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はてなキーワード: 映画監督とは

2014-05-09

風俗嬢からボスコンのコンサルタントまで 

ゆりかごから墓場まで

イギリス第二次世界大戦では金融政策上のスローガンとして「ゆりかごから墓場まで」という

言葉跋扈した。

これは人生を一貫して、保証するというキーワードであった。

英国映画監督であるダニー・ボイルは27時間や、スラムドッグ$ミリオネアを描き

下流階層struggleする人の奮闘を描いた。

映画トレインスポッティングの中では、薬まみれの若者に、

合法的ドラッグ睡眠誘導剤を飲む英国中流階級の親」

自分たちを対比させ、

「退屈なテレビ、家庭、住宅ローン最初に買う家、保険税金控除、

デカテレビ家族のクルスマス、家庭大工

これらをクソだと冒頭で述べる。

その若々しい青さはそのうちに、disappearするのだ。保身、なんとなく生きる人生

GW

ゴールデンウィークパーナン。お腹外人の子を抱えた、風俗嬢ナンパから

BCG転職した同級生まで、いろんな人にあった。そんななかで

岩瀬大輔の「ハーバードMBA留学資本主義士官学校にて」

を読んだ。

ここに出てくる連中はいわゆる過去のケース、成功した人を後からたどったMBA

ケースであるというよりは、かなりとんがっておかしくなった連中に見えた。

ベンチャースピリットとは路上ナンパすることから、HBA(ハーバードビジネススクール

を出て、ベンチャーExitさせることまで、どれもそれは0→1をする、スピリットなのかも

しれない。

アフィリエイトじゃないよ!地震だよ!

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%89MBA%E7%95%99%E5%AD%A6%E8%A8%98-%E8%B3%87%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%81%AE%E5%A3%AB%E5%AE%98%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%81%AB%E3%81%A6-%E5%B2%A9%E7%80%AC-%E5%A4%A7%E8%BC%94/dp/4822245527

2014-02-11

25歳、高卒引きこもりの俺が今からでもなれる職業が少なすぎる!!


これは明らかに不公平!!

日本社会は即刻、年齢差別を辞めるべきだと思う!

教師や親は子供に対して、夢や希望には厳しい年齢制限があって歳を重ねるごとに選択肢が減っていくという事実をしっかり教えるべき!!

実際、メジャーマイナー人気不人気を問わず日本で就ける職業殆どは、その職に自分が就きたいと思った頃には完全に手遅れになってるパターンばかり!

以下年齢制限別に見ていくと↓  (*一部の例外など、個々の特殊な事例を除く)

25歳(俺の年齢)

警察官 ― 25くらいまでには警察学校に入らないと現実的にまず無理

医師 ― 25くらいまでには医学部入学してないと開業医の子息でも無い限り現実的に無理

獣医 ― 25くらいまでには獣医学部入学しておかないと現実的に無理

薬剤師 ― 25くらいまでには薬学部入学しておかないと現実的に無理

看護師 ― 25くらいまでには看護学校入学しておかないと介護系以外の求人激減

保育士 ― 25くらいまでには保育系学校で学んでおかないと求人激減

美容師 ― 25くらいまでには美容学校で学んでおかないと求人激減

弁護士 ― 25くらいまでにはロー進学を決めておかないと合格してもタダのゴミ

作家 ― 専業で食べていくには現実的にこのくらいの年齢で入賞でもしていないと無理

22歳(大学卒業

有名企業正社員 ― 新卒を逃せば新卒プロパー至上主義の有名優良企業への就職出世絶望

公認会計士 ― 大学卒業までには専門学校で学び始めていないと合格しても実務経験積めずに終了

声優 ― これくらいの年齢までに育成機関に通わなければ専業で食べていくのはほぼ絶望

20歳(成人)

お笑い芸人 ― この年齢までにコミュ力を磨かなければ大勢の人前に立って笑わせることなど不可能

俳優女優役者 ― 遅くとも成人までには劇団舞台なんかに立っていないとテレビレギュラーなど夢のまた夢

芸能人タレント ― この年齢までに一芸を磨いて「東京」にいることが絶対条件

ダンサー ― プロダンサーとして食べていくにはこの年齢までになんらかのダンスを始めることが必須

傭兵 ― 20までに体をつくっておかなければいくら頑張っても体力的に無理

パティシエ ― この年齢までに菓子作りの基礎を学ばなければどうあがいてもチェーン店電子レンジ職人まり

ホストホステス ― 業界でやっていくには成人と同時にこの世界に飛び込まなければ後は商品価値が下がる一方

大道芸人 ― ハタチを超えてまったく一から大道芸人を目指して成功した奴など皆無

18歳(大学入学

官僚 ― ほぼ現役での東京大学もしくは旧帝国大学or有名私大に入らなければまず無理

検事裁判官 ― ほぼ現役での東京大学もしくは旧帝国大学or有名私大に入らなければまず無理

国連職員 ― ほぼ現役での高偏差値大学への進学が必須条件

テレビ業界テレビ局勤務 ― ほぼ現役での高偏差値大学への進学が必須条件

アナウンサー ― ほぼ現役での高偏差値大学への進学と「顔」が必須条件

編集者 ― ほぼ現役での高偏差値大学への進学が必須条件

パイロット ― ほぼ現役での高偏差値大学への進学が必須条件

ゲームクリエイター ― ほぼ現役での高偏差値大学への進学が必須条件

宇宙飛行士 ― ほぼ現役での高偏差値理系学部への進学が必須条件

小学校教師 ― ほぼ現役での大学への進学(教員課程)が必須条件

中学校高校教師 ― ほぼ現役での大学への進学(教員課程)が必須条件

司書 ― ほぼ現役での大学への進学(司書課程)が必須条件

動物園飼育係 ― ほぼ現役での大学への進学(学芸員課程)が必須条件

水族館飼育係 ― ほぼ現役での大学への進学(学芸員課程)が必須条件

映画監督 ― ほぼ現役での映像学科への進学が必須条件

建築家 ― ほぼ現役での建築学科への進学が必須条件

アイドル ― 18を過ぎれば賞味期限が近づく一方

アニメーター ― この年齢までに絵の素養を磨いていなければまず無理

イラストレーター ― この年齢までに絵の素養を磨いていなければまず無理

ファッションデザイナー ― この年齢までに一般的なオシャレというものに興味を抱いていないような奴にはまず無理

歌手ミュージシャン ― この年齢までになんらかの音楽活動を始めなければ自称ミュージシャン志望が確定

15歳(高校入学

競馬騎手 ― 15歳までには騎手になるぞという意志を固めていなければ現実的競馬学校への合格は無理

バイオリン職人 ― 15歳までには楽器職人になるぞという意志を固めていなければ専業で食べていくなど夢のまた夢

ファッションモデル ― この年齢でほぼ容姿背恰好は固まるので低顔面偏差値身長にはどう抗っても無理

漫画家 ― 15歳くらいまでには絵を描き始めなければ実質的時間切れ

12歳(中学校入学

プロサッカー選手 ― 12歳までにはサッカーを始めなければまず無理

プロ野球選手 ―  12歳までには野球を始めなければまず無理

プロスポーツ選手 ―  12歳までになんらかのスポーツを始めていなければまず無理

画家 ― 12歳までに絵に慣れ親しんでなければまず無理

06歳(小学校入学

ピアニスト ― これくらいの年齢からピアノのレッスンを受けなければまず不可能

指揮者 ― これくらいの年齢からピアノ他のレッスンを受けなければまず不可能

プロオーケストラ楽団員 ― これくらいの年齢から楽器のレッスンを受けなければまず不可能

サーカス団員 ― 6歳くらいまでにはバレエ等のレッスンを受けなければまず不可能

将棋棋士囲碁棋士 ― 小学生のうちに打ち始めなければまず不可能

0歳(家柄血筋)

伝統芸能演者 ― 親・親戚が伝統芸能に携わっていないと最初から可能性ほぼゼロ

茶華道家元 ― 親・親戚が茶華道家元でも無い限りに最初から可能性ほぼゼロ

政治家 ― 親・親戚が政治家でも無い限りに最初から可能性ほぼゼロ

外交官 ― 親・親戚が外交官でも無い限りに最初から可能性ほぼゼロ

農家 ― 親・親戚が農家でも無い限りに最初から可能性ほぼゼロ

漁師 ― 親・親戚が漁師でも無い限りに最初から可能性ほぼゼロ

冒険家探検家 ― 親・親戚が冒険家でも無い限りに最初から可能性ほぼゼロ

二世タレント ― なれるのはタレント二世だけ!

そもそも有名人職業を除いて、棋士楽器職人なんて子供の頃は存在すら知らなかったし!

ピアニスト騎手だって身近にそういう親戚でもいない限り自分未来職業として、リアルに考えてみるという行為それそのものすらしたことがないのが普通だろ!!

文化資本の低い家庭出身の俺は家族親戚一同高卒ばかりで大学進学すらテレビ物語の中の世界だったわけだが!!!

国は小学校入学と同時に13歳のハローワークを全児童に配布・熟読させて、道徳時間の変わりにキャリアプラン時間小学校教育に組み込むべき!!

一刻も早く!!

俺はもうおしまい!!!

ジャジャン!!

