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はてなキーワード: 力学とは

2016-12-09

http://anond.hatelabo.jp/20161209173308

合ってるよ

少女漫画性的弱者作成ツール

もちろん男女逆の萌え漫画も同じだけど男は性欲が一度でも味方すると

どんなデブキモオタでも押すモードに入るからまだ女よりマシ

少女漫画に関わらず男向けにマッチョ性的魅力は男に媚びてる呼ばわりされて

親が積極的でない場合子ども自力性的マッチョイズムを獲得しないといけない

でもそこで少女漫画のように謝った性的力学習をされると婚活女子へとトランスフォームしてしま

2016-11-17

http://anond.hatelabo.jp/20161117145750

うそう。

からさ、学歴意味なんかないって論述はその立論からして誤りなわけ。

格差固定化されるように力学が働くべきだし、高学歴が高いステータスを所持し続けるのは必然だし、

どうして流動化流動化と叫ぶのかわからない。そんなもん底辺勝手に蠢いてればいいだろって。

早く貴族制復活しねーかなー

2016-11-09

鉄オタミリオタ車オタ情報系みんな同類

男はみんな精巧にできたシステム機械が大好きである特に日常的なものロマンを感じる。

日常的で大掛かりな装置や仕組みに惹かれた場合宇宙開発関連や軍事設備に興味を持つ。そしてアニメ等で戦闘行為に対するかっこよさが刷り込まれているのでミリタリーに入り込む。

日常的で大掛かりな装置や仕組みに惹かれたが、より身近な物に興味を持った場合、それが鉄道だ。鉄道は身近ではあるが大掛かりな装置技術の固まりである車両が緻密な運行技術の元で運用されている。子供オタクなど好奇心旺盛な人種ホームから発着する宇宙船に乗ってるようなわくわく感がするだろう。

日常的でちょっと大掛かりな装置に惹かれた場合、車が好きになる。車のどこが非日常的なのかと思うかもしれないが、ボンネットを開けるとそこには機械小宇宙が広がっている。また乗り込むと自らの力で機械を操り、生身では不可能走行体験ができる。ロボットのコックピットに乗ったかのように。

日常的で複雑精巧装置に惹かれた場合コンピューターに興味を持つ。まさに現代カラクリである歯車半導体になり、力学的な力が電子の移動になり、複雑さがとてつもなくなった。ガラスエポキシ板上の小宇宙に思いを馳せて、命令を与えると結果が帰ってくるこのやり取りに夢中になる。そして奥の深さに気づくだろう。

人間特に男は生身の生活から離れた精巧で非生物的な仕掛けに惹かれるものだ。その精巧な部分がブラックボックス化され、感覚麻痺してしまった人々も多い中、好奇心のある人々が惹かれ続ける。

2016-10-31

自殺したいわけではないが唐突に生きる意欲がなくなってきた

昔は休日を楽しみにしていたが今は休日になっても楽しいことがない

やることがない

趣味はgameと漫画くらいしかない

それも飽きてきた

漫画新刊を待たないといけない

そうするとやる事がなくなる

もちろん勉強とか運動すればいいのは頭では分かっている

でも俺の死生観が酷いもんだからやる気になれない

interestingがない

興味深いと思う知的好奇心の刺激とかがない

恋人もいない

欲しいと思ったときもあったが話を聞くだけ疑似体験するだけで大体どういう気持ちが満たされるのかがわかる

寂しいとか満たされたいとかそういう感情への薬みたいなもんだなと思った

自分はそういうのにこたえられる人間でもないし恐らく本心ではどうでもいいと思っている

3回告白されたが嬉しいというよりどう答えたらいいのか分からないので避けて引いただけだった

物心ついたときからこんな調子からまれた時からおかしいんだと思う

唯一の救いは身近で痛いとか苦しいとかいう人をみると心の中がザワザワして穏やかでいられない

何か助けてやりたいと思う

この間も見ず知らずの酔っ払い?の人が自転車でこけてたから起こしてあげた

周りは知らんぷり

別にお礼が欲しいわけでもなく、挨拶するくらいのノリで人助けだ

何の感動もない

これが共感性というやつかは分からないがモヤモヤするから行動する

でも愛してるとか大事にしたいとか独占したいとかを人に向けたことがない

そんな興味持てない

いっしょにいて楽しい人もいっつもいれるわけじゃない

誘ってくれると嬉しいけどずっといられないのが分かってるから希望しない

死ぬのが分かってて別れるのが辛くなるだけだろう

とにかく何のために生きてるのかそれを探さないといけないのだが

それを見つけるまでこのままだと電池が持ちそうにない

別に電池が切れたら死ぬわけではないが精神的虚無感と戦い続けなければならない

常に半裸で秋空のしたでいるような感じだ

勘弁して欲しい

自殺も考えてない

自殺したところで本当に解放されるのかどこにも確証がないからだ

誰も確かめたことがないんだから分かるはずがない

それでも宗教流行ってるのはみんな死ぬ理由が欲しいんだろう

何か納得して死なないと気が済まないか宗教という学問に頼る

でも俺には信じる神がいない

正確には信じている神はい

神と呼んでいいかからないがとにかくこの世界の一番最初の始まりを神としている

それが人のように意志を持つとか持たないとかはどうでもいい

とにかく宇宙の始まり現象のものを神としている

それがなければ始まらなかったモノ、インフレーションの前の本当の始まりを神としている

でもそいつのせいでできた宇宙は俺にとってたいそうつまらない世界だった

なんで死ななければいけないのか、栄枯盛衰でなければならないのか

死ぬこと生まれることで繰り返さなければならない仕組み

熱量力学的に死へ向かうこと、どれもつまらない法則

うからこそ大事にせよと尤もらしくいうが

他にこの世界を作る法則は無かったのかと逆に問いたい

そんなものは失うという前提のもとに生み出された価値観

永遠の命が前提だとしたらそんなもの存在すら考えられさえしなかっただろう

最初のやつがそういうシステムがいいってんで作ったんだろうけど俺にはクソゲーしか思えない

本当にこんな考え方してるやつがこの世界にきてしまって不幸だと思う

世界のものが下らない

心理的に充足感を得ることができるようになったとしてもそれが何だっていうんだろうか

単に脳内麻薬がでたり伝達物質の分量さで心境の変化がおきてそれに一喜一憂する

虚しいと思う

これを糧にして人生エンジョイしてくれと言われてもできるだろうが死ぬときの慰めになるのか果たして怪しい

いっその事どこかの国で殺し合いの中で洗脳されてとっとと死んだ方がマシだったのかもしれない

どこに向かいたいのかを探すだけの体力が年々なくなっていく

魂があるならもうこの世界には戻さないでほしい

体験版にしたって長すぎる

もっと楽しい世界に産まれたかった

この世界無抵抗に生かされ続ける存在させ続けられるすべての物質に対して神は不公平だと思う

その世界の物に世界ルール操作する権利一方的にはく奪して自分の条件下で圧倒的な力量差でルールを隠したり難しくしたりしている

不公平だと思う

この世界ゲームとしたらとんだクソゲーだと思う

広大な宇宙を作ってその中で遊べるステージ地球だけ

地球にも隕石氷河期やら戦争やら疫病やら色々問題ぶちこんで

人間や他の生き物をプレイヤーにして遊ばせる

まれときから強制的ステータスが決定してる

死ぬまでのリミットもある

死ぬと分かってるキャラで色々頑張れよとはっぱを掛けてくる

こんなんを売れば即クソゲー扱いですよ

よくこんなもん売ろうと思ったな神よ

こんなクソゲー一生懸命遊ばされる身にもなってくれ

2016-10-20

anond:20161020123751

そやね。

たとえばスピード違反を誘うような「150キロ一般道走行してうっはー気持ちいいぜ!」みたいなまっすぐな欲望が表出された絵や写真(何度見返しても皮肉でもなんでもない)を、公共機関が主導で書いてもらったとなったら、やっぱりそれがあるだけで反発喰らうとおもう。車体の空気力学的美しさや美しく流れる背景のボケ感とかは表現本質から当然関係あるけどしか表現手段に過ぎないのでそのうち関係なくなってくる。ほんとうにそうなったとき先頭に立つの交通事故遺○の会あたりだろうけど、それは「民衆にいわされてる」部分もある。

