はてなキーワード: メンタルヘルスとは
心に関してはよく分からない。ていうか「こころの性」ってなんだよ。こころは「男のもの」「女のもの」である以前にまず「その人のもの」ではないのか。
恋人がいない歴イコール年齢だ。誰にも愛されたことがない事実が無性に悲しくて泣いてしまう。かといって誰でもいいから愛して欲しいわけじゃない。出会ってものの数ヶ月で恋人にしたいほど人を好きになれる感覚がわからない。検索をかけてみたらなんでもデミセクシュアル、デミロマンティックなんて言葉があるらしい。グーグル先生はなんでも教えてくれる。
2年ほどかけて初めて好きになってしまった女性がいる。ネット上の付き合いがもう3年ほど続いている。彼女にとって私は良き友人であり、私も彼女をそう思っている。彼女とあわよくば恋仲になろうなどとは思わないようにしている。おそらく不可能だからである。もっと厳密に言えば自分が意気地無しだからである。
ともなればこの恋情はもはや、無用な嫉妬や自己嫌悪を生み出すだけのただの邪魔者なのだ。彼女のことを好きだと感じるほど、彼女の特別になれない自我を、今こう感じている自我を殺したいほど憎む。そもそもこんなメンタルヘルスが恋愛に向いているわけがなかった。
それでも最近は比較的冷静に、一歩引いて見ることができるようになったものだ。これは恋情などではなく彼女が満たしてくれる承認欲求への執着だったのではないか。そう思うのもそれはそれで寂しいけど、もう少ししたらちゃんと友達に戻れる気がする。もう苦しまなくてもいい気がする。
そうしたら自分はまた誰も愛さず誰にも愛されない宙ぶらりんの状態に逆戻りだな。そもそも口に出して誰かを愛そうともしないまま自分は誰かに愛されたいなど傲慢も甚だしいとは思わんか。
今後男性や女性やそれに属さない人々を好きになる可能性は否定しないけど、たぶん自分は、世間に一般的な恋愛をできるような人間ではない。私もなんの疑いももたず「彼氏欲しい!」って嘆いてみたかったな。
悲しいね。
シャニマス2周年を迎え、新ユニット「ノクチル」が追加されてから早半年。今2.5周年キャンペーンをやっているからそれで合っているはず。
ノクチルとは浅倉透、樋口円香、福丸小糸、市川雛菜からなる幼馴染の四人組グループだ。アイドルマスターでも姉妹以外の既に関係性が完成されているグループというのは珍しく、いろんな点でも話題になったことは記憶に新しい。
そんなノクチル初のシナリオイベントである「天塵」は、今だなお賛否両論を以て語られることが非常に多い。
というか実際には賛が多いのだろうけど半年たった現在、賛の部分はさんざん語り尽くされたので、今やドロドロした否定的意見のほうが根強く残っているように思える。
そのほとんどが初仕事の生放送で意図的に放送事故を起こしたことに対するノクチルの批判。「擁護できない」「駄々こねているだけ」「身勝手だ」「もっと大人な対応するべきだ」など、ノクチルが起こした放送事故が許せないという人が多い。
こうして色んな意見があるのはシナリオライターの目論見通りであることはさておき、そもそも天塵の放送事故は番組側が事前の段取りや取り決まりを全て無視したことからはじまっている。放送事故を起こしたノクチルに対して「プロ意識が~」という意見が見られるが、そもそも番組側のそれら全てを反故にしたプロ意識の無さがはじまりだ。
じゃあなんでノクチルのプロ意識の無さばかりが叩かれているのかというと、それは多分「その他大勢」に迷惑をかけたということになっているからだ。あの個人が集団に迷惑をかけてはいけないが、集団は個人にどれだけ迷惑をかけてもOK。というやつ。
日本人の多くが学校という場所を通過して育つわけだけど、そういった限られた集団の中の教育は極度に跳ねたやつや突出したやつを嫌い、みんな同じ服を着て髪の長さとかスマホ禁止だとか、集団に属する人を平均化するためだけの決まりを施して「周りに迷惑をかけないようにしましょう」みたいなことを言われ続けて、言われないにしても圧力をかけ続けられる雰囲気が自動的に形成される。で、そういう空気で育った人は周囲の目を気にするようになり、ただひたすら「考えることを放棄して言うことを聞く」という行為だけを強要され、同じように右倣え右して「周りに迷惑をかけないようにしましょう」とか言いだす。
で、そういうのを言い出す人のなにが始末に負えないかというと、他人を糾弾するとき実のところ自分でも何が悪いのかわかっていないことがある。平均化された集団の中で右倣え右してきたので、「みんなが悪いと言っているので、悪い」みたいなのが無自覚に根付いてしまっている。
実際今回のノクチルを見てみると、実のところ迷惑をかけた相手というのは全く多くない。強いて言えば事前の段取りを放棄してきた番組側しか迷惑は被っていない。この番組を見ていた視聴者も「うわ、放送事故だ」くらいしか思わないし、最終的に一番泥をかぶっているのはちゃんと当事者たるノクチルとプロデューサーの五人だけだ。アンティーカに関してはシナリオライターは意図的に事前に言及してあるが、あれは「アンティーカに迷惑がかかりますよ」という合図ではなく、その後アンティーカのことを一切言及しないことで「アンティーカに迷惑がかかっている」というありもしない妄想を誘引し、「見てもいないのになんでわかるの?」というカウンターを行うためのやつで、この手法はアジェンダ283でもとっている。これに関してはちょっとシナリオライターが陰湿すぎるのであまり好きではないが、とにかくそういうことだ。(そもそもアンティーカを懇意にしているのは段取りを事前に破棄したアホアホディレクターなので、仮に今回の件で悪印象を持たれたとしても、あるいはノクチルが口パクしてなんの問題もなく進行したとしても、プロデューサーはそんな信用ならないアホとわざわざもう一度組ませようとする男ではないのでアンティーカが受けた被害は実際少ない。というかノクチルの仕事でアホアホディレクターの問題性が浮き彫りになって本当によかった。あのアホアホディレクターのアホアホ仕事をうっかり受けてしまったせいで曇るアンティーカやイルミネや「え、たくさん練習したのに今日、歌えないんですか…」ってなる果穂ちゃんなんて、いやメチャクチャ見たいけど見たくない)
じゃあなんでノクチルが実際問題そこまで迷惑をかけていないのに、シャニマス世界でも現実でも多くの人がノクチルを叩いているかというと、やはり「放送事故を起こした」という表面上の言葉に囚われてしまっているから。それで迷惑をこうむった人は例によって段取りを反故したアホアホ番組側だけだし、誰かが特別傷つくわけでもない。ノクチルの行為が身勝手だったとしてだから何だという話だし、そもそも仮に放送事故で「その他大勢に迷惑」がかかったところで1ミリも子分に関係ないはずなのに、なぜかめちゃくちゃ叩く。それは集団に隷属する限り自分たちは「その他大勢」であり、そういったものから逸脱する「個を尊重する」存在というのは安定した集団の和を崩すものなので、とにかく叩いて安定化させなきゃいけないというのが義務教育で根付いてしまっているからだ。身勝手であることは別に悪いことではない、特別誰かに迷惑をかけるわけでもないし、まあそういう輩はいるけど、少なくともノクチルはそうではないのに、身勝手であるという属性自体に反感を憶えてしまうのはそういうわけだ。そうやって集団が自動で安定化するように、別に誰かが意図的にそうしたとかではなく、平均化された集団に向けた教育がそうさせるのだ。
