はてなキーワード: 渡りに船とは
山岡屋とともにずっと気になってはいるけれど、どちらも絶妙にアクセスが悪い。車も乗らないし。
日常の重力というものは中々強くて、行動圏内を逸脱するのにラーメン屋だけではちょっと弱い。そのためだけにわざわざ足を伸ばすのもなんだかさもしいお出かけに思える。
でも普段のおれの過ごし方も大概だ。
頭に浮かんだ単語を自分でこねくり回す事もせず、SNSの検索ボックスに放り込む。そこに出る他人がまとめた言葉に乗っかって、何かを考えたような気になる。もしかしたらコミュニケーションをした気になってるのかもしれない。何度も同じ言葉で検索したりもする。
反復の日々の中で内容を変化させる刺激もなく、何度も同じ話を繰り返す老人と同じだ。
更新など来てないだろうと分かりながら、YoutubeとTVerとWeb漫画サイトをぐるぐるローテーションしたりもする。それにも飽きたら過去の面白かった回を見たり。同じ回を何度も繰り返し見ていれば味もしなくなってくる。
それか、変わり映えしない手癖でギターを弾くか。頭の中で漂う音を取り出したいが、ろくに技術もない。そのためのセオリーを知ろうと知識の検索まではするが、頭に入れようとはしない。開きまくったタブを閉じるのもなんだか惜しくて、ブラウザの隅にグループにまとめられたまま。埃でも積もれば少しはやる気にもなったのかもしれない。
こんな過ごし方なら出かけた方が少しはマシかもしれない。
週末、ジャンガレへ向かう決意をした。
山岡屋もついでに行きたいが、微妙に場所がズレている。まあ折角出かけるのだから両方回ってやろう。
と思っていたが、ベッドでダラダラ過ごしていたら出発時間がズルズル延びていく。
結局山岡家は諦め、比較的アクセスのマシなジャンガレ新所沢店を目指す。
縦の移動を滅多にしないので気付かないが、埼玉は意外と近い。国分寺から西武に乗り換えればすぐだ。
近場でも県を跨げばなんだか旅行気分になる。それが移動の楽しさでもあり、億劫さを生じてもいる。
国分寺線は車内に電子表示がないらしい。イヤホンつけてスマホを凝視している現代の陰気人間に対して実に優しくない。Yahoo路線とgoogleマップで現在地を神経質に確認しつつ、新所沢駅へと降り立つ。
西友と一体化した駅のロータリーは、郊外平均の生活感漂う趣。決して高円寺やそこらの「生活感」ではない。
都心に住んでる者には田舎、郊外に住む者には日常の光景、ガチ田舎に住む者には割と都会。寂れはせずとも活気もない風景は決して気分の上がるものではない。
ジャンガレを目指し脇の通りに出ると飲み屋が並ぶ。町の息づきを隠しやがって、と思うのも束の間、スタスタ歩いているとそれも一瞬で過ぎ去り国道沿いへと放り出される。歩道と車道の曖昧さに少し田舎さを感じる。いやむしろ駅に近いからか。
コンビニかファミレスか、塾やら車屋やらブックオフやらが点在する、ネットでバカにされがちなあの光景。
中高生の頃もほっつき回れる範囲は「コレ」か住宅外の二択だった。
晩飯までの時間制限はそのまま距離の制限になる。電車であっちこっち行くような金もない。楽しげな景色は全て画面の向こう側だったな。せめて河川敷でもあれば良かったのだけど。
歩行者がマイノリティのそういう道を歩く度、当時の事を思い出す。目に入る情報が少ないと意識は自分の内に向きがちなのかもしれない。今も昔も。
小綺麗で小さめの店内にもう一軒ラーメンの入った、二店舗だけのフードコート形式。
卵なしまぜそば(790JPY)の食券を購入し、受け渡し口へ。
店員のおばちゃんの声色と表情が「それだけでええんか……?」的な雰囲気を漂わせる。
別にいいだろ。おれは口の中の味が少ない方が好きなんだよ。
何やらメニュー表の写真を指差しながら説明しているが、ここで掌を返せば自分が不慣れのようではないか。実際不慣れなのだから何ら恥じることはないのだが、意地になってロクに確認もせず「それで大丈夫です」で通す。
そこまで言うからにはよほど質素な素ラーメンが供されるのではないかと若干怯えつつ、10秒程度の駆け引きを済ませる。フードコート特有のブーブー鳴るアレを渡され、テーブル席へ陣取る。
すぐさま脳内で自分反省回を開く。おれのトッピングは変だったのだろうか。
数m先のメニュー表を確認することなく、インターネットで無料トッピングの情報を探る。
ニンニク。入れた。
ベビースター。いらん。カリッとしたもんをわざわざふやかすのは嫌いだ。
辛味。まあ初回だしいらんだろう。
あ、アブラを入れ忘れてた……
まあ致命的なミスはなかろう。
スマホを置き店内を改めて見渡すと、数割の埋まり具合といったところ。
二郎(系)特有の窮屈で急かされてるような雰囲気はない。もう一軒普通(?)のラーメン屋も入ってるしな。
これを求めてたんだよ。家で手間をかけることもなくゆったり食える。
二郎は好きだけどあのガツガツした空気は嫌いだ。早食いが美徳とも思わない。回転率とか店の都合だし 。
ナイト・ホークスとまでは言わないが、郊外の週末夕方の気怠い空気が心地よい。
時間がゆったりと流れるような感覚。でも給水器の水の出がやたら遅かったのは多分気のせいではない。
呼び出しのブザーが鳴る。
ネットで確認して尚も素ラーメンが出てくるのを若干恐れつつ、受け取りへ。
受け取り口脇で紙エプロンが目につく。周りに目を遣ると着けてる奴はいない。こういう時、なんかお上品ぶってるみたいで使うのが恥ずかしい。だが、週末のお出かけだしと着てきたお気に入りの白シャツは守りたい。
と悩んでいると、店員から「よければ紙エプロンどうぞ」の声が。渡りに船。まあ、勧められたなら使っといてやるか。
席へ戻る。卓上のカエシを垂らし、ヤサイを除去するように喰らう。コショウをドバドバ振り撒いてブタを喰らう。ニンニクをかき混ぜて麺を喰らう。
他の二郎系と何が違うのかはよく分からんけど、かねてから実行しかねていた欲求をきちんと消化し、しかも美味いのだ。何の不満があろうか。
一気に萎える。
シミ抜きめんどくせえな。忘れないようアラームをつけ、自分で抱えてると気の滅入る記憶を外部委託する。
最後の一啜りを慎重に済ませ、退店。
まだ7時頃だかすっかり日も暮れた。もう夏も終わりか。
道路沿いで光り輝く塾の中でガキ共が勉強してやがる。こいつらは幸せなんだろうか。幸せになれるんだろうか。まあおれの知ったことではない。
完全に一服の口になってきたので、googleマップで喫煙所を探す。駅前にタバコ屋があるらしい。
喫煙所のある街は良い所だ。目に楽しい街は傾向的に大体パブリックな喫煙所が設置されている。寛容さとか、そういう抽象的な理屈じゃなく。
プライベートサービスの灰皿があるだけとなると、ギリギリ及第点といったところか。まあそれもすぐ消えゆくのかもしれない。
タバコ屋へに辿り着くと、分煙もへったくれもなく灰皿だけが置かれたストロングスタイル。
くどいラーメン後の一服は実にうまい。肉体作業でもした後ならさぞ染み渡るんだろうな。まあそんなんしなとも十分満足だ。さて帰るか。
駅でオシッコしようとしたら、トイレは仮設らしい。小×2と大×1の窮屈なボックスが3つ並ぶだけ。駅の規模の割に小さい。ええんかこれで。
