はてなキーワード: 領家とは
大阪府警のマル暴が埼玉川口のヤクザ事務所のガサ入れしたニュース映像の件だが。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.mbs.jp/news/kansainews/20240906/GE00060266.shtml
これ見て「どっちがヤクザだか判らん」的な事書いてる人は純真すぎるぞ。
一方、「これはプロレス」と言ってる人も結構居て、最近の情弱全開はてなとしては珍しい。
埼玉のガサ入れに大阪のTV局が行っているワケよ。それって「いついつにどこでガサ」と教えてるって事だ。TV局だって暇じゃない。機材があるから新幹線じゃなくて車出す必要があって往復に一日以上掛かる。だから前もって教えてるワケ。
今回のは「はよ開けんかい!」と怒鳴ってるだけだが、有名な映像がある。
途中で捜査員が大型の工具を持っているのが判るね。これはいかにもごつそうで、扉やドアチェーンの切断に威力を発しそうだ。
だが実はそうではないのだ。工具の先端をよく見て欲しい。オウムの嘴のように丸くなっている。
ワイヤーやチェーンを切断する工具はボルトクリッパという。だがボルトクリッパの先端は直線なのだ。
このオウムの嘴型のはケーブルカッターで、銅の電線用なのだ。直線刃だとより線の電線がばらけてしまい、端子に入れたりという処理がしにくくなる。そこで、丸い刃で包むよう外周全体から力を入れて切断する。するとばらけない。
但し力点が分散するので硬い物は切れない。より銅線は柔らかいので切れる。故に銅線専用(アルミ電線も柔いのでイケる)。
昭和の家のドアチェーンは規格が無かったので適当な代物で、軟鉄でチェーンの輪が溶接されて閉じてないものも多かった。
でも玄関設備は防犯上重要なので平成以後は規格がある。鋼で輪が溶接されて閉じてないチェーンは使ってはいけないのだ。
だから電線用のワイヤーカッタでは昭和の鈍らチェーンは切れるかもしれないが(刃は欠ける)、平成以後のチェーンは切れない。
だからあれは実用ではなくて虚仮脅しなのだな。虚仮脅されてるのはヤクザじゃなくて視聴者の方。
勘違いしてはいけないのは実際のマル暴刑事も怖い、というか見た目ヤクザだ。私服もヤクザファッションの人が多い。そもそも警邏のお巡りさん以外の刑事というのはほぼ例外無く目つきが悪い。犯罪者の目つきなのだ。
都会の繁華街近くに住んでいない人はその辺知らないだろうが、マスコミの方は当然知っている。
だからそのステロタイプに会わせて行動して画を撮らせてるって事なんよ。そこに道具の選定の甘さが出ちゃったと。
TVの取材受けたあおり運転被害者が「すごく怖かったです。。」と押しなべて言うのと同じだね。「粗暴な加害者vs.弱い被害者」の画をTVが欲しがってるので期待に応えてる。みんなあんなに弱っちい訳ない。増田が取材受けたら「出刃包丁で顔面めった刺しにして殺したいですよ」って答えるのにな(採用されないだろうが)。
この場合は、中核派アジトの鉄扉を切っているのだが、何十秒も切っているのに全然切れてない。
なぜこうなってるかというと、このエンジンカッターに付いている刃はコンクリート用なのだ。鋼鉄の刃の先端に切れ目があって切れ目の内側が丸くなっている。
これはコンクリート用の刃の特徴で、水を流しながら使う事が必須になっている。刃に切れ目があるのはコンクリ粉塵をスラリーにして排出する為だ。
鉄板用の刃はダイヤモンドが練り込まれていて、鉄に当たるともの凄い火花を出す。そしてちゃんと切れる。
実はこの1年前にも同じアジトガサ入れがあったんだが、その時はちゃんと鉄用を使っていた。どうも機材を新しくした際に納品されたままで刃の交換を忘れたようだ。
というのも、エンジンカッターの使われ方というのは専ら建物のコンクリートスラブに開口する為で、だから新品のエンジンカッターにはコンクリ用刃が付いてくるのが一般的なのだ。
でもさ、実際に実用として、つまり鉄扉を切り裂いて突入する必要があるのだったら装備品間違えるか?って事なのだ。
だからこれもマスコミ向けのデモンストレーションの面が大きいって事なのだ。所詮見せ金なので雑になったのだな。
大体、ガチで鉄板切開する必要があったら、今はプラズマカッターという強力なものがある。
https://www.youtube.com/shorts/CfDjIxGcBMY
