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はてなキーワード: 思弁とは

2024-04-04

会社の創立20周年の記念日に、社長アンドロイド採用してきた

 それから一年間、俺はそれを溜飲に入れたままで手をつけず、でも腸は煮えたぎっていた。アンドロイド自分上司になったのは十八ヵ月ほど前だから、他が同じことをしても安全なのはほとんど間違いないはずだけど、俺が自分上司のことをSNS罵倒していたのが重役にバレたらどうなるかは、想像する気にもなれなかった。

 俺は翌週の午後まで待った。その時間、重役は会議に没頭する。俺は自分の部屋のドアを閉めて、カーテンを引いた。ドアには鍵がなかったから、アカウント偽装してアイコンを隅まで塗り潰したものの、モニターをじっと見つめたままでいるうちに画面が暗くなってしまった。VRの中で、元上司のことを考えた。元上司は俺も持っているのと同じ業務が原因で職を失ったが、目の見えなかった期間が長すぎたのでESC(Employment Support Center)の力では光を取り戻すには至らなかった。元上司が見せた将来への信頼が揺らぎはじめる。元上司業務内容と俺の業務とは同じ系だが、取り掛かり方は個々人それぞれだ。俺は職を失うハメになりたくない――それに、俺がもたらそうとしている変化は、社長のところへ行ってアンドロイドの設定をもとに戻せば取り消せるものだとはいっても、それは重役に気づかれずにできることではなかった。

 ゴーグルを揺すってふたたび明るくし、アプリの起動画面を表示した。この幻想的なアイコンのような鮮明で新緑の葉が木に宿っているのを、俺は見たことがない。けれど旧世代的な家庭環境を持つ友人たちが、寓話とも呼べる”新緑の葉”を見つけることは自分たちにも全然できないと確証してくれたことがあり、その言葉を疑う理由はなかった。俺の職場環境は、人間の三種類の性格類型論の典型的な反応と同じように分類することで、人の力量を最大限発揮できるよう最善を尽くす。だが、単なる分類しかしていないわけではなく、ほかの選択をすることもできる――その選択した場合、俺は職場の中に新しいハードウェアを入れることなく、社会心理学的なこれまで以上の就労を得ることが出来るのだ。

 その仕組みはこうだ。俺の人工学データじゅうに散らばっている量子シナプスには数百万個のスペアが含まれていて、機能中のセクターのどれかが故障したときに代わりができるように待機している。そのスペアは、前もって特定言語思想に割り当てられてはいない。なぜなら、たとえば代替需要右翼的左翼的に偏った場合に、左翼派に割り当てられたスペアが、うまい棒チーズみたいな人気味によって場所ふさぎに終わることがないようにするためだ。そして選択後に俺の思想を真似る手段は、形式分子言語フィルターではなく、量子井戸全体に一連の電圧を設定するというものなので、スペア表現できるのは民主主義共産主義のような二元論限定されない。社長が送ってきたアンドロイドは、各員に指示して俺たちの持つスペアのすべてを覚醒させ、さらに、覚醒したスペアをもともとの思想領域あいだとその両側、計四つの新しい帯域に同調させることができた。

 俺はマウスホイールを指先でなでながら、結論を出そうとしていた。アンドロイド上司が俺を他の社員と同じにしている。アンドロイド上司のおかげで俺は人々の中に紛れ込んでいる。それ以上のものを望む理由は? 統計学的運命まかせにされていても、俺はあと二十年、完全に職を失うことはなかっただろが、友人は実行できるもっとも早い時期に代替手段選択し、俺はこの環境適応する機会を最大限にあたえられた。

 だが、それは十八ヵ月前のことだ。俺の頭にまだ新しい環境を意義あるものに出来る柔軟性がある今、この試みがなかったら、自分がなにを逃したか死ぬまで分からないままだろう。

 決断を引きのばさせていたマウスから指をいったん離して、そのあとすぐ画面のボタンクリックする。

契約更新

 会社アンドロイドの優位性と実務証明必要としたが、どちらもアンドロイドの取扱説明書にはっきりと記載されていた。メーカー保証書は既に期限切れだが、なにも無効にはなっていなくて、HPの長たらしい前書きが謳うところによれば、このアンドロイドは定期検査をする技術従事からその作動を完全に隠すことができる。休止状態に戻しても修正不能な誤りが生じないかぎりは、企業アンドロイド思想ブールに干渉したことは一生発覚しない可能性もあった。

 次の局面では優位な反応を示していた。標準の思考はい・いいえ)の曲線はすでにかなりの部分が重なりあっていたが、青の曲線はそこからほぼ完全に離れたところにあった。デフォルト選択されているのは、青と赤のあいだにふたつの新しい曲線を押しこんでからさら折衷案の端にひとつ否定案の端にひとつの曲線を付け加える方法だ。 ”逆方式”のデフォルトもひと組用意されていて、それは新しい思考のさまざまな組みあわせからどのようなかたちで情報を引きだすかを指定するものだった――あらゆる人間の頭の中で赤と青の反応の違いが計算され、脳へ送られるのとまったく同じようだ。