 

長谷川豊さんのも「憎悪感情」がすべての病気経験者に突き刺さって、結果「透析患者の会」が先頭に立たされてただけ。表現がまずかったなんて謝罪じゃ足りない。

 

ぼんやりとした「みんなの意見」とか「マナー」とか「空気」とか「経験則」でも相当効率よく回っちゃう日本から科学なんてある意味過剰投資に頼らなくてもなんとかやってけてる部分があるとおもうよ。ただ行き過ぎると衆愚政治になるおそれもあるから豊洲地下は多少金かけてでもちゃんとした科学者がやってほしいとおもってるけどね。感情アセスなんていくら金かけても無理無理、教育科学とおなじ。ニブくて人の痛みのわからん奴らを「敏感にする方法」などなく(体罰は当然禁止ね)、担当者に多少専門知識センスのあるもの、できれば男女半々で、を選ぶしかない。

 

なんというか、表現物・写真にも「ポジション」があるんだということだね。はやく肖像権キャラクター人格権法制化して。

2016-10-17

ファンタジーミステリを語る上で読んでおきたい200冊

いまだに十戒や二十則を「踏むべき手順」として持ち出してくるって、うみねこミステリ知識止まってる人か?


それはともかくファンタジーミステリの相性が悪いというのはあながち間違ってないし、

ループもの×ミステリミステリ史的には「SFミステリ」に分類されるものだったと思う。

ミステリ読者には事件探偵の前に「厳格なルールづくり」にプライオリティを置く人が多くて

そういう人たちが「ファンタジーミステリはなんでもありだからダメなんだ」と言う

こういう人たちの主張にも一理ある

ファンタジーミステリをかけ合わせた作品には「ルール設定」をぼかしているものが多い

でもこれはちょっとしたジレンマ

あんまりその世界独自ルールをカチカチに固めちゃうと読んでる読者の方が「お前の決めたルールやんけ」と白けてきちゃう

じゃあ逆に現実世界物理法則ロジックにそった解決へもっていくと「ファンタジー世界観にした理由がわからない」と文句がつく。

どっちにしろ、負け戦なわけだ。

しかしその困難を乗り越えてファンタジーミステリを書いてる人は多いわけで

みんなそういうものを読んで幸せになろう

ランドル・ギャレット『魔術師が多すぎる』

ファンタジーミステリ古典

魔法が発達してヴィクトリア朝以前の宮廷文化が保持された並行世界イギリス密室殺人が起きる。

当然「犯人魔法を使って殺したのでは?」みたいな疑惑が持ち上がるわけだけれど……。

このミステリで使われた「魔法世界ミステリをやるときメソッド」は良くも悪くもその後のファンタジーミステリ規範になった。

西澤保彦『七回死んだ男』

ループミステリの大古典

主人公である少年偏屈金持ち祖父が殺された……と思ったら次の日に何事もなかったかように殺害日の朝に逆戻り。

少年はなんとか祖父を助けようとするんだけどその度にバリエーション豊かに殺されていく。

どうやったら殺人を防ぐことができるのか? そもそもなぜループするのか。

ループミステリを語る上では見逃せない名作だ

山形石雄六花の勇者1』

魔法使い版『11人いる!』というか『そして誰もいなくなった』というか

魔法世界で起こる殺人を扱った作品としては『魔術師が多すぎる』を彷彿とさせるが

解決の手筋も実は『魔術師が多すぎる』に似ていて興味深い

アニメ化もされたんだっけ?

米澤穂信『折れた竜骨

割合「剣と魔法」系ファンタジーミステリとしては最高傑作の部類に入るとおもう

特筆すべきは「その世界でのロジック」にちゃんと拘っているにもかかわらず

ちゃんと読んでて納得させられるというか、「お前の決めたルールやんけ」感が少ないこと

物理法則ファンタジー寄りに、ロジック現実世界よりに構築したのが成功の原因ではないか

芦辺拓『スチームオペラ

いわゆるスチームパンク世界観ミステリやるやつで分類的にはSFミステリでもある

エーテルという特殊力学を中心に据えて展開されるため

「おまえの胸先三寸やんけ」にやや傾きがちなところもあって、それで批判されがちだけど

ファンタジーミステリ教養としては外せない。

白井智之作品全般

人間の顔は食べづらい』は『ソイレント・グリーン』、『東京結合人間』は『ムカデ人間』と

みもふたもない……もとい親しみのあるホラー設定の世界ガチ本格を作る若手随一の実力派。

世界本格のロジックは今後、この人の作品を基礎にしていくとおもう。

設定のセンセーショナルさに反していまいち弾けきれない部分があったが、最近刊『人間の顔は食べづらい』でネクストステージへ到達

森川智喜作品全般

最近のプチファンタジーミステリブーム先駆者

「剣と魔法」でもホラーでもSFでもない、童話ファンタジー風の世界観を基礎にしたガチ本格が特徴。

みためはかわいらしいが、倫理のタガが外れたヤバいキャラや話が多い

マストリードは『スノーホワイト』。『白雪姫』に出てくる鏡がもし現実存在したら……を天のはてまで突き詰めた傑作だ。

青崎有吾『アンデッドガール・マーダーファルス

ファンタジーミステリラノベとしては近年でも最良の収穫

吸血鬼狼男存在する20世紀初頭のイギリスで繰り広げられる大活劇

ミステリファンタジーアクションバランスがとれていて、わりあい読みやす

残りの190数冊はどこかって?

ふふ、それは君たちの頭のなかに眠っているのさ。。。

2016-10-07

努力について

どれだけ努力たか、についてはよく語られるけど、どれだけ努力できる環境だったかについては語られてないような気がする。

例えば

貧乏な人が独学で毎日独学でマラソンの特訓をするのと

お金持ちの人が専属コーチとかつけて、力学的にただしいトレーニング方法マラソンの特訓をするのとでは努力の質が違うはずだ。

努力の質には生まれとか環境とかそういうのが密接にかかわってくると思う。

結局 よい努力ができるかは運 なのかもしれない。

2016-10-03

http://anond.hatelabo.jp/20161003130854

貧乏人が子供を産むこと自体ネグレクト

子供にも人権はあるので産まれから不幸になる、する、させることで人権を損害するより、産まない、産ませないことでそれ自体をナシにする力学が働いている。

さて、まともな頭を持った人間なら元増田が書いてることは承知の上で、「それでも産まない」という選択を取っている。

第一養育費をあげるアンケート回答もよく目にする。

養育費があれば子育てができるのであれば、当然景気が良ければ出生数は改善する。

そうでないなら出生数は落ちるが、不景気なりに子供が産まれるのも事実

つの時代悲惨だ、グチグチ言い訳してないでとにかく産めばいいだろ。死んだら残念だったな。また拵えろや。

長々と書いたが、お前はこの程度以上のことを主張していない。

2016-09-04

私が結婚できないのはどう考えても私が悪い

人生責任を取るのは誰でもない自分自身だ(前提)。

決して人生を舐めていたわけではないが常に私は風の吹く方向、水の行く方向へとただ流されるように、受動的に生きてきた。高校大学就職も、ただ落ちた繰り返しの果てに拾って貰えただけだ。

日本教育機関は手厚い。中学も2年の頃には将来のことを考えさせ、受験意識させてくれる(実際に本気で考えるかは別問題)。高校も同じだ。大学だとご丁寧に就職セミナーを開き、また支援センターが微力ながら協力してくれる。ただ受動的に生きるだけの人間にも、次に何をすれば良いかの指針を示してくれる。

次に降りるべき駅と向かう方向を知ることで、私は安心できた。ランク上下はあれど、その線路を走ることができたなら安泰な"人並みの人生"という車窓が見えるのだと思っていた。

しかしどれほど手厚い教育機関でも、教えてくれないことが一つだけあったのだ。それは広い意味でいえば友達の作り方、狭い意味でいえば恋人の作り方。社会に横たわる人間関係力学に関しては、教育機関集団生活を営む上での最低レベル支援までしかしない。それ以上はプライベート範疇として個々人が解決すべき課題とされ、ここに最初格差が生じてしまう。

