はてなキーワード: 寡聞とは
芸能人でトランスジェンダーっていうとトランス女性のカルーセル麻紀とかはるな愛とかIKKOとかいくらでも名前が挙がる。
寡聞にしてそういう例を見ない気がしたのでもしこの人トランス男性だよって人いたら教えて。
芸能人としてある程度成功してて看板としてトランス男性を背負ってるって人で頼む。(無名の劇団員とかじゃなく)
宝塚の中にはトランス男性って人もいる可能性もあるがトランスって点を売りにしてるわけでもないしジャンル的には歌舞伎の女形に近いと思ってる。
あくまで少女歌劇だし退団後に芸能活動続けても女優として活動してる人ばかりな気がする。
単なる男装の麗人ならいくらでもいるだろうが芸能界でトランス男性少ないなー、ってか存在するの?って思って。
女形の影響もあるのかもしれないが男装や女装で中性的というなら宝塚もあるのに片方に偏ってるのおかしくない?
ニューハーフブームの影響もあったかもだがブーム以前からトランス女性に偏ってた。
よくトランス女性は芸能やファッションなどの世界で才能認められ活躍してる人がいるイメージあるがトランス男性も才能ある人いるはずで同じ分野で活躍してる人たくさんいてもおかしくない気がするんだが。
芥川賞直木賞の受賞歴と夏休みに課される読書感想文コンクールの大賞とはどっちの方が稀少でムズイんだろうか
芥川賞とかは作品出してる新人なら誰でも(つまり世代に無関係に)選考対象という意味で分母が大きい
読書感想文も少なくとも公立の全ての学校の子供が受けさせられるから母数は相当なもの
といっても全世代が受けられる芥川賞などと違って、大人になってから子供に紛れて受けるということはできない
読書感想文なんて文学賞に比べれば子供のわんぱく相撲みたいなものだと言っている人もいたのだが、
自分自身もまた、実力がまだ未熟な子供もときしか賞をとれる機会がないという意味では、難しさの単純な比較は困難
また読書感想文の方が簡単というなら、芥川賞直木賞の受賞歴がある人なら子供のころに
読書感想文の大賞を取ったという経歴を持っていていいはずだが、そういう人は寡聞にして知らない
どちらの方が難しいのだろうか
そんなものは寡聞にして知らないが見逃されてるだけな気もするんだよな
裾野が広い山ほど高いっていうし、レスバトルには相当な人間が参加してきてるわけだから、本来その議論から生まれるものは計り知れない
何としてもその論争に勝利すべく機転なりウィットを利かせるうちに従来の論理学では見出されていなかった論法が生み出されていることだってあるかもしれない
哲学者という名の大学教授は論文とか書いて金をもらっているように、レスバトラーにもそういった功績に応じて褒賞金が出るべきなんだよな
でも金を与えられるような身分の人間は先入観でネット上のレスバトラーを軽視してるからなのかそもそもそこで画期的な大発見がなされようが光が当てられることもないのだろう。
報告書では、英国の学校で広く使われているStar Assessmentsと呼ばれるReading(国語)と算数・数学の学習成果について、2019年11月のデータを用い、2020年の11月時点での結果との比較を行い、学習の遅れ(ロス=損失)の推計を行っている。
過去の学力調査との比較を可能にするデータだからこそ、このような推計ができる。
日本で同様の分析や報告が行われた形跡を、寡聞にして知らない。両国間で、全国的な規模での学校閉鎖の時期や期間がほぼ同じであったこと(ただし、新年度が何月に始まるかといった違いはある)をみれば、教育を担当する行政や調査機関、マスコミや社会の関心度の違いのあらわれといえるだろう。
さらには、いざというときに、このような分析を可能にするデータの蓄積や分析手法の開発という点での両国間の能力の違いのあらわれだということもできる。
日本で多額の税金を使ってほぼ毎年行われている全国学力・学習状況調査は変化を捉える設計で行われていない。そのために、今回のような緊急事態に直面した際に、学習の遅れを測定するためのデータとして使うこともできなかった。
学習評価の専門家はそのような調査設計(項目反応理論を応用したテスト開発)を提唱してきたが、その提言に従い、異なる時点間の比較を可能にするデータを構築するための方法を取り入れてこなかったのである。
その結果、莫大な税金を投入してきた全国学力テストは、社会の変化に対応するための政策研究に資するデータとしては、役立たずであったと言っても過言ではない。
記事の大部分は、イギリスの報告書をもとにした、休校による学びの遅れの指摘ですが、著者の主張は、「評価と意思決定のためのデータを集める体制が整っていない」ということですね。Twitterでの反応が「格差社会ガー」「政治ガー」ばかりなのが残念ですが。私も、昔いた教育系の職場で項目反応理論 (IRT) を調べて、ちょっとしたプログラムとかを書いていましたが、非同期的で、個々人に合わせたアダプティブな教育が求められる今こそ、必要な領域だと思います。もちろん、ちまたの「AI教材」を売っている会社はそれをやっているでしょうし、IRTよりももっとモダンな理論があるかもしれませんが。
戦争って現代においては「俺が嫌いな奴は皆殺しだぜヒャッハー」ではなく「相手が全然話聞かないんでね?いやこっちもやりたくないけど仕方ないんですわー」とか「向こうが先に手を出したので自衛のために仕方なく」って建前が最低限ないと行えないものだと認識している。
「自衛隊は専守防衛だから軍隊ではない」というのは意味不明、なぜなら「攻めるためと言って組まれる軍隊」なんて今日日存在しないのだから。そう言っていたのは井上達夫だったか。
その上で日本における反戦というのは「いかに仕方なかろうとも、それをやってはいけないのだ」という原則論(悪く言えば「原理主義」)だと認識している。
「原理主義」という著しくマイナスな言葉は使ったが、「平和原理主義」が単純に悪いものとは思えない。
自分は今まで、そのくらいは反戦に共感してはいたが、その原理主義を「お花畑」と蔑む人もまあ言いたいことはわかるな、とふわふわと思っていた。
だが、最近の政治を見ていて別の反戦のあり方もあるのではないかと思えてきた。
それは「今の日本が戦争すれば絶対負けるからやりたくない」というものだ。
最初に言った「仕方ない」という理屈は、「戦争をすればなんらかのプラス(先に被ったマイナスと相殺される場合が多いとはいえ)を得られるはず」という予測が大前提にある。
誰が「仕方ないんですよー」と言いながら、負けると分かっている戦に突っ込んでいくであろうか。
無論、大昔はそういうこともあった。義理とか奉公とか、そういうやつである。
でもその場合でも本人や子孫に対する何らかのプラスがあった気はするし、愚行の責任は本人が取る(つもり)という建前はあった。
まして現代で右から左まで1億人以上が戦争に参入する、という場合においては「負けるかもしれないけど仕方ないの!」という言い分は通らないだろう。
ひるがえって今回のコロナやらオリンピックやらのあれこれを見ていると、「あっこれ『失敗の本質』や『空気の研究』でやった問題だ!」というのが何のひねりもなく繰り返されている。
「責任者が明確でない」とか、「物理的実情を無視して仮想の数字だけ辻褄を合わせる」とかである。
これを知っていると、「最終手段としての戦争を必ずしも否定しない」という他の多くの国々と同じ建前を持ちつつも、「今の日本じゃ絶対負けるからやりたくない」という立場がありうるのではないかな、と思う。
もちろんその場合は「何ができれば戦争ができるようになる=必ずしも負けなくなる」のか、という問いに答えられなければ結局のところ平和原理主義の変形に過ぎない。
自分はそこに明確なラインを引くことはできない(その意味で原理主義を引きずってはいる)が、最低限上の二冊が何十年も前に提起した問題について対策を持っていなければならないだろうな、とは思っている。
共同親権・監護権を父親によこせ勢は、まず父親が単独親権・監護権を行使した成功例を示して欲しい。
悪いけど、首に縄掛かっている状態のうつだったと動画で話しているような父親が親権・監護権を行使して、子が幸せになる絵を想像できないんだよ。
だいたい、本当に親権・監護権を行使する世のシンパパが主体的に子育てしているなら、もっと男性の育休取得を普及させろと声が上がるはずなのに、寡聞にして聞かない。
共同親権とて子のためと言いつつ、自分が寂しいから面会交流させろと言っているだけでは?
