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2016-06-11

不登校自殺も出来ない病んでる人の話

はあ。念願のこれ。この匿名ダイアリーが書きたくてはてなIDをつくった。(ガチ)

最近なんだかいろいろつらいというか精神おかしくなってきていて、安定するには文章書けばいいんじゃないかという結論に至りこれを書いている。なんで文章精神安定だよって読んでいる人には何が何だかからないと思うし、もしかすると読んでる人もいないかもしれないけれど、まあ暇すぎて暇すぎてという人の暇つぶしくらいにはなると思うので、よかったら読んでほしい。

いまわたしは花のJKである。真っ盛りである。でもまったく花なんかじゃなくどちらかというとスクールカースト上位の花達のなかにクラス編成のために人数合わせで入れられた泥水のような毎日を過ごしている。自分で書いといてあれだけど、結構おもしろくない?あ、おもしろくない?ていうかスマホからだと絶妙に打ちにくいな……まあ書くけど。

友だち……はいないわけではない。お昼にぼっちになることもない。移動がひとりということもあんまりない。端的に言うといじめられてません。だけど、ぜんぜんたのしくない。カースト上位の子がたのしそうにしているのを見ると、腹が立つというか、腹が立つのもお門違い。だってあっち、悪くないし。腹が立っているのは自分に対して。花のJKわたしいちばんつらいと思う行事ってなーんだ。文化祭だよ。準備に出たけど話せる子は部活やら実行委員やらでまったくいなくって、出来上がってるカースト上位のグループわたし教室に入ってもちらりと見るだけで、まあわたしが見えてないらしい。知ってたけど。わたしもまったくはなせない。そういう系、わかるひとにはわかる、そういう系の人と話すのは、苦手だ。でも出ないと何か言われるし、なんだかもういろいろ嫌だった。必死に出たけど、話す人もいないし、離れたとこでひとりでもくもくと作業して、帰りのラッシュがおこる前にそっと帰ってた。話せない自分にも腹が立つ。羨ましいんだな。そうやって、キラキラしてて、いかにもJKですって感じの、男子と話せてて、クラス発言権持ってて、なんか、どこでその子たちと違う道に来ちゃったのかわかんないけど、あたしもそういう日々を、そういうJKに、なりたかった。なんでなれないんだろう。何が違うのかな。あたしだってみんなでわいわい文化祭準備して、たくさん写真とって、そうやってやりたかった。みんな、あたしと話してくれる子も、それぞれいちばん仲いい子っていうのはいて、でもあたしにはいなくて、そういう子と過ごせたら、なんか違ったのか、とか、なんとか、打ち上げしよー!って一部でクラスLINEで騒いでるの見て、Twitterで〇組最高〜!文化祭しかった〜!って、これでもかってくらいコラージュされて加工された写真つけたツイートみて、心が冷えた。どうしたものか。あたしがやりたかったことをみんなはやっている。なんであたしにはできないんだろうか。中学ではけっこういろんな子と話せてて、面白いねって言われてて、あたしのポジションクラスにあった。いまは、ないけど。なんだかもうどうしていいかからないし、さいきん学校気持ち悪くなること多数で、病院つれてかれそうです。ハートクリニック(笑)

いじめられてない。自傷する勇気?ない。 爪でやってるけど、カッター怖くて使えないの。ビビリかよ……友だちいる。でもなんかいつも孤独で、なんでこうかわかんないよ。家族とはトラブルとかないよ。あたしのメンタルが弱すぎるのか。さいきんは自分ダメすぎて、こんなのにお金を払って育ててる親、かわいそうだなっておもう。勉強運動できないし。しにたいとかじゃなくてやりなおしたいっていうかきえたいっていうか、わかるかな、そんな感じで、月曜を思ってため息はきながらこれ書いてる。

読んでくれてありがとうおやすみなさい。

エンターテイメントがしぬかもしれないはなしその1

エンターテイメント死ぬかもしれない話

おたくも長く続けていくと色んなジャンル友達が散らばり、色んなジャンルに対する浅い知識が増えていく。

なんとなく今どこのジャンルに活気があるのか、雰囲気でわかるようになる。それはツイッターがあるからだろうし、昔では考えられない量の情報簡単に手にすることができるからだと思う

そんなわたしひとつの仮説としてわりと真面目に考え、色んな友人に話していることがある

それが「エンターテイメント死ぬ話」である

自分の年齢をはっきりと明記するのがそろそろ嫌な年なので、ぼかした表現にするが、わたしゆとり世代であり、就職すればゲッという顔をされた平成生まれであり、ジャニーズで言えば八乙女世代堀越で言っても八乙女三浦春馬世代アミューズでいうところの三浦春馬戸谷公人水田航生あたりの世代のそろそろしっかりクソババア世代である

からエンターテイメントが死にかけているように感じるのは、わたしアンテナが腐って倒れそうになっているからなのかもしれないし、わたしの知らない世界で新しいエンターテイメント誕生しているのかもしれない

けれど、わたしの目の届くところにあるエンターテイメントはみんな死にかけている

具体的にどういったことが言いたいかということをわたしが若手俳優キチガイヲタになった2010年あたりを軸に色んなジャンルのことを考えていきたい

2010年、若手俳優世界は非常に盛り上がっていたと思う。

テニミュファースト最後ドリライがあった年だ。身内がDDドリライに行っていたから知っている

その年のゴールデンウィークは、戸谷公人誕生日イベントがあり、新宿御苑サンモールではたしかDステが行われていたように思う

当時の身内に誘われて遊びに行くとサンモールものすごい数のおたくがいた。

わたしはというとバースデーイベントチケットを両部合わせて5枚余らせていたので、その場にいた子達を誘ってみたが、Dステの千秋楽から無理だと断られた

2010年はそんな年だ。

アミューズでいえば宝石シリーズ及び黒白シリーズが始まった年でもある。

赤坂ボーイズキャバレーに夏を費やしたおたくが何人いたことか。

特撮で言えば、丁度2009年平成ライダー10周年記念のデイケイドの放送年で、一区切りついたところで、今をときめく菅田将暉が初々しく日曜8時で戦っていた年だ。

とにかくお祭り騒ぎだった。どこの現場も非常に盛り上がり、頭のおかしおたくがたくさんいた

他のジャンルにも目を向けて行こうと思う

例えばお笑いでは10連続で開催していたM−1が一度幕を下ろしたのも2010年のことであった。ずっと優勝できずにいた笑い飯がようやくM−1王者に輝いた年である

アイドルではAKB48の第二回総選挙が行われた年である。このあたりがわたし国民アイドルという視点AKB評価したときの最高潮に盛り上がりを迎えていた瞬間だと思っている

2010年は、エンターテイメントを時の流れで区分したときに大きな区切りとなる年であると考えている

では今度は2010年以前の10年くらいのことを考えてみたいと思う。

わたし小学校低学年の頃に一斉を風靡したSPEEDが電撃解散をして、その数年後に現れたのがモーニング娘。だった

しかし、ザ☆ピース以来、モーニング娘。国民アイドルというポジションを離れ、ハロープロジェクトというジャンルの中に入っていってしまった。

そしてそれ以来、AKB大学の頃に国民アイドルと呼ばれるようになるまで、特にアイドルらしいアイドルわたしの視界には入らなかった

しろモーニング娘。のあとは、いわゆる巨乳グラドルが台頭してきた時代のように感じるが、残念ながらあんまりわたしグラドルに興味を持つ性別でも年頃でもなかったので、あまり記憶がない

小池栄子は気付いたら女優としてもタレントとしても非常に大成していたのでまじですごい巨乳お姉さんだと思っている)

中学校の頃(2000年代前半)は芸人黄金時代だったように感じる(わたし芸人おたくをしていたことがないので実際にいつが黄金時代定義されるのかはわからないのだけれど)

イメージとして、このあたりから盛り上がって2010年お笑いの盛り上がりのピークと捉えている

思えばわたしエンターテイメントに恵まれ世代だったと思う。

小学校ときには体育大会モーニング娘。のザ☆ピースが流れ、組立体操をした。

高学年のときには笑う犬の冒険を熱心に見て、それがいつのまにか水10になり、中学校文化祭では先輩たちに目をつけられながらも、有志でゴリエミッキーを踊った

やんちゃな子たちはごくせんに憧れ、みんなで文化祭クラスの出し物でごくせんをやり、最後にはスマスマキムタクたちが踊り流行っていた恋のマイアヒエンディングで踊った。

週末をこえて学校に登校すれば、みんなエンタの神様の話をしていた。誰がおもしろい、誰のネタがどうだ、誰がかっこいい

ジャニーズも、いわゆる若手三組と呼ばれるNEWS関ジャニ∞KAT-TUNが立て続けにデビューした頃で、みんな通学鞄に好きなジャニーズメンバー名前ポスカで書いていた

力尽きたので、つづく。

エンターテイメントがしぬかもしれないはなし

エンターテイメントが死ぬかもしれない話

⚫︎前提

・元々自分のfc2ブログからの転載です

・とにかく長い

・とにかく辛口

・怒らないでください

おたくも長く続けていくと色んなジャンルに友達が散らばり、色んなジャンルに対する浅い知識が増えていく。

なんとなく今どこのジャンルに活気があるのか、雰囲気でわかるようになる。それはツイッターがあるからだろうし、昔では考えられない量の情報を簡単に手にすることができるからだと思う

そんなわたしひとつの仮説としてわりと真面目に考え、色んな友人に話していることがある

それが「エンターテイメントが死ぬ話」である

自分の年齢をはっきりと明記するのがそろそろ嫌な年なので、ぼかした表現にするが、わたしゆとり世代であり、就職すればゲッという顔をされた平成生まれであり、ジャニーズで言えば八乙女世代、堀越で言っても八乙女三浦春馬世代、アミューズでいうところの三浦春馬戸谷公人水田航生あたりの世代のそろそろしっかりクソババア世代である

だから、エンターテイメントが死にかけているように感じるのは、わたしアンテナが腐って倒れそうになっているからなのかもしれないし、わたしの知らない世界で新しいエンターテイメントが誕生しているのかもしれない

けれど、わたしの目の届くところにあるエンターテイメントはみんな死にかけている

具体的にどういったことが言いたいかということをわたしが若手俳優のキチガイヲタになった2010年あたりを軸に色んなジャンルのことを考えていきたい

2010年、若手俳優の世界は非常に盛り上がっていたと思う。

テニミュファーストの最後のドリライがあった年だ。身内がDDでドリライに行っていたから知っている

その年のゴールデンウィークは、戸谷公人誕生日イベントがあり、新宿御苑サンモールではたしかDステが行われていたように思う

当時の身内に誘われて遊びに行くとサンモールにものすごい数のおたくがいた。

わたしはというとバースデーイベントチケットを両部合わせて5枚余らせていたので、その場にいた子達を誘ってみたが、Dステの千秋楽だから無理だと断られた

2010年はそんな年だ。

アミューズでいえば宝石シリーズ及び黒白シリーズが始まった年でもある。

赤坂ボーイズキャバレーに夏を費やしたおたくが何人いたことか。

特撮で言えば、丁度2009年平成ライダー10周年記念のデイケイドの放送年で、一区切りついたところで、今をときめく菅田将暉が初々しく日曜8時で戦っていた年だ。

とにかくお祭り騒ぎだった。どこの現場も非常に盛り上がり、頭のおかしおたくがたくさんいた

他のジャンルにも目を向けて行こうと思う

例えばお笑いでは10年連続で開催していたM−1が一度幕を下ろしたのも2010年のことであった。ずっと優勝できずにいた笑い飯がようやくM−1王者に輝いた年である

アイドルではAKB48の第二回総選挙が行われた年である。このあたりがわたしは国民的アイドルという視点でAKBを評価したときの最高潮に盛り上がりを迎えていた瞬間だと思っている

2010年は、エンターテイメントを時の流れで区分したときに大きな区切りとなる年であると考えている

では今度は2010年以前の10年くらいのことを考えてみたいと思う。

わたし小学校低学年の頃に一斉を風靡したSPEEDが電撃解散をして、その数年後に現れたのがモーニング娘。だった

しかし、ザ☆ピース以来、モーニング娘。は国民的アイドルというポジションを離れ、ハロープロジェクトというジャンルの中に入っていってしまった。

そしてそれ以来、AKBが大学の頃に国民的アイドルと呼ばれるようになるまで、特にアイドルらしいアイドルわたしの視界には入らなかった

むしろモーニング娘。のあとは、いわゆる巨乳グラドルが台頭してきた時代のように感じるが、残念ながらあんまりわたしグラドルに興味を持つ性別でも年頃でもなかったので、あまり記憶がない

小池栄子は気付いたら女優としてもタレントとしても非常に大成していたのでまじですごい巨乳お姉さんだと思っている)

中学校の頃(2000年代前半)は芸人の黄金時代だったように感じる(わたしは芸人のおたくをしていたことがないので実際にいつが黄金時代と定義されるのかはわからないのだけれど)

イメージとして、このあたりから盛り上がって2010年お笑いの盛り上がりのピークと捉えている

思えばわたしエンターテイメントに恵まれた世代だったと思う。

小学校のときには体育大会でモーニング娘。のザ☆ピースが流れ、組立体操をした。

高学年のときには笑う犬の冒険を熱心に見て、それがいつのまにか水10になり、中学校文化祭では先輩たちに目をつけられながらも、有志でゴリエミッキーを踊った

やんちゃな子たちはごくせんに憧れ、みんなで文化祭クラスの出し物でごくせんをやり、最後にはスマスマキムタクたちが踊り流行っていた恋のマイアヒエンディングで踊った。

週末をこえて学校に登校すれば、みんなエンタの神様の話をしていた。誰がおもしろい、誰のネタがどうだ、誰がかっこいい

ジャニーズも、いわゆる若手三組と呼ばれるNEWS、関ジャニ∞KAT-TUNが立て続けにデビューした頃で、みんな通学鞄に好きなジャニーズメンバーの名前をポスカで書いていた

(ここで一度力つきた)

エンターテイメントがしぬかもしれないはなしの続き。

前回は2000年2010年あたりのアイドルジャニーズお笑いジャンルでなにが起こっていたのかということをさらっと(わたしの十代の記憶と共に)振り返った

では現在虫の息である若手俳優の世界でなにが起こっていたのかということも一応書き記しておく

まさに2.5次元ミュージカルの王様(なぜ若手俳優の舞台はつまらなく、客席が埋まらないのかおたくが真剣に考えてみたブログ参照)であるテニミュが初めて上演されたのは2003年のことである

