はてなキーワード: 青春とは
二次創作BLを描いてる腐女子を批判すると彼女達から飛んでくる言葉はだいたいこうだ。
1「同性愛差別だ」「LGBT差別だ」2「性的指向がヘテロだと言及されていない、ゲイの可能性がある」3「嫌なら見るな」
1.二次創作BLの中身はほとんどセックスする事とその書き手の推しキャラクターが持ち上げられその他のキャラクターは低能やクズやお守役にされるヘイトばかりだ。
原作ではスポーツや戦闘などに明け暮れ日々青春を謳歌し運命に翻弄され楽しい哀しい厳しい日々が描かれた様々な物語達がいつでもどこでもすぐにセックスやレイプする事が第一の腐女子のテンプレートに置き変わり、性的関係とは程遠い(敵ライバル親友先輩後輩兄弟主従)関係性のキャラクター達が「推しキャラクターの事しか頭にない持ち上げ用員種付け精子脳当て馬性犯罪者無能低能弱者クズ説教セコムモンペDV性器を咥えるか股を開き喘ぐ恋愛脳」等のキャラクターに変えられてしまう。
これらを公に見せ付けられ批判をすると何故か「同性愛差別LGBT差別」にされてしまう。何故なのか教えて欲しい。
2.妻や彼女がいるキャラクターをBLカップルにしている事についてはどうなのか。「バイセクシャルじゃないと言及されていない」とでも言うつもりか。
どこかで同性愛を病気とし治療と称してレイプした事件があると聞く。これも「ヘテロにならないと言及されていない、ヘテロになる可能性がある」と屁理屈捏ねて治療という暴力をしたのじゃないだろうか。
3.「嫌なら見るな」は某TV局の件で有名な言葉。TVならチャンネルをそこに合わせなければ「嫌だから見ない」が出来る。
二次創作は違う。原作名キャラクター名で検索すると簡単に閲覧出来てしまう設定にしている人達ばかりの状態なのに「嫌なら見るな」はないだろう。まさか原作名やキャラクター名で検索するなとでも言うのか。彼女達こそ批判されるのが「嫌なら見るな」が出来てないのに何様なのだろう。
たとえ非実在の二次元のキャラクターだろうがその作品のファン達は現実の人間の様に大切に想っている人は多いと思う。物語を彩る欠かせない存在だからだ。
その人達の目に付く所で性格や生き様を無視し捏造したキャラを使って公開オナニーや公開レイプをしておいて、批判されるとなぜか「同性愛差別」と言う言葉を用いて被害者面をする腐女子達。
♪ やりたいこと やったもん勝ち 青春なら~♪
理由は諸々あれども、「ヤりたい娘とヤる」ことの難易度はとても高いし、自分がやりたいことをやるだけでもなかなかできることではないのである。
それに対して昇りたい山に昇って(下山して)死んだ栗城さんは、我々青春の負け組にとって羨望の的であり嫉妬の対象であったことは想像に難くないのではないか?
エベレスト山の角度とかは凄いけれども、栗城さんはすごくない。
そうやって防衛機制を行わないことには我々もやっていられないんだよ。
ネタバレ有なのでそれでも構わない方のみご覧下さい。
昨日レイトショーに駆け込んで観てきました。
まず初めに、私は吹奏楽におおよそ10年青春を捧げた男です。担当楽器はユーフォニアムとトロンボーンでした。
久しぶりにパンフレットを買いました。
吹奏楽部出身者として映画を観ながら思ったことを書いてみたいと思います。
まず、冒頭のシーンからずっと希美さんとみぞれさんは少しずつ演奏がズレています。
二人で吹いていればそれとなく寄せて合わせていこうとするのが普通です。
冒頭の演奏ではそういった様子が2人からは感じられませんでしたし、
音からだけでも2人は、ほんの少しだけずれた
平行線を辿っているような、
そんな印象を受けました。
吹奏楽部において人間関係の不和が音に影響する、というのは良くあることでして、
ある程度歳を重ねると人間関係を音楽に持ち込まない、ということが出来るようになったりもするのですが、
高校生というのはその辺りむき出しです。
良い演奏を聴いて耳が肥えてきても
お世辞にも上手とは言えない高校生の演奏に胸を打たれることがあるのは
その子たちがどういった高校生活を送って来たのか、それが演奏から透けて見えるような気がするからです。
冒頭のシーンを見たときに、
オーボエやファゴットなどのダブルリードという楽器はアンブシュア(吹く際の口の形)がやや特殊でどう頑張っても横顔が若干不細工になってしまうんですよね
3年生の、しかもフルートという花形の楽器の中心人物で、コンクールの自由曲でソロがあるような子の名前をトレーナーの先生がうろ覚えだということは、まずあり得ません。
希美さんの挫折感を更に煽る結果になったとも言えるかもしれません。
あそこまでの状況はないにせよ、
他人の才能に嫉妬する瞬間、というのは吹奏楽をやっていると感じたことがある人は多い気がします。
この人には敵わないなと思わされた経験は
その後、諦めず努力して、上手くなってやろうという気持ちはとても大事ですし、
高校生であれば追いつき、追い抜くということも不可能ではないでしょう
しかし、高3のコンクール、これで最後だというタイミングでそれを見せつけられることは
絶望です。
希美さんの心情を考えると胸がしめつけられるような気持ちにはなりましたが、
あのシーンはただ、ただ素晴らしかった。
アニメにさほど詳しい訳ではありませんが、
後世に残る映像なのではないでしょうか。
京アニの楽器演奏シーンというとやはり思い出すのは涼宮ハルヒの憂鬱のGod knows…のギターソロですが、あれから10年が経ち、ここまで表現は進化したのかと、圧倒されました。
被写体深度が次々と移り変わり、映像がボヤけ、直接希美さんの視界を映している訳ではないのにまるで泣いているかのような表現、
そして涙を堪え切れなくなった希美さんのフルートが息絶え絶えになってしまって音がかすれ、抜けてしまう表現、
そして何より、あのオーボエ。
上手なオーボエは、
音が飛ぶんです。浮くんです。
それこそまるで鳥が飛び立ち、自由に空を舞っているような、本当にそんな音がします。
あのシーンはそれまでのみぞれさんの音にはなかったオーボエの独特な浮遊感が表現されていました。
名演としか言いようがないです。
音響の良い映画館であればオーボエの音が上から降って来るような感覚に襲われた人もいるかもしれません。正直、あの演奏を聴くだけでも映画館に行く価値があると思います。
あのシーンを見たとき、
「音だけで、こんなにも繊細にものを語ることが出来るんだ」と、
そう思いました。
エンドロールに奏者の名前がありませんでしたが、あれはどなたが吹かれたものなんでしょうか。
あの演奏は、音で、芝居をしていました。演技をしていました。ブラボーと言わせて下さい。
最後に、
劇場版のけいおん!!が公開された後に、宇多丸さんがラジオで評論していたのを思い出しました。
宇多丸さんは映画を観るにあたってTV版も全て視聴されたらしいです。
概ね絶賛されていましたが、一つだけ、
軽音部の面々が同じ大学に進学するという選択をしたことに苦言を呈していました。
というのも、軽音部は本来高校だけの期間限定、終わりがあるからこそ、儚いのだと
まぁそんなようなことをおっしゃっていたような気がします。(記憶が曖昧なので大分脚色が入ってる気がします)
私も当時その通りだと思いました。
だからこそ楽しくて仕方ない一瞬一瞬が
一種の切なさを纏うのだと。
リズと青い鳥の終盤、希美さんとみぞれさんは各々別の進路選択をします。
そのことがハッピーエンドなのかどうなのかというのは微妙なところだと思いますが、
この選択によって
リズと青い鳥という映画の切なさ、儚さ、美しさ、そういったものは際立ったのではないかなと
また、平行線だった2人が別々の方向を向くことで、コンクールに向けて1つに交わることが出来たんじゃないかな、と、そう思いました。
以上です。
とにかく、映画館で観ることが出来て良かった。機会があればもう一回観たい。
正直戦車のこととか全く知らないのに世間が騒いでたというだけで食わず嫌いしていたので
2周目の俺にはなるべく早く観てほしい。
というSF映画や小説で手垢でコテコテのテーマに対して一番納得のいく答えを出した作品。
逆にこのアニメのせいで同テーマにした他の作品への期待値が大きくなりすぎてしまった。
オリジナルサウンドトラックも素晴らしいマングローブの処女作にして傑作。
見続けることでどんどん面白くなっていく。
漫画版は読まなくてヨシ。
・GJ部
学生時代に部活やサークルで青春を送っていなくてもGJ部を見ればOK。
どうしようもないクズたちがどうしようもない状況になりながらも暗すぎないタッチでエンターテイメントにした作品。
小説版、漫画版とメディアミックスしているがそれぞれ同じストーリーのようでアレンジの仕方で同じに思えて全く違う結末になっている。
おすすめは漫画版で、漫画版の佐藤が出した結論が下らないようで、一番クズに必要な答え。
トータルで観て賛否両論もあるがライブ的な面白さは非常に強いし映像として見どころもあるのでネタバレ抜きで観てほしい。
怪奇物をテーマにしたアニメでシャフトの演出と雰囲気づくりがマッチした作品。
新鮮さが一番の魅力。
パラレルワールドをテーマにセカイ系できっちりボーダーを引きつつも話を面白くできたのは評価したい。
タイムパラドックスについての解釈が割と雑だけどその点を加味しても見続けることができるSFアニメ。
・JOJO 二部
ただ「シーザーのアレというかジョセフとリサリサがのそのそ歩いてるときのアレ」については原作まんまだったので、
そこは話が不自然にならないように改変してもよかったのでは…?