実際子がチャリで人を轢き殺したり、同級生をいじめで自殺させた時に損害賠償負担する気概がある?
子の福祉を真に考える父親が多いようには、養育費踏み倒しが多い現状では思えないんだよ。
もちろんそういう父親がいないとは言わないよ。
例えばはてなでも時々ホッテントリに入る、かあいがもん氏のところなんかは、少なくとも傍目にはうまく行っているように見える(実際は知らんけど)。
ああいう例がたくさん挙がるようになれば、自然と共同親権も認められる風潮ができるんじゃないか。
でもああいうのがホッテントリに入る位レアケースなのが現状だよ。
先進()国では順調に少子化が進んでいるらしい。少子化のまま国が存続していた例は寡聞にしてしらない。猿から人間、そして有史に至るまで人間は産めよ増やせよ地に満ちよであっただろうからそもそも少子化って現象自体がなかなか珍しいものだ。生殖による増員と選別は強力な武器であっただろうし、それをしない群れが生き残って来たとはちょっと思えない。
猿に近かった頃の人類の話から始めると全ての人の群れは猿山の原始カルトだった。遺伝子の生存競争と同じように原始カルトの生存競争もあった。原始カルトの今から見ると無茶苦茶な教義に従って群れは暮らし、群れごと滅ぼしたり滅ぼされたり吸収したり隷属したりのカルト集団の生存競争の果てに今の国家群がある。群れがあり、別れ、また一つになる。何度も繰り返してきた生態だ。だがもうなくなるだろう。そして世界はなんだかんだ統一されるし、統一に向かっている。分かり合えるようになったからだ。
現存の原始カルトと言えばキリストだのイスラムだのヒンドゥーだのだろう。それに加えて土着の信仰(勝手な思い込みって意味だ)が混ざり合い、現在では皆似たり寄ったりでそれなりに仲良くなっている。現代社会全体で見れば極めてヤバイ宗教はもうほとんどないし、きわめてヤバイ宗教が存在しないという形で宗教は統一に向かっている。世界の裏のヤバイ人の数はどんどん減っており、我々は分かり合えるようになった。今戦争している地域も最終的にはおとなしくなり、負けた宗教は土着の信仰に貶められるだろう。宗教的な統一は順調だ。
国家的な統一も進んでいる。こちらの方はある程度で止まるだろう。それがどれくらいのサイズ感かはわからない。しかし統一は進む。
理由①新たな群れはもう増えない
未発見の土地は既に存在しない。今後生まれるであろう群れが求める新天地は存在しない。群れから別れようとするような異端分子が存在しても行き場はそもそもない。アメリカへの移民はアメリカがあったからこそ成せた。既にそのような場所は存在しない。
更に言えばボス猿の武力が強くなりすぎている。その昔、人間というサルは連帯によって敵を倒せていたらしい。どんな強者でも最悪100人から投石を貰えば死ぬ。しかしそれは昔の事。武装が強力になった現代では石を投げつけられてもビクともしない強い武装がいくらでも存在している。そしてそれは製造に高度な技術を要求する。コモン投石はレア機動隊装備には勝てないし、その気になれば核ミサイルを撃ってもいい。まず反逆が無理
理由②群れは消える事がある
人間の群れが大きくなるにつれ相対的に世界は小さくなる。戦国時代には日本は分裂していたが現代では完全に統一されている。このような事例は枚挙に暇がなく歴史的にかつて国であった地域は統一され巨大な一つの国になった。人が進歩するごとに群れは減っていく。
世界的に国家は減っていく。しかしこちらはある程度で止まるだろう。江戸幕府が出来る可能性があるが黒船が来ない。もちろん宇宙人が出張ってきたら話は別だ。最大でも中国あたりが覇者になり幕府を開き、それくらいで終わるだろう。
修学支援新制度(JASSO新給付型奨学金)と各大学独自で行う入学金・授業料免除は制度そのものも予算配分もまったく違うもので、文科省が入学金・授業料免除の基準を強制してきたという話は寡聞にして聞いたことがありません。
おそらく、修学支援新制度により国公立大学の入学金・授業料免除の予算が削られたことと修学支援新制度の要件そのものを混同しているように思います。
もし具体的にそのような要件(高校卒業後2年以内入学 && 標準修業年限内)を課している国公立大学をご存知なら、要項を示してくれればありがたいです。ただ現時点では、少なくともそれは多数派でないと断言できます。
あるいはそれが勘違いであるならば、「ネットで見た」「噂で聞いた」レベルのことであり、まさにツリー元が指摘しているような落とし穴にはまっているのかもしれません。
最初に言っとくけど、今からご飯を食べようとか、なんなら今まさにこれからエッチしようとかしてる男性の方とかはこの下は読まないほうがいいかもしれない。女性の汚れものの話なので(知っていて損ではないとおもうけれどね)。
少なくとも一部の女性(私だよ)の自己肯定感をブチ上げてる、日陰物の話をさせてほしい。
====
簡単に言うと、ぱんつのクロッチのオプションとして使う当て布・当て紙である。
極々小さくて薄い生理用ナプキンみたいな形状をしていて、ナプキン同様にぱんつのクロッチ部分に貼りつけて使用する。
バラとかのいい香りがするやつもあるし、無香料のものもある。天然コットンを売りにしてるやつも、人工素材だけど機能的なやつだってある。
違いとしては、ナプキンよりずいぶん薄くて小さく、ナプキンに必需品であるポリマーの水分吸収体も大抵入っていない点が挙げられる(一部入っているのもある。ちょっと高い)。
何より主な出番が「生理じゃない日」というのが大きな違いである。
ところでなぜこのような当てが、しかも出血のない普通の日に必要になるのか。
おりものは子宮や膣から出る液状の分泌物である。健康であればふつう酸性の液性をしており、膣に入りがちな大腸菌などのバイ菌を殺菌したり、子宮内部の老廃物を排出したり、また潤滑液としての働きをしたりもする。
おりものがないと膣内部はゴミだらけのバイ菌だらけになってしまう。また完全に乾いたお股では摩擦で痛くておよそ歩けたもんではない。
人によって、また日によっても出る量や色、粘り気やにおいなどは様々であるが、大抵の女性のお股は常にしっとりしているのである。毎日である。生理がない日もである。女性の下半身は偉大なるおりものに守られているのである。
さて、そんな殺菌と洗浄と老廃物の運搬を担う偉すぎるおりものであるが、ひとつ問題がある。体内に溜めておく場所がなく、排出に際してコントロールも効かないのである。
おしっこであれば膀胱があるし、緊急事態ならお股を押さえておけばなんとか決壊を防ぐことができる(ような気がする)。大の方は……3日分くらい体内に留まるのは普通だし、緩い時だってストッパとかお薬がある。
おりものにはこれがないのである。垂れ流しである。行き着く先はクロッチである。
同じ垂れ流しの経血とは色も量も起きうる惨事の規模も違うが、クロッチが湿ったぱんつなんてのは穿けたものではない。
