はてなキーワード: エントリーとは
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 64 | 9736 | 152.1 | 33.5 |
01 | 22 | 6866 | 312.1 | 34 |
02 | 15 | 2523 | 168.2 | 86 |
03 | 32 | 4881 | 152.5 | 184 |
04 | 19 | 775 | 40.8 | 17 |
05 | 14 | 1821 | 130.1 | 36 |
06 | 21 | 1319 | 62.8 | 44 |
07 | 24 | 1764 | 73.5 | 33 |
08 | 33 | 2272 | 68.8 | 30 |
09 | 24 | 5139 | 214.1 | 52.5 |
10 | 59 | 13353 | 226.3 | 48 |
11 | 119 | 7390 | 62.1 | 32 |
12 | 88 | 3367 | 38.3 | 27.5 |
13 | 89 | 5762 | 64.7 | 32 |
14 | 72 | 11566 | 160.6 | 42 |
15 | 58 | 6184 | 106.6 | 36.5 |
16 | 72 | 4887 | 67.9 | 35.5 |
17 | 93 | 6304 | 67.8 | 38 |
18 | 80 | 8582 | 107.3 | 42 |
19 | 104 | 11081 | 106.5 | 28 |
20 | 96 | 13140 | 136.9 | 45 |
21 | 105 | 7616 | 72.5 | 33 |
22 | 83 | 11563 | 139.3 | 57 |
23 | 81 | 23700 | 292.6 | 62 |
1日 | 1467 | 171591 | 117.0 | 37 |
奇妙な果実(7), 👨🏿(7), ナンバーガール(3), 大丸(3), テラワロス(3), 時代小説(3), 👱🏻(7), 富士急(4), 瓶詰め(3), どんぐり(7), ベッドタウン(4), 横浜(12), wwww(5), 体調不良(5), 桜を見る会(5), 生理(21), さようなら(4), 改造(4), 破棄(5), プライバシー(4), ウケ(7), バイク(6), 納豆(5), 例える(5), アップデート(6), 都市(5), 子宮(5), 2日(4), 作家(12), ガイジ(9), 家で(7), 犬(12), 完璧(8), オススメ(7), フェミニズム(9), 背景(7), 大企業(6)
■大丸にめっちゃ怒ってる人がいてびっくりした /20191123014815(16), ■アニメの一番好きなBGM教えて /20191115135608(14), ■横浜に住んでる人って、神戸をどう思ってるのかな。 /20191122234451(11), ■結婚式の新郎上司のスピーチ /20191122170803(10), ■いま熱心にフェミや左翼の立場からオタクを叩いてるのは実はオタク /20191122203342(10), ■猫をアリバイ工作のために使うのをやめてください /20191123075513(10), ■何で日本人はどんぐりを食べなくなったんだろう /20191123010537(10), ■なろう小説買ってく奴のハゲ率すごいよな /20191123172807(10), ■8時間パソコンの前で何もせず座ってる仕事 /20191123125035(8), ■問題「家を作ることを、漢字二文字で何という?」 /20191123002132(8), ■1000億円あったらやりたいことリスト /20191123064728(6), ■ /20191121224220(6), ■ /20191123112114(6), ■モバイルルーターなんてわかりづらい言い方はやめてほしい /20191123153225(6), ■二週間くらい全力でエロ小説を書いてみた /20191122114830(5), ■賃貸と購入 /20191123201019(5), ■今期のアニメ何見てる? /20191115150553(5), ■新たな弁護士のエントリーだ /20191123173857(5), ■2回目のデートってどこ行けばいい? /20191123175349(5), ■anond:20191122234451 /20191123113710(5)
6806495(2001)
ここに投稿したところで状況は何も変わらないのは百も承知でしたが、以下表題の件について書きます。
早大では図書館のシステムWINE(1)が9月に新しくなったが、これが非常に使いづらい。何がつらいのかというと、
ここで出てくる「読み込み」とは蔵書検索結果の読み込み時間である他に、貸出返却の際のシステムの処理時間も含んでいる者もいた。
実際にどういう声が出ているのかというのは「WINE OR KOSMOS 図書館 OR 早稲田 OR 慶應」等の言葉でTwitter検索をかけてもらいたい。賛成の声も見られるが、不満の声が多く投稿されている。
ことの発端は2017年5月に、早稲田大学図書館と慶應義塾大学メディアセンターが図書館システムの共同運用に向けた覚書締結を行ったことからだった。そして翌年にはEx Libris社のシステムを採用することが決まった。前者に関してはこちら、後者に関してはこちらを参照されたい。
また、サービス開始にあたって早稲田大学図書館報『ふみくら』96号に早慶図書館業務共同化プロジェクト担当調査役の方が新図書館システム「WINE」によるサービス開始」を記しているので、こちらも参照されたい。
実際に使いづらさを体験してもらったほうがわかりやすいので、旧WINEと新WINEで検索してみてほしい。例えば、『文藝春秋』第88巻第1号(2010年1月)を戸山図書館で探していたとする。
「タイトル」
→少々見づらいが、図書館所蔵の欄から当該の号は戸山図書館にはなく「中央 3F雑誌(バックナンバー書庫)」へ行き、請求記号「サヘ 0116」の場所へ行けば良いことがわかる。
これに対して新WINEは、
→戸山図書館の戸山-B1を選択 ※「配架場所の確認」ではない
→Holdingsが2017-2019となっているため、一覧に戻る
→別の図書館を選ぶ(政治経済が戸山からは一番近いが、蔵書で言えば中央のほうが多い、など経験が物を言う)
→Holdingsに69-96(69巻から96巻が欠号なしで所蔵されている)とあるためここの請求記号「サヘ 0116」をメモする。
ここまでクリック/タップ数は6回。もちろん初めから中央図書館のものを探していれば3回でたどり着く。
以上のような行動を早大生はとることになる。
クリック/タップ数は基本的には変化はないが、この検索画面の読み込みの遅さが利用者に負担をかけていると感じる。一冊だけならまだしも、何冊も検索するとなると、相当なストレスを感じるだろう。この例においては、検索結果のトップに出てくるものであったが、例えば夏目漱石『吾輩は猫である』など何回も出版されているものであると、目的のものが出てくるまで「結果をさらに読み込む」を選択する必要がある。
今回の図書館システムの変更は早慶での書誌情報合同運用によるコスト削減という部分に主眼が置かれ、教員と学生の利便性というものが二の次になってしまっているように感じた。読み込みだけでも速くならないだろうか。
(1): なおWINEはWaseda university Information NEtworkの略であるが、ほとんど知るものはいない。
【弱者男性の生まれ方】
