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2024-08-24

anond:20240824011027

ふぞろいってそんなドラマなんだ。面白そうだな。今度見てみよ。

2023-12-15

anond:20231214134205

そりゃもう、アン・ルイスの「六本木心中」でしょ。おぎのめちゃん以前にアン・ルイス姐さんだよ。

大学広告研究会がパー券売って、六本木ディスコでやるパーティーで一番盛り上がる曲。

あと本田美奈子の「マリリ~~ン」ってやつ。

頭数がそろわないときに、タダでいいから来てよって、パー券が回ってきてたから、よく知ってる。

 

そういうのと、ブルーハーツナゴムレコードトランスギャルなどが同時代ね。全くの異世界

あたしは後者側で、友達彼氏(KOか何かの広研の人)のつながりで

六本木パーティーに頭数として動員されてた。というかタダ酒飲みに行ってた。

尾崎豊チャゲアスなんかも同時代。あたしはどっちもろくに聞いたことない。ダサくって。

若者の気分」として広く共有されてたのは、あとはサザンの「いとしのエリー」かな。

ドラマで使われてたし(山田太一の「ふぞろいリンゴたち」)。

同じ時代に、ものすごいおしゃれだった人たちは

原宿の「ピテカン」や、六本木なら「Jトリップバー」で、

ハウスとかで踊ってたんじゃないかな。

2023-10-07

バイパス沿いに新規開店した無印良品店舗ふぞろいバームクーヘンを四つくらい買って、チャリのカゴに乗っけて秋空の下を帰りたい

じっさい、噂レベルではあるが、無印良品店舗ができるって話はある

秋という季節、消滅したのか?と思ってたけど、最近気候はまさに秋と言うべきで、たいへん心地よい

今年の秋には間に合わないだろうけど、もしかすると来年秋には間に合うかもしれない 無印良品開店

バイパス沿いだったらチャリで2〜3キロくらいなんで、全然行ける距離

バイパス沿いの歩道は広くて、人はほとんど歩いてないし、道は真っ平なんで、非常に快適にチャリに乗れる

しかし、真っ平とはいえ多少のガタつきはあるだろうと思う

そういうガタつきにあわせて、エコバッグに入った、無印良品の不揃いバームクーヘンが揺れる

赤いペラペラエコバッグ生地を、秋の陽光が透かして、不揃いバームクーヘンがうっすら赤い光に包まれている

空にはほとんど雲がなく、かなり青い

そういう場面が想像される

それはマジでいい場面だと思うんすよ

無印良品はできてないし、ホントバイパス沿いにできるのかわかんねえし、ホントチャリで行こうと思うのかわかんねえけどな

でも、できたあかつきには、絶対行きてえ 秋の晴れた日にチャリで行きてえ

バスの揺れ方で人生意味がわかった日曜日」のような話で、不揃いバームクーヘンの揺れ方で俺の人生意味が見えてくるだろうと思う

そこにはある程度の確信がある

2023-07-04

最近あんまり仕事が忙しくなくて、ストレスも少ない感じがあり、それはいいんだけど、そうすると増田を書く気力というか能力というか、そういうものあきらかに減衰する感じがあって、ちょっと怖い

まあ増田なんか書けなくたってまったく問題はないんだけど、とはいえ、一時期はもう、画面に向き合ったらドンドン指が走っていきますわよ〜ッ!って感じだったのに、いまやホント、なんにも書くことありませんわねぇ……としか思えないのは、やはり、人間として劣化してんじゃねえか?という感じがする

ただ、まあ、何もないですねえ……

生活に変化がなさすぎるのかもしれないなと思う

家・職場スーパーマーケットしか行っていないから、波風が立たなくて、なにも出てこない

近所の川沿いなんかを散歩するだけでもあるいは結構違うのかもしれないと思う

川っつうか、なんつうか、アレかな、近所のスーパー銭湯、アレに行けばいいんじゃないかな

でも最近はあまりに暑すぎて、銭湯の帰りの暑さだけで、風呂に入ったというのを帳消しにするほどの汗をかくことが目に見えているから、どうも気が乗らない

バイパス沿いに無印良品店舗ができるっつう話があって、俺はそれを心底楽しみにしている

無印良品店舗ができたら、チャリを漕いでいって、ふぞろいバームクーヘンなんかを買って、それも複数買って、それをチャリのカゴに乗せて、やったぜ〜ッとか言いながら帰りたい

できれば秋の晴れた日であってほしい

そうやって終わりたいと思う

2022-09-24

anond:20220924123746

ザイオンス効果という言葉を初めて知った。wikiによると以下のことなんだそうだ。

単純接触効果(たんじゅんせっしょくこうか、英: mere exposure effect)は、(閾下であっても)繰り返し接すると好意度や印象が高まるという効果1968年アメリカ心理学者ロバート・ザイアンスが論文 Zajonc (1968) にまとめ、知られるようになった[1]。

