はてなキーワード: ももちとは
私は良く言えば穏便、真実に近い表現としては闘争心のない腑抜けなのでその感覚を理解したことがなかったのですが、
悲しみからもその心境に至ることに身をもって実感したのでここに今の気持ちを記したいと思い筆を取りました。
こうなるまで気が付かなかったのですが、自分は自分が思っていたよりも、同人活動の理想があったのだと知りました。
そして今自分がいるカプの村の空気は、自分にとって生きやすい環境でなくなっていたことに気が付きました。
しばらくそのことに気が付かず、なぜカプのことは好きなのにこんなに創作活動についてネガティブになってしまうのだろうと悩んで苦しんでいました。
単純に自分がカプの村の雰囲気にそぐわない存在になっていたからなのだと理解した記録です。
私はアンソロを好みません。
二次創作の醍醐味は個人の濃密な公式の解釈を作品を通じて読み取れることだと考えているからです。
軽い言い回しを使うとアホエロ本だとしても、作者がどこまで公式の作品や人物、カプについて拗らせた結果か伝わってくるものと信じています。
Twitterで自分の好きなシチュエーションだけをいくつもツリーでつないでTLを占領することを好みません。
同じ理由で140字SSも好きではありません。
イラストと違い小説はある程度の分量を持ってこそ強みを発揮すると思うからです。
もちろん頻度の問題ですが、あまりに大量になると、意図せず他者のネタつぶしにつながると思うことも理由です。
投稿している本人はそのようなことは気にしないのかも知れませんが、既に書かれてるなら、とリスクを回避する人も少なくないと思います。
いつも同じメンバーで形成された身内感の強い企画に引いてしまいます。
自分が決してそのメンバーに選ばれないことへの嫉妬ももちろんあります。
それでも、同人活動を介して仲良し度をアピールする場になっているように見えるのは格好のいいこととは思えません。
それを外から見た時に、身内色の激しい界隈なのだと見られることも、必ずしも良いことと思えないからです。
過度のパロディを好みません。
作品が発表され時間が経ち、やることをやり尽くしたあとでしたらそういった作風への模索も納得出来ますしむしろ好きです。
ですがまだまだ現役で公式が動いていて、語り尽くされていない余白の多い作品の二次創作で
理由のない性別転換や、キャラクターの設定からかけ離れた職業設定にされた作品に胸を痛めます。
(例えばスポーツを題材にした作品で大会の優勝を核とした物語の登場人物が生粋の犯罪者に変換されているようなレベルを指します)
そして別にこれらの作品が自カプの村に存在していても、個人の同人活動には本来何ら影響を及ぼしません。
ただ、今、自分がいる(いた)村は、これらがその村のすべてになってしまった(ように見える)結果、
その村の輪の中にいられないと感じた、それだけのことです。
そうなった時、黙ってカプから離れて新たにハマれる作品やカプに活路を見出すことが健全な解決法なのでしょう。
しかしまだ作品が、カプが好きで好きで仕方ない、まだまだ作品の行く末を楽しみたい、
何よりもまだ、書き残したことがある、そう感じた時、人は村を焼くのだと思いました。
単純化出来ないことは承知の上で、同人活動には2つのタイプがあると考えます。
個人の発想を発表し、楽しそう!と共鳴した人々の間で含まらせて盛り上げていくスタイル。
アンソロや局地的非公式設定はこの共鳴が結実した結果と思います。
どちらに優劣がある理由でも、是非がある理由でも、善悪がある理由でもありません。
好き好きだと思います。
現状の村の活動は、もちろん、100%の善意で行われています。
これはとても素晴らしいことだと、本当に思います。
ただ、いつからかこの活動に馴染めず違和感を感じていたところ、底辺作家であることもあり、いつの間にかいないものとして扱われるようになっていました。
少し前に、公式に疑問を感じるようになったのは、その作品のターゲットでなくなっただけ、という議論が話題になりました。
その表現を借りれば、私はカプの村のターゲットから外れてしまっただけなのだと思います。
ここに至るまで自分も、村の雰囲気を楽しみ、Twitterでの萌え語りやコラボカフェなどのリアルイベント、即売会でのアフターに混ぜてもらったり、充実した時間を過ごして来ました。
今は日々と投下される公式からの燃料に村人と盛り上がったりすることも、もう出来ないことの喪失感に苛まれています。
私が村を追われても世界は何も失いません。
自分のためにそのことを忘れないでいたいです。
ブログで書こうと思ったが、HageX氏の事件についても触れるので増田にする。
それとこんな長い文章を書くのは初めてなので、だいぶとっ散らかってると思う。まずはそれをご容赦願いたい。
この事件に関する言及で最初に読んだのが青二才氏のブログだった。
イジリはやる相手を見極めな~、みたいな論調で、最初の三行だけ読めばいい内容だと思った。
どうでもいいが、青二才氏のちょいちょい入る自分褒めってすごいな、って思う。悪い意味で。
それで「あーイジリは良くないよね」って思ってたんだが、青二才氏を諫めるブロガー界隈がえらい反発してた。
あざなわ氏のが一番過激だった印象。
HageX氏が「いじったのが悪い」って有責性を求めるような青二才氏の論調に大いに引っかかった模様。
それももちろんあるのだが、自分は「イジリが招く尻馬に乗っかるイナゴたちが悪い=イジリよくない」みたいな印象だった。
イナゴが乗っかってくるからイジリ止めましょうね、っていうのもおかしな話だが
乗っかってくるイナゴのもたらす憎しみの連鎖効果を真っ先に連想したので、そこまでは意識が及ばなかった。
誰がやったことであれ、というか知名度が上がれば上がるほどイナゴは寄ってきて、ただ炎上を渡り歩くだけの燃えイナゴも多数いるので、それらに見つからないためにイジリを控えたほうがいい、みたいな一般論だったのかな、と。
イジッてたから襲撃されてもしょうがない、というのは青二才氏の飛躍で。
オマエも弄ってんじゃねーか、と反論されたらぐうの音も出ないんだから雑だし脇が甘すぎるよな、とは感じた。
ただここまでで思ったのは、
どうも青二才氏含むブロガー界隈の人と、ごく最近ブログ始めただけの自分との間に意識の差がデカいんじゃないか? という疑問。
どの辺が理由だろうか、と考えてみたんだけど
短文投稿サイト隆盛以前と以後で、ネッツに対する意識が分かれてるんじゃないかと。
青二才氏と言えども長文で自分の考えをまとめて発信する能力はある(論旨が時々トンチンカンでも)。
いっぽうで、短文投稿サイト → ブログになった自分の経験からすると
長文でものを書く習慣が絶望的に薄いので、論旨が雑になるのがザラ。
ここまで読んでいただいてもだいぶ明らかだと思う。自分としてはある程度整理した上なのだが・・・
その辺ははてなブロガーの人たちも納得してくれるんじゃないだろうか?