①少年マンガやアニメだけ見て「女性」を学ぶ
②ひたすら空から少女が降ってくるのを待ち続け、現実女性との関わり方を学ばず育つ
③女性と関わろうとするが当然拒絶され勝手にトラウマ
④心地よい少年マンガやアニメの女性にひたる
⑤以下繰り返し
①でどうにかしないとね。— 弁護士 岸本 学 (@9jtCdbGf3lih8Fe) 2019年11月22日
しかし弁護士なんてあのネットで一騒動なった例の事例以前は弁護士の威光だけでビビる人も多かったのにあの例の炎上事例以降、弁護士と言うものは知識や常識の偏った、金儲けにしか興味の無い人間と言う認識も世間でも生まれたと思う。
そしてこんな自身の意見に反論を言われるからこそ、彼等は必死でプロ責法改正とかしたいんだろうなと思っていたりするよ。
それとこの手の考え方をする人間の多くは多分バブル世代、或いはギリギリ氷河期世代前半だと思うよ。
特にテレビ世代も多く、ドラマを見ており、漫画アニメ自体存在を下に見ているし、マスメディアも80年代後半から10年代前半にかけて、あらゆる事件や法規制を煽って、漫画やアニメ、ゲーム等のバッシングを繰り広げていたからね。
しかし弁護士であり、実名まで晒しながら、良くもまぁ、こんな事を言って、自分からネットの玩具になりに行けるなと思ったりもする。
誰かが言わないといけないことだけれど、だれも言わないから言う。
BL好き腐女子、エヴァ大好き左翼、エロゲアイコンだった学者。
おじさんおばさんのオタクの一部が、差別で自意識を拗らせた結果おかしなことになっているという話だと思って聞いてほしい。
彼らは、エヴァ放送時に、衝撃を受けてこんなアニメがあるのかと驚いた世代だ。もうちょいわかりやすく言うと林原めぐみ直撃世代か、そのもうちょい前。
深夜にアニラジを聞きながら、エヴァを延々と語り、オタクの仲間内で、「この作品なら一般人に見せてもばかにされないんじゃないか」とかひそかに期待していた世代だ。
同時にあの時代のオタクは、自分を肯定して生きていくことが厳しい時代だった。
オタクと呼ばれると、どんなに社交的で、どんなに良い人格で、どんなに収入があっても、社会的信用が失われる時代だ。このあたりの空気を知りたいというひとは、
https://togetter.com/li/1220676 このあたりのまとめがマイルドに教えてくれる。
もっと空気感だけ味わいたいなら、飛んで埼玉! の空気感。バレた瞬間最下層民になるって時代。
だから、アニメ好きは必死になって趣味を隠し、隠れキリシタンならぬ、隠れオタクという言葉が普通に流通していた時代だ。
声優ソングの歌詞を見たら、みごとに「生きにくいオタクの共感を呼ぶ曲ばっかり」だ。
自分らしく生きていくということを大変だけど頑張ろう、っていう曲だ。
そんな時代に作られた林原めぐみの「don't be discouraged」は、差別の垣根を越えて、「ゲイやオカマの心をガッチリとらえた」という現象まで起きた。新宿二丁目では涙を流して歌う人物もいるそうだ。「生きにくい世の中だけど、勇気をもって好きなことに邁進しよう。理解されなくてもきっといいことがあるよ」というのは、まさに被差別属性を持つ人々の心をとらえるだろう。そんな時代だった。
僕らが生きたのは「好きなものを好きというだけで多大なリスクを覚悟せねばならなかった」という時代だ。
余談になるが、当時の深夜アニラジというのは、精神を病んだオタクの駆け込み寺にもなっていた。声優さんにガチの人生相談が舞い込んだ時代だ。
学校でオタクだと馬鹿にされてつらいとか、いじめられているとか、そういうはがきが普通に舞い込み、それを声優さんがガチに回答するような、かなり狂った時代。あの時代のオタクの空気はまさにどんよりとした息苦しさをまとい、まさに被差別階層の様相を呈していた。それにしたって、なんで声優さんラジオに人生相談をするんだ、と言われるかもしれないが他に相談できる場所がどこにもなかったのだ。親も、教師も、友人も、兄弟も、警察も、政治家も、すべてがオタクにとっては敵だった。もう顔の見える敵ではない存在が、漫画家や声優しかいないというのは、あの時代を体験したものでないとわからないだろう。当然ネット環境もない。
そんななか、差別に直面し苦闘したオタクたちはオタクと呼ばれるのを極端に恐れていた。
「俺はオタクじゃない。マニアだ(そんな違い、差別する側は気にしない)」
「俺はオタクじゃない。ゲーマーだ(そんな違い、差別する側は気にしない)」
「俺はオタクじゃない。アニメ好きだ(そんな違い、差別する側は気にしない)」
「オタクってキモいよね」と言われたら、正体を隠して「そうだねえキモいよね」と内心冷や汗流しながら相槌を打ってた時代だ。
当時、いじめられ、差別され、迫害され、バカにされていたオタクたちの一部が、「なぜ自分たちが差別されるのか」を必死になって考えるというのは、もうこれは宿痾の妄想のようなものである。
そんな中、一つの逃げ道に走ったオタクがいる。それが現在の左翼系でオタクバッシングをやっているオタクである。
「オタクはダメな奴らだ」とサブカル内部からオタクを批判することで、一般に認められようとする道を選んだ人間だ。
彼らの言い訳は「左翼思想からサブカル的にオタクを分析するためにオタク文化にかかわっている」というものだ。
「自分たちがアニメ・ゲーム・マンガ・ラノベを見るのはサブカルチャーの研究をやっているからだ。だから恥ずかしくない」と理論武装しなければ、好きなものにかかわることができなかった。
大学のサークル棟や居酒屋で、現実に起きた現象とアニメ作品をひたすらに絡めて、融合させて、一つの社会的事象としてとらえようと躍起になった時代だ。
具体例を挙げると、地下鉄サリン事件とオカルト系SF作品の影響を無理やりくっつけてトンチンカンな批評を、朝生みたいにオタク同志で語り合ったものだ。
それを見ていたクリエイターが「いまのオタクは作品も作らず、ただ批評ばっかりしてる」と嘆いていた時代。ただ楽しむではなく、「学問的批評という行動によって、ただのキモオタのブヒブヒ言う声ではなく、この作品が社会に与える影響や、社会的意義がどんなものか、左翼思想に合致するかチェックしている」という言い訳を自分に用意した。
彼らは、何の理屈もつけずにオタク文化を楽しむオタクを「ダメな奴らだ。キモイ。あんな奴らと一緒にしないでくれ」と、さげすむ自意識を持っていた。しかし、オタク文化は好きで好きでたまらなかった。
その鬱屈した倒錯は、傍から見ればただの変態の所業でありながら、それでも本人たちは大まじめだった。
左翼思想やフェミニズム思想を身にまとい、あのコンテンツはここがダメ、あそこが左翼思想から見るとダメ、右翼だ、女性差別だ、と言いながらアニメゲームマンガを消費したのだ。
ほかにも別の一派がいて、無理やり学問にこじつけて、オタク文化を鑑賞し、「CLANNADは人生」とか「fateは文学」とか馬鹿じゃないのかという発言が飛び出すこともあった。ネットで議論する際に「銀英伝」や「マブラヴ」で、政治を語り分析する人間がゴロゴロいた時代。
あれは、「馬鹿」だったのではなく「そうすることが差別を避けつつコンテンツを楽しむ作法」だったのだ。
しかし、時代は加速した。オタクは文化的にかなりの大成功を収めた。
オタク系候補が30万票や50万票取って、自民党の議員バッヂをつけてしまう時代だ。民主系や、社民系ではなく、よりにもよって自民党である。確実に時代は変わった。それも劇的に変わってしまった。(オタクが政治にいかに冷遇され続けてきたかは、それだけで10万文字を超えるエントリーを書かねばならないが、今回は割愛する)
要するにオタクコンテンツが一般趣味として認められつつある時代になったということだ。
そうなると何が起こるか?
