はてなキーワード: 文化祭とは
幼稚園では一人遊びが最高の楽しみだった、自分の世界だけで生きていた
朝顔のたねを潰して、砂を掘って、壁に登った
小学校では図書室の図鑑だけが昼休みの私を癒してくれた、外遊びには興味が持てなかった
中学校では、体育の時間の後で全員が制服に着替えても一人だけ体操服で授業を受けた、そのほうが涼しいから
高校では体育祭をサボって図書室で本を読んでいた、拘束されるのが嫌だったから
親が泣いても文化祭に行かなかった、それまで一日もクラスを手伝ってなかったから
遠足のときは家を出てから学校に病欠の連絡をして満喫で時間を潰した、もう親を泣かせたくなかったから
授業は面白かった、つまらなくても過去問で単位を取った、科学こそ自分のスキなことだと感じた
サークルに熱中した、気づいたらリーダーになってすべてをつぎ込んでいた
大学院は思っていたのとは違った
科学への渇望は消えていなかったけど修了と同時にアテもなく飛び出した、先生と研究室には我慢の限界だったから
僕は10年経っても体育祭から逃げていたんだ。集団から、どこからともなくリーダーが現れて全員に無言の圧力で不文律を押し付ける。集団の中で、時間と場所と思考の自由を奪われていくあの感じ。社会に蔓延するあの体育祭の空気から、きっと抜け出せると信じていたんだ。それでも、自由になれなかった。
まだ、後夜祭のキャンプファイヤーは消えずにいる。
「パクりとか何の意味があるんだ…」とそれを演っている先輩と笑う客に対して呆れたのを覚えている
高3の時、出たがりの友人に誘われて文化祭で漫才をすることになった
ネタはもちろんオリジナル、ということで相談しながら作ったが、作っている本人としては完成度40%、全然練り上げられていないという代物だった
とは言え文化祭当日は黙っていても迫ってくる
不本意ではあったが満足いく出来にならないまま披露することになった
はっきり言って緊張していて表情も硬かっただろうし、ネタどうこう以前に演者としてもヒドかったと思う
加えて自分は教室の隅っこで昼飯食ってるような人間だったので、観ている側に味方も少なかった
ヒドい出来だけどもしかしたらウケるかも、という淡い期待もむなしくもらえた笑い声は大してなかった
漫才が終わり敗北と言える結果の残念さが胸にじわっと広がり、逃げるように降壇しながら思った
先輩がやってたアレはコミュ力があり人脈が広い人気者が漫才ごっこをすることに価値があったんだなと
後から席が隣なだけの大して仲良くもない男に「えっ結構面白かったよ」と言われたのが嬉しかった
まぁ悪くない思い出かもしれない
「俺も何か作りたい」
演劇もやってみたかった、声優もやってみたかった、バンドもやってみたかった、芸人もやってみたかった、
勉強と同時進行してみてもよかったろうが、普通に就職することこそ正義と思い込み家庭でもそう言い聞かされて居たから趣味としてやるのもなんだか恥ずかしかったので結局部活等の形でもその世界に飛び込むこともなかった
親にやりたいことを聞かれても大学進学したいと嘘をついてそのまま大学進学して就職した
くすぶった思いをどこかで解消することをしないまま過ごしたのも、モヤモヤと持っていた恥ずかしさが起因していたと思う
高3の時にとりあえずヘタクソでもいいからやってみたことに倣って何かやってみようという衝動が何故か今沸いている
実際に自分の体を何か使うという形にこだわらなければ、今はネットがあるし色々な形で発表できるしやろうと思えばやり方はいろいろありそうだ
私はジャニーズJr.に本気で恋をしています。俗に言う本気愛、リア恋、ガチ恋的と呼ばれるやつです。ここでは、ガチ恋という言葉を使わせていただきます。
イタいヲタクだってことはわかっています。ここからもっとイタいこと書きますし、不愉快な表現がたくさん出てくると思いますので、ちょっとこいつ無理という方はそっとこのページを閉じてください(笑)
私の好きなJr.は、最近やっとメディア露出が増えてきたけど、基本的には舞台中心。好きになった当初は、彼に会えなくても雑誌や出ているテレビを見ているだけで幸せだったし、彼に会えると決まったら全ての景色がピンク色に見えて、とても幸せだった。彼に女がいるいないとか、同担への嫉妬とかも考えることなく、彼に対する気持ちがガチ恋なのか応援というスタンスなのかどうかも全く考えることもしなかった。後にも先にも、彼が担当でいる限りその頃の自分が1番楽で幸せな時期だと思う。担当になって初めて会う現場を終えると、一気に欲が出てきて、彼が出てる全ての現場に1回は足を運ばないと気が済まなくなり、同じ現場を何回も行きたいと思うようにもなった。彼のことを全て知りたいし、私の知らない彼なんて存在して欲しくない、食べた物も行った場所も私服も全て知りたい。そんな欲求が止まらない。もうこの時点で私は彼にガチ恋をしていた。