都知事選における田母神氏の問題点を考える

http://www.youtube.com/watch?v=esaEPq1_0zA

東京都知事選での田母神陣営反省点を考える】

上の動画を見た。おおいに笑った。とくに次の個所。

まずね、根本的な大問題。戦略がなかった。[…]戦略がないってね、脚本書かずに映画とるみたいなもんなんですよ。組織がないなら、組織がある人以上に頭を使う必要がありますよね。[…](田母神氏の選対をつとめた水島総は)軍師タイプの方ではないんですね。どちらかといえばね、武闘派ですよ。三国志で譬えるなら孔明ポジション張飛がいるようなものです。

ようするに、水島総はバカだって言ってるわけです。まあ、おっしゃる通りなのでしょうが、それにしても「映画」のハナシをもってくるあたりはKAZUYA氏も面白いね。一応、水島氏は「映画監督」でもありますから(笑)。次の個所もよかったです。

公式Youtubeチャンネルをつくって田母神としおをアピールする短めの動画を作った方がいいんじゃないですか、ってね、まあ選挙スタッフの知り合いの方に言ったんですよ。そしたら「あ~、いいっすね~」ってすぐに採りいれてくれたんです。さっそく公式チャンネルがつくられて、動画がUPされたんですけど、候補者って誰でしたっけ? 田母神さんですよね。記念すべき一番目の動画ね、これね、水島さんの動画なんです。これね、ぼくね、パソコンの前で、「新婚さんいらっしゃい」の時の桂三枝並のズッコケ方をしましたね。

上の言葉とあわせて総合してみると、水島氏は目立ちたがりのおバカさんで田母神氏の足を引っ張っていただけとKAZUYA氏は言っているわけでしょう。いや、それどころか、チャンネル桜存在自体が問題だったってことでしょう。KAZUYAという、これまた付焼刃の知識(動画中にあった『孫子から引用には失笑した)を切り貼りしているだけの若者にこれだけ罵倒された水島氏がどのように反応するのか、正直なところ今から楽しみです。それにしても田母神氏もたいへんだねえ。でも、これは自業自得でもあるよ。けっきょく最終権限はご自身にあるのでしょうから選挙人事も、航空幕僚長として航空自衛隊五万人を指揮していたのと同じ要領で、できていたらよかったのにね。

   ☆

で、他方水島氏についてですが、こちらで選挙について反省なさっています

http://www.youtube.com/watch?v=I7hUXVmOPwM

http://www.youtube.com/watch?v=JlFU5DWXsy8

【桜プロジェクト東京都知事選スペシャル[桜H26/2/10]

水島氏は「軍師タイプ」でもないのにあいかわらず「司会役」をつとめていますが(注:基本的にこうした企画では水島社長が司会をしています)、ご本人も(お目出度いことに、と言うべきか)選挙が終わった後に、KAZUYA氏が言っているようなことご自覚なさったようですね。

ところで、この討論会支離滅裂でじつに面白い田母神支持率が6%から12%に上ったことを喜んだかと思えば、大雪中田母神に投票してくれた61万票は「堅い支持層」であると言ってみたり(フツーに考えて、堅い支持層をたった一ヶ月で6%も上乗せして作れるはずないでしょ)、三橋貴明氏が「自分選挙にでたことガー」で珍説をぶちはじめたかと思えば、大高未貴氏は「李登輝のように、目的を隠しながら国民党に潜り込んで…」といった国民をバカにしたスパイまがい、あるいは革命思想奨励したり等々……。で、こうした方々が田母神陣営であったということはKAZUYA氏の主張とは逆に、もっと国民に知らしめていくべきだろうと思う。「イメージが悪くなる」って? 選挙終わったんだし、もういいでしょ。実際のはなしなんだから。で、それで日の丸掲げて「国民運動しましょう。おまつりワッショイ♪

ちなみに私見では、田母神氏の敗因は、KAZUYA氏や三橋氏が主張するように、ノンポリ層にアピールすることが出来なかったからではないと思う。「アピールしてなお拙かった」のである。「自分意見は正しかったけど浸透しなかった」ていう言い訳は、むしろ共産党がよくやる手口でしょう? ようするに、政策レベルでもダメだった、てこと。三橋氏は一応「エコノミストであるだけあって、するどいところもある。安倍グローバル化を促進させる「構造改革」、ぶっちゃければ新自由主義への批判をより大々的に展開して、「政治的には右、経済的には左」という路線を明確化して強調したほうがよかったのではないか。……ちなみに、その典型は歴史上、ナチスではないかと私は思うのだけれども。以上。

2014-02-09

Go言語名前の由来についてデマを広めたい

Go言語名前の由来について、デマを思いついた

Go言語名前の由来について、デマを思いついたので、ちょっと面白いと思った人は広めてほしい。

Go言語名前の由来って知ってる?

あれは日本語数字の5(ゴー)から来てるんだよ。

5は4(シー)、つまりC言語の次だから

まりC++C#と同じ由来なのね。

あ、C#C++++なんだよ。知ってた?(注:これは本当)

こんな感じで。

Go言語ブレイク寸前であり、かなりの関心を集めているが、まだ詳しく知られてはいないので、デマを広めるには今が絶好と思う。

なんでロブ・パイクケントンプソン日本語を知ってるんだ、ともっともな指摘を受けた場合

こんな感じで返していただきたい。

ロブ・パイクケントンプソンUTF-8の考案者だということは知ってる?(注:これは本当)

で、彼らがそれを考案するきっかけは、慶應村井純先生が、ベル研で「日本語」についての講演を

したことだというのは知ってる?(注:これも本当)

参考:UTF-8小話 - Plan9日記

http://d.hatena.ne.jp/oraccha/20081004/1223124803

から彼らは日本語を少し知ってるんだよ。

そもそも君だってドイツ語とかの第2外国語で1から5ぐらいまでは数えられるんだから

彼らが出来たって不思議はないだろ?

Google Lang だろ、と正しい由来を返された場合

こんな感じで返していただくのはどうか。

そりゃ、表向きはそうだよ。彼らはGoogleで開発してるんだしさ。

だけどそれは後付けなの。

PHPが 「PHP Hypertext Preprocessor」という、GNUみたいにカッコイ

再帰的頭字語を由来にしているけれど、元々はPersonal Home Page の略なんだよ。(注:これも本当)

それと同じ。

そもそもケントンプソンロブ・パイクは、C言語UNIXの父だし、

ノーベル賞チューリング賞の受賞者をザクザク輩出しているベル研出身だし、

(注:ケントンプソン自身がチューリング賞受賞者)

彼らにとってはGoogleなんて、ほんの腰掛けだよ。

Pythonのグイド・ヴァン・ロッサムみたいに、何かあったらすぐ他所に行くよ。

(注:グイドはGoogleを辞めて、2013年からDropboxで勤務している)

そんな彼らが、C++C#みたいなパチもんじゃなくて、

真にC言語果たしてきた役割を後継する言語を作るにあたって、

特定企業名名前につけるかい

彼らがPlan9を開発していた頃は、特定企業名どころか、最低映画監督エド・ウッド由来の名前ばかりつけていたことを指摘された場合

こういう態度で返していただくのはどうか。

(∩ ゚д゚)アーアーきこえなーい

目標

このデマを、ロブ・パイクケントンプソン自身の耳に入れること。

彼らに後付けで公認してもらえたらなお良し。

【追記】未承諾広告

100ブクマ以上ついたので、上司に無断で弊社の宣伝をしてみる。

いろいろ怒られたら消します。

現実がつまらないなら、面白く変えよう!

面白いITのご用は、チーム○ボへどうぞ!

はてな規約抵触しそうなんで、一部を伏せ字にしてあります

2014-01-10

物事を動機で判断する奴

それってどうなのよ。

不純な動機で行われた、社会に役立つ行動であっても、叩くやついるよね。

でも高潔な動機で行われた、有害な行動もあるわけじゃん。

高潔な動機で行われた社会に役立つ行動のみが賞賛に値するかというと、ちょっと疑問かも

モテたくて映画監督になったやつの作ったすげーおもしろ映画かいっぱいあるよね。

結果オーライじゃないの?

承認欲求でもなんでもいいけどさ、そんなに動機が気になるの?

2013-12-02

http://anond.hatelabo.jp/20131202113209

「早く引退しろよ」

じゃなくてさ、相手は映画監督なんだから

「超高齢化社会を憂えて年寄りが次々と自殺する映画を作ってくれよ」

くらい言え。

**************************

言論や表現の自由を制限する恐れが強い「特定秘密保護法案」の衆院採決を与党が強行した。

懸念や反対の声が広がっているにもかかわらず、成立の可能性が高まっていることに、

言論が統制された戦時中を体験している映画監督山田洋次さん(82)は

「やり切れない思いです。この法律が通れば、この国は旧ソ連のような陰気な国になるのではないか」と語る。

http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=58066

**************************

この世代の人は団塊と違ってまともな人が多いと思っていたけど…考え方を改めなきゃな。

うるせえよ、老害。お前らのお陰で充分、陰気な国になってますよ。お前らがちゃんと指導しないか団塊の屑がどうしようもないんだよ。

65歳以降は全員死ねよ。その方がよっぽど国のためだ。人生で一度くらい国のためになること…やってみろよ。

あーもうほんとこんなことを語っている団塊以上の屑が憎たらしい。

だいだいよ…女優愛人にしていたような人間もっともらしいこと語るなよ。そういう悪しき慣習を作ったお前らの世代のせいで…枕営業とかそういうのが

運びってんじゃないの。ああ、あれか、お里お国柄のせいか

あーほんとうぜえ。早く引退しろよ。

2013-11-05

いまお笑い芸人を目指しちゃうヤツについて。

今年のNSC吉本お笑い養成所)の入学者数は東阪合わせて約800人。

そのうち何人がお笑いで飯を食えるようになるのか知らないが、おそらくその多くは「お笑いが好き」だから芸人を目指したのだと思う。

でも、今の時代、わざわざプロを目指さなくとも、ネット上でいくらでも自分面白さを人に発信できるはずだ。

大喜利がやりたければTwitter面白いことをツイートフォロワーを増やせばいいし(恐山なんかはその典型だろう)、文字だけで物足りないならYouTubeニコ生で発信すればいい。現にそういったネット界でのちょっとした"人気者"はたくさん出てきていて、それは"お笑い"という既存ジャンルの枠組みには必ずしも当てはまってはいないが、テレビのみが娯楽のほぼすべてだった時代に比べるとその多様性はすごく増した。

そんな時代にあって、彼らがわざわざお笑い養成所に入る理由とはなんだろう?

