はてなキーワード: 習い事とは
東京23区の端っこらへん在住。夫婦(30台後半)+子供二人(小学生と保育園児)の家族
年収の内訳は夫(フルタイムフルリモート)1,000万円、妻(時短)500万円。額面です。
余裕はあるけど、贅沢はしてない。いわゆる金持ち的な贅沢をしようと思ったらこの年収じゃ全然足りないと思う。所詮サラリーマンなので。
今後は教育費、両親の介護問題、自分たちの老後の生活、万が一の事態(病気とか)がリスクだと思っているので堅実を心がけてるけど
注文住宅(土地は親族所有)で3,400万円35年ローン(頭金は贈与1,000万円あわせて1,100万円)。月の支払いは8.5万円強。
水道3,000円/月、電気平均15,000/月(太陽光発電で5,000円/月収入あり)
通信費が家族で1.5万円/月。サブスクはアマゾンプライムのみ。保険は掛け捨てで1万円/月程度。
国産ファミリーカーを所有(350万円キャッシュで購入)。そんなに乗らないから、維持費は年10万円くらいかな?(税金ガソリン保険点検)。子供が小さいので週末お出かけのためにあると便利。
基本自炊で、週末に2回ほど外食。ファーストフード回転寿司ファミレス焼肉のどれかで予算4,000円/回くらい。全部あわせて食費は10万円/月くらい(食事量が多い家族です…)
2週間に一度程度、夫両親と外食する時は支払ってもらってる。
保育園と学童で7万円/月、習い事は上の子だけ1.5万円/月。
旅行と妻実家帰省(飛行機の距離)をあわせて年3回くらい、一回10~30万円くらいの予算。
それ以外は月2回程家族で出かけるかな?あんまり予算とか考えたことないけど、月2万くらい?(水族館動物園博物館公園プール果物狩りとか)
夫、妻ともに3万円/月だけど、欲しい物があれば相談して購入可能(ガジェットとか高めの服とか)。家計は妻管理。
夫婦ともにUNIQLO等のファストファッション中心。子供もあわせて年10万円くらい?(子供の服は祖父母に買ってもらうことが多い)
夫と子供は1,000円カット、妻は美容院で8,000円くらいを3ヶ月に一度、これも家計から。
現金2,000万円、投資150万円、積立保険600万。金融情弱なのでつみたてNISAとiDeCoを始めたばかり(夫婦で毎月6万積立)。投資の勉強ってどうしたら良い?
ちなみに婚活で知り合いました。
男友達はたくさんできたけど続々と結婚して遊びづらくなってしまった
学生時代の友達はあんまり連絡取らなくなっちゃったし、最近ずっと寂しい
趣味も一人でするものが多くて(お笑い鑑賞、ラジオや料理や登山など)どう人と繋がったらいいかわからない
Twitterやってみたけどどうやってフォロワー増やしたらいいかわからなくて、フォロー4フォロワー0のまま止まってる
考えてみた案としては以下になるけど()内の理由で未だ実行できず
・スケボーを最近始めたのでスケボーパークに行ってみる(自分から話しかけられないのに下手くそが一人で行って話しかけてくれる人なんて居るのか?)
・料理教室行ってみる(数回しか顔合わせないのに仲良くなれる未来が見えない)
・テニススクールに通う(これが一番現実的かも、学生時代にやり過ぎてテニス自体に飽きてるのと月謝が高くて家から遠いのがネック)
・ディスボードとかで募集してるdiscordサーバーに入って知らない人とゲームする(スプラトゥーン下手くそでも暴言吐かれない?マイクラにも興味あるからマイクラ始めてもいいかも)
理想としては、何らかの習い事をやって、その練習の繋がりで仲良く…というのが1番なんだけど、田舎なので習い事自体が少ない…。
子供がいるので歩いて児童館にいったり、電車に乗って教育支援センターに遊びに行ってる
地方に住んでたときは車代プラスガソリン代プラス車検代、洗車代(車が汚れたらガソスタで機械にお金払って洗車してた)などがかかっていたが
ド田舎住んじゃうと、栄えている場所まで遊びにいくまでの時間がかかるし、田舎であればあるほど車も乗らなくちゃいけなくなる
世の中には沖縄住んでて車を持ってないようなタイプの人もいるけどね
子供がいたら車ないと習い事の送迎とかどうすんの??って話しになるよね
私は車の運転好きじゃないので、今の暮らしが本当に好き ずっと東京いたい
独身で、一人暮らしで、車が必要のないお仕事をしてるなら地方住みでもいいけども
でも、地方で働いてて車なしはほんと地獄でした。職場で飲み会あっても私は車出せないので。鳥取に住んでたことあったんだけど最初車なし生活してて途中で車買いましたわ。車を持ってるかどうかで職場の人間関係も変わってくるんだもん。地獄……あと車がないとできる仕事も限られるよね。営業のお仕事とか車必須だしね
ゲームなんか顕著だよね
プレイする前から攻略法を読んで、「正しいプレイ方法」を学んで、最高ランク到達できるレベルでプレイできないとそれは「失敗」とする感じ
本当はゼロから始めて、試行錯誤し、仕組みを知り学び、平均レベルまで実力を上げていく過程だって楽しいのに、それだと「失敗」と思われてしまう
結局、子育てがいまそれになってるんだよね
子供って夫婦で仲良くしてたら自然に授かるもので、できる範囲で精一杯向き合って、アホでもいいから元気にいい子に育てば、なんかわりと幸せな人生だったな、みたいになるもんじゃん
でも今のネットの子育てに関する風潮って、「小さい頃から何不自由なく色んなものを買い与え、習い事をさせ、受験競争に乗せて、MARCH程度じゃ失敗と言われるゲームにトライするか?」みたいな空気じゃん
あれってただの成功者のマウントでしかないのに、あんなのを本気で真に受けて、「『成功』ができそうなイメージがわかないから参入しないでおこう、俺ってわきまえてて賢いわ」みたいなの本気で言ってそうなのが恐ろしい
別に人生もゲームもなんでも、失敗も成功もなくて、ただ存在するだけなのにね
「失敗」の何がそんなに怖いんだろう?
https://anond.hatelabo.jp/20170206102543
いま家族旅行に来ているが、もうみんな寝てしまったので、缶ビールを飲みながら徒然なるままに思うところを書きつづる。
前回の記事に書いたとおり、当時小6だった長男は中学受験に挑戦し、俗に御三家と呼ばれる男子校に進学した。
それからの6年間、長男は部活に勉強に学校行事にと精を出し(なお恋愛)、仲の良い友人もたくさんでき(なお恋人)、とても充実した日々を送ってくれたようだ。
その高校の卒業式に出席したが、決して厳かとは言えない雰囲気。
いちおう詰め襟の標準服が制服ということにはなっているが、入学式以外で着ることはほぼなく、体が大きくなっても作り直したりはしないので、制服を着ている生徒は一人もいない。
ほとんどは親に借りたと思しきスーツだが、中には普段通りのカジュアルな格好もちらほらいるし、奇抜な格好をした目立ちたがり屋もいる。
その全てが許されている。
後で長男に聞いたところ、一人はネタだが、他はトランスジェンダーらしい。
彼ら(彼女ら?)の勇気には敬服するし、トランスジェンダーの問題に限らず、素の自分を臆することなくさらけだせる環境、校風を作り上げてきた学校と生徒たちを賞賛したい。
生徒たちも何かというと「自由」を声高に叫ぶ。その一方で責任についてもしっかりと言及するあたり、なかなかしっかりしているな、と思わされる。
ただ自分が卒業した関東の公立高校もそれほど変わらない程度には自由だったし、この学校が果たしてそこまで特別なのかどうかは分からない。
「自由であらねばならないという不自由さ」に囚われているような気がしなくもない。
