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はてなキーワード: 説明責任とは

2016-01-05

http://anond.hatelabo.jp/20151117010604

統合経済圏とかよくわからんけど、企業が天下取ったら

テロリスト国家の両方に武器たんまり売りつけて大儲けするのを誰が止めるの?

株主。は、ポーズだけだろうなあ

費用対効果考えるなら、その軍事費貧困支援に回した方が

長い目で見ればテロ漸減につながるんだろうけど

軍事力ねじ伏せた方が短期的な国民支持を得られるので

政治家はそういう選択をしがちだし

企業イメージアップパフォーマンス支援まり

企業顧客に目配せくれるのは競合がいる間だけで

市場独占したとたんに牙をむく。株主以外に説明責任はない

そんなAmazonみたいな企業がいくつも連合したような超国家組織って

今のクソみたいな民主主義よりもっと邪悪存在になる

スター・ウォーズ1の通商連合もクソだったし

2015-12-31

http://anond.hatelabo.jp/20151231032710

まともな大人同士が、それなりの年月をかけて、合意の下に運営しているシステムから、そこに必要性必然性があるのだろうと推定されるということだ。

本当に合意はしたのか?その場で権力のある人(たとえば本家の一番の年長者)の思いつきにみんなが従っているだけという可能性はないか?

親戚にかぎらず、PTAとか田舎寄り合いとか、風通しの悪い組織にはそういうプロセスごろごろ転がっているぞ

この状況下では、むしろ必要性妥当性もない」と判断する方に、説明責任があると思うがどうか。

いいや、説明責任は常に運営責任を負っている人間にある。この場合運営の最小単位は親戚ごとの各家、その責任者普通関係親族の長の父親だな。(母方の親戚づきあいであればこれは母親になる)

そして元増田会社で言えば新入社員とか異動したての人間に相当する。そのような人間に旧組織運営説明責任があるとはとても思えない

更に言えば、書き込みを見る限り、書き手増田は、そのような親戚間の合意形成に関与しておらず事情を把握していないらしいことは容易に想定され

そう、合意形成に関与していないのであれば疑問や不満が出るのは当然だし、事情は把握できない。

であれば運営責任者である父親が説明するべきだが、俺らが語りかけることができるのは元増田だけだってのが歯がゆいよな

言い換えれば自分の行動やその余波に対して充分な責任が取れるだけの分別があるようには読み取れない

ここまで説明して分かる通り、元増田合意形成プロセス施行されておらず運営に関する権限も全く委譲されていないことから責任なんてほとんどない。

正攻法でいえばここで父親に「今年の目標とか言うの辛いしトランプもつまらないから自分の好きに過ごさせてほしい」と交渉するところだけど

高校生だろ?一回ぐらいバックレて「私はこれだけ辛かったんです」って後で説明しても問題ないわおおよそ。

元増田の親戚はわりと気を使ってくれるっぽいから、次から抱負とかは免除してもらえるようになることが想定される。

http://anond.hatelabo.jp/20151231004324

いくつか回答。

その「儀礼」が「なぜ」そして「本当に」必要なのか、という疑問に答えていない。そもそも「なぜ」親戚に会わなくては「いけない」のかという事だ。

まず、「行かなくていいよ」とアドバイスしている人々も、なぜ「不要」と判断できるか、「本当に」不要か、ということに何一つ説明を加えていない。むしろそちらの方に(その無責任さに)驚く。

そもそも、ある親戚同士のつきあいの在り方に、一般的な「べき」論など通用するわけがない。そして、関係者の一番若い人間一人による書き込みから分かる情報など多寡が知れている。そして、いわゆる「親戚づきあい」において、「年に一度」的イベントによるそれは、なかなか洗練された部類に属する。関係者の知能も書き込みを見る限り決して低いわけではない。以上を踏まえれば、その「儀礼」は、関係者間によるそれなりの妥当性の下に運用されているだろうと『推定』できる。要するに、まともな大人同士が、それなりの年月をかけて、合意の下に運営しているシステムから、そこに必要性必然性があるのだろうと推定されるということだ。この状況下では、むしろ必要性妥当性もない」と判断する方に、説明責任があると思うがどうか。

更に言えば、書き込みを見る限り、書き手増田は、そのような親戚間の合意形成に関与しておらず事情を把握していないらしいことは容易に想定され、言い換えれば自分の行動やその余波に対して充分な責任が取れるだけの分別があるようには読み取れない。このような状況で、安易に「行く必要ねーよ」などという尻押しをする方が、いささかおかしいと思う。

両親のメンツ、それ以外に理由はないのかという事だ。

メンツの話など全くしておらず、明白に誤読である自分がしたのは、現実元増田生活の基盤であり、一番の味方であろうと推定される人間に対して、最大の迷惑をかけるような行為は悪手に過ぎない、という話だ。元増田にその方面への配慮が全くないように見受けられたので、そこを指摘する意味も強くある。

両親が年1回になるよう守っていると言っているが、「うちの子部活があって来られないんですよー」とか理由づけて守ってやることもできる。守るってのはそういうことだ。

「守っている」というのはあくま推定に過ぎないが、そもそも元増田は親に対して「嫌だ」と口に出したことも、それについて親と喧嘩したこともないのではないか? それ自体が既に問題だと思わないか? インターネット上の無責任他人があーだこーだ言うのではなく、本来子どもとして親と向き合うべき問題だと思う。その上で、親が全く何もしてくれない、となったときにはあなたの言う理屈も成り立つと思うが、現状ではまだその段階にも達していない。子どもが「なんか嫌そうにしているしー」とかで、先回りして子ども気持ち忖度して勝手に親戚から遠ざけるなどという行為は、少なくとも高校生に対して取るべき対応ではないと思うし、元増田の両親はその意味で正しいと思う。

「年1回の儀礼なんだからイヤミ言われてきなさい」「年1回の儀礼なんだから晒し者になってきなさい」「年1回の儀礼なんだから好きでもない相手にコビ売ってきなさい」こう言われて納得するなら結構社畜精神である

「親戚づきあい」をそのようにしか受け取れないというのは、あなたは相当親戚に恵まれなかったのだろうと推察するが、元増田の親戚づきあいを見る限りどこにも「非道」な内容はない。むしろ、親戚づきあいに対して腰がひけている主たる原因は元増田コンプレックスと読み取れるし、それ自体が簡単な問題だと言うつもりは毛頭無いが、しかしそれは本来元増田自身が(少なくとも親子の対立関係の中で)何とかして解決すべき問題であって、親戚レベル他人に飛び火させてよい問題ではない。

まあ、親戚を楽しませるのはお前の役目とか言ってる時点で相当お察しだが。

どんな集まりでも、参加する際に「参加した人みんなが楽しく過ごせるようにしよう」とするのは参加者の最低の義務だし、「お客様」の立ち位置でなく対等の人間関係での集まりならなおさら当然のメンタリティだと思う。高校生ならば、もう「お子様」ではなく、一人の大人としてその場に臨んでいい年だ。それが親戚の集まりでなく、たとえば友人間パーティであっても同じ事だ。

お年玉給料としたバイトと思えばたぶん丸く収まるが、姪っ子にそう思われるほどに慕われない親戚にも問題があるなと思わざるをえない。

「思わざるを得な」くはない。元増田一方的に苦手意識コンプレックスをこじらせている以外に、親戚に問題があると読める描写がない。元増田が手加減して書いているという可能性はゼロではないが、書いてもいないことを勝手に読み取るのは、読み手の側の単なる「思い込み」ではないか。

それと、「お年玉給料としたバイト」という発想は、元増田の一番ダメな部分なので、そこを肯定するつもりは全くない。この件について「お年玉拒否すればいいんでしょ」というのは全く子どもの発想であって、関係者全員に対して非常に失礼な考え方だ。そういう発想に基づいた言葉がチラとでも出るようなら、この親子の話し合いは一切上手くいかないと思うし、元増田ダメ人間しかならない。

結局は「実生活に何の関係もない親のメンツを立てに行かされる子供」の図式。親側がそういうのを嫌ってくれれば回避できるイベントである

ハッキリ言っておくけど、普通に考えれば親が連れて行くのは「親戚と元増田関係」のためであって、親自身メンツなんて関係ないでしょ。ほとんどの親戚づきあいにおいて、その図式は全く当てはまらんと思うよ? 元増田のために、親戚づきあいを維持することがよかれと思って、引っぱり出してるんでしょうに。「親戚づきあいなんていらねーよ」という増田の皆さんは、この元増田の両親以上の責任感をもって、元増田未来人間関係社会性に対して何かを担保してやってるつもりなのかね? 「行かなくていい」系のコメントしてる増田みんなに言いたいのは、アンタらほんと無責任だな一言だよ。

自分元増田に言いたいのは、物事はいろいろな形で繋がっているものだということ、特に人間関係は。そして、子どもの目から見ただけでは気付かないような仕組みに、元増田はそろそろ気付くべき年齢であり、そういうことについて(どのようなやり方でも)しっかり周囲の大人とコミュニケートすべきだということ。少なくとも、その準備ができていない状況で、嫌だ嫌だで逃げ回るのは子ども以下の振る舞いであり下策だということ。それなら、現状一番易しい形で親戚づきあいスルーする方法を用意してもらってるんだから、素直に乗っとけよ、ってこと。

はいつまでも親にケツを拭かせてんじゃない、と。てめえのケツも拭けないガキならせめて大人しく抱っこされてろよ、ってことだよ。

まあ、「いい大学に入る」以外の人生成功ルート元増田に上手く提示できてないという一点において、元増田の両親に責任の一端がないとは言わんよ。ただ、現状そこを指摘しても、元増田もっと甘やかすことにしかならんでしょ。また、現状元増田が、うまく他人コミュニケートできていないのも大きな問題だと思ってる(元増田だけの責任という意味じゃなく、だよ)。

元増田は、まず来年もっと自分の好きなことやりたいことに自分時間を費やすべきだと思うね。そんで自分の錨をどこかにしっかりと下ろしてったら、初めて、人とホント意味コミュニケートできるようになるだろ。フラフラはしててもいいんだが、根のないフラフラでは周囲も対応しきれんよ。まずは小さな事でも、自分好き嫌いをハッキリさせることから始めるべき。

2015-12-01

のうりんポスター終了と、ネット経由での政治的正しさ監視社会

詳細はググれば判るのでここでは繰り返さないが、のうりんポスターは剥がされた。

今後この手のことは避けられないだろうなと思うので、その話をしたい。

端的に言えば、政治家失言と同じなんだろうな、という話。

なに言ってんだオマエは

と思うだろう。要は「どんなモノでもネットに晒される」という事だ。

例えば、政治家が酒宴でオッサンばっか集まった中で下品冗談を言った。

現地では大受けゲヒャゲヒャ笑って女性参加者苦笑い、とかなったとしよう。

これ、新聞記者が聞いてニュースで配信されたりすると、当然批判を受ける。

政治家なんだから、当然だろう、とか思うだろう?