当時の話はパイセンたちからのお話でしか聞いたことがないけれど、はじめは客席が埋まらないのでキメ様のライブをおわりにやったりして、キメ様のおたくとかでがんばって埋めていたらしい

ちなみにみんな大好き氷帝学園、いまをときめく斎藤工が出演していた氷帝公演が行われたのは、2005年の話であるから、テニミュ(若手俳優)の世界も前述の通り、やっぱり2010年向かって右肩あがりの時代だったんだと思う

それでは今度こそ2010年以降、おたくの世界になにが起こってきたのかをふんわり考えてみようと思う

現状として、大きくふたつの問題がエンタメおたく界の中に発生している

ひとつは、村社会としてのおたく世界におけるおたく高齢化社会、ふたつめは、生産的おたくの少数化である

このふたつは繋がった大きなひとつの問題である

⚫︎「おたく高齢化社会」とは

その名の通り、おたく高齢化が進んでいるという話である

変な話だと思うかもしれない。今日本は国として、ずっと偏見を持たれて消極的に虐げられてきた「おたく」という異常な世界をひとつ国民性としてピックアップしていって、それを日本の特色としてビジネスにしようとしている

そして、おたくではない人たちがおたくの世界に土足で踏み込んできて、自分たちが興味を持った部分のみを取り上げて「これがおたくなんです!」とテレビや雑誌なんかで言っちゃってる

元々こういうサブカル推しの政策になるまでにおたくになっている人たち(わたし含め)は昔の閉鎖的なおたくの世界の中での「みんな違ってみんなとりあえずよし」というのに慣れているからあんまり気にしてないかもしれないけれど、

新規参入してきたおたくの人たちはひょっとしたら、マスコミたちが取り上げた「おたくの世界のひとつの側面」を見て、自分でなにか実体験として掴み取ることもせずにこれがおたくなんだとぼんやりと捉えているだけなんじゃないかとわたしは危惧している

おたくというのは長らく村社会である

村のコミュニティーの中に入れていようが、村八分されていようが、そこに存在する限り、とりあえず全員村民である

例外ももちろんあると思う。

例えばワンピースが好きだったとして、毎週ジャンプを買い、単行本を買い集め、アニメを視聴し、自分なりに設定についての考察を行う

これをネットなどに発表することなく、誰に見せることもなくひたすらノートに書き綴っていたら、自己完結しているので、他者から村民として認知されることはないと思う

けれど、この人が例えばホームページを立ち上げて自分なりの考察を世界に発表したら、例え誰かと交流を持たなくても、わたしは村民として世界に存在していることになると考えている

他のワンピースおたくは誰かしらそれを読むだろうし、感想をメールする人もいるかもしれないし、リンクフリーと書いてあったら、リンクページやブログにその考察サイトのURLを貼るかもしれない

かたや、HPを立ち上げたもののアクセスがなかったら、自らサーチに登録するかもしれない

こうして、村の中へと入っていくのである

村の中には色んな人がいる。

一流企業で働いているエリートもいれば、ニートに近いフリーターもいるし、学生もいれば、子持ち主婦もいる

けれど、暗黙の村の掟というものがおそらくどのジャンルおたくの世界にも存在して、もちろん可視化されたものではないので、最初はわからないのだけれど、どの村にも、RPGゲームで話しかけてくる村民みたいなやつがいて、

これはこうすればいいんだよ、これがどうなんだよ、とふんわりと村の掟を教えてくれていた

物事というものは、完全にゼロから創造されることはない

そこになにかが存在して、そして、基礎とされるルールが存在して、初めてそこからなにかが生み出される

ことにおたくという生き物は、おたくという側面においてイチからなにかを創造する生き物ではないと考える

何かが存在して、それになにかアレンジを加えて、別のなにかに変化させるのがおたくだと思う

なにが言いたいかというと、アイドルがいて、おたくがいる

漫画があって、おたくが読む、舞台が上演されて、おたくが観る

おたくというのは、創造されたなにかを完成させる上で不可欠な存在ではあるが、まずはじめは受け手

受け手として、その世界に存在するにあたって、どんな世界にもルールがある

けれど、情報化社会の中で、おたく世界の中の村という概念が何年も前から崩れている

これは、若い子に限ったことではない。

マスコミが取り上げたおたくの世界を見て、おもしろそう!と新規参入してきた年配おたくも同様である

そうすると、どういうことが起こるのかというと、新規参入おたくたちはSNSなどのツールばっかりは立派に持っているのだけれど、RPGゲームで話しかけてくれるおたくがいないものだから、

レベル上げの方法を知らずにずっとマサラタウンの横の草むらでコラッタキャタピーや同じようにそこに留まって地図を持たないおたく同士で、これがおたくなんだー!たのしー!となっている(もちろん例外もいる)(自ら見つけていけるんだから、わたしと違ってまじ天才的だと思っている)

村民おたくマサラタウンおたくとのおたくの分離化が進む中で、旧型のおたく高齢化が止まらない

⚫︎「生産的おたくの少数化」とは

どのジャンルにもいると思うのだけれど、ツイッターに常駐していて、キチガイを名乗っている若い自称おたくの子たちがわりと一定数いる

これは本当にかわいそうだ。

なぜならなんの生産性もないツイッターに常駐して時間を無駄に浪費しているということはおたくでもキチガイでもなんでもなくて、生産性の低いただのかまってちゃんだからだ

けれど、それでも時間が潰せるものだから、若い子たちはきっと常駐してしまうんだと思う

ツイッターがリアの頃に普及していなかった世代からすると、完全に異常なので、正直積極的にリプを飛ばして関わり合いになろうとは思わない(自分のことを棚に上げてこんなことを言っているがわたしも相当別のベクトルやばいヤツなので、関わり合いにならない方がいいと思う)

わたしが若い頃は、ツイッターがなかったので、ひまだったらもっぱらブログを更新するか、様々な匿名掲示板を眺めるか、仲間内でチャットメールをするか、などしか暇つぶしツールがなかったのだけれど、完全に村社会だったので、

なぜかそんなわたしを見ておもしろそうと思ってくれた色んなお姉さんが色んなことを教えてくれて、暇つぶしの中でも生産性のある暇つぶしツールを与えてくれたというか、

ジャンルおたくの先輩として、例えばこのライブはどのアーティストのどのライブの影響を受けているから、そっちも見ていた方がいいだとか、

この作品を見て、こういう感想を持つなら、きっとこの作家のこういった本が好きだろうから、読んでみたら?だとか様々なアドバイスをもらった結果、

10年以上かけて、こんな神の視点からブログを書くような高尚おたくに育ったのである

(十代の頃から3歳から10歳以上年上の友達とばかり遊んでいたので、地方の女子高生の身分で東京の女子大の講義にこっそり潜りこんだりしているような変な女子高生だった)

はっきり言って、おたくおたくとして存在している時点で9割は凡である

だから、自分でなにかを創造することはできないと思った方がいいし、レベル上げの最も簡単な近道は先人に教えを乞うことである

テニミュに関してだってそうである

素晴らしいことなのか、残念なことなのか、若い子たちはどう捉えるかわからないが、テニミュというコンテンツが好きでファーストから通っているおたくはたくさんいる

DVDで当時の公演を振り返ることは不可能ではないが、ネルケは財布をしめていくことを決して許さないので、きっと過去の公演のDVDまで買いあさるなんてなかなかできることではない(それに残念ながら逮捕者がでている公演のDVDは発禁になっている)

ひとりそういうババアおたくと仲良くなって、そういう話を教えてもらって、自分の中にインプットして、そこに自分なりの仮説と解釈を加えるだけで、高尚おたくになれるのに、

ツイッターを眺めていると結局同世代同士でつるんでいるのが多い気がする

その点において、タレコミとかで叩かれているような痛いおたくの子たちの方が結局現場で昔からいるババアたちと顔を合わせて、情報戦で勝てないババアたちといかにうまくやっていくかという課題と直面しているので、

よっぽど要領がいいというか、低姿勢で吸収力があるなあと個人的には思う(ババア側の人間)

⚫︎なぜ生産性の低いおたく多数派だとダメなのか

ここまで読んで、どうして生産性の低いおたくだとだめなんだ、ツイッターで同世代で楽しくつるんでなにがだめなんだ、痛いワタシみたいな高尚おたくになる必要性がどこにあるんだ、と思った人が多数だと思う

なぜダメなのか、

まずひとつめは、マサラタウンの草むらには何年もいられないということ

ふたつめは、マサラタウンの草むらにいただけではポケモンプレイしたとは言えない

ので、布教ができないということである

例え話だとぴんとこないかもしれないので、それぞれについて解説していく

まず、ファンではなくおたくとして存在する以上、ただ消費するのではなく、消化(昇華)できるおたくにならないと、自分でなにがおもしろくて今コレに時間とお金を費やしているのか、わからなくなるときが絶対くる

おたくを自称するくらい、何かが好きなのだから、どうして自分はそれが好きなのか、それにはどんな魅力があるのか、その魅力は他のものと比べてどう秀でているのか、せめてこれくらいは言語化できた方がいい

というか、これをきちんと言語化できる人は、ロジックツリーなんかに頼らなくてもたいていのことは物事の本質と原因を分析できる人になるから、生きていく上でもたぶん役に立つから便利だと思う

言語化するには、その世界を知る必要がある。

何年もおたくをやっているババアは絶対たいていは厄介なので、積極的に関わり合いになれとは言わない

けれど、ロム専だとしても(もはやロム専という言葉は死語かもしれない)(黙って眺めてヲチっているという意味だと思ってください)自分でなにか発信している人は見ていた方がいい

そこには自分と異なる考えがあるので、自分の考えと比較対照することができ、自分の考えがどういったものなのか、再検討することができ、より強固なものにすることができる

なんでそんな難しく考えなきゃいけないんだろう、ただの趣味なのにと思う人もいるんだろうなあと思う

けれど、よっぽどの天才ではない限り、エンタメを作る側もいきなり完璧なものを作り出すことはできない

特に制作側の人間はおたくが少数派なので、おたくの「これがこうだったらもっと好きになれるのに」ということをことごとく外すことにおいて、才能に溢れている

自分が何かを楽しみ続けるとなったとき、舞台だったらアンケートを書くなり、アイドルだったらツイッターで運営のエゴサにひっかかるようにあーだこーだ言うなり、直接現場で制作に話しかけるなりしないと、

自分の中で、あれ?と思ったもやもやは解消されない

そういうことをしないとエンタメ側もレベルアップしないんだと思う

だいたい、大きくなりすぎたエンタメが衰退する理由として、ひとつエンタメおもしろくなっていくということに関して現状のツールでは絶対に限界がくるときがあるということ、

そして、大きくなりすぎたエンタメは、ビジネス化されすぎていて、「こうなったらいいのにな」というおたくの考えの届かないことろへいってしまっていることがあげられるんじゃないかとわたしは思っている

おもしろエンタメがあると、どうしてもそこにお金が集まってしまうので、ビジネス化されてしまうのは、仕方のないことなんだと思う

けれど、今の日本においてそれが悲惨なのはたまたま様々なエンタメジャンルが同じようなタイミングでピークを迎えてしまい、エンタメ世界が、大爆撃でもあったのかという惨状になってしまっていることだ

しかもその間におたく側も情報化社会の中で変形していって、おもしろエンタメを育てていく体力のあるおたくが少数派になってしまった

アイドルの世界は戦国時代が終わって、きっとこれからあの2009年2010年ドラマに溢れたAKBのような盛り上がりを見せてくれるアイドルはもうしばらく現れない

仕事や現実に疲れたアイドルおたくを癒すために様々なハコやショッピングモールで特典券を武器に細々と生きていくアイドルたちとおたくの世界になってしまう

モーニング娘。ミスタームーンライト愛のビッグバンド以降ハロプロの世界に帰ってしまったように、元々アイドルおたくだったひとたちのためのエンタメとしてきっとこれからは存在していく

お笑いも今、バラエテイこそあるものの、若手が芸を披露する場がほとんどない

お笑いは漫才やコントをやって、初めてお笑いとして成立する

バラエテイでの面白さなんてその場にはまれば誰でもおもしろいので、お笑い芸人である必要性などなにもない

芸人はなんでもやって当たり前なんだから、それと比べて木村佳乃がなんでもやった方

おもしろいに決まっている

お笑いジャンルは今、現場難民(芸人側の) に溢れている結果、おもしろい漫才どころではないんじゃないかという印象だ

ジャニーズも、嵐の人気はおそらく今よりでることはないだろう

そんな中で、わたしたちの青春だった若手三組がそれこそ大爆撃を受けたみたいにメンバーが半分くらいに減っている中で、じゃあその下にくる平成ジャンプが元気なのかというと、最近伊野尾がようやくその美少年さを世間に認識され始めたが(といっても伊野尾わたしと同い年なのでもう少年ではない)

まだ平成ジャンプブレイクするという実感はない

セクゾもメンバーが増えたり減ったりするので、正直ジャニヲタあがったババアはついていけない。デビューしたユニットでそんなことありえます?よくわからない

じゃあウェストはというと、今の関ジャニくらいになれたらいいねーくらいの認識でしかない、わたしの中では

ファンのひとは怒るかもしれないけれど、こう見えて一応彼らがジュニア時代に松竹や梅芸でお仕事していたときにそれなりに見ていたので、ブチギレするのは超古参のお姉さんたちだけで勘弁してほしい

関西ジャニーズの抱える問題と可能性と闇については触れ出すと話が終わらなくなるので割愛

けれど、上記ジャニーズたちが決して売れないと言っているのではなく、現状の悲惨なエンタメ界を今すぐ引っ張っていく力があるかと考えたときに今すぐは無理だという話なので本当に怒らないでください

若手俳優の世界はおそらく痛みを伴う革命でも起きない限り、もう無理である

アミューズドリフェスとかやり始めちゃった時点で、あー事務所もそう思ってんのかなーとわたしはおもったぜ

大したビジネスでもなかったのに、いろんな大人がよってたかってダメにした感がある

たぶんこれからたくさんの失業者が発生するというか、まあ引退する子たちがどんどん増えていくと思う

まあ若手俳優はあんまり稼げるお仕事ではないので、その点においては大丈夫かなあと思っているけれど、元ジャニヲタとしてはジュニアが引退したのちに逮捕される流れにはうんざりなので、ちゃんとそれぞれに生きていく道があればいいなと思う