無論誰もが薔薇色の青春時代を謳歌できる訳では無いが、ただ与えられたことのみを為すことしかできない受動的な人間にとってこのハンデはあまりにも大きい。色気付いた頃合いに「彼女が欲しい」と思えるのは能動的な人間であり、受動的な人間は半ば本気で「よくわからないが、いつか多分そういう時期が来たら勝手結婚するんだろう」と思考停止、或いは思考放棄している。そんなことはあるはずが無いのに、その程度の摂理にすら気付けないほど瞳を曇らせていた。

そして僅かばかりの知り合いや職場の同僚が、みな結婚し子を産み育てていることを認識してようやく気付くのだ。ただ希っていた、安泰で"人並みの人生"というレールから自分が外れていたことに。そしてその先に待つの孤独絶望しかないことに。

人生朱夏を越えれば、染みついた性格行動様式を変えるのは難しい。なにせ今まで何一つとして、能動的に行動を起こしたことのない人間だ。やれ婚活だ何だと行動できる能力と度胸があるなら、もっと早くに気付き無駄人生を燻らせる事も無かっただろう。

何かの間違いで、本気で活動したらまた何か違う結果に至ることもあるのかも知れないが、それ以上に未知に対する不信と不安が足を留まらせる。常に受動的で、他人とは上っ面でしか付き合わず、本気で誰かを慮ったことのない人間が今から人間関係力学を学ぶのは重く、またその練習をさせられる人はさぞ不幸だろう。やはり私は、流されるようにしか生きていけないのだと思う。

生活保護というものがあるが、あれは最低限度の文化的生活保証してくれるらしい。私はそんなものよりも、最低限度の"人並みの人生"を保証してくれる人生保護が欲しかった。特別になんてなる気は無い。自分を産み育ててくれた両親のように、ただ"人並みの人生"というものを送りたかっただけだった。

受動的に生きてきた人間最期もまた、受動的なものなのだろう。せめて、誰かの朝食を不味くするような死に方だけはしないことを願っている。

フェミニズムとの距離感~「性差別表現」は存在してよい/存在しない

●無条件に「性差別である表現存在しない

「全てのセックス性差別」とフェミニズムの一部が主張している、と俗に言われる。これは半分正しいが、半分間違いだ。

正確には、「マチズモが強く機能している社会においては」という条件下にのみ「全てのセックス性差別になる」という主張である

この条件さえ付ければ、「全てのセックス性差別」という主張は決して間違いではない。

しかし、だからと言って「セックスを滅ぼせ」という主張は、大半の人にとって受け入れられないものだろう。

現にフェミニストの大多数はそのような主張に与していない。

そもそも、そんな主張は受け入れる必要すらないのだ。

なぜなら、変わるべきはセックスではなく社会なのだから

アニメマンガについても、まったく同じことが言える。

無条件に性差別的な言動表現は、存在しない。

仮にある作品差別的だとしても、あくま特定社会状況下で差別的力学を発揮する、ということにすぎないのだ。

から性差別表現を含むフィクションを好むこと」と「性差別批判すること」は問題なく両立する。

どころか、「性差別を含む表現」を好むからこそ、現実での差別批判するとも言えるのではないか

別の例で言い換えてみよう。

「(ミステリー小説など)殺人表現を含むフィクションを好むこと」と「殺人批判すること」は問題なく両立する。

どころか、「殺人表現」を好むからこそ、殺人表現現実殺人へと結びつかないために、現実での殺人批判するとも言えるのではないか

いずれもまったく同じ構図だろう。

それゆえ、性差別に抗議する人が「性差別を含む表現」を愛好しても何ら問題はないのだ。


党派根性論点を捻じ曲げる

言うまでもないことだが、上手く書かれたフェミニズム批評は、正当な批評である

分析の仕方が卓抜で、深く作品を読みこんでいる批評であれば、それは正当に評価されるべきだろう。

しかしその批評の正しさを認めることは、決して批評された表現自体が悪であると認めることではない。

現に古典文学に対するフェミニズム批評は以前から行われており、たとえば『源氏物語』をフェミニズム的に読解する批評などはすでに存在している(興味がある人は探してみてほしい)。

しかし当たり前のことだが、これは決して『源氏物語』が劣悪で評価に値しない作品だということを意味しない。

批評理論は、「ジャンル批評」や「読者反応批評」や「精神分析批評」や「マルクス主義批評」や「文体論的批評」など、数多く存在する。

フェミニズム批評」はあくまでもその一つにすぎないのだ。

フェミニズム的な批判を認める」=「批判された表現をなくさなければならない」

と考えるのは、党派根性に基づく不当な飛躍である

からオタクは、別にフェミニズム批判の正しさを認めても構わないのである

(もちろん他の批評と同じく、低レベルフェミニズム批評まで認める必要はない)。

そしてこれはフェミニズム側についても同じことが言える。

性差別である」ことを理由としてただちに表現を取り下げよ」と主張するのは、基本的には不当な要求である

もっとも、厳密に言えば「表現を取り下げよ」と発話すること自体自由であるしかしその発話内容が不当である以上、当然批判殺到するであろう。

不当な主張をすることは自由だが、その主張に対する「評価」は本人が責任を負わなければならない)


たかも「オタクフェミニズム対立している」かのような構図をでっち上げることこそが、議論の妨げとなるのである

そういった点も踏まえて、後述するように「マンガアニメという表現様式一般性差別である」などという乱雑な主張は退けなければならない。


結論

表現の自由」には責任が伴う、としばしば言われる。

では表現者が負うべき責任とは何か?

それは、己の作品の「評価」を引き受けること、である

辛辣批評、伸びない人気、そういったことをすべて作者自身が引き受けることである(もちろん、低レベル無意味批評無視すればよい)。

フェミニズム的な批判を、何か特殊批判だと考えない方が良いだろう。基本的に、それは批評である

フェミニズム批評もまた一つの評価軸であり、その軸上における評価もまた、作者自身が引き受けなければならない。

そして表現者責任とは、「評価」を引き受けることがすべてだ。

(もちろん、プライバシー侵害など個別具体的な人権侵害等は例外だが)

酷評に耐えかねて、自ら作品を非公開にすることは、確かに一つの選択肢ではある。

しかし、それが強要されるのは決して望ましいことではない。

仮に「ある作品性差別的な効果を発揮する」としても、その効果を止める方法は「表現を取り下げること」だけではないだろう。

「その作品性差別的な効果を発揮している」と論理的に指摘できれば、それだけで性差別効果を止めるには充分である

「この作品における○○○○な描写は、性差別意味を持っている」と評すれば、充分に、現実世界で○○○○することが悪いと告発する効果を発揮できるから

(○○○○には任意性差別描写を当てはめてください)

そしてそれこそが、フェミニズム批評仕事の一つであろう。

批判的言説を生産することによって、ある表現が発揮しうる性差別効果を止めること。これは充分に可能である

批判的言説では飽き足らず、表現自体の取り下げ等を要求することは、(性差別解消につながるかも疑問だが)性差別以外の領域において不合理を引き起こす

(この点については、また別の機会に述べようと思う)。

そして、(あえて厳しい言い方をするが)表現の取り下げを要求することは、批評の力を、言論の力を、見くびる所業でもある。

ある表現へのフェミニズム批評は大いに結構だ。

だけど忘れてはいけない。

フェミニズム解釈妥当性を持つのは、作品外の社会的文脈があるからだと。

変えなければいけないのは表現ではなく社会だと。

そして、これも再度強調しておかなければならない。

「(現在社会的状況において)性差別(と位置づけられるような)表現を好むこと」と「性差別批判すること」は両立する。

どころか、前者を好むからこそ、現実での差別批判するとも言えるのではないか

妥当フェミニズム批評であれば、それは素直に認めればいい。

しかし、そのことだけを理由表現の取り下げや禁止要求することは不当である

同様に、そのことだけを理由に「フェミニスト表現の取り下げや禁止要求している」と早とちりすることもまた不当である

最後に補足を二点

もちろん私は、「マンガアニメという表現様式一般性差別である」などという乱雑な主張には与しない。

たとえば大城房美が指摘するように、「日本少女マンガは、女性が周縁化されてきた20世紀後半のアメリカコミックスの状況を変える一因となった」という側面を見落としてはならない

