はてなキーワード: 戦争放棄とは
勝ち目のない戦いを続けても死ぬだけ。
実際その通りだと思うんだよね。
ロシアの支配下になっても庶民の生活はそう変わらないでしょ。中国人だってロシア人だってまあまあ幸せに生きてるよ。
じゃあウクライナの誰がロシアに負けたら困るかと言うと、まあ支配者層だよね。政治家とか財閥とか。そいつらがプロパガンダでロシアに支配されるなんてまっぴらというアピールを行い、ウクライナの国民や他の国々が煽動されてる。
日本の戦争もこれだったよね。国がなくなって本当に困るのは支配者層だけ。支配者層の権力維持のために庶民が戦地に送られるのが戦争(でも実際のところアメリカに支配されて財閥は解体されたけどやつらは君臨し続けたよね。結局新しい支配者が来たところでそれまでの支配構造をまるきり変えるまでにはなかなか至らないんだよね)。そういう現実を目の当たりにして、戦力放棄戦争放棄を固辞するものとして70年くらい生きてきたのに私達はもう忘れようとしている。国体護持が大事なんだと思わされようとしている。
前提として、穏当に考えると
「日本政府に穏当じゃない場合が想定されるのが問題なんだろうが!」みたいなこと言い始めると上陸支援火力とは何か?の説明が進まないのでココでは触れないこととする。
上陸支援火力、文字通りの意味なんだけど、宇宙人でも誰もでも良いんだけど日本のような島嶼国家へ軍事力を持った勢力が上陸しようとする場合、当然ながらそんな危ない連中に日本政府と自衛隊は日本へ上陸されたくないので日本沿海に居る軍事勢力へバカスカとミサイルを含んだ砲撃をします。
ただ軍事勢力側もそんなことはよくわかっているので日本沿岸部へ展開した日本の自衛隊が好き勝手に日本沿海の自軍を攻撃できないように上陸支援のためミサイルを含んだ砲撃をするんです。
というかそもそも、元来日本の沿岸の大半は日本政府が認定した軍事勢力が上陸できるようになっておらず上陸作戦へ邪魔なものが多いのでそれを退ける(破壊する)ためにも上陸しやすいようにミサイルを含んだ砲撃をします。これも上陸支援火力です。
しかし、普通に考えると海の上の船から上陸支援火力砲撃をするとどう考えても補給が追いつかず弾切れになりますが、日本の沿岸部へ展開する自衛隊は陸続きで補給を受け続けられるので同じ破壊力を持った砲撃と想定するのであれば撃ち合いをすると勝つのは補給を受けて息が長く続く自衛隊です。
日本へ上陸しようとする軍事勢力もそんなことはわかっているので「じゃあコッチも対岸から日本沿岸部を狙えるような射程のミサイルで補給を受け続けながら上陸支援火力砲撃すりゃ良いじゃん」ってなるわけです。
ウクライナ-ロシアの様子を見て日本政府とアメリカ政府は考えました「対岸から上陸支援火力砲撃してくるのであればミサイル発射基地を壊してしまえば良い」と。
これが敵基地攻撃能力です。
この議論のポイントは戦争放棄していて平和的な思想が根強い日本国と日本政府は上陸しようとしてくる軍事勢力を打倒壊滅させようとしているわけじゃないってとこがポイントなのです。
アメリカ政府の考えは知らんけど日本国がやろうとしているのは上陸しようとしてくる軍事勢力の戦争継続能力の破壊です。
日本国は大戦の記憶から戦争継続能力への打撃に関して辛酸をまさにアメリカから舐めさせられているので、似たようなことを上陸しようとしてくる軍事勢力へ対してやろうと考えているわけです。
これの良い点は2つです。
そもそも日本へ上陸するためには軍事勢力は上陸部隊と上陸支援兵器を動かさなければならない、そして軍事勢力は上陸支援火力妨害のための日本の敵基地攻撃能力兵器を破壊しなくてはならないことが挙げられます。
すなわち、日本へ上陸しようとする軍事勢力は上陸部隊と兵器を動かすというほぼ先制攻撃みたいな動きをしなければならないこと、そして敵基地攻撃能力兵器を先制攻撃破壊しなければ上陸作戦が上手く行かないことが明確なことなのです。
つまり日本は敵基地攻撃能力保有の議論もしくは策定をするだけで、日本へ上陸しようとする軍事勢力へ大義名分を持って牽制することが可能というなかなか上手いことできているのが敵基地攻撃能力保有論なんですね。
いかがでしたか?
