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2018-01-06

まれて初めて占い屋に行った話

占い屋に通う人達って、洗脳されているみたいで怖いとずっと思っていた。そんな自分が気まぐれに占い師にみてもらったのは、昨年の秋。その日はやたらと陽射しが眩しかった。

通りですれ違うカップルや呼び込みの笑い声が鬱陶しくて、溢れ出す疎外感を振り払うように「占い」と書かれた看板に足を向けた。雑居ビルに入ると外の喧騒が嘘のようで、冷んやりとした空気に一瞬ひるんだ。奥のほうにはもうひとつ占い」の案内が出ており、ドアを開けると、ビル管理人の休憩所のような一室に、落ち着いた色の服を着た老婦人が座っていた。

「あらいらっしゃい、どうぞお座りになって。」

軽く会釈して席につく。

一呼吸置いたあと、老婦人がじっと私を見て言う。

「嘘はだめよ、あなたが損する。どうせ面談は今回一回切りかもしれない。とは言えそれなりの金はかかるのだから正直になさい。いいわね?」

これは手練れだ。彼女が長包丁を構える板前に見える。我が身の虚飾がバサバサと切り落とされていく予感がする。

「今から最低限のことを聞いていくから正直に言って。ただ、言いたく無いことは言わなくていい。出来るだけ言ってくれたほうがあなたにとって良い、それだけ。いい?」

相手のペースに任せ、コクリとうなずく。自分の表情がぎごちなく弛緩していくのが分かる。

婦人質問は、本当に最低限のことだった。氏名、生年月日と、相談したい悩みの大まかなジャンルジャンル仕事恋愛結婚などいくつか示されたが、悩みが具体的に思い浮かばず、選ぶことができなかった。中年なのに独身で周りからは浮いている。しかし、有難くも趣味定職があり、取り急ぎは食べられている。実際ここに飛び込んだ理由は、表通りが眩しかたから。それ以外無かった。答えに窮していると、それなら「お悩み全般」でみるわね?と促された。

占いはいろいろな種類があるらしい。この老婦人は、九星気学というものを専門にしており、先ほどの質問に対する回答を方位盤というシートに当てはめて、今後の運勢とそれに対する心構えをサバサバ説明していく。

しかして内容は、非常に雑駁な言い方をすると、今後暫くは辛い時期が続くが辛抱しろ、周りの人間関係を大切に努力を続けろ、そうすれば大波を越えた後、勢いに乗れる、というものだった。

それ以外の細かい生活態度についてもいくつかアドバイスをもらい、五千円強を支払った。

文字にしてまとめると、本当に味気ないものに見える。しかし、人生というものが持ちえる波に対してどう備えるか、という視点は、今現在の状況や周りの体裁にばかりとらわれていた私には新鮮だった。

思春期の頃、カウンセリングに通ったことがある。そのとき私が受けたカウンセリングでは、カウンセラーに話すことで「自分なかに既にあって自覚されていない答えに気づく」ことにポイントが置かれていたと思う。実際、そこで得た答えは、その後動き出すための支えになった。人生に迷った時に戻る原点、と言えば伝わるだろうか。

それに対して、占いにおいては、答えは自分の外にあった。鑑定師から示されたのは、大げさに言えばこれから人生地図だった。それもサーフィンに例えて説明してくださったことで、どの時点で用心し、どの時点で肩の力を抜くかという、今後の気構えに関するヒントを得ることができたと思う。

占いなんてカウンセリング一種だよ」という一般論があるが、実感としては別物だった。

愚痴ればいろいろアドバイスをくれる友人はいる。上司もいる。しかし、身近な人から耳の痛いことを言われると、ときプライド邪魔をして素直になれないのも事実だった。それが、自分過去を全く知らない、かつ「鑑定師」というポジションの人からの指摘には、不思議と素直になった。

加えて、目の前の出来事に偏りがちな視点を変える機会を持つことで、視野を少し遠くに持つことができた。鑑定料金は決して安くはなかったが、同額の飲み会で同僚に愚痴って憂さを晴らすだけでは得られないものを得られたと思う。

それきり占いには行っていない。しかし、貰った名刺だけはしっかり取ってある。いずれまた機会があればみてもらうかもしれない、というぐらいには占いハードルが下がっているのが現在のところ。

2017-12-24

クリスマスイブぼっち車内飲酒

18きっぷで遠出してその帰り道。

4人掛けのボックスシートを1人で占領できるぐらいしか人が乗っていなく、あと2回乗り換えれば家に着けるような列車

終電2つくらい前で、もし乗り過ごしてもまだ何とかなるレベルの状況。

今日一日、観光地に色々歩き回って、乗り継ぎの連続であった列車に乗り疲れて、それを癒やすかの如くキオスクで買い込んだ酒を車内のその占有状態ボックス席で飲み干す。

つまみにはチーズ

列車は今、初狩に向かっている。

この車両乗車率10%程度。

俺は今幸せな時を噛み締めている。

世間クリスマスイブで浮かれ、俺も先程までその熱に嫌気が差していた。

が、ときにはこんなのもいいじゃないかと思える。

世間から隔絶された感覚

きっと車内の誰もが俺のことを視界に入っていることすら忘れてしまっているだろう。

日々、東京喧騒に飲まれ、人の視線に晒され、鬱々と過ごしていたこれまでとは打って変わって、俺は今何者でもない。

ずっとこの列車が走り続けれはいいのに、永遠に終着駅に辿り着かずに果ての果てへ行ってしまえばいいのに。

そう思いながら、いつもと変わらない"帰路"をこの列車は歩むのだ。

俺の意思とは無関係に。

2017-12-20

気分が憂鬱なのは、きっと都会の喧騒に心が押しつぶされているからだ。そう思った私は田舎へ逃げ出した。

だけど、どこへ行ったて憂鬱な気分というのは消えない。教員向いていないんだな。生徒に愛着を感じない。人と接したくないという日があるが、仕事柄そういうわけにも行かない。

自分の都合で予定を決められない。つらい。

同じ環境でもケロッと元気な奴がいる。きっと幸福人生を送ることができるのだろう。

なんだか、もう何をやっても楽しく時間を過ごすことはできないんだろう。学生時代から3ヶ月に1回くらい、学校へいけなくなるほど辛く感じるときがあった。あるときは、進学、あるとき自分の死について悩んだ挙句、ただただ苦しみを感じるだけだった。しかし、大学には心の底からバカ言って笑える友人がいた。日常苦役から少しだけ開放してくれる図書館があった。学生生活をかけるに値する楽しいサークルがあった。だけれど、いまは賽の河原のような不毛職場で一日の大半を過ごし、日常のあれこれを語り合うことのできる友人もいない。

就職するということが、仕事をするということがこんなにも虚しいのなら人生というのは苦役だ。どうして、若く短い学生時代に私に楽しい時間を過ごさせたのか。ただ過去を振り返り、懐かしむことしかできない。

もう、年を取っても、職場を変わっても何も変わらないのだ。

この日常から抜け出したい。この日常を抜けだしたどこかに面白いと思うものがあるかもしれないという希望が私を苦しめている。

男性オタク」「女性」の区分ではなくて頭が悪い人が差別してるんですよ

都合の悪い真実から目をそらさないでください。

周りのオタクコミケに、ゲームに、作曲にと忙しい人ばかりです。

ツイッターのどうしようもない喧騒をもって対立構造にもっていくのはやめてください。

知能が劣っている人が差別しがちだという研究もありましたよね、ちゃんと向き合ってください。

2017-10-15

心は燃えている

この春にした就職理由あって田舎職場だった。

はじめは良い職場かもと思っていたが、この職場にいたら頭が腐ると思った。

絶対脱出するんだ。転職して、また東京へ戻るんだ。

明日から仕事は、どんなことも転職につながると思って取り組もう。

眼を閉じると、高層ビル夜景が浮かんでくる。

俺には潮風より排気ガスが、鈴虫より喧騒が似合うんだ。

2017-06-22

[] #28-2「超絶平等

≪ 前

俺はその日寝坊してしまい、学校遅刻しそうだった。

少し焦ってはいたが、それでも急げばギリギリ間に合うレベルだし、何より俺には打算があった。

いつもの通学路を途中で切り替え、大通りのある方へと向かう。

喧騒が煩わしくて普段は避けているが、そこの交差点を利用すれば余裕で間に合うのだ。

だが、この判断逆効果だった。

ちょっとそこのあなた。止まりなさい」

呼び止めてきたのは市長だった。

どうやら政策の一環で外回りしていたらしい。

市民に対するアピールも多分にあるのだろう。

市長怪我でもしていたのか、杖をつきながらこちらに向かってくる。

しかし、なぜ呼び止められたのだろうか。

急いでいたとはいえ交通ルールは守っていたはずだが。

二足歩行で歩くなんて、何て差別的な!」

「え!?