そこさえ改変しててくれたら2億点出してた。
子ども向けアニメとして時代に忘れ去られてしまうのが悲しいが、
重いテーマを扱っている、しかし白ボンの熱いハートのおかげで視聴者は崖っぷちでも耐えられる。
・タイガー&バーニー
どうも女性ファンが多いので語れる場所が少ないように見えるが心配するな。
全盛期を過ぎた男の進退に悩む姿はヒーロー関係ない、中年は学ぶところがある。
まっすぐな主人公、頼れる相棒、かわいくてやさしいヒロイン、闇を抱えたライバル…
少年漫画的な要素を詰め込んで話も面白い初代ゾイドアニメにして傑作。
・宝石の国
原作と比べたらところどころで表現しきれていない描写があったけど、
それは原作が凄すぎるからであってアニメのせいではなく、マイナス評価にはならない。
・錬金3級 まじかる?ぽか〜ん
ほのぼのとした日常生活を送る魔界のプリンセスたちは苛烈な戦乱に巻き込まれ、
仲良しな女の子たちが学校に寝泊まりする部、ちょっと過激などたばたコメディ。
環境の変化は心の変化に繋がっていく。その先にあるのは果たして…
今のガンダムがこれを意識した宇宙世紀ばかり作ってしまうのも、
残念ながら2018年現代においてもこの作品がガンダムとしてぶっちぎりだからだ。
映画の限られた時間の中で冨野の分かりづらくも、やりたかったこと、全部つまってる。
決して見逃すな。
・蟲師
日本的な自然に対するアニメ表現はやれジブリだ、やれジブリだとジブリジブリうるせえ!けど、
蟲師は別にジブリじゃなくていいんだ、と肩の荷が下りるような気分にさせてくれる。
構成、演出、映像、声優、音楽、すべてがハイエンドで構築されている鉄壁アニメ。
BLAME!もまた日本製CGアニメを確立させた作品だが、BLAME!のアニメ化としては少し辛口になる。
これに関しては映画BLAME!が公開されたときにここでも書いたが作者自身が自分の過去作のリブートの仕方を間違えた結果良さが損なわれたところがある。
ロボット同士の戦いを戦術的にキッチリと映像で見せてくれているし、
細かいアクションまでしっかりと書き込んでいる目に対して懇切丁寧なロボットアニメ。
ロボットアニメは線画が多いせいで誤魔化し演出が多いが、ブレイクブレイドはしつこく描いてくれているので本当にありがとうございました。
夫が隠れて借金をしていた。洗濯物のポケットから支払い明細票が出てきた。読んでも正確な額が分からない。ただ50万円以上は確実だ。急いで夫と連絡を取り「持ってる金融機関のカードを暗証番号とともに全て提出してね」と伝えた。
これまで我が家の家計は完全に別財布だった。昔から家賃光熱費通信費は全て旦那持ち。子供が生まれて私が退職している今は、そこから更に毎月6万円食費雑費としてもらっている。
思えば夫の金遣いには怪しい所があった。DVDや漫画を買うのが好きだし、ゲームにも課金していたようだ。それでも大人なんだから借金なんかするはずないと思ってた。クレジット会社から送られてくるギフトカードを受け取りながら、私は不安になって何度もこう言ってたのだ。「借金ないんだよね?もしあるなら全部私が立て替えるから。リボ払いは怖いんだよ。6万円払えるの?」それに対して夫は「大丈夫、借金なんてしてない」
どうやら夫は大ウソつきうんこ野郎だったようだ。それでも今まで家計を任せきりにしていた負い目もあるから強く責める気はなかった。
帰宅後、カードと暗証番号をもらって、急いでカード会社のホームページから利用明細を確認。何ということでしょう。彼は毎夜ソシャゲに高額の金を突っ込む大脳の溶けた精神病患者だったのです。
1万円の支払いを一晩に3~4回躊躇なく繰り返している。年末年始なんてひどい。12月31日から1月1日にかけてのリボ払いの大盤振る舞い。
借金の額は、100万はありそうだが夫も正確には分からないと言う。私が「自分の借金の額を把握してないの変だよね?何でかな?」と言っても、夫は辛そうに黙っている。だいたい彼は暗証番号を言うときもキレ気味だった。子供か。私より10以上年上だけど精神が成長する機会には恵まれなかったようだ。
翌日、泣き叫ぶ2歳児と眠り込む0歳児を引き連れて、カードの支払窓口に大金を持ち込んだ。手持ちでは足りず、総額で自分の貯金から140万を返済した。私の貯金の半分以上が電脳の海へと溶けていったのである。南無~。
帰宅後、夫の利用明細をCSV形式でダウンロード。2006年からのクレカ利用状況が全て分かった。ゲロを吐きそうになった。
夫が「旅行に行きたいの?お金もったいない」と言うからいつも1~2泊、国内旅行で安く済ませてきた。新婚旅行も国内2泊1万円以下の宿。そのとき彼は一晩に3万円ゲームに突っ込んでいたのだ。 私があるプログラミング言語にはまって講習に行きたいと言ったことがある。「ふた月で15万円?子供も生まれたし色々考えないといけないんじゃない」と夫は言った。そのとき彼は何も生み出さないゲームに一週間で15万円つぎ込んでいた。
彼がゲームに傾倒しているのは知ってたがこれほどのものとは!!衝撃だった。愛する夫が実は前科二犯の幼児性愛者だと判明する衝撃に匹敵。あなた誰?と思った。
返済した日の夜、夫の携帯のロックを解除してもらい、例のゲームを起動する。夫はゲーム内で隊長を称し、チームを率いていた。既に引退を宣言したのか「寂しいです」「リアルが大事ですもんね」「引退なんてもったいない、隠居してみては」など仲間から暖かいメッセージが寄せられている。
最高に笑えるおじさんたちだ。私の金で興じた戦争ごっこはさぞ楽しかったでしょうね。何より何より。などそのほか多種多様な罵詈雑言が私の頭の中トレドの泉のように湧き起こり、紳士的で親しみやすい彼らにひとつひとつご挨拶したい欲求に駆られる。フリック入力が面倒でやめた。代わりにSRやSSRと記された金銀に輝くキャラクター群を売却。50万、100万かけた電子データが意味のない数字の羅列になり果て爽快爽快。
夫は結婚した当初から仕事で行き詰まりを感じていた。脳と心が疲弊し、私の出産を機に閑職へ異動。年収とともに忙しさも減って私は嬉しかったが夫は寂しそうだった。
夫は20代の青春期を、劇団を率いて舞台に捧げた人だった。舞台をやめた後は仕事に打ち込み、ほんのひと時だが部下を持ったこともある。彼は頼りにされ、リーダーだと持て囃されることに飢えていたのかもしれない。ゲームの中で「隊長!」と呼ばれ、人から頼りにされる仕事のできる俺という幻想に大金をつぎ込んでいたのだ。
ゲーム内の紳士的な仲間たちは「リアルが大事ですもんね」と言っていた。彼らは大馬鹿者である。ゲームとリアルは綺麗に分けられていて、それぞれ別の世界だとでも思っているのか。この世は常にリアルしかない。心をすり減らしながら労働し、液晶画面の絵や文字を変えるのに金をつぎこみ、その金を得るためにまた心をすり減らす。その醜悪な構図はどこまでもリアルだ。なぜ分からない。大脳が溶けてる。
ダウンロードしたCSVを元に計算すると、この3年間、ゲームだけで170万(利息含)つぎ込んでいた。夫もそれを見て塩らしい態度になり、今は私が彼の全個人情報を把握するのに協力的だ。今朝は甲斐甲斐しく子供のおむつを替えていた。すぐそばにある子供のかわいい顔に気づき、しばらくは我が子と「隊長と隊員ごっこ」に興じるようだ。
私も今までの生き方を改めよう。それまで私もひと月に電子書籍で1万円をTL官能小説に浪費したことがあったし人のことはとやかく言えない。今まで買っていた漫画を買うのもやめるし、小説も電子書籍ももう買わないよと約束した。代わりにあなたも買い物は今後しないでと言った。私にとって、何も買わないことは苦ではない。だが彼はどうか。今まで息をするようにキャッシングしていた人間が突然変わることなんてできるのか。不安で仕方がない。
私の実家はそこそこ金があるし、住んでる家は実家の持家だし、切り捨てる決定権は私にある。再びゲームに金をつぎ込めば離婚してやろうかな。液晶の画面がうつしだす「隊長!隊長!」という文字列にかじりつきながらせいぜい一人でうっとりしてればいい。4~5年保育労働をさせて使い潰したら捨ててやると隣で赤ん坊をあやす夫に笑いかけながら考える。そんなひどいことを考えつくぐらい私は怒っていた。 あっでも離婚しませーん(^^)いえーい。
ヤりたい娘と ヤったもん勝ち 青春なら
昔サンプルで持ってたやつなんだけど、タイトルも女優も全然思い出せない。
思い出は思い出のままにしとけばってなるかもしれないけど、見つけたら買う。
・恐らく15年以上前