ズボンに染みないか、においが漏れないか気になって仕方ない。椅子に座るたびにお股がヒヤッとするし、毛についてぱんつと固まったりすると、トイレで脱いだ時に毛がブチブチ抜けて痛い。奮発して買ったお気に入りのぱんつだって汚れてすぐにいたむし、濡れていることに対して怒りさえ感じることもある。
クロッチが濡れて気持ち悪いのに、ニコニコして人当たりよく仕事や勉強をするなんて、どうしても私には無理である。
洗い立てのぱんつに装着して履いておく。体内から出たおりものはライナーがしっかりキャッチしてくれる。トイレに行ったときに汚れているようなら、すかさず新しいライナーに替えられる。そうすればそのぱんつのクロッチはもう洗い立てのそれと同じである。
個人的には多い日では1日に3回か4回くらい変えることがある。これが他の女性と比べて多いのか少ないのかわからないけれど、3回も4回もスッキリした気持ちになれる。「からりと乾いていて、汚れていないクロッチ」これがなかなか自己肯定感をぶち上げてくれるのである。
強気にもなれる。優しくもなれる。頑張ってもいいかなと思える。
「私もなかなかやるじゃん、ぱんつも濡れてないし」QoLが爆上げした瞬間である。
避難所で生理用ナプキンが猥褻物として扱われてしまうとか、今日もルナルナの件で炎上してたりとか、血が出る「生理」は印象として派手なので話題にものぼりやすいし、議論にもなるし、とりあえずの理解もされやすかろう。
そんな中で日常の生活を支えてくれるパンティライナーは完全に日陰者である。地味だし。話題にされているのを寡聞にして聞かない。
それでも濡れていないぱんつ、あたらしいクロッチをいつでも提供してくれるパンティライナーは、私の気持ちを人並みに人間にしてくれる救世主である。
とまあこう、人に知られざるパンティライナーを称え増田をしたためた訳だが、正直に言うと今日は完全にうっかりしていた。
毎日カバンには替えをいくつか持っているし、会社のロッカーにもストックがあるんだけど、今日はどちらも切らしていて一日中湿ったぱんつで仕事をする羽目になってしまった。
結果は散々である。
半身浴しながらポチポチ書いてたんだけど、そろそろのぼせちゃいそうだからお風呂出るね。読んでくれてありがとう。
カズオ・イシグロのインタビュー(https://toyokeizai.net/articles/-/414929)を読んだ。非常に多岐にわたる示唆に富んだインタビューだが、私は縦の旅行が大事、トランプやブレグジットを選んだ人を誠実に、そして正確に語る多様性が大事、という部分に注目したい。
この多様性は縦のダイバーシティと呼べるものだと思っている。縦のダイバーシティ、横のダイバーシティという言葉は、恐らくまだ社会学者が語ったことのない言葉だ。だが、Twitterで検索してみるとこの概念に行き当たっている人を見かける。私も増田で2019年には言及している(https://anond.hatelabo.jp/20191023202045)。
一般的にリベラルが語るダイバーシティは横のダイバーシティだ。横とは性質や能力の種類を指す。
横のダイバーシティに比べて縦のダイバーシティは可視化されない。何故なら、断絶が存在しているからだ。断絶は様々な国にあるだろうが、日本に限って言うなら高卒までの世界と大卒以上の世界の境界が断絶である。参考資料として厚労省の統計を貼っておく。https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/chingin/kouzou/z2019/dl/03.pdf (これは令和元年6月分の賃金、つまり月収なので注意されたし)
この、歳を経る毎に開いていく収入格差が高卒までと大卒以上の間には存在している(専門、短大卒はどちらかというと高卒よりの中間に位置している)。一番格差がひどい男性50〜54歳の大卒と高卒を比べてみると、年収換算にして224.4万円もの差がある。
そういう統計を見なくてもいい。自分の身の回りに高卒の人、大卒の人、人数的にバランスよくいるだろうか?恐らく多くの人が偏っている。それをもって縦方向の断絶の根拠として欲しい。
そうした縦方向に存在する断絶を、今までのリベラルはなぜか問題にしてこなかった。いや、断絶があること自体は問題にしていたが、その断絶を超えたダイバーシティが必要だと主張するリベラルを私は寡聞にして知らなかった。
そこにカズオ・イシグロのインタビューが発表され、私はようやくリベラルにもこの点を問題意識に登らせた人が現れたと快哉を叫んだ。
そうなのだ。断絶の向こうにいる彼らと、こちらにいる我々、私たちは話し合わなければならない。縦方向に並んでしまっている私たちが、それでも本当に平等なのかについて。本当は縦も横もないはずなのだ。私たちが天の元に平等であるのならば。
断絶を無くしたいと思うのならば、それがそのための唯一の方法なのだと思う。
(さらに相対的な視点として、断絶を維持したいと敢えて思う人々もいるだろう。何かしら、例えばその方が社会が安定するはずだなどという考えを持って。私たちが話し合うことは、そうした人たちを可視化する手助けにもなるだろう)
RRD と言えばはてなの左派界隈を代表する人物の一人だが、どうも彼が1944年10月25日の日本が戦時下でなかったと主張しているようなのだ。
記事の内容はツイッターの朝日新聞社のアカウントが紹介した戦時中、女子挺身隊が出勤をする様子が合成により人数を水増しされているというものだ。
https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/asahi-photo">www.buzzfeed.com
これ自体は問題はないしかし、RRD 氏が奇妙な事を言いだしたのだ。
朝日新聞、戦時中の写真めぐり謝罪。「工場に出勤する女子挺身隊」は合成、Twitterに掲載
ネタウヨ的には朝日新聞が捏造したことになってるのね。さすがトランプ信者の根城だけのことはある。そりゃ話も通じないわ。
https://b.hatena.ne.jp/RRD/20201222#bookmark-4695948251994769250
とのことだが、
発表によると、写真は、戦時中の写真週刊誌「アサヒグラフ」の1944年10月25日号および、朝日歴史写真ライブラリー「戦争と庶民 1940~49」(朝日新聞社・1995年)に掲載されていたという。
肝心の記事には1944年10月25日にアサヒグラフに刊行されたと明らかに記述されているのだ。
さて、1944年10月25日はどんな日かというと、レイテ沖海戦が終わりマッカーサーがレイテ島に司令部を設置した日なのだ。
これはもちろん言う必要もない事なのだが、日本が降伏したのは1945年だ。ポツダム宣言受諾日なのかミズーリ号上での調印なのかは議論の余地はあるだろう。しかし1944年の10月25日に太平洋戦争が終わっていたと言う歴史学者はいないのではいか?
