華原朋美と付き合ってるってのは本当なんだろうか。。。
ま、どっちがどっちということもないんだけど、なんか、いろいろ、いや。
女児は、3DSでインターネットの出会い系サイトに接続し、両容疑者と知り合った。女児の親はネット接続できないようゲーム機を設定していたが、女児が解除したという。
http://anond.hatelabo.jp/20131105232943
確かに自己欺瞞かも知れませんね。
少なくとも悦に浸りたいとまでは思っていないので、
早く自然とS子のことは思い出さない、考えないで済む状態になりたいです。
ちょっと軽くなりました。ありがとうございます。
自動車の運転が下手だった。
今でも上手とは言えないけれど、ましという水準にはあると思う。
心がけたことはものすごく基本的な事だが実践しようとすると難しい。
当然のことをできない人は運転が下手ということなのだけども。
踏力だけではなく踏むタイミングもすごく大切。
カーブの手前で減速する。ハンドルを切りながらブレーキをかけない。
前の交差点が赤信号なら早めに減速して、速度が十分に落ちてからブレーキをゆるめにして停止。
一定あるいは徐々にブレーキを強めていくような操作は、同乗者にとっては怖いことがある。
カックンブレーキでは乗り心地も悪いし乗り物酔いもしやすいし。
シートの背もたれを起こす。シートベルトが機能した際の安全にも関係する。
ブレーキペダルを思い切り踏み込んで、足がぎりぎりで伸びきらない程度にシートを調整。
腕が伸びきらず、ステアリングホイールを抱え込まない姿勢にする。
頭が天井すれすれになるまでシートを高くするのが個人的な好み。
運転する自動車の全長と全幅と全高についておおまかな数値を覚える。
赤信号で止まった時や駐車場に停めた時にはドアミラーで車体と白線の位置関係を確認する。
何に乗っていたっていいのだけど、プリウスはよろしくないと思う。
他にも運転しづらい自動車はあるけれど良く売れているので挙げてしまう。
楕円のステアリングホイールに違和感がある。
Aピラーが寝ているので見切りが悪い。ハッチバックなので後ろも見えづらい。
もちろん何であろうと慣れてしまえばどうということはない。
ぽつりぽつり喋っててもお互いに心地よい距離感で過ごせる間柄ってのが、気のおけない関係ってやつだろ。
中身のない会話を続けて疲れるより、そういう友人つくりって大事にしなよ。
わざわざ自分がお金を払って購入したモノ(有料アプリ)に多少のポジティブなバイアスがかかることは避けられない。
だから、他人にオススメしたくなるほど良いモノだと思えてしまう(思い込む、信じる)傾向になるだろうし、それを否定しクソアプリだと認めることはとても辛くて耐え難い。
昔増田に「ソーシャルゲームの予算規模を軽くまとめる」を投稿した元ソシャゲ屋です。
http://anond.hatelabo.jp/20110918202040
島国さんがアイテム課金の強さを解いたブログ記事が読む人を納得させるつもりが全くない手抜きな記事でしたので、
僭越ながら俺が代わってアイテム課金ゲームの未来地平線を語らせていただきます。
10年後のアイテム課金ゲーム業界。生き残っている会社は精々片手で数える程です。
その数社が運営しているタイトルはおそらく20タイトル前後程度。
そしてそのゲームはつまらないです。パズドラの100倍はつまらないゲームになっています。
しかし、そのつまらないゲーム20タイトルを運営する5社で市場規模はコンシューマ業界よりもはるかに大きくなっています。
どうしてそういう未来になるか。
アイテム課金ゲームはコンテンツではなくサービスであり、サービスビジネスの世界ではトップクラスの企業しか生き残れないが、
トップクラスの企業だけはどこまでもサービスを拡大して膨張していくものだからです。
コンシューマーゲームはコンテンツ9:サービス1くらいにコンテンツという側面がでかい商品です。
対してアイテム課金ゲームはサービスが9:コンテンツが1くらいで限りなくサービスに近いコンテンツです。
ここではコンテンツとは「表現に対価を払うもの」という意味で使います。
漫画はコンテンツです。漫画という表現に対してお金を払います。音楽、映画、小説、芸術品などもコンテンツです。