ともあれ、校則はないし、制服も(実質的に)ないし、髪を染めたり休み時間に校外のコンビニに行ったりしても怒られない(らしい)。
最近ネットで高校生のやらかしがSNSで拡散され退学処分になるニュースを聞くが、たぶんこの学校では同じことをやっても退学になることはない。
退学させてしまったら、更正のための指導・教育ができなくなってしまうではないか。
高校が勉強を教え、その出来を評価するだけの場であればそれでよいのかもしれないが、この学校は「人間を育てる」ことをとても重視してくれていた。
先生方はとても熱心で、生徒たちの将来を非常によく考えてくれている。
PTA役員を2年間務め、校長を含む先生方とも様々な機会で交流させてもらったからこそ、自分もそれを実感できる。
卒業アルバムを開くと「この学校に6年間通えてよかった!」という長男のコメントが書いてあった。
今となっては長男がこの学校に通うことになって自分もよかったと思う。
卒業式から一週間後、受験した大学の合格発表があり、第一志望の「東.*大学」に合格した。
ソフトウェアエンジニアにはおなじみの正規表現というやつでぼかしたが、面倒なので以下「東大」と略すことにする。
この東大というところは、多くの人にとって特別な意味を持つ大学のようだ。
老衰で死にそうなばあさんや、鬱で生きる気力のなくなったじいさんでさえ、東大合格を伝えると笑顔を見せて喜んでくれた。
実際、長男はよく頑張った。鉄なんとかという塾の宿題にもしっかり取り組んでいた。
しかし自分は田舎の公立中高から塾にも通わず、東京のとある国立大学に進んだ身だ。
大学入学後、御三家校を含む都会の私立高校出身のやつらから聞く高校生活には、自分のそれとは全く違う華やかさがあった。
全国から集まった同級生の中には、自分には理解できないくらい裕福な暮らしをしている者もいた。
こちらは築数十年の4人部屋学生寮に月5000円で住んでいる。
寮生活は楽しかった。何なら人生で一番楽しい時期だったかもしれない。
しかしそれはそれとして、都会育ちのエリートや金持ちにはある種の妬みや反感を持っていたのは否定できない事実だ。
それから30年。
よりにもよって自分の息子が、当時の自分が妬んでいた側の人間になってしまった。
合格した夜、そんな複雑な気持ちを抱えながら、こんなことを伝えた。
「お前はよく頑張った。それは誇っていい。でも周囲の環境に非常に恵まれたことは忘れるなよ。お前と同じくらい素質があったがお前ほどには環境に恵まれなかった人は全国にたくさんいる。決して自分が人よりも偉いだなんて思うなよ。」
もう自分が父親として彼に教えられることはそう多くは残っていない。
自分は次男にも中学受験を勧めはしなかったが、長男がそういうルートをたどった以上、そうなるのは必然だった。
小3の冬のある日、次男が「塾に通いたい」と言い始めた。
反対する気はないものの一応「何でだい?」と尋ねてみる。
ウソである。本当は学校の仲の良い友だちが通い始めるからである。
しかしこんなことを言われて、長男も通わせておいて、ダメと言えるはずもない。
次男は別に勉強ができなくはないし学校の成績も良いのだが、中学受験という競技においては長男ほどの才能はなかった。
そして今は第4志望くらいだった学校に楽しそうに通っている。
偏差値の高低は重要ではない。次男にとってはその学校が合っていたのだと自分は満足していた。
ちょっと面食らったが、もともと大学は海外に行くことを勧めたい気持ちはあったので、それがちょっと早まるくらいだと思い了承することにした。
日本人が通えるアメリカの高校は、基本的には全寮制のいわゆるボーディングスクールというやつになるらしい。
でも本人がやる気になっている今になって、やっぱりダメとは言えない。
ここはもう腹をくくることにした。
そして留学エージェントの力も借りて、先日めでたく合格をもらうことができた。
ところでアメリカの高校は4年間あって、1年生から入るには日本の中学3年の秋からアメリカに渡る必要がある。
つまりいま通っている私立中学を中退してアメリカの高校に入学する。
なので、もしホームシックをこじらせて志半ばで日本に帰国するようなことになると、日本における最終学歴は「小卒」になってしまう。
まあ本人はネタとして面白い、とあっけらかんとしているので、それほど心配はしていない。
1ヶ月前に勤めていた会社を辞めた。
ただ何もしないととことん堕落しそうなので、シニアタレントオーディションというのを受けてみることにした。
最近は団塊ジュニア向けの商品やサービスの広告モデルや、テレビの再現VTRなどで、40代以上のシニアタレントの需要がそこそこあるらしい。
そしてめでたく合格した。
4月から3ヶ月ほど演技のレッスンに通うと、タレントの仕事を紹介してもらえるようになるらしい。
まあ入所料やレッスン料を支払わないといけないので、最初は習い事みたいなものだ。
そういうビジネスだと思えば、たぶんお金さえ払えれば誰でも合格できるのだろう。
タレントになるのが早いか、ITエンジニアとして再び働き始めるのが早いか、将来のことは自分にも分からない。
妻も職場の資格試験に合格したらしいので、一家全員合格祝いの家族旅行になった。
それにしても海外に来ると、円安と長く続いた日本のデフレを痛感する。
タレントとして成功しない限り、次回はちゅうちょしてしまうレベル。
以上、深夜のワイキキビーチより。
父親、70代半ば。
定年してから家ですることないし何もしないし酒飲んでばっかり。
人との関わりもできないし社会と関わり持つようなこともなくて時々2階の自室から降りてきて、家族にあることないこと文句言う。
で、本人もコミュ障なのかアスペなのかわかんないけど、酒飲んでなくても認識がおかしいところもあるし、何よりも怒る事くらいしかエンタメがないのか、過去の嫌だった事を1人で煮詰めて、それがグツグツしてペースト状のドロドロになった頃に人にぶつけたりする。
一緒に遊びに行く友達の存在とかもほぼ居なかったと思う、聞いたことない。
すぐに人をこき下ろしたがるのでだれも仲良くしないと思う。
極端に、周りを見下すことでしか自分の優位性を保てないんだと思う。
テレビ見ても雑誌みても、フン、て偉そうに多分何も知らないのに間違っとるとか批評家気取りのズレたご高説を垂れるばかり。
聞いてる側も気分悪いのでいつからか家族もまともに返事しなくなった。
気を使って話しかけても、自分すごいorお前は大したことない、の話しかできないから。
目的があって外出するのは月に1回の通院と、タバコと酒買いにコンビニ行くくらい。
食事も、家族が作ったものは選り好みするし決まった時間に食べる習慣もないし、置いてあるカップラーメンやチルドうどんとかを食べてたりする。スーパーの弁当なんかも置いておくと食べてたりする。
で、最近特にひどくなってきて身体も思ったように動かなかったりとかの不安もあるんだろうけど家族への暴言や暴力が頻度が高くなってきて、限界も近くなってきた。
夜中に家族の寝ている部屋で訳のわからない気分悪い話やどうしようも無い人のルーツを馬鹿にする発言をしたり、扉をデカい音で閉会したり、テーブルにコップをゴンゴンあてたり、階段をわざと大きな音で歩いたりとか、もう明らかな異常性がでてる。
父親本人は構ってほしくて構ってほしくて仕方ないんだろうけど、本当に話すネタも自分かわいそう、か誰かしらが悪い、くらいでつまらないし、無視してると嫌がってるのに顔を無理やり覗き込んできたりとか、反応貰えるのがそんな事しか思いつかないのかロクな事をしない。
暴れる(大声の暴言含む)時に7119とかは迷惑?それとも警察?