私の勝手イメージを膨らませると、彼らの大多数はまずネット文化にあまり馴染みがないのだと思う。

一部の老人の見立てと違い、いまの若い人は全員がネットに熱中しているわけではないし、ネット用語で言うところの"DQN"や"リア充"とでも呼ばれるような、非バーチャル現実社会コミュニティ地元学校友達など)こそが自分の居場所だという「旧世代から常識的な生き方」をしている人がやはり多数だ。

ネットばかりしているとその事実をつい忘れてしまうが、僕らはバーチャル空間に生きているわけではないし、少なくとも肉体はこの現世に存在している。幸か不幸か僕らはこの忌々しい社会システムの上でしか満足に生活を送ることができないのだ。

一部の若者NSCに行ってしまう原因の1つには、そもそもそういったネットの可能性があることをあまり知らない、あるいは知っていてもあまり興味を持っていない、ということが大きいのだと思う。

そしてもう一つ、プロお笑いを目指さなければいけない理由があるとすれば、それはやはり「スターになれるから」ではないだろうか。もちろんNSC(あるいは類似する養成所)の生徒の中にはネット自分の基盤とし、まとめブログを読み、ニコ生の可能性を知り、Twitterブログ自分の思いを発信していた人も少なからずいるだろう。

しかTVなどの旧メディアに比べると、ネットというのはまだまだ発展途上だ。あるいはもう限界が来ているという見方すら出来るかもしれない。各自が好きに情報を取捨選択し、パーソナライズされてしまうこのシステムの中では、インターネットはどうしても自分本位世界になりかねない。

マスメディアの在り方こそが正しいとは口が裂けても言わないが、少なくともネットに比べれば限りなく一元的最大公約数価値提供していることは確かだ。

TV界のスター」に比べれば、インターネットの人気者はやはりあまりニッチすぎる。「明石家さんま」や「ダウンタウン」を知らない日本人は少ないが、うちの祖母は「ダ・ヴィンチ・恐山」なんて絶対知らないし、個人的にはニコ生界のスターなんて名前すらわからない。

そこに個人的嗜好を超えた善し悪しをつきつけるつもりはない。ただ純粋事実として、そこには明確に規模の違いがある。一番の根本的な差は、彼らの活動がお金の発生するビジネスであるかどうか、即ちプロかどうかという部分だ。

もちろんテレビの衰退なんてものが叫ばれる中、インターネットの可能性にかけるのも悪くない。しかしこの世界はまだまだ黎明期であって、たとえばニッチな方向に行ってもそれ以上の発展はないし、なにかしら盛り上がりがあったとしても、今のようなムーブメントはいつ消え去ってもおかしくない。そんな道を目指してしまうと、いつのまにか砂上の楼閣が崩れさって、砂漠のまっただ中で迷子になってしまうかもしれない。

どちらにしろ若い彼らがなぜプロを目指すかと言えば、"お笑い界の頂"には他では見られない景色があるからだろう。

わかりやすく言えば、金は儲かるし、人にちやほやされる。そして社会に影響を与えられるような存在にまでなる。何よりもTVに出てるお笑い芸人はとても楽しそうに見える。

しかし既にお笑い界は飽和状態、新しい人材をわざわざ求めるほどの理由がない。

世に出るための第一歩として、まずネタで評価されるというのが芸人王道だが、たとえば代表的なピン芸(一人芸)に見られる「フリップネタ」なんて、Twitterネタツイートしてるのと何が違うのか。

別にフリップに限らずそれは言える。たまたまお笑い産業という物があるからその中で職業として追求できる余地はあるが、初めにも言った通り、もはや今の時代その枠組みに入っていかなければならない必然性も低い。

まり僕はお笑い養成学校の生徒なんですけど、こんなことしてていいんでしょうか?

もっと今までにない別のルートで世に出た方が、より自分のやりたいことを追求できるんじゃないか

たとえば「バラエティ的な価値観が全てじゃない」と世の学生に伝えるにしても、もっと他の方法があるんじゃないだろうか。

でもやはり、よりポピュラリティの高い地位を獲得することで、容易に(もちろんしがらみはあるんでしょうが自己表現が達成されそうだという期待がある。

松本人志という人が自分の撮りたい映画を撮れてるのって、そういうことじゃないですか。

すごい叩かれてるけど。

……何も映画監督になりたいと言ってるわけではないんですよ。

同じネット上で活動するにしても、ネット上の有名人か、ネットに限らない有名人かというのは、よくも悪くも、かなり大きな差があると思う。

そして僕は後者を選択したい。

2013-10-25

百田尚樹自分原作在日映画化された事をどう思ってるの?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9!

監督 - 李闘士男

脚本 - 鈴木謙一

原作 - 百田尚樹

エグゼクティブプロデューサー - 濱名一哉

プロデューサー - 武田吉孝、久保田修

共同プロデューサー - 田中美幸

ラインプロデューサー - 原田文宏

音楽 - 澤野弘之

撮影 - 佐光朗(JSC)

照明 - 三善章誉

美術 - 花谷秀文、禪洲幸久

録音 - 横溝正俊

編集 - 宮島竜治

VFXスーパーバイザー - 小坂一順

衣装 - 高橋さやか

ヘアメイク - 竹下フミ

スクリプター - 生田透子

音楽プロデューサー - 安井

助監督 - 吉村達矢

制作担当 - 宿崎恵造

ボクシング - 田端信之

製作 - TBS東宝電通MBSIMJエンタテインメント(現:C&Iエンタテインメント)、S・D・P、アプレCBCWOWOWハピネットRKBYahoo! JAPAN大田出版

制作プロダクションIMJエンタテインメント(現:C&Iエンタテインメント

配給 - 東宝

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E9%97%98%E5%A3%AB%E7%94%B7

李 闘士男(りー としお、1964年5月13日 - )は、テレビディレクタードラマ演出家映画監督である大阪府大阪市西成区出身有限会社リーライダーす代表取締役社長

闘士男は本名ボクシング好きの父親がリングネームになるように命名した。ボクシングにも造詣が深い。元在日韓国人3世で、現在日本国籍を取得している。



どう思ってるの?

誰かツイッターで凸してきてよ

2013-10-15

どうしてみんな松本人志映画を作っていると勘違いしているのだろう

最新作「R100」について、いわゆる松本信者松本人志の初期の天才性を高く評価している人ほど酷評をしているようだ。

わたしも松本天才性を認めるにはやぶさかではないし、今でもその根本的な特異な才能は初期のころとそれほど変わってはいないのだと思う。

なのに何故今は往年の信者にすら見放されているのか。

彼にとっての不幸は、キャリアの初期において本来ならば理解困難なそのユニーク感性浜田という相方存在により広く「革命的に面白い」と認識されてしまったことにあるのではないか

彼の特異性は、その驚異的なまでの無知さにある。

ベストセラー遺書」を読んだことがあるかたはわかると思うが、彼は全くと言っていいほど「引用」「参照」ということをしないし、そもそも何かを学ぶという意識が皆無なのである

彼が面白いと思うこと、新たに生み出しているギャグというのは、全て彼自身が見ている範囲、彼自身のみから考えられる範囲でのみ構築されたものであり、すなわち常にゼロからひねり出しているものなのである

それゆえ初期のお笑いの活動においては全くもって斬新なネタコントを繰り広げていたのであるが、これはたまたま彼の感性が作り出すものが、浜田存在により、たまたままだ笑いとして理解可能な範疇であったかである

松本感性は、人を笑わそうとしてしてのものではなく、あくまで自分面白いと思えるものに対しての探求であり、それが世に受けていたのはたまたまに過ぎない、というか相方ブレインなどによるものだ。

彼が映画に手を広げたのは、単に表現手段のひとつとしてであり、テレビ舞台ラジオ漫才コントといったバリエーションひとつに過ぎないのであろう

しかし残念ながら映画というものは単なるいち表現手段としては完結しない。映画ひとつの作品として存在するためには、その背景に膨大な参照と引用必要で、そもそも映画という形式自体が映画文法そのものによってなりたっているのである

北野武映画監督として確固たる地位を築いているのは、北野は彼なりに映画というものをとことんまで理解し、その理解の上に自分なりの映画というものを構築し、時にはあざとくも映画の文法を逆手にとって鑑賞者に媚を売ることすら厭わないかである

松本人志既存映画映画として観ていない。初期のネタづくりのように、自分感性に対して何か生み出してくれる材料としてしか観ていない。しかもそれすら自分しかからない理屈によるものだ。

繰り返しになるが、映画というのは膨大な引用と参照によってなりたつものである既存映画と全くの連続性がないとしたらそれは既に映画ではなく、実験映像であり百歩譲って実験映画である

松本の、自分の得意な感性によってのみ構築された映像は、そういうわけで映画ではない。しかも独自にひねり出してきたのであろうそのコンセプトは映画の中では陳腐もので、車輪の再発明にすらなっていない。

映画を名乗りたいのであれば、まずは映画を知らねばならないのだが、残念ながらそれは彼の唯一の天才である無知と完全に相反するものなのだ

から少なくとも、今後の「R100]の評価は映画としての枠を外して評価されるべきものなのでないかと思う。

その評価に何らかの意味があるかはわからないが。

2013-10-03

http://anond.hatelabo.jp/20131003225407

やれ「原子力に反対したら仕事を干される」「改憲に反対したら仕事を干される」とか、左翼は「俺達はこんなに差別されてるんだ」と言いたげに日々を過ごしているが、こんなアホが堂々と大手を振って映画監督を名乗ってる時点で、まったく説得力がない。

