はてなキーワード: 願わくばとは
こちらこそ、このような書き込みを受け止めてくださってありがとうございました。
「坊主なんて所詮は偉そうなこと言いながら、自分は働かずに、檀家の金を巻き上げるだけ巻き上げて、後はせいぜい葬儀するしか能のない存在」
だと思っていたことがありましたので。今ではその疑い謗る眼差しと声が、自分自身に突き刺さるようになりました。
「わたしも自分の人生をちゃんと生きられるようにがんばろうと思いました」、
大変に尊いお気持ちだと思います。そういう気持ちのことを仏教では「發菩提心(ほつぼだいしん)」と言います。
それは即ち、「わたし」が「わたし」として生まれてきたこと、生きていくこと、いのち終えていくことを、心から喜びたい(納得したい)と思う気持ちのことです。そして、それが成就した方のことを「仏」といい、そのさまを「成仏する」というのです。
しかし、「がんばる」という言葉には元来「無理をする」という意味もあります。
願わくば、ご無理はできる範囲でなさってください。人生生きていれば、無理ができない時も訪れます。その目標を自分の力だけで成し遂げようとすることは、仏教では「三千大千世界を持ち上げることよりも難しい」と言われています。
あなたが「がんばろう」と思えたそのお気持ちこそが尊いのです。そう思われるだけの縁がもたらされていることが尊いのです。
雨の日も風の日も、あなたの心に光あらんことを。
合掌
私は、致死率と、重症化する確率が高いコロナウイルス(covid-19)が世界を蹂躙している世界線に住んでいる。
でもなんか、真実として「人は新型コロナでは死んでない」らしい。
えっ、そんな世界線があるんですか。教えて!!という気持ちになった。
自分が「コロナは利権ビジネスだ」という人と話す機会があったので、その印象を一度まとめておきたいと思った。
陰謀論に説得力があるとは思えなかったし今思ってないけど、私だって「新型コロナ感染症」関連のニュースを鵜呑みにしているだけかもしれないし、
何よりそこにどんな論理があるのか気になったので。
教えてくれそうな人から少し聞いたところ、こういうことらしい。
①ウイルス防護には効き目が薄いもの(マスク・アルコール)が推奨されている→謎
②PCR検査法は不正確であるものなのに、なぜ採用されているのか→不明
④しかし、どんな死に方をしてもコロナ関連死としてカウントされるよう政府から通達がある→煽られている
以上を踏まえると、
・ゆくゆくは大資本が得をする仕組みに「新型コロナ」という概念が利用されている
という感じになるだろうか。
①~③については、そーなのかーとにかく危険ではないのだね、という感想だが、
④が今一つ分からなくて、「政府と大資本が結託してる」ということなのだろうなと認識している。
私は、結果としては十分あり得る事だと思っているが、その人はそれが目的だと思っている、ということがお互いの違いなのだろう。
以上を踏まえてよく分からない点・聞いてみたい点
②救急搬送や予定手術に支障が出る状況、ないしは医療崩壊状態の医療機関は存在しているのか、いないのか
③あなたや私はコロナにかかったとしても大して症状は出ないため、安全ということでいいか
もう今はその人に質問できないんだけど。
陰謀論といえども、多くの人が信じるところには何かしらの魅力があるものだと思う。
でもそれは自分にはよく伝わらなかった。頭があまりよくなくて、壮大な話がうまく呑み込めないからかもしれない。
米・英の海外ニュースとか見てると少なくとも人はcovid-19で死んでいるように見えるけれども、どうも嘘らしい。
自分にはそうは見えないが・・・世界単位でフィクション映画でも撮ってるとしたらかなり平和なプロジェクトで素晴らしいと思う。
嘘ならいいのにな、とも思う。
私はcovid-19の存在を、感染力と致死率が高い凶悪なウイルスとして認識しているが、その人はそうではない。
自分は今のところ、後遺症などで味覚が無くなったり肺機能が落ちたりすること・いま死ぬことは大変困るし身近な人を困らせるし、
身近な人に難病・基礎疾患持ちが数人いるから私が罹ると人が死ぬ可能性があるし、
そもそもどのような重さのものであれ風邪はひきたくない臆病な引きこもり気質の人間なので、マスク・手洗い・消毒・うがい・引きこもり・その他感染症対策は継続して行う。
願わくばその人も、できるだけ風邪をひかずに生きていてくれればいいのだけれども。
なんだろうな、お互いが信じられるものを信じているだけの、この状況で抱くこの違和感は・・・
人の生死がかかっている(ように私が感じている)からかね。
普段は、信じたいものを信じていても、あんまりそこに生死は関わらんからね。関わると普段はニュースになる。
それが君の真実か、じゃあ勝手にやっとけって言って放置すると、どこかで人が死ぬ気がするから、モヤモヤするのかなぁ。
でも、「それだと今以上に人が死ぬかもしれないんだ」ってその人に直接言ったら、「あなたは踊らされている」で終了する気がする。
たかが陰謀論、って馬鹿にしたり放置したりしてるとなんか痛い目を見る気がする。その人はいわゆる隣人なのだ。
間接的に、結果的に、私はこの人に殺されるのでは?と思っているのかもしれない。
それだけの影響力を私に対して持つ以上、その内容を信じるかは別として、論理を分かりたいんだけど、
よく分からなかった。
クソみたいな長文で腐女子のお気持ちではあるがカツカレーとかハンバーグカレーの比喩とかでなくストレートに捻りのないマカロンそのものへのお気持ちということはあらかじめ言っておきたい。
マカロン、名前だけはポピュラー思うものの、食べたことのある人はどれぐらいいるのだろうか。
マカロン、プリキュアでも言及されていたような気がするが基本的にさほど美味いものではないと思う。デパートによく入っているような有名なマカロン専門店のマカロンも食べたが、やはりその認識である。
マカロン、それは誰かが言っていた、仏壇に供える砂糖菓子とさほど変わらないという表現がぴったりで、見た目だけのファッションスイーツと言われても仕方がない存在である。
私自身も長らくそう思っていたが、弟にもらった神戸のある店のマカロンだけは、はっきりと次元が違っていた。
さくっ、しっとりとした優しい食感に、濃厚で複雑な味わいがぎっしりと詰まっている。
噛むほどに、極小の絶品ケーキが舌の上でほどけていく。ベタベタな表現だろう、だが、味の宝石箱や!と言いたくなるほどの素晴らしいものであった。
そこには、従来の単調な甘さのマカロンはなく、食感、香り、味といった複雑で高次元の味わい、いや食体験をもたらすそんなマカロンが存在していた。
私はすっかり、マカロンが好きになっていた。
あの食体験への驚きをなんとしてでもまた味わいたいと、帰省する弟には毎度あのマカロンを土産にするようにとお願いしたりした。
他にもそんなマカロンは存在するのかとマカロンを見るたびに買って食べ比べたりもするようになった。冒頭の有名店への評価はこのときに感じたものであるが……意外にもシャトレーゼがなかなか頑張っていると感じた。
そしてマカロンを食べ比べて感じたことは、やはりあの店のマカロンは別次元だったということだ。
そして別次元のマカロンと私の蜜月は、残酷にも唐突に終わりを迎えた。
それは直接遠方のあの店に、マカロンを買うぞと勇足で行ったときのことだ。ショーケースにマカロンが並んでいないことを確認して、店員さんに尋ねると「マカロンはもうやっておりません」と、非情にもあっさりと全ての終わりを告げられたのであった。
もう二度と、あのマカロンが食べられない。
私は絶望感でいっぱいになった。しかし大好物の食べられないこの世界でも、生きて行かなければならない。
おぼろげに面影のあるシャトレーゼのマカロンを食べては、あの店を思い出しながら自分を騙して数年を生きてきた。
……そして、再会は突然にもやってきた。
一年前、辞令が出てすこし遠くに転居した。私は軽度ではあるがアトピー持ちで定期的に皮膚科に通わねばならない身である。たまたま新しい職場で勧められた皮膚科にはじめてかかったときに、皮膚科の隣がオシャレな感じのケーキ屋であることに気がついた。
皮膚科の待ち時間というものは、何故かどこの地方のどの皮膚科に行っても大抵の場合長い。クソほど長い。半日が無駄になることもザラだ。暇にあかせて隣のケーキ屋のクチコミを調べることにした。
なんということだろう。店のオーナーは、神戸の……あの店で修行した人だということがわかった。皮膚科の待ち時間というにもかかわらず、胸がはずむ。そして、居ても立っても居られなくなって受付に「外で待ちます」と告げてケーキ屋に駆け込んだ。
マカロン。
ああ、マカロン。
ショーケースに、きっちりと色とりどりのマカロンが整列している。
