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2024-02-26

女性専用車両差別だとすると女子寮女子トイレ差別なのか

まあ、どっちも差別ちゃうやろという話というか、それを差別とすることでどういう世界を目指すことになるのかという話をしてみます

1.差別区別

まず大前提として、今の社会は本人にはどうしようもない属性理由にしたとしても、別異に取り扱う場合があることを許容しています。例えば、18歳になる前の子供にどれだけ十分な能力があるとしても、民法制限行為能力者として扱われます。そのような属性による扱いが差別(=不当な扱い)であるかどうかは、結局は扱いを分ける目的と、その属性をもって分けることの合理性によるとしか言いようがありません。そして、この目的正当性手段合理性評価時代場所によっても変わるでしょう。身分制度合理的であった時代もありました。

2.男女を別に扱うことは差別

では、男性女性とを別に取り扱うことが差別に当たるでしょうか。いうまでもなく、男女雇用機会均等法など現代国家における男女の取り扱いについては、女性差別への是正を中心に、原則として同一化の方向に進んできました。しかし、社会には、風呂トイレ更衣室、男子寮女子寮男子校女子高、食べ放題価格女性専用DVシェルター等々、男女で扱いを別にすることが多くあります。これらについても、昨今は男女という生まれながらの性差で扱いに差を設けることの合理性に疑問を呈されるようになったことをきっかけに正当性合理性が問われなおしてはいますが、少なくともそれらがことごとく直ちに違法であるとか不合理であると認められているような状況ではありません。それは、社会が不合理だったり、不当な目的を維持したいから残っているわけではなく、一定価値観の下で正当性合理性が認められているためだと考えられます。こういったものについて、「区別」が「差別」になるかどうかは、結局は、どういう社会を目指すのかという理想像も絡んできます

例えば、育休は事実上男性にはほとんど認めらえてこない時代が続いてきました。その理由の一つには、男性女性とで子供を持つことの身体負担に差があることがあったと考えられ、そのことだけに着目すれば、育休に差を設けることの合理性は失われたわけではありません(期間の長さ等法律上も差はあります。)。しかし、育児には両性の親が関わるべきだという価値観社会に広がったことで、育休の扱いで差を設けることが不合理な面も浮かび上がってくるようになり、現在積極的男性に育休を利用させるよう厚労省などが呼び掛けるような状況に変わってきています。育休を男性が取れないことは差別になったと言えるでしょう。

3.女性専用車両差別だとする世界はどういう世界になるか

女性専用車両差別かどうかは、電車が混雑する時間帯に女性が優先的に乗ることができ、異性が原則として乗れない車両を作ることについて、正当性がありかつ一定合理性があるかどうかによることになります。その正当性としては、女性男性との間で、①異性から痴漢行為対象になりやすいかどうかという点で大きな差があること、②異性と身体が密着するような状況に対する忌避感や性的羞恥心に差があること、というあたりが挙げられるでしょう。現状の日本社会は、これらの目的正当性を認めていて、女性専用車両という仕組みで対応することも一定合理性があると概ね信じられているためこれが維持されていると考えられます

これに対して、現在女性専用車両への主な反論は、(1)男性犯罪者扱いするものである、(2)鉄道各社は満員電車という状況を改善するべきであるのにそれを利用者負担押し付けている、という二つが主であるように見られます。このうち、(1)は区別目的自体が不当であるという主張として、(2)は女性専用車両という手段が過剰であるという主張としてそれぞれ整理できます

これらの理屈が背後に持つ価値観を考えると、(1)は男女という性差だけで羞恥による忌避や防犯目的の行動をとること自体が不当だという社会を目指すものと言えるでしょう。これを貫けば、例えば、女子トイレ女子寮も、維持は困難になるでしょう。あるいは、女子更衣室すら、男女という性差羞恥心による別の取り扱いをすることは不当であり、男性女性も等しく我慢をすべきだという理屈で反対することも可能になりかねません。最近流行りの話で言えば、異性に家に誘われたときや異性と泊りがけで遊びに行くのを誘われたときは気を付けろというのも差別になるでしょう。これが白人黒人との関係であれば、羞恥心や防犯目的別離に扱うこと自体が不当であるという主張を貫くのは容易であり、むしろ目指すべき価値観であると受け入れられたために今があると言えますしかし、男女でその理屈に多くの賛成を得ることはおそらく難しいでしょう。これに対して、(2)は女性専用車両という不利益に甘んじるのではなく、ラッシュピークのない社会を達成するべきというもので、目指すべき社会の像としては、多くの賛同を得やすもののように思われますしかし、ラッシュピークが生じるような社会習慣は決して鉄道会社が望んで出来上がったものではなく、実際には鉄道会社だけでできることには限界があると私は考えますコロナ禍という大規模なショックを経験してなお、満員電車がなくなるには遠い現状があります鉄道料金、運転間隔、オフピーク通勤等の推奨等の対応を超えて、鉄道会社が努力すれば通勤ラッシュがなくなると考える人はおそらく多くはなく、その立場からすれば、結局、満員電車を解消する現実的な手立てがない現状で女性専用車両合理性否定すれば、また満員電車を避けたい女性負担を強いる社会に戻るだけでしょう。