いちいち思想とアニメを絡めて面倒くさい批評を書くよりも、萌えキャラがなんか頬を赤らめて「ばか」とつぶやくSS漫画をtwitterにあげるほうがRTといいねが数万単位で跳ね返ってくるようになった。
このアニメはリベラル思想に対して間違っていないか、とか考える面倒くさい学術オタよりも、SNSで萌え絵をアップして焼肉画像を上げてる大学生絵師のほうがよっぽど尊敬を集められる時代になった。
いまの時代、萌え漫画を読んだり、コミケに行ったりする程度で、「あいつはキモイオタクだから石を投げよう」みたいなやつはかなり減って、大勢がオタクであると公言できる時代になった。これは若い人達ほど顕著である。他人にどうみられるかを一番気にして、自意識をこじらせる男子高校生や女子高生たちが、人前で、FGOだのアイマスだのバンドリだののアプリのイベントを周回している時代だ。
オタク差別から逃れるためにくだらないうそをつかなくてよい時代が来た。
しかし、この時代はある一部のオタクたちには実に生きにくい時代になった。オタク趣味を低俗だ、腐敗してる、萌えなど女性差別だと繰り返しバッシングしながら、それでも萌えアニメや恋愛ゲームを消費せずにはいられなかったオタクたちだ。これには女子も含まれる。女子でも乙女ゲーとかそっち系のほうは「恥ずかしいもの」としてバッシングされた過去が間違いなくある。腐女子を恥ずかしいものとしてとらえてバッシングしたのは、「そういう意識が高い系のオタク、女子オタク」だったし、「腐女子の中でも様々な争いがあった」ことは間違いない。
彼らは、同胞のオタクを常にバッシングしてきたせいで、オタクにもたらされた「自由にオタク文化を楽しむ」という時代に参入できない。今更「実は俺も萌えキャラ大好きなんだよ~! バンドリ周回してる! アイマス最高!」とか職場の人間に言えない人生を送ってきてしまった。
ネット空間においてさえ「こんなものは女性差別だ。左翼思想の面から許容できない人権侵害だ。オタクがオタクをダメにした。オタク社会を俺が浄化してやる」ぐらいの発言をしてきた人間だ。
彼らもこっそりオタク文化を楽しんではきた。しかしオープンに楽しむなんてことはできなかった。それが許される時代が来てもできない。
だからこそ、全力でオタク文化が一般になるのを阻止しなくてはならない。
そうでなければ自分のゆがんだ自意識が、ただの卑屈さの産物であると認めなければならないからだ。
林原めぐみの作詞した歌詞のように、ドタバタ前向きに差別を恐れずに自分を肯定しながら生きていくということができればどんなに良かったろう。
しかしそれがいまだにできない。あの時代のえげつない苛烈さ、報道も政治も、だれもオタクを守ってくれない。その時代ゆえの後遺症だ。
だいたいは左翼的なシンパシーを持ち、左翼思想で自分を固めてきた。
左翼思想やフェミニズムが、彼らをオタク差別から守り、他のオタクと異なり特別たらしめている自意識だ。
それを用いて、オタクだとカミングアウトするのが明らかに不利益にしかならない時代を、何とか生き抜いてきた世代だ。
必死に左翼理論と自己演出で、オタク差別されないように自分を防御してきた世代だ。
世の中のオタク表現を常に探し、「これは左派思想に合致しないから規制すべき」とオタクをバッシングするのは、「自分はキモオタとは違う良いオタクだ」と差別を逃れるために左翼思想を選んだから。
若い人たちは彼らを見たら、「こんなことをしなければ生きられなかった悲しい時代があったのか」と思ってほしい。
「好きなものを好きというだけで多大なリスクを払わなければならなかった時代」があったことを少しだけ思い出してほしい。
追記 確かに主語が広すぎたと反省している。ただ、はてなとかで率先してオタクを叩いてるひととかはに、かなり当てはまるのあるケースだと思っている。
2019年11月16日に開催された「これからのフェミニズムについて考える白熱討論会 石川優実VS青識亜論」(これフェミ)のくすぶりがいまだに落ち着かない。討論内容としては青識亜論の方がしっかりとしていたようだがとにかく無駄に感じ悪いせいもあって、イベント後になって石川優実が謎の被害者ムーブをしている。いまとなってしまえば、青識亜論の煽り、アジテーションさえなければ状況も大分違っていたように思うので大変残念である。
自分はイベントには参加していないただの外野なので、以下のエントリーやいくつかのツイートをもとに、青識亜論はなぜアジってしまったのかを読み解いてみる。(このイベントに参加された方しかわからないこともあるので、間違いがあればご指摘ください)
【議事録+感想】これからのフェミニズムについて考える白熱討論会に行ってきた https://note.mu/haruki839/n/n59830d64491b
青識vs石川イベント 感想殴り書き https://note.mu/noteobonai/n/n87e7c9ac557d
ネット上の意見としては、元来の煽り体質や、マウントをとって討論に勝とうとした、という見方が多い。だが、自分としてはそれだけではないように感じた。勝つためならば最初からやってもおかしくない。
参加していた人は御存知だと思いますが、私は論点③はかなり強めにアジテーションに振りました。論点①②は私も会場を引き付けた自信がありましたが、論点③についてはあまり反応が良くなく、「一方的なアジテーションに乗らない」だけの分別のある参加者が集まった、というのは間違いないでしょう。— 青識亜論(せいしき・あろん) (@dokuninjin_blue) November 18, 2019
ここでの論点①~③は後述「補足1」参照
青識は、普段からツイッターなどで物議をかもす言動をしていていろいろと信頼されていないところがあるが、今回自分が企画したこのイベントについては最初から最後までイベントの成功を目指し、来場者の満足感を第一に考えていたように見える。準備段階では、一方的な吊るし上げショーにならないように細心の注意をしていたようだ。
青識さんからは当初、僕が司会をやって欲しいと依頼されたが、僕は「それだとたぶん、パワーバランスがおかしくなって『いじめ』『リンチ』のようなニュアンスで見られる可能性が強くなるから、他のメンバーは石川さん側の人を立てた方がよいです」と伝えた。— 白饅頭(御田寺圭/光属性Vtuber/バーチャルツイッタラー)🌗 (@terrakei07) November 17, 2019
以下の討論会後記からもやり込めるのではなく、彼なりに対話を大事にしたかった思いが伝わってくる。ただ想定する対話のスタイルがあまりにも違いすぎたのは不幸だった。
討論会後記:それでもなお、寛容と対話を(青識亜論) https://dokuninjin7.hatenadiary.jp/entry/2019/11/19/201706
「それ、正解」「まずはここに来た石川さんに拍手を」がどういう文脈でどういうニュアンスで発言されたかについては、議事録からは読み取りにくい。(後述「補足2、3」)
とはいえ、これはあまり弁護の余地はなく、普通に煽りというかナチュラルに超絶上から目線がでちゃったのかなとは思う。
登壇中、石川の話を遮って発言したのは、質問の意図が伝わってなかったり、言葉足らずの説明を(その瞬間だけ進行役となって)補うつもりだったのだと思う。しかしそれは討論相手がやるのは逆効果で感じの悪い行為だったようだ。
前述の青識のツイートにあるように、論点③「これからの「フェミニズム」」で強めにアジテーションをしたようだ。議事録の文字で読むと声量や抑揚が伝わらないためそれほどアジっているように見えない。込められた意味をていねいにひもとくと、以下のようなことが言いたかった(言えばよかった)のではないかと思う。
・フェミの人たちだって最初は小さな声だったが、勇気を出して #MeToo で大きな力となった。
・これを見習って我々も立ち上がって行こう
そしてこれが、多くの来場者へ勇気を与える、このイベントからの最大のメッセージとしたかったのではないだろうか。
だが、そうはならなかった。伝え方とその時点までに醸成させた空気で、会場のみんな一丸となって石川を糾弾しよう、フェミに反撃しよう、というアジテーションに見えてしまった。大変残念なことである。
メーカー製PCってエントリーモデル〜ミドルレンジくらいの製品のメモリ搭載量が少なすぎじゃないかな、と感じる。
今だとどのメーカーも大体8GBしかメモリを積んでなくて、とにかく安くて短期間で使い潰す前提の商品ならともかく、メーカーの主力ブランド製品でも8GBしか積んでない。16GB積んでれば日常的な用途での快適さは全然違うのに。
iMac とか Surface Pro とか、メモリ8GBのモデル買っちゃった人はガッカリするんじゃないのかな。
吉良姓を受け継いだ吉良上野介の子孫はいない。(後に別家が吉良の名を継いだ形で、子孫の方は上杉家や畠山家等におられる)
三河地方に吉良の領地があったのは元禄16年(1703年)までで、それ以降は吉良と三河地方との関係は無い。
近年「実は吉良上野介は地元では名君」っていう話をよく聞くようになった。
「吉良上野介は名君」って言う説を知っている人も多いだろう。
で、その「吉良の地元ってどこだ?」って話になると
案外、知ってる人が少なかったり誤解している人が多かったりすると思う。
恥ずかしながら私もそうで、
三河地方っていうのは知っていたのだけれど
この辺には歴史的な経緯があるそうで、
その後、これら土地は、あちこちの藩やら寺社、旗本の領地なんかに吸収されて
(こういう状態で「吉良の地元」という意識が受け継がれてきたというのには少し無理があるような)