この厚さの鉄板だってこの速度で切れる。戦車の外板だろうと関係ない。エアコンプレッサが必要だが。プラズマで溶かした鉄を固まる前に吹き飛ばすのだ。
なのでエンジンカッターは実用としてはマジじゃない。マスコミと視聴者向けのデモなんだな。
因みにこのニュースの翌年のガサではちゃんと鉄用刃に交換されて激しい火花を散らしていました。
という風に、
・カメラがそこにいるのは何故か
って事を意識しながら見ないと、身の方じゃなくてガワのプロレスの方だけに実体があるようなマスコミュニケーションが横行しちゃうわけだ。実ゲームの方には全然手を入れずに、詐欺広告だけがどんどんブラッシュアップされていくHERO WARSみたいな事になる。
もう一つがその手のトレンドに乗じる者の出現だ。
数年前に入管のツイッター垢が「入国警備官特別部隊」を創設した、としてSWATのスーツやエンジンカッターなどの装備品の写真をアップしていた。(投稿を探しきれなかった)
ツイッターだけで発表されていてマスメディアでの報道はなし、法務省などの広報も見つからないという変な特別部隊であった。
そのエンジンカッターの刃がやはりコンクリ用で、「ああだめだこりゃ」と頭を抱えてしまった。
収容施設内での暴動鎮圧みたいな事を言っていたのだが、だったらそのエンジンカッターで獄舎の躯体切るの?その訓練するの?って話だ。
つまり公安のガサ入れの真似をして同じ装備を揃えてネットで発表すれば賛意が得られるという見立てなのだな。実にカルい。
なので、実務実用か、伝統芸能やプロレスかというのは、細部の道具に現れるというお話であった。プロレスや歌舞伎の刃物は切れちゃいけないのだ。
んでよく見ると、カメラ越しに時代劇の殺陣かガチ戦争かの区別もつかない上に、別のリテラシーの問題抱えてるブクマもあってあきれ果てるんだが
その川口クルドクライムシティ説って旧メディアだと産経しか書いてないんだが大丈夫か?産経は常に特殊な産経枠記事ってのがあって他の新聞は一切報じない記事を書く。クルドの前は暇アノンで、その前は水源地が危ない、対馬が危ない、歴史戦、溶けゆく日本、食育、ジェンダーフリーヤバい、と来てる。暇アノン記事書いたのは産経だけだったがあれどうなった?一個でもまともな主張があったか?ナニカグループは?
ネットで川口クルドで騒いでいるのはXとはてなだけ。しかもはてなは暇アノンの中心だったしその前は新コロ弱毒社会免疫反PCRと延々とデマからデマへとやってる情弱インセルの老人ホームみたいになっとる。
そんな場所で視聴者に向けて半分プロレスやってる映像を見て「これはクルドの事で埼玉県警にハッパ」とか言っちゃうの。もう見てられない。
古参で昔は「凡人と違う視点持てる俺様閣下」的な立ち位置だった筈だが、そういう自意識だけが残って凡人的能力の研鑚が後手になったんかね。、
20年も過ぎたら欲しがりません勝つまではが高度経済成長になるし、学生運動最高潮がバブルになるし、独自社会主義路線で評価されてたチャウシェスクが民主革命で処刑される。無理も無い。そういう人向けにはてなはこれからも安寧のうつろな言論空間を提供してくれるだろうから『蜘蛛女のキス』のラストみたいな余生を送って欲しい。
しかしはてなで昔斜に構えてた人間は全滅してるな。正面に構える事が出来なくて凡人の足元にさえ至らないのばっか。
報道によると今回ガサ入れされたヤクザは領家一家というのだが、事務所から東に10分歩くと領家って土地がある。昔はそこにいて引っ越したのかも知れないな。
因みにニュースで建物映すと場所バレするので地主に迷惑が掛かる。だからその辺りも警察とマスコミで調整というか、「映していい物件か」を予め把握してある筈だ。今回はモザイク無しで映してるから組関係者の所有物件なのかもしれないね。
はてなブックマークの人気記事だったので開いてみたのですが、驚くほど中身のない記事でした。
『詳説日本史』を引用するなり参照するなりして、具体的にどこがどうすごいかを語ってほしかったです。
僕も10代の頃はあれが本当に理解できなかった。けど今ならああいう教科書が作り続けられる理由がよくわかる。物事を語るにあたって、中立を維持しようとするとなると、事実しか語れなくなるのである。
