「玉石混交」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 玉石混交とは

2024-11-24

昔の方がカスの嘘記事が多すぎて消費者側が新聞を見比べて事実判断しないといけなかった。けれど、真実性を求めるようになってから消費者側は情報を見分けることを怠ってしまった。無論マスコミが100悪いのは言うまでもないが、「この情報は嘘である」という意識が薄れるなら、いっそのこと玉石混交にしたほうがいい気もしている。テレビ然り、ネット然り。

2024-11-15

底辺絵師に贈る、底辺なろう作家提言

現代底辺であり未来の神絵師へ贈る提言

 今、絵師界隈は激動の時代にあるように見える。

 Xの規約変更だとか、ウォーターマークとか、いろいろ目に入ってくるが結局の発端は「生成AI」だろう。

 最初記述するが、私は「生成AI」の善悪を語る気はない。

 なのでここから先、どれだけ読んでもらっても「生成AIを滅ぼす方法」を求めている方のご期待には添えない。

 これはあくまでも、絵師界隈で生計を立てていきたいが、生成AI存在するこれから先の未来不安を抱いている絵師に向けたものであり。

 小説家界隈に住む私が、実際にイラスト勉強する過程で感じた二つの界隈の違いを言語化し、それを元に考察した一つの提言を届けたい。そういう趣旨のものだ。


絵師よ、オリジナルキャラクターを創れ

 では、先に結論から

 これから先、イラストで食べていくことに不安があるのなら「オリジナルキャラクターを作れ」。

 ただ単にオリジナルイラストを量産せよ、という意味ではない。

 あなたの頭の中にある「キャラクター」を絵という形で出力し、世間認知させ、あなたではない第三者がそのキャラクターイラストを描くようになることを目指す。という意味だ。

 乱暴な言い方をするなら「絵を描かされる側から、絵を描かせる側にシフトすることを意識しろ」といった感じだろうか。

 Vtuberママキャラクターデザイン)を想像してみてほしい。

 だいたいあんな感じの立ち位置が、私の想像力の範囲で今後も生き残っていける絵師の一つの形だと思っている。


現代日本では絵師の「作品」は求められていない

 なぜ、絵師オリジナルキャラを作るべきなのか。その理屈を語る前に確認したい。

 絵師界隈の方々は「同じクリエイターなのに、どうして小説家界隈はあんなにも生成AIに対する反応が薄いんだ?」と思ったことはないだろうか?

 もちろん、文章世界にも生成AIはある。

 むしろ小説生成AIの方が、イラスト生成AIより先に世に出ているはずだ。

 だが、実態として小説生成AIに対し、敵意や危機感を抱いている小説家は少数派だろう。


 ではなぜ、小説家界隈が生成AIに対して他人事のようなスタンスになりがちなのか。

 それは小説家絵師、それぞれのマネタイズの仕組みの違い。

 言い方を変えると『社会』との関係性の違いにある。

(以後、市場や、顧客マネタイズシステム全てを包含した『社会』という主語を用いて記述する。)

 そして、私が見るに絵師小説家も、大多数がこの両界隈の違いに気づいていない。


 その違いは

 『社会』は小説家には「作品」を求め、絵師に対して「技術」を求めている。

 この一点に尽きる。


 誤解を恐れずに言えば、『社会』は絵師に対してほとんどの場合作品」を求めていない。

 絵師界隈のトップレベルの方々は、おそらくこの違いを認識しているように見受けられるが、逆にトップクラス以外の領域では認識していない人の方が多数派。というのが私の所感だ。

 (一方で小説家界隈はトップクラス層もこの違いを認識していない人の方が多数派だと思っている。というか、クリエイターは全業界で「作品」重視で活動していると認識してそうな気がする。)


 この違いがどういうことか、わかりやすい事例をあげよう。

 新人賞コンクールといった賞レース代表的だ。

 これらは絵師界隈にも小説家界隈にもある。

 例えば、ある無名絵師イラストコンクールで最優秀に輝いたとしよう。

 その絵師は名声と得て、イラストの依頼が殺到するかもしれないし、あるいは協賛企業から何かしらの商業イラストを描く契約を結ぶかもしれない。

 だが、肝心の『最優秀賞に輝いた絵』そのものマネタイズの中心にはならないと思う。

 あってせいぜい、短期的な限定グッズデザインになる程度のはず。

 おそらく絵師側も最初から「その絵」で稼ごうとは思っていないはずだ。


 だが、小説界隈は違う。

 企業も、小説家本人も、基本的には「その小説」で稼ごうとする。

 2003年スニーカー大賞に選ばれた『涼宮ハルヒの憂鬱』は、2024年現在市場流通し続けているのが代表的な事例だ。

 受賞した作品を脇に置いて、その出版社編集提案した全く別の小説を書かせる。というのは無いとは言わないが、そういう流れになると小説家からはあまりいい印象は持たれないだろう。

 つまり、同じ賞レースでも絵師界隈は「技術を持った人」を探し、小説界隈では「作品」を探している。というのがなんとなく伝わったはずだ。


 もっとざっくり言ってしまうと

 「金を出すから自分の代わりに理想の絵を描いてくれ」が絵師と『社会』の関係の主流で

 「印刷流通を代わりにするから、その売り上げの一部をわけてくれ」が小説家と『社会』の関係の主流なのだ。)

 重要なのは『代わりに絵を描いてほしい』という部分だ。

 つまり、『社会』が絵師に求めているのは代筆能力という「技術」であり、「作品」は依頼者の頭の中にある物を指すのだ。


著作権法は「代筆家」を守らない

 さて、ここまでで絵は「技術」が求められ、小説は「作品」が求められている、というのは理解してもらえたと思う。

 ここで一旦、生成AIの話に戻そう。

 小説界隈が生成AIに対して反応が薄い理由は単純だ。

 『現行の(少なくとも日本国の)著作権法は「作品」を保護してくれているから』に他ならない。

 また一つ具体的な事例を挙げよう。

 かつて、「ハリーポッターシリーズ学習したAIオリジナルの「ハリーポッターシリーズの新作を書かせる。という試みが海外で行われたことがある。悪意ある第三者がこれと同じことをしたとしよう。

 もしその第三者が「ハリーポッターシリーズの新作」と銘打ってソレを売り出せば、著作権法容赦なくこの第三者断罪する。

 では、それを避けるためにキャラクター名前オリジナルに変え、タイトルオリジナルのものに変えて販売したならどうか。

 ソレは「よく似た別の作品」の一つになり下がるだけだ。

 書いたのがAIであろうと、人間であろうと重要視されるのは「作品」だから、そこの模倣がされない限りは脅威になりえない。というのが小説界隈の人が意識的にしろ無意識的にしろ生成AIに対して抱いている感情だろう。


 だが逆に著作権法は「技術」を保護はしていない。

 むしろ、広く開かれて文化の発展に寄与するべき。というのが基本スタンスだ。

 「技術」をお金にしている絵師界隈からすればたまったものではないだろうが、これが実情だ。

 「技術」の保護に舵を切るなら、それは著作権法ではなく特許法領分になるが、特許理念は「知財ビジネス支援すること」なので、おそらく企業と繋がりのないアマチュア絵師は生成AIユーザー以上に苦しむことになると思う。


 これまでの話を統括すると

現代絵師は「技術」を求められ、肝心の「作品」は依頼者の頭の中にある。

・現行の著作権法はその「技術」を保護していないし、「技術」の保護アマチュアに優しくない。

 この二点が現代の、そして未来絵師を苦しめる要因の根幹だ。


これから絵師も「作品」をビジネスにしなければならない

 そして、最初の私の提言に繋がる。

 これから先、代筆家として誰かのために絵を描くという「技術」を売る領域は生成AIに食い荒らされるだろう。

 そんな未来でも絵師として生き残りたいのなら、依頼者の頭の中にある「作品」ではなく、あなたの頭の中にある「作品」を生み出すことを考えるのが良いのではないか

 という話だ。

 「オリジナルキャラクターを作れ」というのは、その一例だ。

 企業依頼でPRキャラを描くという現行の関係から企業が「自社製品あなたオリキャラに使わせてください」みたいな関係になるのが、そこそこいい感じの未来予想図だと思わないだろうか?