私は地方住みの大学生ヲタクなので、何回も現場に行くお金も無いし人脈も無いのでチケットも1枚手に入れられるかどうか。そんな状況の中で初めて出待ちというものに並んだ。彼を好きになるまでは超がつくほど純粋ヲタクで、舞台が行われることなんてないド田舎に住んでいるから、出待ちなんて文化がジャニーズにもあることも知らなかった(笑) 彼の列に並んでるとやっぱり私なんかより可愛い人もたくさんいる。彼の好みのタイプであろう方もいた。日によって違うけど、基本的には出待ちをしているヲタクの前で演説と呼ばれる自分のプライベートのことなどを話してくれる。テレビや雑誌では固有名詞を使えない場合が多いけど、出待ちではガンガン使ってくれるので少しばかりか彼と一緒にプライベートな時間を過ごしているような気分になれる。だけど私たちヲタクはこれ以上近づくことが出来ない。出待ちをする度にその境界線を思い知らされて、泣きそうになる。それでも彼を1秒でも多く知りたいからやめる事はできない。
あと、ジャニヲタの文化には糧と呼ばれる掲示板がある。そこには色んなジャンルがあり、出待ちの内容が書かれている掲示板や、女ネタが書かれている掲示板など、私が先程書いた知りたいと思っていることの大半がこの掲示板に書かれている。でも、私は絶対に掲示板を見ないようにしてる。だって彼は真面目な部類とはいえ、ジャニーズだ。遊んでいないわけがない。見てもどうせショックを受けてまともに生きていくことすらできないんだから、死ぬほど気になるが見ないようにしていた。
同担拒否はもちろんある。現場には行けば同担全員が敵だ。舞台の場合だと誰担なんてアイドルからすればわからないからそんなに気にならないが、コンサートととなるともう戦争。近くに同担がいるだけでもう無理だし、可愛い子だと尚更。同担全員滅びればいいのになんて思ってる。だけどTwitterの場合だとちょっと違う。ヲタ垢でもフォローしている数よりフォロワーのほうが圧倒的に多いアルファツイッタラーという方が存在する。正直その方々たちは、誰担関係なく苦手だ。ジャニーズたちはTwitterでエゴサをしているという話をよく聞くが、そういう方たちのツイートはエゴサをすると比較的目に止まりやすいし、Twitter上でだが覚えてもらえる可能性も高い。大好きな彼もエゴサをしているかもしれない。そう考えると拒否反応が出てしまう。もちろん同担に対する拒否もあり、同担と繋がる時にはその人の過去のツイートを遡ったりして、年齢、住み、学生ヲタさんに多い「今日は文化祭」「創立記念日で休み」などのデータを使ってリア垢を探る。そのリア垢を見て、顔やスペックや思想で繋がるかどうかを決める。やばい私キモい。だからあんまり個人情報は呟かないほうがいいよ(笑)
あと彼と年齢が近い女性芸能人も苦手だ。特に女性アイドルなんてもうありえないくらい苦手。雑誌もそのページは破って捨てるか紙を貼って見えないようにする。
そして徐々に学校なんてやめて働きたい、彼に会うためだけに生きていきたい、そんなことばっかり考えるようになった。お金のためにキャバや風俗で働こうと思ったが、勇気は無いし実家暮らしなので諦めた。そこで私はチャットレディというものを始めた(ググったら出てくると思います笑)。とにかく稼ぎたかったので、実際に触られることもないし、脱いでいやらしい行為をした写真や動画も撮ってそれで何とか10万円は稼いだ。そしてそのお金は全て彼のために消える。チャットレディのお仕事はとにかく苦痛だった。処女で誰にも見られたことないこの身体を晒すのは精神的にキツかったが、彼に会えるならこれくらい我慢できた。その繰り返しを続けていた。
こんなことが続いていたある日、私はTwitterで「○○(彼の名前) チャラい」と検索をかけた。すると、「○○って彼女に一途だよねw」というツイートを発見した。見たらダメってわかっているが、その方のツイートを遡ると案の定彼に対する女ネタが書かれていた。頭の中ではわかっていたがショックでもうどうすればいいのかわからなかった。私が勝手にボロボロになって彼に会いに行っても、彼に覚えてもらってるわけでもなく気づいてくれることすらなくただ見ることしかできない。この世に彼に愛してもらえる女がいるなんて信じたくない。私のものになってなんて言わないから、お願いだから誰のものにもならないで。「ジャニーズでも女を取っ替え引っ替えして遊んでいる人よりかは、1人の彼女を大切にしている人のほうがいいよね」という意見をよく見る。でも私はそうは思わない。一般の人なら私もその意見に同感だが、ジャニーズに至っては、彼に至っては逆の方が良い。色んな女がいるほうが、私もその中に入れるかもしれない。精神的にボロボロになりながら私が見ている彼は所詮虚像。わかっていたけどそんな現実は受け入れたくなかった。都合の悪い事は見ないようにしていたが、追いかければ追いかけるほど見たくないものほど見えやすくなる。
