はてなキーワード: 沈黙とは
初めての彼女だから色々ロマンチックな事をしたい気持ちはわかるんだけど、
相手の事まだよくわかってないうちに、プラネタリウムとか夜景とか静かな所に行くのってけっこう難易度高いで…
よっぽどトークスキルに自信があるとか相性がいいんだったらいいけど、沈黙が続いて辛くなるぞ。自分も相手も気を使いすぎて疲れるわ。
話題が無いからむりやりひねり出して変な事聞いたり、変なタイミングで甘い言葉()なんてしてしまったら相手からイメージ悪くなるし。あと相手がそれなりに彼氏作って経験つんでるとしたら、夜景とか結構見飽きてる子多いよ、都心に住んでるならなら特に。
最初は程ほどににぎやかな所、話題作りやすそうな所の方がいいと私は思う。
素朴に疑問だけれども北方四島って、戦争しないでどーやったら取り戻せるのか?
外交で解決すると言っても、何十年も解決できずにいるわけでしょ。
竹島もそうだけど、実効支配が続いている領域については、もう日本の領土って言わなきゃいいのに。
売国奴! とか言われそうだけどさ。
かつての島民の思いだとか、先祖代々のお墓が、だとか色々あるでしょうけど、それはもう戦争が悪かったで沈黙してもらおう。
ほら、満蒙開拓団とかで大陸に渡ってた人たちだって財産を投げ出し、娘や嫁を中ソに供出して逃げてきた人だっているわけでしょ。
そーいう人たちは戦争が悪かった負けたのが悪かったで、戦後はみんな沈黙するか「いやー大変だった」って終わってるじゃない。
だから北方四島のかつての島民だとかのお気持ちは大事だけど、あきらめてもらって、日本も政府としても、戦争で負けたのが悪かった、混乱時にやられちゃったであきらめましょう。
娘が好きになりそうなものを、フォンさんは率先して好きになることで親子の絆を築いた。
時が経ち、なんのためにやっていたかフォンさん自身は忘れていたが、あの『キュークール』によってその習性が呼び起こされたらしい。
「好きなものを好きなように愛でる、お父様はそれをワタクシに教えてくれていた。その想いの強さを、大人になって改めて実感しました。涙がちょちょぎれましたわ……」
俺はさすがに涙は出てこないが、確かに悲しい話だと思う。
子供のために自分を捨てた人間が、今はただ自分を見失っている。
自分のためにやる趣味なのに、そこに自分がいないんだから虚しいのは当たり前だ。
当事者ともいえるジョウ先輩にとって、そんな父の姿は見るに堪えないだろう。
「……ですが、それでも、野暮を承知で、あえてワタクシはお父様に言わなければなりません」
ジョウ先輩は袖で涙やらその他もろもろの汁を拭う。
そして意を決し、慈悲に溢れた言葉をフォンさんに送った。
「っっっ!?」
それがフォンさんの脳天に打ち込まれた。
「がっ……は……」
「い、言いやがったぞ、あのドギツい格好した嬢ちゃん。オレたちが言わないことを、平然と」
「社会的に自立した子が、親の趣味に物申すってのはよっぽどですよ」
「言うにしても、もう少し穏当な表現もあったでしょうに、まさかあそこまで……」
愛娘からモロに喰らった急所攻撃に、フォンさんは呼吸もままならない。
だが愚かな真似をしていると思ったのなら、言ってやるべきだ。
少なくとも、互いを想い合っている親子ならば。
「み、みっともない……ワタシが……」
「好きなものを貫くということは、自分を貫くということです。今のお父様に、その高潔さはまるで感じられませんわ。自分の心に嘘をついて、半ば意地になってやっている。そうでしょう?」
こんなことを言っているが、ジョウ先輩も少し前までは趣味に対して大人気なかった。
俺の弟と新発売のカードを巡って小競り合いを起こしたこともある。
「趣味は自分自身の“心”がモノを言います。ですが自分の“心”さえ誤魔化していたら、それは趣味として不適切ですわ」
だけど、社会人を続けていく中で何か思うところでもあったのだろう。
人はいくつになっても学べる。
その学びを、今度は自分の親に教えているのかもしれない。
「それに、お父様。ワタクシもう成人してましてよ? さすがにキュアキュアは卒業しましたわ。だから同じジャンルの『キュークール』も観ていませんの」
「ソツギョウ? 卒業ってなんだ。好きなものに卒業なんてものはないんだぞ」
「お父様の手前、今まで言いにくかったのですが……とうの昔に興味を失っていましたわ。大した理由もありません。蝶が蜜を吸うのと同じですわ」
「な、なに?」
「お父さまがいつも言っていたことですわ。『他人の趣味にケチをつけるな』と。だからワタクシも言わないようにしていたのです。でも、未だに誘ってくるんですもの」
お互いのことを想っていたのに、すれ違っていたんだな。
その肩身の狭さに耐えられるほど、フォンさんの『キュークール』に対する想いは強くない。
娘への想いがきっかけで始めたんだ、娘には勝てない。
「はは……ワタシは娘の卒業式を見そびれたというわけか」
「お父様……あなたの“趣味そのもの”に文句を言うつもりは、今でも毛頭ありませんわ。いくつになっても、環境が変わろうとも、好きなものをを貫く姿は素晴らしいと思います。ですが、“趣味との付き合い方”まで同じであろうともがく、そのお姿は美しくありませんわ」
こうして十数年越しに、娘の手から、フォンさんへ卒業証書が渡されたのであった。
「感動的な親子シーンですね……」
それから数日後、フォンさんはまるで憑き物が落ちたかのように元に戻った。
本当にあの『キュークール』には変な魔力でもあったのだろうか。
「フォンさん、最近『キュークール』の話をしませんね。少し前までは、隙あらば語っていたのに」
「ええ、年甲斐もなく、ちょっとハシャぎ過ぎましたからね。これからは等身大の楽しみ方をしますよ」
フォンさんは、そう爽やかに答えた。
「“等身大”……ねえ」
ふと周りを見渡すと、スタッフ全員がフォンさんに冷ややかな視線を向けていた。
やあ 大きいお友達
そのサブカル論
痛々しくて キモい
体と 景色は
ずっと前に 通り過ぎた
けれど心は そこかい
『時事問題をネットで収集したり意見するネットユーザー層は「従軍慰安婦問題」しかり「南京大虐殺問題」しかり、ネットでの情報収集能力が高いため、これらの「問題」がいかに中国や韓国や日本の一部メディアにより事実を湾曲して「拡大」していったのか、よく知っている層』
『田母神氏の台頭は、「大雪のせい」ではなく、そして「日本は右傾化した」のではなく、今まで情報量が少なくマスメディアの報道などを鵜呑みにし「沈黙」を余儀なくされていた有権者の一部が、ネットなどのツールの発達により情報収集能力を高め、本当の「事実」に気づいた層が着実に増えている証左なのだと云えましょう。』
そしたら16000円とられた。ノルレボ1錠で。
避妊失敗から72時間の有効期間のうち、結構ぎりぎりのタイミングだったけど、
仕事もあるしそんなにいつでもすぐに婦人科に行けるわけではないので、72時間以内に飲めればいいと思って行った。
(あと東京の都心の婦人科クリニックは初診だと要予約の場合が圧倒的に多くて、電話口で絶対緊急すぐに、と強い心で言い張れないとすぐには診察受けれない)
「タイミング的に妊娠する可能性は低いと思うのですが、この日に性交渉があって、これこれこういうわけで、念の為にアフターピルをください」
医「あー、そのタイミングだと何とも言えないねーー(ため息)」
「はい、そうですよね。。(だからアフターピルをくれって言ってるんだけどな…)」
医「まーー、わかんないねーー。いつなしでしたの」
「いや、してなかったわけじゃないんですけど…」
医「いつ失敗したの」
医「あー、わっかんないねーーー。どうだろうねーー」
「(沈黙、そんなの誰にも分かんないに決まってるじゃん…)」
医「で、どうするの??」
医「あー、飲みたいのね。じゃぁ出しとくね。この後すぐ飲んでください。」
〜診察完〜
その後に窓口で16,000円強請求された。ノルレボ錠一個で。ぶったまげた。
保険効かないとは分かっていたけど、16000円だ。
錠剤一個だけの薬で。美容整形や脱毛じゃない、身を守るのに使う緊急避妊薬で。
どういうこと??