電車はコンテンツではなくサービスです。目的地により速く移動するサービスを受けるものです。SNSやスーパーもサービスです。
コンシューマーゲームは(将棋ゲームのような例外をのぞいて)コンテンツです。
アイテム課金ゲームでは絵やストーリーやゲームシステムのような表現に相当する要素は無料ですから。
満足感、達成感、優越感です。アイテム課金ゲームはお金を払って満足感や達成感や優越感を買うサービスです。
最近のカードゲームの絵は本当に豪華ですが、絵のクオリティという表現に対して対価を払うプレイヤーはほとんどいません。
時間はかかるミッションをすぐにクリアできたという満足感への対価としてお金を払うのです。
ものすごく強いデッキが完成したという達成感への対価としてお金を払うのです。
誰も持っていないレアカードを持っているという優越感への対価としてお金を払うのです。
そしてビジネスにおいてコンテンツとサービスにはその広がり方に大きな違いがあります。
コンテンツは表現を売るものなので、無数の表現、無数のコンテンツを生み出すことができます。
例えば日本におけるコンテンツの代表例である漫画を見てみればすぐに分かります。
アマゾンで新刊コミックを見てみると実に膨大な数です。どれだけの数があるのがわからなくなるほどたくさんの漫画があります。
それぞれの漫画は共存しています。ワンピースが圧倒的に売れていても漫画がワンピースだけになったりすることはありません。
サービスでは事情が180度変わります。サービスの世界では一番優れたサービスだけが生き残ります。ほかはどんどん死んで行きます。
わかりやすい例として検索エンジンを上げてみます。検索エンジンと言えば、Google、Yahoo!、Bing、日本はこの3つでほとんど全てのシェアを占めるでしょう。
検索エンジンはサービスです。サービスの世界にあるのは利便性とコストパフォーマンスだけです。かなりはっきりと優劣がついてしまいます。
アイテム課金ゲームはサービスです。検索エンジンと同じでサービスの良さが勝敗を分けます。
スケールメリットを追求し最高のコストパフォーマンスで達成感を販売するサービスだけが生き残るビジネスです。
スケールメリットを追求したアイテム課金ゲームはどんなものになるでしょうか。
スケールメリットのためにはなによりもまず利用者の数です。俺は前の記事でも言ってましたがソシャゲは人口です。人口が全てです。
日本のほぼ全人口を獲得するために、キャラクターは老若男女が受け入れられる無難なキャラクターに、ゲームのルールもとにかく無難に、
ゲームの難易度も無難に(誰がどんなプレイの仕方で遊んでもあまり変わり映えしないように)、とにかく無難でありがちな要素で固めつつ、
クオリティは圧倒的に高く、ゲーム画面はとても見やすく、ルールはとにかくわかりやすく、サーバーとの通信はとても高速で快適に、
達成感販売サービスとしてのクオリティとスケールメリットを追求したゲームになるでしょう。
その結果としてコンテンツとしての側面は極限まで薄れ純粋なサービスになります。
コンビニでお菓子を買うように、知り合いと軽くお茶でも飲むかのように、今のSNSのように誰もが自然に利用するサービスになります。
お酒の席で仲良くなった人と一緒にミッションに出かけて3分で終了するのが挨拶代わりのサービスになっています。
そのゲームは空気と同じで誰もが当たり前のように利用するサービスになっています。
そのゲームの課金はガチャ1回300円で何が出てくるかわからないなんてヤクザな課金ではありません。
パズドラの魔法石バラマキがキッカケで、アイテム課金ゲーム業界ではゲームの安売り競争がどんどん加速しています。
現在でも毎日のようにガチャチケットを配っていたり、簡単すぎてどこで課金していいのかわからないゲームが増えています。
価格が高いままで大した達成感も得られないサービスはどんどん絶滅していくでしょう。
そしてスケールメリットを追求するなら世界市場への進出は必須です。Facebookの日本進出で日本ローカルのSNSが駆逐されつくしたように、
スケールメリットを追求し最高のコストパフォーマンスを実現したただ1社だけが最終的に生き残れるのがサービスビジネスです。
