はてなキーワード: 喧騒とは
数年前に彼女と別れてから夏祭りにはわざわざ行くことはなかった
思い出してしまうからというのもあるが、友人たちも祭りが好きではない
なにかあるかもしれない、いつもと違う行動を取ったらなにか変わるかもしれない
たこ焼きくらい買って食べたら楽しいんじゃないか?案外いい出会いもあるんじゃないか?
屋台の眩しい光が目に飛び込んできた
こんな雰囲気久しぶりだ
気分も高揚するというものだ
しかし、そこには何もなかった
正確には愉快に笑う家族連れや友人、恋人同士で楽しんでいる者たちばかり
いい歳をしたおっさんが1人で歩いているのを最後まで見かけなかった
俺、なにしてるんだろうなって気持ちになって
なんとはなしに昔のことを思い出しながら歩いた
過去を美化しすぎるのは良くないとわかっていながらも
二人で浴衣着ていったなとか色々思い出した
ジジジジ
急に足元でなにか音がしたと思ったら蝉だった
でもしばらくしたら蝉は動かなくなっていた
そうかお前一生懸命生きたんだな
踏まないようにそっと横を通り帰路についた
プリキュアがLGBTを題材にする時、「製作陣」と「ファンコミュニティ」は信頼のおける人たちなのか?
——
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20180611221642 より引用
id:angmar ルールーとえみるの積み重ねの物語を数週かけて楽しんできたのにジェンダー論バンザーイのお客さん大挙のせいでかっなーり水差されたのは事実だわ
——
意見の違う人は「コミュニティに属していないお客さん」という認識、一体いつまで続ける気なのか?
▪️見出し一覧
・プリキュア各作品の「評価の多様性」を認めず一枚岩であるかのように振る舞うファンコミュニティ
・百合ポルノの誤魔化しや逃げ口としてLGBTを利用しているのでは?
・もはや製作陣には「女の子同士の友情」及び「ストレートの男女間恋愛」をまともに描けないのではという疑念
・誰だって「ただの」人間に過ぎない。怪物でも、ツチノコでも、聖人でもなく。ましてや感動ポルノの主役などではなく。
・「あ〜他所から面倒なアンチ意見が来た」…結局これを読んでるあんたもそう思うんだろ?
どうであれ漫画・アニメの人気作品にはやけに同性同士をくっつけたがるファンはいるものだし、
公式の意図を離れたファン活動でのカップリング論にはなんら心は動かない。
また商業作品であっても、元から801・百合といった「読み手の性とは逆の異性同士による関係性」を求める人向けに
作られた創作に心を掻き乱されることもない。
プリキュアにおいては製作側が意図していない同性カップリングを描いたファンアートは昔からあった。
いつからか、製作側が名言しないものの、それが好きな人の為に「匂わせる」表現を使い始めたが、
名目上の立て付けは「女の友情」、しかし簡単に分解して百合として解釈しやすく作られていて、
キマシタワー好きが実況で即レスしても「無茶な解釈」とはならないあたり、よく出来ていると思う。
アニメ表現にありがちなとち狂った布面積からくる無茶な肌色率の高い服も無いし、
パンチラ狙いのローアングラーなカットや謎ボディスーツ的な乳袋もない、
よく出来た「全年齢向け百合ポルノ」をサイドメニューとして持つコンテンツだなと思っていた。
▪️プリキュア各作品の「評価の多様性」を認めず一枚岩であるかのように振る舞うファンコミュニティ
「プリキュアは見ていないが、プリキュアの数字ブログの人の記事は読んでいる」人、
あるいは「プリキュアを見ているがネットで感想書いたりはしていないし、他の人の感想を調べたこともない」人は、
一体どれくらいいるだろうか…
正直に言って、プリキュアのファンコミュニティは歪だ。特に匿名の掲示板、壺や双葉はよく荒れている。
脚本の難点、例えば「いくら子供向けとはいえ今日の脚本は強引過ぎない?」
あるいは「お前ら女の友情良いよねって言ってる今回の話は正直百合の文脈だよね」といったものを述べようものなら
※
引用した id:angmar の発言は5ch辺りで見かける典型的な文脈に沿っている。
今回の件でアチコチにコメントしているので、彼を追いかければどんなものかイメージしやすいと思う。
この壊れやすいコミュニティに「◯◯プリキュアは良かったが、△△プリキュアは正直駄作」といった類の
「やっぱり◯◯プリキュアの信者か!ほんっとクソしかいねーなアレの信者はwww」
つまらないと言われた作品について数字ブログからの引用リンクを用いて
おもちゃ売上で如何にシリーズに貢献したか、といった大変有り難いご高説を頂ける。
そんな調子だから(不用意な他作sageはNGとはいえ、その反響のコレはちょっと…)という心理からか、
ファンコミュニティはファンに対して一枚岩を求め、反すれば徹底的に追い出す真逆の存在になっている。
…正直に言って、シリーズファン内でも各作品の評価が大きく別れ、時に半目し合っている事が前提となっているガンダムファンが心底羨ましい。
アチラには「好きなものは好き」だけではなく、節度を持って語れば「嫌いなものは嫌い」と語れる空気は存在している。
※
もっとも、彼らがこの空気を手に入れるまでに多くの喧騒がネット普及前からあった筈で、
単純に隣の芝を羨むのは失礼でしかないのだが…
▪️「よく訓練されたファン」の代名詞としての数字ブログ管理人
こういった喧騒が起きやすい中で、数字ブログの管理人は波風を立てない上手な立ち回りで記事を作り、読者を楽しませてきた。
あの人が諸々の数字を集めた結果、時にファンとしては気持ちのよろしくないモノが出て来る。
しかし、管理人自身の作品内容そのものへの見解は常に肯定的で、
良くない数字の理由付けとなる否定的な見解は書籍からの引用で済ませ、
あのブログ自体が各作品のファン間での喧騒の元とならないよう「よく訓練されている」と思う。
また、自身とお子さんがどうプリキュアを見てきたかというエントリは素直に面白かった。
プリキュアのファンがブログなどで不用意に「ココが嫌い」と言ってしばしば喧嘩が起きていたのに対し、
「プリキュア各作品について常に肯定的」だからこそ、このブログは大きな喧騒もなくここまでやれて来たのかなと思う。
だからこそ、あの人がプリキュアでの表現を賞賛する中で語る「LGBT論」が異質に感じる。
▪️百合ポルノの誤魔化しや逃げ口としてLGBTを利用しているのでは?
