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はてなキーワード: 表現様式とは

2021-09-29

男女共同参画を巡る萌えキャラインターセクショナリティ

個人という単位で見ると、たとえば、安倍晋三は元内閣総理大臣であり衆議院議員であり有力な政治家という強者の側面と、同時に潰瘍性大腸炎患者であり子供がいないという弱者の側面がある。

集団という単位で見ると、たとえば、男性外国人は、男性と言うマジョリティという側面と、同時に外国人であるというマイノリティの側面がある。

表象という単位で見ると、たとえば、7枝の燭台は、パレスチナを強権的に支配するユダヤ象徴と言う側面と、同時にヨーロッパ反ユダヤ主義迫害されたユダヤ象徴という側面がある。

話題大阪府ガイドラインについて考えた時に、問題になるのは、このインターセクショナリティである

萌えキャラという表象は、文化的マイノリティであるオタク象徴という側面と、同時に女性ステロタイプ表現という側面があり、これが一体不可分であるがゆえに、これほど問題になるのである

もともと、漫画イラスト表現、あるいは萌え表現と言うのは、記号的な表現であり、記号とはステロタイプ表現である以上、イラスト萌え表現ステロタイプ的な要素を無くすことは不可能である。また、一枚のイラストで多様な人格を描くこともほぼ不可能だろう。仮に、裏で設定したところで、そんなのはぱっと見どうでもいい話である

id:tikani_nemuru_M 公共広告好き嫌いのわかれる演出をしちゃあかんだろ。公共性の高い情報伝達というものは、原則的に全員にとって必要情報であり、つまりはnot for meが許されない世界なんだから

軋轢を生まないために、"not for meが許されない"ということになると、サントリー水原希子を起用したことに、ネトウヨ激怒した件を批判できなくなる。

水原希子は人であって、表現様式やキャラクターではないというならば、チマチョゴリのような民族衣装だったらどうだろうか。民族表象を好まない人がいるからと言って予め排除することができないならば、同じように文化集団表象も好まない人がいるからといって予め排除することは妥当ではないということになるだろう。

2019-02-04

anond:20190204205324

高砂らしいから、関西っちゃ関西だがかなり西の方だな。言葉使いもキツい辺りだ。

ただ、ネイティブ関西人ってのは三都言語様式ってのを意識するので、大阪京都

兵庫表現様式ってのはそこそこ再現できることが多い。

2018-11-01

anond:20181101234925

それは憶えてる。

でも、元々萌え絵エロゲーからまれ表現様式だったってことを言っても「何言ってんだこいつ」的な反応をされて納得がいかなかったんだよ。

2018-10-27

萌え絵についてオタクが見ていない不都合な真実

ここで語る萌え絵は00年ごろに完成したエロゲ表現様式としての絵柄を指す。なぜならそれが初めて萌え絵と呼ばれた絵柄であったという歴史があるからだ。

現代感覚萌え絵範疇を広げた挙句その源流を少女漫画やらミュシャやらに求め出すアホはすっこんでろ。

さて、現在萌え絵と呼ばれている絵柄は幅広いが、元々萌え絵とは00年頃に絵柄が完成したエロゲ絵のみを指していた。

萌え絵少女無垢性を表現したものという言説もあるが、そんな綺麗事萌え絵一般アニメ絵マンガ絵に多大な影響を与えて却って薄まってしまった現代からこそ言える戯言であり、元は少女が脱いで媚態晒すシチュエーションとセットであったことを忘れてはならない。

しかしながら完成した萌え絵エロとセットであった期間は非常に短い。多分10年もない期間のことだろう。具体的には、Windows98の発売によりPC向けのエロゲーで表現できる絵が豊かになった98年頃からCLANNADが発売した04年までだ。

萌え絵の完成というのは当時のオタク界にとってはエポックメイキングであった。

ここで当時の萌え絵の特徴について整理したい。

まず、よく挙がるのが非常に大きな目の表現である。これが萌え絵の大きな特徴であることは間違いない。ただ、ここだけを以って萌え絵の源流は少女漫画だと語る人も多いがそれは間違いだ。萌え絵少女漫画には大きな隔たりがある。それを作っているもう一つのキーワードが立体感である

萌え絵には大きな目の他にもう一つ、丸っこく柔らかい影をつけて体の立体を表現しているという特徴がある。その表現は平面的な水彩塗りを主とする少女漫画には存在しないものだ。そしてその表現は、女性の裸体を質感をもって表現するという必要性と、当時のCG塗りに使われていたPhotoshopエアブラシというツールの二つが合わさって発明された。

