はてなキーワード: 反ヘイトスピーチとは
長すぎたので、最後の部分を分割。
とある、それなりに言動については信頼しているSF小説家が、ずいぶんと今回の件について批判的な言及をしていた。そのずらりとRTされてたり自分のキータッチで語られたツイート群の中には、オタク文化が、特にここ15年くらいの間は、差別的な言動や行動をよしとするようなものを内在していた、ということについて気にする形跡は、一ミリもなかった。その当事者性ゼロっぷりに、普段かなり反差別に近いツイートもしている人だが、ようするにそれは「「自分たちの世界」の外側で起きていること、アニメを見ながら実況ツイートしているような扱いなんだろうかな、と考えるととても残念な気分になった。敢えて、実名は上げないけれど。
話はそれるけれど、この小説家氏は、自分の仲間たちがかつて、とあるパソ通フォーラムでリンチしていた一人の参加者からその当時のことについて非難をされたとき、「あかん、こいつほんまアホや」と語り、それについて問いただされたら「おかしいことをおかしいと言って何が悪いんだ」というようなことを言い出した人のはずである。なぜ、そんなにC.R.A.C.の「それは差別ではない」発言に怒れるのかちょっと謎ではある。
それにしても、こんなツイートをRTしていたのには呆れてしまった。
https://twitter.com/kanenooto7248/status/987141171083227136
一人残らず!
そこまで言うからには、もちろん、一人残らずそうなった、という統計があるはずだろう。しかし、そんな資料が上がっている形跡はないしそもそもそんな統計はないはずだ。おいおい、トンデモはあなたのRTしたいものの中にあるんじゃあないのか? だいたいこの発言主は俺とそう年が違わないはずで、そんな俯瞰的な調査をするべくもないはずである。
この小説家氏に限らず、これをRTしているのを見かけた人の相当数が、オタクをひとくくりにして批判されることを蛇蝎のごとく嫌っていた。でも、こうやってひとまとめにされることは嫌ってないどころか大歓迎のようだ。
この小説家氏以外にも、何人か、この件で言及しているクリエイターを見かけた。クリエイターはオタク出身が多いだろうけれど、しかし一人残らず、とまで言えるかは微妙であったけど、相当数が表現の差別性をめぐって議論が持ち上がるとほぼ確実に「そんなのどうした」と切り捨てる側に立っていた人たちばかりである。それ以外のことでは割とリベラルな態度の人でさえそうである。そういう人が、「あれは差別でないなんてけしからん」「あらゆる差別をいけないといいたい」「自分の気づかない差別について提起されたらどんどん理解していきたい」などと言っているのだ。それはあなたが、フェミニズム運動家などの言説に対して取っていた態度である。自分で気づかないのだろうか?
余談ではあるが、後者の主張はすごい正論のように見えるが、相対化に明け暮れて問題点を覆い隠す格好のツールだ、と思う。こんなことを言っている人は、そのうちにあんな差別こんな差別と言い出した末にポリコレ疲れだと言い出す。このダイソーで買った商品名不明の電卓を賭けてもいい。2ch(当時)の人権板は、あらゆる差別をなくすための場だという名目で、部落差別の復活や地名晒しを行っていた場だった。
こんなていたらくの上で、オタクの差別性については雑だ雑だとケチをつけるツイートをRTしていたりする。そしてこの小説家氏はたぶん、相対的にちゃんとしている部類である。
そーいう閉塞感。
あとこれはさらに余談。
俺は野間氏は嫌いなんだけど、関わってる運動が形になることに関しては確かに上手いんですよね。
どれくらい中枢でかかわってたのかとか知らんので「運動を形にする」とまでは言わんけど、例えばしばき隊を軸にしたカウンターは反ヘイトスピーチ法に結実したし、SEALDsは最近のあの手の運動としては異例の存在。反原連だけはよくわからない。自分があんまり反原発じゃないからかもしれない。
そのへんのところは、ちゃんと考えた方がいい気がするんですよね。
というのも、野間を嫌いなあまり、政治的な立ち位置が狂って行ったオタクな知り合い、って何人か目にしてて、そういう社会運動の現状ってよくないなあと思うんですよ。
それまた閉塞感、というか。
差別とはその対象を構成する何らかの身体的特徴,性格,出自,思想,その他肉体/精神を問わない何らかに対しそれをあげつらうことだとする。
一方,区別はその対象は同じだが,そこに線引きをする,ということに差別との違いがある。