新参って青二才氏のレベルにも達してない青二才以下の雑な認識の人びとが多いって。
(こういうことを書いて青二才氏の目に留まったらまた増長しそうなんでアレだが、自分も含めてじっさいそう思う)
青二才氏がアレでもまだギリギリ相手してもらえているのは「バカなりに話が通じる」という最低線はクリアーしているからで、短文投稿サイトからブログに移ってきた人はその最低線にすら達してないから、青二才以下でも放置されてる、というところがあるんじゃないかな…と。
青二才氏はそれでも話が通じるから諫めるけど、それ以後、短文投稿サイトから移ってきたようなのはあまりに雑過ぎるので相手にする気が起きない、みたいな。
青二才氏を馬鹿にしつつも、「それより下」のブログもけっこう観測範囲に上がってきてませんか?
それらが増えたの、短文投稿サイトのピークアウトと重なってる、みたいなところありませんか?
青二才氏以上に雑にHageX氏の有責性を責める論調のブログがうじゃうじゃ湧いてきたのを見てそう思った。
はてなブロガーが期待してるような民度はもはやネットにはない。
とりあえず乗っかりやすい論調、マウント取りやすい論調に乗っかって強い言葉を吐くだけの蟲たちの寄り集まって作る蟲毒。
「いじり」というのは皮相な見方しかできない、そうした短文投稿サイト(ツイッターでもはてブでも)で練り上げられた雑でシンプルかつ間抜けな人々にとっては絶好の好物だった。
HageX氏も、ブロガーも、訴えたい、伝えたい内容はどうでもよくてただ炎上の熱が欲しいだけの蟲たちがもはやネットではマジョリティ、ということを痛切に感じていなかったのではないか。
そういう雑すぎる人たちがブログを主戦場とするあまり、視界に入ってなかったんではないか、と。
青二才氏ですらも。
もはやそういう基本すらも崩壊しているのが、短文投稿サイトが席巻した後の、今のネッツ空間なのではないかしら、と狭い観測範囲ながら思う。
最後に。
個人的な経験では、はてブよりツイッター・FBの方がクソみたいな罵詈雑言飛んでくる確率高かった。はてなを基準だと思っていると、世の中をよりマシな方向に誤解するかもしれない(少なくとも自分はそうだった)。
それが不思議。
ヘアサロンもホットペッパー経由じゃないと情報すら見れなかったりするよね。ネット予約ももちろんできない。
自前のサイトぐらい持とうよ。それなりのものつくるのはお金がかかるけど、世間との窓口をホットペッパーに握られてるよりましじゃん?
利用者としても検索して調べようとするとすぐ見づらいホットペッパーに誘導されるのすごい不便だし。
コンピュータのソフトウェアを開発、運用するエンジニアが持つべき知識やスキルの基本セットとは何か?
例えばインテル系CPUのアセンブラが書けます!と言った場合に就活で有利になる場面がどれだけ想像できるか。
UMLのクラス図書けます!とか、暗号化の理論はバッチリだぜ!とか、相対性理論なら任せとけ!とかの場合に
おうおうおう、だったら弊社のホームページをカッコよくしてくれよみたいな案件を無難にこなせるのかというと
甚だ疑問では無いだろうか。
一昔前はソフトウェアはハードウェアのおまけだったわけで、ハードウェアこそがエンジニアが抑えるべき基礎だった。
時代は変わり、ソフトウェアでできることはものすごく多くなった。スマホアプリを作るのに組み込みの知識がなくても困らない。
だからこそ、現代のソフトウェアのみのエンジニアは旧来のコンピュータ関連エンジニアと道を分かたれている事を自覚しなければならない。
今の時代の最適解を見つけるのは困難かもしれない。
だけど組み込み系やマイコン制御をしないのであればアセンブラやC言語よりも優先して学習することはいくらでもある。
html,css,javascript をある程度自在に扱えるようになるのも長期間の訓練による積み重ねが必要になる。
コンピュータサイエンスネタが無いな……これはプログラミングに役立つネタももちろんあって、構造化プログラミングやオブジェクト指向プログラミングなんかもそうだけど、表層的に関数分けました、クラス分けましたとかしてもうまくいかない。ネストが浅けりゃいいってわけじゃない。プログラミング以外のネタもある。サラリーマン巡回問題とか。
なんかふと思い出したんだけどわざわざ友達に言う内容でもないし、でもちょっと聞いてほしかったのでかきます。長文書くのなんて読書感想文以来だから支離滅裂だけど良かったら読んでください。
中学三年生の修学旅行でこっぴどく怒られた。理由はヘアアイロンの持ち込み。同室の子に見られてちくられた。
私は酷い天パで、小学生のときそれはそれはいじられた。子どもならではの無邪気な言葉でも深く傷付いたし、耐えられなくて不登校になったことも、自分で髪の毛をうなじくらいまで切ったこともある。みんなは忘れていても、その瞬間の相手の顔も言葉も、私だけは鮮明に覚えている。ある時どうしても欲しいとねだって、誕生日、クリスマス、お正月分のプレゼントとしてちょっと高いヘアアイロンを買ってもらった。これは私にとっていわば革命で、思い通りにまっすぐになる感動で泣いてしまった。余談だけど天パのままの自分が写った卒アルや写真を見るのが耐えられなくて、まとめて箱に入れて神社で燃やしてもらった。
修学旅行を迎える頃には既に縮毛矯正を2回、ストパーを6回していた。風呂のときはまっすぐになる(と聞いた)シャンプー、コンディショナー、トリートメントをし、温風と冷風を交互にしながら乾かし、髪が枕に擦れないよう座ったまま就寝。毎朝5時に起きて1時間かけて丁寧にブロー、その後も軽く1時間はヘアアイロンを使ってうねった髪を伸ばし、急いで支度して7時20分には家を出る生活をしていた。
