はてなキーワード: eufoniusとは
https://www.youtube.com/watch?v=ocLYHapezhs
田中理恵「ニンギョヒメ」
https://www.youtube.com/watch?v=9JX86K_bRBo
https://www.youtube.com/watch?v=lZjpxaKRO8M
Maison book girl「Karma」
https://www.youtube.com/watch?v=uzM1sKgk43E
まあほかにもいろいろあるんだが、自分にとってこういう曲って「ありもしない幻想の郷愁」みたいなのをガンガン刺激してきて涙腺ぶっ壊れる系ってことでまとまってる。わりとアニソンやらアイドルの曲やらでこういうやつの打率が高いので、日頃からサブスクで漁ってはいるんだけど、なかなか出会えなくなってきているので増田の集合知におすがりしたく候。上記の曲はすべてサブスクでも聞けるが、手っ取り早く紹介する意図でYou Tube貼った。
<入場>
Love wing bell/星空凛(飯田里穂)、西木野真姫(Pile)、小泉花陽(久保ユリカ)、絢瀬絵里(南條愛乃)、東條希(楠田亜衣奈)、矢澤にこ(徳井青空)
作中でウェディングドレスの描写があったのでこれ以外思いつかなかった
<乾杯>
華やかなストリングスではじまる曲なので乾杯の発声と一緒に流してもらった
<ケーキ入刀>
世代的に招待客も知っている人が多そうだった
<退場>
Allegro Cantabile/SUEMITSU & THE SUEMITH
美メロなので
ドラマチックLOVE/一条シン(寺島惇太), 太刀花ユキノジョウ(斉藤壮馬), 香賀美タイガ(畠中 祐), 十王院カケル(八代 拓), 鷹梁ミナト(五十嵐 雅), 西園寺レオ(永塚琢馬), 涼野ユウ(内田雄馬)
歌詞が可愛くて
<歓談>
ウケ狙い
昔から好きな曲なので
歓談にちょうどいい雰囲気だと思った
<再入場>
再び盛り上げたかった
Groovin' Magic/ROUND TABLE featuring Nino
絶対この曲でやると決めていた
素敵だね/RIKKI
末永くともに歩んでいくという決意を込めて
<エンドロール>
光/宇多田ヒカル
その言動が幼稚すぎて今話題になっている作曲家、菊地創が自画自賛している曲eufonius 「Idea」を聴いた。
曲を聴いてすぐわかった。
この人は楽器が弾けない人なんだ、と。
(電子鍵盤は指を押し当てるだけで音が鳴るから、作曲初心者にはもっとも容易い)
だが決して「弾ける」というレベルに扱える楽器は菊地創にあるまい。
彼はライブでも両手で弾くようなパフォーマンスはできないのではないか?
ある程度、音楽をきちんとやっている者なら簡単にわかることなのだが、
全く楽器を弾けない人の作る曲には特徴があって、すぐに判別がつく。
音楽的な美しさがない。あるいは欠けている。
この場合の「音楽的な美しさ」とは何かというと、それは「響き」である。
例えば“ただ音が鳴っているだけの状態”を「音楽」と定義出来るかどうか?
生まれて初めて玩具のピアノを与えられた幼児が、がむしゃらに鍵盤を叩いて音を鳴らすそれは音楽か?