たとえば,遊園地におけるアトラクションの身長制限は安全上の「区別」であり,これを「差別」と捉える人はまず居ないだろう。
また,男女でトイレを分けることも,身体的特徴からくる排泄行為の違い,及び盗撮などの各種犯罪行為を抑制するための「区別」と捉えることができる。
しかし,差別と区別を分ける本質的な線引きは存在しない。なぜなら,何らかの発言や措置をどう捉えるかは個人によって大きく異なるからである。
たとえば,(文脈にも依存するが)「バカ」と言われて喜ぶ人もいれば,烈火の如く怒る人もいる。電車やバスにおいて席を譲るにしても,
「私がそんな年寄りに見えるか!」と怒る人は少なからず存在する。
では,なぜ男女でトイレを分けることが「区別」で,人種によってトイレを分けることが「差別」とおそらく一般には広く認識されているかと言えば,
それは圧倒的多くの人,つまり世間がそう考えているからに過ぎない。世間や時代が変わればその境界は大きく揺らぐだろう。
たとえば低身長でも完全に安全なアトラクションが導入されたとして,そのアトラクションに対し「120cm未満の身長のお子様はお乗りになれません」という
ルールがあれば,119cmの兄は121cmの弟を逆恨みし,これは差別だと断じるだろう。
ここで重要なのは,ある発言を「差別」と受け取るか,「区別」と受け取るかはそれを言われた本人にしか決定できない,ということにある。
つまり,「ヘイトスピーチ」が世間を構成する人の殆どが差別的だと捉えたとしても,「ヘイトスピーチを行う人は差別主義者である」という発言を
ヘイトスピーチを行う人がその発言は差別だと認識する限りにおいて,「差別は常に行うべきでない」という前提があるのであれば,
「ヘイトスピーチを行う人は差別的」だからと言ってそれを「差別」することはできなくなる.ここにパラドックスが生じる。
これらから導かれる1つの思想は,「他者に危害を加えない限りにおいて,あらゆる思想や言動は許されるべきである」という自由主義的発想である。
この思想に従えば,「他者に危害を加えない限り」ヘイトスピーチも,反ヘイトスピーチも共に許容されるべきである。
ここで,「他者に危害を加える」ということがどこまで含むかをよく考える必要がある。
仮に,「反感を覚える」ことまでも「危害を加えられた」と定義する場合,反感を覚えるかはやはり主観によるため,
原理的にあらゆる思想・言動を規制することが可能となる。従って,ノイローゼになったとか,躁鬱病になったといったような
より別の基準を設ける必要があると考えられる。ここにはまだ議論の余地がある。
そもそも,なぜ議論が必要かというと,人間の発想・思想は不完全であり真理ではない,という理由が挙げられる。
従って,あらゆる批判を相互に許し,良いところは伸ばし,悪いところは修正を図ることで真理に近づくことができる,というのが
自由主義の考え方である。しかし,自由な批判を行うためには論理的な思考能力,互いの尊重,感情的発言の極限までの抑制などが
必要となる。それらの能力はどこでどのように身に付けるべきなのか。
義務教育において教え込むことで,非常に長期的視野に経てば数世代交代する頃には「大多数」がそのような能力を身に付けることが
可能になると考えられるが,そもそも,論理的な思考能力を身に付けるべきというこの自由主義的発想そのものも常に正しいと言えるのか,
批判の対象でなければならない.そのような対象を義務教育によりある意味では洗脳のように教え込むことは,所詮は多数派による
現体制の維持に繋がる行為であり,自らその必要性を強く感じ,そのような能力を獲得することが望ましい。
しかし,その必要性を感じるには,論理的思考能力が必要である。それはどこで身に付けるのか。
最近,このようなことをずっと考えている。
2017/04/14 10:52 Typo修正.劣化版ミルというよりも完全にミルの考えそのもの。
2017/04/14 10:52 ミルは『自由論』において多数派が小数派を多数決で圧殺することを無効化するため,
立場によらず,是々非々で相互批判を可能にするために「他人に危害を加えない範囲であればどのような自由も許される」という原則を提示している。
ただし,この前提として「分別がある」ということを挙げ,子供と発展途上国はその例外だから教え込むしかないと言っており,
この前提はたしかに現実的な前提ではあるものの,私は懐疑的立場を取っている。
「分別」はどこで付くのか.たしかに小学校の頃はないとしても,大学生ならついていると言えるのか。高校生はどうか?