このまま新宿まで行ってしまおうか。映画でも観て、バスタか高島屋でボーッと夜景でも眺めたら締まりのある週末だ。
乗り換えるまでの数駅分の猶予で、まあ今日はもういいかなと思った。
車窓の向こうは晩夏か初秋の暗闇。団地とタワマンの灯りだけが浮かぶ。
なんというか、西武線に揺られ所沢に降り立ちジャンガレを啜るという全ての体験に所沢感、というか郊外感があったな。非日常にすら感じるほどの、絵に描いたような日常。それに抗うつもりでゲーセン行ったのがむしろ更にそれを強める。
これをいつもの週末にしたくはないなって思いと、そうなりそうな予感があった。
帰ってフロがてらシャツのシミをシコシコ落とす。かったるい。汚れてもいいTシャツで近所をうろつくばかりの日々はもうすぐそこまで来てるのかもしれない。
後日山岡家も行った。
最寄りは箱根ヶ崎とかいう温泉街のパチモンみたいな名前しといて、実態は八高線の田舎駅。ドアの開閉はボタン式。狛犬ポジションの罪は重い。
国道沿いの道は片側二車線で、より歩行者の疎外感が強い。リサイクルショップの掲げる「作業靴買い取ります」の文言に色々な想像を浮かべる。
15分ほど歩き山岡家に着く。駐車場はかなり埋まってる。思ってたほど臭くねえ。
醤油大盛り
店内は金髪ツーブロの兄ちゃんと家族連れ。一人者にテーブル席は許されず、肩身の狭いカウンターへ。
しばし待たされ着丼。
啜る。なんなシメの雑炊の出汁みてえな味がする。気がする。分からん。濃くてうまい。
ニンニクとコショウをドバドバ入れると、叩かれがちな壱系とあんまり変わらん気がする。まあ美味いのでいい。
おれの人生から非日常はどんどん失われて、着実に「これ」へと染まりつつあるのかもしれない。
2ch脳じみた考えもとっくに薄れてきて、そういう日常をバカにする気もあんまりなくなってきた。自分が楽しいか、満足してるか、納得してるか。それが全てなんだし。
なぜなら主人公は「ひたすら恵まれている」ハイポジションリベラル女子」だから。日頃から女はズルいと怒り呆れがちな人たちが真っ先に鼻で笑うタイプの恵まれた女だから。
ドラマの主人公の寅子は、投資銀行に勤める父と良妻賢母の母という大正~昭和初期のアッパークラスの、それもリベラル色の強い理解あるご家庭に生まれて、その潤沢な社会資本を余すことなく享受して弁護士の道を自由に邁進している。そして勉強大好きで周囲が態度を変えるほど頭が良く生まれついてもいる。そして子供のころから正義感がある。家柄が良くまっすぐ育った明るい優等生。
大学に行っても目立つタイプ、拗らせミソジニーを発動する拗らせエリートの同級生男子が、いつの間にかそのまっすぐな人柄にやられて好意を抱いたりする程度にはモテる。
寅子の家には、父が面倒を見ている司法試験合格を目指す書生がいて(アッパークラスのご家庭ならでは)この書生とも「私たち同じ道を進む仲間よね」という異性友達ムーブをぶちかましているが、書生は寅子に片思いである。そしてこの書生よりも寅子の方が圧倒的学力がある。要するに立場的にも、恋愛的にも経済的にも非対称性が生じている年上の男性を寅子は「異性の友人」として遇している。中々のタマである。
寅子は、前述した好意を抱かれていた拗らせエリートに「彼女に結婚してくれとはいえない、彼女の夢を奪うことになるから」と思われて振られてしまうのだが、それまでどっちつかずの態度だったくせにいざ振られるとショックを受けたりするし、せっかく弁護士になったのに依頼が来ないのは私が結婚していない(社会的信用がない)からだ、と思いつき慌てて縁談を探してもらうがうまく行かない。そりゃそうだ。
ところが助け舟で、寅子に片思いしていた家の書生から結婚をしたいと言われる。渡りに船と逃げ恥のような「条件偽結婚」だと思い込みスピード結婚を承諾するが、前述のとおり書生は寅子に片思いしていたわけで、初夜にぬいペニ状態となる。かわいそうな仲野太賀…。
と、寅子の痛さを中心に4月にドラマが始まって今日までの1カ月半を振り返った。フェミニスト嫌いの諸氏や、女はずるいと常々思っている諸氏が叩き放題の「豊かさという下駄を履いて産まれた恵まれた女様」それが寅子である。伊藤沙莉が演じていなかったら大変なことになっていたと思う。
「虎と翼」は、現代の問題を昭和初期の物語に練り込んでいる疑似歴史感が臭うドラマだが、一方でモデルになっている三淵嘉子は実在の人で、ドラマにおける寅子のキャリアや背景はモデルのそれをなぞっている。恵まれたリベラルな家に生まれて弁護士になり、戦争の時代に突入し、色々あって戦後は日本初の裁判官になるスーパーウーマンである。
ドラマの寅子も恵まれた家に生まれ、厳然とした性差別がある世界を、明るく、元気に、強気に突き進んでいく。そして突き進む中で彼女は、自分が周囲と比べ恵まれていること、「自由に選択ができるという」下駄を履いて生まれてきたことを徐々に自覚していく。
寅子が持って生まれた豊かな資源は、裏返せば、女に人権がなかった時代には、ここまで特権的に恵まれてなければ法曹界で働く道を切り拓くことができなかった、ということの証左だ。そしてこれを現在に照らせば、形式上は男女平等になった現在の女は寅子に比べれば矜持や頑張りが足りない、という振り返りもできるし、現在でもまだまだ形式的にしか男女の機会平等は達成されていないよなと振り返ることもできる(医大の入試における性差別不正はつい最近の出来事だが、あの時は差別だと批判する意見と、女はズルいから消耗が強い診療科を選ばないため合理的配慮だという意見に二分されていた)。
これは、女性に人権がなかった頃を引き摺って今も残る男性優位の古い価値観を、改めてマーカーでなぞっていく作業であり、同時に現代の女が抱える特権性の問題も照らし出す作業でもある。
そしてドラマの中では、現代にもしっかり残っている、個人の幸福を削るような価値観を改めて再発見することになる。
「結婚しなければ社会的信用が得られない」、「エリート男が生きていくには従順に従う女が必要」、「女の弁護士なんて信用できない」、「自分より優秀な女は生意気で目障りだ」、「適齢期を過ぎると縁談がない」、「人は生まれた国や家や身分に縛られる」、「平等を求める声は不平等の利益を享受する側には届かない」、「上品な批判は下品な妬みには勝てない」、「お金がないと社会的意義の高い仕事につけない」などなど。昨日どこかのSNSでだれかがぼやいていそうな内容である。
これらは女だけではなく、男も同様に削られる呪いの価値観である。学友たちはこの呪いの価値観によって法曹界で働くという夢を立たれていき、寅子は弱い立場に置かれた人を助けたいという正義の実践に加えて、諦めなくてはならなかった仲間への思いを「使命」として背負う人生を選ぶことになる。
不平等と戦うに十分な恵まれた武器を持って生まれて、更に先駆者の使命を背負った寅子は、おそらく来週からの戦争ターンではどんどん「恵まれていたもの」を奪われていくことになるのだと思う。世紀の愚戦・負け戦の太平洋戦争ってそういうものだったから。男は戦争に行くし残った老人や女子供は空爆にさらされる。男も女も人がたくさん死に経済活動は退潮する。