高校生とか大学生なんて、すぐには払えないお金じゃん……不幸じゃん…
おまけに、あのただの嫌がらせのような問診。
腹が立って、医院を出て即パートナーに「16000円とられた」と連絡した。
別にパートナーに腹を立てた訳じゃないんだけど、等しく負担してもらわないと気がおさまらない。幸い相手はすぐ、ごめんと言って払ってくれた。
米Amazonで調べたら、向こうでは緊急避妊薬は3000円くらいでネットで買えた。
日本でこんなに高いのは、不用心な性行為をした女どもへの懲罰的意味合いがあるのだろうか。
若い子だったら、高校生の女の子とかだったらどうするんだろう……
まず親に見つからずに婦人科に行くこと自体ハードルかなり高いし、16000円なんてすぐありっこないじゃん?
理不尽すぎて3日間ぐらい腹を立ててた。
若い女の子だけが負担が大きくて不幸になる価格設定や処方方法はおかしい。絶対おかしい。
同じ保険外のピル1シート27錠が4000円そこらで、同じようなホルモン剤のノルレボが、なぜ16000円もするのか?
……というのは3ヶ月くらい前の話なんだけど、10連休で、この連休で避妊失敗したりレイプとか不本意な中出しされた人は
婦人科は軒並み閉まってるし詰んでるだろうなー…とふと思い出して、書いた。
飯塚幸三のひき逃げに対しては沈黙してた各メディアが安倍総理の政策秘書だった飯塚洋との親子関係については迅速にデマと伝えた
ヤバくね?
そこまでして上級国民を守りたいのか
飯塚幸三との親子関係についてはネトウヨを中心にデマだ!憶測だ!証拠はこれだ!と挙げてたけど
親族かどうかの議論は徹底的に無視して気付けば論拠がすり替わってただけで何も解決して無い事に気付く
そして勝手にツイートを引用して息子と断定付けしといて、今度は当該ツイートまで叩くという逃げ道作るのには流石に呆れる
何度も言うが、息子だと断定してないし親族かもだぞと言ってるだけでどうしてフェイクニュースとかデマとか言われないかんのですか
上級国民によるひき逃げ事故に対して勲章貰ってるから無罪だっていう事にもちゃんとデマだって突っ込めよ
どうして親子関係については即座に否定する情報収集力があるのに、目前の死亡事故に対して徹底的に無関心を貫くのか
僕には理解できない。
誰とは言わないけど、僕に粘着ブクマしないでくれないか。誰とは言わないが一応都度都度通報してるからね。スパム、誹謗中傷行為は許しません。
ここ数年、その場外乱闘の場にここ、はてな匿名ダイアリーが使われる事が増えた。
もちろん選挙に限った事ではない。
はてな匿名は、アイマスPの愚痴吐き捨て場のように使われ始めてもう数年が経過している。
で、だ。今年もデレステ、モバマスにおけるアイドルマスターシンデレラガールズの総選挙の時期な訳で、再びここがお気持ち表明の場に使われだしているのだが。
「自分は誰々のPですが」と名乗りを上げながら、他所に堂々と文句を言っている、せっかくの匿名性を自ら捨て軽率な行動を取っているバカ共に、
そして、所詮なりすましの容易なこのような匿名の場での発言程度に、子供のように一喜一憂して騒いでいるサル共に、一言申し上げたい。
とくにりあむ、加蓮、未央、藍子等についてだ。
逆効果だ。即刻やめろ。
特にアイマスPには、更に絞ればデレマスPには、どこかの陣営がヘマをやらかさないかと目を光らせられている場所だ。
潰しあいが常であり、故あれば相手の粗をあげつらって攻撃に利用する。そういうコンテンツなのだ。
そんな場所に属していながら軽率な行動を取るバカは、一度自分が参入しているシンデレラガールズと言うコンテンツの低民度を思い知り、
最も、貶めたい陣営になりすまし、悪意のある行動を取る事で印象操作を行おうとしている人間には言うだけ無駄な話なのだが。
そして、そういう類の人間は、残念な事にデレマスPは非常に多い。
更に、上記のような事情を全て把握した上で、攻撃したい陣営の粗だとしてわざと大きく騒ぎ立てる外野のカスも非常に多い。
なら、こんな地獄のような民度のコンテンツの中でそれぞれのPはどうすればいいのか?
それは、デレマスと言うコンテンツの低民度と、はてな匿名と言う場所の治安の悪さ、双方を頭に叩き込み、
「悪意を持って工作活動をしている人間がいる」と言う認識を持つ事。
そして、はてな匿名や5chのような、いくらでもなりすましの出来る場所の話を鵜呑みにしない事。
もしそれぞれのPの実際の姿勢を把握したいなら、それぞれの陣営で率先して・長く・先頭で・活動しているP数人のtwitterアカウントでの発言等を追う事。
これらを覚えておけばいいだろう。
特に、匿名でもなく、嘘も付けず、記録も残る、twitterでの本アカウントでの発言内容こそ、それぞれのPの本質が見えてくるはずだ。
個を見て全を見る、は気楽だが、軽率かつ迂闊な行動だ。まして、匿名の場の内容など聞き流すに限る。
だが、所謂、自分の考えなど大して無く、まとめサイト人間と化しているようなオタクは、
個人の行動ひとつを見ただけで、全体を知ったような風になり、「こいつらはこうなんだ」と決め付けて完結してしまいがちである。
今日も増田はその取り巻きの男たちからお洒落なアクセサリーを褒められている。
俳優としてのキャリアを積み上げてきた増田は、お茶の間での知名度が高いだけに留まらず、業界内でも評判の高い偉丈夫だ。
昔は少しヤンチャをしていたという経歴もあって、少しチャラチャラした若手俳優からは兄貴と呼ばれて親しまれている。そんな兄貴は毎日のように子分・弟分達を連れ立って飲みに行ったり遊びに行ったりしているが、ここ数年は異常なほどに周囲の人々から褒められるようになった。
そして、もはや当たり前の光景となったその褒めるやり取りは決まって同じような結末を迎えるのである。
「褒めてくれてありがとな。せっかくだからこれお前にやるよ。」
兄貴風を吹かせるためだろうか。それとも単に気前が良いのだろうか。
既に業界では常識となっているが、増田は自身のアクセサリーなどを褒められるとそれがどれ程高額なものであっても褒めてくれた人にプレゼントしてしまうのである。
最初の頃こそ、より年次のいった先輩俳優や周囲の友人から窘められたり、
と心配されたりもしていたが、誰が何と言ってもプレゼント癖は治らず、ついには金目の物をタカるためではないかと噂されてしまうようなハイエナのような若手連中が常に周囲を徘徊するまでになってしまった。
-----
「そんな増田さんは、業界内でも有名なプレゼント魔とのことですが。」
とある映画の宣伝としてのインタビューの場において、これまたお茶の間での知名度が高い女子アナウンサーからそう問われた増田は、少しはにかんでこう答えた。
「初めの頃は単純に善意だったんですがね。褒められたらそれをプレゼントする、ということを繰り返しているうちに、今回だけプレゼントしないのもどうなんだろうとか考えるようになってしまいまして。今では少しでも褒められると無条件にあげてしまうんですよ。もはや呪いの類ですね。今日もこのインタビューの前にそこのカメラマンにネクタイピンをプレゼントしてしまいました。」
インタビュアーに視線を向けられて恥ずかしそうに顔を背けるカメラマンは、ネクタイピンなんて普段使わないような格好をしており、このあとオンラインオークションなどで転売することが目に見えているような男であった。
それを見透かしたのか、若干の軽蔑の眼差しを顕にした女子アナウンサーは、慌てて表情を正して増田に向き直す。