 仮に企業お金ケチって生成AIでそのオリキャラ勝手に使えば、容赦なく著作権法断罪できる関係性になる。

(他に思いつくのは、大昔のゴッホだ、フェルメールだの時代のように一枚一枚の絵そのものを「作品」として『社会』に売りつけて生計を立てる道。あるいは自分自身を「作品」にしてパトロンから庇護を受けて好きに絵を描く道、あたりか。現代で言えば、前者は同人誌即売会イラスト集を売っている人たちで、後者お絵描き配信者としてファン投げ銭生計を立てつつ、絵を描いている人達だろうか。)


 逆に、このことに気づかず、「技術」を守ることに執心し続けると、どこかでとんでもないことになるのではないか。私はそう思っている。

 これがもう一つ、裏の提言……というか懇願だ。


小説家から見た絵師界隈の「技術」の体系化と共有文化の素晴らしさ

 絵師界隈で育った人達は気づいていないかもしれないが、小説家界隈で育った私から見て、あなた達が確立している「技術の体系化と共有」の文化は素晴らしいものなのだ

 YouTubeでは多くの絵師プロアマわず、自らの技法を公開しているし、有償の場になれば更に本格的かつ専門的な技術を共有しあっている。

 おそらく『社会』が絵師に「技術」を求めていたからこそ、惜しげもなく場と資産提供していたことで出来あがった土壌だろう。

 無数の技術が公開されているから、その中で自分好みのものを取捨選択し、組み合わせることで理想個性形成できる。

 私のような「最初から絵のプロになる気が無い人間」にも成長の手順が提示されているのは、非情にありがたかった。


底辺なろう作家愚痴妄言

 ここからは、若干小説界隈のネガティブな内容に触れるのだが、ご了承いただきたい。

しか生産性がない話なので、絵師界隈の方はここから先を無理に読む必要はない。

 ただ、この先の話を読んでくれた絵師から、こういう界隈の中で私はどうやっていくと良いか、そういう意見を貰えたら嬉しい。)

 小説界隈は何度も言っているように「作品」重視の世界だ。

 故に、小説家は「表現技法」をほとんど語らない。

 例えば炎の熱さを表現するにあたり、絵ならば「暖色の与える印象の理論」だとか「ぼかしによる蜃気楼技術」といったものがあり、ある程度体系化、共有された技術があるはずだ。

 だが、小説家界隈ではそういった表現技術を「作家個性」として、共有せずに個人のものへと抱え込む道に発展してきた。発展してしまった。

 我々は百の作家がいれば、百人が別々の言葉で炎を描写し、実際にどれが最も読者に熱さを感じさせられる表現だったのかを検証しなかったのだ。


 我々小説家今日も、読者が本当に熱を感じてくれるのかわからずに炎を描いているし、可愛さがちゃんと伝わっているかからずに美少女を描いている。

 「技術」を体系化しなかった、というのはつまりこういうことだ。


小説家は「腕を磨かない」

 では「技術」を語らない小説家界隈が新人達に何を語っているのか。

 それは「作品の作り方」だ。

 手順、理論作法形式

 現在小説家界隈で新人達に向けて語られているのはおおよそ上記の要素であり、それらをまとめると「作品の作り方」となると思う。

 これもまた絵に例えるなら

 「ラフ、下書き、清書の順番で書くと良い」とか、「線画と塗りは別レイヤーに分けたほうが良い」とか、そういうレベルの内容だと思ってくれていい。

 それを十数年以上、場所を変え人を変えこんこんと語り続けている。

 それが小説家界隈なのだ

 SNSで無数の新人作家たちに向けて情報発信をしている高名な小説家達も

 「自分達が教えられるのはいわば『就活履歴書の正しい書き方』だけだ。その内容は個々人で書くしかない」

 みたいなことを常々言っている。

(で、まあ「特定効果を与える技術」ではなく「作品作品たらしめる作法」という名目なもんだから「not for me」の概念適応されにくく、「正しい」「間違い」で定期的に燃えている。)


 つまり小説家界隈は「作品を完成させる」ことを教えることが主流であり、その質を技術によって高めることには非常に無頓着なのだ


 私の推測だが、これは絵とは逆方向の『社会から圧力と発展によるものだろう。

 絵師には「技術」を求める以上、まぐれではダメだ。再現性がなければお金にはならない。

 だからちゃんと「技術」が身に着くような環境を作る。

 だが何度も言っているように小説家に求めるのは「作品」だ。

 極論だが、出来が良ければまぐれでもお金にできる。そのまぐれの一つを拾い上げて市場に売り出せばいい。

 だから社会』はできるだけ多くの「作品」が出来上がる環境作りを自然と行ったのだろう。


 「作家を作る」ことは頑張るが、「作家を育てる」ことはしない。

 プロアマわず、それが現代小説家界隈なのだ

 「プロになるつもりはないが、もっと上手くなりたい」という人間に対しても、絵師界隈の先達は「技術」を提供し、成長の道筋を照らしてくれる。

 だが、小説家界隈では「プロになる気がないのなら、あなたの好きに書けばいい」の一言で終わる。

 私のような無才な人間からすると、暗闇を手探りで歩くような感覚だった。


出版業界の陰り

 まあ、小説家界隈が無才に厳しいだけなら良いのだが、最近この界隈の「作品重視」の傾向が業界全体の問題として表面化してきているように思う。

 その問題とは、端的に言うと「作品が増えすぎた」ということだ。


 「小説家になろう」では毎年開かれているネット小説大賞という賞レースがある。

 2013年に開かれた第一回では応募作は「1,135作品」だった。

 これが五年後の第六回では応募作はほぼ10倍の「10,156作品」になった。

 そして、今年の第十二回に応募された作品は「20,826作品」と、その数は恐るべきペースで増えている。

 一応、この数字についてはちょっと恣意的表現をしている。

 一般新人賞公募と違って、小説投稿サイト主催の賞レース過去落選した作品も全て再応募する作者は少なくないからだ。なのでおそらく「作家」の増加数はこれほど極端ではないと思う。

 だが、この仕組みと過去作を再応募し続ける風潮こそ、小説家界隈が「技術」を軽視していることの証左であり、問題の根源だ。

 この世には「玉石混交」という言葉がある。

 賞レース選考員は一万以上の無数の石の中に隠れた玉を探すわけだが、さっきも言ったように、ネット小説の賞レース過去落選した作品継続して応募されている。

 つまり、玉と石の比率一定ではない。拾い上げられた玉は減るが、石はそのまま翌年、また翌年と残り続ける。


 そうなると、単純に選考員の負担が年々増えていくのは想像できるだろう。

 ただでさえ、小説は受けての時間を奪う媒体だ。短編でも一作につき五分から十分。長編なら余裕で一作一時間を超える。

 選考員を増やせば個人単位負担は軽減されるだろう。だが、人を増やせば今度は運営出資が増える。

 必ずどこかしらが負担を負うことになる。

 そして『社会』が持っているリソース無限ではない。


 そして多分だが、小説家界隈……というかネット小説業界は、このリソース限界をとうの昔に迎えてしまっている。

 出版社は玉探しを継続的にしなければならない。

 だが、玉探しに必要な労力は年々増え続けている。

 ならば、別の所で手を抜いて調整するしかない。

 宣伝作家に任せよう。

 連載継続するかどうか早めに決めよう。

 といったふうに。

 ざっくり言うと「プロ作家サポートにかかる労力を削る道」も考えられる一つだ。



 私の未来予測では、今後も出版社側の玉探しの労力は増加し続け、それと負の相関に基づいて出版社からプロ作家へのサポートの質は低下し続けるだろう。

 そうなると、作家から出版社への信頼が揺らぎ始める。

 作家出版社を信頼しなくなれば、出版社は心置きなく作家使い捨てられるようになる。

 これを 『才能の狩猟社会』みたいなことを誰かが言っていた。希望の無い話だ。


 「技術」を『個々人の個性』として体系化せず、共有しなかった小説家界隈。

 「作品」を完成させることだけを重視し、質より量を推し進めた小説家界隈。

 これはその一部で実現しつつある最悪の未来予想だ。

 この私の未来予想が一理あるか、見当はずれかの判断は委ねる。

 (とはいっても、プロ経験皆無の底辺作家妄言なんて外れてくれた方がいい。部外者がそれっぽいこと言って、それ

2024-10-25

なんかもうSNSどこも人間たち戦いすぎてるけど…

インプ稼ぎメインだともうどこもかしこ闘争不安ビジネスなりまくって

Xもそろそろ終わりが見えて来た感じあるなぁ…AIフェイ画像も山ほどあるし。

うそろそろこの板の先の画面の中の耳と目でしか見てない娯楽、

あんまり価値なくなって、自然の中で自分の周りだけにコミュニティ作って生きるのがいい感じになりそうだなー

ネットが初めてできた時代青春時代過ごしてるけど

一番最初に感じた玉石混交の怖さより、今の方が数倍恐ろしくなってる

2024-10-03

anond:20241003091947

わかるわ。

はてなの連中は結婚相談所=例のオタクの人ぐらいしか知識がない。なんか的確なアドバイスをして、きちんとマッチングしてくれると思ってる。

かにそういうところもあるし、すげースパルタなとこもあるし、基本放置なとこもある。そしてほとんどの結婚相談所は基本放置だよ。

非モテ結婚相談所に行って何が起きるか?自分で申し込みして数人と会って、当然のように何も起きず、俺には向いてなかったなといって退会する。これだけ。

結婚相談所に行けなんてアドバイスは何のアドバイスにもなってない。結婚相談所玉石混交からだ。そして大半が石だ。何も知らないのに勧めてもおそらく金と時間をドブに捨てるだけだ。