また,この自由主義が「多数派」にもしなったとき,教育によりその体制を維持するというのは自由主義による「圧政」ではないのか?
2017/04/15
追記した。またね
ネトウヨの自分としては、本当の事態が起きたとき対応が後手になるのでデマはやめてほしいし、
真剣に現地の心配をしてるならそんな下らん悪ふざけできんだろと思う。
嫌儲とかなんJ民とかの露悪的なものを善しとする流れなんだろうなと思ってる。
http://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/48369885.html
ジョークでも当事者にされるのは嫌なものだというのは分からんでもないが、
70年前の空襲による民間人大量虐殺の根拠となったプロパガンダを
否定する気のない人たちが反差別だとか反ヘイトスピーチだとかやってるんだから
右と左で話が噛合うはずもないね。みんな自分が大切だと思う問題のことばかり。
そして話し合うことをやめて罵倒か敵失を拾うことばかり夢中になってる。
壱河ふぇーすさんは最高でも性欲丸出しの目つきで眺め回した記憶を頼りにスケッチしたり、車の中からクラクション鳴らして振り向かせてみたりしただけですけど。
仮に壱河ふぇーすさんが少女たちに実際に手を出してたら「と、とうとうガマンできずに・・・おにゃのこに抱きついちゃいました^^;」みたいなツイートしてしまってると思うんですよね。観察した限りではそういう人なので。けどしていないので。本当に見たり振り向かせたりさせているだけなのだと思います。
山本夜羽音さんはそんな次元じゃなく、自分の仲間(反ヘイトスピーチ活動団体のスタッフ)(おそらくは女性なのだと思いますが)に「身体に抱きつきキスを迫るなど」したっていう、本当に直接的な行為に及んだわけですよね。
キン骨マンとかナチグロンがじゃれあってるところにいきなり悪魔将軍が現れたような、桁外れの超ド級パワーを感じますね。
それでも、左翼からは「まあ、人間いろいろあるからね。彼に関しては一旦保留で」みたいな扱いを、現状、受けているわけです。
一期一会。辛い別れもあれば、刺激的な出会いもある。描くことに集中するのも手ではあるが、人とかかわる、繋がることを諦めちゃなんないな、と思う。— 山本夜羽音@「メガ秘書」9.28新作発売 (@johanne_DOXA) 2015, 11月 8
で、まだ、どうしてもあきらめきれない、的なメッセージも、ご本人の口からは出ているわけです。
山本夜羽音さんのこれまでの行状を賞賛していた人たちからは、一刻も早く現在の評価をお尋ねしたいと思うのですが、いかがでしょうか。
他にも、エロマンガ家が性欲を制御できずレイプしかけたとか(実際にしたのかもしれませんが)、すくなくとも『日の丸凱旋少女』や『テコンダー朴』がとらのあなの店頭に詰まれていたとか、そんなことよりもよっぽどオタクにとってのイメージダウンだと思うのですよ。
イメージダウンというよりは、オタクの本性がいよいよ露呈したと言ったほうが、正しいと思いますが。
山本夜羽音さんは東日本大震災で被災した児童におもちゃや漫画を届けるチャリティー活動をされていたそうですけど。日本版ピエロのゲーシーと呼んでさしあげても差し支えないと思います。
橋下徹と桜井誠の約7分にわたる「意見交換」へと感想はさまざまあるが、どれもしっくりこない。
【言論の自由】「橋下vs桜井」意見交換会を見て[桜H26/10/22]https://www.youtube.com/watch?v=vu0fpCZikIk&list=UU_39VhpzPZyOVrXUeWv04Zg
まずは「論外」という反応から見ていく。
この動画で言ってることは結局「橋下は桜井誠の「在日特権」についての主張を聞かなかった」ということにまとめられる。そもそも問題となっているのは「ヘイトスピーチ」についてである。在日韓国人・朝鮮人を侮辱して、憎悪を煽る言動についての意見交換なのであって、「在日特権」について意見交換をする場ではなかったということを確認する必要がある。よって、私はこの種の意見を「論外」であると評価している。
てか、もともとチャンネル桜は、桜井誠を世に出したメディアでもあるんだから(途中で喧嘩別れにしたにせよ)、その辺をちゃんと清算すべきだよね。水島総氏は「ヘイトスピーチは情報謀略戦において不利に働く」と様々なところで、さかしらに言っているけれども、ようは「保守がみんな在特会みたく見えるようにつくられてしまうからやめろ」って言ってるだけである。水島氏のこうした発言はヘイトスピーチへの本質的批判には程遠い。「自分に不利になるからやめろ」と言ってるだけだから。
