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東北道の逆走事故、死亡の運転手2人の身元判明 69歳男性が軽ワゴン車で3キロ逆走
2024/8/28 19:09
栃木県那須塩原市の東北道で逆走した軽ワゴン車が乗用車と正面衝突し、4人が死傷した事故で、県警は28日、死亡した運転手2人の身元を明らかにした。軽ワゴン車は千葉県旭市の職業不詳、石橋恒雄さん(69)、【以下略】。
軽ワゴン車が下り線を途中でUターンし、事故発生まで追い越し車線を約3キロ逆走したとみられることも同日、捜査関係者への取材で判明した。県警は詳しい状況を引き続き調べる。
県警によると、事故は15日午前6時半ごろ発生。【中略】
捜査関係者によると、軽ワゴン車は栃木県外から下り線に入り、黒磯板室インターチェンジ(IC)付近まで走行。Uターン後に追い越し車線を走り、事故が起きたとみている。
https://www.sankei.com/article/20240828-COZUAJRRRVIGNP35QSMMKVZYQY/
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.chosyu-journal.jp/shakai/31537
山間部じゃないんだから寸断されてるのオカシイとか言い出すのか?
マンホールが飛び出す程の土壌変化なんだぞ
港湾部では4m隆起したとかって話もあったな
地図上で国道249の線が太いから高速でも走ってると勘違いしてるんじゃなかろか
壊滅的に寸断されたのが国道249で、都会なら裏道と言えるようなボロボロの対面道路だぞ
とかもさ、市の庁舎とその周辺が率先して片づけられるのは当然で
そこを後回しにしたら行政がマヒするだろうがよ
復興計画だって各自治体から結構な頻度で公開されてるのに見てないのか?
と軽々に書き込む前にさ
ほとんど経路がない半島で起こるのではなく、山の中で起こった方がまだしも復旧速かったと思うぞ
これに文句言ってる奴らは、崩落がそこここで起こっている沿岸部でも
そう2か月もあればね
とか思ってんのかよ
すんなり座れたけど、ワンオペで、ラーメンがなかなか出てこなかった。
味はまあまあだったが、量が少なく大盛りにすればよかった。
「すみません、駐車料のサービスは1000円以上からなんすよ」と言われ、渋々お店を後にした。
その後、実家に立ち寄った。
今年の正月、両親へiPad(セルラーモデル)とその入門書、Appleギフトカードをあげたが、
入門書を使った形跡はなく、ギフトカードは使わずに捨てられていた。。
一方で、「仕事の景気はどうだ」など、聞かれたくない質問ばかりしてくる(給料が下がるなど、景気は全然良くない)。
居心地が悪くなり、早々に実家を後にし、東京に帰ることにした。
だが、FMの交通情報を聴くと、東北道が断続的に70km以上の渋滞とのこと。
実際、高速入口にもなかなか辿り着けない状況だった。
途中、スタバに寄った。
なんか今日は色々とうまくいかない、と思いながら新製品を頼んで一息ついた。
家に着き、車から出ようとすると、カバンがないことに気づいた。
ありがたかったが、またあんな遠くへカバンを取りに行くのかとゲンナリした。
明日はきっと、いい日になると思いたい。
どうせ新海誠のことだから、キモい性癖を散りばめて RADWIMPSで無理やり感動させる雰囲気作るいつものやつだろ、くらいの気持ちで臨んだ。
冷やかしの気持ちだ。
そうしたらあれですよ。
映画の中盤には東北道の北上して、物語の舞台が東北のあの辺になってきて
放射能で住めなくなった荒れ果てた街があって
ただ、ばあちゃんの家が福島にあって、小さいときに夏休みに泊りがけで遊びにいってたところ。
地元の駅は津波で流され、ばあちゃん家は放射能で住めなくなって、野生動物に荒らされて?ガラスが割れ草ボーボーになって
両親が防護服を着ながらそういう状態を写真に撮ってたんだけど、それにそっくりだった
呼吸が浅くなった
映画の描写は、津波の被害で家屋がぐしゃぐしゃ、船がおかしなところに乗っかっちまってるようなそんな街を映していて
これには本当にびっくりして涙が止まらなくなり、口のところまで流れてきてしょっぱかった