俺みたいになるな。

2024-09-29

寝床で撮ったような写真をマチアプに載せんな

マッチングアプリやってると男性からいいねが来るんだけどさ、時々ふざけてんのかこいつってレベルのアホとエンカウントするんだよね

寝床か脱衣所で撮った自撮りプロフィールにしてる

清潔感のかけらもない。見るだけで不快なので迷惑料を支払ってほしいくらい。

人気の同性会員のプロフィール見れるだろ!お前が勝負するのはそいつらやぞ!

ていうか他撮りされない位交友関係がないのかなって思われるからマイナス

課金してんだろ?本気になれよ。じゃなきゃ即刻辞めろ時間と金無駄すぎる。

顔出しなし

顔出ししてない同士でマッチングするのはいいよ?

なんで顔出してる増田いいねするの?情報格差ひどいよ?

私はお前のこと何にも分からないのにいいねするか?

プロフ見ると「顔に自信がないので」とか書いたりアピールしたりしてる。知らんて。ジャッジはこっちでするからとりあえず見せてみろ。

というか顔で切られるレベルのやつはリアルに会えるパーティーとかIKEA。どうせ課金してんだろ?もったいないて。

マスク・加工済みの写真しかない

しゃらくせえ。女々しい。失せろ。

プロフ画2枚、プロフィール文少なめ、雰囲気イケメン

雰囲気で押し切ろうとしてらっしゃる小賢しいところが鼻につきますわ。

よく見せろやそのボケた顔をよ。

スカしたポーズ風景の中に佇んでるんじゃねえ。

おっさん

増田が0歳の時お前いくつやねん。去ねやクソジジイ

デブ

その需要ニッチすぎるからまず痩せろ。肉に首を埋まらせるんじゃねえ。

せっかく他撮り写真があっても好感度プラスにならん。汗臭そう。

プロフ読んでないやつ

プロフに書いてること読めば分かるだろってことを聞くなー。あと性格マッチング考えろー。

学校だったらお前と増田は声も交わしてないような領域だろうがー。いいね無駄やでそれ。

尋常じゃないブサイク

目を覚ませー!!お前はマチアプのカモや!!!


もう本当に…いや男性から見たクソ女会員もいるんだろうけどさ、男性会員にクソ多いわ。

玉石混交って言うけど玉と石の差がエグいわ。ついでにいうと玉の方は胡散臭え。ほんまに本人の写真かアンタ?

こんなの増田しか書けんわ。

追記

メッセージ疲れするレベルマッチングすなー!

同じ話題で初対面のやりとり押し切ろうとしてるの笑えますわ↷ぁ

いいねしすぎて誰が誰やか分からんくなってるやないかー!キャパ概念を覚えようね♡

誰彼構わず興味を持ったらすぐいいねちゃうガバガバフィルターの末路♡見極め雑魚

追記

ブコメ:同性のプロフィールなんて見れないゾ

とりあえずペアーズではできたよ😡

プロフィール編集画面に「他の男性会員のプロフィールを見る」ってボタンがあるがな!最大手ナメんな!

見れなかったらそれはお使いのアプリのせいです。

2024-09-16

anond:20240916080650

書き出し祭りってのやってるから感想書くとみんな喜ぶよ

100作もあるから読むの大変にみえるけど、一作が3000から4000文字程度の第一話だけなんで案外読める。

お勧めは第三会場。

ジャンルが混在しているのと玉石混交なので、あらすじで読む読まない決めると良いかも。

https://ncode.syosetu.com/s2961i/

タイトルとあらすじだけならここに

https://x.com/kakidashi_fes/status/1829836753840082964

SIerからベンチャーっぽいところに転職して1年経った

酔っ払ったので色々吐き出そうと思う!

10年近く勤めた某SIerを辞めて、1年くらい一応無事に過ごしている。

良かったこ

大変なところ・昔も良かったところ

2024-09-15

昔の同人誌は凄かった(意味深)

20年以上同人誌を作ったり買ったりしている。

これくらい同人界隈にいると同人誌イベントサークル文化の変遷やら事件やら、まあ色々なものを見て来ている。

歴が長くなると昔と今を比べたがる人も多くなる。

最近同人誌無味乾燥ものが多い、あとがきすら無い」というご意見を見た。

五千年前からある「最近の若者は~」論だ。

かに同人誌はある程度の画一化というか

「これこれこういう構成でこういうものを載せたら同人誌になる」

「こういう同人誌を作るのだったらこれを参考にして」

というセオリーがある程度出来上がっているし、非常に作る敷居は低くなっていると思われる。

(ここでこの作り方についての昔話をすると長くなるのでまた別の機会に)

昔の同人誌は作り方や指南書が少なく、(マニアック雑誌特集ではあったとは思う)参考が既に同人活動している先輩からの伝え聞き・先方の同人誌のみという時代も確かにあった。

自由度はあったと思う。凄かった。

「凄かった」というのは昔は悪い意味でも凄い本が多かったのだ。

自分が見た例をいくつか紹介する。

・「表紙は完成しているのに中身(本文)が未完成

同人誌を買っている人でこれを見た人は殆どいないし、今こういう本ほぼ見ないと思われる。良い時代になった。

いわゆる「天ぷら本」と揶揄された奴。

昔は「イベントに合わせて本を出す」事に意義があったのと表紙で判断して購入する(しかない)環境であった為、表紙だけ綺麗に仕上げて中身は下書き状態ハンターハンターの下書き掲載…と言えばわかる方も多いだろうか)で発行している本もあった。

・「表紙と中身(本文)が別ジャンル

マジであった。

流石に丸々別ジャンルという本は少なかった(あったんだよ…)が〇ジャンルの表紙で〇の話の後に急に「今ハマっている×ジャンル漫画トーク」が挟まっているとかは割とあった。

・「書き手の近況や同ジャンル者同士の対談や語りのPが何Pもある」

極めるとこれだけで本を出しているサークルもあった。

今より作者のアイドル性が高かったように思う。トーク面白いと「サークル●●のトーク」だけで価値があるのだ。

因みにこのトーク内容はジャンルに関するもの…では無く作者の近況だったりする方が多かった。

Twitter(X)でこの文化はほぼ絶滅したと思う。良い時代になった。

・「本文内にサークル紹介・次回イベント参加情報・既刊宣伝がある」

これで5~6P、いや下手すると10p以上は使っているサークルもあった。

NAVIOやPixivTwitter(X)は無い、個人サイトさえ無い時代なのである意味当然なのだが、自分サークル活動状況を知らせる媒体が限られており、発行物に含ませるしかなかった背景もある。

しかしあまりに長々とあるとP数稼ぎか…?となる。

実際にサークル紹介Pは作っておけるので、コピーコピーデータでは無く実物のコピー)を延々してそのPだけ画質が悪くなっているのもまあまあ見た。

新刊は●●Pと書いているが、このサークル宣伝Pが大体6Pぐらいあるから、実際の漫画小説は〇〇Pか…」という悲しい推察をしながら買った経験をしている人は自分だけでは無いと信じたい。

・「他漫画トレースパロディ

当時はまだ問題性が周知されておらず黙認されていたが今やるとアウトの事例。

「他漫画トレース」というのは例を挙げると「ジョジョ漫画の絵やコマ割をそのままトレースして髪型服装だけジャンルキャラクターに変換させてジョジョの名場面をジャンルキャラに喋らせる」というものだ。

