はてなキーワード: スイスイとは
https://anond.hatelabo.jp/20210210062305
なんかクラシック音楽が話題に上ってるので、ちょい前に居酒屋で飲みながら、クラシックピアノやってみたいって友達(元軽音楽部のギター)にクラシック音楽と作曲家について適当に教えた時を思い出して書いてみる。主にピアノに絡んでる人しかおらん。その他ジャンルは知識に乏しいし必要ないのであんま触れなかった。しかも雑談の極みなのですべてにおいて雑、いろんな音楽家に失礼だけど天国で俺の事なんか見てないだろうしへーきへーき
■バロック以前・・これは好事家しか知らんから今は覚えんでええわ
■バロック
なんかRPGで教会や宮殿で流れるBGMか、メタルの前奏で仰々しく鳴ってるオルガンを想像してくれ。そんな感じの曲調。
①バッハ
めっちゃ有名。結構お堅い宗教曲なんかが多い。メロディが何層にもなってて弾くのは脳が大変。奇人変人が多いクラシック作曲界で貴重な真面目枠や。立派な社会人。息子がみんな音楽家。
《オススメ曲:主よ、人の望みよ喜びよ》
②ヘンデル
そこそこ有名。バッハより親しみやすくてちょっと陽キャ寄りな作風のイメージ。実際当時の人気投票ではヘンデルのが人気あったらしいで。世の中そんなもんやね。
■古典派
「優雅なクラシック」って聞いて大体想像するのがこのへんちゃうかな。そういう曲ばっかでもないけど、まぁある意味「クラシック音楽っぽさ」の完成系がここ。
①ハイドン
めっちゃ有名なはずなんだけど俺ぜんぜん知らん。何をオススメしたらいいのかもわからん。「クラシック音楽はこういう構造ですよ」ってのを考えて確立した人らしい。
Aメロ→Bメロ→サビみたいな概念を考案したと思うと確かにすごい気がするな!
これはさすがに有名。メロディが可愛い作曲家というイメージ。あとすごい譜面が読みやすい。音が脳にスイスイ入ってきて、次に来てほしいトコに音が来てくれるみたいな感覚がある。
ストレスに効果があるとかは眉唾だけど、フラストレーションや負荷がかかるような音楽じゃないのは確か。色々破天荒な人だけど、子供が凄い技術獲得したまんま大人になったんだろうなあって感じ。
ちなみに当時のきらきら星って今と歌詞が違って娘が自分の初恋を母親に伝えるみたいな歌詞らしいで
それまでの優雅~な感じのクラシック像を破壊しにいった人。思想がメタルとかハードロックなんよ。静と動、強弱を思いっきりつけてドラマティックな展開を作りまくる。当時の人は驚いたやろなあ。
この人現代でロックやったら絶対5弦ベースとか入れてくるわ。ギターも歪みかけまくりそう。あと性格は作風の通りだったらしいで。
■ロマン派
ロマン派音楽ってなんやねんってよく言うけど、ちょうどそのころヨーロッパでは革命とか起こりまくって一般人が貴族とかやっつけてたわけ。そうなると「そんなお高くとまった音楽聴いてられっか」みたいな感じになってドラマティックで人間的な曲が好まれるようになるやん。つまりロマン派って現代におけるロック・ポップスみたいなもんやねんな。だからそのノリと近い触れ方で良いと思うよこの時代。
歌で有名。「魔王」とか「ます」とかやね。実際メロディメーカーで代表曲も歌曲なんだけど、本人はオケとかピアノ曲をもっとやりたかったらしい。ベートーベンに憧れてたんだって。ただベートーベンほど派手な曲展開をしないのは性格からかもね。メロディが奇麗でちょっとおしとやか。弱気そうな肖像画と貧困で若くして死んだ印象が強いけど死因は手出した女から貰った梅毒らしいからアイツもやる事やっとるで(無粋)
②ショパン
かの有名なピアノの詩人。ノクターンとか別れの曲とか。激しい曲もたくさん書くけど、どんな曲でもとにかくメロディにフックがあってまるで歌謡曲を歌ってるみたいなんよ。ピアノなのにね。
大体の作曲家はオーケストラ曲書いて、バイオリンの曲書いて、歌も書いて・・・って色々なジャンル書くもんなんだけど、ショパンさんマジでピアノ曲しか書かん。これって割と珍しいんよ。ただ、弾く方の視点から言うと、すごく楽譜が指の理にかなってるんよね。だから初心者でもワルツやプレリュードのいくつかの曲は全然ちゃんと形になるで。これホント。
《オススメ曲:なんでもいいけど、いろいろな曲調あるからエチュード集作品10》
③リスト
超絶技巧イケメンピアニスト。べらぼうにピアノが上手くてコンサートを各地で開いて絶大な人気を誇り、そしてめちゃくちゃモテた。楽屋に女性ファンが乱入して私物がよく盗まれたらしいで。怖。ジャニ系かV系の狂ファンやん(偏見)。曲は華やかで派手な曲か、甘くてロマンティックな曲かで二極化してて、ライブ映えする。そして演奏が難しいね。
あとこういう奴に限って性格もイケメン陽キャで、チャリティーコンサートの主催とかしてた。世の中そういうもんよね。
有名な人のはずなんだけど、なんか地味な人。上の世代だとウルトラセブンの最終回のBGMがこの人の曲だったからそれで有名だけど、他の世代だと『トロイメライ』とかかなあ。
この人のピアノ曲は小説の短編集みたいに各曲に小さいタイトルがあったり、数曲またいでストーリー性のある流れを作ったり、コンセプトアルバムっぽいんよね。そういう作りが好きなら気に入るかも。