それがエンタメの世界だったらどんなにいいことかとは思うけれど、今若手俳優の世界にはそんなに飯のタネがないので、なにも言えない

結局、若手俳優のあとに台頭してきた読モジャンルも、KPOPも若手俳優よりも早くマイナーの世界へ帰っていってしまったので、

今どこでなにが元気で盛り上がっているのか、わたしの目には見つけられない

それがおそろしくて色んなおたくにこの話をして、今なにが盛り上がっているんだろうと聞いても、みんな首をかしげる。

広告で働いている男の子にもこの話をしてみたけれど、スポーツなんじゃない?と言われてしまった。

残念ながらわたしスポーツには一切興味がない。あとオリンピックに向けてスポーツが盛り上がるというのは、長らく当たり前のことなので、それはこれまでのPermalink | 記事への反応(0) | 11:26

エンターテイメントがしぬかもしれないはなし

エンターテイメントが死ぬかもしれない話

⚫︎前提

・元々自分のfc2ブログからの転載です

・とにかく長い

・とにかく辛口

・怒らないでください

おたくも長く続けていくと色んなジャンルに友達が散らばり、色んなジャンルに対する浅い知識が増えていく。

なんとなく今どこのジャンルに活気があるのか、雰囲気でわかるようになる。それはツイッターがあるからだろうし、昔では考えられない量の情報を簡単に手にすることができるからだと思う

そんなわたしひとつの仮説としてわりと真面目に考え、色んな友人に話していることがある

それが「エンターテイメントが死ぬ話」である

自分の年齢をはっきりと明記するのがそろそろ嫌な年なので、ぼかした表現にするが、わたしゆとり世代であり、就職すればゲッという顔をされた平成生まれであり、ジャニーズで言えば八乙女世代、堀越で言っても八乙女三浦春馬世代、アミューズでいうところの三浦春馬戸谷公人水田航生あたりの世代のそろそろしっかりクソババア世代である

だから、エンターテイメントが死にかけているように感じるのは、わたしアンテナが腐って倒れそうになっているからなのかもしれないし、わたしの知らない世界で新しいエンターテイメントが誕生しているのかもしれない

けれど、わたしの目の届くところにあるエンターテイメントはみんな死にかけている

具体的にどういったことが言いたいかということをわたしが若手俳優のキチガイヲタになった2010年あたりを軸に色んなジャンルのことを考えていきたい

2010年、若手俳優の世界は非常に盛り上がっていたと思う。

テニミュファーストの最後のドリライがあった年だ。身内がDDでドリライに行っていたから知っている

その年のゴールデンウィークは、戸谷公人誕生日イベントがあり、新宿御苑サンモールではたしかDステが行われていたように思う

当時の身内に誘われて遊びに行くとサンモールにものすごい数のおたくがいた。

わたしはというとバースデーイベントチケットを両部合わせて5枚余らせていたので、その場にいた子達を誘ってみたが、Dステの千秋楽だから無理だと断られた

2010年はそんな年だ。

アミューズでいえば宝石シリーズ及び黒白シリーズが始まった年でもある。

赤坂ボーイズキャバレーに夏を費やしたおたくが何人いたことか。

特撮で言えば、丁度2009年平成ライダー10周年記念のデイケイドの放送年で、一区切りついたところで、今をときめく菅田将暉が初々しく日曜8時で戦っていた年だ。

とにかくお祭り騒ぎだった。どこの現場も非常に盛り上がり、頭のおかしおたくがたくさんいた

他のジャンルにも目を向けて行こうと思う

例えばお笑いでは10年連続で開催していたM−1が一度幕を下ろしたのも2010年のことであった。ずっと優勝できずにいた笑い飯がようやくM−1王者に輝いた年である

アイドルではAKB48の第二回総選挙が行われた年である。このあたりがわたしは国民的アイドルという視点でAKBを評価したときの最高潮に盛り上がりを迎えていた瞬間だと思っている

2010年は、エンターテイメントを時の流れで区分したときに大きな区切りとなる年であると考えている

では今度は2010年以前の10年くらいのことを考えてみたいと思う。

わたし小学校低学年の頃に一斉を風靡したSPEEDが電撃解散をして、その数年後に現れたのがモーニング娘。だった

しかし、ザ☆ピース以来、モーニング娘。は国民的アイドルというポジションを離れ、ハロープロジェクトというジャンルの中に入っていってしまった。

そしてそれ以来、AKBが大学の頃に国民的アイドルと呼ばれるようになるまで、特にアイドルらしいアイドルわたしの視界には入らなかった

むしろモーニング娘。のあとは、いわゆる巨乳グラドルが台頭してきた時代のように感じるが、残念ながらあんまりわたしグラドルに興味を持つ性別でも年頃でもなかったので、あまり記憶がない

小池栄子は気付いたら女優としてもタレントとしても非常に大成していたのでまじですごい巨乳お姉さんだと思っている)

中学校の頃(2000年代前半)は芸人の黄金時代だったように感じる(わたしは芸人のおたくをしていたことがないので実際にいつが黄金時代と定義されるのかはわからないのだけれど)

イメージとして、このあたりから盛り上がって2010年お笑いの盛り上がりのピークと捉えている

思えばわたしエンターテイメントに恵まれた世代だったと思う。

小学校のときには体育大会でモーニング娘。のザ☆ピースが流れ、組立体操をした。

高学年のときには笑う犬の冒険を熱心に見て、それがいつのまにか水10になり、中学校文化祭では先輩たちに目をつけられながらも、有志でゴリエミッキーを踊った

やんちゃな子たちはごくせんに憧れ、みんなで文化祭クラスの出し物でごくせんをやり、最後にはスマスマキムタクたちが踊り流行っていた恋のマイアヒエンディングで踊った。

週末をこえて学校に登校すれば、みんなエンタの神様の話をしていた。誰がおもしろい、誰のネタがどうだ、誰がかっこいい

ジャニーズも、いわゆる若手三組と呼ばれるNEWS、関ジャニ∞KAT-TUNが立て続けにデビューした頃で、みんな通学鞄に好きなジャニーズメンバーの名前をポスカで書いていた

(ここで一度力つきた)

エンターテイメントがしぬかもしれないはなしの続き。

前回は2000年2010年あたりのアイドルジャニーズお笑いジャンルでなにが起こっていたのかということをさらっと(わたしの十代の記憶と共に)振り返った

では現在虫の息である若手俳優の世界でなにが起こっていたのかということも一応書き記しておく

まさに2.5次元ミュージカルの王様(なぜ若手俳優の舞台はつまらなく、客席が埋まらないのかおたくが真剣に考えてみたブログ参照)であるテニミュが初めて上演されたのは2003年のことである

当時の話はパイセンたちからのお話でしか聞いたことがないけれど、はじめは客席が埋まらないのでキメ様のライブをおわりにやったりして、キメ様のおたくとかでがんばって埋めていたらしい

ちなみにみんな大好き氷帝学園、いまをときめく斎藤工が出演していた氷帝公演が行われたのは、2005年の話であるから、テニミュ(若手俳優)の世界も前述の通り、やっぱり2010年向かって右肩あがりの時代だったんだと思う

それでは今度こそ2010年以降、おたくの世界になにが起こってきたのかをふんわり考えてみようと思う

現状として、大きくふたつの問題がエンタメおたく界の中に発生している

ひとつは、村社会としてのおたく世界におけるおたく高齢化社会、ふたつめは、生産的おたくの少数化である

このふたつは繋がった大きなひとつの問題である

⚫︎「おたく高齢化社会」とは

その名の通り、おたく高齢化が進んでいるという話である

変な話だと思うかもしれない。今日本は国として、ずっと偏見を持たれて消極的に虐げられてきた「おたく」という異常な世界をひとつ国民性としてピックアップしていって、それを日本の特色としてビジネスにしようとしている

そして、おたくではない人たちがおたくの世界に土足で踏み込んできて、自分たちが興味を持った部分のみを取り上げて「これがおたくなんです!」とテレビや雑誌なんかで言っちゃってる

元々こういうサブカル推しの政策になるまでにおたくになっている人たち(わたし含め)は昔の閉鎖的なおたくの世界の中での「みんな違ってみんなとりあえずよし」というのに慣れているからあんまり気にしてないかもしれないけれど、

新規参入してきたおたくの人たちはひょっとしたら、マスコミたちが取り上げた「おたくの世界のひとつの側面」を見て、自分でなにか実体験として掴み取ることもせずにこれがおたくなんだとぼんやりと捉えているだけなんじゃないかとわたしは危惧している

おたくというのは長らく村社会である

村のコミュニティーの中に入れていようが、村八分されていようが、そこに存在する限り、とりあえず全員村民である

例外ももちろんあると思う。

例えばワンピースが好きだったとして、毎週ジャンプを買い、単行本を買い集め、アニメを視聴し、自分なりに設定についての考察を行う

これをネットなどに発表することなく、誰に見せることもなくひたすらノートに書き綴っていたら、自己完結しているので、他者から村民として認知されることはないと思う

けれど、この人が例えばホームページを立ち上げて自分なりの考察を世界に発表したら、例え誰かと交流を持たなくても、わたしは村民として世界に存在していることになると考えている

他のワンピースおたくは誰かしらそれを読むだろうし、感想をメールする人もいるかもしれないし、リンクフリーと書いてあったら、リンクページやブログにその考察サイトのURLを貼るかもしれない

かたや、HPを立ち上げたもののアクセスがなかったら、自らサーチに登録するかもしれない

こうして、村の中へと入っていくのである

村の中には色んな人がいる。

一流企業で働いているエリートもいれば、ニートに近いフリーターもいるし、学生もいれば、子持ち主婦もいる

けれど、暗黙の村の掟というものがおそらくどのジャンルおたくの世界にも存在して、もちろん可視化されたものではないので、最初はわからないのだけれど、どの村にも、RPGゲームで話しかけてくる村民みたいなやつがいて、

これはこうすればいいんだよ、これがどうなんだよ、とふんわりと村の掟を教えてくれていた

物事というものは、完全にゼロから創造されることはない

そこになにかが存在して、そして、基礎とされるルールが存在して、初めてそこからなにかが生み出される

ことにおたくという生き物は、おたくという側面においてイチからなにかを創造する生き物ではないと考える

何かが存在して、それになにかアレンジを加えて、別のなにかに変化させるのがおたくだと思う

なにが言いたいかというと、アイドルがいて、おたくがいる

漫画があって、おたくが読む、舞台が上演されて、おたくが観る

おたくというのは、創造されたなにかを完成させる上で不可欠な存在ではあるが、まずはじめは受け手

受け手として、その世界に存在するにあたって、どんな世界にもルールがある

けれど、情報化社会の中で、おたく世界の中の村という概念が何年も前から崩れている

これは、若い子に限ったことではない。

マスコミが取り上げたおたくの世界を見て、おもしろそう!と新規参入してきた年配おたくも同様である

そうすると、どういうことが起こるのかというと、新規参入おたくたちはSNSなどのツールばっかりは立派に持っているのだけれど、RPGゲームで話しかけてくれるおたくがいないものだから、

レベル上げの方法を知らずにずっとマサラタウンの横の草むらでコラッタキャタピーや同じようにそこに留まって地図を持たないおたく同士で、これがおたくなんだー!たのしー!となっている(もちろん例外もいる)(自ら見つけていけるんだから、わたしと違ってまじ天才的だと思っている)

村民おたくマサラタウンおたくとのおたくの分離化が進む中で、旧型のおたく高齢化が止まらない

⚫︎「生産的おたくの少数化」とは

どのジャンルにもいると思うのだけれど、ツイッターに常駐していて、キチガイを名乗っている若い自称おたくの子たちがわりと一定数いる

これは本当にかわいそうだ。

なぜならなんの生産性もないツイッターに常駐して時間を無駄に浪費しているということはおたくでもキチガイでもなんでもなくて、生産性の低いただのかまってちゃんだからだ

けれど、それでも時間が潰せるものだから、若い子たちはきっと常駐してしまうんだと思う

ツイッターがリアの頃に普及していなかった世代からすると、完全に異常なので、正直積極的にリプを飛ばして関わり合いになろうとは思わない(自分のことを棚に上げてこんなことを言っているがわたしも相当別のベクトルやばいヤツなので、関わり合いにならない方がいいと思う)

わたしが若い頃は、ツイッターがなかったので、ひまだったらもっぱらブログを更新するか、様々な匿名掲示板を眺めるか、仲間内でチャットメールをするか、などしか暇つぶしツールがなかったのだけれど、完全に村社会だったので、

なぜかそんなわたしを見ておもしろそうと思ってくれた色んなお姉さんが色んなことを教えてくれて、暇つぶしの中でも生産性のある暇つぶしツールを与えてくれたというか、

ジャンルおたくの先輩として、例えばこのライブはどのアーティストのどのライブの影響を受けているから、そっちも見ていた方がいいだとか、

この作品を見て、こういう感想を持つなら、きっとこの作家のこういった本が好きだろうから、読んでみたら?だとか様々なアドバイスをもらった結果、

10年以上かけて、こんな神の視点からブログを書くような高尚おたくに育ったのである

(十代の頃から3歳から10歳以上年上の友達とばかり遊んでいたので、地方の女子高生の身分で東京の女子大の講義にこっそり潜りこんだりしているような変な女子高生だった)

はっきり言って、おたくおたくとして存在している時点で9割は凡である

だから、自分でなにかを創造することはできないと思った方がいいし、レベル上げの最も簡単な近道は先人に教えを乞うことである

テニミュに関してだってそうである

素晴らしいことなのか、残念なことなのか、若い子たちはどう捉えるかわからないが、テニミュというコンテンツが好きでファーストから通っているおたくはたくさんいる

DVDで当時の公演を振り返ることは不可能ではないが、ネルケは財布をしめていくことを決して許さないので、きっと過去の公演のDVDまで買いあさるなんてなかなかできることではない(それに残念ながら逮捕者がでている公演のDVDは発禁になっている)

