象機関との、または、検査院内部での率直な意見交換を阻害する可能性があると考えております。また情報公開法の第5条第5号にも記載されております。さらにこのようなことによります、事実の確認が困難になり、厳正かつ正確な事実の把握に支障を及ぼす恐れがあると考えております。これは情報公開法第5条第6号にも記載されております。このような事情により、会計検査院としては、受検庁との詳細なやりとりの公開については差し控えさせておるところでございます。」
「(そうじゃなくて、財務省が要望したことを明らかにするのは検査院は関知しないよねと再度確認)」
「実質的に、受検庁の方から公表されますと、場合によってはこれは、あの内容次第だろうと思いますけども、内容によっては今後の検査にも支障を及ぼすと考えているところであります」=法的根拠はない
「内容を聞いてるんではなくて、事実関係を聞いているので、改めて財務省に答えていただきたい。いや先に検査院に聞きましょう。ゴミの金額じゃなくて量にして欲しいという要望があったかということに答えることは問題がある、そのあと、財務省に要望したのかという事実関係をお答えいただきたい」
第3局局長
「(さっきの答弁を繰り返す)」答える気ないなこれ。
「私どもは検査を受ける立場でございます。(略)検査の最終的な結果として、検査院さんの方での検査の結果になっているということでございます。それについて我々がこういう要望をしたということを、明らかにしますと、やはり、検査の結果、あるいは検査の内容について、いろんな議論を招く、あるいは今後の検査に支障をきたすというのは我々としては理解できますので、御答弁は差し控えさせていただきます。」(検査院の検査が歪められていたら検証不能ってことだね。クビでどうぞ。)
「(略)今回の検査は、国政調査権に基づいて、参議院が要請したもので、その中で、いろいろと不適切だという指摘がなされたものです。こレは、社会契約上の問題であって、今の理財局長、検査院第3局長、事務総局次長さんの御答弁を聞いておりますと、いろいろ理屈はおっしゃるけれども、子供達が聞いておったら、単に逃げてるとしか思えない、隠してるとしか思えないんですよ。この件に関しては、すべてを赤裸々に、お互いに語り合うことによって民主主義を前進させるケーススタディとして扱っていかなければ、国会もその役割を果たせないと思うんです。委員長、委員長として、私事実関係を聞いてるだけですから、財務省さんは検査院さんに対して、金額じゃなくてゴミの量でやってよ、と要望したんですかと、事実関係を確認しているのですから、財務省に答弁をするように促していただいて、それでも答弁を拒否するのか聞いてみたいんですけど。委員長お願いします。」
小里委員長
「今の川内議員の御指摘を踏まえて、可能な範囲で御答弁ください。」
「(基本的には委員のおっしゃる通りと言いながらダラダラダラダラ改ざん文書や交渉記録出しました、頑張ってますアピール。クビでどうぞ。)子供達の世代にも会計検査の仕組みが維持できるということが必要だと思っています。その意味でその、森友学園との関係において、不十分であった、これだけ不十分あことをやってきた我々理財局がいうのはおこがましいとは思いますが、これは会計検査のことであって、会計検査は会計検査として、今後子供達に引き継げるもの、として検査院はおっしゃっておられて、我々もそれを理解して、これを申し上げておりまして、委員にお答えできていない、委員長のご指示に従えていないという委員がお思いなのも理解しますけれども、今後、我々が、検査院に厳しくご指導いただけますように、会計検査がきちんと引き継がれますようにと、今の委員の話は、最終的な結果をご覧いただくということでご理解いただきたく存じます。」
会計検査がちゃんとやってないんじゃないのかという疑惑を向けられた時にいうセリフじゃねーよな。大体最終的な結果はお前らの要望通りになっとるし。クビでどうぞ。その後、海江田筆頭理事からの苦情等があり、理事会でこの件について答弁するかどうかについて議論することに。まぁ事実関係を答えただけだ、要望なんてするわけないっていえないっていうのは要望しとると判断しますわ、私は。クビでどうぞ。
宮本さんは、まず理財局にくだんの文書があったかの確認、航空局にはあるかの確認から。理財局にはないとの返答。当然だね、答えない、の次に、内容が事実ではないという防波堤があるものね。航空局は、担当者は私的メモを作ったような気がするから探してみる、との回答。多分こっちは出てきたら全然違うことが書いてあったりするんじゃねーのかな。この改ざん政権では。クビでどうぞ。
「太田さんは誠実な方だと思ってこれまで質問してきましたけど、認識を改めないといけないかなと思っております(後ろで宮本岳志が大きく頷くのウケるw)先ほどの川内委員の質疑で事実関係の確認をすることはあると言っていましたけど、この文書で話されているのは事実関係の確認じゃないですよね。額じゃなくてトンだ、トンにしようとか、試算額を複数関係書いて、いろんな試算の仕方があるように見せようだとか、これは事実関係について書いてあるんじゃなくて、これは問題の追及を逃れるために、書きぶりを変えて欲しいという圧力をかけるための相談だったんじゃないんですか」
太田(苦しそう)
「あのー、お、昨日も御答弁したような、気もしますが、あのー、私はその紙について、見たこともなければ、聞いたこともない、小池議員と宮本岳志議員が質問される中においてお聞きしただけであります。えー。その中において、お互いが会計検査院の検査を受ける身でありますので、その場で、先ほども申し上げましたように、お互い正直に言って、お互い知らない仲でございましたので、その顔合わせてよく知るという中で、会計検査院のこともあったかもしれません。しかし今おっしゃったように、会計検査院の書きぶりに、内容について、我々が云々できないのは、それはご案内の通りでございます(だから菅を通じてやってもらったんじゃないのー。その建前なのにあんたらの要望通りの結果になってるから驚愕したんだこちとら)。基本的に、第三者機関として、我々は、事実関係について質問、事実関係について、きちんとご説明する、その結果として、最終的に、慎重な判断を欠いているというご指摘でございますので、我々の説明が十分にご理解いただけなかった、逆に言うと認めていただけなかったということでございます。」
「内容を見ますとね、顔合わせのようなことは何にも書いてないですよね。書いてるのは、会計検査院の報告書への対応と、国会への対応だけですよ。先ほど、内容について左右する立場じゃないとおっしゃったけども、書いてある内容が、左右するための話し合いになってるから、私たちは問題にしてるわけですよ(とおるー!かっこいいぞー!)。(略)」
この後太田は、見たこともない文書の内容が一言一句正しいという前提で質問されても困ると予防線を張る。クビでどうぞ。またデメリット発言についても言い訳を言い募る。あのさー知らない、虚偽だっていうなら余計な予防線張るなよ。クビでどうぞ。
29年2月9日の朝日の報道を受けて、マスコミの対応状況を籠池さんに問い合わせた2月13日の記録を、宮本岳志議員が、今年の3月に、提出を要求したものはタイトルが、応接記録、となっているのだけど、宮本徹議員が、豊中小学校事案に関わる応接記録という名前で、もっと詳しい内容が書かれた文書を入手したと質問している。昨日のと合わせて考えると、理財局の内部、または元局員あたりが共産党にリークしてるっぽいんで、誤った対応をするとどんどん続報が来そうな展開。
「応接概要
独自に入手したものは、本日森友学園の取材対応について確認した、となってる。報告、確認だいぶニュアンス違うのかなと思います。そのあと、取材している12社についての記述、これは同じです。このあとが全然違うんです。
お手元にあるものは、
本日、〇〇弁護士同席で、対応。どういう運営方針で子供を育てるのかについて聞かれたので、きちんとした子供を育てる、これが重要と回答した。
これで終わってます。私が入手したものは、このあと当方と相手方でやりとりがずーっと続いてます。
続きはトラバで
私はアイドルマスターSideMをプレイしている。
名前入り称号はもちろんのこと虹トロフィーだって数本取ってる、いわゆる廃課金ユーザーだ。