あの日俺は海老名で仕事してて、小田急止まって家に帰れなくなって
びっくりしてまた涙がぼたぼた落ちてきた
原発の仕事をしていた別の親戚は、仕事がなくなって引っ越したらしいが、まあそんなところだ
幼い日のすずめが、お母さんがいなくなった事を一生懸命に説明する描写がある
あの日、3月の冬の夜、帰る家も無く、たくさんの人が声を枯らして人探しをしたんだろう
そういう悲しさで辛くなって、手を合わせて祈りたい気持ちでいっぱいになってしまった
新海誠の新作映画、「すずめの戸締まり」を観てきた。これがどうにも周囲の人間に話がしづらいというか、未視聴の人に「どうだった?」と聞かれたときに応えづらい、しかし観た所感、体験だけは誰かと共有したい気持ちがすごくあるので書く。
この作品について語る上では、この映画が何を主軸に据えているかは避けて通れない。なので多少のネタバレ有りということは承知の上で一読されたい。
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この文章は現在30代、11年前は20代前半だった人物が書いている。
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本作のあらすじを簡潔に書く。
九州に住む主人公の少女すずめが旅の青年草太と出会う。草太は日本中の廃墟にある「後ろ戸」と呼ばれる扉を締めて回る「締め師」だ。すずめはその草太との出会いをきっかけに後ろ戸の脇に埋めてある「要石(かなめいし)」と呼ばれる石を抜いてしまい、その結果後ろ戸が開き、中から現れる巨大なミミズが地震を起こしてしまう。(椅子になる呪いなどについてはここで書きたいことではないので省く。)
抜かれた要石は「ダイジン」という名前の猫になり、登場人物たちはダイジンを追う過程で東北の被災地を訪れることになる。
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これは2011年3月11日、日本列島を襲った未曾有の災害、東日本大震災を主軸に据えた映画だ。
いきなりテーマについて述べるが、「この映画が何を描いているか」は本作エピローグで草太の口からわかりやすい形で語られている。
「人々が失ったものへの無念、悲しみが忘れられ軽くなったところに後ろ戸は開く。」
一度しか観ていないので正確なセリフではないが、このような趣旨の言葉が語られる。
「後ろ戸」とは現し世(現実)と常世(とこよ・霊界のような場所)を繋ぐ扉であり、そこが開くと扉から巨大なミミズが現れ(このミミズは締め師である草太、主人公のすずめにしか視認できない)、空から地上に落ちることで地震を起こす。
後ろ戸は廃墟にあるものだが、廃墟であるが故に、その地での災厄の記憶、失われたものへの想いは風化していく。そこには要石という石が埋めてあり、再び扉が開き災害が起こらないよう守っているのだ。
この映画は我々が体験してきた被災の記憶が風化されないよう、呼び起こすような映画だ。そして未視聴の人に説明をするのが難しいのもそのためだ。
映画館に足を運んだとき、自分は事前情報を全く入れずに行った。そして何となく映画を観始め、巨大ミミズが地震を起こし、物語の舞台が神戸へ移ったところで「おや」と思い、オープンカーが首都高を経由して東北道へ向かい始めたところで確信に変わり、そして気付かされた。「忘れていた」と。
忘れていたわけではない。事実としてはまだ記憶に新しい。ただし映画の中で鳴り響く緊急放送、津波で一掃された土地、そういったものの映画の中での情報の感触は、普段触れる情報とは全く異なったレベルで自分の記憶を呼び起こすものだった。その点に関しては映画スタッフの美術や演出の面々に感服させられた。
だからこそ、「東日本大震災のその後の物語だ」ということすら知らずに観るべきだ。なのにここにこんなことを書いていることについては矛盾にもほどがあるのだが。それでも、あのはっとする体験は代えがたいものだったように思う。
その点からまずこの映画の良かったのは、テイザーや物語冒頭でわかりやす過ぎる形でテーマを明かさない点だ(それでも屋根の上に船が乗っているのだけれど)。これも意図した演出なのだろう。
これが少しでも YouTube の予告編で明かされていようものなら、こんなに「観てよかった」と思うことはなかっただろう。