この件から私は体調を崩し、家族からも心配されたが本当のことなんてどれも言えない。彼のことが好きすぎるのにどうすることもできない自分にいらついて夜も眠れない。いつの間にか泣いている。流石にこのままだと命に関わりそうなので、心療内科に行ってきた。全部話した。自分でもドン引きだわ。アイドルへの依存が悪化して鬱病になったと先生に言われた。私の彼に対する気持ちは恋じゃなくて依存なの?というのが率直な感想だ。アイドル以外にも興味を向けれるように頑張ろうと先生は言ったが、出来そうにない。チャットレディはもちろん、今までしていたバイトも全てやめることにした。でも次の現場のチケットはもう手元にある。でも遠征するお金が無いから、またチャットレディ始めるんだろうなぁ。
アイドルにガチ恋している事実に気づいてからは、楽しいことより圧倒的に辛いことの方が多い。なんでヲタクやってるんだろうとつくづく思う。でもやめらない。麻薬かよ。辛い、とにかく辛い。今も現在進行形で恋している。もうこれが恋なのかもわからないし、それこそ依存かもかもしれない。鬱病にまでなってもまだ好きだし、この鬱病ってどうやって治せばいいの。
彼にとって来年は節目の年だから、退所する可能性が割と高い。退所してくれたら私のこの気持ちもピリオドを打てるのかな。とか考えるけどそんなに上手い事はいかないだろうな(笑)
学生が文化祭でやってることって、その大半が「何かの仕事の模倣」なんだよな。しかも、全員がそれをするのに向いてるわけでも、めちゃくちゃやりたかったわけでもない。
だけどみんなで準備して、中には主に指示を出す人もいれば、言われたことだけやってる奴もいるし、でもみんな「いい文化祭にしたい」って思っててさ、当日にはお客さんを集める為に看板を持って校内を歩き回ったり、時には妙な要望をしてくるお客さんに「やってやろうじゃないの」って張り切ったり、迷うお客さんには交渉したりして、大体は楽しかった思い出だと思うんだ。
だけど、大人になって社会人として仕事をしてると、その多くが嫌々、仕方無くやってるみたいで、なんだか悲しいな。もちろん文化祭は期間限定であるとか、違ってくる要因はたくさんあるんだろうけど、きっともっと楽しくやれるはず、って、思うんだ。甘いのかな。
さて今朝は君の名ははエロゲみたいだと主張する意見について語りたいと思います。
まずエロゲの定義として胸部をさわさわするものではなく、この場合はストーリーがあるものだとします。
エロゲ会社の社長のツイートがソースですが、エロゲ売上は5年以上連続で毎年20%前後下がり続けているというデータがあるのだそうです。
理由はいろいろあげられますが、とりあえず「売れなくなった」ことが客観的にある事実なのです。
最近の若い子はストーリーのあるエロゲを知らないとは言わないけれど、少なくともブームにはまったく触れてないのでしょう。
大人になってもエロゲをやめられない大きなお友達には、なにかの欠陥があるのかもしれません(それでこそオタクだと言えるでしょう。誇りを持ってください)。
若い子がメインのゲームで、若い子がプレイしない。産業としての終わりを感じますね。
それは「エロゲ」を比喩として使う層は、少なくとも10代では無いということです。
5年連続とも言ってますし、U25にはもう馴染みがないのかもしれません。
エロゲを知り尽くしているかのような発言を見てもアラサーがギリでしょうか。
と言ってエロゲをみんながしていた時代なんてありません。09年の感覚によればエロゲの売り上げは1万でヒットレベルです。
君の名は。は動員数700万人を超えました。
エロゲだ、エロゲだ。と騒いでいる人。それを広めたい人が居るようです。
しかしまったくもってその比喩は広く響かないし、自分がエロゲマニアのおっさんだと認めるようなものなのです。
エロゲプレイヤーとして自信を持っているのなら良いですが、どうも目にするのは「みんなエロゲしてるよね。エロゲみたいだよ。若い子は違和感抱かないのかな」みたいな論調が多く、怖いです。
KOWAI。KIMOI。似てますね。
それと同時にセカイ系を連呼している方もいらっしゃいますが、エヴァンゲリオンは今年で21周年を迎えます。
若い子は知らない、のではなくそこから受け継がれていたものがあり、何度も形を変えたと思う方が自然でしょうが、何故「セカイ系」という概念にこだわっているのか。
古い概念で論じている時点で、多分「君の名は。」を語ることはできないと思います。
(BUMPと一緒に語られることもありますが、BUMP世代よりもう少し下の世代の配信時代が始まってから出てきたバンドです)
(アラサ―世代はニコニコでMADに触れ、ハレ晴レユカイを文化祭や運動会で披露した世代です。新海監督の演出ががっつりハマる層だと言えます)
(テレビで何度もアニメ映画が放送されるというのは、子供だけではなく大人まで影響を及ぼしているはずです)
何故エロゲに結び付けるのだ。もっと色んなアニメや映画や本、漫画を読めばいいじゃないか。
これが今朝の気持ちです。
こないだ増田でおもしれえって書かれてたから読んでみたけど2巻の途中でギブアップ
主人公があまりにもノーリスクでまわりを悪意なく振り回す悪女になっててタチが悪い