本作について思うことが多々あるんだけどどこにも吐き出せる場所がないので、きっとエゴサしているであろう運営に少しでも届けばいいと思ってこの場を借りたいと思う。
そもそも当時の私はソシャゲをほとんどやったことがなかった。アイマスシリーズについても全くの未履修で、知っていることといえばシンデレラガールズのガシャは車が買えるくらいの大金が動く魔境だということくらいだった。
そんなアイマスの男版がリリースされると知って、興味本位で事前登録したのが始まりだった。(ちなみにその後も他アイマスには触れていないので、デレではこうだとかミリの方がどうのとかは全く知らないし興味もない)
長期メンテを経てついにサービスが本格始動して、最初は無課金から始めた。
ポイントRとガシャRの区別もつかない、あまりにも無知な私を哀れんだのか、既に課金兵だった身内がガシャRを山村とトレードしてくれた。
はじめてのソシャゲ、はじめてのプロデュース業はとても楽しくて夢中になってプレイした。
私のツイッターは鍵アカで、SideMで新しく交流することはなかったけど元々のフォロワーさん方がじわじわとPになってくれたので寂しくなかった。
プレイするうちに担当アイドルだけではなく、担当が所属するユニットごと好きになっていたのでユニットのアイドルが登場するたびイベントを走りガシャを回し、担当アイドルの初上位、声帯実装、CD発売、そして2ndライブと経ていくうちにいつしか私は廃課金になっていた。
思い返せばこの頃が一番楽しかった。
ところで私の担当は1stライブに出ていない、いわゆる後半組だ。
1st時点では声もついていなかったし、いつつくかもわからなかった。
だから私は1stライブには行っていないが、ライブなんてすごいと応援していたし円盤も買った。
次はこの舞台に担当(実際はその声優さんだが、あえてこう書かせてもらう)が立つと思うと円盤を見ながら泣いた。
2ndライブでアニメ化が発表され、公開されていく情報にだんだんと雲行きが怪しくなり、いざ放送されたアニメに私の担当はいなかった。正確に言うと、一言発しただけの一般人だった。アイドルじゃなかった。そこから怒涛のように展開される新グッズやコラボの数々、それはどれも前半組のものばかりで、どこにも担当はいなかった。
前述の通り私がSideMで交流しているのは元々のフォロワーさんばかりなんだけど、彼女らは担当こそ違えどみんな前半組のPだった。TLがそれぞれの担当の展開に喜ぶ中、私だけがその輪の中に入れないのがとても辛かった。
私だって同じように喜びたいといつも思っていて、フォロワーさん方が羨ましくて仕方なかった。
2ndの時、ある声優さんが「これからは楽しいことがいっぱいある」と言っていたけど、私にあったのはマイデスクにいる担当達だけだった。
それから迎えた3rdライブ、偏ったセットリスト。3rdの後にファイブスターという純粋なアニメオンリーのイベントがあるのだからアニメ新曲はそこで披露されるものだと思っていた私の予想は大外れだった。
私は担当が出ていないも同然のアニメ円盤は買わなかったので、当然アニメ新曲もほぼ知らない。
知らない歌が多々披露される場で感じるアウェー感は半端なかった。
ファイブスターももちろん行っていないけど、伝聞で知った声優さんの発言があまりにもあんまりで積もり積もったものを抑えきれなくなったので今これを書いている。
チャリンチャリンってなんだよ。そんなの3桁万円に届くくらいしてるよ。
私が担当のために費やした課金で作られたのが、担当のいないアニメと担当が歌わない曲とカエルの実写映像なんでしょ。ふざけてんのか。
担当のために使われない課金なんて私にとってはする意味ない。そういえばかろうじて3rdアニバが出たけど、それもご意見しまくってようやくだよね。
繰り返しになるけど本当ふざけてんのか。
チャリンチャリンして欲しいならしたくなるような展望を見せて欲しい。
担当が大好きだから、アニメ化以降も空しさを抱えつつも担当のガシャを回してイベント走ってとやってたけど、しばらくチャリン略は止めようと思う。具体的には後半組メインの展開が来るまで。
外部講師による「成長するために必要なマインド」という題目の講義を受けた。
問題に直面したとき、他責ではなく自責にすることが成長に不可欠だそうだ。
意識高い系だった私は、この講義を受けていた時はすごくギラギラしていたと思う。
この教えを忠実に守っていた。
とは言ってもただの考え方なので、実際に行動に落とし込まないと成長につながらない。
そこで私が辿り着いた行動のは「怒る」ことの封印だった。
怒るということは、自分は正しい、もしくは自分は間違っていない、と主張していることと同義だと思っていた。
自分が間違っていると思いながらも、怒る人なんてそうそういない。
大体のトラブルは、どちらも自分こそが正しいと思いながら怒っているのだと思っていた。
怒るという行為そのものが、傲慢で浅はかで恥ずべき行為だと本気で思っていた。
しかし、実務に入ってみると怒る人はめちゃくちゃ多い。
様々な問題に直面したが、怒っている相手に対してキレること無く、全てグッとこらえた。何事も原因は自分にあると考えて、ただひたすら謝った。
そんな毎日に、愚痴をこぼすことももちろん無かった。自分のしてきた行為を棚に上げ、現状を嘆く愚かなことだと思っていたからだ。
怒る素振りを見せることは無かったが、嫌な相手と対峙した時に真っ先にくる「ムッ」とくる感情は、どうしても封印することが難しかった。
そう思ってしまうのは、反射的なことで仕方が無いことかもしれない。
それでも、こうした感情が湧き上がってくる自分自身がとても嫌だった。
そのうち残業がどんどん増えていった。怒られる頻度も増えてきた。
そして、ベッドから起き上がれなくなった。休職を言い渡された。
自分の人生はもはや失敗だ、もう取り返しがつかないと絶望し、死んでしまおうと何度も思った。
私の何が悪かったのか、今でも分からない。…いや、そう思うことすら自分自身に驕りがあるように感じてしまう。
私はつくづく生きることに向いていない。
>自分から見ると優秀な白人女性って、名誉男性になる+人種由来のハイスぺを活かすことで有能になってるようにしか見えないんだけど
フィンランドは女性が女性のまま男性並みに活躍してるってことなのかな
まずコーカソイドの女はアジア人の女より筋肉とガタイが違う。澤穂希が日本中探してもなかなかいないのと同じ。
筋肉量が多いとテストステロン値も多いんで男性的、合理的思考が得意になる。体力ももちろん強い。
第二に、フィンランドではそもそも国民の数が少ないので、密度の濃い高い教育や自分で学ぶ教育姿勢が身につく。日本みたいに詰め込まれてなんぼではない。
パートのような対面販売や受付ならともかく、日本の企業社会と日本の女は世界一企業社会で働くのが向いてないのに、無理に進出させられている。
おもしろさには様々なものがあり、それは見た人が感じるものだ。
私が感じたおもしろくなさの話をする。
知人が出ている舞台を見た。
平凡な主人公が自殺し、自分の死を惜しむ周囲の人を見て後悔する、という話だ。
この話でおもしろくなかったポイントは、大きく3つある。脚本、演出、それから役者だ。
1.脚本
おもしろくなかった。
この「おもしろくなさ」は、愉快でない、という意味でのおもしろくなさだ。
登場人物は、主人公とその周りの人々、たいした理由もなく死にたがる人達、死んだ主人公のメッセージを伝える霊媒師、主人公と一緒に死ぬ女だ。
主人公は死に憧れている。
なぜか? 理由はない。
これは明かされない、という意味ではなく、本当にないのだ。ただ、なんとなく、死にたい。
だからこそ彼は死を選んだあとに後悔するのだ。が、そりゃそうだ~って感じである。
後戻りはできないのだ。
夫を早くに亡くし、一人息子さえ失った母親が自分の遺体に泣きすがる姿を見て後悔する主人公に、一緒に死んだ女は言う。
「じゃあどうして死んだの? いまさら後悔したって遅いよ」
この女は家族がなく施設で育ち、いまはDV彼氏と共に暮らしていた。当然の怒りである。
彼女が主人公と共に死ぬことになるきっかけは、死を望む人々の集会だ。
インターネットを介して集まった彼らは、自分の死にたい理由を主人公に促されるまま語る。
婚約者と別れた女、リストラされた挙げ句離婚された中年男性、元アイドルの少女、人生うまくいってない女。
日々の生活の辛さを語る彼らに、女は言うのだ。
「自分が見えていない」
「実家に帰ってもう一度やりなおしたら?」
傲慢!