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この作品について語る上で、村上春樹の短編集「神の子どもたちはみな踊る」、特にその中の一編「かえるくん、東京を救う」を避けては通れない。
こんな話だ。
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東京で働くうだつの上がらない銀行員の中年男性が、ある日かえると出会い(「かえるくん」、とかえるくんは指を立てて訂正した)、かえるくんと共に地下に眠る巨大ミミズと闘い巨大地震を阻止する。その後男性は病室のベッドで目を覚ますが、傍らには闘いでボロボロになったかえるくんがいる。ふと気がつくとかえるくんの身体からボトボトとミミズが現れ、男性の身体がミミズに飲み込まれたところで、男性はその夢から覚める。
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こんなに似通えば嫌でも取り挙げたくなる。
この小説は1995年に日本で起きた阪神淡路大震災を柱に据えた小説である。
1995年、オウム真理教による地下鉄サリン事件と立て続けに起こり、日本の安全神話が崩れた年だ。
作者である村上春樹は、この年を経て、地下鉄サリン事件の関係者・被害者へのインタビューを行い、「アンダーグラウンド」という書籍をまとめ、普段我々が当たり前と感じて暮らしているこの社会、他者との関係性、足元の地面ですら、ありとあらゆるものが決して確かなものではないという危うさを看破し、小説への考え方について「デタッチメントからコミットメントへの転換があった」と語っている。簡潔に述べるが様々な関係性を一旦切り離して書くのではなく、コミット、深く関わっていく姿勢への移行だ。
氏はこのコミットメントについては、「日の光も届かない深い井戸の底へ降りていき、その中で手を取り合うような行為」というような言葉で表現している。光の一切届かない暗闇、自身の身体と周囲の空気、現実と非現実の境界が曖昧になる。死に近い場所だ。
人の日常生活では感知し得ない深い場所・心理、そういった部分で他者と手を取り合うこと。自分は氏の言うコミットメントをそのように捉えている。村上春樹はそのような時を経て2000年にこの小説を描き下ろした。
翻って本題の映画はどうだろう。いつも地の底に潜んでいる「地震を起こすミミズ」というモチーフ、すずめが自身のルーツである過去と向き合い、草太と再開を果たした、井戸の底のように現実と霊界の境界が危うくなる「常世」。何から何までが一対一対応というわけではないものの、通ずる部分があるように思えてならない。
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「神の子どもたちはみな踊る」は善悪の二元論ではなく陰陽論の物語集だ。
太極図、という白と黒の勾玉が互いに合わさって円を作っている図を見たことがあるだろうか。
こんなのだ☯
善悪、明暗などの世の中の事象は二分に切り分けられるわけでなく、互いにグラデーションにように折り重なり、それぞれが互いに内在し合うものである、という考え方であり、太極図はそれを表しているように読み取れる。
太極図について、ちょうど三角関数を学んだときに単位円の中で動径をθに合わせて回したように、円を描くように眺めると良い。
日が暮れるように、徐々に陽に陰が重なっていく。やがて陽がすべて陰に飲み込まれるが、その陰の中心には陽が内在する。
「かえるくん、東京を救う」の最後のシーンはまさにそれだ。主人公がミミズを飲み込み、それを夢として目を覚ますが、ちょうど「夢でしかない」くらいの点となって主人公の中に静かに存在する。
この小説中の作品に関して言えば「かえるくん、東京を救う」に限ったことではない。
宗教二世を描いた表題作「神の子どもたちはみな踊る」にせよ、バンコクのホテルで神戸に住む男の存在を思う研究者の女性にせよ、海辺で焚き火にあたる男女にせよ、自身の中には消して割り切ることのできないものが存在し、それですら目を背けることはできない自分自身なのだ。
その点でいえば、主人公すずめを育て上げながらも苦悩を抱えたまま中年期を迎えた叔母や、キャラクターが極端に振れるダイジンのあの姿に、どうしても自分は勾玉の形を照らし合わせたくなってしまう。