あの店からも遠く離れたこの街にお前は暮らしていたんだな。奇跡が幾重にも連なったこの再会に、謎の感動が呼び覚まされる。いや、まだだ。このマカロンがあのマカロンと決まったわけではない。まずは、食べてみるほかにはない。
それだけあれば、きっと別人なのか本人なのかわかるはずだ。裏切られてしまうかもしれないのにこれ以上ないほどにうきうきとしながら私はそれを購入した。
皮膚科の順番が終わって、車のなかで包みをひろげる。見た目は、やわらかく不揃いのところもあるすこし素朴なフォルムで、有名店にありがちなシュッとした綺麗なものではない。でもそれが逆に、あの店を思い出させる。
ひとかじり、口にする。
マカロン。
マカロン、間違いなく、これはあの店の……別次元のマカロンだ。その深みのある美味しさもさることながら、マカロンと離れ離れになって、面影を探し求めて彷徨っていた期間や、そして再会に至るまでの偶然の全てが、特別な食体験となってまた戻ってきてくれたのだ。
例えてよいのかわからないけれど、ペルシアで起こって滅びてしまったマニ教が遠い中国でまだ生きているのを見つけた人も、このような気持ちだったのだろうか。そんな気持ちすら沸き起こるのだった。
マカロン、基本的に美味しいものではない。しかし、私にとってはものすごく美味しいものだ。願わくばこの店がマカロンをやめないように、私はこの店で定期的にマカロンを買おうと、残りのマカロンを噛みしめながら考えたのだった。
日記を書こうと思った。
日記を書くのは何年振りだろう。
まずはあまり畏まらず、文体も飾らず、思いつくままに自然体で文章を綴っていこうと思う。
どうせ誰かに見られているわけでもないのだ。
格好つける必要もない。
思えば(思ってばかりだ)、人の目ばかり気にして生きているような気がする。
喋る時、声の大きさや口調、あるいは内容、大学にいるとき、他人の視線、年齢を気にしている。外を歩いているとき、他人の服装、無意識に目がいってアレコレあの人はどうだと批評したくなるのは自分が他人からどう見られてるか気にしていることの裏返しのような気がする(また、気がしてしまった)。
正直、疲れる。
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だから、誰もいない特に馴染みのない住宅街なんかを散歩しているととても心が落ち着く。
神経症と言ってもよさそうだ。
過剰に他者の視線を気にしているし、不意に暮らしの中で誰かに自分の人生を否定されやしないかと、ビクビク怯えながら過ごしている。身を強ばらせて、責められたときのために理論武装をして。
実際にそういう機会に出くわすことはほとんどないのだが、何気ない日常会話のなかのふとした発言に、弱り切った心を傷つけられたり、同じような体験をした人の恐怖心にSNSで共感してしまったりするのを繰り返しているうちに、なんだか外を歩けば蔑まれるんじゃないかと思うようになってしまった。
難儀なことだ。
なまじ人生途中まで順調に見えたがために、プライドだけは人一倍高くて、困る。
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今、これを母校の一角で書いている。
思えば(また思った)、mixiで日記を書いて友達と見せあっていたときもこの学校に通っていた。
今はコロナで対面授業は実施されていないのか、学生の姿は疎らにしか見えない。
私の青春を彩ったこの学び舎は、少し角張ってピカピカしたいけすかない講義棟が増えたことを除いて、概ね往時のぬくもりを残して私を迎え入れてくれた。
このキャンパスに舞い戻って呼吸を取り戻したようで「ああ、今まで苦しかったんだな」とようやく気付けた。
実家もかつての家も失って、未来もなく、現在も灰色の私にとって、本当に数少ない、幸せだった頃の感覚を身体に思い出させてくれる場所。
いつまでもこのまま変わらないでいてほしい。
代謝がいいことは健康の必要条件であって十分条件ではないのだ。
私は故郷に変化を望んでなどいない。
願わくば……
最近親から結婚を催促されるようになり、婚活市場について少しずつ勉強を始めてYoutubeの婚活動画や、友人の体験談などを聞き、「勘違い女」というのがなかなかに多いことに気付いた。
自分なりに分析してみて、なぜこのような勘違い女が生産されるのか、という点についてある程度まとまったので、ここに書き記す。
・アラフォーなのに「若い男性でも良いよ」と何故かマッチ出来ない相手を見下している
正直他にも枚挙に暇がないが、書き始めると止まらないので一旦ここまでに留めておく。
大体は「私は普段こういう男性からも声をかけられているから」といった理由で上記の状態になっていると予想している。この理由に関してははあくまで私の想像である。
結論から述べるが、端的には「自由恋愛市場と婚活市場の違いが認識出来ていない」という点がこのような勘違い女性を作り出しているように思う。
少し説明を加えれば、「男性が欲するセックスしてさよならが許される自由恋愛市場」と、「男性が欲するセックスしてさよならが許されない婚活市場」を混同してしまっている。
本論を論じる前に、まずは男性と女性の違いについて、大前提を記しておく。
男性は言うまでもなく、「セックスがしたい生き物」である。更に言えば、若くてかわいくて、おっぱいのプリンとした女の子と後腐れなくセックスしてバイバイ出来るのが最高である。
しかし、別にここまでいかなくとも、とりあえず見れる顔で滾った息子をおさめることが出来れば、とどのつまりはオーケーである。
このことは、エロだけで会社が設立出来たり(SODやDMMを見ろ)、男性向け風俗産業がどこまで行っても撲滅出来ず、しかも普通に働くよりも遥かに高給を得ることが可能なこと、また痴漢、セクハラといった行為が無くならない点からも、ある程度納得して頂けると思う。
自由恋愛市場とは、とどのつまりは「女性が持つフリーセックス権を取りに行く」ことに全力を尽くす男が星の数ほど居る市場である。
すべての男性がそうではない。すべての男性がそうではないものの、正直、街で可愛い子を見て「あんな可愛い子と一発やれたらサイコー(だが結婚まではしない)」と一度でも考えたことがある男はほとんど100%に近いと思う。
女性は、要するにこの「ただマン権」を生まれながらに持っていて、それが欲しい男性にあげるかあげないかを完全に自分の匙加減一つで決定出来るという点で、男性よりも圧倒的に強者である。
だからこそ、自由恋愛市場において女性は遥かにランクの高い男性からも「とりあえず一発ヤッてさよなら出来る」可能性がある限り、声をかけられるし、強者で居られるのである。
婚活市場は果たして、この「ただマン権」が事実上存在しない市場である。
交際を決定した場合、それが確定事項ではないにせよ、基本的には結婚を前提としたものであり、手を出そうものならほぼ確実に「責任」を取らされる市場である。
結婚すれば確かに概ねフリーセックスにはなるが、その代償は自由恋愛市場のそれとは比較にならない。人生を差し出すには、あまりにも高い代償である。
この点において、婚活市場では(セックス権が高価な若くて綺麗な女性など一部例外はあるにせよ)男性と女性はある程度平等である。女性は圧倒的強者ではない。
しかして、悲しいかなこの論理的帰結に気付かず、自由恋愛市場の延長線上に婚活市場があると考え、「自分は圧倒的強者である」という意識が抜けない女性は居る。
こうして、「私は普段もっとイケてる男性から声をかけられているのに、婚活相談所にはまともな男が居ない」などと嘯く女性が今日も爆誕してしまうのである。
願わくば、勘違い女性がこの現実に気付きますように。(と、思ったけど、勘違い女性はそもそもこれを読まないし、読んだとしても発狂するだけだろうな)
「痴漢セクハラは性欲発信ではない」とコメントがあったが、確かにその通りで、痴漢は単純にヤバい性癖&犯罪なだけ、セクハラも犯罪ではないにせよヤバい人なだけなので消しておいた。
端的に言うと『電池交換』でキャリアの修理に出したら、スマホ壊されて返って来たっていう話です。
●そもそもの経緯
酷使したandroidが1台。電池容量50%以下の表示。常に充電コードに刺してないとすぐに電源が落ちる有り様。
という事で、オンライン修理で『電池交換してくれや』と依頼、キャリアに送付
↓
『お前の端末、見積もり取ったで!申告の症状は認められんかったけど、あちこちズタボロやから全部修理したら代金40kや!どないする?』
↓
文 鎮 の お 帰 り 。
……………………いや、大激怒してる気持ちを抑えようと、軽いテイストを心掛けて書いたんですけど、やっぱり納得出来ませんわ。
預けた時は電源は入っていたんですよ。少なくとも。
何で返ってきたら、電源反応しないの?おかしくない?