修学旅行まであと1ヶ月くらいになってから配られた修学旅行のしおりを見ると「ヘアアイロンの持込、使用は禁止」の文字があり絶望した。どうしようどうしようどうしよう。夜どれだけ気を使っても朝起きると大惨事、ヘアアイロンで伸ばさないと天パが目立ってしまう。私にとってそれは苦痛以外の何物でもなく、死んだほうがマシなのではと思うくらいだった。たった一文で修学旅行に行くのを本気で躊躇った。
ちなみにキャンプのときはお風呂に入らなかったため、ケープでガチガチに固めたら3日間そのまま保つことができたので事なきを得た。ケープすごい。
担任の説得、そして修学旅行の代金の積立を支払っていたのもあり、修学旅行には参加することになった。けれど頭にあったのは天パがバレてしまった時の屈辱だけだった。
そして修学旅行1週間前、偶然クラスメイトの会話が聞こえてきた。内容は携帯を持っていくか否かだった。しばらく盗み聞き(?)していたが、満場一致で持っていくことになったらしい。携帯ももちろん禁止だったが、クラスメイトが当たり前のように持っていくと聞いた瞬間、私の中で何かが弾け、同級生がルールを破って携帯を持っていくのなら私もヘアアイロンを持っていこうと決意した。
荷物検査はあったが生理用品や歯ブラシ、ハンドタオルなどを詰めたポーチに隠して入れた。生理用品が入っていたら遠慮して奥まで見られないだろうと考えたからだった。
1日目の夜は民宿だった。体内時計を駆使していつも通り5時に起床。私はすぐに寝落ちてしまったが他のみんなは夜遅くまで起きていたらしく、5時の時点では全員爆睡していた。何故か布団をしまう押入れの中にコンセントがあったため、押入れの戸を閉め、埃っぽくむせそうになるなか必死に髪を伸ばし続けた。本当はブローもしたかったが音で周りを起こしてしまいそうだったのでやめた。実はドライヤーも禁止だったが、濡れたまま寝ては風邪をひいてしまうと民宿の方がこっそり貸してくれていた。
一通り終えて腕時計を見ると7時前だった。9時にはホールのようなところに集合していないといけないので7時ぴったりにみんなを起こし、民宿の方の手作りの朝食(すごくおいしい)を食べてから各自準備をしてホールに向かった。
2日目の夜はホテルだった。民宿とは班が違い、もっと少人数になる。疲れがあったこと、そして先生の独断で決まった班だったから仲良い子がいなかったことなどが重なりあまり会話もせずに就寝。
朝起きたら5時半だった。ベッドの上のコンセントを使い、班の子達に見られないよう床に座り込み必死に伸ばし続けた。だが6時半になるかならないかのとき、ひとりが目覚めてしまった。何か(電源がついていることを示すライト)が光っていたのが不思議だったのかゆっくり近づいてきて、突然の事だったので隠すこともできず見られてしまった。終わったと思った。でもその子は何も言わず準備を始めたので心の底からほっとした。ヘアアイロンは元のポーチにしまった。だんだん他の子も起きはじめ、おはようと挨拶を交わして顔を洗いに行く。しばらくして生徒が起きているか見回っていた先生がドアを開けて入ってきた。するとヘアアイロンを見た子がよく通った声で「この子ヘアアイロン持ってるんですけど」と言った。頭が真っ白になった。奇しくもそれは携帯を持ち込んでいた子だった。
朝食はホテルの大きなホールで学年全員でとった。だが見せしめのように入口に置かれた私のヘアアイロンが気になって気になって何も喉を通らなかった。
それからは何も覚えていない。いつのまにか駅に着いていた。どうしたらいいか分からなくて立ちすくんでいると担任に呼ばれた。当たり前だが怒られた。声が大きい先生なので生徒に限らず通行人にも全部聞こえていたと思う。とてつもなく恥ずかしかった。正直持込みがバレたことより、ヘアアイロンを使わないといけない髪だということが知られてしまったことのほうが恥ずかしくてたまらなかった。親が迎えに来るまで20分くらい説教されたあと、ヘアアイロンは返された。帰りの車の中で泣いた。母親は私がどれだけ髪に執着しているか知っていたからか、乗った瞬間のおかえり以外は何も言わなかった。
ルールを破った私が全面的に悪いって分かってたけど本当に本当にしんどかった。
私はその後父に頼み込み、卒業してからするつもりだった引越しを夏休み中になるよう早めてもらった。卒アルを受け取らないようにするためだった。転校前の学校にも転校先の学校にもお願いをし、卒アルの個人写真には私が写らないようにしてもらった。(かなり経ってから友達が持っていた卒アルを見せてもらうと集合写真には多少入っていた。)すると業者さんが気を使ってくれたのか私専用の写真集を作ってくれた。私も写っていてがどれも小さく、どちらかというと友達の写真がメインだった。思い出の写真は1枚も残らないものだと思っていたので本当にありがたかった。
転校先で友達はできなかったけど、高校はちゃんと通えてるし、卒アルを受け取らなかったのは正解だと思っている。
また、中途半端なタイミングでの転校だったから内心ズタボロでいい高校には入れなかった。
悪いことをしたので自分に返ってきたのかなと思っています。自業自得です。
それと努力の甲斐あってか今はかなりまっすぐになっていますが、それでも気を抜くとすぐうねります。笑
天パに限らずコンプレックスを持っている子、たくさんたくさんいると思います。コンプレックスは簡単には直せないし、本人の気持ち次第で短所になったり長所になったりするものだと思います。気にしないようにって言われても余計気にしちゃうとか、そういうのも痛いほど分かります。だけどこれは逃げなんかじゃないので、自分の納得のいくまで整形でも何でもして気持ちを和らげて、強く生きてくれると嬉しいです。いい話風に終わりたかったけど私のルール違反がいい話になるわけないのでここで終わります。脱字修正しました。長々と読んでくれた方ありがとうございました!