体感を持つ体に大きな目が合わさって初めて萌え絵となったのだ。

この萌え絵という表現様式は控えめに言っても非常に優れていた。可愛いエロいを初めて両立させた絵柄だったからだ。

それまでのエロ絵と言ったら劇画調のものが主だった。一方で可愛い絵と言ったら少女漫画吾妻ひでおあたりで、これらにエロティシズムを感じるのは当時のオタク定義ロリコンと呼ばれたオタクの中でもさらに一握りの人々だけだった。つまり、このころはまだ可愛いエロいは両立していなかったのだ。

それを両立させた萌え絵エロゲーというジャンルから現れたのは必然であった。

そして萌え絵エロとセットになっていた時代を終わらせたのは、エロゲー界に流行った泣きゲーというジャンル物語だ。

泣きゲーというジャンルエロゲーは、KeyLeafといったエロゲメーカーが得意とするものだった。いわゆる葉鍵系である。これらのメーカーが出すエロゲーはエロゲーでありながらエロはおまけ的であり、その価値は泣かせる物語にあった。

この泣かせる物語は正直エロとは相性が悪かった。だが、萌え絵にはそれらの物語ともマッチする懐の深さがあった。萌え絵エロのみに価値があるわけではなかったのである

これらの物語萌え絵マッチは、元はエロゲーの絵柄として発生した萌え絵からエロを剥がすことに成功した。

そしてそれから萌え絵エロゲーを表現する絵柄であったというコンテキストから解放され、アニメ絵マンガ絵に多大な影響を与えていくのである。その過程萌え絵自身もどんどん進化していき、今となってはエロティシズムとは無縁の絵柄に到達したものもある。

一方で、エロゲーの絵柄としての萌え絵も残り続けた。可愛いエロいを両立させ続けている絵柄だ。

さて、ここで萌え絵性的ものだと言って批判する人々が連想している萌え絵とはなんなのか考えてみよう。

今のオタク萌え絵と言って連想するのはエロコンテキストから引き剥がされた現代萌え絵だ。

だが、萌え絵性的だと殊更に槍玉にあげる人々が連想しているのはエロコンテキストにべったり沿った、いわゆる原義通りの萌え絵だろう。それらは主流派ではなくなったが今でもまだ存在している。

これでは両者の話が噛み合わないのは当然である

さら萌え絵性的だと批判する人々がなぜ萌え絵特別視するのか考えると、そこには萌え絵が実現した可愛いエロの両立が非常にショッキングものであることが大きな要素になっているだろう。

萌え絵以前はエロといえば劇画であり大人世界のものであった。一方で可愛いといえば少女漫画であり、子供特に女の子のためのものであった。しか萌え絵可愛い世界エロを持ち込んだのだ。

これが子供を守る親の視点から見て、ショッキングでないはずがない。

から私自身は萌え絵が好きなオタクであるが、個人的には萌え絵批判する非オタクの大人批判宜なるかなと思っている。

そして、萌え絵といえばエロゲー用の絵柄であったという歴史に目をつぶり、萌え絵エロくないと言い張って萌え絵批判批判するオタクには幾らかの憤りを感じる。

重要なところを復習する。

まず、初めて萌え絵と呼ばれた絵柄はエロゲー用に完成された可愛いエロを両立する絵柄であること。

それは一般的に見て非常にショッキングな絵であり、それを受け継いだエロ萌え絵が今も存在していること。

これらを今のオタクは忘れてしまったのだろうか?少なくとも今のアラフォー以上で20年くらい前からオタクをやっていたような人は覚えているべき歴史ではないのか?

これらの歴史をまるでなかったかのように扱い、萌え絵エロいという人を一方的非難するのは非常に不誠実ではないだろうか?

萌え絵と呼ばれている絵柄は非常に豊饒で、エロとは無関係のものが主流だ。それは確かな事実である

一方で萌え絵エロゲからまり、今もそれを引き継いだエロ萌え絵存在するのも事実である

普通に考えて、萌え絵性的ものだと批判する人々が連想しているのは後者だ。前者に引きずられて後者連想している場合もあるか。

だが、それが考えられずに、あるいはわざと無視して萌え絵批判批判を返すのは非常に不実だと言わざるを得ない。

萌え絵の元の定義を今一度思い返してほしい。

ブコメレス

id:cloq 萌え絵の源流はエロゲ絵であり、萌え絵性的描写とは関係ないと言い張るオタクは嘘つきだって話だよ。

2018-09-13

SNSで、文末に「文字数」ってつけるのは、なんでなの?

教えてー。

そのような表現様式なのか?