【悪化】通り越して【ご臨終】じゃん、これ!
●救済措置を求めて3000秒
私『すみません。修理見積から返って来たスマホが、壊れてるんですけど……』
私『は!!?!』
・お預かりした端末は、修理箇所のチェックの為に一度基盤を開けたりした
・その上で見積もりを出したが、お客様から修理不可の回答を貰ったので『出来る限り』元に戻して返却した
・預かった状態でお返しする事を約束していないので、返却された端末が余計壊れていても、責任を取りません
この2つ目に出て来る『出来る限り』というのがミソ、なんだそうです。
まぁ確かに、一度箱の蓋を開けてしまったら、二度と蓋を開ける前の箱には戻りません。そこは納得する。
だからそういう意味合いにおいては『預かった状態でお返しする事を約束していない』という台詞は、納得します。そこに異論はない。
だけど。だけどね?
そちらから返って来た『修理すべき箇所』の欄には、一言も『電源断を確認しました』って書いてないんです。
要するに、預けた時は電源入ってたって、自ら認めてんじゃね―――――――――――ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーか!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
にも関わらず、返って来た端末は電源一切入らない訳です。再起動コマンド(因みにXperiaは【電源+音量↑ボタン】長押し)も一切受け付けない訳です。
どう考えたって!!!!壊したの!!!!君たちじゃん!!!!!!!!
なのに『でも規約なんで一切責任取りませーん!』って言われて、誰が『そっかー。規約だから仕方ないねー』って納得出来るか、って話なんですよ。
せめて『とりあえず電源入るかなー?』位は確認して返しません? えっ、そんな事もしない? 修理してないから動作保証もしないから? そっかぁ!
ふ ざ け ろ 。
とは言え、電話口のご担当の方に権限がある訳でないと知っていますし、責任を取るべき立場で無い方を怒鳴り散らす訳にもいかないんで、大人しく電話を切りました。
さようなら。Xperia。あと、実際の電話応対は大変スムーズで20分もかからなかったと思います。が、1200秒って書くとしっくり来ないんで盛りました。
●所感とただの愚痴
今まで、窓口のお姉さんとかに『修理代金、見積もりだけでも取りますか?』と気軽に聞かれた事はあったんですよ。
その時は、こんなリスク一度も説明された事はありませんでした。
とは言え、今回申し込んだ手段はオンラインなんで、『預かった状態でお返しする事を約束していない』という規約とか注意書きとか、あったんだと思います。
ただ、その『預かった状態でお返しする事を約束していない』が『場合によっては預けた状態よりも壊れて返って来る』状況を含むのであれば、そこはもうちょっと強調して欲しかった、というのが、1ユーザーとしての要望です。
先日歯医者で親知らず抜いた時も、物凄く丁寧にリスクをきちんと説明してくれました。その上で『抜いて良いですか? 良いなら同じ事此処に書いてるんで、読んでチェック入れた上で、署名お願いします』って。
そこまでされて『成程、そういうリスクを負った上で、自分は選択するんだ』って自覚する物じゃないですか。全然。キャリアのオンライン修理、全然そんな印象無かったですわ!
いやもう、今までケータイの契約に関しては一度も窓口のお姉さん困らせない様に、ちゃんと自分で勉強した上で機種変更してたし、契約とかもしてました。割と優良顧客だったと思います。
何なら『契約難しくて分かんない!』って文句言う層に『はぁ?テメェの不勉強を棚に上げてキャリア圧迫すな!』とか思ってましたけど、今日で宗旨替えしますわ。
キ ャ リ ア の 説 明 不 足 に 断 固 抗 議 す る 。
インフラを人質に取られてる気持ちってこういう感じなんだな、というのを、今更ながら体験しています。
●オチ
とりあえず、今まで全面的にドコモを信頼してたんですが、今後は一切信用しない、という方針転換が必要だと実感しました。
あと、今後お店で『良かったら修理見積もり取りますか?』って聞かれた方は『もしかしたら二度と電源入らなくなって返ってくるかもしれない』と覚悟をした上で送り出して下さい。
心構えあるのと無いので、ショックって全然違うので……。
あと、繰り返しになりますが『預かった状態でお返しする事を約束していない』が『場合によっては預けた状態よりも壊れて返って来る』状況を含むのであれば、そこはもうちょっと強調して欲しい、という要望は変わらないです。
ついでに、窓口のお姉さんに気軽に見積もり案内させるのもやめてあげて。見積もりキャンセルして返って来た端末が電源入らないとか、そのまま店頭で完全に揉めて店長謝罪コースじゃん。誰も幸せにならない。
そういう訳で、これを期に新古品をぼーっと眺めています。Xperia8をご利用中のユーザー様。是非、使用感教えて下さい。
以上。
とりあえず、沢山コメント貰ってしまって、今正直大変恐縮しております。
9割7分が『愚痴』、1割が『見積もり修理出す人は注意してね!』、1割が『注意書きもっと念押ししてくれ……』、1割が『Xperia8の使用感聞きたい』で書きなぐったチラシの裏だったので、皆様から沢山ご意見頂戴して、申し訳ない気持ちと有難い気持ちで一杯です。
(すいません。算数間違えました。素です。小学生から出直してきます。本来は9割7分と1分と1分と1分です。よ、読み流してくれ……)
OCNモバイルのご紹介下さった方と、XZsのご紹介下さった方、有難うございます。そちらもちょっと視野に入れてながら、今色々なサイトで端末を見比べている最中です。
交換補償の方。そういう手があったか……!と後で気付きました。次回以降、参考にしては駄目だと思いますが、参考にします。
こういう事もあるんです。覚えておいて下さい。願わくば、俺の屍を越えてゆけ……!
バックアップ、というかデータの心配して下さった方、有難うございます。自宅から預けたという事もあり、そこは完全抜かりなく取ってあります。優しい気持ちを有難うございます。
修理している側の方でしょうか?ご教示頂き大変助かりました。正直メーカーで開けて閉めるだけならそんなダメージ貰わないだろ、と完全に過信と誤解してました。自分の認識は修正しておきます。
減価償却の方。ちょっと図星でした。とは言えまだ電池変えればどうにかなるのでは、と下心を出したらこのざまです。とりあえずその認識の甘さを指さして笑ってやって下さい。
数年前働いてた方と、関連会社の方。仰る通り、本当に運だったんだと思います。とは言え、そこの予告なく『御臨終です』と言われたら『えっ、送り出した時は生きてましたやん!?』ってなるので、そういう重大な火種はもうちょっと説明して欲しかった…と……。
ヨドバシカメラの体験版御寄せ頂いた方。意図を汲んで下さって有難うございます。そういう説明があれば、此方も文鎮で帰って来ても『まぁ、仕方ないよね。よく頑張ったね、Xperia……』と言えたので、過剰でもそういう注意書きの同意をしてくれる方向になれば良いな、と思います。
革靴の方。辛い事を思い出させてしまったようですみません。少なくとも『現状よりも良くしよう』と思ってメーカーにお預けをした物が悪化して返って来た時の心中、お察しいたします。国産メーカーなら、大手キャリアなら、と自分もどこかで甘く考えていました。貧すれば鈍する、という言葉、自覚したいと思います。
シュレディンガーの方。分かって下さって有難うございます。とは言え、当方の箱は死亡で未来が確定してしまったので、瀕死には戻りませんでした……。
メーカーが、の方。大変鋭いですね。実はその趣旨の事を電話窓口の方に確認したのですが、回答は『申し訳ございません』でイエスともノーとも取れない上手な逃げ方をされました。そして、今度修理に出したら見積もり時よりも値段上がるかもしれない事に関しても『申し訳ございません』なので、見積もり修理のリスキーさを初めて実感致しました。
Sonyの他デバイスの情報下さった方。有難うございます。今回その『元には戻せないという説明』が若干足りないのでは……?という疑念が発端でありしこりなので、その説明の大切さを改めて実感しております。尚、事前説明があるなら別に嫌いにはならないです。PS5テンバイヤーは飢えろ。
お名前の方。安直ですが、今回ご臨終したのは『ぺリアちゃん(4代目)』ですが、回答として趣旨合ってますか?これは蛇足ですが、デスクトップパソコンには『本妻』(※常に家にいるから)、ノートパソコンには『愛人』(※外でしか遊ばないから)という名前を付けています。
なお、幾つかお声頂戴しておりますが、本件に関して『少額告訴』も『消費者センター』も考えておりません。
(『元には戻せないという説明』が『預けた状況よりも破損・破壊が進んだ状況』を含めるのかという疑義は残りますが、そこも包括出来る様に注意書きとして書かれている以上、完全に負けるんだろうなー、という所感です)
皆様のご期待に沿う事が出来ず、お詫び申し上げます。
とりあえず、当方のこの失敗(※失笑)により、300人以上の方に『預かり修理に出したら、場合によっては余計壊れて返ってくる事があるよ』という事が周知出来ただけで満足です。
あと、何回か述べましたが、結構今日まで『大手キャリア/メーカーだから大丈夫だろう』と甘く考えてた所が、完全に落ち度だと思っています。
そして百万遍でも同じ事言うけど、事前にリスクの提示してくれてたら、別にこんなにインターネットの片隅で手足ばたばたさせて野生動物の様に大暴れするつもりは無かったので、将来的にこの説明箇所がちゃんと分かり易く、記憶に残り易く、という手法に変わってくれることを願います。
とりあえず、これからは今まで以上に規約やら注意事項やら読む様に気を付けます。そういう意味では、先代Xperiaちゃんは自らを犠牲にして、今後の私の人生において有意義な置き土産を残して逝ってくれたのだと思います。
という訳で、皆も規約やら注意書きやら、読み飛ばさないように気を付けてな!俺の屍を越えてゆけ!!