・サンプルはリアルメディア形式で2本(どっかのサイトからダウンロードした)
・JK(だと思う)にとびっ子つけて散歩して、罰ゲームでS●Xみたいな企画
・1本目のサンプルは散歩のシーンから、開始時点でちょっとフラフラしてて「大丈夫?」みたいなことを言われてる。
魚覚えだけど茶色のタータンチェックスカートに上はシャツだったような記憶。
「流れに身を任せちゃおうね」「(毛が)薄くない?」とか声をかけられてて
「そのまま...」って言ってる時にバイブ挿入するところはめっちゃ覚えてる。
(多分スカートはたくし上げててシャツはボタン開けてはだけてた)
・2本目は本番のシーン。
1本目もそうだけど、苦しそうに「やっ…あっ!」って喘ぐ子で、
最後「もう中に出しちゃおうね」みたいに言われて「やだっ!」って言ってるところに
正常位で多分中に出してたと思う。
さすがに古すぎてわからんよな。。。
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(追加で思い出したこと)
よぉオタク、よく来たな。
そりゃタイトルにオタクなんて入ってるのにわざわざ読んでるようなのは、
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さて、attention!
そう、pixivのlogとかによくあるあれだ。オタク、よろしく頼む
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・このエントリにはガルパライブ5thの両日ネタバレが含まれます
・一発書きなので多分誤字脱字がある(恥ずかしくて通読してない)
・なんでも大丈夫な方のみどうぞ
・無理そうな方は無理せずブラウザバックして、どうぞ。
さて、それでは話を始めます。
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悲しむこともあったし、怒ることもあったし、楽しくなることだって、感動することだってありました。
CLANNADの汐みたいに、「泣いていいのは~」みたいなのを決めてたわけでもありません。
ただ、とにかく、何か起きても概ね因果関係を把握してしまい、Aが起きたなら結果はBだ、というように世の中を処理するようになりました。
オタクなのでアニメ見たり映画見たりするのですが、「あ、ここ泣き所だな?」みたいな所で
定まった型のような感動を味わおうとする、そんな風な性格をしています。
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さて、そんな私の過去ですが、物心ついたころから捻たタイプの百合厨でした。
わざわざ百合と銘打って検索し始めたのは少女セクト見てからのような気もしますが、
それ以前の私は女子プロレスにキャットファイト的興奮を素で覚えるような人間だったので、
嗜好としては推して知るべきといったところでしょう。
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一方で成績も悪くなく、本が好きなデブとしてオタクの例に漏れずインドア派の青春を送っていた私は吹部にそれを捧げます。
バイエル程度のピアノを履修したことのある私にとって、吹部はいい場所でした。田舎だったので周りのレベルが低く、
演奏技術として課されるノルマも相対的に低かったので、熱くなることもなく、無難な日々を過ごしていたと言えるでしょう。
感情に疎いので、コンクールの結果も概ね予想通りだなくらいの感想しかなく
――そりゃ金賞取ったら嬉しかったですし、銅賞なら悲しみもしました。でもそれはメンツやレベルで推し測ることができるものです――
ユーフォ一期一話の久美子ちゃんみたいに、「あ、皆悔しかったら泣くのか」みたいな感想を持つような人間でした。
まぁそれは今も変わってないのですが。
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そうやって生きてきた感情の薄いオタクは、――まどマギ見て胸がいっぱいになって人生で初めて感動で泣きそうになったりしましたが――
大学受験に失敗し、ラブライブに出会います。あ、ガルパのサービス開始はオタクが大学に入ってしばらく経ってからなのでもうちょっとかかるよ。
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高校で悪い友人に音ゲーを仕込まれたオタクは、project DIVAにのめり込みます。
extendを一日2~3時間くらいやってたのであえなく浪人。LPのあるゲームなら大丈夫やろと安易にスクフェスに手を出します。
浪人期の私にとって、スクフェスは勉強を除けば全てでした。リズムゲー、三話で現実を見るアニメ、二次創作で無限に供給される百合。
オタクがオタクたる所以がそこには三つの柱として屹立していました。ちなみにデレステのサービス開始一年前とかの話です。
オタクがラブライブを認めた理由は多岐に渡りますが、大きく三つ、曲と「演者である」というアニメの見せ方とライブです。
曲はスクフェスやってたので無限に聞き込みました。結果、メチャクチャ好きになりました。
アニメは三話が全てでした。オタクは吹部だったので、幕が上がった瞬間に、あれだけの宣伝をしたにもかかわらず客がいないその絶望に共感することができたのです。
自分たちの初めての演奏会、そんなに凄いものじゃなかったことは分かっていたけれど、やはりお客さんが少ないことに一抹の悲しみを覚えたことを。
理屈では分かっていても、目に見えて人が居ない、というのは堪えるものです。シンデレラガールズのNGお披露目回での未央ちゃんの反応も納得です。
そこを乗り越えてライブをするμ's二年生の姿に共感と誇らしさのようなものを覚えて、かつて一話切りしたアニメを見始めました。
ストーリーが死ぬほど面白かったか、と言われると人によって意見が分かれるところですが(いつもの私なら茶化してつまらなさを弄るところです)、
どうしても穂乃果ちゃんから逃げきることができず、オタクは穂乃果ちゃんのオタクになります。
普段の私からすると元気おバカ、それも主人公にハマるなんてひっくり返っても起こらないことです。
そして何気なく見てたyoutubeで、オタクはラブライブのライブ映像を目にします。
始めは何気なしにアニメのライブか、程度で見ていたのですが、オタクは気づきます。中の人がマジでパフォーマンスしていることに。
ラブライブはアニソンの例に漏れず歌唱難易度が高く、その上ライブではもともとアニメーションとして動いているダンスを再現しています。
このヤバいことを同時にやってのける凄い人たちがいる――。オタクはいよいよラブライブのオタクになりました。
しかし時は5thライブ直前、ラブライブのオタクとして日々思索するうちに、パフォーマーとしてのμ'sの中の人の体力的限界問題について考えるようになりました。
アニメ二期の流れ、μ'sが実は5周年を迎えていること、そういった諸々を鑑みたオタクは、μ'sの引退を予見し、取り乱し始めます。
結局、6thがファイナルとなった訳ですが、オタクは再受験に失敗し、μ'sが終わるという現実にも上手く対応できず、
それまで全て歌えたラブライブ楽曲も、PSYCHIC FIRE以降、把握してるかすらも怪しいまでになります。
そうして、初めてコンテンツの興隆と寿命なんてものに触れたオタクは色々な感情を整理できないままラブライブから疎遠になっていきました。
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さて、ラブライブ疎遠期のオタクですがデレステやってました。CoolP、主にかえみゆPとして性懲りもなくスマホ音ゲーに手を出し、沼に浸かる日々です。
あ、ナナシスは曲が好きです。WUGは未履修です。すまない。アイカツは一番古いOPとEDしか知りませんが適当に聞く曲が大体好きなので大丈夫そうですね。
プリパラは3Dのやべー奴だしアイドル事変も未履修ですすまない。何を書いているんだ私は。
とりあえず大学に進学し、サークルに授業に忙しいオタクは、またしても感情を動かさなくなりました。人並みの情動はあれど芯が動くことはない、そんな感じでしょうか。
二次創作百合に手を出し、癒され、適宜アニメ干渉するような生活でした。そうしてリア充と言えなくもない時期を過ごし、