こういった意味で、女性専用車両差別だと断定する主張は、基本的には極端な理想社会押し付ける非現実的な主張であると考えます。もちろん、そういう思想を持つこと、発信することは自由ですし、特に満員電車のない社会というのは真剣に取り組むに足る目標だとは思います。ただ、平和憲法国際社会に広めることで戦争がなくなると考える人が少ないように、女性専用車両に反対することでより理想的な社会が実現すると考える人も多くはないでしょう。

2021-03-28

【呉座騒動與那覇潤先生も「「誤読」ないし「意図的に歪曲」」してない?

呉座勇一氏のNHK大河ドラマ降板を憂う - 與那覇潤|論座 - 朝日新聞社の言論サイト

話題のこれ。自分一般論部分には特に反論はないし具体論についても部分的同意するところはある。

まあその上で色々思うとこがある中で恐らく最もどうでも良さそうなところに噛み付くのだが。

元のツイート職業学歴など、本人の選択次第で「移動可能」な特性非難するのは差別ではない、とする(呉座氏以外の)主張に対して、そうしたロジックを認めれば「在日問題も『帰化しろ』で終了してしまう」と批判したものだ。

これの話って五野井DaDa論争のことだろうと思う。以下のTogetter見るに個人的には心底”Theネット”という感じで大変意義のない争いにしか見えんけど。

学者「ナチズムには差別が内在しているので表現の自由に値しない。共産主義?それは別」 - Togetter

けどこの與那覇先生の読解って正しいんですかね?当時のやり取りそのまま引用するとこういう感じで(敬称略)。

五野井「どの表現も加害となりうる。では表現一般ヘイトスピーチの違いは何か。それは後者差別煽動であり、それに踊らされた者らによって現在まで多くの人々が傷つき殺されてきた点だ。「私にはヘイトスピーチする自由がある」を「私には差別に基づく加害や殺人煽動する自由がある」に置き換えてみてくれ。」

DaDa「何言ってんだ、その言い分だと共産主義に踊らされた者らによって現在まで多くの人々が傷つき殺されてきたから、共産主義禁止もしくは監視あるいは一定制限の下にしか存在を許されない、なんて理屈が罷り通ることになる。」

五野井「わたし共産主義には微塵の魅力も感じないが、そもそも共産主義ヘイトスピーチと違って、人種差別が内在していないことは明らかだ。ナチズムが禁じられる理由は、まさに人種差別差別煽動が埋め込まれいるかである。「差別煽動」という術語をわざと外す暴論には感心しない。誠実な反論を望む。」

DaDa「あら、共産主義に内在的に埋め込まれている階級出自による煽動差別でないとは斬新な見解ですこと。」

五野井「人種差別の話をしているのになぜ階級の話になるのか。人種階級のように移動できるのだろうか。できないだろう。それをあえて比較対象とするのは不誠実だ。為にする批判ではなく、改めて誠実な議論を求める。」

DaDa「階級は移動できる問題ないって安直社会学者が言うの致命的な発言でなくって?」

五野井「人種って移動可能なのですね(笑)あなたは、人種は移動できるという想定を前提でわたし議論をふっかけてきたわけですが、まずはどうやったら人種が移動できるかを教えて下さい。なお階級は、容易ではありませんが移動可能ですよね。ライフピア大勢いるし。あと社会学者って誰のことかしらん?」

DaDa「人種は移動できるっていつ何処で誰が言ったんですかマイケル・ジャクソンですか?」

五野井「わたしが移動不可能人種差別問題にしているのに、あえて移動可能性のある階級問題とわざと等価にして食いついてきたのはあなただろう。ポップなネタに持ち込んで、ごまかそうとする悪いクセはやめなさい。不誠実な相対化で立論をしているかぎり、あなたには勝ち目はない。で、社会学者って誰よ?」

DaDa「だから人種階級絶対に優先だって学問定説あるんですかあ、差別に優劣ありってそれこそ差別的でしょう。あと社会学者だか政治学者だか人文学者だか知らんけど階級移動なんか些末なことって言い放てるなら社会問題コミットする立場として大問題に違いないと思いますよ。」

本当、意味のない議論だよ。このTogetterはてブが何で真面目に議論してるかも理解できんほど噛み合ってないやり取りなんだわ。

それはともかく、五野井先生は「職業学歴など、本人の選択次第で「移動可能」な特性非難するのは差別ではない」なんて言ってます?これ差別を論じるに人種階級は移動可能の可否に違いがあるから等価に扱えない”であって”移動可能属性なら差別ではない”ではないんじゃないかなあ。DaDa氏も借金玉氏も呉座先生も與那覇先生勘違いされてるようですが。いや、たぶんDaDa氏は他3人と違って最後最後で気付いたんでしょうね。だから最後に「人種階級絶対に優先だって学問定説あるんですかあ、差別に優劣ありってそれこそ差別的」と五野井先生階級差別存在否定していない可能性を認識したような反論をしている(反論として妥当とは言わないが)。