そして意を決したように深呼吸をしたあとに増田に向かって問いかけた。
「増田さんといえば、都内の立派な一戸建てを最近購入されたことでも話題ですね。なんでも歴史を紐解くと元は外国からいらした要人の方が住んでいた由緒正しいお宅なんだとか。私みたいな庶民では手が届かないような金額で購入されたとワイドショーでは騒ぎ立てていましたよね。羨ましいです。私もぜひ一度住んでみたいです。」
スタジオに居る全員が何も言葉を発することのできない、数秒の沈黙の間。
-----
インタビューのあともいくつかの仕事をこなした増田は、急遽マネージャーに手配させたホテルへと向かっていた。
元々は家に帰るつもりであったため荷物はほとんど無く、タクシーから降りるのも一瞬である。
さて、着替えなどはどう調達しようかと若干思考を巡らせながら、ホテルのチェックインを行うためにカウンターへと足を向ける。
そのときだった。
「増田さん!」
突然知らない人物から声をかけられても動じないところはさすが増田である。
一般的な俳優やタレントであれば、周囲の目が集まることを気に病みながら舌打ちでもするところだろう。
増田はにこやかな表情を作り、握手の体制で初めて会うファンを出迎える。
「僕、増田さんのファンなんです。こんなところで出会えるなんて。握手をお願いします!」
初めから握手に応じる心づもりであった増田は当然のように握手に応じ、濁流のごとく話し続けるファンの声に耳を傾ける。
「デビュー作から観ています!とはいっても最近オンデマンドサービスで観たんですが。」
「まさか同じホテルに増田さんが泊まってるなんて、夢のようです。今夜お部屋に遊びに行ってもいいですか?」
増田の表情が瞬く間に変わっていく。笑顔は消え、無表情に近い。
自分勝手に喋っていた男も流石にその変貌には気づき、何か不味いことを言ってしまったのではないかと表情を曇らせる。
「僕の生き方が、羨ましいんだね?」
表情筋の配置こそニュートラルで、無表情という表現がピッタリだが、目だけは奥の方で笑っているようだ。
答えに窮している男の手を改めて強く握り返した増田は、ゆっくりと告げた。
「それでは、君に僕の生き方を譲ろう。次は君の番だ。頑張ってくれたまえ。」
アラウンド・フォーティー・ルーザードッグの沈黙の火蓋が幕を切られる軍靴をヒアリングできていないレイテストイヤーズは存在かヰ?
※ブクマが50も取れないっていう人向けです。
考察や妄想が膨らんで、このアイデアを誰かと共有したいと思う。
書いて、ドキドキ、ちょっと時間を置いてブクマ・いいねの数を確認。
それで自分の期待以下の数値だから、この記事を読んでいるのでしょう。
アイツより、あの作品より良いモノだと思うのに!
少なくともこれ位は数は稼げると思った!
…わかるよ、その気持ちは痛い程わかる。
でもね、君は何でもかんでもブクマするかい?いいねをするかい?
私はよっぽど後でじっくり読みなおしたいと思わないとしない。
中にはエンジェル投資家みたいな人がいて、ブクマ・いいねしてくれるけど。
まあ、これを読んでいる人はそういった人たち以外からも欲しいんだろう。
ツイッターやpixivで画像や漫画を検索して読んでなかったかい?
あと、自分に正直になって思い直してみてよ。
pixiv検索する時に「1000」とか「users」とか入れてたでしょ?
ブクマ数少ないから読まないで飛ばそ、って思ったことあるでしょう?
そういうことさ。
それが小説では難しいんだな。
できたらいいね、でも待ってほしい。
ミニマリズム万歳で多機能な商品が増えたからそう思うのはしょうがないけど。
好きな事で実は才能があって、生業とし成功している――レアケースだね。
作品や登場人物への萌えや想いと自分の自己承認欲求を混ぜちゃだめだよ。
だってさ、それってキャラや作品を自己肯定力の強化に利用していることじゃない?
結局、ちやほやされたいのは自分だろってなるんだけど。
わかるよ。でもさ、認められたいよね。
で、タイトルにある通りにある程度のことは教えてあげるよ。
デカルトという人が「困難は分割せよ」って言ったんだ。
言っておくけど、邪道だよ。
でも、書きたいし、書いたらコメントをくれたりブクマをくれる人が存在する。
本当に少ないんだ。身内のなれ合いかもしれない。
さて、自分語りはこれくらいにしよう。
そこで交流してると「ご祝儀」と「ご挨拶」でブクマやいいねを貰えるよ。
正直ね、お愛想笑いみたいなのなんだけど、やらざるを得ないよ。
え、私が求めているのはこんなものじゃないって?
良い商品だから売れるんじゃない。売れるから良い商品なんだよ。
ブクマ数が欲しいんでしょ?
「困難は分割せよ」だ。
ちゃんと評価されるには、自分の実力や作品の内容が伴ってないと駄目。
さて、ちゃんとお勉強するのも交流するのも面倒くさい人がいるよね。
だけどね、1000users入りタグは手に入れることはできるんだよ。
君もそういったことを知りたいんだろ。
ダイエット本でさ、栄養バランスとか健康とはとか要らない人だろ。
長期的に見たら良くないと思うよ。
条件として、他にブクマ高獲得作品がゴロゴロしている分野だとするよ。
極小ジャンルで彗星のごとく現れて、ブクマをかき集めるようなメアリー・スーは諦めてね。
さて、これはpixivのブクマかツイッターのいいねを獲得するための攻略法だ。
ブクマもいいねも一切誰にもしなかったアカウントでやったことだよ。
第一に、むやみやたらに長作を書くのはやめよう。
頑張っても5000~10000文字かな?20分前後で読めるといいね。
だって、そこまで書ける実力ないでしょう?
仮にそうでも分割しなよ。パート1と2みたいに。
その分、二話、三話とどんどん減っていくけどね。
だって頭を使うし、体力も使うんだよ。
もっと短く、お手頃だったらツイッターで文庫風の物語を上げるのはどう?
Pixivで500文字の作品とか読まれにくいけど、ツイッターなら別だよ。
あと、そういう文字数でブクマがある人は、その人がブランドなんだ。
俳句と一緒で文字数が制限されているが故に、センスと語彙力が求められる。
チャレンジしてもいいけど、気を付けてね。
あと字書きのツイートやpixivのキャプションは気を付けてね。
ある程度の知性は求められるんだ。はっちゃけすぎないで。
今はブクマ数を考えるんだ。
個人のあるがままを受け入れて欲しいなら、「困難は分割せよ」だよ。
活躍したいジャンルで「users」とか数字で検索してみよう。
素晴らしい作品が厳選されているはずだよ。片っ端から読んでみよう。
どんな話が皆の心を掴むのかな。どんな雰囲気なのかな。
原作が重苦しくて希望の光さえ見えないのに、ナンセンスギャグの話があった?
高評価であったとしたら、それは作者や作品に光るものがあったってことだ。
君には、少なくともこれを読んでいる限りは無縁の話さ。
駄目なポイントが見えてくるんじゃない?
良し悪しじゃないんだ。人気・不人気の違いが分かっただろう。
君のジャンルでは読者はこういうものが好きということが分かった。
え、難しい?無理だって?
でも、それでもOKです。キャラも独立した存在として愛でてもOK。
でもそうなったら、君は原作で活躍する姿を描くには実力不足だ。
じゃあ、どうする?パロディですね。現パロでもいかがでしょう。
書けないものは書かない方が得策です。
書いてもいいですが、それで評価してもらおうとは思わないでくれ。
高校生パロはどうだろう?アルバイトしている光景はどうだろう?