そんな事無いよな。左翼ポーズ文化人の嗜みくらいなもんで、本気でやってる人はごく少数だよ。井筒だって呼ばれれば日テレでもフジテレビでも文化放送でもニッポン放送でも出るじゃん。別に締め出されもしないよ。そういう意味ではジャニーズ事務所批判やバーニング事務所批判の方がよっぽど危険仕事が無くなるよ(笑)。それはやらないでしょ、どうせ。保身丸出しで、文句言っても反撃されない相手を叩いてるだけ。

左翼ぶってる作家だって新潮や文春から喜んで本出すじゃん。部数が多くていっぱい本屋に並ぶから嬉しいんだってさ。そんなもんなんだよ。ゴッコでポーズだよ。

資本主義社会に染まりきった享楽的な生活を送っている音楽家だって、眉間に皺寄せて左翼ぶってるじゃん。

全くばかばかしい。

http://anond.hatelabo.jp/20131003210634

やれ「原子力に反対したら仕事を干される」「改憲に反対したら仕事を干される」とか、左翼は「俺達はこんなに差別されてるんだ」と言いたげに日々を過ごしているが、こんなアホが堂々と大手を振って映画監督を名乗ってる時点で、まったく説得力がない。

http://anond.hatelabo.jp/20131003200721

どんな映画かと思って粗筋を見てみた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%B3

アメリカワシントン州スポケーン。高校アメフトチームのスター選手マットが試合に負け、彼の兄で海兵隊員のジェドがイラクから休暇で戻って来たその日、突然停電が起こる。翌朝、空一面に戦闘機空挺部隊が現われ、そして北朝鮮アメリカ全土を、そしてスポケーンの街を占領した。山小屋へ逃げたジェドたちは眼前で父を殺され、戦うことを決意するのだが…。

で、井筒和幸がどういう政治信条かっつーと、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E7%AD%92%E5%92%8C%E5%B9%B8

週刊新潮の「私の名作ブックレビュー」におい井筒角田房子の“小説である閔妃暗殺朝鮮王朝末期の国母』を挙げて「閔妃暗殺」について語り、日本いか朝鮮で悪いことをしたかを述べ「その生々しさ、血腥さを、いまは誰も知らない」と主張した[18]。

在日韓国朝鮮人については「日本に取り残されて生まれた」人々で、在日韓国朝鮮人一世は「労働力徴兵のために強制的日本に連れて来られてきた人たち」とし、「ちゃんと日本国民権利を取得させて、必要な人には補償もして、日本国民平等に」すべきで「それが本当の謝罪」と主張している[19]。

井筒韓国北朝鮮関係はよく分からんが、「とにかく韓国北朝鮮の肩を持つ人」なのは確かで、北朝鮮を悪し様に描く作品は糞味噌にけなす、みたいなスタンスなんだろう。

ま、映画監督ならそういう主張は映画でやれよって気もするけどね。

2013-09-20

http://anond.hatelabo.jp/20130920101954

世間で言われるオタクと、世の中に何人いるかしらん「本物のオタク()」は別物だからねー。

世間からアニメのファンだと「アニオタ」と呼ばれ、本物()達からは「お前なんぞオタクでない」と言われる。


ブコメも見たけど、ちょっとずれてんだよ。

ピュアオーディオオタクは、変なところにこだわりを見せるが、アウトプットが無ければオタクじゃない、なんて言わん。

ただ、最低限○○を使ってなければピュアオーディオ世界を語るな、とかは言うだろう。

プラモなら「作れ」

乗り鉄なら「乗れ」

撮り鉄なら「撮れ」

ところが、これが漫画アニメになると歪になる。

自称オタクの者たちに、ワナビ絵描きが多く二次創作が盛んであるため、消費と創作が混ざってしまう。

映画オタク映画監督なんて稀な存在から、「撮れ」なんてまず言われん。「観ろ」だ。


ちなみに。

野球サッカークラシックで、プレイヤー側をオタクとは呼ばんよね。

フットサルに興じる青年は、さてサッカーオタクかね?ただのリア充でしょ。

2013-08-22

風立ちぬ」はなぜ「分からなかった」という人が多いか

宮崎駿の新作「風立ちぬ」。

人気のある映画でありながら、同時に「見たけどよく分からなかった」という感想が多い。


ホッテントリにもなった岡田斗司夫の解説(http://blog.freeex.jp/archives/51395088.html)を私なりに要約(ややネタバレあり)するなら、

その内容は「戦争をはじめとした外界の醜い現実には興味を持たず、飛行機のような美しい世界を追い求めた人の物語」、

という事になるのだろうけど、そこまで読み取れずに「よく分からなかった」となってしまう。

敬称略私自身も説明されて、はじめて「ああ、確かにそういう話だ」と思った。)


こんな感じで視聴者にあまり理解されない作品になってしまった理由について、自分なりに考えてみた。


それを説明する為に、まず、私がこの映画を見たときに思った不満について述べる。

(後述するように、実はこの不満が、映画が理解されない理由と直結する。)


その不満とは、技術系の研究者映画であるにもかかわらず、研究者がうまく描けていない事だ。

私は技術系の研究職を生業としているのだが、そんな職業であるためか、この映画を見て、

いかにも技術に詳しくない素人想像したリアリティの無い研究者が描かれていると

思ってしまったのだ。


そう思ったシーンはいくつもあるのだが、特に気になったのが、サバの骨から飛行機に関するアイデアを思いつくシーンだ。

このシーンで気になった点はいくつかあった。

例えばサバの骨の曲線がどんな数式で表されるのか分からなけりゃ飛行機設計に生かせるはずないんじゃないかとか、

飛行機に関して膨大な知識と経験を持つはずの主人公がいまさらサバの骨くらいで何かを思いつくのは考えにくいとか。

(例えて言うなら、小学生ちょっとした一言大学受験数学の難問が解けてしまったような荒唐無稽さを感じたのだ。

ちなみにニュートンリンゴ事実かどうかかなり微妙らしい。)


しかしこのシーンでもっとも気になったのは、(技術系)研究者が描けていない事だ。

研究者が本当になにか重要な事を思いついたのなら、突然場の雰囲気や目つきがガラリと変わるだろう。

さすがにその場で研究のためにサバの骨をいじくり倒したりはしないかもしれないが、

少なくとも心の中ではそうしたいと思っている事を隠しきれないはずだ。


だって思いついたばかりの感覚的なアイデアをその場で言語化できるかたちに落とし込まなければ、

あとで考え直したとき感覚が失われてアイデアが何だったかからなくなってしま危険があるから


から本音を言うと、私はこのシーンを見て、本当に飛行機を作りたいと思ってるのか?と感じてしまった。



さて、本論に入ろう。なぜ「風立ちぬ」はあまり理解されなかったのか。

岡田斗司夫の解説が正しいとすれば、この映画芥川龍之介の「地獄変」や映画アマデウス」の宮崎駿版だという事になる。

しかし「地獄変」や「アマデウス」に対しては「分からない」という声はあまり聞かれないのに、

風立ちぬ」に関してはこういう意見が多く出てしまう。


なぜか。それは前述の研究者が描けていない事と関係しているのだと思うのだ。


地獄変」や「アマデウス」は、小説家映画監督という「芸術家」が「芸術家」を描いたものだ。

から鬼気迫るシーンや天才故の生き辛さが印象的な形で活写される。


しか宮崎駿軍用機見る方のマニアではあっても軍用機作る研究者ではない。


もちろん、ただ技術研究者を活写すればよいだけなら、簡単にできる。

例えば先ほどのサバのシーンで、周囲に目もくれずサバの骨をいじりつづけ、「おいおい大丈夫か?」と

周囲に言われてしまう、なんてのを付け加えればいい。


しかしそれをやってしまうと、ほとんどギャグになってしまい、作品の雰囲気をぶち壊してしまう。


まり宮崎駿は作品の雰囲気研究者を活写する事を両立できなかったのではないか

岡田斗司夫によれば本作の主人公宮崎駿であるが、なら素直に芸術家主人公にすれば良かったのに、(軍用機を描きたいから)そうしなかった。

結果として研究者でない宮崎駿雰囲気を壊さずに研究者を描くという相当困難な作業が必要になった。


から本作の主題であるはずの「周囲を無視して飛行機を追い求める」という部分が説得力をもって描けず、

結果として「分からない」という感想のでる物語になってしまったのではないかと思うのだ。




追記:

風立ちぬ」が理解されないのは「物語」がないからじゃないかという、とても的確なトラバがついた。

これについては完全に同意だが、本稿の趣旨は「ではなぜ物語をかけなかったのか」、

物語はおろか印象的なシーンすらなかったのはなぜか」という理由の一旦を探ったものである

2013-08-18

パシフィック・リム眠い

パシフィック・リムを見てきた。

本来なら言うことはない。夏らしい平凡なポップコーン映画だった。

ただ、ネットの一部界隈では、映画監督姑息イメージ戦略にアテられたのかなんなのか、過大評価すぎるものが多く見えるので、細々と感想を書き連ねてみる。

パシフィック・リム怪獣大図鑑

映画監督が円谷ファンを自称しているらしいので、円谷のビデオソフトで例えると、パシフィック・リムは、怪獣大図鑑みたいなもの。(ウルトラマン戦闘シーンのみを編集したプロモーションビデオ

怪獣が暴れる映像のために他の全ては下敷きか犠牲になってる。ひたすら怪獣、巨大ロボ、衝突、破壊、爆発の繰り返し。

それらのアクションシーンには、見どころが沢山ある。細部までしっかり意味ありげにデザインされたロボットの造型。重量感。一進一退の攻防が次から次へと展開する。

人達を集めて、談笑しながら見るのなら、かなりいい作品だと思った。

ただ、それ一辺倒なので真剣に見るのには向いていない。映画館など黙って鑑賞せざるを得ない環境だと、ワンパターン過ぎて睡眠誘導になりかねない。

間というものが皆無だ。心を落ち着けて、さあこれから山場だぞ!というシーンなど無く、パチンコ屋にいるような騒々しさが延々と続く。

終わってみれば、心に残るもの特に何もない。

ウルトラマンとは違って、テーマ性は薄い。ドリフトというシステムで取って付けたようなお題目はあったものの、じーんと心に響くものではなかった。

怪獣個性がない

円谷ファンを自称する監督だが、本作に登場する怪獣には円谷作品のような多様性は一切ない。

全部クローンであるという設定と、欧米説得力の問題でああなったのかもしれないけれど、どれも土気色に水色の体液でカラーリングが一緒で、形態には差異があるものの、画面の暗さとそれに溶け込む暗い色のせいで大した差を見いだせない。

最終決戦には3体もの怪獣と同時に戦うことになるのだけど、そのときにはもうどれがどれかわからない状態になってしまった。

最後真打ちとして登場した3体目は、カテゴリー5(今までは4止まりだったのだろう、未知のタイプだ!と司令部が騒いでいた)と呼ばれていて、さぞスゴイ奴が出てくるのだろうと思ったら、気持ち大きいだけに感じる上に、乱戦してるうちに見せ場もなくボロボロになってしまった。

何のために盛り上げたんだ!

