はてなキーワード: 調停とは
25歳位から6年付き合って結婚した彼女と、6年の結婚期間の末に離婚した。子供は一人いる。親権は元妻側。
面会交流は月一程度で会えるようになった。まるで会えない時期が一年ほどあったので子供と会えるのは嬉しい限りだ。
子供はパパと(も一緒に)住みたいと言う。これが辛い。
元妻はいわゆるボーダーというやつで、機嫌が悪くなった時の俺に対する攻撃性は尋常じゃなかった。自分が無くしたものを子育てに忙しいことにかこつけて探せよ!と叫んだり、俺が口答えしてしまうと、泣き叫びながらあんたのせいであんたのせいで!と叩いてくるのを繰り返した。極め付けは子供がいるのにも関わらず、睡眠薬を大量に飲んで半自殺行為をした。救急車を何回か呼んだ。子供は何が起きてるのか分かっておらず不安そうだった。もちろん元妻は浮気もしていた。浮気相手に電話して警告したりして、俺は何をしているのか分からなくなり、あの頃は俺自体が深刻なうつ状態に陥っていた気がする。マインドフルネスや仏道にはまって、諸行無常であったり一切皆苦であることを受け入れようとした。相手の男は俺と同じ会社(元妻も)で別の部署だったが会社を辞めた。いづらくなったのだろう。それは俺も変わらない。俺も色々ありすぎた会社にいるのがしんどくて辞めて転職した。表向きはステップアップで給料も二百万くらい上がったが、本当は現実逃避だった気がする。
一切皆苦であることを受け入れることはできなかった。人生がこうやって妻の激情にビクビクしながら生き、そんな妻をなんとかお茶を濁すが如くに喜ばすことだけが俺の人生なのかと思い悲しかった。それが何年も続いていた。どうにかしてこの終わりゆく世界から出られるだろうか考えた。世界は終わっていた。恐怖の中で奴隷のように生きる世界とはこのようなものなのか。隣の芝生は青いというが、私には現実に青かった。夫婦はお互い正直な気持ちを話し合えるのに、私は正直な気持ちは置いてけぼりだった。正直な気持ちで話すと私のことをあなたは絶対理解しない!!と激怒されるだけだった。その割には腹を割って話したいと言われていた。腹を割って話すと激怒された。冗談でもなく、もうイヤァァァ!!!離婚するーー!!!と大声で叫ばれた。マンションなので恥ずかしかった。エヴァンゲリオンで言えばアスカみたいなものだった。そして一週間以上何も話してくれない、ということが何回もあった。
自殺することは実際にはないだろうと思っていたが、半自殺にかこつけて妻実家に頼ることにした。少し距離を作る必要があると思った。
ある日仕事が終わって夜遅くに家に帰ると泣いていて、理由を聞いても何も言わず、子供には強く当たってしまうと言っていた。これはもう実家に頼るしかないと判断し、義母に電話し事情を説明し「強制送還」した。強制送還された妻は激怒した。私のことをなんだと思ってる!!と言っていた。精神不安定だよ、心の中でつぶやいた。そして帰ってこなくなった。夫婦カウンセリングを受けた。カウンセラーも妻の圧力に困っていた。私のことを理解しない!そんなことでは結婚生活を続けられない!という主張から一歩も譲歩がなく話にならなかった。カウンセリングは妻側から突然打ち切りになった。
義母の様子もおかしくなってきた。明らかに私を攻撃しまくってきた。あんたのせいで娘はうつ病になった。あんたが根暗だからこんなことになった。離婚しろ!と言ってきた。
離婚については子供のことを考えてするとは思っていなかった。でも心の奥では離婚したかったとは思う。幸せはここにはないと悟っていた。子供が生まれて子供からはたくさんの幸せがあった。お世話は大変だったけど一通り一人でなんでもできる。寝かしつけとかたくさん抱っこしてたからか分からないが子供は俺のことが大好きであるのは手に取るように分かる。
離婚すべきかは分からなかった。そして離婚調停が開始された。数ヶ月立って決心はついていた。だが中々離婚させてくれなかった。面会交流させないというめちゃくちゃなことを言ってきた。調停委員も奥さんが落ち着くまでは子供と会わないのも選択肢として良い、と言ってきた。全く許せない。完全に他人事だった。なぜ親子愛のうちにいる俺たちが、妻の精神不安定で会ってはいけない事になるのか。馬鹿げている。ずっと争った。普通は二、三回で終わるところが10回以上続いた。最終的には月に一度会えることになった。回数が少ないのが私には許し難いので、一年後に見直しとなった。
それからは元妻と三人で面会交流することになった。子供がいるとかであるのと月一ということもあり、妻の激情は発露せず、一見普通の親子三人のようになった。ただ面会交流の日時を決めるやりとりなどでは激情に駆られたメッセージが書かれており、俺をコントロールする意思をビンビン感じるので、実態は何も変わってないのだろう。そして今に至る。
一人暮らしして2年になった。妻と争っていた時はそればかり考えていたから寂しくはなかった。だがこうやって落ち着いてきて思うのは寂しいということだ。もしまたなんとかなるなら三人で暮らしたい。そんなことも思ってしまう。なんともならないと分かっているのに。子供には申し訳ない。一生つきまとう悲しみを与えてしまった。苦しい。だが俺が死ぬわけにもいかにい。
俺はこの先どうやって暮らしていけばいいんだろう。友人やお世話になっている人は自分を優先して自分の人生を生きろという。でも子供を置いてけぼりにしてるようでそんなことできない。俺はどうすればいいんだろうか。子供を言い訳にして現実を変えることを拒んでいるのだろうか。そんなことはない。仮に俺が新たな家庭を見つけてもしも幸せになったら、子供はどう思うだろうか。辛い。
結婚5年目 子なし
「そんな無駄なもの買う余裕があるなら、私に指輪でもプレゼントしなさいよ!」とか、
俺のオタ趣味を許してくれる人だったから結婚したのに約束が違う、とか思いつつ、
惰性でここまで来たが、
妻の思った通りに振る舞ったり、
妻の言って欲しいことを言わないとすぐにヒスるので、
正直もう限界だ。
本当は今すぐにでも離婚したいのだが、
これまたなんだかんだ理由をつけて、
調停までもつれ込んだ結果こんな女に慰謝料払わなきゃいけないのかと思うと暗澹たる気分になるし、
もうそれすらめんどくさい。
メンヘラこじらせて首でも吊らねーかなと思いながら生きてる。
家庭内がどうであれ、事情を知らない傍から見たら悲劇的な妻との死別だから、
世間体も悪くないし。
いつか我慢の限界が来たら、妻の前から突然姿を消そうと思ってる。
机の上に置き手紙だけ置いて。
東大医学部の面会交流論文が、話題となっている。http://www.scirp.org/journal/PaperInformation.aspx?PaperID=74779&#abstract
DVを行ったとされる父親との面会交流を行っている子どものほうが、行っていない子どもよりも、ひきこもりや抑うつなど、精神的問題、行動上の問題を抱えやすい、という論文である。
この論文は、フローレンス・駒崎弘樹氏が3月末にそのブログで、面会交流によって子どもの心が壊される、という彼の主張を裏付ける「エビデンス」として紹介したことを皮切りに http://blogos.com/article/215491/ 、4月末に行われた「当事者の声を国会へ」と題する衆議院第一会館での院内集会や、「「国連・人権勧告の実現を!」実行委員会」による「第20回学習会 ハーグ条約と親子断絶防止法案」 http://jinkenkankokujitsugen.blogspot.jp 等でも取り上げられたようであり、さらに5月5日には産経新聞にも紹介された。
つまり、これは、現在、国会議員らによって提出が検討されている「親子断絶防止法」の策定を左右しうる重要論文である。
日本では、別居親と子どもの面会交流は、家庭裁判所が間にはいる場合、月1〜2回、4時間程度できれば良い方で、高葛藤や面会拒否が強い場合は月1回に2時間未満のことが多いと思われる (参考: http://oyakonet.org/documents/report_h2308.pdf )。DVがあったとされる父親であれば、その頻度・時間はさらに減少するだろうし、FPICのような第三者機関の補助を得て行うことがほとんどで、面会交流時にDVあるいはそれに近いような行為をすることは稀であると考えられる。父親も子どもを愛おしく思い会うでのあるから、短い時間の中ではその子どもを喜ばせようとすることが多いであろう。そのような状況で父親に会うだけで、本当に子どものひきこもりや抑うつの危険性が高まるというような因果関係が本当にあり得るのだろうか?
