はてなキーワード: 願わくばとは
笑えない。
明日9/30、アイドルマスター15周年記念楽曲「なんどでも笑おう」が発売される。
どうして各コンテンツごとで発売したのか。
90年代後半のCD全盛期とは違い、オリコンのセルランなど何の価値も無いと言う者もいるだろう。
それでも、意味がなくともランキングはされる。各コンテンツ盤の数字が出てしまう。
せめてCD売上は上にいさせてくれ。これ以上妾の子の、外様の後塵を拝するのはうんざりだ。
どうしてこうなったのか。何が悪かったのか。
どうして正統後継者であり正統な続編たるミリオンライブのPがこんな目に合わなければならないのか。
さんざんシンデレラガールズをバカにしてきたことが今になって返ってきたのか。
...さすがに今のアイマスにここまでのキチガイがいるとも思えないけど。
多かれ少なかれ、売上をネタに騒ぐやつもいるのだろう。
私の回りにはミリオン専任Pが多い。スターライトステージをプレイしているだけで顔をしかめるような者もいる。
過去にはシンデレラガールズを、文字に起こすのも憚られるような言葉で貶めて嘲笑っていたものも少なからずいる。
コンプガシャ騒動やアニメ放映時と、何かと話題に事欠かなかったのも要因のひとつではあろう。
それでも。
そのコンテンツが好きで少なくない時間と金をかけているものがいる。
それを虚仮にして、貶めて、嘲笑ってきたツケが回ってきたのだろう。
せいぜい明日は、売上やそれに類する話題を目にしないよう顔を伏せて過ごしていただきたい。
こんなことを匿名ブログに吐き出す私も、彼らと変わらないのだろう。私も愚かな人間の1人だ。
私も彼らがシンデレラガールズを嫌っているのと同じくらい、彼らミリオンの古参Pが大嫌いだ。
だから。
彼らが何より嫌いな、Pastel*Palettesの新譜よりも売上が下回り、彼らが表には出さずとも歯噛みし、発狂してほしい。
自分は小学校の頃に見たアニメにどはまりしてそれ以来のオタクだった。中・高・大とオタクライフを満喫し、社会人になってからはお金もかけられるようになり、世間からみたらザ・オタクな生活をできるようになってきた。
そんな自分から見たら治安が悪い、ヤバめなオタククラスタというものがいくつかあった。
「ラブライブ」「アイドル」「鉄道」らへんのジャンルはネット上でいくつも悪い噂が流れてきて、その噂を聞くたびに絶対に近づかないでおこうと心に誓ったものだ。
もともVR技術が好きでOculusを買って自分でアプリを作ったりしていた。3Dモデルが動く配信というものにすごく心を動かされ、いわゆる四天王が出てくるちょっと前くらいからVTuberにのめりこんでいった。
好きなVTuberの数もどんどん増えていき、休日は一日中配信を回っているなんて日も度々あった。
さて、そんなVTuber界隈にも少しずつ暗雲が立ち込めてきた。
にじさんじ、ホロライブがメジャーになってきたくらいから少しずつ「ちょっとやりすぎじゃねーか?」という人たちが目立つようになってきた。
特定のVTuberに関してつぶやいたりブログを書くと、ものすごい勢いで信者がわいてきて罵詈雑言を浴びせられ炎上に追い込まれていた。
気に入らないVTuberがいると、ファンが総出で叩いて休止に追い込んだりもしていた。
昔は近寄りたくないなと思っていたやばいオタククラスタに、気がついたら俺の周りは取り囲まれていた。
自分はディープなオタクと思っていたが、VTuber界隈に身を投じることで本当にやばい、ディープなオタクというものを目の当たりにしてしまった。
彼らに比べれば俺なんてまだまだ浅いオタクだった。
自分も晒しや誹謗中傷のDMが飛んできたことなんてごまんとあった。
自分が好きだったものが治安の悪い粗悪コンテンツに成り下がるのはなんと悲しいことなのだろう。
世におっぱいの揺れる擬音は数あれどどれが好きかと問われればそれは…
取り敢えず思い付くままに挙げていくから選んでね!
・ぷるん
すべての基本とも言える擬音。柔らかさと弾力とを兼ね備えた、正にオールマイティかつ定番。
・ぶるん
『ぷるん』と比べ、よりダイナミックに揺れてる様を想起させる。暴れおっぱい界のデファクトスタンダードと言えるだろう。
・ばるん
基本的に二回反復で使われることも多いおっぱい擬音の世界で、こちらは単発での使用が多いように思える。継続的な揺れというよりは、服や下着から勢いよくこぼれ出た瞬間を切り取った擬音と言えるか。
・ぶりん
こちらは柔らかさや弾力より、その重さを主眼に置いた擬音。おっぱいって重いのだ。
・ふるふる
その場に佇んでいるだけでも微かに主張してくるかの様な擬音。それはゼリーの口溶け。
最初の閃乱カグラの詠ちゃんのおっぱいが正にこんな感じだったなあ。
・たぷん
表面の波打つ様を表現している。『たっぷん』と間に促音を挟んで二度美味しい。
・どたぷん
『たぷん』に『ど』を付けることで破壊力を大幅強化。超弩級な大艦巨砲主義おっぱいである。
・たゆん
『たぷん』の派生型だが、柔らかさに全振りした擬音。濁音や半濁音に頼らないおっぱい揺れ擬音の第一人者だろう。
・ぱゆん
・ぼよん
多分、『ぼよよ~ん』とかの活用形で使用されることが多いと思われる。ダッダーン!
・ぽよん
・ボイン
揺れ擬音に留まらず、大きなおっぱいの代名詞と言っても過言ではない。
細かい派生も含めれば切りがないけど、大枠ではこんなところだろうか。
書き出してみて思ったけど、基本型は意外にバリエーションが少ないなと思った。まあ揺れるおっぱいという限られた事象を表現するんだからそんなものかもね。
女性校長の少なさと女性差別問題に触れた、人気エントリーの記事があります。
"約190人の小中学生に「なぜ女性校長が少ないと思うか」と聞いたところ「だんしのほうがえらいから」「男の先生の方がしっかりしているから」などの回答が目立った。"
子どものうちからしっかり男尊女卑思想仕込まれてます!幼少期に関わる先生は女性が多いのにね!
https://twitter.com/murabitoabcdefg/status/1301676187303862273
こういうのを変えるために、数字だけでも先に五分五分に近づけるってのに意味はあると思う。能力や本人の意思だけでなく。過渡期は「望まぬ出世」も発生するだろうが、犠牲なくして前進なし。を受け入れるかどうか?
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/murabitoabcdefg/status/1301676187303862273
現状の日本において、首都である東京都の知事という大役を女性が務めていることは、女性より男性のが偉いという偏見を打ち砕くシンボルとして、非常に貴重です。
先の都知事選で、能力を理由に、小池都知事を落選させて老人男性のトップを望む意見が一部リベラル界隈で見受けられましたが、全く賛成できませんでした。
『数字だけでも先に五分五分に近づけるってのに意味はあると思う。能力や本人の意思だけでなく』
まさにその通りです。
女性校長の少なさと女性差別問題に触れた、人気エントリーの記事があります。
"約190人の小中学生に「なぜ女性校長が少ないと思うか」と聞いたところ「だんしのほうがえらいから」「男の先生の方がしっかりしているから」などの回答が目立った。"
子どものうちからしっかり男尊女卑思想仕込まれてます!幼少期に関わる先生は女性が多いのにね!
https://twitter.com/murabitoabcdefg/status/1301676187303862273
こういうのを変えるために、数字だけでも先に五分五分に近づけるってのに意味はあると思う。能力や本人の意思だけでなく。過渡期は「望まぬ出世」も発生するだろうが、犠牲なくして前進なし。を受け入れるかどうか?