正直言って、プリキュアスタッフは頑張っているとは思うが、これまで成功と失敗を繰り返しながら歩んできてて、
時には「コレでシリーズ終わってしまうかも…」と思わずにはいられない脚本の不味さを持つ作品も数点ある。
「製作陣が当初思い描いた【壮大な】目標はなんやかんやでうまく描写できず、
百合描写で大友向け部分だけでも当て逃げる算段なのかな…」と個人的に印象を抱いてしまうものもあった。
その決して「成功」とはいえない表現を、「LGBTに目配せし、多様性を肯定する良い表現」といった趣旨の発言をあの人がする度に、
「それは、違うのでは?」という疑念が…
あの人がLGBTと絡めてプリキュアを語るのはこれが初めてじゃない。
去年のプリキュアだと虹とユニコーンをデザインに取り入れたプリキュアについて語った時。
自分の記憶違いでなければ、魔法つかいプリキュアやドキドキ!プリキュアについてもLGBTと絡めた話を書いていたかと思う。
LGBTを絡めず、単に男性向けコンテンツとしての「百合」と言っていれば自分の中では問題ない。
ジェンダー論抜きに楽しむ非LGBTな百合・801コンテンツってのは別にあったって良い。
だけど、シリーズ中にそういった趣きが存在していた過去作品を「LGBT」と称されると、
「テメェの過去のオナニーの言い訳としてLGBTって単語を使うのか?」という気持ちがフツフツと湧いてくるんだよね。
もちろん、過去作はともかく今作はシリーズ中でもその辺を留意して作っているのかな?という印象を受ける。
という失敗の兆候をひしひしと感じる。
なんていうか、ムキになってぶっ込もうとして転落寸前、というか…
あんな古臭い悪役ムーヴしか見せていないお兄さん、最初から良いところも悪いところも見せるならともかく、
一体何週間悪いところだけを見せつけるつもりなんだ?
出来の悪い少女漫画にありがちな「都合の良い悪役」感が強過ぎない?
なんか、製作陣は無理してない?
—-
面倒になったので後は軽く。
▪️もはや製作陣には「女の子同士の友情」及び「ストレートの男女間恋愛」をまともに描けないのではという疑念
プリキュアに限らず、東堂いづみの中の人たちは「女の子同士の友情」も「ストレートの男女間恋愛」も描き方を忘れているのでは?
処女厨を危惧してるのか何だか知らないけど、あそこの会社はそっちを忌避してLGBTに逃げてるように見える。
今作の黄色のプリキュアにでも男女間恋愛させるつもりなのかな?
既に別のところで描写失敗してる気がするけど果たしてどうなることやら。
▪️誰だって「ただの」人間に過ぎない。怪物でも、ツチノコでも、聖人でもなく。ましてや感動ポルノの主役などではなく。
今回の件でGo!プリンセスプリキュア(全50話)を見ろマンになってる人たち、いや無理だから。
「お前ら勉強不足だから最低限の入門として海外ドラマgleeのシーズン1から3までを見て来い。ついでに各話で引用されてる元ネタにも当たれよ」って言われたら見る気ある?ないでしょ?
「思わずニヤリとするセリフ」の類は前提知識がなくてもスンナリ通じるセリフにしとけって話。
id:angmar は「お客さん」が悪いようにいってるけどこれ単に脚本がクソってだけだからね?
プリキュアスタッフが書いた脚本は別にご神託ではない事くらいは理解してるよね?
▪️「あ〜他所から面倒なアンチ意見が来た」…結局これを読んでるあんたもそう思うんだろ?