「それでも番組側に迷惑をかけるのはよくない」という意見に関してはそもそも番組スタッフの友達でもないのに番組側の肩をもつのはよくわからないとしか言いようがない。
また、「ノクチルがアイドルを舐めている」という意見もあるが、天塵を読めばそんなことはないことがわかる。雛菜を除きノクチルの三人は生放送に向けて通常のレッスンに加え、自主練をずっと続けてきた。彼女らは飄々とそれをこなすので一見なんの努力もしていないようにみえるが、初披露に向けてそうとうな時間をかけていたことがわかる。雛菜は雛菜でちゃんと283プロ側が用意したレッスンはきちんとこなしているので、求められるレベルに達しているのは間違いない(雛菜のスタンスについてはW.I.N.G.参照してください)。
ノクチルの練習風景を見ていないシャニマス世界の人間がノクチルを「アイドル舐めてる」と叩くのはいいとして(良くないが)天塵のコミュを読んだうえで「アイドルを舐めている」と叩くのは、アイドルという存在を「ファンに尽くすために存在する傀儡」と捉えているからだ。なのでノクチルが画面の向こう側の人ではなく、自分たちの心の納得を優先して行動したのがどうしようもなく許せなくなってしまう。
その個を優先した姿から「プロ意識の欠如だ」と訴える人は少なくないが、そもそも個人を優先することとプロ意識は全く矛盾しないし、そもそも本当にプロ意識があるのならばそれはレッスンを重ねた歌と踊りでみんなを楽しませることであり、番組側が無理やり押し付けた口パクを披露することではない。どちらにせよ、芸能界の集団によるアホみたいな圧力に個を曲げる必要性など一つもないし、それで自分自身を貫いたとしてそれはプロ意識の欠如ということにはならない。そもそも最近のアーティストは集団に隷属せず自分自身を優先させるスタンスの人が多い。その筆頭が若干18歳でグラミーを総なめしたビリー・アイリッシュで、彼女は「ファンの否定や賛成の意見に全て従って生きていたら身動きができない」と集団への隷属に断固拒否を突き付けている。また、アーティストたちのメンタルヘルスの重要性も訴えている。一方ビリー・アイリッシュの圧倒的なパフォーマンスとカリスマ性はファンを滅茶苦茶熱狂させるので、プロ意識に欠けているということはない。
別にノクチルはファンやアイドルがどうでもいいわけではない。ただ同時に自分たちの心のこともちゃんと大切にできるだけなのだ。
なのでノクチルの放送事故は「若さゆえの過ち」とか「青春の輝き」とかではなく、あくまでもスタンスの在り方であり、そういう時代性であり、今後その根元が変わることはないと断言できる。
「ノクチルが心から反省しないと受け入れない」といった意見も見受けられるが、そんなことは絶対起きないし、それはお前の教師がしょーもないことで怒鳴りつけてきたりクラスメイトが学級会を開いて「○○くんは悪いと思います。あやまってください」とかいって個人としてのお前を押さえつけてきた行為に他ならない。
そもそもノクチルにとどまらず、『アイドルマスター シャイニーカラーズ』というコンテンツは学校からの脱却というのをテーマの一つにしているところがある。
放課後クライマックスガールズなんかは直球に放課後がクライマックスだし、プロデューサーはアイドル一人一人と向き合いその個性を尊重スタイルだ(無論全ての青春としての学校を否定しているわけではない)。方言を使うアイドルである月岡恋鐘は283プロに所属する前、様々なアイドルプロダクションのオーディションを受けたが、その方言を矯正するように言われる。そうやって集団は個性をゴリゴリに摺り減らそうとしてくる。
ノクチルに「心から反省しろ」というのは実際そういった行為と変わりがないし、いい加減学級会から脱却してほしい。そもそも反省したとして、「これから大人とか世間とかそういう空気を読んで、おとなしく周囲に迷惑かけないよう口パクで歌います」とかいうアイドルマスターシャイニーカラーズを見たいのか?
結局のところ「周りに迷惑をかけてはいけません」とか「空気読もうよ」とかいうのは集団を安定化させ扱いやすくするための上のほうのオッサンの方便であり、絶対的な正しさではない。仮に一個人がなんらか困窮に瀕しても、集団がなにかをしてくれることはまずない。
なのでいい加減「周囲に迷惑をかけてはいけません」とか「身勝手はよくない」とか「世間様に迷惑をかけたら謝るのが筋だ」とか、そういうちゃんと考えれば全然意味わからないし、そもそも周囲とか世間様とか誰だよって感じのやつから脱却したほうがいい。それがアイドルマスター シャイニーカラーズだ。
とまあ色々言ったが、なんだかんだ「周りに迷惑をかけるな」とグチグチ言ってくる人に限ってそういった圧力で甘い汁をすするオッサンの一番の被害者だったりする。本当によくない。ノクチルは最も個人的なアイドルだからこそ他者を尊重できるグループだ。誰もが自分自身と他者を尊重できるようになればみんな大分生きやすくなるのにね。
あとこのエントリーを読んで「よりノクチルが嫌いになりました!」とか言うことで「もしかしたらノクチルが嫌いになってしまうかも…」みたいな考えを誘引してそういった発言を抑え込もうとする輩が出てくるかもしれないが、そういうメンタリティのやつは一生学級会していてノクチルともそりが合うことは無いので無視してもOKだ。
個別の喧嘩の発端は…こちらに責があることもあれば向こうに責があることもあるし、最初は自分が我慢して済むならそれでもいいやと思ってたんだけど、やっぱり理不尽な怒りの暴発を難度も経験すると、徐々にこっちの自尊心が削れてくるし、不機嫌の徴候が見えるだけで心理的に身構えてしまうんだよね。無意識のうちに、相手の地雷(どこに埋まってるかわからないんだけど)に触れないように立ち回るようになる。そうすると家庭が安心できる場でなくなってしまう。
もともと彼女自身にも、そういう感情的制御ができないことの自覚はあるし、直したいとも思っているんだけど、キレてる最中に「そういう言い方や態度はよくないよ」と意見しても耳に入らない。「どうせ全部私が悪いんでしょ」「はいはい、また私のせいなんだよね」となって会話を打ち切り、刺々しい振る舞い(ドタドタ歩いたりドアを閉めたりモノを乱暴に扱ったり)して、後には不機嫌な空気だけが残る。これがなんともやるせない。一定時間が経って落ち着くと、何もなかったように振る舞うか、一応は「ごめんなさい」と言ったりもするんだけど、そういう殺伐とした感情って人の心を痛めつけるんで、お互い何もなかったように振る舞っていても、やっぱりこっちの心は無傷じゃなくて、刺されたり殴られたりした疼きが残る。たぶん相手の心も無傷じゃない。どっちにもいいことがない。
で、子供が生まれて物心がついてきたのを機に、お互いに真正面からこの問題に向き合うことにした。子供が親の逆上や不機嫌に萎縮するようになったら誰にとっても不幸だ、というのはお互いの考えが一致していたので。
実はこの「子供との関係」というのが重要で、結論から言うと、彼女が毒親(母親)に非常に悪い育てられ方をしてきたことが全ての起点になっていた。母親、自分から見ての義母は、幼い頃の彼女を蹴ったり殴ったりした。氷点下に近い納戸に数時間閉じ込めるという身体的虐待もあったし、ネグレクトも罵倒もあった。理由は、折り合いの悪い義祖母に顔立ちが似ていたから、ということもあったようだし、良家同士の見合い婚で専業主婦になった自分にとって「育児を成功させ、娘は良家に嫁がせる」ということが唯一かつ至上の役割になっていたこともあったようだ。それほど受験戦争が激しくない地方にあって小さい頃から娘に複数の塾や家庭教師をつけ、成績が思うように伸びなければ「あんたはなんでできないの」「私が恥をかく」と詰め、娘の夏休みの自由課題が賞をもらった翌年からは、傾向と対策を踏まえて母親が課題を制作し、受賞すればそれを周囲に誇るようになった。義母にとって娘は自己の付属物であり、自分の能力と努力を表示する成果物だった。これは娘側の一方的証言ではなく、義母本人がそのことを問い詰められて(娘以上に感情的に)キレたり、逆に緘黙する状況を自分も見ているので、嘘や極端な誇張はないと思う。