彼女にはすべて見えているのだ、死にたい理由に対する解決策が。自分の生まれ、育ち、現在の境遇に比べれば彼らの辛さはたいしたことではないと言っている!
そして密かな契約を結ぶ。
「あなたならわかってくれると思って。一緒に死のう」
そして二人は主人公の家の居間で死ぬ。(事故物件を残される年老いた母!)
この物語から私が感じ取ったのは「当たり前の幸せに気づけ」というメッセージだ。
ただし、「お前は幸せに気がついていない」し、「お前の悩みはたいしたことがない」という上から目線の言葉に表象されて、だ。
人の悩みは人それぞれだ。
いろんな人がいる。いろんな悩みがある。
自分にとっての恋愛と他人にとっての恋愛の価値が違うことだってあるのだ。
それをこの脚本ではすべて切っている。
疎外された気分で、おもしろくなかった。
2.演出
おもしろくなかった。
この「おもしろくなかった」は、単調であるという意味のおもしろくなさだ。
会話劇である。
みんながずっと座って喋っていて、感情的にも動き的にも変化がなく、おもしろくなかった。
いつまで続くのかな? って思った。
それから、脚本の意図がわかってないのかな? とも思った。後述。
3.役者
おもしろくなかった。
この「おもしろくなかった」は、ちょっと言うのが悪いなあという気持ちもある。
不愉快に近い。
セリフが聞こえない。自分が目立つことしか考えていない。脚本上における役割が果たせていない、どころかミスリードを誘うような。
そこだけ前後のシーンとも繋がりが消え、最悪だった。
周りの人はなにも言わなかったのか?
他の人達は真面目にやっていた。
技術が足りない人ももちろんいたが、この見るものの弱さを攻撃する脚本において、道化の役割を果たそうとしていた。
しかし、その人は本当に嫌だった。
演出家はなにも言わなかったのか? それとも諦めてしまったのか。
役者がおもしろくなかったと書いたが、全員がそうでなかったことが唯一の救いだろう。
しかし、チケット代は主宰団体や脚本家、演出家ではなく、出演していた知人の手のひらに直接握りこませたかった、というのが正直な感想だ。
しばき隊界隈の「どんな人間も豚を差別することはできないのと同様、オタクを差別することもできない」ツイートのその後をちょっと調べていた。
https://togetter.com/li/1220501
いかにもしばき隊らしい差別意識満載の発言で、まぁ言えることは「鏡を見ろ」くらいなもんなんだけど、その後の擁護の流れがなんとも。
「豚や牛などの動物にも人間と同じ権利があり差別されるべきではないという趣旨の発言であり、文意を汲み取らずないキモオタどもプギャー!」
ということらしい。
一見するとあらゆる生命に配慮した素晴らしく先進的な思想であり、人類進歩の最先端にいるオレたち最高!みたいな「ニッポンスゴイ系ネトウヨ」の裏返しみたいな高揚感を得られる思想だ。スゴイ。
ただ、もしこの発言をまともに受け取ろうとすると一つ大きな矛盾にぶち当たってしまう。
我々人類は、動物と人間の間に「差別」を設けることで現代の豊かな社会を作り上げているという現実だ。
例えば牛や豚はには自由恋愛は認められていない。繁殖の邪魔だからだ。
生命身体の自由も与えられてない。加工肉として出荷するためだ。
我々人類はこれらの「差別」によって素晴らしい恩恵を受けている。
・食糧確保の手間が減ることで、豊かな文化的生活を追求することができるようになった。
などだ。
現代の人口73億人は、これらの「差別」がなければ成立しなかっただろう。ビバ「差別」
我々人類と動物の間には明確な違いがあり、人としての権利=人権は人間にだけ与えられるものだ。まともな常識ある一般人ならそう考える。
この前提を壊した先にあるのは人類の窮乏化だ。
「動物への人権の付与」が実現されたときに、現代の73億人は維持できなくなるだろう。人間の権利が大事か?動物の権利が大事か?というイデオロギーの間で人が死ぬ状況は、理想のために国民を虐殺したポルポトと何が違うというのか。
さて、では今度は「動物も差別されない社会は理想だけど、現実に目を向けて動物差別は今までどうり黙認するよ」という、まるで憲法九条みたいな玉虫色の解釈論で現実をやり過ごそうとしたとき何が起こるか。
「差別って良くないよね?でも現実には差別によって社会は豊かだよね!」という社会を前にして
「男女の雇用差別って良くないよね?でも現実には女は妊娠するから雇わない方がいいよ」という声にどう対抗するのか?
真面目に差別に取り組んでいる人たちは「人権とは人類のみに与えられた権利」という大前提を外さない。
なぜなら差別を受けている人たちとは、まさしく「人権」を侵されている人々であり、「人権」の貴重さを身をもって知っている人たちだからだ。
人権は時に簡単に奪われ、取り戻すために大量の血が流れることもある貴重な宝である。
そんな貴重な人権を、たかがツイッターの論戦を擁護するために容易く動物に与えようとする人たちが「人権を守れ!」と叫んでいるという。
一体どんなジョークだというのか?