まりにも予想外な言葉に俺は面食らう。

差別的』ってどういうことだ。

「杖や車椅子での移動を余儀なくされている、足が不自由な人もいるのですよ。だのに、あなたは公の場で何も考えず悠々と歩いている」

理屈がこれまた分からない。

どうしてそれで俺の行動が差別的ってことになるんだ。

「えーと、あの、市長さん?」

「そして、自分のしていることにまるで無頓着だ。よくない、ああ、これはよくない、よくありませんよ、よくない、よくない、全くもってよくないよ」

まずい、市長こちらの話を聞かない体勢だ。

「誤解してほしくないのですが、私は二足歩行自体否定しているわけではありません。ですが、それができない人間気持ちを少しは考えるべきです。足の不自由配慮して、“歩み寄り”ましょう」

このままでは遅刻する。

俺はテキトーに話を合わせて、この場を切り抜けることにした。

「はあ、一理ありますね。それで、俺はどうすれば?」

「これです、わたしのやっている通り。杖をつくなり、車椅子に乗るなりしなさい」

市長は杖を差し出してきた。

俺は引きつる顔をさとられないように手で覆い隠しつつ、もう片方の手でそれを受け取る。

「どうです。これで多少なりとも“理解”は深まることでしょう」

「そうですね」

「これからもそうやって移動するように」

恐る恐る杖をつきながら、市長から逃げ出すように歩き出す。

周りを見渡すと、他の人たちも似たような様子だった。

俺は市長のやっていることは理解に苦しむのだが、みんな何も言わないで従っている。

奇妙な光景だと感じるが、それは俺が差別主義者だからなのだろうか。

結局、学校遅刻した。

次 ≫

2017-06-08

飲み会が嫌だ

飲み会が嫌だ

何が嫌って、本人たちは垣根のない関係を!とか思ってるんだろうけど実際は何かというと社内の立場持ち出して自分気持ちのいい発言しかさないとこ。

あと本気で嫌がってるのを分かってないとこ。

そもそも飲み会なんて仲のいい奴らで集まって、自然発生的に「じゃあみんなで座れるとこ行こっか」で開くもんであって

はい飲み会開始~~~ハイ俺たち仲良しな!」なんてものはもはや関係強要なんだよ。レイプなんだよ。

酒は誰もが大好きって感覚を共有しているつもりなのも嫌だ。

親が酒のんで暴れてるの見て育ってるんだから嫌だよ酒なんて。気狂い水だろ。

実際俺も遺伝してるから酔うと暴れるし、思ってもいないこと言っちゃうし。大抵は本音だけど。

まさか酔っても本音を出さな忠誠心を試してる、とか冷戦時代スパイ採用テストみたいなこと言うなよな。

大抵飲み放題なのも嫌だ。

時間強制拘束なのが嫌だ。悪臭喧騒の中、2時間人生が消費されるという悪夢。最悪だ。

時間経ってもまずすぐ立たないのが嫌だ。店も店だ。「もうお時間ですが」くらい言いに来てくれ。

いや言いに来てもまだダベったりする。最悪だ。

大体長くて見ても30分くらいでいいだろ。10分でも長いのに。

接待と言うかもはや接客をしても、なんのペイもないのが嫌だ。

仕事上のケアがあるわけでもないし、昇進の口利きがあるわけでもないし、そもそも昇進したところで昇給だってしないし。

2次会があるのが嫌だ。

なんで自然な流れで「次の店どこにする?」なんて話になるんだ。そんなに飲みたいなら一人でやってくれ。

お前の人生中年になってもなお空虚で、今後も何ら実りのない人生が待っていることが分かっているとしても、それに俺を巻き込まないでくれ。

1秒でも帰りたいのに、「いいから来い」じゃないんだよ。

もう大騒ぎしてお巡りさんに助けてもらいたい。泣きたいよ。

ああバカバカしい。古くはシュメール人の頃からこんな文化があるらしいが、本当にバカバカしい。

みんな本当にこんなのが好きなのか?いい加減にこんな文化規制してくれ。

リクナビリクナビだ。「飲み会あります」「人権軽視あります」とかそういう項目が必要だろうが。分かっていたら入ってなかったのに。

ああ嫌だ嫌だ。飲み会が嫌だ。そんなにアルコールが好きならメチルアルコールでも飲んで死んでいてくれ。

2017-05-10

泣き声

 同じ音しか聞こえない

 でもその音だけで良い


 生まれた時から同じ音しか聞こえない

 でもその音だけで良いのだ


 生まれた時から同じ音しか聞こえない

 多分それは同じ音だ


 楡の木の葉擦れの音

 潮騒

 子供達の声

 学校チャイム

 祭囃子

 泣き声

 歌声

 風の音

 蝉の声

 音楽

 電車がレールを渡る音

 踏切りの警告音

 車のタイヤが立てる音

 足音

 鼻歌

 フライパンの上で魚が焼ける音

 換気扇ノイズ

 朝の鳥の声

 将棋の駒をパチンと置く音

 ラジオ

 ゲーセン喧騒

 キーボード打鍵

 ピアノ

 ピアノペダルを踏む音

 ピアノの蓋を開ける音

 ダイヤトーンスピーカーから流れるクラシック

 心臓の音


 それらは全部同じ

 誰かの泣き声

2017-04-09

東京観光感想 byカッペ

普段ネット上でトンキンwwwなどと煽ったりもしたが、ちゃんとしたかたちで東京を見てみた。

俺は今の日本経済についての知識が欠落しているのであくまで一個人主観的感想として見てほしい。

まあ、腐っても鯛というか、一言東京スゴイ東京発展し過ぎwwwと思った。


まず熱気が違う。どこも人に溢れ、各人が明日の夢と成功を求めていきいきと生きているようだ。

海外旅行で熱いアジア新興国へ行った帰り、日本家路につく時に感じる落ち着いた空気、冷えた空気、少し寂しさの残る空気が、東京に限っては皆無のように思われる。


そして、資本密度田舎のそれとは明らかに異なる。ここだけ異常だ。

日本全体の資本の4割くらい東京に集まってんじゃないかと目まいがするほど、東京の街は執拗ギラギラとしていた。

道を3メートル歩く度に、雑貨食べ物個性的な素晴らしいお店が立ち並ぶ。東京は街そのもの遊園地のようだ。

街中にメーカーロゴや店の看板がこれほど絶え間なく多く寄せ集まっているのを見たことが無かった。田舎繁華街が、東京では1ブロックごとに配置されていた。

麻布という言葉は知っているものの、どうしてメディアによく登場するのか分からなかった。実際に夜の麻布に行ってみてそれが分かった。

少し歩くと六本木へとつながる麻布では、日本一般的な戸建て住宅とは異なる重厚外国風の豪邸が立ち並び、日本ビバリーヒルズ?と思った。

歩いていると大使館玄関に次々と遭遇し、ここが首都であることを改めて実感した。

洒落た少戸数型マンション帰宅する人たち、1分に1回の間隔で見かける品川ナンバーの高級外車・・・

日本の上位数パーセント成功者支配階級寝床とするコミュニティ、外の世界喧騒からの影響を受けない住み心地の良い閉じたコミュニティに足を踏み入れていた。


海外エスニック料理が好きなのだが、普段日本ではそれが食べられないと嘆いていたものの、東京では全く心配いらない。

ここは本当に日本か?と思うほど海外経験したスパイシーで胃袋を鷲掴みする良い香りの熱気があちらこちらから流れてきて心が躍った。外国人の数も非常に多い。国際色豊かでカオスな感じ、料理が不味いわけがない。いつか夜の居酒屋巡りをしてみたい。


同じ日本人でも、地方田舎で住むことによって形成される日本に対するアイデンティティ東京形成される日本に対するアイデンティティは異なるということに初めて気が付いた。

田舎の落ち着いた日常の心休まる日本東京の激動の熱い日本、どちらも素晴らしいものだ。交互に味わえたらどれほど幸せだろう。

2017-03-19

妄想事件録 「ネット民の後押しで死者が出た事件

事件から数日前の某月某日、ネット上(某SNSであるトピック話題になっていた。

いわゆる「うちの会社ブラックで辞めたい」系の話題である

投稿者はどこかの会社員で、長時間労働パワハラに悩まされていたことをSNS上で打ち明けた。

すると即座にネット民からの反応が帰ってきて「すぐやめろ!」「今までよく頑張った」系の慰めや応援殺到

投稿者ネット民応援に励まされ「明日退職願だしてくる!ありがとう!」と投稿し、その日はおわった。


数日後の当日、事件は起こった。

会社員オフィスで刺され死亡」というニュースが流れた。

容疑者の男は「『辞める』と言われて、カッとなって刺した」と述べた、と報じられた。

感のいいSNSネット民は、すぐさま彼のSNS遍歴を調べると、事件の起きたオフィスの近くで働いているかも知れないことが分かった。

まさか」「いやもしや」とネット上で騒然となり、「生きてるか?」「頼むからSNS発言してくれ!」という声が溢れた。

しかし、その翌日、SNSアカウント被害者が一致した、という報道がついに出た。

ネット喧騒の極みとなった。

「お前らが後押ししたせいで死んだ」「いやそうなるって誰も分からねえよ」「この人殺し!」「殺した容疑者が悪いだけだろ」「運が悪かった」

退職するよう後押しした人のアカウントが晒される。

「こいつら殺人犯でーす」「お前らが後押ししなければ死ななかった」「お前らもさっさと死ね

インターネットは大荒れとなった。

マスメディアはこぞって「ネット社会の罪」と報じ、「ブラック企業が悪い」としながらも「ネットでの過剰なブラック叩きが招いた事件」とも報じた。

インターネット上でも自称論者が過激発言をして、そのたびにあらゆるソーシャルサイト炎上した。

「むやみに匿名アドバイスするな」「SNS発言で人は簡単に殺せる」「ネット民暴走

また、とあるブラック企業に努めている別の人が「辞めたい」とSNS上で言うと

「殺されるから絶対に辞めるな」「逃げるのもダメ、殺されるぞ」「死にたくなけりゃ過労死しろ

SNS及び腰になって、気休めにもならない冗談しか返ってこなくなった。

結局この風潮は、某大手企業で(またもや)過労死自殺で人が死ぬまで、ようやく「やはりブラック企業が悪い」という論調になり、収束した。


こういうことが起こりかねないと思った妄想事件録。

多分、解決法は、無い。

2017-03-02

岩岩岩岩2017

つやつやとしアスファルトがかぜに流れていた雨なのか橙の電車反響し弱く光を吸っていたブロックの中をブロックした顔つきの犯罪者風の男が現在に落ちていたトランプという語感の白黒に気が滅入りその配置を日常見出しては驚くという作業喧騒と多くの敗北により霞んでいたある日のことがある日のことではなく用意されていたことに乗り上げた男は目だけを笑顔で天に突き立てたおれがやったという悲鳴はもう遅いものだった わんわん 