海外も手に入れるためにゲーム内容は世界中のあらゆる文化圏の人間に受け入れられるレベルまで無難なものになり、
安売り競争も極限まで到達し、20年後には世界60億人が平均で一人あたり月に10円を払って利用しているサービスとして終着点を迎えます。
ここまで来たものがゲームと言えるものなのかと問われたらおそらく言えません。
サービス9.99:コンテンツ0.01ぐらいにまでコンテンツは退化しており、
純粋にお金で達成感を購入する達成感販売サービスとして完成しています。
そしてこれはコンテンツのままでは(コンシューマーゲームでは)絶対に到達し得ない地平線です。
その頃にはもうアイテム課金ゲームだなんて意識する人はいなくなります。
自販機でコーヒーを買ってカフェインを補給するのと同じレベルで達成感購入サービスを利用して達成感を補給するようになります。
すこし大げさ気味に書きましたが、アイテム課金ゲームというのがどういうビジネスで最終的にどんな形態を目指しているかがイメージできると思います。
そしてこの頃でもコンシューマーゲーム業界は生き残っています。
テレビが全世界中に普及して誰もがタダで映像を見れる時代になってもハリウッド映画が廃れていないのと同じです。
また、ハリウッド映画が圧倒的な強さを誇っていても、低予算撮影の映画もB級映画としてマニアの間ではそれなりの存在感があるのと同じで、
日本のマイナーなゲームメーカーなどもボロボロになりながらもなんとか生き残っているのではないでしょうか。
そして上記のような全世界レベルの達成感販売サービスとはビジネス規模も何もかも違っているので比べるのも馬鹿らしくなっています。
※SNSのことだろ(ブコメも立派なSNSだと思います)というコメントが多いですね。でも似ていますが違います。
1つだけ慰めめいたことを言うと、君が彼女の人生を弄んだ、という罪悪感も
年下ということは、20代後半から30代半ばまでお預けにして捨てたわけじゃないんだろ。
そりゃ別れるときはお互い悲しんだかもしれないが、
それはどんな恋愛にもあることで、
彼女に罪悪感を感じるのは、
S子ってそんだけ依存体質なのに、よくすんなり別れを承諾してくれたもんだねえ。
多分寄っかかることができる男なら誰でも良かったんだと思うよ。
増田が好きだから付き合ったわけじゃなくて、利用しやすかったから付き合ったんだろうね。
「あ、コイツあの女を選びやがった。もう寄っかかれないわ残念。」って感じで手を引いたんじゃない?
それか、ちょうどよく増田よりも良いスペックの男を落とせたのかもしれない。
S子からしたら増田は一時的に杖として使ってた棒っ切れみたいなもんだよ。
立派な杖を見つけたらもう用済み。
さっさと忘れたほうがいい。
少し鮮度が落ちる感じの話になるが、
先日レッドソックスがワールドチャンピオンになる試合で登板した上原浩治のピッチングを見た。
仕事に行く前にちょうどいい時間に毎回MLBの中継がやっていたので、何回かみていて、世界一を決定する試合はそれこそハラハラしてみた。
そして、ご承知の通り最後のバッターを三振に打ち取り、見事上原浩治は優勝投手になるわけだが、その時彼は仲間にもみくちゃにされながら、目に一筋の光るものを浮かべていた。
シーズン中から、とてつもないプレッシャーと戦い、その結果勝ち取った野球人生で最高の瞬間なのだろう。
みている私も、いつもは何も思わないのだけれど、この時の彼の涙にはじーんとさせられた。
大きな仕事を成し遂げた男の、嬉し涙をみて素直にすごいなあとおもった訳だが、彼がメジャーに行ってからは完全に順風満帆とはいかなかったろう。
日本にいれば、読売という絶対的なチームにいれたわけだが、何の保証もないメジャーに挑戦した。
怖かったことや不安になったこともたくさんあるのだろうが、
あのような場所に行き着くためには、初めの小さな一歩を踏み出さなければならないということだ。
彼が初めてボールを触った時、あのような場面は想像できなかっただろう。
しかしその瞬間、確実に何かが始まっていたのだと思う。
いま、何かに向かっている途中で苦しくても、何も心配することはない。
I can't tell where the journey will end,but I know where to start.
