人と関わりを持つことが減って、アウトプットが大きく減った。他人からの乱雑な入力を何かしらのルールで解釈する機械がヒトなのだと思う。インプットは何も対人関係やタスクの苦しみだけではなく、テレビや漫画や文庫本でも構わないのだろうが、前二つはおれの通ってきた条件付けによって今では好みでない。文庫本はしばらく読まないでいたら表面の非平面性を取る視覚処理ができなくなっていた。
収入がないのは不幸せだということで、数少ない友人たちはお前は幸せだ、踏むべき手順は簡単だ、正常になれ、社会人の苦しみを分かち合えと言ってくれる。履歴書を書いて、応募し、必要なら面接を受けて受かり、朝起きて職場へ通えという。
誰かの指揮下に入るというのは、おれにとって、使用者と社会のダブルバインドに入るということだ。雇用主には要求がある。社会には要請があり、通知手段や強制力や内面的な良心によっておれに影響する。その二つを調停して事を収めることがおれには常に課されていた。
就活はしなかった。講座も受けなかったし案内サービスの類も使っていない。だから《新兵》とか《自航》とかいった会社がどのような事業をしているのかはよく知らない。皆訝しんだが、八方適当に誤魔化して卒業を迎えた。あらゆる文書、契約がおれにミランダ警告を読み上げてくる。あらゆる証拠は人民法廷でおまえに対して使われる。おまえには黙秘権がある。近くに紹介できる弁護士はいない。
環境がそう言ってくるところに無限に深入りしていけ、それを喜べ、と言われても、おれには無理だ。疲れた。儀仗兵を引退したような気分だ。だれかおれの異常性を癒してくれ。
正常な人間は異常な状態に陥らない。道を一歩踏み外すとかボタンを掛け違えるなどとよく言うが、原因がなければ踏み外さないのだ。まぐれ当たりはあるがまぐれ外れはないのだ。管制官がたまたま忙しかったとか、整備士がたまたま傷を見落としたとか、機長がたまたま席を外していたとか、それだけの理由で何度も再放送されるネタが生まれるということはないのだ。そしてひとつひとつは解決可能ないくつもの未対策の原因が重なったとき、重大な結果が訪れるのだ。