『この人、悪い人ではないんだけど、ちょっと近寄りづらいな』的なイメージの人。とにかく重厚で厳ついんよ。こう内にこもるエネルギーが凄い。綿密に曲作りこんでるなって。軽い気持ちで流し聴くような感じじゃないんよ。ものすごい準備して作った曲だろうからこっちも心して聴かねば・・ってなりそう。モーツァルトと真逆。
てかこの人見た目もそんな感じなんよ。性格も当たり前のように陰の者。その中で接しやすい曲でピアノと言ったらワルツ集とかになるんちゃうかな。でもちょっとだけハードル超えて接してみるといい人なのよ。曲もそんな感じ。
■印象派
印象派ってもともとは美術用語らしい。まあクラシックっぽいお堅い和音から逸脱し始めた人をまとめてこう呼んでるんちゃうか?たぶんここらへんのカテゴライズ適当だと思う。ぶっちゃけロマン派終盤のフランス人作曲家をこう呼ぶ。
作曲家下ネタ使用頻度をマーラーと常に争っている人。ちょいちょいオーギュメントをわざとつかって宙に浮かぶような感触を聴き手に与える。この辺が輪郭がボヤっとしてる美術界の印象派と被ったのかもね。複雑な曲展開やストーリー性よりも、「ある一瞬の風景をとらえました」みたいなテーマの曲が多い。クラシックぽさあんま無いなと思う。
本人の性格は下ネタ使用頻度高い名前に同情心が全くわかなくなるほどアレ。自分の不倫旅行をネタに曲を書く畜生。
②ラヴェル
ドビュッシーと同じようにちょいちょいそれまでのクラシックでは使わんかったコードを使うけど、ドビュッシーよりも上品だと思う。というかクラシックっぽさをきちんと残しているというか。きちんとクラシックの道の先に居る感じはする。輪郭線がぼやけているという感じもなくて、ところどころにジャズみたいなオシャレ和音も入る。
ビル・エヴァンスとか好きな人は結構好きかもしれん。オシャレ感すごいけどやっぱり本人もオシャレだったらしいで。ちなみに楽譜が簡単そうに見えても死ぬほど弾きにくいから気を付けろ。
③サティ
この人は「音楽大学なんかやってられねえ」って退学してカフェでピアノ弾きとして働きながら音楽活動してた異端な人や。その経験からかヒーリングミュージックやBGMというコンセプトの音楽の始祖みたいな感じや。聴き流す音楽の極致やね。たまに意味の分からないタイトルの曲を作る事でも有名だけど、まぁ最初に聴く分にはそういうの抜きに分かりやすい曲を聴くのがいいんちゃうかな。性格は変人そのものや。変な人じゃないとこんなことやらんかったんやろなあ。
坂本龍一の映画やCMの曲が好きならサティのたまに作る真面目な曲がハマるかもしれん。弾くのは初心者でも挑戦可能やで。
■国民楽派
クラシック音楽もいきつくとこまで洗練されると、逆に民族音楽とかから素材を取ってくるみたいな音楽家が増えて、まぁ大体そこら辺をこう呼ぶようになったけど、たぶんここら辺のカテゴライズ適当だと思うし、もめごとの発端になるで。メタルのジャンル分けみたいになってしまう。
チェコの作曲家やね。基本オーケストラの人だけどピアノなら一番有名なのはユーモレスクちゃうかな。とにかくクサメロをいかんなく繰り出してくる人。ちなみにえげつないほど鉄ヲタだったらしい。
スペインの作曲家やね。この人はかなりの割合ピアノ曲が多くて、本人も上手いピアニストだったみたい。スペインと聴いて思い浮かぶ熱情的なノリ、裏でカスタネット鳴ってそうなリズムがどの曲にもある。一部はギターソロに編曲されてたり。確かにスペインならそっちのが風情ある。スパニッシュギターっぽくね。
ロシアの作曲家やね。豪傑っぽい見た目からイメージ通りの曲調が繰り出されるぞ。まぁピアノやってると話題に上がるのは主に展覧会の絵なんだけども。軍人上がりのアル中で、酒の飲みすぎが原因で入院した際に友人に差し入れされたウォッカを飲んで死亡したらしい。ロシア人どないなってんねん。
まぁ他にもいるけどキリないからこれでいいや。
■近代
まぁこれもなんか第二次世界大戦前後くらいに活躍してた人を適当にまとめた感ある。正解がないと思う。
ロシアの作曲家やね。一番有名なのは「のだめ」のピアノ協奏曲2番とかになるんかな。とにかく体が大きな人で手もめちゃくちゃデカいピアニストだったので、それを生かしたスケールの大きな曲を作るのが得意。譜面見ると「コレどうやって弾くねん」ってツッコミいれたくなるわ。同時に鳴るわけない距離なんよ。凡人には。
ときおり演歌のように懐が深いメロディを繰り出してくるので、かなり日本人好みなんじゃないかなって思ったりする。
ハンガリーの作曲家やね。一番有名なのは、これも「のだめ」のアレグロ・バルバロかな。のだめ便利やな。
民族音楽由来のクセのあるメロディと変拍子が特徴だと思うで。プログレッシブロックとか聴ける人はここら辺の方がむしろハマるかもしれん。現代っぽい不協和音も多いけど、メロディとリズムがきちんとあるから、開き直れば割と聴きやすいと思う。弾くのは、難しいかなあ。あえていうなら、ルーマニア民俗舞曲とか異国情緒たっぷりで弾きやすいかもしれんの。