他人から「ホントにヤバいやつ」扱いされぬよう感情を覚え、心の外縁でそれが機能してるようなふりすることがちょっとずつできるようになっていきました。
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そんなあるときガルパの配信が始まり、少ししてからオタクの好きな曲がいっぱい収録されていることを知って、オタクは徐々にガルパをやるようになります。
大体半年くらい経った頃でしょうか。オタクはキョン子、久美子を始めとするクーデレのような何か(久美子は解釈が分かれるところでしょうね)が好きなので、
奥沢君が推しになります。その一方で曲の割合はポピパとRoseliaがメインなので自然とそれを聞くようになりました。配信サービスに乗っかってたのが大きい。
オタクの音楽の趣味ですが、F、Δ、7といったマクロスが履修済み、シンフォギア(履修中)の曲が好きすぎてパチンコを打つといった具合なので、
大ヒットしたのはRoseliaでした。今も昔も推しは奥沢君ですし、バンドとしては昔のアフロ推しから一転、箱推しになりましたがそれはそれとしてRoseliaはめっちゃ好きです。
Roseliaの何が好きって、Re:bitrth dayです。バンドストーリー本編最終話からの再生の曲、何度聞いても胸が熱くなります。
dearestに似た浮遊感すら感じますし、もはやロボットアニメの最終話、主人公機覚醒シーンとかでかけた方がいいんじゃない?みたいな妄想もよくしてました。
とまあ、いつものようにオタ活に励んでいたわけですが、Roseliaのプレイリストを聞くうちに、またうっかり好きな曲が増えました。
ここでようやく登場する本題、陽だまりロードナイトです。attention含めて3500字近い何かになってきましたね。なげぇよ。
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さておき、もともと私はこの曲のサビが大好きでした。今までのRoseliaの曲から一転、ボーカルの友希那を包むようなコーラス。
片方が主旋律で片方がハモりのはずなのですが、どうしても主旋律が二つあるように聞こえます。普段、好きな曲はある程度聞いたら歌えるようになるのですが、
この「どっちが主旋律か分からない問題」のせいでオタクは久々に一人で歌えない歌に出会いました。しかしオタクはこれはこの曲の良さだと素直に受け止めます。
それから、忙しさにかまけてRoseliaへの解釈はリサゆきメインの百合厨にそれをゆだねる日々を送っていましたが、その中でリサ姉はRoseliaの精神的支柱だという気付きを得ます。
そして友人のゆりしぃオタクから引退の報を聞きます。この友人、プロジェクト東京ドールズとガルパにめちゃんこハマっており、それはまぁゆりしぃオタクなのでした。
引退。よくあることですね。ラブライブのオタクとしてμ'sの実質的引退を経験した身としては、来るべきゆりしぃロストに向けて色々と語る友人に昔の自分を重ねつつ、
Roseliaのメンバー、中の人が一人交代するのか、位に捉えていました。オタク、FGOエンジョイ勢だったので丁度FGOでのマシュみたいなもんかな?といった感じです。
このオタク、ホント感情の動かなさが種田さんにも高橋さんにも失礼だな?ともあれゆりしぃ引退を聞いた時はそんな印象でした。心の外縁が悲しんでいる様子。
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それから暫くして、ラッキーボーイだったゆりしぃオタクの友人から吉報が届きます。ガルパライブ5thに当たったから一緒に行かね?と。いやほんとこいつ神だな?
ラブライブしか知らなかった頃と違い、大学に行くために実家を出たオタクは、物理的にライブ参戦が可能になっていました。もちろんOKの返事を出します。
もともと田舎出身の貧乏学生だったオタクにはライブ参戦という発想がそもそも無く、何もかもが初めてでした。オタクの知っているライブは、youtubeに公式が上げている
映像か、親切な友人等が貸してくれる円盤かのどちらかでした。そもそもOKした時はワンチャン黒沢さんが出るんか?みたいな印象でした。いやHPくらい見ろよ当時の私。
ラッキーボーイ友人のラッキーは流石に両日は保たず、day2が近所でLVとなりました。その時の私は「初日遠征、二日目がLVでRoselia」くらいの認識だったと思います。
許せ、リアルがごたごたしとったんや。そうしてライブの週になってようやくライブの中身を把握し、ポピパとRoseliaの聞き込みを始めます。一月前からちょいちょいやってたけどね。
その週、気の利くラッキーボーイはGiGSを読ませてくれて、Anfangを貸してくれました。おまけにAnfang付属のRoselia1stライブまで見せてくれました。ほんまいい奴やな……。
これが幾つもある今回のタイトルの原因のうち、最大のものでした。
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GiGSに載ってたのはRoseliaの中の人達が本気で楽器をやっていることの証明でした。吹部だったのでジャンルは違いますが、書いてあることは大体分かります。
全ての楽器の詳細な設定とか、横でそれの担当の奴が弄ってたな……。なんて読みながら感慨にふけりました。そしてその全てはたった一年で為されたのです。一年。
かつて私の部活にもいたのですが、途中から入部して毎日本気で練習して、最高のパフォーマンスをこなす凄い奴。横でその軌跡の一端を眺めてたからよく分かります。
Roseliaは考え得る最高の教育を、最高の形で受け取って、そして最高の形でそれを昇華したんだということを心にすっと感じました。芯に、真っすぐ感情が入ってきたのは久しぶりでした。
そして見せてもらった1stライブ。中の人たちのキャラを知るには十分でした。あいあいはぽんこつだし、くどはるはアクが強い。めぐちは良い人だし明坂さんはりんりん。
そしてゆりしぃはリサでした。まごうことなき今井リサでした。ツッコムわトークを回すわリサゆきだわでオタクはRoseliaの中の人たちにもメロメロでした。
キャラ作ってるのは知ってますが、そんなことはキャラとしてのRoseliaに、そして中の人としてのRoseliaにメロメロのオタクにはあまり関係ありません。
というか罹りたくて罹っている催眠が解けるはずないじゃないですか。そんなことより、これはパフォーマーとしてめちゃくちゃ優秀だということの裏返しだということにしましょう。
こうやってライブ数日前、私の中でRoseliaは完全にRoseliaとなりました。
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さて、ライブ当日です。一日目の遠征は最高でした。Light Delightのサビのサーチライトの演出とかほんま神だったしポピパの中の人の新曲への熱意が凄かったしでオタクは普通に楽しんでいました。
ここで、オタクはかなりの感傷に浸ります。何となく生きてきた人生とは、全力でパフォーマンスする演者による素晴らしいパフォーマンスとは、そして自分とは――。
ポプテピピックの「明日死んじゃったらどうする?」状態です。今までの情動しかない人生に比べて無限に大きな感情がやって来た。処理しきれなくてバグっていました。
そうして帰りの夜行バスの中で最後に落ちてきた風船を眺めながら、パフォーマンス、ライブとしてのラブライブをちゃんと終わらせてなかった、
ラブライブから逃げ出してしまっていたのかもしれない、というところまで何とか思考が帰ってきました。このぐちゃぐちゃと感動、感傷、とにかく感情のすべてを解くカギとして、
幕張から持って帰ってきた風船は捨てずにとっておこう、なんてことを考えていました。そう、遠征一日目はこんな感情だったのです。外縁で処理しきれることも多かった一日目でしたが、
それでもかつて心の中心に居た何かを呼ぶには十分だったのです。
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そして二日目、LVでした。始まる前からゆりしぃ引退が頭をよぎり、「今日はタダじゃ帰れないな」と気が気でなかったような思いがありました。
何事もなくライブは進み、そして陽だまりロードナイトが掛かりました。どこか冷めた自分が、「お、陽だまりロードナイトだ」と心の中で平坦に言ったような気がしています。
.