そういう母親との間で育った娘である奥さんは、根本のところで自己肯定感がとてつもなく低く、「自分には価値がない」という強迫観念に苛まれていた。彼女は親元から離れたあと、亡父の尽力もあって学歴にはやや不相応な金融総合職につくことができ、廻りの高学歴の人達に揉まれながらも持ち前の根性で「コネ入社の腰掛けさん」に留まらない営業成果を出し、職場でも多くの同僚に認められるようになった。でも、これは見方を変えると「自分が無価値な人間ではない」ということを自らアウトプットや業績評価によって証明し続けなければいけなかったからそうしていたわけで、その「頑張り」は結局は不安と強迫観念によってドライブされてたんだよね。背景にそういう動機があって「頑張り続けなければいけない」人がどうなるかというと、最後はメンタルヘルスを崩し、拒食症になり、自己都合で退職した。つらい。
その後いろいろあって彼女は自分と結婚したんだけど、お互いに落ち着いている時に(感情的にチャージされてない状況で)この課題について話し合い、時にはネットの情報や心理学の書籍なども参照しながら考えるなかで、激昂の背後にあるのは自己肯定感のなさだということが見えてきた。彼女は成長の過程で「人間は能力や実績によってだけ認められるわけではなく、ただ人間であるだけで価値がある」という確信を得てこなかった。母親から与えられたのは条件付きの愛で、条件を満たさなければ存在自体を否定された。だから「認められるために頑張る」という所作が身についた。
頑張りの中には「社会的に認められる人格を演じる」ということも入っているから、ソーシャルマナーはちゃんと実践できる。人当たりはよく、好感度も高い。しかしそれはあくまで「舞台」に立って「頑張り」を発揮して評価を獲得しなければならない状況での話で、身内にはこのルールが適用されない。だから親族や家族の中に(彼女の基準で見て)頑張っていない人(例:私はこんなに頑張ってるのに、あなたは)、彼女の頑張りを認めてくれない人、彼女の頑張りの成果をスポイルする人(例:頑張って片付けたのにまた散らかして)に対しては、時に制御の効かない怒りを感じ、苛烈な言葉や行動を直接ぶつけてしまう。自己肯定感が低いから、他者を無条件に肯定できない。自分に課した高いハードルと同じ評価基準を相手にも課し、それを満たさない相手を詰る。そういうメカニズムがあるみたいだった。
ついでに言うと、彼女の母親にとっては娘自身が「彼女の頑張りをスポイルする人」(一生懸命教育してるのに成果を出さずに「私に恥をかかせる」から)だったので、娘に対してそうした精神的身体的DVを繰り返していたわけだ。自己肯定感の欠如と感情のコントロール欠如という点では似たもの同士だった母親と彼女との喧嘩は、ちょっとした言葉尻の棘を捉えて相手を強く咎める(「それどういう意味?」とか「あなたはいっつもそう!」とか)の繰り返しで、なんでもないやりとりがあっという間に激しい罵倒の応酬にエスカレートしたりする。まさしく言葉の刃で刺し合うがごとくで、たまたまその場に居合わせた自分もぐったりと疲弊し、時にはあまりの情けなさに泣くこともあった。
ともあれ、我々2人は「こんなことが当たり前ではいけない、子供をこういう『こじれ』に巻き込まないようにしよう」ということをスタートにして、まず彼女と母親との関係は明らかに機能不全に陥っていること、彼女の母親が過去も今も彼女の自尊感情を蝕んでいること、自尊感情の乏しさが他者への非寛容や感情制御の困難につながっていること、自分は母親の承認/不承認にかかわらず価値のある人間だし、他人もそうだということなどをひとつひとつ確認していった。彼女は最初は「母親はもしかしたら毒親だったのかも」程度の認識だったのが、あまりにも定型的な虐待のパターンのど真ん中に自分がいたことを知り、自分の感情コントロールの難しさが個人の資質というより関係の病理に起因していることを学んだ。そうすることで、母親との関係も1:1の差し向かいではなく、その関係自体を第三者として見る視点を手に入れた。自分はそのときに情報や考察の手伝いはしたけど、結局それは彼女自身の自己探究の道のりだった。
それでどうなったかといえば、状況は明らかに良くなっている。奥さんはアンガーマネジメントを少しずつ理解し、実践している。実際にキレる回数は格段に減った。キレてしまった時はそのままにせず、すぐ言葉にして反省するようになった。YOUランゲージを控え、Iランゲージを使って自分の希望や意志を率直に伝えられるようになった。母親とのやりとりもベタ足の殴り合いをするのではなく、だんだんと「所詮は他人でしかない、母親とのやりとりで感情的に消耗したくない」という感覚を持てるようになってきている。無駄に険悪になることもないが、母親だから近しくしなければいけないという「演技」からもちょっと解放された。やっぱり根本的な原因や構造が見えてきたことで、本人の物事の捉え方も変わってくるんだと思う。
…というわけで、うちの場合は子供ができた結果、徐々に状況がよくなってきたんだけど、これ「子供が生まれたから良くなった」じゃなくて「子供がいるから良くしないといけない」という問題意識を両方が持ったからだと思っている。逆に言えば、元増田の場合、子供ができなくたって「この状況を放置するのは2人の心理的安全性にとって良くない、2人の関係の健康を損ねる」という意識で話し合うことができれば、だんだんと建設的な方向に向かえるかもしれないよ。
さっきも書いたけど、うちの場合は、彼女の病理というより関係の病理だった。だから時間はかかったけど、こじれた関係を解きほぐすことが解決の糸口になった。元増田の奥さんが同じかどうかわからないけど、参考になったらうれしい。お互いがんばろう。
酒の責任どころか
😡(怒)🥺(ぴえん)と自分自身の言動に責任を持たないジャップに大麻は1億年早い
ジャップランドは尋常じゃなく精神医学・メンタルヘルスが遅れるし
生活面でもお酒の責任すら取らないのに気軽に買える国なのでメンヘラ増やすだけだぞ
つか酒の責任どころか、自分の子どもの責任すら取らないのに尋常じゃなく親の権利が強い国なので、見えなくなる子どもや虐待が増えそう
合法では無く非犯罪化 (decriminalized) で、警察が逮捕しようよ思えば逮捕できるグレー産業みたいな後ろめたさがあるよ
加えて、所持量や用途に厳しい制限があるし、身分証明書(ID)必須で、対面販売のみで、
スーパーや自販機で買える日本のタバコやアルコールのような手軽さは無いよ(そもそも日本の酒やタバコの扱いがおかしい説あるが)
合法化(legalized)、非犯罪化(decriminalized)、医療利用のみOK、違法(illegal)が入り乱れて、
諸手をあげて解禁ヒャッホーウじゃないよ
2.合法市場が違法市場を駆逐することで治安向上 ← 銃も無いしそもそも治安が飛び抜けて良い
3.医療大麻の可能性 ← 精神の分野に限定するまでもなくアジア諸国にも遅れを取ってる医療になんの期待してんだ?