半年ほど前から、ふとしたきっかけではてなサービスをよく使うようになりました。
使用頻度としては、①はてなブックマーク80%(読む)②はてなブログ15%(書く)③匿名ダイヤリー5%(たまに書く、っても2回目)くらい。
結構インターネットが好きな私は、まず朝起きて「YAHOOニュース」で社会の大まかなニュースを確認して、「ツイッター」で親しい友人の近況を確認して、「FACEBOOK」で大勢の知人の近況を確認して、最後に「はてなブックマーク」でちょっとおもしろい?とんがった?ニュースやブログを読む、と言った感じ。
なので、ちょっと不満を言うと、「YAHOO」にあるようなニュースのブクマはいらない。そのニュースに対するおもしろいコメントやブログは参考になるけれど、ニュース自体は結構いらないなあと思っていたりしますが、そのあたりはどうですか?
コメントを読むことがはてなの正しい使い方というのをどこかで見たのが、意外とそのあたりはやり方が難しいような気がしているのですが、コメントは読まずただブックマークが多い記事だけを見ているのは、はてぶの良さをあまり活用出来ていないのでしょうか。
またブログに関しても、こちらはPCからが多いのですが、イマイチ使い方がわかっていません。がんばっても、写真を添付するのがせいぜい。
某AME○Aブログ使いだった私が、なんだか毎日きゃぴきゃぴしたブログを書かなきゃいけない観念についていけなくなって、はてなブログを書くようになったのですが、イマイチ皆様のように使いこなせません。
はてなを約半年使ってみて、一番おもしろいなーと思う瞬間は、「こんな考え方があるんだ!」といった価値観のるつぼに出会えるときです。
最近、「高学歴と低学歴の話」や「結婚式の話」などブックマークがたくさんついて話題になったトピックなどがあるとおもいますが、その話題に対していろんな意見があってそれを読むことがとても楽しいです。
週5回も会社に行ってるとどうしても同じ人たちや価値観が同じ人たちと話すことが多いために、ネットから知りえるいろんな価値観が興味深いと思って、よくはてなを愛用しています。
1個不満を言うとすれば、ブックマークし忘れたけど気になる記事が数時間経つと見つかりづらくなっていることです。次のページを作ってもらうとか、ワード検索機能があればそれを使いたい(すでにあるのかしら?)
案外10分休憩中に読んでて、気づいたら時間経っててそのまま消しちゃって、数時間後には「なーい(+o+)」ってなることがたまにあります。
そんなこんなで、みなさんはどんな頻度ではてなサービスを使っているのか、なんか興味が湧いてきたので、よかったら教えてください。
この文章全体が「中身が無いw」というオチ
http://anond.hatelabo.jp/20131105230141
頭では分かってるんだけどね。
未だにS子から誘われると断われず食事程度なら…
とおもって付き合ってしまう駄目な奴です。
どっちが依存症か分かりませんね。
http://anond.hatelabo.jp/20131105230141
頭では分かってるんだけどね。
未だにS子から誘われると断われず食事程度なら…
とおもって付き合ってしまう駄目な奴です。
どっちが依存症か分かりませんね。
http://anond.hatelabo.jp/20131105230141
頭では分かってるんだけどね。
未だにS子から誘われると断われず食事程度なら…
とおもって付き合ってしまう駄目な奴です。
どっちが依存症か分かりませんね。
http://www.lifehacker.jp/2013/07/130708comfortzone.html
まさにこれ。緩やかに死にそうだったから「このままじゃいかん!」と思ってアウェーに飛び出してみたけど逃げ場がなくて擦り切れそう。
今年のNSC(吉本のお笑い養成所)の入学者数は東阪合わせて約800人。
そのうち何人がお笑いで飯を食えるようになるのか知らないが、おそらくその多くは「お笑いが好き」だから芸人を目指したのだと思う。
でも、今の時代、わざわざプロを目指さなくとも、ネット上でいくらでも自分の面白さを人に発信できるはずだ。
大喜利がやりたければTwitterで面白いことをツイートしフォロワーを増やせばいいし(恐山なんかはその典型だろう)、文字だけで物足りないならYouTubeやニコ生で発信すればいい。現にそういったネット界でのちょっとした"人気者"はたくさん出てきていて、それは"お笑い"という既存のジャンルの枠組みには必ずしも当てはまってはいないが、テレビのみが娯楽のほぼすべてだった時代に比べるとその多様性はすごく増した。
そんな時代にあって、彼らがわざわざお笑いの養成所に入る理由とはなんだろう?
