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2022-09-28

北斗七星人間寿命運命の話

北斗の拳』が大ヒットした当時、学校見学旅行プラネタリウムを訪れたことがある。その際に、解説役の女性ナレーターが、おおぐま座北斗七星について語る場面で「誰ですか?『死兆星が見える』なんて言っている人は」とジョークを挿入してきたことを、場内が爆笑の渦に包まれたことと共に、今でも記憶している。

北斗の拳』がヒットして以降「北斗七星は死を司る星辰(星座)」という認知も、神話伝承にそれほど明るくない人々にまで普及した。特にプラネタリウムでもジョークに用いられた「死兆星」は、たとえ天文学的正式名称(ミザールとアルコル)を知らなくても、当時の少年ジャンプ読者で知らぬ者はいないと言っても過言ではない。

この北斗七星柄杓の柄の端から2番目の星が、二つの恒星から成ることを見分けられるか否か、それを尋ねることで兵士視力検査するという手法が、古代エジプトでは採用されていたという。しかし、古代エジプト人が寿命の長短を判定するのにこの二重の星を利用していたか否かは、寡聞にして知らない。西欧星座伝承の大部分は、古代エジプト以外で言えば、古代バビロニア古代ギリシア・ローマ等に起源を持つと思ってさほど間違い無いと思うのだが、これらの方面でも寿命の長短を見分けるのに使われたという形跡は、今のところ見かけた記憶が無い。単に私が不勉強で知らないだけかもしれないので、有識者意見を知りたいものである

死兆星元ネタとして、とりあえず直ぐに思いつくのは、この二重の星が日本では民俗名称として「ジュミョウボシ」と呼ばれていたことであろう。この名称個人的に初めて知ったのは、星空に関する多数の優れた本を著し、我が国における少年少女天文ファンの数を増やすことに貢献した、作家野尻抱影(SF作家野尻抱介ペンネーム元ネタである)の本で読んだ時であった。野尻抱影の本には、次のようなことが記されている。

この名の由来は、二重の星を見分けられなくなった者は、それからから一年かそこらで、御迎えが来ることから付けられたものらしい。主に、漁業従事生活者たちの間で用いられていた名称のようである海上での航海が主要な部分を占める漁業において、視力の良さは要であった。そのため、視力の衰えは即ち食い扶持を稼げなくなることを意味し、そこから、星が見えなくなることで寿命が来たのを悟るという話になったのであろう、と。

まり、ジュミョウボシは、死兆星とは正反対に、見えなくなることが死の予兆というわけである。おそらく『北斗の拳』の作者たちは、星が見えなくなるよりも、見えるように変化するという現象にした方が、視覚的に表現することが容易である(見えない星では絵に描けない)という漫画表現上の要請から、これを改変したものであろう。

これ以外に、北斗七星人間の生死に関わる星辰として語られる起源を遡れば、中国東晋時代の人・干宝が著したとされる志怪小説『捜神記』に収められた物語に行き着くことになる。

原典漢文を読んだわけではないし、若い頃に読んだ日本語訳(私は平凡社東洋文庫で読んだ)の記憶を掘り起こすだけだが、おおよそ次のような物語である

「或る農夫が、息子と共に畑仕事をしていたところ、その傍らを方士が通りかかった。方士が、農夫の息子の相を見て『この子は、このままでは十六の歳で死んでしまう』と彼らに伝えた。驚いた農夫が、方士に『それを避けるためにはどうすればいいのか』と尋ねると、或る策を授けてくれた。方士言葉に従って、農夫は、用意できるだけの酒と干し肉を携えると、南の畑の桑の木が植えられた場所へと赴いた。

方士が教えてくれたとおり、南の畑の桑の木陰では、二人の老人が囲碁に打ち興じていた。囲碁に夢中になっている老人たちは、農夫が傍に来たのにも気づかない様子であった。方士に言われたとおり、農夫は無言のままで、酒と干し肉を老人たちの手元にそっと差し出した。碁を打ちながら老人たちは、差し出されるままに干し肉を食べ、酒を飲み続け、農夫はお代わりを差し出し続けた。さんざん飲み食いし終えた後で、ようやく二人の老人は、農夫の存在に気がついた。

二人のうち、険しい顔つきの老人が『何者だ貴様は?いつから傍にいた?人間が儂らの傍で何をしておる?』と責め立てたが、方士に言われたとおり、農夫は平身低頭して無言を貫いていた。すると、柔和な顔つきの老人が『この者が振る舞ってくれた酒と干し肉を、儂らは楽しんだのだ。そう怒るな』と、怒る一人を宥めた。そして『この者に、酒と干し肉の返礼をせねばなるまい』と柔和な顔つきの老人が言うと、険しい顔つきの老人と共に何やら帳面を捲り、農夫の息子の寿命が『十六』と記されている箇所を彼らは見つけ出した。険しい顔つきの老人が、渋々それを『六十』と書き換えると『これでよかろう。もう去れ』と農夫に言い渡した。農夫は無言のまま、二人の老人に頭を下げて感謝の意を示すと、その場を去って家に帰った。

家で待っていた方士に農夫が一部始終を伝えると、方士は『これでお前さんの息子は、もう心配が無い』と言った。農夫が『あの人たちは何者なのですか?』と尋ねると、方士は次のように語った。

『あの者たちは、北斗と南斗である。柔和な顔つきの方が南斗六星、険しい顔つきの方が北斗七星である。人は南斗からまれ、その生涯は星々の間を辿り、北斗へと還る。それで、人が寿命を延ばすためには、北斗祈りを捧げねばならないのである』と」

現代人の目から見た感想を率直に言えば「これ、お人好しの農夫が、単に詐欺に遭っただけじゃねえか?」と思うところであるが、それは置いておく。

天空天体太陽や月や星や星座の動向が、地上世界で生きている人間に影響を及ぼす、或いは逆に、人間運命その他の動向が、星など天空現象に反映されるという考え方は、洋の東西を問わず広く見られる文化現象である。そういう意味では『捜神記』の物語も、ごくありふれたものだと多くの人は思うかもしれない。

しかし、私が『捜神記』の物語面白いと思うのは、最終的に北斗七星南斗六星のように夜空で目立つ星座重要な役目を果たすにせよ、社会的に見れば無名の人にすぎない農夫の息子のような人間にも、個別対応するような名も無き天空の星が存在しているという考え方を示している点である

古代ギリシアには、現代民主主義政治の源流があったけれども、無名市井の人であっても天空の星との結び付きを得ることが出来る、という古代中国のような発想には至らなかったようである。してみると、天空の星との結び付きに関しては、古代ギリシア・ローマは、神話登場人物レベルの選ばれた者にのみ許されるという選民思想だったわけである。そう考えてもらえれば『捜神記』の物語ユニークさを分かってもらえることと思う。

北斗七星おおぐま座のように、明るくて目立つ恒星とそれらが形作る星辰(星座)は、自然と人目を惹くものから古今東西人類の記録に残されている。金星火星木星などの惑星もそうである太陽や月は言うまでもない。しかし、観測技術が発達するまでは、星辰(星座)の構成員になるほどの明るさを持たない目立たない星々のことは、一々観測して天球上のどの位置存在するのか、動いているのかいないのかと確かめることは非常に困難であったことは想像に難くない。しかし、事実として夜空には、命名位置確認も追いつかないほどの無名且つ無数の星々が存在することを、昔の人は知っていたのである科学的な知識を持つ我々現代人よりも、むしろ昔の人々の方が、実感としてそれを知っていたはずである現代文明社会のように至る所に夜間照明がある条件下とは異なり、太陽が沈んで「本物の夜の闇」に包まれて空を見上げた昔の人々の肉眼には、文字通り無数の星々が見えたのだから現代人も、もし口径が大きい双眼鏡の力を借りて夜空を眺める機会を得たならば、その時は、名前も知らない星々の多さを実感して驚くことだろう。私は今でも時々、双眼鏡で星空を見て感嘆する。

こういった、存在することは分かっていても昔の技術では天球上の位置を確定することが困難であった無数の星々については、占術師たちが「実は、天球上の無数の星々は、消えたり現れたり移動したりしているのだ」と主張したとしても、民衆確認しようが無く、比較簡単に信じてもらえたことだろう。恒星の間を動き回る「惑星」、何処からともなく現れる「彗星」、明るさの変化する「新星」など、変化を示す天体現象現実に見られることも、占術師たちの主張を補強してくれたに違いない。