レベルが低いとか高いとかの話はしたいわけじゃない。レベルは相対的なものだし、別にどんなレベルの人が何をしていようがそれ自体は別にいい。
俺は何でもできるみたいな主張をしている奴が、実際に会って議論してみると学部生程度の理解しかしてなかったりコードが全然書けなかったりする。ビジネス理解?そんなクソみたいな奴に備わってるわけないだろ。偉そうに「自分の主張をしてくことが大事で〜」とか言ってるが、結局自分のことばっかりで周りのステークホルダーを含めてうまく物事を進めていけない局所解にいる奴らだ。所詮機械学習をやらせてもヘボい局所解しか見つけられない奴らだからお似合いだが。
そしてなぜかキャリア論みたいなのを語りたがる。何なのあれ?自分が時流に乗って比較的高待遇の職に就いただけなんだから語ることなんか無いだろ。世の中にお礼を言って感謝の正拳突きでもしとけや。
Twitterは文字数制限が厳しいから賢い人間に擬態できるというのが増長を促してるんだよな。中身はなくてもそれっぽい言葉を並べているだけで何か凄そうな感じがしてしまう。「線形代数は重要だから勉強しといた方がいいです」って、何を指してるんだよその線形代数ってのは。お前の言う線形代数は単なる単語としての線形代数でしかなくてその具体的な中身なんて皆無なんだろうな、いつまで経っても中身の話が出てこないから見てれば分かるよ。こういう奴らに限って「◯◯を勉強した」とか「◯◯を理解した」とか言ってるんだよな。でも考えてみたら別に間違ってるわけじゃない、こいつらは中身の話をしてるんじゃなくて単に言葉を知ってるかどうかだけの話をしてるんだから。そういう意味ではGoogle検索を使いこなしているのかもしれない、えらいえらい。
やたらとExcelとか人とのコミュニケーションとかを馬鹿にする層も被ってる気がするんだよな。圧倒的にそういうことをしてる人の方が社会を回してるんだけどな。市井のITリテラシーを考慮した代替案を出すわけでもなく、自分たちのやりたいことが通じる井戸の中でゲコゲコ言ってるだけ。無限井戸に落ちてシュレディンガー方程式でも解いとけ。
プログラミングに関してもやれクソコードとかこの言語のここがダメとかそんな話ばかり。所詮与えられたものの中でしか物を考えられず、しかもそれが大して深いわけでもなく、自分の薄っぺらさをただただ喧伝していることに気づいているのか?笑えるのがそういう奴らが国の施策とかでイノベーションを起こすみたいな話にダメ出ししてたりする。そんなに自信があるならお前らが行って企画立案実行してこいよ。オリジナリティの欠片もないお前らには税金使ってほしくないけどな。結局お前らは他人様に与えてもらった状況の中でマスタベーション代わりのリファクタリングでもし続けてるのがお似合いだ。
それとkaggleとか競プロが偉いのは分かったから、そこで学んだことが具体的にどうやって活かされてるのかもっと教えてくれよ。傍から見てると会社の金を使ってゲームしてしかもなぜか自信満々で偉そうにしてるようにしか見えないわ。お前らは事業の何に貢献してんの?
学生もヤバい。なぜかは分からないが自信満々に社会や会社がどうのこうの言ってる。若さゆえのイキリもあるんだろうが、あまりにも社会がどんな仕組みで出来ているかに考えが及んでない奴らが多すぎる。「みんなたくさんお金もらえた方がいいよね」みたいなただただ自明な話をさも俺いい指摘をしてるぞみたいな感じで書いている。その後にある現実の課題とその解決策に関してはまるで空虚。学校で何を学んでいるのだろうか?アカウントの中身は中学生が運営してるんだなという理解に落ち着いた。
そして自分の能力を客観的に理解できてない点もヤバい。社会人が世の中の売り手市場で戦っていくためにする「最近の学生は優秀」みたいな根拠ゼロの話とか高待遇でオファー出したりするせいで、完全に勘違いしている。お前らにそんな価値はないんだよ、大体教科書とかネットの知識を薄く身にまとってるだけなのに物事を深く理解してると勘違いしてる奴らにできることなんてたかが知れてんだよ。バイトの待遇を上げろ?社会が態度だけは一丁前で大したことができないバイトの奴らの面倒見るのにどんだけコスト掛けてるか分かってるのか?何もできないから金払って大学に行って学ばせてもらってるんだろうが。
言うに及ばずだがちゃんとした人ももちろんいる。Twitterだと声がデカい奴が目立つのであまり観測されないが。
虚ろで肥大化した自己像を他者に認識させるのが戦略的にはいいんだししょうがないよな。デカい声でTwitterという肥溜めにクソを撒き散らしていくのがこの界隈での生存戦略なんだ。何で実際の自己との不一致に悩んで精神を病まないのか?感心するくらいだよ全く。
https://www.asahi.com/articles/ASL6H63FTL6HUTIL04M.html
「無防備力も女子力だと思います」というコピーとともに幼い女の子の写真が掲げられた西日本鉄道の広告が、批判が多かったということで撤去になったというニュースを見ました。
広告はしばしば炎上してるの見ますが、打ち切りまでしなくても…買わないけどさ…と思うこともありますが今回のコレはもうアウトでしょ。
言及するという時点でだいぶフィルターがかかってるにせよ私のツイッター観測範囲では「広告としても意味不明だし、アウトな点があり過ぎ」「どうして誰も止めなかった」という論調が多いですが、
「なぜ性犯罪の話が出てくるのかわからない」「そんなに言うほど?」「こじつけにしか思えない」という人という人もいるので
暇な私は書き出してあげましたよ!!!