今回、のうりんで起きた問題はほぼコレだ。

自分から発言すると、当然叩かれる社会

Twitterなんかで「公に発言すると」問題になる社会はもう来てる。

例えば自分の嫌いな人がいて、それを公然発言すると、問題になることがある。

正確に言えば「俺は嫌いだ」ではなくて「それは異常だ(と俺は思う)」という発言をするとだ。

例えば「ホモは異常動物だ」は問題がある発言だとされる。

不見識であるとか、常識がないという言い方をされる。

まだ炎上するのは「公人」という一定ラインはある。

これはまあ、良いことだと思う。

(いずれ「俺甘いもの苦手なんだよね」と同じニュアンスで「俺、異性愛は苦手」と言える社会になるかもしれない)

自分から発言しなくても、正しさを求められる社会

のうりんが、一地方の内輪向けの話だから、というのが通用しなかった件。

コレはつまり、「政治家が身内のパーティー放言した」と同じレベルだ。

小規模だから、ひと駅だけだから、前にもやってるから、と言うのが通用しない。

なぜならば「ネットに紹介された時点で、公の舞台に立った」からだ。

自分からTwitterアピールしなくても、誰かに紹介されると公の舞台に立ってしまう。

そうすると、文脈から切り離されて「その対象のものが、正しいか?」を求められる。

チョット別の話

株式会社やお役所なんかだと、説明責任、というやつが生まれる。

まり「コレコレの批判があったのに、何故止めないのか?」に対する説明責任だ。

大抵の場合、強い根拠やしっかりした後ろ盾がないと、「止めない理由が無い」状態になる。

から、「オマエのやり方に賛成だ。良くやった」という激励の電話や投書は、無駄にはならない。

悲しいかな、文句を言う人は文句を言いたいので電話をするが、賛同するひとはひっそりとテレビの前で応援したりする。

役所担当者の前に、非難の投書が数通あり、ネット上に賛同の声が多数あると、投書が勝つ。手元の文書は強い。

記録を軽視しない。とても重要な事だ。閑話休題

地方の小さなその時だけのイベントでも、最大限の配慮必要社会

のうりんポスター」の件は、今後頻繁に起こるだろう「リアル炎上」の話だと思う。

もはや、身内のうちわの話、というもの存在しなくなる。

ほんの少しの「公」要素があれば十分だ。

どんどん晒されるだろうし、晒されればそれはTwitterアピールしたのと同等に扱われる。

(その意味ガルパン海水浴ポスターは良く出来ている。アレを批判すると文脈上海水浴場批判に繋がるので「抵抗する理由がある」ポスターになってる)

さらにその先の、「発信しなくても晒される」社会

ある程度、公人や公の場所が、政治的な正しさを求められるのは、方向性としては良いことだと思う。

本来当然配慮されるべきものが、いろいろな言い訳ナアナアに済まされてきただけだからだ。

ボチボチ、そう言うところにリソースを割いても良い頃だろうとは思う。

おそ松さんポスター就職斡旋所で最低賃金啓蒙をしている。

のうりんポスターは、おそ松さんポスター真逆だ。

文脈から切り離されるとはそういう事だ。

そして、いずれは高校生友達に「アノ黒人が居なけりゃな」みたいな愚痴が晒される世界が来るような気がしている。

少なくとも、ネット上の発言は「Twitter世界に公に発信している」として判断される社会には既になっている。

これが、隣の友人に喋ったら、ネットに即アップされて特定されて晒される、という社会になりそうだ。

政治家のような公人と、影響力のある私人、そして一般人というのは、それほど高い垣根ではない。

そうは言っても、法律上判例上も「公人」はワリとハッキリ線引があるぜ?とか言いたいかもしれない。

でも「のうりんポスター」は、法律判例も、捜査公判維持判断も、なにもなかったんだぜ。

たった一度のブコメ放言で、社会的制裁を受ける日は、たぶんそこまで遠くない。

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一人増田アドベントカレンダーの1日目としてネガティブにお送りしました。

2015-11-25

パチ屋クレーム担当が某ディズニーの件を語ってみる

前回の投稿を覚えている皆さんお久しぶりです。

覚えてない方はこんにちわ

今回も長文でごめんなさい。

わたくし実はクレーム担当という側面もございまして、先日ちょっと話題になってた某オリエンタルランドにおけるチケットクレームの件を少し考察してみたいと思います

要約すると「特別チケットをもらったのに、入場制限がかかっていて入れないのはおかしい。それをなんとかしないディズニーは殿様商売だ」といったものです。

まず、クレーム対応する上での鉄則がありまして、その話を一つしてみます

クレームには必ず被害があります

今回で言えば、「特別チケットで入場ができなかった。」さらに踏み込めば、「それによって家族の労力が無駄になった。」というものです。

その結果として、大半の場合、その被害に見合った補償、もしくは解決のための要求がなされます

それが今回で言う、「なんとか入場させて欲しい」だったり、「せめて心付けほしい」といった内容だったわけです。

クレーム対応とは、一見この2つに対して解決を行うものと思われています

しかし、クレーム対応が最もこじれるポイントは、その解決にこだわりすぎてしまうことでもあります

まりクレーム対応の鉄則とはこうです。

「相手の言う被害要求に、絶対にこだわってはいけない」ということです。

さて、今回のクレームにあたって、現段階で明るみになっていない部分があります

それがクレーム対応で最も重要ポイント、「原因」です。

クレーム対応とは、即ち、この「原因」を読み解くことが全てといっても過言ではありません。

今回の方のブログを拝見すると、この原因部分がまだ解決されていない印象を受けました。

それは、「もらったチケット特別ものである」という誤解です。

他の方の反応を見るに、このチケットにはそうした特別能力はなかったようです。

その誤解が解決されないままに、いくらディズニー側が解決手段提示したところで、当事者としては納得ができるわけがないのです。

なぜなら、自分被害責任は先方にあるという誤解が解決されていないからです。

本来クレーム対応するにあたって、こうした「相手の考える原因」を紐解くことが真っ先に求められます

そのためにヒアリング技術などを用いて、まずは相手の話を聞き出すことが必要なのです。

今回であれば、このチケット特別ものではないという誤解を解くことが、まずはこの対応において再優先になります

しかし、ここで相手方の無知調査不足を指摘するようでは、さらなるクレームに火を付けてしまます

ここは解決を優先させて、説明責任が不足していたことに原因をシフトさせる必要があります

当方説明が不足しておりまして、誠に申し訳ございませんでした。大変恐れ入りますが、当チケットは入場規制が発生してしまった日には入場することができません。誤解を招く結果となってしまい、誠に申し訳ございませんでした。」などでしょうか。

ここで大切なことは、できないことはできないとはっきりと相手に伝えることです。

ここに少しでも緩和の余地があると、相手に食い下がるポイントを与えてしまうことになります

これによって、「当日入れるはずのチケットで入れなかったことに対する被害」を、「当日入れると思い込んでしまった勘違い」にシフトさせることができました。

そうなれば、もともとあった「その日に入場できないとおかしい」という要求意味を成さなくなります

これによって、本来問題に対する解決は、「チケット説明不足に対する謝罪」、もしくは「それに見合う対応」に変わるわけです。

説明不足(ただし、ある程度説明責任を満たしていたとして)、もしくは当人勘違いが原因となれば、本来あると思い込んでいた当日入場できる権利は行き過ぎた要求になります

それでもなお要求が続く場合は、今度は過剰な要求に対する対応へとシフトすることができるようになるわけです。

ただ、今回の件に限っては、何故入場制限必要なのかというポイントに対する説明も不足しているように感じられました。

ここにも原因に対する勘違いがありそうなので、説明があると解決が早まったように思えます

お客様に快適に楽しんでいただくために、一切の例外を作らず対応させて頂いております

「これだけの混雑ですので、小さいお子様をお連れの場合であればむしろ入場をすすめることはできません」

警察から指導のもと、パーク内でのお客様安全を優先することが義務付けられています

「何かしらトラブルが発生してしまえば、今後さらに厳しく入場制限を設ける必要が発生してしまます」などなど。

実情は知りませんが、あくまサービス提供側の都合ではなく、お客様のためにあるルールであることが伝わると良いのだと思います

さて、今回に限っては、当人を後に引けなくさせるもう一つの要因がありました。

もしここまでにこの要因を見抜けた人は、クレーム対応においてかなりの才能があるといっていいと思っています

それは、家族存在です。

もし、本人だけであれば、この方はこれほどまでに食い下がることはなかったかもしれません。

人知れず一人で恥をかいたならば、こっそりと身を引くことは容易いからです。

しかし、今回はこのまま引き下がれば、家族の前で大きな恥をかいしまうことになります

文章の内容から見るに、そのことは彼の中で絶対に許されるべきことではなかったのでしょう。

例えばここで、パークの説明員(しかもそれなりの責任がある人物)が、家族の前に立ち、説明不足を謝罪していたら解決はもっと早まったかもしれません。

なぜなら、それによって自分の力で謝罪させたという男性メンツが保たれるからです。

こうした相手が引き下がれなくなった理由を素早く見つける能力は、クレーム対応において非常に優れた能力であるといえます

まとめるとこんな感じです。

・先方の主張する被害要求にこだわってはいけない

ヒアリングから原因を読み解き、全てを聞き出した上で間違っていれば正しい原因へと導く

・正しい原因から被害に対する誤解を説明し、適正な被害とそれに対する解決策を提示する

・この時、相手がなお元の要求にこだわる場合、過度な要求として態度を改める必要がある(第三者が介入した時に有利になる)

・相手の要求を断る理由勘違いがあれば、その部分も解決する

・一連の内容以外、相手が引き下がれなくなっている理由があれば、察知して解決策を提案する

ルールを主張する場合、それは運営側の都合ではなく、あくまお客様権利を守るためであることを前提として説明する

当然実際のクレームは、簡単にフローチャートでわけられるようなものではありません。

しかし、こじれてしま理由ほとんどは、原因を共有しようとせず被害要求にこだわってしまっていることも事実です。

クレームを訴える側は要求が正当だと信じ、クレーム対応する側はクレームが不当だと戦うことになってしまうわけです。

そんな平行線議論をいやというほど見てきたはずです。

被害責任がどこにあるか。それによって相手の要求がどこまで現実的であるか。

クレームの解決において、両者がその部分をどこまで正しく共有できるかが最も重要ポイントといっていいと断言できます

尚、クレーマー要求を通すための常套手段に次のようなものがあります

・解決にかかった時間をどうするつもりだ。

・次の予定までに時間がないのだから、すぐに判断しろ

今回も数時間無駄にしたことが言及されていましたが、全てとは言いませんがこれらの都合は先方にあります

諦めなかったのは先方ですし、予定があるのも先方の都合です。

それによってクレームを受ける側が態度を変える必要はありません。

そんな要求に屈することなく、勇気を持って毅然対応してもらいたいと思います


蛇足ですが、例えば今回の例に限っては、後日利用できる日付確定型の入場チケットに変えることが妥当なところではないかなと思いました。

さて、運営側として読まれる方も多いかと思うのでここで忠告を一つ。

ルール約束。破れば信用を失います

クレームを解決するにあたって、ルールを主張することは大切なことです。

しかし、解決を優先するあまりにその都度ルールを変えてしまうようでは、それだけ信用を失うことを意味しています

クレーム対応組織を成長させるものとして、不明瞭な部分を明確にするために役立てるのがいいのではないでしょうか。

パチンコなんかで言うと理不尽要求なんて日常茶飯事なのですが、それが理不尽かどうかはその時点ではこちらの視点しかないわけです。

たとえそれがどんな要求であれ、まずは原因を紐解かずして解決はないと言えるのです。

2015-11-23

ミスコン批判」は正当に行われたか

 京大ミスミスターコンテスト2015がTwitter上で盛んに行われた批判(と一部中傷)により中止に追い込まれた。私自身は京大生でもジェンダー論界隈の人間でもないのだが、この過程を見ていて多くの疑問を感じたので、ここにまとめていく。別にミスコン批判について詳しく解説する記事ではないので、そのようなものを期待していたなら別に読まなくていい。