2018-07-11

蜘蛛ですが、なんだこれ

話題になっているけど超面白いよー

妹(架空)がそう薦めてきたのは昨日の夜

眠い目を擦りながらも、まあいいやどうせ明日も俺は日曜日だし、と漫画版を最新話まで読破した

まらなくはなかった

しろ面白かったのかも知れない

自分最後まで読破出来た理由が実は面白かったせいなのか深夜のトランス状態によるものだったのかは分からない

なろうの異世界ゲーム世界だと弟(架空から聞いていたがここまでゲーム世界だとは想像もしていなかったよ

ゲームみたいな似非ファンタジー中世世界程度の物だと思っていたんだがまさか完全にゲームの中だとは思わなかった

テレビゲームのようにステータスが数値化されているとか死んだ人間魔法で生き返るとかそんなチャチなレベルじゃない

レベルアップしたかHPが全開してスキルポイント能力を覚える世界だった

その世界を、蜘蛛主人公)は確かに実況していた

あれはもう独白じゃない実況だ

ゲーム実況だ

自分で作ったゲーム世界観を自分が作ったキャラクタープレイさせてそれを姿なきVtuberとして実況しているようなもの

なんだろうこの世界

俺の知らないジャンル

TRPGリプレイはたしかに近いんだがそれとは全く違う

自己俯瞰している作風世界とも一線を画する

なろうごときにこんな言葉は使いたくないが奴らは確かに新しい表現様式ジャンル)を発明したようだ

やるじゃん

兄(架空)もそう言っている

ああそれにしても姉(架空)が欲しい

2016-12-19

遅刻癖、とある目的遂行のため無意識的に繰り返し行われる

無意識遅刻を繰り返す目的は「自分はだらしない・ろくでもない人間です」と周囲に印象付けることである

自分自分にそういう評価を下していると、周囲の期待値評価をすり合わせるためにそういう行動を無意識に取ってしまう。

自分存在価値に疑問を持っていませんか?「いてもいなくても同じ」「どうせ自分なんて」と思ってませんか?

生きてることに後ろめたさを持っていませんか?自己肯定感は持てていますか?親との関係は悪くなかったですか?

遅刻癖とアルコール依存症表現様式が違うだけで、原因は似ている。家庭環境人格形成にも目を向けてみて。


カウンセリングサービス心理学講座「遅刻癖の心理~罪悪感があると遅刻する?~」

http://www.counselingservice.jp/lecture/lec322.html

遅刻癖がなおらない

http://anond.hatelabo.jp/20161219072939

2016-09-04

フェミニズムとの距離感~「性差別表現」は存在してよい/存在しない

●無条件に「性差別である表現存在しない

「全てのセックス性差別」とフェミニズムの一部が主張している、と俗に言われる。これは半分正しいが、半分間違いだ。

正確には、「マチズモが強く機能している社会においては」という条件下にのみ「全てのセックス性差別になる」という主張である

この条件さえ付ければ、「全てのセックス性差別」という主張は決して間違いではない。

しかし、だからと言って「セックスを滅ぼせ」という主張は、大半の人にとって受け入れられないものだろう。

現にフェミニストの大多数はそのような主張に与していない。

そもそも、そんな主張は受け入れる必要すらないのだ。

なぜなら、変わるべきはセックスではなく社会なのだから

アニメマンガについても、まったく同じことが言える。

無条件に性差別的な言動表現は、存在しない。

仮にある作品差別的だとしても、あくま特定社会状況下で差別的力学を発揮する、ということにすぎないのだ。

から性差別表現を含むフィクションを好むこと」と「性差別批判すること」は問題なく両立する。

どころか、「性差別を含む表現」を好むからこそ、現実での差別批判するとも言えるのではないか

別の例で言い換えてみよう。

「(ミステリー小説など)殺人表現を含むフィクションを好むこと」と「殺人批判すること」は問題なく両立する。

どころか、「殺人表現」を好むからこそ、殺人表現現実殺人へと結びつかないために、現実での殺人批判するとも言えるのではないか

いずれもまったく同じ構図だろう。

それゆえ、性差別に抗議する人が「性差別を含む表現」を愛好しても何ら問題はないのだ。


党派根性論点を捻じ曲げる

言うまでもないことだが、上手く書かれたフェミニズム批評は、正当な批評である

分析の仕方が卓抜で、深く作品を読みこんでいる批評であれば、それは正当に評価されるべきだろう。

しかしその批評の正しさを認めることは、決して批評された表現自体が悪であると認めることではない。

現に古典文学に対するフェミニズム批評は以前から行われており、たとえば『源氏物語』をフェミニズム的に読解する批評などはすでに存在している(興味がある人は探してみてほしい)。