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我々が当たり前のように立っているこの足元、地面というのは確かなものではない。しかし一方でそれをある程度信頼した上で営んでいかなければならない生活がある。するとその表層上の信頼感によってその奥底にはらむ危険性をつい忘れてしまう。
東京都心の上空を巨大ミミズが覆い、今にも落ちて地震を起こそうとする。そこで一瞬ミミズの描写が消える。ミミズはすずめと草太にしか見えていないのだ。ずごごごご、と地震の前兆のような地鳴りが響いてきそうな予感を、スクリーン越しに観ている我々は感じるが、作中の街ゆく人々はそれに気付かず日常生活を送っている。
そこの描写が本当に良かった。地震とはいつもこうやって突然にしかやってこないんだ。そう思わされる。知ってはいるがいつも忘れている。今日この映画館に足を運んだ俺だってそうだった。そう思い知らされる。
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東日本大震災の発災当時、自分は東北地方からは離れた実家の部屋で揺れを感じていた。
2回目の大学4年生だったと思う。その年度も卒業の見通しは立たず、試しにやってみた就職活動も上手くいかず(リーマンショック直後の年だ)、大学にも足が向かず、鬱々とした日を過ごしていた。
インターネットに張り付いて、東北地方や東京の情報をひたすら追っていた。津波が町の何もかもを薙ぎ払っていく様子が全国に衝撃を与え、日が暮れるに差し掛かり日本全体が絶望に飲まれていくような空気を感じたように記憶している。
当時地元から離れた東京で働いている友人が数名いた。幸いにも彼らに大きな怪我はなく、交通機関による帰宅が困難となり、渋谷から半日かけて家まで歩いた、などという話を聞いた。
日本は強かった。余裕がない中でもそれぞれが自助共助に取り組み、生きながらえようとしていた。各大手企業にしても、サントリーは被災地に飲料水を発送し、ソフトバンクは公衆 Wi-Fi を無償開放した。当時流行っていた Ustream では日本の若者が NHK による被災状況の中継をカメラで撮影して流し、その行為の是非について当時の NHK Twitter 担当者が自身の責任と判断でそれを認め、情報共有を助けた。Evernote は有償の容量無制限サービスを日本人に向け一時無償提供を行った。
今ではウクライナと戦争真っ只中のロシアはプーチン大統領の「ありったけの物資を今すぐ日本に送れ」の大号令のもとに支援を行い、アメリカ軍は作戦名 Operation TOMODACHI を実行し日本に対し援助活動を行った。
悔しかった。社会の一員として何かを為せている人たちが立派に見えて仕方なかったし、事実立派であった。大混乱で帰宅、避難がやっとという友人たちでさえ、懸命に行動している姿が眩しく、自分が情けなくなった。俺は何をやっているんだ、と。
あれが人生の転機になった。転んでばかりの青年期、気持ちも前を向かず、ただただわがままばかりでいつも誰かのせいにしてばかりだった生活と、ようやく決別することができた。まずは目の前の事を片付けて四の五の言わずに働けと、アレがしたいコレはしたくないではなくどんなに小さく些細でも社会の中の一コマとして人のために出来ることをせよ、と自分に言い聞かせた。
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働き始め、転居をし、新しい人間関係を築き、仕事ももう若さでは乗り切れない年になりつつもやり甲斐を感じながら生活をしている。
10年間生きていると色々なことがある。見聞きしたもの、体験した記憶は、古いものから後ろに流され色褪せていく。
あの頃自分が感じた、鮮明ではなくなった様々を、しかし、劇場で唐突に思い出させられた。「お前はあの時どうだった、今はどうだ」と。
そこに前述の草太のセリフだ。2011年に東北地方に向けて自分が抱いた思い。それが忘れられ軽くなっていたところに、この映画は重さを再度伝える石となって自分にのし掛かったのだった。
あの時あの日本社会全体の空気感を体験した人が、今観るのに本当に良い映画だった。難解すぎず、わかりやすく、無駄がない。