その時でも寅子は「正義」と「使命」をもって生きていくのだろうと思う。モデルの三淵さんは生き残ったし、何しろドラマの主人公なので正義や使命は捨てないだろう笑。
たくさんのものを奪われてなお「正義」と「使命」を失わない女がどんな生き方をするのかのドラマを私はとても楽しみにしている。
そして、形式上の機会が平等になった世界で、これまでずっと恵まれていたはずのものをどんどん奪われ不満が溜まっている人たち、「女は狡い」、「現代の女は特権階級だ」と思っている人こそ、奪われても正義と使命を捨てなかった人のドラマを見てほしいと思う。
フェミニズムドラマくっさー、と思う人も多かろうが、お勧めしたいのには、単純にドラマとして良くできているのもある。
寅子は「戦う女戦士」みたいな感じではまったくなく、前述通りそこそこの空気読めないわがままな、脇の甘い生き方をしていて、いちいちナレーションに突っ込まれている。ナレーションは尾野真千子で、芝居がかったナレーションだがコメディの良い味付けになっている。
寅子の両親や兄夫婦は明治の家族観(男が働き女は家を守る)できわめて円満な夫婦関係に描かれている。一方で嫁姑のちょっとしたストレスも描かれたり。父は帝人事件(疑獄事件)の当事者になり、リベラルなエリートの父親が会社での立場に縛られる姿をシリアスに描いてもいる。
また、法曹界への女性の進出を後押しする立場であるリベラル派の教授や弁護士がしっかりと性差別をしていてフェミニズムにおける父権の問題を提示していたりもして、本当に痒い所にまで手に届く配慮がされている。セリフやシーンの伏線もとても豊かでドラマとして見ていて普通に面白い。出演者はみな手練れの俳優だらけで演技へのストレスはほぼない。
フェミニズムドラマとしての側面については、あまりブコメが集まっていなかったがこの記事の分析がとても分かり易かったhttps://bunshun.jp/articles/-/70764 これ読むと「女のためだけのドラマ」じゃないことがよくわかると思う。
ところで最後に全然話は変わるのだが、昭和初期というのは実はWWIIをジャンプして戦後と地続きになっていたかなり民主的かつ退廃的な時代だったらしい。「富国強兵」を叫んで強国を目指していた大日本帝国から現代にいたるGDPの推計推移をみると「戦争が無かったらこのグラフの線が素直に上がっていたのではないだろうか」と感じさせるラインが描かれる(https://www.nippon.com/ja/in-depth/a04003/ 中ほどのグラフ)。まあ実際は戦争しないと色々糞づまっていたわけで後付けの皮算用でしかないが。
ともかく、人が自由を求めそして退廃を享受できる程度の十分な豊かさが生まれていたのが大正末期から昭和初期の時代。ちょうど朝ドラで描かれているこの時代は、結構現代に近い時代だったりもする。
しかし、このニッポンドットコムは笹川財団由来のかなり右寄りの情報サイトなのだが、それでも「高度成長期のストックは90年代で尽きてその後の策がねえぞ」という分析になっているのが、ちょっとだけ面白いですね。
何故かと言えば、組織がやる業務の量と種類は年々増え続けるから。
トドメになるのが場当たり的な「再発防止対策」によって積み上げられた謎ルール。
歴代の声だけ大きい人達が作った謎ルールが残り続けることによる業務マニュアルのスパゲッティ化も見逃せない。
立ち上げ時の資金繰りを除けば、何年も続けるほどに組織がやるべき業務は少しずつ煩雑化していく。
やってくる新人の質が変わらないのならば、新人の出力は下がる。
これは「新人の総合力/業務の煩雑さ=新人の出力」という単純な図式をイメージして貰えば分かりやすいだろう。
対策としては「定期的なルール見直しによる謎ルールの剪定」や「業務の適切な分業化による煩雑さの低減」などがある。
これらをやっていない組織ほど「毎年入ってくる新人の質が(自分たちが若かった頃と比べて)下がっているので、必死に教育しても結果が出ない」と嘆いている。
もしも自分たちがこの時代にこの組織に入ってきたら果たしてどうだったのかを想像する能力がないのだ。
全くないと言える。
恐ろしいことに世の中にはこういう「他人の状況に自分がなったらどうなるか」を正しく想像できない人が多い。
甲子園を見ながら「おいおいこんな簡単なエラーするなよ。俺だったらさ~~~」と抜かす甲子園どころか地区大会2回戦にさえ出れた試しのない元野球少年の多いことよ。
正直ここまで多いと「こんな想像力もないのか」と考えるよりも、「こういった想像力自体がレアな能力のひとつなのだろう」と考えるべきだろう。
それを証明するようにあちこちの組織が「新人の質が毎年下がっていて困っています><」と相談しに来るが、状況を確認すれば原因は明白すぎてなんともコメントしづらい。
想像力がない連中相手にマジレスしてもどうせ理解してもらえないので謎ルールを次々指摘していき「この辺が新人には分かりにくいのかも知れませんね。今の子は子供の頃からゲームやパソコンといったハッキリ答が帰ってくるモノに触れすぎているのか、ちょっと曖昧な言い方をされると混乱しやすいんですよ。なのでこういった『腰を据えて説明しないと重要性を分かってもらえないルール』は『新人でもスっと理解できるような単純なルール』に置き換えてあげた方がいいのではないでしょうか?彼らに変われと言って理解してもらうことを待つだけ時間の無駄ですから、コチラから歩み寄ってあげるしかないんですよね」と説明している。
ここで大事なのは「Z世代は脳みそがデジタルすぎる単純馬鹿だから相手するだけ無駄」と新人の方を下げること。
そしたら渋々納得してくれることも多いし、謎ルールが減って新人のミスが減るからこっちは結果を出したことになるってわけ。
会社としてもずっと解決したかった忖度ゴミルールを処分するための都合のいい外圧がやってきて渡りに船なんだろうね。
ほんま、世の中には「自分から忖度を切り捨てたことにしたくはないが、こんなモノさっさと止めたくて仕方ない」みたいに考えてる臆病な犬っころが沢山いるから驚くよ。
(Noteに下書きとしてずっと残っていていつまでも公開する勇気無い記事)
10年ぐらい前の話。
給料が入って家のローン、クレカのリボ払いの最低これだけ払ってね支払い、カードローンの支払いをして、自分の小遣いに3万ぐらい入れたら、「あの支払いがまだだった」とか「妻様激おこぷんぷん丸級のミスをしてしまいごめんなさい」的な支出であっという間に銀行の残高が5000円ぐらいになり、あと平日20日間5000円でランチか、、、一日250円だなと考えていると通勤に必要なPASMO的なものに今月まだチャージしていないことに気づき、とりあえず3000円チャージして様子を見つつ、今月はランチ抜きか、ラッキーなら会社の先輩におごってもらえるかなとかそういう感じで生活をしていた。
給料日まであと10日、スーパーで買い物をする時に、銀行の残り残高が2000円だから一日200円、一日二食でいいや、一食100円、じゃあこの70円のパンなら大丈夫、あとこのセールの肉と野菜を買って、、、1300円!700円もあまっている!じゃあデビットカードで支払いピッ もうこれで大丈夫!