しかし当たり前のことだが、これは決して『源氏物語』が劣悪で評価に値しない作品だということを意味しない。

批評理論は、「ジャンル批評」や「読者反応批評」や「精神分析批評」や「マルクス主義批評」や「文体論的批評」など、数多く存在する。

フェミニズム批評」はあくまでもその一つにすぎないのだ。

フェミニズム的な批判を認める」=「批判された表現をなくさなければならない」

と考えるのは、党派根性に基づく不当な飛躍である

からオタクは、別にフェミニズム批判の正しさを認めても構わないのである

(もちろん他の批評と同じく、低レベルフェミニズム批評まで認める必要はない)。

そしてこれはフェミニズム側についても同じことが言える。

性差別である」ことを理由としてただちに表現を取り下げよ」と主張するのは、基本的には不当な要求である

もっとも、厳密に言えば「表現を取り下げよ」と発話すること自体自由であるしかしその発話内容が不当である以上、当然批判殺到するであろう。

不当な主張をすることは自由だが、その主張に対する「評価」は本人が責任を負わなければならない)


たかも「オタクフェミニズム対立している」かのような構図をでっち上げることこそが、議論の妨げとなるのである

そういった点も踏まえて、後述するように「マンガアニメという表現様式一般性差別である」などという乱雑な主張は退けなければならない。


結論

表現の自由」には責任が伴う、としばしば言われる。

では表現者が負うべき責任とは何か?

それは、己の作品の「評価」を引き受けること、である

辛辣批評、伸びない人気、そういったことをすべて作者自身が引き受けることである(もちろん、低レベル無意味批評無視すればよい)。

フェミニズム的な批判を、何か特殊批判だと考えない方が良いだろう。基本的に、それは批評である

フェミニズム批評もまた一つの評価軸であり、その軸上における評価もまた、作者自身が引き受けなければならない。

そして表現者責任とは、「評価」を引き受けることがすべてだ。

(もちろん、プライバシー侵害など個別具体的な人権侵害等は例外だが)

酷評に耐えかねて、自ら作品を非公開にすることは、確かに一つの選択肢ではある。

しかし、それが強要されるのは決して望ましいことではない。

仮に「ある作品性差別的な効果を発揮する」としても、その効果を止める方法は「表現を取り下げること」だけではないだろう。

「その作品性差別的な効果を発揮している」と論理的に指摘できれば、それだけで性差別効果を止めるには充分である

「この作品における○○○○な描写は、性差別意味を持っている」と評すれば、充分に、現実世界で○○○○することが悪いと告発する効果を発揮できるから

(○○○○には任意性差別描写を当てはめてください)

そしてそれこそが、フェミニズム批評仕事の一つであろう。

批判的言説を生産することによって、ある表現が発揮しうる性差別効果を止めること。これは充分に可能である

批判的言説では飽き足らず、表現自体の取り下げ等を要求することは、(性差別解消につながるかも疑問だが)性差別以外の領域において不合理を引き起こす

(この点については、また別の機会に述べようと思う)。

そして、(あえて厳しい言い方をするが)表現の取り下げを要求することは、批評の力を、言論の力を、見くびる所業でもある。

ある表現へのフェミニズム批評は大いに結構だ。

だけど忘れてはいけない。

フェミニズム解釈妥当性を持つのは、作品外の社会的文脈があるからだと。

変えなければいけないのは表現ではなく社会だと。

そして、これも再度強調しておかなければならない。

「(現在社会的状況において)性差別(と位置づけられるような)表現を好むこと」と「性差別批判すること」は両立する。

どころか、前者を好むからこそ、現実での差別批判するとも言えるのではないか

妥当フェミニズム批評であれば、それは素直に認めればいい。

しかし、そのことだけを理由表現の取り下げや禁止要求することは不当である

同様に、そのことだけを理由に「フェミニスト表現の取り下げや禁止要求している」と早とちりすることもまた不当である

最後に補足を二点

もちろん私は、「マンガアニメという表現様式一般性差別である」などという乱雑な主張には与しない。

たとえば大城房美が指摘するように、「日本少女マンガは、女性が周縁化されてきた20世紀後半のアメリカコミックスの状況を変える一因となった」という側面を見落としてはならない

大城房美編著『女性マンガ研究 欧米日本アジアをつなぐMANGA』青弓社 2015 p.25)。

日本においては、マンガによって女性表現する場所が確保されてきたのである

そして少女マンガ女性表現の源流であると同時に、いわゆる男性オタク向け表現の源流の一つでもある。

以上の指摘を受けて、なお「男性向けオタク表現については性差別である」と強弁する方がいれば、

たとえば佐倉智美先生によるこちらの記事などをご覧いただけると、その主張が極めて一面的で乱雑であることが理解いただけるかと思う。

http://stream-tomorine3908.blog.so-net.ne.jp/2016-04-09_GP-LoLv-5(「ラブライブガルパンフェミニズム評価すべき5つの理由 [メディア家族教育等とジェンダー]」)

 
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