大城房美編著『女性マンガ研究 欧米日本アジアをつなぐMANGA』青弓社 2015 p.25)。

日本においては、マンガによって女性表現する場所が確保されてきたのである

そして少女マンガ女性表現の源流であると同時に、いわゆる男性オタク向け表現の源流の一つでもある。

以上の指摘を受けて、なお「男性向けオタク表現については性差別である」と強弁する方がいれば、

たとえば佐倉智美先生によるこちらの記事などをご覧いただけると、その主張が極めて一面的で乱雑であることが理解いただけるかと思う。

http://stream-tomorine3908.blog.so-net.ne.jp/2016-04-09_GP-LoLv-5(「ラブライブガルパンフェミニズム評価すべき5つの理由 [メディア家族教育等とジェンダー]」)

2016-09-02

http://anond.hatelabo.jp/20160902090945

ケプラーとかはともかく、なにもないところで曲がっていることに

現場の誰も違和感を感じないのはおかしくないか

彗星軌道を「知っている」「知っていない」じゃなくて

太陽の手前のなんにもないところでUターンして帰っていくことに

力学的な不自然さを感じるか、感じないかという話。

2016-08-31

http://anond.hatelabo.jp/20160830230829

アンサイクロペディアネタバレテンプレートでも読んどけクソ雑魚ナメクジ

警告:以下の文章にはネタバレ、いわゆるスポイラーが含まれています。これにより記事はより空気力学的に洗練され、その結果としてより高速で疾走できるようになります

もしあなたが、セブルス・スネイプは二重スパイであり裏切っていないことや、綾波レイは何人もいることや、流子の父を殺したのは皐月ではなく針目縫であることや、ブリーフイケメンであることや、ウォーフがディープスペースナインに転属されることや、サーヴァントセイバーの正体はアーサー王であることや、花菱薫には同じ名前の弟がいることや、大空寺あゆは大財閥のご令嬢であることや、キース・ブライアンナイトレーベンに挟まっちまうことや、イリッチマルコフ親友で敵側のスパイであることや、魔王ロウンは13番目の使徒であり自ら地上に堕ちたことや、黒の組織正式名称を言うと「あの御方」が誰だか分かってしまうことや、バトルホッパー破壊されることや、紅渡の母親ファンガイアクイーンだったことや、ナカジ姉妹戦闘機人「タイプゼロであることや、バロータ軍の兵士の正体が地球統合軍兵士であることや、ダイスリーバルトアンデルスというファルシ人間を道具としてしか見ていないことや、カシムは詐欺師であることや、ゼクスシンジケートアジトドームの外に存在することや、シュウジとちせだけが生き残ることや、ヴァン・ホーエンハイムは人の形をした賢者の石であることや、テフェリープレインズウォーカーでは無くなることや、ファウード暴走することや、旗立颯太神竜として覚醒自分がいた仮想世界管理者権限を得ることや、ウォルター・オディムは深紅の王の部下であることや、マリアカデンツァヴナ・イヴにはフィーネの魂が宿らないことや、アンサイクロペディアウィキペディアパロディであることを知らないのであれば、充分注意して、救急箱を手放さないようにしてください。

テンプレート:ネタバレ - アンサイクロペディア

12:26追記・変更>

・クソ雑魚ナメクジを追記

・msdbkmのアドバイスにそってURLの書き方なおした

2016-08-06

富士山の山頂から飛び降りるための力学流体力学

富士山の山頂は火山はいえ、頂上は崖ではない。

ゆえに山頂で少しジャンプした程度ではすぐに着地してしまう。

(もちろんその後転がり落ちることは考えられるが。)

記事では富士山の山頂から飛び降りることが可能になる条件について力学流体力学を用いて検討する。

ここで飛び降りるとは一度も着地せずに垂直方向に2000m下ることと定義する。




みたいな

2016-07-30

今回の都知事選、捨て勝負だったとしても民進党のチョイスが謎すぎる

どういう力学が働いたら鳥越氏を出てくるのか、誰か解説して欲しい

2016-07-14

都知事選

はてブ新着から都知事選関連の記事さらってみていたけど、

予想通りの展開になりそうでがっかり

都民になってまだ数年なので、比較最近選挙記憶しかないんだけど、

なぜ都知事選都民の方を向かないのだろうか。

鳥越氏の都合の悪いことは全部安倍のせいって演説には

その話は参院選でやっておけよって感じでうんざりだし、

小池氏と増田氏は自民都連の力学綱引きやってて

俺らの方をまるっきり向いてなくてこれまたうんざりだ。

今のところ一番都民のためになりそうなことを

言ってるのが上杉隆ってどういうことなんだよ。

地方法人税の再配分の凍結とかすげー耳心地いいわ。

まぁ個人的上杉氏は口だけの嘘つきだと思ってるから選択肢にも入らないけど、

せめて当選権持ってそうな3人は口だけでも都民のためになるようなこと考えてくれよ。

2016-07-05

[] スカトロ

18世紀アナルスカトロスという人物がいた。

アナルスカトロスは流体下痢便力学第一人者である

彼が導出した、アナルスカトロ方程式により

肛門を通過する粘性率が一定うんこや、非圧縮性のうんこの流れを計算することができるようになった。

おかげで、痔に苦しむ人や下痢便気味の人の便通が改善され、おおいに支持された。

一方、彼は高いところからうんこをする性癖があり、よく屋根の上からうんこをして怒られていた。

アナルスカトロスはより高いところを求め、近所にある山の崖からうんこをすることを試みた。

そのとき彼が気にしていたのは、うんこの落下速度である

彼がひりだしたうんこは崖の上から落下し、重力により加速するが、いずれ速度は一定になった。

これはうんこ空気の抵抗力および浮力重力とが釣り合ったためにおこる。

このときの速度は、週末チンコ速度と呼ばれる(週末のチンコのように一定精子放出するというのが由来だと言われているが、諸説ある)。

しかし、スカトロスが何度もうんこをしていると、この週末チンコ速度はうんこの形状によって変わることが分かった。

スカトロスには正確にうんこの落下速度を計算しなければならない理由があった。

彼が屋根の上からうんこをするときに落下速度が分からなければ、通行人うんこが当たってしまうのだ。

近所からものすごい勢いでクレームが来ていたスカトロスには死活問題であった。

うんこの形状による落下速度の差を補正できないものか…。

スカトロスはうんこと同じ週末チンコ速度をもつ球を想定した。

うんこの形を球だと仮定した場合、そのうんこは半径 x の球と同じ週末チンコ速度を持つ。

この仮定した球の半径を、スカトロスはスカトロ半径と名付けた。

このスカトロ半径はアナルの半径と一致するのでは?と考えたスカトロスであったが、

まり精度はよくなく、アナル量子力学ボーアナルという人物の登場まで待たなければならなかった。

次回はアナルの半径を物理的に計算し、アナル開発に尽力を注いだ偉大なるアナル物理学者アーヌス・ボーアナルについて語ります

*参考文献

Scatolos A. et al., (1852) the Journal of anal science 142:156-85, 'Terminal velocity of the Unko',

アナル増田

2016-06-23

http://anond.hatelabo.jp/20160623073411

重力には球体の半径も関係してくるからだよ。

イメージでつたわる!わかる力学という本に書いてあるが、

地球と月の半径の比が11:3とすると

(11/3)^2 *(1/81)≒1/6 になるらしい。

2016-06-22

年齢に応じた経験ができた人とできなかった人の違い

Twitterで見かけたのだけど、単に経験値が足りないだけではなくて壁として聳え立つから詰んでしまうのだなと納得した。

「年齢に応じた経験」を積んできた人々は徐々に階段を上がっているのでゴールへ辿り着きやすい。

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「年齢に応じた経験」ができなかった人々は高い壁にぶち当たり、ロックライミングすることになるので多くの脱落者が発生する。