京大ミスミスターコンテスト2015の問題点まとめ」を振り返る

http://togetter.com/li/903456

 基本的にはこのtogetterに沿って発言していく。ミスコン批判者側のパースペクティヴがわかりやすく整理された良いまとめであると思う。最初に断っておくが、私はミスコンをやめさせることには賛成であり、その意味ミスコン批判者側であるミスコンを開催するようなやつらは大抵が最も憎むべきタイプキモい人間であるしかし今回、ミスコン開催反対派としていち早くステートメントを出していた人々の持つある決定的な傾向が私にはないと感じたので、普通意味でのミスコン批判を〈ミスコン批判〉と呼び、この記事で疑問を投げかける対象となるものを「ミスコン批判」と呼ぶことにしよう。

 注意しなければならないのは、私は「ミスコン批判」者に敵意は全くない、ということだ。ミスコンを中止に追いやったこと、ただその一点に関しては全面的肯定したい。この記事特定の人々に対する人格攻撃に見えたのなら先に謝罪しておこう。申し訳ない。私が考えたことのどこが間違っているのかをわかりやすく教えてくれるひとが現れれば、私は満足だ。

 11月16日に「京大ミスミスターコンテスト」なるアカウントが取り上げられたことから騒動は始まる(アカウント作成自体7月のようである)。

【開催】本日より京大ミスミスターコンテストを開催します!???????? 11/29まで1日1回投票を受け付けております????是非サイトをCHECKしてみて下さい????✨ ▶︎http://www.missmisterkyoto.com/

https://twitter.com/kyotomissmr/status/666089786373877761

 これまでに何度かミスコンに関し議論が繰り広げられてきた(そして開催を阻止してきた)京大でのミスコン開催がこの時点で全くと言っていいほど問題視されていなかったという事態を重く見たひでシス氏らは、「京大ミスミスターコンテスト2015の問題点まとめ」なる文書の公開及びミスコン運営団体に対する公開質問状の提出を実行した。

京大ミスミスターコンテスト2015の問題点まとめ」草案 です。気が付いた点があれば自由コメント編集をしてください。 https://t.co/ZZeaWzn81b

https://twitter.com/hidesys/status/666153853885247488

.@kyotomissmr 京大ミスミスターコンテスト京大ミスコン)に対して公開質問状送りました。https://t.co/ENgjjDZwvk 多くの京大生たちが貴団体コンテストについて違和感・疑問点を抱いています生産的な対話となることを期待し、誠実な回答を希望します。

https://twitter.com/hidesys/status/666567472485695488

 正直に言うと私にはこの公開質問状意味がわからない。大学当局主催ならまだしも、単なるひとつ学生団体企業が関わっているかどうかは本質的問題ではない)にこのような物々しい文書を送りつけても「一部のTwitterユーザー臨場感提供できる」ことくらいしか得られないだろう。

今回、貴団体が「京大ミスミスターコンテスト」をWeb上で開催していることを知りました。しかし、私はこのコンテストにどこか違和感を覚えざるを得ませんでした。それは、これまで京大において積み重ねられてきた、ミスコン開催を巡る歴史議論をまったく軽視しているように思えたからです。

 「これまでのミスコン開催を巡る歴史議論を軽視している」のは当たり前ではないか? そんな歴史議論認知している学生がいったどれ程いるというのだろうか。私が部外者であるから知らないだけでほんとうは多くの京大生――あくまでも「当時の」――がミスコン問題認知している、という可能性もあるが、そもそも前回類似問題が取り沙汰されたのが2012年(なんと3年も前である! 当時の2回生留年・休学あるいは大学院進学していなければもういない)らしいということからも明らかであろう(そしてあなた京大生ならば、2012年から2015年にかけてあなたフォロー欄にどれだけの変化があったか考えてみてほしい)。2012年ミスコン問題について調べたところ今回のものとは異なる質の問題だとも感じたので、実質2004年まで遡って議論を追っていく必要がある。Twitter存在しない時代じゃないか。突然「これまでのミスコン開催を巡る歴史議論」などと言われても混乱するだけだ。

今回議論に参加したわれわれ京大生の多くは本コンテストの開催を知りませんでした。京大名前を冠しているにも関わらず、京大生への認知不足に不信感を感じる覚える意見が多く出たのは事実です。「大部分の京大生の知らぬ間に京大ミスミスターコンテストを開催し既成事実を作ろうとしたのではないか」等の疑問点や不満を持っている方が多くいますミスコン開催容認派からもこのような声は聞かれました。本コンテストの告知をどのように行ったか具体的にご回答下さい。

 これは単なる団体の体力の問題だろう。7月アカウントを作り、9日間でフォロワーを300人まで増やし、ビラも配っていたのに「知らぬ間に」などと責めたてるのはちょっと厳しすぎる。普通にかわいそう。「京大」名義の使用には許可必要という話は置いておくとして、京大名前を冠しているかどうかは本質的重要な要素なのだろうか。逆に、誰の目から見ても十分な告知が成されたところで京大名前を冠しても良いと言えるのだろうか。ところで私の大学ミスコンも毎年知らぬ間に終わっている。あれが外見至上主義的だなんて思ったこともない(し無自覚に外見至上主義を推奨しているようにも見えない)。

「知と美の狂演」とWebサイトには書かれていました。コンテスト開催の意図を教えて下さい。

 「美」のほうには噛みつくのに「知」のほうには噛みつかない理由についてひでシス氏は以下のようにツイートしている。

ちなみに「人を社会的容姿で順序付けることはよくない」と考えている人たち、その理論論理力という権力勾配に乗って展開されてること、人を学力で順序付けることに関してはどう考えてるのだろう。ぼくは「学力による順序付けは生産性向上を通じて人類幸福に影響する」で一応決着つけてるんだけど

https://twitter.com/hidesys/status/667511609619841025

 故にこの批判の核、と言うか土台は、ガッチガチ功利主義であることが明らかとなった。「普遍的道徳が前提とされていて、それに従っている」というわけではないらしい(「ミスコン批判」者の中には功利道徳混同が見られるステートメントを提出する者が多く見られた)。功利に基づく批判ホリィ・セン氏の以下のツイートの後半と衝突する。

容姿」という価値基準絶対化してしまった世界――「顔という牢獄」――からの逃げ場はあるべきで、京大はその逃げ場を担っていると思う。もし京大ミスコンを許してしまったら、他大学も「右にならえ」でしょうよ。ある種の「多様性の維持」のためにもミスコンは阻止しなきゃならん。マジで

https://twitter.com/holysen/status/666300727346618368

 〈ミスコン批判〉とは「多様性の維持」のためにミスコンを阻止しようという運動であるという側面を持つ、ということか。「功利」という価値基準絶対化してしまった世界――「ユーティリティという牢獄」――からの逃げ場もあるべきである。もし京大功利主義を許してしまったら、他大学も「右にならえ」でしょうよ。ある種の「多様性の維持」のためにも功利主義には断固として抵抗しなきゃならん。マジで

今回気になったのは、そういった少しでもマシな社会を引き寄せるための泥臭い活動を、シニカルを装って冷笑したりこのヒドい現状をさも世の中の真理のように説いたりする言説があったことですかね。「たしかおかしいとは思うが仕方ない」と言った瞬間に少しでもマシな社会は手から離れていってしま

https://twitter.com/hidesys/status/667449023977123840

 良い社会を実現するためには何をやってもいいのだろうか。功利主義的には良いんだけど。社会的に悪い影響を与えるというただその一点だけを根拠にして、単なる一つの企画弾圧することを手放しで称賛するような風潮を放置しているとさらにとんでもないことになるのは火を見るより明らかであろう。正当かつ普遍的理由で反対していないのだから、中止の時点で追及はやめるべきである

 先程のホリィ・セン氏のツイートに従うなら、今回のミスコン功利主義的に弾圧することは避けるべきなのだホリィ・セン氏のツイートそれ自体京大における 「多様性の維持」という価値基準絶対化してしまった世界――「ダイバーシティという牢獄」――を象徴してしまっているのが残念ではあるが。

 さて、公開質問状に戻ろう。

a. 容姿による人間の順序付けという行為についてどういった意見を持っていますか?

 突然「容姿による人間の順序付け」というワードが出てきたが、ミスコンと何の関係があるんだ? そもそも「ミスコン」と「容姿」の間に直接的な関係はあるのだろうか。これらの間接的・結果的な「つながり」がこの一文によって再生産されている、ただそれだけである

c. 所謂女性らしさ」や「男性らしさ」の押し付けに繋がることについてどういった意見を持っていますか?

大学という本来容姿や性で判断されてはならない場でこういった企画を行うことは問題だ。という意見が寄せられています

ミスミスターコンテストは、ほとんど容姿判断されるコンテストと言って過言ではなく、そういったコンテストを男女で分けて行い、女性男性)同士を比べてその中で1番を決めると、「この人が女性男性)の中で1番」という「基準」が生まれしまう。その「基準」は女性男性)らしさの押し付けに繋がっているという意見が出ました。

 同上。直接的には繋がらない。最初からルッキズムが浸透していることを仮定しており、本末転倒である。また、ミスコンときが出場者以外への特定価値基準の「押し付け」に繋がるとは到底思えない。

 公開質問状についての主要な議題は以上である。この質問状とTwitterでの制御の効かなくなった批判中傷によりミスコンは中止となった。

今回のコンテストの中止を決定いたしましたのでご報告いたします。

詳細につきましては、ホームページにてご確認ください。

お騒がせ致しまして申し訳ございませんでした。

http://www.missmisterkyoto.com/

https://twitter.com/kyotomissmr/status/667328501154844673

 中止についてのtogetterでのコメントはこうだ。

中止の決定の後4時間ほどで公開質問状に対する回答が送られてきた。ただ多くの質問説明責任がないとして回答しないもので、不誠実だと感じられた。

 説明責任はない。どうして説明責任があると思ったのだろう。純粋に、不思議だ。

京大ミスコン問題2015の公開質問状に対して回答が得られたので、議論用のDocsと総括用Docs作成しました。ご自由コメント編集下さい。 回答と議論https://docs.google.com/document/d/1BybFd2Th2NzTMQ3AK76kTrVjxB7S0jkMBSjVKGdQ4oE/edit 総括とこれからhttps://docs.google.com/document/d/1L8bcokWX-gEHD0ecqT8UC_NyDBrboPULl3TSlZewjY4/edit

https://twitter.com/hidesys/status/667397142751911936

 また、以下のような危うい意見もあった。

ミスコンの基盤となる差別的価値観日常模倣で、「ミスコン」はステージだけでなく日常で行われ続けているという事を認識してたら、一つ企画が中止になったところで「勝利」なんて言えないと思うけど。。ミスコン反対もクエストになってどうすんの。 >京大ミスコンクエスト

https://twitter.com/mearythindong/status/667393567006965760

 このような発言をすることによって差別的価値観再生産し続けると永遠に闘い続けなきゃいけなくなりますよ、としか言いようがない。自足自給はやめましょう。

ちなみに言っておきますけど、ミスコン内包している問題構造日常の中に浸透しているからこそ今回ミスコンミスコンとして具現化した・言い換えるならばミスコン日常的にも起きている、というのはその通り。

https://twitter.com/hidesys/status/667443372475424770

 同上。

京大生、変人を気取っていても不義不正は許せないモラリストが多いんだなあという感じだ

https://twitter.com/KTPGR/status/667357996343648256

 moralistよりもethicistになりましょう。そして自分たちがやったことについてもう一度よく考え直してみましょう。

 以上、眠くなってきて最後の方はテキトーになっているが、ここで終わろう。言葉をうまく選べているか不安だが、最初に述べた通り、攻撃意思はない。

2015-11-13

京速コンピューターをなぜつくるのか?