もちろんごめんなさい

2017-02-22

情報疲れた

清水富美加不倫していたらしい。

個人的にかなり好きな女優さんだった。まれCMなどで天真爛漫な姿を見せる彼女はまぶしかった。不倫していたことは出家以上にショックだった。過去にはベッキー不倫したりミスチル桜井が売れないころに支えてきた彼女を捨てキャンギャルと付き合うなどいろいろあるみたいだ。しかし今回ほどショックな感情を抱いたことはなかった。不倫でなく交際であってもあるいはショックだったかもしれない。嫉妬だな。

アイドル熱愛報道を知ったファンはきっとこんな気持ちだったんだろうな、と理解した。

疲れた芸能人は究極的に他人なのだろう。当たり前だが。。。アイドルにかぎらず芸能人にたいして自らがイメージして信頼している人物像はすべてアイドル偶像)でしかない。他人コントロール不可能である以上は当たり前なのだ芸能人報道にこんなにがっかりして嫉妬したのは初めてかもしれない。絶望とまでいうと言いすぎであるしかしなんだかずいぶんと、疲れたな。マギーハイスタ横山健不倫報道があった時にはそんなにショックを受けなかった。

マギーはどうでもいいがハイスタはかなり好きだ。なのであれは嫉妬というよりも軽い失望を覚えた程度だった。

マギーはどうでもいいと思い清水富美加不倫にはショックを受ける。勝手なのは自分のほうか・・・

マギー清水富美加自分人生とは絶対に接点などできない人であることは変わらない。変わらないのに勝手好き嫌いを設け勝手失望してと、まるで意味のない偶像への恋愛感情。なにかもうそういった情報に触れること自体疲れてきたな。

芸能報道だけでなく殺人事件とかもそうだ。芸能人不倫と同じように個人感情暴走したものについて考えること自体本質的意味はないのだろうし。もっと軽いので言えば個人ブログ炎上とかもそうかもしれない批判するにしろ参考にするにしろ眼にした瞬間に好悪を判断する。見ないか見るか、批判するかしないか判断するだけで思考リソース無駄遣い。

たぶん基本的情報自体が総じて不要ものなんだろうなと最近は思ってきた。情報というより報道というほうが正確かもしれない。

東京マラソンの通行規制情報などは価値ある情報だ。ふるさと納税の返納品も価値ある情報だ。しかしもういわゆる一般的な「メディア」が流す情報は究極的に無価値エンターテインメントしかないのだろうな。

情報化社会と言われて久しい。情報コミットする必要性が過大になり異常なまでに情報が目に入ってくる。その波に疲れた芸能人だって不倫する。そんなこと当たり前で他人絶対的倫理観構成されているなんて思ったこともない。しかしこの如何ともしがたい自らの感情を処理する向けどころがない。彼女浮気したら弁護士ちんこをきれば解決するのかもしれない。しか報道で知るようなぶつけ先がない感情は膿となって自分の中にため込んでしまう。はけぐちとしては増田に書くぐらいである。

ここまで読んで山奥で暮らせばいいとつっこみが入りそうであるが僕は都会の喧騒も好きであるし、人間関係が人に重力を与えると思っているのでリアル関係の中で揺さぶられる感情はいいと思っている。しか情報には疲れた現実的に見ない術がない。会社に行けば同僚が話してくる。実家に帰れば母がテレビをつけ笑っている。インターネット接続すればニュースで溢れている。

情報に関して正確な判断をすることは良いことだ。しかし僕はもうそ判断をする前段階として情報に触れたくすらないのである

2017-01-10

ああ2017

少年の頃見たこの世の喧騒は追い越せないのだ。

2016-11-27

萌豚から見るユーリ on ICE

僕は、アイマスをこよなく愛する萌豚である

765では千早、346では卯月と珠美と藍子が好きだ。

アニマス春香千早関係性がすごく好きである

そんな僕が今期見ていて好きなアニメ響け!ユーフォニアム2ユーリ on ICEである

この2作品はなんか見ててよく似てるなとおもう。

ユーフォだと真剣吹奏楽に取り組む少女たちが描かれ、百合っぽい描写がある。

ユーリだと真剣フィギュアスケートに取り組む少年たちが描かれ、BLっぽい描写がある。

でもなんか同性同士の絆みたいなものがいいなって感じられるのである

ユーフォだと前期の8話が好きだ。

麗奈と久美子が祭り喧騒から離れた山の上で2人だけの話をする場面。

あれは画面が綺麗すぎたのも相まって、釘付けになった。

ユーリの話をしようと思う。

そういえば斬新だなと思った点が、勝生勇利がもう世界レベルトップ選手だということ。

メンタル豆腐で自信が持てずにパッとしなかった彼が、コーチとの出会いでどんどん内面が引きずりだされてるのが面白い

ユーリ7話で良い演技をした主人公・勇利と喜ぶコーチヴィクトルキスしたのかハグかの判断視聴者に委ねるようなシーンがあった。

僕はあのシーンをホモくせえと思うことは意外にもなかった。

それは彼らが努力したことを視聴者として知っていると同時に、あれを喜びを表す手段として見ていたからだと思う。

から、グッときしまった。

ユーリ男子フィギュアでよかったなと思っていた。

だって女子フィギュアだったら多分違うところに目線がいくから

純粋フィギュアものとして楽しめたか微妙なのである

煩悩に基づく意見で非常に申し訳ない限りだが、、

でもそんなことはないのかもしれないと最近思った。

僕はユーフォを見ても、登場人物エロいとかそういう視点で見てないことに気づいた。(水着回以外)

ただ一生懸命に何かを求める、あがき続ける。

それこそが2作品共通した美しさ、なのだと思う。

ちなみにユーリで好きなキャラクター最後に書きたい。

・ピチットくん(タイ)…僕はずっと信じてたけどね!と真っ直ぐいいきって実現するところにしびれた。SNS狂で現代っ子ぽいのに正統派の爽やかさがある。見てて気持ちいいというか、清涼剤。

・グァンホンくん(中国)…ただただかわいかった。ぬいぐるみのシーンにやられた。内面は意外と男らしいのも好印象。そういえば公式サイトに「夢はハリウッドセレブ」と書いてた。人は見た目によらない笑

・南くん…スケート演技がキャラクターを表してて好き。勇利を崇拝するだけじゃなく、真っ直ぐに意見を言ったのがよかった。

書き出したけど、目がくりくりで、真っ直ぐでかわいいキャラクターに弱いみたいだ笑

あと共通してるのは比較的低い身長か?

見ていて応援したくなるキャラクター自分は好きなんだと思う。

から多分、駆け出しアイドルから始まるアイマスにも惹かれたのだと思う。

2016-10-31

人としてよりオタクとして…

・はじめ

 先日追いかけてるアイドルの節目なライブに行ってきたのですが、そこであった事に対してめっちゃモヤモヤしていたので整理のために書きますチラシの裏に書けよという話なのだが何かネットに放流したくなったので。

・何が起きたのか?