あと、「在特会とアンチ在特会を平等に規制する法律をつくらなければアンフェア」だと動画で述べているが、この点に関しても詭弁があることを述べ添えておく。問題となっているのは「ヘイトスピーチ」である。「ヘイトスピーチ」とは、特定の人種・国籍に対して差別を煽るような憎悪表現である。アンチ在特会にそのような発言は、明示的には存在しないはずだ。(アンチ在特会も「ヘイト」だ、という意見をよく聞くけれども、ヘイトスピーチについての基本的知識がないのだな、とそのたびに私は思っている)
中道左派に多い意見だと思う。おそらく国民の多くは、桜井氏の下品さに嫌悪感をもよおし、橋下氏の「公人」としての振る舞いに疑問点を抱いたことだろう。
橋下氏の発言には、たしかに同意できない部分がある。例えば「本当に政治的主張を行いたいなら選挙に出ろ」といった類のことだ。これは彼が昔から言ってたことだが意味不明。デモ活動は立派な政治的活動であり、直接に法整備を行うわけではないにせよ、国民意識を変えていくことで、ひいては国会にも影響を与えうるものであるから、立派な政治的活動である。こんなことは、グラムシのヘゲモニー論を引用するまでもなく常識で考えれば分かることだ。
こうした疑問点は様々あるにせよ、今回の橋下の綿密な行動に私は驚嘆した、というのが感想であった。橋下氏自身も述べていることではあるが、彼の行動はきわめて計画的であったとリアルタイムで見ていて感じた。彼はなかなか感情的には流されない人間であり、冷徹な人間性を見せる。そもそも桜井氏の今回の言動くらいで激昂して理性をなくしてしまう男ではない。「帰れ帰れ」という言葉もおそらくはじめから用意したものであっただろう。というのも、在特会が常々言っていた「朝鮮人は半島に帰れ」という言葉を模倣して、桜井氏個人に突きつけるという手法を橋下氏はとっているのだと私は理解しているからである。それから、より政治的に言えば、「ヘイトスピーチ」を行う人間を公人が思いっきり面罵した、という点も評価できる。ヘイトスピーチを行うものはこのように扱われても仕方がない、と世に流布した功績は大きい。
他方、桜井氏の行動について。彼の「激昂」も半分以上は作為的・演技的であっただろう。そもそも彼の「激昂」それ自体が演技的であるのだから、当然と言えば当然なのだから仕方あるまい(この点については「ネットと愛国」における西村修平と桜井誠の出会いについての記述を参照いただきたい)。しかし、彼の「激昂」は、残念ながら、その容姿・恰好からしても、多くの国民の賛同を得られるものではない。クレーマーそのものである。多くの国民は彼の言動に不愉快を覚えたことだろう。
桜井は自著がAmazonで一位になったことを喜んでいるが、それはあくまで一過性のものだと私は考えている。動物園にいるチンパンジーを見たがる好奇心以上のものではない。二三年の視点から見れば、この会談が自分に大きな打撃を与えるだろうことから目を背けているに過ぎない。
なお、こうした人物評にまどわされずに、あの場にいて、どちらかに組せねばならぬ、という当事者視点から見れば、100人中99人は橋下につくのではないかと思う。第三者的視点だけではなく、こうした当事者意識を持ってみることは様々なコンフリクトを見つめてみる上ではきわめて重要なことだろう。
したがって、「どっちもどっち論」に対して私は違和感を覚えている。
外山恒一はツイッターで「やっぱり私は桜井誠より橋下徹の方がはるかに嫌いだ。」と述べている。
https://twitter.com/toyamakoichi/status/524541443637919745
https://twitter.com/toyamakoichi/status/524558184594173954
https://twitter.com/toyamakoichi/status/524577760044277760
言葉数が少ないのでその真意は測りかねるが、外山氏らしい発言だと私は受け取った。外山氏は、世の中でヘイトスピーチに批判的になってきたのを見計うかのように、反ヘイトスピーチを大上段から罵る「パフォーマンス」をおこなう橋下氏の「したたかさ」に不愉快を覚えるのだろう。私は全力で同意をしたいと思った。それにしても、「橋下徹か、桜井誠か」という二者択一を迫られるような事案が出てくるとは、やはり悲しい出来事であるだろう。