詳しく書けるんじゃないかな?
その場に置かれた時の困難や葛藤が分かるでしょ?
え、私には書きたい主題がある?そういう俗っぽいのは嫌?
それこそ相応の実力を身に着けてから「機は熟した」と発表したまえ。
これは相当の表現力が必要なんだ。全感覚を総動員させた文章が必要。
あと100ブクマくらいなら、なくても達成できるよ。
平日の昼間に投稿するのと金曜日の夜に投稿するの、どっちが有利だと思う?
あと、目立たなきゃダメなんだ。印象付けないとだめなんだ。
イベントに向けて神や大手が執筆に頑張っている時やイベント直後がいい。
投稿があってもサンプルだったりするから、文字数少ないし、ブクマも少ないでしょ。
え、汚いだって?まあ、本心を言えばそれでも君のよりもサンプルの方が読まれているよ。
でも言っただろう!ここはブクマ数が全てだと!
全員が全員イベントに行く訳じゃなく、本を買う訳でもないんだ。
そういう時にこそ上げてみるんだ。
枯渇しているから、普段なら足蹴りするような作品を読むだろう?
マナーの問題を指摘する人がいるかもしれないけど弱小の字書き程度なら大丈夫だよ。
ある程度認知されたなら止めようね。
あと、一気にブクマが増えると思ったらだめだよ。
最初の作品は30、50、数作品後に100、300、そして500越え作品ができるんだ。
別ジャンルで活躍していてもいきなり500越えは難しいんじゃないかな。
例外はジャンル創設期であるけれども、その時期は飢えてるからブクマ率高いよね。
あと、ブクマって徐々に増えるんだ。
ここは当初の意気込みと矛盾するけど気長に行こうよ。
いつかは本も出したくなるかもしれないね。
もうすぐ5000文字行くんだよね。よく読んでくれたね。
大事なことは、「困難は分割せよ」だよ。
じゃあ、それに向けてやれる努力をしようよ。
字書きは色々と面倒なんだ。変な劣等感があるし、そんで優越感もあるよね。
ワンピースがハードカバー小説本だったら今みたいに読まれてた?
『響きと怒り』とか『アルジャーノンに花束を』の語り手の表現が凄いんだ。
まあ、読まなくてもいいけど。
でもさ、物語を書き始めるとそういったことに関心が向くと思うよ。
書き始めて「たのしー!」ってなってから「読んでみるか」でいいさ。
拙いけど素晴らしい作品はあるけど発掘してもらえるかな?
親は団塊世代で当時は給料も右肩上がりの時代で、それなりの中流家庭だったと思う。
兄が通っていた地元の塾に自分も行かせてもらい、兄は一足先に中学受験をして某私立中高一貫校へ進学した。
自分は最初の塾(兄と同じ)で、『御三家も狙える』と言われ、有名な大手進学塾へ通うようになった。
毎週土日のどちらかには親に連れて行ってもらって都内へテストを受けに行き、自分は純粋に楽しんでいたが、それに付きあう親は大変だったろうと思う。
そしてその頃から、どうやら兄は道を徐々に踏み外していったらしい。
具体的に中学生の兄の身に何があってそうなったのかは今でも知らない。
兄は万引きなど軽犯罪を繰り返すようになり、親が警察に行くこともたびたびあった(当時、自分にはそれらの事実は知らされなかった)。
自分と兄はひとつ屋根の下に暮らしていたが、部屋は別々で元々仲の良い兄妹でもなかったし、
自分は中学高校(御三家の一つに受かった)で良い友人に恵まれ学生生活を楽しんでいて、兄のことはほぼ眼中になかった。
ただ、それでも兄や両親を見ていて、『兄が道を踏み外しつつある』こと、『親が兄の対応で大変らしいこと』は雰囲気でわかった。
だから、自分まで親に負担をかけてはいけないな、と子供ながらに思っていた。
別に親のためにいい子でいようと思ったわけではない。
道を踏み外していく兄を尊敬できなかった、いや、心から軽蔑していた。ああはなりたくない、と思っていただけだ。
学校の友人の兄弟はみな出来が良くて、どこに出しても恥ずかしくない「まっとうな」人達で、比べると自分の兄が恥ずかしかった。
学歴なんかの問題じゃない、今でもそれで兄を差別する気はない。
犯罪を犯すこと(万引き以外にも路駐やら何かでしょっちゅう警察から電話があった。警察をバカにし、遵法精神などまるでなかった)、
それで親に多大なる迷惑と心労をかけていたこと、それを反省もせずにまた繰り返すこと。
兄の心理など知る由もないし、なにか彼の思春期に問題があったのかもしれない。
だがだからといって兄の行為が正当化される訳もない。繰り返すならなおさら弁護の余地もない。
私は心の底から兄を嫌い、軽蔑し、しかし表にはそれを出さずに、ただ兄とは接触しないようにしていた。
(なぜなら、兄は短気で暴力に訴える人間だったからだ。一度自分がそういった態度を見せた時、夜中に枕元に金属バッドを持ってすごんできたのは忘れられない。
そしてそういった基質もまた、私の兄への侮蔑をより強める結果になった)
そして兄は高校を(なんとか)卒業し、大学へは行かずにフリーターになった。
親はどこでもいいから大学へ行かせたかったようだが、兄本人が『大学でやりたいことがない』と進学しなかった(ここは兄が正しいと思う)。
ありがちな話だが、兄は音楽の道を進もうとしたらしい。バンドを組んで、いわゆるバンドマンになった。
音楽活動の実態は何をしてるのかさっぱりわからなかったが、さほど身を入れてやっている様子もなく、芽も出なかった。だが諦めきれないのか、フリーターをしながらだらだらと続けていた。
自分が高校を卒業し大学へ進学した後も、兄はその生活をしばらく続けていた。
そのうち、兄は一人の女性(Aさん)と知り合った。そして二人は結婚を考える仲になった。
Aさんはとても良い女性だった。自分や両親とも仲良くしてくれて、兄は大嫌いだがこんな姉ができるなんてほんとに嬉しい、ようやく兄が自分にとって良い行いをしてくれたと思った。
しかしここで、両親は最大の過ちを犯した。
何を思ったのか、兄にマンションを買い与えたのだ。親の名義でローンを組んで、兄と彼女の新居にしろと兄に与えた。
フリーターの兄に月々のマンションに係る支払が払えるはずもない。それはすべて親が払っていたのだ。しかも結婚も確定しないうちに買って与えた。
呆気に取られた。納得できないが親の気持ちになって考えてみれば、『Aさんに逃げられないように、住居が確定していれば結婚生活も楽になるだろう』ということだったのかもしれない。
『妹は大学へ行かせてやったのだから、兄にも何か与えねば』と思ったのかもしれない(しかし自分は国立大で、学費をトータルしてもマンション費用の20%にもならないのだが)。
兄は別に特段の感謝をする様子でもなく、当たり前のようにそれを受け取った。
そしてその後、結婚が決まっても一向に定職につこうとせずに自堕落な生活を続ける兄は、Aさんに愛想をつかされて結婚前に出ていかれた。
(兄はAさんに入れ込んでいたらしく相当なショックを受けていたが、自分から見れば当たり前だばーかとしか思えなかった)
この頃からだろうか、自分が『親は兄を贔屓している』と思うようになったのは。正確には、『親は兄を甘やかしている(自分には厳しいのに)』と感じ始めたのは。
自分は親に言われた。『私立大に行かせる金はないし仕送りをする余裕もないから、家から通える国立大にしろ』と。
親の言うことに従おうとしたわけではなかったが、自分の行きたい大学はその条件を満たしていたので、結果として親ののぞみを叶えた形になった。
しかし心のどこかに、『親ののぞみを叶えたい』という気持ちがなかったとは言えない。兄で苦労させられている親を見てきて、自分だけは親が誇れる子供でいようとしたのかもしれない。
通おうと思えば通えたが、一人暮らしに憧れていたこともあり、親の援助は一切受けずに一人暮らしを始めた。貯金とバイトでなんとかまかない、4年間それを続けた。
親が兄にマンションを買い与えるまではそれも納得していた。だが、親がそれをした時、自分の中で不公平だという気持ちが生じた。
根底に『「親に迷惑ばかりかける穀潰しでろくでなしの」兄に、なぜそんなに金をかけて甘やかすのか?』という考えも当然あった。
自分にとって兄は「いないほうがマシ」で、存在する事で何もいいことがない、迷惑なだけの存在だった。