 そもそもこの記事を書くきっかけとなった出来事について触れないといけないのですが、その節目のライブとある盛り上げる曲で、オタクがサーフ(人を波みたいに乗る芸)をしながら謎の液体を毒霧現場に撒き散らす、食べ物を投げたり、果ては歌っているメンバーの一人に接触してしまったということがあったのです。この事について、メンバーもインスタやブログで反応をしており、行っていたオタクから否定的意見が出ておりましたし、謎の液体が服にかかってシミになって落ちないというツイートも見かけました。その主犯のオタクは日頃会場ではリフトやサーフをよくする盛り上げ役みたいな立ち位置にいたのですが、今回の件はやはりやり過ぎたという声がチラホラ聴こえてきました。

オタクとして

 それを見て感じたのは、人としてよりもまずオタクとして大事スキルモラルを欠かさないで欲しいということ。ここで言うスキルは「現場空気を読んで場を盛り上げること」に尽きる。決して場を壊しかねない騒ぎ方はしないいうこと。正直盛り上げるのと騒ぐことの線引は不可能アイドル現場なんてオタクコールMIXを前提に曲が組み立てられていることも多いので、地蔵で静かに見ることが正義とは全く思わないし、声出してナンボみたいには考えているのですが、曲や場を読み違えた盛り上げ方は最早ただただ騒いでいるだけに見えます。それってもうオタクとして重大な欠陥を抱えているように思えるし、ましてややり過ぎて、「一線を越えないように限界まで振りきれる=振る舞う」ことが出来ないのは、オタクとしてのモラルが無いと声を大にして言っているようなもの。場も読めない。モラルもない。そんな奴現場必要か?いらないでしょ。

 ぶっちゃけ、その手のオタクは「現場を盛り上げるため」とか「音楽で高まってしまって…」とか「推しに見て欲しくて」みたいな言い訳を並べがちなのだがそんなのはウソです。単純に自分妄想に従って騒いでいたいだけ。で、多分本当におかしくなってしまう人って、そこすらも開き直ってるんだろうなと思う。自分が騒ぎたいから騒いどるんや(ドヤ顔)みたいに。であれば、、、騒ぎたいのだったら、、、あなたカラオケボックス孤独に騒いでいてくれ。。。

 正直、今回のことで今まで無かったレギュレーションが増えると思うし、使った会場のオーナーからも多分苦情がアイドル運営側に行っていると思う。自分がもし会場のオーナーだったら、オタクライブにかこつけて会場を変な液体ぶちまけて汚したり、パンを投げたりしたらイヤでしょ?そんなアイドルにもう一回会場を貸したい思うか?絶対レギュレーション追加するとかの条件出すよ。

 で、今回はアイドルへの「一線を越えた」ことがあったので、運営側も今後の方針を変えてサーフとかリフト禁止するかもしれない。プロデューサーにしたら自分の娘みたいなアイドル達に怪我でもさせられるくらいなら…と思うのが普通だと思うんだけどなぁ…もう終わった事なのでgdgd考えても…だけど。

・直接言わないのは何故か?

 こういう記事を書くと当事者に直接言うべきだという声が聴こえてきそうなんですけど、はっきり言ってそれは怖いのでやりたくないと言うのが正直なところ。今回やらかしオタクは。いつも数人のグループでつるんでいて、全員が同じように現場で騒いでいるように見える。類友ですわ(傍からみるとね)。そんな人達に直接物申す度胸が自分には無いです。普通に音楽で狂ったような事をする人が、見知らぬオタクに注意されてちゃんと聴き入れるとも思えないし、逆にライブ中の喧騒に紛れて暴力行為を働かれると思ってるし(実際にそういった事を匂わすツイートをしている)。こちらは一人で、体も弱くて、格闘技経験も無いひ弱なオタクなので実力行使をされると負けるので、こういった記事を放流して巡り巡って当人の目にするところとなった時に、自省をして欲しいなぁって思ってます。そうなる事は天文学的確率であることは重々承知ですし恐らく0ですが、僕が出来ることはこういう風に小さい声をあげることしか無いなと思って。同じ理由匿名ダイアリーでこの記事を公開しています。根っからの臆病者です。どうもすいません。

 もし本当にアイドルが好きで、盛り上げ方をちょっとだけ間違えてしまったのなら、もう場を壊さないように自省をして欲しいというのが本音でもある。あなたの推しが、売れたくないしあなただけ居てくれればそれで良いって言うアイドルなら今のままで結構ですが現実はそうではないので。皆で楽しく遊ぶ為に最低限のモラルを持って、節度のある盛り上げ方が出来れば絶対楽しくなるはず。別にリフトするなとか、サーフするなとかは全然思わないし。むしろやるべき曲もあるとは思いますし…

2016-10-30

静岡県ハロウィン事情

浜松に住み始めて5年目。


今日用事があり、静岡市まで行ってきました。

帰りの時間に余裕があったので、街中をぶらぶらしていたら

大学生くらいの男子の声がふっと耳に入ってきました。

曰く、

ハロウィンって言っても、そんなに浮かれてる人いないねー」


それからなんとなく気になって気を配っていたのですが、

高校生女の子3人くらいしか仮装の人は見当たりませんでした。

街は結構にぎわっていて人通りもありましたが、他には

カジュアルな格好の若いお父さんお母さんが連れた子どもが、

ちょっとしたアクセサリーをつけているくらい。


まぁ、そんなものかなぁ、ハロウィンっていっても…と

電車に揺られて1時間浜松へ戻ってきたら、いるわいるわ仮装


駅のホームを降りて、改札階に着いた途端、

仮装集団が集合写真を撮っており、(改札に近づけず迷惑

改札を出たと思ったら、駅前広場には傷だらけの人びとが、

あちこちで自撮り棒を捧げ持って、すごい喧騒


ああ、浜松の人、ほんとうにお祭り好きなんだなぁ…と思いました。


静岡市浜松市文化面での違い、とても興味深いものがあります


静岡市日常の中にたくさんのささやかな祝祭空間があって、

(街中の歩行者天国コーヒースタンドファッションビルなど)

浜松市にはそういうこまやかな祝祭はない代わりに、

年に数度、大きな祝祭空間を作り出している。

浜松まつり花火大会ハロウィンなど)


東京田舎の方で生まれ育った人間感想なので、

生粋静岡県からはまた違って見えているかもせれませんが…。

そんなことを考えた日曜日でした。

2016-08-21

映画館に行った話

よく知らないタイトル映画だった。朝のテレビ番組とかで紹介されていたような気もするが、タイトルすら覚えていないあたり関心がなかったのだろう。それでも、叔母の代わりに私は映画館に足を運ばなくてはならなかった。

叔母はその映画自体か、或いは出ている役者だかのファンなのかは知らないが、何度も観に行くリピーターだった。だが急な仕事が入り、前売りチケットもあるだとかで、来場特典だけでも貰ってきてくれと私に頼んできたわけだ。

気乗りはしなかったが、叔母の心象を悪くしてまで断る理由を私は持ち合わせていない。叔母もそのことを分かっているから、私に頼んだのだろうけれども。こういうとき、融通のきく職業はツライと思う。

映画館に行く前日にネット場所は調べておく。その際に映画概要などにも目を通したが、やはり私の趣味ではないと感じた。どういうニーズに向けて作られたかは明白だったし、そこに私はいない。観てみたら、意外と面白いと思える可能性なんてものは期待できない。この時点で、当日のプランはある程度できていた。

当日、その映画を観そうな顧客タイプを推測し、浮かないような服装で向かった。自分ガタイを考えると、お世辞にも似合っているとは言いにくいコーディネートだったが、仕方がない。気分が重たかったが、こんなことのために知り合いを誘うのも迷惑なので一人で行くことにした。

もっぱら家で映画を観るようになったのがいつからかは覚えていないが、なんだか最近映画館は随分とシステマチックになったようだ。不慣れな私がまごつく可能性を考慮して、当日は早めに映画館に着いておいた。とはいっても、予想よりもすんなりチケットを買うことができた。席はあらかじめ指定できるらしく、私は誰も選ばないような後ろの隅っこあたりにした。

入場できるようになるまでの時間フードコートで過ごし、しばらくするとアナウンスが聞こえる。目的の特典を少し懸念していたが、入場の際にしっかり貰えて一安心。なるほど、特典は申し込みチケットで、実物は後日というシステムか。かさばらなくて、ありがたい。このチケットを用いて、期限内に申し込めば貰えるから、それは叔母がやるだろう。

やるべきことを終え、私はトイレの個室で一息つく。休日ということもあり館内は人が多く、その喧騒に軽く酔っていたのだ。そんな場所でも、個室のトイレは一人にしてくれるので助かる。私はそこで数分ほど時間を潰すと、おもむろにバッグから着替えを取り出した。

着替え終わると、ワックスで軽く髪型をいじった後、来る時に着ていた服をバッグに詰めてトイレを後にした。出口の場所によっては必要なかったかもしれないが、ここは入り口と同じ場所にあったので持ってきて正解だった。映画も観ずに出てくるところを見られて、特典を転売する輩と周りに思われたくはないので、別人としてこの映画館から出るのだ。我ながら小癪だし、周りの目を気にしすぎだとも思ったが、まあ自分自身精神衛生上これが最適解だったと思いたい。

丁度、他の映画を観終わったであろう人たちがいたので、紛れるように出入り口に向かう。これだったら、着替えはいらなかったかもしれないな。

はいっても、謎の後ろめたさも覚えた。どんな理由であれ、「映画を観ずに特典だけ貰った」という事実がそうさせるのだろう。だが、仕方がない。私はあの映画に関心がなかったし、その時点で「観る」という選択肢はなかった。仮に観たところで苦痛だっただけだろう。私は悪くない。だが、あの映画が悪いというわけでもない。映画のためにも、私のためにも、これでよかったのだと思い込むのだ。

映画館を出たあとは、せっかく遠出したので近くのショッピングモールで色々巡った。飼う予定はなかったがペットショップで亀を眺めたり、アロマショップ香りを嗅いでいると気分が晴れやかになった。帰る途中で寄ったラーメン店は中々のアタリだった。