ロシアの作曲家やね。なんか最近ロシアが多いのは俺の趣味や。すまんの。生きてる間にコロコロ作風を変えたことで有名な作曲家で、初期はメロディがロシア風にエモくなったショパンのような曲を量産していたが、中期は印象派風の曲も作り出して後期は不協和音バリバリの現代チックな作風に転化していった。バンドなら3回くらいは音楽性の違いで解散しとる。
なのでどれが気に入るかはわからんが、どの時期でもエチュードを書いているのでそれつらーっと聴けばええんちゃうか。
■現代・・これも好事家しか知らんから今は覚えんでええわ。50年後残ってたやつを聞けばええと思う。
魚の骨を取るのが滅茶苦茶苦手だ。
海沿いの町で育ったいわば骨取りサラブレッド(?)のはずなのに下手だ。
祖母は模型みたいな骨の取り方をする人で、認知症で私の事が認識できなくなっても私の存在を無視しつつ美しく魚を食べていた。あら、キレイ。
母も父も祖母程ではないがそこそこ上手い。兄弟もある程度はできる。
朝や職場での昼食は避けている。人と食事するときは選ばない。無言で骨取りに集中する。鮭と鰤で今更ながら練習しているがたまに刺さりかける。穴子や鱧、鰻は苦手。秋刀魚も鯛も苦手。干物の食べ方はわからない。
友人や同僚はあんなにスイスイといとも容易く骨取りできているのに…
自慢じゃないが祖母直伝の編み物という特技、切り絵、アクセサリー作りなど正直細かい作業は得意な方だと思っている。
おかしい。
こんな私も小学生まではありとあらゆる魚を食べていた。毎日ではないが、食卓に煮魚や焼き魚が並び、小テストのようにクリアしていた。あの頃は私の魚人生で一番輝いていた。
その後、喉に骨が刺さるまでは。
正直言うと小学校低学年の私は慢心していた。お皿の上のあまり見かけない魚に今までのノリで油断した結果、立派な骨が私の無防備な喉にジャストミートした。痛かった。ご飯を食べても抜けず耳鼻咽喉科送りになった。初めての挫折。
吸引チューブを突っ込まれ悶え苦しんでいる私の診察室になぜか私よりも小さい男の子がいた。意味がわからないがチューブで溺れる私を近くで眺めていた。(個人情報とは?)私を処置した医師の顔は全く思い出せない。ただ小さい子に見られてるからそんなに泣いたらダメだよ~という言葉だけははっきり覚えている。
子供はどうでもいい。こいつ、これが終わったら…!と思った。その医師の喉に骨が刺さる呪いを百万回かけたい。
その後なぜか上手く食べられなくなり今に至る。小学校の給食で骨付きは無理だと担任に涙ながらに訴えた経験は黒歴史だ。その時ちょうど教室のテレビで魔女の宅急便が流されていて、金曜ロードショーで見る度に嫌な思い出がよみがえる。
ちなみにスーパーで「骨無しです」と大きなシールが貼られた魚を飼ったこともある。食べたらしっかりした骨が残っていた。解せない。魚の骨格を覚えたら骨のある場所がわかって取りやすくなるとどこかで見て、魚類の勉強をしたこともある。魚の知識だけは増えた。
下手な自分に諦めはあるけど、やっぱり上手くなりたい。大人として恥ずかしいし、人との食事も困る。子供の頃の大人って美味しそうに大根おろしののった秋刀魚をおかずにご飯を頬張るイメージだった。今の実力で魚とご飯を一緒に食べると確実に喉に刺さる。っていうか大根おろしで骨が見えないから絶対無理。
コロナで出かけるところがなくなって、最近は自転車で色々なところに行くことが趣味になった。
そのときに、某宅配員が背負っているリュックがとても役に立つ。
もうすでに生家自体は人の手に渡って残っていない。
そんなところに入っていけば、普通なら住人でもなければ怪しまれて当然だ。
背負って入っていけば全く怪しまれない。
これはかなりの発明だ。
住人は訝しげな目を向けるもそれ以上追求してくるようなことはない。
階段から通路を奥まで進み、スマホを片手に首を傾げながら来た道を戻る。
最上階からの景色を十分に楽しんだら、あとはそのままマンションをあとにするだけだ。
誰にも怪しまれないように自由な場所に出入りできる不思議道具がまさかこんなところにあるだなんて。
言っておくが、監視カメラが当たり前の世の中、窃盗なんかは絶対にするなよ。
誰にも迷惑をかけず、自分の行きたい場所に行く。そのための道具にすぎないのだ。
ある程度都市部に限られるが、今まで登ってみたかった団地や覗いてみたかった私道の奥にスイスイ入ることができるのは本当に画期的だ。
ありがとうーばー
小さい頃から道路を渡るのが本当に苦手で、時には信号のある横断歩道ですら怖くて上手く足を踏み出せなくなる。信号無視した車が自分に突っ込んでくるのではないか?という嫌な想像が頭を巡るので。
車に関する交通事故に遭ったことはないが、よく自分や家族、友人が車に轢かれる夢を見る。信号待ちしている時にもアクセルとブレーキを間違えた車が突っ込んでこないか不安になる。でも車の運転そのものは好き。
世の中の人は横断歩道もない道をスイスイ横切れてすごいなと思っていたが、何となく理解出来た。多分普通の人はここまで道路が怖くないんだろうな。道路の対岸までの距離と自分の速度と車の位置/速度がどうにも掴めないのもあるかもしれない。
ここまで恐怖を感じる原点が分からない。大概こういう症状って幼い頃の経験に基づいているものではないのか?