最終決戦のほうがしょぼい

本作では上記のように戦闘シーンに特化した結果、オリジナル作品にも関わらず原作ダイジェストを見ているような忙しなさを抱えることになったが、その対価として、大ボリューム戦闘シーンを2回もこなしている。

ただひたすらカッチョイイロボとでかい怪獣の戦いを表現したいというのなら、間違っていない選択だと思った。

ただ、なんで最後舞台を海底にしちゃったんだろう。

海底に開かれた次元の扉を閉じるために、主人公たちのロボットは海底を歩いて進み、そこを守る怪獣最後の決戦を繰り広げるのだけど・・・

深海なので画面が暗く、水中なので動きは鈍い。敵が3体でてくるものの、暗さと没個性が相まってただごちゃごちゃ戦っているだけという印象。

地上での戦いだけで良かったのではないか。前半のほうが凄く感じただけに鈍い上に乱戦でグレードダウンした感のある最終決戦は、視聴者にとっても集中力限界との戦いだった。

日本人キャラ差し込んだ弊害

マーケティングの一環なのかなんなのか、監督日本に対する愛情の現れなのかはわからないけれど、本作には日本人俳優メインヒロイン役として参加する。

現代ヒロインを演じた菊池さんのほうは、海外俳優に混じってなお遜色のない演技をしていた。吹き替えだと声が林原めぐみだし、かわいい

ただ、問題は子供時代回想シーンで。芦田さんという日本屈指の子俳優が演じたのだけれど・・・

最初フォローとして、泣きながら逃げるだけな上に、実在しないCG相手というハードルの高い演技であったろうことは言っておくとして。

ロングカットをほぼ彼女一人でやらせるのは荷が重かった。

日本トップクラスの子役と言えど、いざ洋画にでてみると、世界の子俳優の足元にも及ばないのだなということがわかる。

最後斜陽を背負うイェーガーを見上げる場面になると、お遊戯感が炸裂する。

”眩しくて顔に手をかざす”という行為感覚を理解していないのだろう。あのシーンだけ、最近ありがちなCGギトギトのダサい邦画を見ている気分になった。

ポップコーン映画として

全体的に見て、僕はこの映画は好きだ。

映像はやっぱりすごいとおもったし、音の使い方も凄く良かった。

主人公機が画面中央に現れるときには決まって「デューン」というジングルみたいな物が入るのだけれど、あれのお陰で暗くごちゃごちゃした画面でも、すぐに主人公機だ!カッケー!という気分を呼び起こしてくれるので凄く乗りやすかった。

ビデオを借りてきて家で見るのなら、下手な名作系の映画よりも満足感を得られる内容だろうと思う。

でも、最近ネットで見られるレビューのたぐいは、流行に流されて一辺倒になっている雰囲気がある。

まりに勢いがありすぎて、この映画面白く無いやつはわかってないという上から目線めいたものも見受けられる始末。

本作はそこまでのものじゃない。ただ映像がかっこいいだけの、ポップコーン映画だ。

この映画を見て満足感が得られなかったとしても、当然と思えることは上に書いたように沢山ある。

おそらく、監督は円谷作品のファンということを大々的にアピールしていたことが出火元のひとつであるように思うのだけれど、

それで釣られた人たちは、この映画を見終わって果たしてどう思うだろう。

環境汚染だとか、人類が力を合わせるだとか、円谷っぽいお題目かいつまんではいた。

でも、それだけだ。自分には、監督は一体円谷作品の何を見ていたんだ?としか思えなかった。

http://anond.hatelabo.jp/20130818083652

あなた脳内でディテイルまで完全にコードを思い浮かべることができて、実際のコーディングは文字通りそれを写し取るだけの作業だっていうなら、言い換えれば「コード書くのにエディタはいらね。catで十分」というのなら、あなたは優秀。現実にそういう人を一人知ってる。

脳内にそこまで明確なイメージが無いなら、「プログラマ」としての能力は疑問。「俺の頭の中には完璧映像があるんだが、実際に映画を撮るのは嫌い」って言ってる映画監督みたいなもん。ただ、アイディアを出してディテイルは他の人に作らせる、っていうポジションはあり得るから、そういうポジションでなら優秀。

2013-08-14

苦しい境遇かつ、自分に自信が持てず不安な人

既にフリーランスでそれなりに仕事をしている人が、「サラリーマンからフリーになる前にこういうことは考えておいたほうがいいよ」という趣旨エントリ執拗disっていたのが目に留まった。

あなたは既にフリーになってそれなりに長くやっていけてるわけだし、別にそのエントリ書いた人に「おまえフリーなんてダメだよサラリーマンに戻れ」と言われたわけでもないだろうに、何をここまでムキになっているのだろうと最初は思ったが、そういう問題ではないのかも知れない、と思い直した。

過去にその人は、ファストフードを食べ続ける映画で一山当てた外国映画監督に対する異常なまでの嫉みコメントアウトプットしていたことを思い出し、その時と同じような背景が継続してあり、あのような攻撃性を発現しているのかも知れない。

2013-08-10

向上心のある人とない人の世界の溝

http://anond.hatelabo.jp/20130809115823

読んだ。これこれ、これですよ。

凄い言いたい事が一杯ある。

低学歴高学歴世界の溝というのも確かにあると思う。

でも僕が20数年間生きてきて特に感じたのは向上心のある奴とない奴の世界の溝。

ただここでいう向上心って良い言葉が見つからなかったので向上心と言ってみただけで普通意味向上心とはちょっと違うかもしれない。

結論から言うとこの世界の溝も学歴と同じで結局は家庭環境次第だと思っている。


いきなりだが、記事元に習って身の上話をさせてもらうと、僕は結構発展した地方都市に代々住んでる一応結構いいとこお家の人間だ。

所属的にはたぶん高学歴世界の住人になる、但し育った地域はあまり良くないが。両親も親戚からあんなとこ子供を育てるような地域じゃないと言われたそうだ。

そんなこんなで僕は公立の小中と通ってたわけだけど、今思い返すとこの頃からもう如実に差がでてる、向上心のある奴ない奴の差が。

向上心のないクラスメイトって基本的に将来のことを何も考えてない。いや正しい言い方をすると考えられてない。

夢がないとかそういう意味じゃなくて自分の進路についてキャリアについて考えられるだけの知識を持ってないのだ。

なぜって親がそういう知識のない親だから、家庭がそういう知識のない家庭だから

向上心のある奴の家庭の典型って親が最低でも四大出でリーマンなんかのホワイトカラーなのだ

そういう家庭じゃないと20歳を迎えて社会に出たときにどういう社会があるのか、10歳やそこらの子供にはこれからどういう進むべき道があるのを教えられるだけの知識と教養がないからだ。

これって別に言葉で教わるわけじゃない。子供が感じ取るものだと思う。

子供は親の背中を見て育つなんていうけれどホントにその通りなんだと感じる。

DQNの子ってやっぱりDQNに育つ。差別的な意識だとは思うけども。

日本で育つ子供の進路って殆ど15~16歳高校入学辺りで決まっちゃう

でその15歳までに学べる人生プランバリエーションモデルとなる大人なんて数人しかいない。

親か教師か親戚か、あとは尊敬する偉人テレビ中の人くらいだ。って言っても偉人タレント生き方履歴書なんて普通はそうそう学べないレアケースだ。

結局のところ自分の身近にいる同性の大人に学ぶ所が大きい。


僕の場合は両親は共に大学院出で祖父は帝大の出だった。親戚には大学教授官僚医者ちょっとした文化人もいてた。

その中でも影響を受けたのが祖父の属した地域コミュニティだ。となり町の◯◯医院の◯◯先生は祖父の◯高(旧制高校時代同級生の子供だったり

お隣の前市長さんは◯高時代同級生の末の弟だったり、駅前の◯ビルは◯高時代の後輩のビルだったりする。

リアルや、ましてネットなんかからはまったく見えないのだがこういう地域の前時代高学歴お爺さんコミュニティ結構あったりする。

んで、まあこういう話を子供の頃から食卓で母から聞いたり、帰省した時に祖母から聞くわけだ。

◯◯さん家の長男が今度駅前開業医を始めるだの、◯◯さん家のお爺さんが今度受勲されるだのといった話をだ。

そういう感じで人格形成というか育ってきた僕にとっては大学ダメでもマーチレベル普通なら帝大といった感じだった。

しかし、親が高卒というかDQNの子供って違うらしい。15歳高校入学する時点でそういう考えが頭にないのだ。

漠然自分高卒で働くんだろうなとか、大学いけたらいいなくらいに考えてる。

もうこの時点で差がすごい。地頭かいうけどやっぱり時間勉強できる準備時間認識のハンデは大きい。

こういう子供がいざ18になって大学に入ろうにも当然、偏差値の高い大学には入れない。

加えてそれを当然と受け入れてしまうので、そこから頑張ってもっと上を目指そうなんて向上心も生まれない。

かくして順当に、良い家庭の子供は良い学校に進むし、違う家庭の子供はあまり良い学校へは行けない。





ここまで長々と凄い当たり前のことを言ってきたけど、のようで、これが見えてない人って僕の周りですごく多い。

きみが、あなたが、10歳やそこらのとき自分が将来どこに向かいたくて、そこへ向かうにはどうればいいのか、それって誰に教わったの?聞いたの?って尋ねたい。

それは当人の生まれや環境に教わった部分が大きいのだ。

僕がこういうことを考えるきっかけになった友人がいる、彼は両親ともに高卒ぼんやりと俺も高校でて働くのだろうなと思っていたら、高2の頃両親に大学へは行けと言われて当惑したそうだ。