アル中単体とかなのか、性格だったり心の障害なのかも判断できないし、かと言って本人が自ら精神系やカウンセリングみたいなところに行けと言っても絶対行かないだろうし、何をどうしたらいいのかわからない。
病院では暴れてる事なんで自己申告してないだろうし、下手すると本人も覚えてないから、酒の飲み方も週に2回飲まない日作ればいいとか言われてるらしいけど怯える日が増えるので家族としては正直余計な事を、と思わずにいられない。
今月になってから、目立つ飲酒時の奇行とかはスマホのメモ帳に付け始めた。
他に準備できることあるんだろうか。
【追記】
家の周辺歩くのに人の目が気になるなら山とかの駐車場に車止めてその辺15分くらいでも過ごすと違うと思うんだけどね
習い事も、きっと周りを馬鹿にして自分スゴイをやるし、そもそもそのお金を払うのが馬鹿だと思いそう
きっと行った店の店員さんにも変なキレ散らかし方してご迷惑かけてそう
【追記】
たくさんコメントあって驚いたのと、有難いのと
自分も含めてこれから歳をとる世代のみんなは、苦手な人こそどうか感謝と謝罪を口にできる訓練をしておいてほしい
そういう意固地って自分の行動範囲を自分でジリジリと削り続けてなんでだよって逆ギレかますみたいなもんで、周りはドン引きしかしないし手を差し出す事もできればしたくなくなっちゃうから
社会と関わりがなくなるとこうなるんだと思うけど本人ももう働いたりする気はないみたい
犬は飼ってるけど、ペットの管理で過去にやらかして信用もないし、犬自体もやっぱりおかしいのがわかってるから懐かない、懐かなくて犬も文句をいう材料にする、の負のループ
昔から犬の散歩もしないし犬の粗相も家族にオイ、って知らせて犬の世話をしてる気になるタイプだった
とりあえず保健所や福祉系のところに相談実績を作るから始めようと思う
高齢者でも性欲ってあるんだね、母親の体をなんとかして触ろうとしているときがある、それがまた自分本位なので本当に醜悪で…コミュニケーション能力や相手をちゃんと人として扱うって大事すぎるなって
父親の尊厳を傷つけるのはと思っていたけど、向こうはこちらの尊厳をゴリゴリに削ってくるんだからストレスすごい、それでもここで吐き出せてよかったです
実は2年前に父親は食事もまともに取らず酒飲んで寝てたので意識がなくなって?救急搬送から月単位での入院のコンボをかましている
部屋は見事な酒の紙パックだらけだった、腰の高さで埋もれるくらい
昔見かけた競売物件で「まる」だらけの部屋があったけど、あれプラス謎の溜め込んだ金属ゴミ系(空き缶を切ったりした物は破片が危なく片付けに苦労した)
趣味がなかったり、人を馬鹿にしないと生きていけなかったり、せっかく死にかけたところから戻ったのに何も見つけられないのはどうしたらいいんだろう、1人でできて金もかからない、前向きな気持ちになれる気軽な趣味を見つけてほしい
【追記】
初めて匿名ダイアリーを使うので、返信のお作法がわからないのですがいただいたコメントは基本目を通しています。
共感いただく方が複数いるという事は少なからずあるパターンなんですね。
コメントの通り、どうやって本人を福祉なりに繋げられるように連れていかせるかが焦点になるでしょうか
通院先は総合病院で(入院したところなのでその辺の事情のデータも残っているかもしれない)ソーシャルワーカーもいるのでそちらあての相談もできないか調べようかな
そういえば思い出した、以前に地域包括支援センターの方が本人に会いにきたのだけれども怒鳴ったり暴言吐いて追い返したらしい、自分はその場にいなかったから後から聞いた。
訪問されたスタッフなんて正社員でも何でもないモンが、偉そうに指図しやがって、的な事を言っていたらしいのだが正社員なら言うこと聞くわけでもなかろうに
誰の言うことなら聞くんだろう
【追記】
ネットを検索してもなかなか見つけられなかったヒントが、吐き捨て目的の匿名ダイアリーのブコメでこんなに集まると思わなかった、集合知に感謝です。
既に終わった人も大変だったろうしなかなか人には言いづらい事を教えてくれて助かります、これからに備える人も何かしらの参考になるなら書き殴りの文だけど、できそうな対策を1度考えてみてもいいのかなと
たくさんいただいてる意見の中の認知症疑い、これは多少ある気もしますが、それで急におかしくなったわけではなくて元々の本人の性格におかしなところはありました。働いてる時でもいきなり癇癪起こして自室から数ヶ月出てこないとか定期イベント。
一緒に住むなら心をフラットにできる薬を服用してほしい。あとは睡眠薬等で夜中に寝て朝に起きる癖をつけて欲しい。夜中や早朝に異常行動起こすのは思えばここ数年…?そう思うとだいぶおかしいのか。
増田が同居してるのが悪いって意見、考えたことも無かったですがそれもあるかも知れません、しかし離れた県外で結婚して家庭をもっている兄弟(息子)への暴言や難癖もひどく、結婚相手の実家に対する根拠もない差別発言を聞いて、同じように自分が家を出たところで文句を言う材料にするんだろうなと。で、あいつも悪いから何も相続させん!とか叫んでそう。
他者が悪い、すなわち自分は正しいという思い込みしか拠り所がないんですかね。
あと、自分が同じ部屋にいる時は比較的おとなしい。自分の部屋に怒鳴り込みにはこない。ターゲットは基本母親。
娘の前では少し理性が働くのかフルスロットルにはならない、少し前に母親殴りそうな時に平手打ちしてメガネぶっ飛ばした。その時に力でも勝てないのも理解したんじゃないかな。
反撃しようとして半世紀前に習ったか何かの空手かなんかの型みたいなので威嚇してきたけどびっくりするほど痛くもない肩パン。
色々書きながら思い返すとやっぱりダメですね。物理的距離を取る、を第一目的に動こうと思う。
前に支援センターの人が来たのは何だったかな、近所に呼ばれたとかではなかった。
入院してて退院前後は介護認定3がもらえた(という表現もおかしいが)ので話早いといいな
酒で入院した時はウェルニッケの疑いの話されたけど、なんか案外元に戻ってしまった。
酒飲むの止められない人、極力減らすのが1番だけど各種ビタミン忘れず取ってね。酒のカロリーで生きてもロクな事ないですよ。
結婚したら一生セルフケアしてもらえると思ってた世代ってあるのかな。成功しないのに察して察してを続けて、何かこちらが提示しても後出しのイヤイヤ。70代のイヤイヤ期なんて情けなさしかないからそういう思想なくなればいい。
教育テレビで尊大な自尊心を穏やかに丸くさせるような番組とかしてくれたら助かるんじゃないか
【追記】
思いのほか拡がってしまい戸惑ったけど、たくさんのためになる情報をありがとう
「自己愛性パーソナリティ障害なんじゃないか」の声を複数見かけて、調べてみたら全てが当てはまって今までの奇行にも納得がいくし、本人幼少期にロクな扱いされてなかった話は聞いた事もある(田舎の次男)、診断こそおりてないけど多分そう。少なくとも対処法が近いのでこちらも考えやすいしお互いのつらさは少し減らせるかもしれない。
今の父親本人は暴れたあとの落ち込みタイムとでも言うのか、これも定期イベントだけどしばらく大人しくなる期間ぽい。
このやらかす→大人しくなる、の繰り返すスパン短くならないといいな
ソーシャルワーカーさんにも相談したし、あとは地域包括支援センターにも話を通したりしながらどうにか改善できるように手探りしていこうと思う。
タイトルの通り
教員のブラックさ加減は色々なところで今話題になっているが、実態は実はさほどブラックじゃないなぁと自分は考えている
私は小学校教員なので、中学校のブラック部活などについては知らないため、あくまでも小学校では、という話でという前提は持ってて欲しい。
最初にさほどブラックじゃないよって言っておいてなんだけど、残業時間が多い教員というのも山ほどいるのも事実。ただ、その裏では毎日定時に帰っている人間もいるのも事実なのだ。ちなみに私もそう、子供産まれたってのもあるけど、公務員だから出世とかないし、定時に帰っても残業しても給料変わらないし、だったら定時に帰った方がいいってのは小学生だってわかる。
そんな私の経験から、残業が多い人間には3通りいると考えている。
1つ目はノートのコメントやら、丁寧なプリント作成など、とにかく手間をかけるのが好きな人。ベテランに結構多い。こういう人間は基本的に残業が何時間だろうと元気だし、好きでやってるだけと言って辞める気も全くない。こういう人達は残業代に対してなんとも思ってないし、それが当たり前だと思っている。
2つ目は単純に仕事が出来ないか、教員に向いてないのに必死にしがみついている人間だ。教員採用試験に落ちても担任になれるのが今の日本なので、はっきり言ってカスみたいな担任ってのは多くいる。しかもそういう人間には研修に参加する権利すら与えられないので、成長もできず、クラスも荒れてトラブルも増えて保護者にも「ハズレ」認定されて嫌われてと、まさに地獄絵図である。
ただ、このタイプは教員の仕事がと言うよりも本人の資質能力によるものが大きいため、仕方ないよね思ってしまう。無理しないでさっさとやめた方が心と体にいいと思う。