よしんばいたとしてもかなり異端の説だろう。論文レベルではあるのかもしれないが寡聞にして存じ上げないので、id:RRD氏にご教示いただきたい。
また、太平洋戦争が始まった日も1941年これも異論はないだろう。日中戦争を考慮してもそれらは太平洋戦争よりも早く始まっていた。
1941年から1944年の日本は戦時下というのも自然と導かれる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/asahi-photo
ついでにいうとこの記事の他のコメントを読んでも戦時中の朝日新聞社によって刊行されたと言う事実を否定したり疑問を挟む人は彼以外に誰もいないのだ。
トップコメントも朝日新聞社がプロパガンダに協力した貴重な史料という内容である。
なぜ、こんな間違いを犯すのか?
1.内容が理解できない
2.終戦の日がわかっていなくて戦後朝日新聞社が軍部のプロパガンダをまとめた物と勘違いした
1.は流石にないと信じたい。2.も大概なので2.の間違いを犯したのだろうと思う。
俺ならこんな間違いをしたら恥ずかしくてコメントを消すだろう。
ナイキCM論争で不満なのは、「差別」に比べて「いじめ」に言及するものが少ないこと。賞賛派も批判派も、あれを差別問題をめぐるCMとして扱っている。
「差別とは一生涯続くいじめである」という人もいるが、個人の経験としてはまったく納得できない。いじめは確かに、幸運であれば学校を変わればなくなることもあるが、実際には学校を変わっても、社会人になってもいじめられ続ける人が大半であり、そうではなくても一生にわたって後遺症が残る。
ナイキのCMのような、差別を乗り越えて強くなったという物語は今でも無数にある。しかし、いじめを乗り越えて強くなったという話は、大昔の野蛮で牧歌的な時代のいじめならともかく、現代では寡聞にして知らない。いじめ問題の専門家には周知だが、いじめを乗り越えるためには逃避以外の手段は不可能である。
差別はどんなにひどいものであっても、それが世の中にある偏見のせいであであることは明白である。だから差別体験は反発心やアイデンティティになることも多い。しかしいじめは、そもそもなぜ自分がいじめられているかの理由がわかっている人はいない。自分の理解をはるかに超えた理不尽な理由で攻撃されているので、反発心やアイデンティティは芽生えるどころか、日々削り取られて無気力になっていくだけである。
差別体験について外に向けて語る人は、少ないにしてもそれなりにいる。被差別集団どうしなら共感で話が盛り上がる。しかし、いじめ体験を語る人はめったにいない。いじめ被害者どうしが集まっても、いじめ体験を語り合うことは絶対にあり得ない。
そもそもスポーツ系の部活動はいじめの巣窟である。少年野球の天才選手や、甲子園のスター選手が、いじめに耐えかねて退部し、プロ野球への夢を絶たれることになったという事例は枚挙にいとまがないが、外国人であることを理由にした差別でそうなったという事例については(表に出ないだけかもしれないが)聞かない。在日系のスター選手は多数いる。
いじめ問題に比べて差別問題は大したとこがない、と言いたいわけでは全くない。ただ、あのCMの中にある様々な要素の中から「差別」だけが切り取られ、過剰にクローズアップされるのは、毎日「今日はいじめに遭いませんように」と祈りながら学校に登校していた10代を過ごし、そのまま社会の落ちこぼれになってしまった自分には、どうしても違和感や距離感を覚えてしまうのである。
追記:いくつかご指摘頂き、恥ずかしく反省した点もありましたので追記します。
教えていただいた方、特に anond:20201108030121 の方有難うございます。私がガチ寡聞・無知というだけでした。ごめんなさい。勉強します。
ワニの話のときは正直言って「ないわー」と思ってた側です。作家さんのことはかわいそうだなと思っていました。とくにレビューとか攻撃はしておりませんが、ダブスタと言われればそれまでかもしれません。
性的かどうかではなくインモラルどうかという切り口にすれば議論が発展したかもしれませんとも思いました。私は無知なので話せませんが…
それって飲食店や作家は謝罪しましたか?その攻撃的なレビューは適当ですか?ということを言いたかったのですが…適当とお考えならそれはそれでよろしいのでは…
「攻撃的なレビューは普遍的なものであり、ATSUGIもイラストレーターも甘んじて受け入れ謝罪するべきである」と仰りたいのでしょうか。悲しいですね。
anond:20201108024607 あらん限りは言いすぎですね。おっしゃる通りです。ごめんなさい。
id:grdgs 「悪口は駄目」と曖昧な倫理的問題を頻繁に提示するミソウヨのダブスタを指摘したら、「強すぎるのが駄目」と曖昧にゴールポストを動かした。卑怯者だな。「明文化」も口癖のくせに / 卑怯者は増田宛てじゃない
id:porquetevas 倫理的な問題に言及して批判してる人も多くいたのに(自分も企業倫理的に問題ありと思ってる)そこ無視した前提で語り始めるのは何なの
前置きの通り、「倫理的には問題ないけど、不快なマーケティングだね!」と評していた方々についての文章ですので、「倫理的に問題がある」とお考えならば特に関係のない文章かと思います。他の文章をお読みになったらいかがでしょうか。
前置きで倫理基準を問題にしている人もいる、とも書きましたよね。
ちなみに最後に述べた通り、これは「私が悲しい」というお気持ち文章ですよ。倫理の話ではなく。
*コメントを訂正頂いたようですので反映しました。ゴールポストを動かすのはよくないですよね。同意します。繰り言になりますが、批判も感想も自由だと思います。
追記おわり
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
これのブコメ読んでぶわーってなったので書きました。マーケティングのほうの話です。もう宴もたけなわだから読まれないかもしれませんが。
今回の件はこれまでの性的表象をめぐる議論とは様子が異なっていて、まず批判する主体が実際に購買している層であったということ。次に、これまでの曖昧な(というのは露出度等の客観的な基準に拠らない、という意味です)性的表象への批判ではなく、「私たちの好みではない」という批判(感想)が主体であったこと。これは倫理的な問題ではなく、個人としての感覚が動機の主体であることを示しており、これまでの議論とは一線を画したものだと思いました。そして、これまでのような曖昧な倫理基準に基づいた批判を展開する方は得てして少数派だったように見えました(書きながらTLを見ていたらそうでもない気もしてきましたが)。ということで以下の話は、ATSUGIの広告に使用された表象は「倫理的には問題ないものの、購買客層を不快にさせるものである」という前提で進めます。
私はこの状況を見て、ATSUGIやらかしたね、謝るのも仕方ないね、これでシャンシャンだね、としばらく感じていました。しかしやはり少し違うのでは?と思ったその感想等を以下に書きたいと思います。
さて、私が最初この一件を仕方ないと捉えていたのはこういう意図によるものです。
・ ATSUGIはこれまでの客の好みを間違い、客を怒らせた。客は怒り、個人的かつ否定的な感想を述べた。これに対してATSUGIは、それまでの顧客層に見放されないため、という資本主義的な理由によって自発的に謝罪した。その謝罪の内容は「不快にさせたため」という理由によるものであった。それは商慣習上通常の営為であり、なるべくして収まった。彼等はマーケティングを間違えたのだ。
しかし、本当にそうでしょうか?