声となって
表情となって
導いてくれる
やさしい人よ
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リサ姉はほんとにそんな人なんです。こんなにも長い間音楽と触れ合ってきて、歌詞のすべてが心の芯まで揺らしていたのは、人生で初めてのことでした。
.
二番に入り、
.
離れていても 帰る場所がある
どんな時でも 傍にいてくれた
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Aメロはリサであるゆりしぃのことなんだな、というのがさっき心にやって来た衝撃以上の共感となって、瞬時に理解できました。
たとえRoseliaのパフォーマーとしては離れることになっても、ゆりしぃにとってRoseliaは帰る場所であることができるし、
Roseliaのメンバーにとって、ゆりしぃはリサとして、ゆりしぃとしていつだってRoseliaに居たんだ、そんなことを思いました。
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太陽となって
月となって
照らしてく
つよい人よ
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陽だまりロードナイトを聞くとき、これはリサの歌だと思ってたんですけど、ライブでここが流れたのを聞いた瞬間にその思いは少し変化しました。
Roseliaのベーシストとして、太陽のようにファンの前で、Roseliaの中で輝いてきたリサとしてのゆりしぃが、
これからはRoseliaとして表舞台に立つことはないけれどメンバーの心を照らし続けるように、Roseliaに、そしてファンの中に残り続ける。そんなことを思いました。
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この曲では、語り手が「語り掛ける相手」が居て、二回出てきますがどちらもリサを想定することができます。
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「あなたがいれば、怖くないよ」
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と
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名前を呼ぶ声
こんなにも特別な事だと
想い あふれてゆく
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です。文字通り、リサが、ゆりしぃがいればもう怖くないし、たとえそれがRoseliaのなかであってもそうでなくとも、という感情がやって来ました。
これからいなくなってしまうゆりしぃが呼んでいた誰かの名前、Roseliaのメンバーが呼んでいたゆりしぃを呼ぶ声。その一つ一つが、全て特別なものだったんだよ、と語り掛けてくるようでした。
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女性が評価される基準って若さと容姿が8割ぐらい占めるわけで、女性側もそれを理解して育つから価値観のベースが容姿になるのは仕方がない。
顔立ちは整っているのにそれを活かすことができない気質や知能の女はいるが、
社会学や文化人類学の研究に、世界2ケタ国、つまり文化が違う国々での男女別異性の何を重視して評価するかを調べた物がある。
文化が違っても男が女の何を評価するかというと「若さと美しさ」で、美しさにはオッパイかオシリが大きい、とか入るわけ。
要するに金と権力を手に入れても女としての幸せ、端的に言うと繁殖に寄与しない。
それどころかむしろ遠のく。
↑を書いた元増田です。
結局、リズと青い鳥を観に行った。
名作名作と言われていても、正直、本当に観る気になれなかったのだが、そんな気持ちを押し殺して行った結果は、予想を裏切る満足感だった。
再販後再売り切れのパンフレット目当てに、もう一回くらい観に行きたくなる程度に心惹かれた。
そして、優れた京アニ作品はもう一回もう一回と、「観たくなる」というより「味わいたくなる」んだっけ…と、TV版の響けユーフォ以来、久しぶりに思い出した。
辛い結果、冷ややかに感じるみたいな。そう、マティーニのように。
よく辛いお酒が人生の辛酸を舐めるほどに美味くなると言われるが、その感覚に近い。
まあ10代はお酒飲めない(ことになっている)けど、お酒飲めなくても、辛口の酒が美味しく感じる程度に辛酸はある。
そんなことを思わずにいられなかった。
自分が希美よりもみぞれの方が遥かに近いタイプだから、尚更そう感じたのかも知れない。
とにかく観ている間、全編に漂うみぞれの危うさと、希美の良くも悪くも深く考えない能天気さが引き起こす、眉間が痛くなるようなすれ違いにハラハラし通しだった。
だからこそ、最後は心底ホッとしたというか、これ以上ないくらいほっこりさせられた。なんというか、余韻漂う後味まで美味しく頂いてしまった。
見事なくらい青春の1ページを切り取ってくれたもんだと感心させられた。
そんなことが出来たのは、業界最高レベルの絵の上手さが前提にあることは言うまでもない。
だから京アニは、その美麗な絵が表現している物語がつまらないものにならないようマネージメントしていれば、良作をどんどん量産できるスタジオだと、本作を観て確信した。
声優については、主演の種崎敦美氏がパーフェクトなのは勿論だが、相方の東山奈央氏の、芸の懐の深さにも驚かされた。
似たようなポジションの役としてはゆるキャン△に続く、素晴らしい仕事ぶりだ。
この、メロディに対して、オブリガードをはじめあの手この手で合いの手を入れる「女房役」は、ある意味では主役以上に難しい上に、その負担に比べて報われにくいポジションだ。
だからそれをやってのける人は、主演よりも芸達者な所を必ず内包しているし、どんどん労いたい。
脇役の「なかよし川」も、ちょい役出演だった「北宇治カルテット」も、絶妙なスパイスとして素晴らしい存在感を見せていた。
ともかく、このアニメにテンプレ的キャッキャウフフを期待すると、その口当たりの辛さに閉口するだろう。
まあそんな人いないだろうというか、youtubeで流れているPVでそういうのを期待させないようにしているのは、良い広告戦略だと思う。
問題は、淡麗辛口が美味しいことをどう予告するか、かな。自分が鈍くて感じ取れなかっただけかも知れないけど。
ああそうそう瑣末な話だけど、いくら強豪校であっても、高校の吹奏楽部にコントラファゴットやハープなんてねーよ!音大付属のガッコじゃあるまいし。
敢えてツッコむとすればそこら辺?
みんなどこに言ってもなんかしら言及している
でもどうして
みんながすきなあのバンド
壊れたおもちゃみたいにギーコギーコ動いていたあの日々を支えてくれたのはあの人たちの鳴らす音楽だった
今だって色褪せない。
なのにどうして。
復活しちゃうの、
素直に喜べないこの気持ちはなに?