スパコンとは

精密計算科学/数値シミュレーションを行う研究者達にとっての基本インフラです。

10単位で計画されているもので、鉄道電気と同様に、

突然なくなると大変な事態になる事はどうか把握しておいてください。

スパコンを使っている人

一般企業

残念ながら京速を使っている企業は公開されていないようですが、

地球シミュレーターの利用企業からなんとなく推測できます平成23年度まで常連だったトヨタ住友などが京速稼働以降姿を消していますスカラーマシン適応した計算京速に移行したカンジでしょうか。

基本的に有料で使用されており、得られた結果は企業秘密として扱われ公開されません。

(追記:

京速ではなく HPCI ですがこちら産業利用をクリックすると論文リストが見れるようです。参考までに)

大学研究所研究者

一般に、スパコンでは年1~2回の公募があり、そこに申請します。研究者向けに言うと「科研費めっちゃ厳しい版」です。審査書類プロポーザル)とプレゼンです。ライバルが顔を合わせて殺し合うので厳しいし怖いです。

京の場合特に競争が激しく、新学術を通すような大御所達がボコボコ落とされた事で一部で話題になりました。研究者同士で競争し合い勝ち残った一握りのエリート京速を使っているのだということは理解しておいてください。政治家に叩かれるまでもなく、研究者同士で常に科学文脈議論し、叩き合っています

ちなみにとある blogで「京速は何に使うか決まっていない」と叩かれたようですが、これは公募が出る前の話なので当たり前です。

なぜ国産マシンを作るのか? 輸入すればいいのでは?

京の目的は多数あるのですが、まずは

ということを押さえて以下を読んでください。

お金もったいない

日本で作ろう」というひとたちは「日本から出て行くお金」(貿易赤字)について気にしています。一方「輸入しろという人」は「政府から出て行くお金」(国の借金)を気にしています。前者は企業経済産業省の人たちで、後者財務省もしくは「国民目線」ですね。

技術継承

かつて日本スパコンを作り、シェア斡旋して来た技術者達はまだ生きています

彼らが引退する前に若手に技術継承をすることが京速目的ひとつです。

(実は戦後航空機技術継承を巡って同様のプロジェクトがあったのですがこちらは失敗しています・・)

戦略資源として

しか外務省かなんかから要請だったとおもいます(忘れた)。

戦略資源」という意味がわからなかったので人に聞いたところによると

何があっても戦争に巻き込まれないため、いざというときには日本スパコンを作れるようにしておきたい、といったかんじのことを説明されました。

日本各地に備蓄してある水とか石油とかと同じ扱いという事ですかね。

こちらの要請は上の「技術継承」と関連しています


(追記:

   要は日本産業ダメージを与えるにはスパコン攻撃すれば良いという状況になっていて(関連企業はこんなかんじ)

  「日本にはスパコン売ってやらねー」とやられることを恐れているようでした。誤解を生んですみません


研究者は京でどのような成果をだしているの?

企業研究基本的に公開されないようです。大学研究

などで一部が公開されています

それから研究グループ毎に web ページをつくり広報しているのですが、

はっきりいうと、関わっている研究グループが多すぎてまとめ切る事は不可能だと思います

研究者説明責任がなってない!

京速は毎年大量の一般向けイベントを開いています

今月も7個くらいあるんでどうぞ行ってみてください。



京速高すぎない?

それは日立富士通の人が一番そう思っていると思います

政府が全額出すのではなく、企業と半分ずつ費用を出し合うからです。

1から開発するのは大変なんでしょうね・・

ベクトル型とスカラー型で揉めたのは?

ベクトル型に適した研究分野と、スカラーに適した研究分野があります

前者は主に流体計算のようです。例えば気象海洋宇宙分野とか製品開発における空気抵抗の計算など。

後者はその他いろいろです。例えば素粒子の格子QCDトヨタ物理シミュレーションなんかはおそらくこっちでもいいのでしょう。ここで


という状況があります利用者を集めて京に関する議論があったのですが

ベクトル派「ベクトルマシンがなくなってきた。こんなときこそ国に作ってもらわないと。スカラーは話にならない」

スカラー派「ベクターは高いし流行遅れだし富士通ベクトル型と心中させるの?ベクトル派はGPUでも使ってろよ」

といったカンジで大揉めしました。このあといろいろあったのですが最終的にスカラー派は京速で、ベクトル派は地球シミュレーターでと住み分けているようです。

なんでGPUにしなかったの?

当時のGPUは「良く間違える上に、間違えたかどうかチェック出来ない」精密科学計算にはちょっと使えない代物でした(当時の話です)。東工大TSUBAMEがありましたが、あれは「GPUすごい」というより、「松岡さんスゴイ」なのではないかと思います

自民が〜 民主が〜

最終的に民主仕分け撤回しましたし、今回のやつも「予算の削減努力を」という提言であってスパコン自体仕分けられたわけではありません。そして企業側も削減したいとは思っているはずなのでたぶん誰も困らないはず。困るのはこの手のニュース陰謀論を流され、国民の誤解を招く事です。(どうも政治が絡むと陰謀論が流れやすいようです)前回ひどい陰謀論を流されたのでちょっと警戒しています自民民主も両方かばたからね!喧嘩しないでね!

以上、大昔のことでうろ覚えですがこの辺で・・・

なんかまちがってたらごめんね

(追記)

すみません、一部誤解を生む文を削除しました。

京や地球シミュレーターといったスパコンでは

があります競争が激しかったのは無料コースの重点課題であり、有料コースはいつでも受け付けているはずです。

TSUBAME無料コースが以前までなかった、あってもハードルが高い 有料で使うには(僕の分野の計算性質上)ちょっと気軽に申し込める値段じゃなかった、ということです。TSUBAMEの有料コースが特に高いというわけではありません。

誤解を生んですみません



以下個人的コメント



azure-frogs『世界一になる理由説明できるようにしてください』という問いには最低限でこの程度の説明必要なのに、例の仕分け当日に出てきた答えは『夢』だったわけでw


この記事民主党批判意図はありませんし、また、あのときスパコン批判した人たちを決して馬鹿しません。

あの仕分けを見ていたなら当然そうですよね。どうもすみません

ところで上記の内容は、報道関係者向けに開かれた討論会の内容の一部です。仕分け直後に研究者達が企画したものです。

そこでの内容は結局、どこにも報道される事はありませんでした。そもそも報道関係者は2、3人しか来ませんでした・・

科学技術に関する真面目な話は報道されにくいです。

なので大変お手数なのですが、スパコンについて知って頂くには、各地で開催される一般公開講演会に足を運んで頂くしかありません。

申し訳ありません。

ROYGB税金で作る必要性はあるのかな。

うーん・・企業毎にスパコン外国から購入するということですか? どうでしょう・・・

スパコンを「購入する」といっても完成した製品がポンと来るわけではありません。

その場で組み立てて、バグ取りとかテストとか利用者も一緒になって手伝います。(一個ずつ基盤抜いてチェックとかも・・)バグ取りとチューニングでだいたい1年くらいかかりますスパコン管理者も知識と技術を求められるのでどの企業にもできるというわけではないのかもしれません。一応、その辺りのスパコン利用リテラシー企業の人たちに教えるというのも京速目的の一つだったかと思います

一方、素粒子宇宙研究者達は基盤Sなど取得して PACSシリーズGRAPEシリーズを作ってきたので国策スパコンがなくなったら以前のように独自開発に戻るのだとおもいます。たぶん一番影響を受けるのは一般企業です。


komochishisyamoその辺は多分判ってる気がする。問題は1100億超、次はもっと掛かるという費用に対する説明の方なのでは?誰もスパコン要らないとは言ってないわけだし。


僕はあくま利用者のひとりであってスパコン開発はド素人です。なのできちんとお答えできません・・すみません

ところでスパコンの開発費はほぼ人件費です。新しいものを作るので開発期間の検討をつけるのはなかなか難しいのではないかと素人目にも思います。だいたい計画通りにいかなくてずるずる開発期間が延びた結果開発費が・・・というのはよくある話ですよね。

京速コンピュータは計画当初から確か10年ほどかけてつくられたので、110億を富士通技術者の平均年収割れば、関わった人数が概算できるかもしれませんね?

yum1271 人件費のみで、年収750万の専門技術者が1400人で10年開発=1050億円。末端まで含めて1400人は少ない気がする。あと人件費以外もかなり掛かるはず

そうなのですか・・適当な事を書いてすみません

HarnoncourtHarnoncourt費用年収ではなく人月単価計算すべき。1人月80万~マネージャで200万くらいです。この単価は、昔からまり変わりません(汗)。スキル低い新人だと1人月60万くらいになりますが、そんな奴を連れてくるなと。

まさか専門家さんですか! どうもありがとうございます

gaudere 80年台に日本勢がシェアを「独占」していた、というのはちょっと無理があるのでは。もちろん、存在感はいまよりずっとあったけど。その頃の人がまだ残ってるのはその通り(定年間近だけど)。

どうもありがとうございますちょっとかき直しました。

日米スパコン貿易摩擦イメージが強すぎて誤解していました。すみません

他にも間違いがありましたらご指摘いただけたら嬉しいです。


bhikkhuなんか食料安全保障みたいな話になってる。結局は技術的に負けてる産業に国が補助金出すって話と理解していいんですかね。

えーと、僕はスパコン開発は素人なのでわかりませんが、

コンピュータは完成時に実行効率90%越えの化け物みたいな数字(本当にスカラー?!)をだしてTOP500 1位とって、多数の賞を獲得してたので国産スパコンプロジェクトとしては大成功だったように僕には見えました。あれだけあれば宣伝になるし売れたのでは?関係者じゃないのでわかりませんが。

filinionfilinionムーアの法則21世紀にあってさえ、計算機資源ってそんなに足りてないものなのか…。実用であるなら、コスト効果ベストなあたりを何台も作る、というわけにはいかないんだろうか。一位でなきゃだめなの?