グレてようがフリーターだろうが、優しい兄なら愛せたろう。だが、兄としての優しさを見せてくれたことなど数える程もない(その数回も小学生以下の時だけ)。
家庭を持って子を為し、親に孫の顔を見せて安心させてくれたなら、「普通」で「まっとう」な人間になってくれたなら、それで兄を見直すこともできただろう。
しかし兄は正真正銘のクズなので、逆の道にしか行かなかったのだ(それについては後述)。自分が兄を見直す機会はおそらく死ぬまで来ないだろう。
(余談だが、なかにし礼氏の小説の再現ドラマ(兄との関係を描いたもの)を見た時、心からなかにし礼氏に共感した。自堕落でお調子者で弟にとって迷惑な兄。
なかにし礼氏が兄の葬式後につぶやく、『兄さん、死んでくれてありがとう』がわかりすぎて辛かった。
何年先かわからないが、おそらく自分も兄が死んだ時、『死んでくれてありがとう』と心から思うだろう。自分が先に死ぬかもしれないが)
Aさんに逃げられた後、しばらく兄は自堕落な生活をしていた(親が金を払っているマンションで一人ぐらし)。
自分は何度も親に『マンションから出て行かせろ、でなければ兄は自立できない』と言ったが、親は『そんなこと実際にできるわけがない』『目の届かないところに行かせるほうが不安だ』と言って聞かなかった。
この頃から、自分の中で『兄が駄目になったのは親の(甘やかしの)せいではないのか』『親は己の見栄しか考えてないのではないか』という疑念が湧いてきた。
やがて自分は大学を卒業して、氷河期の中なんとか上場企業に就職を決めた。
希望の会社からは内定が出ず、文系でプログラムなど全くわからないのにSEになることになったが、就職できただけでよしとするしかなかった。
親の反応は『とりあえず上場企業だから、外への体裁が整った』というものだった。親にとって自分は見栄のための存在なのだなということが、徐々にわかってきていた。
同じ頃、兄もようやく某リフォーム会社で営業として働きはじめた。
兄の営業成績は良かった(もともと外面だけは良い)ので、いっときは小金持ちになれたらしい。外車を買ったが、マンションの金を親に返す気はさらさら無いようだった。
その外車がポンコツなのかあるいは外車とはそういうものなのか、しょっちゅう壊れて修理代がかかった。あまり乗らないせいもあっただろう。
乗らないのなら売ればいいのに『売っても二束三文にしかならない』と兄は言い張り、親はなぜか修理代を肩代わりして払ってやっていた。
(散々修理代を払って直して、最後にはやはり壊れ、ろくに乗りもしないままに結局二束三文で売ったようだった)
マンションの支払いは親が続けていた。このころようやく、月々の管理費や積立金などの維持費だけは兄が支払うようになったようだった。
そのうち、バツイチ子持ちの女性Bさんと知り合い、今度は結婚した。Bさんについては自分はほとんど知らない。
その頃自分は向いていない仕事かつ長時間労働で心身を病みかけており、朝焼けの街を徹夜明けで泣きながら一人家路についたりしていたので、兄のことなど構う暇もなかった。
結婚式には一応出た。ストレスで過食気味になりむくんだ顔の自分が愛想笑いを浮かべて写っている写真は見返したくもない。
兄の結婚になんの感慨もなく、『これで普通の人間になってくれれば』と願っただけだった。兄に望むただ一つのことは『普通の家庭を築いてくれ』で、それ以上は望まなかった。
営業成績が良いのに浮かれ、独立すると言って仕事を辞めた兄だったが、ろくなノウハウもない個人のリフォーム営業がそうそう上手く行くわけもない。
あっという間に生活は行き詰まり、さっさとBさんに逃げられた(どうやら浮気されていたようだが、それを追い詰める気力もなかったようだった)。
そしてまた、マンションで自堕落な生活に戻った(もちろんマンション維持費は親払いに戻った)。
自分はずっと『兄を甘やかしすぎだ、マンションから追い出せ、マンションを売ってしまえ、でなければ兄は自立しない』と親に言い続けていたが、ずっとでもでもだってで聞き流された。
『(万引きなどの)前科があるから、追い出したら何をするかわからない。もっと悪いことになるかもしれない』『どれだけ言ってもあいつはこちらの言うことを聞かない』。これが親の言い分だった。
しみじみ、親も兄も情けなく、どうしようもないと思った。『お前は冷たい』と言われた。
『そもそも最初にあれが道を踏み外した時、お前の中学受験にかかりきりで、親としてろくに関わってやれなかったのが悪かったから』と。
そう言われて自分にどうしろと? 責任を感じろというのだろうか? もうとっくに成人していい年になった兄を憐れめと? 親でもない自分がなぜ親と同じ感情を共有せねばならないのか?
『ずっとそう言い続けて兄を甘やかして、それで状況が好転したか? 好転する見込みがあるというのか? 兄の自立を妨げているだけではないのか?』
そう言っても、親は同じ言い訳を繰り返して兄への甘やかし(マンション与え)をやめようとしなかった。
自分の中で、兄への嫌悪と親への嫌悪の比率は徐々に逆転していった。兄がどれほどのクズだろうが、どんな人生を送ろうがもはやどうでもいい。
自分と同じ親のもとで、恵まれた環境で育ったにも関わらず、兄は自ら堕ちていったのだ。兄の人生は兄のもの、好きに生きればいいしどこでのたれ死のうが勝手にすればいい。
兄よりも、そんな兄を甘やかし続ける親のほうに不信と不満が募っていった。なるほど、親がこうして甘やかすから兄は更生できないのだと納得した。
そして『兄が自分よりも甘やかされてる事実』にどうしても納得できなかった。自分を特別扱いしろというのではない、兄を特別扱いするのが耐えられなかったのだ。同じ子供として平等に扱ってほしかった。
自分の大学時代、兄は親が与えたマンションでゆうゆうと一人暮らしして、自分は仕送りを一切受けられずに生活費のすべてを自力で稼いだ。
就職してから、兄は親が与えたマンションで好き勝手に暮らして、自分は親に金を入れていた。家に金を入れるのは当然だと思う気持ちもあったが、理不尽だと思う気持ちはどうしても拭えなかった。
その気持ちに耐えられず、『兄と比べてあまりにも不平等だ、兄にも金を支払わせろ、兄を甘やかすのもいい加減にしろ』と泣いて言ったら、『じゃあこれからお前も金は入れなくていい』と言われた(そうじゃないだろ)。
家庭のことや仕事のことなど色々あり、結局自分は新卒で入った会社を3年ほどで辞めてしまった。親に『30までにやりたい道(フリーランス)で食っていく目処をたてる』と誓い、宣言どおりに28で目処を立てた。
兄は親が見つけてきた非正規パートの仕事をなんとかこなし、その頃にはそこそこ年季も入って板についてきていた。新しい彼女(Cさん)もできたようで、マンションで一緒に暮らし始めた。
だが、そんな矢先。兄が、クスリで捕まった。
最初に一報を聞いた時、親はともかく、自分は『まあ、あるだろうな。やっぱりな』としか思わなかった(基本的に兄の人格を信頼していないので、何を起こしたと聞いても『やりかねない』としか思わない)。
もちろん家族の誰も気づいていなかった。家族の目の届かないマンションでずっとやってきたものらしい。
自分は『言わんこっちゃない、だからマンションから追い出せとあれほど言ったのに、甘やかし続けた結果がこれだ』と親に言った。親は『そんなこと今更言っても仕方ない』としか言わなかった。
そこからの詳細は省くが、兄は執行猶予がついて戻ってきて、兄を見捨てなかったCさん(菩薩かよ)と今でも親の与えたマンションで暮らしている。Cさんが見張っているので再犯はないと思いたい。
Cさんには敬意と感謝しかない。彼女がいなかったら兄はもっとだめになっただろう。
しばらくCさんに食わせてもらっていた兄だが、今はまた派遣で職について、そこでの仕事も軌道にのってきたようだ。今度こそは歳も歳なので落ち着いたと思いたい。
(ちなみに、また維持費だけは払うようになったが、購入費は一切払っておらず、名義は父のまま。毎年実家よりも高い固定資産税を払っているのも父)
兄はもうどうでもよく、二度と犯罪を犯すなCさんにだけは迷惑をかけるなCさんだけは大切にしろとしか思っていない。