そもそも日本は日本国憲法で戦争放棄をうたっているわけだから、軍事費に国費を支出することは憲法で認められていない。
防衛費だからというのも詭弁だ。当然ながら自衛隊もれっきとした憲法違反なのだが、闇の勢力によって正当化されているにすぎない。
それなのに、岸田政権は防衛費の増強を名目に増税しようとしている。
1945年8月15日の反省は「負ける戦争は絶対にしません」だ
スペインみたいに空弁当使ってでもイタリアみたいに寝返ってでもな
ましてや戦争なんてこっちがやらないって決めても乗り込んできたらどうしようもないだろ
本日12月14日は赤穂浪士達が討ち入りを果たした忠臣蔵の日である。
今年8月の終戦の日には戦争放棄と不戦の誓いの思いを強くしたのに、そのわずか4ヶ月後には赤穂浪士達が忠義や武士道を貫いたことが賞賛されている。
私が終戦の日も忠臣蔵もどちらも信用できない最大の理由がここにある。
日本人として本気で不戦の誓いを新たにするのであれば、忠臣蔵を美化するわけにはいかないのではないか。
忠義や武士道に殉じた赤穂浪士を美化するのではなく、一人の老人を私刑にしたテロリスト達として扱わなければ整合性が取れない。
あるいは戦争放棄するのは太平洋戦争だけで、忠臣蔵と明治維新と日清・日露戦争と第一次世界大戦は戦争放棄しない、ということにしているのではないか?
第九条の発案者であり時の総理大臣・幣原喜重郎のことを知らない日本人があまりにも多すぎる
彼がどのような考えで第九条を思いつくに至ったのか、それを議論せずにして憲法の議論なんかできるはずがない
なぜ政治家も、評論家も、社会学者も、そして我々国民も、九条を作った当人の言葉を話題に挙げないのか
彼の考えのどこが悪くて、どこに不満があって、現代社会に通用するのかしないのか、なぜ誰も語らない?
少しでも多くの人に、我々と同じ日本人が考案した第九条を、この埋もれてしまった歴史的憲法の成り立ちについて知ってほしい
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ここまで考えを進めてきた時に、第九条というものが思い浮かんだのである。そうだ。もし誰かが自発的に武器を捨てるとしたら ー
最初それは脳裏をかすめたひらめきのようなものだった。次の瞬間、直ぐ僕は思い直した。自分は何を考えようとしているのだ。相手はピストルをもっている。その前に裸のからだをさらそうと言う。何と言う馬鹿げたことだ。恐ろしいことだ。自分はどうかしたのではないか。若しこんなことを人前で言ったら、幣原は気が狂ったと言われるだろう。正に狂気の沙汰である。
しかしそのひらめきは僕の頭の中でとまらなかった。どう考えてみても、これは誰かがやらなければならないことである。恐らくあのとき僕を決心させたものは僕の一生のさまざまな体験ではなかったかと思う。何のために戦争に反対し、何のために命を賭けて平和を守ろうとしてきたのか。今だ。今こそ平和だ。今こそ平和のために起つ秋ではないか。そのために生きてきたのではなかったか。そして僕は平和の鍵を握っていたのだ。何か僕は天命をさずかったような気がしていた。
非武装宣言ということは、従来の観念からすれば全く狂気の沙汰である。だが今では正気の沙汰とは何かということである。武装宣言が正気の沙汰か。それこそ狂気の沙汰だという結論は、考えに考え抜いた結果もう出ている。
要するに世界は今一人の狂人を必要としているということである。何人かが自ら買って出て狂人とならない限り、世界は軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができないのである。これは素晴らしい狂人である。世界史の扉を開く狂人である。その歴史的使命を日本が果たすのだ。
日本民族は幾世紀もの間戦争に勝ち続け、最も戦斗的に戦いを追求する神の民族と信じてきた。神の信条は武力である。その神は今や一挙に下界に墜落した訳だが、僕は第九条によって日本民族は依然として神の民族だと思う。何故なら武力は神でなくなったからである。神でないばかりか、原子爆弾という武力は悪魔である。日本人はその悪魔を投げ捨てることに依て再び神の民族になるのだ。すなわち日本はこの神の声を世界に宣言するのだ。それが歴史の大道である。悠々とこの大道を行けばよい。死中に活というのはその意味である。
「憲法改正」というと、日本の左派系の方々は条件反射的に強い拒否反応を示すことが多い。もちろん、自民党の憲法改正草案はとんでもないクソであって、ああいう極右的改憲は俺も断固反対だ。