お嬢様自己実現なんて知らんがな」から女性自己実現否定している」という解釈ダメだと與那覇先生がおっしゃるなら、直接言ってもないことを実際にあった主張だと断定するのはギルティーでしょうとも。しかしまあ素晴らしい見識を備えた学者方がアルファツイッタラーが気付いていることにすら気付かないのはいかがなものか。それこそ「誤読」ないし「意図的に歪曲」と言われても仕方ないのでは。

実証的に文言を読み解けば不当だと論証できる非難」を傍観するべきでないということのようなので気になったところ指摘しておく次第。

蛇足

まあ、五野井先生もかなり微妙手法使ってて、例えば「共産主義には人種差別はない。ナチズムには人種差別差別煽動内包されている。差別煽動という術語を外すな」と言っていたのに階級差別の話を持ち出されたら「人種差別の話をしている」と言って差別煽動の部分を吹っ飛ばししまう。だから勘違いを引き起こすわけで…。もっと問題なのは五野井先生は当初の書き方だとヘイトスピーチについては差別煽動であることに重きを置いてたはずなんですね。それによって生じる被害害悪果たして「移動可能」か否かで変わるものなのか?差別を語るうえで属性の「移動可能性」に着目すること自体王道にしてもそことの論理的接続性は本当にあるのか。

ところがDaDa氏はそこを指摘するわけでもなく、何故か人種差別云々に乗っかってしかも「移動可能」とかいうそれを考慮すること自体は実はわりと妥当な部分に噛み付いて滅茶苦茶にするしなんなんでしょうねこれ。そもそもマルクス主義持ち出してきたのも大体イメージ人によって変わるとこだから困ったもんだなと思わないでもない。

それで言うとここには引用してないけど階級について「移動困難」だと五野井先生が認めているところがあって、むしろそっちの方が突っ込みどころでは?ヘイトスピーチ定義を調べた人は「変更不可能または困難な属性理由に~」みたいな文章たことあると思うんですよ。移動困難ならば移動不可能と同じカテゴリーではってことね。もちろん困難とはどういう意味でどの程度困難なのかって話がその次に待ってるんだろうけど…。

まあ今更どうでもいいね。語ってもしゃーなし。

移動可能というか変更可能/不可能考慮することはあるということを上で書いたので一応実例は出しておく。

まあわりと差別とかを考えたことある人には馴染みがある考え方の1つだと思うのだが、呉座先生(ともしかしたら與那覇潤先生)の反応見るにあまり知られてないのかな。

日本国籍は,我が国構成員としての資格であるとともに,我が国において基本的人権保障公的資格付与公的給付等を受ける上で意味を持つ重要法的地位でもある。一方,父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得するか否かということは,子にとっては自らの意思努力によっては変えることのできない父母の身分行為に係る事柄である。したがって,このような事柄をもって日本国籍取得の要件に関して区別を生じさせることに合理的理由があるか否かについては,慎重に検討することが必要である

――国籍法3条1項違憲最高裁判決2008年

上記制度の下で父母が婚姻関係になかったという、子にとっては自ら選択ないし修正する余地のない事柄理由としてその子不利益を及ぼすことは許されず、子を個人として尊重し、その権利保障すべきであるという考えが確立されてきているものということができる。

――非嫡出子相続差別違憲最高裁判決2013年

もちろん変更可能か否かだけが全てじゃないしその種の別異取扱いは絶許みたいな0か100かって話ではないのだけれども。

2018-05-15

anond:20180515001824

女性評価される基準って若さ容姿が8割ぐらい占めるわけで、女性側もそれを理解して育つから価値観ベース容姿になるのは仕方がない。

残りの2割は気の利いた従順さとか愛嬌特に日本では。

顔立ちだちは微妙でも男ウケがいい女はいるし、

顔立ちは整っているのにそれを活かすことができない気質や知能の女はいるが、

基本的に女の評価は外見。

社会学文化人類学研究に、世界2ケタ国、つまり文化が違う国々での男女別異性の何を重視して評価するかを調べた物がある。

文化が違っても男が女の何を評価するかというと「若さと美しさ」で、美しさにはオッパイかオシリが大きい、とか入るわけ。

女は男ほど異性の容姿重要視しない。

まり男の金と権力に相当するものが女にとっては容姿

その上女には心理学で言う成功恐怖っていう心理がある。

要するに金と権力を手に入れても女としての幸せ、端的に言うと繁殖寄与しない。

それどころかむしろ遠のく。

コンプレックスについていえば、そこそこの金と社会的地位がある男でも

 「学生時代青春できなかった」とか「他の男ほど女を自由セックスできない」というところをこじらせてる人は見かけるな。)

 
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