ザイアンスの単純接触効果、ザイアンスの法則、ザイアンス効果などとも呼ばれる。対人関係については熟知性の原則と呼ばれる[2]。

概要

はじめのうちは興味がなかったものも何度も見たり、聞いたりすると、次第によい感情が起こるようになってくる、という効果。たとえば、よく会う人や、何度も聞いている音楽は、好きになっていく。これは、見たり聞いたりすることで作られる潜在記憶が、印象評価に誤って帰属されるという、知覚的流暢性誤帰属説(misattribution of perceptual fluency)で説明されている。また、潜在学習概念形成といったはたらきもかかわっているとされる。

図形や、漢字衣服、味やにおいなど、いろいろなものに対して起こる。広告効果も、単純接触効果によるところが大きい。CMでの露出が多いほど単純接触効果が起きて、よい商品だと思ったり欲しくなったりするのである



Z世代に顕著と元増田はいうのだが、上記定義をみると、広く言えば、むしろ日本集団主義的な組織風土ドライブするメカニズム関係しているように思えるね。単純接触効果組織内でうまくつかって「うちわ」の安心感を醸成してゆく、というか。

従来の日本組織というのは、年配者が半ば強引に、単純接触の機会(パワハラ指導、飲みにケーションが最たる例)をつくり、すでに組織内で支配している層に居心地のいい「うちわ」感を若者に覚えさせてゆくプロセスを通じて、世代間の組織風土の持続性が図られてきた。80年代上司室田日出男新人部下の中井貴一オルグして毎晩カラオケについていったように(ふぞろい世代)。

そういう見方をしてみると、要するに、ザイオンス効果をとらえて、Z世代の特徴かというと、よくわからない。

恐らく、ザイオンス効果自体は変わらないけれども、変わったのは環境なんじゃないかな。Z世代以前以後で。


Z世代以前と以後では、世の中の居場所選択肢が急速変化している。

80年代ティーンの居場所は、学校ゲーセンか、盛り場、塾だったし、学校が嫌になった場合の逃げ場が限られていた。

通信手段も、携帯電話存在しなかったから、友達からきた電話を親が先にとる時代だった。娯楽も限られていた。

消費者選択肢が少ないから、メーカープロダクトアウトな発想で、繰り返しCMを流し、消費者刷り込みをかけてマスな製品を作ってしまえば市場を席捲できた。ソニーウォークマン典型。これもザイオンス効果ひとつといえる。

マスな動きに取り込まれる(流行に乗る)ことが取り残されない条件だったし、会社でも上司に従うしか、居場所を見つけられない時代だった。

政治選好的にも、当時の自民党VS社会党というのは、絶対的安心感を与えていて、とにかくうちは自民党、うちは問答無用で、昔っからおたかさんみたいな時代

そして、学生から社会人など、環境が変わるたびに、通過儀礼的に「その空間での安心感はこれだ、こういうやり方してりゃいいんだよ」と新参者は叩き込まれる。

しかし、90年代以降の動きというのは、情報革新によって、ニッチな居場所環境が急激に増えた時代。あるいは気が付くことができるようになった。

ニッチ環境がどんどん増えて、自分で居場所を選べるようになった。

政治細川政権以降、離合を繰り返した。会社組織も働き方や仕事の仕方に、多様性を認めるようになってゆく。その最初きっかけは80年代転職というムーブメントだった(リクルート)。

しかし、自分転職したり、ニッチ空間をみつけて得られる安心感というのは、自分欲求ニーズジャストミートをするという意味では安心だが、例えば自民党を疑いもしない時代に比べると、寄る辺のなさを感じるものであり、かつてほど盤石ではなく流動的で、大きくもない。

そしてかつてのような大きな主体に取り込まれることの安心感が少なくなっているんだろうと思う。

昔だったら、そういう大主体自分から探すものではなく、人生ステージがあがると、会社上司象徴するように、待ち構えているものであって、

飲みにケーションの洗礼をあびて、数年で組織同化していった。同化過程最初は激烈でキツイんだけど、集団に慣れると逆に居心地がよくなるのだ。

ザイオンス効果という言葉をあえてつかって、前世代の特徴をいえば、オルグする、という意味で、プッシュ型のザイオンス効果。紙の新聞メディアもその典型で、世の中の標準的な考え方というものテレビ新聞などのメディアを通じて受け入れるプロセス存在した。

しかし、情報通信革命がもたらしたニッチ空間、居場所への気づき、というのは、自分から自発的に、その時々で感じている不安ニーズを解消する場所へ向かえるようになった、という意味

自分から安心を探し出す、という意味ではプル型のザイオンス効果簡単に答えがみつかるからSNS依存を深めてしまう。自分の疑問や不安自分からググればなんとなしに答えが見つかる、という。Togetherは都合のいいようにあたか大勢の人が考えを共有しているかのような細工をして答えを提供してくれる。電子掲示板SNSの、自分と似た意見思想を持った人々が集まる場で、自分意見思想肯定されることで、それらが正解であるかのごとく勘違いする、いわゆるエコチェンバー効果議論されるようになったのも2000年代初頭。