ファンロードという雑誌の「今月の見たいものand見せましょう」というパロディ企画で用いられたり、朝目新聞でこのようなパロディファンアートとして有り、広く用いられている為、

同人誌にも用いて大丈夫という認識があったように思う。

これもだいぶ議論余地はあるが、上記の例に沿うと「ジョジョ漫画の絵柄のみを似せて描き、ジャンルパロディとして自分の考えたストーリーを描く」なら現在でもまあまあ見かけるし、問題にまではなっていない。

・「歌詞掲載

同人誌タイトルに歌のタイトルを使う」迄は著作権侵害に当たらないが、歌詞楽譜音楽著作物になる。

https://www.riaj.or.jp/f/leg/copyright/music/qa_internet.html

イメソンとして歌詞丸々書いたり漫画小説内で使いまくった同人誌多かったよマジで

今は歌詞引用するにしても、ちゃんジャスラック許可を取って歌詞使っている同人誌を見た。強い。


ヘイト創作特定キャラへの過度なネタやらまで列挙すると個人の好みの問題になるので取り上げない。

勿論挙げた中の例でも「それが好きで買っていた」人もいるだろう。

しか玉石混交というが、昔は玉を見つける為の買い手側の労力がかなり必要だったのは否めないと思う。

昔の同人誌中古ショップ等で購入する際は表紙やP数や分厚さだけで判断しないでね!

2024-08-20

anond:20240820060053

これまで宝石屋でいろんな種類の宝石がそれなりにバランスよく取り揃えられていたのを買っていたけど、

いきなり鉱脈発見されてめちゃくちゃ大量の鉱石供給されてきたような感じかな。

鉱脈自体が巨大なので、これまでなかった宝石なんかもいろいろあって全体的にはバリエーションが豊かになったんだけど、

一方でルビーだけ大量に固まってるところ、エメラルドだけ大量に固まってるところ、みたいなのもあるし、

そもそも鉱脈なのでまさに玉石混交宝石屋も加工が追いつかなくて原石をそのまま売るようになったので、

よく知らずに宝石屋の店先を眺めるだけだと「ルビーの原石ばっかじゃん綺麗なダイヤモンドは無いのかよ」みたいな感想になる。

オタク普通に自分の好きな宝石を探し漁って「こういうのいままで売ってなかったんだよな〜」とか言いながら楽しんでる。

2024-08-06

anond:20240805114214

沈殿し濾過される過程を経て初めて「上澄み」という表現に適切さを感じるので、単純に序列の上の方、といった、ただ「上位」の言い換えみたいな用法には違和感があります


適切な使用例としては、たとえばコミケに参加する玉石混交サークルの中で非常に優れたサークルを拾い上げる、みたいなケースで「上澄み」と言う、みたいなケースです。この場合はまさに「混濁した中から見極めて、上の方だけをすくいあげて」という過程が感じられるので納得ですが、客観的な数値で優劣や強弱判断がつくようなケースで上位のものを「上澄み」と言うのは(つまり「クヴァールは上澄み」みたいな言い方は)あまり適切な用法とは感じないです。

2024-07-26

合成カンナビノイドオンラインで買う際にに確認すべきこと

ここでは、CBDやCBN、CBGなどのカンナビジオール系製品ではなく、CBP、10-OH-HHC、THXEなどのサイコアクティブ系のカンナビノイドを購入する際に気をつける事を書きます

1.違法ではない商品を選ぶ

厚生労働省のサイト確認して、購入しようとしている商品違法ではないことを確認しましょう。

定期的に指定薬物更新が行われるので確認必須です。

違法商品業者が売っていることはめったにないですが、稀に商品の消し忘れなどで残っていることもあります。また、規制が発表された成分をセールなどで売っている場合があります。そのような規制ギリギリ商品ショップ側へ厚生労働省が警告したケースもあるので購入をおすすめしません。

2.信頼できるショップを選ぶ

こんなの売ってるショップどれも信用できねーよと言う意見はごもっともですが、その信用できないショップの質も玉石混交です。

・自社サイトを持っている

特定商取引法に基づく表記がされている

会社名、電話番号などの連絡先が記載されている

・CoAを表示している

このあたりが最低基準です。メルカリペイペイフリマのような出品基準の低いサイトのものおすすめしません。

3.CoAを確認する

サイコアクティブ系のカンナビノイド商品におけるCoAとは、THCが入っていない証明書のようなものです。こんなの

商品ページやサイト記載されていると思います

Δ9-THCND(未検出)となっていることを確認しましょう。

この数字だらけの書類見方は難しいのですが、Cliantに販売業者名が記載されているCoAはその業者が自社検査している証明なので、信頼度の高いCoAであることを覚えておくといいと思います

4.Xでその業者の評判を見る

みんな大好きSNSのX(旧twitter)を使ってその業者情報を入手しましょう。商品レビュー製品提供されているパターンもあり当てになりませんが、ショップ自体雰囲気はつかめるはずです。

当たり前ですが、振り込みでトラブルになったり、警察や麻取に挑発的な言動をする業者を選ばないようにしましょう。

店舗があるかどうかはオンラインでの購入に関係ないですが、実店舗を持っている業者の方がガサ入れ率が高いと私は思っています

おわりに

以上が私がカンナビノイド商品を購入する際に気をつけていることです。個人的主観を含んでいますが、エンドユーザー法令を遵守している限り、逮捕されることはまずありません。

あくま合法ものを購入しているというマインドの方がバットにも入りづらいと思います

いろいろと危ないことも渦巻く業界ですが、あなたがいい商品出会えることを願っています

2024-06-16

企業が人文系専門家雇用していればこんなことは防げたはず?

コロンブスMVには確かに深刻な問題があるけど、この機に乗じて企業が人文系専門家雇用していればこんなことは防げたはず、って言ってる奴ら何なの?

倫理観」(別に他の言葉でもいいがここでは仮にそう呼んでおく)みたいな複雑なものを一人の専門家がなんとかできると思ってる?

そもそも文系って一括りに言うけどあまり範囲が広すぎるしレベル玉石混交だよね?

国家資格でも作るつもり?それってむしろ逆行してるよね?

それに専門家からといって信頼できない、市民意見に寄り添えって言ってたのむしろ君たちだよね?

だいたいなんで人文系専門家にまともな倫理観があるって前提なんだよ。

一人で解決するんじゃなくて調べたり他の専門家の協力を仰いだりする役割から問題ない、とか言うかもしれないけど、そういうことが適切にできるかどうかだって結局同じことだよね?

だいたい、企業活動との両立なんて複雑な課題コミットできるの?単なる言いっ放し、僕は忠告したよね?で済ませるつもり?

どうすんのさ。

それに教養大事とか無教養とか好き放題に見下してくれちゃってるけど、そっちこそ差別意識てんこ盛りじゃねーか。むしろコロンブス側じゃねーか。

反省ってしたことあるのかな。

しろ文系研究者コミュニティにこそそいつらの「倫理」をチェックする「専門家」が必要なんじゃないの?

そういうとこだぞ、そもそも信頼されないのは。

だって今の日本企業倫理観は大いに問題あると思ってるよ?人文系に頑張ってほしいと思ってるよ?でもさ、現実の人文系がこんなんじゃいつまでたっても変わらないよ。

2024-06-15

正直、マッチングアプリ婚ってどう思う?(追記

結婚しました!って職場の人なり友達なりから言われて、「アプリの人だよ!」って教えてもらったとき、皆は正直、どう感じてる?

私はああそうなんだ~ってサラッと流して、気まずくならないよう別の話をする…

30超えて周りにもどんどん多くなってきたからもうリアルじゃ言えないんだけども。あれ結構気を遣うしダルくない?

たった10年前でもネット友達ってうさん臭く見られた時代だったよね。2000~2010年代で「ネット経由で恋人作りました」って、親や友達には伝えることがかなり勇気要るものだったと思う。

いつからマッチングアプリって市民権得るようになった?

チアプで婚活ガチってる女ってなんなんだろ。

男でヤリモクじゃなくてまともにコミュ力あるレアポケモンって一瞬で売れるじゃん。仕事頑張っちゃいましたそろそろ結婚するかって35手前の奥手な人ね。

女で30超えてマチアプで本気で結婚相手探してるって…なんかもう触れられないよ。本当になんでそうなるの?