残念なことに、自分の中で兄の見方が変わることはこの先死ぬまでない。今の兄と表面上でも付き合えるのはCさんあってこそだ。Cさんを姉と慕っても、兄を兄と慕うことは生涯ない。
きょうだいは他人の始まりとはよく言ったもので、兄への気持ちはもうこれでいいと落ち着いている。
だが、「未だに」なのか、「今だからこそ今まで積もり積もったものが」なのか、自分の中で親へのわだかまりだけはどうしても消えない。考えると落ち着かず、心がざわつく。
もう親も老い、自分もいい年だ。親も人間であり、それも見栄っぱりで子供を平等に扱わず贔屓するようなできの悪い人間だったんだと納得するしかないとわかっているのに、
自分はどうしても、親に『自分たちが間違っていた』と言ってほしい。子育ての過ちを認め、自分がどれほど辛い思いをしたかを理解し、悪かったと謝ってほしい。
だが、過去に喧嘩した時の経験から、親は絶対に自分の過ちを認めない、ましてや子供から言われる言葉を決して正面から受け止めないとわかっている。
『それが親に対して言う言葉か』『何様のつもりだ』『はいはい、全部こっちのせいだって言いたいんでしょう』…そう言って絶対に絶対に自分の過ちを認めない。老いた今、なおさら頑なになり認めないだろう。
自分は自分なりに、親の期待には応えてきたと思う。教育で親に金をかけてもらった事は感謝しているが、それだけの成果をちゃんと出し、結果をだした。
なのになぜ、自分は兄と同じに扱われなかったのだろう。自分だけが要求され、応え続けねばならず、それなのにそれを評価もされなかったのだろう。
これを言うと嫌な人間だと思われるだろうが、客観的に見て自分のほうが親に貢献しているしまともな人間として育った(少なくとも前科ものでなく、親に迷惑をかけていない)という自負があるだけに、やるせない思いがある。
本来なら自分のほうが親に贔屓されて然るべきではないのかという思いがあることは否定しないが、贔屓してほしいとは言わないしするべきでもない。
ただ自分に求めるものは兄にも求め、兄に与えたものは自分にも与えてほしい、子供の間に差をつけないで平等に接してほしかっただけだ。
男女の差だというのならばなおさら、兄には『長男』としての役割と責務を求めるべきだったろうに、なぜ私が長男の役割も果たさねばならないのだろう。
兄が結婚した時、自分は『兄が孫を作ってくれたらそれだけが兄の親孝行だ、自分にも兄がいた意味がある。せめてそれくらい孝行しやがれ』とわずかに期待したが、兄は子供を作る間もなく離婚した(そもそも作る気もない)。
母は自分にだけ言う、兄には絶対に言わないのに、『老後の楽しみがほしい、孫が見たい』と。
子供はジジババの楽しみのために産むもんじゃねえし産んでおしまいじゃない、何ならあなたがたが育ててくれんの? 育てる金あるの? と応えたら沈黙した。
そんなに孫が見たいなら兄に言ってくれ、男なんだから自分よりよほど確率が高いだろうと言ったら、『あの子に育てられるわけがない』。『何を言っても無駄』と言って、兄には20年以上何も要求しない。
『精子バンクとかあるでしょう』『50歳で産んだって例もあるし』とまで言われた日には本当に失望した。
50歳で産んだ女性はほぼ卵子提供で母方の遺伝子は入らないし、養子じゃ嫌だってんならそれ(母方の遺伝子が入らない)も嫌なんだろうに。
そもそも出産までにどれだけ苦労したか(流産だって何度も経験してるはず)、不妊治療にどれだけお金がかかったかわかってて言っているのか、そして不妊治療と高齢出産がどれだけ母体に負担がかかると思っているのか。
娘の体など、自分の楽しみのためにはどうなってもいいのだろう。
孫の立場にしたって、父親がいない家庭に生まれることになるのだが、そういったことを考えてもいないのだろう。ただ、自分が欲しいから、だ。
私の結婚も、自分の見栄だけのためにしてほしかったらしい。大切なのは見栄と体裁で、娘の幸福などどうでもよかった。
『結婚しない女はなにか問題があると思われる』なんて言われても、それはあなただけの醜い価値観だろう、未婚率が三割の時代にそんな事思うほうが少数派だ。
図らずも未婚女性への「己の偏見」を曝け出したことにも気づかずに、『あなたのために言っている、それが世間だ』などと諭してくる醜さ。兄にも同じことを言えばいいのに。
『結婚しろ』と言われるのが嫌で、それを避けるために誰でもいい、一回結婚さえすれば文句を言われまいと思って結婚したけれど、上手く行くわけもなく2年も経たずに破綻。
(付き合っていた人とは、兄の事件で別れざるを得なかった。結婚した人には家族ぐるみで兄のことを隠した。そんな結婚うまくいくわけもなかったし相手には申し訳ないことをしたと思う)
その時の言葉も『せめて2年は持たせろ、外聞が悪い』『相手の親に私(母)の顔が立たない』『どうせお前のわがままだろう』…出てくるのは己の見栄と体裁のための言葉だけで、一度も娘の心情を慮る言葉は出てこなかった。
兄が同じように2年程度で破綻した時、兄に同じ言葉を突きつけたなら、そういう人なのだと納得もできたかもしれない。だが、兄の離婚に関して親は兄に何も言わなかったのだ。
終身雇用制、手厚い福利厚生、残業は多めだが全額出る、そんな昭和の夢の残滓のような会社に勤めていたんだけど昨年退職した。
待遇は非常に良かったんだけど(0.6Googleくらい)、安定が自分の中で恐怖に変わっていき、やがて耐えられなくなってしまったので退職に至った。今は年収が半分になってベンチャーみたいなところにいる。預金残高を見て不安になることはあっても前職で感じたような、先細りの籠に閉じ込められたような気持ちには未だなったことがない。
前職のような会社は日本にあまり無いから参考になる人は少ないかもしれない。これはあくまでも平成という時代に10年間昭和のサラリーマンをやってきた自分のそれまでの人生のまとめであり弔辞だ。
もしかしたら、公務員とかレガシーな産業で利益を独占的に得られる会社に潜り込んだ人にとって何かの参考になれば幸いである。
地方都市生まれ、小中高と公立育ち、大学は他県の国立大学へ、理系でマスターを修了後に学校推薦で就職。
地方の医学部に進学した人がバズってたけど、私は井の中の蛙というか幸せな環境で育ったなあと思う。学区が良かっただけかもしれないけど、所謂ヤンキー的なタイプは少なくて、開業医の子息とかとも普通に遊んでた。うちは公務員だったけど(子供だったから気が付かなかったという事情もあり)、引け目や負い目を感じたことはなかったと思う。財力の違いを感じたのは高3で進学先に私立の医学部を選んでたときくらい、他は塾とかも選択肢が限られていたのでみんな一緒だった。
理系を選んだのは高校で7割くらいが理系を選ぶ環境だから何となくという要素が大きい、医者になりたいとかエンジニアになりたいとか思わなくもなかったけど、何より理系は潰しが効くし、数学が苦手じゃなかったらやっとけくらいの気持ちだった。
高3のときの偏差値は公立の医学部には足りず、迷わず他県の地方国立大に進学。大学でやりたいこと云々より自分の偏差値で行ける最大限の学歴に行ったという感じ。お陰様で入学後に学力不足を感じて本当に苦労した、かろうじて留年を逃れたくらいの成績。マスターは殆どの人が行くからというだけで選択、例によって院試は内部生にも関わらず死ぬかと思った。
そんな体たらくだったので、就職のときは仕事と研究との関連性だとか一切興味がなく、学校推薦で行ける会社の年収を四季報で確認して上から順番に面接。お辞儀できれば受かるという情報通りヌルい面接をあっさり通り前職に内定した。
○どんな会社だったのか
・環境
東京から車で2,3時間くらいでコンビニまで徒歩30分くらいかかる僻地、面接に行ったときヤバイかなと思ったけど、地方の大学生からすれば東京まで2,3時間で行けるというのはそれなりにメリットがあった。あとアマゾンが送料無料をやり始めた頃で、アマゾンが届けば生きていけるかなあとも思ってた。
・待遇