新海誠の新作となれば中高生も大勢観るのだろう。ただ時間が経つのも早いもので、今の高校生でも発災当時は5,6歳だ。そういった世代が災害の恐怖を知る目的ならば「東京マグニチュード8.0」辺りを見ればよい。良い作品だ。
もしあなたが「君の名は。」や「天気の子」のような純度の高い恋愛ファンタジーを、あるいは「秒速5センチメートル」のようないじらしい恋愛アニメを期待するならば、この映画は応じない。
この映画はあの時を生き、その後を生きてきた人へ向けた作品だ。そしてそういう人たちとこんな風に、観た後の感想を共有したい。
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これで最後だ。
東北地方に差し掛かったところで、ドライバーの「綺麗なところだ」というセリフに対し被災者であるすずめは「綺麗?ここが?」と無感情な様子で返す。
遠くで震災を感じていただけの自分のような人間と、実際に被害に見舞われ大切な人や物、土地を失った人との間には、やはり件に対する感じ方にはどうしようもなく深い断絶があると思う。
やり切れない想いに対しては哀悼の意を持たざるを得ない。その上で、外野から眺めていただけの立場に立ったこの文章を不快に感じる部分があれば、そのような人がいれば、謝罪したい。しかしながら今のところこれが、11年経った今、この映画を観て自分の感じた率直なところだ。
またしばらく経ったら観に行ってみようと思う。
神奈川県民から見ると、栃木県は首都高から東北道が直結していて、車で行くのに便利。
これが群馬県だと関越が遠い。環八や環七の渋滞を超えないと群馬には行けない。
(電車バスだと群馬の観光地は割と近いがコロナ以降はかなり使いづらくなるだろう)
ということで群馬より栃木のほうが時間的にははるかに近いんだけど、確かに栃木と群馬だと、しばしば群馬の観光地を選びたくなる。
理由としては、「栃木だと、なんか雨が多い気がする」とかそんな。
日光も那須も、とくに夏のハイシーズンは雨にたたられやすいイメージがある。
日本全国どこも雨が多い時期ではあるんだが、群馬の山とか長野の山とかだと雨を避けやすい気がする。あくまで個人的主観。
栃木は東北の玄関口だった。だったというのは常磐道が宮城まで貫通して東北道より圧倒的に近くなったから。
宇都宮近辺に工場が多いのって東北から首都圏に物を送り込むためだったと思うんだけど、
常磐道経由に物流がもってかれると、東北道近辺って大変じゃね。
一方の群馬県は日本海側から首都圏への物流を一手に引き受けるから、雪で大変な以外は今後も安泰な感じがある。
北関東民独特の感覚だと思うのだけど、栃木群馬茨城県民は互いに自分が上だと思ってる。
自分もその例に漏れず、栃木県こそ北関東のテッペンだと思っていた。
茨城県には親近感はあった。
あらゆる面で似てる。
他県からのイメージは栃木が餃子、茨城は干し芋くらいのもんだろう。
栃木県民だからって餃子が好きなわけでもなく、茨城県民だからって干し芋ばかり食べてるわけでもないが、他県からみたらそう思われてるのが現実だろう。、
製造業も、茨城は海、栃木県は東北道と東北本線東北新幹線と地理的には恵まれているのに、互いにパッとしない。
正直、HITACHIには嫉妬してるが、HITACHIは本社は東京だし、HITACHIをカウントしなければ栃木県の勝ちだ。それに、今は県民所得としても栃木県が上なのだ。
たぶん勝因は、茨城県民の自滅だと思う。茨城県民は怒りっぽく協調性がない。互いに足を引っ張りあってたから、平成の大合併まで村ばっかりだった。天狗党の乱から成長してない。
港を擁するからには、天下人を何人も輩出し東海地方を見習って欲しい。東海地方からトヨタホンダが生まれたのは偶然ではあるまい。
さて、前置きが長くなった。
故郷を離れて上京するまでは、群馬県のことなんてほとんど意識しなかった。
空気のような県であった。
海無し県の栃木県に生まれると、海水浴のために茨城に行くことはあるのだが(栃木の海浜自然の家は茨城にある。租借地みたいなものだ)、群馬とはとんと縁がない。
草津伊香保くらいは聞いたことがあるが、温泉など栃木県内で間に合ってる。