ひとりそういうババアおたくと仲良くなって、そういう話を教えてもらって、自分の中にインプットして、そこに自分なりの仮説と解釈を加えるだけで、高尚おたくになれるのに、

ツイッターを眺めていると結局同世代同士でつるんでいるのが多い気がする

その点において、タレコミとかで叩かれているような痛いおたくの子たちの方が結局現場で昔からいるババアたちと顔を合わせて、情報戦で勝てないババアたちといかにうまくやっていくかという課題と直面しているので、

よっぽど要領がいいというか、低姿勢で吸収力があるなあと個人的には思う(ババア側の人間)

⚫︎なぜ生産性の低いおたく多数派だとダメなのか

ここまで読んで、どうして生産性の低いおたくだとだめなんだ、ツイッターで同世代で楽しくつるんでなにがだめなんだ、痛いワタシみたいな高尚おたくになる必要性がどこにあるんだ、と思った人が多数だと思う

なぜダメなのか、

まずひとつめは、マサラタウンの草むらには何年もいられないということ

ふたつめは、マサラタウンの草むらにいただけではポケモンプレイしたとは言えない

ので、布教ができないということである

例え話だとぴんとこないかもしれないので、それぞれについて解説していく

まず、ファンではなくおたくとして存在する以上、ただ消費するのではなく、消化(昇華)できるおたくにならないと、自分でなにがおもしろくて今コレに時間とお金を費やしているのか、わからなくなるときが絶対くる

おたくを自称するくらい、何かが好きなのだから、どうして自分はそれが好きなのか、それにはどんな魅力があるのか、その魅力は他のものと比べてどう秀でているのか、せめてこれくらいは言語化できた方がいい

というか、これをきちんと言語化できる人は、ロジックツリーなんかに頼らなくてもたいていのことは物事の本質と原因を分析できる人になるから、生きていく上でもたぶん役に立つから便利だと思う

言語化するには、その世界を知る必要がある。

何年もおたくをやっているババアは絶対たいていは厄介なので、積極的に関わり合いになれとは言わない

けれど、ロム専だとしても(もはやロム専という言葉は死語かもしれない)(黙って眺めてヲチっているという意味だと思ってください)自分でなにか発信している人は見ていた方がいい

そこには自分と異なる考えがあるので、自分の考えと比較対照することができ、自分の考えがどういったものなのか、再検討することができ、より強固なものにすることができる

なんでそんな難しく考えなきゃいけないんだろう、ただの趣味なのにと思う人もいるんだろうなあと思う

けれど、よっぽどの天才ではない限り、エンタメを作る側もいきなり完璧なものを作り出すことはできない

特に制作側の人間はおたくが少数派なので、おたくの「これがこうだったらもっと好きになれるのに」ということをことごとく外すことにおいて、才能に溢れている

自分が何かを楽しみ続けるとなったとき、舞台だったらアンケートを書くなり、アイドルだったらツイッターで運営のエゴサにひっかかるようにあーだこーだ言うなり、直接現場で制作に話しかけるなりしないと、

自分の中で、あれ?と思ったもやもやは解消されない

そういうことをしないとエンタメ側もレベルアップしないんだと思う

だいたい、大きくなりすぎたエンタメが衰退する理由として、ひとつエンタメおもしろくなっていくということに関して現状のツールでは絶対に限界がくるときがあるということ、

そして、大きくなりすぎたエンタメは、ビジネス化されすぎていて、「こうなったらいいのにな」というおたくの考えの届かないことろへいってしまっていることがあげられるんじゃないかとわたしは思っている

おもしろエンタメがあると、どうしてもそこにお金が集まってしまうので、ビジネス化されてしまうのは、仕方のないことなんだと思う

けれど、今の日本においてそれが悲惨なのはたまたま様々なエンタメジャンルが同じようなタイミングでピークを迎えてしまい、エンタメ世界が、大爆撃でもあったのかという惨状になってしまっていることだ

しかもその間におたく側も情報化社会の中で変形していって、おもしろエンタメを育てていく体力のあるおたくが少数派になってしまった

アイドルの世界は戦国時代が終わって、きっとこれからあの2009年2010年ドラマに溢れたAKBのような盛り上がりを見せてくれるアイドルはもうしばらく現れない

仕事や現実に疲れたアイドルおたくを癒すために様々なハコやショッピングモールで特典券を武器に細々と生きていくアイドルたちとおたくの世界になってしまう

モーニング娘。ミスタームーンライト愛のビッグバンド以降ハロプロの世界に帰ってしまったように、元々アイドルおたくだったひとたちのためのエンタメとしてきっとこれからは存在していく

お笑いも今、バラエテイこそあるものの、若手が芸を披露する場がほとんどない

お笑いは漫才やコントをやって、初めてお笑いとして成立する

バラエテイでの面白さなんてその場にはまれば誰でもおもしろいので、お笑い芸人である必要性などなにもない

芸人はなんでもやって当たり前なんだから、それと比べて木村佳乃がなんでもやった方

おもしろいに決まっている

お笑いジャンルは今、現場難民(芸人側の) に溢れている結果、おもしろい漫才どころではないんじゃないかという印象だ

ジャニーズも、嵐の人気はおそらく今よりでることはないだろう

そんな中で、わたしたちの青春だった若手三組がそれこそ大爆撃を受けたみたいにメンバーが半分くらいに減っている中で、じゃあその下にくる平成ジャンプが元気なのかというと、最近伊野尾がようやくその美少年さを世間に認識され始めたが(といっても伊野尾わたしと同い年なのでもう少年ではない)

まだ平成ジャンプブレイクするという実感はない

セクゾもメンバーが増えたり減ったりするので、正直ジャニヲタあがったババアはついていけない。デビューしたユニットでそんなことありえます?よくわからない

じゃあウェストはというと、今の関ジャニくらいになれたらいいねーくらいの認識でしかない、わたしの中では

ファンのひとは怒るかもしれないけれど、こう見えて一応彼らがジュニア時代に松竹や梅芸でお仕事していたときにそれなりに見ていたので、ブチギレするのは超古参のお姉さんたちだけで勘弁してほしい

関西ジャニーズの抱える問題と可能性と闇については触れ出すと話が終わらなくなるので割愛

けれど、上記ジャニーズたちが決して売れないと言っているのではなく、現状の悲惨なエンタメ界を今すぐ引っ張っていく力があるかと考えたときに今すぐは無理だという話なので本当に怒らないでください

若手俳優の世界はおそらく痛みを伴う革命でも起きない限り、もう無理である

アミューズドリフェスとかやり始めちゃった時点で、あー事務所もそう思ってんのかなーとわたしはおもったぜ

大したビジネスでもなかったのに、いろんな大人がよってたかってダメにした感がある

たぶんこれからたくさんの失業者が発生するというか、まあ引退する子たちがどんどん増えていくと思う

まあ若手俳優はあんまり稼げるお仕事ではないので、その点においては大丈夫かなあと思っているけれど、元ジャニヲタとしてはジュニアが引退したのちに逮捕される流れにはうんざりなので、ちゃんとそれぞれに生きていく道があればいいなと思う

それがエンタメの世界だったらどんなにいいことかとは思うけれど、今若手俳優の世界にはそんなに飯のタネがないので、なにも言えない

結局、若手俳優のあとに台頭してきた読モジャンルも、KPOPも若手俳優よりも早くマイナーの世界へ帰っていってしまったので、

今どこでなにが元気で盛り上がっているのか、わたしの目には見つけられない

それがおそろしくて色んなおたくにこの話をして、今なにが盛り上がっているんだろうと聞いても、みんな首をかしげる。

広告で働いている男の子にもこの話をしてみたけれど、スポーツなんじゃない?と言われてしまった。

残念ながらわたしスポーツには一切興味がない。あとオリンピックに向けてスポーツが盛り上がるというのは、長らく当たり前のことなので、それはこれまでのPermalink | 記事への反応(1) | 11:25

2016-05-28

10漫画買って8巻まで読んだ

すごい面白くて満足。

でも後2巻で読み終わってしまうのが歯がゆくて、ちょっと読むのを躊躇してる。

母校の年配の国語先生が「自分人生の中で1番充実していると思う瞬間は本を読んでいる時だ」と言っていたことを思い出す。本に限らず、面白い映画漫画などの作品に触れている時、熱中している時はまるで夢の中にいるように思う。その瞬間のワクワク感や心地よさは何者にも代えがたい。

そして作品が終了した時に夢は終わり、作品に触れている本人が飽きてしまった時夢から覚めてしまうのだ。そして現実へ。

まあ1つの夢が終わったらまた違う夢の世界を探しに旅に出るんだけどね。

終わらない文化祭を描いたのがうる星やつら映画だっけ。内容覚えてないから見返したくなってきた。何かに終わりがないってのもなかなか怖いと思った記憶がある。

の子時代はまだ詰め込み学習が幅を利かせていた時代で、全国展開している塾が満員御礼時代だった。

御多分にもれず教育ママだった母のもとに生まれた俺は、ある程度の金銭的余裕もあり、勉強以外にも多種多様習い事を受けた。

週二日の塾が2つ、毎日の家庭学習教材が一つ、習字そろばんスイミングスクール英会話野球

小学校までは季節毎に活動部活が変わるため(期間制だった)、サッカーバスケ水泳陸上と、受けられるだけの部活動を行い

中学からバスケ部所属し、上記習い事と家庭学習に加えて学校練習量の多い部活を両立した。

今、俺は学歴必要ない、上記の様々な分野とは全く関係ない生活を送っている。

基本的能力が平均的以下な俺は、これだけ勉強しても偏差値63が限界だった。県内一の進学校に落ち、滑り止めの私学に入った時には、

はいつの間にか侵されていた癌で入院していた。

間もなく母は死に、解放された私は全ての柵を捨て、勉学を一切放棄し、成績不振留年が決定したと同時に高校をやめた。

皮肉なことに、高校をやめてから進んだ道が今の職業に繋がっている。

中学卒業までの生活は、基本的苦痛だった。毎日毎日勉強ノルマがあり、母にチェックを得てから眠る日々だった。

習い事ノルマしかなかったので、いか効率的に終わらせるかという一点にしか興味がなかった。

(例外として、学友の多く所属していた野球をしている時、塾の休憩時間にお喋りをしている時は楽しかった。)

興味の無い習い事は、一定レベルまでしか身につかなかった。具体例を上げると、夏休み習字宿題評点で銀賞をたまに貰うくらい。水泳部マイナーな種目の三番手くらい。

時間を費やしても全く成長の意欲が無かったうえに、(あとから気づいた事だが)才能も劣っていたために、ただの器用貧乏が生まれた。

逆に、何もしなくてもいい点数がもらえるものが幾つかあった。教科で言えば国語現国は、何も勉強しなくても90点は取れた。漢字の書き取り以外は間違える気がしなかったし、実際ほぼそうだった。

音楽も同じ様に、リコーダー演奏も平均よりはるかにできたし、小学生時分のイベント特別楽器演奏できるとあらば名乗りを上げた。文化祭学芸会の劇ではサックスアコーディオンを誰に習わずとも独学で勉強し、演奏した。歌は基本的に手本となる生徒だった。

夏休み昆虫スケッチ習字よりも良い賞をもらえることが多かった。

今になって子供時代を振り返ると、なぜあの時に今の道に触れることができなかったのかと後悔する。なぜ専門家の道を最初考慮しなかったのか。

その道は、後になって発見しても遅いのだ。高校入学時に洞窟発見しても、辺りはもう夕暮れなのだ

母に対して思う事はそんなに無い。死んでから時間が経っているのもあるが、上記生活の辛さと、その他少しのいい思い出、それに同情と申し訳無さが合わさってある程度フラットになっている。

ただ、後悔だけが残ってしまった。

2016-05-20

学校ダンスの授業が嫌いだった

本来ダンスを綺麗に踊るためには体の動かし方とか、体・関節の柔らかさとか重心移動のあれやそれとか…とにかく技術や体の素養がいるんだと思う。例えば高橋大輔選手熊川哲也さんの踊りやステップが美しいのは、練習量も勿論だがリズム感、体の柔らかさなどの身体能力の高さにあると思う。だから上手い人と同じ振り付けダンスを踊っても、体が固かったり踊り慣れてない人の踊りは只の運動神経悪い芸人になる。

個人的ダンスの授業は大嫌いだった。体が固く、運動神経も鈍かった、踊り慣れてない、ついでに背が高かったので下手な踊りが目立つ、この四拍子のせいで基本運動神経悪い芸人みたいな動きになる。しか学校ではダンサーが使うような前面が鏡ばりになった教室で踊らされたので、常に自分の醜い姿を見せられるのである自分の顔でさえ直視に耐えがたいのにダルダルな踊りまでついてくるとかなんの罰ゲームだと当時は思った。最終的に踊っている最中は全力で鏡の中の自分から目を逸らしていた。先生には「恥ずかしがらず鏡見なさい」と注意されたが自分の心が崩壊しそうだったか無視した。ゲーム画面に写った顔を直視し続けるようなものだったのだ。

嫌いな理由はまだある。それは皆でダンスを踊らされる場合である自分学校進学校であると同時に、ダンス部が全国大会に行ける程強く、学校ダンスに力を入れていた。(入ってから知った)なので体育祭などもダンスが目玉といった感じだった。体育祭ダンス振り付けは基本ダンス部の人が考える…のだが全国行くまでのガチ集団である、踊りのレベルが高い。足をめっちゃ上げさせる振り付けや、片足でずっと停止させる振り付け、激しく動く振り付けなどがあった。激しく動くのなんかダンス部がやると凄く綺麗になるのだが自分みたいな奴がやるとそれはもう只のイソギンチャクになる。落差。

また限界まで足を上げているのにダンス部の人達に「もっと上げて!」と言われることもあった。ごめんなさい無理です昔から全然上がらないんです。

嫌いな理由はまだまだある。テストだ。最近学校はどうだか知らないが、自分学校は基本数人ずつ皆の前に出て、横一列となって踊るというのが体育のテストだった。「みんなのまえ」であるしかも横一列である。上手い奴と下手な奴の差が如実に表れる。プロ集団運動神経神経悪い芸人の共演であるテレビだったら死ぬ面白い絵面だろう。しか自分芸人ではないので笑われてもお金は貰えないしというか仕事でもない。只の公開処刑だったことは言うまでもない。笑うんだったらせめてお金欲しい。