これは無茶苦茶良かった、待遇というか給与だけだけど。就職を決めたときの四季報だと平均年収は0.5Googleくらいで(平均年齢43歳のね)、辞めたときの年収は0.6Googleくらいあった。ただし、基本給:残業代:賞与が4:4:4で、賞与は完全に業績連動のため期待は禁物。リーマンショックの頃に3,4年働いても基本給が5000円しか上がらなかったのは忘れられない(さすがにその後是正された、けど過去の貰えていない分の保証はなし)。
残業代が4というところからお察しの通りで、残業時間は年間で700〜900時間くらい。寮や社宅は完備のため、平日は会社の敷地から一度も出ることなく過ごしていた。
・業務
表向きは最新技術の研究開発となっているけど、実際は雑用と書類仕事に疲弊していた。入社してから一度も新しい技術みたいなのを研究したことはないと思う。ひたすらに社内調整、下請を買い叩く、行き当たりばったりで問題を解決するの繰り返し。更に営業案件とか製造案件の雑用がバシバシ入ってくる。先のことを考える余裕なんて一切なくてアワアワしているだけで10年過ぎてしまった。
私に限らず全社的にそんな仕事ぶりだったけど、市場は寡占状態なので会社は常に儲かっていた。そもそも枯れた技術なので顧客は新商品とか新機能は望んでいないのだから。たまに声の大きい営業が上げてくるマイナな案件に対応するために右往左往して終わり。そのマイナな案件にかける時間を全体に対する原価削減に当てたほうが良いのではとは皆が感じていた。
一応良いところを挙げておくと、暗い実験室に引き篭もって量産の目処のない机上の空論をやるよりは、現場の問題を拾い上げて設計に反映するのは楽しかった、それは生産技術の仕事ではないのかと思いつつも。
同僚も学校推薦で来る似たようタイプなので、穏やかで話が早くやりやすかった。東大東工大が主な学閥なので地方国立大は肩身が狭いとか無いの?とかはたまに聞かれたけど、管理職になりたいだとか野心がない限りは別段に何も不自由は無かった、学歴よりも上司だとか部署のガチャ要素が大きかったし、皆が平等に不公平という感じだった。
・組織
上の意向を忖度して言われる前にやることが尊ばれる文化という感じ。基本的にマネジメントというものは全く無く仕事もこれやっといてというだけで納期も仕様も何もない。上司の指示どおりに働いていたら、その上から烈火のように直接指導されることもザラ(そうゆう時の上司は沈黙)。酷いなと思いつつも、上司とその上も同じような関係だし、その上もそのまた上も…
これがいわゆる昭和の日系企業かぁと思っていた(違ったらごめん)。賽の河原に石を積むというか、降り積もる雪をひたすら取り除くような気持ちで働いていた。
人事評価みたいなのも形式的で、上司は査定するけど、結局は偉い人の好みに合わせて査定をつけないと書き換えられてしまったうえで上司の評価も下がるので(人を見る目が無いという理由で)、偉い人の好みをどうやって察して査定をつけるかという作業になっていた。偉い人に取り入ろうにも年に一度も話すことがないし。逆に気に入られている人もそんなに親しげではないので、何が基準かは永遠にわからなかった。
こんな状況でどうしてやる気を失わなかったのかというと、査定が悪かろうと昇進が遅れようと、何だかんだで高給をもらっている自覚と責任を感じていたからだと思う。少なくとも自分の給与以上は働かないと、お世話になっている子会社や取引先に会わせる顔が無いという気持ちで踏ん張っていた。
○どうして辞めようと思ったのか
20代の頃は仕事や組織に不満がいくらあっても、それを上回る待遇を得ていたので辞めようとは思わなかった。仕事なんてものは所詮は時間と感情の切り売りで、仕事にやりがいとかいうのは、金が払えない会社の言い訳だと思っていた。
ところが30代になり預金残高が1Googleを超えたあたりで、ふと将来のことを考え始めた。余りにも遅すぎた自我の芽生えだったのかもしれない。
いつの間にか同僚はみな結婚して家のローンや保育園の話をしている。家族がいる奴は良い、自分の代わりにお金を使ってくれて、それで幸せになれるのだから。ここで暮らしていれば子供の1人くらいは私立の医学部に入れられるかもしれない。で、私はどうなる?20代の頃と預金残高以外で何が変わった?
お前も結婚すれば良いのではないかと言う声が聞こえるけど、これは中々上手く行かなかった。こんな僻地にある会社だから、相手は地元の人ばかり。上記のように地方を転々としてきた自分とはどうしても感覚が合わない、例えば同僚の結婚式で、高校の部活の先輩後輩の関係が30過ぎても未だに残っているのが嫌だった。
敵を増やしそうだけど、地方にはヤンキーと良家の子女しか残っていないんだと思う。ヤンキーは説明不要でいわゆる地元のマイルドヤンキーさん、看護学校もあるので一人でやっていけるこの手のタイプは多い。良家の子女は女子大を出て実家に戻って地元の金融機関に就職という感じ。同僚の奥さんはどちらも結婚したら寿退社して社宅に住んでいた。
私だったら、相手が1Google稼いでいても専業主夫になりたくないなあと思う。その程度の収入に自分の後の人生の選択肢の全てを預けたくない。私は夫婦は人生の連帯保証人だと思っているので、こうゆう自分の感覚と合っている人と結婚したかったんだけど、残念ながらそんな人とは出逢えなかった。それほど立ち入った話はしないけど同僚と上のような話をしていたら「そもそも君は結婚相手に何を求めているの」と言われたのが印象深かった。私は友だちとか親友的な要素、少なくとも同じ地平で物事を見渡せる人が欲しかったし、これまでもそうゆうタイプと仲良くなってきたけど、同僚的にはそうじゃないらしい。明確な言語化はできないけど配偶者に求める要素は、自分や家庭を甘やかし指導する父母か、育て導く愚かな子女で、少なくても対等の関係という要素を求めてはいないようだった。
そんな食わず嫌いをしているうちに同僚の息子は小学1年生、これからも私がああだこうだ言っている間に大学生になって家を出るのだと思う。その頃の私はきっと40代半ば、もう結婚もできないし転職もできない、ただ自分は失敗した、取り替えしがつかないという気持ちを抱えながら、報われることのない仕事をしている。やがて50代になって預金残高が5Googleを超えて、高級老人ホームに入ること夢見て死ぬんだろう。
安定している故に見えてしまう自分の将来、この少し広い会社の敷地の中で人生を終えるであろう現実、その恐怖に囚われてしまってからはもう辞めること以外は考えられなくなってしまった。そこからは早い、たまたま自分のやっていた職種と募集がマッチングしたから逃れることができたけど、本当だったらこの歳で逃れることは難しかったと思う。前述のように賽の河原のような雑務がメインなのでとても潰しが効かないし、何よりも給与が激減する不安に耐えられない。
高校生に対してライフプラン(仕事と出産などを含んだもの)を教育するみたいな話をニュースで見たけど、これは年齢関係なく必要だなと心から思う。別に結婚とか子供とか興味は無く、食べてくために働くというのは本心として良いと思う。けれど同期同僚が結婚して子供ができて、仕事に意味や成果は無く、ただ歳だけが増えていく状況であなたはどこまで正気を保てますか?というのは自分自身によく確認したほうが良い。登山なりゴルフなり何かしら見つけられた人はそれで良いし正気を保ち続けることができると思う、私にはそれができなかった。
昭和という時代は、定職さえあれば誰もが家庭を持ち豊かで幸せになれるという幻想を皆で信じていたから実現できた神話だったんだと思う。家族がいれば多少の理不尽にも耐えられたし仕事に魅力が無く潰しが効かなくても何とかなった。けど平成が終わるこの時代に神話はもう死んでいた。
私は辞めることができたからまだ良い、けど私のような気持ちで辞めることすらできない人が、あの会社に大量に留まっているとするなら。前職に留まらず、世の中の会社や社会のどこかに、私のような人間が大量に潜んでいるとするのなら。
欧米でよくある銃乱射事件とかは、こうゆう時代の歪みから発生するんじゃないかなと思う。俺はきちんとレールに沿って人生を進んできたのになぜ幸せになれない?俺がおかしいのかそれとも社会が狂っているのか?