こういう時代には、何が標準的な考え方で、支配的な考え方なのか、それを新聞などマスなものを通じて確認する、ということが難しくなっている。

SNSなどを通じて自分の求めている何かを見つけてしまえる安心感と引き換えに、いろいろな人がいろいろな場所安心を見出すようになって、マスなものにピントが合いにくくなってしまった。

だけれど、恐らくザイオンス効果がプッシュ型であれプル型であれ、本質的に、よりマスなものを求めて安心する、という傾向は変わってないんじゃないか

結局は何か安心できるものを探すということになる。

一方で、プッシュ型のオルグからうけるストレスに、自分で答えを探すことによってすぐにすり抜けてしまう、ここにZ世代の特徴があるかもしれない。

昔だったらほかに選択肢もないことからちょっと我慢して順応せざるを得なかった組織も、今ではそのストレスから逃れる手段選択肢豊富

ストレスから逃れた先に、当面の安心感はあるかもしれないが、マスなものに比べれば脆弱だ。

それはパーツパーツでちょっとした安心感を消費するものであって、全体として組織自分を傘のようにかばってくれるような安心感ではない。

それはむしろ自分で集めた安心時代キーワードを寄せ集め、組み合わせてコンセプトを自分なりに構成していかなければならない。

上司説教など、プッシュ型を避けてしまえた結果というのは、つまりそういうことだ。しかし、そういう構成力というのは、若者経験能力資質にどうしても依存してしまう。

自分自身をふりかえってみても、そういう試みというのは、一時しのぎになりがちだ。安心をみつけるのはほんとに安易になった時代だ。

ブログかいてみたりね。Twitterでつぶやいたりね。

しかし、だんだんわかってくる。マスなものも慣れてくる。経験を重ねるとみえてくるものが増えてくる。その経験値の差が今の時代に、なんとなく世代間の差のように映じているんじゃないだろうか。一昔前だったら、そんな個人的経験値など全くどうでもいいものだったと思う。

若年層の政治的な保守性というのは、保守理念への信頼ではなく、

寄る辺のなさからなんとなしに選択されているんだろうと思える。


もう一度繰り返すと、ザイオンス効果自体は、安心を求める日本社会において、Z世代を特徴づけるものというよりは、全世代通底するものかもしれない。

世代間で差が出てくるのは、プル型で得た経験値の差みたいなものなんじゃないかという、

それがむしろZ世代保守的な傾向はそのあたりにヒントがあるような気がする。

2020-03-02

anond:20200302190859

管理コスト下げたいだけろ

無添加より防腐剤入れたほうが楽

ふぞろいな薄切りポテトより、練り物チップのほうが形が同じだから

個別放送のほうが不良品を1個単位ではじけるから

どれも企業のコ品質維持コストやすくしたいからであって、きゃくのためじゃねーじゃん

2018-03-15

anond:20180315040446

ふぞろいベーコンはカタチが悪かったり、穴が空いてたりするんですよ。

肉の塊の端の方で作られたベーコンがそんな風になります脂身が多すぎると言われることもあります

2009-06-20

disdisられて生きるのさ

とおりすがりがコメント欄をを染めてゆくのさ

僕らの心の中へもしみこむようさ

このモニタの向こう側 キーを叩き誰か吠える

 

夕方簡単に雨が上がったその後で

お茶でも飲んでるとこなんてツイートして

お気に入りページを開く 君のブクマ記事を読む

 

いつだっておかしいほど誰もが誰か disdisられて生きるのさ

それだけがただ僕らを悩める時にも 未来世界へ連れてく

 

ひーとつーもつかないスターあおむけで見てた

そっと手をのばせば僕らは自演できたさ

けどそんな時はすぎて 大人になりずいぶん経つ

 

ふてくされてばかりの10代をすぎ 分別もついて歳をとり

2chから増田と醒めぬまま僕らは 匿名世界へ駆けてく

 

星が輝くブクマが待ってる夕べさ

突然ほんのちょっと誰かをdisりたくなるのさ

そんな言い訳を用意して  [しねばいいのに]とタグを撃つ

 

(セリフ)「バッタイナゴたちが 小麦畑を荒らすように 田んぼを貪るように

僕らはなにに怒ってるのだろうかと 何度も口に出してみたり

熱心に考え 深夜に二次嫁のことを思って

誰かのために祈るような そんな気にもなるのか なんて考えたりするけど」

 

10年前の僕らは胸をいためて「Kanon」なんかで抜いてた

ふぞろいな心はまだいまでも僕らを やるせなく悩ませるのさ

 

くるしげに ずっと僕はブラウザを閉じて

ほんのちょっと深呼吸してはてブコメを読み直す

大きなtextareaに 煮える腹の内を刻む

 
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