(今度こそ)以上。
鬼滅の刃に感動しない
二回観たなりの感想を述べたい。原作は未読。今後の展開も知らない上で話す。(ぶっちゃけテレビアニメもまじめに観てない)
《映画:良かったところ》→《映画:良いとは思わなかったところ》→《鬼滅の刃は感動しない》
《映画:良かったところ》
この映画の素晴らしいところは、ジャンプ原作の王道の努力•友情活劇の中に非常に高品質な心情描写があった点だと思う。前半の炭治郎の夢の描写が素晴らしい。
家族との幸せな日常の夢に浸かる炭治郎。さっきまで列車に乗って鬼を探していたはずなのに、突然夢に惑わされた。夢を夢だと気付くまでの演出の仕掛けは、往年のホラー映画やSF映画を思い起こさせる。ねずこを運ぶ箱だったり、咄嗟に口に出る“昼間のねずこ”の違和感だったり。その加減が多すぎず少なすぎず非常に絶妙なのだ。ジャンプのアニメ映画だという大前提を守りながら、観客の我々は「炭治郎は本当に現実世界に戻るのか?」と不安にさせてくれる。六太の「置いてかないで!」という絶叫は悲しくも最高だった。子供の絶叫ってどうしてあんなに不安になるんだろう。初回観たとき泣いてしまった。再会できるはずのない家族ともう一度会えた炭治郎の喜びと後悔を観た我々は、夢から覚めるために進む炭治郎の辛さが理解できた。夢にいれば鬼なんて来ないのに、鬼を倒すために炭治郎は進んだ。そして、戦うために“自決”の賭けに出た。炭治郎は鬼を倒すために、自分の首を斬る選択までしてしまうのだ。なんて胆力だと、鬼と一緒に私も驚いた。そしてダメ押しのしんどいバージョンの夢。なによりも家族を優先してきた炭治郎が、父親母親弟たちに恨まれる様子を見せられる。そのときに「言うはずないだろ!俺の家族が!!」というセリフは演技演出共に本当に素晴らしかった。家族の死という最大のトラウマを乗り越えて、彼は鬼と戦って勝った。最高のカタルシス体験だった。今まで鬼滅の刃は流行っているからとりあえず観ていた作品だったが、ここまで観に来て良かったと思った。
あと、作画と音楽も良かった。ハイクオリティだった。声優の演技も高品質だった。
《映画:良いとは思わなかったところ》
新キャラ同士の戦闘にあんまり感情移入できなかった。顔は知ってるだけの先輩と、なんの前触れもなく現れためちゃ強い敵の急な戦闘に頭がついていかない。さらにこの二人も初対面同士だし。ヤタガラスにもアカザ打倒を命令されてもいない。アカザが“なんかいた”のだ。なんかいた、という理解しかできない。因縁もなにもないやつとの戦い入れる必要ある?煉獄さんがえんむとの戦いであんまり活躍出来なかったからアカザ戦投入したとしか思えない。戦闘が非常にぬるぬる作画だったし私が長子だから耐え切れたが、テレビ放送だったら耐えきれずチャンネルを変えていたかもしれない。
煉獄さんの親、お前なに言ってるの?「自分がどうして他の人間より強いか理解できるか」って、そんなこと言う親いるのか?少し斜に構えすぎかもしれないが、選民意識が強くはないか。煉獄父の奥方がそんなドストレートな言葉で表現するかいな。ノブレス•オブリージュを表現したいなら、「なぜ強い“火の呼吸”を我々が代々受け継いでるのか」とか………もっとオブラートに包めよ!若干鼻につくんだよ。
あと皆んな煉獄さんの死で泣きすぎ。先輩が命をかけて戦ってくれたので、ちょっと泣きたくなるのも分かるがあれは泣きすぎだろう。ほとんど寝てた善逸はなんで泣くんだ。炭治郎のメンタルは強いんだ。家族の未練を断ち切り鬼を倒す自決を繰り返す、ちょっと異常な強さのメンタルを持つ男だ。自分の意思で家族を振り切れるんだから、並の10代の精神力じゃない。そんな強い男が、顔見知り程度の先輩の死にあれほどまでに泣くだろうか。炭治郎は苦しくとも前に進める心の強さがあると思っていたのに、結局は号泣してる伊之助にハッパをかけられてしまう始末。おいおいどうしちまったんだよ。赤ん坊みたいに泣かないでくれよ。お前はこれまでの鍛錬と旅で強くなったはずなのに、先輩の死であそこまで泣かないでくれよ。この作品はやたら人が泣きすぎるんだ。
《鬼滅の刃は感動しない》
書いてて分かったことがある。鬼滅の刃のアニメは料理人の腕は神だが、レシピ作成者は二流だ。アニメーターの匙加減でなんとか名作の域に食い込んでいるが、元々の原作はかなりポンコツだ。たしかに面白いは面白いんだろうが、この程度の面白さだったら流行で終わる。なんとなく面白いが、人の生き方を変えるほど感動は与えない。私はそう思う。
あらゆるジャンルの作品で我々視聴者が求めるものは、『感動』の一点のみだ。作画がすごいとか、声優の演技がすごいなんてのはおまけにすぎない。視聴に耐えうればおおよその場合そこまで重要じゃない。
で、この感動を私なりに噛み砕いてみると、“昔の自分から生まれ変わる”ことの体験だ。映画『ラピュタ』で軍要塞からシータを振り向きざまにかっさらうパズーだとか、映画『ハウルの動く城』でソフィに「ようやく守るものが出来た。君だ」と言うハウルだったり。洋画でもいい。映画『タイタニック』にて海に沈むジャックをあとに自分の好きなように生きることを選んだローズなど。今回の映画でも、炭治郎がえんむに立ち向かったところなんて本当に感動した。現実を生きる我々にはしがらみが多すぎる。新しい選択肢を取るのは怖いし、自分で自分に不幸な暗示をかけてしまっている。でも、画面の向こうの彼らは、恐れの中でも古い自分を断って生まれ変わった。それを目の前で証明され、心が動くのだ。
長々と書いて申し訳ない。鬼滅の刃の話に戻ろう。この作品の最大の問題点は「あるはずのしがらみが都合よくぼかされてる」からだ。鬼殺隊でありながら鬼の妹を連れること、政府非公認組織の鬼殺隊、絶大な力を持ちながらただの鬼殺しに明け暮れる柱など、キリがない。今回だってそうだ。なんで精神の核を破壊しなかった。なんでえんむが人間を食わなかった。意図的に炭治郎たちが苦境に立たないよう誘導されている。そういうしがらみを無視されたまま話が進んでしまうから、ご都合主義だと思ってしまう。折角いい設定を持ってるんだから、ストーリーに生かしてほしい。鬼より悪どい柱がいてもいいし、警察に逮捕される鬼殺隊がいてもいい。ねずこが炭治郎の恋人を食べてしまってもいい。いくらでもあるんだから、アカザみたいなよく分からん敵をぶん投げて戦わせるんじゃなくてしがらみからけりをつけてくれ。原作がご都合主義に甘んじるポンコツだから、アニメの味付けがいかに最高でも私は感動しない。ハマらない。
鬼滅の刃が、日本人が一緒に楽しめるコンテンツになってくれたことは事実だ。皆んなが観ていた月9や朝ドラが、今は鬼滅の刃になった。立派なメインカルチャーだ。炭治郎たちは間違いなく時代を代表してる。
けど開催四日目にして既に予選敗退して一般観客席から観戦してるだけの気分になっている。上位ランカーのえげつないほどの大賞ポイントの高さよ……。一方私の作品は下位の中途半端な辺りにいて、しかも毎日順位を落としていっていて、もはや生き目はない感じだ。
小説、漫画などを楽しめる総合エンタメサイト「アルファポリス」の主催するコンテスト。詳細は下のURLで。https://www.alphapolis.co.jp/prize/requirements/718000156
応募は先月末日で締め切られているので、エントリー作品が増えることはない。開催期間は11月1日~末日。今回は1,349件もの作品がエントリーしている。すごい数だね!