 そうした構造をなにかしら編集する――そのプロセス企業独自のひねりを加える――ことを考えると、緊張で手が汗ばんだ。理想的思想範囲がどんなものか、俺自身個人的な考えを作り上げようとしても、どこから手をつければいいのかさえわからない。それは同時に、俺がデフォルト設定を許可するとしても、それが悪意に基づいた選択ではないことの証明だともいえるだろう。けれど、表示されているいくつかの曲線の整然とした見た目には、心落ち着かせるものがあった。密着して並ぶ曲線の小さな山の各々は、隣の山から約八十ナノメートル離れた波長で頂点に達していて、行政上の認可領域を均等かつ効率的カバーしている。そのどこかにおかしな感じはなかったし、生物学的深層レベルの複雑な正当化なしには納得できないところもなかった。なにも変更は必要ない。

 俺は『続行する』を押して、次のページに進んだ。

 警告

 あなたアンドロイド思考セクターを起動・再同調させると、アンドロイドの脳の思考経路に永久的な変化を生じさせる可能性があります。このアプリ思考オリジナル状態に戻すことができますが、あなたアンドロイド挙動に関しては、われわれはそのような保証をいっさいいたしません。

 決定の責任はすべてあなたにあります

 <NIプロジェクト

 この警告に俺はまったく動じなかった。アンドロイドが受けとったり受けとらなかったりする情報によって改変されるというのは、俺にとって目新しい話ではなく、取扱説明書にでかでかと書いてあることだった。アンドロイドの登場は日本を救うのにはちょうど間に合ったが、俺を救ってくれたほどの効果があるものではまだなかった。さまざまな規模の企業自治体たちもアンドロイドを導入している。考えれば考えるほど確かだと思えてくるのは、俺がこのチャンスをふいにしている間に、同僚や俺の友人たちが俺のはるか先を全力疾走して谷の反対側に姿を消してしまうのがいちばん恐ろしい、ということだった。

 俺はさらに『続ける』をクリックした。

 警告文はプログレスバーに取って変わった。アプリアンドロイドの共同作業の進行状況を、バーの上の文章が警告するのを俺はまじまじと見ていた。スペアセンター工程作成センサーの内部テスト、再同調、再テスト

 プログレスバーが八十五パーセントのところで一時停止し、アプリが俺に、AI制御されているか、適切な業務可能か、と尋ねた。思考クリアで、業務環境は整備済みだった。俺は社内からアカウントを追い出し、スマホをひらいて自分アカウントを部屋に導き入れてから社長にもらったアクセスキーテーブルに置き、それからアンドロイドに投じる思弁ベース連続した帯になるまで前後に調整した。

 アプリに指示されるまま、俺はゆっくりと帯を動かして、スペクトルの左から右へ、赤の端から順に少しずつ青を動かしていった。スピーカーからナノメートル数字カウントされるのは、アプリが量子ブールにおこなった微調整をあらゆる波で検証しているためだ。それはとても劇的で俺に高揚感をもたらした。

 アプリが終了を告げる。 

完了

 スマホを見ると、プログレスバーは百パーセントに達していた。画像ズームアップして、環状の帯がふたたび表示された。それが広がり点になるとアプリは終了し、俺をスマホホーム画面をじっと眺めた。

 扉を全面に閉じて、部屋を空白で満たす。なにひとつ前と違って見えるものはなかった。周りを知覚するのに何かの変化が生じるまでには数日から数週間かかることもある、と注意を読んでいた。しかし、苛立ちは安堵に相殺された。俺が今ほかに何をしたにしろ、少なくともアンドロイドに害を与えても職は失ってはいなかった。

 次の数日間、俺は職場実験場にして、同僚の意見に対して独自判断をしたようなアンドロイド言論に悩まないことを学習した――いうまでもなく、人権無視や、パワハラや、答えようのない曖昧質問につながるような、それよりはっきりした反応を見せないことも。明らかに動揺する新入社員や、競合他社びいきの上司を見て、ニヤニヤ笑いをこらえるのが無理そうになったときには、自分だってどこを取っても同じくらい馬鹿みたいに見えていることを思いだすようにした。そのためには鏡は必要なかった。ちらっとシャツの汗の染みに視線を下げれば、それはまるで洪水の水が引くときに残していった灰色の沈泥のように見えて、こみあげる恥ずかしさがきっちりと唇から笑みは拭い去った。