余所者ではなくお前らの中にいるんだよなぁ…
数字ブログの人、LGBT云々よりも「感動ポルノ賞賛マン」になってしまっている事が「ぶっちゃっけありえない」。
とにかく家に帰りたくなくて、池袋をうろついてた。時間は9時ぐらいで、東急ハンズは閉まってる。とくにこれといって行きたい場所もなく、とりあえずまだ閉まらなそうな理由でゲーセン行った。久々のゲーセン。
ゲーセンの一、二階はクレーンゲームが並んであって、海外からのお客さんが多い印象だった。あと、個人の人がやたらうろちょろしてた。テロの下見かよってぐらいうろちょろしてたけど、たぶんエスカレーター探してたんだろうな。わたしもうろちょろしたから、なんとなくそう思う。
それでクレーンゲームであまり欲しいものがないから三階に行った。三階すごかった。
三階は音ゲーのコーナーだったんだけど、明かりは一気に暗くなって、機械の光が彩っていた。
うわ、やべ、すげ。
まあまずそう思うんだな。だって時間は夜の9時過ぎていて、昼間の喧騒とは空気は大違いなのさ。外はお帰りになる人やお酒を呑みにいこうかなって人がいるのに、ゲーセンの音ゲーエリアは違った。
あの、名前はわからないけど、丸いわっかがあって、そこにボタンがついていて、画面の中央からそのわっかに向かっていくなにかをリズムよくタッチするやつ。それをする機械がずらって並んでるけど、人もずらって並んでるの。空いてる場所がない。
スーツ姿でタタッチしている人もいた。横に三人並んでる。たぶん入社式のあとだと思う。いいな。傍目からも楽しそうで、そのノリ、ずっと忘れないでくれと思ってしまう。
いやまあ、ほんと、すごかった。なんというか、夜ならではの自由な空間がひろがっていた。ディスコとか、そのへんの。一人客が多かった。
ただ音ゲーをするためにきて、遊んでいる一人客が多かった。それがよかった。ほんと、みんな目の前の機械と向き合って、手を動かしている。
なんかむしょうに感動したけど、場違いをどこか感じてしまって、下に降りた。職人さんの世界に学生が入り込んじゃったような気分だった。
でも楽しかったな。
思い出すのは、お茶会帰りとかお食事会帰りの日が暮れた大劇場近辺の空気。
昼間の喧騒が嘘のように静まり返ったムラを、一人ぼっちでヒールの音を高らかに鳴らしながら歩いた。
今公演のお芝居の中で小道具として出てきてたやつだ。
グループでいるおたくたちの群れが苦手で、少し離れたファミレスまで歩いて行った。
二時間で出てくると言った贔屓は、たくさんのファンを放置して勝手に帰っていった。笑
暴君だったけど、でもだいすきだったから、そんな仕打ちを受けても笑ってた。
退団公演だなんていうしんみりした雰囲気を吹っ飛ばすその心意気が面白くて笑った。
それでも私のことが好きなんでしょ言われて、ぐうの音も出なかった。
惚れた弱みだ。しょうがない。
俺は呆れ果てて何も言えないでいたが、同じくクラスメートであるタイナイが、カジマの蛮行を嗜めた。
そのタイナイが嗜めるのだから、カジマのやっていることは思っている以上にタブーのようだ。
「抗議活動は結構だけど、これはただの目立ちたがりの売名行為にしかならない」
「こーいうのは目立ってなんぼでしょ!」
「悪目立ちで集まるのは、騒ぎに乗じたいだけの烏合の衆だ。それだと肝心の問題についても、大衆に正しく認知されない。主義主張が何であれ、正しい筋道で実行されなければ正しい支持も得られないんだ」
「あーあー、そうやって物知り顔で、抗議活動している人の出鼻を挫いていくんだよなあ。タイナイみたいな自称常識人は~」
タイナイの言うことは真っ当だが、カジマにはまるで通じない。
カジマに自身を客観的に見れる冷静さがあるなら、始めからこんなことをやろうとはしないだろう。
「カジマ、お前のやってることはむしろヘイトを広めるだけ。しかも、そのヘイトはお前自身に向かうぞ。一般大衆からはアニメオタクは過激で常識もないバカだと思われ、アニメオタクからは抗議活動の邪魔をする輩だと非難される」
「え……そこまで深く考えてなかった……よし、この抗議活動はやめるっす!」
カジマは大義名分があるからやっているだけで、別に高尚な志があるからこんなことをやっているわけではない。
いっちょ噛みしたいだけでリスクまで背負いたくはないので、それをチラつかせるたほうが効果的なのだ。
「あーあ。現実の喧騒から離れて、楽しい気持ちでアニメを観ていたいはずなのに、どうしてこんな現実問題でヤキモキしなきゃならないんすかね……」
カジマは何だか純粋ぶったことをのたまっているが、俺たちは面倒くさくなってきたので無視した。
ところかわって父のほうでは、フォンさんと共に重役たちの説得に回っていた。
「…………いま一度考え直しませんか」
「そうは言っても、アニメってのは総合芸術だろ? 監督とは言っても、その実アニメの製作は他のスタッフたちの働きによるところが大きい。彼が『ヴァリオリ』を作った代表者だと表現することは不可能ではないが、100歩譲っても彼だけの、彼のためにある作品ではないはずだ」
「もちろん『ヴァリオリ』はシューゴさんだけの作品ではありません。ですが……」
「我々だって何も全面的にシューゴ氏を責めているわけではない。出来れば彼に監督でいて欲しかったし、実際これまではそうしてきた。だがモノにはコンプライアンスがあり、限度もある。そして我々が何度言っても彼は改めなかった」
「言っておくが、君たちにだって責任はあるんだぞ。君たちが彼の手綱をちゃんと握っていれば、こうはならなかったかもしれないのだから」
しかし、いずれも色よい返事はこなかった。
ーー『ハテアニ』スタジオ。