ストーリーというものは、基本的には何らかの価値観を元に構築されるものである。日本民族がいかに優れているかという視点で歴史を分析すると、それは右翼的な記述にならざるをえないし、平等であろうとすれば、それは左翼的な価値観を元に記述せざるをえなくなる。
客観的な記述がされている、左右に偏向していない、中立だからすごいゾ、という感想には呆れ果てました。
いったい全体、どこが情熱的ですか? 教科書を読み返さず、いい加減な記憶をもとに語っても、多分これくらいのことは言えると思います。
クソ記事を読んでしまい、あんまりにもムシャクシャしたので、私が自分で『詳説日本史』を引っ張りだしてきて調べました。
例えば「源平の騒乱」という項目は、次のように記述されています。
平清盛が後白河法皇を幽閉し、1180年に孫の安徳天皇を位につけると、地方の武士団や中央の貴族・大寺院のなかには、平氏の専制政治に対する不満がうずまき始めた。この情勢を見た後白河法皇の皇子以仁王と、畿内に基盤を持つ源氏の源頼政は、平氏打倒の兵をあげ、挙兵を呼びかける王の命令(令旨)は諸国の武士に伝えられた。
これに応じて、園城寺(三井寺)や興福寺などの僧兵が立ち上がり、ついで伊豆に流されていた源頼朝や信濃の木曾谷にいた源義仲をはじめ、各地の武士団が挙兵して、ついに内乱は全国的に広がり、5年にわたって騒乱が続いた(治承・寿永の乱)。
平氏は都は福原(現・神戸市)へと移したが、まもなく京都にもどし、畿内を中心とする支配を固めてこれらの組織に対抗した。
しかし、畿内・西国を中心とする養和の飢饉や、清盛の死などで平家の基盤は弱体化し、1183年(寿永2)年、平氏は北陸で義仲に敗北すると、安徳天皇を報じて西国に都落ちした。やがて、頼朝の命を受けた弟の源範頼・義経らの軍に攻められ、ついに1185年に長門の壇の浦で滅亡した。
この一連の内乱の行末に大きな影響をおよぼしたのは地方の武士団の動きで、彼らは国司や荘園領主に対抗して新たに所領の支配権を強化・拡大しようとつとめ、その政治体制を求めていた。
ここには明らかに編者の歴史観と、因果関係の説明が詰め込まれています。
まず、平清盛が後白河天皇を幽閉したこと、安徳天皇を即位させたことは、この教科書では「平氏の専制政治」と評されています。
当時の人たちがそう感じていたのか、それとも教科書の編者がこの評価を下しているのか、どちらなのか判然としませんけど、ともかく本書はこの評価にもとづいて記述がされています。
次に、この「平氏の専制政治」が地方の武士団や中央の貴族・大寺院の不満につながって、 以仁王と源頼政はそういう情勢を見たので挙兵したと書かれています。
これはまさしく因果関係に言及しているわけです。
このように、教科書は単なる事実の羅列ではありません。歴史に対する評価や因果関係がしっかりと述べられているのです。
そこにどういう学問的な裏付けがあるか、歴史学に無知な私はよく知らないです。あのブログ記事ではそのへんの話を説明していると思ったのですけど、まったくの期待外れでしたね。
なお、この教科書とおなじ編者がつくった参考書『詳説日本史研究』(山川出版社)によると、次のように説明されています。
治承・寿永の乱は、一般には源氏と平氏の戦いといわれている。しかし歴史学的にみた場合、この全国的な動乱を単に源氏と平氏の勢力争いとみるのは正しい理解ではない。以仁王の挙兵以降、軍事行動を起こすものが相次いだ。美濃・近江・河内の源氏、若狭・越前・加賀の在庁官人、豪族では伊予の河野氏・肥後の菊池氏らである。彼らはあくまでも平氏の施政に反発したのであって、はじめから源氏、とくに源頼朝に味方したわけではない。彼らの背後には在地領主層があり、在地領主たちは自己の要求を実現するために各地で立ち上がったのである。
彼らの動向をまとめあげ、武家の棟梁となる機会は頼朝以外の人、例えば源義仲・源行家、あるいは平宗盛にも与えられていた。頼朝が内乱に終息をもたらし得たのは、彼こそが在地領主層の要望に最もよく答えたからである。この意味で幕府の成立は、時代の画期ととらえることができる。
教科書である『詳説日本史』では、これがたった一文にまとめられているのです。
この一連の内乱の行末に大きな影響をおよぼしたのは地方の武士団の動きで、彼らは国司や荘園領主に対抗して新たに所領の支配権を強化・拡大しようとつとめ、その政治体制を求めていた。