すみません、誤解を生んだようです。スパコンは京以外にもたくさんあります

自身は京コンピュータと全く関わりのない人間ですが、他のスパコンアカウントはありますし、計算時間も頂いています

もし、京を潰したら現在京をつかっている人たちが他のスパコンを使い始めるでしょう。そうしたら僕のような末端の使えるスパコンは無くなってしまうかもしれません。京も含めて分野全体の計算資源の計画がなされているので突然無くなると困るという事です。


主に京が叩かれているのは「なんで日本スパコン作るの?海外の買えば安いのに」というものなので

その辺りに焦点を絞って説明したつもりなのですが難しいですね・・・

わかりにくい文章すみません

トラバ

http://anond.hatelabo.jp/20151113183705

その記事をみると河野さんが真面目にやっていることが伝わってきますね。悪い人ではないのでしょう。

でも難しいですね・・・自身仕分けで上手く説明できる気がしません。

根拠のない数字」とはおそらく経済効果のことですよね。一番経済効果があるのは一般企業製品開発なのですが、

基本的スパコン計算結果は企業秘密になっているはずです(京の企業利用はよくわからないのですが、地球シミュレーターに習うとそのはずです)。公開されているのは無料利用した基礎研究で、こちらの経済効果はどうしても妄想になってしま・・・

車よりも電車を例にとった方がいいかもしれません。

大勢の人が関わりすぎて把握できないのが難しさの原因の一つだからです。

中韓高速鉄道ダンピング競争の果てにJR赤字になり、鉄道撤退を表明しました。

日本政府が「半分出すから続けてくれ」とJRに頼む。すると「何で税金出すの?どのくらい経済に影響があるの?」と問われる。でも JR国土交通省も答えられない。各企業に表明してもらうしかない。

といったカンジですかね。 選択肢は、割り切って外国に頼むか、税金投入してでも鉄道支えるか、です。

2015-09-22

説明責任を果たせという人々

そもそも、

理解する気があるか?

・聞く(聴く)気があるか?

・調べる気があるか?

池上彰教養番組跋扈している世の中の弊害だよね

2015-09-12

ユニオン執行委員の人がフランチャイズで働いたこと無いはともかくフランチャイズ無知なのはまずいと思う

フランチャイズで働いたこと有る人だったら、この発言猛烈に違和感あるんじゃないかと思う。

あのね、私ほんとに文章書くのへただから説明できないんだけど

もう自分感覚として、この人の言い分は明らかに現場感覚が違う!って言いたい。それだけわかってほしい。

フランチャイズのことを知らずに言ってるならちゃんと勉強してください。 わかっててこういう発言してるなら、短絡的な煽りしか見えませんのでもっと慎重にはつげんしてください。 いずれにしても、ユニオン執行委員という肩書の人の発言として非常に問題があると思います。ふざけんなって思いました。 




この発言RTしてわーわー騒いでる人も気をつけて欲しいです。

他の人がどの程度フランチャイズについて知ってるのかからまずわからないので何を言えばいいのかすらわかんないんだけど

ほかの人どうだろうか。この発言妥当だと思うのだろうか? だとしたら、フランチャイズのこと知らなさすぎだと思います

たぶん誰かがちゃんと説明してくれるから、それ読むまでは、あなたたちの間違った感覚であーだこーだ言わないでほしいです。

洪水の時に日本テレビ批判してたバカな人たちと同じことになりますよ。

ツイッターバカ発見器ってよく言われますけど、あれはバカ発見器じゃなくてバカ発言製造機です。馴染みのない世界話題になった時は誰でもド素人です。そのド素人が思ったことを率直に喋ればだれだってバカ発言しますよ。 そういう時に思ったことを自制できない人がバカだっていえばそうなんですけど。上で言ったような点がそもそもわからないひとは、何言っても馬鹿発言しかなりませんよ。

スーパーバイザーなんて、「店舗運営指導」なんて聞こえはいいけど、実際にやってることはただ本部方針にしたがってルートセールスと、苦情係さんでしかなくて、オーナーに向かって経営に関する話をできるような人ってよほど優秀じゃないと無理だと思うんだよね。

コンビニ店舗だけ運営してる零細フランチャイジーイメージとかで考えちゃ駄目だよ。例えばさ。フランチャイジー側が上場企業だったりすることって結構あるんだよね。 そういう企業オーナーに、本部からってただのペーペースーパーバイザーが何か言えるわけないよね。

フランチャイズと、オーナーの力関係だけれど、確かにフランチャイズ側が圧倒的に強い麺もある。でも現場では圧倒的にオーナー側だよ。今回で言えば「DWE JAPAN」って会社ね。

他にもいっぱい説明しないといけないことがあるんだけど私には無理だから他の人お願いします。わたしほんとうに文章へただからごめんね。


ああ、やっぱり誤解されてる。擁護するつもりなんて全く無いんですよ。叩くなとか言ってないですよ。

ブコメした人はどうせ勘違いしてるんだろうけど私は本部側の人間じゃなくて、フランチャイジー側で雇われてる人間です。

いつも本部には不満がある側です。だから変わっていって欲しいと思ってるくらいなの。

オーナーも、本部問題あるんですけど、正しく理解してる人が正確に批判してって言いたかっただけなんですよ。

でも、あなた達みたいに何もわからないで問題とずれたところで騒ぐ人がいたら、うやむやになって終わってしまうから迷惑からやめてくださいって言ってるんです。でも、私じゃ説明無理だから、ちゃんと説明してくれる人を待ってっていいたかっただけなのに。

少なくとも私は上の発言をしたようなユニオンの人が船頭やってる場合、もうちょっと慎重になってほしいって思ってます

私の文章が下手で誠実さがないのはいくら叩いてもいいから、そこだけはわかってほしいのです。

2015-07-21

「裸の総理だ」とか「独裁だ」とか言うくせに

どこがどう「裸の総理」なのか、

手続き上のどこが「独裁」なのかは一切説明しない反対派の方々。

総理には国民に分かりやすく説明しろかいいながら、自分たち自分発言説明責任を負う気はないようだし。

今日曖昧抽象的で、根拠のない誹謗中傷を怒鳴りあげて街を練り歩くんだろうか。

そんな彼らの姿を見るたびに、大衆政治、愚衆政治に悲しみを覚えます

2015-07-05

http://anond.hatelabo.jp/20150705131547

じゃあ今通す法案について説明したり理解させる必要なんてないよね。

関心ある国民が多いなら、そも説明せずとも向こうから正否についておのおの理解してくれるはず。

説明責任はこれまでで何度もされてきたから改めてする必要もないよね。

やっぱり理解得られずとも強行採決なんて言わなくてもいいじゃん。アタリマエノコトなんだから

2015-06-11

酒鬼薔薇基地外だし、ヨメも大概だろう。


しか出版社は、そうはいかないだろう。

社会的に大きな事件だった。

その犯人の手記を発売し、主張を社会に流布し、金を儲けさせ、金を儲けた。

その一連の事象説明責任はあるだろう。


酒鬼薔薇と嫁は、まったく他人ごとのようなキレイ事の思い出話で、

金を儲けて、マンションの頭金にでもする気かもしれないが、世間はそうは許さない。


本当に懺悔気持ちがあれば、補償にまわすだろう。

出版社社会の公器として責任を果たせ。

出版社利益から、遺族に補償に回せ。


直接の遺族でなくても、怒りはある。

義憤社会正義は、まだある。

少なくとも太田出版は、社会の疑問に答える義務がある。

2015-06-03

http://anond.hatelabo.jp/20150603120108

条例自転車法が変わったのはいいけど、雨の日はどうすればいいの?

自転車通勤してる身としては一番気になってる。生憎施行から雨の日になってないので(昨日は夜降ったけど会社の雨合羽借りて帰ったものの)、雨の日になった時に、自転車ハンドル部分に傘差す傘立てを差しとけばいいのか、片手で傘持ったら危ないだろうから、片手差しはこれから全体的に減るとは思うけど、それもダメだとしたら、後は屋根タイプを購入するべきなのか、ちゃんと説明してくれないから違反カード切られた子も社内には多々いたようだしね。ここら辺の説明責任を確り果たして欲しいのだけれど、雨の日の自転車走行そのものを禁止し...

合羽←これ読めないの?

合羽借りて帰ったならそれでいいだろw何ムキになってんだこいつw

条例自転車法が変わったのはいいけど、雨の日はどうすればいいの?