私の勝手なイメージを膨らませると、彼らの大多数はまずネット文化にあまり馴染みがないのだと思う。
一部の老人の見立てと違い、いまの若い人は全員がネットに熱中しているわけではないし、ネット用語で言うところの"DQN"や"リア充"とでも呼ばれるような、非バーチャルな現実社会のコミュニティ(地元や学校の友達など)こそが自分の居場所だという「旧世代からの常識的な生き方」をしている人がやはり多数だ。
ネットばかりしているとその事実をつい忘れてしまうが、僕らはバーチャル空間に生きているわけではないし、少なくとも肉体はこの現世に存在している。幸か不幸か僕らはこの忌々しい社会システムの上でしか満足に生活を送ることができないのだ。
一部の若者がNSCに行ってしまう原因の1つには、そもそもそういったネットの可能性があることをあまり知らない、あるいは知っていてもあまり興味を持っていない、ということが大きいのだと思う。
そしてもう一つ、プロのお笑いを目指さなければいけない理由があるとすれば、それはやはり「スターになれるから」ではないだろうか。もちろんNSC(あるいは類似する養成所)の生徒の中にはネットを自分の基盤とし、まとめブログを読み、ニコ生の可能性を知り、Twitterやブログで自分の思いを発信していた人も少なからずいるだろう。
しかしTVなどの旧メディアに比べると、ネットというのはまだまだ発展途上だ。あるいはもう限界が来ているという見方すら出来るかもしれない。各自が好きに情報を取捨選択し、パーソナライズされてしまうこのシステムの中では、インターネットはどうしても自分本位の世界になりかねない。
マスメディアの在り方こそが正しいとは口が裂けても言わないが、少なくともネットに比べれば限りなく一元的で最大公約数な価値を提供していることは確かだ。
「TV界のスター」に比べれば、インターネットの人気者はやはりあまりにニッチすぎる。「明石家さんま」や「ダウンタウン」を知らない日本人は少ないが、うちの祖母は「ダ・ヴィンチ・恐山」なんて絶対知らないし、個人的にはニコ生界のスターなんて名前すらわからない。
そこに個人的嗜好を超えた善し悪しをつきつけるつもりはない。ただ純粋な事実として、そこには明確に規模の違いがある。一番の根本的な差は、彼らの活動がお金の発生するビジネスであるかどうか、即ちプロかどうかという部分だ。
もちろんテレビの衰退なんてものが叫ばれる中、インターネットの可能性にかけるのも悪くない。しかしこの世界はまだまだ黎明期であって、たとえばニッチな方向に行ってもそれ以上の発展はないし、なにかしら盛り上がりがあったとしても、今のようなムーブメントはいつ消え去ってもおかしくない。そんな道を目指してしまうと、いつのまにか砂上の楼閣が崩れさって、砂漠のまっただ中で迷子になってしまうかもしれない。
どちらにしろ、若い彼らがなぜプロを目指すかと言えば、"お笑い界の頂"には他では見られない景色があるからだろう。
わかりやすく言えば、金は儲かるし、人にちやほやされる。そして社会に影響を与えられるような存在にまでなる。何よりもTVに出てるお笑い芸人はとても楽しそうに見える。
しかし既にお笑い界は飽和状態、新しい人材をわざわざ求めるほどの理由がない。
世に出るための第一歩として、まずネタで評価されるというのが芸人の王道だが、たとえば代表的なピン芸(一人芸)に見られる「フリップネタ」なんて、Twitterでネタツイートしてるのと何が違うのか。
別にフリップに限らずそれは言える。たまたまお笑い産業という物があるからその中で職業として追求できる余地はあるが、初めにも言った通り、もはや今の時代その枠組みに入っていかなければならない必然性も低い。
つまり僕はお笑い養成学校の生徒なんですけど、こんなことしてていいんでしょうか?