私は今、うつ病を誤魔化してないものとしようと、大量飲酒した結果、アルコール依存症で入院してます。
TOKIOの山口さんのように、言葉は悪いですが、"流行" に乗って #metoo でもしたいのかとでも毒づかれそうな話です。
でもニュースを見るたびに、心が苦しいので、吐き出そうと思いたち、書きました。
結婚をして数年たってもこどもに恵まれなかったので、「太っていると妊娠しづらいらしいわよ」と言われたこと。
そして会社でのイジメから、ほぼ意地になってダイエットをしていました。
私は流行りものを冷ややかな目で見ているふりをしながら、つい取り入れたくなる、ただの30も過ぎた普通の女です。
糖質はほぼなく、更にアルコールを分解するには当然、人体はエネルギーを使うので、スルスルと体重が減って、当時はそれが楽しくて堪らなかったのです。
でも、もうその頃には、まずお酒を飲まないと、食べ物を口にする事自体に罪悪感を感じるようになってました。
イジメの関連で通っていた精神科医にある日飲酒が発覚して、現在に至るというわけです。
祖母が大好きだった私にとって、"あのひと"は動物にしか見えなかった。
その祖父と同じような歳の人間が、私の今いる病棟にはたくさんいます。
廃人のように毎日、寝ている人もいれば、何かにとりつかれたように明るい人もいて、一言で「アルコール依存症」と括られるのだから、世界は窮屈だと思いました。
朝昼夜のホールでの食事は毎日、同じ席で赤の他人と食卓を囲みます。
それなりに会話を交わすうちに打ち解けるテーブルもあれば、いつまでも険悪なテーブルもありますから、すべては運です。
「ほんとうに、言葉は短いほどよい。それだけで、信じさせることが出来るならば。」
今朝、朝食をとりながら、毎日同じテーブルを囲む男性と、太宰治の「葉」の一文の話になりました。
たまたま、病院の近くに、太宰治の墓があって、まもなく桜桃忌だという話になったからです。
「酒は体に悪い」
これがシンプルで短い真実で、それを自分に信じさせることが出来れば、どんなに楽か、とふたりで笑いました。
たまたま、隣の席に恵まれたということも、もちろんありますが。
何故、私がここに入院するようになったか、彼が知らないように、
私ももちろん彼がなぜこの病院に入ることになったのかを知らないわけです。
でも林芙美子の言うとおり、私にとって「どんづまりの世界は、光明と紙一重で、ほんとうに朗らか」なのです。
こどものころ、こんな病気になって、こんな病院に入れられるような人間は
きっと碌でもなくて、自制心も、教養も、まともな教育も受けていないような人間だと、思っていました。
動物のように、欲求を抑えることも出来ない、そんなイメージしか持っていませんでした。
隣席の男性はともかく、私が「教養のある人間」だなんていう思い上がりはまったくありません。
多分、彼も私も、小さく、普通に、素朴に、生きてきた人間のはずだと思います。
それなりの勉学をこなし、それなりの大学を出て、日々与えられた仕事をこなし、小さく暮らしてきただけのはずなのです。
「普通」に生きる、というのはとても難しいことなのだと知りました。
偏見を持っていたこと全てが、鏡となって反射して、自分を許すことが出来ません。
周りは、「今気づいてよかった」「これから治療していこう」「前向きに」と誰も私をせめません。
一方の私は、どちらが"前"なのかすら、わかっていないのに。
お酒の影響もあり、脳の能力が低下している、こんな私の文章は今、さぞや読みづらいことと思います。
ただ、ひとつ伝えたかったのは、あの事件も「酔っ払ってあんなことして恥ずかしい」で片付けられるようなものではない、ということです。
全くお酒を飲めない人間以外には誰にでも起きうることです。ここ数日ニュースを見るたびに苦しいのです。
いつか、他の人ではなくて、自分が自分を許してくれますように。
太宰治はこうも言っていました。
「私は、独りで、きょうまでたたかって来たつもりですが、何だかどうにも負けそうで、心細くてたまらなくなりました。けれども、まさか、いままで軽蔑しつづけて来た者たちに、どうか仲間にいれて下さい、私が悪うございました、と今さら頼む事も出来ません。私は、やっぱり独りで、下等な酒など飲みながら、私のたたかいを、たたかい続けるよりほか無いんです。」
何年か前に田舎から両親が東京観光しに来た。飛行機で1時間ちょっとの距離。
父は脳卒中で倒れてから半身不随で遠出の時は家から車椅子を持ってくる。
航空会社の方が非常に親切にしてくれて楽々来れたわよ~と嬉しそうな母。
なるべく人が多い時間帯を避け、車椅子が邪魔になりそうな場所は避け、
念入りに計画したおかげで順調に観光スケジュールをこなしていた。
(もちろん途中で駅員さんはじめたくさんの方に親切にして頂いた。ありがたい。)
夜は母憧れの某オシャレエリアでお高めのお店を予約していた。
事前に「バリアフリー対応」で条件を絞り込み店を探していたことと
お店にも車椅子で来店する旨をお伝えしていたので安心していたのだが…
いざ店に行ってみると入口に3~5cmほどの段差が存在していた。
店の前で立ち尽くす私達家族。店員さんは目を合わせてくれなかった。
記憶がちょっとおぼろげだがその段差は足が悪いうちのばあちゃんでも
私の肩にでも捕まってよいしょっと上がれるほどの些細な段差だったと思う。
それでも車椅子にとっては途方もない高い壁に思えた。
家族で観光している間楽しそうだった父が申し訳なさそうにしていたのがつらかった。
あの時“障害者様”という言葉が頭をチラついてお店には何も言えなかったが
お店が「バリアフリー対応」って書いてた意図はなんだったのだろう?
今まで困った人は居なかったのだろうか?
ゴールデンウィークなので家族旅行がしたいと親に言われて、なんとか休みを取って新幹線で出かけてきたけど他所の子供が騒いでて辛かった……
別に何か親子に物申したいとかじゃなくて、単に人に話しづらくて行き場のない愚痴なのだけど
行きの新幹線で同じ車両に親子連れが乗ってたみたいで、子供がずっと「みて〜みてみて〜! キュアカスタード〜!」って大声で親に話しかけてた
でも親御さんの声はまったく聞こえなくて、反応ないからか子供もずっと1人で騒いでた
帰りの新幹線の車両にはベビーカー乗るくらいの赤ちゃんが乗っててちょいちょいぐずっていたけど、これも親御さんが何かしてるわけでもなく……というか降車待ちですれ違ったら子供膝に乗せてゲームしてたし……
子供だから声量調整できないとか、ある程度声出しても仕方ないのは分かる……分かるけど、なんかちょっとできることあるんじゃないのと思ってしまった
親が大声で怒るとかももちろん見たくはないけど、言葉わかって話せるくらいの子供だったら一言「小さい声で話して」とかおもちゃや他のものでなだめられないのかなとか
赤ちゃんもあんまりぐずるならデッキに移動するとかできないのかなとか……育児エアプだからあまりあれこれ言えないといえばそうなのだけど
そもそも育児が大変だとか体力を使うとかはなんとなくわかるけど、対策や周りへの配慮が全然できないくらいなら子供が落ち着けるようになるまで旅行くらい控えたらと思ってしまった
子供が好きでもやっぱりうるさいときはうるさく感じるし、移動も朝早くと夜遅くで余計にきつく感じてしまった
今日はイヤホンしたりで対策はしてたけど、次からはあまりそういう人とかぶらないように移動手段や日程を決めようと思った
◾︎追記
思ったよりたくさんの人が見て言及くれてて、ひとまず自分だけが気になってるんじゃなくてよかったと少し安心(していいのかわからないけど)
親子向け車両とか色々あるんだなーと思ってもっと増えてくれたらいいのになあ……グリーン車もファミリー層が乗るって日は流石に逃げ場なさすぎて
ふわっと望むことしかできないけど、騒がしい親子が苦手な人も親子もどっちもうまいこと電車に乗れるシステムができるといいなあ……言及たくさんありがとうございました
まず、日本に住む大多数の人は男女問わず徴兵される覚悟なんてしていないんじゃないかな。
ただ、自衛隊への入隊を現実的に考えている日本に住む女性は結構いると思う。
例えばあまり就職先がないような地方だったりすると、自衛隊という選択肢は男女問わず実は結構現実的だ。
高卒でも就職できるし、大体いつも募集してるし、給料をもらって働きつつ資格も取れるから。
看護や保育、場合によっちゃ介護もやっぱり専門学校くらいは出て学費を払って資格を必要があるけど、自衛隊だとその必要もないし。
逆に男性でも自衛隊くらいしか就職先の選択肢が無いような状態でなければ、単なる憧れとかではなく、現実的に自衛隊に入るかも、と考える男性は正直あまりいないんじゃないだろうか。
そもそも男性のみ兵役があって女性にはない韓国とかならともかく、軍隊は無いが自衛隊があって、女性自衛隊員も数は少ないとはいえ
普通にいる日本で徴兵される覚悟が云々と言っても少しずれている気がする。男女問わず入隊できるし男性なら入隊の義務があるわけでもない時点で
すくなくとも男性のみ兵役の義務があったり女性は軍隊に入れない国に比べれば、日本は制度上でみれば平等な方なんじゃないか。
あとブコメでも指摘があったが、力仕事・汚れ仕事を日常的に文句も言わず行っている女性は大勢いる。
土木作業だと女性はあまりいないが、介護・看護・保育・清掃・小売り(スーパー等品出し作業も当然ある)等、力仕事を避けては通れない、力仕事がメイン業務の一つである
むしろ「力仕事は男がやれ」と言われる職場というのは、力仕事自体がイレギュラーにしか発生せず、普段は力仕事をする必要がない職場だと思われる。
(例えば介護施設で「女性だから力のいる入浴介助は割り振らない」という事は男女比で考えて通常あり得ないだろう。逆に男性は営業、女性は事務をやってるような職場だとフロアの移動等が発生した時
女は力仕事・汚れ仕事を嫌がり行わない、軍隊や自衛隊に入る覚悟がある女性なんていないだろう、という認識は
正直現実とはかけ離れているというか、机上の空論というか、「女性の仕事」と言えばフィクションに出てくるような小奇麗にして事務とかキラキラした感じの仕事だ、みたいなステレオタイプの男女像に捉われているんじゃないか?