法的にヘイトスピーチについて見てみたい。まだ日本にはヘイトスピーチを規制する法律はなく、日本国憲法第21条における「表現の自由」に抵触しないかどうかという慎重論も上がっている。しかしながら、これは国内法だけではなく国際法にも目を向ける必要がある。日本も批准している人種差別撤廃条約だ。この条約は、「京都朝鮮学校公園占用抗議事件」の民事訴訟においても注目されたことで記憶に新しい。京都地裁は「我が国の裁判所に対し、人種差別撤廃条約2条1項及び6条から、同条約の定めに適合する法の解釈適用が義務づけられる」と述べ、大阪高裁も支持している。司法によって国際法の直接適応を受けるのには、立法府のだらしなさを私は思う所である。同条約4条1項では「人種的優越又は憎悪に基づく思想のあらゆる流布、人種差別の扇動、いかなる人種若しくは皮膚の色若しくは種族的出身を異にする人の集団に対するものであるかを問わずすべての暴力行為又はその行為の扇動及び人種主義に基づく活動に対する資金援助を含むいかなる援助の提供も、法律で除伐すべき犯罪であることを宣言すること」を締約国に求めている。しかしながら、日本は1996年に正式に批准してからもう20年近く経とうとしているのに、いまだに「表現の自由」を盾にして足踏みしているのは情けない。憲法98条2項に基づき、早く法整備を行うべきである。
日本国において日本人以上に「特権」をもっている人は存在しない、というのが私の意見である。もし日本人以上の特権を在日の人が持っているのだとすれば、具体的に教えていただきたい。
なお、私的には、むしろ「竹田特権」を告発したい。竹田恒泰のことである。彼は慶應大学で憲法学の講師をしていたというが、通常ではありえない「特権」がなければ、とても彼は講師になれる人間ではない。彼は修士号も持っていないし、学部時代に憲法学をおさめていたわけでもない。学術論文も一つもない。なぜそのような人間が大学で「憲法」の講師をすることができたのだろうか。これは「特権」以外の何ものでもないだろう。「特権」という言葉はこのように使うのである。
先日。こういうツイートを見かけた。わりかしRT人気を集めて支持されている。
https://twitter.com/senjuin1010/status/486157859797733376
ほどほどにネット等でヘイトスピーチ関係を学んだ人が、こういう疑問にぶつかっているのは珍しくないように見受けられる。
また、実際反ヘイトスピーチ活動してる人の中にもこういう(ここで揶揄されてしまうに十分な)考え方になってしまっている人もいるように見受けられる。
こうなってしまうような現状がそこにあるのだという点においては私も疑いはない。
私が、例えば
金明秀 KIM, Myungsoo (han_org)さんはTwitterを使っています
のような、反レイシズムに大なり小なり関わり、またそこに社会学の専門性を持ち込んでいる人の普段のツイート等を見て理解した範囲では、
金明秀氏の立場を私が読んでみる限りにおいては、前述のそれにおいて誤解されて抜け落ちている代表的な立場は
・実際にそこにある被害を見つめずに前述のあれこれを決めてはならない
といった物で有る。どんな被害がそこにあるか、それを抜きにこの問題を何か決めるのはナンセンスである。
・マイノリティとは、権力が小さい集団のことを云うのであって、大原則としてリソースが小さい。
被害をマジョリティが理解する上でマジョリティがマイノリティの説明責任を過大に求めるのはマイノリティへの搾取である。
マジョリティとマイノリティの間の「努力」に「同程度」を求めるはだめなのである。
さて、しかし、現実にはここでこういう疑問を抱く人も多いであろう。
・そんなこと言ったって、マイノリティが何も言わずに全部察しろと言ったって無理だ
当然で有る。しかし、金明秀氏などを例に挙げると、決してそんなことは言っていない。
・金明秀氏が自明といった場合、自分で調べればどこかにそれを示す資料(被害について当事者が語った何かしらなりそれを示す社会調査データなりは)必ず既に現存すると考えている (しかし、それを調べるのが容易であるとは限らない)
・そんなこと言ったってマジョリティだからってそういうのを自分で必死に調べて理解するとか限界があるし、誰もがやるわけではないので、理解されないという現実を防ぐのはそもそも困難では。
その通りで有る。しかし、大前提として、そこに不正義の事実があるという前提が正しいのであれば、
・ある意味において、マジョリティが既に存在することが確認できうるマイノリティの問題を理解できないなら、マジョリティ内部の問題である。それが言い過ぎとしても、マジョリティとマイノリティを含んだ集団全体の問題であり、それをマイノリティにのみ過度に求めるのは誤りで有る。
ということである。
ここまででも、まっとうな方でもいろいろ疑問・反論が出る人もいるであろうが、最低限この程度は理解してからロジックを組み立ててほしいものである。
派生した議論として
・被害者の自称被害は過大に言われることも誤りも有る。全部真に受けて良いか?