上記の考えに至ってからしばらくした本日、私はこうも考えました。これがほかの性的表象やジェンダーに無関係なマーケティングだったらどうだったでしょうか、と。他のテーマでも不快な広告というのは多分にあり得ます。「広告 不快」でGoogle検索すると、うっとうしい広告の事例が多く出てくると思います。しかし、これらの企業は謝罪まで出しているでしょうか。
これらの企業には彼らの広告を不快に感じる顧客候補を引き留める理由がないから謝罪などのアクションをしないのだ、そういうことがまず皆さんの頭に浮かぶかと思います
それではなんらかのアクションをとり、広告を不快と感じた顧客を引き留めたい場合について考えてみましょう。ジェンダーや性的表象以外で。ありますか?考え付きますか?広告で不快にさせてしまった、失敗したと思ったら、きっと何食わぬ顔で次のキャンペーンからテイストを変えるなどの施策を打っているのではないでしょうか。
性的な問題以外で不快さを理由に謝罪した事例を私は寡聞にして知りません。もし知っている方がいたら、誰か教えてください。もちろん企業の不祥事にかかる謝罪は連日引きも切らないところですが、不快感が不祥事になった事例がありましたでしょうか。
不快な広告を出したことに対する謝罪。これがまず違和感を覚えた点です。
確かにお客様を怒らせたのはマーケターとしては完全な失態です。謝罪して顧客に戻ってきてもらいたくなるのは自然の心理でしょう。
翻って消費者へ視点を移して考えてみたいと思います。ATSUGIのラブタイツに関するSNSマーケティング後、この件に対する既存購買層からの批判・感想が爆発的に増加しました。ここで皆さんに聞きたいことがあるのですが、これらの批判・感想の表明は適当と言えるでしょうか?
もちろんTwitter上の批判も非難も感想も自由にあるべきです。これまで愛用してきたATSUGIブランドが全く違うテイストになり、憤懣やるかたないこともあるかもしれません。しかし、タイツについてはATSUGI以外にも多くのメーカーが製造・販売しています。タイツの供給が問題になることもない。いろいろなテイストのブランドがある。ほかに選択肢のあるこの状況でなぜ、ラブタイツキャンペーンにここまでの批判(否定的な感想)が集中するのでしょうか。倫理的には問題がない広告にも関わらず。
私が今回後になっておかしいと感じたのは、フェミニズムや性的表象や主体客体に関することではなく、SNSによる国民総レビュアー状態+消費者第一主義とそこから発生したコメントスクラムです。だってそうじゃないですか?オキニのブランドが嫌いになってきた、そしたら普通は黙って他のブランドに乗り換えるのがこれまでの通常の購買行動です。
レストランの対応が悪かったら、あなたは情報サイトにあらん限りの攻撃的なレビューを書きますか?今回の件はそれを集団的にやられていた状態だったのではないですか?
「買ってやっているのだからどのような苦言も受け入れるべきだ」そう思っている人は今回の批判者の中に本当にいませんか?これは妥当な商慣習だと本当にそう言えますか?
なぜ倫理的に問題はないと考えている人が多いにもかかわらず、ここまで炎上(そう書いて差し支えない状態だと思います)したのか、それは「こういうセクシャルな表象については攻撃的な意見を表明していい」という意識の表れではないでしょうか。そうでなければ皆が皆「気持ち悪い」「不快」と声をそろえて言うことがありますか。そんなに気軽に使っていいものでしたでしょうか、「気持ち悪い」という言葉は。
なんとういかコロナ禍におけるタレントの自殺率とかを思い出しますね。具体的な名前は出しませんが、SNSで事あるごとに話題に出されるタレントの心労を思うと、なかなか厳しいものがあります。今回の騒動に似ている個所もなくはないと思います。
まとめます。再度申し上げますが、批判も感想も自由です。それを受けてATSUGIが謝罪したことについても外から口を差し挟むことではありません。それでも本件を広告問題として考えてみると、商慣習上不条理なほど叩かれ批判され「気持ち悪い」と罵られている。
それは多勢が「不快である」という言説を束になって浴びせ、「不快にさせてごめんなさい」と謝罪をATSUGIから引き出したということに他なりません(倫理的には問題がないにもかかわらず)。加えてこれを是として顧みない方がTwitterやはてブ上にすこぶる多い。この構図がマジ悲しいなって思って書きました。おわり。
てかこれ、フローチャートの人の言っていることと似通ってますし、理路の増田も追記で補足してますね。すみません。anond:20201107191444
承前 : Part-7 https://anond.hatelabo.jp/20201014091325
次回 : Part-9 https://anond.hatelabo.jp/20201101061517
前回までで収入の構成要素については大体解説を終えた。細かいところまで含めればESPPだとかRoth IRAだとかまだあるが、大した違いにはならない。今回はその収入源となるサラリーやRSU、ボーナスを入社時あるいは入社後に交渉する段において、やるべきこと(DOs)、やってはいけないこと(DONTs)を解説する。最初に言っておくが、今回のトピックはオファーを受けた後の交渉だ。オファーを受けるための準備や面接心得などについては扱わない。
これは交渉以前の常識だ。応募者の交渉はRecruiterとHiring Managerが二人三脚で行う。
会社や部門、応募者のランク等々によって、この両者の関わり方は動的に変わる。
一般的には低ランクの応募者の場合ではRecruiterの裁量が大きく、高ランクの場合では逆だ。
自分が聞き及んだ、そもそもレベル換算すら不可能な大物のhire時などはRecruiterがまったく絡まなかった。面接さえ行われなかった。VP達が低姿勢でselling modeの会話をするのを面接と呼ぶのでなければ。Blank checkが送られたという噂もあったが、流石に誇張だろう。
彼ら彼女らは大抵技術的素養も特定のチームとの関連も無く、最終的な決定権を持つことはほぼない。専任の仲介役である。
しかし、仲介役を侮るなかれ。Recruiterが交渉の主導権を握ることもある。Recruiterが頑迷に給与交渉を無視すれば応募者はなす術もないし、こんな奴へのオファーはrescindしろと言えばhiring managerも大抵心を変える。Hiring managerの中には、交渉をRecruiterに丸投げする者もいる。Hiring managerとは違い、特定のチームの事情を勘案しない代わりに会社全体の利益を代弁するのでlow-ballオファーから始めてくる者もいる。まさにペーターの危惧したとおりだ。
それでも、Recruiterが出来ることには大きな制限がある。最終的にはHiring managerあるいはその上のVP等からの承認が必要となる。
大抵、彼ら彼女らは入社後、応募者の上司となる。非常に重要な交渉相手だ。