世間ではかなり騒ぎになっていたが、スタジオ内は意外にも落ち着いていた。
この界隈でスタッフが途中で入れ替わるなんてのは珍しいことではなかったし、それは監督という立場でさえ例外ではない。
今回はそれが人気アニメの監督だったというだけで、世間よりも現場のほうが冷静な者は多かった。
それに監督が誰であろうと給料が変わるわけではないので、現場の人間はただ目の前の仕事をこなすしかないのだ。
せいぜい、暇をしてるアニメーターが、WEBメディアの取材でテキトーなことを並べるくらいである。
しかし、現状ではその程度で落ち着いていても、このままではいずれ瓦解するという危機感が、父とフォンさんにあった。
やはりシューゴさんを呼び戻すのがベターだが、成果は芳しくなく、父たちは頭を抱えていた。
「シューゴさんの『ヴァリオリ』における功績を丁寧に説明しても尚、誰も首を縦に振ってくれませんね……」
こうなった大きな要因は、シューゴさんに対するネガティブイメージが強く残り続けているのが大きな要因だった。
特にある一件では、彼の過激な言動によってアニメ業界全体が激震し、謝罪会見にまで発展したこともある。
経営側から見て、そんな人間を制作のトップに置き続けるのは、リスキーすぎると判断するのは当然だったのだ。
「フォンさん、“あれ”はどんな調子ですか」
「では、そろそろシューゴさんのほうにもアプローチをかけてみましょうか」
占い屋に通う人達って、洗脳されているみたいで怖いとずっと思っていた。そんな自分が気まぐれに占い師にみてもらったのは、昨年の秋。その日はやたらと陽射しが眩しかった。
通りですれ違うカップルや呼び込みの笑い声が鬱陶しくて、溢れ出す疎外感を振り払うように「占い」と書かれた看板に足を向けた。雑居ビルに入ると外の喧騒が嘘のようで、冷んやりとした空気に一瞬ひるんだ。奥のほうにはもうひとつ「占い」の案内が出ており、ドアを開けると、ビル管理人の休憩所のような一室に、落ち着いた色の服を着た老婦人が座っていた。
「あらいらっしゃい、どうぞお座りになって。」
軽く会釈して席につく。
一呼吸置いたあと、老婦人がじっと私を見て言う。
「嘘はだめよ、あなたが損する。どうせ面談は今回一回切りかもしれない。とは言えそれなりの金はかかるのだから正直になさい。いいわね?」
これは手練れだ。彼女が長包丁を構える板前に見える。我が身の虚飾がバサバサと切り落とされていく予感がする。
「今から最低限のことを聞いていくから正直に言って。ただ、言いたく無いことは言わなくていい。出来るだけ言ってくれたほうがあなたにとって良い、それだけ。いい?」
相手のペースに任せ、コクリとうなずく。自分の表情がぎごちなく弛緩していくのが分かる。
老婦人の質問は、本当に最低限のことだった。氏名、生年月日と、相談したい悩みの大まかなジャンル。ジャンルは仕事、恋愛、結婚などいくつか示されたが、悩みが具体的に思い浮かばず、選ぶことができなかった。中年なのに独身で周りからは浮いている。しかし、有難くも趣味や定職があり、取り急ぎは食べられている。実際ここに飛び込んだ理由は、表通りが眩しかったから。それ以外無かった。答えに窮していると、それなら「お悩み全般」でみるわね?と促された。
占いにはいろいろな種類があるらしい。この老婦人は、九星気学というものを専門にしており、先ほどの質問に対する回答を方位盤というシートに当てはめて、今後の運勢とそれに対する心構えをサバサバと説明していく。
しかして内容は、非常に雑駁な言い方をすると、今後暫くは辛い時期が続くが辛抱しろ、周りの人間関係を大切に努力を続けろ、そうすれば大波を越えた後、勢いに乗れる、というものだった。
それ以外の細かい生活態度についてもいくつかアドバイスをもらい、五千円強を支払った。
文字にしてまとめると、本当に味気ないものに見える。しかし、人生というものが持ちえる波に対してどう備えるか、という視点は、今現在の状況や周りの体裁にばかりとらわれていた私には新鮮だった。
思春期の頃、カウンセリングに通ったことがある。そのとき私が受けたカウンセリングでは、カウンセラーに話すことで「自分のなかに既にあって自覚されていない答えに気づく」ことにポイントが置かれていたと思う。実際、そこで得た答えは、その後動き出すための支えになった。人生に迷った時に戻る原点、と言えば伝わるだろうか。
それに対して、占いにおいては、答えは自分の外にあった。鑑定師から示されたのは、大げさに言えばこれからの人生の地図だった。それもサーフィンに例えて説明してくださったことで、どの時点で用心し、どの時点で肩の力を抜くかという、今後の気構えに関するヒントを得ることができたと思う。
「占いなんてカウンセリングの一種だよ」という一般論があるが、実感としては別物だった。
愚痴ればいろいろアドバイスをくれる友人はいる。上司もいる。しかし、身近な人から耳の痛いことを言われると、ときにプライドが邪魔をして素直になれないのも事実だった。それが、自分の過去を全く知らない、かつ「鑑定師」というポジションの人からの指摘には、不思議と素直になった。
加えて、目の前の出来事に偏りがちな視点を変える機会を持つことで、視野を少し遠くに持つことができた。鑑定料金は決して安くはなかったが、同額の飲み会で同僚に愚痴って憂さを晴らすだけでは得られないものを得られたと思う。
それきり占いには行っていない。しかし、貰った名刺だけはしっかり取ってある。いずれまた機会があればみてもらうかもしれない、というぐらいには占いのハードルが下がっているのが現在のところ。
18きっぷで遠出してその帰り道。