解決策が欲しいけど日常生活に著しく支障をきたしている訳ではないし。まあ一緒にいる人がサッサと道を渡るのに待たせてしまうのは申し訳ないが。信号ありの横断歩道で丸々一巡動けなくなってから考えることにする。
なんとか女子という言葉を使った企画が炎上してる、というより波紋を呼んでいる。
私も過去に◯◯女子と区分された趣味を持っていたことがあるので、当事者といえば当事者だと思う。
私自身は◯◯女子という呼称はそこまで嫌じゃなかった。ただ、この呼称を嫌がる人がいる理由もすごく分かる。
まず嫌がられる理由から書くと、わざわざ性別で分類される必要性がない、という憤りがあるんだと思う。
どこか下に見てるというか、ミーハーな若い女たちがこぞってやってきたぞ的なニュアンスが滲んでるような気がするのだ。
女というだけで無条件に素人で流行り物が好きでそれに乗ってきたと思われている!と感じる人がいてもおかしくない。
けど、そんな女性たちの声が多い中で次々と◯◯女子という呼称が生まれる理由も分かる。
今まで女性が少なかった分野や場所に突然女性がやってきたら、多分元からそこにいた人はびっくりする。何で?と理由を探すと思う。
その時「最近は◯◯女子って言葉もあるくらい、◯◯に興味のある女性が増えてるんだよ」と言われると、納得できる。
納得というより、女性が急に増えたけどそれは何らおかしいことではなかったのか、と安心できるんだと思う。
正直これは卵が先か鶏が先かという感じで、◯◯女子という言葉と◯◯に興味のある女性のどちらが先に生じたかは多分はっきりしない。
けど、言葉として存在するということが重要なのだと思う。新しい呼称が生まれるほど世間に浸透している、というのが大切なのだ(実際どこまで浸透してるかは割とそこまで重要じゃない)。
これは別に◯◯女子だけでなく、鉄オタという呼び方ができて鉄道趣味が世間一般に広く知れ渡った…という例は多い。知らんけど。
そして、そういうキャッチコピーは実際かなり便利だ。
どうして◯◯が好きなの?女の子で興味持つなんて珍しいね?変わってるね?と言った面倒くさい外野からの視線も「私◯◯女子なんで」と一言言えばすんなり終わる。
「女なのにどうして」という疑問を「女だから」で返せるかなり便利な一言だ。相手の前提を根っこから覆せる。
実際私も◯◯女子という呼称を使いまくって、今時女が◯◯好きなんて常識ですよ的な感じに持っていったことはかなりある。
例えるなら、オッサンのセクハラ発言を笑って受け流すような、根本的なところは何も解決していない気持ち悪さも実際ある。
私も、女だろうが男だろうが誰であっても自由に行き来していいじゃないか…と思うところはある。
わざわざキャッチーな言葉でレッテルを貼らなきゃ理解できないこと自体馬鹿にしている、という考えも分かる。
でも、やっぱり◯◯女子という言葉で女性が動きやすくなってる面もあると思う。
◯◯女子に限らず、◯◯男子だって◯◯ブームだって同じだけど、分かりやすいレッテルを盾にすると世間の好奇心のような疑問がいちいち体に刺さることなくスイスイ動ける。
でも、ただ、けど…と際限なく続いてしまいそうなのでこの辺でやめます。
◯◯女子って言葉自体は良くも悪くもいろんな効果があるんだ、というのが私の主論です。言葉が生まれるってことはそれだけ影響が大きいことだと思う。
すごい余談だけど、観光系の仕事してる人が「女性客に優しいプランを!」と上層部に「今は◯◯女子が流行ってるのでそれに合わせて企画しましょう」とプレゼンしたものの、一部の女性から「◯◯女子と呼ばないで!」と言われてしまいとても困ったという話も聞いたことある。
女性客の利用が見込める最大かつ最も分かりやすい理由が◯◯女子という言葉なのに、本人たちから否定されるとは…と結局企画は消えてしまったそうな。
デュアルディスプレイ、もしくは液晶タブレットや板タブを使ってる人間で、モニターアームを使ってないやつは馬鹿だ。今すぐ買え。
分かる。ちょっと前までは、まともに使えるモニターアームと言えば4、5万はするし、ごつくて重くて一人で設置するのは大仕事だった。
しかし、今は不良品ガチャさえクリアできれば、Amazonの中華製5000円程度でまともなものが来るし、クイックリリースなら10分もかからないし、腰も痛くならない(クイックリリース対応でないものには2000円程度の追加部品が必要だが、その価値はある機能だ)。
「机にクランプが挟まらない」というなら、もう穴開けちゃえ。どうせハードオフで500円で売れるかどうかも怪しい机だろう。粗大ゴミで1000円払う羽目になるんだから、穴なんかいくらでも開けるべきだ。ホームセンターの1500円の電動ドライバーと10mmのドリルピットでいい。ずぶっと開けちまえ。
それだけで、「自分の思うところにスイスイ動くモニタ」が手に入るのだ。ケーブルの配線も楽ちんだぞ、回るから。
モニタがスイスイ動くと何が良いかって、細かいストレスが減る。
動画見てる時は、ハイバックに寄りかかって目線上にした方が楽。なのでモニタを高くする。
資料を並べながら作業する時は二枚横に並んでると楽。なのでぐいっと横に回す。
リングフィットアドベンチャーやりたいが、机の前にスペースがない。しかし、裏にはある。裏側に向ける。
それが、くいくいっとモニタの端っこ持つだけで動き回るんだから、QOL上昇半端ない。中華アーム最高。
壊れたって5000円くらいだし、壊れた頃には手放せなくなってるから、お高い信頼と安定のエルゴなんとかとか買えばいいのだ。
自分は、テレビとソファでゲームするより、ゲームに合わせて視線を変えられるモニターアームの方が圧倒的に楽なので、HDMI切り替え機も買いました。というか、テレビもモニターアームにしたい。するか。
カプコンのアクションゲームに胸を熱くさせ、任天堂で育った人間だ。
それでもまだまだ新作PVを見ては心ときめかせて、今はFF7Rを少しずつ進めている。
歳のせいか、リメイク版ではクラウドが可愛くて仕方ない。そんなゲーマーだ。
格闘ゲームを初めて触ったのは、ストリートファイター2だ。