こういう史観が妥当なのかというのは、私にはちょっと分からないんですが、この点を強烈にプッシュしているのが『詳説日本史』の特徴と言えるでしょう。
他の教科書を読んでみても、三省堂の『日本史B 改訂版』(日B 015)を除き、この史観はあまりプッシュされていないと感じました。
【参考文献】
(このエントリは上記7冊を参照しています。いずれも平成22年ごろ購入。)
伊豆に流されていた源義朝の子・源頼朝も、妻・北条政子の父北条時政とともに挙兵して南関東を掌握し、10月には源氏の根拠地・鎌倉に入った。頼朝は父祖以来の結びつきを背景に、三浦、千葉、上総氏などの有力な東国武士と主従関係を結んで御家人とし
頼朝の挙兵が、東国武士との「父祖以来の結びつき」を背景にしていたものだったということは、他の教科書ではなかなか分からないと思います。
三浦、千葉、上総という武士の名前が沢山出てくるのもおもしろいですね。(三浦氏の名前が出てくる教科書は多いですが、それはこの時点ではなく幕府成立後、十三人の合議制か、宝治合戦のときに唐突に登場します。)
[寿永二年十月宣旨から義仲滅亡までの]この間、鎌倉の頼朝は没収した平氏の所領(平氏没官領)を法皇より与えられ、経済基盤を固めていった。また御家人を統制する侍所を設置し、その長官である別当には和田義盛を任命した。これに加えて、行政・裁判制度を整えるための公文所(のちに政所)・問注所がおかれ、その長官にはそれぞれ京から招かれた朝廷の役人である大江広元・三善康信が就任した。前後して、義経軍らは一の谷・屋島で平氏を追い、1185(文治元)年に壇ノ浦で平氏を滅ぼした。
[]は引用者註。
この教科書の特徴は、幕府の政治機構の形成過程を、治承・寿永の乱の進行に併記していることです。
鎌倉幕府の成立が1192年(いいくに)なのか、1185年(いいはこ)なのかという論争は、世間でよく知られているぐらい有名になりました。どちらが正しいかは諸説あるとしても、ただ一つ言えることは、どこかの時点でいきなり幕府が完成したというわけではありません。治承・寿永の乱が続いていた期間に、徐々に幕府の政治機構が形成されたのです。この教科書はその史観が反映されています。
北条時政の援助によって挙兵した頼朝は、東国武士たちに支持されて、富士川の戦いで平氏を破ったが、その後は鎌倉にとどまって、東国の地盤を固めることに専念した。これに対して平清盛は一時、都を福原(神戸市)に移して態勢を立てなおそうとしたが、まもなく京都に戻り、1181(養和元)年に病死した。一方、義仲は1183(寿永2)年、北陸方面から急進撃して、平氏一門を京都から追い出した。しかし、義仲は後白河法皇と対立したので、法皇は同年、頼朝に東海・東山両道(東国)の支配権を認め、義仲追討を命じた。頼朝は弟の範頼・義経らを上京させて、義仲を討たせた。範頼・義経はさらに平氏追討に向かい、1185(文治元)年、長門の壇ノ浦で平氏一門を滅ぼした。
この教科書は歴史用語の詰めこみを回避しているようで、内容は簡単、文章としても平易です。
上記引用でも分かるとおり、「頼朝に東海・東山両道(東国)の支配権を認め」という記述があるくせに、寿永二年十月宣旨というキーワードがありません。治承・寿永の乱、一の谷、屋島の戦いなどは年表に記載されていますが、本文中に記載なし。養和の飢饉、平氏が都落ちに安徳天皇を伴ったことも言及なし。
というわけで受験生には不向きですが、他の教科書にはない特色もあります。
鎌倉将軍に尽くして家人となった武士のことを、鎌倉御家人といった。鎌倉御家人になる目的は、将軍に面接して(見参)、先祖伝来の所領を承認してもらい(本領安堵)、さらに勲功のあった者は新たな所領を恩賞としてうける(新恩給与)ことにあった。
教科書の中では唯一、桐原書店だけが「見参」を掲載しています。これは鎌倉幕府の権威の構造がどういったものであったかを知るための手がかりになるかも。
(他の教科書ではこの用語がないどころか、「将軍に面接して」という説明も省かれています)
["新恩給与"についての註]
土地そのものよりも土地に対する一定の支配権と、それにともなう収益権を与えられるのが普通で、そのおもなものが地頭職であった。
これは「職の体系」のことを言っています。他の教科書とは違って、地頭をあえて「地頭職」と見なす視点を紹介し、その意味するところを簡潔に説明しているのがすごい!