文化祭でキャッキャ言いながら取り巻きイケメンにコスプレ用衣装作って着せて一人で勝手に興奮して・・・
男の一人が「俺は別に男同士でなかよくしたいわけじゃない」って言って、そりゃそうなるよなって思ったけど、結局「じゃあタイムテーブルで主人公独占時間を決めよう」とか男側で勝手に割り振ったりして、あまりにも主人公女に都合よすぎる
いやいや独占したいって思うのが普通だろ
ことごとく作者の感覚がずれてるし主人公があまりにも悪意のない調子に乗りすぎた悪女すぎて読んでて不快でしかない
フィクションにこれ言っちゃおしまいだけど、好きな二次元キャラが死んだくらいで1週間ひきこもってやせてそのあと一切リバウンドしないのもありえないし
もう2巻以降この調子だったらただの無神経オタク女に振り回されるイケメンズってだけじゃん
異世界転生で最初こっちの現実世界がちょろっと出るけどもう転生後はずっと異世界ファンタジーで転生ものって設定がないに等しくなってるやつと同じタイプだわ
見た目でころっと態度変えて迫ってくる男のどこがいいんだよ
(ああ一人だけ部活の先輩?は態度かわってなかったね)
ちなみにポリティカルコレクトネスの話ではない。
その話はもうポティカルにコレクトな人たちだけで勝手にやっててほしい。
あらゆる現実と人間の欲望が中立でない以上、それらを反映した娯楽作品が中立であるはずがない。
以上
まあ、その筋の話はどうでもよくて、映画として単純につまらないとかいう主張をちらほらみかける。
それがつらい。
いいたいのは以上です。
(ネタバレ?)
以下は、本当にどうでもいいんだけど、俺は原作がすごく好き。
映画を見終わったあと、家に帰って原作を3回読み返して「ええ話や・・・」って浸るくらいには好き。
でも確かに映画版は、?ってなることがあった。
セリフやシーンがいちいち削られてたりとか、結局何がしかたかったのかわからんとか。
でもしょうがないよね。7巻もある原作を2時間でおさめたらそうなるよね。
でもだからこそ残念でならない。
あそこは削っちゃいけなかった。
あのメンバーがなんで橋に集まったかって表向きは映画を撮るためだ。
それが橋での1件があって、花火大会でのくだりもあって、グダグダになったのを
硝子が!硝子がもう1度映画を作ろうっていったのが重要なターニングポイントだったはずだ。
それが一緒に文化祭回って仲良しこよしじゃあんまりすぎる・・・。
つらい。
でも希望はある。
テレビアニメ化だ。
原作未読
題材的にどうやってもポリコレマウンティング合戦になるのは避けられんと思うが、
これは障害者映画というかそれ以前の問題としてクズ映画ではないか。
クズA, クズB, クズC, クズD, クズE(クズは他にもいた気もするがとりあえずこれくらい)が嫌な感じに揉めて、
でも結末に至ってもお互いに許しきったわけではなく(集団の緊張感は解消されない)(エピローグの文化祭は救いっぽく描かれてるけど救いなのか?解決ではないよね?)、
なにより各クズそれぞれのクズ性が収まったり治ったりはせず、でも死ぬなよ、死ぬのはよくないよ、クズは結局許されないけど生き続けなきゃいけないよ、という話に見えたのだがどうか。
食事をとらないでいたら、倒れた。一週間で3,4kg痩せたことが上司に知れ、その日のうちに職場の臨床心理士と面談。その中で私の過去の話になった。
小学生時代、私は勉強ができる子供だった。大人たちからは「末は博士か大臣か」というような感じでかわいがられていた。中学生になっても勉強を苦に思ったことはなかった。やればできる、という感触は快感だ。私は一日に何時間も机に向かった。教師はこのままがんばれば県で最も偏差値が高い高校にいけるだろうと言ってくれた。
中学三年生の秋頃、私は精神的に病んでしまって不登校になった。
いじめというほどでもない。ただ、授業中に男子が大声で行っていた格付け。横を通りすぎるたびにひそひそと笑ってくる集団。そういうものに耐えられなくなった(彼らはしたことを覚えてもいないと思う)。そのとき家では母親が父親の悪口をこぼしており離婚するとかしないとかで揉めていて、逃げ場がなかった。心療内科にかかったら自律神経失調症と軽症うつ病の診断が下って、頭がぼーっとする薬を飲みながら、それでもなんとか受験勉強は続けていた。勉強が好きだった。不登校といえどテストだけは保健室で受けさせてもらっていたのだけれど、順位が落ちることもなく、これなら志望校のランクを下げれば大丈夫だという教師の言葉が支えだった。
受験当日、会場である高校にひしめく制服姿の人々を見たときの恐怖をいまでもはっきりと覚えている。私は受験できなかった。逃げるように帰って、公立の通信制高校に入学した。
通信制高校はつまらなかった。中学生レベルの授業とレポートを規定分提出すれば卒業できる。この時期のことを思い返すたびに灰色すぎて笑えてくるのだけれど、ほんとうになにもなかった。いや、あったのかな。同年代の男子がトラウマになった結果、バイト先の同性の先輩と一瞬だけ付き合った。普通の高校に進学し文化祭がどうのこうのと連絡してくる友達を切った。劣等感と自己嫌悪がつねにうずまいていた。