しかしそれを音楽作品として、美しい音楽として扱われるべきものとは到底言えない。
eufonius 「Idea」はいかにもPC上でデータをいじって作った曲だなと感じた。
まるで自動生成されたような旋律がただ鳴っているだけだ。
機材があれば誰でも出来るレベルの作りこみ程度だし、オリジナリテイも感じられない。
他の曲も聴いてみたがどれも同様に「ただ音が鳴っているだけ」のものだった。
念のため裏付けとして菊地創について調べた。
使用機材を見るとやはりデジタルメインで作っていて、楽器と呼べるものは電子鍵盤しかない。ピアノではない。
鍵盤は指を押し当てるだけで音が鳴るし、これだけの機材があって弄る方法さえ知っていれば
適当に音を鳴らして誰でも曲を作ることが出来るだろう。
Wikipediaによると彼は転調の多用や独特のコード進行が特徴であるそうだが、
それも作曲初心者が一番初めに思いつくようなオリジナリティの出し方で、余りにチープな試行である。
もし自分の中に美しい音楽の響きが備わっていて、それを自分のものとして提示できるならば、小手先で自己主張はしまい。
私は決して、楽器が弾けない音楽家それ自体を批判するわけではない。
楽器が弾けずともデジタル環境で素晴らしい曲を作る音楽家は何人もいる。
そうした人たちが様々な試行錯誤の果てに、楽器演奏では得られなかった新しい美しさを提示することも往々にしてある。
だが、ただ機材をいじって音を鳴らしたら出来た「音が鳴っているモノ」には試行錯誤の過程も、何も感じないのだ。
聴くだけで「これは子供がピアノを叩いてるだけと同じだ」ということがわかるからである。
楽器メーカーが機材のサンプルとして収録してユーザーに提供するような試聴曲にも作りが劣る。
菊地創はおそらく、いい音色で音を鳴らすだけのその程度が作曲だと思っているだろう。
では以下に挙げられた彼の発言から、彼の音楽観について考え、少し検証する。
(http://togetter.com/li/362865)
彼は自分の耳の良さが自慢らしい。おそらくは自分が誇る機材への自信だろうか。「耳」であって自分の「腕」の自慢ではない。
これは上述の「音楽の美しさ」である「響き」を彼が理解できていない証拠ともとれる。
一度聴けば耳から離れない程のメロディセンスも彼には無いようだが。唯一耳に残るメロディは菅野よう子の曲との著しい類似が見られた。
(また余談ではあるが、常に他人を罵倒していないと不安なのは自分に自信が無いから♪だろう。)
彼のプロフィールを読むと初めに記してあるのが専門学校のコンピュータミュージック科との事であった。
幼少の頃から楽器ではなく、入り口から楽器の素養があったわけではなさそうである。なるほどコンプレックスを裏付ける。
美しい響きを求めて、メロディを作り変える音楽家(作曲家)がなぜ苦しむのかが彼には理解できないだろう。
彼は「音が鳴る機械を叩いて鳴らすこと」が音楽だと信じているからである。
誰でも機械を使えば自動生成的に音が鳴る状態を簡単に作れるし、追求のために苦しむこともない。
まとめると、菊地創の音楽は、彼の中にある豊かな音楽から紡がれたものとは言いがたく、それを感じることが出来ない。
ただ指先で鳴らしたら鳴った音を組み合わせ、マウスで弄ったら何となく出来たような産物である。
もちろん彼自身が心地よく感じる音色に鳴る程度には調整されていることだろう。
そこにはせいぜい音色の美しさがあっても、音楽の美しさはない。
また彼が常に他者を罵倒していないと気が住まない理由がコンプレックスによるのは改めて言うまでもない。
とにかく色んな人間を罵倒して自分が上なんだ、自分はあいつらとは違う、と思い込まねば自信を保てない。
そうした奇行の原因は彼のアイデンティティーに関わる根深いコンプレックスにある。
彼は、良い機材を集めて、良い音色を鳴らして何となくそれっぽく作曲することは出来るが
自分の中にきちんと音楽の美しさを蓄えて、それを自分の形にして人に提示することが出来ていない。
ちょうど他人をおちょくるような感じで、ぞんざいに音の連なりの生成はできるが「きちんとした音楽」を作れないのだ。
彼はまともに楽器を奏でることが出来ない故に、きちんと音楽に向きあうことから逃げたままだ。
彼自身もそれは強烈に自覚している。
また菊地創はサイトのトップに(CDのジャケットではあるが)ピアノの画像を載せている。
ピアノはおそらく彼のコンプレックスの表れで「ちゃんとした音楽」の象徴だ。
もし自分に自信があるならば、普段使っているデジタル楽器の写真を載せればいいと思うのだが。
そうした写真はサイトの中に全く見られない。まるで隠したがっているように。
ピアノの写真をトップに載せているのはもちろん無意識だとは思う。
だが彼は自分を「ちゃんとした音楽家」として人に見せたいが故にあのピアノをトップに飾っていることだろう。
なぜなら自分が「ちゃんとした音楽家」などとは到底違うことを彼自身が一番理解しているからだ。
菊地創よ。
君は「eufoniusこき下ろしてみて下さい! 音楽的な視点で(笑)」などと言って自らを鼓舞したが
はっきり言って、菊地創の作曲、そして菊地創の自信作は音楽として評論するに足りないレベルのものだ。
もし音楽家として、また人間としてきちんとやり直すつもりがあるならば
天才の君は「その必要が俺には無い」などとまた妄言を吐くだろう。それも想像に難くない
だが音楽家として、人間としてやり直すチャンスはもうそこにしかない。
君のその強烈なコンプレックスはこれから先、誰を罵倒しても決して埋まらないのだから。
人も、世の中も、音楽もなめたまま生きるのはもうやめなさい。