所有権が重層的に重なりあっていたというのは、中世の土地支配の構造を知るうえで一番大切なポイントだと思います。
なお、山川出版の『日本史B用語集』には「職の体系」という用語は不掲載で、かわりに「職」の項でそれを説明しています。
職(しき)②:一般に職務に伴う土地からの収益とその職務自体を指す。荘園の場合、有力者への寄進が何回も積み重なり、下記のような複雑な職の改装秩序を生じた。
この説明は悪くないと思いますが、桐原書店は「土地そのものよりも土地に対する一定の支配権と、それにともなう収益権」のことと明記しているので、その方が的確です。
しかも、いかんせん、『日本史B用語集』は「職」の用語説明を「院政期の社会と文化」のページに掲載しているので、これと鎌倉時代の地頭職との関連が全然分からないです。そして「鎌倉幕府の成立」のページにある「地頭職」の用語説明は、次のようになっています。
地頭職(じとうしき)⑤:職とは役職に伴う権益の意味。地頭職は御家人が地頭に任命されて認められた兵糧米の徴収や免田(給田)経営などの権利。
これは間違っていませんけど、この説明を読んで、重層的な土地支配の構造があったことを理解できますか? 絶対に不可能ですよね?
せめて「職」「地頭職」という用語同士を紐付けて相互参照させてほしいです。ふざけんなってかんじです。
さて、桐原書店の教科書に話をもどすと、欄外にこういう豆知識も載っています。
幕府とは、近衛府の唐名であるが、転じて近衛大将の居館のことをいった。のちには近衛大将とは関係なく、武家政権を意味する語となった。頼朝は1190年に上洛し、右近衛大将に任ぜられたが、まもなく辞任した。
Aについては南北朝時代の武将とする説もあり(伝・藤原隆信筆,京都神護寺蔵)、Bも注目されるようになった(山梨・甲斐善光寺蔵)。
とてもユニークですね。受験には使えないかもしれませんが、知っておいて損はないです。
網野善彦の著作『東と西の語る日本の歴史』に、たしかこの話があったと思います。
他の教科書には載ってませんが、ピンポイントで東大入試に出題されました。
源氏と鎌倉の関係は、源頼信のころに源氏の氏神となった石清水八幡宮を、前九年合戦の際、子の頼義が相模国由比郷に勘請して鶴岡若宮(八幡宮の前身)を建設したことから始まった。鎌倉は前面に海をもち、三方を山にかこまれた要害の地で、切通によって外部と結ばれていた。
鎌倉という土地をこれだけ情熱的に語っているのは、東京書籍の教科書だけです。
上記引用とはまた別に、「コラム 武家の都鎌倉と経済流通」というのも掲載されています。
東大入試では、「院政時代から鎌倉時代にかけての京都と鎌倉の都市の発展」について論述させる問題が出されたことがありますが(1990年)、この教科書はその答案を書くうえで非常に役立つものだと思います。
こののち、後白河法皇は義経を重んじ、頼朝追討の命令を下したが、これに失敗すると、頼朝はその責任を追及し、逆に義経追討の命令を得た。さらに頼朝は義経をかくまっていた奥州藤原氏を滅ぼそうと朝廷に追討の命令を希望したが、法皇がそれを拒否すると、1189(文治5)年に頼朝は追討の命令を待たず、大軍をもって奥州藤原氏を滅ぼした。ここに全国を平定し、その後、法皇死後の1192(建久3)年に頼朝は念願の征夷大将軍に任じられた。
頼朝の悪人っぷりがこれでもか!?というぐらい強調されています。
あいつは自分の野望を実現するため、ときには法皇に逆らって圧力をかけたり、朝廷の命令を無視して独断専行する奴だった、ということを言いたげな記述です。
それはともかく、奥州藤原氏を守ろうとした法皇・朝廷側と、それを潰そうとした頼朝の厳しい対立がわかるのは、この教科書だけでしょうね。
両者のぴりぴりした緊張関係が伝わってきます。