最後の嫌いな理由は「練習であるイソギンチャクみたいな踊りしか踊れないなら練習すれば良い…先生時間練習を推奨していた。しかし、自分はそれが嫌だった。何故体育の授業以外でダンスを踊らなければならないのだろう。確かに練習しないと皆に笑われるし、体育の成績も悪くなってしまう。だが学生に許された時間無限ではない。私はダンスに費やすなら勉強部活に費やしたかった。受験もあるし、進学校だったので勉強もおろそかに出来ないし。しか勉強に比べてダンス技術なんぞ将来ダンサー以外には何の役にも立たない。チームワークや協調性?それは部活やら他の文化祭の催し物やらで身につくだろう。寧ろダンスは下手な人上手い人が分かれてしまう分チームワークに亀裂が入ることの方が多いような気がする。

応当時は少し体育の授業以外でも、友達と一緒に練習をしたこともあったが…ちょっと練習するだけでは運動神経悪い芸人から特に脱出出来なかった。

因みに自分学校期末試験の終了数時間後に、体育祭ダンス練習をさせる高校だった。流石にこの時はダンス部の人も「眠いよ!」と嫌がっていた。

しか学校ダンスに力を入れていたが生徒全員というわけではない。寧ろ進学校ということで勉強に力を入れてる子が大半だった。特に受験に力を入れてる子にとっては試験直前、直後にも打ち込まれダンスの授業を嫌がっていた。

他校だと高校は体育選択なんだろうか?自分の所は何故か必修で週2くらいあったが。

数年前ダンスが必修化したと聞いて驚いた。運動音痴かつ、目立ちたがりでない人にとっては下手したら苦痛時間しかならなそうだったからだ。実際はそうでもないんだろうか…?皆ダンスの授業大好きだったりするんだろうか

自分ダンスを嫌いになった理由は主に「高いレベルの踊りを強制的に皆の前でやらされ笑われた、しかも出来が評価にも響く」だったのでこの辺が改善されれば、まだダンスが好きでいられる人はいるんじゃないんだろうか。

実際小学校の頃のダンスの授業は好きだった。体を動かすこと自体楽しいからだ。そこに評価も人の目も絡まないなら普通に楽しい

後、運動神経悪い芸人は笑ってもいいと思う。芸人が笑わせるためにやってる芸だと思うからだ。芸人も笑われて本望、寧ろ笑われなかった方が嫌だろう。しか普通の人にとっては自分運動してる姿を笑われるのはショック以外の何物でもない。体育の授業で皆の前でテストさせるのやめた方がいいと思う。

2016-05-12

なんだか切なくなった高校生時代壁ドンの思い出

一週間ほど前、ほんとに偶然にその同級生に再会した。

たまたま、ある資格試験の条件にその高校卒業証明書必要だったのでざっと約二十年ぶりにくらいに寄ったんだ。

場所こそ一緒だが在学時とは建物自体が建て変わっていて、当時とは随分違う雰囲気だった。

同窓会すら一度も呼ばれた事もやっている事自体も知らないし、ほんとに親しかった友人くらいとしか卒業してからは会ってない。

大して思い出にふけるほどの記憶もなかったが、せっかく立ち寄ったのだから航行の周囲をぶらぶら散策してみる事にした。

ちょうど高校の裏に当たる小さな公園は当時のままだった。

真面目に部活動なんかやった事もなく、一応は軽音楽同好会に属してはいものの、文化祭やその他の催し物がある際にその練習の為に適当に顔を出す程度で、実態ほとんど帰宅部みたいなもんで、親しい友達とその公園適当にだべったりして無駄時間を過ごしてた。

流石にその公園をぶらついていると懐かしさもこみ上げてきて、このベンチでよく屯してたよなぁ、などと思い出に浸っているその時。

 

もしかして増田君?」

 

声のする方を振り向くと、公園入り口に同年代くらいの主婦らしい感じの人が立っていた。

主婦らしいって言うのはいわゆるママチャリを両手で支えていたからだが、後で聞くと3年ほど前に離婚して母子家庭になっているのだという。

 

「え?、ああそうですけど?」

 

何かどっかで見た記憶のある顔つきだったけど、すぐには思い出せなかった。

 

「やっぱり!、久しぶりだねー、どうしたの?こんなところで」

 

まだ思い出せない。

 

「いえ、ちょっと高校に用があって・・・あの、すみませんけど」

 

そこまで言うと彼女は、こちらが思い出せないことを見透かしたようにちょっと意地悪そうな感じでニヤついて言った。

 

「やだ、あたしの事覚えてないの? 私、増田君の後姿ですぐ分かったのに」

と言いながら、ママチャリ公園の脇に立てかけて、その肩まで伸びた髪の毛を両手で後ろにくいっと上げた。

 

「あ!、思い出した!」

あははー、だよね、あの頃はずっとショートカットだったから今とはイメージ違うもんね」

 

はっきり言って「思い出した」と言ったのはとっさの嘘で、髪まで上げられて思い出せないなんてちょっと恥ずかしいと思ったからだ。

それが同級生のK子だと名前まで思い出したのは、その公園のベンチに二人で座って昔話や世間話をし始めて五分くらい経ってからだ。

それで、久しぶりだから当時の同級生たちと同窓会なんて出来たらなぁ、とか話している最中に俺はある出来事を思い出したんだよね。

 

「そう言えばさ、確か図書室かどっかでK子のこと、泣かした事なかったっけ?」

 

うっすらとした記憶だけど、とにかく不意に思い出したんだ。

俺がそう尋ねると、K子が、もうビックリして目を見開いたとしか言いようのない表情になったので、こっちもビックリした。

 

「え?・・ってちょっとやだ!な、何思い出してんのよ!」

 

明かに狼狽してた。

「いやさ、なんかそんなことあったような気がしてさ。ごめん、思い出したくなかった?」

・・・思い出したくないとか、ていうか忘れたことないよ、あの時の事・・・

  

そういうとK子は少し赤くなりかけてきた空を見上げて黙りこくった。ちょっとの間だけど、俺も返答に困ってなんか変な沈黙時間になってしまった。

 

ただ、その沈黙の間に少しずつ当時のことを思い出してきたんだ。

「そうそう、その時さ、俺、K子がなんで泣いてんのか全然分かんなかったんだよね。で困っちゃってさ、確か、変な感じで慰めたりしてたよな」

 

と俺が愛想笑いしながら言うと、K子はちょっと俺を睨み付けた。

 

増田君って、当時は確実に童貞だったよね。ていうか彼女だって作ったこともなかったでしょ? あそこでキスしないなんて無茶苦茶傷付いたよ(笑)

「キ、キス?」

だってさ、あそこで壁ドンまでしてキスしないとか普通あり得ない」

 

・・・そこまで言われて俺は完全に思い出してしまった。

それは高三の時の放課後の事だった。

K子は隣のクラスだったけど、高二くらいから仲のいい友達同士になっていて、他の同級生友達などと一緒に良く遊んだりしていた。

で、文化祭の調べものか何かでお互いに図書館を利用する事があり、しょっちゅう一緒になってたんだよね。

ていうか不思議なくらい、二人きりで居残る事が多かった。もちろん帰る時も一緒。

あと、付き合っていると言う事はなかったけども、2回ほど遊園地とかでデートしたりもしていた。

正直言えば、俺は彼女の事が好きだった。でも、彼女の言うとおり付き合ったことなんか一度もない完全童貞だったし、彼女はどちらかと言えばもてるタイプ女の子で、何人かの男子と付き合っていたことも知っていた。

から多分、当時の俺としては、彼女と付き合えるとか夢物語に等しかったんだな、きっと。

 

それで、その日も図書館で二人っきり居残っていたんだけど、ほんとにどうでもいいことで軽い口論になったんだ。

鉛筆貸してと言われて、単に貸さなかっただけ、っていうね。

それでK子が怒って泣き出し図書館を飛び出ていったのを俺が追いかけた。

そして追いついたそこで、彼女壁ドンしたと。

 

「懐かしいよねー。でもあそこでキスされてたら、もしかしたら結婚まで行ってたかもよ(笑)

「そ、そうなの?マジで?」

だってさ、増田君の事好きだったもん。増田君すっごくやさしかたから」

ちょ、ちょっと待て。え?

「それ、マジで言ってんのか?」

「うん、マジな話。増田君が私のこと好きだって事も知ってたよ。聞いてたもん、増田君の友達のA男から

「げ!、あいつめ、余計な事を・・・

A男は当時俺の唯一の親友だった。あんなに口の堅かったと・・・いや、実際には軽かったのか。

 

「えー。だったら相思相愛だったんじゃねぇかよ」

「ほんとだね」

 

彼女はくすくす笑いながら言った。

 

「結局その絶好のタイミング逃しちゃったし、なんかあの後お互い忙しくなっちゃったしね。人生って分からないものよね」

「で、でもさ、告白もなしにキスなんか出来ないって」

・・・あはは増田君てばまだ童貞なの?(笑)

 

なわけねーだろ。子供も二人いるって。

でも、確かに、思い出せばあんな絶好のタイミングキスに持っていかないとか、アホだったのだ俺は。

・・・くそしか彼女が俺を好きだったとか知らんし。

 

そのあと、連絡先を交換して、俺も仕事の途中で寄っただけだから帰社しないといけなかったし、彼女彼女用事があるとかで別れたんだけどね。

ふと、帰り際に高校のほうを眺めたんだけど、その当時の図書館壁ドンした廊下も校舎ごと消え去って跡形もなかった。

 

そういや、確か・・・お互い卒業して半年くらい経った時、彼女から電話があったなぁ。

何話したか覚えてないが、一回だけ、そんな事があった。

多分、それでも俺は鈍感で気付かなかったんだろうな、K子の好意を。

 

俺が彼女童貞喪失したのはそれから7年も経ってからだ。

なんだか無性に切なくなってしまった。

アホな高校生活送ってたんだなぁと。

最悪なことに、俺、K子のこと想像してオナってたりしてたもんな。

サイテーだ。

2016-05-04

ずっと共学だった自分から見る「男子校拗らせ」

twitterでこんなツイートを見つけた。

男子校拗らせって「女子とまともに喋れない」とか「服装ダサい」とかじゃなくて「人のことを有能か無能かでしか判断できない」とか「ふわっと仲良くなる関係理解出来ない」とか「上辺を取りつくれない」とか「学園祭ホストに徹するもの自分らが楽しむものではないと思う」とかじゃないすかね

https://twitter.com/nuutarouimo/status/726921273649950721

結構な数ふぁぼられたりRTされたりしていたけど、これってどちらも「男子校内部から目線」だと思う。

小学校から高校までずっと共学だった自分としては、大学出会った「男子校出身」の人たちの印象は結構違います

いかにも「男子校」の人たち

正直に言って、大学で初めてこういったタイプの人たちと出会った時はドン引きしました。

なぜかと言うと、こういった言動は共学の高校では普通タブーとされていて、そういう事をする人は嫌がられる傾向にあるからです。

彼らの特徴は、大きく言って三点です。

  • 異性がその場に居るかどうかで態度が違いすぎる
  • 女性露骨に格付けする
  • 性の話題になるとやたらとムキになる

ひとつひとつ説明していきます

異性がその場に居るかどうかで態度が違いすぎる

だって女性の目があるかどうかで多少は言動が変化するものですが、それにしても限度というものがあります。 共学というのは基本的に、常に異性の目がある場です。男子校出身者にとって文化祭とは「女性が来る」から盛り上がるものなのでしょうが、 共学における文化祭は「みんなで何か面白い事をする」から盛り上がるものなのです。そういった物の見方は当然、共学である大学でも引き継がれます。 そういう状況で異性が居る時、居ない時であまり露骨に態度を変えられると裏表のある奴/調子のいい奴だと思われ、ものすごく嫌がられます。 なおこれは、女性側でも同じです。「あの子は男が居るかどうかで態度が違う」という情報は即座に男にも伝わり、避けられます

女性露骨に格付けする

共学というのはいつどこで誰と誰の間に恋愛が発生するのかわからない場所です。発生を予想できるパターンもありますが、たまに全く予想の出来ないパターンもあります自分から見れば全く魅力の無い女性を、親友がいつの間にか好きになっていたということもあります。そういう時は蓼食う虫も好き好き、あばたもえくぼ、といった諺を身に染みて感じます。 したがってうっかりクラスメイト女性を貶したら、いつの間にか親友がその子の事を気になっていたとかで大喧嘩になってしまった、という事もごく普通にあり得ます

そういうわけで共学では、たとえ男しか居ないような場面であっても女性の外見を安易に格付けしたり、貶したりするようなことは控えられます。 内心ではブサイクだと思っていたとしても、それをわざわざ言葉にはしませんし、態度に現れてしまうのもあまりスマートではありません (が、所詮子供ですから態度に出してしまう人も結構ます) 。 ですから、よほどクラスで嫌われている人を貶す場面でもなければ、「あいつと付き合うくらいならあいつのほうがマシ」というような露骨な格付けはまず絶対しません。 確かに、修学旅行合宿の夜などに「胸が大きい人」「エロそうな人」だとか、そういうくだらない”要素”でランク付けをすることはあります。 それはあくまでも”要素”なので「俺は胸にはこだわらない」「エロそうだということは付き合う上では関係ない」などいくらでも無視することが出来るからです。

性の話題になるとムキになって論破しようとする

これはタブーというわけでもないですが

童貞だとか非童貞だとかは、共学でもネタとなることはありますが、あくま冗談範囲内というところがあります経済的にどうだとか「恋愛資本主義」が何だとか思想を振りかざしていたとしても、それはプロレスのようなもので、別に本気で相手を潰そうとしているわけではない事が多いと思います

ですが、どうも男子校出身者は性の話題になると急にムキになって相手論破しにかかる人が多いように思います童貞だとか彼女がいないだとか、○○の時期に一人だとかい話題に過敏に反応して急に怒りだし、思想を振り回している人が居ると、あっこの人は男子校出身かなと思ってしまます(あとで確認すると大体当たっています)。 別に彼女が居るから偉いだとか、非童貞から偉いだなんてことはありませんし、そんなことはみんな知っていてからかっているだけです。落ち着いてください。