読者一人につき三回投票ができる。ただし一作品につき投票できるのは一回のみ。投票した人も抽選でなんか貰えるらしい。
別にここに載せることはない気もするけど、載せないなら載せないでただの口先だけの人っぽいので思い切って紹介しますね。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/213353935/325421740
クマともタヌキともつかないぽんぽこりんな見た目のアンドロイド「はな六」はプロ棋士を辞めることにした。
引退と同時にボディも交換するべく、はな六はVRショッピングモールにて中古のボディを探す。その過程で彼は「ボディーショップ斎藤」のクラゲの店主「サイトウ」に出会い、そしてなんか色々あるのだった……。
お前真面目に賞を取る気ねえだろ! と言われたら、すみません好き放題書きましたとしか言いようがない。人生で初めて書いたオリジナル長編小説で、最後まで書けたのが嬉しかったあまりにWeb公開しただけでは飽き足らず、BL小説大賞にまで出品してしまった。本当はfujyossyの小説大賞に応募しようと思っていたのだが、文字数制限に引っかかってエントリーできなかった。
ちなみに何故オリジナル小説を書き始めたのかというと、ある増田記事を書いたところ「金を払いたい文章」というブコメがついたので、調子に乗ったからです。
人気はないけど好きと言ってくれた人も何人かいるので私は満足。アルファポリスからは投稿インセンティブとして200円ぶんのアマギフいただいたし。
出品した本人にはPV数も得票数もわからない。毎晩0時に更新されるランキングで順位と「大賞ポイント」が知れるのみ。
個別通知は来ないので、頑張ってランキングページをスクロールしまくって自分で自分の作品を探さなきゃいけないのだ。今日なんかそれだけに20分もかかった。
なお、11月4日時点の私の作品は909位で、大賞ポイントは9ポイントだった。ランキングは下がったが、ポイントは昨日よりも3ポイント上がった。よかったねー。
募集要項を見たら、作品は完結済みじゃないとダメなのかどうかがわからなかったんだが、いざ開催してみれば、未完の作品もエントリーされていた。私は念のため完結済みでエントリーしてしまった。
開催初日のランキングは、仮の順位として24hポイント順に並べてあったそう。24hポイントとは、更新から24時間以内のPV数やらお気に入り等から算出されるポイント。ということは、完結済み作品を出品するよりは未完成の作品を出品する方が、会期序盤では有利だったのかなぁ。あちゃー、やってもうた。
やっぱり傾向と対策大事なんだなぁ。ランキング上位作品をざっと見てそう思う。傾向と対策……私の苦手分野だ。高校受験は学校配布の問題集を暗記するまでやり込むという力技で乗りきり、大学受験は自力で爆発四散した私には……。
『彦次郎が将軍義尚の子を孕もうとしてこれ以上ないくらい頑張るガチホモ小説』(武蔵守政元)
https://www.alphapolis.co.jp/novel/244872887/660417353
なんかタイトルがすごい! と思って読み出したら面白くて一気に読んでしまった。こんな作品が埋もれているなんて……と思って寝て起きたら一日で505位くらい順位が上がっていた。さすがです。
もうエントリーした身としては、Twitterで宣伝するくらいしかやれることがないし、会期終了までは可能な限り他の人達の投稿作品を読むくらい。投票件は残りあと二つ。面白い作品に出会えるといいなぁ。
ここ一年ほど、一つの作品だけにかかずらっていたら、短編の書き方がわからなくなってしまったので、最近はリハビリに新作短編連作を書いている。今度の作品は初めてのオメガバースだが、ただオメガバースだというだけで前作よりもずっと読んでもらえているのは、嬉しいけど複雑なきぶんだ……。
わーい!
ランキング上がったーー!
もう下がる一方かと思ったのでうれしい!!!
女は割と結婚相手とその実家に生殺与奪の権を握られがち。「お嫁さんは婚家に合わせるのが円満の秘訣」って考えもまだまだあるからね、親世代にも結婚世代にも。
どんな立場でも戦える女もいることはいるし、逆に養われたい女もいる。けど戦うのが得意でなくても、年収800万円あればかなり楽にNOが言える。「今すぐ戦わなければいけない問題はないがいつでもNOが言える」のと、「今は問題ないけど養われている身で自己主張はできないな」では意識が全然違う。もちろんそんなこと微塵も思わない女も大勢いるだろう。私がそう思ってるだけかもしれない。ただ、あの増田は似たような事を思ってたんじゃないか。知らんけど。
金の力は強い。
あー、若い頃年収800万円ほしかったなー。無能だからそんなには無理か。でも自分と同じくらいの能力の男は300万円近く行ってたと思う。
金は人を自由にする。
フン、ならば俺も恥をかいたってことになるな。誰かに吐かれた暴言を、そのまま別の誰かに返してしまうことはよくある。憎悪の連鎖を始めたくないならテキトウなワードチョイスはしないことだ。
これはアドバイスだ。
アンタの暴言については謝るなら許そう。こちらも殴り返しすぎた感はあった。それはすまなかった。
腐るほど悪かったって説明なんてなかった。
だが良いところもある。ああやって意見をまとめて提示されることで、アンタや俺や他の増田らがこれはおかしいんじゃないか、って議論できるから。
「性的消費」概念もああだったらいいのだが… まあこれは関係ないボヤキだ。
願わくば将来に二期を観た無垢な少年少女が正当な評価を下してくれるといい。
作品への批評合戦で名誉を回復するのは… 擁護側の勢力が弱すぎる。
それより、たつき監督が戻ってきて木村監督と手を取り合って合作してくれねえかなあ…
全部が丸く収まってみんなが手を取り合って劇場を埋めつくす。最高だろうに。
スワローズファンの親元に産まれた時点でその運命は決まっていた。
抗えもせず、私は幼少時から、野球そのものを知る前にスワローズを知り、それを愛した。
スワローズに夢中になり、故野村監督の全盛期から今に至るまで、シーズン中、私の気分の上下は、ほぼこのチームの勝敗に左右された。
『いきなりよわくなったりつよくなったり』のチームを、応援し続けて、今では殆どの選手が年下となっていた。
数少ない年上選手の中で、19年間神宮のマウンドに立ち続け、チームのために投げ続けてくれる石川雅規(愛称カツオ)というベテラン投手がいる。
40歳の開幕投手なんて、と他の球団のファンは思ったかもしれない。
他の球団には、もっと強くて勝てるエースがいるのだろうし、それは素直に羨ましい。実際石川は、華々しいエースというタイプではないだろう。
しかし石川は、怪我人の多さでは他の追随を許さないヤクルトで、19年間ほぼずっとローテを守って投げ続けてくれてた。
しかし、今年は石川にとって辛い登板が続いた。チーム状況も目を逸らしたくなるような有様だ。
『スワローズに勝利を』毎日そう願ってる。でもある日、石川が登板する日に『どうかカツオに勝利を』と願ってる自分を見つけた。
今更気づいた願いは、石川と同期の五十嵐亮太投手の引退を聞いてより切実となった。石川にはまだ投げ続けて欲しい。石川がいないヤクルトは、神宮は、それまでと同じではなくなるような気がした。(神宮が建て替え予定なのは知ってる)
私はここで初めて、自分の世界の中心のスワローズの中心にカツオがいることに気付いた。当たり前のこととして、自覚していなかったけれど。
今年の石川の成績が振るわないこと、年齢的なこと、ヤクルトファンの中でも色々言われてるのは知ってる。それも現実。
でも、この厳しいプロの世界では、どんな若手だって明日のことは分からない。
つまり逆にいえば、石川は、まだまだこれからの選手、の可能性だってあるかもしれない。
選手の応援の仕方なんて人それぞれだから、私は私なりの応援を続けたい。
輝く一等星、流れ星、消えた星、現れた星、そんな選手達に囲まれて、北極星のように中心でずっと動かずに。
野球選手の割には小柄な石川の肩には、今までに去っていった選手の思いも乗っている。ずっとみんなの背中を見送る側だ。
本当なら、その全部を降ろして神宮のマウンドから下りて仕舞えば、その方が楽なのかもしれない。
でも私は、石川にはまだ去って欲しくない。
当たり前のこととして、来年も神宮の『カツオの日』を眺めていたい。
ともすれば、マウンド上で迷子になりがちな若手投手陣に背中を見せ続けて欲しい。
ずっとスワローズを守り続けた石川雅規を、まだまだ誇らせて欲しい
ここに来て私は、カツオへの強い想いを自覚したので、勝手に一蓮托生でいようと決意した。
カツオがヤクルトに入団した時から、これはもう宿命みたいなものだから。
勝てる時も負ける時も、最後の日の最後の一球まで添い遂げる覚悟だ。
どうして急にこの感情が湧き出したか本当に分からない(ほぼ五十嵐のせいな気はする)。こんな押しつけがましい愛を、もちろん伝えられる訳ないので、ここに溢れるままに書いた。これで少しは落ち着けるかなと思う。
だから。
今夜も、私は世界の中心へ愛を叫ぶ。
もっとも大きい政府を嫌う自由主義者でも教育費を削れとは普通はいわないが、
増田やブクマカのような日本のクズ親と毒親候補が言っているのは、
いつでも、わたし、おれ、わたし、おれ、で 子の教育費の話じゃないからな
わたし・おれ を労って、あるいは、なんらかのサービスを無償化して
その分、英気が養われれば、お金が子どもに回れば、結果オーライだけど、
産後鬱がー、保育園土日預けられないのが辛いー、コロナでずっと子が家にいるのが辛いー
『クズはどうにもならない』ってブクコメ見て、いやどんな人でも改心する可能性はあるのでは?って思ったけど
それはなさそうだなって思いました
スリーS @Super_S_Shoborn
報復や排除による危険性を無制限に正当化するのもまた危険です。極端なことを言ってしまえば『貴方の周りの空気を保護する。吸えば貴方に対して報復する』ということも殺人の正当化に悪用されてしまいますね。従って人間への危険性が最小になるように線引きする必要があります。今の所設定されているベターな線引きはヒト及びヒトに所有される(動物含む)物ですね。
その線引きに動物まで含めてしまうと、動物資源によって生存している人間及び今後そうなるかもしれない人間(つまり万人)は生存手段を奪われた形になります。鯨も飢饉時は立派な食料です。狩猟には継続的な経験が必要ですので、飢饉時だけは鯨を殺していいと言われても狩猟出来ずに餓死です
箱のなかの海 @kawa_machi
さて、また最初の問に戻ってきました。 ”ヒト”とは何でしょう?