自転車通勤してる身としては一番気になってる。

生憎施行から雨の日になってないので(昨日は夜降ったけど会社の雨合羽借りて帰ったものの)、

雨の日になった時に、自転車ハンドル部分に傘差す傘立てを差しとけばいいのか、

片手で傘持ったら危ないだろうから、片手差しはこれから全体的に減るとは思うけど、

それもダメだとしたら、後は屋根タイプを購入するべきなのか、

ちゃんと説明してくれないから違反カード切られた子も社内には多々いたようだしね。

ここら辺の説明責任を確り果たして欲しいのだけれど、

雨の日の自転車走行そのものを禁止してるというのなら、それこそちゃんと説明して欲しい。

何が良くて何が駄目かをね。

新しい法律を作るにあたって根気よく住民に説明する義務があるし、住民知る権利があるから

それさえすっぽかす様ならザル法と言わざるを得ない訳で。

2015-05-20

凍結精子の保管を病院家族に無断で中止したニュースに関して

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASH5J0DLMH5HPTIL03C.html

私は医者研究者です。この件について思うことを書きます中の人ではありません。

まず、この恣意的一方的病院側の過失を匂わせる見出しに納得できません。

しか一方的に破棄したような印象すら受けますが、実際には「管理が十分でない環境」だったとのことです。

ですが本文を書く記者タイトルを付ける担当者は違うという話も聞きましたので、

また病院家族との意思疎通と契約についても議論のあるところですが、

それは専門家に譲ることとしまして、今回は技術的なことに絞って書きます

精子液体窒素中で保存します。酵素活性がほぼ完全に失われ半永久的に保存できますが、10単位では部分的に失活していきます

液体窒素で満たされたタンク中にバイアルを保存するのですが、液体窒素は揮発するため定期的な補充が不可欠です。

液体窒素管理と補充は1年あたり10万円単位お金がかかります

1タンクに1,000本単位で保存できますので、バイアル数が多ければ単価は小さくなりますが、

それでも善意自動的に続けられるコストではありません。

液体窒素に次ぐ保存として超低温冷凍庫(ディープフリーザー商品名からレブコと呼ぶことも)があります

これは-80ºCですが、酵素活性を完全には抑制できないため細胞の保存だと3年程度が限界です。

多くの病院検査科に常備されていますので、ランニングコストとしてはほぼタダです。

勝手な予想ですが、精子の「管理が行き届かない状況」だったという部分からの推測するに、

研究プロジェクトが終わって移管の期限が設定された時点で、

精子液体窒素から超低温冷凍庫に移されたものと推測されます

「さんざん催促したけど取りに来ないが、捨てるわけにいかないし液体窒素継続は無理だからレブコに移しとっか」的な。

あるいは液体窒素管理補充ができていなかった可能性もないわけではないですが、普通は起こりえません。

液体窒素10年、その後で超低温冷蔵庫に2年と考えると、印象としては精子が起きるかどうか微妙なところですが、

今回は運悪くダメだったということでしょう。

ただ保存状態との因果関係証明できませんし(液体窒素中に10年の段階でダメだった可能性もある)、

理想的な保存条件でも10年以上となると誰も保証はできないと思います

家族には同情しますが、これで病院を責めるのは間違いです。

またこういった状況を十分に勘案せずに記事にした新聞社問題です。


追記・補記

私は医者患者関係とか説明責任については問題にしていません。

誤解があったなら究極的には説明する側(医者)の方が悪いんでしょう。

しか医療行為は確実性に乏しいサービスなので、

不幸な結果が必ずしも医療側の過失に起因するわけではないし、

やり場のない怒りや悲しみを理不尽にぶつけられることもあります

患者の悲しみや怒りはもちろん受け止めます

しかしながらそれをマスコミ拡散した結果の、

大衆の憤り」を受け止めるほどの責任は我々にはありません。

要点はあくまで、

1.「書類のような置いとくだけならタダ」のものを「無断で捨てた」みたいな論調は違うよ

2.今回の「直近2年の保存条件が悪かったこと」と「精子が失活してたこと」の因果関係すら科学的にはわからん

ということです。

不謹慎な例えとしては、

「催促しても取りにきてくれなかった冷凍牛肉を、冷凍庫がいっぱいだからチルドに置いといたら腐ってた」

さらに補足

私が「説明責任について問題しません」というのは、

病院側の対応問題がなかった」と主張したいわけではありません。

病院側と患者側で言い分が食い違っているので判断できないから、今回は置いておくとして、

技術的な側面と実務的な側面について誤解を解きたいということです。

説明責任については、もっと情報が揃ってから法律専門家議論すべきことです。

それでもこの技術的な側面だけである程度は病院側に同情的な実情もあるんじゃないかと思っています

また当然ながら政治思想問題ではなくて、朝日新聞からどうとか言いたいわけでもありません。

2015-05-02

千葉雅也のアンチエビデンス論について」について

10+1 web site|アンチ・エビデンス──90年代的ストリートの終焉と柑橘系の匂い|テンプラスワン・ウェブサイト

千葉雅也のアンチ・エビデンス論について(最終版) | しんかい37(山川賢一) | note

 最初リンクを「アンチエビデンス論」、二つめを「アンチアンチエビデンス論」と呼ぶことにする。もちろん、この文章アンチアンチアンチエビデンス論と呼ぶ必要はない。

 千葉雅也の「アンチエビデンス論」が出たとき個人的にはそれなりに楽しく読んだけれどその評価別にして、まあ批判は出るところでは出るだろうなとは思っていた。と思っていたらしんかい37氏が「怪文書」なんて比喩まで出してけなし始め、氏がまとめた批判が二つめの「アンチアンチエビデンス論」。(最終版)となっているのは、この文章はいくつかのバージョンが発表されたらしく、(完全版)を読んだつもりがまた新しいのに更新されたということのようだ。この調子で(究極版)とか(最終版・改)とか(帰ってきた完全版)とか出してみてはどうか。そんな正論はともかく、これから取り上げるのは後者の「アンチアンチエビデンス論」についての感想、とりわけその文体についての雑感である

 しんかい氏は、まず千葉の主張をこのように要約する。

千葉は論考の冒頭で、些末なことや自明なことにも過剰なまでに論拠や説明責任を求める態度をエビデンシャリズムと呼び、こうした態度が現代には蔓延している、と述べました。さらに、インターネットの普及した現代では、人はさまざまな行動の痕跡ネット上に残してしまます。そのため、人はエビデンシャリズムによる際限のないあら捜しにさらされてしまう。千葉によると、このエビデンシャリズムは、現代社会を窒息させるものなのです。

 そして、その上で読者にこう問いかける――

まずこの主張、みなさんはどう思われますか。率直に言って、最近になってそんな過剰にエビデンスを求められる息苦しい社会に移行した、という気もしないのですが。

 不思議なのは、ここで「そんな気がするかどうか」という「実感」についての話からこの論を始められる図太さ、というか、ふてぶてしさだ。過剰に説明責任を求める態度をエビデンシャリズムと呼び、それを批判する千葉の態度をアンチエビデンスと呼ぶなら、さらにそれを批判するしんかい氏の態度は、普通に連想すれば、説明責任擁護エビデンシャリズムの擁護となるだろう――そういう予感を持って、読者は、というか私は、読みはじめた。どのような根拠でもって(説明責任果たして)氏が主張を正当化していくか、それが私がいちばん期待していたことだ。もちろん「アンチアンチエビデンス論」の議論の射程は鋭く、こうした「実感」に訴える論法を手厳しく批判している。この論の最後

エビデンスを求めようとしなければ、人の思考個人的な実感のまわりをくるくると回るだけですし、明晰さが求められないなら、言葉をつき混ぜて一貫性があるかに錯覚させるような議論がいくらでも可能になってしまます

という風にして終わるのだ。仮に、しんかい氏の主張が〈個人的な実感のまわりをくるくると回る〉だけに留まらないと仮定すれば、〈そんな過剰にエビデンスを求められる息苦しい社会に移行した、という気もしない〉と主張するに値するほどの、根拠が示されるはずである――そう期待して読む私は、またすぐに裏切られる

しかに、インターネット上の失言が多くの人に拡散され批判される、ウェブ炎上という現象は近年目立つようになって来ました。エビデンシャリズムという概念は、そうした事柄をさしてもいるらしい。

実感に則さなくても、当てはまる事例があることはすぐに認めている。いったい、しんかい氏の「実感」を裏づけする根拠は、いつになったら出てくるのだろう? (「落ち着いてください!」と隣にいた貴婦人が言う。「まだほんの初めの方の十数行を読んだばかりじゃありませんか。議論は始まったばかりです。これから先も慎重に読み進めていけば、きっと〈個人的な実感〉なんかとは無縁の、素晴らしきエビデンスとやらに出逢えるはずですよ! さあ、続きを読んでください!」)

 さらに読み進めていくと、千葉文章引用したあと、しんかい氏はこのように述べている。

このくだりを読むと、今の企業ではどんどんマニュアル化(「機械的、事務的処理を行き渡らせることで、非定型的な判断の機会を限りなく排除」)が進んでいて、ロボットのようにふるまうだけで給料がもらえる状況になってきている、といっているように思えます。えっ、世の中そんな風になってますかね。フリーターならともかく、現在でも正社員ともなればみなさんいろいろな判断要求されていると思いますけど。むしろ日本では長い不況のせいで、高度な「ケース・バイ・ケースの判断」の判断要求される仕事が、しばしばアルバイト待遇になっている気さえします。

 「思えます」! 「思います」! 「気さえします」! 実感に訴える主張のオンパレード! 「フリーターならともかく」――どのような根拠でこの要素を除外したのか? 「長い不況のせいで」――いったいいつからいつまでのことなのか? こんなにも曖昧表現で何が指し示せるというのか? 「高度な「ケース・バイ・ケースの判断」の判断要求される仕事が、しばしばアルバイト待遇になっている」――さっき例から排除されたフリーターはこの例には含まれないのだろうか? 確かに最初の例のフリーターが、元からアルバイトなんかしていなかったのなら辻褄は通るけれど……ところで、引用されている千葉文章は〈企業で、行政で、大学で。社会のいたるところで〉といった範囲の広いものであるのに、しんかい氏は勝手企業だけの話にすり替えているし、しか千葉文章に〈給料〉という言葉はひとことも出ていない。

マニュアル化が仮に進んでいるとしても、それは効率化のためであって「個人の責任回避」するためじゃないでしょう。企業に、各社員責任をいちいち回避させてあげるインセンティヴなんてありませんから

 なぜ「効率化のため」という目的だけに話を限定できたのだろう? もし仮に、企業(そもそもなぜ企業だけの話になったのか? しんかい氏がそうすり替えたからの話でしかないのではないか?)が、しんかい氏の思いつきによる目的で動いているとしても、そうすれば、そもそも前段のマニュアル化が進んでいることを否定するような数々の圧倒的「実感」とはいったい何のために書かれたというのか? これらは全てただの思いつきで、論旨を整えずにただ手当たり次第に条件反射的に反発してみただけのことで、最初から根拠なんかなかったのだろうか? 〈千葉はその不明瞭な文体のせいで不評を浴びたわけですが〉と、その次の「不明瞭な文体について」の章で氏は書いているが、確かにしんかい氏の文体千葉に比べればまったくもって明瞭ではある。場面ごとに言いたいことは分かる。ただ、自身の主張に対する根拠ほとんど書かれていなくて、全体を繋げると辻褄が合わないというだけのことだ。しかし、最初から言葉をつき混ぜて一貫性があるかに錯覚させるような議論〉がしたいのならともかく、アンチアンチエビデンス論としては、これは致命的なことではないのだろうか?

 この後も、しんかい氏は「アンチエビデンス」的な、説明責任を果たさず、ただの思いつきで主張を言いっぱなしにするだけの批評を展開している。

ぼくもひどい評論ハンターとしていろいろひどい評論を読んできたわけですが、この手の文章を書く人って粘土細工作るみたいな思考回路評論というものを考えてるんですよね。思考論理によってつなげようとするのではなく、とにかくぐちゃぐちゃつき混ぜてれば一体になるにちがいない、という信念に導かれている。

この手の人は、どうやら混ざっている粘土の種類が多ければ多いほど強い、と錯覚している節もあって、批判されるとすぐ、もっと勉強してくださいとか文脈を読んでくださいと言い出す。見ろ!こんなに多くの粘土を混ぜているんだぞ!このすごさがわからないのは、お前が粘土の種類にくわしくないからだ!というわけ。一般社会には通じない理屈ですが、文壇アカデミズムには粘土細工愛好家が一定数いて、ほう見事なマーブル模様ですのうと褒め称えたりするので、彼らの自信はますます高まっていくのです。

 対象になる文章に「粘土細工」という比喩を与えて、その粘土細工のイメージ攻撃する。ありがちな比喩の乱用だが、このあとソーカルによって批判される「科学数学」の乱用に比べれば、反証のしようがないために、確かに優れた方法ではある。

ただし、いまや世界的に、ドゥルーズ的な文体にたいする風当たりはかつてより強くなりました。

 これなどはまだいい方で、一冊の参考文献が提示されている。そのピーターバリーによる教科書引用部分だけで、どうして「世界的」な思潮についてここまで断定的なことが言い切れるのかはさっぱり分からない。

バリーが述べていたように、いまや世界的に「詩的に書く自由」は認められなくなってきたわけですが、じつは、そうした変化を引き起こしたのは、一冊の本でした。二人の物理学者アラン・ソーカルとジャン・ブリクモンの共著『知の欺瞞』。そしてこの本が刊行されたのは、九七年のことなのです。

 また「世界的」なことを一冊の本だけで理解している。しんかい氏は〈千葉が、九〇年代エビデンシャリズムからいまだ自由時代だったと称えている〉ことと、ソーカルの影響によってポストモダニスト難解な記述スタイルに〈致命傷を与えた〉話を、そのまま繋げている。〈それを踏まえると、〇〇年代以降エビデンシャリズムが強まっていったという千葉の主張と、見事に合致します〉。……。時系列ごとに並べると、受験生に嬉しい真っ白な年表ができそうだ。これも千葉世代論に比べると、中身をスカスカに抜いたからとはいえ(ほとんど粘土は混ざっていない)、確かに言いたいことは分かりやす世代論ではある。そこにエビデンスがあるかはともかく。

 だいたい、千葉ポストモダニスト的なよく分からない文体を使っている(これもしんかい氏の主観であり、論の後半にはある部分の引用について〈率直に言ってぼくにはほとんど意味が取れません。おそらく全人類にとってそうなのではないかという気がします〉などと豪快なことを言う。論の冒頭で〈発表直後はネット賞賛の声に包まれました〉という例示と「批判の声」を対比させたのは何だったのか、賞賛の声を上げた人たちは最初からしんかい氏にとっての人類には含まれていなかったのだろうか?)ことと、過去に著名なポストモダニスト問題と論争を巻き起こしたことには、いったい何の関わりがあるのか? ただの連想ゲームしかないのではないか? こうしたカテゴリー混同した主張と、「ジャック・ラカンは、虚数無理数混同している」といった事実に、どのような違いがあるのだろう? 