個人の感想だーっと書いただけなので穴はいっぱいあると思います。
「幼い女の子みたいに性犯罪に無防備になったほうがモテるよ!」です。
これをストレートに書いてあったとしたらマズイのはいくらなんでも誰でもわかりますよね。
では私が何故そのように読み取ったか細かく行ってみましょうー。
「無防備力」はよくわからないので「無防備さ」として考えました。
①広告としての意味が全然わからないです。広告としての強いメッセージが読み取れないから余計な連想を呼んでしまうのはあると思います。たくさんある広告のひとつらしいので、イメージ広告みたいだったり女性をことさらに取り上げるのはいいとしても、やっぱり意味がわからない。
②女子力というワードが既に陳腐だし、広告に使うには危険な炎上覚悟ワード。「男性目線の女性への恋愛対象や性的対象としてこうあるべきという価値」の言い換えとも言える言葉。
特にSNS界隈では女性への一方的なジャッジや抑圧の言葉と取られます。揶揄や自虐、軽いノリで使うこともありますが、場面と発言者と発言先によって意味合いが全然変わってくる取り扱い注意の言葉だと思います。
この言葉を使う以上「男性目線の、女性へのジャッジの言葉」という前提は必ずあり、扱い方によってそのままの意味だったりアンチテーゼだったりするんでしょうけども、この広告は後者をやろうとして失敗したという印象です。
③女性の性的魅力を含意させて使われがちな「女子力」を「無防備」と合わせることで「無防備であるのが魅力的で好ましく価値が高い」という意味に取りました。
④女性の性的魅力を含意させて使われがちな「女子力」を「幼い女の子の写真」と合わせることで、幼い女の子もその評価の対象であり、しかも他の見本となるほど性的価値が高いという意味に取りました。
⑤「無防備」というワードは痴漢をはじめとする性犯罪で被害者側が責められる時に使われることが多く、しかもこれは痴漢が多く発生すると言われる鉄道の広告。連想するなと言う方が無理な話。無防備にするなと責め立てられた挙句、無防備なのがいいとか言われんの??痴漢しやすくしろってこと?鉄道会社がそれ言う?ちょっとふすまから虎出してくれない?
⑥④と⑤を合わせると、幼い女の子が性犯罪の対象となる危険性が際立って見えてくる。子供まで巻き込むのほんとやめて。最近そういうニュースもあったのに。
⑦ちょっと話がずれるし意味はないんだろうけど、何故Tシャツが星条旗?政治的な意図がないなら地方都市のローカル企業の広告にしても軽率すぎないですか。
政治的な意図があるとしたら余計まずいし余計に意味がわからないけど。
1つの要素だけならそんな過剰反応せんでもいいのにと思いますが、まあよくもこんなにコンパクトに的確にポイント押さえてきたなというのが個人的な感想です。
他にも「どうせ無防備って"ぼくのかんがえたさいきょうのむぼうび"的なやつだろう」とか「思います、ってお前誰だよ」とかあったけど長くなるしちょっとこじつけっぽくなるのでやめました。
大人の女の人が自分の意思でいわゆる女子力的なことが好きだったりアピールしたり無防備に振舞ったりするのは個人の自由だし、それに魅力を感じる人がいてももちろんいいと思います。
それを全年齢対象全性別対象の公共の場所の広告でやるなよ、その思惑にまみれた概念を子供にも適用するなよってこと。
広告主の意図としては「幼い頃のように肩の力を抜いて無邪気で飾らない姿が本当の自分らしさかも」ということらしいですが、それを聞いてもわからんね。
映画やドラマや小説を理解できるのにある程度の文化理解教養が必要なように、炎上や差別的表現の理解にも一定の感受性や訓練がいるのかもしれません。
あの日武道館で『輝きのエチュード』を聴きながら、左隣りの人も右隣の人も、嗚咽を漏らして泣いていました。私も泣いていて、まともにサイリウムを振ることすらできませんでした。会場中から鼻をすする音が聞こえてきました。でも、こんな企画をやられてしまうと、あの武道館は一体何だったんだろうと、そう思わざるを得ません。
別に「卒業」したはずの歌唱担当が『アイカツ』のイベントに登壇することに文句を言いたいわけではありません。「あなたたちは卒業したので来ないでください。歌は全部声優が歌います」なんてことになったら、それこそひどい話です。だからそういうことではなくて、「5周年」にかこつけてイベントを乱発すること自体が問題だと思うわけです(というかもうすぐ6周年じゃないですか?)。「思い出は未来の中に」ではなかったのか。「同じ光のなかこれからも 迷わないでわたし歩いていける」と、あの日誰もがそう思ったのではなかったのか。「心に集めるたくさんの永遠」とは、「いやあアイカツは素晴らしいね尊いねいつまでも終わらないね」と定期的に執拗に確認しないと消えてしまうような「永遠」だったのだろうか。これではまるで、星宮いちごのアメリカ行きを無理矢理引き止めているみたいではないか。なんでも弁当もスターライト学園も全部放ったらかしにして、無理矢理マスカレードをステージに立たせているようなものではないか。霧矢あおいが、光石織姫が、星宮りんごが、一体そんなことをするだろうか。大げさかもしれませんが、そう考えてしまいます。
東日本大震災が起きたあの日を契機に、『アイカツ』は「皆で一緒に笑いながら身近な幸せを改めて感じ、明日を信じる力、未来への夢を持てる作品」を目指してきました。「こんなことが起きたら、いままで話したような作品はできないね」と。
——その後、ゲームおよびアニメの企画は、どうなったのでしょう?