給料日2日前、仕事帰りに「あれ?PASMO的なものに残高が無くて電車に乗れない…チャージをしないと…」と気付き、チャージ用機械へ。PASMO的なカードにチャージするには、最低1000円からという設定になっており、銀行の残高が700円しかないのではいアウト。財布に残っている小銭をかき集めて、、、32円。詰んだ。
もうこんなビンボー生活は嫌だ、ホームから飛び込んでやる!と思っても、PASMO的なカードの残高が無いので、改札が抜けられずホームまでたどり着けない。ビンボーは自死の方法すら選べないのか!と怒りと悲しみで途方に暮れたあたりで、妻から何してるんだ早く帰ってこいと怒りの電話がくる。もう涙も出ないので死んだ目をして歩いて帰る。30分ぐらい歩いたところで、偶然同じ方向に帰る車通勤の同僚に会って、渡りに船で近くまで送ってもらう。神様はやっぱりいるんだなあと思って帰ったら、いつまでかかっとんじゃー遅い!と妻様に「あんたのせいで私の予定が全て狂った」とお叱りを受ける。妻もバイトをいくつか掛け持ちしているのでしょうがない。罰としてあれを買ってこいと言われ、ニヤニヤしながら「マジで金がないから無理ぽ」と言うと「使えない」とか「もっと働け」とか「それがわかってるならバイトとか探せボケ」とか色々言われるが、「バイト見つかってもバイト先まで行く交通費ないぽ」とか内心思いながら頭を下げてひたすら怒りが収まるのを待つ。
「こんなんじゃいかん!」と一念発起してがんばる人のNoteをよく散見するが、そういう人は貧困状態でもきちんと認知能力をキープできているマイノリティな人達もしくは状況にいる人である。副業やバイトするにも、最初にどうしても少しのコストは発生する。それをどう工面するか、時間をどう作るか、色々考えないといけない。
たとえ交通費・準備費用などを確保しても、「あなたは私をここまで怒らせた。あなたはいつも金がない、金がないというが、結局それは私よりもお金が大事であるという事なのだ。なので、あなたがそこまでだいーじにしているお金を犠牲にして、私があなたの犠牲にされた気持ちを理解し反省しなさい」という妻の一言ですべて吹っ飛んでしまうリスクに常に怯えていなければいけない。そして、その月末近くには必ずめちゃ金欠になり、「使えない」「バイトできないとかマジ言い訳みっともない」「言い訳考える暇があったら行動を起こすのが人間として普通、それができないあなたはダメ人間」「まともな人間ではない」「くず」「サイコパス」「悪魔」と罵詈雑言を浴びる。反省をして謝罪をしなければならない。だいたい夜12時ぐらいスタートで4時ぐらいまで。何が悪いのかよくわからないため、納得してもらえる謝罪の言葉が見つからずひたすらうつむき、眠気とのどの渇きと便意を我慢しながら、妻が疲れはてて寝ると決めるのを待つ。お前は引き続き謝罪の言葉を考えろもしくは離婚しろと言われ解放され、ほっとして少し横になる。その後、分担しているが滞っている家事を遂行し、仕事へ行ってだいたい遅刻する。息をする。水を飲む。パントリーにおいてあるビスケットを食べる。味はしないが多分甘い。自分よりももっともっと大変で辛い人はたくさんいると自分に言い聞かせる。自分はがんばらずにひたすらしのいでいるだけで、それで勘弁してもらっているのでラッキーだ。そして人前では笑顔を作る。仕事をしてランチに行くお金があるか財布を見ると、現金が200円ある。ちょうど200円で買える、食堂で一番安いメニューを買って食ってめちゃくちゃラッキーやな俺とおもう。もう財布には7円ぐらいしかないけど、今は考えない。給料出るまで家からなんか食べ物持って行かないと…とか考えて、あとXX日、家にあれとあれがあったから…なんとかなるかなとか考える。お金のこと考えると生きる事は本当に面倒くさいなと思う。午後の仕事に集中しよう、と思いながらオフィスにもどってうつらうつらする。
慢性的に貧困状態の人は、いつもお金のことばかり考えその日その日をしのぐことだけに集中しようとしてしまうため、生活や仕事をする上で総合的な認知能力が低下してしまうらしい。トンネルビジョンというそうだ。トンネルに入り込んでしまって、俯瞰的な視点から物事を見ることができない。助けを求めれば手を差し伸べてくれる人がいることに気付かない、もしくは気後れして頼めない、バイトを探したりするのに必要な時間やコストがねん出できないと最初から諦めてしまい、結局また今月やっと一部だけ返したクレカローンから借り直し自転車操業火の車をしてますます貧困になってしまう。
孤独を感じ友達がいない事に悩んでいる人は、トンネルに入ってしまったように自分が孤独な事ばかりを考え、総合的な認知能力が欠如してしまう。よって変なタイミングで変なことを言ってしまうか、考えすぎて身動きが取れずコミュニケーション自体がとれなくなってしまう。人を遠ざける・近づくことが出来なくなってしまい、ますます孤独になる。
そこまでの貧困に苦しんでいない人や孤独ではない人からすれば、何が問題なのか全くわからない。やっと返したクレカローンからまた借りるなんて、そういう馬鹿だから借金まみれになるんだ自業自得で自己責任でしょっていう感覚になる。考えすぎなんだよ、別に他人はそこまで気にしないよ、あなたが思っているほどあなたは孤独ではないよ、と本人以外は思っていても、悩む本人はトンネルビジョンに入ってしまい、周りが見えない。前にある光に向かうか、遠ざかるかの2択しか見えないので完全にフリーズしてしまうか、ドツボにはまるようにトンネルの奥へ奥へと向かってしまう。
そうやって孤独や貧困のドツボにはまった人は、他人からの助けがない限り、自傷か自死をしていくか、「無敵の人」になる。「生まれてきてごめんなさい」といって死ぬか、開き直ってもう何を言われても私のせいではない、そんな事で怒るあなたの方がおかしい、私は言われたことをやっているだけ、私は悪くない…私は悪くない…と思い込まないと正気が保てなくなる。自分の命はちっぽけでつまらない事はわかっているから、死ねばいいんだ。せめて生きてる間ムカついた奴をできるだけ多く道連れに、全く関係ない他人が巻き込まれてもしゃーない、どうせこの世は理不尽なんだから。銃を持つものは無差別射撃を計画し、車を持つものはできるだけ人込みの多い交差点へ突っ込み、一縷のやさしさを捨てきれなかったものは出来るだけすぐ見つかるが確実な方法で自死を図る。
かという私も、なんとかしてその日々を乗り越え、スーパーに行っても銀行の残り残高と次の給料日までの日数をかぞえて「一日何円なので、明日はこれ、その次はアレを食べてなんとかもつぞ」っていう計算をしなくてもよくなった。今ではスイーツ売り場にならぶケーキやまんじゅうにうっとりし、半額のシールが貼ってあればお金の心配ではなく摂取カロリーの心配をする日々である。とてつもなく楽である。
ただ生きるのは格段に楽になった。でも幸せかどうかは、もう何を基準にしていいのかわからない。人から幸せかと尋ねられればもちろん幸せだと答える。でも実は幸せかどうかなどという事はどうでもよく、ただ貧乏だった日々に恨めしかったお金持ち(に見える人達)、例えば旅行に行ったり高級なレストランやホテルに行っては写真をSNSにアップロードして「すっごく楽しかったーお得だよーみんなも行ってみて!」とかポストしている奴に、こっそり「いつか死んだら、地獄へ行ってほしいな」と思ったりするぐらいである。自分が幸せになる事よりも、幸せな奴が不幸のズンドコに落ちてほしいという思いを抱えて生きてきた時間が長すぎて、積み重ねた怒りや嫉妬や恨みの残穢が拭えない。そういう事を思ってしまう自分も地獄に落ちるんだろう。でも自分が地獄へ落ちても良いので、今幸せなやつは罰として地獄に落ちるべきだとかいうゆがんだ正義感が止まらない。