そこで、研究論文を読むことのできる有識者にこの論文を読んで学術的に評価してもらった。そうしたところ、この論文は、きちんとした学術研究のレベルに達していないひどい代物であるようだ、ということがわかってきた。
研究対象としている母親の数がわずか38名、面会交流を行っている子どもの数が19名、面会交流を行っていない子どもの数が30名と、この種の簡易なアンケート形式の研究としてはNが圧倒的に少ない。混交要因の統制が全くなされていないどころか、群毎の基礎的統計の記載すらない。各群の基礎的な数値(Demographic characteristics)が両群でまとめて書かれてしまっていて、分けて記載されていないのである。つまり、母親の学歴・収入、精神疾患罹患の統計値、離婚の有無、別居からの経過年数、子どもへのDVの有無・程度などが、各群で分けて記載されていない。加えて、両親間の葛藤の強さ、裁判・調停・審判などの有無、なども混交要因として示されるべきであろう。これらの混交要因候補の指標のうちいくつかについては、この程度の少ないNであれば、各群で偏りが出てしまうことのほうがむしろ普通である。本来、これらは分けて記載すべきなのに分けてないということは、これらのどれかで差が存在してしまっているので、それを意図的に隠蔽している可能性もかなりあると推定される。対象の被験者集団は非常にヘテロな集団で、僅かなサンプル数しか取得していないにも関わらず、これらの指標について群ごとに示していないようなものは、まともな調査研究と言えるレベルのものではない。
「面会交流を行っている子ども」が父親と面会交流を行っている頻度の平均が、なんと僅か平均2.2回/年。Nもたったの19名。そのSDが2.2でレンジが0.5回~6.5回/年。年間2.2回というのは半年に一回しか会わないということであり、年間0.5回の面会交流というのは2年で一回しか会わなかったということ。しかも、この研究では、DVをしていたとされる父親との引き離しからの平均年数が6.9年も経っているのである。仮になんらかのDVがあったとして、引き離し後に7年もたったあとの、そのような僅かな回数の面会交流が、引きこもりや抑うつのリスクを統計的に有意に上げることは、常識的に極めて考えにくい。
この研究は、質問紙を使ったアンケート形式のもの。回答を行ったのは子ども本人ではなく、DVを受けたと称している母親。最近のことであるので、当然、親子断絶防止法のことも知っている母親が多いであろう。回答者が研究の(政治的な)目的を知った上でバイアスのかかった回答をしている可能性があり、そのような可能性を排除するような工夫が全くなされていない。
方法によると、リクルートされた69名の母親のうち、8名が「精神疾患に罹患している」という理由で除外されている。除外されていない回答者の中にも精神に問題がある人がいるようであるが、除外の明確な基準は何か?都合の良い恣意的な除外なのでは?また、回答した60人のうち、22人が、「質問に全部回答できていなかった」という理由で除外されている。合わせると実に35%もの被験者が除外されているのである。このような被験者数がごく僅かの調査において、全ての質問に回答しなかった、という理由のみで除外することが許容されるのか?この研究では、各質問について統計解析を行っているのみで、それらの統計を行う上で、「質問に全部回答する」ということは全く必要とは言えない。つまり、除外する必要がない人を多数除外しているのである。これは、後付で、そのように除外することによって「有意差」が得られるからではないのか?
このジャーナルを出している出版社はいわゆるpredatory open access publisherに分類されている。以前、過去にどこかで発表された論文をたくさん集めて無断で掲載していたことをNature誌に報道されたこともあったり、意図的にでたらめな論文を作成し投稿された論文を掲載してしまったり、無断で研究者を編集長として掲載していたり、という前歴のある「ならずもの出版社」の一つ。 https://en.wikipedia.org/wiki/Scientific_Research_Publishing 当該の論文を掲載しているOpen Journal of Nursingも編集長を調べると、教育しか行っていないような大学教員であり、責任著者としてはこの10年で1報しか論文を出していないような人である。このジャーナルは、医学生物学文献の権威あるデータベースPubMedにも、もちろん掲載されていない。この出版社のジャーナルではまともな査読がなされていない可能性がかなりあり、筆者らの所属大学を筆頭とする多くの日本の大学が、この出版社をうまく利用してしまっている事実が指摘されている。https://science.srad.jp/story/15/12/07/0554222/
上記の各ポイントは他の標準的査読が行われている科学雑誌では指摘されるのが当然であり、普通はこのままでは受理はされない。であるからこそ、このような出版社のジャーナルから発表している可能性が高い。
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以上のような深刻な問題を抱えている論文であるため、その有識者は、この論文の著者にデータの開示や、群毎の基礎的統計の提示を求めるなどの連絡を責任著者に対し行った。当初、責任著者からは何の返事も得られず、そのため、その責任著者の所属の学科長にも連絡を行った。それでも何の返事も得られなかったため、所属大学の「科学研究における行動規範に係る不正行為に関する窓口(本部)」に通報を行った。
文部科学省の「研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン」
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/26/08/__icsFiles/afieldfile/2014/08/26/1351568_02_1.pdf
「研究者に対して一定期間研究データを保存し、必要な場合に開示することを義務付ける規程を整備し、その適切かつ実効的な運用を行うこと」
を義務付けている。
「国立大学法人東京大学における研究活動上の不正行為の防止に関する規則」
http://www.u-tokyo.ac.jp/gen01/reiki_int/reiki_honbun/au07410491.html
には
「研究者は、研究活動の正当性の証明手段を確保するとともに、第三者による検証可能性を担保するため、文書、数値データ、画像等の研究資料及び実験試料、標本等の有体物(以下「研究資料等」という。)を別に定めるところにより適切に保存し、開示の必要性及び相当性が認められる場合には、これを開示するものとする。」
とある。
当該論文は、国の立法に影響を及ぼすことを目的として各所で用いられているのであり、データとその解釈に科学的に正当な疑義が提出されており、また開示しない特別な理由もない以上、データ開示の必要性があるのは疑いがないところであろう。
つまり、この定義によると、再三のデータ開示の求めにも応じず拒否し続ける責任著者らが、この規則に違反しているとみなすこともできるであろう。つまり、この規則によれば、この論文の著者らは、ある種の不正行為を行っている可能性があることになるのである。
この通報後、窓口担当者らは、本件について医学部長らと議論し、その結果、この論文の責任著者はその有識者に回答のメールを送付した。しかしながら、その回答には、
・倫理委員会で承認された研究手続きを逸脱することになるのでデータは開示できない、
・混交要因の候補の変数について両群で比較した結果、有意差はなかった(実際の統計値の提示は全く無し)、
・その他は、科学者コミュニティーでオープンに議論すべきなので、当該Journalにletters to the editorとして質問せよ、
との主旨の内容があるのみで、リクエストや指摘の重要ポイントについては、実質的な回答は全く得られなかった。
その有識者は、4月26日にその論文のウェブサイト上のコメント欄に上記ポイントについて書き込みをした上、議論を行うよう著者にメールにて依頼を行ったが、著者らからは、5月9日現在、何の返事や回答も得られていないとのこと。
http://www.scirp.org/journal/PaperInformation.aspx?PaperID=74779&#abstract
著者らの誠実な回答と、著者らの所属大学による速やかで適切な対応が期待される。
その有識者は、こんなことを言っていた。
「科学の基本は「エビデンス」ではないのか?そしてその「エビデンス」とは、データそのもののことではないのか?そのデータがなぜ有識者にすら提示できないのか?連結不可能匿名化されたデータであれば提示はできるであろうし、すくなくとも重要な混交要因候補について各群ごとの統計数値のテーブルくらいは提示すべきではないのか?