後日、叔母に特典の申し込みチケットを渡す時「どうだった?」と尋ねられた。一瞬、何のことかと戸惑ったが、恐らく映画の内容について感想を聞きたかったのだろう。いま思うに、特典も目的だったが、布教目的だったのかもしれないな。

私は「よく分からなかった」と答え、話はそれで終わらせた。

2016-07-18

家にいられない

両親は仲が悪く、母親典型的毒母で、子どもの頃から理不尽に耐えてきた。

高校3年の秋に父が定年退職した後は、家に帰りたくないため、頻繁に図書館本屋時間を潰していた。

大学進学以降、通学・通勤電車が一番集中できる、唯一の自由時間だ。

結婚して初めて、家に帰ることが苦にならなくなったが、それも少しの間だけだった。

自宅に一人でいると落ち着かず、夫が一緒にいても好きなことができず、苛立ちを感じ、

やるべきことに追われ、1日が終わる、

自宅の布団で眠るより、電車内のうたた寝のほうが熟睡できる。

外出した時は、静かな店よりも、フードコート喧騒のほうが心地いい。

どうも、見知らぬ他人に囲まれながら、一人きりでいられる環境が落ち着くらしい。

子どもが生まれ産休・育休中は、日中子どもと一緒に家にいるしかなかった。

毎日散歩にでかけたほうがいいという育児本のアドバイス通り、徒歩や車で外出しては疲れ果てていた。

正直いうと、家にいたくなかったからだ。

夜はできるだけ早く寝て欲しいと思いつつ、子どもが寝付いた時点で、夫がまだ帰宅していない場合、途方に暮れた。

今春から仕事に復帰し、収入以上に、精神的に助かったと思った。

保育園に迎えに行くため、定時より早く帰宅しているが、できれば以前同様、夜まで働きたいと思う。

子ども授乳間隔が空き、育児負担が減った頃から

家にいる間は、常に食事作りや整理整頓掃除などの家事をやり続けてしまうようになってしまった。

自宅にいると、家事をし続けるこの症状に名前をつけたい。

家にいたくない。家にいると疲れる。

しかし、家にいないと、できないことは多く、やらないまま積み残っていく。

必要最低限のものを持って、ずっと電車内で座っていられたら、もっと時間有意義に使えるはず。

望んで授かった子どもは、ただでさえ自由のない人生の重荷になった。

育児ではなく、家事負担で潰れそう。

最近は、電車に乗れない休日が怖い。通勤中だけが熟睡できる。

真っ当に生きられるようになりたい。限界だよ。

2016-06-21

[]21:増田公方

 一年以上の準備期間を費やして増田連合軍北方異民族追討の兵をあげた。

遠征軍には中心的な増田四家の当主がすべて参加し、統治の安定ぶりを誇示している。

会談では他家に強敵を任せる流れだった増田家(四)も戦後立場を考えれば一家だけ参戦しない判断はできなかった。

そこまで読んでの決断なら増田家(八)の当主は大した奴だと、ちんぽこ将軍は半ば安心していた。

 遠征軍には他の増田家に連なる人間も、北は増田軍(三)ごと降伏した増田家(一)の亡命武将から

南は降伏以来実家に帰っていない増田家(士)の敗戦処理当主まで参加していた。

増田家(六)は増田家(四)の当主兼任

 彼らの総兵力は二十万に達する。まさに増田島の総力を結集した史上初の増田連合軍と言えた。

 二十万人の増田増田領(一)と増田領(三)の境界をなす増峠、その南に広がる大きな盆地邀撃の陣を構えた。

 増峠を越えてやってきた北方異民族軍勢が、平原の北を赤黒く染める。

傭兵を導火線に、全球的な寒冷化に押されて、南下してきたなどの同情できる動機は彼らになく、欲得ずくである

北方異民族支配階級は南からイノシシの子供を輸入し、

肥育したものを潰して塩漬けにし、金の容器に封入保存する風習で知られていた。

 これは缶詰の起源ともされるもので、彼らの文化はともかく、技術は決して侮ることはできない。

また増田島にはない特有兵科を持っていた。

 ?騎兵である

増田島の住民が知らない角のやたらと大きく広い動物?を騎乗可能品種改良したもの騎兵で、威圧感は馬の比ではない

中にはチャリオット形式の敵もいて、赤い服をまとった御者の姿は、何故か増田たちの本能的な殺意を呼び起こした。

 両翼に展開した?騎兵相手取るのは、カラトラヴァ騎士団増田騎馬軍団だ。

尤も、彼らの数はどんなに集めても合計で五千を超えないので左翼に集められている。

右翼には各家から集中された騎乗士を、前列に配置された武熊が補強する状態だった。

 目算では敵の?騎兵は左右共に一万から一万五千。これに数千の軽装歩兵が加わっている。

味方は右翼騎乗士一万に武熊五十頭、左翼騎士団三百に騎馬軍団四千五百、その他が五千であった。

 バックボーン構成する歩兵の数では増田連合軍が確実に上回っている。

上回るように動員し、補給体制を整えてきたのだから劣勢だったら大問題であった。

前衛言い出しっぺの法則増田家(八)本国衆四万がつとめる。指揮官増田出羽守

「このいくさに勝てば、殿が増田家(四)の姫を紹介してくれる……」

 独り言をつぶやいているのは、おめでたいからではなく、恐怖をまぎらわすためだ。

十万人に迫る目前の異民族

https https」「スマフォ」「ニッキニッキ」「タノシクタノシク」

などと口々に意味不明言葉供述しており、受け身の意識でいると狂気に引き込まれる。


特にwww」や「//」と笑ったり恥ずかしがったりしている輩が憎々しいでござる。

 笑ったり恥ずかしがったりできなくしてやるでござる!」

 増田出羽守の後方で増田家(五)の先鋒をつとめる増田左混は言った。

江川の敗北で一時干されていた彼であるが、大軍をひきいた経験はやはり貴重なため、起用されていた。

彼は転がり込んできたカラトラヴァ騎士団と合同訓練を積むことで戦術視野を広げていた。

 中軸を構成する増田軍(五)全体の兵力比較戦場に近いこともあり五万を数える。

彼らの領土は一度も本格的な戦闘舞台になったことがなかった。実に幸せな家であった。


 増田左混の右手には増田家(四)を中核とする歴戦の精鋭たちがいた。

「昔は傭兵にしていたくらいで話が通じる連中だったので候が、そやつらがさらに遠方の異民族まで呼び集めたようでござる」

 増田家(一)の亡命武将が、当主説明する。峠の向こうが冬の間に地獄になったことを想像しながら、

長い準備期間を耐えてきた彼はこのいくさで退くなら果てる覚悟を決めていた。

 戦意の高すぎることが心配される増田軍(四)は合わせて三万であった。

なお、増田軍(四)には旧増田領(二)などに展開している他の部隊存在する。

「ついに増田島を縦断してしまった……」

 反対側の中央左翼よりには増田家(十)の当主がいた。故郷が遠く、別に海上輸送負担があるため、彼らの軍役は軽い。

武熊がトラウマになっている旧増田家(九)家臣団も寄騎につけられて総勢三万だった。


 最後増田家(八)当主がひかえる後衛には、四万人が集まっている。

輜重兵が一部混じった雑多な集団であり、味方にはあまり期待されていなかった。

「この地は我々のシマだ(お腹グルグルしてきた……)!!」

 実はこの当主戦術レベルで戦いに参加するのは初めてだった。


 最初に動いたのはもう一つの部外者であるカラトラヴァ騎士団だった。

恐怖を知らない騎士たちは三十倍を超える敵にむかってまっすぐ突っ込んでいく。

「キホウキホウ」「ツカエツカエ」

 敵はおめきながら迎撃の体勢を整えた。先頭をはしる騎士団グランドマスダーは異国語で部下に叫ぶ。

「カラコール戦法だ!」

 彼が槍を掲げると騎士たちは一斉に顔を左手のあらぬ方向にねじ曲げた。そちらに指をさす。

「「あっ!!?」」

 言語の壁を通じて通用するしぐさをみて、?騎兵たちは一斉に右手をみた。

「「??」」

 何もないことを不審に思って視線を戻した先には視界一杯の白銀騎士たち。

 ごあ、ぐあっしゃゃあああああん!!