4人掛けのボックスシートを1人で占領できるぐらいしか人が乗っていなく、あと2回乗り換えれば家に着けるような列車。
終電2つくらい前で、もし乗り過ごしてもまだ何とかなるレベルの状況。
今日一日、観光地に色々歩き回って、乗り継ぎの連続であった列車に乗り疲れて、それを癒やすかの如くキオスクで買い込んだ酒を車内のその占有状態のボックス席で飲み干す。
俺は今幸せな時を噛み締めている。
世間はクリスマスイブで浮かれ、俺も先程までその熱に嫌気が差していた。
きっと車内の誰もが俺のことを視界に入っていることすら忘れてしまっているだろう。
日々、東京の喧騒に飲まれ、人の視線に晒され、鬱々と過ごしていたこれまでとは打って変わって、俺は今何者でもない。
ずっとこの列車が走り続けれはいいのに、永遠に終着駅に辿り着かずに果ての果てへ行ってしまえばいいのに。
そう思いながら、いつもと変わらない"帰路"をこの列車は歩むのだ。
気分が憂鬱なのは、きっと都会の喧騒に心が押しつぶされているからだ。そう思った私は田舎へ逃げ出した。
だけど、どこへ行ったて憂鬱な気分というのは消えない。教員向いていないんだな。生徒に愛着を感じない。人と接したくないという日があるが、仕事柄そういうわけにも行かない。
自分の都合で予定を決められない。つらい。
同じ環境でもケロッと元気な奴がいる。きっと幸福な人生を送ることができるのだろう。
なんだか、もう何をやっても楽しく時間を過ごすことはできないんだろう。学生時代から3ヶ月に1回くらい、学校へいけなくなるほど辛く感じるときがあった。あるときは、進学、あるときは自分の死について悩んだ挙句、ただただ苦しみを感じるだけだった。しかし、大学には心の底からバカ言って笑える友人がいた。日常の苦役から少しだけ開放してくれる図書館があった。学生生活をかけるに値する楽しいサークルがあった。だけれど、いまは賽の河原のような不毛な職場で一日の大半を過ごし、日常のあれこれを語り合うことのできる友人もいない。
就職するということが、仕事をするということがこんなにも虚しいのなら人生というのは苦役だ。どうして、若く短い学生時代に私に楽しい時間を過ごさせたのか。ただ過去を振り返り、懐かしむことしかできない。
もう、年を取っても、職場を変わっても何も変わらないのだ。
この日常から抜け出したい。この日常を抜けだしたどこかに、面白いと思うものがあるかもしれないという希望が私を苦しめている。
少し焦ってはいたが、それでも急げばギリギリ間に合うレベルだし、何より俺には打算があった。
喧騒が煩わしくて普段は避けているが、そこの交差点を利用すれば余裕で間に合うのだ。
呼び止めてきたのは市長だった。
市長は怪我でもしていたのか、杖をつきながらこちらに向かってくる。
しかし、なぜ呼び止められたのだろうか。
「え!?」
『差別的』ってどういうことだ。
「杖や車椅子での移動を余儀なくされている、足が不自由な人もいるのですよ。だのに、あなたは公の場で何も考えず悠々と歩いている」
どうしてそれで俺の行動が差別的ってことになるんだ。
「えーと、あの、市長さん?」
「そして、自分のしていることにまるで無頓着だ。よくない、ああ、これはよくない、よくありませんよ、よくない、よくない、全くもってよくないよ」
「誤解してほしくないのですが、私は二足歩行自体を否定しているわけではありません。ですが、それができない人間の気持ちを少しは考えるべきです。足の不自由に配慮して、“歩み寄り”ましょう」
このままでは遅刻する。
俺はテキトーに話を合わせて、この場を切り抜けることにした。
「はあ、一理ありますね。それで、俺はどうすれば?」
「これです、わたしのやっている通り。杖をつくなり、車椅子に乗るなりしなさい」
俺は引きつる顔をさとられないように手で覆い隠しつつ、もう片方の手でそれを受け取る。
「どうです。これで多少なりとも“理解”は深まることでしょう」
「そうですね」
「これからもそうやって移動するように」
周りを見渡すと、他の人たちも似たような様子だった。
俺は市長のやっていることは理解に苦しむのだが、みんな何も言わないで従っている。
奇妙な光景だと感じるが、それは俺が差別主義者だからなのだろうか。
飲み会が嫌だ
何が嫌って、本人たちは垣根のない関係を!とか思ってるんだろうけど実際は何かというと社内の立場持ち出して自分の気持ちのいい発言しか許さないとこ。
あと本気で嫌がってるのを分かってないとこ。
そもそも飲み会なんて仲のいい奴らで集まって、自然発生的に「じゃあみんなで座れるとこ行こっか」で開くもんであって
「はい飲み会開始~~~ハイ俺たち仲良しな!」なんてものはもはや関係の強要なんだよ。レイプなんだよ。
酒は誰もが大好きって感覚を共有しているつもりなのも嫌だ。
親が酒のんで暴れてるの見て育ってるんだから嫌だよ酒なんて。気狂い水だろ。
実際俺も遺伝してるから酔うと暴れるし、思ってもいないこと言っちゃうし。大抵は本音だけど。
まさか酔っても本音を出さない忠誠心を試してる、とか冷戦時代のスパイ採用のテストみたいなこと言うなよな。
大抵飲み放題なのも嫌だ。
2時間強制拘束なのが嫌だ。悪臭と喧騒の中、2時間も人生が消費されるという悪夢。最悪だ。
2時間経ってもまずすぐ立たないのが嫌だ。店も店だ。「もうお時間ですが」くらい言いに来てくれ。
いや言いに来てもまだダベったりする。最悪だ。
大体長くて見ても30分くらいでいいだろ。10分でも長いのに。
仕事上のケアがあるわけでもないし、昇進の口利きがあるわけでもないし、そもそも昇進したところで昇給だってしないし。
2次会があるのが嫌だ。