 しんかい氏はなぜ、ソーカル事件千葉雅也を結びつけて論じようと思ったのだろうか。「おそらく……」などと仮定を挙げてエビデンスのない主張をする気は今のところない。それよりも、根本的な疑問がある。「アンチアンチエビデンス論」において、しんかい氏は、アンチエビデンス批判するどころか、むしろそれに則った、説明責任なんてお構いなしの自由闊達批評をしている。それはそれでいいことじゃないかと思うし、それとは逆にエビデンシャリズムを徹底させた批評の道もあるのではないかと思う。しかし、今回のように、ある種の世代論や、ある人物をどのように評価するかなど、すでにある程度の文脈が与えられた人文学的なテーマ場合科学数学におけるような厳密な方法論などないし、徹底して証拠を走査することは(この私の文章のように)不毛ものになりがちなのではないだろうか。そもそも戦う土俵を間違えているんじゃないか、という疑問がある。「アンチアンチエビデンス論」において批判されている(かのように見えるが、どういう理屈でかははっきりしない)「実感の正当化だって、たとえば何らかの世代論であれば、いくつかの本から有益そうなところを引用して、それなりに理解が深まれば、反事実的条件と現実世界関係に関する考察などといった面倒そうなところから論を始めなくても、それで充分なのではないか、という気はする。これは純然たる思いつきである

 貴婦人はとっくに寝てしまったので無駄話を続けると、だいたい意味が分からないかどうかで評価するのなら、数学科学プログラミングなどの高度な専門書だって(〈一般社会には通じない理屈〉とまで表現するかはともかく)私個人にはまったく意味不明ものだし、別に大陸哲学だけの話ではなく分析哲学の本でさえ、少し高度になるといまの私にはさっぱり分からない。意味不明なことを言っているのと意味がないのは(いわゆる「説明と理解」といった哲学的テーマになるのだろうか)まったく異なるはずだし、ここを突き詰めて考えると分析哲学的にも絶対にややこしい問題に直面すると思うのだが、しんかい氏はその辺りをどうも曖昧に片づけている気がする。

 ところで、「形骸化したエビデンシャリズム」それ自体は、いつから・どの程度顕在化したかはともかく、いかにもありそうな話ではあると思っている。最近某所で話題になっている広島大学モニタリングの話とか分かりやすいんじゃないだろうか。

徹底した大学のモニタリング | 広島大学

2015-03-26

教授いただければ幸いです

随分前の話ですが投稿しま

私はある大学オーケストラ所属しています

6月くらいまでは普通にLINEで話していましたが、突然LINETwitterブロックされ、リアルでもその期間は話したことのない女性の先輩が、11月19日に突然LINEメッセージを送ってきました

どうして数ヶ月間も、自分が距離を置いていたかわかる?と

私はどうして私が理由を知っていると思うのですか?と返しました

彼女

そういう問題じゃない。あなたが考えないとまた間違った選択をするから、考えてほしい と返ってきました

さっき言った通り、私は謝罪もなしに、数ヵ月も連絡を絶たれたわけですから、わかるわけがありませんので、

あなたについての行為あなた説明責任がある、私も考えたがあなたの方から話すのが筋ではないかと送りました

彼女説明責任は私にない。そうやっていつも逃げているから云々、時間がないから早く答えろと返されました

だんだん彼女がキレてきます

私はあなたが正解を持っていることがわかりきっているクイズなんて解く意味がない、それこそ時間無駄なのではないかと送りました

なんでキレているんですか?

自分で考えろ

→またあなたの気持ちを考えるクイズをしなければならないのですか?

貴様に説明する時間もったいないっていってんだろうが

言葉の裏もとれないのか

という印象的なやり取りのあと、(僕とLINEする時間もったいないなど、どっちがふっかけてきたLINEなのでしょうか…)

勝手にあと15分で切るといわれ、一通りぼくが理由を述べましたが全て外れました

答えた理由としては

僕が(付き合う前に)振られた別の先輩(ふたりは仲がいい)が、ぼくのことについて悪く言って、それを信じた

もともと嫌いだった

ぼくが大人のお店に行っていることをどこかから知ってそういうお店を使う人が彼女は嫌いだから僕を嫌いになった

の3つを挙げましたが、全て外れました

明日11月20日)になったら教えてやる、それまでせいぜい考えておけと言われて、その日は連絡手段遮断したことに対して全く謝罪の気持ちがないことと、わかるはずもない他人の気持ちを聞かれて、答えられなかったらキレるということに対して怒りがおさまらず全く眠れませんでした

明日になったら教えてやると言ってましたが、その日以降全くLINEは来ず(1ヶ月も)、バカにされている気になって、今週の日曜の練習の帰りに彼女がいたので、「謝れ」などと怒鳴り付けましたが、「お前が悪いんだろ」と全く反省の色を見せず、僕が悪者になった感じで周りに制止されました

このことについて

①数ヵ月も連絡を取れない相手の感情を知ることができない僕は頭が悪いのか

②悪いのは彼女と僕のどちらなのか

教授いただければ幸いです

2015-01-26

http://anond.hatelabo.jp/20150126200747

俺が今まで見た中ではそういうタイプで生き残った人って一人もいない…。

なるほどです。

実験ですが、生体試料機器分析をして、オミックス解析をするっていうバイオ系です。

その解析途中で、機械操作統計処理をプログラミング技術を使ったりするんですが、そこで、技術を磨いて…と考えていました。

でも、と言うか、やっぱり、ボスというか偉い分子生物学先生にとっては、

「何のために実験をやっているのか?」ってことをハッキリさせて、

「どんな結論になるのかってストーリー」を描けなければ、面白さを伝えることが、出来ないって言うんでしょうか。

当たり前ですよね。。職人的に手続きを踏んで、やろうって思っていても、説明責任的なものは、必要になってくるんですよね。

企業は、一度、面接で落とされて、そのまま、ボスにまた面倒を見てもらっているという感じです。

確かに、今のバイオ系のアカポスは、のんびりしてたら、生き残れるはずがないです。

外国人がいる研究室の中での誤解や摩擦

外国人がいる研究室の中での誤解や摩擦があった。

同じ科学者でも、実験科学者理論科学者とではアプローチが異なる。

--

理論科学的なヨーロッパ人スタイル

結論、仮説ありきで、さも本当のように事実のように話すヨーロッパ人スタイル

答えとなることのアタリを付けながら進めていくスタイル

仮説思考というと聞こえはいいけれども、それが、さも、本当の事実のように主張しながら実験を進める。

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実験科学的な日本人スタイル

データをコツコツと積み上げていき、ある結論に達する。

技術的な背景を大切にする。まず、やってみる。

正しい手続を踏むことに重きをおくスタイル

私は、後者実験科学者的な(と自分では思っている)スタイルだ。

それで、前者のヨーロッパ人のやってることが、ずるいやり方というか、なんで、データもないうちからドンドコドンドン主張するのかが、理解できなかった。

--

■頭がいい人が、必ずしも私の考えを理解できるわけではない。

頭のいい人と言うのは、特に東北地方などでは、察しの良いを指すこともあるが、情報を得て、それを整理することが得意なタイプの頭の良い人も、いる。

あうんの呼吸とか、1を聞いて10を知ることや自分の成果を誇らないことが、美徳とされる考え方を持っていた。

相手は、主張して、アピールする。

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グレーゾーンをついているように見えた。

サッカーマリーシアではないが、反則の、審判の見えていないところや上司の見えていないところでは、結構、一緒に働く人をこき下ろしたり、こき使うような感じに私からは、見えた。

相手に罪の意識はないように見えた。

田舎道で信号無視をするような感覚なんだろうなぁ。

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■相手からの言い分を聞くと、話してくれないと増田さんの考えは分からないということだった。

外国人ヨーロッパ人が、理解をしないのは、こちらの考えを英語で明瞭に自信を持って伝えていないから

相手の頭脳に私から情報が伝わらない限り、私の考えは、伝わらない。

私が、どういう結論を持ち、どういう根拠に基いて、考えているのか、ということは、黙っていても、頭の良い人でさえも情報が少なかったら判断が出来ない。

伝えることや言い訳、説明を行うことに対して罪悪感を持っている必要はない。罪悪感を持つことで、空気を読むことを、鍛えてきた節がある。

自分は、人を傷つけないようにしよう、不快な思いをさせないようにしようということに、過剰に配慮しすぎて来たんだ。

相手との摩擦がある場合には、背景情報や知識や経験に、有している情報に差があるからだ。

からしたら、相手の言い分は、言い訳しか聞こえないが、相手からすると正当な説明責任果たして、いるに過ぎない。

■別のもっと、他の可能性。

私も発達障害で、相手の外国人発達障害だと、コミュニケーションが上手く行かなくて、当然。

更に、上司や部下の関係、先輩・後輩の関係であれば、なおさら

外国人には、先輩後輩の概念がないのだから

文化の違いか、コミュニケーションでの前提の違いなのか。

アスペルガーってこともあるかも知れないし、文化的な前提条件が異なるからとも言える。

# アスペルガー症候群サリーとアン課題

http://kokoromasic.com/repoat/82_asperger4.html

# 文脈〉の重要さ――欧米人日本の文化理解できるか

http://www.terashima-bunko.com/bunko-project/roost-program/837-petra211.html

2014-12-29

関係者に対し、

経営者としての説明責任を充分に果たしていないにも関わらず、

twitterはてなでパーパーパーパー書き散らすから

こじれる一方なんじゃないですか。

インターネットのみんな」に伝える前に、

現実世界利害関係のあるみんなに伝えましょうよ。

2014-11-21

http://anond.hatelabo.jp/20141121023720

例えヘイトでも、言う人の権利保証されないといけない。

ただ、言うことに対しては責任が伴うわけで。

これでヨーゲンさんが悪いとなるなら、朝日新聞誤報書いて、その説明責任果たしてない人達(信じられないことに、彼らはプロジャーナリストだという)も同類で同じ扱いされないとオカシイ

2014-09-25

企業農業誘致も、シニア地方移住誘致も、「選択肢を狭める」方がうまくいく

今、「養父農業特区」が農業参入を検討する企業の中で「熱い」らしい。

(ソース産経ウェブ関西版)。

企業養父市を注目する理由としては

養父市企業農地取得がしやす

養父市が「IT農業・6次産業農業」の情報ハブになり、「養父市に行けば、何か情報が得られる」と「出会いの場」になりつつある

というメリットもあるだろうが、それ以外の「隠れたメリット」があるんじゃないか?