何に戸惑ったかって、大学に行って何をすればいいのか分からないし、それ以前に仮にしたいことがあってもそれをするのはどこのどこへ行けばいいのか、ということが皆目分からなかったからだ。

子供にとって重要なのはやりたいことがあるかないか、夢があるかないかではなくて、そのやりたいことや夢を叶えるにはどうすればいいかを知っていると大人が近くにいることだと思う。

よく夢を持て、でっかい目標をたてろだのと教えられるが、そんなことよりも10の子供にはこれからどんな分岐路があって、その先の未来はどこに続いているのかを教えるほうが遥かに有益だろう。

くだんの友人は取り敢えず大学に入って、そこでやりたいことを見つけ、今はそのやりたい事を仕事にしている。

大学にさえ入ってしまえば世界は大きく広がるし、自分には無数の選択肢があるのだと気付けるということなのかなと思う。



僕も就職したが、同じ業界高卒一般職の子と仲良くなって色々話してみるとやっぱり考え方の違いに面食らうことが多い。

だって公立の小中に通いあまり柄の良くない知り合いもいたのでまったく知らない世界ではなく、驚愕したとまでは言わないのだが

素直にまったく違う考え方を突きつけられるとやはり、理解できない思考回路に少しイラツキをおぼえてしまうのだ。

の子がその企業に入った理由は親が同じ職業からだそうだ、なにかやりたいことは他になかったのかと聞いてみると、特にないという。

楽しいことは友達と遊ぶことであり、現状には結構満足していて、お金が貯まれば今付き合ってる彼女結婚したいとか。

これはこれで全然良いとも思うのだが、この子薬剤師会計士自営業起業家戦場カメラマン映画監督についてそういう職業があるかどうかと

自分がその道に進むか少しでも考えてみたことがあるかと聞いてみると、驚く程偏りがあるのだ。結局この子がなってみようかと少しでも考えたことがあるのは

中学ときにやっていた野球選手と親戚がやっている自営業くらいのものだった。

職業生き方について知っているかどうかと、そのそれぞれについて自分がなってみようかと少しでも考えられるかどうか、この二つを持ち合わせているか子供達にとってどちらも非常に大きい格差だと思う。

まずこの子会計士についは存在すら知らなかった、知らないものにはなりようがないし、目指しようがない。

次に戦場カメラマンについては知ってはいたがなろうなどと考えたことは一度もなかった。

なぜかと聞いてみたが、軽く笑って流され、それでもしつこく真剣に考えてみてと迫ってみると、少しまじめに悩まれた後、やっぱりなりたくありませんよと返された。

ここで大事なのはこの悩むということが、一瞬でもそういう道が自分には有り得るのかが、高校大学入学までに頭をよぎることがあるかないかだと思う。

の子にとってはプロ野球選手は、部活の延長線上として未来自分の一つの姿たりえたかも知れない存在だったのだ。少なくとも考えるべき材料は持っていた。

逆に戦場カメラマンというのは存在は知っててもそれはあくまで自分未来選択肢としては欄外、というレベルでもなく、そもそも欄内にも欄外にも存在しない要素だったのだ。

そういう意味合いでは10歳の頃の僕は選択肢を、なれるなれないは置いておいて取り敢えず沢山知っていたと思う。

医者弁護士会計士だってこれから頑張って勉強すれば手の届く存在だと考えていたし、海外で生きていくスタイル戦場カメラマンフリーライターのような生き方だって

自分が目指すことのできる道なのだ現実的に捉えられていた。もちろんフリーター無職ニート選択肢の一つだった。すごく恵まれていたの思う。

よく子供には希望ある未来が、無限の可能性がなどと言うが、少なくともDQN家庭の子供には無限の可能性などない。

せいぜい極めて限られ有限個の可能性だけだ。無限の可能性というのは、その子供自身が無限の可能性の存在を知っていないと持ち得ないものなのだ




まあそうして向上心のないまま道を決めた人たちと話をするのだが。

自称向上心のある僕にとって、こういう人たちと話をするのはちょっとばかしストレスが溜まったりする。

なんでそんなに向上心がないんだとイライラしたり、そういった現状に満足してしまっていることにもイライラしたり

おそらくは詰まるところ自分と違った考え方に拒否反応を起こして苛立っているだけなのだろうが、次に続く思考は彼らを見下しまうことだったりもするから少し自己嫌悪にも陥ったり。

彼らにも彼らの言い分があるだろうからやはり両者は相容れない存在で、溝は深まるばかりなのかと思う今日この頃である

書き出しと矛盾してしまうが向上心のない人間なんて本来いないと思う。

数撃ちゃあたるのだ、僕だって親が農家農家以外の選択肢を知らなければあらゆることにやる気が起きず不貞腐れた人生を送っていたかもしれない。

でも親が農家だろうと、宇宙飛行士にも坊主にもバイオリン職人にもなれることをその方法を知っていれば、俺は絶対バイオリン職人になってやると意気込んでいたかもしれない。

願わくばこれから生まれてくる子どもたちが

自分には沢山の選択肢と、そこに行き着くのに必要ものが何なのかを知れる環境で育って欲しい。

2013-07-20

http://anond.hatelabo.jp/20130720215447

4時間もよくそんなバカの妄想話に付きあえたな。

護憲派映画監督その他がロクに法学も知らないのに適当なことを吹聴してるのと同様、その劇作家も思いつきをもっともらしく吹聴してるだけだろ。

自分自身が主張するんじゃなく他人の主張を偉そうに「分析」などして悦に入ってる分、余計タチが悪い。

これは俺の勝手偏見だが、クリエイター系の人種ってのはまともに勉強もしてないのに自己顕示欲だけはやたら強いもんだから生噛りで適当なことばかり言ってる。

あいつらの言うことは基本とりあう価値ないよ。

随分前の話だが、その界隈では著名という劇作家が某大学公開講座みたいなのをやってた

テーマは、大衆専門家も「ストーリー」との親和性呪縛から逃れるのは難しい、というもので、古今東西いろんな物語存在するが、人が好む王道パターンは大体決まっていて、それに合致するかどうかは政治世界にも当てはまる、というもの

二部構成の前半は、物語観点から見た政治家、みたいな話

覚えてる範囲では、嫌われる政治家には大体の共通点パターンがあり、大まかに分けて「ストーリーにおける悪役・悪玉的な個性の持ち主」か「キャラクター自体が破綻している人」のどちらかに分類されるそうな

典型例として前者は小沢一郎後者鳩山由紀夫(名前を出した時聴衆も「あーなるほど(笑)」とちょっと苦笑していた)

もっとも、どんなストーリーにも悪役に共感を覚えてる人はいもので、そういう人達小沢一郎を今も健気に支持し続けているが、存在自体がストーリー破綻させるような個性の持ち主である鳩山由紀夫には、大衆不快感しか覚えないんだとか

・主義主張が脈絡無くいきなり変わる(読み手が納得するようなエピソードや演出があるなら変わっても良いが)

・困難な状況に直面しても挫折も成長もしない(行動に対して結果を用意するというストーリー構成の原則を無視している)

行為に対する相応のペナルティが発生しない(今も日本有数の大富豪)

この辺が駄目なんだそうな

後半は、映画監督小説家劇作家護憲思想との親和性の高さに関する分析

まずは憲法改正に否定的な思想を持つ上記の職種の有名人を羅列していき(今をときめく某アニメ映画監督名前もあった)、彼らには世界がどのように見えているのかを分析するというもの

これも大まかにしか覚えてないが、こんな感じらしい

民族としての日本人、もしくは日本国主人公と位置づけている

主人公は弱いまま勝利しなければならない。強くなったら勝つのは当たり前なので駄目(反自衛隊的な思想との親和性)

・武力や暴力によって問題を解決するのは駄目。知恵や人徳といった非暴力的な要素で克服しなければならない(それが物語における作家の腕の見せ所なので)

主人公過去の過ちに悩み、けじめをつけなければならない。悩みもなく失敗もしていない主人公には魅力が無い(戦争責任慰安婦問題との親和性)

他にも色々あったけど、こんな感じだった

で、彼らがアメリカの横暴には敏感で、中国北朝鮮韓国等の不条理に鈍感な理由としては、

アメリカ最初から強者であり、また主人公過去に打ちのめしている存在。これは物語おいては主人公がいつか倒すべき敵であり、悪逆非道存在でなければならない

中国北朝鮮韓国はかつて日本が自らの過ちにより傷付けた相手であり、そういう相手と和解をしないまま主人公ストーリーを完結させることは出来ない(この劇作家弟子がそういう粗筋を提出した際は必ず注意するという)

