はてなキーワード: 公の秩序とは
無罪推定の原則もあるし、契約書に記載しても実態としては契約解除は難しいんだよね。消費者契約法第10条で刺される。
消費者契約法第10条(消費者の利益を一方的に害する条項の無効)
民法 、商法 (明治三十二年法律第四十八号)その他の法律の公の秩序に関しない規定の適用による場合に比し、消費者の権利を制限し、又は消費者の義務を加重する消費者契約の条項であって、民法第一条第二項 に規定する基本原則に反して消費者の利益を一方的に害するものは、無効とする。
もちろん、他の部屋に侵入する、物件に被害を与える目的で放火をする、などの「他の入居者に著しく迷惑がかかる行為で逮捕された」とかなら可能。
二次創作の禁止事項として書かれた「公序良俗に反する内容」というのは二次創作作品において作中人物が公序良俗に反する振る舞いをしてはならないという意味ではなく、二次創作作品が公序良俗に反する使われ方をする内容であってはならないという意味に解せる。
たとえば具体例を挙げるならキャラクターが詐欺の具体的手法を解説し、詐欺の手法を伝達する目的で頒布するのは駄目だが常識的なゾーニングを前提として、あくまで架空の物語としてエロ・グロを含む内容であることは直ちにガイドラインに反するものではないと思う。
「公序良俗」という言葉は法律用語としては要するに公の秩序や倫理観のことで、物語の登場人物が作中で何をしようとそれ自体が直接に公の秩序を乱すことはない。
公の秩序又は善良の風俗に反しない慣習は、法令の規定により認められたもの又は法令に規定されていない事項に関するものに限り、法律と同一の効力を有する(法の適用に関する通則法3条)
法令中の公の秩序に関しない規定と異なる慣習がある場合において、法律行為の当事者がその慣習による意思を有しているものと認められるときは、その慣習に従う(民法92条、事実たる慣習)
商事に関し、この法律に定めがない事項については商慣習に従い、商慣習がないときは、民法 (明治29年法律第89号)の定めるところによる(商法1条2項)
もしくは一方の主張が勝手に前提になるわけ?
アリエナイでしょ
何のための司法の場よ
・自由及び権利は・・・国民はこれを濫用してはならない、常に「公共の福祉 public welfare → 公益及び公の秩序 public interest and order」のためにこれを利用する
そして「公共の福祉」はその他に3か所ある
・国民の権利は、「公共の福祉 → 公益及び公の秩序」 に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする
・何人も「公共の福祉 → 公益及び公の秩序」 に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する
・財産権の内容は「公共の福祉 → 公益及び公の秩序」 に適合するよう法律でこれを定める
秩序 order は、 事実上は政令 Cabinet Order とも見做しうる
ということは、自民は、政令による居住移動禁止、職業制限、財産没収体制を作ろうとしているかもね
カルトじゃないの?
自分は憲法とか不勉強だから不備があるかもしれないけど、選挙前で大事なことだから書く。
この映画にはピエール瀧が出演していて、彼がコカインの使用により捕まったことを理由に日本芸術文化振興会は内定していた1千万円の助成金を支払わなかった。
行政機関が作品の好悪によって金を出すか出さないかの判断をしたんだから、これは「表現の自由」案件である。当然映画製作会社は不交付取り消しの訴訟を起こし、第一審ではそれが認められた。
しかしこの度たまたま知ったのだが、これが今年の第二審ではそれが覆されたのである。
https://www.asahi.com/articles/ASQ335WZQQ33ULZU00V.html
「薬物乱用の防止という公益性の観点からされたものであり、芸術的観点からされたものではないから、文化的芸術的価値を軽視したということはできない」
というのが理由だそうだ。出演してるんだから当然映画を撮っている時にピエール瀧は犯罪者ではない。コカイン摂取歴がある人間の作品を全て否定するなら日本は随分窮屈な世界になるだろうな。ロックもジャズも映画も多くが禁止。文化的で自由な国なんて言ってられんよ。
この映画の製作会社はスターサンズという。そしてこの映画のエグゼクティブプロデューサーはスターサンズ代表河村光庸氏。他に「新聞記者」や「i-新聞記者ドキュメント-」、菅元総理を題材にした「パンケーキを毒見する」なども企画、制作、プロデュースを手掛けたりしている。要は(はてなーの好みかどうかは別として)割と強めに政権批判の内容を含む作品を企画制作してきた人だ。
そしてこの人はついこの間、今年の2022年6月11日に心不全で亡くなった。
この二、三年の事実を並べただけだ。自分は宮本浩次のファンで、彼がこの映画の主題歌を手掛け、原作のモデルとも言われてるのでたまたま知ってる。
「表現の自由」ってのは言ってみりゃ時の政権を自由に批判できることとも言える。そしてそれが民主主義の基盤とすら言える。それができないのが中国やロシアな訳で。あれだけ抵抗してきた香港の自由があっさり飲み込まれるのを見ただろう。ロシア市民が戦争反対すら自由に叫べないのを今正に見ているだろう。
正直安倍政権はそういう志向だったと思う。興味なきゃ気付かないだろうが。自民である限り今も続いてるだろうし、既にもうだいぶ流れてきてしまってるし、もっと根深い問題ではあるだろうけど。一つの政権、一人の人間が権威を持ち続けることの危険性がもっと周知されるといいと思う。