高校三年生で、さて、進路はどうするかという話になる。通信制高校が行う進路に対するサポートというのは非常に淡白だ(少なくとも私が通っていた高校はそうだった)。大学受験しようかと思ったけれどすぐに無理だなと諦めた。普通の高校に通っている友達の勉強の話に、私はすでについていくことができなかった(自分から行動しなければ模試などないので、あの頃はそれだけで自分の学力をはかっていた)。受験して、頭のよかった自分がすでにどこにもいないのだと確認することが怖かったという理由も今になって思えばあったのだろう。
母親は「×××になれば?」と言った。資格があれば食いっぱぐれないだろうと。確かに大学よりも専門学校の受験ははるかに簡単そうだった。実際、一ヶ月勉強しただけでその学校に入学することができた。
私が×××になったのはそれだけの理由だった。専門学校は楽しかったけれど、実習は大嫌いだったし自分には向いていないとそればかり感じていた。信念をもって×××を目指している同級生に罪悪感を覚えたことだって何度もある。
と、まあ、そんなような話を。泣きながら。
心理士は「過去のことを引きずっているところがあるでしょう」と言った。そんなことは当の本人である私がいちばんよくわかっている。「集団恐怖の経験があるから、今、職場にきて不必要に緊張するんじゃないかなあ」「辞めるのはいつだってできるけれど、それじゃあ根本的な解決にはならないよね」。
じゃあ、どうすればいいの?と聞きたかった。聞けなかったけれど。あーあ、あのとき、中学生のうちに死んでおけばよかったなあ。というか死ななければならなかったのだ。
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いじめによる自殺が報道されると「死ぬくらいなら逃げろ」という大人たちがいる。それをきくたびに私は無責任だなあと思う。逃げた先で助けてくれる大人がほんとうに少ないことを知っている。むしろ、逃げたらひとまず問題は片付いたかのように考えている大人が大部分ではないのか。学校から逃げたところで劣等感からはずっと逃げられないのに。
私は「死ぬくらいなら逃げろ」とだれかに言ってあげることができない。
劇場通いしてるわけでもないし、自分が演劇をやってたわけでもないど素人ですが。
虚構の世界を本物のように作り上げようとする芸術が素敵だと思います。
手塚治虫先生の『七色いんこ』、今話題の松浦だるま先生による『累』など、演劇を扱っている漫画も好きで読んでます。
高校の時も文化祭の時演劇部の舞台を自分のシフトの合間に見に行ったりしました。
演技はプロではないけど、普段授業で使っている教室に、現実から切り離された舞台の空間が展開されているのにどきどきしました。
実は演じることにも興味はあったんだけど、勇気がなくて結局そのままきてしまった。
気が向いたとき、お風呂につかりながらで「マクベス」とかの戯曲の台詞を一人で読んでいます。結構楽しい。
おすすめとかあったらだれか教えてほしいです。
NEW GAME!第8話はロリ要員として涼風青葉と双璧を成す、桜ねねを中心に物語が進行する。
比較的序盤に、八神コウが冷蔵庫に入れておいたプリンをねねっちが食べてしまう事件が発生。
恐ろしいことに、この死ぬほどどうでもいい事案は最後の最後まで引っ張られ、尺の大部分はプリンの話なのだ。
あぁ、本作を途中から観始めた諸兄諸姉のために補足すると、この作品はデスマってるゲーム開発現場で過労死寸前のおっさんたちの幻覚を漫画・アニメ化したものである。
ゲーム会社でありながら、プリン消失に気づく心の余裕がある一点だけ見ても、完全にファンタジーであることがお分かりいただけるだろう。
今回のサブタイは『夏休みだぁああ!!』であり、無論おっさんたちの叶わぬ願望、魂の咆哮に過ぎない。
ちなみに登場人物たちが鋭意制作中のゲームは『フェアリーズ・ストーリー』というタイトル。
妖精さん(フェアリーズ)はおにゃの子たちだろうか、それともおっさんたち? いずれにしても本作は労基法の埒外に広がる幻想世界を舞台としており、妖精さんはきっと必ずいや間違いなくいるに違いない。
しかしながら、おっさんたちの妄想に終始しているというわけではなく、ときおり垣間見える現実が物語に奥行きを持たせており、日常系アニメに飽いたユーザーの視聴にも耐え得る作品だ。
例えば、冷蔵庫の中にレッドブルがチラ見えしたり、青葉とねねっちが土下座したり、寡黙なひふみん(今回は一言も喋らない)が失語症を発症した従業員のメタファーだったりと、ところどころにおっさんたちからのSOSが挟まれている。
エンターテイメント性を維持しながら、業界の窮状を訴える社会派アニメなのだ。
横浜市内初。高校生が選挙啓発<、参院選向けて始動(2016年4月)