焼きまんじゅうとかいう具なしの小麦菓子があるとか、蒟蒻や葱を好むという情報は流れてくるが、別段憧れもしなかった。
群馬が総理大臣を多く輩出したことは知っていたが、その中に特に思い入れがある人物もいなかったので、コンプレックスを感じることもなかった。初めて群馬の地に足を踏み入れたとき、道の広さに政治家の力を感じたがその程度であった。
埼玉県民は蕎麦も食べない。蕎麦より小麦だ。未開人群馬県民みたいな食生活だった。
栃木県民は海無し県だというのに魚介類を好んで食べるというのに。
そしてロードサイドのヤマダ電機、栃木県の誇りコジマはすっかり埼玉から駆逐されてしまった。
カインズホームが群馬企業のベイシア系列と知った時は衝撃だった。
ベイシア系列のベイシア、カインズホーム、オートアールズ、前述のヤマダ電機、築地銀だこ、悔しいが強い。
先日帰省の途中、仙台のたんや善次郎に寄って牛タンを堪能した。
これまでに食べた牛タンで一番美味しかったのでは?と思うほどだった。
これまでといえば、仙台の利久一辺倒だった。
何度目かに利久を訪れた時、「極」という限定メニューを食べたのだが、
それが旨くて病み付きになり、それ以来牛タンは利久以外に行った事が無かった。
(あ、一度だけ、出張で、福岡のステーションビル地階で食べた牛タンは薄くて硬くてサイテーだった。)
ところがだ、今回は利久では無く行ってみようと思い立ち、ググって善次郎を見つけた。
牛タン定食も旨そうだったけど、「上選極厚真中たん定食」というのに惹かれた。
東北道下り線、泉スマートICを降りて右へ。アウトレットの中にある店舗を目指した。
因みに、泉スマートICを降りて左へ向かうと、利久泉中央店に辿り着ける。
何故今まで、利久を外して新たな店を探そうとしなかったのだろう。
利久は柔らかすぎると言う人もいるが、個人的には噛み切りにくい部分のある、
善次郎にはそれが無く、噛み応えはあっても噛み切りやすい、とても美味しい牛タンだった。
厚みはどちらもメニューによって選べるが、どちらもそれぞれ旨い。
(利久の「極」は発売当初は限定だったが、数年後には限定ではなくなっていた。)
どちらの店でも、厚みがあって、独自の塩ダレを染込ませた、柔らかな牛タン。
噛み応えがあって、噛むと口の中に塩ダレの染みた牛タンの旨味が広がる。
麦とろ飯との相性も抜群。
添えられた漬物も、これまた相性がいい。
定食で一緒に提供されるテールスープ、これまたあっさりとしていて、
牛タンの旨味を優しく胃袋に流し込んでくれるが、ネギが苦手な人は最初にネギ抜きでと頼めばいい。
あー、また食べに行きたい、善次郎の牛タン。
運転中に煽られたら、路肩に止めて110番、というのが最近あちこちに書かれている。
それに異を唱えるつもりはないが、そもそも煽られないようにした方が楽じゃね?という視点はいまいち少ないように思う。
そんなわけで、煽り歴0回、煽られ歴2回、イラっとした歴無数の増田が、
普段気を付けていることを書いてみたいと思う。
まぁ大体の人は実践してると思うけど、ペーパードライバーには役に立つかもしれない、と思って書いている。
書いてみたいと言ったが、これがほぼ全てだ。
何故イライラするか?そこに邪魔する奴がいるからだ。なので、そいつを邪魔しないことが第一となる。
肩身を狭くしながら走れ、と言われているようでムカッとするかもしれないが、
他車に配慮した運転をやろう、と書けばそうでもないのではないだろうか。ものは言いようである。
余談だが、「マイペースで運転すれば安全である」というのは、必ずしも正しくない。
マイペースで運転するということは、言い換えると他車のことなんて知ったこっちゃないという運転だからだ。
では具体的にいってみよう。
左車線は遅い車、右車線は速い車が走る、というのが原則だ。
大抵速い車は右側からブイーンと抜かしにかかる。それが法律で認められているからだ。
そんなときに右側でタラタラ走っている自動車が居たらどう思うか?
法律を守って法定速度で走っているから大丈夫?いやいや、関係ない。邪魔かどうかが全てなのである。
後続車の加速度合いがわからないのであれば、さっさと左車線に入った方が良い。
いや、お前が遅いからスピードを合わせざるを得ないだけかもしれない。
そもそもいつ後続車が来たのか、どれくらいのスピードで追いついてきたか確認しているか?