なんで自然な流れで「次の店どこにする?」なんて話になるんだ。そんなに飲みたいなら一人でやってくれ。
お前の人生が中年になってもなお空虚で、今後も何ら実りのない人生が待っていることが分かっているとしても、それに俺を巻き込まないでくれ。
1秒でも帰りたいのに、「いいから来い」じゃないんだよ。
もう大騒ぎしてお巡りさんに助けてもらいたい。泣きたいよ。
ああバカバカしい。古くはシュメール人の頃からこんな文化があるらしいが、本当にバカバカしい。
みんな本当にこんなのが好きなのか?いい加減にこんな文化規制してくれ。
リクナビもリクナビだ。「飲み会あります」「人権軽視あります」とかそういう項目が必要だろうが。分かっていたら入ってなかったのに。
普段ネット上でトンキンwwwなどと煽ったりもしたが、ちゃんとしたかたちで東京を見てみた。
俺は今の日本の経済についての知識が欠落しているのであくまで一個人の主観的な感想として見てほしい。
まあ、腐っても鯛というか、一言で東京スゴイ東京発展し過ぎwwwと思った。
まず熱気が違う。どこも人に溢れ、各人が明日の夢と成功を求めていきいきと生きているようだ。
海外旅行で熱いアジアの新興国へ行った帰り、日本の家路につく時に感じる落ち着いた空気、冷えた空気、少し寂しさの残る空気が、東京に限っては皆無のように思われる。
そして、資本の密度が田舎のそれとは明らかに異なる。ここだけ異常だ。
日本全体の資本の4割くらい東京に集まってんじゃないかと目まいがするほど、東京の街は執拗にギラギラとしていた。
道を3メートル歩く度に、雑貨や食べ物の個性的な素晴らしいお店が立ち並ぶ。東京は街そのものが遊園地のようだ。
街中にメーカーのロゴや店の看板がこれほど絶え間なく多く寄せ集まっているのを見たことが無かった。田舎の繁華街が、東京では1ブロックごとに配置されていた。
麻布という言葉は知っているものの、どうしてメディアによく登場するのか分からなかった。実際に夜の麻布に行ってみてそれが分かった。
少し歩くと六本木へとつながる麻布では、日本の一般的な戸建て住宅とは異なる重厚な外国風の豪邸が立ち並び、日本のビバリーヒルズ?と思った。
歩いていると大使館の玄関に次々と遭遇し、ここが首都であることを改めて実感した。
洒落た少戸数型マンションへ帰宅する人たち、1分に1回の間隔で見かける品川ナンバーの高級外車・・・
日本の上位数パーセントの成功者・支配階級が寝床とするコミュニティ、外の世界の喧騒からの影響を受けない住み心地の良い閉じたコミュニティに足を踏み入れていた。
海外のエスニックな料理が好きなのだが、普段日本ではそれが食べられないと嘆いていたものの、東京では全く心配いらない。
ここは本当に日本か?と思うほど海外で経験したスパイシーで胃袋を鷲掴みする良い香りの熱気があちらこちらから流れてきて心が躍った。外国人の数も非常に多い。国際色豊かでカオスな感じ、料理が不味いわけがない。いつか夜の居酒屋巡りをしてみたい。
同じ日本人でも、地方田舎で住むことによって形成される日本に対するアイデンティティと東京で形成される日本に対するアイデンティティは異なるということに初めて気が付いた。
田舎の落ち着いた日常の心休まる日本、東京の激動の熱い日本、どちらも素晴らしいものだ。交互に味わえたらどれほど幸せだろう。
事件から数日前の某月某日、ネット上(某SNS)であるトピックが話題になっていた。
投稿者はどこかの会社員で、長時間労働やパワハラに悩まされていたことをSNS上で打ち明けた。
すると即座にネット民からの反応が帰ってきて「すぐやめろ!」「今までよく頑張った」系の慰めや応援が殺到。
投稿者はネット民の応援に励まされ「明日退職願だしてくる!ありがとう!」と投稿し、その日はおわった。
数日後の当日、事件は起こった。
容疑者の男は「『辞める』と言われて、カッとなって刺した」と述べた、と報じられた。
感のいいSNSのネット民は、すぐさま彼のSNS遍歴を調べると、事件の起きたオフィスの近くで働いているかも知れないことが分かった。
「まさか」「いやもしや」とネット上で騒然となり、「生きてるか?」「頼むからSNSで発言してくれ!」という声が溢れた。
しかし、その翌日、SNSのアカウントと被害者が一致した、という報道がついに出た。
「お前らが後押ししたせいで死んだ」「いやそうなるって誰も分からねえよ」「この人殺し!」「殺した容疑者が悪いだけだろ」「運が悪かった」
「こいつら殺人犯でーす」「お前らが後押ししなければ死ななかった」「お前らもさっさと死ね」
インターネットは大荒れとなった。
マスメディアはこぞって「ネット社会の罪」と報じ、「ブラック企業が悪い」としながらも「ネットでの過剰なブラック叩きが招いた事件」とも報じた。
インターネット上でも自称論者が過激発言をして、そのたびにあらゆるソーシャルサイトは炎上した。
「むやみに匿名でアドバイスするな」「SNS発言で人は簡単に殺せる」「ネット民の暴走」
また、とあるブラック企業に努めている別の人が「辞めたい」とSNS上で言うと
「殺されるから絶対に辞めるな」「逃げるのもダメ、殺されるぞ」「死にたくなけりゃ過労死しろ」
とSNSが及び腰になって、気休めにもならない冗談しか返ってこなくなった。
結局この風潮は、某大手企業で(またもや)過労死自殺で人が死ぬまで、ようやく「やはりブラック企業が悪い」という論調になり、収束した。
多分、解決法は、無い。