学生職場で見つからないことはあると思う。男女容姿関係なく、真面目な人ほどそうなるんよね。

それなら街に行きつけの居酒屋の1個でも作らない?バーでも何でもいいけど、要は人間関係できるとこだよ。

さみしいなら話し相手作ればいいじゃん。コミュ力足りないなら一足飛びにラスボス倒そうとしないでコツコツレベル上げすればいいじゃん。

ほんでカラッと彼氏ほしー!!って言ってたら結構飲み会誘われない?知り合いの知り合い~とかで、面倒なやつもあるけど玉石混交でしょ出会いなんて

独身20~30代前半のフリーの期間ってすごい楽しいやんか。仕事頑張って、繁華街繰り出して終電気にせず飲んだりしてさ。

結婚しなきゃ!って突如焦って、最終手段アプリって、何?人生の前半で何をしてたの?紹介してもらう友達の一人もいないの?

チアプは割り切ってセックスする相手見つける場所、ならわかるけどさーそれで結婚相手見つけたって親に言うの?

どんだけうまくいっても、生きてきたコミュニティで番を見つけられませんでしたって、それまでじゃない?周りも「あっ、全然偏見ないよ!」って言ってるの、ほんと?

敗者復活戦みたいにギラギラしてる人たち、こわいよ…

チアプでの出会いで行ったお店(つまり払われた金額だよね)や相手スペックをすごい測る女ほどああだったこうだった~ってデートの話をたくさんするよね。

率直に言って、20代終わりで30が見えてきた子、腰掛けのつもりが気づけばお局…になっているアラサー以上に本当に多い。受験就活もどこか手を抜いた人たち。

おめかししてデートで女!として扱われる時間っての気持ちよさをたくさん味わいたいってことならわかるよ。でもその瞬間ってお互いオスメスでしかない…

というか本当に、相手スペックって何?何様なんだろう…。学歴年収も気になるなら自分で身に着ければいいじゃん。

Twitterにたくさんいる婚活女性様たちのサクサク評価、すさまじいよね。レジュメで切る大企業の人事かって。

彼氏だと思ってた男に雑に扱われた泣 次いこ~~とか延々似たような話繰り返して嘆いている子ほど本気で仕事してない傾向にあるの何なんだろう。暇なの?なのに親指一つで結婚相手見つけようとしてんの?

煽りじゃなく、お見合いが当たり前の時代に生まれていた方が幸せだったんだろうなって女性、多すぎないか… 

私が前時代的なんだろうなとは思うけど、いつからチアプって人前でべらべら話せる、恥ずかしいものじゃなくなったの?

私は指輪とか式も簡素に済ませたよ。キラキラしたデートなんて全然なかったから自慢話も特にないふつーの結婚芸能人でもあるまいし…

学生時代友達からスペック()高い男と何人もデートしてる話長々聞かされて愚痴っちゃった。あと結婚式ではどう言われるかは普通に知りたい。

追記

途中まで面白い意見も多かったのに、羊水腐ってるとか気持ち悪いコメント多くなってきたからもうコメ返控えるね。コメくれた人たちありがとう

2024-06-13

増田はいいねが非公開どころか

いいね機能すらない

先進デザイン

インスタント評価システムがなければ、承認欲求や外面にとらわれることもない

本当に「好い!」と思った増田には熱いトラバをぶら下げればいい

「違うだろ」「俺の方が詳しい」と思った増田にも熱いトラバをぶら下げればいい

実際どっちが洗練された人間かは、文章の書きぶりややりとりから伝わってくるだろう

から見てもいい判断材料になるはずだ

けれどブクマ、てめーはダメ

ブクマになるとブクマ数が勝負になってしま

そしてブクマされた記事主よりもブクマカが主導権を乗っ取り

勝手記事を冷やかす空気を醸しつつ大喜利などを始めてしま

そもそもなぜはてブがあるとブクマ勝負になってしまうのかというと

いいね機能と同じくWebのくせして一方通行評価システムから

その上いいねと違って必ずしもポジティブな反応を示す指標じゃないくせに双方向性もないから、注目を集めても「どう注目されているか」の判断が伝わらない

丹念に内容と反応を照らして判断していけば自分なりにそこで起きていることを解釈できるが、そもそも「本文読んでない」みたいな分断が多々混ざっていて情報価値が薄い

結果として玉石混交ならまだマシで読む価値のないゴシップクズ情報ばかりになるが、それを脇に置けばとにかくバズる

ここがバズを利用して商売をたくらむ情報サービス事業者にとってはミソなんだろう

実際のところは、ツッコミどころの多い、瑕疵のある極端な言い分ほどブクマを集めやすいが

そういった狂った人間ほど注目をあつめて承認欲求を満たして、ブクマスター数という定量的指標によって権威化されてしま

これは元の記事主についてもブクマカについても言える

トラバのように相互言及可能な場なら解決するかと言うと、5chが決して健全コミュニケーションができる場になっていないことからわかるように、それほど単純なことではないが

俺はWeb重要なのは読み手がより妥当理解へと着地できるように、多少荒々しくてもいいから論をぶつけ合えることだと思っている

からベランダから投石するがごときブクマカは滅せねばならぬし、はてブあくま自分の興味関心をメモとともに記録する公開ブックマークとして利用するに留めるべきだと思う

井戸端冷笑会議のために使っている人は、トラバやらブログコメ欄といった、やりあえる表に出て意見を書き込むべきだと思っている

それをするほどでもない事というのは、そもそもネットに書くべきではないのだ

さもないと一生知見が磨かれないダルい人間意見がわんさと溢れかえるノイズまみれのネットになってしま

2024-05-05

増田ブクマカの差が露骨に開いている

一時期は増田が完全にはてなダイアリー実験場だったけど、現在玉石混交ながら主要な日記サービスになっていると思う

中身は大したことないが、より外部から来る人が多くなった昨今は一つの日記の質が上がっているとすら思える

少なくともてにをはがしっかりとしている

長く居座る人もいるが基本は流動的なので新陳代謝もそこそこある

逆にブクマはどうだろう

明確に老害煮凝りになっている

15年ほど前ならそこそこ便利だったはずなのに、いまはブクマしか生きられない人でしか構成されていない

なにより、100文字程度で世の中を舐め腐った気持ち悪い文章を書くことで悦に浸るという、Xですらもはや流行らない考えに妄執しているのが時代遅れすぎる

2024-03-21

大学職員って生活保護窓口確定で市役所受けるようなもんだと思うんだけど

それを望んで就活してその結果として大学で働いてると思うんだけど、生活保護受給者レベルの異常大学生の相手させられて狂っちゃう人ってなんで出てくるん?

そもそもそういった狂ってる人を救ってあげたいっていうメサイアコンプレックスを満たすために大学で働くことを選んだんじゃないの?

そうじゃないなら、自分大学生だった頃の経験から窓口に来る人間玉石混交と呼ぶのも嫌気が指すほどの核廃棄物混交になってるのは分かりきってるじゃん?

クラスメートバイト仲間・サークル・他大学交流先、あちらこちらでキチガイムーブ自慢をしてくる大路全裸ダッシュ族と親睦を深めてきた思い出があるやろ?

そういう経験に照らし合わせれば大学で働くってことは狂気世界に秩序を生み出そうとする仁術に他ならないことは嫌でもわかるじゃん?

なんなん?

大学事務員は全員高卒なの?

高卒だとしても、高校の頃に学生気分を拗らせ狂いまくっていた同級生達の姿を通して、学校で働くことのヤバみを感じ取れたりしなかったんか?

別にボッチだろうがなんだろうが、むしろボッチの奴らの方がより岡目八目的に、学生という立場を盾にしてくる連中に社会秩序という概念微塵も存在しないことはよく見えていたのでは?

それなのに WHY 大学事務員アサイン

狂った奴らの相手をしたかたから意外の理由があるなら、そりゃお前仕事を選ぶのが下手くそ過ぎるよ。

自衛隊に入って「人殺しの顔をしてる奴らとこれ以上働けない」と文句を垂れるようなもんじゃないの?