3つ目は、定時で帰れないほど仕事を任されている人だ。多分今1番救うべき人々はこの人達であり、給特法に対して声を上げているのもこの人達なんだと思っている。この人たちの特徴はなんと言っても「いい人」であること。
先程ちらっと言ったが、定時で帰っている人間は一定の割合で存在している。保育園のお迎えであったり、習い事やら飲み会などのプライベートなものであったり多岐にわたるが、とにかく早く帰る人は早く帰る。
そういう人が学年にいると、学年の仕事はその「いい人」が優しさでやってしまう。自分の仕事に追加して人の分までやるのだから、それだけで仕事は倍だ。
さらに辛いことに、管理職は早く帰る人には大変な仕事を回さない。家庭の事情だと断られることもあるし、人によっては仕事をバックれて帰るやつもいるので任せられないのだ。酷い時には組合に相談してパワハラ認定してくる教員もいる。よって管理職は人を選ぶ。普段から残業をする人間=頼めばやってくれる人間だと思われて重たい仕事を任されるのだ。この人たちが一番かわいそうだし、適正な給料を貰っていないのである。
長くなったが、教員というのはそもそもはそこまでブラックでは無い。残業代は出ないが、仕事の量を調節すれば勤務時間内でほぼ終わる場合の方が多い。ただ、その分「いい人」に負担がかかるので、ある程度自分勝手に生きていける人の方が上手くいく(保護者とのトラブルなども、そういう人は他人事なので大きくなりにくいし、抱え込まないので病みにくい)のは間違いない。
定時に帰る側になっている自分にとって、給特法廃止については正直どうでもいいが、何かしら手は打たないと教員の質は無限に落ちていくのは目に見えている。
なんとなく1年の終わりなので書いてみた。教員のくせに文章下手ですまん。特に推敲とかもしていないので、読みにくかったらごめんね。見出しの付け方とかもよくわかんないんだ。ただ、最近思ってたことを文章にできてスッキリした。
古今東西あらゆるフィクション・ノンフィクションを見てもどうやら仕方のないことらしい。諦めてはいるが、自分の身に起こっていることでもある。
世代的に専業主婦を選択せざるを得なかった母は、鬼のような教育ママとなり、莫大な金と時間をかけて小学生の娘に10つもの習い事をやらせ、中高は片道2時間の学校からの週6で塾に通う生活を6年、そして娘はノイローゼになりながらも無事1人で生活できるような賃金を稼ぐ社会人になった。手頃な恋人を見つけて二十代のうちに結婚し、有難いことに子宝にも恵まれて共働きで慎ましく生活している。
母に言わせると全て母のおかげである。昔は嫌な気持ちもしたものだが、まあそれで嫌な気持ちになるのは私くらいなので今はあまり気にならなくなった。それは良いのだが、私が「母の教育のおかげ」でこのような「いわゆる幸せ」な人生を送っていることがやっぱり母はどこか気に入らないようなのである。
私が小さい頃から、母は周囲の目線が母より私に集まるのを嫌がった。○○ちゃん(私)を連れて行くとみんなママそっちのけであなたを可愛がるからさみしくなっちゃう!とよく怒っていた。自分にも子供が産まれたらその感情が理解できるものと期待していたが、残念ながら今に至るまで理解できていない。誰かに娘が褒められるのもあまり好きではない。最終的にその娘を育てた自分に賞賛が向くように会話を続けているのを、私はいつも静かに聞いていた。小学校高学年くらいから、人数分無いものは母に優先的に渡したり選ばせたりしていたように思う。母が食べたいケーキを私が先に選んで取ってしまうと拗ねてしまうのだ。
父親に対しても、今思うとおよそ恋人として振る舞っていたように思う。父と母は手を組んで歩き、私はその後ろを歩くのが日常であった。両親の間には私の入れない空気があり、それが家庭としては一般的だと高校生の頃までは思っていた。父は娘から見ても気性の荒い人間であり、母のことは貶すし、弄る。母はそれに対してヤダヤダ!と幼児的なアクションで対応する。それが2人のコミュニケーションであった。私のことはほとんど空気のように触れられなかった。何かを相談した記憶もない。ちなみに父と私は日常会話すらぎこちないほど会話が成り立たない。母なしでは会話が成り立たないように家族が完成してしまったようだ。
困るのは、夫のことである。夫は父とは正反対の明るく気さくな人間であり、両親に、特に母に気に入られるまでにそう時間はかからなかった。そのうち母は私を抜いて夫と2人で会話をしたがるようになった。なるべくそのような時間のないように動いてはいるのだが、見事2人きりになった時にはやはり娘(私)の困ったところ、ダメなところを夫に愚痴っているようだ。その上夫が言った一言一言を拡大解釈し、今度は私と2人きりになった際に「夫くんがこんなこと言ってたわよ、あなたには中々言えないけどこんな不満もあんな不満もあるって」と吹聴。"夫くんのことはわたしが一番分かっているわ!"のような態度に呆れた顔しかできない。もちろん夫にはこのようなことに巻き込まれることに都度謝罪し、夫婦間での齟齬がない(=母が我々夫婦個人について不適切な解釈をしている)ことを確認する作業を行っている。ややこしいので勘弁して欲しい。娘の夫について母が娘にマウントをとってくるというのはかなり理解に苦しむ。
結局我々母娘の周囲にいる人間について、娘が母より優先されたり、注目を浴びたりすることがどうにも許せないようなのである。先にも書いたが、子供が産まれたらその感覚も理解できると思ったが、どうにもその気配がない。私は私より私の子どもが注目されて褒められている方が嬉しい。そのことに嫉妬の感情は全く出てこない。私の母の言い分もよく分かるという方は、その心理について、もしよければ教えて欲しいと思う。
は子供作ったらの話やろ
も全部含めて結局専業だから生じる仕事ってわけでもなくて普通に働いてても生じる仕事ばっかじゃないか…?
専業だから一方的に全部押し付けられて大変っていう話ならまぁ分からなくもないが、この時代にこういうのを一方的に押し付けてくる奴と結婚したなら働いててもこのくらいなら押し付けてきそうな気はするが…
恋愛は怖い。
俺はスポーツでも習い事でも勉強でも事前準備を欠かさなかった。勝てる戦いしかしてこなかった。
小学校高学年では中学の英語数学を、中学校では高校の英語数学を、高校では大学範囲の勉強をした。
小学生の時からインターネットが使える環境だったため、スポーツや習い事を始める前にも必ず徹底的に道具、ルールや技術についての知識、競技人口を調べあげてから挑んだ。マイナースポーツやマイナー分野ばかりに挑戦してたくさんの賞を獲得し、高校や大学では部活のレギュラーや都道府県の代表となってきた。
職場に関しても、入るにあたって倍率の高い業界や例え入れたとしても競争の激しい業界は避けた。安定、出世、収入のバランスが最も良い環境を自分なりに選んでその業界に参入した。
ただ、恋愛に関しては小学校、中学校、高校、大学で何の事前準備もしてこなかった。事前準備をしたところで恋愛できたかわからないが一度くらいはデートに行けたかもしれないし、失恋であっても経験にはなっただろう。
しかし、今の俺は社会人。恋愛するつもりで女性と関われば事前準備(経験)前提で挑まなければならない。向こうも当然、こちらが経験者であるという前提で関わってくる。そして初心者、未経験であることが発覚すれば0ではなくマイナス評価だ。恋愛は俺にとって負け戦である。俺は負け戦はしない。
そもそも、真夜中にこのブログを開設するあたり、私はもう正気じゃない。
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5歳の頃、家族旅行でアメリカへ行った。国外へ旅行へ行くのはこの20数年間でこの一度だけ。知らない言語に囲まれて、知らない文化に触れた、初めての経験。
私はそれまで、父親よりも背の高い人間がこの地球にいるなんて知らなかった。
幼稚園はキリスト教系だった。でも園の中に十字架とかそういう「偶像」がなかったので、私が日々の中に神の存在を感じる機会は非常に限られていた。お弁当を食べる時になると手を合わせて祈りを捧げた。「神よ、日々の糧に感謝いたします。アーメン」。この時間くらいじゃないだろうか。
先生たちは定期的に聖書の話をしてくれたけれど、当時の私には理解できなかった。そして多分先生たちも私たちに理解することを求めていなかった。卒園式で綺麗に装丁された聖書を記念品にもらった。字が読めるようになり、心に哲学の概念が沸いた年齢になった時に初めて読み返した。そしてようやく何かしらは理解できたと思う。多分。…。時間差があるね。
でもこれだけは覚えているのがある。園長先生という方は非常に柔らかいお話の仕方をなさる方だった。わかるようなわからないような、でもそれはそれとして言葉がスーッと染み込んでいくようなお話をなさっていた。
先生はいつもこうおっしゃっていた。唇に歌を忘れずに。光の子として歩みなさい。
前半は知らない。でも後半は聖書の一節だ。「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです」
小学校の頃は全く覚えてない。