ついでに申し上げておくと「昔、彼女(or仲のいい子)が一人いてセックスする直前くらいまでは行った(≒途中までした)が童貞(or一回だけしたことがある)」というセリフ童貞常套句でして、 たとえ本当でも聞いているこちら側が恥ずかしくなって赤面してしまうので、出来たら避けてください。

男子校拗らせ」その後

大学入学後の「男子校拗らせ」治癒率には、大学生活の環境が大きく影響します。 とはいえ、理科系学部女子殆ど居なかった、という環境でもサークル活動社会人生活を通じて一般的には齢25前後までには症状が目立たない程度にはなっているようです。

しかし「理科系学部女子ほとんど居なかった」「入ったサークルにも女子がいなかった」「寮生活だったために周りにも似たような奴ばかりが居た」「卒業後に入った会社にも女性が居ない」 など複数の条件が重なりますと、むしろ重症化するという事例も見受けられます

十分にご注意ください。

2016-04-24

http://anond.hatelabo.jp/20160424203519

誰が見ても変なカテゴリーに入っている以外は、トラブル防止のためコメントに「こういう理由から変更した」と書くことがありますが、理由常識範囲内であれば納得できるのでは。他のユーザーが困るような変更を抑制するための注意文でもあります

なるほど。自分場合自分ブクマしたい記事と、カテゴリ新着を整理するのは、方向性が違うので、必ずしも「カテゴリ整理をした=ブクマしたい」訳ではないんですよね。個人的には評価していない記事に対して1ブクマ与えるのもなんかなぁ……。と思いますし。

はいえ、混乱を招くなら、新しいアカウントを作って、それでブコメ+カテゴリ変更するのが適切かもですね。

 

 

1週間やってみた感想としては、カテゴリ変更って結構難しい。「誰が見ても変なカテゴリー」「常識範囲内」と言うけれど、実のところ、たぶんその常識とは十人十色なんだなと実感します。明らかに「テクノロジーじゃないだろ」と思って変更した先でも「いや、おもしろじゃないでしょ」と言われる可能性は大いにあると思います。そして、おそらく大抵の人は「自分の読みたくないエントリは、どういう流れであっても、読みたくない」という意識根底にあるんじゃないかと想像します。たぶんですね、互助会はてなブログで持ち上げられた内輪エントリーって、結局の所、外部の人は誰も読みたくない記事だと思うんですよ。身内で楽しんでる文化祭ドンチャカ騒ぎを見る感覚に近いです、お客さん置いてけぼり。200記事分変更したという事は、もちろん200記事以上読んでるって事なんですけれど、ハッキリ言って、本当に面白くない。とはいえ、少しでも適切と思われるカテゴリに変更したら、3ブクマ以上稼いでる以上、どこかのホッテントリには載るわけです。やっぱり変更先のカテゴリーファンから見て「読みたくない」と思う人はいるわけで、みんな微妙気持ちになると思うんですよね。自動分類よりも幾ばくか、カテゴリエントリ合致制が高まったとしても、読んだ人のモヤッとした感情は、どうやっても拭えないというか……。これはちょっと、行き場がないよなぁ。とも思います

まあ、地道にやってく他ないと思います。私は別にはてなからお金貰ってるわけじゃないし、変更した所でもしかしたら誰かが怒るかもしれないけれど。私にとっては互助会を叩くよりもカテゴリ変更の方が解決の近道じゃないかな。って思うので、ちょっとの労力を払って、もう少し様子を見ながらやってみようと思います

2016-04-04

雨が上がった。

文化祭ロミオとジュリエットをやることになった。

ジュリエット役は立候補で決まったが、ロミオ役は男子全員のじゃんけんで決めることになった。

私がじゃんけんで負けた瞬間、ジュリエットの子が泣き出した。

私は降りると言ったが、クラス総出で叩かれた。私は1ヶ月学校に行くのをやめた。

クラスは劇をやめて展示会をやったようだ。修学旅行は、1人で回った。

次の年は学校に行かなかった。クラスは、劇で最優秀賞を取ったようだ。

あれから15年以上経った。それからもずっと、集団からはじかれて孤立するのを繰り返して、転職回数も2桁になった。

また無職になってしまったし、今日はいい天気だし、家にいよう。お金がなくなるまで。

2016-02-21

劇場版ラブライブ!批判考察

 一時期、ラブライバー界隈で話題になった劇場版ラブライブ!批判記事があった。

 それは、おりあそ氏による

アイドルはなぜ魅力的なのか? あるいは、劇場版ラブライブ!』はなぜ失敗作なのか。」http://oriaso.seesaa.net/article/421134088.html

である


 自分TVアニメ第2期以来ラブライブ!という作品うんざりしており、ほぼ既に内容に希望を抱くことを諦めた立場だった。

 そのため、劇場版の内容を目の当たりにしても、2期の調子から続きを作ったらこんなものかという程度に軽くとらえていた。

 批判記事についても早い段階で拝読の機会を得ており、概ね同意はしたのだが、批判へ寄せられた賛否両論意見の軽さと2期以来の作品の現状の救いようのなさに呆れていたこともあり、あまり触れないようにしていた。しかし、ラブライブ!(以下ラブライブ表記)という作品が何と言おうとフィナーレを迎えようとしている今になって、少しは気分が落ち着いたこともあって改めて自分なりに読み解いたものを記しておこうかと思う。


彼の批判文の序盤はTV第1期から劇場版の終わりに至るまでの説明なので割愛。その直後の文章から批判問題提起が始まる。

しかし、アニメラブライブ!』のラストを飾るイベントが、このようなものであっていいはずがないのである


問題点明確化するために、3年前に現実世界で開催されたあるライブイベントと対比してみたい。それは「ゆび祭りアイドル臨時総会~」といって、普段ライバル同士である人気のアイドル10組が一堂に会し、次々にライブを行うというイベントであった。このイベント話題となった最大の理由は、指原莉乃という当時AKB48で人気を急上昇させていたメンバーが自らプロデュースをしたことにある。つまり「ゆび祭り」は、μ'sが企画してライバルであるスクールアイドルを集めた、劇場版クライマックスを飾ったあのお祭りと非常によく似たイベントだったと言えるだろう。


実は「ゆび祭り」は感動的なイベントであった。それは何故かというと、指原莉乃というアイドル人生物語象徴するイベントだったかである。もともと指原は故郷大分県において、熱狂的なアイドルファンとして育った。モー娘の全盛期に小学生時代を過ごし、様々なグループライブに通い詰める重度のアイドルオタクになったのだ。そしてアイドルへの憧れが高じて上京自分自身AKBメンバーとなり、ブレイク果たしてこのようなイベント企画できるほどの地位に登りつめた。つまり「ゆび祭り」は、指原のアイドル愛が余すところなく表現されたイベントであり、アイドルオタク成り上がりストーリー体現たからこそ、感動的なイベントだったのである

 この部分、ある意味では三次元アイドルへのアンチテーゼ的な役割が求められる二次元アイドルアニメというジャンル批評実在アイドルAKBを持ち出したきたことで一瞬、辟易した読者も多いことだろう。自分もその一人であったが、よく読んで考えれば、その意図も分かるものになっている。


 実際、AKB指原がAKBとしてデビューする以前からアイドルオタクだったことは有名な話らしくいろいろとエピソード写真が残っているようである

 そんなアイドルオタクが、一応トップアイドルとなり、事務所などの枠を超えて自分リスペクトしてきたアイドルを集めて「ゆび祭り」という大きなお祭り主催したことは確かに快挙である

 そして、この「ゆび祭り」というイベントチケット代は指原の愛称「さしこ」にちなんで345円という特価であったらしい。自分の好きを極めて走ってきた上で積み重ねてきた成果を現在アイドル達やアイドルオタク還元するという意味で確かに素晴らしいイベントだったといえよう。


 それに対して、劇場版ラブライブにおけるお祭り比較されながら述べられているのが以下である

では、アニメラブライブ!』のストーリーを締めくくったあのお祭りは、どのような物語性を内包していたのだろうか。筆者の考えでは、残念ながら「どのような物語性もない」のである。あのお祭りでは、「スクールアイドル」がキーワードになっていた。しかし今までの『ラブライブ!』で、「スクールアイドルはいかにあるべきか」とか「スクールアイドル未来」とかいったことが主題になったことは一度もない。穂乃果たちは、今まで他の(A-RISE以外の)スクールアイドルことなんかちっとも考えてこなかったのである最後最後になっていきなり《スクールアイドルという問題》を提示されても、あまりにも唐突だと言わざるをえない。

 指原には長年アイドルオタクとしてアイドルに憧れ続けてきた上でトップアイドルになり、先述のお祭り主催したというプロセスがあるのだが、ここで述べられている通り、μ'sもとい穂乃果にはそんなプロセスはない。

 廃校を阻止しようという目標最初に生まれたが、スクールアイドルという手段は後付けであり、(スクール)アイドル活動は積み重ねてきて目的となるような価値としては弱いものだったといわざるをえない。TVアニメ第1期途中で廃校問題有耶無耶になり、自分達はアイドル活動をこの9人でしたいんだという方向に物語は動いたのだが、それも行き当たりばったりで賛否両論であった。作中でもまだ比較的まともだった頃の矢澤にこに「穂乃果の(アイドルへの)好きはいい加減」と批判されている。

 また、自分達のスクールアイドル活動には目を向けても、他のスクールアイドルに対して何らかの注目を向けたのは穂乃果にアイドル活動をさせるきっかけを作ったA-RISEくらいであり、それも主に廃校阻止や後のラブライブ出場&優勝という目標を達成するための当面の壁やライバルとして注目された程度に留まっているため、おりあそ氏の批判にある通り、指原のような他のアイドルへの想いが高じて開催につながったイベント比較すると、劇場版で急に穂乃果やμ'sの「スクールアイドル」に対する想いが打ち出され、スクールアイドルを集めてイベントをやろうと言い出すのは唐突であり、付け焼き刃だとか行き当たりばったりといった表現揶揄されても仕方がないものといえる。

 一方で、そのイベントや発想自体は悪いものではない。スクールアイドル全員で楽しい大きなお祭りしましょうというのはとても魅力的で素晴らしいものであるしかし、作品上仕方ない部分もあるとはいえ、「スクールアイドル」全体のお祭りへの想いを一旦は語り、イベントを開催してみたらμ'sしか目立っておらず、他はバックダンサーに近い扱いというのは、劇場版という大きなお祭りという面を考えてもどうにかならなかったのかとか、他のアイドルファンへの還元の面でも現実アイドルに大きく負けているのはどうなのだろうとか考えてしまう。

 したがって、あのスクールアイドルお祭りは作中における開催への過程や内容の意味だけでなく、ラブライブ劇場版というお祭り観点でも説得力と盛り上がりに欠ける粗末なものだったといえるのではないだろうか。


 その次に述べられているのが劇場版単体の内容の問題点である

今回の劇場版ラブライブ!でとにかく目につくのが、このように行き当たりばったりで物語の流れを無視したストーリーである映画の前半では、脈絡の無い強引な展開でニューヨークに行くことになるが、そこで何かを得ることはなく、後半ではまったく無関係ストーリーが始まってしまう。後半のストーリーから逆算すれば、前半では「スクールアイドル」の問題提示されていたり、μ's活動終了への伏線が描かれていたりしなければならないはずだが、そういったことは全然なく、ライブ場所を求めて街を探検したりアメリカ人交流したりするだけである。また、ニューヨーク迷子になった穂乃果は、彷徨っているうちに一人の女性シンガー出会いホテルまで連れ帰ってもらう。この女性シンガーはいろいろと不思議な点があり、穂乃果以外のμ'sメンバーには見えないなどの設定があるため、「未来の穂乃果」だというのがネット上では最も有力な説である。この女性シンガー帰国後にも一度穂乃果の前に現れるのだが、それっきりストーリーからは退場し、穂乃果に思い出されることもなく、謎も一切明らかにならない。映画キーパーソンであるかのように登場しておきながら本筋にはちっとも絡まないというこのキャラクターは、何のために出てきたのか本当に謎なのである。他にも、映画冒頭で描かれる、穂乃果が水たまりを飛び越えるという過去エピソードがこの映画ストーリー全然そぐわないなど、とにかくこの映画脚本はいたるところが継ぎ接ぎだらけの雑なものであり、一貫したテーマがないので物語性を感じられない。「物語性がない」と言うと、『けいおん!』なんかの例を持ち出してくる人がいるかもしれないので予め書いておくと、『けいおん!』にはストーリーはない(大したことは起きない)が、物語性はある(一貫した主題がある)。それに対して劇場版ラブライブ!』には、ストーリーはあるが物語性がないのである

 と、ここも個人的意見の相違はないのではあるが、突っ込みたい点が何点かある。

 そもそも行き当たりばったりで物語の流れを無視したストーリーというのは劇場版に限らず、第1期から指摘できる問題点であり、ラブライブというよりも花田十輝氏の脚本によく見られる傾向ともいえる部分である。その点を、恐らくブログ著者は第1期を評価したい立場であるために触れないでいるのだろうが、後々2期や劇場版でそれが起因して物語性やキャラクター性の破滅につながっていることは無視できない。

 たとえば2期においても用いてプロジェクト開始初期から掲げていた「みんなで叶える物語」というキャッチフレーズ。それが本来コンテンツ全てを統括する一つの物語性やコンセプトになるべきだったし、アニメ化以前は細かなキャラクター設定のブレはあっても、その点においてのブレはなかった。個性事情を違えるキャラクターが集まった上で廃校阻止やアイドルになるといった目標を叶えること、また結果的に初期からそのコンセプトやキャラクターを支持してきたファンの思いを叶えるという意味もつながってくることになる。

 しかし、アニメにおいてその作中の物語性は破棄された。廃校阻止という目標プロジェクトを束ねる大きなコンセプトの一つだったが、それは第1期で大会に出たわけでもなく他のアイドルと大々的に競ったわけでもなく達成される。その後μ'sは文化祭における穂乃果の件もあり活動休止となることもあり、せっかく大きな目標を達成できたのにカタルシスが弱い。

 アニメラブライブ肯定的ファンの間では「アイドル活動廃校阻止というコンセプト自体に無理があるから、1期でそれを消化したのは悪くない」という見方があるが、無理があることを簡単にあっさり達成・消化させてしまったたものをよしとする神経や論理にこそ無理があるように思える。