そういうキラキラしたような仕事に就こうと思っても就職の時点で女性と男性は同じ学歴でも女性の方が正直ランクが落ちる企業しか内定が出ないという事もあるし、その結果介護・ブラック企業などの
きつい仕事に女性が大勢流れているという事もあるだろう。(就職先の選択肢がある場合でもそうなんだから、選択肢がない地方だと・・・)
ただ、自衛隊もやはり隊員の大多数は男性だし男社会だから続けるのは難しいとか、体力的な問題で自衛隊をあきらめてもっと待遇の悪い仕事(自衛隊も大変だけど、給料はある程度は出るし資格も取れる仕事だ)に女性が流れている(派遣とかブラック企業とか介護とか)という事はあると思う。
あと土木作業をできるものならしたいが体格だったり「女性には無理」と断られ、土木作業員より正直スティグマのある風俗産業に流れてる女性と言うのもいるんじゃないかな。
それでも女性なら結婚して寿退職すればいいと思うかもしれないが、寿退職の後待っているのは、主婦として育児・介護・家事などの力仕事(子どもを抱きかかえるのも介護ももちろん力がいる)・汚れ仕事(介護・育児に下の世話はつきもの、掃除も排水溝・トイレ掃除などは汚い)だ。
なんとなく、こっちからすると語り口からして増田はなんだかんだある程度仕事の選択肢もあって恵まれている環境にいるような気がするんだよ。
まあ男女平等を訴える女性の中でも目立つ人・発信力のある人はキラキラした仕事と言うか、社会の上層部に属する人が多いという問題はあるかもな。
というか、そういう人じゃないと何の世界でもなかなか発言権が無かったりするという、身もふたもない話な気もするが。
まあなんにせよ見えてる世界が違いすぎるんだよな。
好きなジャニーズのコンサートツアーのチケットの抽選申し込みが始まった。
少し前まではかなり力を入れてそのジャニーズのことを応援していたから名義(ファンクラブのに登録している名義の数)は3つあるのだけど、所謂担降りをしてからはかなり冷めているので次の更新の時点で1つしか残さない予定で3名義かけられるのはきっと今回のツアーが最後だ。
それで、冷めてきてはいるものの一番行きやすい東京公演だけはとりあえず行こうということに決めていた。4日間4公演あるが学校とバイトの関係で土日が丁度いいと思って3名義それぞれで第一希望を土曜で2枚、第一希望を日曜で2枚全部で6口申し込もうとしていた。
いつもなら交換に使えるということで最大枚数の4枚で申し込むのだが、今回はデジチケなのでダブりが出た時にやり取りしにくいと困ると思って4枚でなく2枚でと思った。
ツアー日程が決まった時にそのようなことをTwitterのヲタアカでツイートしたら「一緒に入ろう」と言ってきたヲタクの友人がいた。彼女はここ数年間の東京公演をずっと一緒に入っている所謂安定みたいな人だ。だから今回も迷いもなく彼女と連番して…というわけには行かなかった。というのにも彼女はまだそのグループの担当で、担降りをしている私にとって彼女の熱量に付いていけるか、また付いていけるフリをすることが出来るのかどうかが危うかった。
彼女とはヲタクとかなしに人として付き合いやすくて出来ることなら一緒に入りたいものだが、そういったことの億劫さから一人で行けるものなら一人でとして彼女に具体的な日程を提示されなければ一人で入ろう、またチケットが余ったなら彼女に声をかけてみようと思っていた。
そうして申し込みが始まってから数日経った今日、彼女から「ツアーどうする?」とまあアバウトなメッセージが送られてきた。どうする?とは私自身がそもそも公演に入るかどうかのことなのか、それとも彼女が私と一緒に入るであろう公演をいつにするかどうする?なのかまたはツアー誰と入るのお前もしかして一人で入る気でいる?なのか一体どういう意味なのかわからなかったが私なりに2つ目と解釈して、私は上のように土日に申し込みたいと返した。
すると「待って日曜はもしかしたらAとB(どちらも私と彼女の共通の友人)と3人で入るかもしれない…」と返ってきた。こういう時の彼女の ~の可能性がある=~と確信している となる。彼女はそうやって悟るよういつも無意識に示唆してくる。従って「もしかしたら」「かもしれない」は確定事項であるため、彼女を待つまでもなく日曜日、私と彼女とは一緒には入れないことが確定した。
それは別に良い、日曜日に一人で入れるのであればそれはそれで気を使わなくて済むので逆に助かる。しかし彼女はその後に「金土は厳しい?」と聞いてきた。きっと彼女なりに言わせると「金曜が空いているのなら金曜にも一緒に入ってくれ」ということなのだろうけど、彼女は圧力をかけていることすら無意識だからこれはきっと拡大解釈だ。そんなことはいい。何かと言うと私は金曜日の公演に申し込む気は無いということだ。
その理由のひとつに金曜日は学校があり公演に間に合わせるためにいつもより忙がなければならないことが嫌なことがあり、もうひとつにヲタク的な価値観がある。基本的にジャニーズのツアーはどの公演も構成が変わらない。一般に言わせればどの公演も同じなのだがヲタク的にはそもそも同じ公演ではない。これは多分私と私の周囲だけが思うことではないくらいに当たり前でもあると思われる。簡潔に言うと平日よりも休日のほうが価値も倍率も高いのだ。それは学校や仕事の事情で圧倒的に休日の方が行きやすいことも大いにあるのだが、そういう要因も若干加味して平日は倍率が低くなる。取りやすい公演を複数申し込みしてタブるということは捌けなくなって詰むということに繋がる。つまりそれ程好きでもなくなったグループの公演でしかも本来入ろうと思っていなかった私がそんな役目を被るのは勘弁というだけの話である。