データ不在で第三者による検証ができないような「科学」は、もはや「科学」とはいえないのではないか。それは控えめに言って疑似科学、さらに言えば、科学の名を借りたカルトである。そんなものに、国の立法が影響を受けること、そして多くの人々の生活が影響されることがあってはならない。」
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以下、5月15日追記。
「ブログの文章を読む限り、分析の妥当性をめぐる疑問のように思われました。そういうことを、「不正」などと言ってはいけないと思います。」
との指摘をツイッター上でいただいた。
しかし、このブログで指摘した不正の可能性は「分析の妥当性」についてではない。指摘したのは、リクエストに応じてデータを開示しないことについての不正の可能性である。
「研究者は、研究活動の正当性の証明手段を確保するとともに、第三者による検証可能性を担保するため、文書、数値データ、画像等の研究資料及び実験試料、標本等の有体物(以下「研究資料等」という。)を別に定めるところにより適切に保存し、開示の必要性及び相当性が認められる場合には、これを開示するものとする。」
とあり、これに違反しているのではないか、という指摘である。この点、ご留意いただきたい。
・・・・・
以下、5月29日追記。
「東京大学大学院の研究グループが面会交流による子どもへの影響などを初めて調査した結果だ。」
「面会交流は子どもにとって良いことだと言われるが、DVがあった別居親との面会では、こどもたちは長期にわたり悪影響を受けている。」
などと、面会交流が子どもに悪影響を与えたと因果関係として紹介されている。
しかしながら、当該研究は単なる相関を調べた調査であり、しかも上記のように混交要因についてきちんと吟味されておらず、(仮にデータそのものが正しかった場合でも)因果関係については主張することは極めて不適切である。相関と因果関係の区別をしないという、基本的な誤りをおかしているといえる。
以下、6月28日追記。
春名氏による当該の論文サイト上での回答を受け、親⼦ネット、中部共同親権法制化運動の会、親⼦断絶防⽌法全国連絡会などが連名で、東京大学の窓口に不正疑惑の申立を正式に行った。
「全国連絡会は構成団体及び杉山弁護士、石垣臨床心理士と連名で「春名めぐみ 東京大学大学院医学系研究科准教授」の論文に対する下記申し立てを同⼤学科学研究⾏動規範委員会に対して行いました。」
個人的な体験を書かせて頂くと、私の場合はヒステリー持ちの妻側から精神的虐待を理由に調停離婚を申し立てられて離婚した。小さい子供がいる。
なんとか離婚は避けようと頑張ってきたが妻の家族の強い働きかけもあり、私が原因で妻がヒステリーになったという理由の元に追い出されるような形で別居となった。
こんな状態でも罪責感や精神的なダメージはとてつもなく大きい。特に子供にとって申し訳ない気持ちで潰れそうになる。
ただ実のところ、離婚を避けようと行動はしていたが心の中では別れたくて仕方がなかった。だからこそこんな結果になったんだと、倍々で苦しい思いをしている。
離婚は別れて楽になりたいという気持ちはどうしてもあると思う。ですが浮気で離婚を決意するのは、一時的な盛り上がりに過ぎないのでとても危ないと思うので考え直すのは賛成。子供がいたら後悔しないことは絶対にないと思う。子供がいて後悔しないで済む人は一種のサイコパスだけだと思う。
だってすぐ怒るんだもん。
怒ったら人が変わったみたいに暴言を吐くんだもん。
キレる原因は「お前の言い方が気に食わない」っていう、ちょっと何を気を付けたらいいのか抽象的すぎてわかんないようなのがほとんど。
最初は、人によっては受け取り方が違うから私も言葉遣いに気を付けないといけないな、って思って気を付けてたけど。
あるとき夫の言った一言で気が付いた。「同棲してた彼女とはケンカが絶えなくて別れたんだ」って。
私、悪くないわ。私、ケンカが絶えなくて別れたことないし。ケンカしたことあるけど毎月じゃないし。むしろケンカとかイヤだから溜め込むほうだし。
そういえば、「言い方が気に食わない」ってキレるけど、同じこと言ってもキレないときもあるし。要はストレスが溜まってキレるぞーってなったら何を言おうが言うまいがキレるんだなって。
前に「子供の名前をあだ名で呼ぶのは自立心が育たないからやめろ」って急に言われて、そんな説聞いた事ないし、呼び方くらい好きにさせろよって思うし、第一お前の母さんもお前のことあだ名で呼んでんじゃんって思ったけど、そんなこと言ったらブチ切れられんのわかってたから
「そっかー。知らなかったから調べてみるよー」とか「急には子供もびっくりするかもしれないから徐々にねー」とか「懇談のときに先生に聞いてみるよー」なんてネコナデ声で言ったんだけど、甲斐もなくブチ切れ。
「オレより先生のいうことを聞くのか」だって。まあ、正確にはどっちの言うことも聞かないけどね。呼び方なんて好きにしたらいいから。そっから延々1時間、大体「お前の考えは浅い」って言ってるかな。
たぶんね、私がいうこと聞かなかったのがいけなかったんだよね。「へえー。そうなんだー。子供の呼び方と自立心に因果関係があったなんて知らなかったー。あなたってすごーい!さっそく今日から子供のことは名前で呼ぶことにするねハート」って言えばよかったんすかね。
ほかには、子供が学校でケガしたとき、担任の先生から電話がかかってきて事情を説明してくれたって話をしたら「オレらのときはそんな、電話なんてかかってこなかったけどな。まったくゆとりだな」なんて鼻で笑ってて。「でも、子供の説明ってイマイチよくわからないから先生から話してもらえると事情が分かってスッキリするよ。小学校のときからそうだったから、あんまり変に思わなかったけど」って言ったら、やっぱりブチ切れ。私が反論したのがいけなかったんだな。
「ほんとだよねー。全文同意!だからゆとりって言われるんじゃんねー。私、さっそく明日にでも先生にいちいち電話してくんなって、抗議するー。さすが旦那さまハート」って言えばよかったんすかね。で、そっから1時間また説教。仲直りのタイミングも夫次第。しかも2日後まで根に持ってぶすーっとしてる。
大体さ、ストレス溜まったらキレて、反論したらさらにキレて、「お前が間違ってる」「考えが浅いよ(フフン)」「なんでオレがお前に意見されなきゃいけないんだ」「こんな母親に育てられた子供がかわいそうだ」「友達もいないお前が人間関係のことに口出しすんな」なんて好き放題言って、夜中だろうがなんだろうが1時間でも2時間でも気が済むまでおんなじことしゃべって、こっちが黙ってたら「いつもお前は話を聞いてない」ってまたキレて、やっと黙ったかと思ったら、大げさにため息ついて、舌打ちして、三白眼でにらんで、好き放題してるくせにまだ気が収まらなくて2日もひきずるってどうなの?
「お前って言われたことないし、ケンカのとき言われると怖いからお前って呼ぶのやめてくれる?」って言ったら「お前の口のききかたがなってないからだろ」って、「毎月ケンカってしんどいし、ケンカにならないようにお互い何か考えようよ」って言ったら「お前が態度を改めたらいいだろ?」ってどうなの?
で、自分が甘えたくなったら謝りもせず抱きついてきたりイチャイチャしようとするってどうなの?