その後、昭和三十年に 横須賀村と吉田町が合併して吉良町が生まれる。
(余談だが吉良には雲母の意があったという)
歴史を知っている人でも、吉良上野介は大昔の隣の殿様という扱いで
古くからの西尾市の人に「吉良上野介の地元」と言われると変な顔をされたわけだ。
んで、もう少し突っ込んで話を聞いてみると、
西尾藩の領民が、吉良が作った堤防により水害が発生して苦しんでいたので
こういう逸話があるぐらいなんで旧西尾藩の地域の人にとっては、
「吉良上野介は地元では名君とされている」と言われるのに抵抗があるみたい。
吉良上野介を地域の名君として賞賛する教育を西尾市の全域で行っているとのこと。
それで地元とは言えない所の子供達にまで「地元の名君」と教えられているそうな。
(吉良の堤防による洪水で、エライ目に遭ってた所だったりしたら洒落にならんな)
調べてみると、
吉良上野介が黄金堤を作って地域の開発に役立ったのかからして怪しいという。
残された絵図面なんかをみると、この地域にあった鎧が淵の新田開発で
近年になって「吉良つながり」で、吉良上野介が担ぎ出されてきたっぽい。
でも、そういう都合で「新しい歴史」をつくっちゃて
堤防などの治水等で名代官と言われる鳥山牛之助(さきほどでた新田開発のトラブルの調停もしている)
なんかの話が、わりとしっかり記録や文献をたどれるのに殆ど注目されなくて、
「らしい」という話しかない吉良上野介だけが「地元の名君」って言われて教育現場で広められている状況は、
なんだかなぁって思ったりする。
吉良上野介が名君であったという話に「吉良の赤馬」という郷土玩具をセットにする人が多い。
「吉良上野介義央は治水事業に心を寄せ、領内の水害を防ぐため、黄金堤を築き、自ら愛馬赤馬に乗り巡視にあたりました。その姿は威風堂々とし、愛馬も大変立派であったので、領民はこれを称えいつしか赤馬と呼ぶようになりました。領内の村に住んでいた村人が江戸・天保年間に子どもの玩具として作ったのが始まりです」
とある。
いわゆる赤穂浪士の討ち入りが元禄15年末(1703年の1月)。
三河の領地を取り上げられる裁定が下ったのが元禄16年(1703年)になる。
「領内の村に住んでいた村人」と言っても、
その時には吉良領は跡形もなくなっている。
昔、吉良の領民だった人も既に死に絶えた後のはず。
実際の記録では吉良上野介が三河の領地を訪れたのは生涯一回だけだったらしい。
直に吉良上野介を見た村人が、後に玩具を作り出したとかいう話なら、
まだなんとなくわかる気がするのだけれど、
百年以上前に一回だけ訪れた殿様の馬を、
わざわざ玩具にしようというのいうのは変だよなぁ。
天保年間には別の殿様が治めている状況なのに。
調べると、さらに興味深い話が出てきて、
この時点では「白馬」なのね。
もし本当に赤馬と吉良上野介の話が元になっていたのなら、
突然、殿様に白馬ってのは出てこないよなぁ
「自ら愛馬赤馬に乗り巡視にあたった」という話自体が後から出た感じがする。
もちろん、こういうのは商品を開発したり売る人が、
色々面白おかしく「いわれ」を主張するのは別に良いと思うのだが、
このエントリーは「吉良上野介が地元では名君」という説が「ちょっと変」っていう話で、
だからといって、これだけでは「名君ではない」とまで言えない。
(西尾藩の領民に洪水被害を出した伝承とかは、ちょっとふれたが)
「名君だと言うならもその根拠資料を出せ」と言っている所もあるそうな。
「吉良上野介が名君だった」という人は、きちんとした資料を出してやれば良いと思うよ。
それを元にして、地域教育とかを書き直していく必要があるんじゃないのかな。
少なくとも教育委員会とか自治体が、根拠に疑問が持たれる話を持ち出して
へんな形で「地元の名君」を作り出そうとするような状態は良くないなぁと。
もっとも「実は、吉良が名君という話は怪しい」というのは、
中々メディアとかでは取り上げにくい話だと思う。
実は「正義の味方だった」と言うのは受けるだろうが
例えば「イメージ通りの悪い人でした」と言っても、
そこには話題性も何も無いわけだ。
この点は、なかなか興味深くて、
必ずしも同じように拡散するわけでは無くて、
このまま誰も異議を唱えないまま残ってしまうんじゃ無かろうか。
とか思ってたら、wikiとかにもわりと詳しく書いてあったわ。
前回のエントリー: https://anond.hatelabo.jp/20191110124914
前々回のエントリー: https://anond.hatelabo.jp/20191026173504
お前らが「買う気ないだろ」って煽るから、近所のヤマダ電機(とっても広い店舗)に行ってきたよ。
以下、所感を書いていくぜ!
【余談】
いきなり話が脱線して恐縮なんだが、あまりにも店舗に客がいなくて驚いたよ。
店舗のかなりの部分が本屋になってたり、片隅でIQOS売ってたり、マッサージ機売り場に陣取る品のない客さえいなかったり、まぁ酷かった。
家電なんてネットで買った方が安いもんな。後述するPCたちもネットより1〜2万円高かったもん。
【Surface Laptop 2, 3】
本題。
あと、ちと重い。Surface ProやGoと差別化してるんだろうけど、据え置き用途のノートだね。
【Surface Pro】
キーボードとトラックパッドが心配だったが、問題なかったよ。キーがヘナヘナしてたりはしない。
だけど、スタイラスペンをバリバリ使いたいならやっぱりiPadだよね。
キーボードが若干窮屈なのが気になる。あと、Officeがバンドルされてる意味が分からない。
でも、コンパクトで軽くて安いのは良い。
【Lenovo】
やたら数は置いてあった。そんなに売れてるの? 君たち中共怖くないの? スペックの割に安価なのは認めるが。
【HUAWEI Matebook】
1機種だけ展示されてた。
言うほどMacBookのパクリではなかった。2K液晶のアドバンテージも分からんかった。
1つも置いてなかったよ。
やっぱり家電量販店でPC買う層って""そういう人たち""なのかな?
山のようにあった。
高い、ウザいプリインストールアプリいっぱいのPC、いったい誰が買うんだ?
【で、どれを買ったの?】
すまんな、買わなかったよ。
むしろどういう人間が店舗でPC買うのかこっちが知りたいくらいだよ。
【総括】
弊社、貸与してくれ。後生だ。
ここ一か月ぐらい?個別エントリーに飛ぶと画面上部にNetflixの動画広告が出てくるようになって、まあ鬱陶しいけどそれにも慣れてきた頃、表示のしかた変えただろ!!!!
日本の大学、特に文系の学問に対する風当たりが厳しい昨今、文系の学者達は自分たちの存在意義を示そうと必死だ。大学で行われている文系の研究は、どう役に立つかはともかく、それ自体研究としてちゃんとしたものなんだ!ということは前提となっているし、みんなそう信じている。文系の先生達は決してSTAP細胞のようなデタラメをやっているのではないと。
だが、それは本当か? 証拠はあるのか? 最先端の研究は専門家でさえ評価が難しい。たとえばアインシュタイン。一般・特殊相対性理論を作ったけど、時代の先を行き過ぎていて正当な評価がされなかったそうで、ノーベル賞は他の業績に対して与えられた。文系の研究も基本的には同じで、研究の良し悪しを判断できる人は極少数だ。だから、知らないうちにトンデモない研究がはびこっていて、それに社会的評価が伴っていても、ほとんどの人にはわからない。専門家が厳正に評価してくれていることを信じるしかない。
本題に入ろう。最近、1つの書評論文が東大の言語学研究室発行の紀要に出た。
田中太一「日本語は「主体的」な言語か―『認知言語類型論原理』について―」『東京大学言語学論集』 41 (2019.9) 295-313
https://www.amazon.co.jp/dp/4814001177/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_6P9YDbPVN9WJ2
著者は、関西外国語大学 短期大学部 英米語学科 准教授の中野研一郎先生。
普通、書評というのは基本的にほめるものだ。批判はあっても最後にちょっとだけ。しかし、この書評は、冷静な筆致でありながら、酷評も酷評、ボロクソ、クソミソ、ケチョンケチョンのフルボッコだ。一個もほめてない。批判が当たっているなら、トンデモ本に違いない。
一番ヤバいのは、この本が博士論文を元にしたものということ! 一応説明しておくと、博士論文とは、最高の学位である「博士」の学位を取るために大学院生が何年もかけて書く長大な論文で、大雑把に言って本1冊以上の分量がある。もちろん、何でもいいからテキトーに書けばいいわけではない(はずだ)。自分のオリジナルで、学術的に価値のあること、つまり、これまで誰も知らなかった知見を新たにもたらして人間の知識を拡大するような研究の成果でなければいけない。どの分野でもそうだ。
そして博士論文の原稿は、3~5人の審査委員が審査する。審査委員は全員、その分野に詳しい大学の教員だ。審査は3回くらいある。まずは博士論文の大枠ができた後、本格的な執筆にゴーサインを出すかを決める一次審査、そして論文が大体書けた後、論文を大学に提出していいかを審査する二次審査、最後に論文が完成し、大学に提出された後、博士の学位を与えるか否かを決める最終審査がある。それぞれ少なくとも1時間はかかる本格的なものだ。ディフェンスと言われる最終審査の口頭試問は、公開で行われる。最後に別室で結果を審議した審査委員が会場に戻ってきて厳かに合格が伝えられると、みんな拍手で心から祝福する。
ミサト:おめでとう!