もっと今までにない別のルートで世に出た方が、より自分のやりたいことを追求できるんじゃないか?
たとえば「バラエティ的な価値観が全てじゃない」と世の学生に伝えるにしても、もっと他の方法があるんじゃないだろうか。
でもやはり、よりポピュラリティの高い地位を獲得することで、容易に(もちろんしがらみはあるんでしょうが)自己表現が達成されそうだという期待がある。
松本人志という人が自分の撮りたい映画を撮れてるのって、そういうことじゃないですか。
すごい叩かれてるけど。
……何も映画監督になりたいと言ってるわけではないんですよ。
同じネット上で活動するにしても、ネット上の有名人か、ネットに限らない有名人かというのは、よくも悪くも、かなり大きな差があると思う。
そして僕は後者を選択したい。
或いははてな匿名ダイアリーの使い方。
ここまでのまとめと振り返り、自分の方向性の確認と先輩方への質問と。
さて、とゆーことで先週くらいからはてな匿名ダイアリーに投稿し始めました。
まずね、みんな増田増田って言ってるけど、増田って何を指すの?
はてな匿名ダイアリーっていう場所のこと?その中のエントリーのこと?そのエントリーを書いた人のこと?
あと、トラックバックってして頂いたらそれに返信するのが一般的なの?
ブックマークのコメントには返さないでいいの?フル無視でいいの?
あと、はてな匿名ダイアリーに投稿すると、最初は新着エントリーに表示されて、
そこからブックマークを集めると注目エントリーに表示されて、それでブックマークを更に増やしていく流れなのですかね。
はてな匿名ダイアリーに投稿するより通常のブログに書いた方が人に見られやすいのでしょうか。
広告とか付けたらお金が入るんですか、欲しい物リスト付けたら誰かがくれるんですか。
お金とか色々欲しいです。誰か下さい。
まぁ、ブログの仕組みとかどなたか親切な方が居ましたら教えて下さい。
あ、あと改行の仕方が分かりません、読みにくてすいません。
今まで4つのエントリーを書いて、ブックマークの数は50、10、200、160でした。だいたいですが。
いちよう各種SNSはしてますので、そこに書きにくいことを書いています。
でもこの場所は、純粋にテキストの内容のみで勝負できるから、書きがいがありますね。
一番の力作が一番反応が薄かったり、賛否両論だったり、楽しいですね。
いちようここに書く上での自分のルールとして、リンクを貼らず引用をせず自分の文章だけを書くことに決めています。
その上でいつか自分のTwitterやFacebookのタイムラインに自分のエントリーが流れてきたら愉快だなって思ってます。
今までの反応からするとあんまり長過ぎず、1000文字くらいが読みやすいのでしょうね。
炎上商法じゃないけど、多少は反論しやすいくらいの極論を書いた方が反応は大きいのかも。
せっかく匿名で好きなことを書くために始めたのだから、あんまり遠慮しすぎるのもね。
でも、無駄に人を傷付けたり、人を傷付けることを目的とするような文章は書かないつもりです。
重度のネット依存症で仕事もやめて半年経ってしまい、貯金も尽きたのでネット断ちをすることにした。
あと1時間で使えなくなる。
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ辞めたくない世おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
どこにも居場所がなくなるあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
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