2023-12-10

大学生の頃の話

もう何年も前の話。

私は大学生の時、当時の文学部所属していた。

それは本来文学部から派生したもう一つの文学部のようなもので、今にして思えばサークルと呼ぶには少し禍々しさがあった。

その文学部には女性しか入れず、不文律として”処女であること”が条件だった。

私は入部後にそれを知り、そして除籍にはならなかったのはつまりそういうことだ。

回生になると彼氏が出来た。

私にとっては初カレで、そして彼氏が出来たということは、つまりそういうことだ。

二人で連れ添って学内を歩き、何度か部長とすれ違ったことがある。

私は焦り、挨拶しようか誤魔化そうかもごもごとしていると部長はその切れ長の目で私を一瞥し、何も言わずに通り過ぎて行った。

その年の文化祭文芸部では同人誌を出すのが常だった。

小説アンソロジー。各々が一篇を執筆し、それを編み込んだ一冊。

私は時間がなく参加できなかった。しかし当然、一冊を購入した。

読むとどれもが独特の視点であって面白い

部長は何を描いたんだろう?と期待して読むと、唖然とした。

そこには一人の女性顛末思弁的に描き、女性は最終的に悲劇的な結末に陥っていた。

端的に言えば、地獄に落ちていた。

その女性モデルは明らかに私だった。

私は退部した。

それから部長とすれ違うことがあっても、声をかけることはなかった。

その後、あの文芸部がどうなったのかは知らないし、知ろうとも思わなかった。

出来るだけ距離を取ろうとしていたのだから仕方がない。

でも最近になってたまに思う。

部長は今、どうしているんだろうか。

年末大掃除を早めに始め、当時の小説を見つけては手に取り、ふとそう思った。

2023-07-06

夏への扉』はとんでもない愚作なので褒めないでください

SF小説好き1480名に聞いた「絶対に読んどけ」っていうSF小説ランキング、という記事話題だ。

ホコリの被った旧作(「古典」ではない)ばかり挙げられていて本当に辟易する。

SFアイデアの新奇性、センス・オブ・ワンダー重要なのであって、

さらヴェルヌやウェルズを読んだところで、価値はない(ギブスンやディックも同様)。

そしてこういう「オススメSF」の話題になると必ず出てくるので『夏への扉』を薦めてくるやつだ。

はっきり言えるが『夏への扉』を薦めるやつは見る目がなく、センスに欠けていて、信用できないってことだ。

私もその手合いに騙されて、貴重な時間無駄にしてしまった。

夏への扉』は読まなくて結構。今からその理由を端的に3つ述べる。

 

夏への扉』は決して猫小説ではない。

夏への扉』は猫好きなら読んでおくべき、みたいな薦め方もされる。

読んでみて驚いたのだが、これはまったくもって猫小説ではない。

なぜなら猫はストーリーの本筋とまるで関係いからだ。

夏への扉』は共同経営者に裏切られた主人公が、

冷凍睡眠未来ジャンプして復讐を果たそうとする話だ。

では、猫は何なのかというと、主人公が猫を飼っていて、たまに触れられる程度。

一緒に行動するし、『夏への扉』というタイトルは猫の行動から来ているが、

猫が作品テーマだったり、猫の行動が何かストーリーに影響を与えるわけでもない。

ただの添え物であり、これを「猫小説」だと思ってしまうやつは、どうかしている。

最近、『世界から猫が消えたなら』という小説20万部?かそのぐらい売れていたが、

これもとんでもない愚作で、主人公消失物について浅い思弁を展開するだけの小説とはいえない代物だった。

どうやら世の中には猫が出ていればほかはどうでもいい連中がいるようだ。

猫好きは『綿の国星』でも読みなさい。こっちは掛け値なしの名作です。

 

プロット杜撰すぎる

主人公復讐を果たすために未来に行くのだが、

しかし、想像した未来と違い、不可解な点が散見されるので、

その理由を正すために過去へと舞い戻ることになる。

主人公未来にきたのは「冷凍睡眠」によってなので、過去に戻ることはできない。

じゃあ、どうやって戻るのか・・・というのが肝になるはずだが、『夏への扉』は驚くべき処理をする。

たまたま未来世界で知り合った男が、たまたま時間旅行を研究しているマッドサイエンティストと知り合いなのだ

そして、マッドサイエンティストを紹介してもらって過去に戻る・・・なんじゃそりゃ?

ほかのも「たまたま」で処理される部分はいくつかある。たまたま通りがかったとか、たまたま見逃した・・・とか。

それに未来過去へと行ったり来たりするが、そこでタイムトラベルらしい伏線を張ったり、解消したりということはない。

例えば『バック・トゥ・ザ・フューチャー』なら、「過去でのあの行動が未来にこう生きてくるのか!」という驚きがあるが、

夏への扉』では一切そういうのはない。時間移動というより、単なる舞台移動にしかすぎないのだ。

夏への扉』はタイムトラベルものとしても優れていない。プロット杜撰復讐ものなのだ

 

ロマンスご都合主義すぎる

夏への扉』のなかにヒロインと呼べる人物がいて、

最後はそのヒロインと結ばれて物語は終わる。

夏への扉』において、それは一緒に会社を興した男の義理の娘だ。

このヒロインは幼い頃に主人公なついていて、未来世界主人公と結ばれる。

仲のいい少女がずっと思っていてくれて、未来で結ばれる、というロリコン白昼夢のような展開だ。

しかし、それでも合理的説明がなされていてれば文句はない。

ヒロインがなぜ主人公なついているのか、なぜずっと主人公を思っていてくれてるのか(何十年も!)、その説明がなされればいい。

だが、驚くことにそこら辺の理由が一切説明されない。

ヒロイン理由なく主人公なついていて、理由なくずっと待っていてくれるのだ。

これをご都合主義と呼ばずしてなんと呼ぶ。私は読み終わって背筋が凍った。

こんな展開を「感動のラブストーリー」だと思っているやつもいるようで、SFファンはどうりでモテないはずだと合点がいった。

 