男ボーカルだからキーを5つあげるのが基本で、こないだヒトカラ行ったときも縛りで何曲も何曲もうたったよ。
女装のPV笑いながら歌ってめちゃ英語の歌い方練習したんだよ。
高架線聞きながら高校までの道のり、高架下歩いてたよ。
はじめて聞いたI Hate It忘れない、ジターバグの歌詞の通り、いつだってあなたの声が暗闇を切り裂いてくれてたよ。ずっと
なのになんなんだ。
どうして復活しちゃうの。
だいすきなのに、だいすきなのに。
この気持ちなんですか。誰かヒント。
高専、工業高校、商業高校、農業高校、看護や保育の短大などのほうが、常識的かつまともに余裕のある社会人になる方法を教えてて、自営の家業など手に職をつけられる気がしてて、マスコミもそれを嗅ぎつけてる感じ。
普通科高校は、青春から余裕を完全に削りとっていく。スポーツ大会に出ることさえ実質的に禁止みたいなことになってる。
総合大学も同級生とはとても呼べないようなだれも話しかけたことのないアフリカ系の外国人留学生選手を駅伝にだすくらい。等身大の未成熟な学生のことなんか誰も面倒を引き受けない。未成年飲酒など犯罪が横行してても止めない。
で、ご立派な学歴もって、公務員試験にうかって中央省庁たら、上司に忖度させられてジサつとかニュースで連日。
そもそも学歴だけ立派なひとを全員受け入れられる求人数がないのに、ワイロ事件で昭和はとっても有名だったのにみそぎしたかのようなリクルートが面接のお辞儀は45度とか座るなとか馬鹿みたいなデマながしてて。
お金のない大学生のデートみたいで、それはそれで楽しいと思う。サイゼリヤ、ちゃんと選んで注文したら美味しいし楽しい満足感高いし。
大切なことは、デートの食事にサイゼリヤを選ぶ以上はサイゼリヤにふさわしい恋愛でないとダメだということだと思う。甘酸っぱい青春まっただなかの大学生っぽいデートに、サイゼリヤは似つかわしい。だから、例えばサイゼリヤのあとにラブホに誘うなんてのは究極のナンセンスなんですよ。言語道断。そんなことするからデートでサイゼ(笑)とか言われる。デートでラブホに行くような恋愛にはそれ相応の雰囲気がある。サイゼで男女が食事をするというのはそういう、糠臭い恋愛には似合わない。好きなミュージシャンの話なんかをしながら、今年の夏はみんなを誘ってフェスに行こうよなどと駅まで少し遠回りしながら歩いて話しながら、また話そうな!楽しかった!おつかれ〜!、といってホームで別れなければならない。
パンツ見えそうw
【4/10明日発売】新作登場! 『乃木坂明日夏の秘密』噂のお嬢様は“偽りのアキバ系”!? 「春香の娘」達が繰り広げる次世代シークレット・ラブコメ!!https://t.co/C8hREM1Vnk pic.twitter.com/yAZNuGvJ6Y— 電撃文庫 (@bunko_dengeki) 2018年4月9日
【4/10発売電撃文庫】新作登場! 『ぼくたちの青春は覇権を取れない。 -昇陽高校アニメーション研究部・活動録-』決して誰かに胸を張れるもんじゃない。でも、ぼくらには、「アニメ」がある。https://t.co/Qa2oECIMs6 pic.twitter.com/FZGV0hZYSY— 電撃文庫 (@bunko_dengeki) 2018年3月31日
ふふふ
これから書く記事は、以前ここに似たようなものを書いたことがある。だから本当は違反行為に近いのかもしれないけれど、前の記事が妄想だと受け取られてしまって、どうしても納得できなかったからもう一回書かせてもらうことにした。妄想だと思われたのはおれに非があって、たぶん時系列の錯綜した書き方が無用な混乱を与えることになったのだと思う。だから今回は単調かもしれないけれど、時系列の古いものから、つまり過去から順番に並べるやり方で行くことにする。ようするに自分語りなわけだけど、タイトルにあるようにとにかくおれが馬鹿なので、「おれの人生はこいつに比べたらだいぶマシだな」と思ってもらえる効果はあるかもしれない。
話は13年前にさかのぼる。おれは入試方式多すぎるやろ!とツッコミを入れたくなる関西の某マンモス大学に意気揚々と入学するも、出だしからいきなりつまずいてしまう。クラスで友人が1人もできず、桜が舞うころに開かれたコンパでは、桜の下でぼっち飯するおれは教育係の先輩から情けで声をかけられるありさまだった。
自然、人恋しさからおれの足はクラスから離れサークル活動に向かうことになった。そのサークルの同じくコンパで、スパゲティ屋で食事をしているとき、「どこ出身ですか?」と声をかけてくれる男がいた。それが1年前あまり行動を共にすることになるXだった。Xとはしょっちゅうカラオケに行ってガンダムの曲を一緒に唱うなどしたいたのだが、当時おれはカラオケで98とか出るのをいいことに(そんなやつはゴロゴロいるのに)、プロの歌手になれるんじゃないかと勘違いして、レコード会社にデモテープを送ったりした。しかもその曲が倉木麻衣のSecret of my heartときていたのがもう・・・・・・。当時、おれは自分が中性的で女性的な魅力があると勘違いしピンクの服を着るなどし「3次元のクラピカ」を自称していたのだった。そんなうぬぼれたふわふわした気持ちもあり、授業からはどんどん足が遠のいていく。1年時の前半にとった単位は4くらいだったと思う。秋になるとサークルもやめ、もっぱらXとつるむようになる。毎晩のように親からの仕送りのお金をレストランでの食事につぎこみ、Xが行きそびっているときはおれがXの食事代も出すようになっていった。そのうちXは交換条件のように、「食費を出してくれるなら(レストランに)行ってもいいよ」と言ってくるようになった。でもおれはじゃぶじゃぶ出した。1人自分の部屋で食べるということが考えられなくなっていたのだ。結局のところ、Xとの関係はおれにとって、1人暮らしのさびしさや心細さを埋めるものでしかなかったのだと思う。1年たった頃には1人暮らしにも慣れてきたのか、それまでスルーしていたXの1人よがりなあつかましさが目に余るようになっていた。「おまえには社会経験がないからバイトが必要だ」とか、「おまえは友達が少ない。友達もできないやつに彼女ができるはずがない」とか、そんな自分の意見を一方的に押しつけて反論をさせない態度を受け流すことができなくなったおれは、ある日意を決してメールを送る。これまで一緒にいてくれたことに対する感謝を述べたうえで、しかし性格の根本のところで合わないところがあり、それはどうしようもないからもう関係を終息させたいと。すると笑いながらの電話がかかってきて、「彼女に言ったらありえんって言っとったよ。恋人が別れるときに」するような行為やって」と鼻で笑われ、おれたちの関係は終わった。
さんざんな顚末とはいえ、1歩引いて見るなら人生はまだまだこれから、おれに必要なのは地歩を固めるための1歩を踏み出すこと、つまり授業に出ることだった。しかしおれの人生はここから急速に転がり落ちていくことになる。
授業に出ようとするものの、1時間半受け身の状態で座りつづけるのが耐えられず、教室を途中退出して図書館に行くことが増え、そのうちもっぱら図書館に籠もるようになった。そして図書館のPCルームでネットに耽溺するようになるのもあっという間だった。友人のいない1人暮らしのさびしさを埋めるためではなかったと思うけれど、おれはネットにほのぼのとした暖かいものを求めていた。もっといえば居場所を求めていた。そのことがあって、あるいは元々のどうしようもない性質のせいかもしれないけれど、おれはちょっとした冷やかしやスルーに対してキレて粘着するようになった。糞コテと呼ばれるまでそう時間はかからなかった。活動していたのは2ちゃんと某有名大学の掲示板で、ある日そんなおれの傍若無人がブーメランになって返ってくる。ある日、おれの使っていた数々のコテを1つにまとめた上におれの本名を記したレスを2ちゃんに書き込まれてしまった。本名で検索するとすぐにそのレスが出てくるようになり、おれは事の重大さを悟った。特定された理由は、おれが調子にのって掲示板のEメールのリンク先に本名を書いたからだけど、それをコテの数々と一緒にして晒されるなんて思いもしなかった。