ただし、庶民自分個人運命専用の星を天空の何処かに持つことができたとしても、自分意志でその星を動かせる訳では無い。天空の星の動きでも人生でも、同じことである王侯であろうと庶民であろうと、現代人であろうと昔の人であろうと、人生を己の自由にするというのが困難なことに関しては、立場は同じである自分人生がままならず、自由意志で動いているのではなく、自分以外の超越的な何者かによって動かされているのではないかと感じるという感覚は、古今東西の汎ゆる宗教的思索の出発点となる。

この何者かに動かされているという感覚を『捜神記』の筆者は、南斗・北斗の両老人が打つ囲碁の対局という形で表現している。つまり、ここでの囲碁の盤面に配置されている碁石とは、夜空の無数の星々の象徴ではあるまいか将棋チェスの駒とは異なり、碁石は没個性的である分だけ、名も無い星に擬えるのには都合が良い。囲碁という遊戯起源がどのようなものであるか、それを現代人の我々が確実に知ることは不可能であろうが、もしかしたら、星々の配置を操作することによって人間運命を変えようと働き掛けるような、呪術儀礼としての遊戯にその起源の一端を持っているのかもしれない。

もっとも、これはあくまでも個人勝手空想に過ぎないので、南斗六星から北斗七星へと星空を動くというのであれば、この場合には囲碁よりもむしろ双六の方が象徴的な遊戯には相応しいのではないか、といった具合に幾らでも異論を唱えることは可能と思う。

それに、南斗と北斗囲碁の対局結果は語られていないので、囲碁の対局によって星々が動かされ、運命が左右されるという仮説は、正直に言えば我ながら牽強付会であることは否めない。まあしかし、たとえ学問専門家ではなく、実生活に役立つわけではなくても、こういった空想をすることは非常に楽しいので、なかなか止められないのである

農夫が酒と干し肉提供した行為が、祈願の対象である神への御供え行為であることは無論言うまでもないが、この他にも、無言を貫くという後代の神事や魔除けにおける物忌と通底する行為が見られる点や、南斗・北斗の翁神に邂逅する場所が霊樹の一つである桑の木の傍である点など、興味を惹くところがまだまだある。いずれまた暇を見つけて『捜神記』を再読してみようかな。

2022-08-31

ガーシ当選で感じる空気感の変化

ガーシーが受かるぐらいになったならこれからだんだん過激な考えもった人間も受かるようになるかもしれないと思った。

極端な話「警察をなくす」なんて議員も出てきて本当にそうなるかもしれない(そういう民意であるということ)。

そういえば警察ってなんで存在するんだろう?民意無関係に出来たものな気がする。

警察予備隊だか憲兵隊だか警察歴史みたいなものは忘れたけど、とにかくそれは民意要請に応じたものじゃなくて本来的には為政者勝手に設置したものに過ぎない気がするね。

警察というものを作ります」という議員過去にいたなんてこと私は寡聞にして知らない。

まあそこらへんは置いといて私が期待してるのは刑法175条の改正だ。

ガーシーみたいなあん当選ときながら議会に出ないような厚顔無恥当選させる民意が成立するような空気感ができてきてるならさ。

いままではわいせつ関連の法にメスを入れるなどそのきっかけとして口火を切ることすら並みの議員には憚れることだったんだろうけどさ。

わいせつ自由になろう」と堂々と言う候補者がでてきてもおかしくない気がするよ。そしてそれを臆面もなく当選につなげる有権者たちもでてきてもおかしくないと思える。

話逸れるが「警察」や「わいせつ法」っていうのはOSみたいなもんに思える。

ひとたび国にインストールされてしまうと、もうそれが存在するという前提の中でしか動けない。

それそのものがその存在正当化するとでもいったらいいかな。

そういうわけで「警察無くせ」とか「わいせつ罪無くせ」とか言うのは非国民みたいな扱いを受けるわけだ。

テレビで深夜2時に裸で公園をうろついてた女が警察に見つかり検挙されてたというのをやってた。

こういう誰に迷惑かけてるわけでもなさそうなのをどうして見逃さないのかね。そして「見逃す」という言葉を使わざるを得ないような今のわいせつ関連の法の中身に不合理に厳しすぎるものを感じるよ。

いくらこれは被害者存在無関係公序良俗云々みたいな建前垂らしてもまあそれにしたってこれも被害者ってのを念頭に入れた法律だとは思うのよ。(痴漢が通学路をうろつくとか)

「女が」「深夜に」「裸」で、誰が被害者に高い可能性でなりうるというんだい?極小のリスクを考えてもしゃーない。

女にとって女の性器わいせつか?(そういう性的指向の人は除くよ?)

どちらかといえばその印象はわいせつとかそういう次元じゃなく単にグロテスクものという認識が近いと思う。

そういう意味での害の可能性を考えてもそれはもはやわいせつ性に関する法律で取り締まるのは理念的に不適当だよね。

公然不潔罪」ってのがあればいいんだけど、それならなんKKOは取り締まらんのダブスタじゃんってなっちゃいそうだからなのか知らんがそんなものはない。

まあこんなことで逮捕される事例を無意識的にいろんなところからメディアを通して聞かされる環境に身を置いてれば、今よりもおとやかであれあらねばって考えが脳の深部にでも刷り込まれるんだと思うよ。

痴漢にぎゃーぎゃー騒ぐ女の一部はその反映だろうねと見積もってる。

そのおしとやかさというものを、関係のない男に触られたら嫌という感情が生まれなければならないというもの無意識的に変換され人格が再形成されてるんだろうね。

わいせつ罪がいまほど厳しくなかったら痴漢痴漢冤罪も今ほど多くなかろう。

わいせつ罪がそういう貞操観念を生み、貞操観念わいせつ罪を維持強化するというサイクルができてる。こりゃOSというよりウイルスか癌の類と言った方がいいかもしれない。

こんな不合理な法が根を張る日本にガーシーみたいな奴が風穴あけてくれればいいと思ってるよ。

2022-08-30

現代イラストレーターは、必ず滅びる

mimicなるものが、今Twitterで物議を醸している。タイムラインに浮上するくらいにツイートされていると言うことだ。その中で一つ唸ったツイートがあった。「果たして二次創作パロディの形で書いたり自身エゴを満たすのに何の違いがある」とのツイートだ。全員が全員、イラストレーター全員が二次創作で私腹を肥やしたりエゴを満たす訳ではないだろう。中には姉なるもののような、正に理想の姉を描く素晴らしいぽち先生や単純なラブコメでは説明できない、男女間の性に根差した秀逸なラブコメを描く西沢5㎜先生や、最高に素晴らしい関係を独特で流麗なイラストで描くmatch先生のように、少し思い出しただけでもざっと列挙出来る神クリエーターがいるのは承知している。

が、印象論で語るがコミケコミックブースでは一次創作ではなく、二次創作で溢れているように見受けた。性質上有志による有志の為の、とまさに趣味性をコミケ全面に押し出している訳だが実際は金をやり取りして、要は商品として作品を扱っている。純然なマーケットである印刷代の為との反論の向きはあるだろうが、私はなぜ二次創作電子配信では無料放出しない、と反論する。別の言い方をすれば、他人の褌で相撲を取るような連中の集まりだと言える。

二次絵ではない戦艦に関する考察本、或いはマイナー民俗学を扱ったような、実にオリジナルしか言えないものは本趣旨から完全に外れるのでここでは扱わない。

要はこの問題は、言うまでもないだろうが生活の糧を失いかねない人々の叫びだ。この生活の糧とはイラスト、及びそこから出る利益である

が、これは私の完全なる愚痴になるがAV新法が制定されたときイラストレーターは声を上げなかった。それは何故か。自分に降りかかる火の粉が無かったからだ。法律が縛るが故生活の糧を失いかねない人々に声を上げなかった者、その一部が今度は法律が見逃すが故に生活の糧を失いかねない状況に陥っている。世界から目を背け、自分世界に籠ったが故に危機を察知出来なかった者の末路だ。

ここで私は富野由悠季言葉を思い出す。漫画業界は、漫画しか興味がない者の集まりです、と。拡大解釈するが、ただの絵を漫画とするならストーリー性を持たせられない者が今回の被害者、となる。遅かれ早かれストーリーテラーそのものAI計算機に淘汰されるかも知れないが、これも本趣旨ではないので放置する。

私自身はイラストで食っている人間ではないが、各方面から集中砲火を受けることだろうと覚悟して敢えて言う。「予期出来なかったにせよ、AI如きに取って替わられる仕事を選んだのが悪い」と。また富野由悠季言葉引用するが、エンジニアとは元来作ったもの未来どう影響を与えるか、とかは一切考えない人間の集まりで、その最たる例が車でありFacebookでありTiktokでありTwitterであるのだろう。それが偶々イラストに波及しただけの話だ。