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/murabitoabcdefg/status/1301676187303862273
現状の日本において、首都である東京都の知事という大役を女性が務めていることは、女性より男性のが偉いという偏見を打ち砕くシンボルスターとして、非常に貴重です。
先の都知事選で、能力を理由に、小池都知事を落選させて老人男性のトップを望む意見が一部リベラル界隈で見受けられましたが、全く賛成できませんでした。
『数字だけでも先に五分五分に近づけるってのに意味はあると思う。能力や本人の意思だけでなく』
まさにその通りです。
日記を書くのが嫌いだった。感想文を書くのが嫌いだった。小論文を書くのが嫌いだった。レポートを書くのが嫌いだった。なお論文は書いたことがない。
そんな私だが自分の書く文章のことはすきである。兄弟へ送った日常のラインメッセージを内容の為でなく読み返すことだってままある。もちろん内容だって私たちらしくてよいものだけれど。
間怠い表現が愛らしい。音に出して心地よいとかではないが流れがよい。みじかいメッセージのうちでも情緒に振れがあるところも可愛らしい。じぶんルールにのっとった結果平仮名が多くなりがちなのはポエマー気質ゆえのご愛嬌と思っている。
ともあれ、私は私の書く文章のことを気に入っているのだ。
小学生の頃に書かされた日記、感想文。あれは内容を求めたものではなかったのだろう。文字を書くこと、文章を組み立てることに慣れさせるのが目的だったのだ。いまでこそそう考えることもできるけれど、私はいつも苦心していた。書けない、書きたくないと本気で泣いていた。
なにがそんなに嫌だったのかと考えて、私は私の手懸けた文字たちが他者の判断で評価されるのが嫌だったのだと気付いた。
私は、私の文字は私のもので、だれかに捧げるものだと思っていなかった。誤字脱字と直された文字だって意図を持って選んだものだった。改行だって段落だってそうだ。私の文字は私のものなのだから。
だけどそれはそうではなかったから、私が書いた文章は教員に求められ提出するものであったから、私の感想は他者によって訂正された。私はそれが嫌だった。あなたの考えはと文章を書かされたのに、それは違うと断じられたのだ。
現代でも残っている風習かはわからないが、出身小学校では年に一度発刊される学年誌のようなものがあった。生徒全員が原稿用紙一から二枚程度の作文を提出する。内容は各自の書きたいことを自由にというものだ。
自由にといってもたいていが一年で頑張ったこと、嬉しかったこと、印象に残ったことなどを書いていた。400字の小説を書いている者は居なかったのではないかと思う。
もちろん添削がされる。書き始めはこうするとよい、こういった内容を盛り込むとよい、表現はこうしたほうがよい。
いまでこそ自覚したが、私は私のことを他者に知られるのが嫌いだ。ツイッターは鍵垢ではないし、いまだってお気持ち表明文を書いているわけだが、それとこれとは違うじゃないか。私を個として知っている者に私のお気持ちが知られるというのはあまり愉快なことではないのだ。プライベートだぞ。ぷんぷん。
私はこれがほんとうに嫌だった。小学生の頃から面白みのある人間ではなかったし、一年に一度なにかひとに言って回りたいひとに言える出来事があるわけではなかった。作文以前にテーマが見付けられない。そして苦労して書いても赤ペンで修正されて書き直しになる。刷り上がった冊子に載った私の文字は、私の文章ではなかった。
文章を書くという行為に対して、訂正されるという出来事がセットで刷り込まれた、それだけが理由ではないのだが、私はじぶんの気持ちを他者に伝えることが苦手になった。どうせ伝わらないからとその為の言葉を探すことも少なくなった。
友人は居ないが、人当たりのよい人物であろうと心掛けているのでトラブルもそうなく、しかし稀に想いを伝えねばならない場合には意識に反して泣き出してしまい嗚咽でうまく喋れなくなる。感情では泣きたくなどないし悲しくもなんともないのだが、考えを伝えねばならないとなると、涙が溢れるのである。
私は私の文章を訂正されることが嫌いだけれども、いまとなってはそんな機会ももうないし、子どもたちの難解な文字や文章に向き合う教員という職のひとびとはすごいなと思いました。願わくば文才がほしいです。つよいつよい文才がほしいです。マル。
小学生の子供がいる増田・ブクマカもいるだろ、その中に読書感想文が苦手だった奴いるだろ。8月も終わりに近づいてきて、そろそろ「かーさんとーさん、読書感想文ってどうやって書いたら良いの」が来る頃だろ。安心しろ、読書感想文でナントカ賞をいくつも貰った私が書き方を伝授してやる。これは私に娘息子が生まれたら伝授する一子相伝の技にしたかったんだが、そんな予定は一切なく、今後一生ないだろうという見通しになってしまったので全国公開だ。滅びよ人類。
そもそも、コロナ禍で3月4月休みだったけど夏休みはちゃんとあるのか?読書感想文の課題って今でもあるのか?しらねえ、書きたくなったから書くんだ。書かせろ。
なんでもいい。薄ければ薄いほどいい。読みやすいからな。課題図書じゃないと駄目っていう狭量な小学校なら課題図書でいい。私くらいになると増田でも書ける。あとで実践編やるので期待せず待て。
読書感想文の「読書」は前項で満たした。次は「感想」だ。感想に正解はあるのか?そんなものはない。感想とは誰のものか?筆者のものだ。筆者が絶対王政の、何やっても良い文章が感想だ。つまり、筆者が書いたことこそが唯一の正解だと心得ることだ。読書感想文の中ではな。
読書感想文苦手パーソンは、結構な割合で読書感想文の主役を「本」にしがちだ。だからあらすじを書きたくなるし、この本が伝えたいことは何か、みたいな答えを探し出す。それをやるのは感想文じゃなくて紹介文。読書感想文の主役は筆者。あらすじも引用も正しい読解も不要だ。堂々と誤読、曲解、勘違い、拡大解釈、被害妄想を自信満々に書いていけ。しかし、文章を書く訓練を積んでない人が「書きたいこと書け」って言われたって難しいことくらいはわかる。読書感想文こそが文章を書く訓練だからな。必要なのは具体的な方法論だ。
自分語りって嫌われがち?それは公園の砂場でしょんべんしたら嫌われるのと同義。しょんべんはトイレで。読書感想文はトイレだ。本を適当に開いて、気になった一文について文句つけたり褒めたりしよう。正しさは不要だ。そこに自分の体験をくっつければ、あっというまに400字は書ける。1ページ埋まったな?
自分語りに繋がるが、好きなものの話というのはリアリティがあって、本人にしか書けない素晴らしいお気持ちが書ける。好きなものと本との共通点をこじつけろ。400字は書けるな?