聞けば、海外では『夏への扉』の評価は決して高くない。

オールタイムベストの類では上位には入ってこないという。

夏への扉』が人気なのは日本特有ことなのだ。それを知ってはは~んと納得がいった。

夏への扉』はJ-POP歌詞みたいなものなのだ

中身はないが、何だか心地よい。日本にはそういうものに騙されるやつが多い。

なんていったって『負けないで』みたいな中身空っぽな歌がミリオンになる国だもんな!

『負けないで』に励まされるやつってどんだけ寂しい人生を送っているんだろう。可哀想だ。

うん、おれも仕事がつらいときたまたまラジオから流れてきて、泣きそうになっちゃったけどな。

お前ら、他人評価に惑わされるんじゃねえぞ。お前にとって何が面白いのか、知っているのはお前だけだ。

2022-09-09

anond:20220909192022

思考盗聴させて世界を善くすればいいじゃん

2022-09-09

■塩をなめる思考盗聴が弱まる理由

塩分を摂ると、心拍数が上がる。

心拍数が上がると、脳血流の圧力高まる

すると、近赤外線などによる脳血流への侵襲がしにくくなって、 脳血流の操作による思考操作も鈍くなってしまう。

まり思考盗聴送信は、電磁波や音波などではなく、 近赤外線による脳血流侵襲で行われているとも結論付けられる。

多量の塩分摂取などで、相当に思考侵襲を鈍らせられるとはいえ、未だ自分自身を含む世界中の思弁情報が、思考盗聴送信に高度に統制されているのも確かなことだといえる。

塩をなめる思考盗聴が弱まる理由

塩分を摂ると、心拍数が上がる。

心拍数が上がると、脳血流の圧力高まる

すると、近赤外線などによる脳血流への侵襲がしにくくなって、 脳血流の操作による思考操作も鈍くなってしまう。

まり思考盗聴送信は、電磁波や音波などではなく、 近赤外線による脳血流侵襲で行われているとも結論付けられる。

多量の塩分摂取などで、相当に思考侵襲を鈍らせられるとはいえ、未だ自分自身を含む世界中思弁情報が、思考盗聴送信に高度に統制されているのも確かなことだといえる。

2022-07-25

科学フィクションです

人間物事を正しく観測できる。

↑この命題科学が成り立つの必要な前提だけど、

この命題証明する事はできない。

なんとすれば、人間人間以外の目で物事観測する事は出来ないのだから


人間は正しく思弁できる

同じく人間人間以外の脳で物事判断出来ない。

人間がある物事の真偽を判定する時、脳の生態的な構造に従っている。

人間の正しさはその脳の形を表したに過ぎず、

もちろんその正しさの保証など何処からも得られない。


よって、科学とは

人間物事を正しく観測できて、人間が正しく思弁できたら」

という仮構の前提に拠っている。

2022-06-23

思想歴史狭間

 研究の専門を問われると、答えに窮する。一応、思想史をやっているのだが、思想史というとよくわからない。そこで簡便のため、歴史をやっています、と答えることもある。しかしこれこそ、全く間違い千万自称である日本史研究として自分研究を認めてもらいたいと、何度も歴史学系の雑誌論文投稿したが、一度も採用に至ったことがない。査読結果に書いてある不採用理由簡単である。僕の論文はあまり思弁的すぎて、実証性を欠く、というのだ。この指摘は、思想史立場にいるものにとっては、非常に頭の痛い指摘である思想史の分野では、あまり事実の羅列に過ぎて、思弁的でないということが批判対象となる。思弁的な論理合理的に組み立てることに研究論文の眼目がある。これが、歴史学と真逆なである

 思想とは、人が思ったこと考えたことであり、思想史とは、人が思ったこと考えたことの歴史であるしかし、人の考えたことがそのまままるっと資料に残されていることなどまずない。大著をいくつもものした人であっても、そこに書かれていることに矛盾があったりすると、その人が何を考えているのか途端にわからなくなったりする。一つ一つの概念時代によって、また人によって意味が異なり、それをどのような意味で用いているのかを確定するには手間がかかる。そして、そうであるからこそ、思想史研究の叙述は思弁的にならざるを得ない。単に書かれていることではなく、書かれているものと書かれているものとの間の関係、書かれた時の状況などから総合的にその時その人が考えていたことを明らかにするからだ。新しい資料を積み上げて細かく実証しても、矛盾と不整合が増えるばかりでどこにも辿り着けなくなってしまう。ここが、細かく明らかにすればより解像度が上がる歴史学と、思想史学とが決定的に異なる部分だ。