そんなこともわからないようであれば、左車線だけ走っておいた方が無難である。
後ろから来た車に気付かない、というのは論外だと個人的には思う。
なお、高速道路で追い越し車線を走り続けると、法定速度は関係なく法律違反になる。
その点からも、慣れていないドライバーが右車線を走り続けるのはお勧めしない。
法定速度50km/hの道路では、大抵の車が50km/hもしくはそれ以上で動いている。
止まるのは良い。が、その後の加速が遅いと後続車のイライラの原因となる。
法定速度50km/hの道路でいつまでも40km/hで走っていると
「なんだこいつ?」と思われるのである。
最終的に50km/hまで加速するのであれば、最初にグンとアクセルを踏んで50km/hまで加速した方が良い。
安全確認はしっかりとやろう。そのうえでアクセルを踏むのである。
大体のドライバーは、前の車だけ見て運転しているわけではない。前の前まで見て運転している。
前の前を見て大丈夫だと判断しているときに、前の車が変なタイミングでブレーキをかけると
「なんだこいつ?」と思われるのである。
メーターが法定速度を超えそうになった?後ろのドライバーにとってはそんなの知ったこっちゃない。
人を引きそうになった?そりゃブレーキを踏んでも仕方がない。
右折したくなった?ブレーキを踏む前にウィンカーを出せ。右折するならブレーキ踏むのはわかる。
周囲に挙動不審な車だと思わせてしまうような運転は、間違いなく下手な運転だ。
自分がどう動きたいのかを早めに周囲に知らせれば、周囲はそれに合わせて運転できる。
右折したいときに先に右折ウィンカーを出していれば、後続車は左に寄って避けることもできる。
ブレーキを踏んで減速して、その後でウィンカーを出していると、
「さっさと避けれたのに邪魔しやがってなんだこいつ」と思われるのである。
ブレーキを踏む充分前に、ウィンカーを出すようにしよう。
道を走っていると、左右から合流してくる車があるだろう。
それらの車を自車の前に入れてあげることもあると思うが、やりすぎると自車側の流れが悪くなってしまう。
横から1台入る分だけ、こちら側が1台遅くなってしまうのである。
こちらが優先道路であるにもかかわらず、優先して走ることができない状況が続くと
「なんだこいつ?」と思われるのである。
優先道路を走っているのなら、優先して走れば良いのだ。それで警察に文句言われることはない。
法定速度をかたくなに守ろうとする車がいる。それ自体は悪いことではない。
が、得てしてそういう車は安全かどうかをスピードだけで判断する傾向があるように思う。
スピードメーターだけ気にして、田んぼの真ん中でブレーキランプを踏んだりしていると
「なんだこいつ?」と思われるのである。
ただし近くにパトカーが止まっていると感謝されるのでこの限りではない。
法律を守るなというつもりはないが、個人的には速度より車間距離の方が断然重要だと思っている。
どうしようもなく運転が下手なら、初心者マークを貼っておくのも悪くはないのではないかと思う。
「なんだこいつ?」と思われたときに、「あー初心者なら仕方ないか」と思ってくれる余地を残しておくのである。
ただ、この辺は逆効果になりそうなところもあるので何とも言えない。
基本的には、1~6を守っておけば良いのではないだろうかと思う。
なお、免許を取って1年以上経ってたとしても、初心者マークを貼るのは法律違反ではないらしい。
ここまで書いた通り、法律を守っていれば煽られることはない、なんて言えない。
法律を忠実に守ろうとすればするほど、煽られる側に立ちやすくなることすらあるだろう。
法律は安全に走るための道具である。安全に走ることが目的なのだ。
安全に走ることを第一に、法律を守ることを第二に、くらいで丁度良いと思う。私見だが。
周囲への配慮という意味でも問題が生じがちじゃないかと思っている。
ありきたりではあるが、早めに返納できる環境であれば、返納した方が良いのではないかと思う。
こないだ東北道で若干渋滞してる時に車間距離を詰めてくるトラックを見かけたけど、
そんなもんいくら事前に注意を払ってもどうしようもない。
渋滞してる時にスピード出して逃げるとか車線を変えるなんて無理なのだ。そういう時はため息をつきながら距離を置いて見守るしかない。