但し、会社によってはhiring managerと入社後のチームに関りがないこともある。L3/L4などのspecializedでない段階の入社、あとはfacebookなど入社後にbootcampで配属先を決める方式の所だ。しかし、Facebookでさえも近年、高ランクの技術者とくにinfra側ではheadcountをpreallocateする場合が多い。専門性を買って高ランク応募者を雇ったのに、入社後に目的のチームが定員過多で入れなければ宝の持ち腐れだ。
さて、hiring managerもランクによって出来ることと出来ないことがある。応募者のランクによって定められたバンド幅を超過するような変更は大抵VP以上でなければ出来ない。そのほか、特例となるような変更は大抵VPからの承認が必要になるので、下のランクのhiring managerは大抵考慮すらしないだろう。
先述のバンド幅超過の例など、採用側からすれば馬鹿らしい手間でしかない。そもそも(ほぼ)不可能なのだ。
また、一旦ランクが決まった後のランク上昇交渉も多くは不可能である。
例えばL6 loopの面接を受け、オファーをもらったとしよう。これに対してL7にup-levelしろなどというのは全く不可能な要求だ。L6とL7では面接内容からして違うので、最初からやり直しでもしなければどうしようもない。但し、低ランクの場合は会社によってオファー後のup-levelもある。
こういった理不尽な要求をし続ければ採用側は諦めて他の応募者に行く。
verbalオファーは無かったことにされ、オファーレターさえrescindされることもある。
例えrescindされなかったとしても、入社してどんな顔をしてその上司と働き続けるというのか。
オファーをもらったら、或いはその以前から、そのランクのバンド幅を調べると交渉がうまく行きやすい。
levels.fyi等で調べることもできるし、recruiterに聞けば教えてくれる場合も多い。
もしもバンド幅の下限でのオファーであれば交渉をしない理由がない。オファーを出す側からしても、そんなオファーで応募者が交渉をせずにacceptしたらgood for meだ。自分はそういったオファーはunethicalだし長期的にその社員の意欲を削ぐと思っているが、残念ながら多々ある。
オファーが一つしかなければ交渉は非常に難しくなる。採用側にオファーを変更する動機が薄い。
そのため、交渉で最も重要なのは複数のオファーを得ることだ。すべてのオファーが魅力的である必要はない。とにかく複数あることが重要である。それらのオファーが競合他社からのものであればなおよい。当然、現在勤めている会社からのcounterも含まれる。
しかし、この条件を満たすためには数社で面接し、かつオファーがほぼ同時期に出される必要がある。
多くの会社ではオファーは2週間以内にexpireする。業界によっては極端に早い、いわゆるexploding offer(2-3 days等)もあるそうだが、シリコンバレーの上場IT企業では寡聞である。会社の評判に影響する。
もしもオファーが同時期に出されなければ、先にオファーを出した会社に延長交渉をしなければならない。
応募者がどれだけ求められているかによって、この交渉も難しい時がある。採用側としてもheadcountの制約がある以上、他に行きそうな応募者へのオファーをずっと延長し続けたくはない。応募者が口で言う通り自社のオファーにexcitedなら何故他の会社のオファーを待っているのか、と。応募者の中には苦しい言い訳を並べ立てるものもいる。
ある例では「両親と相談しなければならないので」と言う。2週間で相談できない両親は一体どこにいるのだ。大体、子供の就職に親が本当に決定権をもっているのか?ちなみにこれを言った応募者は延長後に貰った他会社のオファーを受けた。
こういった苦しい交渉を避けるためにも、面接時期を大体合わせてオファーのETAを調節することをお勧めする。
ちなみに、今まで見た中でもっとも効果的なオファー延長理由はtwo-body problemであった。つまり配偶者やsignificant otherも同時期に職探しをしている。住む場所を合わせなければならないので、そちらの進展を待つ必要がある、と。採用側からすればぐうの音も出ない。進展の詮索すらできない。しかし、卒業時や移住時などにしか使えない理由だ。
RSUをあと1000株寄越せというにしても、その数字がどこから来ているのか説明できなければ響かない。採用側がどうしてもその応募者が欲しい状況でなければ、単に現在のオファーの数字が如何に適正なのか繰り返すだけだろう。
それに対し、応募者側から数字の明確な説明があれば採用側がdecision makerとなって悩むことになる。Turn the tables! また、hiring managerがその上を説得する材料となる。
例えば、「X社のオファーのTCに合わせるため」、「Y社のRSU Refresher方式との違いを考慮し、同額になるためのRSU量」などは説得力が高い。「バンド幅のmedian」も成功例だった。
まだまだ書きたいことはあるが、長くなってきたのでここで切り上げる。
さて、大体の要素は網羅したのであと1,2回でこのシリーズを終わらせる予定だ。
後は何を書こうかと思って今までの回のブクマ数を見てみると:
なんということだ、前途有望な若者が調子に乗って痛い目を見る話の方が受けが良いのだ。
やはり人間は糞である。古今東西Reproducible。そんな増田住人のため、次回は皆が不幸になる胸糞の悪い話をする。路頭🙏おじさんも大満足だろう。
承前 : Part-1 https://anond.hatelabo.jp/20201002000619
次回 : Part-3 https://anond.hatelabo.jp/20201005082738
前回に引き続いてlevels.fyiから例を取ろう。今回はFacebook
Title | Salary | RSU etc (/year) | Bonus |
---|---|---|---|
E3 (L3) | $119,919 | $43,253 | $15,838 |
E4 (L4) | $159,690 | $80,076 | $18,804 |
E5 (L5) | $196,671 | $151,000 | $31,090 |
E6 (L6) | $228,755 | $284,358 | $51,717 |
E7 (L7) | $268,933 | $502,667 | $91,333 |
E8 (L8) | $298,000 | $738,500 | $238,250 |
最初にlevels.fyiの信頼性について。自分の見聞と比べてみたところ、levels.fyiに乗っている情報は少なくともL3-L6ランクまでよく合致する。
もちろん、自己申告制なので明らかに嘘の情報もあるが、少数である。平均値として見れば確かにこの程度である。