ジャップランドは尋常じゃなく精神医学・メンタルヘルスが遅れるし
生活面でもお酒の責任すら取らないのに気軽に買える国なのでメンヘラ増やすだけだぞ
つか酒の責任どころか、自分の子どもの責任すら取らないのに尋常じゃなく親の権利が強い国なので、見えなくなる子どもや虐待が増えそう
合法では無く非犯罪化 (decriminalized) で、警察が逮捕しようよ思えば逮捕できるグレー産業みたいな後ろめたさがあるよ
加えて、所持量や用途に厳しい制限があるし、身分証明書(ID)必須で、対面販売のみで、
スーパーや自販機で買える日本のタバコやアルコールのような手軽さは無いよ(そもそも日本の酒やタバコの扱いがおかしい説あるが)
合法化(legalized)、非犯罪化(decriminalized)、医療利用のみOK、違法(illegal)が入り乱れて、
諸手をあげて解禁ヒャッホーウじゃないよ
俺は子供の事平気だったけど、嫁がキレ散らかしてて手に負えなかった。矛先は俺と俺の身内。嫁側には無かったみたい。
おまえが育児に参加しないから嫁が怒ってるんだろとか言われたらブッ飛ばすね。
仕事しながら平日5,6時間は育児してたし週末ワンオペも余裕。ミルク病院風呂寝かしつけ一人で出来るしもう嫁いらねーわと思ってた。親権取れそうなタイミングで別れるつもりだった。
当時は言いがかりや暴言ばかりだったから、なんて女だと愛想つかしてたけど、保育園に預けて復職したら落ち着いて昔のように戻った。当時のことはあまり覚えてないとさ。
って感じで子供を扱いやすいと感じるかは受け手の状態によっても変わると思うし、まず自分が普通の状態じゃない事を自覚して、環境を変えたほうがいいと思う。
ガルガル期だとかふわふわした表現でごまかされてるけど、産後鬱とかもっと認知されるべきではないかな。産後クライシスとか鬱のせいだろ、と。
知り合いは1人目は上手くいってたらしいが2人目でこの状態になって旦那が愛想つかして逃げられたらしいし、産後のメンタルヘルスは根性論止めて行政やらもっと力入れてほしい。核家族だと行き場なくてホント詰む。
辛いね、大変だよね、わかるよ、あと少しで楽になるよ、ゆっくり休んで、じゃなくてあれは別人、心の病。
うちは女同士の共感コミュニケーションが悪化させてる気がするわ。敵認定の思い込みが凄まじい。自分の目耳で確認してもないのに虚言に共感して助長させてた嫁側連中の事思い出すと今もムカつく。これは愚痴。
一番の後悔だ。このことがなければ今回の記事を書くこともなかった。
あなたの会社でも、採用候補者に対して身元調査を実施することがあるかもしれない。私の会社ではそうだった。
私が勤めていた会社というのは、普通の会社よりも多くのことを調べることができた。
例えば、戸籍だ。採用者の本籍がどこで、家族はこういう名前の人で~といった情報について、グーグル感覚で調べられる部署がある。
病歴もわかる。社内のシステムには、この人がこの病院にかかって、こんな病気で、医療費はこれだけで、自立支援を受けているから医療費は1割負担で~といった情報が入っている。
さて、採用内定を出す段階になると、採用候補者に対して上記の調査を実施する。担当部署に行って、個人情報の照会履歴ノートに自分の名前を記入し、システムを使わせてもらい、調べを進める。
会社にとって敵対的な人物が親類縁者にいる人や、過去にうつ病などの精神疾患になったことが判明すると不合格にする。具体的には、面接の評価を5段階中の2に変更すると必ず不合格になる。
犯罪歴に関しては、該当者がいた経験がないので何ともいえない。名簿に記載があった時点で、罪状に関わらずアウトなのだろうと思う。
こんなことはおかしいと思っていた。なぜ、公平で中立で平等であるはずの採用試験でこんなことをしないといけないのか。ずっと考えていた。
誰がこんな調査を行わせているのか? これが一番の問題だった。
誰が仕向けているかわからないのだ。毎年この時期が来ると、総務部長から指示が来て、特定の役職(全員係長~課長クラス)にある者が分担して任務にあたる。
放っておけばこんな習慣はなくなると思ったが、そんなことはなかった。毎年、内定者のリストを完成させて総務部長まで持っていくと、調査を行うように指示が来る。「これは誰の指示ですか」と聞いても、「定年までにはわかる」と言葉を濁される。
結局、定年までわかることはなかった。私が彼ほどに昇進できていればわかったのかもしれない。でも、私はそこまで出世できなかった。肉薄するところまでは行ったのだが。
今でも、この慣習は続いているのだろうか。誰かが止めたのだろうか。
私にはできなかった。
もし、これが総務部長が発した指示であれば、戦ってなんとかなったかもしれない。でも、トップの指示だったら?戦ってなんとかなっただろうか?なったとしても、会社にはいられないだろう。
私は矛盾している。あの時代に、私は悪習を絶つことができなかったのに、定年になって、何年も経って、あの時の自分は間違っていたと後悔している。でも、今の私がデロリアンに乗って過去に飛ぶことができたとしても、行動を起こすことはできないだろう。私にそんな度胸はない。
私はなによりも哀れだ。私は自由ではない。私には、自分の意志を実行する力が全くない。
なぜ、私は弱い? 私が何度も何度も道を譲ってきたからだ。それで、私は周囲の玩具になってしまった。私が周りに力を与えたのであって、周りが私を弱くしたのではない。
私は自由ではない。なぜなら、私が私自身と気が合わないからだ。私が自身を恥ずかしいと思って顔を赤くしているからだ。
最後に。
人事担当部局の役職者として約十年間、平社員だった時代を含めれば約二十年間、人事の仕事に携わって得た知見を共有したい。
今回の内容は、社員や職場の抱える問題への対処や、人事異動の内容まで含めて決定する層に向けて書かせていただく。参考になれば幸いだ。
一般的な問題社員への対応は、ネットに豊富な事例があるのでここでは述べない。ネット上に事例が載っていない案件(※私は見つけることができなかった)について述べる。
ここでいう問題社員(有能型)とは、以下の特徴を持った社員をいう。あなたの会社にも多分いると思われる。
軽度のもの…「自分はすごい」という自慢や、後輩社員へのマウンティング
中程度のもの…気に入らないと不機嫌になって悪態をつく。あるいは指示された仕事をしなくなる
重度のもの…パワハラやセクハラ。人前で後輩を怒鳴りつけたり、女子社員の身体的特徴を馬鹿にする
・上司にはへりくだる。弱い者には厳しい態度
昔は、こういうタイプの社員は放置されていた。こういう人いるよね、で済まされていた。
むしろ、上司が命じた仕事は十分なレベルでこなすので、ハラスメントを行う者であっても処罰されなかった。いなくなっては困る存在なので、マウンティングやハラスメントは表立って認容されていた。
昨今は社員のメンタルヘルスの観点から、こういったタイプの問題社員にも対処する必要がある。そこで、私の経験上、有効だった対策や、必要な視点を述べていく。
問題社員(有能型)は、他人をコントロールする権力を欲しがっている。他人に言うことを聞かせたいのだ。他人に舐められることを極度に恐れている。
行動傾向として最たるものは、『積極的に仕事を取っていく』というものだ。他人のものまで含めて仕事を取ることで地位を高めようとする。そして、自らの能力が高まり、裁量を与えられるようになり、ますます権威を増していく。
対策はすでに述べたとおりだ。たとえ、彼や彼女が有能で、多くの仕事を処理できたとしても、全員に対して同じ量の仕事を割り振る。
問題社員(以下Mとする)が他人の仕事を奪おうとしていたらブロックする。具体的には、仕事を取られようとしている人(以下Nとする)のところへ行き、「それでいいのか?」と合意を確認する。Nが拒否する、または何も言わなければ、拒否とみなしてMに対する指導を行う。
では、Nが「Mさんに仕事をあげます」といった発言をした場合はどうするか。この可能性もあり得る。自分の仕事が減るし、Mには逆らいにくいからだ。
この場合も、他人の仕事を取ってはならないとはっきり告げる。そのうえで、Mだけでなく、Nに対しても指導をする。
ポイントとしては、何度も繰り返し行うことだ。何度も行うことで、上司の指示を守っていないことをわからせる。これは何度行ってもハラスメントにはならない。その仕事の割り振りが組織内の決裁を経ている限りは、業務上の指示にほかならないからだ。
繰り返し行っていれば、向こうが根を上げることが多い。上司の見ていないところで仕事を渡している可能性があれば、ほかの社員に教えてもらう。
Mは、他者に舐められることを恐れている。態度が頑なになることが多い。普通の態度ではダメだ。毅然とした態度で接する必要がある。
反論時の想定問答としては、以下のやり取りを例にする。
M「私が暇になったらどうするのか。このままではやることがなくなる」
→「遊んでいなければ何をしても構いません。具体的には、業務マニュアルの作成や、後輩の相談に乗ってあげてください」