自分がもっと幸せになってよいのであると言い聞かせるが、そうすると過度に炭酸ジュースやアルフォートを浴びるように摂取してしまったりしてなんだかバランスがとれない。今SNSで幸せアピールしてる人も、きっと落ち込む日や不安な日があったりするんだろうな。ひとそれぞれ悩みや苦しみはあって、それはもうその人にしかわからない痛みやから自分で出来る事は全然ないけど、それでもみんなが天国に行くにはどうしたらいいのかな、とか一応人には言えるようにはなった。トンネルビジョンから多分抜け出た。空が見えていて、星がきれいな夜もあれば、雨や雪が中々やまないこともある。ただ、目標を立ててそこへノイローゼのように猪突猛進して努力と友情を忘れない人たちが発する明るくまぶしい光に照らされると目が開けていられない。どうしていいのかわからない。そしてトンネルを抜けたら真っ暗になったり周りが全部明るくなって、どの方向に歩けば良いのか全く分からない。トンネルに入っていた総時間と同じぐらいの日々を過ごすと、どこに行こうかとか見えるのだろうか。ゆっくりと頑張るしかなさそうだ。
参考:トンネルビジョン、貧困やコンプレックスがもたらす認知能力の低下についてのポッドキャスト Vedantam, S. (Host). (2018, April 2). Tunnel Vision [audio podcast transcript]. Hidden Brain. NPR. https://www.npr.org/transcripts/598118226
車道の端から横断歩道を見つけるや最低限の減速で右折で横断歩道に進入する自転車と、その横断歩道へ右折で横切る自動車。
なんてことはなく、自転車は右手に歩行者用信号が青になってるのを認識してるから目的地に対して渡りに船と今可能な最短距離のルートを取って走行した結果に過ぎないし、車にとっても歩行者信号が青=それに平行な車道の信号も青なので右折を始めたに過ぎない。
無免ライダーは自動車の操縦者に比べて著しく交通法規の知識が足りてない傾向があるのでこうしたことが起こる。車両のルールに則ってればそもそもこの状況の場合横断歩道の手前にあるはずの信号が赤のためそこで停止することになるので、こうした自動車と無免ライダーの巻き込み事故は起こるはずがないのだ。
無免ライダーは訳ありの傾向も高く、たとえばリアルタイムでの判断力が低いと自覚してるから運転免許を諦めてるか、発達障害とかで親に止められてるとかいうパターンが多いと思う。
その判断力の低さで、たとえば周りの自転車のちょっとした減速=進路変更の兆しありというサインを感じ取れたりも出来ない。そういう鈍さの積み重ねのせいで進路妨害につながったり重大な事故になりかけたりする。
歩道など幅が狭い道で、歩行者そしてその後ろから自転車が対向してきてるが、右側で歩行者とすれ違うタイミングで自転車とも左側ですれ違うような状況になって、極端に自分が通れる幅が狭まるパターンに遭遇することがあるのも、判断力の低さが招く典型だろう。
ちょっとでも時間がずれてたらそのような惑星直列めいたことは起こらないはずなので、このままの速度で突っ込んだらそうなることを先読みして、減速ないし停止するか加速するのが健常者である。
先日水曜日のダウンタウンの誰もが死にかけた話持ってる説で、子供の頃自転車で轢かれて死にかけたという人が一番話として多かったらしいが、これも子供は発達障害同様判断力が鈍いから無自覚に危険なコース取りをして事故に巻き込まれているということが多いのではないかという気がする。
とにかく、法律は知らない人がいるという前提で作成運用するべきだと思う。
今回の話でいうなら、無知な自転車横断歩道に右折で進入したときに、車がその横断歩道を横切るという状況にならないように、車側に対して曲がってよいタイミングについて道交法を改正する余地があるのではないか。自転車乗る人に対して実用的な交通法規の研修受講を義務化するみたいな切り口もありだろうが。
道交法はもっとも日常的に違法行為が生じやすい法域の一つなのであって、正直今の今まで無免ライダーの存在とその特性を全く考慮してないかのような法律のままであるのは、政治家側の怠慢に当たると思う。
余談だが空想と現実の区別がつかない人に文句をいうのも結構だが、そういう人がいる、0には到底できないという前提で社会設計をするのも大切だと思う。
ポケモンでは自転車を操作するシーンがあるが、あれで車道のど真ん中通ってるのに感化されて、現実でも車道の真ん中を通る…という子供は流石にいないにしても、ゲーム内で可能な自転車の挙動を無自覚に学習した場合も考えて、その学習による行動が現実の交通ルールの逸脱に繋がらないよう、あれほど影響力の大きいコンテンツを作っている側には、ゲームの内容を最新の注意を払って調整したうえでリリースする義務があると思う。
不動の第一位はアメリカ合衆国大統領(核ボタン)で決まりだろうけど。
医者とか化学系ジョブだと毒薬が使えるけど急性の毒だと給水塔に混ぜたりしても初動で死んでいくのが目立って後が続かなそう。
(追記)
自薦のハテノチャンさん、どうしてもというなら2位にしてあげてもいいです。
でもさーアメリカ合衆国大統領の核ボタンも独断では押せないみたいな、万一狂ってもなんとかなる仕組みみたいのがある場合が多いね。
決定に関与できる全員が発射オッケーって状態になれば実行可能だけどさすがにそうなると狂ってるというよりそれなりの理由があるはず(と思いたい)。
意思決定者の全員がやべー状態になるのは為政者よりも宗教系が多そう。歯止めもあんま効かなそう。
本当にソロ状態で狂った場合にやべーのはパイロット・電車の運転手とかか。
職業に関係なく放火すれば大量に殺せるってブコメあったけどそれがアメリカだと銃乱射になるよね。
放火だとある程度計画的にやらないと大量に亡くなることはないけど(無計画で大量に亡くなった例は、偶然が重なってる場合も多いと思う)
それに比べて銃のほうは狙ってトリガー引くだけだから思い立ったが吉日みたいなソロのやべー奴にとっては渡りに船な感じだよね。
(追記)
そ……そういうことか!
おしゃべりなわたくし=ハテノチャンさん本人ではなく、
それぞれはいち個人という意味の「わたくし」の集合体がおしゃべり=SNSなどで悪意を発露することがやがては人を死に至らしめる狂気を形成していくという暗示!
小ボケに見せかけてインターネッツ社会の闇を鋭く指摘するハテノチャンさん、やっぱ恐ろしいわ。狂ったらとんでもないことになりそう。
既婚、31歳。結婚7年。
俺たちは愛し合ってた。
まるで10代みたいに心がときめく恋だった。
俺の中にこんな心が残っていたのかと驚くくらい彼女に恋していた。
長年セックスレスと会話レスで妻からの愛情を感じない暮らしをしていた俺にとって、彼女は女神だった。
幸せだった。
離婚してこの娘と一緒になりたいと思った。
そんな折にちょっとしたことで妻と諍いになり、妻の方から離婚だと言い出した。
渡りに船と思った俺は、互いに自分の両親に報告し、これから資産の処分について話し合いをしようということになった。
そこで妻は「やはり離婚したくない」と言い出した。
俺に対して「もう好きじゃないし、今後好きになることはありえない」と言ったくせに。
「触られたくない。セックスしたいなら外でしてきて」と言ったくせに。
「一緒に寝たくない。寝室は別にして」と言ったくせに。
「仕事だ」と嘘をついて他の男と県外のテーマパークに行ってたくせに。
何を考えてるのかわからない。こんな妻より素直に愛情を伝えてくれる彼女がいい。
ひとり寂しい思いをシている彼女をこれ以上待たせたくない。早く離婚しなければならない。
夫婦カウンセラーに行った。妻はカウンセラーからも不審がられていた。
俺は妻に嫌気が差していた。
他に好きな人がいるということを伝えた。
それ以降妻のヒステリーが増えた。
彼女をこれ以上待たせたくないのに、話し合いすらできない。
俺は家では妻に無関心を決め込んだ。
ある晩、妻とは別室でゲーム仲間とゲームを楽しんでいた。その中に彼女もいた。