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ブコメで一段ずつ上がっていくしか無いとあったけど、これ横軸は年齢(或いは時間)なんだよね。残念ながら何事にも適切な時期と始めるには遅すぎる時期がある。感性豊かな10代の頃に学び、20代理解していった人達が得られたものを30代が20年かけて得られるなんて事は決して無い。もはや一段ずつ上がっていく時間など無いからこそ、高い壁に挑み絶望していくのではないか

童貞だって結婚できるんだからお前らもっと頑張れよ!!って既婚者が書いてたのだけど、彼らの言う頑張りの「中身」が全く分からない。

これまで一切、恋愛という人間関係力学リソースを割いてこなかった人間には、異性との出会いも、会話の仕方も、好まれ容姿すらも他者から情報を探るしかなく、経験による「実」を全く持っておらず、まず何を頑張るのかすら理解できない、ということをどうして分かって貰えないのだろう。

2016-04-14

http://anond.hatelabo.jp/20160316184340

ビジネスモデルの違いが大きいよね。

サービス開発とSI開発を比較すると

サービス開発は、沢山の人にプログラムを使い続けてもらうことで収益を上げるモデル

SI開発は、作ったプログラム業務効率化をはかり人件費節約して収益を上げるモデル

なので

サービス開発は、利用者が魅力を感じるために改善し続ける必要があり、継続投資意味がある。

UI改善パフォーマンス改善接続数のスケールセキュリティ、他社サービスとの接続、各種デバイスへの対応などなど。

技術力こそが命だし、技術者の開発力が収益の源泉になる。

ライバルユーザーを取られたらサービスわっちゃうもんね。

早くローンチ重要場合もあるので、まずベータで出してブラッシュアップさせてVer1.0を目指すことも可能。

一方SI開発は、簡単に言うと人件費を減らす為のもの

受注業務で10人が電話FAX応対してたのをWeb化、自動化して3人で回せるようにする。

営業残業して顧客情報Excel管理してたのを一元化して残業代を削減する。

とかとか。

なので開発予算最初に決まるし、継続的に高いお金をかけて改善していく意味ほとんどない。

システム導入時のようなコストインパクト改善では出すのが難しい)

素敵なUIにする必要はないし、少しくらい応答が遅くても問題ない。「運用でカバー」だ。

難易度が高い開発を高いお金をかけてやる必要はない。

削減予定の人件費を超えてしまっては本末転倒

オーダーメイドなので開発費は高くなる上に

継続的改善しないので、導入時点でVer1.0どころか、2.0、3.0 の機能を求められる場合もある。

ベータ版からはじめましょうとか基本的に許されない。

そりゃ保守的になる。

枯れた技術設計がいいし、少しでも安いエンジニアを使いたくなる。

見積もりハズしたら赤字ですよ。

一方重要になるのはスケジュールコスト

設計の手戻りは許されないので、顧客との調整力、フェーズごとに仕切れる段取り力、「ここまでしかやらない」と言える交渉力

決められた作業を決められた期間に決められたコストで実行するマネジメント重要になる。

SIerの儲けの源泉は、類似プロジェクトを沢山こなして

業務ノウハウを溜めて、見積もり精度をあげること。

プログラムは自社フレームワーク化して、コーディングパターン化していくこと。

新規サービス開発で求められるような技術力は基本的不要だし、技術動向は一部のR&D部門の数名が研究していればOKな世界

根本的に力学が違うのかなと。

マイナンバーやeTax関連でも、クラウドサービス化して「利用者が増えれば収益が上がるモデル」になってるところは

高い技術力の人がいて頑張ってるんじゃないですかね〜

2016-04-11

[] 乳豚力学

17世紀ヨーロッパ、一人の乳フェチがいたそうな。

彼は、乳豚と呼ばれるほど乳が好きだった。

乳豚は毎晩、おっぱぶで遊んでいた。

乳首を引っ張ったり、かみついたり、匂いを嗅いだり…。

乳豚の乳への興味はつきなかった。

乳豚は乳を上に思いっきり引っ張り、そのまま落としたらどうなるのか?と疑問に思った。

おっぱいバウンドしてすごく素晴らしいはずだ!」

いてもたってもいられなくなった乳豚はすぐさまおっぱぶに行き女の子に試してみた。

いっきり乳を押し上げ…落とす。

何度も試みたが、乳はゴムまりのようには弾まずただ落ちただけだった。

観客はがっかりし、乳豚は袋叩きにされ店からつまみ出された。

殴られた乳豚はなぜかにやにやしていた。

断っておくが、彼はマゾヒストではない。

乳豚は乳に宇宙を感じていたのだ。

おっぱいは落ちるのに、月は落ちてこないのはなぜだろう」

殴られて頭がおかしくなった乳豚は、その疑問を解決すべく、研究に没頭する。

まず、用意したのは梅干しだった。

ほしはほしでも食べれるほしはな~んだ?

今時、幼稚園児でもやらないような典型的かつ古典的なぞなぞだが、乳豚の時代はそれが最先端だった。

梅干しを用意してみた乳豚であったが、どうしていいか分からない。

毎日梅干しを眺める乳豚、ある日よいことを思いついた。

しわくちゃの梅干しはまるでアナルにそっくりではないか!」

しかし、アナルは落ちるものなのか?また疑問が始まる。が、すぐに解決した。

排便だ。

ぼっとん便所の下で待ち構えていたら、いくらでも星のかけらが落ちてくるではないか!」

早速乳豚は近所のけんブリ大学の穴ニーカレッジ女子トイレに潜入を試みた。

潜入は成功し、ひたすら落ちてくるものを拾い集めた。幾日も幾日も…

いつしかピーピング豚と呼ばれるようになったが気にしなかった。

豚には研究という大義名分があったのだ。

そして、うんこを大量に集めた豚は、スカトロ転向し、尻の広げ方を計算する尻分方程式研究をし始めた。


同時期にレイプニッツという人物も尻分方程式研究していたが、レイプニッツの考案した常尻分方程式は、

常にアナルを広げ続ける画期的な式であった。


結局、豚は梅干しを食べてうんこを広い集めスカトロになっただけの人生だった。

一方のレイプニッツは、その後、強姦で捕まってしまった。

彼らの考案した常尻分方程式は語り継ぐものがおらず、いつしか忘れ去られてしまったが、

アナルマニアスカトロマニアの中で伝説として語り継がれている。


*参考文献 よくわかるアナル力学 ケツ穴出版


アナル増田

2016-03-14

http://anond.hatelabo.jp/20160314110239

ちょっとまて。保育園は本当にイイモノなのに普通に売り出さないとはどういう力学が働いているんだ?

2015-12-10

http://anond.hatelabo.jp/20151210184709

新聞消費税を導入したとは言ってない。

消費税を導入し、さら増税しようとしている主体財務省だよ。

から正しくは、財務省消費税を導入しようとしている、だ。

財務省が主であり、新聞は従であるということ。

新聞はその片棒を担いで消費税を是とする空気を醸成したと言っているわけ。

官僚マスコミ関係はいろいろあるということぐらいは知っているだろ。

詳しく知りたいなら、宮崎哲弥もそうだし、高橋洋一でもいいし、その辺の人の新聞批判官僚批判を漁ってくれ。

問題はなぜそのような力学が働くのかということだが、理由は簡単で、消費税批判しない代わりに自分だけは増税から見逃してもらえるように裏取引をしているだろうということだ。

こういうこと言うと陰謀論と言われそうだが、これはずっと前から言われていたことで、事実現象から見てもそうなりそうだろ。

新聞一枚岩ではないし、官僚の言うことをただ鵜呑みにしているのも中にはいるだろうがな。

まあ、要するに、新聞自分が助かるために公益犠牲にしたということ。

蜘蛛の糸にぶら下がるカンダタと言っていい。

2015-12-04

中退へのメンタル閾値が低い高校中退者による博士課程一問一答っぽい

この記事博士課程 Advent Calendar 2015 - Adventarの5日目のエントリです。前回はid:kybernetesさんのこの世界への関心を諦めない人に博士課程はオススメ - 表道具でした。