そんな惨状にあってもおれは能天気なところがあって、ネットからは遠ざかりつつあったものの相変わらず授業には出ずにぶらぶらする生活を続けていた。いまだに自分を「3次元のクラピカ」だと思いつづけていて、そんなキャラクター気分でいるからか、最後は自分の思うようになるみたいな根拠のない楽観的気分でふわふわしていて、青春の倦怠を気取って、19世紀の文学作品をかじったりひとカラに行きまくってソファーに寝そべりながらアニソンに浸ったりしていた。食事はさすがに1人買ったものを部屋で食べたり学食を利用したりして落ち着いていたものの、食材を買いに行く店の人に「おひさしぶりですね」と笑顔で言われてこのお姉さんおれに気があるのかなと勘違いしたり、ナンパブログを真に受けてふるえる声で街を歩くお姉さんに声をかけてガン無視されたり、アニメキャラみたいなスタイルのお姉さんの後ろをつけつづけて感づかれて、店の男に告げ口されて男ににらまれたりと奇行が出始めていた。努力むなしくもちろん成果はゼロ、友人もゼロの極寒生活のなかだれつづけ、単位10程度のまま4年生、留年が100%決定していた。親に説得され、なんとか授業に出ようとするも、今度はマイクの音がうるさくて耳が痛いという症状に悩まされる(あれだけカラオケ行ってたのに)。どうしても苦しいなら耳栓するなりすればいいのにみみせんのみも思いつかず、といって親に相談することもなくずるずると授業から逃げつづけ、気がつけば5年生になっていた。5年生のしばらくたった夏ころ、もう単位をとれる見込みはないと親に電話し、退学させてほしい旨を伝えた。そのときも親からも1言も耳栓案が出なかったのは不思議だが、いまさらそんなことを言ったって仕方がない。
退学して田舎の実家に帰ったおれは、今度は公務員学校に行き始める。でも相変わらず奇行はおさまらない。電車のなかで見かけたセクシーな女子大生をガン見しまくり、友達と一緒に笑われていた。大学中退なのに、ほとんど大学卒業者が受験する地方上級を目指したものの、ここでも根気がつづかず授業に出なくなり、電車に乗って百貨店でケーキを食べて帰ってきたり大型書店で延々と立ち読みして帰ってきたり、もう何をしに行っているのかわからなくなっていった。
公務員学校をやめひまをもてあますようになったおれはまた馬鹿をやらかす。リアル顔をうpして知恵袋で評価を聞くという暴挙に出た。しょうゆ吹きそうな顔だったから予感はしてたけど、超ブサイクって返ってきたときはおれのなかでクラピカが音をたてて崩壊していくのが聞こえた気がした。
実家2年目くらいからは聴覚過敏がひどくなり半狂乱になってきて、家の前を車が走るたびに「うるせーっ!」とか「コラぁ!」とか怒鳴るときもあるようになっていた。対人的にも過敏になっていて、母と折り合いの悪い父方の祖父が母に陰険な感じに当たったりすると、祖父がいなくなった後にわめき散らしたりしていた。
3年目のある日堪忍袋の緒が切れたようになって、実家を飛び出すようにして大阪で1人暮らしをはじめた。頭が常に高揚しているような状態で大学の掲示板に演説調の文章をかきなぐり、もはやネット上でも誰ともまともなコミュニケーションをとっていなかった。1人暮らしをしたらすぐアルバイトをするという父母との約束もやぶり本屋で立ち読みをしまくっていた(図書館のとも思いつかず)。それでも勇気を振り絞って、わざわざ女性募集と書いてあるところに申し込んだら、面接中にひじをついてキレられた。
ある日スマホを書店に忘れて2日後に戻ってきたのだけど、なくしている間に何かをされたらしく、なにも押していないのに勝手に意図しない操作をされるようになっていて、そんなのすぐにスマホを破棄するの1択なのにずるずると使いつづけて、結局それから2年くらい使っていた。
そのストレスがあったのかどうか、また実家に戻ってすぐに興奮がおさまらなくなり、精神科に行くと発達障害と言われてエビリファイという薬を出された。
いまはそれを最低量のみながらアルバイトに行っているけれど、アルバイト先に1日数回、2回のコールで切れるいたずら電話がかかってくる。アルバイトに行くまでは実家にかかってきていて、まず同じやつ(ら)の仕業だと思う。悔しいけれど、ネットで暴れていた自分の自業自得でもある。いまだ友人はいない。もちろん彼女もいない。でも1日1日生きていくしかない。
呼ばれる方でなくやる方の立場。
親族だけで挙式し後日に友人を呼んだパーティーをするつもりだったんだけど、友人の反応があまり良くない。
初っ端に断られるならまだ誠意を感じる方で、検討すると言ったっきりの放置、果ては既読スルーが続いている。
個々の事情は理解しつつも、ダメージが重なって2ヶ月後に予定の二次会が憂鬱になっている。
恐らく友達は多い方で、小学校〜大学まで一つの部活を続けていたこともあり、青春を共にしたと言える仲間もそれなりにいた。
20代の間は1年に1〜2回はそれぞれの年代の友人と遊ぶ機会があったし、それぞれの結婚式にも多分、人一倍は参列した。
それぞれを大切な友人と感じていたし、自分の祝いの場にも当然、顔を出してくれるものだろうと思っていた。
けれど今回、そういった昔からの友人からのレスポンスがハッキリ言って良くない。
むしろ、30代を過ぎてから始めた趣味の緩い繋がりの仲間や、近隣の飲み屋の常連仲間の方が参列を即答してくれている。
確かに自分は周囲より結婚が遅れたし、30代も半ばに差し掛かった旧友達がそれぞれ事情を抱えているのもわかる。
ここ数年はそれぞれと飲み遊ぶ機会も減っていたし、家族や仕事の優先度が上がっていることもあるんだろう。
ただ、そうは言っても、祝いの言葉すらないのは、返信すらないのはやっぱり心情的に納得できない。
そこは嘘でも行きたい気持ちを伝えたうえで断るのが所作だと思うし、それすらしないことが信じられない。
GOING UNDER GROUND の「さかさまワールド」とか
サンボマスター の「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」みたいな
思わず泣きたくなるような、曲を教えてください。
なんだこれなんだこれなんだこれ。
あまりにスッキリしなくて映画館でてからも身震いのような気持ち悪さが引かず肩を縮こまらせてみたり腕を拭ったりぴょんこぴょんこ跳ねてみたけどそれでも気持ち悪い感覚が引かず最寄りの喫茶店に駆け込んでカフェラテを飲みながらこれを書いてる少し落ち着いてきた。
アニメ映画に限らずエンタメであることが求められるこのご時世にこれだけ監督が気持ちいいもの垂れ流しました的な物語が劇場公開できてかつ絶賛されてるのをみると世の中健全だなあというか捨てたもんじゃないなあと思うけどやっぱ許せそーにねーわっていうか辛い(言えたじゃねえか)。
でまあ何が気持ち悪いかっていうと希美なんなのアイツってことなんだけど。
本音言わないにもほどがない? ずっと嘘くせー笑顔うかべてるしさあ。一番「あ、こいつキチガイだな」って思ったのは優子がキレてるところでもニヘラニヘラしてたところだな。あそこは普通なら申し訳ない顔をするなり逆ギレするなり何なりリアクションがあったはずなんだよそれを普段と変わらない笑顔でやりすごすとかさすがに何なのコイツってなるわ。
そういう本音を一切語らない希美が描かれた末にみぞれが羽ばたいてあーこっから変化きますわ変化って思ってたら何も起きずむしろ語らなさが強化温存されてENDってさすがにねーわ音大行くのやめたのみぞれにけっきょく言ってねーだろ何だコイツ。
それでもメタ的にそれを指摘するパースペクティブが用意されてるならいいんだけど(嫌だけど)でも作品として「disjoint→joint」ってやっちゃうわけじゃん。いやこれで解決されてるとか主張するのはさすがにソシオパシス疑うわwww
もう少し話を整理する。
この話はTVシリーズからずっと続いていたみぞれの希美に対する一方通行的な気持ちにどう決着をつけるかって話だ。