イチャイチャしてくるの断ったらまたキレるから我慢してるけどさ、こっちは言われたい放題に言われて反論もさせてもらえなくてさ、もやもやするよね。笑顔でウエルカムってわけにはいかないんだよね。
正直、「あんな気の強そうな女がモラハラされるってウソでしょ?」って思ってた。
モラハラされるって、幸薄そうな、おとなしい、色の白い、華奢な、そういう女の人をイメージしてた。
私はそういうタイプではないんだよね。特に華奢でも色白でもないし、おとなしくもない。幸薄そうに見えてなければいいなって思うけど、たぶん、そんなことは言われたことないから幸薄そうじゃないんだと思う。どちらかというと活発だと思われてるんじゃないかな。
で、そんな私だけど、たぶん夫にモラハラされてた。
モラハラされて思うのは、モラハラする人って、相手がおとなしかろうがおとなしくなかろうが、関係ないんだなってこと。
芸能人のモラハラうんぬんって話も本当かもしれないなってこと。
でも、それがモラハラかどうか、私はすぐにはわからなかった。今でもわからない。
最初は「キレやすい人だったんだな」って驚いたり、「私も思いやりが足りなかったのかな」って反省したりしてたんだけど。
結婚してわかったんだけど、つまり結婚する前は一度もなかったことなんだけど、ある一定の周期で夫がキレるんだよね。
私がなにか言ったことに対して「その言い方は何だ?」みたいな感じで。いつもは笑ってスルーしているような言葉でも、ストレスが溜まると引っかかるらしい。
キレると人が変わる。普段私のことを名前で呼ぶくせに、キレたら「お前」って呼ぶ。私に聞こえるようにため息をつく。不愉快だという顔でにらむ。
「ごめん。そういうつもりで言ったんじゃないけど、気に障ったなら次から気を付けるよ」って私が言ったところで夫の怒りは収まらない。
仕事から疲れて帰ってきたのに思いやりが足りない、友達もいないくせに人間関係のことでオレに意見するな、とか同じようなことを延々1時間はしゃべる。
私からしたら、謝ったんだからいいじゃーん、とか、確かにムッとしたんだろうけどさ、そんな些細なことでいつまでもぷりぷり怒ることないじゃーんって感じなんだけど。
仲直りも
"○○が大阪に冷たい"
その他の田舎民や出稼ぎ労働者であるという事実をまず念頭に考えよう。
するとその人たちがマウント取れるのは
よく分かってない「北海道」でもなく
残ったのはその他の県であり
自分たちが担ぎ上げている東京に劣る存在としてこき下ろすのに都合のいい存在。
だから地元東北でも存在感のない名古屋でもよくわからん北海道でもなく
TVで露出しやすく馬鹿にしやすい大阪を攻撃対象に捉えている。
もう一つの理由としては、大阪が都会としての機能を持っていながら
大阪以外の県の人間に対しても差別なく接しているのが大層気に入らないのだ。
よそ者の集まりである関東では自分たちの地元の言語でしゃべるなど持っての他で
出稼ぎ労働者たちである彼らは地元というアイデンティティを押し殺しながら日々車両に鮨詰めにされる日々を送っている。
そんな中でTVに写る大阪人は自我を持ち品性の欠片も無い地元言語でベラベラ面白おかしくお話しているわけである。
それを見て快く思う人間の方が多ければ政治は何もしなくても良い方向に転がるだろう。
現実世界ではサイレントマジョリティの彼らもネットでは声高に自我を膨張させ大阪バッシングにいそしむことができる。
彼らにとってはネット世界こそが現実世界の「大阪」の代わりなのだ。
だからこそ現実世界の大阪に住む人間たちに殺意を持ち怒りを持ち憎しみを持ち、そして羨望を持っている。
残念ながらその行為では何も解決することはないが、彼らは目の前のニンジンをかじるのに精いっぱいの生活を送っているため、
決して気づくことはないし改めることはない。報われることもないだろう。
当の大阪人たちはというと話題にされることをむしろ喜んでいるフシがあり、
俺たちはこんなに注目されているんだ!と上機嫌であるか、
それよりも目の前の話に夢中で気にかけていられないといった態度だ。
ネット上でも大阪人たちの反応が冷ややかというかどちらかというと冷静なのも
怒りの感情の正体には出稼ぎ労働者たちの「俺たちも大阪に生まれていれば好き勝手できたのに」という気持ちを無意識に察しているからかもしれない。
哀れみの心を持って自らガス抜きの対象として甘んじている大阪人たちがいる限り、
ネット社会の地元ヘイトは大阪バッシングによってバランスが調停されるだろう。
逆に千代田区・中央区・港区・渋谷区に産まれ住む、原初の都会人たちは
大阪人に対して羨望の欠片もなく面白い動物くらいの認識なので、
そもそも憎しみを抱くことすらない。
くらいの。
えーそうなのー?
明石焼きなんてのもあるぞ!酒に合うぞ!
わーおいしそー!
Wikipediaでインディアン関連の項目を眺めていると、各所に「酋長とはあくまで調停者であって指導者や代表者ではない」と強調するような記述が出て来る。
インディアンたちには指導者など存在せず、それを白人たちは理解できなかったので、酋長を指導者と見なして見当違いな交渉を行ったのだ、といった主張である。
しかし、Wikipedia以外で同様の主張は見つけられない。
ちなみに戦士集団だったアパッチ族には「酋長に戦士が服従する」という義務も風習もない。戦士は結束はしてもすべて個人行動で動くものであって、戦士たちはジェロニモ個人を慕って抵抗戦をともにしたのである。ジェロニモが軍事的な指導をしたこともない。
インディアン社会のチーフ(酋長)とは、交渉の矢面に立つ「調停者」のことであって、「指導者」や「首長」ではない。合議制社会であるインディアン部族は首長制ではなく、アフリカの部族に見られるような「部族長」は存在しない。
対して英語版。
Geronimo was a prominent leader and medicine man from the Bedonkohe band of the Chiricahua Apache tribe.
At any one time, about 30 to 50 Apaches would be following him. However, since he was a superb leader in raiding and warfare he frequently led large numbers of men and women beyond his own following.
常に30から50人ほどのアパッチ族が彼に従ったが、彼は襲撃と戦闘の素晴らしい指導者であったので、しばしば彼自身が率いる以上に多くの人々を導いていた。
Local groups were headed by a chief, a male who had considerable influence over others in the group due to his effectiveness and reputation.
The chief was the closest societal role to a leader in Apache cultures.
The chief's leadership was only as strong as he was evaluated to be—no group member was ever obliged to follow the chief.
たとえばスー族の項目。
しばしば誤解されるが、「スー族全体を統率する大酋長」といったものは、過去にも現在にもスー族を始めインディアン社会には存在しない。「酋長(チーフ)」という立場はあくまで「調停者」、「世話役」であり、誰かに「任命」されるような性格のものではないし、「裁判官」や「指導者」といった役割を持ったものではない。文字を持たないインディアン部族にとって弁舌の立つ者は尊敬され、調停者として「酋長」となる。しかし酋長は「首長」ではないし、部族民を従属させたり命令する権限など何も持っていない立場のものである。
Leaders were chosen based upon noble birth and demonstrations of chiefly virtues, such as bravery, fortitude, generosity, and wisdom.
血筋と能力により部族に影響を及ぼす立場にあった……といった英語版の説明は、一般的な部族社会の指導者のイメージとよく合致するのではないか。
確かに、国家社会における君主的な権力はなかったのだろうが、それにしても日本語版の記述はあまりにも執拗であり大袈裟にすぎるように思われる。
とはいえ、英語版の記述が常に正しいというわけでもないだろうし、最新の研究によりインディアン部族社会の特殊性が明らかになったという可能性もある。
別居中の妻に、小学校入学式の1週間前に6歳の娘が誘拐された。
3歳の娘を育てるため、残業も全て断り、保育園の送り迎えもお弁当の準備も全てやった。
途中で娘を返せと言われたが、裁判所の結果、監護権は夫である私に認められて、裁判の結審も秒読みだった。
離婚調停の調停員や弁護士の勧めもあり、月2回の宿泊を伴う面会交流も実施してきた。
そんな状況から数年が経過して、娘が6歳になり、翌週に入学式を迎えた3月26日の日曜日の夕方に事件は起こった。
待ち合わせ場所で待機してるが、時間になっても来ない。そのとき、見たことがない携帯電話番号から着信があった。
「娘は返さない。帰りたくないと言ってるので、私と住みます」それだけ言って彼女は一方的に電話を切った。
依頼してる弁護士事務所に電話したが、休日のため連絡つかず、とりあえず警察に電話した。
警察官に事情を説明したが、警察では何もできないと回答があった。
児童相談所にも連絡した、警察署にも内容証明で告訴状も送付したが、身の危険がある訳でなく、力づくではないという理由で捜査はできないと言う。
通学するはずだった小学校に入学手続きに行くと、教育委員会を通じて転校生手続き済みだと言われてしまった。
弁護士に相談したところ、人身保護請求の申立をしてくれる事になった。請求が認められると、相手側は子供を裁判所に連れて出頭する必要があり、拒否した場合は罰則や逮捕されるらしい。
非常に強制力がある法律なので、棄却されることも多いらしい。弁護士が言うには、子の引渡し仮処分の審判結果を以て、執行官が行う強制執行に相手が抵抗して失敗した場合の最終手段で申立をするのが本来の手順であると説明を受けた。
日本考えて!!