話が逸れてしまった。10年間よく会社に尽くしたし、会社も十分それに報いてくれたと思う、総じて良い会社だった。ただ、私は会社と同じ昭和の夢を見ることができなくなってしまった、それが退職理由。平成の終わりにこうやって昭和の夢の残滓のような会社を去ることができたのは何か奇縁を感じる。
「ここは市長がお忍びで利用する、行きつけの店だ」
そう言ってウサクは店内に入っていくので、俺も後ろをついていく。
店内を見渡すと、隅っこの席に本当にいた。
酒を舐めるように飲んでいたが、“舐める”と表現するべきか分からないほどペースが早い。
「あ、誰かと思えば市長じゃん」
「相席、失礼する」
俺たちはおもむろに市長に話しかけつつ、近くの席に座りこんだ。
未成年だけでわざわざ居酒屋に来る時点で不自然だし、セリフも些か白々しかったが、市長は酒が入っているようで気にも留めない。
「この店の接客サービスが好きでしてね。素っ気ない……と言えば聞こえは悪いですが、ほっといてくれるのは時に心地よいものです」
そう呟く市長の態度が何より素っ気ない。
遠回しに「話したい気分ではない」と言いたげだった。
まあ、プライベートでの過干渉なんて俺も嫌だが、そうもいかない。
まずはこちらに関心を持ってもらうため、何気ない雑談から始めよう。
「……この酒を知らないのですか?」
「生憎、酒は飲めないんで」
「なら知らないのも無理はないかもしれませんね」
コミニケーションのとっかかりは疑問をぶつけることだ。
「この『ドカシス月光』は作っている場所こそ違いますが、原材料は全てこの市が生産しているんです。カクテルや料理に使われることの方が多い酒ですが、そのまま飲んでも美味しい。自慢の名産と言ってもいいでしょう」
「作ってるのは別の場所なんだ」
「本当は酒の製造も市でやりたいんです。でも原材料にすら税金がかかっているのに、酒そのものにも高い税金が発生するから地元じゃ誰も作りたがらないんですよ。だから酒税のない地域で作ってもらって、それを個人で取り引きしたほうが安上がりなんです」
「なんだか脱法の密造酒みたいだな」
酒飲みの語りは老人の長話くらい聞くに堪えないものだが、今この状況においては都合がいい。
そうして十数分後、市長も酒が大分回ってきたようで、顔は明らかに紅潮していた。
「私にだって子供らしい夢はありましたよ。大統領になって、世界を愛と平和に満ちたものにするっていう……」
「この国、大統領制じゃないぞ」
深酒が過ぎたかもしれないな。
日を改めるべきか。
「……まあ、仮にそうだったとしても結果は同じでしょう。この町の市長であることが、私のこなせる精一杯の役割だった。だけど今はその役割すら失おうとしている」
本題に入るなら今だ。
「おいおい、市長。期日にはまだ時間がある。結果が決まるまで、やれることはやったほうがいいんじゃないか?」
「だけどこちらの不利は明らかです。やれることもやりました」
「いや、俺たちから言わせれば、まだやれることはたくさんある」
「市長、貴様が若造の意見を取り入れる意欲があるのならば、我々の言葉に耳を傾けろ」
職場での事で、吐き出したいことがある
みじめで知ってる人には話せないからここに書くことにする
私は入社6年目の26歳の女で、
私はブスで、協調性もなくて要領が悪い
たまに外見や性格をいじられたり、陰口言われたりしていたけど
退職したいっていうほどでもなかった
いまだに忘れられずに引きずっているのでここに吐き出させてほしい
ワンボックスに7人、プリウスに4人乗ることになり私はプリウスに乗った
私は相槌を打ったり笑う程度で、あまりしゃべらず目立たないようにしていた
途中で昼食を取った後、駐車場でたばこをふかしながら部長と若手数人が
私のほうをちらちら見ながら何やら話をしていた
よく聞き取れなかったが、
「クニちゃんが…」
とか話しているのが聞こえた
私が、「クニちゃんって誰だろう?」と近くにいた男性社員に聞くと、
いや~、何でしょうねって濁された
社内では部長と男性社員がまたさっきのクニちゃんの話の続きをはじめた
何の話かよくわからないので、会話を聞きながらとりあえずニコニコしていた
部長がクニちゃんまじブスだとか、クニちゃんとヤれる?とか言っていた
専務は相槌打ちながらニヤニヤ笑っていた
話の内容が社内の人間の話なんだけど、クニちゃんがいったい誰なのかわからない
山田邦子の画像が一番上に出てきて、あ、これ私の話だって思った
私は顎変形症でアゴが出ているから、山田邦子に似ている=クニちゃんらしい
クニちゃんを口に入れろとか、クニちゃんにク〇二しろって言っていた
ヒュッと背筋が寒くなり、私は笑うことをやめて押し黙ってしまった
車内に重苦しい変な沈黙が流れ、さすがにヤバいと思ったのか部長が口をつぐんだ
もう恥ずかしくてみじめで死にたかった
社員旅行で、私は何もしていないのに何でこんなこと言われなきゃいけないんだろう
ジョッキをいくつも抱えてテーブルに戻ると、
ニヤニヤ笑いながらみんなが私を見ていた
席を離れている間に皆が何を話しているのか怖かった
次の日も一日こんな感じだった
水族館に行った後、外のベンチに座って皆で佐世保バーガーを食べた
人慣れしている鳩が、ハンバーガーのおこぼれをもらおうとたくさん寄ってきた
「お前、鳥好きだよな?」って聞かれた
部長や男性社員達が鳩に向かって「クニちゃんおいで~餌だぞ~w」と呼び掛け鳩を追いまわし、げらげら笑い転げていた
専務がお前と鳩を写真に撮ってやるからこっちにこい、ポーズを取れとスマホのカメラを向けながら言ってきた
嫌だとかたくなに断ったら、ノリが悪いとキレられた
何故か皆に睨まれた
もう愛想笑いも出来なかった
私一人だけお通夜のような顔をしていた
この年になってこんな思いするは思わなかった
来月職場に復帰予定なんだけど、この時の出来事を毎日思い出しては憂鬱になっている
好きでブスに生まれたんじゃない