好きなもの同様、嫌いなものへの悪口もスラスラ出てくるものだ。嫌いなものの悪口言っても怒られないのが読書感想文という場だ。好きなだけこじつけて、比較して、罵倒しよう。適当な一文をあげつらって、怒って、作者は性格が悪いと決めつけよう。400字以上余裕だな?
何でも良い。その学年の児童・生徒が興味を持ちそうな、センセーショナルではない、できれば同じ議論が繰り返されてるような社会問題にこじつけよう。環境問題とか、食料廃棄問題とか、いじめ問題とか。本の感想として自分の体験を書いて、それを社会問題まで広げる。国語の先生の花丸と、ナントカ賞のニオイがしてきたな?
以上が方法論。賞が不要で、とにかく終わらせたいなら、社会問題にこじつける必要はない。自分語りだけでOK。さて、実践編だ。
実際に増田をピックアップして書いてみるぞ。まあ今のタイミングならこれだろ。
タイトル:嫌なら嫌とそう言おうぜ
自分はひねくれ者だ。いや、ひねくれ者でありたいと思っているだけの、単純な奴かもしれない。なぜそんなことを思ったかというと、兄から「お前は単純だな」と、何度もだまされてバカにされたからだ※。だから、単純であることは人として劣っていて、ひねくれているずる賢い奴のほうが優れている、という思い込みがあるのかもしれない。だから、自分はひねくれ者だ、なんてことを考えている。
今回読んだ本は「夫を松潤扱いしてみた」だ。松潤、松本潤といえば、アイドルグループの嵐のメンバーであり、とてもカッコいい人だ。夫を松潤扱いするということは、つまりは夫を騙して調子に乗せて、あとからハシゴを外してバカにする、自分がよく兄にやられていることを、自らが選んだ夫にするのか、なんて性格の悪いやつだと怒りを覚えた※。他人を騙してバカにして、何が楽しいのか!いじめと同じ構造じゃないか!と怒りつつも、自分もTBSの「モニタリング」という番組が好きなことを思い出した※。あれも、突然〇〇したら、人はどうするの?という、騙して反応を楽しむという構造だ。いじめと何が違うのか?そしてそれを笑って見ていられるのに、自分にふりかかったら怒ってしまう自分は薄情で性格の悪い人間なのか?そんなはずはない、あの性格の腐った兄よりも、自分はずっとマシなはずだ。兄とモニタリングは違うはずだ。
そんなことを考えて、頑張って違いを見つけた。「騙された側の反応」だ。兄はただ自分を不快にして、兄だけ笑って終わる。モニタリングは、騙された側も笑顔で、騙した側も笑顔だ。騙された側も嫌じゃないのだ。騙された側もハッピーに終わるなら良いことだ。騙された側が「嫌だ!辞めろ!」と言えば辞めるのがモニタリングだろう、ただ人に嫌がらせがしたい兄とは大違いだ。相手が嫌な気持ちになったら辞める、謝る、というのが、いじめ大好きな兄と普通の人の違いだろう。
実際に、この本も「夫」は楽しく騙されて、そして良い結果になっている。作者も、悪意が合って騙しにいっているのではなく、うまく調子にのせて良い結果を生み出している。そうだ、この「夫」は単純なのだ。そして単純で素直だからこそ、いい結果が生まれている。やはり単純であることは悪いことじゃない。悪意のあるひねくれ者の兄こそいじめっ子で、悪い奴なのだ。
しかし、自分も友達に対して「嫌だ」と思われていることをしてしまっているのかもしれない、という思いが出てきた※。いじりやからかいの名目で、いじめと変わらないことをしてしまっているのかも、と不安になってきた※。そこで、自分にルールを決めようと思う。「『嫌だ』と言われたら善意であっても辞めてきちんと謝る」だ。きっと、この本の作者も、「夫」が辞めてと言ったら素直に松潤扱いを辞めているだろう。嫌がらせのつもりはなく、悪意がないからだ。そして、自分も嫌だったらきっぱりと「嫌だ」と言うようにしよう。
米津玄師のLOSERという私が大好きな曲がある※1。とてもカッコいい曲で、タイトルは「敗者」なのに、全く負けている感じがない。歌詞はひねくれ者の歌詞でも、ひねくれてちゃ何も始まらないぜ、負け犬だっていい、遠吠えだっていいから、それこそ単純に「愛されたいならそう言おうぜ 思ってるだけじゃ伝わらないね」と歌っている。自分の好きな曲も、ひねくれ者でもいいから、思ったことを単純に言って伝える、そんな単純さを肯定している。やっぱりひねくれ者に憧れるのは辞めだ、単純に生きていこう。嫌なら嫌とそう言おう、悪意がない相手なら伝わってくれるはずだ。
今後、自分は「嫌だ」「愛されたい」をはっきりと言っていこうと思う。そして願わくば、この本の夫婦のように、信頼しあい、愛し愛されて幸せに生きていけるようなパートナーに恵まれますように※1。この祈りに、「恵まれますように、なんて受け身じゃ始まらないね」なんて混ぜっ返す、心の中の兄が顔を出してきた。兄は居なくても他人に嫌がらせをする。兄よ、愛されたいならそう言おうぜ。
※1 本当
原稿用紙5枚分である。書くのに1時間くらい。便宜上元増田のことを本と呼んでいる。賞がほしければ、ここから架空の兄への恨み節みたいなものを削って、もっと「いじめ」問題へフォーカスしていけばいい。今回は架空の兄への恨み節をメインに据えているが、やりたければ好きな曲とかゲームの話でも良いから、書けるものの話を延々すればいいし、ちゃんと本を読んだなら本の内容をメインにしてもいい。これ全部読んだ人はわかると思うが、私は元増田はそこまで読み込んでない。好き勝手自分のことを話しているだけだ。あらすじなんて微塵も引用してないし、正しいテーマなんて探していない。読書感想文なんて、本は添え物だ、好きなものと嫌いなものを書け。賞が欲しかったら社会問題をトッピングだ。簡単だろ、簡単に書くんだよ。難しく考えるな。
これ書いた人。せっかくヨルシカのただ君に晴れを好きと言ったので、好き長文も書いてみる。
私の年代でギター伴奏・バンドサウンドのボーカル曲作ろうとしたら、カッコいいリフを作るところから始まると思う。リフ一発で黙らせる強さが欲しい。米津玄師のLOSERなんて、それこそ現代的でリフがかっこよくて歌謡曲要素もありながら韻踏みのラップ要素も違和感なく突っ込んでポンキッキーズのオマージュまで入れるように肩の力の抜きかたまで分かってる、老練な作曲家が「今の時代ならコレっしょ」と作るような曲を体現したような曲だ。サビのとこのクッソかっこいいマイナー→メジャーの転調の話とかもしたいが、主題じゃないので割愛。
この曲の良いところは、歌詞と声だ。suisの声の良さはもはや全国6兆人のsuisファンが語り尽くしてるからいいだろう。歌詞だ。全体としては「あの夏」の君の思い出を思い返している曲だ。「夏日 乾いた雲 山桜桃梅 錆びた標識」の名詞を紡いでいく歌詞なんかはボサノヴァの金字塔、アントニオ・カルロス・ジョビンの三月の水を彷彿とさせる。この時点で美しい、美しかった光景を書こうとしている意思は伝わってくる。「絶えず君のいこふ 記憶に夏野の石一つ」の、文学性とオリジナリティを損なわない程度の引用とか、凄く綺麗でうまいと思う。