・そんな敵が主人公と手を組んでいる状況(日米同盟など)は、ストーリー的には「主人公を騙して利用しようとしている卑劣な敵」に合致するので、アメリカに批判的になりがち

・そして前項のように主人公は弱い(強大な力を持っていないという意味)ので、打ちのめされた相手はさらに弱くなければならない

中国北朝鮮韓国日本に敵対的なのはストーリー的には」「しっくりくる」ので、言動の理不尽さもあまり気にならない

・そんな「主人公より弱い被害者」が、主人公(日本)や敵(アメリカ)より強大で非道存在であるのは「ストーリー的には」「しっくりこない」ので、無意識あるいは本能的に思考から排除してしまう傾向がある

というような話を、古典文学から最近漫画アニメを引き合いに出しつつ、約4時間かけてやっていたが、あっという間の時間だった

2013-07-18

参議院議員選挙についての雑感――自民党ブラック企業

若い世代の方にとって、今回の参院選ではどういうことが話題になったでしょうか。「ブラック企業」と名指しで批判されることも多い、ワタミ渡邊美樹候補を自民党擁立したことでしょうか(ここではワタミが実際に「ブラック企業であるかどうかは問いません)。

ブラック企業」と呼ばれる企業は、労働基準法抜け道をつかい若い労働者を長時間働かせます。もちろん、低賃金で、です。そのような扱いを受けた労働者のなかには、体調を崩し、「うつ病」に近い状態になり働けなくなってしまう人もいれば、自殺をしてしまう人もいます。「ブラック企業」は、どうしてそんなひどいことをするのでしょうか。

ブラック企業」の経営者は、国内や国際の市場における競争に勝つためには、経営努力必要であるといいます。つまり、売上を増やし、売上をつくりだすために必要コストを最大限に下げるのです。際限なくコストを下げようとするとき、まっさきに削られるコスト人件費、つまり労働者賃金です。

そんなひどい低賃金長時間労働をさせられるのなら、退職すればいいじゃないかもっといい会社転職すればいいじゃないか、そうすれば「ブラック企業」などなくなってしまう、と考える方もいるかもしれません。

しかし、現代就職難の状況では、生活していくためのお金を稼ぐために、厳しい労働環境職場を選択しなければならない人々がたくさんいます。誰かが退職しても、いくらでも新しい労働者が「ブラック企業」に供給されるからこそ、「ブラック企業」のようなやり方を続けていくことができるのです。「ブラック企業」は、「お前がやめても代わりはいくらでもいるぞ」と労働者恫喝します。だから労働者労働環境改善するような声を挙げることが非常に難しくなってしまます

まり、「ブラック企業」で働く労働者には、企業の言いなりになって奴隷のように働くか、退職して厳しい求職活動を行っていくかの2択がつきつけられるのです。背に腹は代えられません。いくら低賃金でも、お金がなければ日々を生きていくことはできません。その結果、労働者自分の自由を犠牲にしてでも、ブラック労働環境で働きつづけることを余儀なくされます

さて、一部からブラック」と呼ばれる渡邊美樹候補は、こんなことを言っています。つぎの演説をみてください。

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/90354

この演説のなかで彼はこう言っています

日本のこの国を立て直すとしたらですよ。確かに社会保障費、そう動かせないお金もありますしかし半分にしたらですよ。この国、立ち直るんですよ!」

国には、たしかに「経営」としての側面があります。その点では、国の運営にかかるコストを少なくすることが大事でしょう。

ワタミ渡邊美樹候補は、会社経営を合理化するように、社会保障費を縮小し、国の経営を合理化したい、と言っているのです。

社会保障費」は、働けなくなった人、病気をした人、高齢者などの生活を支えるための重要費用です。すこし前に、生活保護不正受給が問題になりましたが、実際のところ、生活保護不正受給というのは、全体のわずか1.8%にすぎません(2010年データ)。もちろん不正受給は許されるものではありませんが、専門家は、生活保護に関してはむしろ、本当に生活保護必要な人に支給できていないことが問題だと指摘しています。つまり、実際には生活保護必要なのに、生活保護が支給されていないケースが非常に多いのです。

このように考えると、渡邊美樹候補の主張に疑問を感じる方も多いのではないでしょうか。

からワタミ渡邊美樹候補を批判しつつ、彼を擁立した自民党を支持するという意見を聞くことがあります

しかし、そのような立場は本当に正しいのでしょうか?

国の経営を合理化し、国際競争に勝つために労働基準法そっちのけで労働者使い捨てるいわゆる「ブラック企業」の精神は、現在景気を回復させはじめた経済政策アベノミクス)を武器に、さまざまな労働改革を行い、社会保障を引き下げ、生活することすら困難な日本に住むマイノリティを排除しようとする自民党精神と同じであるように私には思えます

いわゆる「残業代ゼロ法案」であるホワイトカラーエグゼンプションを推進したり、企業労働者解雇やすくする解雇規制緩和を推し進めようとしているのは、自民党です。安倍首相は、アベノミクスによって60万人の雇用をつくりだしたと主張していますしかし、実際に増えたのは非正規雇用が116万人であり、正社員は47万人減少しているのです。国の経営合理化によって、今後も不安定な非正規雇用を強いられる傾向は、今後どんどん高まっていくのではないでしょうか。

そのほかにも、自民党憲法を改正し、立憲主義の原則を取り壊し、これまで保障されてきた基本的人権を縮減し、自衛隊を「国防軍」として位置づけることによって、日本軍事力を明確にもつことができるようにしようとしており、その点でも多方面から批判されています

しかし、それでもなお、自民党経済政策に期待する声があります

そういう人は、おそらく次のように考えているのではないでしょうか?

―― 「国際競争のなかで日本が負けてしまったら、大変だ。うちの会社がつぶれると、自分も食えなくなる。だから自民党の多少の欠点には目をつぶって、日本をうまく経営してもらいたい。それが結局のところ、自分利益にもつながるのだ」、と。

しかし、この考えは、「うちの会社ブラックだけど、自分サビ残してでも何とかしないと、自分の職がなくなるから困る。食えないのは困るから、ここで働くしかない」という、「ブラック企業」で働くことを余儀なくされている労働者の考えとまったく同じです。

ブラック企業」やそれに近い労働環境で働く人たちは、自分のことを「社畜」などと呼んで、ブラック労働環境ネタ化して、無害化することがあります。ならば、「ブラック企業」と類似した考えによって行われる経済福祉政策を肯定する人たちは、自分のことを「国畜」と呼ぶのでしょうか。

社畜」「国畜」などとネタ化すると、本質が見えなくなります。それは、たんに「奴隷」なのです。賃金がなければ、お金がなければ生きていけないから、基本的人権は制限されてもしょうがないし、社会保障はどれだけ削られてもしょうがない、という考えは、お金という鎖につながれた奴隷以外のなにものでもありません。

無理やりの原発再稼働、ブラック企業正当化国防軍必要だという声。これらに共通するのは、恫喝ものごとを動かそうとすることです。権力者はつねに次のように言います。「原発を動かさないと経済ダメになるぞ! 労働基準法など守っていては国際競争に負けてしまうぞ! 中国韓国に侵略されるぞ! 」、と。

このように、危機に乗じて威圧的論理をつかい政治を動かそうとすることを、ナオミ・クラインは「ショック・ドクトリン」と呼んで批判しました。

もっと簡単にいえば、それは「(現在の危機に対して)いつやるの? いまでしょ! いまやらなければ、さもないとひどいことになるぞ!」という論理です。

こういう論法は非常に威勢のいいものです。たしかに、いますぐ何かをやって、変えてくれそうな気がします。しかし、その一方で、「いま」の危機がどういうものであるのか、という点は覆い隠されてしまます。たとえ国際競争に負けるからといって、過労死者をだすような労働環境正当化されるでしょうか。たとえ経済ダメになるからといって、活断層の上にある原発を動かしていいものでしょうか。

その意味で、例の「いつやるの? いまでしょ!」の人は時代の申し子というか、およそ考えうる最高の(最悪の)タイミングで出てきたわけです。

少しうがった見方をすると、ワタミ渡邊美樹候補というのは、今回の参議院選挙における自民党支持のための逆説的装置なのではないでしょうか。

まり、こういうことです。――世の中では、自民党の勢力が強いらしい。かといってその流れに単に乗るだけでは自分は「自由」ではない。しかし、ワタミ渡邊美樹候補を批判することができる私は「自由」であり、自分で「主体的に」政治についての情報を得ている。だから私は政治を「知っている」。 このように考えることができるというわけです。

要するに、「ブラック企業」といわれるワタミ情報インターネットから得て、それを批判することによって溜飲を下げ、安心して「自由な主体」として自民党を支持できるというわけです――「私は自民党にどっぷり浸かっているわけではない、批判もしている。それゆえ私が自民党を支持することは自由の証である」、と 。

しかし、そのような「自由」は本当の意味での自由でしょうか?

この参議院選挙のあと、自民党憲法改正にむけて大きく舵を取ります。彼らの改正案は、どういうものでしょうか。

その一番の特徴は、基本的人権を守ろうとする姿勢が大きく後退していることです。たとえば、自民党改憲案では、表現や集会や言論の自由は、たしかに保障されていますしかし、この自由は「公益及び公の秩序を害することを目的」とする場合には、保障されません。この規定によって、たとえば今の政府についての批判を行うことが「公益及び公の秩序を害する」と権力者が判断すれば、そのような批判は制限されてしまます政府を批判することすらできなくなってしまう可能性があるのです。

もちろん、批判する必要のないほど完璧政府であればいいでしょう。しかし、日本に生きる全員にとって「完璧政府」などというものが、はたしてありうるでしょうか。

それでも、景気の回復だけを理由に、自民党を支持することができるでしょうか?