これは、当然の疑問である。当然調査は必要であるが、低質な「ちんけな素人のネット議論の検証」みたいなのでバッシングする阿呆が大量にいるが、誤った検証を元にバッシングするならなお悪いのであり、単に最低である。
もちろん、ここにおいて「検証などいっさい必要ないのだ」って立場に立ってしまうと、一部の人がマイノリティ問題バッシングするレトリック「マイノリティの聖域化」なるものが正当であると認めてしまうようであり、危険である。検証コストはマイノリティにだけ過剰に課されれば暴力である。いちいち引き合いに出して申し訳ないが金明秀などが普段言うことは「通常は調べればちゃんと結論が出ている」ものだったり、さもなくば、「じゃあ、検証が不十分であるからといってそこに問題がないと結論を出して、救済されるべき人を切り捨てるのは正義か(また、それ故にバッシングまでやるならなお正義の問題となる」といった問題も出てくる。
その他、派生した議論として
・じゃあマジョリティはマイノリティを批判してはいけないのか?
これも、Yesだとしたらそれこそレトリック「マイノリティの聖域化」の出番である。しかし、金明秀氏などが普段言う所を私が理解する限りにおいては、
「特に批判が正当である場合など、当然批判するななどとはない。しかし、その批判とやらが、「どういう文脈で向けられている」かは大問題である」
といった論点がある。「Aはマイノリティで不当にBという不利益を得ているので改善すべき」という主張に向かって、「AはAにも問題があるのである」みたいな
反論はもうバカみたいに大量に出てくる。多くの場合「そういう問題があるから、差別されてよい」という「理由がある奴はいじめられてもよい」式の構造
になってしまったこういう実にナンセンスなのがよくあるのだが、結局黙らせるための対抗言説である。マイノリティが改善すべきというのが事実として、なぜその文脈でいう必要が
あるのか。(繰り返すと、往々にして改善すべきということ自体が難癖であるというのも多いのだが)。改善すべきなら相手が改善によりつながる場面で批判するのがよいであろう。
(これをいうと、何故そんなことまでしなきゃいかんのか、という疑問もあるかもしれないが、当然それは、「マイノリティが被害を受けている現実があるか、
その可能性が無視できない程高い」という現実がそこにあるからこそであり、また、「持てる権力・リソースにおいて負けているマイノリティに対する要求で有るから」であり、故に「黙らせるための言説」として使うのが不正義なのだ)
その他
・マイノリティはリソースが少ないのであるからして、運動に完全を求めるな。少なくとも、その運動上の瑕疵について、マジョリティのそれと対等を求めるな
このあたりになると理解しづらい人も前述より増えるかも知れないが、ほっといたら保護されない不利益に対して声を上げることで初めて改善できるマイノリティ問題にマイノリティが声を上げているのである。大前提として、権力もリソースも大きな差があるのである。「瑕疵のなさにおける対等さ」を求めるだけで暴力で有る。
これは、「マイノリティにはどんな瑕疵があっても構わない」ということではないので、そのあるべき、もしくは許容範囲となるバランス、落し所は自明ではないが、「完全な対等を求めたら、暴力」である。
・マイノリティがマジョリティに攻撃的に何かする時の被害とマジョリティがマイノリティにそれをする時の被害の質・程度は、当然後者の方が大きい
権力の大小の話から言って自明で有る。少なくとも、この点においても「前者があるので後者をやるのは当然で有る」も程度問題というのもまったくなくはないのだが、
簡単に不正義を生む。もちろん、前述の「どういう文脈でそれを言うのか。無効化の文脈で言う不正義」の問題等も絡む。
ネットサーフィンして議論するものいんだけど、本当にマイノリティ問題に一家言あるのだと言いたいので有れば、「まともな研究者」の資料をもうちょっと読んではどうかとは常々思う。
カノセさんなりオオツネさんなり。
ブコメはさぁ、記事内容が偏向してる場合にメタ視点を与えてくれるもんじゃん?