英語と音楽と国語だけできた。でも国語の担当教師と年がら年中喧嘩してたので評定に定期テストの点数が反映された記憶がない。
英語は楽しかった。小さい頃漠然と定型分だけ覚えて旅行に行ったあの「英語」が、形ある理論と知識として目の前に再び現れた。いうなれば、旧友との再会のような。互いに少し成長していたけれど。
音楽は、心の拠り所を得るために気まぐれで合唱部に入ったら急に歌えるようになった経緯がある。何それって話なんだけど、私もよくわからない。ただ、ある日ある時急に突然「声の出し方、響かせ方」が分かった。2年生の時、ソプラノのソロパートを担当させてもらった。嬉しかった。あれは、私が自分の実力だけで勝ち得たもので、そして私にもできるものがあるのだという証明になったから。音楽の先生は卒業式の日私の母をとっ捕まえて手を握ってこう言ったそうな。
「お嬢さんが音大に行きたいと言ったら、どうか止めないで入れてあげてください」と。
周りの子供たちは「自由」が増え、レンタルショップでビデオを借りた。麓の街に行って、友達同士で服を選び合った。私にもそんな自由が欲しかった。漫画の貸し借りをしてみたかった。アニメの情報を共有してみたかった。
彼女は「あなたが弾きたい曲が入ってる楽譜、家にあるから貸してあげる。家まで来て」と言った。彼女の家は私の家とは少し離れていた。やや逆方向寄りなのだ。でも私は彼女について行った。そして楽譜を借りた。
家に帰ると母は非常に機嫌が悪かった。ただいま、という挨拶に対して返ってきたのは「どこほっつき歩いてたわけ?」だった。確かに帰宅時間は通常より20分ほど遅かった。
正直に話した。友人の家に寄って楽譜を借りてきた、と。楽譜は没収された。
ちなみにその友人は時々漫画も貸してくれていた。しかし母はそれを目敏く見つけて隠した(母はよく私が学校にいる間に私の部屋に入って物を漁っていた)。そして3週間ほど経った頃にクロゼットから出してきて「あの子に返してきなさい、今すぐに」と言ったのだ。
少し考えればわかること。この家は、何かが少しずつ狂ってる。
私にも自由が欲しいとゴネた事がある。他の女の子みたいにガーリーな服(当時は少し露出があるのが流行っていた記憶がある)が着たい。髪を伸ばしたい。休日は友達とお出かけをしたい。バレンタインは友達とチョコレートの交換をしたい。
ことごとく跳ね除けられた。
おしゃれがしたいなら家でやらないで外で自己主張して頂戴。学校にお菓子を持ち込むのは校則違反でしょ?(それをバレンタインの日だけは黙認されてるから私にもやらせてくれと言ったのだが。)お出かけして遊ぶ暇があるならピアノの練習して勉強したらどう?アンタは目の前の遊びを取って将来を失うつもり?それに私たちがアンタのピアノの習い事にどれだけの月謝を払ってると思ってるの?その分ちゃんと練習してよ。
そんな言葉で私の心はポッキリだった。でもその時はまだ幼かったので「高校生になったらきっと変わる」と思っていた。
ちなみに上記の言葉を言われた後で私は一度だけ地域のお祭りに友人と行ったことがある。
一言で言えば、つまらなかった。目に映る何もかもがくだらなく見えて、そんなくだらないものにはしゃげる友人たちが寧ろ一周回って羨ましく思った。その日の私はピアノの練習もしなかったから、鍵盤が恋しかった。結局皆より一足早く帰宅したはずだ。
…そんな私の感想に、母は非常に満足げだった。こればかりは癪にさわる。
高校は私立女子校に入学した。良い大学に行くことだけが目標だった。それさえ達成できたなら、きっと私の人生は報われると思った。おしゃれらしいおしゃれをしなかったことも、友人と行ったお祭りを楽しめなかったのも、バレンタインの日にお菓子作りをしなかったのも、全部全部。
周りの友人は有名らしいアイドルにどっぷりとハマっていた。週末になれば電車に乗って遠くへ行き、グッズを買い、ブロマイドを買い、皆で見せ合って楽しんでいた。
街のお祭りを楽しめなかった女は、アイドルの良さもわからなかった。女の子たちが「ねえねえ、このひとカッコいいと思わない?」と見せてくるのを適当に「ほんとだ、カッコいいね」と返した。
ちなみにミュージカルをやる部活に入ったが、言わずもがな母は私がそこに入部するのを死ぬほど嫌がったし、門限は昔よりもシビアになった。当然遊べなくなったし、部活も毎回早退していた。それは舞台本番の1週間前でも変わらなかった。先輩も同期も私の家の事を理解してくれていたことだけが幸いである。あの人たちは皆優しかった。でもその優しさに永遠に甘えるわけにもいかなかった。当時私はスマホを持っていなかったから「今日だけは門限を伸ばして」と公衆電話から家に電話をかけた。「それなら家に入れてやらない」とだけ返されて電話を切られた。私は職員室の前で泣きながら「どうしろって言うんだよ!」と叫んだ。
その部活は1年生の冬に廃部になった。まあ色々あったのだ。晴れて私は本当に勉強しかすることの無い暇人になったのである。
英語にのめり込んだ。きっと海の向こうの人たちが喋ってる言語は私の住む世界を広げてくれると思った。
音楽は私の心の拠り所だった。親には「私たちがアンタのピアノの習い事にどれだけの月謝を払ってると思ってるの?その分ちゃんと練習してよ」と言われていて、それでよくピアノが嫌いにならなかったな、と思わないでもないが、それはひとえにピアノの先生の教え方が非常に上手かったからだ。あの先生は一生の恩師と言っても良いだろう。ピアノの技術だけでなく、音楽を体全体で楽しむことの大切さを教えて下さった。
必死で勉強して、そこそこ良い大学に受かった。当時は大学入試の定員規定が厳しくなったばかりだったから絶対浪人すると思ってたけど、受かった。第0志望、希望の希望通りの学科。
高校生の頃(というか小学校中学校から)ずっと母は私に「アンタみたいに頭の悪いやつは、私の時代なら商業高校に行ってたよ。今はいいね、アンタみたいなバカでも人並みに高校に入れて受験できるんだからさ」と言っていた。
何度も娘をバカだと言わなくて良い。言われなくても本人がちゃんと分かってる。
同じ地域に住み、同じ景色を見ていた小中、その延長線上にあった高校とはまるで違っていた。私のような実家住まいもいれば、一人暮らしで頑張る人もいた。
でもこれだけは断言したいが「明日の屋根を心配しなければならない人」は私以外あの空間には存在しなかった。
「7時半には返って来れるでしょ」
つまり、7時半が門限だということだ。大学生の、門限が、7時半。
あんまりだよ、と泣いた。父を説得しようとし、父方の祖母を説得しようとした。大学生なんだよ、大人だよ?と。でも父は母のイエスマンだったし、祖母(と叔母)は如何せん価値観が若干古かった。「7時半は十分遅いよ、お母さんは譲歩してる方だと思う」と言って譲らなかった。
遊ぶことはなかった。化粧もしなかった。ファンデーションだけだった。化粧なんてね、若いうちは要らないの。それが母がいつも言うことだった。
少し考えれば分かること。あの時の母は、私を完全にコントロールしたかったのだ。
その年の秋、私はこれまた突然、手首を痛めた。関節炎だった。ピアノの弾きすぎ、PCの打ちすぎで利き手ではない左手に過度の負担がかかったらしい。もうピアノは弾かないでください。と言われた。
あの時の絶望といったら。私は身近な人を突然亡くした経験はないけど、多分親友がある朝突然死んだらこういう気分なんだろう、と思った。うまく使えない左手、もう弾けないピアノ。虚無感、なんて言葉じゃ補いきれないものだった。
私にとってピアノはそれほど大きな存在だった。嬉しい時も辛い時も一緒にいたのが、ピアノであり、音楽だったから。
その時急に現れたのが昔の知り合いだった「彼氏」だった。
少しずつお互いのことを話す中で私は小さな打ち明け話をした。休日が大嫌いなんだ、と。
当時母は土日のたびに癇癪を起こしていた。やれ私の歩き方が気に食わない、やれ私の話し声が気に入らない。どうしてアンタは私の気に入るように振る舞わないの?と。当時私は土日の早朝6時〜9時でコンビニのアルバイトをしていたので、その早朝勤務の後に母の喚き声を聞くと言うのはどうにも「来る」ものがあった。
さて話を戻すと、私の打ち明け話を聞いた彼は私を週末のお出かけに誘った。電車の向こうの街でかれこれこういう催し物があるらしい、行ってみようよ。気分転換にさ。と。そういう具合に。そして私はその誘いに乗った。
母には「友達と出かけてくる」とだけ言った。情報は不足しているかもしれないが、嘘はついていない。少なくとも当時は彼はまだ「友達」だった。
そしてその友人は彼氏になった。
彼から告白された時、私は一種のチャンスを感じた。きっと私は自分に証明できるとお思った。私の人生は私のもので、私の人生の決定権は私が握っているのだと。
しかも、当時の私が心から欲していたのは「絶対的な安全」だった。そして痛めた手首によって失われた「心の拠り所」だった。
きっと彼ならそれらをくれるだろうと思ったので、私は彼の告白に同意した。
彼はそれ以来ちょくちょく私を外へ連れ出した。
その度に私はまるで世間一般に溶け込んだ気分になっていた。世間一般の「普通の子」になれたように思った。そしてその時私は心から喜んだ。「生きてる!」と無邪気に思えた。