幼少期、友達の家でわちゃわちゃ騒ぎながら対戦した。
波動拳を打つことができるTくんが猛威を振るったが、友達同士の対戦は無性に楽しかった。
負けるたびにコントローラーを交代して、みんなで打倒Tくんと、一丸となった。
キングオブファイターズ、ギルティギア、鉄拳やバーチャファイターなど、
ただ、どれもひとりで遊んだことはない。
友達の家や、ゲームセンター。あくまでも、その場で遊ぶだけの対戦ツールとしての楽しみ方だ。
だから、ひとりでうまくなるために一生懸命努力したことはなかった。
昔から勉強も、授業を聞いているだけでそれなりにテストの点は取れたから、
きっと、似たような感覚だったのかもしれない。
もちろん新作が出ると手を出して、オンラインで対戦したこともあったけれど、
画面の向こうの誰かの存在を感じることができず、
「昔遊んだ格闘ゲームとは、なんだか違うゲームだな」と首を傾げたりして、
それよりデビルメイクライでお手軽簡単なかっこいいコンボを試したり、
無双シリーズでバッタバッタとザコ敵を薙ぎ払うほうが、遥かに楽しくて、気持ちよかったのだ。
そんな折、『グランブルーファンタジーヴァーサス』という格闘ゲームが発売した。
ソシャゲのグラブルを題材にした、2D格闘ゲームだ。(ストリートファイター2みたいなやつだ)
格闘ゲームは自分にとって敷居の高いものだと思っていた私だが、
グランブルーファンタジーヴァーサス(以下GBVS)については、ちょっと手を出してみようかな、と思った。
理由は3点。
ひとつはネット上の付き合いのある友達が、何人かプレイすること。
近年はDiscordなどのボイチャ環境が整ってきたため、小学校の時のあの間隔を味わえるのではないか、と淡い期待を抱いたのだ。
これなら格ゲーの浅瀬をちゃぷちゃぷしていた自分でも、そこそこ戦いを楽しむことができるのではないだろうか。
3点目。これが大事だった。そもそもグラブルをやっていた自分にとって、
あのかわいいキャラを操ることができるのは、非常に楽しそうだったのだ。
ジータちゃんが最初から使えないことには憤慨したものの、それはじゅうぶん手を出すに足る理由だった。
プレイするたびにすぐ辞めるのが、いつもの私の格ゲーにおけるパターンだ。
今回もそうなるんだろうな、という予想が、どこかにあった。
ともあれ「またすぐ辞めてるw」と友達に冷やかされるのも、悔しいので、
続けるための努力はするべきだろう。
さて、始めるとなれば、キャラ選びだ。
これが大事であるということは、今まで数多くの格ゲーに挫折していた私は痛いほど知っている。
まるで永遠の伴侶を決めるかのように、慎重になるべきだった。
私はペルソナ4が大好きで、その格ゲーが出るということで、狂喜乱舞したことがある。
その際は、最愛の伴侶として千枝ちゃんを選んだ。千枝ちゃんと添い遂げようと思ったのだ。
けれど……私は、挫折した。
キャラ愛だけではどうしようもならない壁が、そこにはあった。
私は千枝ちゃんを愛することができなかったのだ。
その反省から、今回は好きなキャラにこだわるのはやめよう、と思った。
できるだけ気楽にお付き合いができるような、そんな人だ。
私は『カタリナ』という女騎士を選んだ。
本家グラブルにおいて、カタリナさんはそれほど人気の高いキャラではない。
女性キャラとしてはむしろネタ枠で、グラブル内で連載されている4コマ漫画でも散々弄り倒されている。
私自身も、ヴィーラさんは好きだったけれど、カタリナさん自身にはいい印象も悪い印象も、なにも抱いていなかった。
なので「まあ、ジータちゃんが追加されるまで、お付き合いをお願いします」という気分で、彼女の手を取った。
彼女はこんな不誠実な私にも、「よろしくな」と微笑んでくれた。
交際を始めると、カタリナさんは確かに動かしやすいキャラだった。
必要なパーツはなにもかも揃っている。炊事も洗濯も掃除もできて、さらに素直な性格だ。
実際、カタリナさんはどのプレイヤーからも「強いキャラ」と言われていて、
自分がうまくなればなるほど、誰にだって勝てるポテンシャルを秘めているらしかった。
一緒にゲームを始めた、格ゲーに詳しい友人は「君がカタリナを選んでほっとした」と言ってくれた。
間もなく、格ゲーにおいて、操作が簡単である、ということの重要性を私は初めて思い知ることとなる。
少し話は変わるけれど、
誰もがグー、チョキ、パー以外に、
ギョス、メランダ、ポポポチーノ、アラモ、ショポーリ、スイギョー(適当)などなど、
30個ぐらいの手をもっている。
スイギョー、ショボーリ、パー、ニャフ、など4つの手に勝てる。他の24個の手とはあいこだ。
こういったことを、毎瞬毎瞬、頭の中で考えながら、試合を進めていくゲームだ。
難しいのだ。
複雑なルールが覚えられない私にとって、カタリナさんは救世主だった。
カタリナさんは、グー、チョキ、パーの三つさえ覚えれば、だいたいなんでもできた。
他キャラが30個の手を使いこなしてくる中、カタリナさんの手は三つで足りた。
初めて見る相手に、「えっ、なにその技!? どうやって対応すればいいの!?」と度肝を抜かれる攻撃をされても、
自分で調べてみれば、「なるほど、これは実はチョキで勝てる手だったのか……」とすぐに答えが用意されている。
対戦して、一方的にやられて、自分で調べ物をして、そしてまた対戦をする。
すると今度は、相手のゾゾゾジゾという手に勝てるチョキを用意した私が優勢に戦える。
対戦相手も私がチョキを連発するようになると、そのチョキに勝つ手を用意してくる。
これを繰り返していくと、私はいつの間にか、さっきまで手も足も出なかった相手と五分に渡り合えるようになった。
楽しい。
楽しくて、毎日GBVSをやった。
昨日あれほどボコボコにされたフェリに対して、一晩練習しただけで、それなりに勝てるようになるなんて。
すごい。
どんなに強い相手でも、カタリナさんがいれば「いずれは勝てるようになるかも」という希望を抱いた。
今まで私は格闘ゲームを誤解していたんだ、と気づいた。