 耳を聾する轟音をかなでて敵味方が激突する。?の大きな角も馬にまで装甲を施したカラトラヴァ騎士団相手には障害にならず、敵の右翼は切り裂かれた。

 彼らがこじ開けた突破口を五千の騎乗士が拡張する。一方、増田騎馬軍団は大きく左に回り込む機動をおこなった。

騎士のいない反対翼の戦いは増田連合軍の有利には展開しなかった。

「com.com.」

 ?チャリオットが耳障りな音を立てて迫り、旋回しながら武熊に矢の雨霰をふらす。

「ぶおっ、まおっ」

 武熊たちは腕で頭をかばい、いやいやをした。さらに射られるとたまらず敗走する武熊が現れる――味方の方向へ。

「こっちくんな!」

「やっぱり武熊は増田の敵」

「敵に回すと恐ろしいが、味方にしても頼りないっ!」

 武熊とハサミは使いようなのだが、右翼騎兵勝手なことをわめいて混乱をきたした。

そこに?騎兵たちが威勢よく突っ込んでくる。

「「うわあああああっ」」

 戦場東側での戦いは幸先の悪いものになった。

「すべての増田が我らの背中をみているぞ!」

 増田出羽守は由緒正しいスカラベの前立てを部下に向かって反射させ、刀で敵を指し示した。

五万の雑魚ナメクジがうねうねと敵に向かって進む。時折、敵味方の矢が飛び交い、飛翔音が恐怖を煽り立てる。

至近距離に近づいたことで増田兵は黒い毛皮をまとった敵の中に、本物の生きた毛皮が混ざっていることに気付いた。

「敵の武熊だ!」

「いや、セルクマだ!」

 そいつの身体は増田島の武熊より一回り大きかった。しかも、暴れた時の危険無視して敵兵が大武熊の近くにまとわりついていた。

増田たちはさっそく脱糞する。それでも槍にすがってへっぴり腰で向かっていく。

「イチランイチラン!」「モウケモウケ!」

 異民族は突然騒ぎだし増田の肝をつぶした。ほとんど気を呑まれ状態中央での戦いがはじまった。

右翼の連中は何をやっておる!」

 増田ちんぽこ将軍右翼崩壊をみて叫んだ。事前に打ち合わせた作戦があっさり台無しになってしまった。

「右を向けぇい!」

 烏合の騎兵集団を破砕した敵の?騎兵が奇声をあげて駆け寄ってくる。三万の歩兵は味方の右側面を守るために戦いはじめた。

「やっぱダメだ~~っ」

 同じ頃、中央でも増田家(八)軍団が後退に追い込まれていた。

あれだけ意気込んで進んだのに、撃退されるとは情けない。

負け上手の増田出羽守は無理して流れに逆らうことはせず、部下と一体になって逃げた。

「姫との結婚は無理でござるな……」

 敵の中央はいきおいに乗って増田連合軍を追ってきた。増田家(五)が汚れた尻拭いに割ってはいる。

「必ず負ける兵は必ず勝つ兵と同じ。やはり、軍師にとっては使いやすいわい」

 増田匿兵衛はうそぶいて銅鑼を鳴らせた。前衛が引き出した敵を左右の歩兵が側撃する――計画だったのだが、右側は?騎兵への対処必要だったため機能したのは左側の増田家(十)軍団だけだった。

「放てぇ~~っ」

 自慢の手銃が火を吹き、防備の薄い斜め右から撃ちまくられた蛮族がバタバタ倒れる。

コミュニケーション不能な連中もさすがに怯んだ。そこに増田家(士)の尖兵が斬り込んでいく。

「……この兵があれば天下も狙えたはずでござるが」

 自分のではない脱糞臭いがして、増田中弐は邪念を追い払った。

 戦場西側では増田軍が圧倒していた。鋼鉄戦士たちが?騎兵中央を食いちぎる一方で、増田騎馬軍団が側面や背後に回り込み、騎射で滅多撃ちにする。

増田島の湿潤な気候が蛮族の合成弓にあわなかった影響もあり、一方的射撃戦になる。

 このまま敵の後方を回り込んで、東の騎兵戦も勝利に導けば完勝。

そんな、計画だったのだが、味方の右翼時間稼ぎに失敗したため計画根本から狂っている。

喧騒の中、増田騎馬軍団指揮官たちは、その事実を忍びに聞かされた。

「父上!」

 ある増田騎馬が北を弓でさした。増田典厩は頭をつるりと撫でる。

「まったく、とんだぢゃぢゃ馬ぢゃわい……」

 増田騎馬軍団はじゃじゃ馬が導く方へ進んだ。

 増田軍(四)は敵左翼騎兵の攻勢をしのぎ続けていた――むしろダメージは?騎兵の方が大きかった――が、

動力にまさる敵の動きを拘束することはできず、敵左翼の一部はついに本陣にまで乱入してきた。

精強な増田軍(四)に近い右寄り本陣をおいた方が安全という読みが裏目に出た。

「うろたえるな。うろたえるではない!」

 と叫ぶ増田家(八)当主が一番うろたえていた。尻は腸そのものを体外に排出してしまった感触だ。

ナマコならそれを囮にして逃げるのだが、最高司令官ともなれば、そういうわけにもいかない。

「ipip!」

 馬廻りが角の派手な?騎兵相手にしている間に、随伴していた軽装歩兵が足下まで迫ってくる。

「ひかえろ、下郎が!!」

 当主悲鳴をあげると、腰の大業物を抜いて、一刀のもとに小鬼を斬り捨てた。

!?

「://」

 敵は一瞬硬直する。増田家(八)の当主はかつて伝説的な剣士師事し、

免許皆伝を受けた腕前であり、その太刀筋は異様に鋭かった。

「ぬりゃ!てりゃっ!」

 漏らしながらも、バターのように雑魚ナメクジを斬りまくる。

「それ以上、いけませぬ」

 太刀が刃こぼれだらけになったところで馬廻りが主を止めた。四万の後衛は?騎兵を軒並み倒しおえていた。

普段輜重を護衛している彼らが、増田家(八)では最精鋭なのであった。

輜重が奪われない信頼があるからこそ、増田軍(八)は安心して戦えた(負けられた)。

そして、彼らが防衛された食糧を期待して本隊への合流を目指すことで全体が敗北から早期に立ち直るのであった。

 だが、やはり実戦経験の乏しさは問題であり、頭領がみずから戦う事態後衛はそうとう混乱していた。

そんな最悪のタイミングで敵中央から東にこぼれた大量の歩兵軍団が襲いかかってきた。

 最初東西に引かれていた戦線はいつのまにか、南北に引かれる状態になっており、本陣最右翼最前線だった。

敵味方が増田左混が戦っているあたりを中心にして、回転扉のように右回転した結果である

「ここは一旦、お引きを」

 増田匿兵衛が進言する。当主は言い返しかけたが考えを改めて軍師にしたがった。

くそっ」

 当主の隣で馬を攻める軍師は尋ねた。

「お腰の物は味噌ですかな?」

「……たわけ。うんこに決まっておろうが」

「某もでござる」

 見ると増田匿兵衛も漏らしていた。

 大将敵前逃亡したことで増田連合軍士気は低下、思い思いの方向に退却をはじめた。

あくまでも退却をこばんだ増田家(一)の旧臣たちは敵に突入して討ち死にを遂げた。

「むごい……」

 と漏らしつつも、増田家(四)の当主も、死兵の抵抗を利用して戦場から離脱した。

前回

http://anond.hatelabo.jp/20160620020153

次回

http://anond.hatelabo.jp/20160622000404

2016-06-04

http://anond.hatelabo.jp/20160603144303

最初は密やかに、だんだんと大胆に、人々の言論は伝わっていく。

それはうねりとなり、やがて喧騒となった。

伝言ゲームは伝送距離が大きくなるに従って正確性を失い、

根も葉もない推測、誹謗中傷が、ノイズとなって混じっていく。

人々は足を踏み鳴らして踊り続ける。

もはや、誰かに踊らされているなどということはどうでもよい。

中央で誰かが衆目に晒されるまで、フラッシュモブは終わらない。

かいポエム

そういや少年、無事で良かった。

2016-05-19

たなびく黒髪は初夏の乾いた風を受けて

僕は学食カツ丼を食べていた。30歳も迫る年頃となっては20前後学生に向けた濃い塩味もそろそろ辛くなってきたが味は9年前に入学したときから変わらなかった。僕は大学院生として大した志もなく、大学に残っている。向かい合ったテーブルの向こう側には、初めてあったときから変わらない片言の日本語で精一杯話を続ける中国人の同僚がいた。

「たしかにそうだね」

とうなずぎ同意を示すために顔を上げた瞬間、僕は無意識に通路を歩く女性の姿を追いかけていた。あらゆる社会的妥協拒否したように黒く真っ直ぐに伸びる長い髪、これからやって来る夏を拒否せんとするばかりに着こまれた地味な服装学食喧騒を拒絶し周囲の一切の若さ無視を決め込んだような無表情。

次の瞬間、私の意識は教壇にたっていた。そのとき、僕はTAというものをやっていた。TAというのは教授小間使で、授業の出席カードを配ったり小テストを採点したりと雑務をやらされる大学院生のことだ。実験をして、コンピュータシミュレーションをして、TAとして雑用をして、無機質な日々が淡々と過ぎていくのを感じていた。教壇の上に立ちながら小テストの様子を見ていると、一人の少女が目に入った。工学部には女子が少ないが、彼女らほど人間社会的動物であるこを誇示する実例はないというほど密なグループ形成している。しかし、胸のところまである黒髪を頭の後ろに結んだその少女女子集団を遠く後ろに見ながら、たった一人最前列に座っていた。来る日も来る日もそうだった。少女形容するには孤独ということばは似合わない。孤高と表現するよりほかない。