個人的には、GPS付きのドライブレコーダーを警察に提出したらシステマチックに検挙してくれるシステムが欲しい。
誰か作ってくれないものか。
(追記)
今年もNHKのサイトで「ドキュメント72時間」の人気投票をしているけど、本年放送分のみなのが残念。
まあそうだよね。制限がないと過去放送が何回もエントリーしちゃうし。
1位 | 名古屋~苫小牧・旅立ちのフェリー | 2007 |
---|---|---|
2位 | 秋田・真冬の自販機の前で | 2015 |
3位 | 徳島~高知・ゆきゆきて 酷道439 | 2016 |
4位 | 千葉・大病院の小さなコンビニ | 2014 |
5位 | 大阪・串カツエレジー | 2013 |
6位 | 福島・東北道あだたらサービスエリア | 2012 |
7位 | 埼玉・最後の避難所から | 2013 |
8位 | 佐賀・トラック一人旅 風に吹かれて | 2017 |
9位 | 青森・冬津軽 100円の温泉で | 2016 |
もちろん新幹線などセレブな乗り物には乗れないので社用車での移動だ。
20時ごろには撮り終えたが、宿をとるなど贅沢なことは言えないから日帰りである。
先輩が「疲れた。寝たい」と言うので、帰りの運転手は運転歴(正確には免許取得から)3ヶ月の同僚となった。
同僚にできることはないか聞く。「助手席で話し相手となって欲しい」と言われたので、助手席に乗車していた。
はじめは初心者の運転に心臓が慌ただしく鳴っていたが(免許を持っていないヤツが偉そうに申し訳ない)、慎重な安全運転をする人で、すっかり気が緩んでいた。
パンッ
爆発したような音が車の後方から聞こえてきたのは、東北高速道に乗って1時間ほど経ったころ。
何の音か分からずただただ驚いていた私たちなどお構いなしに、車は失速していく。
幸い走行車線(追い越し車線ではない方)を走っていたので、なんとか路肩に寄せた。
「ガス欠じゃねーか」
普段から運転する人には信じられないと思う。しかし、初心者の私たちは(うち一人は免許すら持っていない)運転に気を取られてしまい、ガソリンのランプが点灯していたことに気づかなかったのだ。
といわれた。
発煙筒はアクシデント発生地点よりも50m以上後方に置くよう指示されていたので、ガードレール沿いに走って置いた。
やるべきことはすべておこなった。あとは、JAFを待つのみである。
日帰りの日中撮影だと思いコート1枚しか用意がなかった。寒さが染みる。
することがないので、ただ星を眺めていた。
道の駅でお土産として買った鮭とばを4人で貪りながら、救助を待った。
誰かの提案で、しりとりをすることになった。大人のしりとりは何かのしばりがないと延々と続く。そして、早々に飽きるのだ。
時計を見た。まだ15分程度しか経っていない。寒空の下もう45分待つのは、非常にしんどい。
発煙筒が消えてきた。
カーブで止まってしまっている。発煙筒もない。ハザードの光も弱い。後ろから来る車にとって認識しにくい状況だ。
うつらうつらで運転している人がいたら……あらゆるネガティブな想像が頭のなかに浮かぶ。無理やりかき消す。
そうこうしているうちに、黄色いパトランプが見えた。高速道路の見回りをしている人たちだった。
我々の前で停車したので、ワケを話す。もしかして、助けてくれるかなと期待をしながら。
しかし、彼らにできることはないようだ。あと30分くらい、JAFを待つしかないという。
鮭とばはもうなくなってしまった。冷たさのあまり手足の感覚がなくなる。震えが止まらない。
こんなことなら残っている原稿持ってくればよかったなどと考えていたとき、JAFが到着した。
無事、ガソリンをある程度いれてもらい、最寄りのSAまで同行いただいた。
SAの自販機でホットコーヒーを買った。温かい飲み物が口から胃にながれる。自販機の100円コーヒーがこんなにも旨い。
停車の原因はガス欠。完全に自業自得な話なのだが、もし誰かの役にたてば幸いである。
思いのほか反響があって驚いている。
もう何年も前の話だが、いまだに増田は免許を持っていないし普段車にも乗らないので、車の知識は皆無だと思ってください。
これ、ガス欠関係ないのか。だんだん光が心もとなくなってったんだけど、あれ何だったんですか?教えて偉い人。
>破裂音