私は格闘ゲームはゲームの上手い人がやるゲーム、という認識でいた。
バイオハザードでゾンビに一度も捕まらないようにスイスイとプレイする人が遊ぶものだと思っていたのだ。
けれど、違った。
格闘ゲームというのは、非常に複雑なジャンケンで、相手の行動に対してこれをすれば勝てる、という手を用意しておくゲームなのだ。
こんなにシンプルなゲームだったのか……と目からウロコが落ちた。
もちろん、それを教えてくれたのは、カタリナさんだった。
「カタリナさん、本当に強いね」
「なあに、私を上手に操ってくれる、キミがいてこそだよ」
カタリナさん……。
いつの間にか、私にとって彼女はかけがえのない大切な存在になっていた。
よくよく見れば、顔もめちゃくちゃ美人だった。
(余談だが、先日本家グラブルにおいて開催された水古戦場においてカタリナさんが使えて嬉しかった)
私はカタリナさんとともに、反復練習、そして調べ物を続けた。
負けては調べ、負けては勝てる手を考える。
少しずつ成長していった。
共に初めた友人はSSランクというメジャーリーグみたいな場所に旅立っていったけれど、
私もAランクというマイナーリーグでそこそこ戦えるようになっていった。
なによりも、自分が徐々にうまくなっていくのが楽しかったのだ。
私の実力があがると、カタリナさんはますますその力を発揮し、期待に応えてくれた。
いや、違う。私がカタリナさんの期待に応えれるようになったのが、嬉しかったのだ。
私のそばでは「キミは日々強くなっていくな」とカタリナさんが微笑んでくれていた。
彼女は出会った頃よりわずかに……いや、明らかに綺麗になった。(私は強めの幻覚を見るようになった)
途中のバージョンアップでもともとの本命であるジータちゃんが追加されても、
私はカタリナさんのまま、GBVSを続けていった。
「本当に、私でいいのか……?」と恥じらうカタリナに、私は大きくうなずいた。
「当たり前だよ。私にとって、カタリナさんがグラブルなんだ」
社会人ゲーマーになると、とにかくゲームの時間を捻出するのが大変だ。
積みゲーもたくさん増えてきた。
そんな中、回転寿司のように、次々と新しいゲームに手を出してはクリアーしていくのが、私の最近のスタイルだった。
ストーリーのないゲームに時間をかけるのは、無駄だと思いこんでいた。
けれど、GBVSは違った。
それだけ多くの時間、私はカタリナさんと共に過ごした。
そして、4月28日。
バージョンアップの日がやってきた。
先に言っておくと、カタリナさんは確かに強かった。
「仕方ないさ。格闘ゲームというものは、バランスが大事なんだ」とカタリナさんは寂しそうに微笑んでいた。
だから、ある程度の弱体化が入ることについては、私も納得していた。
「しょうがないよね。調整ってよくある話だし」
といっても、これは『頭で』納得していた、というだけの話だ。
よく格ゲーでは「修正しろ」だの「弱体化はよ」だの、声が多く上がる。
実際に私も、スマブラDXで友人のフォックスに宇宙の果てまで蹴り飛ばされた際には「修正しろ!」と叫んでいた。
だけど、私は本当の意味での『修正』という言葉を知らなかったのだ。
なぜなら今まで、本気で格闘ゲームに向き合ったことなどなかったからだ。
カタリナさんが弱体化された。
私の顔はたちまち青ざめた。
唖然とした。
メインで使用する近Bがなによりも、破格の弱さになっていたのだ。
近Bという技は、どんな状況でも万能に使える最強のチョキであった。
多くの手に勝つことができて、コンボでも重要な役割を担う、カタリナさんの愛刀であった。
なによりもモーションがかっこいい。レイピアを高速で振り下ろすと、空気を切り裂くようにそのしなりが見て取れる。
カタリナさんの力強さ、そして剣に懸ける想いがこれでもかと伝わってくる、袈裟斬り。それが近Bだ。
その近Bが、死んでいた。
『硬直を増やしました』『認識間合いを狭くしました』というそのたったふたつの言葉で、
カタリナさんの手触りはまったく変わっていた。
私は震える声で問いかける。
「カタリナさん、カタリナさん、大丈夫……?」
するとカタリナさんは笑顔でこう言うのだ。
そう、気づいた。
たったひとつの技が弱くなったそれだけで、カタリナさんは、
私が2000試合も共に歩んできたカタリナさんは、
まったくの別物になってしまったのだ。
私の結婚したカタリナさんは、もうどこにもいない。
これからは近Lという、漫才のツッコミみたいに手の甲をぺちっと突き出して柄で殴る技を、メインに使わなければならない。
「近Bか? しかしあの技は、使ったところで仕方ないだろう」
このカタリナは苦笑いをする。
「ガードされて1フレーム不利だ。立ち回りで振るような技じゃない。私はそういう戦い方はしないんだ」
違う。私のカタリナさんはそういう戦い方をする人だった。
私のカタリナさんはどこにいったの?
ちょっとずつヒット確認ができるようになっていった遠Cが弱体化されたことなんて、どうだっていい。
色んな所からヘイトを集めているJUなんて、削除してくれたって構わない。
だから、近Bを、近Bを返してくれ。
せめて微不利じゃなくて、五分にしてくれ。
私のカタリナさんは、2000試合で少なくとも近Bを2万回以上は振り回した。
その技が、処刑されたのだ。
格闘ゲームの『調整』がどれほど恐ろしいものなのか、私は初めて味わった。
セーブデータが消えるんじゃない。自分が今まで積み上げてきた『努力』が無かったことにされるのだ。
ただ受け入れることしかできない突然の交通事故に遭ったような気分だ。
有名プロゲーマーが「なによりも調整を恐れている」という発言をした際に、私は「そういうものか」と思っていた。
弱くなったキャラを捨てて、すぐに強いキャラばっかり使う人のことを「キャラに愛着がないんだなあ」と思っていた。
バカだった。
私のカタリナさんは、間違いなく近Bを主軸に攻め込むカタリナさんだった。
だけどもう、そのカタリナさんはどこにもいない。
別物だ。
「でもどうせ弱体化されるんだろう」という想いを抱いて、遊んでいくのだろうか?