(加藤陽一)大きな転機になったのが、東日本大震災です。コンセプトを固めている最中の2011年3月に、東日本大震災が発生しました。地震が起きた瞬間、僕は東京・浅草のバンダイ本社で『アイカツ!』の会議に出席していたんです。地震で電車が止まったので、車で来ていた僕が3人に声をかけて、皆を送っていくことになりました。TVで原発や津波のニュースを見ながら進むうち、都心で車も動かなくなっちゃって。結局浅草を出て、皆を送って23区内の家に帰るまで12時間位かかりました。そのとき一緒にいたのが、アニメ『アイカツ!』の若鍋竜太プロデューサーと企画スタッフです。車に缶詰状態で、8時間から10時間ぐらい、地震の影響を目の当たりにしながら、皆で『アイカツ!』のことを話しました。まるで合宿みたいな濃い時間でした。「こんなことが起きたら、いままで話したような作品はできないね」という話もその場で出て。それを受けて書き直した企画書の内容が、そのときの僕らの思いを込めたものだったんです。
——どんなふうに変わったのでしょうか?
ネガティブな出来事も起こりえるレトロなスポ根路線は消えてなくなり、代わりに、「皆で一緒に笑いながら身近な幸せを改めて感じ、明日を信じる力、未来への夢を持てる作品」が必要だろうということになったんです。「トップアイドルを目指すスポ根サクセスストーリー」の部分はそのままに、「温かくて前向きな気持ちになれる作品を作ろう」と、企画をブラッシュアップしていきました。この段階の企画書に書いてあることは。現在のところほぼすべてが、作品内で実現しています。あの震災が、『アイカツ!』という作品にとっての転機だったと思いますね。
そして『アイカツ』はたくさんの人を「温かくて前向きな気持ち」にし、たくさんの人が前へと進みました。「今日が生まれかわるセンセイション」、「いつだって、ここから、あたらしい夢 どこにだって行けるよ!」。『アイカツ』を観たたくさんの人が「素敵な明日」を迎え、「未来向きの今」から未来へと全力で走り出したはずです。『アイカツスターズ』もそうです。あれだけの作品を前にして、前作とは別の方向へと舵を切るなど、並大抵の覚悟ではできません。巴山萌菜さんもそうです。私は詳しい動向を追ってはいませんが、TVドラマ『賭ケグルイ』のOPを歌っていたようですし、ワンマンライブもやっていたと思います。STAR☆ANIS/AIKATSU☆STARS!から卒業し、自分の決めた道で頑張っています。
それが、何故こうなるのでしょうか。別にイベントをやるなとは言いません。「卒業」した歌唱担当を呼ぶなとももちろん言いません。ただ、何故今なのか。10周年や20周年まで待てないのか。これではまるで、私たちに「明日を信じる力、未来への夢」なんかないのだと言わんばかりではないか。全く「未来向き」じゃない、完全に過去を向いている。私にビジネスの知見はありませんが、商業的に考えてもこんなやり方では長生きできないと思います。
昨年9月、甘粕試金氏によって『この幼形成熟の世紀に』と題された原稿が公開されました。当時それを読んだ私は「言いたいことはわかるし何も間違ってないと思うけど、アイカツのファンダムはそんな人ばっかりじゃないのになあ」とかなんとか思っていました。でも、どうやらもうそんなことを言ってはいられないみたいです。
『アイカツ!』が放送終了して新シリーズ『アイカツスターズ!』が始まった今『アイドル活動!』よもう一度とばかりに『アイカツメロディ!』が来ることの意味は、先述の原稿の論旨で言えば「和声」的解決を意味することになり、『アイカツ!』も円環的時間の気持ちよさによって欲望を生産する作品だったという結論にならざるをえなくなる。それを証し立てるきっかけになったのが「シリーズ5周年記念企画」の楽曲だったという事実は、フランチャイズの圏内にある作品がファンク的時間を持つことの不可能性をも証明してしまったのではないか。このことに私はほとんど嘔吐せんばかりになってしまったわけです。
「なんで和声的ならダメなの? 気持ちよければ良いじゃん」という問いに答えるには、それだけで一つのまとまった原稿が必要になるのでここでは書きません。フランチャイズに話を絞りましょう。ここ数年で最も忘れがたいフランチャイズ批判、高橋ヨシキさんが『ローグ・ワン』を前にして発表した「幼年期の終わり 〜さようなら『スターウォーズ』〜」を部分的に引用します
観客が耽溺し続けること自体を難ずる権利はぼくにはありません。〔中略〕それでも、観客を「耽溺させることを目的に」商品を作り、供給することは邪悪なことではないかとぼくは思うのです。
〔中略〕
なぜなら、それは観客を消費者へと変え、幼児化させ、駄々っ子のように振る舞うことを是とするものであり、その駄々っ子の口に好物を際限なく突っ込み続けることで、彼らを判断能力を失った中毒患者へと変える行為だからです。
〔中略〕
「前へ!」というのは、ルーカスだけでなく、どのようなクリエイターにとってもいちばん重要な姿勢だとぼくは信じています。その先に何があるか分からなくても、あるいはそれがどういう評価を下されるにせよ、とにかく 「前へ!」。これはクリエイターに課せられた祝福でもあり呪いでもあるのですが、「前へ!」という大前提は旧三部作でも、またプリクエルでも(プリクエルは実は後退していたわけではないとぼくは思っています。何度も言いますがコンセプトに対してエクセキューションが貧しかったのがまずかった)、そして部分的ではあれど『フォースの覚醒』にも共通していました。前へ!