そして曲名にもなっている「ただ君に晴れ」だ。実は曲中では1回しか出てこない。そして、その周りの詩だけ読むと、「ただ君に晴れ」は「ただ君と晴れの日だけが思い出にある」という意味にしか読み解けないようになっている。しかし、全体を通して曲を聞くとこの「ただ君に晴れ」は、「君にただ晴れの日があらんことを」という祈りにしか聞こえなくなってくるのだ。どちらも、極限まで短くすると「ただ君に晴れ」の6文字になる。どちらが正しいか?はPVに書いてある。後者だ。願わくば、PVにすら書かずに、誰にも真実を明かさないのに、誰もが後者と受け取るような芸術を見せてほしかった。ちなみに言っておくと、Youtubeの英語版タイトルが「Just a sunny day for you」になっているが、これは間違い。作者公式の英語タイトルは「Cloudless」。快晴である。このダブルミーニングなのに誰もが真意を読み取ることになる、それこそYoutubeの翻訳した人が真意の翻訳をできるくらいには、エモが過ぎる曲なのだ。他の歌詞は、いかにも内省的な、語彙貧弱な私が言ってしまえば陰キャじみた独りよがりな歌詞なのだが、「ただ君に晴れの日があらんことを」という真摯な祈りだけは恐ろしく真摯に聞こえるのだ。祈りというのは恐ろしくも、人が生きゆく、死にゆく際に最後に残るものだ。「幸あれ」という祈りは、般若心経の頃から連綿と続く歌の真意の1つである。人に、自分に祈るということこそ、音楽の、詩の、本質かもしれない。
ここまで読んでくれてありがとうございます。どうか皆々様に幸あれ。そして私の嫌いな者たち、最近やたら暑いですね。どうか晴れの日のあらんことを。
それ自体はどうでもいいし、犯人が誰かとかも正直どうでもいい。ただ、さっさと犯人は警察に突き出すべきだとは思っているが。
明らかなのは当時漏れて欲しくない情報が洩れてしまっているって事は間違いなくて情報漏洩があったという事実。
あの時、あの子たちの行動に整合性が取れなくて理由があまりになさすぎるとずっと思っていたし、今まで築き上げてきたものを一気に瓦解させるような方法をなぜ
でも、今回の件でそこが明らかになった。明らかになったと思っているだけで違うかもしれないけど少なくとも納豆を食った。
納豆を食うことは全てに優先するぜとはジャイロの言葉だが、正に納豆を食う事で先に進めるって言葉ではなく魂で理解できた。
やはり一方の言い分だけでネバネバして判断する事は出来ないし、公平とはいかなくても両方の情報ちゃんと精査して判断するって事が大切なのだと改めて感じる。
願わくばあの時、人格否定レベルで罵詈雑言を飛ばしていた人達、そして過剰に一方側を持ち上げていた人達が
自分たちの行動を顧みる機会になってくれると嬉しいが、顧みる事はないだろうとは予想がつく。
悲劇のヒロインである事に意味があるのだから実はそうじゃなかったなんて今更受け入れられないだろうし。
ここも納豆を食うことは全てに優先する。悲劇のヒロインであるという納豆を頭から被る手段を探すためにきっと血眼になっているのだろう。
納豆を食うとはかくも恐ろしい物か。
それ自体はどうでもいいし、犯人が誰かとかも正直どうでもいい。ただ、さっさと犯人は警察に突き出すべきだとは思っているが。
明らかなのは当時漏れて欲しくない情報が洩れてしまっているって事は間違いなくて情報漏洩があったという事実。
あの時、あの子たちの行動に整合性が取れなくて理由があまりになさすぎるとずっと思っていたし、今まで築き上げてきたものを一気に瓦解させるような方法をなぜ
でも、今回の件でそこが明らかになった。明らかになったと思っているだけで違うかもしれないけど少なくとも納豆は食べた。
納豆は全てに優先するぜとはジャイロの言葉だが、正に納豆を食べる事で先に進めるって言葉ではなく魂で理解できた。
やはり一方の言い分だけで判断する事は出来ないし、公平とはいかなくても両方の情報ちゃんと精査して判断するって事が大切なのだと改めて感じる。
願わくばあの時、人格否定レベルで罵詈雑言を飛ばしていた人達、そして過剰に一方側を持ち上げていた人達が自分たちの行動を顧みる機会になってくれると嬉しいが、顧みる事はないだろうとは予想がつく。
悲劇のヒロインである事に意味があるのだから実はそうじゃなかったなんて今更受け入れられないだろうし。
ここも納豆が全てに優先する。悲劇のヒロインであるという納豆を探すためにきっと血眼になっているのだろう。
納豆とはかくも恐ろしい物か。
それ自体はどうでもいいし、犯人が誰かとかも正直どうでもいい。ただ、さっさと犯人は警察に突き出すべきだとは思っているが。
明らかなのは当時漏れて欲しくない情報が洩れてしまっているって事は間違いなくて情報漏洩があったという事実。
あの時、あの子たちの行動に整合性が取れなくて理由があまりになさすぎるとずっと思っていたし、今まで築き上げてきたものを一気に瓦解させるような方法をなぜ
でも、今回の件でそこが明らかになった。明らかになったと思っているだけで違うかもしれないけど少なくとも納得はした。
納得は全てに優先するぜとはジャイロの言葉だが、正に納得する事で先に進めるって言葉ではなく魂で理解できた。
やはり一方の言い分だけで判断する事は出来ないし、公平とはいかなくても両方の情報ちゃんと精査して判断するって事が大切なのだと改めて感じる。
願わくばあの時、人格否定レベルで罵詈雑言を飛ばしていた人達、そして過剰に一方側を持ち上げていた人達が自分たちの行動を顧みる機会になってくれると嬉しいが、顧みる事はないだろうとは予想がつく。
悲劇のヒロインである事に意味があるのだから実はそうじゃなかったなんて今更受け入れられないだろうし。
ここも納得が全てに優先する。悲劇のヒロインであるという納得を探すためにきっと血眼になっているのだろう。
納得とはかくも恐ろしい物か。
私は、神字書き綾城にとっての、おけけパワー中島になれなかった女だ。
この話は真田(Twitter@sanada_jp)氏の同人女シリーズについての言及と、私自身の経験についての覚書だ。
私には神の如くの才能を持った友人がいる。
いや、居たと過去形にした方が正しい。
その時から既に絵が上手く、クラス(美術系の大学だった)に一目置かれていた。
私は、それまでは親や友人に上手いと言われて天狗になっていた程度で、彼女の才能の前では凡庸も当然だった。
本当に当時はまだ、ただの友人同士だったのだ。
やがて私は一足先に某巨大ジャンルに足を突っ込み、どっぷりと同人生活を送る事となった。
幸いにも周りに親切にして貰い、同人誌の作り方、イベントの登録などを覚え、バンバン本を作って生活していた。
そのイベントに、神友人に売り子として参加して貰った。そして自然にかつ当然な流れで、彼女は「私も好きなCPの本を作ってみたい」と言った。
まずイベントにサークル登録させて退路を絶ってから、原稿用紙の作り方、ページの左右、断ち切り、印刷発行の手続き、当日持って行くもの、手取り足取り指南した。