ただ、ひとつだけ言わせてほしい。
ありがとう、カタリナさん。
あなたのおかげで私は、強くなるために努力することの大切さを知りました。
あなたのおかげで私は、格闘ゲームの楽しさを初めて知ることができました。
あなたがいなくなったグラブルを愛せるかどうかは、まだわかりません。
もしかしたら別の恋人を見つけて、恥知らずにグラブルを続けるのかもしれません。
ありがとう、カタリナさん。あちらへいっても、元気に近Bを振り回してください。
まあいうて、新しいカタリナさんでも、それなりに戦えそうではあるんだけどね……。
操作感が変わる調整は、やっぱつれぇわ…………。
コロナが嬉しくて仕方のない人、コロナもっとがんばれって思ってる人、自分の他にいませんか?
誰にも言えないけれどここ最近ずっと嬉しくて、ドキドキワクワクして、心のうきうきが収まらなくて、どこかにきちんと吐き出さないと、言いふらしてしまいそうだから、ここに残してみる。
自分はいままで散々、会社で色々な雑務が大量にふられて、自分の仕事が進まなかった。在宅勤務になってから、スイスイと仕事が進むようになった。ヒステリックに怒る人たちと顔を合わせずに済むようになって、心も健康になった。いま、怒鳴ればなんとかなった人たちや、下っ端に仕事を丸投げすればいいだけだった人たちが、困っている。
職場に行って理不尽な思いをしては、一人暮らしの家で深夜に「クソーっ!!!」と怒鳴っていた日々だったが、リモートワークになって職場に行かなくなってからは、どんなに家仕事が増えようと、心は晴れやかになるばかりだ。
コロナうんぬんじゃなくても毎日出勤しなくていい仕事をしてる人はいる。それに就けばいいじゃないか。
…やれたら既にやっている。結局、毎日出社しなくていい生活を手に入れたのは、作家だったり、ライターだったり、Youtuberだったり、その努力と才能のある人に限られている。自分のように、努力も面倒で才能のない者は、どこかの会社に巻かれて、出勤するしかない。
さらに自分は普段から死にたい願望が強かったので、「志村けん羨ましいな〜」とさえ思う。コロナでコロっと、この機に乗じて死ねるのでは?って。
リストカットなどをしているわけではない。けれど、生活をすること、生きること自体がめんどくさくて仕方なくて、だけど自殺を進んでするほどの勇気はない。そんな人、たくさんいるのではないか。そしてその人たちは、自分と同じように、コロナ万歳、って思ってはいないか?
「自分はいいけど、身内や親、大切な人が万が一コロナになったら嫌でしょ」という意見も目にしたけれど、仕方ないって諦められる。諦めるしか、人生病まずにうまくいく方法はない。
今となっては、コロナの心配もなく毎日出勤しなければならない世界線のほうがもっとこわい。コロナ、もっと頑張って人類を脅かしてくれ。
工場は高卒あがりばかりで、こういっちゃアレだが、自分の学歴からするとかなり格下の会社に入ったと思う。
人事的には数年現場も経験させて管理職ってプランだったんだと思う。
ネジしめたり掃除したりする単調な日々のなか、ある時60過ぎの再雇用の人から統計の手ほどきを受けた。
専門家からしたら子供の遊びみたいな簡単なものだが、不思議とスラスラと頭に入った。
一緒に習った数人のなかで、ドロップアウトしなかったのは自分だけだった。
自分だって数学なんか好きじゃなかったが、世の中の人は数式が苦手らしい。
ネジの長さやら瓶の重さみたいな単調なデータでも、解析すれば次から次へと新しい発見があった。
自分に統計を教えてくれた人は、統計は使えても、パソコンが並の老人よりマシ程度のスキルだったので、紙の記録からせこせこエクセルに手打ちで入力して、都度せこせこと式を立ててというスタイルだったので、自分だけが機械から出力されたcsvファイルからスイスイと統計解析できた。
仮説をたてて、データぶっこぬいて、統計量をだして、分布表にあててp値を出す、それだけのことが世の中の人はなかなか出来ない。
世の中の人のほとんどは、プログラミングはおろかエクセルもろくに使えない。配列数式くらいで部署で1番になれる。
あの頃は天狗だった。
そのうち現場を離れることが多くなり、法律を読んだり役所にだすお堅い書類を作らされたりさせられた。
世の中の人の半分くらいは、法律みたいな少し堅苦しい文章になるだけで、日本語の文章を読むことすらできないようで、その手の仕事でも重宝されるようになった。
そうこうしてるうちに、かなり大きな会社に買収された。
上司は親会社からの出向組で占められ、ここから出世は難しそうだなあと思い始めた矢先、人間関係のトラブルで会社を辞めた。
しかし、今度は大卒、しかも修士とか博士ばかりで、びっくりした。
ここでは大半の人よりも自分のほうが手が早いし、数字のハンドリングも、ITスキルも役所とのやりとりも出来る。
手先が器用で、サイエンスな文章を理解できて、数式を理解出来て、法律文書を理解できて、クラシックな統計解析が出来て、データベース操作と簡単なプログラミングが出来て、報告書とプレゼン資料が作れれば、どんな会社にいても重宝されると思うのだ。
どうしても疑問で。
と言いながら、
だから隠れてやりましょう
っていうのは、どうもなぁ……、と思いつつも、長年二次創作を続けていた。
長年書いていたおかげか、妄想出力速度と精度が上がって、第三者目線から見た出来はともかく、自分で読んで悦に入るには充分くらいの力がついた。
それで、これくらい二次で書けるんならもしかしたら一次創作も出来るんじゃね?と思って試しに書いてみたら、思った以上にスイスイ書けてしまった。他人が読んだらどう思うかはともかくとして、自分の理想は詰め込めるだけ詰め込んだし妄想再現率は90%を余裕で超えているので、私うっとり。読み返しては独りでグヘヘと笑っている。