ただし、L7以降になると途端に参考にならなくなる。そもそも報告されている数字の間で違いが大きすぎる。
経験年数やランクで一概にTCがこの程度、という議論は間違いのもととなることがある。
場合によってはBandが極端に広い、つまり同会社・同部署・同ランクであっても報酬下限・上限に開きがあるのだ。
特にランクが上がっていくと多くの会社でRSUのバンド幅が極端に広くなる。
ランクが下の技術者がランクが上の技術者の倍を稼いでいるということもよく見聞きする。
自分の周りでは大抵その「ランクが上の技術者」は在社年数が長く、あまり活躍していない。
老害、とまではいかないが「報酬が低くても他に行かないだろう、行っても痛手でない」とマネジメントに思われているからこその現状である。
日本ではシリコンバレーの雇用はドライで合理的、という記事をよく見かけるが、現実的には制約が多くある。
降格などというのは極端に寡聞であるし、あまり活躍してなくてもすぐに解雇、とは大抵ならない。
ただし、部署・会社全体でのlayoffは話が別だ。一旦経営層が腹を決めれば容赦は無い。
話をランクに戻す。上記から推測できるであろうが、ランクが上になるとDependsの一言であって、そもそも別会社の間で
「この会社のこのタイトルはL6に相当する」「いやいやそれはL7だ」という議論もよく起こる。
levels.fyiはまるでランクの真の対応関係が分かっているかのような図を表示しているが、特に上のランクでは眉唾だと思っていい。
最終的に公平な比較基準はやはりTCであるが、バンド幅が大きいので個々人の比較はできてもランクの比較・対応までは不可能である。
今回は最後に低ランク、L2/L3についてもう少し詳しく語ろう。
まず、FBのL3の数字、上で述べたようにlevels.fyiの数字は私が多数の学生応募者から直接聞き・交渉した数字と非常に合致する。
数年前からFBではstandard packageが大体$180-200kというのはよく言われていた。
このL3向けのstandard packageは未経験の学生が学部・修士を卒業後に就職するUniversity Hire向けのものである。
考えてみてほしい。彼らはMIT/StanfordやIvyを卒業するが、実務はほぼまっさらの、まともに使えるコードなどまだまだ書けない子供たちである。
そんな彼らが初任給でまず間違いなく年収2千万円は行くのだ。また、彼らの全員が有能な技術者に育つかというとそんなことは全くない。
また、育ったとしてもattrition rateはGoogle/FBのような会社であっても高く、ほかの会社により好条件で移っていくことが多々ある。
この状況を見て、シリコンバレーはcrazyと考えるか、日本を出てこちらに来よう、と思うかは人次第である。まず隗より始めよ。
ともかく、FB/AWSを筆頭に景気が良くなってきた数年前からはこれが水準であるので、どの会社もこれに近い数字を出すか、或いはほかの条件で
competitiveになろうとしのぎを削る。
ただし、高ランクの場合と違い、個々の学生からバンド幅を極端に広くするような交渉はあまり行われないか、成功しない。
せいぜい、RSUを少し積むか$10-20kのボーナスが出るくらいである。ほかの会社との競争上、全体の水準は上げざるを得ない。
しかし、それはある程度の人数を一流大学から採用するためのものであって、個々の学生をどうしても欲しいという状況はあまりない。
実務経験がなく修士の授業を取っただけの学生にそんな能力があるのは稀だ。
中にはとびぬけて有能な例外もいるが、そういう学生の多くはPhDに行くか、こんなstandard packageではunderpaidだ見縊るな、とスタートアップに行く。
30分がたったので今回はここまで。次回は一回昇進して「一人前」と扱われるL4あたりを取り扱いたい。
そもそも「フェミニスト」って言葉自体、「アニメを批判したやつ」あるいは単に「気に食わないことを言う女」くらいの意味で使われて定義が無限に拡散している中で、「お前らはフェミニストだ。定義は特段決めていないが、なんとなくネット上で”俺たち”がフェミニスト認定したやつはフェミニストだ。フェミニスト認定されたお前たちはネット全域に渡って思想や主張を一致させろ」って無茶苦茶ではないか。
例えばフェミニストを自称する団体Aがいて、その団体の明確な構成員として活動しているaがおかしなことを言ったとき、団体Aに対してaを批判するよう求めることはできるだろうけれど、多くの場合そうではない。
思想的にも主張的にも関連性がない、そもそもフェミニストを自称してもいないネット上のひとつのつぶやきを拾ってきて、「フェミニストがこんな事を言ったぞ!さぁ全世界のフェミニストのみなさん、こいつを批判しないとあなた達はダメダメですよ」みたいなことを言われても、まずフェミニストの定義を明らかにしないことには何もリアクションできないでしょう。逮捕されたオタクなり表現の自由戦士を持ってきて「これだから表現の自由戦士は犯罪者予備軍」とか宣う輩と程度的に変わらない。
一口にフェミニストといってもパワハラセクハラマミートラック育休的なビジネスサイドの面もあれば緊急避妊薬がどうのとか風俗に従事する自由とかトップレスとか性に関することまで様々。それを十把一絡げにして全体で統一させないと嘘だって支離滅裂やぞ。
【追記】
「お前らはオタクだ。定義は特段決めていないが、なんとなくネット上で”俺たち”がオタク認定したやつはオタクだ。オタク認定されたお前たちはネット全域に渡って思想や主張を一致させろ。ついでに死ね」
これは誰を想定した発言?フェミニスト?フェミニストがオタクに対してネット全域に渡って思想や主張の一致を求めたり、そこから外れたオタクについてオタクの中で総括するよう求めている?そういう事実があった?それともあなたがそう思っているだけ?
他人を殴る時は十把一絡げに属性で殴り、自分達が攻撃されたら「一人一派」の印籠で関係ないと切断処理して知らんふりするからおかしいと言われるわけだけど散々言われてようやく自分達の支離滅裂さに気づいたのか
・そいつはフェミニストだと思う(あるいはフェミニストだと自称していた)
・なので俺たちはネット上すべてのフェミニストを十把一絡げに殴ってよい
一人一派は個々の思想の指向性が矛盾しても免罪符として機能し、フェミニズム内で矛盾も誤謬も詭弁も暴走も黙認される。つまり何でもあり。思想運動として問題がある。フェミニズムは一度解体されるべきと思う。
ネット上全域に渡って教条・思想が完全に一致した思想運動を寡聞にして存じ上げないのですが、そうした思想運動があるのですか。通常、ネット上の運動はゆるやかな連帯を以て進行するものと思いますが。
また、「アンチフェミニズム」や「表現の自由派」などがフェミニストに教条・思想の一致を求めるのであれば、同じく思想運動であるアンチフェミニズムや表現の自由派もネット上で構成員間の思想を完全に一致させる必要が生じますが、そんなん無理じゃないですか?