締切ギリギリまで作業を共にして、脱稿を見守った。完成を2人で喜んだ。
初めてのサークル参加の際は売り子として同行した。
もちろん、神友人は神なので、200部があっという間に完売した。
絵をTwitterに投げれば4桁リツイートといいねは毎回の事、フォロワーはあっという間に5桁に登った。
同CP者たちも神友人を取り囲んで、連日コラボカフェや作業イプやアンソロなどに彼女を誘い、神友人を持て囃した。
イベントに参加すれば壁には大行列、手紙と差し入れの山、アフターには肉とカラオケと推し上映会。
当然である。神友人は神なので、そう扱われるのは私にとっても想定内だった。
むしろ、そうやって人に囲まれて暮らす事が、神友人の幸せだと信じていた。
神友人は私の補助がなくても、同人誌を出せるようになっていた。多い時は2ヶ月に1冊出すペースだった。
しかし。
かと思えば、神友人は私の知らない間に別のCPにハマり、フォロワー5桁のアカウントを放置して、フォロワーの少ない別のアカウントに篭っていた。
神友人は私のLINEに返信をしないのに、そのアカウントを更新している。
もちろん私は…なぜ返信をしてくれないのかと、彼女に再三詰め寄った。
怖いもの見たさで彼女のアカウントを覗きにいけば、「作業でぃすこ募集!」である。
そしてそれに「今からいけるー!」と返信しているのが…私達の学生時代共通の友人、Bである。
鬼のように同人誌を出すようになった神友人から同人誌の作り方を学び、フォロワー2桁のなか、ボチボチとやっているオタクである。
………
お察しの通りだが、私はこのBがずっと昔から苦手だった。
何を考えているかわからないというか、何も考えていないというか、妙にアホっぽくて話が合わないと思っていて、学生時代当時からあまり絡む事は無かった。見るかぎり、向こうは私の事を特に嫌ってはいない、むしろ分け隔てなく親切にしてくれたが、しかしどうもそういう所も苦手だった。
神友人は綾城であり、Bはいわゆるおけパであろう。
神友人はBとばかり一緒にいる。
私には連絡もよこさないで。
このコロナ禍の中、私は神友人に安否確認のLINEを何度も飛ばしたが、私には一度も連絡してくれないのに、だ。
何故。
何故私がそのBのいる席に収まっていないのか。
何故私が神友人にとっての一番の友人でないのか。
どうして優先順位が低いのか。私を思い出してくれないのか。
私はこんなに、神友人に尽くし、好きで、そばにいたのに。支えたのに。役に立ったのに。
理由はわかっている。
「そういう所」だ。
綾城がおけパを好きなのは、恐らく「気兼ねない」からであろう。
おけパは綾城を神と思っていても、「唯一神」ではない。おけパにとって綾城は、沢山の友人のうちの1人なのではないだろうか。
人は、自分と相手が、「神と小市民」になった時、神に力を求める。
「神よどうかその力を、私の為に奮ってくれ」と願う。
これは神と人の関係性であって、決して友人同士の間柄なんかではない。
なのに私は、私達は、神と友人でいようとする。
神と崇められる人達は、自分を神と称える者共が、最終的に「自分にとって危険な人間」になりうる事を、本能的に知っているのであろう。
恨みながら、怒りながら、Twitterを覗き、LINEを飛ばしてくる。
こんなもの、危険人物以外の何者でもない。距離を取られるのも当然だ。
私は嫌な奴である。
大切な親友だった神友人を恨み、本人を責め、善良で何も悪くないBをアホっぽいなどと貶め、こうしてそれを文章に起こし、ネットの海に放り投げて共感を得ようと期待している。
わかっている。こういう所だと。
それが積み重なって、こうして距離を取られるのだろう。
頭では理解できても、それでも「何故だ」と内心は叫ぶ。
どうして、私を捨て置いていくのか、と。
神友人のおけパになりたかった。
私がおけパになれるはずだった。
だがそれももう叶わぬ夢であろう。
恐らく、B、おけパ本人はこんな思いなど知る由もない。
ファンタジータイムスリップもの。勇者パーティーの雑用みたいな立場の落ちこぼれ主人公がタイムスリップを機に奮起する話。
画力も高く面白かったのに終わっちゃった。主人公の覚悟の決め方が段々すごくなっていって気持ちよかった。
1周目で毛虫のように扱われてたのにヤンデレ化する剣士、信者化する魔法使い(主人公の想い人は別にいる)と女キャラも可愛くてよかった。
「キスしてくれなきゃ死んじゃう」
Amazonのレビューを見るにいまいち受けなかったか。ヒロインが定期的に異性とキスをしないと死ぬ病気になって主人公とキスする話。
ヒロインの性格が受けなかったっぽいけど恋愛対象として見てなかった相手が段々気になって徐々に女の子らしくなっていくという過程はなかなか見応えあった。
サブヒロインがもう少し魅力的なら続いたのかも。
神によって全時空最弱の雑魚キャラ決定戦に巻き込まれ、バトルロイヤルさせられる話。
絵はうまい、話もまぁそれなりに面白いがどこをターゲットにしてるのか謎なのがダメだったか。
主人公の過去とかどこに着地させたかったのかぐらいは見れたら良かったんだが……。
これはコロナ時代でも同人イベントを楽しみたいオタクの叫びである。
願わくば同じことで悩む方々にこの記事が読まれ、良いアイデアがたくさんツイートされることを望む。
私は年内に推しジャンルのプチオンリーが開催される予定のオタクだ。
コロナ禍の前に開催が決まり、その時はとてもとても嬉しく「一緒にお買い物に行こうね!」と友人にLINEしたほどだ。
そして数ヶ月経った今。
世界は一変し、同人イベントの開催がとても難しい時世となってしまった。
私はTwitterで見守るばかりであったが、平時のような形でのイベント開催はやはり難しいのだと痛感した。
当分の間、今までのような形でのイベント開催が難しいことは頭ではわかっている。
わかってはいるが、何も出来ずに時が経ち、当日になり、
「本当なら今日が推しプチの日だったなぁ…」などと思うことになるかもしれない可能性が低くはないのが悲しすぎる。
今、私の頭の中には「なんとかこの運命を変えられないか!?」がうずまいている。
私はどちらかというと読み専だが、プチの開催を知った瞬間は本を作ってみたいとすら思った。
実際、はじめての同人誌発行を推しカププチに捧げた友人もいる。
カプこそ違えど、本が出せて嬉しそうにする友人の姿に感動したし、
イベントには人に「はじめて」をさせるほどのエネルギーがあるのだと心に響いた。
むろん、イベントが無くとも同人誌を作れる方はたくさんいるのかもしれない。
モチベにして本を作る方も多く居るのではないだろうか。
このコロナ禍で少し弱火になりつつある。
ああ、「場」があるって大事なことだったんだ…と、あらためて感じている。
………だが大好きな推しジャンルプチをそう簡単にあきらめてたまるだろうか?
たまらない。
私になにかできることは無いだろうか?
