青春モノって少年少女の性欲や行為を示唆する描写がところどころにあって抜けるよねとかいう話じゃありません。いやな感じがする、方の「いやらしい」です。
来場者特典が非常に豪華で、映画の主題となるクラス演劇(ミュージカル)のパンフレットと、そのクラスのメンバーを演じるキャスト全員のサイン(縮小コピーで一枚の色紙に印刷してある)というもの。
特典が豪華というのはもちろん嬉しいんですが……。
サインの方は、書いたキャストさんの名前は挙げませんが「これぞ青春!」「素晴らしき青春」などと書き添えられたものが何点か。
「うわっ」ってなりました。
劇のタイトルは映画本編でも「内容と関係なくない?」と突っ込まれていて、なんでそんなタイトルにしたし……。
しかしそれでも、「なにが『うわっ』なんだよ」と思われる方も多いと思います。
実際、この映画の内容はいわゆる青春群像劇ど真ん中と言うべきもので、「青春」を押し出すのは多分当然なのでしょう。
でも、なんかさ、こう前面に押し出されるとさ……いやらしくない? 「青春」。
いわゆるお涙頂戴が鼻につく人も多いように、押し付けがましく感じたというのもあると思いますが、それ以前に私は、「いわゆる青春」を称揚する態度に少なからぬ嫌悪感を覚えます。
未熟な少年少女が迷って、ぶつかり合って成長していく……それを大人がエンターテイメントとして楽しんでいることに、なんとも言えない下品さがある気がします。
王道な青春モノのキャラクターに求められるのは未熟さなのではないか。
それはドラマを生むため、また完璧ではあり得ない人間としての必然的な描写以上に、大人が「子どもには未熟であって欲しい。大人に導かれる存在であって欲しい」と要求しているのではないか。
青春只中にいる少年少女の苦しみや葛藤を、大人たちがニヤニヤ笑いながら、「それが青春の痛みだよ」とか言って楽しんでいるのではないか。
(『ここさけ』の内容自体は、粗を感じる部分はありながら特にそうした悪印象あるものではありませんでした)
大人の敷いた「青春」のレールを走らされる……こうした不信感は中学生の頃、運動会や文化祭の指導をする教師に対して初めて芽生えたものだったように思います。
フィクションの登場人物なんて、老若男女問わず喜怒哀楽をエンタメとして都合よく消費されているはずなんですが……。私がことさら「青春モノ」への違和感を抱いてしまうのは、多分自分が受けた嫌な青春教育が思い出されるからでしょう。
しかしこんなことを言っている私も、キャラの未熟さを楽しんでいるところがあります。
現在放映中の『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』。ガンダムは他にOOしか見たことがありませんが、毎週楽しみに見ています。
少年兵だけのチームが大人たちの陰謀渦巻く戦場を生き抜こうとするドラマは、一つの青春モノといって差し支えないでしょう。
先日放送された第8話で、団長のオルガが宇宙ヤクザ(?)のナゼ・タービンズという男に叱られる場面があり、そこでのオルガははっきりと「子ども」でした。
それまでオルガは対立する大人から「ガキ」と言われながらもタフで明晰な、大人と遜色ないリーダーに見えました。
劇中で明らかに「子ども」の面を強く見せたオルガ、それを私は割りとニヤニヤしながら見ていたと思います。
オルガはそれまでも非常に魅力的なキャラクターでしたが、そこでこれまでになかった「可愛げ」が芽生えたように思われました。
私も青春モノとしてキャラに未熟さを求め、「子ども」であることを恥じるオルガを楽しんでいたのでしょう。
少年少女の成長を描くというのは物語として極めて王道で、それ自体が下品というわけではないと思います。
青春モノの子ども像以外にも、都合のいいキャラクター像は無数に存在するし、その一つを自覚しただけで潔癖ぶるのは虫がいいでしょう。私は趣味で創作をしていますが、この手の欲求全てを拒絶していたらフィクションなんて成り立たなくなるでしょうし。
クッソ長々と書き綴った挙句何が言いたいんだかわからない日記になりましたが、思ったのは、少なくとも自分では、大人目線で青春青春盛り上がらないようにしよう、と…………。
あと、できればいわゆる青春と言われる年代のドラマを描いてても、「青春」とか「成長」とか強調しない作品が増えて欲しいな、と……。
オルフェンズを褒めているので台無し
「ハイキュー」みたいな青春ポエム()アニメが好きな時点で臭いわお前
「ハイキュー」みたいな青春ポエム()アニメが好きな時点で嘘つけよって感じ
「ハイキュー」みたいな青春ポエム()アニメが好きな時点で臭いわお前