個人的にかなり好きな女優さんだった。まれやCMなどで天真爛漫な姿を見せる彼女はまぶしかった。不倫していたことは出家以上にショックだった。過去にはベッキーが不倫したりミスチルの桜井が売れないころに支えてきた彼女を捨てキャンギャルと付き合うなどいろいろあるみたいだ。しかし今回ほどショックな感情を抱いたことはなかった。不倫でなく交際であってもあるいはショックだったかもしれない。嫉妬だな。
アイドルの熱愛報道を知ったファンはきっとこんな気持ちだったんだろうな、と理解した。
疲れた。芸能人は究極的に他人なのだろう。当たり前だが。。。アイドルにかぎらず芸能人にたいして自らがイメージして信頼している人物像はすべてアイドル(偶像)でしかない。他人がコントロール不可能である以上は当たり前なのだが芸能人の報道にこんなにがっかりして嫉妬したのは初めてかもしれない。絶望とまでいうと言いすぎであるがしかしなんだかずいぶんと、疲れたな。マギーがハイスタの横山健と不倫報道があった時にはそんなにショックを受けなかった。
マギーはどうでもいいがハイスタはかなり好きだ。なのであれは嫉妬というよりも軽い失望を覚えた程度だった。
マギーはどうでもいいと思い清水富美加の不倫にはショックを受ける。勝手なのは自分のほうか・・・
マギーも清水富美加も自分の人生とは絶対に接点などできない人であることは変わらない。変わらないのに勝手に好き嫌いを設け勝手に失望してと、まるで意味のない偶像への恋愛感情。なにかもうそういった情報に触れること自体疲れてきたな。
芸能報道だけでなく殺人事件とかもそうだ。芸能人の不倫と同じように個人の感情が暴走したものについて考えること自体、本質的に意味はないのだろうし。もっと軽いので言えば個人ブログの炎上とかもそうかもしれない。批判するにしろ参考にするにしろ眼にした瞬間に好悪を判断する。見ないか見るか、批判するかしないかと判断するだけで思考リソースの無駄遣い。
たぶん基本的に情報自体が総じて不要なものなんだろうなと最近は思ってきた。情報というより報道というほうが正確かもしれない。
東京マラソンの通行規制の情報などは価値ある情報だ。ふるさと納税の返納品も価値ある情報だ。しかしもういわゆる一般的な「メディア」が流す情報は究極的に無価値でエンターテインメントでしかないのだろうな。
情報化社会と言われて久しい。情報にコミットする必要性が過大になり異常なまでに情報が目に入ってくる。その波に疲れた。芸能人だって不倫する。そんなこと当たり前で他人が絶対的な倫理観で構成されているなんて思ったこともない。しかしこの如何ともしがたい自らの感情を処理する向けどころがない。彼女が浮気したら弁護士のちんこをきれば解決するのかもしれない。しかし報道で知るようなぶつけ先がない感情は膿となって自分の中にため込んでしまう。はけぐちとしては増田に書くぐらいである。
ここまで読んで山奥で暮らせばいいとつっこみが入りそうであるが僕は都会の喧騒も好きであるし、人間関係が人に重力を与えると思っているのでリアルな関係の中で揺さぶられる感情はいいと思っている。しかし情報には疲れた。現実的に見ない術がない。会社に行けば同僚が話してくる。実家に帰れば母がテレビをつけ笑っている。インターネットに接続すればニュースで溢れている。
そんな僕が今期見ていて好きなアニメは響け!ユーフォニアム2とユーリ on ICEである。
この2作品はなんか見ててよく似てるなとおもう。
ユーフォだと真剣に吹奏楽に取り組む少女たちが描かれ、百合っぽい描写がある。
ユーリだと真剣にフィギュアスケートに取り組む少年たちが描かれ、BLっぽい描写がある。
でもなんか同性同士の絆みたいなものがいいなって感じられるのである。
ユーフォだと前期の8話が好きだ。
麗奈と久美子が祭りの喧騒から離れた山の上で2人だけの話をする場面。
あれは画面が綺麗すぎたのも相まって、釘付けになった。
ユーリの話をしようと思う。
そういえば斬新だなと思った点が、勝生勇利がもう世界レベルのトップ選手だということ。
メンタルが豆腐で自信が持てずにパッとしなかった彼が、コーチとの出会いでどんどん内面が引きずりだされてるのが面白い。
ユーリ7話で良い演技をした主人公・勇利と喜ぶコーチ・ヴィクトルがキスしたのかハグかの判断を視聴者に委ねるようなシーンがあった。
僕はあのシーンをホモくせえと思うことは意外にもなかった。
それは彼らが努力したことを視聴者として知っていると同時に、あれを喜びを表す手段として見ていたからだと思う。
だって女子フィギュアだったら多分違うところに目線がいくから笑
でもそんなことはないのかもしれないと最近思った。
僕はユーフォを見ても、登場人物がエロいとかそういう視点で見てないことに気づいた。(水着回以外)
ただ一生懸命に何かを求める、あがき続ける。
・ピチットくん(タイ)…僕はずっと信じてたけどね!と真っ直ぐいいきって実現するところにしびれた。SNS狂で現代っ子ぽいのに正統派の爽やかさがある。見てて気持ちいいというか、清涼剤。
・グァンホンくん(中国)…ただただかわいかった。ぬいぐるみのシーンにやられた。内面は意外と男らしいのも好印象。そういえば公式サイトに「夢はハリウッドセレブ」と書いてた。人は見た目によらない笑
・南くん…スケート演技がキャラクターを表してて好き。勇利を崇拝するだけじゃなく、真っ直ぐに意見を言ったのがよかった。
書き出したけど、目がくりくりで、真っ直ぐでかわいいキャラクターに弱いみたいだ笑
・はじめ
先日追いかけてるアイドルの節目なライブに行ってきたのですが、そこであった事に対してめっちゃモヤモヤしていたので整理のために書きます。チラシの裏に書けよという話なのだが何かネットに放流したくなったので。
・何が起きたのか?