談笑しながらゲームを楽しんでいると、二階から妙な物音がして、不審に思って見に行ったら妻が首を吊っていた。
すぐに縄を切り助けた。妻はすぐに目を覚ました。
その日から妻はヒステリーが収まった代わりに首吊を繰り返すようになった。
妻から目が離せなくなった。外出も満足にできない。
一度救急車を呼んだ。医師からは保護入院を勧められ、俺もそれがいいかとおもったが、妻がヒステリーを起こしたので断った。
入院したくなかったらしい。
俺はすっかり疲れ果てていた。
妻の両親を呼び出し、離婚したいことと妻が自殺企図を繰り返して辛い、申し訳ないがひとりでは面倒を見きれないということを伝えた。
殴られる覚悟だった。が、殴られはしなかった。
妻の母親が同居してくれることになり、俺は仕事に復帰することができた。
彼女ともしばらく会えていなかったので、仕事にいくふりをして会いに行った。
彼女と会うと、妻からの苛みで感じていた苦痛が全て吹き飛んで幸せな気持ちになった。
両親はもとから妻のことをあまり気に入っていなかったので、離婚に関しては応援すると言ってくれた。しかし人命最優先だから、妻の精神異常が落ち着くまでは離婚を強行しないこと、と話し合った。
実家から帰る前、路肩に車を止めて俺は彼女に電話をかけた。彼女が逃げてしまわないか不安だった。
彼女を失ったら生きていけない。離婚を諦めていないこと、時間はかかるかもしれないが待っていてほしいということを伝えたくなった。
彼女は優しくうんうんと話を聞いてくれた。怒るどころか、俺の心配までしてくれた。彼女の妹も自殺未遂をしたことがあるらしく、側で介護していた母親の苦労を見ていたらしい。
増田くんがそんなふうに苦しんでいないか心配だと言ってくれた。
俺はこんなに心優しい彼女が愛しくて仕方がなかった。
「正直、疲れている。もう俺が見てないところで死んでほしい」と彼女に打ち明けてしまった。
良くないことを言ってしまったかと思ったが、彼女は「そんなふうに思ってしまうのも仕方がない。自分を責めないで、抱え込まないで医療や周りの人を頼るんだよ」と言っていた。
俺は癒やされた気がした。
数日後、俺の仕事中に妻はまた首を吊った。妻の母親が助け出し、一命はとりとめたものの、意識が戻ることはなく、10日後に亡くなった。
ついに助けられなかった。
妻が首を吊った寝室からはパソコンが見つかった。それから買ったばかりのSDカードリーダー。
俺と彼女の会話を聞いて、俺が居ないときに首を吊ったのだろう。
俺はようやく自由になって彼女とずっとしたかったお泊り、旅行、買い物、デート、セックス、たくさんした。
彼女の横にいるだけで幸せだったのに、不思議なくらい、彼女に心が動かなくなった。
お前が居なければ妻は死ななかったと思ってしまう時があった。
あんなに煩わしく憎んでいた妻のことを、美化して思い出すことも増えた。
そして、彼女に恋愛感情を向けていた頃の自分を思い出すと寒気がする様な、忌まわしく感じるような、そんな気がした。
今となっては、あの頃の俺は恋愛に狂っていたと言わざるをえない。
彼女に対して優しくなれなくなった。
そして彼女は少しずつ壊れていった。
あんなに強く優しく寛大だった彼女が、ちょっとしたことですぐ不安になり、俺を責め、泣くようになった。
自傷するようになった。彼女のきれいな真っ白のふとももが、目を覆いたくなるような傷だらけになった。
そして彼女も首を吊るようになった。
俺は慣れたもので、冷静に縄を切って失神から目覚めさせ失禁した彼女を風呂に入れた。
彼女のことは入院させた。彼女の母親に連絡をとって保護入院にサインしてもらった。
それが去年のこと。
先月、ついに彼女も助けきれなかった。
ある日帰ったら、冷たくなった彼女が居た。
妻が首を吊ったのと同じ場所だった。
俺何してるんだろうな。
妻に死なれて、彼女にも死なれて、俺は何をしてるんだろう。
俺が死んだほうがいいか。
私は露出狂ではない。
近頃のトピックと言えば、外部のSE屋さんたちが会社に入り、『ECサイトを作る』というビッグプロジェクトが動いていることだ。
弊社は企業向け、店舗のお客様向け、両方を行う食品販売会社である。
そんな社長肝いりで始まったのが、通販を行うECサイト企画。全国区に我らの商品をお届けしようというわけである。
というのも、残念ながら我が社にITがわかる人間がいなかったからだ。
未だ、会議室は黒板の予定表で取っているし、出勤はタイムカードをガチャガチャしている会社である。
そんな中で、「Excel使えるでしょ?」という理由でサイト立ち上げプロジェクトのメンバーに選出されていたのが私だ。所謂、社内IT代表だった。
コンサルタントを兼任するPMが会社には来てくれて、ECサイトを立ち上げてくれる手はずになっていた。
「ついでに古臭い社内システムも変えましょう。うちの会社はコンサルとベンダ、開発チームを兼ねていますので強いですよ」と頼もしい言葉を、経営陣の前で語っていた。
まず私達ECサイトチームは要件定義のため、禅寺へと泊まり込みで合宿に行く運びとなった。
PMさんの指示である。ITがほとんどわからない私達にとって、閉鎖空間でしっかりと要件を定義?することは重要らしかった。
某県の、山の中にある禅寺である。私達は朝の走り込み、食事の支度、そして座禅を午前中に行って、午後から会議を夜まで行う。
PMさんの指示する形で、私達はECサイトがどういうものになるのか、というのを無事に組み上げて行った。勿論、社長たち経営陣も禅寺に来ていたので、話は非常に速かった。
PM氏は、「こういう機能も欲しいですよね?」「これが欲しかったんじゃないですか?」と、社長たちに次々にプレゼンしてくれて、
社長、役員たちも率先的に意見を言って、まさに勢いのある会社の会議そのものだったと言えるだろう。
その時、私が感じていた問題としてはまあ、「BtoB」と「BtoC」、要は法人向けの販売をしたいのか、一般向けに販売したいのか、全然誰も話さないな、というところで、
多分その辺はPM氏も、社長もわかってなさそうだが、サイトデザインは、ペルソナ?作成や心理学を利用したものを駆使します!ということで、大丈夫だろうと思った。
あと、私はよくわからないが、社内のITの意見を統括する窓口となることが決まり、毎日の走り込みや座禅のおかげか、やる気も出てきて、非常に有意義な合宿だった記憶がある。
なんと、予算がすごく高くなっていたのだ。これが、ECサイトが上手く行っていない、と書いた最大の原因だった。
「なんとか安くならないか?」
社長の指示の元、私はPM氏と話したが、機能を作るだけではなく、運営維持もあるから当然高くなる、的なことを言われ私は引き下がった。
そして、ECサイト設営と、社内のIT化という使命を帯びた私は、なんだか色んなアンケートだの、会議だのをすることになり、なんとかかんとかマップなるよくわからない表情の表?みたいなものを作らされたりした。
(会社の人がITシステムで喜んだり、悲しんだりする予想を顔で書きなさい、みたいなやつだ。意味がよくわからなかったので、適当に書いておいた)
私は奔走した。より利益を上げる。より働きやすくする、というのは私のモチベーションをわかりやすく刺激するものだったからだ。
もっとも、私の本業は物理的な新店舗の出店のアレコレ(土地を抑えたり、その場所のお客さんのマーケッティングをしたりだ)だったので、あくまでサブだったのだが。
その矢先のことである。私がチンコをモロ出しにしてしまったのは。
私が家では用を足したあと、下半身をそのままにトイレを出ているのは、ご存じだとは思う。
その率は約70%といったところだろうか。
(キレイ好きだし、残尿しない方なので、断じて床を汚すような真似はしないと釈明しておく)
その癖が、いけなかった。私が会社のトイレからオフィスに戻った後、悲鳴が聞こえた。女性社員のだ。
そして、私は自分がチンコ丸出しで部署に戻ってしまったことに気が付いた。(まるで自分の家でそうしていたように!)