(今年は無事に退学せず済みそうなので、退学 Advent Calendar 2015 - Adventarじゃなくてこちらに参加します。)

http://anond.hatelabo.jp/20141201200815]から大幅にテンプレート拝借

某国立大物理D1場合

Q1. 博士課程ってなんですか

A1. 大学院入試面接で「進学するつもりはある?」って聞かれるあれ

たいていの理系人生において、ここに進むか否かで修士課程終了後の幸せ曲線が大幅に変わるともっぱらのうわさ。(私はまだ実感してないんですが、この手の話聞くたびおっかない)

Q2. なんで博士課程に進学するんですか

A2. 高校中退したあと某高専に潜り込んでたんですが、「高専新卒」という最強就職カードをかなぐり捨てて大学編入しちゃったので毒食わば皿まで、ではないですがやるとこまでやったろう!というのがひとつ

高専時代に言われた「好きなことを仕事にすると長続きしないよ」とかいもっともらしいアドバイスを真に受けて転科する!って編入した先があろうことか原子力系で、在学中の3/11以降いろいろ考え修士課程でまたしても転科したので、たった2年じゃやるとこまでやれん!というのがふたつ。すごくいきあたりばったりですが特に2つ目はこればっかりはしょうがない。

Q3. 普段どんな生活してんのさ

A3. 後述のRAが勤怠とられるので、普通に9時5時で他の職員さんと同じような勤務体系です。

理論系だし実験と比べて体力的に楽かなーと思いきや、週末もけっきょく自宅で作業してしまうので気分的には週休ゼロ日っぽい

研究で頭ハチハチしてると朝の民放テレビとかマジで情報洪水、うるさすぎてたまんないのでNHK教育はなかっぱとか見て心を浄化してから出勤してます

あとは平日休日わずメンタルのために趣味ゲームしたりピアノ弾いたり、こういうのがすごく大事な時間です。

Q4. 在学時の金銭問題に関して一言

A4. 某国研のRA学費とか税金年金もろもろ賄ってるのと、実家暮らしで家にお金入れてるわけでもないので(お父さんお母さんごめんなさい!)あんまり気にしたことはないです。

一人暮らししたら学費免除通りやすくなるのかな…在学中に結婚したら学費全額免除もらえたとか、配偶者に養ってもらいながら(3号被保険者として)生活してたとか、聞くけどどこでみなさん恋人とか見つけてくるんですかね???

Q5. 学振について

A5. 私は修士課程から新しい分野に来ていまだに業績ほとんどないから全然無理無理、って思って出してないんだけど、情報系とかみたいに早くからぽんぽん査読つき学会だの論文だの出せる分野だと申請書も見栄えするんだろうなぁ、って勝手に思ってます物理の人もそんなみんな修士課程からポンポンPhysics Review うんちゃらみたいなのにポンポン載せてるんですかね…

Q6. インターンについて

A6. 来年に行く予定があるんだけど、大陸ヨーロッパなので日常生活英語通じるのか?っていうのと最近テロちょっと心配

他の人とか分野の事情まったく知らないんだけど、大学とか受け入れ先から予算が出るなら是非とも行っておいたほうがいいのでは。

Q7. 楽しいこと3つ

A7.

(1) 高専卒で就職した同期とかの話聞くと、「仕事の内容はいいんだけど人間関係が辛い」(脳筋DQN体育会系みたいなのが多い、の意)というのを割りと聞くので、そういうのが理学系だとないなーっていうのが人間関係に恵まれてていいなって思います高専特に機械科とかほんと脳筋DQNのすくつだったしね。

(2) RAも実際のところ普通ホワイトカラーと違ってあんまり時間には厳しく言われないので、朝が弱いマンにとっては大変助かる。

(3) 本人はいつも自分には研究向いてない…辞めたい…って思ってるのに、親しい人とか親戚がすごく買いかぶってくれてるとこ。自己肯定感が全力で慰撫されますね。

Q8. つらいこと3つ

A8.

(1) 当たり前ですが自分の頭で考えて自分なりの意見を主張していかなきゃならないこと

いまだに自分意見をいうのが怖い、いつもいつもフルボッコにされるんだろうなーって怯えながら進捗報告する日々。

(2) 将来への見通しが無い

(3) どうせいずれ死んでしまうのにこんな研究やってて何の意味があるんだ…

Q9. 現時点で後悔していること

A9.

(1) 高専から大学に編入するときに専攻を変えてしまったこと

高専から大学編入して学振DC1通ってる人とかけっこういるじゃないですか、彼らは高専時代からずっと自分の専門分野に一途だったんでしょう。

まさに「転がる石に苔つかず」で、転がってばかりだと成すものも成せなくなるんだなあ。

(2) 将来への展望ゼロ

安定は、希望です | 参院選に挑む | 公明党みたいな人は博士課程に進学しちゃダメゼッタイ

(3) 人間関係を軽視しすぎたこと

いろんな人の話し聞いてると、高校学部時代の人脈があとあと強い意味を帯びてくる、みたいなのあるじゃないですか。

高専で人脈とかまぁ無理にしても、学部時代に引きこもったりしなければ、留年したりしなければよかったな。

Q10. 博士課程に向いている人

A10.

(1) 「正しさ」をめぐって駆動される権力力学無頓着な人

 これだけで政治哲学上のひとつトピックになりそうだし私が簡単にどうこう言えるものではないけど、教員側でもそういうのに無頓着な人がいますしね。本人の名誉のため名前は伏せます

教員:「何か発言しろ

学生:「いえ、特にありません」

教員:「何でも良い、言え!」

学生:「・・・では、~だと思います。」

教員:「ふざけるな、大間違いだ!謝罪しろ!」

学生:「間違っていました申し訳ございません。」

なんていう地獄絵図はまったく想定していませんでした。

みたいなブログも見つけまして、大変脱力してます。一歩大学の外に出れば↑みたいなのがむしろ普通なのにね。そういう環境適応してきた学生だけ一方的に責めるのはどうなの?

(2) 命令指揮系統崩壊している末期戦みたいな前線でも気にせず自分勝手に動ける・動きたい人

A8(1)と関係しますが、上から命令が降ってくるわけじゃないので、【北朝鮮】最高司令官同志、命令だけ下してくれ! - YouTubeみたいなのは決定的にダメですね。

(かの国における首領・党・人民三位一体による有機的政治生命体、っていうのはたぶん研究職と相性悪いと思う。)

(3) 聞き分けのいい素直なお利口坊や/お嬢ちゃんじゃなかった人

 高専の同期のDQNが「ああぁぁん?てンめぇナマいってんじゃねえよぶっ殺すゾ!!おおおぉぉぉん??(どうでもいいけどなんでこういう威嚇する声ってだいたいプロソディーが短調ぎみなんだろう?)」って言っててもあんなん慣れりゃ自分に直接は害が振らないから別にいいけど、自分の今後に生殺与奪を握ってる偉い人相手には「相手の意のままに動かなきゃ、自分から敢えてケンカ売るようなマネは…」というのが適応戦略としては普通なので。そういうまともな感覚が無い人のほうが博士課程向いてるんじゃない?