〔中略〕
ところが『ローグ・ワン』は「もはや前に進む必要などない」という、ルーカスフィルム/ディズニーの宣言のように、ぼくには見えました。なぜ前に進む必要がないのか? なぜならそれを誰も望んでいないからです。誰も、 というのは『スター・ウォーズ』世界に耽溺することに慣れきった観客のことです(ぼくも含みます)
〔中略〕
興行的に、『スター・ウォーズ』が「前へ」進む必要がないことを『ローグ・ワン』は証明してしまったのです。
Crazy Culture Guide Vol,30-30,5(http://www.mag2.com/m/0001673228.html)
SWシリーズにまったく思い入れを抱いていないうえに『ローグ・ワン』も(ドニー・イェンがドン・キホーテ役をやっている映画なのだし)楽しく観ることができてしまった私は、当時「はぁ、そういうものなのかなぁ」程度にしか読めなかったのですが、少なからず前のめりに接してきた『アイカツ!』5周年企画に際して、これらの文章は「あっ、この状況を言ってたのか!」という今更の得心とともに蘇ってきました。「前へ」進む必要がないこと、それは「和声」的時間に閉じること、フランチャイズの体系に閉じること、円環的時間=手回しオルガンの歌に耽溺しきることを意味してはいないか。ベケットらを念頭に置いて「終わる必要がない」作品だと言うとき、それは「終わりが永遠に引き伸ばされる」作品の偽装された姿を言っていはしないか。それこそがフランチャイズの罠であり病ではないのか。という疑惧と危惧が一斉に襲ってきたわけです。これは単に「前に書いた文章と矛盾しちゃった」から狼狽えているのではありません。「あれっ、自分は《これ前にも聴いたことあるわ、良いわ〜、知ってるわ〜、延々と続けられる正当な伝統、良いわ〜》みたいなことに気持ちよくなりたくてこの作品を支持してたのか? そもそもこれってそういう気持ちよさを是とする作品だったか?」という、本質的な足場が揺るがされたことに原因があります。それも公式の「5周年記念企画」によって。
甘粕試金『この幼形成熟の世紀に』(http://petrushkajp.blog.fc2.com/blog-entry-165.html)
「アイカツ!シリーズ5thフェスティバル!!」を楽しめる人を悪だとは一切思わないですし、主催者がダメだとも思いません。もちろん、私が正しいとも一切思っていません。私も何かの手違いでチケットを手に入れたら、それはそれでそれなりに楽しめるんじゃないかと思います。そりゃあ声優と歌唱担当が揃ったら嬉しいです。生アフレコなんてしたら最高です。そりゃそうです。ただ、あの日「車に缶詰状態」で「合宿みたいな濃い時間」を過ごし、それを受けて書き直した企画書は、そこに込められた思いは、「皆で一緒に笑いながら身近な幸せを改めて感じ、明日を信じる力、未来への夢を持てる作品」とは、こういう類のものだったのか。木村監督がプロットを書いた「大スター宮いちごまつり」のMCの「みんなの今日が、明日が、少しでも素敵になったらいいな」とは、「いつでも何度でも集まって際限なく盛り上がれる。いつまでも終わりを引き伸ばせる。ずっとここにいられる」という意味だったのだろうか。『アイカツ』が3年半、『アイカツスターズ』が2年かけて描いてきたことは、そういうことだったのだろうか。どうしたって、そう頭を悩ませずにはいられないわけです。そして、“「終わる必要がない」作品だと言うとき、それは「終わりが永遠に引き伸ばされる」作品の偽装された姿を言っていはしないか。”。このことは、常に考えるべき問題であると思います。
でも、ツイッターを見ている限り「歌唱担当戻ってくるなら純粋に楽しめばいいじゃん」「そんなにヒリつくことじゃなくない?」という人が多数派を占めているようです。だから私がおかしいのかもしれません。「めんどくさいオタク」なだけなのかもしれません。なので、「アイカツ!シリーズ5thフェスティバル!!」に行かれる方には、純粋に楽しんで来て欲しいと思っています。皮肉でも嫌味でもなく、本当にただ純粋に、楽しい時間を過ごしてきて欲しいと思います。アイカツファンの方々——あるいは演者やスタッフの方が読んでいないとも限りません——、お気を悪くされた方がいたら、本当に申し訳ありません。拗らせたアイカツファンの戯言だと思って、どうかご容赦ください。
もう3年無職。
親とも疎遠だし、無職になってから友人とか自然と声がかからなくなったし、返信もなくなった。
誰ともつながりがないわけだけど、
会話がすごい退化してる。
牛とか食べてさ、「お会計お願いします」って言おうと思ったら、声でないの。
「おあ、おあいえい。あうあうー。」みたいな。お爺ちゃんか。まだ40なのに。
昔見た、気持ち悪い身なりの悪いおじさんに、俺がなり始めてると、今日突然思ったの。
確かに、服も何年も買ってない。誰にも会わないし大丈夫だと思ってた。
まあ、大丈夫なんだけど、
身なり悪くて、なんかアウアウいってる。なんか気持ちの悪いモンスターみたいだなって。
英雄になってるはずだったのに。
気が付いたら、モンスターだ。
一ノ瀬志希ちゃんと言えばデレマスの天才ケミカルアイドル。スハスハするのが好きな志希にゃん。担当外のPさんだとそのくらいの認識のが多いのではないかと思います。私もそうです。いや、そうでした。
本音を言うと志希ちゃんのこと、なかなか掴むのがちょっと難しい子だなと思っていました。でも違ったんです。ちょっとどころじゃないんです。自分程度の人間が彼女のことを咀嚼しようと考えたのが浅はかだったかもしれません。