アスカ:おめでとう!
レイ:おめでとう。
研究者人生のフィナーレではないが、1つのピークである。こうやって研究者の能力にお墨付きを与えるのが大学の存在意義の大きな一部分だ。
要するに、博士号を取るのはとても大変なのだ。日本だと博士号を持っている人は1万人に1人くらいしかいないらしい。日本の大学は入るのは難しいのに出るのは簡単だとよく言われるけど、大学院の博士課程はそうではない。入るのも修士課程ほど楽ではないし、文系では入っても博士号を取れない人の方が多いくらいだ。これだけ大変だから博士号はアカデミアでは評価される。大学教員になるなら、博士じゃないとエントリーすることさえほぼほぼ不可能。『認知言語類型論』の中野先生は、フェイスブックを見たところ、以前は高校の先生だったみたいだけど、博士号をとってから、50歳を過ぎて関西外国語大学の准教授になったようだ。周知の通り、大学の終身雇用教員の座をめぐる争いは非常に激しい。博士号がなかったら就職できなかっただろう。
博士号はどこの大学でとっても価値は同じ、みたいなことを何度か読んだことがあるけど、あれはデマ。真に受けてはいけない。いい大学の博士号ほど高く評価される(Why not?)。中野先生がお持ちの京都大学の博士号は、京大が超一流なのと同様、超一流の博士号だ。50歳を過ぎて大学に就職できたのも不思議ではない。しかも、中野先生の師匠は、日本言語学界の大物中の大物、山梨正明先生だ。『認知言語類型論原理』に山梨先生が解題を寄せているから間違いない。この大先生は、「日本を代表する理論言語学者の一人」([wikipedia:山梨正明])。中野先生が在学していた頃には、日本語用論学会(2008〜2011)や、日本認知言語学会(2009〜2012)の会長を同時に務めもした大物中の大物だ。ちなみに、山梨大先生は2014年度に京大を定年退官して、2015年度からは中野先生より一足早く関西外国語大学で教鞭をとっている。ちょっとややこしい話だが、博士論文の審査が終わる前に京大を定年退官したようで、審査の主査ではないが、審査委員には名を連ねている。https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/199376 博士論文を書くのに何年もかかるから、こういうことはよくある。
さて、超大物お墨付きの博士論文(を元にした本)はどんなもんなんだろうか。書評から拾っていこう。2節は専門的な議論でよくわからないからパス。3節「日本語に存在しないとされるもの」から見ていこう。まず、1節に同書のまとめらしき部分からの引用がある。
「日本語(やまとことば)」を深層とする日本語において、「形容詞 (adjective)」・「主語 (subject)/目的語 (object)」・「態(voice)」・「時制 (tense)」・「格 (case)」・「他動詞 (transitive verb)/自動詞 (intransitive verb)」といった、従来ア・プリオリに前提とされていた統語・文法カテゴリが妥当していないことも論証した。さらに、「膠着」言語の一つである「日本語」においては、その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしていることを論じた。
(『認知言語類型論原理』[以下、中野 2017] p. 308、書評論文[以下、田中 2019]p. 295から禁断の孫引き。以下、同書の引用は全て孫引き)
昔、『日本語に主語はいらない 百年の誤謬を正す』[amazon:日本語に主語はいらない]という本が出て、言語学者に酷評されたことがある。金谷武洋『日本語に主語はいらない』批判記事一覧 - 誰がログ https://dlit.hatenadiary.com/entry/20071216/1197757579
主語がいらないと言っただけでそうなったのに、『認知言語類型論原理』は、ミニマリストの断捨離なんてもんじゃない。主語だけじゃなく、形容詞、態、時制、格、自動詞/他動詞も、いらない、何も、捨ててしまおう~♪と謳っているらしい。全部なしで日本語の文法はどうなっているのかというと、「その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしている」ということらしい。
これは熊倉千之氏の「音象徴」理論に基づいているそうで、熊倉氏は、
膠着語にかんして、「イメージとイメージを膠でつけるように、ことばができているのです。ですから、具体的なモノとモノをつなげると、言語(コト) としての「抽象」 性が生まれ、新しいことばが作られるのです (熊倉 2011: 18)と述べた上で、日本語の音素はそれぞれ何らかのイメージを持つという観察を根拠に、やまとことばの「音声と意味」には、ソシュールの説に反して、「恣意的」ではなく、密接な繋がりが感じられる」 (熊倉 2011: 30) と主張している。
とのこと。
近代言語学の父、ソシュールの一番有名な恣意性の原理を否定しているが、それ自体はない話ではない。音象徴が当てはまる例として、ポケモンとか怪獣の名前は、音と意味の関係が全く恣意的なわけではない、みたいなことが最近よく言われている。ただ音象徴は基本的にオノマトペ(擬音語・擬態語)や新たに名前を付けるものについての話、しかもあくまで傾向性。言語全体の「語・語句・節の生成メカニズム」になるようなものとして扱われてはいない。しかし、中野説はそういった主流の音象徴研究とは一線を画する。具体的に見てみると、
「あ/a/」は「空間出来の語基」 として、「い/i/・居」 は「様態化の語基」 として、「う /u/・続」 は「プロセス化の語基」 として、 「音象徴」 により語彙を創発させる機能を担っているのである(中野 2017: 247) 。
知らなかったー、日本語ってすごいですね(棒)。たとえば、「合う・会う」は、「あ/a/」+「う /u/」だから、「(出来)動詞」だそうだ。書評子が、
「「出来」が「プロセス化」すると「合う・会う」になるという説明は到底理解できるものではない」(田中 2019: 309)
と言う通りだ。「あい」(愛とか藍)はどうなるんだろう。中野先生によると、音象徴は
「日本語(やまとことば)」の同音異義の語の数の多さと、またオノマトペの豊穣さの、母体にもなっている」 (中野 2017:232)
この主張は、本書の議論を決定的に破綻させるものである。もし「音=意味」という恣意的でない結びつきが存在するならば、同じ音を(同じ順序で)組み合わせれば同じ意味になるはずである。同音異義語の存在が極少数に限られるならともかく、その数が多いのであれば、日本語の全体を「音象徴」に基づいて分析することが不可能であることは自明である。(田中 2019: 310)
確かに。他にも、中野先生は「確かに」・「達する」・「頼みます」・「たった、これだけですか」・「立つ」・「経つ」・「絶つ」・「裁つ」などを例に、
「日本語(やまとことば)」では、音部分が同根であれば、「音象徴」に基づき、その意味・機能も通底している 。 [中略] 「た/ta/」音を語頭とする語は「心的確定(確信)」を基に語彙が生成していることが理解できる。「日本語 やまとことば」の「た/ta/」音は、「音象徴」において「確信」を「意味」とする「音」なのである。 (中野 2017: 255)
と言っているそうだが、「立つ」とか中野先生自身の例でさえ、どこが確信と関係があるのかわからない例もある。この説が無理なのはよく考えてみるまでもない。
そもそも、「音象徴」なんて流行りのタームを中野先生や熊倉氏は使っているが、こういう説は「音義説」[wikipedia:音義説]と言うのがより正確だ。近代以前に唱える人がたまにいたけど、今ではググるとわかる通り素人が唱えているだけのものだ。ちなみに、このような形で同書に大きな影響を与えた熊倉千之氏とは、
1980年「『源氏物語』の語りの時間」でカリフォルニア大学バークレー校にてPh.D.取得。ミシガン大学、サンフランシスコ州立大学などで日本語・日本文学を教える。1988年に帰国後、東京家政学院大学教授、1999年金城学院大学教授。2007年退職。
という人。ウィキペディアでは一応「日本文学者・日本語学者」となってはいるけど、専門はどう見ても文学。言語について言語学界とは関係なく自由に思索・著述をしている人のようだ。そういう独自の言語論を唱える文学や思想の研究者はよくいるけど、普通の言語学者はそういうのはまともに相手にしない。『認知言語類型論原理』もその類の本だったなら、東大で言語学を学ぶ書評子も取り合わなかっただろう。でも、これは京大の言語科学講座で博士号をとるために書かれた論文(が元になった本)なのだ。
他にも同書には、業界震撼の主張が満載みたいだ。是非同書を買って私の代わりに確認してみてほしい。
ちなみに、なんで日本語が英語などと違ってこうなってるかと言うと、中野先生によると、日本語は歴史的に文字を持たなかったからだそうだ。とはいえ、英語だってそうだし、文字で残っている歴史の長さも日本語と同じくらいなんだけど。っていうか、どの言語も昔々は文字がなかっただろ!