でもさ、9条はやっぱりおかしいだろ。第1項の「戦争放棄」はまあ良い。しかし第2項「戦力不保持」「国の交戦権の否定」はさすがにあり得んわ。自衛隊はどう見ても「戦力」だし、他国からは普通に「軍隊」だとみなされている。じゃあ自衛隊は違憲だからと廃止するのか?それも無謀で危険だろう。
9条の第1項の「戦争放棄」は残し、第2項「戦力不保持」「国の交戦権の否定」は削除し、自衛権と自衛隊を明記する。これは必要だと思う。
おそらく、9条で「平和になる」という主張の背後には以下のような前提があるのではないか。
①日本だけが(アジアで)他国を侵略するポテンシャルを持つという前提
日本が9条によって戦争放棄をすれば直ちに東アジアが平和になる。憲法制定当時なんかはまじめに日本の再侵略が各国に懸念されたと聞いたことがある。
他の国が日本を侵略しないという前提に立つので「お花畑」な発想だが、確かに日本の首相がプーチンみたいにならないという保証は別にないし、武力紛争(ベトナム戦争とか)に巻き込まれない口実になったし、日本が緊張をエスカレーションさせることがないので一定の意味がある(あった)。ただし、それは結局冷戦から最近までの間で日本が直接の脅威に直面しなかっただけかもしれないので、今はどうなのかな?と思う。
②世界中のすべての国が9条を取り入れることが目指されていて、今はその途上にあるという前提
今はすべての国が取り入れているわけじゃないけど、今後世界すべての国が9条を取り入れたら侵略戦争はなくなる。日本は9条を通じてそれを実施している。という発想。
9条は元々1928年の不戦条約(ケロッグ=ブリアン条約)の流れを汲むと言われているし、他国憲法や国連憲章にも戦争放棄の規定があるので、系譜としての流れではこの理解は正しいような気がする。
ただし、侵略戦争するような国の政府が憲法を守るのか、守らなくていい理由をでっちあげるんじゃないかという現実的な問題がある(国内の説得とかがとても大変になるので、9条がないよりもだいぶましなんだと思う)。
③交渉や国際裁判であらゆる法的紛争が解決可能であるという前提
17~19世紀のヨーロッパとかでは、保守的あるいは「普通の日本人」の人でもドン引きするような理由で簡単に戦争が行われていた(アヘン戦争とか)。
さすがに不毛なので、話し合いとか裁判とか調停とかが戦争の代わりに使われるようになった(極端な例だけど、時代が時代なら調査捕鯨を巡って日本がオーストラリアと戦争していたかもしれない)
民事っぽい争いはともかく、今回みたいな政治的に高度な争いでも裁判とか交渉で解決できるのかという論点があったが、9条的にはこれはYesという立場(あるいはその決意を示すもの)なのではないか。
実際、あらゆる争いに法的な側面はあるので、それを解決することは争いの全体的な解決に役に立つよと国際裁判所は指摘しており、一理はあるかもしれない。
でも、個々の利害についての法的紛争ではなくて現状の国際秩序そのものが気に食わない国が現れた時(ナチスとか)どうするのかという問題がある。
結論:①~③が現在でも当てはまるのかはよくわからない。ただ①との関係では、9条を日本が改正した場合には、思ってもみない強烈な反応(とそれを口実にした反日的政策)が生じるかもしれないと思うし、②③との関係では国際法の規定(国連憲章2条4項)とそこまで変わらない9条を改正することで何がしたいのか、プーチンみたいなことがしたいわけじゃないのなら結局名前を「軍」に変えたいだけなのか、いろいろ詰め切れていない防衛法制をなんとかしたいのか(それは9条を変えることでできるようになるのか)といったところを詰めないと結局意味がないような気がする。
「侵略された場合は何も応戦せずに降伏する」事がこそが平和主義の理念であり、これ以外に「敵味方問わず人命尊重を最優先する」方法などありはしない。
新政府軍に対して江戸城無血開城を選択した旧幕府軍よろしく、全力で戦って人命を消耗し都市を灰燼に帰するより、互いの武士としてのプライドを捨ててまで人民を守る、
これこそが「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼」して戦争を放棄する事である。
「おとなしく言うことを聞いて抵抗しなければ決して悪いようにはしない」といって攻撃してくる相手を信頼できるのかという話かと憤慨する向きもあるだろうが、究極的にはそうだと思う。
なんか急にリベラル様が「私達は9条があれば平和は守れるなんて言ってない! 9条は日本を縛るためのものと言ったことはあるけど!」「だから侵略させないためには、別に手を尽くす必要がある」と言っている。