先日、STARLIGHT MASTER第17弾が発売されましたね。私ももちろん買いました。何たって表題曲が担当に来たお仕事ですので。いつもはキュートでちょっぴりセクシーなアイドルに徹する担当が、自分の路線とはかけ離れたこの曲を歌っている事実、最高に愛おしいです。よく頑張ったね最高のアイドルだよ。
みなぎれ!ボボボンバーも本当に良かったです。日野茜ちゃんがどんな子なのか、曲を構成する全ての要素から伝わってくるようでした。フルで聴いて分かったのは、ボボボンバーは泣き曲ということですね。「あんな愉快な曲が!?」と思った視聴止まりの方、買いましょうCDを。歌詞がなかなかしんどい。良き。
でも今日はNbYでもボボボンバーの話でもなく一ノ瀬志希ちゃんのソロ2曲目、PROUST EFFECTの話をします。
PROUST EFFECTはヤバイ。アイドル一ノ瀬志希をこれでもかというほど脳みそに刷り込んで来ます。絶対に忘れられなくしてくるんです。こんなにも麻薬のような、素晴らしく邪悪な曲があっていいのでしょうか。
志希ちゃんの歌声、変拍子、音、何から何まで全てがヤバイのでとにかくフルを聞いて欲しいんです。中でも一際何がヤバイって、元々浮き彫りになっていた志希ちゃんの天才性を決して視覚に訴えて来ないのにありありと見せつけてくるところ。
私は他担なので志希ちゃんのPさんに解釈違い!って蹴っ飛ばされても文句は言えないんですけど、この曲一ノ瀬志希というアイドルの"偶像"っぷりを脳髄に染み込ませてくると言うか、うまく言えないんですけど簡潔にまとめると「『アイドル一ノ瀬志希』を演じる志希ちゃん」の歌なんですよね。
今まで所謂「普通」とはかけ離れた人生を送って来て、そんな志希ちゃんがアイドルに出会って、自らアイドルという檻に囚われていくわけじゃないですか(それでも相当自由ではあるけれど)、そこまではまだわかるんですけど、本当にヤバイのがそこからなんです。
じゃあ何がヤバイのって、そのファンや演出によって作り上げられた『アイドルの一ノ瀬志希』と「とある1人の少女一ノ瀬志希ちゃん」との差を全く感じさせてこないところなんです。
どんな物にも実像と虚像との間には一定の隙間があるはずなのに、それを限りなく狭く感じさせてしまう。もはや無いものだと錯覚させてしまう。志希ちゃんはその点において正しく天才でした。気が付くのが遅すぎました。神が彼女に与えた一番の才能は、突出した頭脳では無かったのかもしれません。
そういう解釈をした上で、一瞬だけ実像の一ノ瀬志希を視界に捉えられる気がするのが2番サビなんです。本当に一瞬だけ一ノ瀬志希という女の子が掴めそうな気がして、でも彼女は1度瞬きした次の瞬間にはいつもの志希にゃんで。最後のセリフではもう既に私たちの思い描くアイドルとしての一ノ瀬志希なんです。
この子の天才性のミソって誰でも感じ取れるような分かりやすいところにあるんじゃなくて、表面だけ接してたら絶対に分からない奥の奥の方にあるのだと思いました。
それならもはやこの子の最深部には到達できないなと思うわけで、他人がそこに踏み込もうなんてもってのほかで、そこにはもしかしたら本人でさえ辿り着けない聖域なのかもしれない。PROUST EFFECTを聴いた人間は既にとんでもない迷宮に迷い込んでしまっているのでしょう。
近所に新しくステーキ屋さんが出来た。
入ってみると女の店員さんと厨房の兄さんが「いらっしゃーあせー」と言ってくる。
店員さんが「お水どうぞ!」と言いながらゴンッとテーブルに置いた。
氷は入っていない。花瓶みたいな分厚い丸い変なコップだった。
飲んでみたらぬるい……
この時点で第一印象は最悪だった。
ハンバーグとランプ肉のコンボセットというのがあったので注文した。
あわせて300g、2100円。ご飯も注文した。
「お飲み物は?」と聞かれ、頼まないといけないような雰囲気になったので注文した。
注文したあとで、今月のサービス「ご飯大盛り無料」というのに気づいた。店員なにか言えよ。
関係ないけど店員のやる気が一切感じられなかった。何だるそうに動いてんだ。働け。
まず飲み物が届いた。
バラとか入れそうな、花瓶みたいなコップが置かれた。
ウーロン茶は注がれていたが、ジンジャエールは自分で注ぐようビンが届いた。
300mlも無さそうなビンだった。しかも氷が7割くらい入っているのに8割くらいにしかならない。
それで300円……高い。
この時点で評価はだいぶ下がった。
「あれ?最近できたばかりなのに?」と思ったら
サインは2000年、2001年とかだった。そりゃそうだよね……。
ここで重要なことに気づく。「焼き加減は?」と聞かれなかった。
……まぁ、さすがに後で聞いてくるだろうな、と放置した。
肉登場。小さい。まぁ300gだからこんなもんか。
店員はソースの説明もしないで厨房に戻っていった。普通に楽しそうに会話してんな。説明くらいしてけ。
まぁ、見りゃ分かるデミグラスソースと、おろし醤油みたいなソースだったけどさ。
ハンバーグとランプ肉の左に、ソースカップが2つあり、その下と奥にとうもろこしとブロッコリーが添えてあった。
うーん、とうもろこし踏んでる。あと、ソースの左にまでとうもろこし行ってる。食べづらい。
お肉を食べた。まぁまぁ美味しい。
ただ、ハンバーグもレアとは聞いてない!!!ほんの赤いぞ!!私は良く焼いたのがすきだ!!
ランプ肉ももちろんレア…ピンク。綺麗なピンク…マジかよ外側しか焼いてないよ。
ふざけんなよ。店員の態度もクソだし何だよこの店すぐ潰れろもう二度と行かない。
って思った。以上です。