遺伝情報? 認知判断能力? 苦痛を感じる能力? YHWHがそう定めた?
報復の危険性を無制限に正当化できないなら、それを制限して正当化する基準が必要になります。
空気はおそらく”人”や”動物”ではないと私も思います。では何を基準に、そう判断するのでしょうか。
少なくとも
でないことは合意できたと考えて良いですか?
スリーS @Super_S_Shoborn
個人的な意見ですが、関係性によってヒトはヒト足りうると思っています。従って遺伝情報認知判断能力苦痛を感じる能力という一個体を観察するだけではヒトをヒトだと理解出来ないのでしょうね
合意してませんね。鯨のために報復する人間がいるから鯨を殺すのは危険だと認めますが、鯨を殺す手段を失うのはそれ以上に餓死のリスクを伴うから、鯨のために報復する人間を排除してまで鯨を殺す手段を維持しなければならないとは言っていますが
箱のなかの海 @kawa_machi
さて、関係性という言葉の定義はまだわかりませんが、例えば犬や馬に対して関係性を感じる人はいるでしょう。一方で、犬や馬は食用に殺されてもいます。関係性を結び得る相手を”ヒト”とするなら、馬や犬は”ヒト”ですか? 殺すべきではありませんか?
単純に考えるなら、危険だと認められる行為はやってはいけないでしょう? 危険でもやるべきとするなら、別の価値判断が必要になります。
スリーS @Super_S_Shoborn
関係性を結び得るからヒトとは言ってません。『親子』も『繁殖可能』も『可食かどうか』も『毒が効く効かない』も『危険かどうか』も関係性ですね。どれか一項目該当するものがあればヒトとも言ってませんし 確かに危険だと認められる行為はやってはいけませんね。動物愛護団体だろうが人間の生存手段となる動物で報復するのは自殺行為だからしてはいけませんよね。
医療食料問わず動物資源は人間の生命線であるので、その使用禁止は生存手段の放棄であり自殺行為です。また、人間から動物資源という生存手段の剥奪はその人間から排除対象となるので、これもまた自殺行為。二重の意味で危険な行為なので動物に権利を与えてはいけません。
そうですよね
箱のなかの海 @kawa_machi
スリーS @Super_S_Shoborn
自分にとって他者や環境はどのような性質を持つか、他者にとって自分はどのような性質を持つか、という意味で言っています。
個々人の存続に対する妨害ですので、全く拡大しておりませんね
箱のなかの海 @kawa_machi
その意味で、馬や犬はヒトと関係性を持ち得ますか?食用の馬や犬は存在しても良いのですか?
奴隷解放論者に対して、「私の存続には黒人奴隷を搾取することが必要です、妨害しないでください」という白人農場主はいたでしょう。しかし、黒人奴隷は解放されました。
動物解放論者に対して、「私(たち)の存続には動物の搾取が必要です。妨害しないでください」という人はいるでしょう。なぜ、動物は解放されなくても良いのですか?
スリーS @Super_S_Shoborn
関係性を持ち得る。
箱のなかの海 @kawa_machi
聞いた上で、「当時の黒人奴隷は人間(その定義に黒人奴隷は含まれていませんでした)の生存手段であった」 と言っています。
あなたの基準を適用すると、医療・食料用のホモ・サピエンスも存在しても良いとなりませんか?銃火器を苦にしない国は、人体実験をやり放題になるように思いますが。
人体実験が解禁になったら、これまでとは段違いのスピードで医療は進歩するでしょうね。 歓迎する人(その多くは力を有する人でしょう)も多そうです。
スリーS @Super_S_Shoborn
既に実際に『人間を安全に取り扱う範疇』で人間は医療資源として活用されています。同意を元にした骨髄バンク、生体臓器移植、死後・脳死後の臓器移植、献血があるのをご存じないのですか?
箱のなかの海 @kawa_machi
もちろん、限定的にはすでに医療資源として活用されています。 私が想定するのはそれ以上のものです。
スリーS @Super_S_Shoborn
人間に限らず動物だろうが植物だろうが機械だろうが安全な手法で取り扱っているんですけど……危険性が異なるからその取り扱い方が異なるだけで。
国家が人間にとって危険なシステムであるというなら、それは人間が国家を人間にとって危険なシステムのまま対処しなかったツケを支払っているだけです。国家だろうが機械だろうが、安全に取り扱わなかったら痛い目を見るのは当然では?
箱のなかの海 @kawa_machi
ええ、なので国家は危険に感じない範囲で人間を不安全に取り扱って良いということですよね?と聞いています。
ホロコーストで殺されたユダヤ人たちは対処しなかったツケを支払っただけで痛い目を見るのは当然であり、ナチスに倫理的な問題はない(もしあるとすれば戦争に負けたことだけ)と。
”不安全に扱う”というのは誤解を招くかも知れない(不安全に扱った時点で問題が有る)ので、”いわゆる人権を無視して”くらいに置き換えてください。
スリーS @Super_S_Shoborn
ツケを支払う方になってしまった側にとっては問題ですし、国民の国家の扱い方が未熟だった時代でもありますからそのような結果になってしまったのは当たり前です。当時放射線の危険性を知らなかったキュリー夫人が放射線被爆により健康を損なったのと同じように。国家が国民の脅威にならないよう次に活かすしかないです。それと倫理の話はしていません。人間にとって危険だから人間には問題だったとは言っていますが
箱のなかの海 @kawa_machi
ちょっとお返事がよくわからないのでもう一度聞きますが、 国家は危険性を感じない範囲で、人間をいわゆる人権(個人の生死など基礎的な権利も含めて)を無視して取り扱っても良いのですか?
