はてなキーワード: エーリヒ・フロムとは
「悪性の自己愛」は診断名ではない。元はパーソナリティ障害の専門家であるエーリヒ・フロムの造語で、「自分のことを特別視するあまり、他人のことを自分がプレイしているゲームで殺すか殺されるかの駒としか見ていない」。いとも簡単に殺人命令を出したヒトラー、金正恩、プーチンなどが例として挙げられており、このエッセイのタイトルである「病的な自己愛と政治:致命的な混合」の意図が理解できる。
社会心理学者のエーリヒ・フロムが初めて悪性自己愛(Malignant narcissism)という用語をつくったのは1964年のことであり、それは悪の典型を示す深刻な精神障害を表現するのに用いられた。フロムはその状態を最も深刻な病理性、そして最も残忍な破壊性と非人間性の根源として特徴づけた[3]。ハーバート・ロゼンフェルドは悪性自己愛について、それは自己愛性パーソナリティの不穏な一形態であり、攻撃性を中心とした誇大性が形成され、自己の破壊的側面が理想化されたものとして表現した[4]。
彼らの着想をさらに発展させたのが精神分析医のオットー・カーンバーグであり、彼は反社会性パーソナリティは基本的に自己愛的であり、倫理性を持たないと指摘した[5]。悪性自己愛はサディスティックな要素を含んでおり、本質的には、加虐的精神病質者をつくりだしている。この小論において、悪性自己愛は精神病質と入れ替え可能な語として用いられている。
カーンバーグは1984年に悪性自己愛を精神科診断名として用いることを提案したが、ICD-10やDSM-5をはじめとした、いずれの医療マニュアルおいても到底受け入れられるには至らなかった。カーンバーグは悪性自己愛を、自己愛性パーソナリティ障害(NPD)、反社会的特性、妄想的特徴、そして自我親和的攻撃性に特徴付けられる症候群として記述した。他の症状としては、良心の欠如、権力への精神上の欲求、特別であるという感覚(誇大性)を含みうる[5]。
私の彼氏は、こちらからメールを送ると返信はきちんとくれますが、向こう発のメールは用事がある時だけ。
3日、4日、5日とメールを待ってもついに来ず、自分からメールを送る時の不安感。
私のメールに対する返信も、気が乗らないと、まるでそっけない。
「気が乗らないけど義務感で返してくれてるんだな」と手に取るようにわかるメールで、そんな時、私は不安が募ります。
でも、会えば優しくしてくれて、メールが無いことも単に仕事に夢中になっているからだと、頭ではわかっている。
わかっているから、「メールくれないね」とか、やいやい言いたくない。
でもメールが来ないと「私のこと忘れてる?私の存在頭にある?」って不安になる。
この不安を頭から取り払い、メールくれない彼氏にも催促がましい事は何も言わず、久々の用件メールを笑顔で「待ってたよ〜」と迎える、
たとえば、暇な時間があるから余計な事を考えるんだと、新しく習い事を始めてみたり。
難しい本を読んでみたり(エーリヒ・フロムの「愛するということ」をカフェでじっくり読みました)。
習い事への行き帰りの電車の中とか、寝る前のちょっとした時間とか、本に飽きてぼーっとしてる時とか。
不安感はなくなりませんでした。
結局、一番効いた方法が、トキメキ要素を他の相手に補ってもらうこと。
他の相手というのは、三次元の人ではありません。浮気、ダメ、絶対。
相手は二次元です。
「いつも周りの人にクールに接する男性が、自分にだけは慈愛に満ちた眼を向けてくれる」だとか。
「風邪で寝込んでる自分を、不器用に、でも全力で甘やかしてくれる」だとか。
そういうトキメキを外部で、二次元で、補給していたら、いつの間にか彼氏にそういう要素を求める気持ちが抑えられてきました。
もちろん、くれるなら全力で欲しいですよ、彼氏からのトキメキ。
でも彼氏は生身の人間だから、私の煩悩を満たすために存在している訳ではないし、彼には彼の都合がたくさんあって、彼女というのは生活の中の要素の一つでしかない。
健全な男性なら、恋愛以外にも大切なものはたくさんあって当然だし、私も彼氏の生活の他の要素を大事にしたい。
そこで二次元。
都合のいい二次元。
メンヘラだとバレるのが怖いかぁ。そっかぁ。わかるよ、その気持ち。俺もメンヘラだから。
失恋というのは、振られる場合は「相手が自分を必要としていない」ってことだよね。だからそれを「自分への否定」だと感じるってことだよね?でもそれは、相手の男性にとって君が必要じゃなくなった(=価値がない)というだけのことであって、君の絶対的な価値がないということは意味しないから。大丈夫だよ。君の魅力を認めてくれる人はきっといくらでもいる。
今後も病んでいるのが治らない限り、恋愛というものはかなりつらいような気がしてきた。
というのは事実ではないよ。俺の知ってるメンヘラの子でね、恋愛しまくってた子がいた。もうね、連絡取るたびに彼氏が違うの。まぁそれはそれで褒められたことでもないのかも知れないけれど、でも大事なことは、そういった恋愛で彼女が輝いていたということ。そしていつの間にか心の状態も良くなったみたいで。バリバリ仕事もこなせるようになって。そしてしばらくしたら結婚して幸せそうにしてた。あ、ちなみに俺は彼女に振られたのね(笑)。付き合ってももらえなかった。
結局のところ、多くの人は自分のことしか愛せないんじゃないかなぁ。たとえ彼氏のことが好きになっても、「彼氏と一緒にいる幸せな気分の自分が好き」ということであって。そのあたりは難しい問題で、議論も多いと想うけれどね。あ、エーリヒ・フロムの『愛するということ』は名著だよ。読んでみて絶対に損はないと思う。失恋したそういうときにこそ読むべきじゃないかなぁ。
ということを考えるのも大事だね。メンヘラだとなかなか他人と関わる機会が少なくて大変だと思うけれど、できるだけ人と出会う機会をつくりなよ。増田では出会いは望みにくいけど、今はmixiもあるし、いろんな出会えるサイトがあるから。mixiのオフ会はおすすめだよ。多人数で会うのなら危険も少ないでしょ。
メンヘラであることを打ち明けるかどうかは、相手との距離感を微妙にはかりながら。それは相手がクラスメートでも職場の同僚でも、恋人でも同じ。あとメンヘラであることを特別なことだと自分でも考えないことが大事だと思う。「落ち込む」ってことがあるのはみんな同じ。その落ち込みが人よりちょっと激しいっていうだけ、くらいに考えておけばいいと思う。あまり深刻に「自分は病気だー」って考えちゃうと余計にしんどいよ。気楽な気持ちで前向きに!