M「私はNを心配している。Nが潰れたらどうするつもりか」
→「これはNさんが実力をつけるために必要な機会です。私が必要に応じてサポートします。Nさんの負担が重いようであれば早急に対策を取ります。Mさんが今動く必要はありません」
M「業務を放棄するのは問題だと思うが、なぜ積極的に動くのがダメなのか」
→「他の社員が成長する機会を奪っているからです。あなたは成長しますが、チームが成長しない。だから必要以上に仕事をしないでください」
ただし、この方法には難点がある。あなたが優秀である必要があるのだ。
問題社員(有能型)のような存在がいなくても成り立つ職場であればよいが、昨今はそうでない職場環境が増えている。労働経済白書によると、1人当たりの仕事量は全国的に増加傾向にあるようだ。
Mの仕事を取っても、他の部下にすべて回せるとは限らない。回せなかった分はあなたが取るしかない。1人当たりの業務量が多くなった部下はあなたがサポートする必要がある。
これにより、業務効率の著しい低下が起こったり、メンタルを病んだ者を出した場合、この対策は失敗だったことになる。かつての、Mに業務が偏っていた状態に戻さざるを得ない。この点は重々気を付ける必要がある。
なにより大変なのは、あなたがMと対決せねばならないことだ。Mのような社員の特徴として、①口が回る、②攻撃性が高い、③恨みを覚えている、といったものがある。
以上を踏まえたうえで、あなたはMに言うことを聞かせないといけない。
あなたが『仕事量を偏らせない』という対策を行おうと決めた時点で、もはやどうしようもないほどに職場がMに依存していた場合も諦めるしかない。
この状況でMと対決するのは望ましくない。現実的に難しいことを無理に実行することで職場が不仲になる可能性があるし、もしMが病気その他の事情で職場に来れなくなった場合に崩壊するおそれがある。
私は、このタイプの問題社員に対しては、「北九州市の新成人理論」を採用している。
かつて、北九州市で新成人(の一部)がやりたい放題に暴れた結果、警察のお縄になる事件が毎年のように起こった。
彼ら彼女らは、何十万円もするド派手な衣装に身を包んで、何百万円もするド派手な車で来場し、会場の内外で大騒ぎし、酒を飲み、演題の前に立った市長に対して暴言を吐き、帰り道には警察の検問を強硬突破する。
そんな光景が全国ニュースで流れる度、テレビのコメンテーターが呆れ顔で意見を述べる。インターネットでも同じような反応で、この時ばかりはマスコミの意見とネットの意見が合致する。
しかし、「あいつらはバカなことをしているから規制すべき」という考えは誤っている。
バカでもいい。彼らは悪くない。成人式で飲んで騒いで暴れる馬鹿者は、むしろ地域社会を支えていく存在だからだ。
彼らのようなタイプの新成人は、今後もその地域に残る可能性が高い。未来の納税層にあたる。大げさにいえば、地域にとっての希望だ。
成人式の前には高級なレンタル品を一式借りる。濃紺や真白の羽織袴や、紅色の着物にふわふわのファーを首に巻いて会場入りする。
誰よりも目立ってやろうと思っているし、「成人式は特別な儀式である」と考えている。その意味では、主催者である市町村と同じだ。
彼らは成人式を大切に思っている。だから暴れる。暴れることが、成人式への彼らなりの真面目な参加行動にほかならない。
反対に、主催者のアナウンスに従って、席にじっと座っている新成人こそ、生まれ故郷から身も心も離れてしまっている場合がある。
彼らが暴れないのは……暴れないにしても、大騒ぎをしないのはなぜだろうか?彼らが故郷を捨てているからだ。
生まれた場所にうんざりして、東京などの都会に出て行った者は、「早く終わんないかな」と思いながら成人式に参加している。
地元を離れる日程は決まっている。大抵は次の日に、高速バスか新幹線で都会の住処に帰るのだろう。この青年達はまだましな方で、地元に愛が残っていない者はそもそも成人式に参加しない。都会で行われる地方出身者のための成人式に参加するか、またはアルバイトに勤しんでいる。
暴れる新成人はこれとは逆だ。彼らはこれからも地元で生きていく。だから、自らの存在を派手にアピールする必要がある。成人式におとなしく参加する層よりも、彼ら彼女らの方が地域を愛しているといえる。
彼らは、暴れる新成人と一緒だ。彼らにとって会社は大事な存在なのだ。存在意義を証明するための場所として。
会社にとって必要な人材になりたい。同僚や上司の行動が間違っているのを正したい。会社をよい方向に導きたい――彼らは、こういう想いでMをやっているのでは?と私は考えている。
逆に、Mを非難する立場の社員の方が、仕事にやる気がなかったり、能力面でも倫理面でも評価が低かったり、責任感のない行動、自己本位な行動を取ったりして会社を苦しめる。弊社における平均的な傾向はそうだった。
例えば、「あいつの行動はパワハラだから処罰してください」と言って、人事に通報してきた社員がいた。この場合のM(あいつ)は、通報した社員の先輩だった。(追記:後輩の誤りです)
その通報した社員は、特段の難点があるわけではないが、平均よりは下位の評価だった。
処罰する根拠として、30件以上のMのパワハラ行動が記された記録が付されていた。事実確認を行った結果、概ね事実だったので文書戒告の処分を行った。
不服として、そのMは反論を続けていたが、処分内容が示された書面を受け取ると何も言わなくなった。
これも私の後悔のひとつだ。というのも、その後の社内貢献のレベルとして、Mの方が段違いに優れた実績を出したからだ。彼が役職者に上がってからは、パワハラ行動は減っていき、実質的に残業ゼロの職場を作り出した。メンタルを病んだ社員もいない。
一方の通報した社員は、数年後に最悪の形で定年退職した。有給休暇がかなりの日数残っている状態で仕事が溜まっていたのだが、なんと、定年退職日までの全ての有給休暇を申請して会社から消えてしまった。(追記:ある日突然、全ての有給休暇の申請をして職場からいなくなったという意味です)
残された者は苦しい思いをした。彼がいた職場の1人当たり残業時間は、前月比100%(追記:100%増の誤りです)になった。彼の取った行動について処分が必要であるとの意見も出たが、労働関係の法令上は問題はなく、労働組合としても彼の行動に異論はないとのことだったので、処分は行われなかった。
ここまで読んでいただけたなら嬉しい。書いた甲斐があったと思う。
若干ぼかしているとはいえ、社外秘なことをここまで書き連ねようと思ったのには理由がある。
自死を考えている。
今日とか明日ではないけれど、年内にはこの世からいなくなりたい。
社会人として働いて約40年、多くの罪や後悔を残してきた。上には書いていないけれども、人として行ってはならないことにも手を染めてしまった。
数年前に定年退職してからは、嘱託職員として民間企業で働いて、公民館のカラオケ教室に通って、インターネットで同じ趣味をもった仲間とコミュニティを作って……
平穏な生活を続けるうちに、社会人生活で自分が犯してきたことに反吐が出るようになった。
最初の頃は思い出したくないという程度だったが、日中に何度も頭をよぎるようになった。
近頃は夢に出てくる。
大抵は、当時の思い出が醜く改変されていた。夢の中で、当時の関係者が私にグロテスクに復讐をする。
どうすればいいか真剣に考えた結果、死を選ぶという結論に達した。
私にとっての遺書を書きたいと思った。
はてなブログや、はてな匿名ダイアリーに投稿してみたかった。
それが叶って嬉しい。
読みにくい部分があったと思うので謝らせてもらう。
ありがとうございました。
8/31
コメントいただいた皆様に「言及する」により返信しております。
「ここに書いてあるのをそのまま見せな」とコメントをもらって、新しいメンタルヘルスに行ったら行動療法?認知療法?を勧められたわ。
成育歴も書き出してみた方がいいと言われて描き出したんだけど、それが結構特殊だったみたいで(おやじとおふくろからの折檻を伴う躾/おやじとおふくろのダブル不倫からの家出&おふくろの投身自殺、祖母の自殺、友人が天災で亡くなり、結婚考えていた初めての彼女を友人に寝取られた)、意外と根っこが深いのでしばらくがんばって治療していきましょうってことだった。「今困っていること」が、「昔困っていたこと」とつながっているんやでって言われてびっくりした。体罰を伴う躾なんて、おっさんの親世代だと当たり前だと思っていたから。
病名とかはつかなかったけど、しばらく投薬治療と、あと気長に行動だか認知療法だか続けていくことになった。それでも根本的な解決にはなっていないかもだけど、そして多分コメントくれた人はみていないと思うけど、「キモイ」という率直な意見も含めて、声かけてくれた人たち、本当にありがとう。匿名だからこそ救われた。
「ここに書いてあるのをそのまま見せな」とコメントをもらって、新しいメンタルヘルスに行ったら行動療法?認知療法?を勧められたわ。