ということで、書評の内容は変な言いがかりではないようだ。そもそもこんな空前絶後の激辛書評論文を大学院生が書くこと自体大きなリスクを伴う。(書評子、いろいろ大丈夫か?)無理なイチャモンをつけるためにそんな危険を冒すわけがないし、出版前に東大で止められるだろう。ま、『認知言語類型論原理』は、博士論文の審査から本の出版にいたるまで、誰にも止められなかったみたいだけど!
もう終わりにしよう。書評の批判が当たっているなら、こういうことだ。超大物教員の指導の元、こんな博士論文が書かれ、専門家達が「厳正な」審査をし、超一流の博士号が授与され、それをテコに大学で職を得た人がいる。これがわかったのは、本が出版されたおかげだ。ちなみにこの本、名もない出版社からではなく、京都大学出版会が出している。もちろん、本の出版は著者が勝手にできることではない。本の最後に超大物元指導教員が「解題」を寄せているから、知らなかったはずはない。解題を見てみたところ、基本的にほめていて、特に批判らしい批判はなかった。実はその解題、公開されている博士論文の審査結果の要旨とほとんど同じ。
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/199376/1/ynink00705.pdf
本論文は、個別言語における認知メカニズムの解明によって言語固有の形式・文法カテゴリが創発する根源的理由の説明を試みた意欲的研究であり、認知言語類型論という新た
Hagex氏の事件の公判に関連するいくつかのエントリがきっかけです。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4677140659072830018/comment/masa_bob
たまに、というか定期的に、はてなで揶揄される(ヲチの対象にされる、と言い換えてもいい)エントリーあるいはユーザーが現れます。上記のブコメに書かれている、かつて「コメダ珈琲での新聞のホチキスの止め方を批判したユーザー」もその一人です。多くのはてなユーザーから揶揄され嘲笑される対象として扱われていたことは、ブコメから察せることと思います。
彼の言い分はとても狭量であり、その主張には違和感を抱く部分があったと自分は思います。
しかし、それにしてもはてなで晒し者にされ、悪意に満ちたネーミングをされていい人間などおらず、同時に、他人を“オモチャ”呼ばわりをする人間については、賢いかもしれませんが当該エントリー以上に狭量で悪意に満ち、品性下劣だと言わざるを得ません。
これは余談でしかありませんが、当時揶揄されたその方は、おそらくその件とは全く無関係ですが、その後精神を病み、現在は休職していることを最近ではブログに綴っています。
さて、話を戻します。Hagexさん事件の被告人は、確かにいわゆる“無敵の人”に類型されうるタイプの方だったのかもしれません。
しかし、すでに多くの方が指摘されているように、被告人の暴言は“叩いていい人と見るや寄ってたかって叩く”という構図への義憤に端を発していた部分もあるように思います(それだけが全てとは思いませんが)。
ネットリンチへの抗議が罵倒であることによって抗議の正当性自体も地に堕ちると自分は考えます。しかしそういう意味では、被告人は、加害者であり被害者でもあったのではないでしょうか。
そして、このことに無自覚であり続ける限り、必ずまた痛ましい事件は繰り返されるでしょう。
無敵の人からいかにして身を守るか、について議論は活発に交わされているのに比べて(身を守る術はない、という意見含め)、人を追い詰めないためにとるべき態度、というものについて、多くの人が言葉を割いているようには思えません。
自分は、痛ましい事件を減らすためには、経済的支援は必須であると考えていますが、その上で、これほど軽やかにリンチや私刑が起き、そのことが自覚されずに繰り返され続けていることについて、事あるごとに警鐘を鳴らし続ける必要があると考えます。
自分自身、これまでその醜い行為に加担したことがない、とは口が裂けても言えません。
意見への反論、間違いの指摘、そうしたものは活発に行われるべきだと思います。物事の反証や議論こそが、はてなの提供した素晴らしいもののひとつだと考えます。
しかし、時としてそれが、正しさをかさに嗜虐心を満たす自分を正当化する、自分自身への言い訳になっていないと断言できる人はどれほどいるでしょうか。
もちろん、どこまでがセーフでどこからがオーバーキルなのか、その見極めは決して簡単ではありません。
ただ、Hagex氏のような、人を玩具扱いするような発言がある種の“賢い”方の露悪的な、あえての振る舞いだったとしても、その行為は醜いと自分は思います。人を「低能」と罵倒することから被告人の呼称が「低能先生」だったとして、それはやはり蔑称であると思います。
氏が殺された動機は逆恨みでした。逆恨みではなかったとしても、人が殺されていい理由など、そもそも存在しません。しかし、原因の少なくとも一端はそうした構造にあったと考えれば、殺されていたのは自分であったかもしれないという可能性にも思いを馳せることはできるように思います。
誤解なきようにはっきりさせておきますが、今回の事件とは無関係の、冒頭にあげたはてな村で一時期いじりの対象にされた方が無敵の人になり得る、という意味ではありません。
痛ましい事件から何も学ばなければ、誰もが、被害者にも加害者にもなり得るのだということを、今一度はっきり主張しておきたいと思います。
はてなが、人間を容易に被害者にも加害者にもさせる悪意の温床とならないことを、切に望みます。事件はすでに起きてしまいましたが、わたしは、そこから学ぶことをもって、死者を悼む言葉に代えたいと思います。
広く読まれると良いと思って書いたので、読んでいただきありがとうございます。
すぐアクションしたかったのですが仕事の兼ね合いでできませんでした。
また、冒頭にあげた、事件とは無関係のユーザーについて。はてなでの罵詈雑言が精神を病んだ原因であるという趣旨の記述ではなく、醜悪な出来事の一つとして指摘したつもりでしたが、誤解をあたえかねない文章でしたので、修正済みです。
以下、自分の誤ちですのでちゃんと残しておきたいため修正はしませんがお詫びです。
自分に返ってきたブーメランは「はてな村」と「無敵の人」というレッテル貼りでした。
前者について、一応端くれとして住民である自負もあったので、自虐というわけでもないですが使ってしまいました。「はてなユーザー」とするべきでした。
後者について、自分は無意識で使ってしまっていましたが、安直なレッテル貼りという指摘をうけてその通りだったと気付きました。失うものの怖さを持たない、向こう見ずな犯罪者、ときちんと述べるべきでした。
「ならばこの迷惑犯を、どう呼べば良かった?」これに尽きる