間違っているのは大学生だけじゃなくておまえの職業選択だよ。

でも大学生はモラトリアムなので間違える権利がある。

お前にも愚行権があるから間違える権利がある。

前を向いて転職しろよ。

2024-03-14

SNS現状(私用)

x(旧Twitter):

最低限のTLチェックと連絡経路維持

discord:

メイン。でも結局サーバーではなくDMネット上のフレンド

LINE:

家族や友人、オフラインの知人との連絡経路

LINE(オプチャ):

二次ニュースソースレスポンスのない情報交換

bluesky:

代替Twitter最近やっとTL流れ始めた

misskey:

吠えるところ。怨念怨嗟、弱音、怒り、アイデア、掃溜め

(弱小SNS

遊び場。ここから派生していろんなことが起きてる。愛憎劇や騙し合い、有象無象パッションが渾然一体となって、時には快楽愉悦を生み出し、時には一つの物語を紡ぎ出し、時には(頻繁に)公にできないミクロ玉石混交な胡乱で淫靡な事を手軽に接種できる。すごい

すごいぞ。ここは。

2024-03-07

退却!前進

 anond:20240302205328

コンビニカウンター越しの卒業式

 先日、「コンビニカウンター越しの卒業式」という、拙い私小説風の文章を初めて投稿した。ここは様々な文章が入り乱れると聞いていたため、誰かの目に留まるだろうかと思い、数日。自らのページを開いてみると、あたたかコメントが数件。また、意味の分からないコメントもあった。玉石混交という雰囲気を感じさせた。

 あれは私の実体験だ。鬱病を拗らせ、通信制高校にもう一年在留することになった18歳。今日もこの時間まで眠れず、独りスマホ文章を打ち込んでいる。アルバイトコンビニエンスストアだ。これが私の住んでいる田舎にしては、意外と高時給なのだ低賃金労働、というわけでもない。シフトも融通がきく。非常に働きやす環境だ。

 ほぼ単位は取り終わっているので、(残るは体育のみ。)家で予備校通信学習も取らず、もくもくと勉強する一年がもうすぐはじまる。というか、今からでもやれよ、と言われてしまえばそこまでだが。

 自分のペースで、とか、頑張ったね、とか。沢山ではないが、心温まるコメントがあった。勿論、癪だという人がここには、いや、世間には沢山いることを知っている。それでも、数件の応援だけで、意外と人間って生きながらえることができる。

 まずは退却。疲れた撤退してしまおう。そしてまた進もう。自分のペースで、ゆっくりやろう。

 明日よろしく

2024-02-23

回転寿司にいくと他人の家庭の教育水準が分かる

幸せそうに食べている家庭も多いが、よく子供を怒鳴りつけている家庭も多い。

非常に玉石混交で、参考になる。

しか子供を怒鳴りつけるというのは、親が原因なのだが、毎日のことだからそれも忘れてしまうのだろうな。

2024-01-30

アイシールド21」読切に倒れ伏している

昨日のジャンプ買った?

20年ぶりの「アイシールド21」読切、どうだった?


・読めて感激、気分はお祭り文句なしに大喜びできている人

・ 「アイシールド21」という作品にはひとつ欠点もないと感じる信心深い人

ヒル魔好きな人

以下の文章を読むことはおすすめしない。

読切うれしい。21周年おめでとう。ありがとう

増田もそう思ってるよ。嘘じゃない。


思ってはいるけど、漫画ファンとしては、

ぶっちゃけ全然手放しで喜べない、

看過できない仕上がりだったとも思っている。

なのでここにその旨のお気持ちを記録しておく。


・今回の読切に少しでも思うところがあった人

・「アイシールド21」という作品全体を通じて積年の思いがある人


向けの内容である


・筆者について

・はじめに

・読切のストーリーについて

作画について

・かつてのアイシールド21の何が素晴らしかったのか

・まとめ


の順で触れていく。

あと言っておくが「アイシールド21」の21周年は心から祝っている。

おめでとう。読切企画を実現してくれた関係者各位、先生方、心からありがとう


しかどうしてこうなった



筆者について(読み飛ばし可)

アラサー漫画オタク

・往年のアイシールドファン。連載開始から最終話までリアルタイムジャンプで読んでた

単行本画集も持ってる。アニメも見た。

・連載後半は2ちゃんアイシスレ見たりもしてた(本スレアンチスレを兼ねる様相で当時はおどろいた)

はじめに

かきおろし読切の制作が決定したという作者の告知があってからこの日をずっと楽しみにしていた。

完結して十何年もたった作品の続きが読める、

こんな奇跡はまたとない。

お祭り読切です」という言葉にいやおうなく期待は高まった。

発売日、即ジャンプ買って読んだ。



………………。



昨日からSNSは「アイシールド21が読めて嬉しい!」といった歓喜の声にあふれている。作品名でトレンド入りもしている。

総じてネガティブ意見は言いづらい空気が漂っている。


昨今、批評批判混同され歓迎されない風潮だが、

いちファン作品真剣に相対したいち記録となることを信じてせっせとこれをネットの海に流している。


読切のストーリーについて


まずあの話、どうでした?

過去キャラ総出演!」

セナVSヒル魔まさかの激突で激アツ展開!」

…とは思えなかった。

というか読切では当然のように「ヒル魔セナ、双璧のW主人公」みたいな雰囲気が醸されているのだが、

そもそも大前提として、本作品はW主人公作品ではないだろう。

という確認がなされないまま作られている印象だった。


ヒル魔というキャラクターが大いなる魅力や影響力をもっている、そのこと自体異論はない。

人気投票では主人公を凌ぐレベルの票をあつめ、

ストーリー於いて重要役割を担い、

彼の求心力とある種のカリスマ性が、読者並びに各種ファンダムを今なお牽引していることにも異論はない。

原作者が格別の思い入れを注いでいることにも、この際異論はないものとする)

それでも、少年漫画としての「アイシールド21」に考えをはせるなら、第1話の構造からいっても、

この物語主人公セナひとりであり、

この物語は「アメフトを通して描かれる小早川瀬那の成長譚」でなくてはならないはずだ。

……にもかかわらず、本作はそこをぶらしていった。

連載半ばからヒル魔は悪い意味でどんどん主人公化していった。

そしてそれが改善されていないどころか、全面化していたのが今回の読切だった。


思えば、最終話の落としどころはまだマシだった。

セナの結末とは別のレイヤーで、ヒル魔の着地点を描いていたからだ。

デビルバッツ創立時のコアメンバー3人、

ヒル魔・栗田・武蔵がそれぞれ、

京大・炎馬大・バベルスという別の進路をとり、三国志の道を選ぶ。

ここの3人が対等なライバルとなる結末は、

物語構造からしても納得感があるものだった。

にもかかわらず読切で披露されたのは

セナvsヒル魔NFLにいくのはどっちだ!?」対決………って、



三国志とはなんだったんだ?????

武蔵と栗田の立場がなさすぎて、あんまりじゃないのか????????



(※さらに言うなら武蔵に至っては読切に影も形も出演がないの、本当にあんまりだったと思う。回想の円陣にもいないとはいったい…。

※この点について「読切から興味をもった読者に武蔵存在を伏せたかった・ネタバレを防止したかたからでは」という擁護意見も目にしたが、

そうであるなら円陣では後ろ姿で顔が見えないように描いたりすればいいだけだし、現在軸の観客ポジションはいてもいいはずである

それすらない以上、描き忘れ疑惑が晴れるものではないと思う)


読切の大筋を

「先輩とライバルになり、それを超えていく主人公セナ

という骨子にするのならせめて

セナ率いるドリームチーム vs デビルバッツ創立時メンバー3人が再結成するドリームチーム

…みたいな構図にはできなかったものだろうか。

さらに「AIをしのぐのは人間勇気」みたいなテーマを(是非はともかく)導入したいのだったら、

半端にセナ主人公とせず、いっそいさぎよく「読切なので主人公ヒル魔です。セナは脇役として登場してもらいます」などとして構成してしまうほうが、

まだ「作者のエゴ」と「読者」と「読切作品としての完成度」、すべてに対して誠実な仕上がりをみたのではないだろうか。


このあたりの整合性のとれていなさ、ちぐはぐさが、読み味の違和感、納得感の薄さにつながっているように思う。


(※余談だが、アイシールドスポーツマンガとして傑出している点であり特色のひとつに、

天才と凡人」というテーマ残酷なまでに描いているところが挙げられると思う。

それを思うと、読切からその要素が完全に排除されていたのも惜しむべき点だった。

その意味においても、読切では

身体能力においてはある種の天才であるセナと、今度はそれに挑む身体的凡人ヒル魔

といったふうにセナとは別の視点ヒル魔視点から描いてしまうほうがいっそ面白かったんじゃないだろうか。

原作者ヒル魔描きたい欲も、キャラファン読者の需要も両方満たされただろうし

本作の新たな面を見せることができたんじゃないか、等々。

後述するが、原作者編集者はそういった検討すらしなかったのだろうか)


あとこれも看過できないので言及するが、

セナvsヒル魔試合」という今回の読切が、アニメ最終話の追認に近いものになってしまっていることにも絶望しかない。

アニメアイシールドはあらゆる意味筆舌尽くしがたい出来栄えなのだが、満を持した読切がそれと今さらカブるって、そんなことがあっていいのか。


作画について

村田先生、みんなご存じ、少年漫画界屈指の超絶技巧ハイレベル画力の持ち主。

アイシールド完結から十数年、満を持しての読切、

すなわち『ワンパンマン』のようなアップデートされた村田先生作画で、

令和のアイシールドが読めるのか!?!?