更に言うならば、かなり大きく乱暴に括った上で語れば、イラストとは情報である。線が複雑に絡み合って視覚情報に訴える、そのことこそがざっくりと言って情報のものだ。そもそも情報自体一種お布施文化なのである。元々が消費者側のチップにより生活をする、昔で言えば観阿弥世阿弥構造であろう。或いは新しい作品であれば犬王に近い。言ってしまえばチップ生活を営むもの現代クリエーターなのである

梅棹忠夫先生言葉で語るのならば、農業工業と二つの時代代替され、到来した精神産業時代が今なのである。そしてここからは私の言葉になるが、恐らく精神産業は次の産業に移り変わらねばならない。もう既にデザイン時代は終わったか、終わりが目の前にまで来ている。

イラストを単体で考えた上、頭の中で完結する可能性が極めて高い商品と言える。人間が見、脳に億のイラストを放り込み感覚器官で入出力を繰り返した結果生まれ確立されたもの楽器演奏DAW関係に似ている。私は無知であるのでDAWが出てから食いっぱぐれたスタジオミュージシャンがどれだけいるか知らないが、それでもあらゆるデジタルエフェクトが開発され、果てはDAWで完結したホームレコーディング作品グラミー賞を取り、そのアーティスト007主題歌を歌う現代でも、スタジオミュージシャンからDAW音楽シーン破壊した、或いは食いっぱぐれたなんて訴えるのは寡聞故か聞かない。

それでも音楽が今も、昔の勢いこそ削がれたが存在するのはオリジナリティ以上に、アイデア重要視されるからだろう。今もyoutubeを覗けば昨日アップロードされたばかりの二重の意味で新鮮な音楽に巡り合えることもあるのだから

問題そもそもない。デジタル恩恵に与り生活の糧を得てきたイラスト、画風なんて人間模倣できるものを売り物にした産業構造、それに乗っかったイラストレーターがいるだけの事だろう。その産業構造の中で生じたmicmicなる癌細胞産業全体の破壊に掛かっているだけのことだろう。もう次の産業モデルを考えねばならない時代が来ている。

私は予言する。micmicが我々の声で死滅させられたにしても、十年以内にまた、今度は別の強敵となってもしかしたらストーリーテラーでさえも呑み込む強度に成長して広義のコミック文化破壊しに来る。それよりも少し遠い未来その流れはもしかしたらアニメーションにまで来てしまうのかも知れない。個人の解剖が、趣味性格の傾向さえも分析される進んだ未来、個々人向けにカスタマイズされた娯楽を一つ一つ出力する未来が必ず来る。そこでは現代我が物顔でマーケット荒らしまわるディズニーでさえも、単なる人間による珍しいスタジオの一つとして扱われる。特定個人が最もドーパミンの出るシーンを映すことに特化した、娯楽に特化したAIが確実に出現する。無論、マーベルDC太刀打ち出来ない。

それを前提とした上で、漸く本題だ。以上は前置きである。ここまで読んでくれた読者諸君に敬意と心から謝意を表明する。そしてここから先は、与太話がたんなる一つのアイデアだと思って読んでもらいたい。私には才がないから、実現する力はない。これに触発された、いるか解らない若い君に実現の道を切り開いて欲しい。私にはその時間が割けないので。

例えばArtist Shareと言うものがある。クラファンのアーティスト版と言ったところか。そう言うものを作ればよい。そこでは中抜きを極力排して、要はコミケオンライン版のように運営にかける費用は抑え、出来るだけイラストレーター漫画家に支払われる額を大きくする。Boothやfantiaのように、単なる消費者-クリエーター関係を越えて、youtube投げ銭のように金持ち消費者は好きなクリエーターに幾らでも投げ銭が出来る、その代わりに審査を厳しく、micmicのような精神産業破壊AI会社と密に連携し、売られた作品を一度AI人間かどちらでも構わないが審査解析を行い、過去他人作品AIに掛けて描かれていないかを厳密に判断するシステムを作る。人間の描いた作品のみを取り扱う、それを可能にするシステムを構築する。可能ならば、有志達が本気ならばそこに参画したクリエーター保証する為に、歴史から引用すればメディチ家のようにそのシステム消費者全員、それは全世界さえも包括する億単位に達するか解らんが多くのスポンサーを受け入れる。その為に出来るだけ多くの言語圏に届けるために翻訳陣を用意する。勿論、ここでAIGoogle翻訳のような機能を使ってはならない。我々の優位性が失われるし、各文化圏に最適化される必要があり、それは恐らく未だAIでは実現出来ないだろうからだ。まさかエロ漫画のようなオホ声が例えばイスラム圏に最適化されるライブラリは未だAIにはない筈だ。人間の生きた脳で翻訳必要だ。

エロフォーカスし過ぎた。エロだけではない、例えば今なろうが流行しているらしいが、そのテキストさえも、要はイラストストーリー、果ては音楽も包括した組織理想ではあるが、果たしてその組織が正常に作用してくれるかは私の頭では想像できない。要は作品として一から終いまで完結出来るだけのシステムを整える必要がある。

この、Micmicのような精神産業破壊AIは、法律倫理で縛れるものではないことを前提としなければならない。幸いAV新法のように、今回は法律が縛るのではなく、むしろ縛るものがない。そこを利用し、利益を齎すシステムを作る必要がある。

だが陥ってはならない罠がある。最近で言えば確かネトフリが振るわない番組製作途中で打ち切った、なんて報道があった。それはプロ観点からである欧米道徳である利益重視である。それはクリエーターが下すべき判断であって、マネージメントの側から判断してはならぬのである

現代は高度に断片化され過ぎた。あらゆる音楽で言うところのレーベルが乱立している。集英社だけでも四つ以上はある。私の幼少では考えられぬことだった。

とは言え、現代では資本が全てなのが痛いところだ。暗号資産のように、純粋資本とは言い難いものベースにするわけにもいかない。何しろクリエータ生活が掛かっている故に、浮ついた貨幣を用いてはならぬので。

先に述べたシステムを生かすのならば、ある程度の出版社の力が必要となる。が、決してコミケオンライン版と直接に結び付けてはならない。幾ら有志とは言え、ある程度以上となれば確実に企業としての体が求められるし、資金調達が出来なくなる。そうと言っても、本体利益重視の団体と結び付けては、組織としての気風が崩壊する。それ故下位組織か、いっそ別組織で結びついた方がよい。

何よりも絶対にしなければならぬのが、出版社優位のシステムには絶対にしてはならぬことだ。私は出版業界は知らないが、組織化された集団は必ず利益の下に腐敗することを知っている。もう、出版社は腐敗していると言ってよい。が、彼らの力が最終的に必要になるのも現実だ。

それは考えねばならぬこであるが、現時点では解を得られない。君たち、読むか解らないが若者の頭で、考え出して欲しい。

些か理想に走った青写真であるのは認める。が、私が何よりも言いたのは、積極的自衛手段を編み出さねばならない、と言うことだ。出来てしまったのは仕方ないし、事実この世界自動化効率化の下進んでいっている。それに抗うのは無理だ。第二第三の者が来る。それに対抗するには流れを利用する。幸い現代資本主義が揺らいでいる。既存資本構造が正解とは限らない。使える手段は全部使え、自ら生存の為に。それが君らの世代では可能なはずだ。嘆き悲しむのは誰にでも出来る。質で来るなら量で抗え、君らにはそれだけの頭数がいる筈だ。私は知恵が足りぬので出来ず残念だが、君らでも知恵が無ければ最悪大学先生を使え、使えるものは親でも大学教授でもなんでも使え。