ごめんなさい。これについて、自分も答えは持っていません。「被告」で通じる文脈を綴り呼称を避けています。刑が確定すればまた違いますが、「Hagex氏刺殺犯」「M被告」などと呼ぶしかありません。
事件以前、はてなにおいて当人をどう呼称すべきだったか。自分自身は呼称を避けていましたが(それほど日常的にコメントをつけてブコメもしないため)、むしろ「低能先生」と呼びながらも当人を諌め対話を試みていた人の方が誠実であったと思います。はてなのヘビーユーザーほどその扱いを持て余していたこともわかります。
ただ、どれほど逸脱した人間であろうと、それらすべてが自分の発言に端を発するものだったとしても、「低能先生」や、例えば「性の喜びおじさん」といった呼称は蔑称であり、不特定多数が1人の人間を名指すべきではないと、やはり自分は思います。
それもある種の自衛的行動であるのかもしれませんが、悪意に悪意で返すのも危険であると考えます。
当人自身がどう受け止めていたかとは別に、その蔑称がその後の言動や考えに影響を与えない、とは到底思えないからです。
自分に加害意識があるならハゲの人をスケープゴートしないで自分の問題として書けよ。あの人は自ブログで文責持ってやってた点だけは増田の100万倍誠実だろ
その通りです。彼は覚悟をもってそのリスクを自分で負っていたのでしょう。結果、殺されてしまいました。自分は臆病なので、人を傷つけるのも自分が傷つくのも苦手です。
もはや、当たり前のようにネットは現実と地続きになっています。だからなおさら、繰り返しになりますが、悪意に悪意で返すのは危険だと考えます。目の前で誰かが危険にさらされていれば止めなければいけませんが、危急の事情がなければ、通報し続けるしかありません(多くのユーザーが運営に通報し続けたことは知っています)。
過剰な集団リンチと正当な批判の境目は何処に
それについて言及する際に、言及する当人が考え続けるしかないかと思います。
低能先生は呼び名を変えるだけでは救われなかったし、増田の言っていることは完全に筋違いとすぐにわかる
あの人の言い分だとそもそも批判の仕方がどうこうとか関係なさそうなのでこの増田の言い分は一般的には兎も角この件では的を外してるように思う
後出しジャンケン。Hagexの下品な煽りは咎めておきながら500回複垢取得してidコールで罵倒してくる方をスルーするのは「人を刺した本物のキチガイ」という答え合わせが済んでるから。
これはひとりひとりへの警鐘程度ではどうにもならない問題。構造、システム、地形によって実現している現象だから。ツイート、コメントが無制限に集約される場とどうつきあっていくかというアプローチが要る。
すべてその通りだと思います。どう振舞っていても、時と場所、相手が違ったかもしれないだけで、結果的に痛ましい事件は起きたかもしません。
「後出しジャンケン」というのも指摘の通りです。ただ、後出しであっても、これまでもこれからもはてなユーザーである限りは、自分は考え続けるべきであると思っています。
そして、システムの改善について考えること、自分の行いを省みること、それらはどちらも必要であると考えます。
いじめは楽しいから続くのであって"醜い行為"とか言っても抑止にはならんよな
そんなことはない、と思っています。確かに嗜虐心を満たす行為は、それこそ病みつきになるほどの快楽を伴うことがあるのを自分も否定しません。しかしそれ以上に、例えば自分の場合は“ダサい”ことをしたくないという行動原理があります。
かっこよくありたい、見栄を張りたいという欲望も、人間にとっては強い魅力を持っています。
安全な場所から他人を不当に攻撃するのは醜い、ダサいと言い続けることには、効力があるがゆえに意味がある。自分はそう考えます。
私ははてなブックマーク上でネットリンチが行われていると感じている方なんだけど、はてな運営はどう考えているのだろう。
ブコメはネットリンチ、ネットいじめになり得ないと考えているのだろうか。
最近はそういうエントリーがホットエントリー入りしないような気がするけど、ハゲがいなくなったせいなのか、それともはてな運営がホットエントリー入りしないようにしているのか。
事件の数ヶ月前にフミコフミオは北条かやにちゃちゃ入れてたけど、もうあの頃の芸風に戻らないのだろうか。
主観としては、事件前のはてな運営はネットリンチのようなブコメを黙認どころか、これこそがはてなのコミュニティみたいなノリだったような気がしているのだけど、当事者はどうだったのだろう。
いつ潰れるかわからないような会社で人事をやっていてモヤモヤを抱えている。
そんなところに60歳前後の人がよく応募してくる。
うちの会社は特殊で創業まもないこともあり、いたるところでディスカッションが行われ、方針が一週間前と真逆になることもある。
求める重要なスキルを簡潔に言うとミッションやビジョンに共感し、チームで目標を達成する姿勢があることで、他のスキルは重要視していません。
未経験の方には簡単な仕事からやってもらって、徐々にスキルアップをしてくれればなと思って入るのですが、60歳近い人には厳しいんじゃないかなーと感じている。
雇用対策法では、
「求人票は年齢不問としながらも、年齢を理由に応募を断ったり、書類選考や面接で年齢を理由に採否を決定する行為は法の規定に反します。」
となっているので書類選考を行うために履歴書、職務経歴書の提出をお願いしているのだけれど、年配の方で通過できた人はいない。
「ばりばりスタートアップしか経験してきてません」という人がいれば面談まで繋がるかもしれないけど、そんな人が来るとも思えないし、なんなんだろうなぁと日々感じています。
せめて不快に思った人が不快だと表明して批判する自由ぐらい、表現の自由戦士としては受容してほしいなぁ。— 弁護士南川麻由子 (@lawyerMAYUZO) 2019年11月8日
また新キャラが出てきて草。
あの炎上商法をする弁護士と言い、フェミ界隈は碌でも無い弁護士しかいないな。
そもそも表現の自由戦士にしろ、ネトウヨにしろ、パヨクにしろ、蔑称なのは間違いないのだから、匿名ならばともかく、実名且つ弁護士ならば、もう少し考えて発言しろと言う話だよな。
しかし弁護士と言えば、昔はイメージだけでビビる人も多かったけど、件のあの一件以来、今ではその手の人間が肩書を使って暴れているイメージが世間でもすっかり付きだしたように思う。
前回のエントリー: https://anond.hatelabo.jp/20191026173504
たくさんのブコメありがとな。おじさん嬉しいよ。
一度チャレンジしたことがあるんだが、MacBookのトラックパッドとWindowsの相性が悪すぎてダメ。
【Surface】
ヤフオクの出品状況見たんだが、あんまり出品されてない。流行ってないの?