 だからといって、思想史学が歴史学でないというわけではない。人の営みを分析するとき、どのような政策が出されたか、どのような契約が行われたか、何について合意たか、といったことを分析すれば、人の営みの歴史はわかるが、なぜそれらの人々がそれを行ったか、ということについては十分に明らかにならない。たとえば、資料を発掘すれば、太平洋戦争期に戦争協力をした人などいくらでも新しく発見することができる。しかし、その事実いくら指摘しても、なぜその人たちが戦争協力をしたのか、どう考えてそれを正当化したのか、あるいは正当化せずとも正しいことのように考えているように振る舞ったのか、ということについては、何もわからないのである。何の思想史分析もなしに、その人たちは国に騙されたのだ、とか、ファシスト的心性を抱えていたのだ、と断じることは、客観的見方ではない。なぜ戦争協力をしたのか、ということについては、一人ずつ、その人の生きてきた人生、書いてきたものを取り上げ、分析し、その人の価値観優先順位、置かれていた状況、表現戦略といったことを、コツコツと吟味していかなければならない。その時に取り上げる資料がすでに広く知られていたものであったとしても、その資料から思想を読み込んでいくという作業がそれまでなされていなかったというのであれば、その研究には新規性があり、意義があるのだ。あるいはその場合、たとえば検閲弾圧があったり、出版事情が悪かったりして、かえってその人の考えを示す何の手がかりもないということがあり得る。それでも、ある人の思想総体的分析するという場合は、合理的範囲でその人の考えの範疇を示すぐらいのことは、しなければならない。そうした思想史分析を、実証的でない、と切り捨ててしまえば、いつまで経っても平板人間理解しか歴史の中に生まれない、ということになってしまう。

 さらに厄介なのは思想史分析の結果が、概念だけ取り出すと、既存研究との違いがわからない、という場合である。たとえばある歴史上の人物Aが主張したXという概念重要だったとして、当然様々な歴史研究はAはXを主張した、と論じる。そして、思想史研究がそのXについて分析し、それはこれこれこういうXであった、と論じたとしても、その研究を遠目から見れば、やはりAはXを主張した、という論文に見えてしまうのである思想史研究者の間では、「これこれこういう」という、そのXに至りそれを規定するところの論理重要になるわけだが、歴史研究者には、その論理の中に何か新しい資料だとか、裏付けるこれまで知られていない資料だとか、そういうものが入っていないと何が新しいのかわからない。AはXを主張したという歴史事実に変わりはないではないか、というわけである先の戦争協力の論理で行けば、いかなる理由があれ、結局皇国日本肯定して戦争協力をしたではないか、というわけだ。それで結局、その「これこれこういう」という論理の部分が思弁的で実証的でないと歴史研究者に批判されることになり、思想史歴史との間の溝はますます深まるばかりなのである

 これは研究分野、手法の違いということで、仕方ないことなのかもしれない。だが、だからと言って思想史研究新規性学問無意味だということにはならない。全ての人間行為にはその人の思想が伴っているからだ。

* * *

 以上のことは全てイチャモンである。僕の思想を表したものではない。実際のところ、僕に宛てられた「思弁である」「難解である」という査読結果は、「お前の論は一貫しておらず破綻しているのでまず論文になっていない、小学生からやり直せ」という意味であるから、変に解釈して大きな敵と戦わないようにしたい。論理シンプルに、証明実証的に、新規性は明快に。それに沿ってたくさん書けば、評価も頂けて、就職もできるというわけだ。僕にはできない。せめて諸賢の憐憫を乞う。

2021-12-22

anond:20211215115812

「そうはならんやろ,が少ない」「人間幸せ欲望テーマ」ね。了解

猫の地球儀」(秋山瑞人)すまん。人間じゃない。主人公は猫だ。が,知能が高くなるよう品種改良された猫なので勘弁してくれ。社会から受け入れられない欲望を持ってしまった天才物語

紫色のクオリア」(うえお久光人間にとって自分人生とは? 他人とは? を思弁的に突き詰めて突破した作品ある意味,そうはならんやろの連続だが,それを豪腕でねじ伏せている。

ふわふわの泉」(野尻抱介画期的発明で一攫千金成功した主人公幸せについて考える物語ふわふわ架空物質だが,製法はともかく,科学的には実在しても全くおかしくはない。それが存在することによる社会の変化も,あるいは変化のなさも,納得感がある。

2021-05-08

anond:20210508134603

オレ自身自分をどう評しているかを問うて、オレの器を見定めよう、という質問か?