後半が「博士課程もう辞めたいこんなん嫌や!!」って思いながら書き溜めたやつで、前半がちょっと最近持ち直してきたときかいたやつなのでニュアンスが違います

なにか質問あれば追記しま

2015-09-10

世界いちばん遠回りな世界一周

もう誰も覚えていないと思うけど、3年ほど前、ここに、"Hello world!"というタイトルエントリ投稿した。あの話の続きをしようと思う。

※このお話はたぶんフィクションです。実在の人物や団体とはあんまり関係ありません。

※前回のあらすじ:高校中退工場派遣プログラマホームレス自立支援施設プログラマ海外放浪職業訓練世界一周アプリを作る


あれから3年、いろんなことがあった。またプログラマとして働いたり、またホームレスになったり、福島除染作業員をしたり、本当にいろいろあったけど、 今回の主題にはあんまり関係ないのでざっくりはしょる。今回の主題世界一周についてである

はいつか世界を巡る旅をする。10年くらいかけて。わりと本気で。その計画を立てるためのアプリケーションも作った。でもそのアプリ正式リリース以降、開発が頓挫している。開発を進めるにあたって、致命的な問題があることがわかったからだ。それは、開発者である自身が、この世界について何も知らないに等しい、という問題だ。

開発者は、システム化する対象に関して、誰よりも精通していなければならない。業務用アプリケーションの開発なら、 その会社の業務フローについて、社内の誰よりも詳しくなくてはいけない。システム開発とはそういうものだ。そして今度の対象世界だ。すべての国だ。それを僕自身が知らなくてはならないのだ。

しかし世界は巨大で、そして複雑だ。

国連加盟国は現時点で193か国。それぞれの国の下に州や省や県があり、その下に市区町村があり、そういった階層的な行政単位以外にも、歴史的背景から自治区になっているところや特別行政区連邦直轄領もあり……。

そういや連邦ってなんだろう。なんとなく知っているようでいて、詳しくはわからない。王国共和国ってどう違うんだろう。国の形ってなんでこんなにいろいろあるんだろう。いやそもそも国ってなんなんだ。どうすれば「国」になるんだ。

国連に加盟していればいいのか。いや国連非加盟の国もあるじゃないか。国家の三要素(領域人民主権)を満たしていればいいのか。しかしそれを満たしていることを誰が認定するんだ。他国から承認があればいいのか。その他国は誰が国だと承認したんだ。政治的問題から国なのか国じゃないのかはっきりしない地域だってたくさんある。国とか国じゃないとか最初に言い出したのは誰なのかしら。

それは世界一周アプリの開発中に国データをちまちま作っていたときにも思ったことだ。もしかして「国」というのは、僕が思っていたほど絶対的で、はっきりしたものではなく、相対的で、曖昧ものなんだろうか。

からない。わからないことだらけだ。こんなもの本当にシステム化できるのか。複雑ってレベルじゃねーぞ。これが仕事だったら「うんこー☆」とかいいながら全力で投げ出しているところだ。しかしこれは仕事ではない。これは仕事ではないので、真剣に取り組まなければならないし、投げ出すわけにはいかないのである

だけど、 どうしたらいいんだろう。世界はあまりに巨大で、複雑で、茫洋としている。何かとっかかりが必要だと思った。基点が必要だと思った。人でも物でも事柄でもいい。それをとっかかりにして、基点にして、少しずつ裾野を広げていけばいいのではないか。そう思って、自分記憶を探ってみる。僕の基点、時間軸と空間軸の原点、それは子供のころ、ブラウン管の向こうに見た、落書きだらけの大きな壁だった。


1989年11月ベルリンの壁崩壊した。僕が9歳のときだった。ニュースは連日連夜、この話題で持ちきりだった。興奮気味に壁を壊す人たち、全身で喜びを表現する人たち、泣きながら抱き合う人たちもいた。世界中が大騒ぎになっているようだった。僕はその映像を、意味もわからずただぼんやりと見ていた。

それからしばらくして、社会科教科書世界地図が大きく書き換わった。ソ連という国がなくなり、新しい国がたくさんできたのだという。国がなくなる? 国が新しくできる? その意味もまたよくわからなかった。

時間軸は一気に飛び、ベルリンの壁崩壊から20年以上たったころ、僕は生まれて初めて日本を出た。半年かけて海外放浪した。特に目的もない旅だった。だからその場所に行ったのも、ほんの気まぐれだった。

ベトナムホーチミン市にある戦争証跡博物館ベトナム戦争記憶を後世に伝える博物館だ。旅の途中にふらりと立ち寄ったそこで見たものを、僕はいまでもフラッシュバックのようにありありと思い出せる。

銃器、対戦車地雷、その他さまざまな武器弾薬が「こうやって使われていたんだ」といわんばかりに、実際に使用している場面の写真と並べて展示されている。銃を突きつけられて悲壮な顔をしている男性、道ばたで血まみれになって死んでいる子供、虫の死骸のように雑多に並べられた人の死骸、そんな凄惨な写真がこれでもかと並ぶ。

何か、自分の中で価値観が急速に書き換わっていくのを感じた。頭の中がぐちゃぐちゃになって、いろんな言葉が浮かんでは消えていく。

資本主義

共産主義

イデオロギーとは何だ?」

そのとき同時に頭の中に浮かびあがってきたのが、子供のころに見たベルリンの壁崩壊ニュース映像だった。あれから20年以上たってようやく僕は、あの人たちがどうしてあんなに泣いたり喜んだりしていたのか、少しだけ理解できたのだ。


あの博物館で僕がもっとも強く感じたのは、「戦争悲惨だ」という事実ではなく、「どうしてここまでのことになったのか?」という疑問だった。人が人を虫けらのように殺す、その理由が知りたい。そこには絶対にそれなりの経緯があるはずである。東西冷戦とは何だったのか、僕はまずそれを知らなければならない。

しかしこうなるともう最初から世界史をやり直したほうが早いんじゃないかと思った。よし、時間軸を一気に人類歴史の始まりまで巻き戻そう。

まずは大河流域で文明がおこる。チグリス・ユーフラテス川ナイル川インダス川黄河。うわー、すげー懐かしい。そして農耕が発達する。食料を安定して収穫・保存できるようになると権力が生まれる。そこから世界各地で似たような権力闘争が延々と繰り返される。

特に印象深いのが「カノッサの屈辱」だ。十代のころ、学校でこれを習ったとき意味がわからなかった。この人たちは何をそんなに必死になっているんだろうと思っていた。いまならわかる。目的は、権力そのものなのだ。人の頭を踏みつけること、人を思い通りに動かすこと、それ自体が目的であって、権力によって得られる富や名声は二の次なのだ。それは自分の経験を振り返ってみてもわかる。ヤンキー世界でもエリート世界でも、どんな場所でもどんな階層でも、人間が集まれば、始まるのはいつも頭の踏みつけあいである。それが直接的か間接的か、下品上品かという違いはあれど、やっていることは同じだった。だから世界史に記されたこのくだらない争いの数々も、いまは実感を持って理解できる。

そして絶対的権力者である神によって凍結されていた歴史が、ルネサンス以降、急速に動き始める。宗教改革名誉革命フランス革命。それまで聖職者王侯貴族が持っていた権力が少しずつ引き剥がされていく。そしてフランス王国フランス共和国に。ああそうか、王国共和国の違いって「王様」がいるかいないかなのか。さらに現代の「国」という概念国民国家というのも、このころに生まれてきたもののようだ。人類歴史から俯瞰すれば、ここ200年くらいの「流行」にすぎないのだ。

しかしフランス革命って華々しいイメージだったけど、こうして改めて調べてみると、革命政権恐怖政治によって何万もの人間が処刑されていたり、何度も王政に戻っていたり、混沌としすぎていて、華々しいなんてとてもいえない血まみれの革命だったのだと気づかされる。

そんな混沌の中、産業革命を経て、歴史さらに加速する。権力のあり方も変わる。聖職者王侯貴族に変わって資本家が台頭してくる。資本主義が加速する。貧富の差が拡大していく。賃金労働者悲惨労働環境で搾取され続ける。暗澹とした空気の中、社会主義共産主義という思想が台頭し始める。ロシア革命が起こる。世界初社会主義国ソビエト連邦誕生する。

いままで社会主義ってあまりいいイメージはなかったけど、こうして順序立てて成立の経緯を追っていくと、歴史の中での必然性がわかる。みんな、もう誰も頭を踏みつけあわずにすむ世界が欲しかったのだ。だから既存の権力や富や労働のあり方を強制的に変える。そしてそれが国の形を変える。そうか、国の形ってこういうふうに決まるのか。

しかし計画経済ってなんだろう。どうしてそんなもの必要になったんだろう。と思って、初心者向けの経済学の本を何冊か読んでみた。めちゃくちゃおもしろかった。経済ってこういうものなのかと思った。市場経済では必ず景気は好況と不況を繰り返し、いつかどこかで恐慌を引き起こす。そんな繰り返しをさせないために、計画経済では政府の計画にしたがって商品を生産する。そうか、そんな経済の形もあるのかと思った。ずっと現代日本で生きてきた僕にとっては、市場経済があたりまえすぎて、市場自由がどうの規制がどうのといわれても、これまでピンとこなかった。「あたりまえ」のことは、対比されるものがないと、それを知覚することさえできないものなのだと知った。