欲を言えば、数年後買い換えるとき高値で売却できるマシンが欲しい。
【Let's note】
スペックは申し分ないが高い。
ワシは新品が欲しいんじゃ……
【MateBook】
ただ、ファーウェイというか中共にデータぶっこ抜かれるのが怖い。
使い潰すこと前提なら悪くないかも。
分からん。
新品が欲しい。
だいたいこんな感じ。
今の状態を鬱というには甘えだろうか…
しばらく研究室に行けてない、行きたくなく家に閉じこもってかれこれ2週間経ち、空腹を抑えるだけの無気力な生活が続いている
こうなったのにも原因があるのだが客観的に見た自分の状況を知りたくて今に至るまでを対話形式で書いてみた。
3月
4月
教授「お前は俺の下につけ」
ボク「わかりました!テーマなど貰えるのでしょうか?」
ボク「え、これって液晶じゃないんじゃ…」
この時から教授の押しの強さや先輩方の研究に対する意欲の低さに違和感を覚えていた。
5月
ボク「展望など教えていただけないでしょうか?研究の参考にしたいもので」
教授「お前は先の事ばかり考えすぎた、今言われていることをやれ」
この時から外部も視野に入れ行動、ちょうど同じレベルぐらいの他大学に液晶の研究をしていらっしゃる有名な先生を見つけ訪問、とてもホワイトで自由な研究室であることや研究室の学生の意欲の高さに感動する。
6月
教授「そろそろ大学院推薦願書の締めだが君の分が届いていないようだが?」
ボク「他大学も視野に入れているので一般受験で受けようと考えています」
この研究室がやばかった時の保険&訪問先の研究室への魅力から、受験までの間のこの研究室の様子を見て進路を決めようと決意
推薦進学すると他大学の受験が実質不可能になるので教授にはこの段階でばれる
7月
ボク「あの、この合成が終わったのですが次はどうしましょう?」
教授「好きにやれといったはずだ、テーマから何から1から自分で決めろよ、俺に頼るな忙しいんだ」
この時点でヤバいと思った。研究のテーマを自分で見つけて実行するなんて普通なら優秀なM2(大学院2年生)かD1(M2のさらに上の1年生)からの仕事だと後で准教授から聞いた。この時点で漠然とした気持ちから研究に身が入らなくなり、院試勉強に精を注いだ。
8月
9月前半
教授「お前院試も終わったんだからそろそろテーマ決めろよ、そのために学会の話もってきたからさ笑」
ボク「院試期間研究はしなかったので急に言われても厳しいです…ちなみにエントリー期限は…?」
教授「3日後だ。オレのメンツもかかってんだから絶対に出ろよ。ちなみにエントリーにはテーマ必要だから笑」
結局、3日間で死に物狂いで調べて考えてを繰り返したものの素人が考え付くアイデアなんて殆どその道の専門家にやりつくされているものばかりで、院試前にもしもの為に考えていたかなり無謀なテーマで提出した。
9月後半
教授「この装置使っちゃダメ、うちでは400℃までしか使ってないから」
ボク「念のため説明書を調べたのですが1100℃まで可能なようです。ボクの使う温度は700℃なのでやらせていただけないでしょうか?」
教授「お前リスク考えろよ、こんな意味のない研究の為に装置ぶっ壊すリスク負うつもりかよ?」
議論の中心となるデータを得るための測定がわけのわからない理由でつぶされ、学会に出すためのデータが1つに絞られてしまう。
10月
ボク「あの測定装置が使えない現状で今のテーマに沿った研究は厳しいです…」
教授「じゃあ仕方ないから提出したテーマに沿った別の研究考えて」
提出したテーマは広義の語句(機能改善といった類の語)を多く含むものだったのでまだ切り替えが効いた。
ボク「テーマと計画を考えました。試薬を発注すれば何とか結果がでるかもしれません」
教授「でるかもじゃダメだろ、出さないと試薬発注の意味がないだろ?来年はもういないお前の為に試薬発注なんてしてたら研究室に手つかずの試薬が増えるだけだろ?」
結局、自分が使おうとしている装置は誤差がひどく、±3程度の誤差が出てしまっていました。これでは結局発注してもその誤差が原因で信頼できるデータではなくなってしまうためこの計画も没になりました。
最後の覚悟で教授に研究相談をしに行きましたが、まあわかっていたことですがまともに取り合ってもらえませんでした。何をやっても否定されるこの状況が自分には耐えきれず、研究室に通う事すら難しくなっていき、結局連続で休みを頂いて2週間目になってしまいました。
まさか大学院を外部にするというだけでここまでの仕打ちを受けるとは夢にも思いませんでした。そして家から出る気力も最近はなくなり引きこもっています。これっていわゆるアカハラなんですかね…
店主、と思わしき人から反論が来ていて驚いた。多分本物だとは思うが・・・
明日から仕事なんで、時間がなく、あまり丁寧には書けないかもしれないけれど、とりあえず言うべき事は言っておく。まず大事な事として、自分は@luciferalphaさんではない。この方は完全にとばっちりを受けていて、おまけに不特定多数から人格攻撃も受けていて、めちゃ可哀想だ。どうかそのような発言を彼に浴びせている人は、止めて欲しい。自分が名指ししたわけではないが、何か巻き込んでしまって、本当に申し訳無い。店主さんもマジでこの人だけには謝っておいた方がいい。ちなみに自分はもっと若い世代で、かつ、店内に居た時間も20分、行っても30分に満たないはずだし、注意に至ってから購入まで、3分と時間は経っていないと思うし、そんな1箇所に留まってメモり続けてもいない。自分が常識と思える範囲内で店内をゆるゆると回って、面白そうなもの見つけては、これどんなんだろ?と思い、検索して試聴はしていただけだ。釣りでなければ、多分その日に注意した完全な別人なのではと思う(釣りだとしたらまじ悪質)。まあそんな比較的若輩者な自分でもその場の慣習と言われれば、正すぐらいの柔軟さや常識はあるので、もし何か変なことやってたら注意して欲しい。ただ今の所、オンラインで購入出来るという事が解った今、店に行く理由は無くなっているけれど。(まあオンラインで売ってくれるかは解らないけれど)
あと、店主さんには特定されるような書き方をしてしまった事を謝りたい。YouTubeで最近話題になってるカセット専門店とか書いたら、そりゃ絞られちゃうよね。店のスタンスを説明する良い機会になってくれているのならば、良いのかもしれないけれど・・・。改めて申し訳無い。
あと、店のスタンスを読んだ上では、僕は残念ながらこの店のスタンスに共感が出来ないし、正直な所入りにくい店だなという印象だ。多分この関連の話でネットでの反応を見る限り、More Recordsのようにネットで聴かれる前提のお店の方が自分には合うのだろうから、実店舗ならそういう店に行こうと思う。
とりあえず店主さん、色々こちらも迷惑かけてすまなかったけれど、@luciferalphaさんにだけはちゃんと謝るんだ。約束だぞ。
追記:
今日も時間が無いので、雑になるかもしれないが、ふつふつとこみ上げてくるものがあったので、書く。まず店主のエントリーの方だが、よくよく読み返してみると、会話の内容は「口頭でのやり取りは「この人物」の記述の通りです。言い方の違いは多少ありますが、内容自体に誤りはありません。」とあるので、間違いなく自分の事を指して言っているのだと思う。ただそれと同時に、間違いなく、自分の時間間隔が完全にイカれていない限り、在店時間1時間~1時間半は絶対にありえない。もっとも店主はウソを意図的に書いたとも思わない。多分仕事しながら一人の客でしかない自分をちらっ、ちらっ、見ていただけなので、自分の在店時間を正確に捉えられない事は多いに考えられる。
そこまで他の客に迷惑になる行為には覚えが無い。もしかしたらリュックを背負いながら店内を歩いていたから、店内スペースからすれば、多少通路を通りにくくしてしまっていたかもしれない。また店主は「混み合っている店内」と表現していたが、自分の記憶では店内に居た客は、自分を含め5~6人だったはず。店内のスペースを考慮すれば、混み合っているとも混み合っていないとも言える。まあ客はそこそこいたという表現でいいだろう。そして自分は前述の通り、普通に店内を、「これはどんな音源なんだろ?」と思いながら、スマホで調べながら普通に回っていただけだ。
多分、何も知らない第三者で、自分を集団で寄って集って集って叩きたい人々、店主の肩を持ちたい人々の中には、「お前はウソを言っている」「胡散臭い」「もっと迷惑な行為をしていたに違いない」「ああに違いない」「こうに違いない」などと、誹謗中傷するのだろう。何も見たわけではないのに。経験上、このような人々は、客観的事実を見せて、反証しない限り、その主張を曲げない傾向がある。そして自分はその客観的事実を示せるものを持っていない。あるとすれば店内に設置されているだろう防犯カメラか、或いはその周囲にいる中立的な立場の人間に証言だろう。防犯カメラに写っているのが自分だと特定されない事が保証されるのならば、いくらでもその防犯カメラの映像を見て欲しい所だ。それで自分がどれぐらい店にいたのか、どういう振る舞いをしていたのかがはっきり解るのだから(言っておくけれど、この発言は肖像権を捨てる意図の発言ではない)。以上の理由で自分そういう人達を説得し、見解を変える術を持たない。なので、すごく腹立たしい気分でありながらも、諦観する他ない。
まだまだ言い足りないが、今日はここまでにする。