本日、娘と一緒に入学式に行く予定だったのに、直前で誘拐されて、戻ってくるかも判らないなんて。
連れ去りした側に罰則がなく、事実上の連れ去ったもん勝ちになってる現在の法律を考え直してほしい。
いつか戻ってくることを信じてるけど、新品のランドセルや新しい洋服に囲まれた生活が辛い。日本は真剣に考えてほしい。
※追記1
娘は6歳なので、ひとりで行き来していたのでは、面会交流は引渡しもお迎えも電車の改札手前で行ってました。
※追記2
宮澤賢治のいわゆる「雨ニモマケズ」は検定教科書で出てくることが多く、やたらともてはやされてきた。しかし、「雨ニモマケズ」が宮澤賢治自身の信仰の表れであって、いわば宗教であることは、習っただろうか? 習っていないとしたら、いろいろとまずい。国家的にしれっと宗教教育をやっているということであるし、また、正しく教えていないという、まさに学力低下以前の話。
宮澤賢治がなりたかった「そういう人」というのは、ブッダである。欲は無く、いからず(瞋らず)、よく(能く)観聴きする、すなわち貪瞋痴(三毒)の無い、覚った人だ。相談を受けて廻り、調停に入って争いをやめさせる人物。なりたい姿を自ら書いて携帯することで、己への戒めにしたのである。本来の「お守り」、憶持仏のたぐいだ。
宮澤賢治には、肉食(ニクジキ)に批判的な著作がよくある。豚を主人公にしてみたり、人の方が食われそうになる話を書いたりした。農業を研究していたのもおそらくは、肉食をせずとも生きていけるからだ。
そしておそらく、宮澤賢治は、ブッダ(釈尊)に関して事実誤認をしている。史実の釈尊は、雨季安居をしている。つまり、雨季には外を出歩かず屋内で過ごしている。
史実の釈尊は、無理をするなと説いていた。しかし往々にして捻じ曲げられるもので、無理をしたり、苦行をしたりする「仏教」がつくられてしまっている。
それに、和國(日本)に届いた仏教と称するものは、中国の信仰がごちゃまぜになっていて。つまり、儒教が混ぜ込まれている。それは、中国での布教教化のために都合がいいからだし、権力者などが儒教の教義と矛盾しないことを求めたからでもあるだろう。そうして、中国では仏教と儒教が習合し、それが輸入された。ちなみに、中国の技術・文化を受容するためにも、神道も仏教と習合したり、儒教とまぜられたりして、現存する神道も本来のものではない。
ともかく、史実の釈尊も丈夫な身体はもっていたけれども、雨風に勝とうとはしなかった。
教科書にやたらと出てきて「雨ニモマケズ」がもてはやされてきたのは、いわゆる根性論、「頑張る」ということを注入するためだろう。無理をして「頑張る」ことを美化することが未だに行われ、わざわざ公的に教育されている。世(国家社会)のため、ひと(他人)のためには、己を傷めつけることも厭わない、そうした生き方がずっと美化されてきた。世のため人のために自らを犠牲にするという教条は、そもそもは儒教であり、言い方を換えれば軍国教育のようなものだ。要は、階級差別と、全体のために個を犠牲にするという全体主義である。
かように日本とかいうものは未だに政教一致国家なのだけれども、そのことに自ら気づかなかったり、気づかないようにしむけられていることは危険だし、だからこそ、社会の既成構造を優越させて変革を避け、創造性や生産性が低く、そして、自死率は高い。
「**と書いてあるから、実在の事件だろう」という主張がなりたつには「実在の事件でない場合は**とは(まず)書かないだろう」という前提が必要。
しかし、本件が創作であった場合でも、一番突っ込まれている養育費の数字について後付けでフォローをすることは不思議でないどころか、いかにもありそうなこと。だから、元増田が「嘘と思われたら癪に障るので注釈〜」を書いたことは、実在の事件だと考える根拠にはならない。
なお、自分はそもそも養育費の数字については突っ込んでない。養育費の額は、実在の事件であれば特定しやすいまれなケースであることは示しても、嘘であることを直接示すものではない。
しかしながら、元増田の養育費に関する追記は、「相手の収入」「自分の主張」「養育費の額」を明らかにしていて、夫側に特定される可能性が相当高まる内容。しかも、調停後に働き始めて相当の収入を得ていることを相手方に隠していることも自白してしまっている。
悪辣弁護士のアドバイスに従って、周囲も裁判所も騙しきってきた元増田がこのような不用意な発言をするのは不自然で、むしろ、創作案件であることを裏付ける。
数年前からネット上(主に2ch)で出回ってる「悪魔の離婚マニュアル」っていうのがある。その中で子供の連れ去り、でっちあげDVが推奨されてる。
これを実行されると、ベルトコンベア式に負けが決まるというか、抵抗できない状況に追い込まれ、相手の要求を飲まざるを得なくなる。痴漢冤罪なんかと同じ構図が、離婚においても存在してるのは事実だね。弁護士連中もよく心得てて、これに近い行為の指南や手引きが行われていると予想する。このパターンでこうなればこうなるしかないっていう勝利の方程式がしっかりできてしまってる。この辺の、配偶者による子どもの誘拐・連れ去りなんかは大手のニュース記事にもなってたりするので、国民の認知度は低いけど相当数の事例がすでに存在してると思う。件数についてはソースがなく想像でしかないけど離婚件数そのものから考えるに交通死亡事故や自殺より発生しててもおかしくはない。あの増田はそういう問題提起がしたかったのだろう。わたしは未婚だけど、リアルに身近な事例で遭遇済み。だからこそこれを書いてる。弱者を守るためだった法律が、ちょっと人格や人間性がアレな女性にまんまと利用されてしまっている。今はスマホがあるから、だれでも離婚の手はずやマニュアルにアクセスできるし、離婚したいママ友同士で相談しながらこういう情報が共有されてたりするんだろうね。
結婚にそんなリスクがあると知ったら、男性は消極的にならざるをえないのでは。日本の少子化はますます進行する。
↓そんな恐ろしいマニュアルをわざわざ増田で拡散させるのもどうかと思うが、これ以上悲劇を増やしたくないのであえて書いておく。もっと社会問題として世間で認識されますように。
2 :離婚さんいらっしゃい:2015/12/04(金) 01:13:41.14
悪魔の離婚マニュアル
- 離婚で親権と監護権を取りたかったら、必ず子供を連れて別居する
- (一方の配偶者名義の預貯金を含め)預貯金全額と車と家の権利書など必要な物は別居時に全て持ち出す
- 離婚届は相手の目につく所に残しておく
- 相手が面会交流調停や審判を申し立てても徹底的に拒否・無視すべし。履行勧告を受けてもとにかく無視する。配偶者が子供を虐待したとでっちあげ、子供に「向こうの親に会いたくない」と言わせ、精神科・外科医師の診断書を提出して拒否する。かつ養育費の請求だけはきっちりやる
- 配偶者の行動には常に目を光らせる。ちょっとでも子供に近づいたら誘拐と騒ぎ立てて警察に通報する
- DV法は徹底的に利用すべし。接近禁止命令を勝ち取るのが最良
- 少しでも有利な条件を勝ち取って離婚するために、子供は人質・報復の道具として徹底的に利用すべし。悪口を吹き込んで配偶者への恨みと憎しみを刷り込み、「100%向こうが悪い」と家裁にアピールする。うまくすれば慰謝料もガッポリ取れる
- 交際相手がいるなら、「この人がお前の本当の親なんだよ、あいつはお前の親になりすまし私を脅して家を乗っ取ろうとした極悪人」と嘘を吹き込むのもよし
- 離婚に応じない相手には「DVを認めて離婚に応じれば子供に会わせてやる」と迫るべし。認めたら「暴力を振るう男に子供を会わせる事はできない」として面会拒否の口実にできる