危険性というのも曖昧ですが、あなたの基準からすると、「反政府組織が政府転覆が可能なほどの力を持つようにならない程度で」 とでも言えるでしょうか。
もちろん知ってますよ。だから、 「国家は危険性を感じなければ何をやってもいい」 「中国共産党は人権を守る必要がない」 などという言説を否定しようと努力しています。
否定するというのは言葉が過ぎましたね。 個人がどのような思想を持ってもそれは自由なので。 言説が”広がらないように”に訂正します。
スリーS @Super_S_Shoborn
暴力という手段であっても国民が国家を制御する方法を持たない国家ならしても良い。国民にとってはとても不幸なことですけど。
勿論国民や他の国家には、なされるがまま黙ってろとは言ってません。機会があったらぶっ壊して作り直せと言っておきましょう。天安門事件や香港など負け続きなだけです
箱のなかの海 @kawa_machi
なるほど。
スリーS @Super_S_Shoborn
箱のなかの海 @kawa_machi
ということで、肉食を正当化する論理の一つは、生命などの基礎的な権利をも含めた個人の諸権利を、(条件付きなものの)国家が好きに取り扱うことを良しとするところまで行き着きました。
難しいんですよ。ほんとに。
スリーS @Super_S_Shoborn
国家も人権も人間の作った道具なので、人間にとって危険ならその都度安全になるようパッチを充てる不断の努力をしなければならないって話でもありますね
https://togetter.com/li/1605085
のコメント欄より
また誤字脱字が明らかな場合はそれを補った
箱のなかの海 @kawa_machi
”他者の権利を侵害すべきでない”という一般的な道徳観を動物まで広げるなら、ヴィーガンのような主張になるのは自然なことではある。
人と動物は違うと言うなら、その線引きをどこに置くかの明示は必要だけど、論理的に妥当な基準を出すのはかなり難しいよ。
自分はリバタリアニズムの消極的自由から肉食を正当化できるか悩んだことがある。
今のところ子供(→契約の主体になりえない存在)に対する パターナリズム的対応を援用して考えてるけど、お肉を食べたいがために無理してないと聞かれたらちょっと困る部分も無いとは言えない。
お肉美味しいから食べるけど。
「倫理判断は普遍化可能である」「遺伝的差異自体は差別をする理由にはならない」「動物も人間と同じように苦しむ」「認知能力や契約能力等、動物と人間を区別する道徳的に重要な違いとされている違いは人間同士の間にも存在する(すなわち、限界事例の人たちが存在する)」「限界事例の人たちにも人権があり、危害を加えてはならない」、これらの組み合わせから容易に「動物にも「人権」があり、危害を加えてはならない」という結論が導ける。 (Wikipedia 動物の権利)
他者を食べることを倫理的に正当化するには、これらの前提のどれかを弱める必要がある。
ヴィーガンの多くは「植物も動物や人間と同じように苦しむ」を弱めて、植物を食べているように思うし、 自分は「限界事例の人たちにも人権があり、危害を加えてはならない」を弱めて肉を食べている。
kusorip @kusorip2
人権は人の作った道具に過ぎないので、人が快適に過ごすために如何様にも定義変更可能なんだが 勝手に都合よく定義を狭めて理論ぽく仕立ててるだけでガキの屁理屈止まりなんだよなぁ
箱のなかの海 @kawa_machi
人が作った道具であり、適宜変更ができると言うのはそのとおりなんだけど、その快適に過ごすべき”人”って何なのかという話。
人と動物の違いは何を基準にどこで線引きすべきか? 遺伝情報? 認知判断能力? 苦痛を感じる能力? YHWHがそう定めた?
他者に危害を加えることを正当化するのってちゃんと考えるとホント難しいよ。
誤: 人と動物の違いは
スリーS @Super_S_Shoborn
箱のなかの海 @kawa_machi
危険性を保証し合うと言うのは、法律(してはいけないこと)の概念をを持つという理解で良いですか?
そうなると、ある種の知的障害者や1, 2歳までの子供は人間ではないので殺していいことになりますがそれで良いですか?
逆に、ルールの概念を持てる動物(例えば、ある程度以上の哺乳類はそうでしょう)は”人間”なので殺してはいけないことになりますね。
スリーS @Super_S_Shoborn
知的障害者だろうが幼児だろうが、その家族が報復しうるし、その境遇に陥るかもしれない人間が次は我が身次は我が子と考えて排除しうるので、危険性は保障されてますので問題ありません
危険性が保障されてるから、危険だからやってはいけないという簡単なロジックです
大ざっぱに言ってしまいますと、全ての人間は任意の人間から危険性を保障されているので、その危険性が保障された人間を安全に取り扱う為に人権に沿う必要があります。言い換えれば、人権は人間を安全に取り扱う規範だと言っています
箱のなかの海 @kawa_machi
なるほど。しかし、「危険だからやってはいけない」は「危険でないならやってもいい」に繫がりますよね。
例えば、家族がいないまたは家族が報復しないことを約束して譲る場合はどうでしょうか。悲しいことですが、親から虐待を受けている子供や障害者など、可能性は十分考えられると思いますが。
食用の豚は殺されていますが、だからといってペットとして豚を飼っている飼い主(保護者)が「次は自分の豚が殺されるかも」とは考えないでしょう。
親が自分の子供を殺す(故意または未必の故意)場合も報復の危険は無いので問題なくなりますね。
パチンコ中に車の中に放置されて亡くなった子供がいたとして、その親が近くに暮らしていたとしても、「自分や自分の家族が殺されるかも」とは思わないでしょうし。
危険性を保障されているという言葉の定義がよくわかりませんので、もう少し詳しく説明ください。
周囲の人が次は自分と思って排除してくる危険→そう思わないような場合は?
また、 「人権は人間を取扱うためのものである。人間とは人権で取り扱われるものであ(動物はそうではない)」 はトートロジーです。何を基準に人権で取り扱われる”人間”を決めるのか?と問うています。
スリーS @Super_S_Shoborn
家族が居ない、または見捨てられた等の天涯孤独者は天涯孤独者同士危険性を保障し合っています。では天涯孤独の乳児はどうか。普通の子供でも親が死ぬ等で天涯孤独になります。親の危険性の保障から外れえる子供を守るために「危険でないならやってもいい」という人間を排除するでしょう。
親からも見捨てられ誰も報復せず次は我が身我が子だと考えて誰も排除してくれない子供はどうか。子供にそういう危険性がないことを調べる必要がありますが、それを調べることもまた危険であるのでやってはいけまん(続く)
『家族が報復する危険→報復しない、できない場合は? 周囲の人が次は自分と思って排除してくる危険→そう思わないような場合は?』
確かに必ずしも家族や同じ境遇の人が報復や排除をしてくれる訳ではありません。そのような危険性が保障されない人間が潜在しています。彼らは自身に危険性が無いと判断されることは死刑宣告にも等しい。従って危険性を判断するような人間を排除するでしょう。つまり危険性がないことを調べる事自体、危険でやってはいけないことなのです
さながら、危険性が保障されない人間が危険性を保障された人間に擬態するように。山に生えるキノコが可食か毒か見分けがつかず、見分けることも危険であるならば、山に生えるキノコは全て毒と判断して食べてはいけないと判断するように
箱のなかの海 @kawa_machi
なるほど。 ある程度以上の知能を持つ動物も、自分や自分の家族、群れを傷つける他者を排除しようとしますが、それらの動物は危険性を保障しあっていないのでしょうか。
人間がそれらの動物を傷つけた時に報復の危険性を感じないのは単に人間がそれらの動物より強いからですが。
動物の(勝手な?)代弁者である動物愛護団体などからの報復の危険性を感じないうちは動物には”権利”がなく、彼らが強大な力を有した段階で”権利”が生じるとなりそうです。
それは、過去に王侯貴族が下々の者の人権を決めていた時代と何が違うのでしょうか?
実際のところ、権利は力の獲得とともに増えてきたという歴史はそのとおりではあるものの、
少なくとも理念上は、
力の有無や数の大小ではなく、一人ひとりが等しい人権を有しているというのが現代では概ね合意であるはずです。
動物には力がないから人間にとって危険性がなく、だから動物を傷つけても良いという”危険性の論理”はこの合意に反しますし、弱者やマイノリティへの攻撃に容易に繋がりかねないのではないでしょうか?
スリーS @Super_S_Shoborn
医療食料問わず動物資源は人間の生命線であるので、その使用禁止は生存手段の放棄であり自殺行為です。また、人間から動物資源という生存手段の剥奪はその人間から排除対象となるので、これもまた自殺行為。二重の意味で危険な行為なので動物に権利を与えてはいけません。
全ての人間は任意の人間から危険性を保障されている(自分はそう主張している)ので、弱者やマイノリティへの攻撃に容易に繋がりません。
動物も報復しますが、人間にとって大した危険ではなく、それ一頭を銃等の動物では認識出来ない武器で殺せば再報復されません。人間が危険なのは動物と異なり火や毒、自動車銃火器等の過剰な攻撃力を持っているからです。毒を使う動物はいますが、それを報復には使いません。『過剰な攻撃力』を持ち、かつそれを『報復等に使用する』生物はただ一種、ヒトのみです。故に人間にとって人間が特別です。他に該当する動物が居るのでしょうか?