企業農業新規参入の「隠れた障害」は、実は「参入候補地の選定作業が大変」なこと。

元々地方に立地している企業だとまだしも、東京まれ東京育ち企業場合

「全国1000ある自治体の中から、参入候補地を1か所に選定する」という大変な作業を新規担当者はしなきゃならない。

仮に「1日で10自治体をチェック」のペースでチェックしていっても、全国の全自治体をチェックするのには丸100日掛かる。

「そんなに厳密に審査しなくてもいい、それこそくじ引きでテキトーに決めちゃえばいいじゃん」という反論もあるだろうが、

ちゃんと審査しなきゃ、「なぜ●●県●●村を農業入地にするのだね?」と役員ツッコミを喰らってしまう。

大企業であればあるほど、「なぜその自治体を選んだのか?」という経営者への説明責任が、担当者には要求されてしまう。

「選定作業に100日もかかるんだったら、そもそも農業事業への新規参入なんか、やめてしまえ」として、

農業参入そのもの放棄する担当者が出たって、おかしくはない。

その点、特区という「国のお墨付き自治体」があれば、

役員ツッコミに対して「特区から入地養父市しました」とカンタンに説明できる。

社内手続きが非常にラクになり、だから農業の参入のハードルが下がる。

こういう「選択肢が多すぎることによる思考停止」って、シニア地方移住にはもっと当てはまるんじゃないか?

政府は「シニア地方移住してくれないのは、情報が少ないからだ」と思い込んで、

更に情報を増やす政策をするようだが、実際は真逆だと思う

ホンマデッカTVによれば、

メニューが20以上あるサンドイッチ屋」より、「メニューが6つしかないサンドイッチ屋」の方が、

売れ行きはいい、という実験結果があるらしい。

選択肢をわざと少なくするメリット」というのが、確実に存在する。

飲食店場合、「本日オススメメニュー」とか「一番人気のメニュー」を表示して、

「選択する作業を嫌がる消費者」のニーズを汲み取る、そういうテクニック存在する。

しか政府は、「本日オススメ移住先は、徳島県です」とプロモーションできない。

そんなことしたら香川県高知県からクレームが入る

から、暴論だが、

苗字がアから始まる人は、青森県移住したら補助金します、

 イから始まる人は岩手県移住したら補助金します、

 オから始まる人は石川県移住したら補助金します」みたいな

「強引な紐付け」で、選択肢限定した方が、かえって移住捗ると思う

まあ、もうちょっと現実的には、

杉並区の人は富山県移住したら補助金します」

世田谷区の人は熊本県移住したら補助金します」みたいな、区と県のカップリング

そうしたら、世田谷区担当者熊本県についてリテラシーが高くなり、いろいろ移住検討者にアドバイスできるのでは?

大枠として熊本県提示されたら、海が好きな世田谷区民は天草移住するし、山が好きな世田谷区民は阿蘇移住するし、

ほどほどに都会が好きな世田谷区民は熊本市内に移住する。

熊本県内の選択では比較フリーハンドを与えた方がいい。

2014-08-05

http://anond.hatelabo.jp/20140805154459

や、そうじゃなくて。

サービス開始時に、「こういう問題が起こりえますので、必ずこういう体勢をとるように注意してください。弊社サービスイメージに関わりますので」というスタートアップ指導はしたのかね?って話よ。その後も運営できているかをいちいちチェックすべしって言ってるんじゃないよ。

GREEモバゲーは「合体成長系ガチャ」っていうシステムで「搾取だ」と一般から批判を受けて、その後は同じシステムをつかっていないか、類似するもの提供していないかを徹底してつぶして行ったじゃない? あれだってどんなゲームを出したのかは開発会社しだいだけど、ガチャというイメージSNSへのイメージに直結してしまっているから「かんけーねーよ、開発会社に言えよ」と振り払うことはできなかったわけでしょ。

からスタート時の厳重な注意がないと(説明責任果たしていないと)、やっぱり批判の何割かはグルーポンに行っても仕方ないと思うよ。

2014-07-13

http://anond.hatelabo.jp/20140713125337

Pマークがなかったらもっとひどい事態だとは思うけれども

Pマーク運用現実についていけていないという事実もまた無視できないだろ。

 

時代は変化していくものだが、Pマーク運用が変化していないことが問題引き起こしているのだとしたら、それはそれで立派な問題

 

Pマークがお守りに成ってしまっているのでは?という疑問には、Pマーク現実対応などを答える説明責任があるだろ。

2014-07-11

ヘイトスピーチに関するよくある誤解

先日。こういうツイートを見かけた。わりかしRT人気を集めて支持されている。

https://twitter.com/senjuin1010/status/486157859797733376

ヘイトスピーチやめよう←はい

マイノリティ保護されるべき←はい

マイノリティヘイトスピーチしても良い←はい

・何がヘイトになるかは俺が決める←はい??

・誰がマイノリティかは俺が決める←はい?????

ほどほどにネット等でヘイトスピーチ関係を学んだ人が、こういう疑問にぶつかっているのは珍しくないように見受けられる。

また、実際反ヘイトスピーチ活動してる人の中にもこういう(ここで揶揄されてしまうに十分な)考え方になってしまっている人もいるように見受けられる。

こうなってしまうような現状がそこにあるのだという点においては私も疑いはない。

私が、例えば

金明秀 KIM, Myungsoo (han_org)さんはTwitterを使っています

のような、反レイシズムに大なり小なり関わり、またそこに社会学専門性を持ち込んでいる人の普段のツイート等を見て理解した範囲では、

上記に引いたツイートのそれは、「駄目」である

金明秀氏の立場を私が読んでみる限りにおいては、前述のそれにおいて誤解されて抜け落ちている代表的立場

・実際にそこにある被害を見つめずに前述のあれこれを決めてはならない

といった物で有る。どんな被害がそこにあるか、それを抜きにこの問題を何か決めるのはナンセンスである

しかし、ここで、現実にはこの壁に実は多くの人がぶつかる。

マイノリティとは、権力が小さい集団のことを云うのであって、大原則としてリソースが小さい。

被害をマジョリティ理解する上でマジョリティマイノリティ説明責任を過大に求めるのはマイノリティへの搾取である

マジョリティマイノリティの間の「努力」に「同程度」を求めるはだめなのである

さて、しかし、現実にはここでこういう疑問を抱く人も多いであろう。

・そんなこと言ったって、マイノリティが何も言わずに全部察しろと言ったって無理だ

当然で有る。しかし、金明秀氏などを例に挙げると、決してそんなことは言っていない。

金明秀氏が自明といった場合自分で調べればどこかにそれを示す資料(被害について当事者が語った何かしらなりそれを示す社会調査データなりは)必ず既に現存すると考えている (しかし、それを調べるのが容易であるとは限らない)

であるしかし、こういう反論は当然予想される。

・そんなこと言ったってマジョリティからってそういうのを自分必死に調べて理解するとか限界があるし、誰もがやるわけではないので、理解されないという現実を防ぐのはそもそも困難では。

その通りで有る。しかし、大前提として、そこに不正義の事実があるという前提が正しいのであれば、

ある意味において、マジョリティが既に存在することが確認できうるマイノリティ問題理解できないなら、マジョリティ内部の問題である。それが言い過ぎとしても、マジョリティマイノリティを含んだ集団全体の問題であり、それをマイノリティにのみ過度に求めるのは誤りで有る。

ということである

ここまででも、まっとうな方でもいろいろ疑問・反論が出る人もいるであろうが、最低限この程度は理解してからロジックを組み立ててほしいもである

派生した議論として

被害者自称被害は過大に言われることも誤りも有る。全部真に受けて良いか?

これは、当然の疑問である。当然調査必要であるが、低質な「ちんけな素人ネット議論の検証」みたいなのでバッシングする阿呆が大量にいるが、誤った検証を元にバッシングするならなお悪いのであり、単に最低である

もちろん、ここにおいて「検証などいっさい必要ないのだ」って立場に立ってしまうと、一部の人マイノリティ問題バッシングするレトリックマイノリティの聖域化」なるものが正当であると認めてしまうようであり、危険である検証コストマイノリティにだけ過剰に課されれば暴力である。いちいち引き合いに出して申し訳ないが金明秀などが普段言うことは「通常は調べればちゃんと結論が出ている」ものだったり、さもなくば、「じゃあ、検証が不十分であるからといってそこに問題がないと結論を出して、救済されるべき人を切り捨てるのは正義か(また、それ故にバッシングまでやるならなお正義問題となる」といった問題も出てくる。

その他、派生した議論として

・じゃあマジョリティマイノリティ批判してはいけないのか?

これも、Yesだとしたらそれこそレトリックマイノリティの聖域化」の出番であるしかし、金明秀氏などが普段言う所を私が理解する限りにおいては、

特に批判が正当である場合など、当然批判するななどとはない。しかし、その批判とやらが、「どういう文脈で向けられている」かは大問題である

といった論点がある。「Aはマイノリティで不当にBという不利益を得ているので改善すべき」という主張に向かって、「AはAにも問題があるのである」みたいな

反論はもうバカみたいに大量に出てくる。多くの場合「そういう問題があるから差別されてよい」という「理由がある奴はいじめられてもよい」式の構造

になってしまったこういう実にナンセンスなのがよくあるのだが、結局黙らせるための対抗言説であるマイノリティ改善すべきというのが事実として、なぜその文脈でいう必要

あるのか。(繰り返すと、往々にして改善すべきということ自体が難癖であるというのも多いのだが)。改善すべきなら相手が改善によりつながる場面で批判するのがよいであろう。

(これをいうと、何故そんなことまでしなきゃいかんのか、という疑問もあるかもしれないが、当然それは、「マイノリティが被害を受けている現実があるか、

その可能性が無視できない程高い」という現実がそこにあるからこそであり、また、「持てる権力リソースにおいて負けているマイノリティに対する要求で有るから」であり、故に「黙らせるための言説」として使うのが不正なのだ

その他

マイノリティリソースが少ないのであるからして、運動に完全を求めるな。少なくとも、その運動上の瑕疵について、マジョリティのそれと対等を求めるな

このあたりになると理解しづらい人も前述より増えるかも知れないが、ほっといたら保護されない不利益に対して声を上げることで初めて改善できるマイノリティ問題マイノリティが声を上げているのである大前提として、権力リソースも大きな差があるのである。「瑕疵のなさにおける対等さ」を求めるだけで暴力で有る。

これは、「マイノリティにはどんな瑕疵があっても構わない」ということではないので、そのあるべき、もしくは許容範囲となるバランス、落し所は自明ではないが、「完全な対等を求めたら、暴力である

マイノリティマジョリティに攻撃的に何かする時の被害とマジョリティマイノリティにそれをする時の被害の質・程度は、当然後者の方が大きい

権力の大小の話から言って自明で有る。少なくとも、この点においても「前者があるので後者をやるのは当然で有る」も程度問題というのもまったくなくはないのだが、

簡単に不正義を生む。もちろん、前述の「どういう文脈でそれを言うのか。無効化の文脈で言う不正義」の問題等も絡む。

ネットサーフィンして議論するものいんだけど、本当にマイノリティ問題に一家言あるのだと言いたいので有れば、「まともな研究者」の資料をもうちょっと読んではどうかとは常々思う。

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