それが機能してないっていうのは、
お前ら、舐められてるよ。
コメントしてたのか。ごめん。
本当だ。気付かなかった。
ご指摘ありがとう。
名前を挙げた有名ブックマーカーはいずれもコメントなしが多いわけで。コメントありブクマの多い人の場合、必ず偏りが生じるので判断は慎重にすべきだし。
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/629099
「はてなブックマーク - はてなブックマーク - 「『反ヘイトスピーチコーナー』作りませんか」という提案に対する書店員の方の反応 - Togetterまとめ」
ただやっぱり納得行かなかったんだよ。
あんたも例示に食いつくか。あくまで例を挙げたまでだ。
というか、ブックマーク傾向は偏るのが当然だし、偏るからこそ個人としてウォッチする意味がある。みんなが話題にする記事を読みたかったらはてブTOPでも見とけハゲ
個人のブックマークが偏るのは別に良いのよ。そこは俺が問いたい論点はそこでは無かった。
普段賢そうな意見を書くんなら政治系でも嫌がらずにコメント見せろと思うのさ。
駄洒落が思いつかないんだろ
id:jt_noSke さんは別にあのままで良い。
http://b.hatena.ne.jp/otsune/ ブコメしてるブクマを探すほうが大変なんですが
たまに見るコメントに切れ味を感じるワケで。だから、政治系でもその切れ味を見せてみろよ、と思うワケ。
そして普段賢そうな意見を述べ、その意見にスターが沢山付いているのであれば、それは影響力を持つワケで。
分かるか。
そういうことだと認識した。
はてブにかくれて 生きる おれたちゃ 凡人ブックマーカーなのさ 人に姿を 見せられぬ 獣のような このはてブ 「早く有名ブックマーカーになりたい!!」
あんたも有名枠だけど、政治系にコメントすることには期待してないから別にイイ。
いつも通り生活系ゴシップ目のネタについて言及してれば、それはそれで健全だと思う。
安倍ちゃん絡みで最近はもうはてサが異常なほど暴れまわっているからね。異様に感情的で攻撃的な場になってるからあまりコメント付けたくないというのも分かる
ソレっぽいな。
たまたまだ。
はてなの一部には正義を旗印にした批判のための批判という昭和の伝統が生き残っていて、現代では貴重になりつつある。安倍氏や橋下氏には人格否定何でもありなのでリベラルというよりは、労組の拡声器が近いのかもね
つまり、自分の意見に酔うためだけにコメントする奴らが老害として残っていて、
そこにコメントで付き合うユーザーが減った結果、そいつら老害の意見が幅を聞かせて居るようにみえる、と。
誰とケンカしてるの?
はてサ。美味しんぼの作者並みに独善的なイデオロギーに酔った奴らを許せない。
立ち位置の問題もあるし、発言の都度にツッコミをどう回避するか専念せんとならん窮屈さもある。あと、kanose・otune氏以外に名物ブクマカなんて沢山居るじゃん、ほれ。
名物ブクマカでフェアな視点を持ってて普段冴えたコメントをしている人なら大体誰でも良い。
そういうことな。
コレ → http://childs.squares.net/murahatebu/village_people
他所様のとは言え、リスト提出したんだから話をブログに書いてもらおうか。
「有名ブックマーカー自体のコメントが無い!」ということをコアの問題にしているのでなく、
歴史や政治について明らかに思い込みや他人のイデオロギーに偏っているブコメ群に、
「そういう歴史もウラもまともに調べないようなやつらを、のさばらせていいのかよ」
ただし今回のブコメにより
言論を述べる重要性 < はてサの面倒クサさを相手にするコスト
ということが十分分かった。
感謝する。
具体的にいつ見たどの団体の何の行動を指しているのかは知らないが
おまえの認識とは違う
善良な団体ばかりだ
少なくともどこかのヘイトサークルのように
人を殴ったりモノを壊したことは一度も無い