その市場経済へのアンチテーゼとしての計画経済は、しかし破綻する。いつ、どこで、誰が、何を、どのくらい欲するか、なんてことを計算し尽くすには、リソースが足りなさすぎたのだ。結果が出ているいまだからいえることなのかもしれないけど、少数の頭のいい集団演算能力よりも、多数の平凡な人間無意識的な分散コンピューティング見えざる手)のほうが演算能力は遥かに高いのである

そして社会主義自体も破綻する。ソ連型の社会主義では一党独裁必要とする。しかし絶対的な権力は絶対的に腐敗する。それは歴史証明している。独裁政権必然的暴走していく。これも僕は経験として知っている。「いじり」がいつも「いじめ」に発展するのと同じだ。他人おもちゃにできる、自分の思い通りにできる、これは権力である。そして「いじり」は場の空気によって正当化されるので抑制がない。抑制のない絶対的な権力は暴走する。だから 「いじり」はいつも「いじめ」に発展する。企業内のハラスメント家庭内虐待も同様だ。人間は好き勝手にできる状況に立たされたとき、好き勝手振る舞うものなのだ。そうか、チェックアンドバランスってそのために必要なのか。絶対的な権力は絶対に生み出してはならない。権力は絶対的に抑制されなければならないのだ。三権分立を唱えたモンテスキューさんマジパネェすわ。

こうして自由主義資本主義矛盾への疑問から生まれた社会主義共産主義は、自身内包していた矛盾によって自壊していく。そして時間軸と空間軸はまた原点に戻る。冷戦象徴であり、永遠に世界を二分し続けるかのように思われていたベルリンの壁が、ささいな行き違いからあっけなく崩壊する。ほどなくしてソビエト連邦から次々に構成国が離脱し(国が新しくできる)、連邦は解体される(国がなくなる)。

天秤の片方から社会主義共産主義が脱落したことにより、その後、世界はまた自由主義資本主義へと大きく傾いていく。混合経済社会主義的な部分が次々と取り払われていく。その結果が、派遣法改正だったり、リーマンショックだったりするのだ。そしてそれらは僕の人生にも多大な影響を与えている。そうだ、これはひとごとではない。遠い昔にあった「歴史」でもない。僕がいま生きている「現代」の話なのだ

そうか、世界ってこういうふうに動いていたのか。少しずついろんなことがわかってきた。国とは何か。イデオロギーとは何か。なぜ法の支配必要なのか。なぜ憲法必要なのか。しかしそれよりも何よりも、ひとつ重大な事実を確信した。それは、世界のすべてを知ることは絶対にできない、ということだ。

ミクロ領域――個人の感情や行動、これはわかる。マクロ領域――世界市場や情勢、これもわかる。しかし両者がどのように関連しているのか、個人の感情や行動が、どのように影響しあい、どのような力学が働いて、世界市場や情勢を動かすのか、逆に、世界市場や情勢が、個人の感情や行動にどのような影響を与えるのか、それを計算し尽くすことは、誰にもできない。それは人間演算能力の限界を遥かに超えているからだ。

「俺は世の中の仕組みをわかってる」「裏の論理まで知ってる」と嘯く人にはたまに出会うけど、そういう人が本当に世界の仕組みを知っていたことは一度もない。本当にただの一度もなかった。陰謀論マクロミクロの間にある巨大で複雑な回路をショートさせただけの反知性主義にすぎない。僕はそんなチートに興味はない。僕は真正から正攻法で、その回路を解析したいのだ。そうでなければ意味がない。

ああ、そうか、経済学とは、それを解き明かそうとする学問なのだマクロミクロの間にある巨大で複雑な回路。それを解析するのが、経済学や、その他の社会科学なのだ。僕はそれを、もっと深く学ばなければならない。

進むベき方向性は見えてきた。しかしここからどうするか。独学ではもうこのへんが限界のような気がする。つぎはぎだらけの学習じゃなく、もっと体系的に学びたい。でもどうやって学べばいいのかがわからない。僕はまず、学び方を学ぶ必要があるのだ。それには、どうしたらいいのか。

頭の中に浮かんだのは、「大学に行く」という選択肢だった。


大学に行く。どうしてそんな選択肢が浮かんできたんだろう。これまで僕の中にそんな選択肢は存在していなかった。そのはずだった。これまでずっと金も時間もなく、ただ日々の生活に追われるばかりで、そんなことを考える余裕は一切なかった。そんなことを考えるくらいなら明日の飯の心配をしたほうがいい。ずっとそう思って生きてきた。

何より僕には自信がなかった。自分みたいな中卒の人間高等教育を受けたところで何の意味もないと思っていた。そんなの僕にはまったく関わりのない知識階級人間世界だと、大学なんて僕にはまったく何の関係もない、別の世界に存在するものだと思っていた。

でも思い返してみれば、その認識は少しずつ変化していた。いろんな仕事をしたり、あとさき考えず旅に出たり、プログラムを組んだり、文章を書いたり、そしてそれを不特定多数の人の目に晒したり、ずっと何かに追われるようにそんなことを繰り返してきたけど、その過程で、僕は何か大切なものを拾い集めてきた気がする。それはたぶん、自尊心と呼ばれるものだ。幼いころに失い、ずっと欠けたままだったそれを、僕はこの歳になって、ようやく取り戻すことができたのだ。

からいまは自分高等教育を受けることに意味がないだなんて思わない。大学が別の世界に存在するものだなんて思わない。ああそうか、だからいま、このタイミングで、「大学に行く」という選択肢が、僕の前にあらわれたのか。

あとはこの選択肢を選び取るかどうかだ。

いまの時代大学に行くなんてそんなにたいしたことじゃないのかもしれない。だけど少なくとも僕にとってそれは、とてつもなく勇気エネルギー必要なことだ。ホームレスになることよりも、右も左もわからないまま海外に飛び出すことよりも。

現実的問題もたくさんある。資金、学力人生の残り時間。いろいろと考え始めると、解決しなければならない問題が多すぎて、わけがからなくなってくる。もうどうでもいいじゃないかと投げ出したくなってくる。でも僕の中の何かが、そうさせてくれない。僕の中の何かが、そうじゃないだろうと責め立てる。

これには覚えがある。この熱には覚えがある。これは、あの旅の途中、自分の中に発見した、マグマのような熱量だ。感情になる前の感情。行動になる前の行動。名前なんてつけようもないほどプリミティブな衝動。僕はいままさに、それに直面している。そしてその熱量からは、どうあがいても逃げられない。それだけは確信できる。

だったらもう、覚悟を決めるしかない。本当にもう、そうするほかどうしようもない。

僕は大学へ行く。

そうやって覚悟を決めてみると、ものすごく気が楽になった。気分が軽くなった。

ああどうしていままでこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。その想いはずっと自分の中にあったのに。

僕は、「大学へ行きたかった」のだ。

続き→http://anond.hatelabo.jp/20150910220232

http://anond.hatelabo.jp/20150909221333

他の人達も書いていますが、普通は授業に頼らず自分でどんどん勉強していくものです。

より優秀な人たちは自分と同じレベルの人を集め、自主ゼミなどでより高度な勉強を進めます

授業は最も勉強のできない人たちにレベルが調整されています

最後セーフティーネットと思っていた方が良いと思います

また、定番書、名著は分野毎にだいたい決まっています。例えば物理ですと

といった具合です。

これらは大抵、授業の参考書指定されているはずです。なのでどの大学でも教科書は共通といえます

念のため書いておきますが、「試験前だけ勉強してテスト後に忘れる」といったやり方では授業について行けなくなります

例えば量子力学線形代数を、電磁気学ベクトル解析の知識を前提として必要します。

授業でわざわざ復習したりはしないのでこれらを身につけていなかった人はそこで置いて行かれます

高校と同じ調子勉強をして、身動きが取れなくなり退学して行く人が結構いるのでちょっと心配になって書きました。

おせっかいでしたらすみません

増田さんは大学入学したばかりなのでしょうか? 素晴らしいですね。

大学は最も濃密に勉強できる期間だと思います

増田さんが充実した勉強経験ができますよう、お祈りしております

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