血の気が引くような、身体中に氷を流し込まれたような感覚の後、私は慌ててチャックを閉じたが、時はすでに遅かった。
フロアには、20人ほどの社員がいて、悲鳴のせいで、私がモロだったことが、フロア中にバレてしまったのである。
まず、私は直属の上司に謝罪し、女性社員にも謝罪した。だが、当然ながら上司は怒る。すると、騒ぎを聞きつけた上司の上司も来て、場は騒然となった。
クビか?いや、もしかして、損害賠償か?私は頭がグルグルしていた。吐き気もあった。まさか、こんなミスを犯す立場になるなんて、考えたこともなかった。
「とりあえず今日は帰れ!」と上司に言われ、私はそのまま帰った。正直、混乱しすぎて、その日の自宅での記憶は一切ない。
翌朝、早朝も早朝。
私は上司から直電で、「社長と面談」ということで、出社するよう指示をされた。みんなが来ないうちに来い、とのことだった。
場所は、会議室である。7時半くらいだろうか。私が会社に行くと、予約用の黒板にはすでに「重要会議」とだけ書かれていて、社長が来ていることがわかった。
私は、正直退職も辞さない覚悟であったので、座り、チンコを出してしまった旨を、正直に述べた。家で、トイレの後チンコを出しっぱであることは、恥ずかしかったので黙っておいたが。
社長は、まず、冷静に、俺に「会社で性器を露出するのはいけない。セクハラだ」ということを言った。
そして、正直、クビ、あるいは、刑事事件、という声もあった、と言った。
刑事事件、逮捕。クビはあるかも、思っていたが、そこまでとは。私の顔は真っ青になった。しかし、社長はそんな私の肩に手を載せた。
なんでも、「ECサイトの件と、IT化なんかの件を、任せすぎた」という話になったらしい。私としては、そこまでの負担は感じていなかったが、渡りに船だと思った。
社長は、「ごめんな」と涙ぐんだ。私も、気が付くと泣いていた。チンコを出して申し訳なかった、という気持ちでいっぱいになってきた。チンコを見て不快にさせてしまったみんなに謝りたい、とも。
私は、嗚咽を漏らしながら、そういうことを言ったと思う。PM氏が注いでくれたお茶を飲みながら、私と社長は、しばらく泣きながら、今後のことを話し合った。
私のチンコ出しについて、ちゃんと、みんなの前で謝罪をすること。
今回の件については、「会社が負担をかけすぎてストレスで参っていた」というストーリーにしよう、ということ。
私は、泣きながら社長の言う通りにさせていただきます!と頷いた。私は、3か月ほど、会社を休職、ということになった。
一応の結果として、私は「厳重注意」という処分で済むということだった。その間、電話などで上司が、必死に私のために頭を下げてくれていたらしい、という話も後で聞いた。
だが、本当に大変だったらしい。まず、女性社員と男性社員の間には、大きな溝が出来てしまった。
チンコを許せるか、許せないか、という大きな差…というより、私がいない間に事件をネタにして笑い話にした男が多かったらしく、
「男ってホント信じられない!!」という言い合いが多発したらしい。
あと、直接的な原因はよくわからないが、件のPM氏がうつ病になってしまい、私と入れ替わるように休職してしまったので、上手くいきかけていた、ECサイトの方も中々大変なことになった。
社長は、「彼も頑張ってくれてたから、いざとなったらうちの社員として保護しよう」と、言っていたので、人間関係ではなく、よほど業務が多かったのだと思う。
私がいれば、ITの方向でせめてもの力になれたと思うのだが、チンコを出したばかりに、PM氏を守ることができなかった。
私が、会社でチンコを出したばかりに、本当に様々な人達に迷惑をかけた。プロジェクトも、大きく遅れてしまった。
私が復職した時の宴会で、『増田くんは、新「店舗」を出しても、「チンポ」は出さないように…』なんて言って笑いを取ろうとした上司は、女性社員から総スカンを食らっていた。悲しいことだった。
みんなも、気をつけて欲しい。
トイレから出る時は、絶対にチンコをしまう。これだけは、忘れないように。
大変なことになるから。
さて、今からリンクを貼りますが、1番上のみ自分が書いたもの。あとは別の方のものです。
・Colaboと国のお金について
https://anond.hatelabo.jp/20221204142704
https://anond.hatelabo.jp/20221204050525
・何故『共産党に繋がりがある』と自治体からお金を引っ張れるのか(一般論)
https://archive.md/20221118013249/https://anond.hatelabo.jp/20221118003449#selection-165.0-185.1
(独自)共産市議が役所内で「赤旗」集金、法に抵触か 滋賀・近江八幡
https://www.sankei.com/article/20201128-QNFG3SOBKRLK7CDJKTEHJF7XXI/
役所あるあるとして、上の記事にあるようなことは全国的なことなんでしょうね。また、共産党の定期的な出版物は色々あって、それをもとに政策提案や質問を作っているのかな、という印象もあって、議員の方お一人お一人が勉強熱心なのでしょうし、党として色々な情報ややり方などが共有されているのだな、と感じます。
これはもちろん共産党に限らず、「悪しき習慣」として口利きがあり、行政を歪めかねないケースも一定あったかとは思いますが、現在そういったことは減っていると信じたい。
さて、議員からの政策について。多くは一般質問のかたちで行われることが多いかと感じます。一般質問は公開で行われるので、暗黙の理由(そうは言っても金が無い、優先順位が低い等)で無下に却下することはできません。なぜできないのかを説明できないといけません。もちろん実現可能なものは渡りに船でどんどん実現していけばいいのですが、そうはいかないものも多く、これについては地方自治体としてはこの説明に苦労していることが多かろうと思います。
そういったわけで、特に共産党議員の方からは妥協のない提案や質問が多く出る中で、地方行政では一定のプレゼンスを得ているところがあります。政策にもある程度は反映させやすい、ともいえると思います。
こちらは野党のチェック機能が強く働いている一例とも言えます。
もう一つ大きなチェック機能としては、国のお金の使い方に関してのみですが、会計検査院の会計検査があります。こちらも役所あるあるですが、地方行政では会計検査に非常に重きを置いています。恐れている、と言ってしまうのは露悪的ですが、過言ではない。検査対応が煩雑であるのはともかく、「仕事は終わればいい」と思っている職員にとって「終わればいいってもんじゃないよ」と終わった事業を改めてじっくり精査するわけです。これについては、特に最近は「どんな効果があったか」「費用対効果はどうだったか」というのが強く問われる印象です。もちろん書類に矛盾があってはいけない。そしてそれよりもどんな意図のもとに行われ、それは達成されたか、それをどう評価しているか、的なことも説明できなければならない。自治体職員としては、急に降ってくる仕事もあります。効果が得にくいとわかりながらもトップダウンでやらざるをえなくなった事業もあります。これを「効果があった」と説明する必要があるわけです(もちろん嘘もダメです。ほんとに効果がなかったら「こういう理由で失敗した」と言う必要もあるでしょう)。会計検査院については基本的には党派性はないと理解していますので、基本的には書類に向き合うしかない。なかなか大変です。
最近VIO脱毛に興味を持っていたのだが、プライベートゾーンを医療行為でもなく
人様に晒すのは非常に抵抗があったためこれは渡りに船であった。
(人目に晒すのはぶっちゃけ医療行為でも抵抗がある、婦人科のあの椅子…)
自分で施術するため上手く出来るかなど不安はあったがその為の初回特別価格であろう、
申し込みをした。
VIO脱毛に興味を持ったきっかけは、将来の介護のために施術する人が多くなったと聞いたことだ。
排泄物が陰毛についたりすると拭き上げる時などに大変だと言う。
介護職にも看護職にも就いたことがないのだが、人の営みのお世話をする方々には頭が上がらない。
下の世話を誰かにやって貰うようなことにならないのが一番ではあると思うが人生何があるか分からない。
介護の手間を少しでも減らせるならちったぁこの剛毛を減らしておこう。
そんな訳で色々調べた結果、最初は全剃りすることにした。
IOは無くしたいし前部分も全体的に少し薄くしたい。そうすると全剃りして全体的に当てるのがよろしかろう。