彼女はいったいどうやってこの大学生活を生き抜いてきたのだろうか?」

女子社会に背を向け、それでもこの学年まで上がってきたということは誰か助けてくれる男子でもいるんだろうか?」

などと考えを巡らせていたが、無論答えはわかるはずもない。彼女と同じ学科と学年のサークルの後輩に彼女を知っているか興味本位で聞いてみた。

「あの子はですね、いつ見ても一人なんですよ。」

僕は全くの部外者であり、なんの関係もないのだが少し心配になった。学期が終わるともうそ少女を見かけることは無くなり、気にかけることもしなかった。

彼女が右足を、左足を一歩ずつ前に出すたびにあの日と同じ黒髪は左右に揺れ、窓から差し込む初夏の日差しを受け一本一本の艷やかな様子が感じられると思えるほどであった。ただ、彼女黒髪は胸の位置を超えて太ももに掛かるかと思うほどに伸びていた。彼女はまるでこの世界に誰も人間など居ないかのようにしっかりと目を見据えながら歩いて行った。彼女大学院生なのだろうか。ひょっとして、過年度生になってしまったのだろうか。一瞬のうちにあらゆる想定が僕の頭の中を駆け巡ったが、次の瞬間その想像不毛さに嫌気が差した。

「それで、あの実験なんですがね...」

中国人の不自然日本語で一気に現実に引き戻される。そうだ、いま僕は彼と昼飯を食っていたのだと。

時間残酷だ。あらゆるものを変えてしまって、同じであることを許さない。さらりと伸びた彼女の髪はそのことを示す動かぬ証拠となった。もう5年も経ってしまったのに、あの日々はもう帰ってこないという単純なことが胸を襲った。

やはり、時間残酷だ。

2016-03-15

セディールの良い体験談を書いておきたかった

セディールという、精神科系のお薬がある。

一般名はタンスピロクエン酸塩で、1996年に発売された大日本住友製薬抗不安薬である

このセディールはggったらわかるのだけれども、びっくりするほど評判が悪い。

探しに探したけど、ほとんど見つからない。

効果が実感しづらいのが主な原因らしい。

私はセディールに丸2年ちかく、1日3回世話になり続けた。

途中何度か油断して断薬したりもしたが、

その度に「やっぱりセディールがないとだめなんだ」と反省して飲み直した。

どれくらい飲んだんだろう。700日間飲んだとしたら2100錠だから、21箱?

私はセディールが好きだ。人生を救ってくれたと思っている。とても感謝している。

大日本住友製薬ファンレターを書きたいくらいだ。

できれば1日3回の用法煩雑なので徐放とか開発してくれないかと思っているのだが、

まりモテない薬では難しいか。薬価高いしね。

というわけで、ネットセディール万歳記事が見当たらないと悔しいので、

大海に砂粒を投じたい気持ちだけでこの記事を書くことにした。

どうせこの記事も埋もれるんだろうけど、それでも書きたい。自己満足です。

長くなるけど自己満足っていうことで許してほしい。


セディールの話をしているからには、私は抗不安薬を飲まなくちゃいけないような人間だ。

いわゆる鬱病PDではないが、生き辛いアスペさんである

幼い頃はADHDクラスメイトとセットで爪弾きにされて、彼女の失禁の面倒ばかりみていた。

その後不登校になって自殺未遂して、……まあ波乱万丈に鬱々と生きてきた。

学生時代の話でちょっと自慢できることなんて、

受験生ときに、駿台模試数学偏差値103とったことがあるくらい。

他人にはほぼ無関心を貫いていた私も、さすがに驚いた。

「こんなに簡単な問題を解けない人がいるらしい」という方向に。

……ちょっと話がずれたかな。

別に数学自慢をしたい訳ではなく、抗不安薬の薬効を褒めるに当たって

どういったバックグラウンド患者であるかを説明したいのだが、

自分語りというのは難しい。冗長申し訳ない。

数学ができそうなことを書いてみたが、私は基本的テストが苦手だ。

知らない場所へ行くのも大嫌いで、場所が変わったらただ硬直するだけの人になる。

たまたま前述の模試は知っている予備校の知っている部屋で開催されただけで、

別の部屋で開催していたら多分偏差値なんて40とかその程度に落ちていたと思う。

スケジュールノイズが入るのも苦手だった。

たとえば「月末に試験がある」とか、いつもと違う予定になってしまったら

もう月末まで機能不全に陥るのは確定事項のようなものだ。

食事も食べられないし、部屋の片隅でずっと猫のように丸まっている。

障害がわかる前から私が非常に神経質なのは判明していた。

両親はいつも「私に物事意識させない」ように気遣ってくれていた。

幸か不幸か、観察眼もないし日付や時間もよくわからない人間だったので

騙し騙し手を引けば、何にも気付かずいつも通りに過ごしていた。

明日テストだよ」なんていう特別っぽいことを言わず

今日は一緒に出掛けよう」←よくあること

「この席に座って問題を解いてね」←よくあること

で、誤魔化すことが可能だった。

子供だましのようだが、子供だましが看破できないからASDなので仕方がない。

しかし、そんな風に一から十まで他人に面倒を見させる訳にもいかないだろう。

大学受験の段階で、かなりムリがあったと思う。

それでも幸いにして大学に入ることはできた。薬学部だった。

どうして薬学部だったのか自分はさっぱり覚えていないのだが

(そもそも薬学部なんて受験したっけ? 状態だ)