関西にある政権が東北地方を使って、関東独立の動きを牽制するというのは、日本の歴史において繰り返し出てくるパターンなので、この視点を漏らさず記述しているところはアッパレ。
平氏は安徳天皇を奉じて西国に落ちていったが、後白河法皇は京都にとどまり、新たに後鳥羽天皇をたてて政権を維持した。法皇は義仲には平家追討を命じるいっぽう、頼朝には上京をうながして、京都の義仲に対抗させ、武士たちをたがいに牽制させて政局の主導権をにぎろうとした。しかし頼朝は、東国の安定に意をそそいでみずからは鎌倉を動かず、弟の範頼・義経を上京させて、1184(元暦元)年、義仲を討たせ、源氏一族の長となった。ついで義経らは、その当時勢力を回復して都にせまっていた平氏を一の谷・屋島などの合戦でやぶり、さらに翌1185(文治元)年にはこれを長門の壇ノ浦に追いつめて滅亡させた。
この時代に2人の天皇が同時に存在していたとする視点を取り入れているのがナイス。
都落ちした平氏はそのままあっけなく滅んだわけじゃなくて、京都にいる天皇とは違う天皇を奉じて勢力を盛り返していたのです。
どちらの天皇が正統かというのは、つまるところ結果論にすぎません。この教科書はそんな歴史観に基づいて書かれています。
ちなみに、この教科書の編者は、大半が関西の教育機関に属する人たちみたいです。後白河法皇や平氏を主軸にした書き方は、編者の関西びいきが反映した結果なんでしょうか。(笑)
例えば奥州合戦について、「奥州進撃のために頼朝は東国だけでなく西国の武士もひとまず鎌倉に動員し、これを機会に国ごとに御家人組織の整備をいっそうすすめた」とあります。さらに西国の御家人が東国の御家人とどう違うかを説明しているのもおもしろく、この教科書の関西中心っぽい史観は独特です。
選挙に逝ってきた。
投票所至近、選挙ポスターで微笑むドクター中松、細川両氏のご尊顔を拝む。
私「まだ生きてたのか……」
若い世代の中にはドクターもフロッピーディスクも知らない人だっているだろう。
細川氏と聞いたら「足利幕府が瓦解するどさくさ紛れに権力を簒奪した人?」と尋ね返されるかもしれない。あぁ、間違ってないか。
自分はこんなに長生きできるだろうか。私の身体とカネはどれだけ保つだろう。
……カネ。
原発やTPPより、自分が受け取る(あるいは受け取れない)年金の方が喫緊の課題だ。
毎月天引きされる保険料は、将来の自分……ではなく、今いる受給者の懐に消えている。
ドクターと良家・領家なサラブレッドは十分稼いだだろ。返納はよ。
駅前のすき家(福祉)で食事を摂った私は、怒りに打ち震えながら帰途に就いた。
昨夜降った雪は固まって凍りついており、何度か足をすくわれた。
店先の道路などは雪かきされていた。今朝方、従業員が早出してやったのだろう。
どの店も綺麗に雪がのけられていたが、最も徹底的だったのはパチンコ屋の前だった。
むき出しのアスファルトの先、パチンコ屋の中では口を半開きにした老人たちが所在なさ気に玉弾きをしていた。
私「なんじゃこりゃぁあああああ!!」
投票後で良かった。
投票前にグレーゾーン朝鮮遊戯に現を抜かす彼らを見ていたら、発狂して清き一票を泡沫候補に投じていたかも分からない。
ナマポ受給者(not 不正受給)だって、「現役世代が納めている税金を合法的に再配分されている」という意味では年金受給者と変わりない。
働き盛りの世代や、小さな子供を持つがママが声高に「パチンコ大好き!」と言ったら眉を顰める人だっているだろう。
ことによっては「パチンコしかすることがなくて可哀想。家族がちゃんと構ってあげなきゃ」と、周りの人間が非難される。
お年を召した方々は、ジャンプシューズでぴょんぴょん跳ねても、佐川から1億もらってもお咎め無しだ。
私「なんじゃこりゃぁあああああ!!(2回目)」