……めっちゃ大変だった。
人と股間部の毛深さなど比べたことが無いし一般女性の股間をまるっと見たことなどは無い。
そのためハサミである程度カットしてからシェーバーでブーンとやったのだがIOラインはそもそも自分で目視出来ない。
手探りオンリーは危ないので鏡などを用い、汚くてけっこうショックを受ける。
脱毛の後は保湿が必要だしデリケートゾーン用のクリームを購入しようと決意をする。
ショックを受けたり慎重にシェイバーなどをしていたら非常に疲れたが、何はともあれ全剃り完了である。
とてもスースーする
思えば股間を〇イパンというかハイジニーナ状態にしたことなど一度もなかった。
大事なところを守ってくれていた鎧が無くなった感覚である。ぱんつ履いてるのに。
そういえば初めて洋式トイレに入った時に似たような不快感を覚えたな、と思い出した。
小学生以来の不快感……いつの間にか無くなっていたのは陰毛がガードしていたためだったのか……
逆に不衛生じゃないか……?と思いながら軽くウォシュレットして拭き上げた。
これは経血も直接素肌に触れる部分が多くなって不快感が増すのではないかと不安になった。
シンクロフィット無くなってたから買って来よう、あれが必需品になりそうだ。
それなりに緊張感を持ってセルフ脱毛に初チャレンジしたが、割かしちゃんと出来たように思う。
機械がスタンバイから施術できるような状態に立ち上がるまで数分かかったのでそこが不安だったが
以前腕足などに光脱毛処理をしたことがあったので何となく感覚が分かったのが良かったし
店舗がYoutubeにやり方の動画を挙げてくれていたので助かった。
でもやっぱりVIOを自分でやるのは大変だったので恥ずかしい気持ちを我慢して脱毛エステか医療脱毛してもらった方が確実だろうが、
自分で好きな部分を時間内でやれるだけやれるのはセルフ脱毛の大きな利点だなと思った。
セルフ脱毛のためにVIO全剃りをしてみた結果、陰毛は守ってくれる存在だったという気付きを得たのであった。
家庭用光脱毛を買おうかなぁ
30歳、既婚、男。
私には不倫願望がある。
肉体的な面でもそうだが、精神的な面でも恋愛初期の高揚感を味わいたいという願望がある。
結婚歴6年の30のおじさんになっても、そうした気持ち悪い願望がある。
不倫は2回ほどした。
一つは妻にバレて、もう一つはバレなかった。
彼女は私が既婚者なのを知っており、「それでもいい」と言ってくれた。
彼女との関係が妻にバレ、一騒動あった後も、彼女から連絡は続いたのだが、妻と、そして何より彼女に悪いと罪悪感を覚えた私から別れを切り出し関係を断った。
遊びのつもりで関係を始めた私は、いつしか彼女のことがことが好きになっていた。
好きになればなるほど「先のない関係で彼女の若さを浪費させてしまった」と後悔が大きくなった。
妻に彼女との不倫がバレ怒られたのは渡りに船だったのかもしれない。
妻と彼女と私、三者会談の場を設けてしっかり両者に謝罪し、彼女との関係を清算した。
それからも年に2、3回は彼女から連絡が来るが、そのたびに理由を付けて会わないようにしている。
正直ヤリたいが、それ以上にセックス中に「好き」だの「愛している」だの言うクセに何も責任が取れない自分のダサさに耐えられない。
不倫するなら相手は熟女、かつ可能であれば既婚者が望ましい思った。
年下や独身者では、不毛な関係に若さを浪費させてしまっている、という負い目を感じてしまうからだ。
しかし手近な年上女性に手を出せる勇気もない。そこで私はTinderを利用した。
次の不倫は2年前の夏。
相手はTinderでマッチした人で年齢は38歳。歳は私の10コ上だ。
20の娘がいるシングルマザーの人で、Tinder経由で出会ったフィーリングの合う人とセックスをするのが趣味らしい。
一人目の不倫相手とは違い、相手が遊び前提の付き合いを希望しているというのが私にとって好都合だった。それにとても綺麗な人だ。
初めて会った日、個室居酒屋で昼飲みをして、お互いの共通の趣味である映画の話をそこそこして、その後ホテルへ行くことを提案した。
その食事会はあまり盛り上がらなかったため「ダメだろうな」と内心思っていたが、彼女は了承してくれた。
ベットでの彼女はとても情念が深く、『前の旦那がヤクザだった』というさっきの居酒屋での話も強ちウソじゃないと思った。
セックスが終わったあと、残り滞在時間を1時間も残して私達はホテルを出た。
彼女が私を好きになってくれていることを感じたのだが、やはり彼女との会話は面白くない。
一緒にいるとなんだか砂を噛んでいるような気分になってしまうのだ。
その日以来、彼女から毎日のようにその日の仕事内容やお弁当の写真といったLINEが届くようになった。重いし楽しくない。
彼女からのLINEに毎回短文で答えていたら、そのうち連絡は来なくなってしまった。
Tinderでは他にも何人かの年上女性と出会ったが、どれもあまり会話が盛り上がらない。
そもそもTinderにいる年上女性の多くが、いい年してディズニー好きだったり、相手に完璧なエスコートを求めたり、留学経験なんか求めてきたりする。
「ディズニー大好き!将来はネイル屋さんやりたい!」が7割、「早慶卒で外資系勤務。マメなエスコートができる紳士だけlikeして。」が3割。
いい年して、結婚しててTinderに不倫相手を求める私が言うのもアレだが、Tinderにはまともな熟女がいない。
他方、年下や同年代には話の合いそうな、良さそうな人がたくさんいる。それにみな若くて美しい。
その若さが眩しくて目に刺さるのだ。
だから、私は疾風怒濤の恋愛ではなく、人生経験豊富な先輩たちと心地よい付き合いがしたいのだ。
しかし、そうした付き合いができる熟女をまったく見つけることができないのだ。
「若さの点でディスカウントされている分、性格や知性の面で熟女は若い人に勝っている」
と今まで思っていたが、少なくともマッチングアプリをやっている女性においては、歳を取れば取るほど内面の魅力が乏しくなっていっている気がする。
公明党に対して下駄の雪なんて揶揄があるけど、現状の野党共闘における共産党の立ち位置はそれ以下だよな。
自民党は小選挙区で支援してもらった分公明党に比例票回してるからWINWINの関係だが、立憲は小選挙区で票もらってるだけで比例区は知らんぷり。
実際小選挙区でも比例区でも共闘によって増えた共産の議席は無いんだから。
供託金がかかるから以前から下げたがってたし渡りに船、とか言ってる人もいるが、それは共産内部の事情であって共闘から何の利益も得てないのは変わらないでしょ。
組織動員するのだってタダじゃないんだから、金がないなら地方選に集中するか勝ち目のある選挙区に力を入れる方が合理的。
先日、住んでいる町から接種券が届いた。ワクチンを早く打ちたかったので予約できるか探すも3週間後しかあいてなかった。
調べると個別医療機関で「キャンセル待ち」ができるらしい。当日ドタキャンなどが起きた際に呼び出される仕組みのようだ。風邪をひいたときに行く医者に電話したら10番目と告げられた。幸い弊社ではテレワークが続いているので、いつ呼び出されても打ちにいける。
そんなことを考えつつ、昨日犬の散歩に出たら普段行かない整形外科の玄関前にこんな貼り紙がしてあった。
「ワクチンあります。希望の方はこの紙を一枚剥がして受付にお声かけください」
犬を入り口に繋ぎ、おやつを与え、紙を一枚手に取り、受付に声をかけた。聞けばドタキャンが出てしまって2人分余っていたらしい。このままだと無駄になってしまうところだった、と。犬を待たせてること、接種券がないことなどを伝えると30分以内に戻ってきていただけるならと言われ、快諾した。渡りに船である。
そこからは流れ作業である。ファイザー製のワクチンであること、副反応がでたら飲み慣れた解熱剤を服用すべきことなどを伝えられ、帰宅した。筋肉注射は確かに痛かったが、病気になるよりはマシである。副反応も腕が痛い程度しか起きていない。しかも3週間後の予約も確定した。ちょうど先に予約した接種日と同じ日であった。
整形外科がワクチン接種会場になっていることなど思いもよらなかったが、たしかに高齢者の患者が多く大半が打ち終わってること、電話での問い合わせが少ないことなどが重なっての出来事だろう。紙を2枚、外に貼っておくだけというソリューションもなかなか悪くない。
ワクチンの不足が話題になっているが、こんなアナログなソリューションが広まり、少しでも無駄ワクチンがなくなると良いのだけど。とはいえ翌日以降の予約者に電話しても良さそうなものだけどね。それはそれで翌日のワクチンが余っちゃうのかな。