最後に、君らにエールを送りたい。是非とも、生き延びてくれ。

補足説明はするつもりだから、君らの意見を聞きたい

2022-07-14

当時知らなかったら批判無効無効なんだあああああ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/hakubun_s/status/1547007911691698176

https://b.hatena.ne.jp/entry/4722334726575866338/comment/maketexlsr

反原発の件でも思ったけど、公開されてたのを後から知ったネタについて、平気で大声で吊し上げする気になれるのスゲーな。自分寡聞少見を恥じたりはしないもんなのか。

自民党擁護のためにこんなこと言えちゃうのすげーよな

詐欺被害とか全否定論理だろこれ

2022-07-12

anond:20220708121058

面倒くさい相手に街中でわざわざ正義感を発揮して絡んだりはしない

黙って距離を置くってのが良くも悪くも多数派一般市民

その機微が分かってないならまさしく寡聞だろう

まず社会に出たほうがいい

2022-07-09

話を聞けるのに会話が上手くできない

「話し上手は聞き上手」なんてことをよく言うが、話し下手な私が聞き役になっても文字通り聞き役に徹してしまって会話が上手くできない

へえー、そうなんだ、なるほど、◯◯なんですねー、などと相槌を打っているとしばらくは相手はごきげんに話をしているが、

遅かれ早かれ相手に「私がしゃべってばかりでこいつは全然しゃべらねえぞ?」と感づかれてしま

そこで相手は「増田さんはどう思う?」「最近おもしろいことあった?」などとこちらに話を振ってくるわけだが

話し下手な自分はろくな返しができず相手を落胆させてしま

「あー、そうねー、まあ、そうよねえー、わかる気がする、そういうことってあるよねー、うん、わかる気がする、そうだよねー、なんかわかる気がする、うん」

リンゴ、美味しいよね。うん、リンゴは美味しいと私も思う。うん、リンゴ美味しい、いや、ほんとリンゴ美味しいよ、

え?他の果物?そうねー………そうね………そう………いや、やっぱりリンゴは美味しいと思う」

どんな話題を振られてもこんな暖簾に腕押しのような返ししかできないのだ

(ちなみに、二人で会話をしているときならなんとかして相手に喋らせることでその場しのぎができることも多いのだが、

3人以上の会話となると私以外の人たちが会話のキャッチボールをしている間で、自分はひたすら相槌を打つ虚無の存在となる

おそらくその場の私以外の人たちは後でLINE交換などしてきっとよろしくやっているのだろう)

「会話が上手くなりたければ自分の話をしようとせずに相手の話を聞け」なんてアドバイスコミュニケーション術的な話になると必ず出てくる

しかし、「相手の話を聞く」というのは会話をする上で最低限必要スキルであって、それさえ持っていれば会話が上手くなるスキルではないのではないだろうか

1.相手の話を聞く ← 会話をするための最低限必要スキル

2.ほどよいタイミング自分の話をする ← 上手く会話をするためのスキル

ではないのだろうか

であれば1のスキルを持ち合わせている会話下手がする「会話が上手くなりたい」との相談に対しては2のスキルに関する回答をすべきなのだが、

その点に言及したコミュニケーション術のノウハウ寡聞にして見かけない

相手の話を聞くことはできるが話題物事に対する意見を持たない、私のような人間が会話上手になるにはどうすればいいのだろうか?

2022-07-08

anond:20220708101605

居酒屋床屋タクシー、どこででも差別発言は聞けますけど?

そのコミュニティに属していなくても、聞く気がなくても。

そしてこれらの発言者社会的に不利になったという話は寡聞にして聞きませんね。

2022-07-02

日本の良いところでもあり不思議なところ

神社や寺や歴史的遺物を焼き払ったりしないところ

5年くらい前に在日韓国人が寺を焼き払った事件があったけど、

それ以外ほとんどそんな事件寡聞にして聞かない

良いところでもあり不思議なところでもある

2022-06-07

やっぱり「フェミだんまり案件なのでは

かがやきスクールスペシャルバイエル カラダのミカタ 高校生シンポジウム」を初開催

バルセロナオリンピックメダリスト岩崎恭子さん、澤 穂希さんも高校生応援

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000006.000019857.html

これって2016年記事だけど、こんな試みがあった事自体寡聞にして今まで知らなかった

企業主導っていうのはどうかと思うし、そもそも若い世代に啓発」よりも医師の方が態度を改めろよと思ったが

批判意図ですら誰も語らなかったってのは不思議な話だ

そしてTwitterなどで検索してみても、フェミニストっぽいアカウントが触れている様子はない

https://twitter.com/search?q=%E3%81%8B%E3%81%8C%E3%82%84%E3%81%8D%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%AB&src=recent_search_click&f=live

女性のカラダ・健康について」ってまさにフェミニズムど真ん中ストレート案件だと思うんだけど、何故だろう?

性教育とか緊急避妊薬とかがやたらと話題になる割に、あくまで性行為しかポイントを置いていない人がフェミニストには多そうだなと思った

何だかんだで生理が軽くて更年期にも大して悩まない、身体強者の女が多そう

2022-05-22

anond:20220515124855

薬草=神への供物」説には、いろいろ疑問点があるが、最大の疑問は「薬草のどのような要素が神への供物として(神に)認識されるのか? 供物として捧げられた薬草はどうなるか?」が一番大きいかな。

たとえば、ホイミ等を「MPというある種の生命エネルギーを捧げることでHPエネルギーを神から授かる呪文」だと考えるとすると、薬草はMPに相当する生命エネルギーをもったものということになるし、使用後はそのエネルギー喪失すると考えるのが妥当だろう。だが、薬草はいったん刈り取られて商品として販売されている。絵などを見ても、おおむね単なる葉っぱ扱いであって、普通に考えればただの死骸だ。生命エネルギーを捧げる行為は、収穫した時点で終わってしまっているのではないだろうか?


次に、神道における榊のような、いわば神職の手を経て加工されることである種の「依り代」としての役割をもたされた聖なる存在である、という観点から考えてみよう。なるほどそれなら植物自体は単に象徴としての供物であって、神は「捧げる」という行為の完遂をもって願いをかなえているのだと考えることはできる。榊を捧げて心が安らかになるのと同様に、薬草を捧げてHP回復するということだ。だが、そうなると「薬草」を生成するのは神職もっともふさわしいということにならないだろうか。なぜ薬草は「道具屋」で売られているのか。神殿教会は、初級の神官薬草生成の労働をさせて道具屋に卸しているのか? 復活の呪文を唱えたりといった商行為普通に行っているのに、どうして薬草だけは道具屋におろすのか? 直売すればいいのではないか?…等々を考えるとやはりおかしい。薬草の生成に神殿が関与している可能性は低そうに思われる。

何より、異世界語との翻訳問題もあるかもしれないが、上記の2点に相当するようなものを我々は普通「薬」とは呼ばない。「薬」と称されるものは、何らかの方法で体内に取り込むことによって、その成分から何かしらの身体作用を得るようなもののことを言う。それならば、「薬草」を「使用」するとは、端的に言えば(まさに空腹をも5%回復する不思議のダンジョン的に考えれば)それを「食う」行為なわけであり、その場合、「何かを食う」ことが「何かを神に捧げる」こととイコールであるという宗教観世界観が設定的に必要になると思われるが、そういう設定が「薬草」以外にも表れているような作品を私は寡聞にして知らない。また、元増田が完全に見落としているのが、これも多くの作品に登場する「ポーション」の存在である一般薬草のやや上の効力をもつように設定されているポーションであるが、明らかに人間の手が介在するこのアイテムを、また「神への捧げもの」と考えるのにはかなり無理がある。

だとすれば、「薬草」の体力回復作用は、単純にそれを摂取することで生じる薬効成分の作用だと考えるのがもっと妥当であり、ポーションはその成分を何らかの方法抽出したものと考えるのがもっと妥当であろう。もちろん、そこに魔法的な意味合いの薬効が存在すること自体不思議でないとしても、神を介在させることには特に妥当性がないと考えられる。中毒したり副作用が生じたりしないのも、まあ、突き詰めれば魔法からだよ。な。

2022-04-10

もうDXって言葉使うのやめれ

業務的になんの変革も伴わない単なるデジタル化をDXとかいうのが寡聞にして一般的認知になりつつあるように見受けられるのでDXという単語無意味になってる

2022-04-05

anond:20220405194149

このひとホームページかなんかやってたの?

寡聞にして知らない

2022-02-28

どこに核落とす?