そもそもこの記事を書くきっかけとなった出来事について触れないといけないのですが、その節目のライブ中とある盛り上げる曲で、オタクがサーフ(人を波みたいに乗る芸)をしながら謎の液体を毒霧で現場に撒き散らす、食べ物を投げたり、果ては歌っているメンバーの一人に接触してしまったということがあったのです。この事について、メンバーもインスタやブログで反応をしており、行っていたオタクからも否定的な意見が出ておりましたし、謎の液体が服にかかってシミになって落ちないというツイートも見かけました。その主犯のオタクは日頃会場ではリフトやサーフをよくする盛り上げ役みたいな立ち位置にいたのですが、今回の件はやはりやり過ぎたという声がチラホラ聴こえてきました。
・オタクとして
それを見て感じたのは、人としてよりもまずオタクとして大事なスキルとモラルを欠かさないで欲しいということ。ここで言うスキルは「現場の空気を読んで場を盛り上げること」に尽きる。決して場を壊しかねない騒ぎ方はしないいうこと。正直盛り上げるのと騒ぐことの線引は不可能。アイドル現場なんてオタクのコールやMIXを前提に曲が組み立てられていることも多いので、地蔵で静かに見ることが正義とは全く思わないし、声出してナンボみたいには考えているのですが、曲や場を読み違えた盛り上げ方は最早ただただ騒いでいるだけに見えます。それってもうオタクとして重大な欠陥を抱えているように思えるし、ましてややり過ぎて、「一線を越えないように限界まで振りきれる=振る舞う」ことが出来ないのは、オタクとしてのモラルが無いと声を大にして言っているようなもの。場も読めない。モラルもない。そんな奴現場に必要か?いらないでしょ。
ぶっちゃけ、その手のオタクは「現場を盛り上げるため」とか「音楽で高まってしまって…」とか「推しに見て欲しくて」みたいな言い訳を並べがちなのだがそんなのはウソです。単純に自分の妄想に従って騒いでいたいだけ。で、多分本当におかしくなってしまう人って、そこすらも開き直ってるんだろうなと思う。自分が騒ぎたいから騒いどるんや(ドヤ顔)みたいに。であれば、、、騒ぎたいのだったら、、、あなたはカラオケボックスで孤独に騒いでいてくれ。。。
正直、今回のことで今まで無かったレギュレーションが増えると思うし、使った会場のオーナーからも多分苦情がアイドル運営側に行っていると思う。自分がもし会場のオーナーだったら、オタクがライブにかこつけて会場を変な液体ぶちまけて汚したり、パンを投げたりしたらイヤでしょ?そんなアイドルにもう一回会場を貸したい思うか?絶対にレギュレーション追加するとかの条件出すよ。
で、今回はアイドルへの「一線を越えた」ことがあったので、運営側も今後の方針を変えてサーフとかリフトを禁止するかもしれない。プロデューサーにしたら自分の娘みたいなアイドル達に怪我でもさせられるくらいなら…と思うのが普通だと思うんだけどなぁ…もう終わった事なのでgdgd考えても…だけど。
・直接言わないのは何故か?
こういう記事を書くと当事者に直接言うべきだという声が聴こえてきそうなんですけど、はっきり言ってそれは怖いのでやりたくないと言うのが正直なところ。今回やらかしたオタクは。いつも数人のグループでつるんでいて、全員が同じように現場で騒いでいるように見える。類友ですわ(傍からみるとね)。そんな人達に直接物申す度胸が自分には無いです。普通に音楽で狂ったような事をする人が、見知らぬオタクに注意されてちゃんと聴き入れるとも思えないし、逆にライブ中の喧騒に紛れて暴力行為を働かれると思ってるし(実際にそういった事を匂わすツイートをしている)。こちらは一人で、体も弱くて、格闘技の経験も無いひ弱なオタクなので実力行使をされると負けるので、こういった記事を放流して巡り巡って当人の目にするところとなった時に、自省をして欲しいなぁって思ってます。そうなる事は天文学的確率であることは重々承知ですし恐らく0ですが、僕が出来ることはこういう風に小さい声をあげることしか無いなと思って。同じ理由で匿名ダイアリーでこの記事を公開しています。根っからの臆病者です。どうもすいません。
もし本当にアイドルが好きで、盛り上げ方をちょっとだけ間違えてしまったのなら、もう場を壊さないように自省をして欲しいというのが本音でもある。あなたの推しが、売れたくないしあなただけ居てくれればそれで良いって言うアイドルなら今のままで結構ですが現実はそうではないので。皆で楽しく遊ぶ為に最低限のモラルを持って、節度のある盛り上げ方が出来れば絶対楽しくなるはず。別にリフトするなとか、サーフするなとかは全然思わないし。むしろやるべき曲もあるとは思いますし…
浜松に住み始めて5年目。
帰りの時間に余裕があったので、街中をぶらぶらしていたら
曰く、
それからなんとなく気になって気を配っていたのですが、
高校生の女の子3人くらいしか、仮装の人は見当たりませんでした。
街は結構にぎわっていて人通りもありましたが、他には
電車に揺られて1時間。浜松へ戻ってきたら、いるわいるわ仮装。
駅のホームを降りて、改札階に着いた途端、
ああ、浜松の人、ほんとうにお祭り好きなんだなぁ…と思いました。
静岡市と浜松市の文化面での違い、とても興味深いものがあります。
(街中の歩行者天国、コーヒースタンド、ファッションビルなど)
年に数度、大きな祝祭空間を作り出している。
生粋の静岡県民からはまた違って見えているかもせれませんが…。
そんなことを考えた日曜日でした。