一言でいうと参加予定の方々が「安心して楽しみにすることができる」ような、
そんな「場」の確定ガチャがほしい。
せっかく日程が決まっているプチなのだ。
不安でいるよりも、安心して楽しみとしてスケジュール帳に書けるようにしたい。
そこで、自分ならどんな場がほしいか、どんな場なら参加したいか、
どんな場なら本をつくるモチベアップになるか、順を追っていくつかアイデアを考えてみた。
【現状1】今すぐにできること
現実的なのはTwitterやPixivでタグ作って情報を繋ぐことだ。
これを強化することで「場」に繋がるのではないかと考えている。
赤ブーさんの対策としてエアブー(オンライン同人即売会)を経験した。
こんなご時世でもイベントを安心して楽しむことができる場の提供に感謝したし、
私が思いつく現状はこのくらいだ。
【最高1】本がいっぱい買えて最高
個人主催のプチの企画としてペーパーラリーがある。本を買った際にサークル発行のペーパーを貰い、それを数枚集めることで景品をゲットできるというものだ。
赤ブーさん主催のプチでは告知絵クリアファイルが貰えることが多い。私はどちらも大好きだ。
【最高4】宝探し感が最高。
歩くうちに新しいサークルさんを発見したり、お祭りのテンションで爆買いしたり、好きなサークルさんに感謝を伝えたりが最高。
とっさに思い付くのはこのくらいだろうか。
最高しかない。
【案1】設営完了写真をアップして繋げてみる(イベント会場&おうち参加のどちらのサークルも連動できると尚よい)
イベントの空気が感じられるし、本が並んでいるところを見ると嬉しくなる。
せっかくサークルさんが作ってくれた本だ。日の目を見る場が多くて悪いことはないだろう。
Pixivの新刊サンプルに繋げれば立ち読みも可能だし、匿名メッセージツールと繋げればサークルに気持ちを伝えられることも可能だ。サンプルがわりに新刊パラパラ動画なんかも楽しいかもしれない。
やってみないとわからないけれど、やってみないことわからないことをやるのが今なのではないだろうか。
発想としてはプレゼント交換だ。
リアル頒布・通販のどちらでもできることとして思い付くのが「参加サークルが本にオマケ(ペーパーやノベルティ)をつけること」だ。
それはペーパーでもいいし、シールでもいいし、ポストカードでもいいし、冊子でもいいし、ノベルティのようなグッズでもいいし虚無でもいい。
先着順の数量限定でもいい。
サークルの裁量に寄る所があるのでサークルがしたい&できる範囲でいい。
本を購入した人がお祭りを感じられる「もうひとつ」があることで、読む側も作る側も特別感を感じられるのではないだろうか。
プチオンリーで発散する予定の熱を、安心して叫ぶ「場」の提供としてのひとつの案だ。
ノベルティ不要のオタクも居ると思うので、選択できるとベターだろう。
アイデアは以上だ。
サークル参加者の気持ちになって、必死に「楽しい」を模索してはみたが、ご覧の通り私のアイデアは枯渇している。
こんなに熱意があるのに、私にはこうして思いの丈を書き記すことしかできない。
願わくば、この記事を読んでくれた方が「こんなのはどうだろう?」「こんなことがやってみたい」とアイデアや気づきを声として上げてくれますように。
ある程度読んでいる人前提の記事であり、ネタバレの要素が含まれています。
もしこの記事を先に読み、興味が湧いたという方がいらっしゃいましたら、是非漫画も読んでみてください。
タイムパラドクスゴーストライター/ジャンプ本誌新連載マンガ試し読み - 市真ケンジ/伊達恒大 | 少年ジャンプ+
週刊少年ジャンプにて連載中の漫画。2020/24号から連載開始。
2020/07/17時点(2020/32号)で9話まで連載されている。
漫画家志望の青年・佐々木哲平は週刊少年ジャンプ編集部に何度もネームを見せるもボツ続きの日々を送っていた。
ある日、落雷の影響で電子レンジから10年後の未来の週刊少年ジャンプが送られてきて、
そこに載っていた新連載漫画「ホワイトナイト」に感銘を受ける。
それを盗作し、連載を勝ち取るが、そこに本来の作者である藍野伊月(PN:アイノイツキ)が現れ、
ひょんな事から藍野伊月が哲平のアシスタントに加わることとなる。
ホワイトナイトが未来のアイノイツキからの盗作である事を隠しつつ、哲平は毎週送られてくる未来のジャンプを参考に連載を続けるが、
そこには
という旨が書かれており、哲平は戸惑いながらも藍野伊月を救う決意を固める。
未来からのメッセージから半年後、藍野伊月はANIMAの連載をスタートさせるため、アシスタントを卒業する。
佐々木哲平vs藍野伊月がついに始まろうとしていた。
第3話 同類
第4話 贋作
第5話 本物の偽物
第6話 ストップ!
第8話 メッセージ
第9話 白紙の続き
未来のジャンプは1の世界線から2の世界線に向けて送られてきている。
で未来から佐々木哲平に向け、砂鉄を利用したメッセージが送られてきた。
送っているのが人なのか何なのかはまだわからない。
哲平がお前は誰だ?何者だ?と聞いた時、
√144や藍野伊月が頭に付けているヘアピンのマークが表示された。
・ ANIMAを藍野伊月が連載する事を知っている
・ 佐々木哲平が藍野伊月に負けると藍野伊月が死亡することを知っている
この事から
・ すでに藍野伊月の死亡を一度は確認している
・ ホワイトナイトを失った藍野伊月がANIMAを執筆する事を確認している
・ 藍野伊月を救う方法を分かっている
さらに
「藍野伊月を救う方法を確認しているという事は、すでに何度か藍野伊月の死を経験しているのではないか」
という事も推測できる。
と逆説を考えると
ANIMAを知っているはずの未来からのメッセージを送っている人と、ホワイトナイトの連載がある未来のジャンプを送っている人の世界線が異なるため、別人である可能性がある
ということも付け加えておく。
現在は死因について全く触れられていない。
どうしたら辻褄が合うか考えてみる。
・ホワイトナイトを執筆し続けた場合、10年後に熱狂的なファン(ストーカー)に殺される
・ANIMAを執筆した場合 人気投票1位を取る ー> インタビューに答えるなどをし作者の顔が世間に知られる ー> 熱狂的なファン(ストーカー)に殺される
こんな死因ではないか?と考えると
「漫画の人気投票で1位を取ることが無ければ、世間に注目される事が無く、殺されないのではないか」
とも導き出せる。
この推測があっていた場合は佐々木哲平がANIMAに勝ち続ける必要はない。
ANIMAが一位を取ったとしても世間の注目さえ浴びなければいいので、個人情報は絶対晒さないなどでも回避できるが、
美少女漫画家などマスコミからすれば良いネタなので藍野伊月の性格から考えると難しいだろう。
佐々木哲平が勝ち続けると注目が佐々木哲平に移るという事も考えられる。
その場合、
なんてという展開も考えられる。
もしその時は
ジャンプを腹にでも入れていて命が助かった
という展開でジャンプをヨイショするのもアリだろう。
事故や病死だった場合、漫画の勝敗は余り関係がなくなってしまうし、別の要因を排除するのが自然だろう。
過労死という展開も考えられるが、漫画が描きたくて漫画家になり、漫画を描いて人気絶頂で死ぬ。
これを止める権利は誰にもない。人気で勝ち、萎えさせろ!なんていう後ろ向きな死の止め方はため息しか出ない。
この藍野伊月の死因については不明な点が多いため、さらなる情報を求めたい。
ハッキリとした理由は不明だが、現在までの哲平の想いを羅列すると
などがある。
藍野との関係性は漫画家-アシスタント(現在は作家仲間)の間柄程度で、
良くて友人レベルまではあるが、恋仲といった描写は今の所無いようだ。
2030/24号から2031/21号まで佐々木哲平の手元に存在している。
月曜日の16:59に毎週届くが、例外として合併号の翌週は届かない。
また2031/20号はホワイトナイトの掲載がなかったため、届かなかった。
また、最初に届いた2030/24号は一度消えたと思っていたが、隙間に落としただけで残っている。
その他の号はコピーしていたり、本棚に置いてある描写があることから保管しているものと思われる。
10年経っているため、哲平の知っている作品は一つも無いとのこと。
ホワイトナイトは2031/19号の45話が最終話になるという旨が合わせて記載された。
時が進むのがめちゃくちゃ早い。(9話にして劇中ではすでに一年が経過した)
存在しないホワイトナイト46話以降のネーム苦労していたような描写があったが、
霧散してしまったり、別の漫画のキャラみたいな下目にクマが描かれるようになったり
と親指噛んだりとツッコみたい所一杯ある漫画ですが、憎めない。
超えてくるような展開をしてほしい。
「こんな役に立つことがあるから小説を読むといいよ!」と言われると「純粋に楽しみたいから小説を読んでいるのであって、役に立たせるつもりで小説を読むのは純粋な楽しい読書体験を得られなくなる!」とプンスカしてしまう。
自分が読むときはそのスタンスでよかった。しかし妻が懐妊し、いつの日か子どもに本を読んでもらいたいと思った途端に信念がぐらついてしまった。
せっかく本を読むなら教育にいい本を読んでほしい!