核保有国が、核をどこに落とすのがよいか考えてみた。

核を落とす目的としては

1. 敵対者への直接的な攻撃を行い、敵の戦争継続能力を奪う。

2. 示威行為として

の二つがあると思う。

WW2の際の広島長崎への原爆の投下は、日本へのダメージを与えるだけではなく、戦後体制へ向けた他の主要国へのアピールでもあり、上記の二つを満たしていた。

ということで、上記の二つを満たすような対象を探す。

さて、追加で考えるべきことは、可能な限り自国が核報復を受けないようにすることだろう。

攻撃対象として核を持つ国を選択した場合、余すところなく相手蒸発させるのでなければ高確率報復が想定される。

なので対象は非核保有国がいいだろう。

ただ、非核保有国を核攻撃した場合、その同盟国や核保有国による報復を招くことももちろん可能性としてある。

そこで「誰が撃ったのかわからない核攻撃」を演出することで、報復可能性をさらに下げることを考える。

もちろん、世界情勢から誰しもが「撃ったのはあの国だ」と思うとしても、「落としたのは別のあの国だ」と言い張れればよい。

そうして多少なりともその意見同調する意見を生み出せれば、他国のために核を使おうという意見をかなり減らすことができるだろう。

以上より次の条件で国を抽出してみる。

・2か国以上の核保有国と(陸上海上)国境を接する国(本当は"近い国"で抽出たかったのだが、面倒なので簡略化。問題もある。後述)

核保有国か核戦力共有を行っている国でない。

すると下記の21ヶ国が該当する。(それぞれGDP順)

3ヶ国と接する


2ヶ国と接する


ノルウェーと同じく三ヶ国と接していそうな韓国が入っていないのは、中国ともロシアとも国境は接していなかったから。

近い国で抽出しなかったので同じような抜けが他にもあるかもしれない。

国境が接していない国の間でも領有権問題があるのは寡聞にして知らなかった)

さらにここから

人口経済都市部集中度合い(一度に可能な限り大きい打撃を与える)

攻撃後の汚染の広がりが自国に及ばない

核保有国との同盟関係

などの要素を加味してランキングを決めたいが、面倒なのでこれも略。

ざっくりGDP順をそのまま採用して、

(-位 韓国: 3ヶ国)

1位 ノルウェー: 3ヶ国

2位 日本: 2ヶ国

3位 スペイン: 2ヶ国

の3+1ヶ国あたりが攻撃対象として良さそう。

おわり。

カザフのQ-POPについて書こうと思ってたけどロシアウクライナ問題

昨年までカザフスタンのQ-POPについて、これから日本でも世界でもQ-POP来るかもね!なんて書こうかと思っていたが、昨年後半からカザフスタン政治状況が激変し、更にロシアウクライナ戦争まで始まってしまい気軽に音楽どうよ〜とか言ってる場合じゃなくなってしまった。

というわけでQ-POPと彼らを取り巻く政治状況とウクライナ関係をちょこっとだけ書いておく。

まずはQ-POPとは何か、から

詳しくはウィキペディアをみてもらえばわかるが、主にK-POPから音楽ファッションともに大きな影響を受けたカザフスタン音楽である

2000年代からカザフスタンでも韓国ドラマ音楽が人気となり、若者たちにも影響を与えた。

そして2015年ボーイズグループNinty Oneが結成される。名前はもう皆さんピンと来ると思うが、ソ連崩壊カザフスタン独立した年にちなんでいる。独立自主を表す名前である

彼らのファンはNinety OneのようにK-POPの影響を受けた、カザフスタン人によるカザフスタンの人々のための音楽をQ-POPと名付けた。

https://en.m.wikipedia.org/wiki/Q-pop

始祖とも言えるNinety Oneに続き多くのミュージシャンデビュー果たしている。最近ガールグループもいるようだ。

まだ生まれて間もないQ-POPだが、カザフスタン以外でもファンは増えてきているようだ。ちなみに隣国キルギスでも大人気で、Q-POP音楽祭が行われたりしているそうだ。

NINTY ONE / DARN

https://youtu.be/imx-y2jNvVA

Q-POPグループNinety Oneを取り巻くカザフスタン文化政治状況

カザフスタンイスラム教徒が多く、文化はかなり保守的。(とはいえカザフスタンではかなり戒律はゆるい方で、飲酒も行われているとか。大っぴらに飲めるかどうかまでは寡聞にしてわからないが。)

Ninety Oneデビューした時はかなり激しい反対運動が起こった。Ninety Oneは髪を染め、ピアスをし、細身の服に身を包んでダンスし、歌った。それが若い男性を中心とした保守グループからの怒りを買ったのだ。「カザフスタンの家父長制を破壊するものだ」と激しい批判を浴びせ、保守的都市では保守グループの反対集会も行われ、コンサート禁止されてしまう。音楽祭等でも他の伝統的な音楽をやっているミュージシャンからは「同じ舞台に立ちたくない」と共演を拒否されることも。

それでも現代カザフスタン若者達を取り巻く問題や悩みについて歌う彼らは多くの若者の支持を得、今では多くのQ-POPミュージシャンが彼らのあとに続きデビューしている。

このように、保守からは忌み嫌われているQ-POPではあるが、Ninety One

政府との仲は意外と良好であった。理由カザフ語とラテン文字にあるようだ。

カザフスタンでは公用語カザフ語とロシア語の2つであるしか都市部では主にロシア語が使用され、カザフ語が話せない人もいる。そこで与党ではカザフ語の普及、更にはラテン文字の導入も推進している。カザフ語でカザフスタンの歌を歌い、ラテン文字名前を使うNinety One政府にとってはい文化スポークスマンになりえたのだ。なので彼らは与党集会ライブを行ったりもしていた。

カザフスタン政治状況について

最近の情勢についてはこの記事が詳しい。

ROLESCast#007 カザフスタン情勢の急転―突発的な政権動揺の背景と影響

https://www.fsight.jp/articles/-/48557

ざっくり説明すると、昨年からガス値上がりにより全土にデモ暴動が拡大、大統領の家宅まで襲撃される事態となり、ロシア主導の治安維持部隊派遣された、という話。

親ロシア政権独裁体制前大統領ナザルバエフ時代から後継者に選ばれたトカエフ大統領のもと、ナザルバエフ−トカエフ体制で長年政権は安定していると見なされてきた。

しかしガス値上がりが引き金となり、長年の独裁汚職に対する国民の不満が爆発、全土にデモ暴動が拡大。トカエフ大統領ロシア治安維持部隊を投入、警告なしの発砲を行い200名以上が殺害されている。

ちなみにこの記事は今年1月上旬のもので、対談が行われたのはおそらく前大統領ナザルバエフの失脚前のもののようだ。今年1月5日、暴動を抑えきれなかったナザルバエフは、トカエフ大統領によりカザフスタン共和国国家安全保障会議議長を解任され、カザフスタンから脱出。その後もトカエフ大統領ナザルバエフと近かった治安機関トップ国家反逆罪で拘束したりと政府からナザルバエフの影響を排除しようとしている。

ちなみに北京オリンピックではロシアとも中国とも親密な関係アピールしていたのだが、昨日トカエフ大統領ロシアからウクライナ派兵要請を断った、というニュースが流れた。

ロシア的にはナザルバエフプーチンは同志的な関係であったし、トカエフナザルバエフ路線継承した親ロシア政権カザフスタン暴動反ロシアではなく反カザフスタン政府であったので、ウクライナのように侵攻する気はなかっただろう。しかしトカエフ大統領プーチン要請を断ったことでこれからどうなるかわからない。

トカエフ側としてはロシアは今はウクライナで手一杯、国際的にも孤立、更にロシア国内でも反戦デモ、とカザフスタン派兵する余裕はない、国際的にも派兵を断ったほうが孤立を避けられる、と見てのことかもしれない。しかしこれからどう転がるかはわからない。トカエフ体制もいつ崩壊するかわからない瀬戸際である

そしてまたQ-POP

カザフスタンインフルエンサーによれば、近年の価値観の変化は激しく、若者であっても3〜4歳下の若者とのギャップは両親とのギャップ以上であるという。

いくつかQ-POPPVを貼っておく。言葉からないけどJ-POPK-POP好きならめっちゃ聴けるタイプ音楽では?