 また、裏を返すと、大会に出ずとも廃校阻止につながるくらいにスクールアイドル活動の影響力や効果が大きいことを描写してしまったともいえる。さらに2期では、次に開催された大会に出場し、プロアイドルを上回るとも言われていたA-RISEをも倒し優勝を達成してしまったのだから、その後のμ'sの人気や知名度は絶大なものとなっていただろう。少なくとも地元東京関東地区では。

 ところが、劇場版はその描写から矛盾点を生じさせている。

 脈絡の無い強引な展開でニューヨークに行きライブを行い、間違いなく関東空港である日本空港に帰ってきたところでファン出待ちされて知名度を得た自分達に驚くというシーンについてであるが、既に廃校阻止や大会優勝の時点で雑に考えてもかなりの人気と知名度を得ていたはずである。ましてや地元であり、さらに出迎えたファンは同年代であったから今さら驚くことではないはずだが、それに初めての体験であるように驚く描写を入れてしまったことで、劇場版アニメラブライブという作品自体がどの場面においても何かを得ることはなく、いつもまったく無関係ストーリーが乱雑に入れられるだけの作品だと物語っているかのようである


 続いて、ブログではそのような内容や批判を受け入れるファンの態度についての批判が述べられている。

さて、劇場版ラブライブ!』は以上のように脚本に重大な瑕疵を抱えているにも関わらず、この劇場版が良かったという人々の多くがこのことを大した問題ではなかったと考えているようだ。ここがポイントである。もし以上で挙げたようなことがそもそも物語上の瑕疵ではないと言うのなら、それは根本的なセンスの違いだからどうしようもない。しかしそうではなく、瑕疵だとは認めつつもそのことによってこの映画価値が損なわれないと考える人々が多くいるという、その点にこそ本質的問題がある。なぜなら、これほど重大な物語的欠陥を目にしておきながらそれを大した問題ではないと言うのは、「アイドルアニメなんだから可愛ければそれでいいじゃん」「百合さえあればなんでもいいじゃん」という物語性軽視の態度に他ならないと考えられるからである


ラブライブ!』はTVアニメ第1期以来2年半のあいだ爆発的に人気を拡大し、日本二次元コンテンツ代表する作品の一つにまでなったが、残念ながらそれと同時に、物語性をひどく軽視するファンを増やしてしまったように思う。そういった人々は、μ'sを一方的かつ即物的に消費するだけであり、μ'sのメンバー共感したり、あるいは彼女から何かを学んだりしようとするチャネルを持たない。そしてそういった人々の消費態度は、実際に『ラブライブ!』の作品のものに反映されるようになってしまった。その結果がこの劇場版における脚本崩壊だと考えられるのである

 そもそも、「アイドルアニメなんだから可愛ければそれでいいじゃん」「百合さえあればなんでもいいじゃん」という擁護を持ち出すのも苦しい点がある。

 何故かというと、このアニメラブライブ脚本家である花田十輝氏や監督京極尚彦氏は自分たち志向する物語性を作るために、キャラクター性やプロジェクトの大きなコンセプト(一貫した主題)を変更して犠牲にした経緯があるためである。(電撃ラブライブ!3学期http://www.amazon.co.jp/dp/B00BW8MRVY等参照)

 いくら結果売上が出たとか人気が出たとはいっても、道理に背く大きな決断を下したからには内容に責任を負うべきである。自らが企画原案から打ち立てた作品なら構わないだろうが、ラブライブは三社合同のプロジェクトであり、原案公野櫻子であるため、彼らは作品物語性の中枢部分に適当にメスを入れられる資格はない。つまり覚悟を持ってメスを入れてしまったのだから、それ相応の義務責任を負わなければ話にならない。

 本来あったキャラクター性や物語性を軽視した上で、打ち立てたストーリーに不備が生じ、それを擁護するために切り捨てたものを持ち出すというのは都合が良すぎるし、つまりストーリーコンセプトの変更やキャラクター性の変更の失敗を証明しているようなものである

2016-02-10

天理の町歩いててふとおもったんだけど

若い人がはっぴきて歩いてる雰囲気大学文化祭みたいじゃないですか?

2016-02-04

http://anond.hatelabo.jp/20160204024624

中学文学部文化祭の出し物やるにしてももうちょっとまともなこと書くよな。

中学って、大学より環境の差がスゴイから、なんとも言えない。

市立の中学では、「考える」なんて土壌が存在しないこともあるし。

つーか、こいつに限らず、大学生ブロガーブログ記事見たら、お前らまず大学でちゃんと勉強しろカス、って感じること多すぎるんだが。

この国から娯楽を抹殺し、大学の数を20まで減らし、人文系焚書してはじめて成立する意見だよね、それ。

つーか、あえてめっちゃ辛口で書くとか、笑えるからやめろw

2016-01-17

騙されたと思って、映画「幕が上がる」を観てみてください

http://anond.hatelabo.jp/20160117091941

言いたいことにほとんど同意するし、

高校演劇部だけど、演技の実力もないくせに

自信だけ満々の奴がいて、専門用語を間違って使ってるのに気づかんとか、

後輩にも煙たがられてるのに、予定調べて練習に顔を出して「俺やで?」みたいな雰囲気を出してきたり、

クラス文化祭でいっちょ仕切ったろうとして、でも人望が薄くて

空中分解させて、温厚な担任にすら見放されて軽く拒否になったり、

Twitterで有名演劇人と絡んでるのを人脈自慢したり、光と闇の世界が闘う「オリジナルの」脚本を書いて

周囲に感想強要してたりっていうのが、確かにいくつでも思い浮かぶけど、

演劇にも少しはいい部分はあると思うんですよね。

嘘だと思ったら、映画「幕が上がる」を是非見てみてください。

演劇やってるやつはなぜキモイのか?

だいたいおかしいよな…。

文化祭で劇をするときに、演劇に詳しいヤツが本当におかしかった。

台詞なんか台本10分読んだら入って当たり前!とか専門用語で話すし顔が良いわけでもないのに自信たっぷり

外部から参加した大人は不倫男女だったし。

なんか劣等感の強いヤツが多いよね。

2016-01-11

http://anond.hatelabo.jp/20160111014553

盛り上がってるところ申し訳ないが・・・

男子高校出身者と共学高校出身者は、少なくとも20代以降においては恋愛結婚面で有意な差は無いそうだ。

男子校出身であるということが恋愛結婚面で特別不利にならないということ。

<参考>

http://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/research/cyousa22/marriage_family/mokuji_pdf.html

http://www.i-repository.net/il/cont/01/G0000155repository/000/006/000006415.pdf

ただし、公開されているデータを見ると明らかになっているが、

年収差は恋愛結婚両面において大きく効いてくる。

高収入の男は恋愛結婚ともにウハウハで、低収入はその真逆

ならば、将来の収入が見込めるようなエリートコース(名門中高一貫校)に入れるんだったら、

男子校でも心配するようなことはないんじゃないの?

やる気さえあれば、麻○布とか海○城くらいのブランド力ならそこらの女子校の子引っかけてもいい。

文化祭とかでは向こうからアプローチしてくる場合もあるだろう。

なんなら中学受験塾仲間のネットワークもあるし、鉄○会とか平○塾のつながりも日常的にある。

その恵まれ立場すら使いこなせない子が共学に行ったからってどうにかなるようには思えない。

向き不向きもあるだろうが、共学校の隅でうずくまって暗くて臭い青春を送るくらいなら、

ひとまず男子校環境に守られて楽しく過ごすという選択肢もあるのではないか。

2016-01-05

学校教師殆どは一般企業出身者にしたほうがいいのではないか?

学校という特殊環境での作法偏重した人間ばかりというのは、奇妙だ。確かに学校は一面として社会の雛形ではあるけれど。

余談だが、学校経済 生産 商業活動距離をとっていて、ともするとカネ=汚いという感覚すら刷り込まれている気がする。

何か神聖場所社会から切り離された場所であるという風潮はできるだけなくすべきだ。

更に余談だが俺は公立高校普通科出身で、文化祭予算は1~2万円/1クラスだった。そういうとき(しょぼい学校のしょぼい学園祭なのに客はかなり多かった)こそ利益を産む練習をさせるべきだ。30万円を60万に増やせばいい。

なんかみんな案ある?学校社会を結びつける方法、、、

そういや高校とき職場体験無かったなあって思ったけど、仕方ないよな。バイトしかできねえもん。社会が複雑化して技能が高度化したのが高卒大卒が当たり前になった理由ひとつなのだからスレタイも簡単には行かないんだろうなあ...技能持ってる企業出身者なんてむしろ大学教授とか専門学校のほうが向いてるし。だいたい普通科高校なんてとりあえず大学行こうかなって考えるやつが行くところだし、俺もそうだった

2015-12-25

http://anond.hatelabo.jp/20151225014456

自分も一時期それに近い症状に陥ったことがある。

今は全然平気になった。

逆に、ライブのあとのペラアンケートとかもわりと埋めて出すようになった。

折り合いというより、克服話になっちゃうか。ごめん。

自分場合だけど、脱したきっかけはたぶん、

アンケート自由回答やら、雑多な感想やらを「受け取る側」を経験したことだと思う。

ボランティアサークルスタッフだったか

学校文化祭実行委員だか生徒会だったか、どこでだったかちょっと忘れた。

ブログとかのコメントもあったかも。

見られる、読まれる側の意識だけだったのが変わったんだろうな。

すげえ適当なこと書いてあったり、雑な文句を言われたり、言い方はきついけどごもっとも、って内容もあったし、でもその全部がけっこう読んでて楽しかったし、嬉しかったし、みたいな感じで、「あー、なんでもいいんだなー」って思い直したというか。

逆に、自由回答が埋まってないのを読んでも特に何も思わないこともわかった。

から自分が書くときも、なんとなくぴんと来ない時は埋めずに出す。

書けない時もあって当然だから

コメントを見てきたなかで、いいな、って思った人の語り方が今の自分アンケート記入の書き方のモデルになってると思う。

ブコメにもあるけど、人に渡す文章なのでテクニックで処理できるところは多い。

他人文章パターンを盗むと一気に楽になるとも思うので、

アンケート回答を受け取る側を体験してみるというのをおすすめしてみる。

2015-12-04

http://anond.hatelabo.jp/20151203235638

理系博士とか探してみたら?

30歳でまだ学生かいっぱいいてびっくりするけど

比較増田の条件に合致してるんではないかな

出会い方は、鳥人間コンテストロボットコンテストに行ったり、

理系学校文化祭に行ったり?

研究発表的なイベントに行って、熱心に話を聞くのが一番効果ある気がする

2015-11-30

[]2015/11/30

小学校文化祭?のために、校舎4階の外壁にでっかい球根を植える作業をしているのを見ていた

4階まで届くようなめっちゃでっかい脚立に生徒がいっぱい乗ってた

こわくないのかなーって思った

んでそれが終わってみんなが体育座りで次の指示を待ってるときに、

文化祭いつからだろうって隣の女に話しかけたら、水曜の16~17時って教えてくれた

2015-11-27

青春モノ」のいやらしさ

青春モノって少年少女の性欲や行為示唆する描写がところどころにあって抜けるよねとかいう話じゃありません。いやな感じがする、方の「いやらしい」です。

2ヶ月弱前、映画『心が叫びたがってるんだ』を見てきました。

来場者特典が非常に豪華で、映画主題となるクラス演劇ミュージカル)のパンフレットと、そのクラスメンバーを演じるキャスト全員のサイン(縮小コピーで一枚の色紙に印刷してある)というもの

特典が豪華というのはもちろん嬉しいんですが……。

劇中劇タイトルが「青春の向こう脛」。

サインの方は、書いたキャストさんの名前は挙げませんが「これぞ青春!」「素晴らしき青春」などと書き添えられたものが何点か。

「うわっ」ってなりました。

劇のタイトル映画本編でも「内容と関係なくない?」と突っ込まれていて、なんでそんなタイトルにしたし……。

しかしそれでも、「なにが『うわっ』なんだよ」と思われる方も多いと思います

実際、この映画の内容はいわゆる青春群像劇ど真ん中と言うべきもので、「青春」を押し出すのは多分当然なのでしょう。

でも、なんかさ、こう前面に押し出されるとさ……いやらしくない? 「青春」。

いわゆるお涙頂戴が鼻につく人も多いように、押し付けがましく感じたというのもあると思いますが、それ以前に私は、「いわゆる青春」を称揚する態度に少なから嫌悪感を覚えます

未熟な少年少女が迷って、ぶつかり合って成長していく……それを大人がエンターテイメントとして楽しんでいることに、なんとも言えない下品さがある気がします。

王道青春モノのキャラクターに求められるのは未熟さなのではないか。

それはドラマを生むため、また完璧ではあり得ない人間としての必然的描写以上に、大人が「子どもには未熟であって欲しい。大人に導かれる存在であって欲しい」と要求しているのではないか。

青春只中にいる少年少女の苦しみや葛藤を、大人たちがニヤニヤ笑いながら、「それが青春の痛みだよ」とか言って楽しんでいるのではないか。

そんな印象を、「青春」の称揚からは受けてしまうのです。

(『ここさけ』の内容自体は、粗を感じる部分はありながら特にそうした悪印象あるものではありませんでした)

大人の敷いた「青春」のレールを走らされる……こうした不信感は中学生の頃、運動会文化祭指導をする教師に対して初めて芽生えたものだったように思います

それから十数年、私は未だにその感覚を引きずっています

フィクション登場人物なんて、老若男女問わず喜怒哀楽エンタメとして都合よく消費されているはずなんですが……。私がことさら青春モノ」への違和感を抱いてしまうのは、多分自分が受けた嫌な青春教育が思い出されるからでしょう。

しかしこんなことを言っている私も、キャラの未熟さを楽しんでいるところがあります

現在放映中の『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』。ガンダムは他にOOしか見たことがありませんが、毎週楽しみに見ています