成育歴も書き出してみた方がいいと言われて描き出したんだけど、それが結構特殊だったみたいで(おやじとおふくろからの折檻を伴う躾/おやじとおふくろのダブル不倫からの家出&おふくろの投身自殺、祖母の自殺、友人が天災で亡くなり、結婚考えていた初めての彼女を友人に寝取られた)、意外と根っこが深いのでしばらくがんばって治療していきましょうってことだった。「今困っていること」が、「昔困っていたこと」とつながっているんやでって言われてびっくりした。体罰を伴う躾なんて、おっさんの親世代だと当たり前だと思っていたから。
病名とかはつかなかったけど、しばらく投薬治療と、あと気長に行動だか認知療法だか続けていくことになった。それでも根本的な解決にはなっていないかもだけど、そして多分コメントくれた人はみていないと思うけど、「キモイ」という率直な意見も含めて、声かけてくれた人たち、本当にありがとう。匿名だからこそ救われた。
アラフィフおじさんです。
LINEへの名誉毀損はマジで申し訳ない、キモイのは僕の方だった。よく考えたら、LINE以外の連絡手段のときもそうだったわ。古くは留守電、メール、あとアメブロとかミクシィとかツイッターとか。
1.彼女の方がよく連絡をくれていたんで、こっちからの連絡に返信がなくてもあんま気にならなかった。サンプル数が少なすぎるんでアレだけど。
2.友人関係でも、「一度も断られたことがなくて」「一度もドタキャンされたことがない相手」に対してなら、誘うのが怖くない(特に相手からもよく誘われている場合は、返事が丸1日なくても気にならない)
ってことがわかった。
どっちにしろ果てしなくキモイんだけど、どうやったら治るんだこれ……メンタルヘルスもダメで(薬飲んでいたけど頭の中で「根本的な解決になっていなくね?」となるし、相手から返信が来たら全部解決する)、
環境を変えたほうが早いのでは、無理やりでにも実家に帰す。実家から心療内科でも。
実家がコロナにビビってる・他人の目が気になるだけが理由なら、その生活で感染リスクは低いだろうし、帰した方がいいよ。他の理由があるなら知らん。
滅入ってるだけで、生活の基盤が破綻してないんなら、どんどん外連れってやれば。暑いし車で。電車バスなんて逆に疲れるしコロナもある。東京で世間体とか気にならない。本当に篭もりきりが原因なのならね。違う気がするけど。
ー
自分とこは、妻が攻撃的になり、一方的な言いがかりを平日昼夜問わず仕掛けられる。俺の全てが気に入らないぽい。ガルガル期だとかそんなもんじゃねえ~別人よ。今思えば産後鬱だったのだろう。
育児→俺は風呂寝かしつけは生後からずっとやった。夜中のミルクも気付いて起きれば。週末ワンオペしたり、妻を旅行させて一人で面倒見てたりしてたが、精神的に来た人に息抜きや休息などではすぐに解決しないと思う。
カウンセリング・心療内科→自分(妻)は正常だ、行くなら一人(俺)で行け、で上手く行かなかった。話を聞いてくれて協力的ならまず行ったほうがいいよね。
俺側の身内は全て敵認定だし、妻側の実家が理解してくれないと第3者も入れにくくて無理ゲー。うちは娘を信じる、で理解されなかったね。
この状況は不味いし、母子二人の環境を変えたかったので、抵抗されたが保活し保育園に入れ送り迎えやって、妻が復職し、その後やっと落ち着いて回復した。
ー
23区住み。近くに親戚なし。どこでも出来る・納期守ればいい仕事。だったけど、仕事にも支障出まくりで、貯金は吹っ飛んだ。
周りに相談して聞いた似た事例(攻撃的パターン)では、夫が出ていって離婚になったのが2件。どちらも妻はその後冷静になったぽくて反省してるらしいがあんなん目の当たりにしたら復縁しないだろうな。
妻側の身内からの話で夫はよくやってたってんだから、自分は育児にも参加してるのになぜ、とかは考えないほうがいいよ。関係ないと思う。どっちを責める話じゃない。
俺も親権取るつもりで記録取って離婚の準備してた。乳児を男が取るのは大変みたいで何年かかってでも。常識ない奴らに息子の人生預けられるかって気が立ってたな。
弱ってる系の話はちょいちょい聞くけど、興味なかったから忘れた。
産後クライシスのパターンや対応方法なんか、なかなか見つけられなかった。役に立たねええ行政だわ。
今回の件と人に聞いた話で、産後クライシスって不仲・価値観どうのってより、メンタルヘルスの割合が結構なんじゃないかと思った。
ー
素人考えだが、社会につなげて、元々の環境に近づけないと駄目なんじゃなかろうか。環境の変化に対応できるタイプでないと、一度嵌ったら簡単に抜け出せなさそう。
たぶん何したって病む人は病むから、原因追求や俺も頑張ってるのにとかは置いといて、ちょっとでも気が楽になる環境から徐々に、がいいんじゃないかなー。実家が落ち着ける場所ならそこからのスタートが。
他人からのおせっかいやアドバイス系は弱ってる人には効かないし余計だと思う。色々インプットされちゃうと自分か相手か責めるアウトプットが生まれるし、逆効果なんじゃないかとも。
精神的に弱い奴だな、とかそういうんじゃない。こんなのは誰にでも起こる仕方のない事だから、受け入れてより良い環境をって考えていくしかないね。自分も完璧なはずはなく。
私は16歳の時、うつ病の診断を受け、24歳で学習障害とADD(ADHDの他動の少ないやつ)と診断され、28歳で入院したとき双極二型と診断された、まぁ言ってしまうとメンタルヘルス系街道まっしぐらのひどい人生を送ってきた。
おばさんと呼ばれる年齢になり、つくづく「私は若い女の子をうまくやれるタイプじゃなかったんだな」と思う。
また話が飛んで申し訳ないが26歳で甲状腺機能低下症も軽度ながら発症し、そのせいかなんのせいかはわからないが30歳の時、早期閉経していることも告げられた。
私は過去の精神病的経歴から子どもを持つことはできないんだろうと感じていたから特にショックはなかった。でも骨粗しょう症予防のためホルモン剤で隔月で無理くり生理をおこしている。これがまた副作用もあって面倒なのだが、これ以上病気のデパートになるわけにはいかないので我慢である。
甲状腺機能低下症を発症しまだ診断を受けていないだけで多分もうすでに閉経していた私はどんどん太った。
24歳くらいまでは48㎏~52㎏というまぁ普通のMサイズなら着れるしお洒落も好きだしロリータ系服も趣味で着ていたので太り出したときは焦ったしなんとかならないものかと試行錯誤した。間食しないように、サラダを多めにしたメニュー、こんにゃく、豆腐メニュー…
いやー、痩せない。むしろなんでも食ったぶん太る。
それにイラついて過食してしまいやっぱり太る。もう太るしか選択肢がない。
服も入らなくなってくる。焦った。
こりゃキツい。焦った。
でも着実に肉は付いていき現在64㎏になった。完全なるデブである。お世辞にも普通の体型とは言えない。そこらの男の子より重い。20歳くらいまで会食恐怖気味でその頃は45㎏切っているときもあったことを考えるとヤバイ劇太りだ。
やったダイエットの試みは割愛するが努力むなしく着実に太った。努力が虚しくて食ったことも認める。だがまぁ病気もありどんどんとおばさん体型になったのだ。
残念であった。MILKやらEmily temple cuteやらJane Marpleで絵本のような可愛い服を大枚はたいて愛好し、どれだけ投資してきたか…悲しい……
しかたなくしまむらやユニクロやそこらのガバッとしたムームータイプのリネン系ワンピースを着ている。(リネン系の有名なブランドも利用するが、昔ほどひとつのブランドで揃えようという気概はもうない)
過去を知らない友人や同僚なんかからは私がそういうラブリーなブランド服をめちゃめちゃ持ってて若い頃はファッションモンスターといって差し支えない引くレベルにお洋服に投資していたなんて誰も気がつかないだろう。
今や私は早く来た中年太りのおばはんだ。
話はやっと本題に近づく。
なにをしても太るのでもう痩せる努力をやめた。ストレスためるより流れるままにデブっていけ!と一種の諦めがついたのだ。
喉が乾いたらコンビニでスポドリ飲むし、ミニストップでハロハロ食べたり。
自由だ。当たり前に着実に太るがストレスで過食することが減ったので、結局小デブが普通のデブになったくらいである。
自由だ……。年3回程度あったナンパされることもなくなったし、お洒落も限られるのでお洒落に対する興味は薄くなった。
でもなんか楽だ。デブになって「若い女の子」というカテゴリーから除外されてなんか楽だ。
「若い女の子」時代には男の人におごってもらえたり優しくしてもらえたり恋愛対象に見られたりそこそこ楽しいこともあったが、けっこうマジで気があってこれからも仲良くしたい…って願ってた同性からライバル視されてなんかうまくいかなくなったり、パート先のババアに目の敵にされたり、外見を着飾らないと生きてる意味を見失うくらいルッキズムに支配されていた。若い女の子マインドをデブることで手離さなければならなくなって、「若い女の子」って生き方やべーくらい窮屈じゃん…って思った。やべーよくやれてた。てゆうかやれてたのか?「若い女の子」うまくやれてなかったから病んでたのか?