箱のなかの海 @kawa_machi
2点教えてください。
1. 過激な動物保護団体は多く居て、その中には銃火器などで武装しているものも有りますよね。 単に危険性の大小なら、下手な人間のマイノリティよりもよほどある種の動物のほうが危険性を保障されている(報復の可能性が高い)と思いますがいかがでしょう。
2. 本当にすべての人間同士で危険性を保障しあっているのでしょうか。 例えば、ウイグルの人々が中国共産党の上層部に報復できるとは思えないのですが。 仮に米国を動かして、米中戦争が起きたとして中国が勝った場合は?
端的に言うと、 「どうしていじめはダメなの」という問に対して、 「先生に怒られるから」と答えられてるような感覚があります。
スリーS @Super_S_Shoborn
1. 危険性の保障を代行・専門化・強化した警察・司法という組織の方が基本的に有能です。
2.国家という組織は人間が運用すれども人間そのものではありません。人権は『人間が』人間を安全に取り扱う規範ですので、国家対個人では基本的に機能しません。中国みたいに強い国家にとって人間は脅威ではないので、中国は人権を守る必要がありません。では何故人権を守る国家があるかというと、国家が比較的弱いか国民が運用している国民主権国家だからですね
箱のなかの海 @kawa_machi
1. 確かに、警察、司法のほうが優秀です。しかし、危険性で問題になるのはどちらが大きな力を持っているかではなく、ある閾値以上の力を持っているかでしょう。
戦車や戦闘機よりマシンガンの方が弱いですが、普通の人にとってはどちらも脅威です。
2. 人権とは、単に人間であるということに基づく普遍的権利。「対国家権力」または「革命権」から由来している。ブルジョア革命(資本主義革命)によって確立された権利であり、「近代憲法の不可欠の原理」とされる。 人権は人が生まれつき持ち、国家権力によっても侵されない基本的な諸権利であり(略) Wikipedia 人権
えっと、その人権の定義は少なくとも一般的に受け入れられている定義ではないですよ。 対国家、つまり自分より強い相手に対するものです。
箱のなかの海 @kawa_machi
人と動物との違いはなにか?という問いに対して、
1. 傷つけた時に報復される危険があるのが”人”で危険がないのが”動物”
2. この危険とは殴る、噛むなどではなく、銃火器などの過剰な武力を指す
3. 報復するのは傷つけられた本人ではなく、それを見た他人でも良い
という基準が出されました。
それに対して、
1.例えばクジラを傷つけた相手に銃火器を用いて報復すると宣言する愛護団体が存在したら、クジラは”人”の基準を満足しますよね?
2.銃火器などを苦にしない強い個人や団体(国家)は、弱い立場のホモ・サピエンスを傷つけても倫理的に問題ないとなりませんか?
スリーS @Super_S_Shoborn
警察・司法の方が基本優秀なので、過激な動物保護団体はテロリスト認定して取り締まってその保障を無効化してますね。
銃火器などを苦にしない強い個人(超科学異星人だろうがスーパーマンだろうが)や団体(国家)が弱い立場のホモ・サピエンスを傷つけても、その個人や団体(国家)にとっては問題ありません。同じように強い力である台風が我々の人権を慮ってくれるんです?
箱のなかの海 @kawa_machi
なるほど。そこまで力を信奉し、強者は何をやってもいいとお考えならそれはそれで筋が通っていると思います。
願わくば、その考えが弱い立場に向かないように、また貴方が強者に蹂躙されませんように。 どちらにしても、中国には住まないほうがいいと思いますよ。
攻め方と守り方は非対称で、普通は攻め方が大幅有利です。本当に取り締まりが完璧にできるなら、アメリカは911を受けずにすみました。
スリーS @Super_S_Shoborn
自分はスーパーマンでも独裁者でもないことを知ってますし、立場が弱かろうが強かろうが人間にちょっかい掛けて好き好んで危険を被ろうだなんて思ってないのでご心配なく。
それに『安全』というのはリスクゼロという完璧を表す言葉ではありません。人間を対象に限らず、危険性を小さくする為に安全な取り扱いを行っていますが、自動車を安全運転してたって事故は起きます。警察を信用しないのは自由ですが、警察という抑止力がなければもっと被害を受けていたのは想像に難くないでしょう
箱のなかの海 @kawa_machi
警察がなければもっと被害を受けていた と 警察があっても被害を受ける危険がある は矛盾しませんよ。
報復される危険があるなら(実際に日本では太地町が有名ですし、海外ではもっと大きなテロも起きています)、あなたの基準ではそれは”人”であり、傷つけるべきではないのでは?
スリーS @Super_S_Shoborn
報復や排除による危険性を無制限に正当化するのもまた危険です。極端なことを言ってしまえば『貴方の周りの空気を保護する。吸えば貴方に対して報復する』ということも殺人の正当化に悪用されてしまいますね。従って人間への危険性が最小になるように線引きする必要があります。今の所設定されているベターな線引きはヒト及びヒトに所有される(動物含む)物ですね。
その線引きに動物まで含めてしまうと、動物資源によって生存している人間及び今後そうなるかもしれない人間(つまり万人)は生存手段を奪われた形になります。鯨も飢饉時は立派な食料です。狩猟には継続的な経験が必要ですので、飢饉時だけは鯨を殺していいと言われても狩猟出来ずに餓死ですPermalink | 記事への反応(1) | 10:35
それも2回も。
明日、核兵器が落ちたとして、国民は一体どこに逃げればいいんだ?小学校か?
放射能の黒い雨が降る中、小学校で放射能まみれの人達と、川の字になって寝るのか。
チェルノブイリという現実にあった原発事故の再現ドラマを観たが、放射能汚染された人のからだはそれそのものが放射能を撒き散らすようになるので、触れるだけで自分も癌など体調に甚大な悪影響が出るそうな。
とはいえ、日本はどうせろくに隔離もしないだろう。コロナ発生源である例の船での初動対応を見るに。
せいぜい、体育館にブルーシートを敷いて、汚染された人も病気の人も全員ごっちゃで寝かせるぐらいだと思う。日本に出来ることは。
スウェーデンかどっかは、国民の大半を保護できる核シェルターを用意してるそうな。
では、日本は何か用意しているのか?
検討はしてるだろうな。検討は。いつになったら決定するんだろう。核兵器が落ちた後かな?
願わくば、核兵器が落ちる前に、1つでもいいから庶民が避難できる核シェルターを建設決定して欲しい。
笑えない。
明日9/30、アイドルマスター15周年記念楽曲「なんどでも笑おう」が発売される。
どうして各コンテンツごとで発売したのか。
90年代後半のCD全盛期とは違い、オリコンのセルランなど何の価値も無いと言う者もいるだろう。
それでも、意味がなくともランキングはされる。各コンテンツ盤の数字が出てしまう。
せめてCD売上は上にいさせてくれ。これ以上妾の子の、外様の後塵を拝するのはうんざりだ。
どうしてこうなったのか。何が悪かったのか。
どうして正統後継者であり正統な続編たるミリオンライブのPがこんな目に合わなければならないのか。
さんざんシンデレラガールズをバカにしてきたことが今になって返ってきたのか。
...さすがに今のアイマスにここまでのキチガイがいるとも思えないけど。
多かれ少なかれ、売上をネタに騒ぐやつもいるのだろう。
私の回りにはミリオン専任Pが多い。スターライトステージをプレイしているだけで顔をしかめるような者もいる。
過去にはシンデレラガールズを、文字に起こすのも憚られるような言葉で貶めて嘲笑っていたものも少なからずいる。
コンプガシャ騒動やアニメ放映時と、何かと話題に事欠かなかったのも要因のひとつではあろう。
それでも。
そのコンテンツが好きで少なくない時間と金をかけているものがいる。
それを虚仮にして、貶めて、嘲笑ってきたツケが回ってきたのだろう。
せいぜい明日は、売上やそれに類する話題を目にしないよう顔を伏せて過ごしていただきたい。
こんなことを匿名ブログに吐き出す私も、彼らと変わらないのだろう。私も愚かな人間の1人だ。
私も彼らがシンデレラガールズを嫌っているのと同じくらい、彼らミリオンの古参Pが大嫌いだ。
だから。
彼らが何より嫌いな、Pastel*Palettesの新譜よりも売上が下回り、彼らが表には出さずとも歯噛みし、発狂してほしい。