少年兵だけのチームが大人たちの陰謀渦巻く戦場を生き抜こうとするドラマは、一つの青春モノといって差し支えないでしょう。

先日放送された第8話で、団長のオルガが宇宙ヤクザ(?)のナゼ・タービンズという男に叱られる場面があり、そこでのオルガははっきりと「子ども」でした。

それまでオルガは対立する大人から「ガキ」と言われながらもタフで明晰な、大人と遜色ないリーダーに見えました。

劇中で明らかに「子ども」の面を強く見せたオルガ、それを私は割りとニヤニヤしながら見ていたと思います

オルガはそれまでも非常に魅力的なキャラクターでしたが、そこでこれまでになかった「可愛げ」が芽生えたように思われました。

私も青春モノとしてキャラに未熟さを求め、「子どもであることを恥じるオルガを楽しんでいたのでしょう。

少年少女の成長を描くというのは物語として極めて王道で、それ自体下品というわけではないと思います

青春モノの子ども像以外にも、都合のいいキャラクター像は無数に存在するし、その一つを自覚しただけで潔癖ぶるのは虫がいいでしょう。私は趣味創作をしていますが、この手の欲求全てを拒絶していたらフィクションなんて成り立たなくなるでしょうし。

クッソ長々と書き綴った挙句何が言いたいんだかわからない日記になりましたが、思ったのは、少なくとも自分では、大人目線青春青春盛り上がらないようにしよう、と…………。

あと、できればいわゆる青春と言われる年代ドラマを描いてても、「青春」とか「成長」とか強調しない作品が増えて欲しいな、と……。

好きな青春モノは「男子高校生の日常」と「ハイキュー」です。

2015-11-18

筋金入り共産党員の娘が創価学会の男と結婚した話

まぁ私の事なんですけど。

父、祖父、曽祖父の代から共産党主義者もっと共産党員なのは祖父と父で、曽祖父は単に支持者だったそうだけど。

祖父が亡くなった時に、志位和夫委員長から弔電が来ていたらしいので、そこそこの党員だったのだろう。あまり良く知らないのだが、祖父宅には宣伝チラシのようなものがおいてあったり、客間におそらく党員が集まって話してるのをよく見た。

父は党員だけど労組活動がメインみたい。むかし、隣の市で共産党系の市長が出そうだった時に開票所に連れて行かれて「不正が無いか見ておかないと行けない。お前たちの未来にも関わることだからな」と言われた。月に2-3は活動して座談会いったり年1くらいデモしたりしているみたい。自分細胞なんだそうだ。

他には政治的なことを言われた記憶はなく、しんぶん赤旗は取ってたものの、私は個人的にずっと朝日小学生新聞朝日新聞を取ってた。個人的にっても親の金ではあったので、親ありがとう

私自身のことについていえば、共産党薫陶は受けたものの、赤旗まつりに行く程度で、しんぶん赤旗現実味のない論調ニュースの速報性のなさにはがっかりだし、オープンキャンパス東京大学をいろいろ見ていたとき法政大学アジ横断幕見てドン引き

一応大学共産党宣言ちょっと見てみたもの・・・ってところです。

あいつら、チベット虐殺について「チベット暴動があり民間人に死者が出た模様」って軽く触れて終わりとか偏り報道ですよ。CNNBCCもNYTも見放題の時代に。

なお、赤旗まつりは完全に地方物産市&芸能人講演会となってて政治要素はかなり薄いので面白いです。各地の特産品とかあるよ。

さて、彼のことについて言う。

彼は別に創価学会企業でもないちょっと名のある企業に勤めていて、友人経由で知り合ってみんなでキャンプバーベキューしたりしてるうちに仲良くなった。1年半くらい半同棲して、そして結婚に至る。

半同棲(週3くらい同居)のときに、彼がクローゼット仏壇をおいてるのは気づいてた。とはい最初仏壇?と思ったものの気にしなかった。でもなんとなく気になって、彼がシャワー浴びてるとき仏壇の中を開けたら変な呪文の紙があって「きもっ!!!!!!!」ってなったね。そりゃもう。鳥肌ゾワゾワ。

その日は彼が求めてきても体調悪いって断ったもんね。

んで、帰って創価学会でググッてビンゴ創価学会呪文の紙だ(板曼荼羅というらしい)。吐き気を抑えつつも、彼のステータスを考える。有名企業法務部。年収650万。顔も悪くない。性格もすごく合う。

でもなー・・・と思いつつ、「あのさー・・・もしかして宗教とかやってるの?仏壇となんか呪文?みたいなの?見ちゃったんだよね」って言ってみた。「あー・・・学会員でさ、親もなんだけど。でも創価学会って別に変な宗教じゃないよ。日蓮宗っていう鎌倉時代からある普通仏教だし、ふつうだよ」って言う。

はいはい、そのへんは全部Wikipediaで調べ済みです。鎌倉時代新興宗教日蓮宗の、更に過激派日蓮正宗の、そこから更に分離独立したんですよねーーー。とは言いつつも黙って「え、それ私も勧誘したりするの???」「えっしねーってww まあお前が興味あるって言うなら少しは教えるけどwww 普通仏教別に勧誘なんて無いでしょww 学会普通宗教からね。勧誘なんてしないよ」とかのたまった。

(なお日蓮系の顕正会現在勧誘がひどいが、創価学会は”現在は”ほとんど勧誘してないらしい。20年前まではひどかったようだ:wiki情報

彼も祖父母の代から学会員らしい。三世ってやつか。私は祖父と父が共産党員だけど私は党員でも支持者でもないからなー。

その後もいろいろありつつ、半同棲も飽きたので結婚しました。

やっぱり彼のことでビックリしたのは、共産党週刊新潮が本当に本当に嫌いなことかな。2chも嫌い。だけど私が元ねらー(というよりははてな村民ツイ廃なんだけど、ゼロ年代ネット住民によくある程度の浅いねらーでもあった)なことを知ってるせいか、あんまりあからさまに悪くは言わないかな。

たとえば電車中吊り週刊新潮記事を見て「へぇ東京五輪の黒い噂なんだ」と学会とか関係ない話をしたときに「は?週刊新潮なんて嘘とデッチアゲしか無いんだよ?ああいデマばっかりの雑誌見てると低俗になるよ」と言い出しまして。あとで調べると、週刊新潮は20年ぐらい前から創価学会キャンペーンをやっていたみたい。共産党支持層が被るのもあって対立してたみたい。

あと、集団的自衛権とかSEALDsとかの話も「共産党が裏で動いてるんだろ?ああいう連中(共産党)こそサッサと内乱罪逮捕すべきだよ」と言い出します。これも共産党とは40年くらい対立してるみたい(すべてWikipedia情報)。

実は、父祖が共産党員なことは彼には言ってないんだけど、大丈夫かなぁ・・・。これはかなりナイーブな事案。っていうか共産党と仲悪いなんて知らなかったんだよね。


普段は本当に温厚な人でバランス感のある人ではあって、パリテロも「テロは当然許されることではないけども、フランスで起こったということはやはり空爆だけでなくフランス移民政策ミスがあったということも遠因だろう」とか言ってた(ネットで見る言説と同じではある)。

こういう彼がいきなり特定のことになると過激な発言をするパターン・・・というので思い出すのは、職場の同僚のネトウヨさんだ。

ネトウヨさんは2児のパパで、とてもいい人で温和な感じでFacebookも娘の写真とかが多いんだけどネトウヨで、中韓最近だと日本共産党あたりの話題になると本当に叩きっぷりがひどい。

ある日「娘と一緒にスイカ割り行ってきました〜〜。まだまだスイカは固くて割れない^^;」みたいなことを言った5分後に「翁長ww売国奴死ねよwww」「テロに遭う前に韓国人という外患を強制退去させないとな(真顔」とか言ったりする。

彼も、ネトウヨ同僚さんも、このメンタリティ理解できない。絶対的に叩いていいモノ扱いするメンタリティ。正直こわい。

選挙は2回ほどあったけど、「お前はそういう女じゃないと思うし、俺もあんまりきじゃないけど一応言っとくとできれば公明党に入れて。まぁそういう女じゃないだろうけど」って言ってきた。どういう女だと思ってるんだ!!

話し合ったことはないけど、日蓮正宗とか阿部日顕とか言い出すとまたすごい批判の言説されそう。そういや彼の本棚の奥の方に(隠すように)も彼の実家にも池田大作の本とか人間革命とかあるけど、あれは面白いのか…?この辺もまだ話し合ってない。なんであんなに池田大作好きなんだろう。ネトウヨさんが天皇日本大好きみたいなもんか?刷り込みなの?


あと彼は創価大学ってとこの卒業生なんだけど、これもキモい。「ふつう大学宗教の授業とかは無いからね」「幸福の科学大学作ろうとしてたけど、あれは授業が宗教的だってことで禁止くらってたけど、ああいうのとは違うんだよ」「司法試験合格率とかも高いし優秀な大学だよ」とは彼の談だけど、ネット創価大の文化祭画像を見たら「父、池田先生ありがとうございます」とか、三色に染めた旗・花・階段・校舎・・・キモイキモイ

あとやっぱり板曼荼羅呪文しか見えなくて気持ち悪い。捨ててほしいし、ガチ同居になってから見えるところに配置してるのでせめてクローゼットにいれてほしい。

聖教新聞気持ち悪いのでやめてほしい。

月に1回くらい、休日接待だと嘘ついて学会活動するのやめてほしい。会社学会員の人といってるようなのでギリ嘘じゃないんだけど、それでも。

「そんなに嫌ならなんで結婚したんだよ」という意見出てきそうだけど、そろそろ私も結婚やばい年齢だし、収入や顔のスペック面も悪くないし、3年ぐらい付き合って本当に本当にこれ以上ないってくらい気が合うし、ほんと創価学会だけなんだよ・・・

変につついて過激な活動家になっても困るので、月1会合聖教新聞だけならいいか、と放置しています。過激活動家になったり、学会の集まりに私も呼ばれたり、学会勧誘されたりするならキレて離婚してもいいんだけど、面白いから観察して増田にまた書いてもいいかな。

しかしたら私が狂ってく過程なっちゃうかもしれないけど、そしたら笑ってください。

2015-11-01

隣の部屋から女の嬌声が聞こえてきた

源氏物語をひたすら読んだ授業の後、薄暗い部屋でぼんやりしていた。

まりに、空気がひどかったので窓を開けている。千代田区京都空気の質は変わらない。

すると、隣の部屋から「起きてくださーい」という女の声が聞こえる。時間は午前11時である

昨夜、セックスでもやったのだろうか。まぁ、別にいい。

性的魅力というのが今いる自分世界では8割だ。

朝、同じ学部の同じ学年の醜女孤独だった。醜いから、相手にしないのだ。美人なら男一人いるはずだ。

自分孤独だった。

醜女自分 お互いでセックスしようとはならない。

隣の部屋の男女はどちらも顔がいい。

そして、男は軽自動車持ちだ。金持ちだ。

11時45分、赤ん坊の鳴き声が聞こえて来た。マンションの隣の家の赤ん坊だろうか。

自分赤ん坊をうるさいというほど、いやな人間ではない。

僕は現代の多くの妊婦が嫌いなのだ

大きく言ってしまえば、容姿の良い女が大っ嫌いなのだ性的魅力という武器で、自分が苦戦している源氏物語WEBでのテストの解答も楽々手に入れているだろう。

嫉妬という輩がいるが、そんなこと言われても困る。きれいな容姿なら自分文句を言わない。でもきたないからいう。それだけ。

窓を閉めようとした。

隣の部屋からだった。

「あっ あっ あっ」とかいう女の鳴き声だ。

MARCH不細工高校生時代の友人に電話をかけた。その時、英語テストだったので繋がるわけがない。

朝、母親から電話があった。仕方ないので母親電話をかけた。

そして大声で、母親に話した。「隣でセックスしている いま、終わっておはなしちゅう」と。

母親は笑った。

正直なところ性的魅力がなくて、嫌がられるのはわたくしのご両親のせいだし、金なしのセックスができないのもそのせいだ。顔の肌からは膿やらが吹いているし、赤い月面だ。

数日後、猫がいる広場にいた。

不細工男子二人が弁当を食っていた。

17時で寒かった。

猫と遊びながら弁当を口に詰め込んでいた。

一人は重いアトピーな肌だ。

例えそうでなくても、金を払わないセックスは無理だ。

自分が女なら断る。いやがる。

救いは猫が優しかったことだ。

いや、あの猫たちは誰にでも優しいから、救いではないかもしれない。

とりあえず、猫たちは可愛い姿だから相手にされる。

男一人が話した「日曜日文化祭か 一度も行ったことねーな」

彼らも僕も醜女も、性的魅力がないからこの学校でいやな思いをしていることは確かだ。

悲しいことにお互いが繋がりたいかと言えばそうではない。醜い人間も、美しい人間も、美しい人間とセックスしたいというクソみたいな輩は卑屈だと怒り出す、当たり前があるのだ。

[]米澤穂信ボトルネック

びっくりするほどつまらなかった。

amazonレビューでも賛否両論という感じだったけど自分は圧倒的に否。

中二病小説を丁寧に丁寧に書いたって感じ。

構想が若い時でそのときはまだ筆力がないから書けないと思ってこのタイミングで書いたということだったけど、

しろ若い時の勢いと感性で書いとくべきテーマ・内容だったと思う。

ありふれた中二病と実際に執筆されたタイミングでの大人の感性がまったく噛み合ってなくて、

すごくチグハグで居心地の悪い違和感が常にあった。

米澤穂信ミステリ抜きで何か書くとこうなるのか、という悪い前例になったと思う。

でも、これはすごく長期間あたためてきたものであって、プロ作家になってから純粋仕事として書いたものじゃないからこの出来なんだ、

擁護できなくもないから、まだ「ミステリ抜きの米澤穂信」の完全な評価は一応保留。

全部が当たりの作家なんていないとはわかっちゃいるけど、氷菓以外に手を出してみた一連の流れ(インシテミルさよなら妖精ボトルネック)でこうも続けざまにハズレを読まされると、かなりテンション下がるわ・・・

(追記)

msdbkmさんいつもブコメありがとうございます

氷菓アニメを途中まで見てだいたいキャラを掴んでから原作を一気読みした。

確か文化祭の謎がどうしても気になってそこの原作から読んだ。

氷菓も、あれ一冊だけを最初に読んでたらたぶんボロクソ言ってた。

最初文化祭のを読んで良かったと今でも思う。

語り手が変わって各メンバー視点でいろいろと文化祭の楽しさとか、謎とか問題とかを見ることができたから。

古典部シリーズは謎とキャラ萌えバランスがちょうどいい、自分に合う最初最後米澤穂信だったのかもしれないと思い始めた。

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