- 離婚が成立したらすぐにその交際相手と子供を養子縁組して、親権を持つ親を作っておく。こうする事で元配偶者と子供の縁をほぼ完全に切る事ができる。相手が裁判所に訴えても「もうあなたの子供ではないから」と門前払いにしてくれる
- 将来のためにも、相手の事は二度と立ち直れなくなるくらい徹底的に叩きのめすべし。相手が自殺するまで延々と手紙やメールや電話で嫌がらせするのもよし。もちろん、自分を受取人にして生命保険はしっかりかけておく
一番古いオリジナルというか出典がどこかはよくわからなかったけど。これは2017年現在でも通用する手法だと思う。関連する法律は特に改正されてないからね。
http://anond.hatelabo.jp/20170310105854
前々から家族に対して高圧的で、自分のさせたい事を子供の意志を考えず押し付けるモラハラ夫に辟易していた。このままでは子供がまともに育たなくなると思い離婚を決意。
私が至らないばかりの我侭で子供から父親を奪ってしまうのは申し訳ないけど。
もともと夫をよく思っていなかった孫大好きの両親は、全面的に私の味方をしてくれた。
それで思い切って、ものごころつく前の子を連れて実家に戻った。
実家のサポートでいろいろ生活が成り立つようになったので、女性に寄り添い女性の言い分を通してくれることで有名な離婚弁護士さんに相談。
「そんなことをして良いのだろうか」とさすがに躊躇した(特に2.を実行するのはとても心が痛んでつらかった)が、子供の為と心を鬼にしてアドバイスのとおりにやってみると、面白いように周りが全部こちらの味方になってくれた。
「私の言い分について夫が反論しても、どんな証拠を出してきても『そんなことはない』と言えばいい。証拠対証拠になると不利なので、こちらからは証拠を出さない」
と弁護士さんから言われていたので、その通りにした事もうまくいった。
「激しい言葉のDV」というのは嘘かも知れないが、しかし私が離婚を考えるほどのことを言われ続けて来たのは確かだ。このままいけば今は夫に懐いている子供も、夫に対して本当におびえた顔を見せるようになるに違いないのだから、全てがでたらめというわけではない。
夫が物的証拠を出しても、裁判官や調停委員はそれを採用しなかった。私の口頭の主張ばかりを採用した。
子供に何年も会えない状況が続いた夫がしびれを切らして怒り始めていると知人から聞いた。
おかげさまで今は子供とふたりで平穏な日々を過ごし、暮らしに困らない程度の婚姻費用を毎月受け取っている。
DVの証明書が功を奏したかどうかはわからないが、幸い保育所にも入れて貰え、働きに出る事もできた。
少し前に夫が「会わせろ」と恫喝の連絡を入れてくるようになったので、警察に相談したら誠実に対処してくれた。
養育費を滞らせる父親が多いと聞いたので、自衛の為に少しでも振込を怠ったら私から会社に連絡がいき、給料を差し押さえられる手続きをとっておいた。
弁護士さんは、次の裁判もこの調子で頑張れば100%大丈夫と太鼓判を押してくれている。
子供は離婚前に比べてよく笑うようになった。不自由をさせている事もきっと多いのだろうけど、やっぱり無理をして夫と引き離したのは正解だったと思ってる。
今の夫の話を人づてに聞く限り、大分生活も荒れて来ているようで、正直子供にはもう会わせたくない。そう相談したら弁護士さんが対処してくれるそうで有り難い。
「離婚したいけれど離婚後の生活が心配、酷い夫だから子供のために面会などもなるべく最小限にしたい」と考えている人のために書いてみました。
子の教育方針などで夫と口論するうち、子を夫と切り離し自分だけの好みの方針で育てるために離婚したくなった。
我ながら我が儘だけど。
もともと夫とソリが合わず孫の顔さえ見てればいい人たちだから、実家は当然、全面的に私の味方。
それで思い切って、ものごころつく前の子を連れて実家に戻った。
実家のサポートでいろいろ生活が成り立つようになったので、女性に寄り添い女性の言い分を通してくれることで有名な離婚弁護士さんに相談。
こんな内容を書く。
1. 一方的に自分の意見を通そうとする我が儘で暴力的な夫から激しい言葉のDVを受けた
2. 子に対する具体的なDVはなかったが今後そのおそれは十分にあり、私に暴言を吐く姿を子が見てトラウマになっていること自体も含めて。子との面会は困難
なぜこうするかはちゃんと理由があった。
家庭裁判所や調停委員は事実関係を調査せず双方の主張を聞くだけ。
明らかにこちらの言い分に嘘や矛盾があっても、それを指摘する夫の反論の激しさは「夫婦間の葛藤」の存在を証明することになるので、むしろ好都合。
それだけでは不安であれば、婦人相談所にDV被害の相談に行き「配偶者からの暴力の被害者の保護に関する証明書」を発行してもらえばよい。
この証明書の発行には証拠不要。事実確認はおろか夫側の見解聴取もない。
これは「相談があったことの証明」だが、実務的には「DVがあったことの証明」として役所や裁判所で通用する。
(内閣府男女共同参画局通知 http://www.gender.go.jp/policy/no_violence/e-vaw/kanrentsuchi/pdf/01/n_29_20140930.pdf ここには『この保護に関する証明書は、配偶者からの暴力を理由として保護した者に対して婦人相談所等が発行するものであり、配偶者からの暴力があった事実を証明するものではないことを、念のため申し添えます』と書いてあるが、調停委員が知らないばかりか家庭裁判所裁判官も知らないほど、この注記は知られていない。)
これから別居中にじっくりと子に夫の恐ろしさを教えておけばよい。試行面会の頃までには子が勝手に夫を怖がるようになってくれる。
どんなに夫が子煩悩だったとしても、3歳くらいまでの記憶は綺麗さっぱり消える(「幼児健忘症」。病気ではない)。
夫の写真も見せないようにする。仮に子が「パパは?」と訊いたとしても、キッと睨むだけで子は「この話を母親としてはいけないんだ」と学び、保護者である母親の気に入る子になる本能で、勝手に父親を嫌いになる。
3.は実入りを少しでも大きくするため。
離婚をしてしまうと受け取れるのは養育費だけになるが、婚姻をかたちの上で継続しておけば相互扶養義務に基づく婚姻費用の分担を請求できる。
このアドバイスのとおりにやってみると、面白いように周りが全部こちらの味方になってくれた。
誰も私を疑わない。
いや、疑う流れにはときどきなったけど、疑うそぶりを少しでも感じたら
「私を疑うなんて酷い」
と泣いてみせればその話はぜんぶ立ち消えになった。
私の言い分の嘘や矛盾を夫が長々と説明しても、どんな証拠が出てきても、「そんなことはない」と言えばいい。
そう言うだけの方が良いのだ。
「証拠対証拠になると不利なので、こちらからは証拠を出さない」
夫がどんなに苦労して物的証拠を出しても、裁判官や調停委員はそれを採用せず、私の口頭の主張ばかり採用する。
子には何年も会わせてもらえない。・・・
夫が怒り始めるのも当然。
でも、
「すぐそうやって怒り始める人で大変だったんです」
と言えば1.や2.の間接的な証明にもなる。
しかも、
という裁判所独特の言い回しで、面会させない理由にしてくれる。
いい気味w
女>>>>>>>>>>>男
とあらかじめ決まってる。
夫が年収高かったおかげで20万強の婚姻費用を毎月受け取ってる。
保育所には例の「証明書」を見せれば最優先で入れて貰えたので、自分の勤めの収入も十分。
((嘘扱いされるのが癪に障るので追記注釈。実家のサポートで暮らしていて収入ゼロのうちに婚費決めさせたのと、娘がDVトラウマで今後も働きに出られないかもという主張が通って、夫の年収1300ちょっとだったけど算定表ほぼ満額が取れたんですよ http://www.courts.go.jp/tokyo-f/vcms_lf/santeihyo.pdf 現実の裁判所が嘘みたいだからしかたないんだけど、無闇に嘘扱いしないでね))