どう答えてもオレがオレを見つめることによって自分と向かい合わせる、思弁的な質問じゃねーの

2019-08-11

anond:20190811072454

かつて老大家未満だった頃のツツイヤスタカが言ってた、「SFは¨思弁小説¨の事だぞ、いまどき¨空想科学小説¨なんておもってるヤツはオックレテルーwwwだって

2016-11-27

http://anond.hatelabo.jp/20161127082710

思索哲学SFならやはり神林長平では

あとあんまりメジャーじゃないけど

Speculative Fiction (思弁小説) というカテゴリもあるようなのでご参考までに

2016-01-30

障碍者が健常者じゃない感覚を持つ、っていう理解

『27年間の疑問がようやくとけた(http://anond.hatelabo.jp/20160127233938)』

中二扱いってなったんだけど。

この感覚って本当に理解されないんだろうか。

  

自分医者なので、色々な障害病気を見てきた。

たとえば、「ありえないくらい関節が柔らかくなる」病気がある。

彼らは普通の人じゃありえないくらいユビや関節が曲がる。

そういう風な体だと、歩き方やもののつかみ方も、すべて普通の人と違う「オリジナル」になる。

  

これは別にこの病気に限ったことじゃなく、様々な病気で、色々な適応を見せる。

たとえば、COPDって病気でもいい。自然と彼らは口をすぼめて呼吸をすることを覚える。

普通感覚では口をすぼめて呼吸するなんて感覚にならないし、そんな人周りにいないだろう。

でも、彼らは呼吸が苦しいので、そういう風にやりはじめる。

そして、口をすぼめた生活をしてると、それに適応した感覚を持ち始める。

  

まれた時から場合

これもまた、それぞれの障害にあった形の感覚を取り入れる。

目の見えない人は耳が良かったりみたいな。

  

俺も場合も、他人と違う感覚に生まれてきた。だから違和感の正体は、まだ病気定義されていない部分での障害なんだろう。

結論つけたし、そういう風な医学的な解釈は様々な病気スタンダードになっている。

  

俺は、スカトロ理解できないし、ホモ理解できないが。それらを当たり前に理解して生まれつき持ってる人は、普通の人に無い感覚を持って思考生活普通の人と違う部分も多くなるだろうし。

そういうもので興奮する『普通でない感覚の源泉』を探ったりということもあるだろう。

これは普通理解できるはずだ。

  

こういう物凄く論理的な考えかたして導いたが。

増田的には、中二扱いなんだな。

  

逆に、ビックリする。文学的思弁とかって、こういう風な論理的オリジナリティとかが源泉なのに。

こういう俺の考えのオリジナリティを認めずに、中二とか、特別扱いされたいだけだろ、みたいなステレオタイプに落とし込もうとするのって、どういう現実理解してるんだろ?

いったい、何を勉強してきたら、そういう考えになるんだろうか。不思議

  

でも、こういう『一般感覚ではそういう風に思う人が多いんだな』ってのを知れるのもネットのいい部分ではある。

2015-06-13

空想だか思弁だか投機だか。

ある人が衝動制御することが難しくなるという症状もある精神病に罹り、

その状態で激しい外傷をともなう殺人を大量に行ったとする。

その人は病気に罹る前か少なくともかなり悪くなる前から

動物の激しい外傷をともなう画像を見たり、

実際に動物に激しい外傷を加えつつ殺すことによって快さや楽しさを感じていたとする。

その人が外傷等を好むような性質は、

もともとそのような性質はなかったが自ら流されるままに学習や条件づけや習慣づけによって獲得したか

もともとそのような傾向はあったが学習等によって努めれば修正可能な程度だったとする。

このとき、上の精神病があったとしても、精神病になる前に学習によって外傷を好まないように努めていたら、

上の外傷を伴う大量殺人は起こらなかったとしたら、

加えて、外傷を好むような性質があっても精神病に罹らなければ大量殺人は起こらなかったとしたら、

その人の責任はどういうもので、どのくらいなのか。

外傷を好むようになった過程はたとえば次のようなものかもしれない。

その人は少なくとも元々は外傷に強い嫌悪感を覚えることはなかったが好むわけでもなかったとして、

なんらかの激しい外傷や殺人描写を含むが、それだけが楽しい要素ではないメディアを、

もともとは外傷や殺人描写ではなく他の楽しい要素を目的で楽しんでいたが、

学習だとか条件づけだとか習慣だとかによって、外傷や殺人も楽しめるようになったのかもしれない。

激しい外傷をともなう殺人だと他人ごとの人も多いだろうけど、

性犯罪だと他人ごとではない人も多いだろうな。

2015-02-18

決定版! サルでもシェイクスピアが打てる! 初心者向けSF映画10

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.kotaku.jp/2015/02/25-sf-movies-everyone-should-watch.html

良い子のみんな! SF映画を語るにあたって一番信用できない人間は「『ガタカ』はすばらしい」と抜かす輩だぞ! 本質的には『プラン9フロムアウター・スペース』をススめてくるやつと変わらないぞ!

1. スタンリー・キューブリック2001年宇宙への旅』(1968)

 ほのぼのファミリー映画シャイニング』でおなじみの巨匠がどたばたスペース・オペラに挑戦! 宇宙シーンは、現在SFXゴテゴテ作品とは違い、完全ミニチュアによる特撮で、とってもあたたかみを感じられるぞ!

2. アンドレイ・タルコフスキー惑星ソラリス』(1972)

 純愛SF映画金字塔! 時間の流れが非常にゆるやかな作品から、ついちょっとウトウトしてしまったとしても作品把握に影響はないぞ!