じゃあ当然の流れなのか?
よくわからないが人生のステージがおばはんステージになったことに失望よりか、「もしかして私の人生おばはんステージの方が本番なのかもしれない!」って希望すらある。
いや~若い女の子はなるものじゃなくて鑑賞して圧倒されてんのが一番いいわ。
おっさんとガチの友情築けたりするんだろうか。それともおばはんステージなりの恋愛があるんだろうか。おばはんとして新しいおばはんの友達とかも出来たら嬉しい。
昔からの友達もゆっくりとおばはん化してくのか、それともカッコいいオンナ!とかミドルエイジ!とかマダム!とかになっていくのか。
病気も手伝って一足先におばはんステージに移行せざるを得なかったので低みの見物をさせていただこうと思う。
おばはん初心者ながら頑張っていく決意表明として書いてみた。年取ることは人によっては悪いことじゃないと今私は思っています。
授業受けてるだけでポロポロ涙が出るくらい鬱状態になったのでここに書く
田舎から上京してきて一人暮らし、コロナウイルスがじわじわと感染拡大していた2~4月の間ずっとアルバイトしていたため実家に帰ってオンラインで授業を受けるというスタイルはできなかった。それに、そもそも事情があって実家に帰れない。
そんな中オンライン授業が始まった。
Twitterでもさんざん指摘されているが、まあ課題が多くなった。そうなると一人暮らしをしている私は課題をするために、一日中、あるいは数日間家から出ない状態が続いた。
一人暮らしでなくとも、家から出ない状態がどれほどメンタルヘルスに影響を及ぼすかは自粛生活を体験した多数の人にわかってもらえるだろう。私の場合孤独だ。家から出るとしてもバイトや生活必需品・食品の購入のみの生活で、無駄な会話がほとんどない。コミュニケーションが不足した。人と直接関わり合えない。友達と通話やZoomもよくやったが、オンライン上のコミュニケーションではどうしても埋められないものがあると気付いた。そんな風にして誰ともほんとうに関わり合えない生活が続くと、どうしても自分のネガティブな考え方に閉じこもってしまう。
ずっと徹夜をしているうちに眠れなくなった。寝たとしても起きると気分が悪くなる。それに寝てない方が集中力が保てる。食欲はないが何かを口に入れたい。でも何か食べると気持ち悪くなる。
うっかり課題の提出期限を忘れて提出できなかった。これがGPAを落とし、卒業まで残る値になるのかと思うと死にたくなった。ほんの小さな減点にしかならないようなものだが、それだけでもうずっと上がらないんだ、もう自分はだめなんだとさえ思えた。あー嫌だな。死にたいな。
自分の自己管理能力が低くて、極端な考えに走りやすいことはわかっている。だからこれは個人的な愚痴だ。
後期は通常の授業に戻ってほしい。きっと無理だろうけど。
書き手のもっている情報と読み手の持っている情報を段階を踏んですり合わせていくことが大事だと思う。
勘違いしないで欲しいが、俺は元増田を揶揄するつもりは全くない。
見えなかった世界を見せてくれた元増田にはとても感謝してるし、文章も意味がわからないというほどではない。
これは単なる俺の趣味。
人によっては元の文章のほうが分かりやすい人もいるだろうし。俺の解釈が間違っている可能性もある。手クセもあるし。
――――――――
まれによくいる。
お前らの視界には一人も入っていないだろうが、地方都市にも何人かいる。全くの体感だが、日本中に数千人いても驚かない。
わからない、というのは敬語とか、読解力とか、そのレベルの話ではない。
「おはよう」や「こんにちは」みたいな、日常会話の時点でボキャブラリーの限界に達する。
「名前」「氏名」と書かれている欄に、何を書けばいいかわからない。
文字が書けないどころか、そもそも「名前」という漢字が読めない。語彙は100に届かない。
移民を両親に持つ子供たちの中に、そういう子がごくたまにいる。
生まれた時から日本にいるのだから日本語くらい覚えそうなもんだが、全く覚えていない。
さらに深刻なことに、彼らは日本語だけではなく親の母国語でさえろくに喋ることができない。
増田たちの感覚では日本人とは感じないだろうが、日本国籍があり、日本に住む意思がある。日本を祖国だと思っている。
間違いなく日本人だ。
そういう家族の子には母語がない。つまり、他者とコミュニケーションをとれる言葉を持っていない。
話せないから、友達はできない。そんな彼らにとって同年代の子は危険な存在でしかない。
まともな子はそもそも彼らを避けているので見えない。
まともじゃない子はまともじゃないので危険。
そういう経験をしてきた母語のない子たちは悲しいほどに察しが良い。
察しの悪い子はどこへ消えていったのか俺もわからない。
寡黙で人懐っこく、文書が読めないから法外に安く使えるので、職場でも最初は歓迎される。しかしすぐに問題が起きる。
突然のドロップアウトや、誰も原因の把握できない暴力沙汰は多い。意味不明なタイミングで泣き出す子もいる。
そして時間を守れない子が圧倒的多数。マジで時間が理解できない子もいるだろうが、恐らく「うつ」かそれに近い状態なんじゃないかと俺は思っている。
彼らにメンタルヘルスの概念はなく、下手するとココロという言葉自体を知らない。
本人が訴える方法がないだけでメンタルはボロボロなんじゃないだろうか。
優しい子のはずなのに凄まじく残酷なことをしたりする。
残酷だということが分かっていないのかもしれない。他人に優しくなるには教養がいるんだろうな。
人権も平等も彼らを救ってはくれない。ピンチに飛び出してかばってくれることもない。
夫のことが大好きなので書き残しておこうと思い開きました。
本当は人に話したいくらいだけど、人に話すのはちょっと難しいので…
優しい夫。
私より年下なのに、私を親のように庇護し、ともすると親以上に愛してくれる夫。
私が発達障害でメンタルヘルスに問題があることを受け止めてくれる夫。
神経過敏だから毎晩寝付けない私をマッサージしてくれて寝かしつけようとしてくれる。
夜になると過去のことを思い出して死にたい、生まれてきたくなかったって涙ぐむのを添い寝して撫でてくれる。
料理も大して上手くない私。精一杯料理した日に、今日のごはんは~と作ったものをLINEしたら
「おしながきが送られてきた!」って喜んでくれる。
眠れないって言ってる私の手を握って、
「ほらあったかくなってきた。もう眠たいんだよ。楽しく寝るんだよ」と話してくれる。
いつも抱きしめてくれる時に「お前はいい子だよ」と語りかけてくれる。
洗濯やゴミの管理はすべて夫がやってくれて、料理も掃除もやってくれる時もある。
私がヒステリーを起こしてもそれにつられて怒ることなく、いつも先に折れてくれる夫。
夜中に目が覚めて寝付けないのに苦しんで夫のベッドに潜りこむと「どうしたの?」と撫でてくれる。
次の日申し訳なくて、「昨日起こしてごめんね」とLINEすると、「俺はすぐ寝付けるから全然OK。いつでもおいで」と返してくれる。
先生や友人にもあまり恵まれたとは言えない人生を送ってきました。
無人島に何か一つ持っていくなら夫がいい。
もしそれで何も食べられなかったとしても夫と一緒ならそれでいいと思います。
昔高校生くらいのころに、2ちゃんねるに書き込みしていました。
人生に希望が持てなくて早くこの苦しみから逃れたいと思っていました。
そんな折に私の書き込みに返信してくれた方が、
とおっしゃっていたのをはっきりと覚えています。
その時は
「この人は見ず知らずの私にこんなに優しい言葉をかけてくれる人だから、
だから素敵なパートナーに愛されたんだろう、私には絶対にこんな未来は訪れない。」
と思っていました。
今、その当時の自分にあなたのありのままを愛してくれる人が寄り添ってくれているよと伝えたい。
そして、もし私と同じように考えている誰かがいるとしたら、
トランス女性に対する理解がまずありません。トランス男性やその他のLGTBQ+などについてもそうですがそれらはあまり語りません。
古くは単に「オカマ」だったのだと思います。女になりたい男だとか、そんな風に思われていたのでしょう。