さすがにこれは酷いということで国会でも「親子関係断絶防止法」が議論になってるけど、たぶん通らない。
https://news.yahoo.co.jp/byline/komazakihiroki/20170308-00068455/
裁判所の調停や審判に持ち込まれているような場合、夫婦間でかなりの葛藤があって、敵対関係があって、持ち込まれるのが大半なんではないですか?そういう場合に面会交流を継続するのが、本当に子どもの福祉にかなうのか、慎重に考えるべき
実はこの「夫婦間の葛藤」や「敵対関係」は私が作ってるだけで実際には夫に非なんか一切無いんだけど、勝手にこう解釈してくれて、私の我が儘じゃなく「子供の福祉のために」面会をやめろと言ってくれる。
夫はこれからどう出てくるのかな。
「会わせろ」と連絡してくるのを警察に相談したらストーカー扱いしてくれたので、今はそれもない。
当たり前だよね。
少しでも振込を怠ったら私から会社に連絡がいき、給料を差し押さえられるんだから。
弁護士にきいたら、次の裁判ものらりくらりやってれば絶対に勝てるんだって。
ただ、一生ずっと面会ゼロにするためにはひと工夫必要らしいので、今それをやってるところ。
その中身は内緒だけどね。
この国は最高。
人と関わりを持つことが減って、アウトプットが大きく減った。他人からの乱雑な入力を何かしらのルールで解釈する機械がヒトなのだと思う。インプットは何も対人関係やタスクの苦しみだけではなく、テレビや漫画や文庫本でも構わないのだろうが、前二つはおれの通ってきた条件付けによって今では好みでない。文庫本はしばらく読まないでいたら表面の非平面性を取る視覚処理ができなくなっていた。
収入がないのは不幸せだということで、数少ない友人たちはお前は幸せだ、踏むべき手順は簡単だ、正常になれ、社会人の苦しみを分かち合えと言ってくれる。履歴書を書いて、応募し、必要なら面接を受けて受かり、朝起きて職場へ通えという。
誰かの指揮下に入るというのは、おれにとって、使用者と社会のダブルバインドに入るということだ。雇用主には要求がある。社会には要請があり、通知手段や強制力や内面的な良心によっておれに影響する。その二つを調停して事を収めることがおれには常に課されていた。
就活はしなかった。講座も受けなかったし案内サービスの類も使っていない。だから《新兵》とか《自航》とかいった会社がどのような事業をしているのかはよく知らない。皆訝しんだが、八方適当に誤魔化して卒業を迎えた。あらゆる文書、契約がおれにミランダ警告を読み上げてくる。あらゆる証拠は人民法廷でおまえに対して使われる。おまえには黙秘権がある。近くに紹介できる弁護士はいない。
環境がそう言ってくるところに無限に深入りしていけ、それを喜べ、と言われても、おれには無理だ。疲れた。儀仗兵を引退したような気分だ。だれかおれの異常性を癒してくれ。
正常な人間は異常な状態に陥らない。道を一歩踏み外すとかボタンを掛け違えるなどとよく言うが、原因がなければ踏み外さないのだ。まぐれ当たりはあるがまぐれ外れはないのだ。管制官がたまたま忙しかったとか、整備士がたまたま傷を見落としたとか、機長がたまたま席を外していたとか、それだけの理由で何度も再放送されるネタが生まれるということはないのだ。そしてひとつひとつは解決可能ないくつもの未対策の原因が重なったとき、重大な結果が訪れるのだ。
http://anond.hatelabo.jp/20161007210354
もう10年位前になるけど、サービス残業の件で当時の勤務先がある東京池袋の労基に行ってきた。
俺は当時の勤め先で主に事務系の中間管理職をしていて、残業は月に30~40時間にのぼったが
残業代は一切支払われなかった。未払い残業代は190万円ほどに達した。
職務上全従業員の勤務記録を把握出来たので、コピーできる資料をあらいざらいコピーして労基に
持ち込んだ。
池袋の労基は定年後に嘱託として働く年配のおじさんおばさん達が相談員として結構な人数がいて
それを現役世代の若い職員が後方でバックアップする形だったのだが、俺の担当をしてくれた男性の
年配相談員は持ち込んだ資料をさらっと目を通しただけで、証拠不足だからこれでは指導できないと
言ってのけた。
約50名ほどいる全従業員の給与明細やタイムカードのコピー、会社側の管理記録諸々を持ち込んでもなお
これでは証拠不足だというのなら、一体どうすれば指導してもらえるというのか、途方に暮れた。
その後、一度は連合を頼ったものの、組合員として様々な政治活動に参加するようしつこく求められたのが
嫌で連合の仲介を途中で断り、結局は弁護士に頼んで裁判所で調停をすることになり、裁判官の大岡裁きで
100万円を貰うことで決着した。
裁判官がこちらの請求の正当性を認めるに至った資料は労基に出した資料とほぼ同じだったから
法律的な要件は充分揃っているにも関わらず労基がサボタージュしたという結論と見て良いのではと、俺は今でも考えている。
最近仕事にあぶれている弁護士が少なくないらしいけど、これからはこれをシノギにがんがん稼いでくれたら良いのではないだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20161003130854
80年代から90年代にかけて、日本は経済的に豊かになった。生活が大雑把に言って誰にとってもよくなったし、多くの人が下層から中流へと引き上げられていったのだと思う。増田自身がそうだというのではなくて、この考え方がどこかにわだかまっているのを感じ取って書いているのだと思うけど、この「『景気はずっと上昇していくし、そうでなければおかしい』ってのは非常に傲慢で気が狂った意見に思えるんだけど、どうだろう?」という発想は、そうやって引き上げられて適応できなかった人たちの言葉なんじゃないだろうか。
人類の歴史のうち、記録に残っているのは紀元前精々数千年だけれど、その間でテクノロジーの進歩が止まったことはなかったはずだ。ヒトは消費を拡大し、経済を拡張し、産業を発展させて、生存をより確かなものにし続けてきた。文明、経済や文化の発展とはエネルギー消費の拡大でもあるけれど、生存をより確かなものにするためのものでもあった。
「景気はずっと上昇していくし、そうでなければおかしい」というのは、この認識に対する挑戦だと思う。つまり景気は「上昇しすぎた」ので、「おかしい」が、「おかしくなかった」水準があり、そこまで下降することが現状よりも良い、という意見だ。おそらく経済学を学んだ人なら教科書の最初の章で学びでもすることなんだろう ―― そこにはもっと簡潔で示唆に富んだ言い方で書いてあるのだろうけれど、景気は上昇しなければおかしいし、景気を支えるのは景気だ。経済は静的な系ではない。常に動的で、一時的な、その裏にある人間の日常生活を調停するメカニズムに過ぎない。
彼らの語る"適切な規模の経済"には、いつもどこかから富が湧き出てくることになっている。財やサービスが社会システムによって無から自動的に生み出され、それを絞ることで持続性を確保することになっている。そこに規模の経済などもちろんないし、需要と供給の関係もない。代わりにあるのは、供給と受け入れ可能量だ。大衆は受け入れ可能量をもち、与えられた賃金の中で供給を仕方なく消化するが、受け入れ可能量の伸びには限度がある。だから供給は低く押さえることが望ましい、というモデルだ。
