おもしろさには様々なものがあり、それは見た人が感じるものだ。
私が感じたおもしろくなさの話をする。
知人が出ている舞台を見た。
平凡な主人公が自殺し、自分の死を惜しむ周囲の人を見て後悔する、という話だ。
この話でおもしろくなかったポイントは、大きく3つある。脚本、演出、それから役者だ。
1.脚本
おもしろくなかった。
この「おもしろくなさ」は、愉快でない、という意味でのおもしろくなさだ。
登場人物は、主人公とその周りの人々、たいした理由もなく死にたがる人達、死んだ主人公のメッセージを伝える霊媒師、主人公と一緒に死ぬ女だ。
主人公は死に憧れている。
なぜか? 理由はない。
これは明かされない、という意味ではなく、本当にないのだ。ただ、なんとなく、死にたい。
だからこそ彼は死を選んだあとに後悔するのだ。が、そりゃそうだ~って感じである。
後戻りはできないのだ。
夫を早くに亡くし、一人息子さえ失った母親が自分の遺体に泣きすがる姿を見て後悔する主人公に、一緒に死んだ女は言う。
「じゃあどうして死んだの? いまさら後悔したって遅いよ」
この女は家族がなく施設で育ち、いまはDV彼氏と共に暮らしていた。当然の怒りである。
彼女が主人公と共に死ぬことになるきっかけは、死を望む人々の集会だ。
インターネットを介して集まった彼らは、自分の死にたい理由を主人公に促されるまま語る。
婚約者と別れた女、リストラされた挙げ句離婚された中年男性、元アイドルの少女、人生うまくいってない女。
日々の生活の辛さを語る彼らに、女は言うのだ。
「自分が見えていない」
「実家に帰ってもう一度やりなおしたら?」
傲慢!
彼女にはすべて見えているのだ、死にたい理由に対する解決策が。自分の生まれ、育ち、現在の境遇に比べれば彼らの辛さはたいしたことではないと言っている!
そして密かな契約を結ぶ。
「あなたならわかってくれると思って。一緒に死のう」
そして二人は主人公の家の居間で死ぬ。(事故物件を残される年老いた母!)
この物語から私が感じ取ったのは「当たり前の幸せに気づけ」というメッセージだ。
ただし、「お前は幸せに気がついていない」し、「お前の悩みはたいしたことがない」という上から目線の言葉に表象されて、だ。
人の悩みは人それぞれだ。
いろんな人がいる。いろんな悩みがある。
自分にとっての恋愛と他人にとっての恋愛の価値が違うことだってあるのだ。
それをこの脚本ではすべて切っている。
疎外された気分で、おもしろくなかった。
2.演出
おもしろくなかった。
この「おもしろくなかった」は、単調であるという意味のおもしろくなさだ。
会話劇である。
みんながずっと座って喋っていて、感情的にも動き的にも変化がなく、おもしろくなかった。
いつまで続くのかな? って思った。
それから、脚本の意図がわかってないのかな? とも思った。後述。
3.役者
おもしろくなかった。
この「おもしろくなかった」は、ちょっと言うのが悪いなあという気持ちもある。
不愉快に近い。
セリフが聞こえない。自分が目立つことしか考えていない。脚本上における役割が果たせていない、どころかミスリードを誘うような。
そこだけ前後のシーンとも繋がりが消え、最悪だった。
周りの人はなにも言わなかったのか?
他の人達は真面目にやっていた。
技術が足りない人ももちろんいたが、この見るものの弱さを攻撃する脚本において、道化の役割を果たそうとしていた。
しかし、その人は本当に嫌だった。
演出家はなにも言わなかったのか? それとも諦めてしまったのか。
役者がおもしろくなかったと書いたが、全員がそうでなかったことが唯一の救いだろう。
しかし、チケット代は主宰団体や脚本家、演出家ではなく、出演していた知人の手のひらに直接握りこませたかった、というのが正直な感想だ。