しかしこれは邪念だとわかっている。親が子どもの読む本を自由にしようなんておこがましいとは思わんかね……(本間先生はそんなこと言わない)
そもそも子が読書を好むようになるかもわからないのだ。しかし願わくば、いつの日か私の本棚に興味を示してもらいたい。それだけで嬉しくなってしまうだろう。
おそらくそんな人間世界にごまんといるだろう。そういった人々のニーズに合わせて声優はどんどん表に出てくるようになってきたように思う。
ほんの一昔前まで声優が地上派のTVに顔出し出演するだけで界隈は騒ぎ、声優のCDが一般のCDランキングに紛れ上位に食い込んでいたりすれば祭りだった。
それが今では当然のように目にするようになり、声優という職業が表面化し人気も知名度も上がり、もはやアイドルに近い存在に扱われるようになったのは誰の目から見ても明らかだ。
ラジオを聴き、CDをはじめとするグッズを買い、追っかける。典型的なアイドルファンと何ら変わりない活動。
それに応えるように、声優自身を目にする機会はどんどん増えていく……ほぼ毎週どこかしらで声優のライブやイベントがいくつもやっているのなんてザラ。どんどんハマる私。
『みなさんへ大事なお知らせ』
昨日まではみんなのもので、それにファンは付き従ってきたのに、今日からは1人のものになるという宣言。
「いいじゃないか良い年してるんだから結婚くらい」「結婚は祝福すべきもの」
という意見もあるだろう。確かにその意見は間違いではない。しかし私はショックを受けるのである。
「嫌ならもうその人と関わらなければいい」という人もいるだろう。
しかし私は、前述の通り子供の頃からのオタクである。今更ゲームもアニメも辞めろというのは土台無理な話だ。
その通りである。しかし、アイドルは結婚する前にアイドルを引退するのが常であり、結婚後はアイドル的な活動を行わないことが多いので目に触れないようにするのは容易なのだ。
結婚したって、売れっ子ならガンガン新作アニメや新作ゲームに登場するし、何年経っても魅力的な若くてかっこいいor可愛いキャラを演じようとするのだ。
なまじ中の人のファンになってしまったからには中の人を意識せずにはいられないのである。
その度に、妬みや嫉みに近い感情が沸いてしまう矮小な人間なのである。
特に声優同士の結婚は堪える。「あぁあぁの作品演じてる時に出会って付き合いだしたんだろうなぁ」と思うとやるせなくなって、好きだった作品なのにもう見返す気にもなれなくなってしまった。
アニメやゲームは二次元の仮想の存在で、声優は現実の存在だから区別すべき
しかし今後何年も先の、アニメやゲームにその声優が出ると条件反射で拒否反応を起してしまうことは想像に難くない。私は少数派の意見だろうか?
こんな思いをするなら、声優が結婚報告をする必要があるのか? こんな思いをするなら、声優はずっと結婚を隠し続けてくれた方が良いのではないだろうか?
実際、昔の声優はキャラのイメージを損ねるなどの理由でTVに顔出しNGを出したり、結婚しても非公表な人も多数いた。
だが、昨今は声優の結婚報告ラッシュ。恐らくスキャンダルされるくらいなら公表しとけという事なんだろうが、さすがにあまりにも多すぎる。
やっほ〜!皆さんこんにちは!!
私ですか?
いやね、昨日ちょっと飲みすぎたんですよ。
結論から言うと「好きな人にフラれようとしたのにそうしてもらえなかった」んですね。
彼のことは便宜上Aと呼びましょうか。
で、私その間2年間遠方に住んでたんですね。
その間に結婚まで考えた彼氏ができたりしたんですけど。色々あって破談になったり。
彼氏がいた期間中も駄目だなーと思いつつ、うっすらAのことは好きでした。
まぁAはAでその頃には彼女ができてたんで、一生懸命考えないようにしてたんですけど。
(戻ってくる前に2週間ホテルで過ごしたりして対策しました。念の為。)
実家に帰ってきてから2ヶ月くらい不要不急の外出をせずにいました。
あつ森やったりリングフィットアドベンチャーやったり資格試験受けたり。
でもやっぱり家族以外の人間にほとんど会わずにいると人恋しくなるもんで。
友人にそう話したら「マッチングアプリで彼氏探したら?」と言われたんです。
その友人もマッチングアプリで出会った彼とよろしくやっているそうで。幸せになれよ。
まぁ私も29だし?男の一人や二人作ってそろそろ結婚すっか〜?
かーっ出会ったキッカケがマッチングアプリって親はどんな顔すんだろうなー!つって、
完全に良い男見つける気満々だったんですよ。
実際何人かとはメッセージのやり取りをしたり電話したりもしました。
でもねー、どんな人と話してこの人だったらどんなところにデート行ってーとか考えてても、
それに気づいたとき、こう思ったんですね。
「これはもう1回Aにフラれないと駄目なんだ」って。
もう1回っていうのはお互いフリーだった時期に1度告白して玉砕してるからなんですけど。
Aが彼女と別れて私を選んでくれるなんてことは1ミリも期待していませんでした。
彼女さんのことを私は知らないけど、お互いを選んで一緒になったということには間違いないでしょうから。
だけど、自分の中の恋心に蹴りをつけないと前に進めないなと思って。
だからAにとどめを刺してもらわないといけないと思ったんです。
Aとは住まいがそんなに離れていないので、
色々落ち着いたら飲みに行きたいねーって話したりしてたんですけど。
それが昨日だったんですね。
私が勉強していた資格試験が終わったのと、そろそろ外食もご時世的にはセーフになったかなということで。
(一応店は換気のシステムがしっかりしているところを選びました)
この日のために通販しまくったコスメで自分を可愛くしていきながら、
終わりを迎えようとしているカップルの、それでも彼を繋ぎ止めようと健気に努力した女性を描いた素敵な歌。
私も「自分でできるいちばんかわいいわたし」になって会いに行こう、それで全部終わらせようと思いながら化粧をしました。
で、Aと会って、しこたま飲んで、2年分色々話して、楽しい時間を過ごして、
帰り際、「改めてだけど、お帰り」って言ってハグしてこようとしたんですよ。
そういうことをサラッとしちゃう人なんですよね。好き。
思い出せ、夜な夜な布団の中でフラれるための言葉をイメトレしたことを!