そこで自分は金曜自体は空いているけど土日の方が都合がいいので、自分の名義をかけるのは土日にしてもいいなら彼女は金曜かけてもらってもいいかと返した。彼女は「それでいこう 2名義あるから金曜土曜それぞれ第一希望で申し込む感じで」と許諾してくれたのだが私はひとつ気になった。2名義あるからというところだ。恐らくだが彼女は名義を4つか3つは持っていたはずだ。それは日曜日に友人と3人で入る分にいくつか名義を使ったとしたなら(お前と一緒に入るのに使える名義は)2名義あるからということなのか、または今はいくつかの名義が有効期限切れになってしまっているのだとしたら(今使い物になる名義は)2名義あるからということなのかだ。
前の場合は特に問題はない。寧ろ倍率低めの平日含めたの公演に2名義かける彼女と若干取りにくい休日公演に3名義かける自分とがフェアな気がする。問題は後だった場合だ。彼女の使い得る名義の数が2つだった場合、私と入る金曜と土曜に加え共通の友人2人と彼女と3人で入る日曜も同一の名義で申し込む可能性がある。普通、倍率の高い公演を複数申し込みして複数当選することはあまりない。すなわち彼女の2名義は日曜にもかけられているということを彼女が私に隠していた場合の話だ。そして併せて私のかけた3名義のいずれかは当選し、彼女のかけた2名義のいずれかが日曜に当選した場合だ。そうなった時私はきっと重大なロスをしたことになるだろう。歩く名義として良いように使われたというわけだ。
もちろん今はそうなると決まったはずもなく、彼女は全部で4つの名義を持っていた可能性、日曜日にかけていない可能性、日曜日に当選しない可能性も十分にあるわけで、それ以前、それ以降のことはもはや予測しようがない。というかこんなことを考えて真面目に書き出して見てたら今更そこまで好きでもないグループの公演の当落なんていくつどう名義をかけるかなんてどうでもよかったことに気づいた。ここで希望の公演が当選しなくとも私はきっと入りたい公演にはどういう手段でも誰とでももちろん一人ででも入るだろう。ただひとつ私にとっての一番いい形としては彼女のかけた土曜と私のかけた土曜と日曜がそれぞれ当選し、土曜はダブりの中で良い方の席に入り、日曜は同行の人を募ってほぼ1人の状態で入りそれがめちゃくちゃ良席であることだ。もしかして彼女のことを歩く名義として見ていたのは私の方では???まあいい。多分このまま私は彼女と金曜日の公演に入ることになるだろう。
以上、毎回一緒に入ってるヲタ友と話合わなくなってきて1人で入りたいけど一緒に入りたい気持ちもあるから結果自分は良いとこ取りできたらいいなと思ってるって話。次回から一人で入ること前提にして名義かけよう。
女の(若くない)転職厳しい。
氷河期後期で就職してブラックすぎて今なら炎上必至の会社に15年務めて、得たものはせいぜいこの根性。専門職でもないしがない根性営業マン。
もうこのブラック未遂ギリギリの会社にいるのは無理なんだ。40歳になったとき、きっとこの会社はわたしに逃げ場がないと踏んで今よりもっと過酷な労働を強いる。それを何人も見てきた。
逃げないといけないって、気が付くのが遅かった。
まだ間に合うと信じたい。
ただ「なぜ今更転職をするのですか」の問いに答えようとすると、本音は会社の悪口になってしまう。ので、どうしても当たり障りない「これまで培ったスキルを活かせると思い」的なことをはなしてしまう。なんだよ培ったスキル!ないない!!
はぁ。誰か雇ってうれないかな。土日休みで夏季休暇と年末年始休暇があって正社員で賞与が年2回あって年収300万くらいの仕事ならなんでもやるのに。
山口達也さんのたいしたファンでもない私が記者会見の情報を見て、一番「えぇー!」と思ったのは、山口さんが退院後、一人で荷物の片付けをしていたってこと。そうなの!? あんなアイドルになってもそういうもんなの? 入退院なんて一大イベントじゃん? だれも心配になって来てくれないの? と心がざわざわした。アルコール依存のことも記者会見で何度も問われ、いろいろ書かれてるみたいだけど、それならなおさら、なんで誰も迎えに行かなかいか?って思った。
ちなみに私は山口さんと同じ歳、しかも子どもは高校生(女子)。
子ども中心目線で考えれば、今回の件は、ちゃんと拒否できてよかった、社会的に対応されてよかった。同じようなことがあれば、私(親)もすぐ助けに行けるように、相談してもらえるように、しておこう、って思った。
でもそれを越えて、私自身が山口さんと同じ状況にあるじゃん、どうしたらいいの?って気持ちがある。
40歳を越えると、誰でもいいって訳にはいかなくなる。私は公務員なので、特に、社会的に問題になったときの、職場への影響を考えてしまう。その上で、
・不倫は嫌だ(これは信条。お互いの子どものことを考えると説明できないし影響が大きすぎる)
・身の回りで紹介してもらうと後がめんどくさい(元夫/妻への体裁もあるが、そもそも、どういうつもりで紹介してほしいか説明し難い。「彼氏」が欲しい…って、はあ?って感じだし。そういう風には思っていない)
こう書くと擁護してるように思われるかもだけどそうではない。言いたいのは、じゃあどうやって日常を乗り切れるパートナーをみつけられるのか、って部分。これが山口さん(バツイチアイドル)とシングルマザーで共通してるっていう…すみません…そういう主張です。
山口さんの記者会見の中で、「彼女はいません」という発言にめっちゃ違和感を感じた。
全貌をちゃんと検証できてないのだけど、記者の質問に応えた後、あっ、もしかしてこれ聞かれてる…?という雰囲気の中でのコメントだったと思う。違和感は、それが期待されているのかやっぱり…!?っていう部分。
知り合いのシングルマザーで、「彼氏」がいる人はけっこういるんだけど、そういう枠組みがもう嫌。子どもと同列じゃん?