ところが、一次創作では自分の作り出したキャラやカプの妄想をTwitterなどで呟いても、誰も賛同もしなければノッてくれることもない。当たり前だ。私のキャラやカプは私の脳内にしかいないのだから。かといってあんまり自分のキャラやカプの事を解説しては、自らの作品のネタバレを垂れ流すことになってしまう。
なので、ひたすら黙々と書き続けるだけになる。出来上がったものを自分で読んで、ゲヘヘするのはたのしい。幸いなことに、面白いと感想を貰ったりファボされたりもした。だが、二次創作みたいに、誰かと萌えを共有してキャッキャ出来ないのが、少し寂しい。
一次創作コミュニティに入るのも良いのかも知れないが、自分の書くものにしか基本興味のない私がそういうコミュニティに入ってもなぁ。
例えば、尼子惣兵衛先生とか諫山創先生みたいな、プロ中のプロだったら、自分のキャラでファンが妄想を膨らませてキャッキャするのを眺めたり、ファンからの質問を受けてキャラや世界観を掘り下げてみたりとかいうことも出来るのだろうなぁ。
でも、そこまで神になれるはずはないし、別になりたい訳でもないので、なんか寂しいぞ……と思いつつ、脳内一人相撲をしながら、今日も孤独な執筆作業をするのだった。
徹夜組が影響を受けたやら始発組が影響を受けたやらデマっぽいのが出回ってるので自分の体験を記しておく
自分が見た範囲だけなので事実誤認や覚え間違いはあると思います
自分は9時15分頃にりんかい線国際展示場駅に着いて、あらかじめリストバンドを購入していたので誘導どおりに進んだら東駐車場に行くことになってしまった
Twitterの検索結果を見たら8時台のどこかぐらいから11時ぐらいまで前後に来た人あたりが東駐車場に行くことになってしまったようだった
以前東館が使えた頃に何度も東駐車場に並んだことはあったが、今回はそもそも移動経路が大幅に異なっていた。
非常に細くて2、3人程度しか幅が取れずに階段によるアップダウンがあるルートを途中で通る羽目になった(防災公園の外側の大回り?)。一般の人とのすれちがいも発生してスムーズには通りづらい感じであった
もちろん横断歩道の待ちなどもあって、この移動だけで30分から1時間弱ぐらいはかかってしまった気がする
東駐車場では前から2つ目から3つ目ぐらいに作られた列についた
スタッフが「こんなフライパンを使う予定ではありませんでした。熱中症に気をつけてください」と話していたが、このあとあんなひどい状態になるとは思っていなかった
まったく人がいない状態の直射日光で十分に加熱された状態のところに来てしまったからか、「地面が熱いので直接座らないでください」という状態になっていた
周りに飲み物を入手できる場所はなく、(仮設トイレはあったらしいが)トイレについての案内も何もなかった
スタッフは数人ぐらいしか見かけなかった(周りで見たのは2,3人) 後述する体調不良者の続出もあって、まったく手が足りてなさそうだった
途中で「もうすぐ移動します」という話がスタッフからされたがその後一時間以上ぐらいは自分がいた列は一歩も進まなかったし前や周りの様子も何もわからなかった。
スタッフからの情報はほとんど何もなかったし、聞いた人がいても「わかりません!」という感じだった
並ぶのを諦めて列を抜ける人も結構いた
一番ひどいときには10分に一つぐらい何かが起こっていた気がしていてよくわからなかった
救急車両(消防車や救急車)が自分が見た範囲で3台、知り合いに聞いた話では8台ぐらい来ていたらしい
自分には何もできなかったので何も言う資格もない気がしますが、あの状況で対応していた方々は本当にありがたいと思う
本当にひどくなる前に自分は東駐車場から出てしまったのですが、下記のツイートが熱中症の救護にあたっていた人のもののようなので雰囲気を知るにはいいと思います
https://twitter.com/kawagoeairlines/status/1160459637927239684
自分がいた列の移動が始まったのが12時前ぐらいだった気がする
救護活動などでの混乱の中、列の移動が始まった。移動が始まったとともに隣の列の一部が急に溶けてこちらに混ざってきたような気もするがよくわからないぐらい混乱していた
横断歩道や細い道や階段を通るルートでここからの移動が更に数十分かかった。
コスプレをしてるところの間を抜けて正面の入り口に通されたが中から出てくる人の列と完全に交差していてなかなか進めなかった。中に入ろうとする東駐車場組と外に出る人たちが交互に移動していた
駅からやってくる人は特に交差をしているわけでもないのでスイスイとフリー入場していた
熱中症で命に関わる自体になる方がでないでよかった。救護活動されていた方々には頭が上がらない
入場規制が解除されていて、あとから来た方々がかなり前から入場できていたという話を見てわりとショックではありましたが、イレギュラーな対応だったとのことなのでしょうがないと思うしかないです
信号で止まっているときにスイスイと車を抜きながら車道を走ってる自転車を見ると、こいつ死なないかな、と思ってしまう
自転車って免許が必要ないから、そもそも交通ルール学んだことないやつが多い
ほんとうに堂々と逆走しているやついるんだもの
そのまま車と正面衝突してくれないかなって思う
しかも最近、なんの嫌がらせなのか道路の左側に自転車用のレーンであるかのようにペイントがされているんだよね
拡張もせずにペイントだけしてあって、車が抜けないんじゃないかって幅の道があって危険なんだよ
あいつら何を考えてんのか横にふらついたりして挙動不審なんだよ
車気分で道路を走らんでくれ
迷惑なんです、こっちは