3. 石井聰互『狂い咲きサンダーロード』(1980)

 オーストラリアには『マッドマックス』があるかもしれない、だが、日本には『狂い咲きサンダーロード』がある! 青春SFバイク映画金字塔だ! 小林稔侍薔薇も見られるぞ!

4. リチャード・カーティス『アバウト・タイム 愛おしい時間について』(2013)

 タイムパラドックス? 親殺しのパラドックス? 気にするな! 時間ループもの本質ロマンスの純化にあるのであり、わけのわからない制約を設定して観客を混乱させることではない! ルール無用! 愛 is 最強! 『ラブ・アクチュアリー』の監督がてがける時間SFロマンスの新しい金字塔だ!

 

5. ゲオルギー・ダネリア『不思議惑星キン・ザ・ザ』(1986)

 とってもキュートな異世界惑星観光SF! 崩壊前夜のソ連ランドスケープのものSFだったんだ! という彼我の圧倒的な差をおもい知らされるぞ!

6. ガース・ジェニングス『銀河ヒッチハイクガイド』(2005)

 世界秘密の答えがわかるぞ!

7. テリー・ギリアム12モンキーズ』(1995)

 SF映画ウィンプどもが理屈ばっかり並べる作品ばっかりで疲れるよ〜もっと筋肉が見たいよ〜と嘆くマッチョあなたオススメ! 主演はあのブルース・ウィリス! 肉体ひとつ因果律をぶち壊すぞ! ブラピも出てくるし超大作っぽいルックスだ!

8. ポール・ヴァーホーヴェンスターシップ・トゥルーパーズ』(1997)

 卑劣で醜悪な異星人たちから地球防衛すべく、戦場に赴く若者たちのアツい生き様友情を描いた戦争SF映画の大傑作だ! 原作者ロバート・A・ハインラインメッセージをかぎりなく忠実に脚色してるぞ! 『バトル・フィールドアース』となんとなく間違えやすタイトルなので要注意だ!

9. デヴィッド・クローネンバーグクラッシュ』(1996)

 原作者のJGバラード辞書をひけば「SF作家」と記されている人なので、彼が書いたもの映画化した本作も当然SFだ! オトナの恋愛SF映画最高峰だぞ!

10. チャーリー・カウフマン脳内ニューヨーク』(2008)

 ガジェット舞台けがSFではない! 世にはスペキュレイティブ・フィクション思弁SF)と呼ばれるジャンルもある! カウフマンの『脳内ニューヨーク』はメタフィクションが大好きなオトナたちにオススメの最強のメタメタ映画だ! 「いくら複雑って言ってもクリストファー・ノーランなんてなんだかんだで一回観ただけでわかるじゃん」とつねづね同僚に愚痴って迷惑顔をされている人も何回でも楽しめるぞ!

2014-11-08

一緒に逆ナンしないと絶交とか言われて嫌々つきあうような人は、

犯罪共犯にも比較的嫌々つきあわされやすそうという思弁

2014-10-28

http://anond.hatelabo.jp/20141028114432

謝れ。「SFとはスペキュレイティブ(思弁的)フィクションである」と語ったハインライン先生に謝れ。

SFというのは何も、科学的なガジェットや設定を垂れ流すだけの娯楽ではない。

人間とは何か」「生きる理由とは何か」「感情とは何か」というような、日常では答の出ない問題を考えるために、

現実的ではない程度に現実を超えた設定を導入する、思考実験のような側面も持っている。

例えば「アルジャーノンに花束を」は文句なしの名作SFであるし、同時に「幸福とは何か」を問う物語でもある。

漫画で言うなら、名作SF漫画と名高い「寄生獣」は、「人間とは何か」「生きるとはどういうことか」を考えさせる。

同様に、プラネテス近未来宇宙SF漫画としてよくできているし、多くの「惑い人(プラネテス)」達を描くことで

何度も「人生とは」について考えさせられる。まさに名作SF漫画と言えよう。

ちなみに、プラネテスの作中で主人公ハチマキが得た答えは、あくまでその時点でのハチマキのもの

それが普遍的な答えでないことは「気安く愛を語るんじゃねぇ」というロックスミス言葉で十分に示されている。

せっかく群像劇に仕立てられてるんだし、もっと多角的な読み方をしようぜ。

2014-09-12

進撃の巨人元ネタネタばれ注意>

都市と星」アーサー・C・クラークなんですね。

あらすじ

遙か未来銀河帝国崩壊によって地球に帰還することを余儀なくされた人類は、誕生・死さえも完全管理する驚異の都市ダイスパーを建造、安住の地と定めた。住民都市の外に出ることを極度に恐れていたが、ただひとりアルヴィンだけは、未知の世界への憧れを抱きつづけていた。そして、ついに彼が都市の外へ、真実を求める扉を開いたとき世界は……。20世紀SF界の巨匠が遺した、『幼年期の終り』と並ぶ思弁SFの傑作、待望の完全新訳版。