もういい大人なんだし、彼氏、とかではないと思うんだよね。山口さんだって「彼女」がいればどうかなったって訳じゃないよね、たぶん。
呼び方はもういいや。日本語で「彼氏」「彼女」しかないなら、それでいくとして、
求めているものそれ自体も違う気がする(だからこの呼称が使えないと思っている訳なんだけど)。必要なのはセックスだけでは当然なくて、仕事への理解や人生を支えること、(お金はそれぞれでどうにかする、というのを基本として>私の友人のシングルマザーは変な彼氏を養ってる人もいるので自戒)などを満たしてくれるかもしれない人と、どうやって出会えるのか、という点。
もっと大人がフランクに出会える場とか、それが許容されるストーリー(それが当然だと社会的にも認められるようなシチュエーション)が必要だと思う。出会い系サイトとかホストクラブとかじゃなくて。
子ども(高校〜大学生)は試行錯誤の期間だし、いろいろやってみたらいいと思う。
でも大人は試行錯誤できない社会的制限がある。しかも、いま提供されている売春やらお見合いサイトやらでは、問題もある上、満足できないのは明らかだ。(だって人間関係の充実を求めているんだからね、基本的に。セックスももちろんしたいけどさ!それだけでは満足できないのはもう明らかだし)
ということで、知りたいのは、世のシングルマザーがどうやってパートナーをみつけれてるのかってこと。
知り合いには、シングルマザーになって、職場とかで相手みつけて再婚(出産)ってケースはいくつかある。
もうでも私は産む気はないし、でもセックス含めて、よい関係の相手をみつけたい(男性じゃなくてもいい)。でもそういう場は、日本にはないし、社会的・制度的に性的関係から阻害されている気がする。社会の中で、そういうニーズをうまく位置づける仕組みなり物語なりが必要な状況だと思う。
前回早朝に書いたときは誰も見てなかったのでもう一度書く。
平和を脅かし、国民の主権を踏みつけにし、主権者国民の権利をないがしろにしつづけている。
今、安倍政権をとりまく種々の問題はすべてこの条文を改正しようとしているがために起きている。
それはクワトロ・バジーナがシャア・アズナブルその人であるというくらい公然の秘密だ。
70才を超え、TVばかりみている私の父でも知っている。
戦争放棄の平和憲法の条文を守ることを政治信条とする人間たちが、話し合いをする場でいつも話し合いをせず、相手をゆるさず、理解せず、ただただ痛烈に非難するだけなのに、国と国との紛争解決の場で、兵士や市民の命を懸けて武力を用いそうになっている極限状態で、急に他の人たちには決してまねのできないレベルの有意義な話し合いをするという。
なんという傲慢。なんという他人蔑視。なんという問題認識能力の不足。
これはごくごく単純なコモンセンスだろう。
トマス・ペインが今日本に生きていたら「イエス(高須)」と賛同してくれるに違いない。
安倍政権よりも真っ先に糾弾すべきは野党だ。まっとうな政治をするために欠けているのはまっとうな政権よりもまっとうな野党だ。
でもこんな国民のコモンセンスが決して共有されないマスメディア。
メディアの安倍政権追求報道を見ていると、「アポロは月面着陸していなかった説」を主張する陰謀論者の話を聞いているようでほとほと理性をすり減らしてしまう。こっちまで馬鹿になりそうだ。
どんなに有効な反論をしても黙殺されて、何か自説に都合の好さそうな材料を小出し後出しで持ってくる。
これはオールドメディアの自殺としてのちに歴史の教科書に載るべき事件だ。この事件の構図や裏側をスクープすることこそジャーナリズムじゃないのかね。いや本当に。
ところで、私はしがないサラリーマンだ。生活に必死だ。後進国の人々に生活水準でどんどん追い越されている立場のものだ。
でも、こういう私を赤化あるいはリベラル化しようとはせず、馬鹿にしているエリート層が日本の赤でリベラルだ。これも公然の秘密だし、コモンセンスだ。
こういう増田を書けば、私もネトウヨと揶揄されているものの一人になるだろう。
でも私は思う。私は荻上チキと文化論ではいい友達になれると。もちろんこれはコモンセンスじゃない。
でも彼は私のことを馬鹿にして決して友達とは思ってくれないだろうね。これはコモンセンスかもしれない。
さて私は2度転職して3度パワハラを受けた。今の野党がやっているような内容だ。
できるはずのない仕事量を押し付けてミスがあった。仕事の基礎を揺るがすようなミスだと騒がれた。でも本当は些細なミスだ。騒いでいる当の本人が協力すれば防げたし、わずかな時間でカバーできる。本当に基礎をゆるがすようなミスならばあなたはなぜそんなに無関係を気取っているのか、本当にあなたに責任はないのか、なぜそんなに非協力的なのか全く理解できなかった。
野党が悪魔の条文を守るためにやっていることは、国民の生活を脅かすパワハラ文化を日本に根付かせ、正当性を与えるようなものだ。
多くの人は見たことあるだろう。パワハラ現場を。あの野党のやり口はまさにそれではないか。
労働者を守る。代表する。と自認する立場の国会議員が労働者が苦しむパワハラのやり方を公開講座として日々メディアにのせる。
森友問題は、安倍昭恵さんの脇が甘くて詐欺師に懐にもぐりこまれたのが真相なのはコモンセンスだ。奔放な性格の昭恵さんを証人喚問して、そのうえで挑発して不規則発言を誘導し旦那の首をとろうという野党とその協力メディアの筋書きもまたコモンセンスだ。こういう本当に罪を犯していなくても有罪として裁いてやろうというやり口が職場ならパワハラだし、学校ならいじめのやり口そのものだというのは、もちろん、コモンセンスだ。
私はたまたま利益を上げることできる才能と運に恵まれていて3度ともパワハラをしのげた。だが、昭恵さんは相手が悪い。スターリンのように罪状はなんでもいい。最初から首だけを狙っているからだ。これもまたもちろんコモンセンスだ。
加計問題の本質は安倍さんの友人であれば人権は制限される。ゆがめられてきた獣医教育行政を正す機会と能力に恵まれても実行してはならない。安倍さんの友人が安倍さんと志を同じくして協力してはならないという点にある。安倍首相は常に孤立していなければ不正なのだ。これは野党とメディアのコモンセンスだ。一方で、セクハラをしたとされる福田財務次官よりもよほど悪質で、直接手まで出している鳥越俊太郎氏が別段問題視されず、その後もTVでご意見番をしているのは悪魔の条文の有力守護者であるからというのは国民のコモンセンスだ。守護者たちの友人関係は「善」なのだ。自分たちの連帯が素晴らしいからだ。
台湾出身で、台湾国籍をさかのぼって抜くために台湾政府に借りを作っている野党議員や、他人を疑惑の総合商社と非難しておいて自分が詐欺を働き、さらにそのうえで「ワークシェアリングだった」などと珍妙な言い訳をして今また首相を詐欺師扱いしている野党議員、そういう人たちがのほほんと議員を続けていられるのも悪魔の条文の守護者に加担しているからだ。これももちろんコモンセンス。
外国に借りを作った国家権力者がその後どういう行動をとるか、ドイツに特別列車を用立てられたレーニンがドイツと講和をして領土をたくさん割譲した例をみても明らかだろう。そして結局即時講和、平和を叫んでも実際は列強の干渉戦争を呼び込んでしまった。
自分の詐欺を十分に反省しない癖に、ほとんど女と甘酸っぱい時間を過ごせていない私のようなすばらしい日本男児をレイプ魔の子孫として世界に紹介し、歴史に記録しようとする。だれもまずは自分がやりすぎなくらい反省しなさいよと教えてあげない。他人にはやりすぎなくらい反省しなさいと強要してくる。20万人の性奴隷強制連行が嘘八百というもやはりコモンセンスだし、罪のない無力な市民を無実の罪で吊し上げ迫害するのが左翼の政治信条。これもコモンセンス。