そして「宮本から君へ」の原作者である新井英樹氏のツイートで知ったのがこの改憲案。
https://twitter.com/arai_h_official/status/1543625167385292800
国が「公益と公の秩序を害する」と判断したら合法的に弾圧ができてしまう。そんなの民主主義であるはずがない。
もちろん戦士たちにだって無関係じゃない。エロを「公益と公の秩序を害する」と判断するのは難しいことじゃないだろう。
だから共産党とかを仮想敵にしてる場合じゃなくて、戦士が戦うべきなのはむしろ自民であり権力側なんだよ。しかも緊急に。
その流れでたまたま見たツイートだけど、自分は赤松健氏については漫画を読んだことがなかったし、例の冊子もピンとこなかったので追いかけてなかったけど、
https://twitter.com/zkurishi/status/1542764926351327233
これを読むとむしろ批判されてた「自民党改憲草案にあるような変更が発議された時には体を貼って阻止する。失敗したら議員を辞める」という発言は好意的に受け止めるべきではないだろうか。これが本当なら自分は応援する。
表現の自由戦士とか揶揄って悪いとは思うけど、どう呼べばいいのかわからないので戦士と呼ぶ。エロを含め本当に表現の自由を守りたいなら敵を見誤ると滅びを早めると思うよ。それどころか利用されちゃうよ。でも同じ危険を感じてるなら、ちゃんと「表現の自由」真ん中の意味で戦おうよ、という提案でした。
今回の参院選後には憲法改正の動きを活発化させると自民党は明言している。
その自民党による改憲草案では第二十一条に表現の自由の制限を明言する第2項の追加が行われている。
第二十一条
保障する。
2
前項の規定にかかわらず、
自民党作成のQ&Aでも二十一条改正案が表現の自由の制限を目的としていることが誤解のないよう強めの表現を用いて示されている。
https://jimin.jp-east-2.storage.api.nifcloud.com/pdf/pamphlet/kenpou_qa.pdf
実はこのQ&Aは増補版で、元のQ&Aでは上記の一文だけで回答が終わっていた。増補版では下記のような補足がなされている。
おそらくオウム真理教のような団体以外には適用されないんだよ、だから安心だよと印象付けたいものと思われるが表現の自由の制限を目的としていることに変わりはない。
「公益や公の秩序」は「非道徳的である」のような抽象的かつ権力側の都合よく解釈できるマジックワードとして実際に使われている。
街頭にエロポスターを張ることを「公益や公の秩序を害する目的」と認定して取り締まることも可能かもしれない。
二十一条改正によるプラス面が存在するとしても表現の自由にとってマイナスであることは間違いない。
仮に個人的には反対だとしても、参院選後に改憲発議がなされ、その場にこの改憲案が出てくれば(ほぼ間違いなく出てくると思っていいだろう)全員が賛成する。自民党では党議拘束には逆らえないからだ。
https://twitter.com/kayuumaatsui/status/1480342841734070274
表自連中って、「犯罪に繋がるという数値やデータを出してくれ、出してくれれば規制に従う」という、全然、「表現の自由」でも何でもない事をよく言うようになったけれど、それってPSYCHO-PASSのシビュラシステムみたいなのが出来たら無批判に従うって事を意味するんだけどいいのか。いいんだろうね。
「データや数値さえ出してくれれば唯唯諾諾と従う、その数字の確実性や真実性は問わない」っていうのは、「表現の自由」を求める人の発言ではない、「思考停止」を欲する人の発言だよ。
右翼連中が、原発の汚染水の海洋放出に無批判なのとまるで同じ。
大元のデータに誤魔化しや隠蔽があるのではないか、まで思考が届かない。
民主党政権だったら批判できても、与党自民党だと鎖のついた犬のように従う。
それは、【思考停止】の【口実】が欲しいだけで、科学的態度ではないね。
コロナ禍での東京五輪強行の際に、与党自民党がスパコン富嶽に「開催に都合が良いデータ」を出させたように、数値やデータってのは誠実でない人が扱えば簡単に歪められるってわからないかな。わからないんだろうね。こうした諸々を無視して、数値やデータに盲目的に従うのは、要はマチズモの一種だよ。
何度も指摘している事ですけれど、彼らは表現の自由の1丁目一番地が権力批判である事を理解したがらない。
理解すると、彼らの大好きな与党自民党と戦う必要性が出て来てしまうからです。
なんで英語版Wikiでは【言論の自由】の項目に【表現の自由】が含まれるのか、など、考えた事もないのでしょう。
改憲されたら、【公共の福祉】が【公益及び公の秩序】になるわけで、比較にならないほど危険ですね…【公共の福祉】ですら散々悪用されてきて、【一元的内在制約説】に現在は落ち着いているのに。ちなみに日本版Wikiは与党自民党の改憲が正しいかのようにミスリードしています。前はもっと露骨でした。
表現規制派の新橋九段が表題のような名前の運動を企画したようだ。
所で、該当団体のtwitterには以下のような意見が寄せられた。
おわかりいただけただろうか。
「公の秩序」と同等かあるいはそれ以上に曖昧な概念でオタクの権利を「調整」する欲望を隠しすらしない。
だれが信用できようか。
その「調整」とやらで無限の我慢を強いられ続けてきたのがオタクであり、強いてきたのがフェミや自称「リベラル」。
その抑圧への答えが山田太郎だということをいい加減分かれ。