NINETY ONE - Ah!Yah!Mah!

https://youtu.be/TXndlL4XPE4

SEVENLIGHT - Núkte Official MV

https://youtu.be/RXeFYeQwC90

JUZIM - Baǵynbaimyn

https://youtu.be/V5c2PnRKU6E

ちなみに当増田はJPOPもKPOPもあまり聞かないタイプである

何故Q-POPに興味持ったかというと、カザフスタン伝統音楽を調べていたのがきっかけであった。

カザフスタンにはドンブラという伝統楽器がある。何かが流れてきそうな名前だが、こんな弦楽器である

https://youtu.be/-RkOHNyuijE

カザフスタン若者の間ではドンブラパーティと呼ばれているフラッシュモブ的な街角でのドンブラ演奏会が行われているそうで、ものすごくカオスフリーダムな情景を思い描いたのだが、実際YouTubeで見てみるとのどかものだった。

https://youtu.be/WrmT4A7Z25o

こんな達人級がゴロゴロいて、週末になるとあちこち街角ドンブラを演奏しているのである。そりゃQ-POP拒絶反応も出ますわな、と思わされた。しかしみんな違ってみんないい。個人的にはどちらも聞きたい。

2021-11-03

小説を書いていた俺が面白かった中世ヨーロッパの本を共有する

歴史を学ぶ上での四つの視点

かつて趣味小説を十年近く書いていた者だ。俺も理系だが、理系歴史を学ぶ上で決して弱みではない。むしろ物事を大局的に眺め、出来事意味や結果をロジカルに考えるうえでは助けになるし、論理的文章も得意だろう。なので、自信をもって執筆に向かってほしい。

とはいえ、いきなり中世ヨーロッパ舞台にした小説を書くのは難しい。農民であれ騎士であれ、生活の細部を思い描こうとするだけで筆が止まってしまう。朝起きて顔を洗い、用を足して食事をする、その半時間のことなのに細部がさっぱりわからず、筆が進まない。ありがちな悩みだが、深刻な悩みでもある。

仮に十年前の日本舞台にした小説を書こうとしても、「当時はスマホが既にあったか」「はやっていた音楽は何だったか」「あの事件はもう起きていたか」など、俺たちの記憶は甚だ頼りなく、資料に頼らざるを得なくなる。ましてや、生まれる前の出来事など仮定仮定を重ねた蜃気楼のようで、資料なしでは立ちすくんでしまう。よくわかる。なので、俺が読んで面白かった本を共有したい。

ところで、増田世界史勉強したいと述べているが、どうも「小説を書くための中世ヨーロッパ知識が欲しい」と「知識から漠然世界史について学びたい」が混在しているようだ。ブクマレスを見ると、その両方に対する回答がある。俺は、ひとまず前者について答えたく思う。後者については、中央公論社の「世界歴史シリーズか、講談社の「興亡の世界史」を読んで、そこから気になったキーワードからどんどん広げていくといいと思う。なお、俺は前者しか通読していない。

さて、過去世界を生々しく想像するためには、俺は四つの視点必要だと考えている。数理的視点物質視点、非物質視点それからエピソード視点だ。以下、それぞれについて述べる。各々の視点に応じて、手に取るべき書籍は異なってくる。

さらに、この四つの視点があると、頭の中で歴史知識を整理するのに役に立つ。少なくとも俺にとってははやりやすい。

数理的視点

過去世界は偉大なようだが、人口現代よりも少なく、都市の規模は小さく、穀物工業製品生産量も少ない。そういうわけで、もしもタイムスリップして中世大都市を眺めたとしても、その小ささに俺たちは意外さを覚えるかもしれない。確かに現代にも通用する芸術作品はあるかもしれない。時代は異なるが、ピラミッド紫禁城のような壮大な建物もあるだろう。とはいえ庶民はそんな生活とは無縁であったはずだ。パリ城壁は今や環状線であるが、今のパリ都市圏はそれを越えて広がっている。

さて、小説を書く上ではリアリティ必要になる。それを支えるのが数の感覚だ。例えば、ある国家人口がどれくらいで、即時に動員できる兵士がどれくらいで、都市都市距離がどれくらい離れており、移動速度はどれくらいか集落の規模はどの程度か。船舶で運べる量は。モデルとする時代数字をおおよその知っておくことで、明らかに自然描写は減らせるだろう。このあたりについては「銃、病原菌、鉄」や通史的に世界人口を扱った書籍が助けになると思う。細かいことは気にしなくていい。オーダーが合っている程度で充分だ。数字を確かめるだけなら、ウィキペディアだけでもいい。これは英語版を併用することを薦める。

物質視点

要するに衣食住の細部だ。先ほど騎士農民の一日を想像するのが難しいと述べた理由はこれになる。増田必要としているのはおそらくフランシス・ギースの出しているシリーズだ。都市農村、城の生活が細かく書かれている。

他に、当時栽培されていた植物動物については、「世界史を変えた50の○○」シリーズもいい。ある素材が手に入るか入らないか、あるいは知識の有無だけで国の命運が変わるというのは、たびたび起きてきたことだ。中世ではないが、例えばヒッタイトで鉄の製法が独占されたこと、柑橘類で長期航海の敵、壊血病が防げるとか、そうしたことだ。

また、具体的な書名はいちいち挙げられないが、図版の多い図解○○のようなシリーズも良い。もし、増田視覚的にものを考えるタイプならなおのことだ。慣れていくと建築芸術の○○様式というのが何となくわかるようになってくる。

加えて、児童書も侮っては行けない。専門家が監修した子供向けの本は、えりすぐりの内容を含んでいる。仮に含まれていないとしても、これだけは伝えておきたいという基礎知識は抑えてある。これは立花隆が言っていたことだったと記憶しているが、なじみのない分野を学ぶためには基本的な内容の本を三冊読むといいそうだ。なぜなら、本当に大事なことはその三冊すべてに書かれているからであり、結果的にその分野の基礎を身に着けることができる。

物質視点

これは当時の人間が何を知っており、どんな風に考えていたかを指す。直接は物質として残らない、人の頭の中にあった知識文化にまつわることだ。当時の科学知識価値観法律迷信などもここに含めてよい。

さっき中世人の朝を想像するのが難しいと述べたが、昼以降の社会生活想像するのはこれでさらに難しくなる。

たとえば俺は異世界ファンタジーをあまり読まないのだが、中世には叫喚追跡という風習があった。当時のイングランド自由市民犯罪が生じた場合には、その犯人逮捕処罰する義務を負っていた。隣保組織の長は角笛を吹き、大声で喚声をあげながら犯人を追跡しなければならず、また周囲の住民もその指揮に従って追跡に加わることが義務付けられていた。しかも、この協力を怠った住民に対しては制裁が課せられる。寡聞にして、こういうファンタジー小説は読んだことがない。

ここまではいかないにしても、海外文学を読むとなじみのない、ちょっとしたジェスチャー迷信出会うことがある。欧米だと、指を交差させることで幸運を祈るし、ロシア人は今でも扉越しに握手をすることを嫌う(宇宙ステーションでさえ)。この辺にリアリティは宿る。ジェスチャー関係なら、中世とは少しずれるが「常識世界地図」が面白い。

法に関しては詳しくないがが、習慣や生活については先ほど述べたフランシス・ギースの本が参考になると思う。価値観では「中世の秋」がいいだろう。科学史については、増田理系から「磁力と重力発見」を薦めたい。難易度はかなり高いが、知識いか科学になっていくかを肌で感じられる。

当時の職業に関しては、未読だが「十三世紀のハローワーク」がいいらしい。

キリスト教宗教史に関しては、聖書エピソードの概略や聖人伝を知っているといい。絵画が好きなら名画で学ぶ○○といったシリーズがたくさん出ている。ただし、聖書がわかったからと言ってキリスト教がわかったことにはならないので注意。

エピソード視点

これは著名な人物の伝記に関する話だ。あるいは、当時の人々が親しんでいた物語も含めてもいい。こういう偉人の伝記や小話をたくさん知っていると、歴史好きの物知りとしてマウントを取ることができるが、その出来事世界史上でどのような意味があったかを語れなければ、自己満足で終わり益は少ない。とはいえ、興味深いのは確かで、プロットの参考になるかもしれない。

このあたりの知識のためには、児童書も含めて伝記を読みあさることになる。または、ハプスブルク家歴史だとか、各国史だとかを扱った新書を乱読する。絵画に興味があるなら、これも名画で見る○○のようなシリーズおすすめだ。

当時の人々に身近だっただろう中世騎士物語については、ブルフィンチアーサー王伝説シャルルマーニュ伝説をまとめている。それとは別にマビノギオン」も面白い。とはいえ、いきなり原典に当たる必要はなく、入門書を読めばいい。

ギリシアローマ神話は呉茂一の本が細かいところまで網羅しているし、ホメロスオウィディウス岩波文庫に入っているが、呉茂一の本は初心者には細かすぎるし、原典に当たるのは趣味領域から小説を書くなら入門書で充分だと思う。同様の理由で、「史記」だとか「ローマ帝国興亡史」なども趣味に属する。当時ならではの視点面白いが、鵜呑みにできない誤謬もあるだろう。

かに読んで面白かったもの

もちろん、単純に上記の分類にすべて本が収まるわけではない。大抵の通史・各国史はこれらを兼ね備えている。

以下、何となく面白かったものを思いついたままに書く。「中世ヨーロッパ歴史」「十二世ルネサンス」「ケルトの水脈」「西ヨーロッパ世界形成」(ただしこの本は著名な王の事績ほとんどの載っておらず、当時の価値観や考え方についてのページがほとんどで、そこがアマゾンで叩かれている)。それから、隣人から視点として「「イスラームから見た世界史」「アラブが見た十字軍」など。