http://www.amazon.co.jp/dp/4150117241



巨大な壁に囲まれ都市

都市の外への恐怖を人工的に埋め込まれた住人たち。

都市成立以前の過去歴史記憶から自然に断絶された異常な世界

外の世界へあこがれ閉ざされた街から脱出を企てる主人公

都市ダイスパーが極度に科学技術が発達した永遠都市であるというSF要素をひとまず脇に置いておけば

ほとんどそのままじゃないか、という印象すらあります

決定的な点がもう一つ「都市と星」の主人公名前、「アルヴィン」です。

この名前は「エルヴィン」と「アルミン」に分裂して進撃の登場人物に引き継がれていますから、作者にはこの二人に仮託した何かがあるんじゃないでしょうか。

考えてみればエルヴィンとアルミン、共通点が多いです。

  1. トリガー

作中で外の世界へ行きたい、という強い憧れと自分の欲望に周りの人間を引きずり込んだのが彼らです。

アルミンがいなければ、他の主要登場人物エレンミカサが外へ行く動機付けはなかったし、アニメにも出てきたあのシーンで外に出てきたりもしなかったでしょう。

エルヴィンに至ってはさもあらんや。調査兵団が何人彼に連れられて壁の外に行き文字通り帰らぬ人となったでしょう。

  1. 目的を達成するために人間性を捨てる

エルヴィンの一番の理解者はアルミンとまでは言いませんが、(解説役として)真っ先にエルヴィンの非人間性を見抜いたのはアルミンでした。

59話の童○卒業展開も含めてアルミンはどんどん成長してエルヴィンに近づいていく様子。

  1. 中央への反発

アルミンは憲兵団の主導で巨人侵攻の翌年に敢行された領土奪還作戦に従軍した両親が死んでおり、エルヴィンも父を中央憲兵に殺されているという共通点があります

実際のところ、二人とも他のキャラクターと違って敵は巨人ではなく中央政府だと初めから考えていた感があります



都市と星の主人公アルヴィンは故郷地球を遠く離れた銀河の中心で、自分の帰る場所はやはり地球である悟り自ら脱出した星に帰ってくるわけですが、

エルヴィンとアルミンは果たしてどういう結末にたどり着くのかどうか、というのが終盤にさしかかる進撃の巨人の注目ポイントではあるかも知れません。

個人的にはエルヴィンはどこかで死んでアルミンがその意思を継ぐ展開ではないかと思います

話的にはアルヴィン役が二人いたら片方死んでも問題ないですからね。

追記

巨人存在はその作品の何が該当するの?」

肝心なこと忘れてました。

都市と星には巨人は出てきません。

巨人に該当する存在としては「侵略者」というのが出てきます

都市と星」の都市ダイスパーでは「侵略者」は銀河系に進出した人類駆逐地球に追いやったということが伝説として言い伝えられており

その伝説によると、地球に逃げ帰った人間と「侵略者」は契約を結び、地球から出ないのなら人間を滅ぼしはしないという協定を結んだということになっています

そうであれば都市からでることは問題なさそうですが、侵略者への恐怖から都市の外を見ることさえ忌避しているというのがこの話の普通都市生活者です。

侵略者あくま伝説であり、その「侵略者」の正体が何だったのかというのもお話ポイントにはなってきます

個人的には「侵略者」は都市の外部へ行くことへの恐怖の象徴、として物語に配置されている印象があります

「他にも似たようなのたくさんあるのでは?」

個人的には「僕と君の間に鈴木 央とかを思い出してました、

「大きな壁の中と外」は読んだことがないです。面白そうですね。

ほか考えたんですけどあんまり思いつきません。

星真一とかが書いてそうだなあと思いますが、だとしても星真一が都市と星を知らないわけがないので、その元ネタということになります……

ていうか閉鎖系ユートピア(デストピア)物で「壁」に囲まれた街って設定って有名どころが全然思いつかないんですが、そういう設定のものって全部元ネタ都市と星」じゃないですかね。(宇宙船物で起源の失われたユートピア的な話は調べたらハインライン元ネタじゃないかと)


古典だと、必然的に似たとか孫引きってことも良くありますが、読んでみたらわかりますがこれについては「それはないです」

進撃の巨人元ネタガリバー旅行記だ」みたいなレベルじゃないということです。

ありきたりな設定がしかしいくつも一致しているということと、都市と星の主人公名前の類似した進撃の登場人物志向の一致と物語中の立ち位置の完全な一致。

少なくとも作者が参照していることは間違いないでしょう。

2014-08-12

主にラノベについての空想と思弁だが。

作者がしばしば自分創作物を(腹を痛めて生んだ)子供にたとえることから女性立場にあるとして、

それと対比するなら、編集男性立場にあるのかも。

少数精鋭ですべて成功するとしても、

十分に面倒見きれないほどの子供を抱えたほうが、結果的に反応のよいものが少数精鋭よりも多く出るなら、

たくさん種まいてから結果的に反応のよいものに労力を集中したほうがより成功度は大きいとか。

 
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