私が勝手に出かけ、挙句彼氏まで作ったので、母は怒った。最初父は「別にいいんじゃないか?」と言っていたが、母があまりにも怒るので父も手のひらクルリと返した。
母は私から家の鍵と財布の金、銀行のカードを没収した。お前に鍵と金を渡すと碌なことにならない、と言いながら。(ちなみにこの銀行のカード、取り返したら今度は月に3万、家に入れる事を要求された。当然今度は私の生活費が足りなくなってバイトを増やしたら、要求される金額がまた増えた)
母は、アンタがどこへ行ったか全部わかってるんだからね!と怒鳴った。最初意味がわからなかったが、どうやらあの時の母は私をスマホのGPS機能で追跡していたらしい。それが判明した時、私は泣いて彼氏に詫びた。どうしようもないものに巻き込んでしまったと思った。ざっくり言えば、母のやったことは犯罪に近いのだ。
彼は「気にしてないよ」と言った。
私は「いや、そこは気にしてくれ」と思った。というか、そう言った。
彼は「お前がかわいそうだ、どうにかして救いたい」と言った。
その心はありがたかったが、ありがたがると同時に私はそれを拒絶した。
「かわいそう」と軽々しく言えた彼はどこまでも温室育ちだった。4人家族ペット付き、平均的かそれよりも幾許か上の環境で、ぬくぬくと、二親に愛されて育ち我らが王子様のような扱いを受けてきた彼が言ったのは、永遠に「かわいそう」な立場にはならないであろう人間の、無意識の傲慢だった。
「救いたい」と言った彼は、きっと人間が人間を救えると信じていたのだろう。確かに信じるものは救われるとは言うけれども、彼氏とはいえ第三者の立場の人間が他人を救えるのなら、今頃イエスキリストも聖母マリアもこの世から用済みだろうし、仏典も聖典も要らない。でも世界にはそういうものが存在するのだ…。彼はそれをちゃんとは理解していなかった。
私の状況も、世界の状況も、「聞いて知ってはいる」けど「理解」はしていなかった。
彼氏の母親という人は、息子から私の家の状況を聞いて、こうコメントした。
「あそこの大学の子だと聞いて安心していたのに。それじゃあ全く、訳アリのお嬢さんを拾ってきたってこと?」
…ってうちの母がいうんだ、面白いよな、訳アリだなんて。と彼は笑いながら言った。少なくとも彼の中で「訳アリ」という言葉は一種のネタとして消費されたらしい。
私は彼氏ができた、とか勝手に出かけた、とかそういう「罪」で度々家を追い出された。そんな時私を匿ってくれたのは大学の友人たちだった。
追い出されるたびに顔色が悪くなる私を見て友人は私の目を閉じさせ耳を塞がせ、その間に家中の刃物という刃物を知らない場所に隠した。彼女曰く「今のアンタに刃物を見せたらすぐさま死んでしまいそうで怖い」。当時の私は一体どんな顔をしていたのだろう。
結局、私は彼と別れた。
彼は普通の家で育った普通の人間だった。そんな温室の彼を「私」という人間に巻き込み、異常なものを見せ、その一部だけでも経験させてしまったことは、私が負うべき「罪」のように思った。そして、そんな異常な場所から彼を一刻でも早く遠ざけようと思った。「かわいそう」という言葉も「訳アリ」という言葉も、ネタとして理解できる世界に戻そうとした。
それが正しいかどうかは本当にわからない。でも身勝手だったとは思えど、あの時の私にできた「最善」の判断は、それだった。
どうか彼には「普通」の彼女ができていてほしいと思う。そして、私の視界に入らないところで幸せになってほしい。
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大学3年生になり、2つの喪失、「普通」の概念について考える日々、加えてコロナ禍。最悪だった。それでも秋までは保った。そして秋になって体調を崩した。
感情がわからなくなった。楽しいとか、嬉しいとか、悲しいとか。
指先から血の気がひいた。四六時中まるで体全体が後ろから引っ張られているような感覚だった。
ほんの少し正気に戻ったその瞬間に病院に行き、うつの診断を貰った。ついでに精神安定剤も貰った。(本来抗うつ剤をもらう予定だったが、そういう精神に効くタイプの薬を飲んだことがなく不安だったため、安定剤からスタートになった)
仮病だ、とか、考えすぎだ、とか、甘えだ、とか。診断をした医者はヤブだ、とも言った。そして私から保険証と現金を没収した。よって私は途中で治療が止まっている。
ちなみにかの「原神」を始めたのは4年の最初だったか、それくらいだったはずである。(タブレットデバイス様様で、こういうゲームは自分のスマホに入っていれば「実体」が無いので、両親は私が流行りのゲームを始めただなんて夢にも思っていない)
うつの診断を受ける前だったか後だったか、とにかくその辺りの時期に私は数回手首を切った。そのうちの一つだけ、鮮明に覚えている。
衝動に任せて切って、うっすらと血を滲ませた。最悪だったのはそれが金曜日で翌日にはバイトがあったということだ。(※この時は体調の限界やらシフトの都合やら色々なものが重なって、私のシフトは早朝6時〜9時ではなく、9時〜12時に移っていた。そこには私の幼馴染の男の子も一緒に働いていたので、早朝から働いていた時よりは幾分気が楽ではあった)
さて左手首を切って血を見て1時間、なんとなく冷静になった時に気が付く「待てよ、明日バイトじゃん」は本当に最悪だ。急いで薬をぬり(強めのステロイドだった気がする)、ガーゼを乗せて包帯を巻いた。
翌朝幼馴染の彼は「それ、どうしたんです」と聞いてきたので、私は笑って言った。
「関節炎の湿布」
この幼馴染、私が怪我をしたとなるとまるで問診か何かのように問い詰めるのである。どこで怪我をしたの、どうして怪我をしたの。その時何があったの、いつもと変わったことでもあったの。
手首は数回掠った。そしてもし、もう一度でも金曜日にそれをやった上で「どこで、どうして怪我をしたの」と問い詰められたら、私は誤魔化せる自信がなかった。
そもそもコンビニのアルバイトなんて、いつヘルプ要請が入るかもわからないものなので、それが金曜日じゃなくても、手首を切るのは普通にアウトだった。いつか誤魔化せない日が来ると思ったし、その調子で切ってたら取り返しのつかない事になるのは目に見えていた。
それ以来、手首を切るのは自制している。少しばかり、褒めてほしい。
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先日、この幼馴染と少しばかりの遠出をした。
出かける予定を作ったことを正直に母親に白状し、許可を得た(これがまたハードルが高かった。)母は私たちが電車で行ったと思っているが。
私は彼が運転する車に乗って遠出した。
帰りの移動だった。彼は、夜の暗闇が一番好きだと言った。
私も夜が好きだと返した。夜は良いなと思う。あの暗闇も、程よい明るさも好きだ。
その日すっかり疲れてしまっていた私はぼんやりと、彼に少しばかりの昔話をした。
まだ私が早朝6時のバイトのシフトに入っていた頃、5時に起きて支度をしていたから冬の早朝は真夜中みたいに真っ暗だったのだと。そして少し季節が春に近づくにつれて日の出の時間も早くなり、西の空は暗く、東の空は明るくて、私はその真ん中に立っているような錯覚を覚えたのだと。まるで、昨日と明日の境目にいるような気分だったと。
ある時私は親に家を追い出されて、月曜火曜ならまだしも金曜日に追い出されたのなら翌朝のバイトは始発電車に乗らないと間に合わなかった。まだ空が真っ暗な時間にそっと友人の家を出て、電車の窓の外がうっすらと明るくなるのを見ていた。
そう言った。話し終えてからようやく自分が一体なんの話をしたのか、一体彼に何を聞かせていたのか気がついた。
変な話してごめん。私の家の騒動を知ってて私を家に泊めてくれた友人くらいしか知らない話だ、多分他人に初めて話した、幼馴染の女の子ですら知らない話だ…。と途方に暮れながら謝罪したところ、彼は「そうだろうね」と言い、こう続けた。
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今も私は「普通ってなんだろう」と考えている。
家では相変わらず母がつまらないことで喚き散らしているし、私の髪の一本一本にすら執着し干渉している。そして相変わらず父は母のイエスマンだ。
幸せになりたいな、と思う。
でもまず私は「幸せってなんだろうな」から思考を巡らせなければならい。
そもそも私はいまだに感情の生成についての問題を解決していない。
たぶん私という人間も私の家族も、私の家の一族も何かしらが「おかしい」のだ。皆が皆で、それぞれ違うベクトルで狂ってるから、その異常性に気がつきにくい。
でも気がついた人が気がついた時に「終わらせなければならない」。母は自分で自分の母親と絶縁した。もしかしたらそれはいつか来る自分の未来だと思う。
いろいろな統計を見ても、基本的に4人家族の平均生活費は月額30万円前後。
これは家賃は除いている(持ち家、賃貸が入り混じっているため)
うーん、4人家族ならもうちょっといい家住もうぜ、8万円にしとくか。
でも、食費が11万なんだよな。
全国平均は約8万。
贅沢しすぎじゃなーい?