…というファンの期待は儚くも裏切られた。


今回の読切の作画

最終巻付近の、あのへんの絵柄………である


……そうか……。


初期からずっと絵がうまくて、

どんどん画力が凄みを増していって、

20巻あたりになってくると最強に脂がのってきて、

綿密な書き込みコミックスの隅々の描きおろし

強いこだわりや作品愛を感じられて、

だけどそんな村田先生が心身の調子を崩し、

あのすばらしい絵が、だいぶ淡泊ラフな方向へ変わってしまった、

そんな、あの頃の絵柄…


遠くにいるキャラには顔描き込みさえなく、

防具や背景の作画もそこはかとない省エネで、

特徴的な造形のキャラ達もどことなく平均化されている、

そんな、あの頃の絵柄…


フィールドにいるはずのキャラがなぜか観客席にもいるとかい

キン肉マンもかくやの謎作画ミス連発のうえ

それを誰も指摘しないままジャンプでお届けされていた、

そんな、あの頃の絵柄………



…………そうか………。




掲載日もガチガチに21周年に合わせているわけではなさそうだし、

読切制作告知はずいぶん前に行われていたし、

作画時間、じゅうぶんとれていたはずでは…ないのだろうか。

武蔵はおらず、十文字の顔の傷は違う所にあり、

背番号服装の誤りも細かく発生しており、

そんなこまごまとしたミスをチェックして修正する手間すら…惜しかったのだろうか。


もしや、アイシールド、描きたく……なかったのだろうか。


憶測にすぎないけれど、したくもない想像が膨らんでしま作画がただただ悲しい。




かつてのアイシールド21の何が素晴らしかったのか



なぜこんなにも失望感が大きいのか。

失望感を覚えるということは、

そもそもアイシールド21」という漫画に何らかの幻想を抱かせるような霧でもかかっていたんじゃないだろうか。


その正体は何か。



理由をたどると「原作作画の分業制でつくられた作品であること」が挙げられると思う。


そもそも原作者稲垣先生のほうはそこまでキャラの扱いに手厚いタイプではないと見受けられる。

キャラクターにとんでもない退場のさせ方をしたり、

かと思えば突飛なタイミングで再登場させたり、

桜庭アイドルヘアや阿含ドレッドをある日突然無慈悲に剃り上げてファン阿鼻叫喚の渦に叩き込んだり等々

何にせよ相当ストーリー優位の作り方をしている作家と思う。

それはそれで一つのスタイルなので良い悪いの問題ではない。

事実アイシドクターストーントリリオンゲームと3本つづけて大ヒットを飛ばしている優れたストーリーテラーであるわけだし、どれもとんでもなく面白いし)



だが、作画を担う若き村田先生は、真逆タイプだった。


要人から端役に至るまで、

あらゆるキャラクターにかっこよさや愛嬌人間味、

バックボーン想像させる表情や振る舞いなどの魅力を付与して、

見るものに何らかの愛着を抱かせるような造形に仕上げ、

コマコマ情熱をこめて作画していた。


信じられない密度で、オマケページを埋め、

色んなキャラの色んな一面を描きまくってくれた。


別冊として出たデータブックでは各校の全チームメイトの顔カット100人単位で書き起こし、

人物紹介には毎巻のように「ウォーリーを探せ」のようなぎしり楽しい一枚絵を用意し、


神龍寺戦完結巻にいたっては、カバー絵などの余白をフルに使って、

様々な光景を高解像度で補ってくれさえした。


かような作画者による手厚いキャラメイクによって、

アイシはただストーリー面白い・アメフト題材に新規性があるというだけではなく、

キャラクターを「推したくなる」作品に化けた。

そういう層のファンを獲得したという意味でも、商業的な成功をみた。



これは原作作画別れているからこその、やや特殊な事例であると思う。

原作者のつくったストーリーキャラに、

作画者の解釈が加わったことで魅力が倍増している。

まり村田先生がこの作品魔法をかけてくれていたのだ。

アイシ推しキャラがいるとしたら、

それは村田先生魔法をかけてシナジーを起こしたキャラなのだ



そして時を経て、魔法は解けていった。

何かのきっかけで、のっぴきならない理由で、本作を作画することへの情熱が失われてしまったのかもしれない。

読者にそれを知るすべはない。

ともあれ、作画による丁寧なフォローや補足はされなくなり、ありし日の熱量は失われ、

原作ある意味むき出しとなった結果が、連載終盤のアイシールドともいえる。


読切でも、魔法は解けたままだった。

そのことが残念でならない。



まとめ


長々と書いてきたが、ぶっちゃけ少し真面目に作品に相対していればこのくらいのことはいくらでも思い浮かぶはずと思う。

プロ作家編集者ならなおさらのはずだ。


なのにお出しされてきたのは、

素人でもこれだけの問題点をあげつらうことができてしまう、

そういう出来栄えの読切だった。


逆に、なぜそんな出来栄えで世に出てしまったのか。

これに関して「編集者何やってんだよ」という視座を欠くわけにはいかない。



読切をつくるとなって、まともな打ち合わせの一つもしなかったのか?

傾向と対策は、作品分析はしなかったのか?

この作品ファン層は? 

客観的に見て作品の愛されている点は? 

批判されている点は?

少しリサーチすれば情報感想玉石混交いくらでも掘り出せるはずだ。

作者の描きたいもの、興味関心のあるテーマは?

それを作品化するとして、最良の形とは?

プロットは、構成は? 今何をどのように描くべきなのか?

精査していればもう少しブレや迷走は防げたはずだ。

編集者作画クオリティ面にまでは口出しできないかもしれない。

にしても、あきらかな作画ミス校閲し指摘することはできるはずだ。

設定確認や、過去単行本と見比べるくらいしなかったのか?


「どうせ手を抜いたって、愛がなくたって、ファンなら喜んでジャンプを買い、涙を流してありがたがるだろう」


と、作品知名度にあぐらをかい編集部によって読者全員がナメられていること、

それが記念読切から透けてみえてくることが、作品を愛読してきた者として慚愧にたえない。


期待は捨てているけれど、改めて言いたい。

ジャンプ編集部ちょっとはマトモに機能してくれ頼むから


そして少しでも反省したなら俺らに誠意を見せてくれ。

すなわち、ファンアンチもぐうの音も出ずに拍手喝采してしまうような、素晴らしいクオリティに練り上げた「アイシールド21短期中連載とか企画してください。金とアンケートならいくらでも出します。わあわあ言うとりますが未だにアイシールド大好きなんです。よろしくお願いします。ほんとマジで

2024-01-28

anond:20240128031950

ちょっとネガティブすぎるなーと思うけど、実態としてはそんな感じなのかな。

リベラルの人たちは能登についてしばらくちょっと黙っててほしい

という話だけど、

「馳さんは外のもんにいじめられて可哀想や」

能登の暗いところばっかりニュースにしていやらしい」

これを能登人間が言っている事実についてちょっとは考えてくれ

ない想像力を働かせて考えてみる。

谷本県政時代から引き続く工業団地などの企業誘致北陸新幹線。そして延伸へ向けた馳知事の尽力、などなど。

こうした地域経済振興観光アピール公共事業、過疎対策をいろいろやってくれたからなのかな。県政評価は高いと思う。

県民しては、とりわけ28年も知事を務めた谷本には強くお世話になった感が強いのだろう。

でも谷本さん自身は当初、革新政党系の支持を受けて初当選したというのをさっき調べて知った。当時、森喜朗推していた農林族の対抗馬を破った経緯もある。

2003年能登空港の開港小松空港国際線就航などは、森喜朗が尽力したといわれているけれど、谷本とは不仲だったという。

2022年谷本知事引退の際に、再び新たに農林族の山田出馬することになり、保守分裂という事態に陥ったが、森喜朗自分が育ててきた馳を推すことに決めた、という内容の記事もさかのぼってみた。そして行政側は第一次産業への理解が厚い山田を推す動きがあった一方、谷本事実上、馳に自分の後継として信を託したという記事もみた。