勉強だけできて、勉強以外なにもできない私が、

一般企業で働くのは無理だと気づいて、手に職をつけさせようとしたのだと思う。

という訳で、向不安薬の存在をはじめて意識したのは、大学教科書の上だった。

そのとき、私はまだ精神科心療内科の世話になったことはなかったのだが

セディールが、セロトニン5-HT1A自己受容体に部分アゴニストとして作用するとか、

受容体が脱感作してダウンレギュレーションを起こすことは何となく印象に残った。

他の多くの抗不安薬はGABAa受容体Cl-透過性をどうの、という作用点なので

「あー全然違うのが混ざってる、へー」程度だったと思うが。

実際にそれらに世話になったのは、社会に出る時である

あいろいろあって、職場を追い出され、実家でもちょっとトラブルが起き

元々神経過敏であった私は、あっという間に鬱っぽくなった。

あくまで「鬱っぽく」だ。

適応障害と言われたが、私の問題適応障害云々とは別のところにあった。

そりゃ何もなくても泣き出したりしたりしたけど。

ご存知の方もたくさんいらっしゃると思うが、

まず発達障害ストレス状態が悪い方向に傾くことが多い。

物音も人間の気配も何もかもが耐えられなくて、

外出してみたものの、机の下に隠れて出られなくなるような有様だった。

強迫行動などはあまりなかったはずなのだが、

コントロール方法が急にわからなくなって暴走した。

ちなみに、この時点でカウンセリングテストを受けて、ASD正式に発覚した。

また、これもよく知られていることだが、

ASDADHDに、薬に感受性が高すぎるタイプがいる。

私もその系統で、鬱や適応障害に投与される抗不安薬がほぼ使い物にならなかった。

たとえば、メイラックス(ロフラゼプ酸エチル)という薬がある。

成人なら1回2mgで1日1回服用の、長時間作用型の穏やかな抗不安薬だ。

高齢者などで1mgで投与されることもある。

1mg飲んだところ、2日間に渡って朦朧状態、ほぼ40時間ぶっ通しで爆睡した。

メイラックス比較コントロールできるので今も世話になることがあるが

初日に0.5mg(1mg錠を半分に割る)、以降1日おきに0.25mg(1/4に割る)。

この使い方は、自分体感を頼りに半減期などを考慮して自分計算して決めたものなので、

他の薬の感受性が高い人が同じ容量で効果を得られることなどを保証するものではない。

他の抗不安薬も概ね似たようなもので、

飲んだら千鳥足から爆睡半日以上目が覚めない、そればっかりで、

とてもじゃないけれども、外に出ることを前提に使えたものではなかった。

なお、三環系や四環系、SSRISNRIなどは未経験である

で、それらの事情から、私の状態は非常に悪かった。

かろうじて大学だけは卒業したものの、卒業したところで私は立ち止まった。

そのまま部屋の外に出られなくて引きこもって終わる可能性も覚悟した。

そんな時に処方されたのがセディールだった。

効果は薄いかもしれないけれど、と抑肝散と共に処方されたそれを見て、

「あー、学校で習ったあの変な作用機序の薬かー」と、思った。

そして、こいつに即効性はないはずだ、と引きこもりの頭で考えた。

受容体の脱感作にどれくれい時間がかかるんだろう。

知らない。知らないけど、俗に作用発現に2週間と言われているということは、

とりあえず長く見積もって1ヶ月、高コンプライアンスを維持しよう。

とかなんとか。

目標は抗不安効果ではなく、セロトニン受容体を殴ることだと割り切り、

効果体感がほぼない分、服薬忘れに細心の注意を払ったと思う。

で、2ヶ月くらい飲んだ頃、正直、「あんまり効果ないな」と思った。

依然として不調な時は不調だったし、

爆睡前提でベンゾジアゼピン薬を使うしかないこともあった。

そこで面倒になった私は、薬のなくなるタイミング勝手断薬した。

適当なことをするなよ薬剤師、と思われそうだが、

断薬で変なことは起きないと自分で調べて自己責任で辞めた。

2週間くらい放ったらかして、何だかイライラする頻度が増した。

落ち着かない感じというのだろうか。

その時にはすっかり忘れていた強迫行動がぶり返した気がした。

ベンゾジアゼピン薬の消費が増えかけたので、

まさか……と思いながらセディールを飲み直した。

その時即効性を感じた訳ではないが、数日後にぴたりと強迫行動は止まった。

おかしいと思った私は即座にカレンダーメモした。

日付感覚がないので、カレンダーメモする癖がついていたせいだ。

そして、しばらくして十分に安定した頃合いに、

今度は故意セディールを飲み忘れてみた。

その直後はなんともないのだが、

数日するとまた覚えのある強迫行動がぶり返す。

この現象を、私は副作用や退薬症状ではないと判断した。

タンスピロンという薬の構造をよく観察してそう考えたし、

退薬症状でいきなり強迫行動のような特徴的なものが発現したら、

もっと話題になるのではないかと思ったからだ。

何度か間をあけて飲んでは止め、を繰り返し、

たまに本気で飲み忘れる日も挟んで

カレンダーに出来上がった記録を見て、思った。

セディールめっちゃめちゃ効果あるやん!」

たまたま私は卒業研究で、

薬の効果は、信じるとより大きくなる(プラセボの増幅効果

なんていう内容をやっていたので、熱心に信じることにした。

バイトを始めて、そのバイトは続いた。

同僚ときちんと会話しているし、電話応対や来客応対もできる。

たまにベンゾジアゼピン系の抗不安薬必要になったが、

頻度は減り続け、今では月に1度も必要ない。

そのうち周囲の環境が変化してよくなったこともあってか、

セディールを中断しても強迫行動が出なくなった。

こだわりも飛躍的に軽減した。

もちろん、今日も私は時計が読めないし、日付はよくわからない。

試験とか言われると倒れそうにはなる。

喧騒がある場所では会話できなくて困ることもある。

数字が大好きで、統計データを眺めてひとりでテンションを上げている。

でも、もしかして……?と思うことがある。


何となく、とても漠然としていて申し訳ないのだが、

今日は晴れている」とか、外へ意識が向かう頻度が

数年前より格段に増えた気がする。

時計を見ると17:12と表示されているのだが、

その意味がいまひとつピンと来なかったとしても

「今は『じゅうしちすなわちごじじゅうにふんという時間』なんだなあ〜」と素直に受け入れて、

気にせずスルーすることができるようになった。


思えば、私はずっと怖かったのかもしれない。

歩く時は地面しか見ていなかった。

ものがたくさんあって動いているのが嫌だったからだ。

理解できない時間なる単位に急かされるのが苦手だった。

気づいたら増えていて、気づいたら減っている変なものによって

他人に叱られたり、待たされたりするものからだ。

から見なかったし、感心を払わなかった。

そんなものよりも数字とか、生物学とか、化学構造式とか、

機械っぽいものとかが好きだった。怖くないから

難しいストーリーアニメは嫌いだったから、

何歳になってもずっとポケモンを見ていた。

ポケモンは、30分の中でいつも自己紹介からはじまって、

主人公は死んだり折れたりしないし、敵にも真の悪人もいない。

必ずわかり合って、平和になって終わるから怖くなかった。

私はたいへん臆病だったのだ。

ところが、その恐怖心が、なんだかこの数年でスーッと、静かに

砂の山がいつの間にか溶けてなくなっているような感じで、小さくなっていた。


全てセディールのおかげかもしれないとまでは言わない。

ASDだって大人になるし、変化する環境の中で生きている。

私が単純に成長しただけかもしれない。図太くなったのかもしれない。

それでも、セディールを忘れるとなんとなくそわそわする、

世の中に怖いものが増える、という感覚はやっぱり戻ってくると思う。

最近の私が服薬を忘れる時というのは、何かに熱中している時だ。

だいたい、とっても楽しい気分の時に、薬の存在ごと忘れる。

そして、楽しい気分であるにも関わらず、

慣れ親しんだ恐怖心が平行するように顔を覗かせるのだ。

もし、薬効が100%気のせいであるなら、

楽しい気分の時に忘れた時なんて、完全に意識の外へゆくはずだ。

でもそうじゃない。

ということは薬効は100%気のせいではないのではないか、と思う。


私はASDで、薬物過敏だし、普通抗不安薬で昏倒する体質なので、

ベンゾジアゼピン薬を飲んでも普通に起きていられる人には、セディールは弱すぎるのかもしれない。

でも別に薬物過敏の人は、世界に私ひとりではないと思う。

セディールは、私のような誰かにとって救世主になり得る良い薬だ。


というわけで、この気持ちをどこかに書き残しておきたかった。

読んでくれた人がいる気がしないが、もしここまでスクロールしてくださった方が

いたのだとしたら、ありがとうございます


大日本住友製薬さん大好きだよ。

2016-02-21

大人数飲み会の楽しみ方教えて

先日,学科分散会に行ってきた.先生方と学年全体で大体80人ぐらい?

もともと非リア充から,大人数の飲み会ってほとんど経験なかったんだけど,すごい苦手な空間だった.

今までやってた飲み会ってせいぜい10人ぐらいで,気心知れたメンバーとちょろちょろっと飲み食いして終わりだったし,

それでそこそこ楽しかったんだけどさ.

あれだけ人数いると何すれば良いのかわからない.

会話しようにも,ジョッキ持って行き来している連中がいて,卓のメンバーコロコロ変わってあんまり話したこと無い人もいて,何話せばいいか分からん

お酒飲もうにもテーブル10人以上いて(これがタイトルの“大人数”なんだと思う),新しいの頼むのが面倒くさい.

飯もなんかこう,食べるんだけど,結局飲みがメインだから,何にもならないでしょう?

あと,一番は,うるさい.不愉快.もう,全体の音量が大きくて,喧騒?っていうのかな.とにかくあの空間が嫌い.

でも生きる以上絶対今後もこういう飲み会はあるわけで.

楽しく過ごす攻略法があればぜひとも教えてほしい.なんか「お前のコミュ力が足りないだけ」って言われるだけなんだろうけど.

自称グルメ味覚障害

年間何百食を食べ歩いたラーメン評論家!とか、渋谷を食べ尽くした私がおすすめ!とか、体重100kgの私が!とか、孤独のグルメが!とか、言ってる自称グルメ味覚障害なので信用ならない。もっと言えば食事好きな人って総じて味覚障害だよね。むしろ、食が細い人が勧めるのが本当に美味しい店。

きっかけはダイエットだった。長い間、程よく体鍛えて食事質素節制してると、いわゆる胃が小さくなってダイエット初期の頃の猛烈な食への欲求がなくなるんだよね。必要最低限の量、味で満足するようになる。

あれほど好きだったポテチ全然惹かれない。久々に食べてみると味の濃さ、油っこさにびっくりする。ポテチってこんな味だったんだ!今まで感じたことが無かった味覚がわかって面白い。が、ただただ刺激が強い。一口だけで味覚が馬鹿になる。

背脂チャッチャ、豚骨ラーメン一口スープを飲んだだけで口中が猛烈な喧騒で刺激が後頭部に突き抜ける。血圧上昇。二口以降はもう味覚も何もない。これ以上食べるのはただモノを胃袋に運ぶだけ。罰ゲームしかない。

翻って生野菜。同じ価格キャベツでも生産地によってこんなに味が違うのか!味の薄い食べ物でも違いがわかって面白い!!

まぁ、面白いからといって好んで色々なメニューを食べようとは思わないんだけどね。食欲そんなに無いから

自称グルメみたいに毎日毎日様々な食事をしていたらそりゃちょっとやそっとの刺激じゃ満足行かなくなるよね。で究極を求めるんだろうけど、果たしてそれが美味しいものか?刺激に刺激を重ねたその味覚は本当の味覚なの?と。

何が言いたかたかというと美味しいものを外へ求めて刺激を重ねるだけがグルメじゃなくて、たまには舌を休めて落ち着いてみれば、本当に美味しいもの自分の近くに溢れてるんだって気付けるかもしれないってこと。

味音痴だった私が蕎麦の味の違いがはっきりとわかって凄く面白かったので書いてみました。だからって蕎麦が、食事が好きなわけじゃないんだけどね。面白い

2016-01-17

一体、どこまでが「僕らの世界」なのか

どこかで戦争が起きたとき。どこかで大災害が起きたとき。どこかで事件が起きたとき。誰かが事故に遭ったとき

僕たちは思う、「ああ、かわいそうに」「そうだ、寄附をしよう」

ある出来事によって、突然揺さぶられた心の扱い方に困ってしまう。

しかし、一か月後、いや一週間後、もしかしたら三日後までに僕たちの頭の中は日常喧騒でいっぱいいっぱいになり、遠い遠い場所での出来事など頭の片隅に追いやられてしまう。

これでは、他人の悲しみを消費しているだけではないだろうか。

それは決して「悲しい」というわけではない。悲しい映画を見て涙を流すようなそんなものではないだろうか。

結局、人は危機感を感じない限り行動を起こすことはできない。自分の「世界」が脅かされない限り、「世界」を変えようとは思わないはずだ。

しかし、遠い遠い誰かの悲しみを理解することなどできやしない。

いや、できないのであれば、悲しみを理解する必要はないのかもしれない。

僕らは日々、「悲しみ」や「喜び」、「感動」を消費しながら生きている。

つの日か、自分世界の一部となり得る解決すべき問題出会えるように、虚無感ややるせなさを感じても、外から感情を消費し続けることが必要ではないだろうか。

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