だとして35万くらいが相場ってことになるわけだが、追加に10万も何に使ってんだ。
月間35万と45万じゃ年間で100万以上変わってくるから、そこ大事だと思うよ。
実際、うちは大阪市内じゃないけど100万人都市で子供を1人を塾に入れて習い事もさせて
だいたい35万くらいにおさめてる。
45万ねぇ。って感じ。
ちなみに俺も妻もアラフォーで世帯収入は60万行かないくらい。
高くはないけど、この辺に住んでる人の中で言えば低くもないって感じ。
45万ねぇ、ほまーに?って感じ。
まあ、これを書いた増田に仲間がいると伝えたいだけの話なのだが。
うちもこのパターン。うちの親は何かと妻の親とべたべたしたいらしいけれど、妻の親は別にそういうのに飢えてないって感じ。
この辺は性格的なものもあるだろうし、年を取って新たな人間関係を築くのが難しくなってきたから、息子が持ち込んだ人間関係に執着しているってのもあるのかなと思ってる。
仕事をして地域社会とそんなに付き合いが無かった人ってさ、仕事なくなったら人間関係がかなり減るじゃん?
俺が結婚したのがちょうどそのころだったから、なおさらそのさみしさを埋めようと妻の親とべたべたしようとしていたんだろうなって思う。
うちの場合は俺らもそういうべたべたした関係は望んでいないので、まあ、べたべたしない人間関係もあると10年くらいしたら理解した模様。
そうね、結婚して5年くらいは全く理解されず、人格攻撃され続けて、こちらも耐えきれず縁を切ってた時があったな。
10年の間に習い事をはじめたり、再雇用されたりとして、孤独を子供や妻の親で埋める必要がなくなったというのもあるかもしれない。
兄弟も結婚して、そちらの方は多少べたべたした付き合いが好きな人たちみたいだから、そっちでべたべた分が回収されているってのもあるのかもね。
この辺、ほかにべたべたを処理してくれる人がいないと元増田やその妻の親に求め続けるだろうから、つらいだろうな。
(「処理する」という表現は杉浦 由美子氏の「母性を処理する」にインスパイアされて使ってる。まさに、これも「処理する」が適切なんだろうなって思う。)
知り合いの子供が発表会に出るのでチケットを購入して見に来て欲しいという。
純粋に観に来てほしいなら親がチケットを購入して配布するものだと思う。おそらく1人何枚を購入せよとの割り当てがあるのだろう。
なぜそう思うかというと、以前その子供の習い事の先生が監修されたという前衛的な舞台に、平日に一緒に来てくれと言われ有給を取り付き合ったことがあるからだ。その時に人数が足りなくて助かった、のようなことを言われ、2度と協力はしないと固く心に誓った。
こういう発表会系の習い事は、出演料とは呼ばないかもしれないが、発表会の会場代やそれに付随するもの、衣装代その他諸々の費用がかかるので、月謝の金額はそれらを込みで考えるべき。それらを自力で賄えないのであれば、その子供の祖父祖母に協力をお願いするものであり、それが無理なら子供の友達とお互いに呼びつ呼ばれつでやるべきだ。うちは子供がもう大きいのでそういう機会は無い。
また協力依頼の連絡が来ても、はっきり断ろうと思う。いや断る。
やっほー!みんな大嫌いなDINKsだよ!
子供を持つ気がない自分みたいな人間が「どうしたら子供を持ちたくなるか」考えてみたよ!
既にある補助制度も全然分からんので好き勝手に夢見事を書くよ!
・東京23区内在住の女(34)
・夫(39)はおそらく子育てにかなり参加するタイプの人間(家事への責任感があるタイプ)
・夫婦共に子供は嫌いではないが人生にマスト!というほど好きではない(でも、もしデキてしまったら産むと思う)
・お金はある(が、都内で自信持って子育てできるほどでは無い。今後右肩上がりにお金が稼げる気もしないIT土方&フリーランス夫婦。)
・時間がない(仕事は好きだがクソほど忙しすぎる。仕事を諦めて子供につくせるほど、子を愛せるのか疑問がある。)
・家事サポート無料(3ヶ月頃まで、週1で家事やりに来てくれるとか、週1で一晩面倒見てくれて親をぐっすり寝させてくれるとか)
・子育て世代への家賃補助(+1部屋増やせるぐらいの補助がほしい)
ここまで無料にしてもらえたら、
○親の事情でどうしても面倒が見られない時、託児先として安心できるレベルのサービスが使えるだろうなという安心感が生まれる
○習い事をさせるとか、塾にいかせるとか、教育におけるプラスアルファの体験に金を使えるだろうなという安心感が生まれる
・ベーシックインカム導入
○頑張るor長時間労働しないと稼げないという現状から脱却できれば、「自分のふがいなさゆえ育児放棄に陥るのでは」という不安から脱却できる
総じて、「親がポンコツでも子供が放置されたり教育機会が損失されることはないだろう」という安心感さえ解決できれば産んでもいいかなと思えるかも。
今自分が想像できる子育てって、必死にやれば子供を育て上げることはできる。
でも親が自分にしてくれたような「特別な体験」は与えられない気がする…みたいな漠然とした不安があるのよね。
自分に手一杯で、「うちに生まれる子供はなんかかわいそうかもなあ」と思ってしまう。
(社会制度上の助け合いの不足や、経済的な衰退ばかりが目に見えることもあって、どうせ生まれても不足を補うためにこき使われるかわいそうな人生なのでは?と思ったりもする。)
ここまで読んでくれた人の気持ちを代弁するよ。
https://anond.hatelabo.jp/20210110125330
これの続編。
友人宅でまだ生きている。妻が怖くて、半年に一度くらいしか会えていない。会った瞬間は「あれ?」という顔をして、急に思い出して飛びついてくる。物心がついてきた子どもが猫を抱きしめて可愛いといってくれた。うれしかった。
やっと何を求めてきていたのか分かってきた。求めていたのは「共感」だった。女性特有の「違ってもとりあえず共感してから、やんわり違うと告げる」を求めていた。どう考えてもおかしく感じる内容も、ひとまず聞くだけ聞いて受け止めることを求めていたのだ。
これに対応するのはとても辛かった。「3秒で筋書きが見える話」を結末まで延々と聞き続けるのだ。筋書きが見えたドラマをたどる苦痛。しかも、その話は途中途中で違う方向に分岐していき、急に戻るを繰り返す。
常に脳内で条件分岐をイメージし、どこからどこへ分岐していき、いつどこに戻っていったのかを正確に記憶しながら会話を進めていく。登場人物を記憶し、エピソードを塗り重ねていく。
同時に「聞く気がある表情」を維持しながら聞かなければならない。興味のない顔などしたら一発でアウトだ。
これは脳に活力がある時以外はとても厳しい。体調不良や仕事で必死の時にやってくると、対応に失敗して逆鱗に触れる。つらい。
「おとうさん、だいすきなの」を何度でも言う。「おかあさんが一番好き」というが、これを言われては弱さしかない。自分の趣味や服やゲーム等への浪費をぱったりやめて、おもちゃや習い事や出かけるお金に全部変えている。
平日はほとんど妻頼りなので、週末はできるかぎり頑張る。
最近は「こんどはおとうさんと遊んであげるね」と言ってくれる。かわいい。ほんとかわいい。
死んでしまったらどうしよう。遺骨引き取るのダメだろうか。お墓とかダメだろうか。
何より、猫はもう私なんて飼い主と思っていないだろう。
詰んでしまってもう人生を終わらせようと何度も思っていたけど、終わらせなかった今がここにある。
つらいけど。かわいいのだ。
いまでもたまに「いつでも離婚していいんだよ」と妻は言い出す。冗談か本気か分からない。
最近、不倫された上に連れ去られた人のTwitterばかりやたら見る。見るからよけいに多く流れてくる。
つらいけど、みてしまう。
私にもいつか訪れる未来かもしれない。こわい。こわい。こわい。
26歳。早稲田文系を卒業し大手印刷会社に総合職として新卒で入社した。大手なだけあって福利厚生も給与も良いが、なんとなくボケっと先輩の真似して生きてる人生が嫌になった。給与だって年功序列だし、技術職と異なり目に見える成果もあげにくい。上司や先輩をみてると自分の人生の先がわかる。人生を変えたくなって知恵袋で色々質問してみた。
簿記も持ってない人が仕事しながら勉強して何年かかるやら…。受かる頃には年齢で監査法人落とされますよ。
法科大学院を考えていない場合、予備試験は相当な難関です。仮に予備試験と司法試験を働きながらパスしても30を過ぎているでしょう。任官も不可で事務所への就職は厳しくなります。悪いことは言わないので辞めましょう。
絵の練習もネーム作成もその歳までしたことない人間が独学でプロと戦えると思ってるんですか?誰がそんな人の作品にお金払うんですか?無理に決まってます。甘いこと言わないでください。
※漫画やイラスト系の質問に対する回答が一番手厳しくて言葉もきつかった。選ばれし人たちの領域なんだと実感。