こういう逸話があります

ある男が暴漢に拳銃をつきつけられ、「自由か死か!」と問われますふつう、死にたくはないですから、「自由」を選びますしかし、「自由か死か!」という二択を迫られたときに「自由」を選んでしまうことは、その選択を暴漢から強制されることにほかなりません。ならば、その男は、自分が自由であることを示すためには、「死」を選び、自由を放棄するしかありません。こういう逆説がいま、現実に起こっているのです。

経済政策武器に、私たちの自由を奪うような憲法改正を行うとする自民党を支持することは、自分が自由をもっていることを示すために、表現の自由も思想・信条の自由も、さらには基本的人権すら売り渡すことに他ならないのです。

実際に、いままさに私たちの「表現の自由」が制限されはじめつつあります。興味のある方は、次の記事をしっかりと読んでおきましょう。

http://kiikochan.blog136.fc2.com/?no=3113

世界歴史の至るところで、私たち私たちの「自由」を獲得するために、数多くの努力を行ってきました。その結果が、現行の憲法の「思想及び良心の自由(第19条)、表現の自由(第21条)、学問の自由(第23条)」です。こういった自由は、おそらく、あっさりと奪われてしまます。そして、こういった自由をふたたび取り戻そうとするときには、数多くの血が流れることは間違いありません。そのことは、歴史証明しています

すでに長くなってしまいました。

しかし、もう少し伝えたいことがあります

ここまで読んできてくれた方のなかには、「いや、そうは言っても外交問題などは、自民党以外にはまかせておけない」と言う方がいるかもしれません。

ところで、今の若い世代の方のインターネット上の発言をみていると、少なからぬ方が、いわゆる「2chまとめサイト」(「痛いニュース」「保守速報」「アルファルファモザイク」など)のURLSNSに貼り付け、それを情報源として政治について語っていることがよくあります中国韓国北朝鮮といった東アジア外交問題に関しては、とくにその傾向が強いように感じます

しかし、そのような「2chまとめサイト」を情報源として利用することは、とても恥ずかしいことだと私は思います

なぜなら、いわゆる「2chまとめサイト」は、その名の通り「2chで話題になったことをまとめた」ものではないからです。

この点について興味のある方は、次のURLを参照してください。

http://anond.hatelabo.jp/20130705113110

若い世代の多くの方が、「2chまとめサイト」をTV週刊誌などのマスコミから伝えられる情報とはちがった「自分で手に入れた真実情報」として受け取っていますしかし、「2chまとめサイト」は、その話題を提供するプロセスから、その記事作成に至るまで、実はごく少数の人物によって管理されているのです。

多くの「2chまとめサイト」は、嫌韓民族差別ネタを娯楽のようにパッケージ化して私たち提供しています。本当に愚かなことですが、「差別」はもっとも簡単に娯楽になるのです。差別を娯楽として提供することが一番PVを稼げるから、結果として思想的な偏向を生み出しているわけですね。

しかし、その娯楽を享受し、そのURLを嬉々として貼り、情報/娯楽として消費する行為は、まるで、いとも簡単に餌につられ、その餌に群がる昆虫のようではないでしょうか?

少し、個人的な話をさせてください。

私はたぶん2chとの出会いは早かったほう(たしか2000年)だと思います

2ch最初に見たとき、歯に衣着せぬ酷い書き込みの嵐に、「あ、これが筒井康隆が言っていた「ブラックユーモアは厳しい自己認識の手段である」ということなんだな」と思いました。そのことをよく覚えています

作家筒井康隆の作品には、さまざまな差別ネタや障害ネタが登場します。そのため、筒井は「2ch以前から一人で2chみたいなことをやっていた人」のように言われることがあります

しかし、彼の作中での差別や障害ネタは「差別を見て笑って/楽しんでしまう私のおぞましさ」を発見するための装置なのである、と筒井は語っている。私たちは、いくら「差別はいけない」と思っていても、実際に差別を目にしてしまったときに、笑ってしまう、その差別を楽しんでしまうことがあります。そういう「私」のおぞましさを発見させてくれるのが、「厳しい自己認識の手段としてのブラックユーモア」だということです。

文学価値としてはパロディよりもブラックユーモアのほうが高いとされている。なにしろ ブラックユーモアは16世紀のイギリスで発生してこのかた5世紀というスウィフト以来の伝 統を持っていて、それはすなわち死体をもてあそび、宗教冒涜し、病人をいたぶり、糞尿を 好み、身障者を笑いものにし、極端な人種差別をするというものであることはご存知のとおり である。それはまさに人間が、人間であることによって否応なしにもたされた醜さをすべて暴 き立てられ、鏡のごとく自分の醜さに対面させられ、叫ぼうがわめこうがどうしようが、それ を自らの笑いによって証明させられて認識せざるを得ないという、いわば厳しい自己認識手段 なのである。この伝統を守り、20世紀の日本などという建前社会おいて消滅させたりして はならないと孤軍奮闘してきたつもりであったが、今や世の底流はほうっておいてもブラック ユーモア指向しはじめた。「偉い人」だの「尊敬すべき人」だのといった言葉が出てきた限 りは、以後そういうことを言い出した人自身が自分の醜悪さの中にまみれてもらわねばならな い。どうやらまた何かしら倫理を作ろうとする連中がちらほらしはじめている。人間人間倫理など作れるほどの偉いものなのかどうか、自分の魂の地獄サイコダイバーとなっており ていってもらい、じっくり見てもらおうではないか。もちろんおれも一緒だ。安吾先生ではな いが、堕ちるところまで堕ちた人でないと倫理の何たるかすらわからない。

(『笑犬樓よりの眺望』http://sound.jp/kita-g/black.htm より引用)


初期の2chには、おそらく「厳しい自己認識の手段」としてのブラックユーモアがあったように思いますしかし、現代の「2chまとめサイト」は、その差別ブラックユーモアを単に娯楽として消費されるようにパッケージ化しています

こういったサイトの「情報」をもとに、政治の話をするのは、もうやめにしませんか?


最後に、映画監督想田和弘さんと、哲学者木田元さんが今回の参院選について語った言葉引用しておきます

マジでおかしいよ、自民党マジでブラック化している。 」

「僕は別に自民党に恨みがあるわけじゃないんだけどいまだに原発進めたり海外に売ったりTPP公約違反を犯してだまし討ちで進めたりトンデモ改憲案を出したり軍法会議検討したり生活保護切り崩したりワタミ会長公認したりとあまり最近ブラック過ぎて絶対投票するのはやめて欲しいと言いたい。 」

時代には勢いがあります。今ならば、ちょっと右寄りの方がかっこいいとか、そろそろ憲法改正必要だとか、昔日の日本の威光を取り戻そうとか、そういう動きですね。それらに安易同調したり、勝ち馬に乗ろうとしたりすると、とんでもないことが待っているかもしれない。… 戦前日本孤立を決定づけた国際連盟からの脱退に国民拍手喝采しました。その愚を繰り返さないように立ち止まって考え、『勢い』をチェックして、場合によっては抑えることが必要でしょうね。賢さと言い換えてもいい」

http://

2013-07-03

http://anond.hatelabo.jp/20130703213121

やる人から見てどうなのか

考えてみたらどうなのか

何をやっても同じにしかならない物

いじっても何も変りが無い物

言葉悪いけど作者が自己満足で作ったストーリーをただ一方的に流してるのを見るだけで

そういう物にお金を出すのかどうか

何度もやりたいと思うのかどうか

ゲームはいじれるからゲームなんだと思う

いじれなきゃ映画

しか映画監督でもない人が作った支離滅裂な映画

しかも話を進めるのにいちいち作業を伴う面倒な映画

やる人の求めてるものと今の作る人の求めているものが違いすぎるんだと思う

2013-06-21

[]Wikipediaパクリ、それもかなり偏った視点パクリ

犯罪事実報道すること。捜査機関からの発表や裁判から犯罪の原因を分析し、犯罪が二度と起こらないよう提言する再発防止の目的がある。犯罪者実名や生い立ち、犯行内容を報道することによって犯罪者社会的制裁を加え、再犯予防を図る特別予防効果がある。

犯罪報道とは - はてなキーワード

犯罪報道には、捜査機関からの発表や裁判から犯罪の原因を分析し、犯罪が二度と起こらないよう提言する再発防止の目的がある。映画監督是枝裕和は、テレビ犯罪報道を行う目的は、犯罪を生んだ背景を考え、その原因を個人の「心の闇」に帰すのではなく、自分たちと地続きなものととらえ、社会を考える材料にするためだろうと指摘している[6][7]。

また、犯罪者実名や生い立ち、犯行内容を報道することによって犯罪者社会的制裁を加え、再犯予防を図る特別予防効果がある[8][9]。これについて是枝は、犯罪報道司法に先立って社会的制裁を加えるためにあるのではないと指摘している。司法犯罪を個人の責任と考えるのに対して、ジャーナリズム社会により責任を見出そうとするからである[6][7]。

犯罪報道 - Wikipedia

はてなキーワード慰安婦」でもid:dj19などに対して偏った編集行為をした、id:barnumkoukaによる編集になります

Wikipediaにある「映画監督是枝裕和は、…」と「これについて是枝は、…」で始まる文章が抜け落ちています。これらはそれぞれ、直前の文章による説明のカウンター意見になりますので、削除するのは一方的ではないかと思われます

id:barnumkoukaによるはてなキーワード犯罪報道」の編集は、Wikipediaパクリ、それもかなり偏った視点をもったパクリです。

2013-02-25

 

宮崎監督は単なる娯楽映画監督ではなく、

常に現代政治的・社会的・思想的ムーブメントを作品に反映させているように見える

それは娯楽性を追求した先に生まれたのか?それとも政治的・社会的・思想的ムーブメントベースにつくったか

最大級の娯楽作品になったのか?考えても意味のないことである

  

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