私たちの知る権利、野党を正す権利、労働者としての権利、歴史的無実を叫ぶ権利、挙句の果てには総選挙で民意を示す権利でさえも憲法9条を守るという大義名分によって踏みにじられようとしている。この条文があるからこんなことが立て続けに起きるのか!?そうなのであれば、必ず!絶対に!すぐさま!憲法9条悪魔の条文は改憲されなければならない。これこそがここで一番言いたかったコモンセンスだ。
私がもし熱烈な護憲論者なら今すぐこの卑劣な改憲阻止運動を糾弾する。国民すら二派にわけて争わせる平和主義者・武力放棄論者があってたまるか。(武力蜂起論者なら合点がいく。)
そんなやつらには絶対に紛争を話し合いで解決できないだろう。今だって解決できないし、する意思もない。拷問の末無実の罪を自白させるようなことをやっている。まぁ、政治信条からしてそういうやり方が好きなんだろうけど。これもやっぱりコモンセンスだね。
刺身はそのグレードももちろんだけど、慣れの問題が大きい。白身魚の味とかは本当に慣れてないとわからないから、いわゆる高級魚はだいたい難しい
あとは生肉ってもの自体に本能的な魅力を感じるかどうかだと思う。よく焼いた牛肉よりもレア肉が、ユッケが食べたいみたいな感覚があるかどうか。焼き魚や干物とか酒蒸しとかよりも本能的な味を食べたい感覚。
平和を脅かし、国民の主権を踏みつけにし、主権者国民の権利をないがしろにしつづけている。
今、安倍政権をとりまく種々の問題はすべてこの条文を改正しようとしているがために起きている。
それはクワトロ・バジーナがシャア・アズナブルその人であるというくらい公然の秘密だ。
70才を超え、TVばかりみている私の父でも知っている。
悪魔の条文を守ることを政治信条とする人間たちが、話し合いをする場でいつも話し合いをせず、相手をゆるさず、理解せず、ただただ痛烈に非難するだけなのに、国と国との紛争解決の場で、兵士や市民の命を懸けて武力を用いそうになっている極限状態で、急に他の人たちには決してまねのできないレベルの有意義な話し合いをするという。
なんという傲慢。なんという他人蔑視。なんという問題認識能力の不足。
これはごくごく単純なコモンセンスだろう。
トマス・ペインが今日本に生きていたら「イエス(高須)」と賛同してくれるに違いない。
安倍政権よりも真っ先に糾弾すべきは野党だ。まっとうな政治をするために欠けているのはまっとうな政権よりもまっとうな野党だ。
でもこんな国民のコモンセンスが決して共有されないマスメディア。
メディアの安倍政権追求報道を見ていると、「アポロは月面着陸していなかった説」を主張する陰謀論者の話を聞いているようでほとほと理性をすり減らしてしまう。こっちまで馬鹿になりそうだ。
どんなに有効な反論をしても黙殺されて、何か自説に都合の好さそうな材料を小出し後出しで持ってくる。
これはオールドメディアの自殺としてのちに歴史の教科書に載るべき事件だ。この事件の構図や裏側をスクープすることこそジャーナリズムじゃないのかね。いや本当に。
ところで、私はしがないサラリーマンだ。生活に必死だ。後進国の人々に生活水準でどんどん追い越されている立場のものだ。
でも、こういう私を赤化あるいはリベラル化しようとはせず、馬鹿にしているエリート層が日本の赤でリベラルだ。これも公然の秘密だし、コモンセンスだ。
こういう増田を書けば、私もネトウヨと揶揄されているものの一人になるだろう。
でも私は思う。私は荻上チキと文化論ではいい友達になれると。もちろんこれはコモンセンスじゃない。
でも彼は私のことを馬鹿にして決して友達とは思ってくれないだろうね。これはコモンセンスかもしれない。
さて私は2度転職して3度パワハラを受けた。今の野党がやっているような内容だ。
できるはずのない仕事量を押し付けてミスがあった。仕事の基礎を揺るがすようなミスだと騒がれた。でも本当は些細なミスだ。騒いでいる当の本人が協力すれば防げたし、わずかな時間でカバーできる。本当に基礎をゆるがすようなミスならばあなたはなぜそんなに無関係を気取っているのか、本当にあなたに責任はないのか、なぜそんなに非協力的なのか全く理解できなかった。
野党が悪魔の条文を守るためにやっていることは、国民の生活を脅かすパワハラ文化を日本に根付かせ、正当性を与えるようなものだ。
多くの人は見たことあるだろう。パワハラ現場を。あの野党のやり口はまさにそれではないか。
労働者を守る。代表する。と自認する立場の国会議員が労働者が苦しむパワハラのやり方を公開講座として日々メディアにのせる。
森友問題は、安倍昭恵さんの脇が甘くて詐欺師に懐にもぐりこまれたのが真相なのはコモンセンスだ。奔放な性格の昭恵さんを証人喚問して、そのうえで挑発して不規則発言を誘導し旦那の首をとろうという野党とその協力メディアの筋書きもまたコモンセンスだ。こういう本当に罪を犯していなくても有罪として裁いてやろうというやり口が職場ならパワハラだし、学校ならいじめのやり口そのものだというのは、もちろん、コモンセンスだ。
私はたまたま利益を上げることできる才能と運に恵まれていて3度ともパワハラをしのげた。だが、昭恵さんは相手が悪い。スターリンのように罪状はなんでもいい。最初から首だけを狙っているからだ。これもまたもちろんコモンセンスだ。
加計問題の本質は安倍さんの友人であれば人権は制限される。ゆがめられてきた獣医教育行政を正す機会と能力に恵まれても実行してはならない。安倍さんの友人が安倍さんと志を同じくして協力してはならないという点にある。安倍首相は常に孤立していなければ不正なのだ。これは野党とメディアのコモンセンスだ。一方で、セクハラをしたとされる福田財務次官よりもよほど悪質で、直接手まで出している鳥越俊太郎氏が別段問題視されず、その後もTVでご意見番をしているのは悪魔の条文の有力守護者であるからというのは国民のコモンセンスだ。守護者たちの友人関係は「善」なのだ。自分たちの連帯が素晴らしいからだ。
台湾出身で、台湾国籍をさかのぼって抜くために台湾政府に借りを作っている野党議員や、他人を疑惑の総合商社と非難しておいて自分が詐欺を働き、さらにそのうえで「ワークシェアリングだった」などと珍妙な言い訳をして今また首相を詐欺師扱いしている野党議員、そういう人たちがのほほんと議員を続けていられるのも悪魔の条文の守護者に加担しているからだ。これももちろんコモンセンス。
外国に借りを作った国家権力者がその後どういう行動をとるか、ドイツに特別列車を用立てられたレーニンがドイツと講和をして領土をたくさん割譲した例をみても明らかだろう。そして結局即時講和、平和を叫んでも実際は列強の干渉戦争を呼び込んでしまった。
自分の詐欺を十分に反省しない癖に、ほとんど女と甘酸っぱい時間を過ごせていない私のようなすばらしい日本男児をレイプ魔の子孫として世界に紹介し、歴史に記録しようとする。だれもまずは自分がやりすぎなくらい反省しなさいよと教えてあげない。他人にはやりすぎなくらい反省しなさいと強要してくる。20万人の性奴隷強制連行が嘘八百というもやはりコモンセンスだし、罪のない無力な市民を無実の罪で吊し上げ迫害するのが左翼の政治信条。これもコモンセンス。
私たちの知る権利、野党を正す権利、労働者としての権利、歴史的無実を叫ぶ権利、挙句の果てには総選挙で民意を示す権利でさえも憲法9条を守るという大義名分によって踏みにじられようとしている。この条文があるからこんなことが立て続けに起きるのか!?そうなのであれば、必ず!絶対に!すぐさま!憲法9条悪魔の条文は改憲されなければならない。これこそがここで一番言いたかったコモンセンスだ。
私がもし熱烈な護憲論者なら今すぐこの卑劣な改憲阻止運動を糾弾する。国民すら二派にわけて争わせる平和主義者・武力放棄論者があってたまるか。(武力蜂起論者なら合点がいく。)
そんなやつらには絶対に紛争を話し合いで解決できないだろう。今だって解決できないし、する意思もない。拷問の末無実の罪を自白させるようなことをやっている。まぁ、政治信条からしてそういうやり方が好きなんだろうけど。これもやっぱりコモンセンスだね。