だから、言葉がオネェ言葉だったり、女装している人だったり、あるいはニューハーフだったりするような人達と一括で「オカマ」にカテゴライズされていたのだと思います。
が、実はそうではなかったわけです。それらは全部種類が違う。種類というか全く別な存在だったわけです。
このことは、既に二十世紀中盤あたりで既に分かりつつありました。
ガチで、生物学的には男性だけど、その本人自身はどーーーーーーーーーしても自分自身を自分自身で「私は女性である」としか思えない人がいるとわかってきたのです。
最初は精神的病気だと言われていましたが、治せないことは分かっていました。
ですから治療は主に、ホルモン療法であるとか、性転換手術であるとか、その心・思いの方へ一致させる方向で行われました。
原因もさっぱりわかりません。それで病気なのではなく心と体の性別が一致しない障害なんだと、次に言われるようになりました。
それが性同一性障害です。
病気であると言われていた時代との違いは、「女になりたがるという病気」なのではなくて「自身を女だと誤解する障害」だと認識が変わったということ意味します。
この時点ではまだ、この人は「ほんとは男の人」だという認識は変わっていません。
性同一性障害|病名から知る|こころの病気を知る|メンタルヘルス|厚生労働省
ところが、1990年代くらいから、海外では自発的に、治らないんだったら治らないそのままでいいじゃないか、という動きが出てきます。
新しい性別という意味ではなく、性別を越境する人間なんだと認識しよう、というちょっと意味のつかみにくい用語です。
要は、もうありのままの自分として、マジョリティな性別・性志向な人達と同じように、自由に自分が思う通りに生きようじゃないか、という考え方です。
何故そんな事を言い始めたかと言うと、マイノリティとして苦しんできたからです。
保毛尾田保毛男事件を記憶している人は多いと思いますが、あれがなんであんなに批判されたのか、きちんと理解している人は意外に少ない印象です。
私自身は状況を知っていたので、正直絶句しました。もうそんな時代ではないのに・・・と。
「オカマ」と呼ばれていた時代、その存在自体が奇異に見られていたのです。
その時代、その「オカマ」の周りの人は、本人自身が苦しんでるだなんて全く知らなかったのです。
本人自身だって、世間がそう見るのだから、本人も自信をそんな存在なんだ、私は奇異に見られる存在なのだと、思い込まされていたのです。
ならばと、その特徴を生かしてテレビに出たり、オカマバーで働いたりしていたわけです。
自身の特徴を活かせば生きていける、と。
これってね、「差別」なんですよ。
だって、多くのマイノリティな人達はマジョリティと同じようには働けないんです。特徴を活かせた人なんて一部の人だけです。
普通の会社で普通に働くなんて、とてもじゃないけど、奇異に見られてばっかりで出来るわけありません。
出来たとしても、トランス女性ならば自分をとにかく女性に見られないよう男として無理やり振る舞って気づかれないよう苦しんで仕事していかなきゃ出来ないわけです。
そこまで考えた人は果たしてどれくらいいるでしょうか?
だからね、差別するななんて言っても、差別してることに自覚的な人なんて実はあんまりいないんですよ。
たかだか、差別的なことを言わない、しない、くらいにしか分かってないんですよ。
要は、ずっと性的マイノリティな人は「差別」されてきたんです。
今でも例えば、カミングアウトなんて言ったりして、マイノリティな人が自分の性指向や自認を明かすのは勇気がいる時代が続いているのです。
しかもカミングアウトに失敗して自殺までする人だっているんです。
何故はまちゃんが黒人のように肌を黒く塗ったら批判されたのか。
それはそうやって「笑い」にするからです。黒人にしてみれば自分たちは笑われる存在なのかと、そりゃ怒るに決まってます。
話を戻します。
トランスの人達は今では「自認」とか言ったりしますけど、自認こそが性別であると認識が変わっています。
ところが、時代についていけない人達がまだまだたくさんいます。
「お前らほんとは男だろ? 何故こっちに入ってくるんだ? あっちへ行け」と。
これを支持する人達の中心はいわゆるフェミニストの一部なんですけど、トランスを差別するフェミニストという意味で「ターフ」と言います。
このターフがあまりに酷い。
加害など加えるつもりもない人が、怖がられるんです。ウィルス持ってるのと同じに見られるんですよ? ペニスが付いているというたったそれだけの理由で。
酷い場合には、性別適合手術を受けた男性ですらも忌避されるのです。
こうした状況ですから、当然トランス女性側も黙ってはいません。というより多くのトランス女性はターフに怒っているわけです。
怖がってるのは知ってるから、別に、日本ならば銭湯には入らないし、他の場所でも着替えだって時間を変えたり、こっそりやりますから、つってんのに、恐いと言って聞く耳持たないもんだから、とうとう怒って「だったら、ペニスを堂々と見せびらかして銭湯入ったろか! 何なら勃起までさせてやんぞ!」と反撃に転ずるわけです。
「何度言えば分かるんだ! トランス女性は女性だっつってんだろ!」と。
「あなた達とは違う。私達は子供を埋めるんだから。せめて性転換手術をしてよ」と。
「だったらお前らが私達と同じになれ! いくら掛かると思ってんだ! リスクを知らないのか! お前らの子宮を引きずり出して子供を産めない体になれ!」と。
こうした対立の原因を作っている一つの大きな理由は時代の流れなんですけど、ターフとトランス女性どちらが悪いと思いますか?
トランス女性はもうそのままで女性だとみんなが認識しなきゃならない時代です。
でも現実にはまだ追いついていません。
ターフだけではなく、まだまだ他の心ない男性などからも嘲笑蔑視の対象になっていますし、社会的理解がまだまだ未成熟なままです。
制度的にも戸籍変更要件が厳しすぎるとか、男性と見られるためのパス度という尺度を測られてしまうとか、性別「違和」なんて言われてしまうとか、日本社会全体の意識が低く、杉田水脈のような馬鹿なことを言う人までまだまだいっぱいいる世の中であり、進んでる海外だってまだ差別やってる人もいます。
でもほんとによく考えて欲しい。
マジョリティの人と同様に、トランスの人達も性別を自ら選んだわけではないのです。
おんなじ人間なんですよ。
なのに、特にトランス女性は同じ女性であるはずのフェミニストの一部から蔑視されるのです。
それらの一部のフェミニストが常に言ってる、トランス女性だって全く同じ性的被害暴行の被害対象者なのに。
もう一度言いますけど、
明らかすぎると思うんですけど。
小梨女30才です。
かつ住宅手当がフルに出ており、
夫婦二人暮しなら十分な額です。
貯蓄は1000くらいです。
そのためか幸いなことに夫は私のメンタルヘルスを第一に考えており、
復職も求められておりません。
私も働きたいと思っていません。
(何の儲けもなく、むしろ出費がかさむのに)。
メンタルが落ちて、それを支えてくれる家事も何でもするという夫に出会い、
うまくいっていると思います。
夫は残業や責任の重い仕事で理不尽な思いをたくさんしているようです。
私自身が抱えているのもあり、気持ちの落ち込みなどをチェックしますが、
幸い私と正反対のあまり考え込まない性格で、仕事も好きらしく、
心の健全は保ちつつ働けているようです。
年収を少し下げて転職を目指して動き始めたところでコロナがあり、
しばらく様子を見る予定です。
特にコロナで通勤がなくなった時期の夫が幸せそうにしてるのをみて。
家事も以前より丁寧になり、表情が柔らかくなりました。
6月から通勤が始まった後もリフレッシュになったのかそのままです。
ずっとそのままでいてほしいと思い始めました。
寛解したあとは、私が稼げるようになるべきだと思い始めました。
私が稼げるようになってから、夫はもっとゆとりのある仕事に移るか
何か今できることはあるのでしょうか。