フェミニストを自称する人が一人一派なんて語るのはおかしいよ。本文で言うように他人が勝手にフェミニストと名付けて矛盾をあげつらうのももちろんおかしいよ。タイトルと本文の間に繋がりが見えないんだが何なの。
オタクの中にもガンダムオタクプリキュアオタクゲームオタク、ゲームの中でもRPGオタクFPSオタクと、単にオタクといっても中身は多様。しかしオタクであるという一点では共通し、ゆるく連帯もしている
フェミニズムも同様で、人類の半分の女性全般の権利を取り扱う運動なのだから主義主張が人によって異なり細分化されていくのは至極当たり前。で、イシューごとに必要に応じてKutooとかで連帯して成果を出しているわけでしょう。何も問題がない。
・自分の観測範囲ではそもそも「フェミニストを自称しつつ一人一派と主張する人」を殆ど見かけない
・むしろフェミニストは一人一派と言っているのは「アンチフェミ」の方
・またフェミニストを自称しつつ一人一派を主張する人がいたとして、それはフェミニスト思想全体への批判に繋げられるほど一般化された主張なのか?
・アカデミアの世界でも〇〇派、✗✗派といった主張の派閥が存在するのだから、ゆるく活動しているネット上のフェミニストが「一人一派」になることも自然ではないか?何が問題なのか
・逆に、一人一派を批判している思想集団である「アンチフェミ」なり「表現の自由派」はネット全域で思想を一致させているのか?NOならばアンチフェミや表現の自由派も一人一派なのだし、それでよいのでは?
【追記2】
「フェミニズムが運動や学問として成立するわけがない」とか評している人もよくわからないな。
事実として、MetooとかKutooとかは世界的なムーブメントとして成功してるじゃん。どう評価するとかじゃなくて、もう事実としてうまくいってるじゃんフェミニズム。
すでに運動としてバリバリ成功しているものに対して「運動として成立しない」とコメントする意図がわからない。私含め、ネットで書き込みしているだけの皆々様と違って、フェミニストはネットで活動した上で現実社会での成果にも繋げてるじゃん。そこは直視したうえで批判しようや
【追記3】
“むしろフェミニストは一人一派と言っているのは「アンチフェミ」の方”→追記でこいつが書いてる。この記事のタイトルと見比べろよ。一人一派で何が悪いの返しが、アンチが勝手に言ってるだけって。糞バカ以下だ
トラバでも触れたけれど
・フェミニストの中で明示的に「一人一派」理論を採用している人は少ない。一人一派との指摘を行っているのはアンチフェミニストが主である
・それはそれとして仮に(社会運動としての)フェミニストが一人一派であっても何が悪いのか
って矛盾なく成立するし、引用いただいた箇所の直後に「フェミニストが一人一派になることも自然ではないか」と明示的に書いてもいるのだから「アンチが勝手に言っているだけ」との理解は明らかな誤読ですね。文意を断ち切って部分的に引用するのはやめましょう。
攻撃してこないなら何でもいいよ 攻撃してくるやつが同じ看板掲げてるクセに土俵ころころ変えるのがダメなんだよ 考え方に対して対抗も出来んじゃないか 何で学者ですら一定の統一ルール持ってないんだ
この認知も本当にわからない。ネット上で「攻撃してくるやつ」はみな統一された主張を持っていないといけないと言っている?
フェミニストの側がフェミニストと自称して同じ看板を掲げているというより、アンチの側が攻撃してくるやつのことを勝手にフェミニスト認定しているパターンの方が多くないか?「攻撃してくるやつ」程度の認識で多数の相手を一纏めにフェミニスト認定しているのだから、相手方の主張が都度異なるのも同然では?
それとも悪の秘密結社が作り上げた恐怖の洗脳統合思念体フェミニストみたいな存在がいて、フェミニストっぽいことをしているからにはその思想や教義は全国で統一されているはずだ、されていなければおかしいと思っている?
【追記4】
世界を変えたいと望むならば、思想を推し進めた先にある「理想的な未来像」がどんなものなのかは示して欲しいんですよね。先に地獄しか見えないケースが多くて困ってます。
言っていることはわかるけれど、ふつーのフェミニストって「女性差別をやめて男女平等にしましょう」くらいのゆるい連帯であるし、その集まりで全世界単位でコンセンサスを取ってゴールはここですって設定するの物理的に無理だと思うんですよね。そもそものイシュー設定が巨大すぎるから。だからそのイシューをブレイクダウンして、ハイヒール辞めましょうとか医学部で女性と多浪を受験料だけきっちり取りつつ裏で差別して不合格にするのやめましょうとか、問題の具体化と短中期的なマイルストーンの設定が都度行えていればそれで良いと思っています。
おかしいというか、共食いを防ぐための内向きの言葉であって外側に向けて言っても意味がないのでは?同じ看板掲げて暴れまわる人たちが現れたことは気の毒に思ってる。結構そこらじゅうで起きてる問題だし。
PCR検査いるいらないみたいな科学分野でさえ専門家の間で派閥ができて混乱していたわけだから、同じく全世界的に現在進行系で動いている社会を舞台にしたフェミニズム活動で活動員全員の主義主張を統一するのなんて無理じゃね?おかしくね?と思っている次第。一人一派だから一切全体を批判するなと言っているのではなく、その性質ゆえ必然的に一人一派な状態になっているのだから、その事自体を批判するのは酷ではないか、と考えます。
右翼にだって安倍やめろと思ってる人がいくらでもいるだろうし、オタクなんてフェミと兼任の人もいるし、たいていの思想が普通は一人一派状態では? フェミにだけ教条的な意見の一致を求めるのはおかしいじゃん。
たしかに。アカデミアのフェミニズム界隈に一人一派の主張があるが、扱う問題の性質上、違和感はない
「フェミの一人一派」を問題と思えない奴らが、なぜか「オタク」とか「ネトウヨ」とか「ジャップ」とか「アンチフェミ」等とレッテルを貼って、一人一派は認めずその属性を理由に問答無用で殴ってくるの笑うしか無い
オタクは犯罪者、とかも当然ダメなんじゃない?ただこんな感じで
・なのでフェミニズムなる思想においてはオタクは全員犯罪者だと言っているに等しい。ああなんてフェミニストは悪い奴らなんだ
みたいな主張が理解できないというだけ。変なこと言ってる個人か、それを明確に支持している集団だけ批判すればよくね?というかそれ以外は論理的に批判不可能じゃね?
おかしなフェミニスト(あるいはフェミニスト認定されただけのただのおかしな人)の発言ひとつで、アカデミアのフェミニズムまで含めて批判するのは理路が通らない