そう考えると、保守王国石川県というけれども、一枚岩じゃなかったけれども鋭く対立もしていなかったというのも今後の復興を考えるうえでは、いろいろと興味深いと思った。

そんなところへ、ワイドショーやらSNSで、インテリ風吹かせた連中が、能登限界集落は遅かれ早かれ滅びる運命だったのが早まっただけで

この際、復興過程では、そういうところを切り捨てて優先順位をつけるべきだ、とかいう雑な議論が耳に入ってくると、それは地域人間としてはイラっとくるのかもしれない。

想像だけど。



余談ーー

また初動に関して、「馳知事はよくやっている」論も、わからなくもない。

馳氏は谷本県政時代に後回しにされていた地震被害想定など、災害リスク軽減のための取り組みを見直そうと着手していたことは事実で、

今回の震災に間に合わなかったいうのは事実だとしても、馳知事だけの責にするわけにはいかないだろうと思う。

あと、今回初動の遅れの原因のひとつとして、石川県北陸地整が本来事前に取り組むべき道路啓開計画が未整備だったという指摘もある。

総務省は去年の段階でいくつかの地整や県に対して是正勧告を出していたから、いくら県政2年目の新人知事といっても知ってはいたと思う。

これって建設業者など指名業者と事前協定をし、迅速に予算執行するうえで超重要なんだけど、結果としては後回しになってしまった。

ただ、去年から道路啓開計画に着手していたとしても間に合わなかった可能性が高い。

そういう意味では、馳知事はよくやっている、あんまり叩くな、という県民気持ちはわかる。

一方で、発災直後の対応外野があれこれ批判しているうちに、交通インフラ問題は解消しつつあり、あれよあれよという間に復興モードスイッチが入っていく。

復興初期段階のスピード感というのはものすごく早いので、初動の問題はいろいろあったにせよ、そんなことの検証にあまり時間を割いている余裕はなく

これからがれきの処理やら広域の自治体間協力も必要になってくるなど、馳知事には復興の手腕が問われることになる。

という感じであるので、震災後一ヵ月になろうとしているこのタイミングでは、

県民もっとポジティブに前向きに物事をとらえたほうがいいんじゃないかと思う。

多分、震災3か月後には初動の失態なんて議論過去のものになって、もうしていないと思う。

disられていじけて、保守ますます保守に、というルサンチマン丸出しのネガティブスパイラルもわからなくもないけど、

からと言って、何も知らない外野がわーわー騒ぐのは止めようもない。ましてやネット空間なんて。

しかし、外野意見なかには、今後国や行政がどう動こうとしているのかのヒントもあるのも確かなはず。

そこは地元人間だけではルサンチマンを越えられないかもしれないけれど、災害復旧のプロセスで入ってくるさまざまな他者民間支援企業だったり、NPOだったり、コンサルだったり)との対話の機会が今後増えてくると思う。

よそからきた民間経験などを踏まえて、外部の冷静な視点意見を再整理してゆく、ということもまた大切と思う。

そして、実際、国や行政復興モデルに着手し始めると、とりわ予算をつけることが前提となると、行政としては長々と議論してもらいたくないので、予算執行を急ぐのが世の中の常。

復興公営住宅にしても行政が「これならすぐに着工できますが」と提示されたものから復興が進んでいくなかで、ただでさえ経済的に苦境に陥っている被災者に、地域を出てゆくか、受け入れるかの二者択一で選べという形で行政主導が突き付けられる、というのが東日本の教訓としてある。

しかスピード感のある復興とか国や県はかっこいいことを言い出すに決まっているので、恐らく震災半年後くらいには被災者決断を迫られる。え?そんなこの状況でまだ決断できない、という被災者も多かろうに、行政は「受け入れるひと、この指とまれ方式なので、行政提案を受け入れた人だけが救済を得られ、地域を出て行った人はどうなったか統計すらないというのが実態となる。

それこそ、発災直後はヒーローみえていた馳知事が、復興期には被災者に苦渋の選択を急がせる役人顔をするかもしれない。

心理的メカニズムとして馳はヒーローだというマインドがどんどん強固なものになって、ますます保守保守していくなかで、次に復興の話がやってくる。

ルサンチマン的な心理的メカニズムから解脱して悟りを開いている人が何人か周りにいればいいんだと思う。

そういうことの萌芽を、今の時点で何も知らない外野がわーわー騒ぐ言葉の端々にちょろっと見出せることがあるかもしれない。

先日、被災地域ではようやくボランティア活動が本格的に開始されることになった、というニュースをみた。

外部の人間がこれからわんさか入ってくる。これまで入っていただいていた100くらいのNPO団体も含めて。

そのなかには、東日本含め、過去復興経験を持つ人も多くいるはずで、そういう方々と交流をする機会が増えるんじゃないかなと思う。

外部の人間玉石混交で、なかには、インテリ風な意見を持つ人もいるかもしれない。

間垣の里なんてどうでもいいんだよ、堤防なんだよ生命安全第一なんだよ、とかね、中にはいるかもしれない、例えばだけど。

そういうときに、その意見ちょっと違うよね、と言ってくれる人もまた外部の人だったりするので、不協和音のなかだからこそ貴重な意見も拾える。

そのときに、いちいちルサンチマンに陥っていると、聞く耳をもたなくなって、聞けるはずの意見にも耳を閉ざしてしまうことにもなりかねない。

はいっても、これといってどうしようもないことかもしれないけれど。

被災地の人にはこのままルサンチマンを深めながら一方で公助への依存を強め行政から提案を待っていると、

最終的にあんまりいい結果にならない気がするので

玉石混交の外部の人が入ってくる機会をチャンスととらえて、復興の話を進めていったらいいんじゃないかなと思う。

2024-01-20

初回

もうブログなんてやらないだろうと思っていた。

約18年前、mixiなるブログ流行った頃。やってみたはいものの、まるで続かなかったからだ。

最初は楽しかった。いわゆる「映え」を、誰に言われるでもなく既に取り入れて、活用していたと思う。

でも次第に、そういう「仮想現実」や「虚構世界」に違和感を覚える。

自覚したのは、始めて一週間くらいだっただろうか。私は、全消しした。

今思えば若気の至り

でもやっぱり、嘘は嫌いなのだろう。

アメブロGREEFacebookTwitterLINEnote、いろいろあるけれど。

18年経った今も様々な媒体ブログ存在していることに正直驚いている。

私が何周もして周回遅れで合ったような古くささを覚えながら、その中に私が知りたかった情報があることにも気付く。これを玉石混交というのか、古今東西というのか、はて、これ如何に。

奇しくも、ちょうど水瓶座月間。

年末年始にかけてのあの重苦しい居心地の悪さ、昨晩から今朝にかけての激しい変化、他の方はどうお感じになられたのか、また平気だったのだろうか。私などはイライライライラ自分でも驚くほどにとにかくイライラが大爆発でございました。

何これ?

というのが今の気持ち

最近になりどうやら私は、自らが水瓶座まれであることに誇りを持っているらしいことに気付く。占いは興味はあるが特に詳しくないし、スピリチュアルには見向きもしない。今の関心事といえば哲学、禅、心理学美術音楽

難しいお話は然るべき機関でやればいい。J-STAGECiNiiのような情報論文検索サイトなるものがあるはず。

よって、全ては私調べの情報を元にして興味のあるものを取っ掛かりに心ゆくままゆらゆらとしてみたい。真偽も大切だが、自身が良いと思うものを追求していきたい。さすれば、自ずと真実のみが残ると信じている。

2024-01-14

anond:20240114230504

大学教授は教える専門家じゃないし、大学教育には学習要領や指導要領みたいな学習範囲の目安やマニュアルもないしで、玉石混交よな

専門課程はともかく基礎課程くらいは標準化して欲しい気持ちある

2024-01-08

anond:20240108183326

ニコニコ系はまだマシに感じたわ。

荒れる所は荒れてるけど上記3つと

比べてまだ玉石混交としてる。

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