18歳の選挙権が実現するのを前に若者世代の選挙に対する関心を高めようと、港南区役所が区内の高校生に呼びかけ、「若者会議」を発足させた。2016年3月29日、第1回会議が区役所で開かれ、メンバーらが投票率アップに向けたアイデアを出し合った。
メンバーは市立日野中央高等特別支援学校の吉岡秀真さん(2年)と吉田瑛穂さん(1年)、県立横浜南陵高校の根岸海さん(2年)と山脇空輝さん(2年)、県立永谷高校の本間佑美さん(2年)と浦邊純子さん(2年)、県立横浜明朋高校の杉山 麗(2年)の6人(カッコ内は開催時の学年)。
高校生が選挙啓発に取り組むのは横浜市内で初めての試み。この日は選挙に対する思いやイメージについて、「選挙は大人が行くイメージなので、まだ実感できない」「ニュースをみてもっと政治に対する興味を持ちたい」といった意見を出し合った。中には政府が進める安保法制について意見が及ぶ場面もあった。メンバーは今夏の参院選に向けて若者の投票率アップをめざす啓発ポスターづくりに取り組む計画だという。次回の若者会議の開催は7月の予定。参院選以降も各校の文化祭で模擬投票などを行い、啓発活動を続けるという。
http://ja.yourpedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%B1%B1%E9%BA%97
浪費の結果入学金50万を工面出来なかったとかいうのは全部やらせを疑ってしまうのだが。
http://anond.hatelabo.jp/20160820004448
風磨ソロ入りました。多少のネタバレがあります。ご注意ください。
まず感想。
面白かった!!
風磨担でも、他Gを通ってきた生粋のジャニオタでもありませんが、単純に楽しかったです。
風磨くんのソロにレーザーを使った演出はハマってて気持ち良かったですし、
お?そうくるか~!!という意外性もあり、知らない曲が多くても楽しめました。
何よりコントの完成度が高くて、こんなコントを日替わりにするなんて贅沢だな~と思ってました。
でも、ごめんなさい。映像のストーリーはまったく響きませんでした。
風磨くんの言ってるまぶしい言葉、受け入れられない。
今までなぜ風磨くんのことをどうしても好意的にみれないのか疑問でしたが、
彼のスクールカースト高い感が合わないんだ!
カースト低くて、でもプライドだけは無駄に高くて捻くれていた中学時代。
カースト高い人が苦手で。その理不尽さに傷ついて心の中でバカにしてた。
仲間のノリを強制するとこが苦手。ノれないと笑いものにされる理不尽さ。
仲間のノリは受け入れさせるのに、こちらのことは受け入れてくれないのね。言えないけど。
文化祭とか合唱コンとか仲間内で勝手に盛り上がるだけにしてよ、熱くなっちゃってさ~こっちにもそれ求めないでよ(笑)
こんなでバカにしてた。
それがもう悔しくて悔しくてたまらなかった。
こんなに私イヤなのに、でもしょせん下。下だから怖くて何もできない。そんな自分にムカつく。
あいつら、自分たち仲間が言ったら周りもそれを当然やるって信じて疑わないんだよ、
むしろ当たり前だから信じるとかすらそういう段階でもないんだろうよ。
私許さざるを得ない。
すっごくムカついてた。でも怖いからそれを表に出すことができなかった。
そう、八つ当たりです。
風磨くんたち仲間のカースト高い感に触発されて、過去のカースト高い“仲間”達へのムカつきが蘇って。
怖くないから、ここぞとばかりに勝手に過去のムカつきを発散してるだけです。
ふうまくん、ソロコン終わりのあいさつで魔法をかけてくれたね。
過去は変えられないから、10年後、20年後の未来の私を今からやりなおせるように。
でも今さらでも発散したいくらいのムカつきを溜めこんだのは、変えられない過去なんだ。
ふうまくん、ごめんなさい。
大変身勝手だけど、私が発散しきるまでムカつきのサンドバックにさせてください。
結論から言うと、学校の造りと、教師のつくりが合う気がしないことだ。
これがばれて何か処分が下っても結果として目的は達成できるのでフェイクを入れずに書いていく。
中学時代、私は運良く勉強に恵まれ、第一志望としていた県でもトップクラスと呼ばれている進学校(といっても偏差値は70弱)の公立高校へと進学することができた。都内に住んでる人からすると公立高校は滑り止めの印象があるかもしれないが、地方中枢都市であるこの県では、中学受験をしなければ基本的に逆の立場であると考えてもらいたい。当然その結果を報告すると、周りの大人達はほめた。「親孝行だ」という人もいたはずだ。私は当然満足した。文化祭や学校説明会に訪れ、親の勧めとはいえ自分自身で決定した行動だ。さらにその高校には美しい校舎、ハイレベルな進学実績、なんと公立高校であるにも関わらずエスカレーターまで完備されていた。ここまで書くとその県に住んでいる人は特定できたかもしれない。おそらくその高校で合っている。わからない方はのんびりとした高校生のやりとりが特徴の春アニメの校舎を参考にしてもらいたい
入学してから私は気づいた。この高校の設備の劣悪さ、そして学校に漂う嫌な空気にである。