みぞれは希美に対してオンリーワンだけど、逆はワンオブゼムにすぎない。お互いがお互いに抱いている感情が等価ではないという問題はこのふたりにずっと横たわっていて、TVシリーズ2期の序盤でこれを取り上げることによって一定の解決をみた(が、実はTVシリーズは視聴者を慮ってか原作に比べてかなり手加減したつくりになっている。原作ではこの落差を青春が持つ残酷さとしてストレートに描いており、解決がつくどころか希美の無理解さが強調されるエグみを持っていた)。
さて『リズと青い鳥』においては同名の架空の海外小説とそれを原作とした吹奏楽曲を補助線とすることでふたりの距離に改めてスポットを当てている。
『リズと青い鳥』はひとりぼっちのリズのところに彼女を哀れんで青い鳥が少女となってやってくるという話である。最初ふたりは幸せに暮らすが、リズはやがて少女が青い鳥だと気づき、彼女は大空を自由に羽ばたくべきだと主張する。ひとりぼっちだからといって己が鳥かごになって大空を自由に飛べる青い鳥を閉じ込めることは許されないというわけだ。それはリズの愛である。青い鳥はそれを悲しむが、リズの気持ちに応える形で大空へと旅立つ。
当初みぞれはリズに自分を重ね合わせる。闊達で皆の中心にいる自由な希美を遠くから眺め、自分なら青い鳥を手放しはしないのに、リズの気持ちはわからないと言う。だが臨時コーチの新山との対話の中で、青い鳥がリズの愛に応える形で飛翔することへは理解を示す。良かれとおもって彼女の元に来たことが却って彼女を苦しめるなら大空へと羽ばたく姿を見せることをもって彼女を幸せにするのだ、という解だ。だがそれは現実のみぞれと希美の関係にはそのままオーバーラップしない。
吹奏楽『リズと青い鳥』においてみぞれオーボエ希美フルートはそれぞれソロパートを担当する。曲の成否を決める重要なパートだ。だが希美のクオリティが低く、みぞれが無意識的にそれへ合わせることで滝も麗奈も納得しない出来になっていた。それをみぞれが「羽ばたく」ことで解消する。しかし希美はリズじゃない。覚悟を決めて申し出たリズと違って、希美にとってみぞれの「羽ばたき」は寝耳に水で目をそらしていたみぞれと自分との力の違いをまざまざと見せられることになってしまう。希美はみぞれに「手加減してたんだね」「みぞれはすごい。自分のような凡人とは違う」と醜い感情をぶつける。ここまでは理解できる。が、ここから先がないことは理解できない。事件は起きた。が、解決とまでは言わないまでも変化がないことは理解できない。みぞれと希美の関係は、あのなんか表面だけを取り繕っている妙な関係に戻ってしまうのである。本当に理解できない。
希美が音大進学を諦めたことは参考書を借りている描写からもわかる。くどいほどに強調されていた希美が一歩先を行きながらみぞれといっしょに音楽室に向かっていた今までから希美は図書室に勉強へ、みぞれは音楽室に練習へ行っていることからも道が分かたれたことは明確に描写されている。
だが音大進学をやめたことを伝える描写はないし、おそらくみぞれもそれに気づいていない(それぐらいノーリアクション)。希美はみぞれの目の前で参考書を借りているし、練習したみぞれが図書室で勉強していた希美と落ち合ってお茶して帰る描写があるので、現象として「希美音大進学あきらめた」はみぞれの目の前で展開しているのであるが、みぞれはノーリアクションなのでやはり気づいていないと考えるべきだろう。気づいてなお普段を演じているのだとしたら、希美以上にみぞれがぶっ壊れている(付言しておくと図書館が普通科の大学、音楽室が音大を暗喩し、それぞれを出て合流してお茶するところが、道が別れても一緒にやっていけることを暗喩してはいる(映画けいおんのセルフオマージュ感はあった)。しかしそれは言葉だけでそう表現されているに過ぎず、何も解決されていないことから額面通りに受け取ることはできない)。
事件は起きた。が、変化が起きないどころかお互いの距離と無理解が強化温存されてしまった。それなのに「disjoint→joint」とやってしまうのは、さすがに気持ち悪いとしか言いようがない。
ただ歩いてるだけであんな音はぜってーしねえと冒頭からツッコミ待ちな辺りそうとう振るっている。音がもたらす強烈な違和感によって、アニメーションだからこそ描き得る「体温」とでもいうべき何かが嫌でも強調され、作品の表現したい内容がプリミティブな形で視聴者の前に突き出される。
映像にしてもそうである。潤む瞳や流れる髪などアニメーション的誇張を重ねて表現された絵は、アニメーションであることの自覚ぬきに成しえない。アニメーションだからこそようやく可能な表現に挑戦した意欲作だと言える(アニメ『めぞん一刻』において、五代が「なんで泣くんだよ。なんで……」と言った響子さんの涙を思い出した。あれもアニメでなくては表現できないし、成立しない映像表現である)。
■2018/4/28追記
https://anond.hatelabo.jp/20180427225401
いやいや。
希美は内面を表情に出さない本心を語らない(いつも嘘くさい笑顔をはりつけている)キャラクタとして設定されていて、その強調として彼女を中心とするクラスタが表面的な付き合いに見えるような描写は繰り返しされている(むろん希美にはみぞれ以外の友人が沢山いる、希美しかいないみぞれとは違って、というためのものでもあるが)。
みぞれの後輩である剣崎梨々花が「先輩といっしょにコンクールに出たかった」と号泣するのはそれとの対比であり、畢竟、希美とみぞれ及びそれぞれのキャラクタの周りにいる誰が本心を語っているのかということを浮き彫りにするためにほかならない。
優子に詰められた時の対応などを見ても、希美が(本心を語らないという意味で)信頼できない語り手的登場人物として描かれていることは疑いようがない。そこから彼女が「変化」したと捉えうる描写もないため、増田が「濡れ場」と称する場面でも彼女の表情や言葉を額面通りに受け取ることはできない。
そもそも(原作)ユーフォは、みぞれと希美がそれぞれ相手に寄せる好意の量の差異を赤裸々に露わにし、青春とはかくも残酷なのだと描写した物語だ。物語がその残酷さに直面したとき、原作においては久美子が「うわこれキッツ」というようなリアクションを密かにすることで、それをどう物語として扱うかというパースペクティブが用意されている。が、リズと青い鳥にはそれがない。
希美が相談なく吹部をやめたことでみぞれはショックを受けた。相談がなかった、知らされなかった、自分はその程度の友人でしかないのだという事実が彼女を傷つけた。希美の音大やっぱやんぴはそれの繰り返しであり二度目だからこそ余計につらいわけ。だから優子はキレた(なのにニヘラニヘラしてやりすごす希美!)。じゃあ実際みぞれがそれを知ったとき彼女はそれをどう感じるのか、ということは「食事やトイレに行」く描写があるかどうかとかとはまったくもって次元の違う、映画において回避すべきではない描写にもかかわらず映画はそれ回避してしまう。ずいぶんと不誠実ではないか。
みぞれは最後、オーボエを続ける選択をする。それをどう解釈すべきか。
みぞれは希美といっしょにいるためにオーボエを吹いていた。一歩下がってついていくようなみぞれは希美に嫌われたくない。だからオーボエも、希美に合うようにもっと言うなら彼女を超えないように抑えられていた。鳥が自由に羽ばたくところを見れば、地べたを這いずり回るしかない人間はあるいは鳥を嫌いになってしまうかもしれない。そういう恐れを鳥が抱いても不思議ではない。だが青い鳥は、リズに励まされ、大空を舞う。翼はもともと持っていたものだが、リズの励ましによって青い鳥はもういちど空を自由に舞うことを選択する。それこそが、あなたがわたしに望んでくれたことだから。だからこそ大事にしたい、続けたい。
という読みが妥当だろうが、納得してそう受け取るには希美が音大に行くことをやめたと知ったみぞれの描写なくしては無理だし、リズが青い鳥を支えたように希美がみぞれのオーボエを支えると口にされても、希美への信頼がゼロなのでそれは難しい。そういった明らかな構造的不足を映画は無視したまま終わってしまうので、信頼もへったくれもない。
ところでこういった感想は、映画を見て心で感じたことを言語化して初めてでてくるものであって、「小難しい理屈」などでは決して無い。ということぐらい最低限理解してからコメントをつけるべきだろう。