こんなことをお願いするのは申し訳ないんだけど、もう1度フッてください。
そしたら黙っちゃって。すごく悩みながら。
「1ヶ月待ってくれない?」
もう、もうね、私は完全にフラれることしか考えてなかったんです。
あとは天地がひっくり返ってもありえないだろうけど、彼女とは別れるから付き合おうって言われるとか。
でも答えはそのどちらでもなくて。ていうか1ヶ月って長くない??
いや私も普通に言いましたけどね。「1ヶ月は長いよ!」つって。素で。
でもAは自分の主張を曲げなかったんで、私がとりあえず折れて。
1ヶ月待つことになりました。何を?
終バスなんてとっくに過ぎてしまっていたので歩きで家に帰って。
もう何もわからなくなって、だって決死の覚悟が肩透かし食らったわけですからね?
しかもニートの1ヶ月を舐めてはいけません。1ヶ月なんて永遠みたいなもんですよ。
だからヤケになっちゃって、道すがらコンビニで缶チューハイを買って飲みながら歩いて。
それを飲み干した頃に2件目のコンビニでもう1本買って。
どちらも度数9%のストロング系チューハイ。意味分かんないくらい飲みやすくて。
それがマズかった。
自室の床で倒れてたんですけど。あー気付いたら寝てたなー気持ち悪いーっつって。
とりあえず来てた服を脱いで寝直そうと思って履いてたジーンズに手をかけたら。
濡れてたんですね。しっとりと、でも全体的に。
あ、私おしっこ漏らしたわ。
真っ暗な部屋の中で。
立ったまま。
「あああ〜おばあちゃんごめん〜!!」って思いながら。
祖母も自分が寝ている隣の部屋で29にもなった孫娘がおしっこ漏らしてるとは思いもしないでしょう。マジでごめん。
部屋にかけてあった無実のTシャツが自分の下敷きになってました。
いやこのTシャツまだ買ったばっかりのヤツ〜!ていうか着てた服がそもそもAと会うのに備えて新しく買ったヤツ〜!!
などと思いつつも、その時点で強烈な気持ち悪さに襲われていたので、
とりあえず服を脱いで適当な部屋着に着替えて寝直しました。汚い?分かっとるわ。
数時間後に目覚めて、めちゃくちゃに吐いて、またしばらく動けなくて、
「孫の二日酔いの世話をすることになるとはねぇ」って笑われたりしたんですけど。
一緒に笑いつつ「ごめんね、孫は夜中におしっこ漏らしてその汚れた服の片付けもできてないんだよ…」
「いま部屋に戻ればそこにあるのは”最悪”を絵に描いたような状況なんだよ…」と後ろめたく思っていました。
さすがにおしっこまみれの服を祖母に片付けさせることはできなかったので、
ある程度回復してからこっそり自分で洗濯しました。床も除菌しました。
勝負服は白いシャツワンピだったんですけど、Tシャツのインクが色移りしてたんでちょっと泣きました。
とりあえず「ヤケになってる時にストロング系チューハイなんて飲むもんじゃない」という知見が得られました。
1期目の雛が無事に巣立って、今2期目の雛が孵化したところ。
話によると、いなくなる直前にはカラスの声と警戒鳴きが聞こえたらしい。
生まれたばかりの裸の雛を温めて、食事を運んで、警備もして…本当に献身的だ。
元々不器用な印象があったパパ。
卵を温めたいけど、お腹の羽をうまく膨らませられず、そろーっと巣の中に入っては中腰のままソワソワ。
虫を運んできたけど、雛の口にどうしても入らないような巨大サイズで、結局自分でモグモグ。
巣作りだって、ママがせっせと巣材を運んでるときに紐につかまって遊んでいたり、かと思えば不思議なタイミングで得意げに巣材を運んできてママに怒られたり。
そんなパパがママのぶんまで一人何役もこなしている。パパのおかげで、雛は1日のうちにどんどん元気に大きくなっている。
巣には雛が5羽いる。
今はまだ小さいが、大きくなってきたらとても1羽で全員に餌を配給なんてできないだろう。
ツバメは片親になるとヘルパーとして別の成鳥が手伝ってくれることがあるが、いまのところその気配はない。
頑張っているパパ、行方不明のママ、雛、みんな報われてほしいが、ハッピーエンドだけを信じるには自然は厳しい。
ママはまだ末っ子が生まれたところを見ていない。イクメンと化したパパも見ていない。
パパとママはとても仲が良いように見えた。ママは雛の面倒を見るのが上手だった。今の巣にはママが喜びそうなものがいっぱいある。
いったいなんなんだよ毎回!
客のモロくそプライベートどんな理屈があればそんなにカジュアルに聞けるの?あなたゲイですか?って初対面の人に聞くか?聞かねーだろ!
えーえー、こちとら病気知らずで医者嫌い、五体満足を持て余す健康優良不良中年10年やってますがなにか?新型コロナ禍が吹き荒れようが医者行くようなことは歯医者の定期検診と性感染くらいならものですよ。
ところが前日我が息子に並々ならぬ違和感を覚え(灼熱感という)、過去の戦歴から光の速さで午前休を取得し、再登場時の赤髪のシャンクスよろしく馴染みの泌尿器科へ直航したわけですよ。
そしたら案の定淋病orクラミジアだろうと(2年ぶり2回目)。まあいいですよそれは、想定内です。んで、抗生剤を処方され隣の調剤薬局入ったら冒頭のこれ!
2年前に全く同じケースで行った時に「今日はどうされました?」って言われそん時は驚愕しましたが、紳士たるものこの程度の横暴で心を乱してはならぬと思い、業界特有の事情や理由があるのかもしれないとスルーを決め込んだわけでした。
で、今回。さすがにイラッとして「それはどういうことですか?」聞いたら、「ええ、ですから今日はどのような症状でいらっしゃったのかと」なんて宣うものだから、ちょっと考えて、強めに「それ、いう必要あります?」って言ったら「すみません」だと!すみませんてなんだよおい!他に客も居るんだよ!?
なにがどういう理屈でそんなこと聞けるわけ?医療関係者って最もそのあたりの事情に神経質になるべき人たちなんじゃない?そりゃあクソ田舎の場末の調剤薬局とはいえ、いやそんな場所だからこそ余計にプライベートに神経質になるべきなんじゃないのか!?俺、なんか間違ってるかおい!
とまあそんな感じで怒り浸透、心のグランドラインは大荒れ、自慢の赤髪も怒髪天どころかレッドラインを凌駕する勢いで本稿をしたためているわけである。投稿をもって私の心の海賊船は概ねカームベルトへ到達したので、願わくば増田諸兄の体験談や、薬局勤め増田のご意見なぞ拝聴できれば幸甚の極みである。