まず、デザイナーがこだわった「美しい校舎」と「素敵な設備」のひどさである。端的にいうと、高校に使用する造りではないのだ。第一に、通気性が悪いのである。高校を特定した方々は驚くかもしれない。教室の片側はほぼガラスの窓であるにも関わらず、その殆どが開閉もできないのである。そして、開いても微々たるものである。その空間に高校生がひしめき合うのである。地獄だ。次に、本校の大きな魅力であるエスカレーターに甘えきった造りである。なぜか上りのみのそれによって、階段が少なく、そして狭い造りとなっている。普通の校舎の造りであれば問題はさほどないかもしれない。しかし、なぜか校舎の最上階にすべての普通教室がまとまっているのだ。下校時の混雑は苦痛と呼べるそれがある。
……と、校舎の造りのひどさについて語ってきたが、こんなものは大きな理由ではない。大きな理由は、その学校に漂う空気である。
この高校は対外的には進学校と呼ばれている。しかし、当の生徒たちからは、「浪人工場」と呼ばれているのである。どれだけ浪人が多いのかというと、地元の国公立大学(高学歴芸人として地元の芸人が出られるレベル)の合格者の3分の1が浪人である。東大合格者もほとんどが浪人である。
浪人が多いだけでは、辞めたいと思わない。最大の問題は浪人をあたかも美徳であるかのように考えている教師たちである。第一志望を貫くのはいいことであるかのような考え方だ。そして異常なまでの国公立信者である。最初から私大を選ぶなといった空気を醸し出している。校内にはられている大学関係の掲示物もかなりの割合を国公立が占めている。あの見えない圧力が気持ち悪い。まるで浪人予備校のようだ。
こうやって書いてきたが、当然他の生徒が嫌なわけではない。むしろ人間関係で言えば中学時代のほうが苦しかった。ただひたすらに、この学校があるのとそこで働く人間の考え方が気持ち悪いと感じただけである。拙い文章でで申し訳ない。
http://anond.hatelabo.jp/20160617143210 は、この事件を知らなさそうだが。
ある中学校で家庭に大問題のある生徒が、いじめをしていたんだ。そいつはヤンキーというわけではなく、頭がよく優等生だったんだけど。
先生がそれに気づいて色々対処しようとして、結局そいつは逆にはぶられることになっちゃうんだ。
そこでなんやかんやでソーラン節を文化祭で披露することになって、そいつをセンターに置こうとしたんだな。
クラスの団結は高まっていくんだけど、何度も言うようにそいつの家がもう最悪の最悪で、まわりまわって、思わずソーラン節教えてくれたじいちゃんを刺しちゃったんだなぁ。でも団結を強めてたおかげで、クラスメイト一丸になってそいつを支えていくことができるようになったんだ。
その中学でそういうことがあって、そのあとも転校性のソフトバンクの長女の学年の時にその先生の息子が白血病になってな。
その時に前述の問題あった生徒が、その息子を励ますためにもソーラン節踊ってあげろと頼んで一斉に踊るんだ。
そのあとの後輩生徒もまた問題でな。なんと薬物に手を出してしまったんだよ。元々父親がやってたんだよな。
で、母ちゃんノイローゼでそいつを殴るわけ。逃避のために薬にのめりこんでいくんだよ。おかしくなっていく友人に口出ししたやつが居て、そいつのせいで父ちゃん逮捕されちゃうんだけど、それを責められてその友人、家から飛び降り自殺しちゃうんだよな。平成でJUMPしたいと思ったのかも。だからそいつ自分を責めてさらに薬にのめりこんで、もう大変。
その年も、継承するようにソーラン節を踊ってたんだ。まだ優しいころのアイツがセンターで踊ったんだよ。
だけどそいつ、薬がバレて捕まっちゃってな。本当にかわいそうなやつなわけ。
だからそいつが刑務所行くときに、河原でみんなでソーラン節踊って見送ったわけ。
そのあともなんかソーラン節は続いてたんだけど、その評判がどういうわけか全国に広まってな。
思えば今の不安定な生活の根源は、高校に入った時点まで遡ることができそうだ。
自分は中学3年まで軟式野球をやってきていた。高校入試のために野球から離れてひたすら受験勉強に打ち込む時間ができた。まあそこまで勉強したわけでもなく、ときには友達とゲームをしたりしていたんだけれども。
いろいろやって、その地区で一番偏差値の高い公立高校に入学することができた。このあたりの時期は、もう野球はやらなくていいかなというふうに考えていた。
ここですね。親には高校でも野球をやりなさいと言われたので、しぶしぶ野球部に入部したけど、2日で行かなくなってしまった。
別に野球部の人たちを馬鹿にするわけでもないが、スポ根的なものとか、毎日身体を疲れさせなければならないということの方に嫌気がさしてきたのである。
部活に行かなくなったことは、すぐには親には伝えなかった。それまでの経験から、これはとてつもなく怒られることになるだろうということが分かっていた。すでに高校用の野球道具も買っていたので、なおさらだ。