日本で最高の知能が集まるリベラル様が間違いを言ってるはずがないので、自分の記憶が間違ってないか調べてみることにした。一般人から政党まで、いろいろとね。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-04-03/12_01faq.html
また、憲法九条は、紛争を平和的に解決するという考えを、多くの国民に定着させてきました。こうして、他国に軍事介入しない、紛争の原因をつくらないということが、他国による日本侵略の要因をつくらず、平和を守ることにつながってきました。
http://blog.livedoor.jp/taro_scrambled_eggs_26/archives/50106425.html
「攻め込まれたらどうするの?」
「攻め込まれる」というのは、例えば日本が「侵略される」ということなのでしょうか?。
僕は日本の島国という国土の特徴上、他国が方策として採用するとは思えないと思っています(一時的に国会・内閣府が占拠されるということはあり得るでしょうけど、それへの対処は9条は関係ありません)。
ですから、それに対する答えは「攻め込まれない」です(ちなみにテロ部隊などには警察力の強化で対応することができますし、それ自体はやった方がいいと思います)。
http://www.magazine9.jp/juku/010/index.html
それは日本を軍事的に攻撃する根拠にはなりません。たかが、(あえて、たかがと言いますが)ガス油田の権益を守るために、外国からの投資熱を一気に冷まし、最大の貿易相手国との関係を断つ、せっかく勝ち取ったオリンピックや万博をなげうっても、日本を軍事的に攻撃して自国の主張を通そうと中国首脳が考える蓋然性が、どれほどあるでしょうか。
https://togetter.com/li/1552407
どこからどう見ても、中国には日本を侵略征服支配して得られるメリットなんか
全 く 無 い し 。
そんな余計な事して自滅して、それこそまた米国一人勝ちみたいになっちゃうのは、中国は元より米国自身も含めて誰も望んではいないし。
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-545.html
私自身は、憲法9条がある以上、自衛隊は憲法違反として、縮小、解散すべきと思います。いじめ問題やセクハラ問題が一向に解決できないような自衛隊組織では、もはや軍隊としての役割も果たせないでしょう。解散してしまったらよいのです。
しかも、現状において、ロシア、北朝鮮、中国が日本国領土に武力侵攻してくるとは到底、思われません。北朝鮮には外国の領土に軍隊を侵攻させるほどの国力などありません。せいぜいミサイルでしょうが、今の自衛隊にも打ち落とすだけの力量もないのですから、ミサイル攻撃を受けたらどうするんだなどと騒いでみても意味がありません。
https://gair.media.gunma-u.ac.jp/dspace/bitstream/10087/8180/1/fujii21_13-32.pdf
それこそがまさに憲法9条の平和主義の立場であろう。かかる立場に徹するならば、日本は世界中の国々から感謝と尊敬を集め、決してどこの国からも侵略されることはないであろう。もし日本が他国から攻められれば、ほとんどの国は日本を助けてくれるはずである。
https://www.s-mataichi.com/message/20060200.html
3年前の有事法制審議の際、私が「憲法で戦争放棄を宣言している平和国家・日本を一方的に攻めようとすれば、世界中を敵に回し、その国自らが滅亡する覚悟が必要だ。そのような愚かな国があるのか」と小泉首相を追及した際、「備えあれば憂いなし」としか答えられませんでした。つまり憲法9条によって、日本が挑発しない限り、他国から攻撃される要件はないのです。
「でも朝鮮が危ない」という宣伝がありますが、自ら滅亡することを承知の上で攻撃するほど朝鮮も愚かではありません。これは、一昔前の反ソ連・反中国宣伝と同じです。日本がいま朝鮮となすべきは、過去の侵略戦争と植民地支配の誠実な謝罪と補償を行い、国交を正常化して敵対国から友好国へ転換することです。もちろん、拉致事件は許されざる人権侵害の国家犯罪ですから、当然抗議し謝罪と真相解明を求めることも、同時並行で進めるべきです。
とりあえず、軽くググった結果だけど、以上となります。こういった証拠を元に「私達は9条があれば平和は守れるなんて言ってない! 9条は日本を縛るためのものと言ったことはあるけど!」「だから侵略させないためには、別に手を尽くす必要がある」と言えるのであれば、それもまた「表現の自由」「言論の自由」でありましょう。