書き洩らしているかもしれないが、今のところ思いつくのは以上だ。

他に、中世舞台にした小説映画おすすめだ。難解だが読み応えのあるミステリ薔薇の名前」、SFだが「異星人の郷」がいい。「大聖堂」は未読だ。「モンティ・パイソン・アンド・ホーリーグレイル」はコメディだが細部の正確さは中世映画随一であるとのこと。毒のある笑いに抵抗がなければおすすめ

増田に注意してほしいこと

中世風の舞台を描くために中世について勉強する。素晴らしいことだ。俺は敬意を表する。それに読んでいるうちにどんどん楽しくなってくるだろう。何かを知る、これは純粋な喜びだ。

だが、小説を書く以上、ある程度は想像力で補わないといけない。ある場面を書く際に必要情報があるとしても、そもそもその資料存在しないかもしれない。研究者でさえわからないことは多い。俺もこれだけ読んできたが、わからないことだらけだ。むしろ、疑問が深まった感さえある。細部も忘れてしまった。増田はぜひ自分で本を買ってメモを取るなり線を引くなりしてほしい。読み飛ばさず、時間を掛ければそれだけ得るものも多いだろう。

もっとも、描写に困った場合は、該当シーンを省いてしまうのも手だ。小川哲がどこかで述べていたが、ある歴史SFを書くときに、細部を省略したシーンがあるという。ストーリーにあまり関わらない部分を省くのは、立派なテクニックだ。読者だって中世建築の細部について延々読まされても困るだろう。

もうひとつ忘れてはいけないのは、増田研究者になろうとしているのではなく、小説を書こうとしている、ということだ。知識目的ではなく、手段だ。これを忘れてしまうと、他人の設定の粗を探したり、中世なのに価値観現代的なのを揶揄し始めたりする。こうなると、物語世界を素直に楽しめなくなる。

大事なのは歴史的正確さよりも、読者を喜ばせることだ。そういう意味では、演出として火薬が出てきたっていい。あるいは、読者が感情移入やすくするように、人を殺してなんぼの武将ではなく、戦争で人を殺すことをためらう武将として、描写する必要がある(ドラマ戦国武将がやたらと戦争を嫌い、優しいのはそのためだ)。異世界ファンタジーの読者が読みたいのは中世ではなく、中世っぽいものだ。そもそも中世ヨーロッパ風なのに唯一神を信じていないファンタジーは多い。

そういう意味では、本を読んでもその知識が直接生きることは少ないかもしれない。くれぐれも、読者に向かって知識をひけらかしてはいけない。あるシーンの正確さのために資料に当たるのはいいが、その成果を延々披露しては読者のストレスになるだけだ。もちろんそういう衒学的な歴史小説もあり、固定ファンはついているが、ネット小説の読者には少ないだろうし、ネット小説の肝であるPVを稼ぐことにはならない。これはいい悪いではなく、ネット書籍媒体の差だと思っている。

また、レッドオーシャン中世ヨーロッパファンタジーに飛び込むのなら、正確さよりも作者の専門知を活かしたものの方が(ブクマで書いている方もいるが)読者の目に留まりそうである。そして、くどいようだが、これだけおすすめの本を書いてきたが、読者が欲しいのは正確な知識ではなく血沸き肉躍る物語である

だが、作者にとっての最大の危険は、どんな物語よりも過去に起きた事実の方が面白いのだと気づいてしまうことだ。この罠にはまると、どんな小説所詮作り事と思われて素直に読めず、何を書いてもむなしくなってしまう。言い換えるなら、創作欲が知識に殺されてしまう。増田には、これに一番気を付けてもらいたい。

それを防ぐには、面白小説を読み、面白ものを書くこと、これに尽きる。先行作品としての中世ファンタジーを愛し、数多く読み、繰り返し読むこと。

知識の増える専門書を読むより、中世ファンタジーの書き方を読むべきだった、と増田がならぬよう、幸運を祈る。

anond:20211031163129

2021-11-02

anond:20211026000426

浅すぎる。

平成狸合戦ぽんぽこ』は多摩の開発と自然破壊を題材にしているが、そこに描かれているテーマは「自然vs人間」ではない。

里山vs都会」だ。

なぜ狸が擬人化されているのか?

狸の反抗が左翼活動家集団のように描かれて、居座りやら内ゲバのようなものまで描写されるのはなぜか?

ラストに敗北した狸が「慰み」として作り上げた幻覚は、どうしてただの狸の生息する森や山ではなく、かつての暮らしをする人々のいる人里なのか?

狸たちは都会人としての生活に反抗し、里山的な生活を固持しようとする人間表象だ。

擬人化というよりは、擬狸化と言ってもいいくらいだ。

物語ラストで、敗北した狸たちは、人間に化けられるものは都会の暮らし余儀なくされ、人間ではない狸たちは社会から阻害されて死出の旅へと出る。

その表象現実と照らし合わせたときに、単に自然破壊はよくないという感想になるのだとしたら、あまりに貧しい。

この物語類型は、戦後日本において産業構造の変化に伴い、それまであった田舎といったものや、そこに住む人々たちが変化していかざるを得なくなったという話の仲間だ。

たとえば『フラガール』なんかは第3次産業に移行する時期の地方の村における人々を克明に描写している。

同じジブリでも、近い時期に製作された『耳をすませば』や『もののけ姫』は同じテーマベースにしている。

この時期というのは、宮崎駿漫画風の谷のナウシカ』の方向性を裏返してラストを書き上げた時期でもあるし、寄生獣岩明均が「環境問題への見方が連載当初と変わってきた」と述懐しつつあのラストを描いた時期でもある。

増田が考えるような純朴な「自然環境保護」の思想日本アニメ漫画で力を持っていたのは、藤子・F・不二雄が没するくらいまでだろう。

晩年大長編ドラえもんではかなり純朴な「自然環境保護思想描写される。

顕著なのが『雲の王国』や『アニマル惑星』などだ。

思うに、こうした「自然環境保護」の思想90年代前半にピークを迎えたあと、90年代後半には変質したのではなかろうか。

純朴なほうの「自然環境保護」は「道徳」と親和性が高いので、2000年代くらいまでは学校教育に根強く残っていたような肌感触がある(その後の教育がどのようであるかは寡聞にして知らない)。

この時期的なギャップから、この時代作品についての評価についてはかなり歪みが残っているように感じられる。

2000年代以降は複雑化し単純に善悪で語れなくなった「自然環境保護思想はあまりフィクションで求められることがなくなったというのもあり、当時鑑賞していた人間もこの認識無自覚のまま、見方更新できていないのだろうと思われる。

もし現在の視座から再び『平成狸合戦ぽんぽこ』をみるとしたら、空疎に都会化する郊外についてとか、ゴーストタウン化する商店街とか、高齢化した多摩ニュータウンに残る空き家とか、多摩で育った子供大人になってどこに行ったのかとか、そういったことに思いを馳せることになるだろう。

しかしやはり作品のメインとしては、活動をする集団人間くさい失敗あるあるをみて笑い泣くエンタメという楽しみ方になるだろう。

多摩自然が素晴らしい」という感想はその次に、絵としての美しい描写として出てくるものになるだろう。

そして、「自然を守らなければならない」というのは、この映画テーマとしてではなく、描かれた美しい自然に感動した観客が、自身良心でもって結論づける感想としてしか出てこないだろう。

2021-10-08

anond:20211006074457

お前こそ国語力が弱い

記事の「麻生氏は、菅政権での新型コロナ対策について「酒とどういう関係があるのか全然からない」と主張。「家族が4、5人いて、じーっと家の中にいたら、家の中で感染する。4人以上で飯を食うなって、6人家族だったら、2班に分けて飯を食うんですかって、おかしい」などと前政権で言い続けてきたと語った。」

コロナ対策の具体的愚痴を言った上での、具体例のない通り一遍の「実績あるけどイメージがね」というセリフ

まずいと思ったのか自分の顔も一緒と付け加えたわけだけど

こういうの実際お前が上司との面談で不満点だけ具体的かつ長く、褒める時は「ま、実力あると思うよ、でもイメージが悪いよ」ってだけ言われたら相当マイナス評価なのと一緒で。通り一遍の建前のアゲをそのまま受け取るのお前の方がおかしいの。

マイナス評価に対する「熱量」やバランスなんか含めて考えて、普通言葉通り解釈しない。

もちろんメディア編集可能性も高いよ。でも少なくともあの記事だけから麻生評価してないのは読み取れる

言っとくがド身内のパーティーで、恩ある直属上司(本人は自分の方が偉いと思ってそうではあるが)の仕事普通だったら一切けなさないからな。まず政権批判しない。進次郎くらいの発言になるのが普通で、長々愚痴が出る時点で相当なんだよ

その程度分かれよ。

ちなみに安倍ときには麻生はなんかいってるか?寡聞にして知らんが

そういうの比較込みで評価されてないって判断してる

2021-09-30

anond:20210930183424

いわゆるはてサ多数派は「本音のところは共産シンパだけどさすがに無理そうだから消極的野党第一党の立憲支持」って感じでしょ

共産と組むのに文句言ってるブクマカ寡聞にして一人も知らない

2021-09-09

対消滅

ネットでは人間に対して用いられることがままあるが、実際に対消滅した例は寡聞にして知らない。

2021-07-30

真珠に詳しい方いらっしゃいますか?