景気の爆発によって、多くの人が経済や社会を自分の認識する世界と切り離して考えるようになってしまった。あるいはそういう人が新たにたくさん発言力を得た。株式市場というのは一部の人が遊ぶゲームで、経済政策は美麗字句を書いた文書に過ぎない。小さな好景気や不景気は《降って》くるもので、仕事場と帰りに寄るスーパーと自宅の外のことは、そういった仮想世界での事件とは何ら関係なく、「おかしくなかった」水準で永遠に続いていく。これらの人々は胡蝶の夢のごとくそう思い込んで、「仮想世界にのめり込むのはやめよう」と言っているようにも聞こえる。増田の意見、そしてそれに類する意見を見るたび、そういう違和感を覚える。"現実世界"から"仮想世界"のものを排除して、きれいで質素で、自分が必要だと思ったものは無から湧き出ることで変わらず存在していて、必要がないと思ったものはきちんと栓を閉めたのでどこを探しても残っていない、そういう過不足のない世界を作るんだという幻想がそこに見える。
でも、うまく言えないけど、そんな"仮想世界"はないんだ。全国で毎年数百人しか使っていない制度を廃止すると、増田の5親等先から悲鳴が聞こえてくる。平均株価が何ポイント落ちると、コンビニのジュースが何円上がる。コンビニは贅沢か。それなら上水道でもいいかもしれない。飲み水に上水道は贅沢だろうか。
経済は永遠に拡大していくという言い回し、永遠に消費は増え物価は下がっていくというモデルが今一つ心に響かないよ、という気持ちはわかる。しかしそれを理解してほしい。経済は褒めれば伸びる。ときどき発振する。抑えれば、フィードバックがかかってどんどんと落ち込んでいく。スタグフレーションは実在するんだ。支出を抑えて賃金を下げても、誰かの所得が増えるわけじゃない。金の額面は貯めこめても価値は貯め込めない。それは増田も貯金の価値が不変ではないと認めている通りだ。価値は、作らなければ、自然に風化して消えて行ってしまうんだ。
コントロールされた縮小をすれば一定量の幸福を長く保てるなんていうのは幻想なんだ。自分が理解できない経済のメカニズムをぶち壊しても、美徳や気持ちで金銭を置き換えても、その実態は通貨の名前を変えた貨幣経済だ。どうかそれに気付いてほしい。
2ちゃんねるに関わる全ての皆様へ
一部の報道で伝えられているとおり、西村博之氏は、世界知的所有権機関(WIPO)の調停仲裁センターに「2ch.net」のドメインの移転を求める申立てをしておりましたが、2016年7月28日付けで、同申立てを棄却するとの裁定が出ました。
これにより、西村博之氏の、同ドメインが違法に乗っ取られたとの従前からの主張が真実ではないことが明らかになりました。なお、同裁定において、Race Queen, Inc は2ch.netのドメインの使用について正当な利益を有する旨が認定されています。(the Panel is of the opinion that the Respondent's use of the Disputed Domain Name constitutes legitimate use under the Policy.)
したがいまして、Race Queen, Inc による2ch.netの管理運営の適法性・正当性が、かかる裁定をもって、正式に認められました。
2ちゃんねるに関わる全ての皆様は、これまでとおり、Race Queen, Incの管理のもとで安全かつ快適に2ちゃんねるをご利用いただけます。
同時に、西村博之氏によるこれまでの一連の主張は全くもって虚偽であり、2ch.scの運営を含む同氏の言動は、Race Queen, Inc による2ch.netの管理運営を妨害する違法行為に他なりません。今後厳正に対応していく所存です。
Cityland 10, Tower 1 Suite 2303
Phone: +63.28943848
Fax: +63.28121343
これどういうこと?
やベー調べたらサーバーとドメイン管理会社から乗っ取られてやんのwwwwアホwwwwww
しかも裁判したのに負けてるしwwwwwww日本人VSアメリカ人の構図になったら米法廷で勝てるわけねーだろwwwwバッカwwwwww
客観的証拠は絶対に必要。何故なら事実はどうあれ証拠がないと相手はどうとでも言い逃れができるし、
上司や会社ですら、あなたの被害妄想なんじゃないのか一蹴することもあるからだ。
モラハラ証拠集めは本当に根気もいるし、途中で心折れてなんだ自分が辞めれば一番楽じゃないかなんて考えてしまう人も少なくない。
大事なのは諦めずに何が何でもこいつの今までの罪を暴いて目標を達成するぞという執念だと思う。
うやむやが一番良くない。以降似たようなことが起きても、同じようにうやむやに揉み消す慣習が職場に定着しやすくなるから。
加害者に消えて欲しければ公式な手段で第三者を通じて解決するしかない。
最も有効なのはICレコーダー(安いのでいい)で常時録音、PCなどにバックアップ。
心身に不調が出たらそれも日付と詳細を記録、録音と組み合わせてハラスメントとの因果関係を主張できるようにする。
通院するようなことになれば診断書も用意しておきたい。
大事なのは「これは私の被害妄想ではない、事実なんだ」という主張を相手に躱されないための手を用意すること。
証拠が用意できたら、上司に訴えて相手が言い訳しそうなことはできるだけ予測を立てておきつつ、はっきりと自分の意思を表明する。
下記の労働契約法第5条の義務を怠っていると判断されれば、会社に対して指導が入れてもらうことも出来る。
【労働契約法第5条】
使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする。
法律上、会社は従業員のいじめをどうにかする義務がある。そこをうまくついて会社に協力を求めてみよう。
が、必要以上に騒ぎすぎると今度は会社自体があなたを排除しにかかるかもしれない。最初に書いたが、加害者に同調していじめの事実はなく被害も初めから何もないという解釈をする可能性は大いにある。だから出来るだけ会社を味方につけつつ動くのが一番いい。
これでダメなら、会社宛に「内容証明郵便で」状況改善の措置をとるよう通知を送る。
裁判とか金かかりそうだし諦めるか…とかなる前にADR手続きとかも視野に入れるといい。
裁判と比べて穏便に解決できるので、トラブル解決後も会社には残りやすいかも。
詳しく書くとあまりにも長くなるから詳細気になったらググってくれ。
http://anond.hatelabo.jp/20160710224123
これ読んだ.これ書いた人,きっと幸せなんだろうなぁ,と思うと同時に,私はきっとこういうふうには絶対になれないなぁとも思った.
両親が離婚して調停して終わったもんだと思ったら,今年に入って養育費関連で弁護士呼んでなんやかんややったらしい.
仮にも子供を産む程度に愛し合っていた二人が,今じゃ恨み憎しみ合いの関係ですよ.同居している母親は何かにつけて父親を貶して喜んでるし.
こんな家庭にいたらさ,結婚に希望なんか持てんよ.いや,人に,人間に希望を持てんよ.
結婚する人見ると,どうしてもタイトルみたいな疑問が浮かんでしまう.
なんで結婚なんてするの?
なんで結婚なんてできるの?
なんでそんな簡単に他人と一緒になろうみたいなこと考えられるの?
家庭環境にもよるんだろうけどさ,両親がどんな様子を見せたかで結婚に対するハードルって簡単に上下するもんだと思う.
このハードルを超えられたら,結婚する理由とか,そのメリットとかがわかるんだろうけどさ,
私にはこのハードルを越えられる気がしないよ.どれだけ幸せな様子を見せられても,脳裏には恨み合ってる両親がこびりついてるんだよ.
だから,さっきの記事書いた人は,幸せなままでいてほしい.幸せな家庭でいてほしいし,何かあったとしても互いに恨み合う家みたいな,
肥溜めかゴミ置き場か,とにかくクズが詰まったようなうちにみたいな家にはならないでほしい.
そんだけです.