それからとにかく生産的でない生活をしていた。放課後は部活に行っていることになっているので、授業が終わってからも帰宅することはできず、地元の本屋に入り浸ったり、親に見つからない場所でレンタル漫画を読んだりしていた。
そろそろ帰ってもいい時間かなと思ったら、小学校のグラウンドに行って、練習着を汚して、今日はどういうことがあったなどの嘘の報告を考えていた。
我が家では、帰宅したらだいたい親に何か出来事があったら報告するようになっていた。部活に関することはもちろんである。
そういう生活を一ヶ月ほど続けていて、そろそろ隠しきれなくなってきたので、こっそりと伝えたら、当然ながらひどく怒られた。何度も殴られたし突き飛ばされた。
このあたりで、自分は自由な時間が欲しかったんだなあということに気がついてきたが、そんなことを言ったら勘当されかねないと思っていたので、ずっと言わずにいる。
まあなんやかんやあって部活を辞めることに成功した。もうだいぶ親との関係の雲行きが怪しくなってきていて、帰宅してからずっとビクビクするようになった。
友達はいない訳ではないけど少なかったし、特に居場所があるわけでもなかったので、図書館に行ったり学校中をぶらついたりしていた。
二人組を作ると余るような人間だったので、気配りのできるような人にすがっていくばかりだった。
それでも、ちょっと勉強ができる方だったことと、高校の雰囲気として質がそこそこ高かったこととで、いじめられたりすることは最後までなかったし、これに関してはいろいろな方面に感謝するしかない。
体育祭の時期になったら、体格が悪いわけではないという理由でピラミッドの下段ばかりやる感じで、3年間ずっと係の仕事をさぼっていて、特に目立つことはなかった。
いやあったわ一度だけ。3年の文化祭のときだ。このときだけ、誰が教えたのやら、先生に知られ、クラスの作品の担当をすることになった。
そのとき担当の人はもう3人いたんだけど、2人は部活があってあまり作業できなくて、もう1人の人と作業をしていることが多かった。
作業をしながら、愚痴のようなものとか、家庭に対する吐露とか、そういう話ばかりしていて、実はそのときが一番生き生きしていたのではとさえ思ってしまう。その友達とは、高校を卒業した今でもときどき連絡を取り合っている。
高校は基本的に悪くなかったはずで、じゃあ何があったかって、やはり家族関係のことを考えると頭痛がするということだった。
もうちょっと高校の時間を有意義に使うべきだったなあというのはずっと思っていて、具体的には人間関係を広めるべきだったということで、気を配ってくれるような人とはけっこう仲良くなっていたけど、普通の人とはそこまで交流がなかった。もったいないことをしたなあ。
まあそんな感じで高校もやっていて、無事に大学に現役合格して、これでめでたしという感じでいくつもりだった。念願の一人暮らしで最高。最高だったらよかった。
本格的におかしくなったのは、大学1年の秋になってからだったと思う。
寝坊するということがあった。まあ寝坊ぐらいは以前からも少しはしていて、ぼくはそんなに異常を来していたとかそういうつもりはないんだけど、親のほうが敏感になっていて、何度も電話をかけてきた。
挙句の果てには、毎朝電話をかけてやるということを言うようになった。おいおいマジかというふうに思ったが本当にかかってきていて、すくなくとも大学のある日とか、食堂が開いている日はずっと朝電話がかかってきている。
それで起きる日も、その前に目が覚める日もあるんだけど、そこから生活がおかしくなって、常に監視されているという気分が止まなくなった。というか実際に監視されている。
大学生協で買ったものも、食堂で食べたものも見られてるし、いろいろなことを聞き出してきて、辻褄が合わなくなったら責めてくる。
せっかくの一人暮らしなのにまったく一人暮らしらしさが消えている。本末転倒だ。
家のお金があまりないのは分かっていることなんだけど、段々と大学とかいろいろなことに対するモチベーションが低下してきていて、留年を見据えてしまうようになった。もちろんそんなことは親には言ってない。
いろいろなことが強制されるようになっていて自立とはという状態になっている。
親に関して、どうやら自分の子が見えないところで何をしているのかがほんとうに気になるという性分なんだろうなあ、というふうことが最近わかってきていて、ため息をつくしかなくなっている。
電話に出て、適当に返事して、何か問い詰められたらつらい気持ちになって、講義に出たり出なかったりしている。
親へ、これを見てるんだったら今すぐ毎朝電話するのをやめてください。もう何回か伝えたと思うけど。せめて月に数回とかにしてください。ぼくはそんなに電話がうまくないし、朝からつらい話でモチベーションを下げられることほどつらいことはありません。
さすがに大学に行かせてもらっている身分だしやるべきことはやろうと思いますので、毎朝を進捗報告と詰問の時間にするのをやめてください。