銭湯サウナでよく顔を合わせるジジイがいる。背中一面に彫り物があり、同じ時間くらいに来る別のジジイを叩いたり、水をかけたりしていじめたりするという入浴マナー以前の問題があり、関わるのが嫌でジジイが来ると上がっていた。

ジジイが更に嫌なのは局部えげつない性病ダメージなのかホヤみたいな訳のわからない形状をしており、公衆浴場なんて衛生的に完璧ではないという事実を目の当たりにさせて来るところで、いつもはジジイが水風呂に入る前に上がるようにしていた。

ある日サウナに入ってすぐにジジイと出くわしてしまった。迷ったが覚悟を決めてサウナに入っていると、向かいに座ったジジイ局部みえる。思っていたよりホヤっぽくはない少し驚く。例えるならパチンコ玉がいっぱい入ったコンビニである

おそらくはジジイ局部真珠を入れており年月を経て縮こまった局部の皮内部で自由に動いた真珠が下に落ちてたまったのであろう。すげえもんみたなという感動があった。ジジイ局部をぶらぶらさせては別のジジイをぶん殴っていた。

しか銭湯めぐり趣味で、様々に局部をみていたつもりだがそもそも真珠の入ったものをみたのは初めてであった。ましてやお役御免になったものとは。普通真珠は飽きたら手術で出すんだろうか。その際の適切な人生におけるタイミングみたいなものはあるのか。使わない物置を掃除することがないように中の物はほっとくんだろうか。寡聞にして知らない。真珠に詳しい方ご教授ください。

2021-07-20

小山田圭吾問題について思うこと

小山田圭吾問題について、中高のいじめで完全に自信喪失および人間恐怖症になって中年ニートになった自分にとって、思うところがありすぎたので、自分自身の整理のために書いてみた。

1 いじめっ子のほうが社会的成功者になってしま問題

今回の問題の核心は、どれだけひどいいじめ(というか暴行拷問表現すべきだが)を行って、それを公の場で自慢げに語っても、学校の内外で処罰されることもなければ、反省一つ促されることもなく、当然謝罪もなく、その後の人生キャリアに傷がつくことも全くなかったということである。例のインタビュー記事小山田と絶交した、という人もおそらくいないであろうことは、あの後も変わらず精力的に仕事をし続けていることから理解できる。逆に小山田圭吾は、ひどいいじめをおこなった側の方こそが、社会的大成功を収めるというモデルケースになってしまっている。

周知のようにいじめ問題では、現在でもいじめ被害者の側が転校させられるというケースが多く、客に加害者の側が転校したり推薦を取り消されたりというケースは寡聞にして聞かない。超名門校を出場辞退に追い込むほどの暴行を後輩に行った高校球児手が普通にドラフト指名されていたように、大人はいじめ加害者を逆に高く評価しているのではと感じさせるケースもしばしばある。自分クラスでもいじめ自殺が発生したことがあるが、加害者は何も咎められることもなく、普通に一流とされる大学に(記憶曖昧だが多分推薦で)進学した。小山田圭吾は、こうした「いじめもの勝ち」になっている社会象徴的な存在である

2 時代場所問題

1990年代もあのようなことは許されていなかった、時代問題で相対化するな」という批判がある。それは正しいが、やはり同時代空気を鮮明に記憶している人間としては、批判として非常に浅く感じてしまう。

あの時代バラエティ番組は、若手芸人などに嫌がることをさせて、「痛い」「熱い」と泣き叫ぶのを見てMC側の人間ゲラゲラ笑うというものが本当に多かった(逆にそういう笑いをしない志村けんテレビから一時期消えていた)。既にいじめ社会問題化してはいものの、「あれは相手も納得済みだからいじめではない」というテンプレ論法で許容されていた時代だった。ネット黎明期テレビがほぼメディアの全てだった時代いじめを受けていた側にとっては、当時のバラエティは見ているのも辛かった。

そういう時代雰囲気のなかで、ましてや悪趣味がかっこいいものとしてはびこるサブカル雑誌インタビューという場所で、たとえいま小山田五輪組織委を口を極めて非難している人たちがそこに居合わせたとしても、おそらく一緒に笑うしかなかったと思う。特に空気の変わり目を読んで同調して小山田非難しはじめているような、ワイドショーコメンテータータイプ人間は、そこにいたら一生懸命面白がるアクションをしていたはずである

申し訳ないが、中高時代いじめ被害者として過ごしてきた人間には、いくら現在小山田非難しているように見えても、時代空気同調しているだけで、こいつは本質的はいじめっ子の側の人間だろうというのは直感にわかってしまう。その意味で、たとえばカズレーザーなどはあまり信用できないし、逆に一見いじめ時代問題として相対化していることを言っている爆笑太田のほうが信用できる気がする。ほかにも、五輪批判政権批判文脈しかこの問題に興味のない人も、およそ信用できない。

anond:20210720103843

文庫本だの単行本

ふりがなついてないと大人文章が読めない年齢の子」は事実上読めないという意味ですでにゾーニング済みとして扱われる慣習だよ

漫画とちがって絵がなければ子供は読もうとしないしタイトル子供向けではないことがバレてるだろ

もし「漫画版:本当は怖いグリム童話」があるならそろそろR18指定を考えてもいいんだろうとはおもうけどおれは寡聞にして知らん

2021-07-15

テレワークにおいてプロジェクト全体の空気を悪くする人間をどう扱えばよいか

チャットでのやり取りは口頭でのやり取り以上に気をつけなければならないというのは、

はてなに常駐するような貴君らには釈迦に説法であろう。

だがしかし、世の中愚昧な輩というのは往々にしているもので、

プロジェクトが大所帯となると一人や二人、世の理を知らない愚物が紛れ込むのはInevitableだ。

我は寡聞にしてかような阿呆への対処法を知らぬ。

そこで聡明な貴君らに良き策を乞いたいと思い、増田を書いた所存である

2021-07-13

素朴な疑問なんだが、トランス男性芸能人っている?

芸能界LGBT枠ってトランス女性に偏りすぎじゃね?

芸能人トランスジェンダーっていうとトランス女性カルーセル麻紀とかはるな愛とかIKKOかいくらでも名前が挙がる。

逆にトランス男性の例ってあったっけ?

寡聞にしてそういう例を見ない気がしたのでもしこの人トランス男性だよって人いたら教えて。

芸能人としてある程度成功してて看板としてトランス男性を背負ってるって人で頼む。(無名劇団員とかじゃなく)

宝塚があるだろって意見もあるかもだが宝塚以外で。

宝塚の中にはトランス男性って人もいる可能性もあるがトランスって点を売りにしてるわけでもないしジャンル的には歌舞伎女形に近いと思ってる。

あくま少女歌劇だし退団後に芸能活動続けても女優として活動してる人ばかりな気がする。

単なる男装の麗人ならいくらでもいるだろうが芸能界トランス男性少ないなー、ってか存在するの?って思って。

女形の影響もあるのかもしれないが男装女装中性的というなら宝塚もあるのに片方に偏ってるのおかしくない?

ニューハーフブームの影響もあったかもだがブーム以前からトランス女性に偏ってた。

よくトランス女性芸能ファッションなどの世界で才能認められ活躍してる人がいるイメージあるがトランス男性も才能ある人いるはずで同じ分野で活躍してる人たくさんいてもおかしくない気がするんだが。

芸能界トランス女性偏重がある気がしたので根底に何らかの差別構造があるよな気もするんだよね。

ただ差別があったとしてこの場合男と女どっちがどっち差別してることになるんだろう?

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