無理。インディーゲームは供給過剰で飽和状態。技術がなくても面白いようなコンセプトやアイデアのゲームは出尽くして、稼げてるのは元々ゲーム制作に携わってた元プロとかだけ。
英語力しか武器が作れず、文系で専門性も少なく、日系大手の総合職などでしか職歴がない場合専門的な実績が示し辛く門前払いが殆どでしょう。外資で報酬も良い企業は雇用も不安定ですし日系より厳しいです。
結局、俺は知らない間に人生の可能性を潰してしまったらしい。怠けて生きてきたつもりはなかった。小学校では良く遊び、中学高校ではサッカーや学校行事に明け暮れ、受験期には一生懸命勉強し、大学でも授業はサボらなかったし思い切り遊んだし就活だって頑張った。でも結果的に俺がやってきた遊びや勉強や就活は周りの大多数の人がやってることをトレースしてるだけだった。大人になってから面白い生き方をしている人たちは、クラスのみんなが遊んでる放課後も遊ばず必死に勉強や習い事をしてた人、みんなの輪に入らずクラスの影で漫画を描いたり作曲をしていた人、学校を休んで芸能活動してた人とかみたいに「10代の時にみんながやってることをトレースしなかった人」なんだよなあ。
10代の時に尖った生き方が出来ず、親や教師の思う「理想的な学校生活」をしてしまったが故に人生の可能性が「社畜として賃金を貰い続ける」以外にゼロになった。
30代半ば、結婚して約5年のDINKsです。これからもDINKsでいこうと思っている。
自分の場合DINKsという選択を後悔するかなーと考えてみたので書いてみます。
なので習い事に行き始めたり、「暇は悪」という思考の癖を直そうとしたりしている。
起伏が減るのは全くその通りだと思う。自分でイベント作らないとただ食う寝る働くネサフだけで一週間が終わる。事件が起きない代わりに、ひとりでに喜ばしい行事もやってこない。
なのでちょっとでもやりたいと思うことがあれば手を出すようにしている。新作食品を買ったり、話題の映画を観に行ったり、旅行の計画を立てたり。腰の重い引きこもり性分を矯正しようとしている。
自分の場合これはどうかな……30代の現時点では生活水準維持できていることに満足している。家を買ったけど貯金に余裕はあるし、ローンの不安もない。最近の値上げラッシュも「値上がりしてるなー」と思うだけで、生活の苦しさもない。
小遣い制でもないので夫婦ともに好きな時に好きな浪費ができるの、単純に楽しいしありがたい。
「水準が上がらない」より「水準が下がらない」ことに満足しているのかも。
4.精神がかなり摩耗する
幸い、自分の場合これはない。夫婦ともにきょうだいがいて、かれらに子供がいるおかげだと思う(つまり両親にとっての孫はもういる)。盆や正月は孫が賑やかに過ごしていて、両親も楽しそうに世話しているから、私たちにはプレッシャーがこない。
30代なのでまだ全然想像がつかない……夫婦で老人ホーム入れるくらいのお金は貯めねばとは思っている。確定拠出年金や投資信託にはお金入れてる。
6.友人が減ってしまう
確かに友人と過ごす時間は確実に減っているのだけど、子供を持っていないせいかというと微妙……。元々友達少ないし社交的な性格じゃないからなぁ。
子供を持っていたら子持ち同士で続く話題があるとは思う。けどその分独身の友達とは話が合わなくなるから、トレードオフというか仕方ないというか、一般化できる話じゃない気がする。
これも、まだ30代なので何とも言えない。後悔しないとは言い切れない。
年取ってから後悔しないよう、人生で絶対やりたいと思っていたペットお迎えはしようとしている。老後の楽しみと思ってたけど、寿命考えると老後じゃ間に合わないなーと。
DINKsという選択を改める気はやはり起きないけれど、元増田さんが記事を書いてくれたおかげで考えるきっかけになりました。ありがとうございます。
音符もほとんど読めないレベルの人が、大人になってから楽器始めたケースであればまあ分かる。
大して上達していないように見えて、実はそれがその人にとって精一杯の最速だったりするのはよくある話。
しかし、子供の頃に習っていたとか、中高の吹奏楽で習っていた人が大人になってレッスンを再開した場合でも、再開から何年経とうが進歩が全く見えないケースが多々ある。
というか自分の周囲はほぼ全員そう。
これが「その人にとっての最速」ではないことを示す根拠はいくつもある。
例えば、いつも同じことで悩んでいて、そこから一向に抜け出せない。
例えば、個人的な好き嫌い関係なく傍から見ていてそれはダメだろーという部分が少しも良くならない(気づかないor指摘されない)。
でも、子供の頃に歯を食いしばって身につけたり、ブラック部活に耐えてコンクールをやり抜いた時点で、少なくともド素人よりは「楽器を習う」ことには長けているはずの人らがこの体たらくってありえなくない?
そういうのを見ると、
「この人の先生は一体何を教えているんだろう」
「この人は先生がやれと言ったことについて必死に取り組んでいるのか?」
「そもそも何をどうしたくて習っているんだ?」
という疑問が湧いてくる。
なお、隙自語が目的ではないので最小限の記述に留めるが、自分の場合は大人になってレッスンを再開した結果、あたかもそれまで止まっていた時間が動き出したかのように、周囲の評価が劇的に好転した経緯がある。
それこそ再開前は裏で嘲笑され、本気で迷惑がられていたような勘違いバカだったのに、レッスン再開から数年もしないうちに一目置かれるようになったとか、あまりの急展開に驚きしかなかったわけで。
一方で「自分の最速」は決して早くないどころか、
「自分のやっていることなんて、普通の人ならもっと早く習得し、治していける。というか得手不得手の落差が想像以上に大きかったせいで、ここまで来るのにずいぶんと時間かかったなあ…」
と思っているので、自分よりもずっと器用というか、得手不得手のばらつきが少なく、個人レッスンを受けるくらい練習に真面目に取り組む他の人らの、明らかな停滞には戸惑いしかない。
タイトルの通り。
友人は結婚している子がほとんどになってきていて、そのうち子どもがいるのが3割くらい。
そもそも結婚に向いてない性格で、自分が結婚して家族を持つイメージはないのだけと、パートナー探しをしていると「子供が欲しい!」と言い切る人がわりといて驚いている。また、友人たちも第二子、第三子を迎える子や「そろそろ(子どもを産むことを)考えてるよ」などど言う子も増えてきている。
二十代中盤くらいまでは増田もなんとなく結婚してなんとなく子ども持つのかな〜なんて考えてたけど、ここ2年くらいは結婚は自分にとっては利用しなくてもいい制度かもなと思い出し、子どもについては可愛いとは思うものの妊娠したいとか自分の子どもを出産したいとかはほぼ思うことはなくなった。
まずは、妊娠したくないということ。
増田はわりと体型が大きく変わることが無理なタイプで、自分のお腹が大きく膨らむことを想像すると言いようのない恐怖が襲ってくる。そんな自分を受け入れられる気がしない。
それから悪阻による体調の変化も怖い。働きながらなんとか運動も続け、コンディションを一定に保つことでここまでやってきているのに、そのペースが崩されるのではと思うと、ちょっとな…となる。
増田はわりと裕福な家庭で育って子どもの頃から海外旅行とか連れて行ってもらってたりしていたけれど、今のこの自分の年収600万程度で、何をするにもお金がかかる世の中で十分な子育て環境は得られないし、自分がかつて与えてもらっていただけのものを自分の子どもにも同じように与えられるとは到底思えない。
それに共働きでないとやっていけないで、いつも疲れ果てた親ってどうなの?とも思う。
前にいた上司も子どもが二人いる人だったけど、奥さんは子育てでフルタイムでは働かない中、子どもの習い事、送り迎え、休日の家族サービス、上がらない年収、まわらない家計、車を手放さないといけないかも、といった話を聞いて「なぜそうまでして子ども二人も…」と絶望した記憶がある。
そして仕事。一つ目の理由でも触れたけど、やっぱり体調面や育児で自分のキャリアを狭められてしまうことが怖い。女の先輩たちがこぞって産休育休に入って行って、年収も上げずにそのまま時短勤務に入って行った姿を見て、何のために働くのかなと思ってしまった。実際今も部下に時短勤務の人がいるけど、赤ん坊が体調を崩せば在宅とはいえ仕事はままならず休むしかなく、継続的にキャリアを築くとかそういった次元ではなさそうだなと。本人ももはやそんな風には考えてなさそう。
こんな資本主義が加速していく世の中で持つ人と持たぬ人が分断されていっているのに、子どもに関してはそこをすっぽり抜いて「欲しい」か「欲しくない」かでしか話さない人、というか割と「欲しがることは正当である」と考えている人が多くてびっくりする。