音符もほとんど読めないレベルの人が、大人になってから楽器始めたケースであればまあ分かる。
大して上達していないように見えて、実はそれがその人にとって精一杯の最速だったりするのはよくある話。
しかし、子供の頃に習っていたとか、中高の吹奏楽で習っていた人が大人になってレッスンを再開した場合でも、再開から何年経とうが進歩が全く見えないケースが多々ある。
というか自分の周囲はほぼ全員そう。
これが「その人にとっての最速」ではないことを示す根拠はいくつもある。
例えば、いつも同じことで悩んでいて、そこから一向に抜け出せない。
例えば、個人的な好き嫌い関係なく傍から見ていてそれはダメだろーという部分が少しも良くならない(気づかないor指摘されない)。
でも、子供の頃に歯を食いしばって身につけたり、ブラック部活に耐えてコンクールをやり抜いた時点で、少なくともド素人よりは「楽器を習う」ことには長けているはずの人らがこの体たらくってありえなくない?
そういうのを見ると、
「この人の先生は一体何を教えているんだろう」
「この人は先生がやれと言ったことについて必死に取り組んでいるのか?」
「そもそも何をどうしたくて習っているんだ?」
という疑問が湧いてくる。
なお、隙自語が目的ではないので最小限の記述に留めるが、自分の場合は大人になってレッスンを再開した結果、あたかもそれまで止まっていた時間が動き出したかのように、周囲の評価が劇的に好転した経緯がある。
それこそ再開前は裏で嘲笑され、本気で迷惑がられていたような勘違いバカだったのに、レッスン再開から数年もしないうちに一目置かれるようになったとか、あまりの急展開に驚きしかなかったわけで。
一方で「自分の最速」は決して早くないどころか、
「自分のやっていることなんて、普通の人ならもっと早く習得し、治していける。というか得手不得手の落差が想像以上に大きかったせいで、ここまで来るのにずいぶんと時間かかったなあ…」
と思っているので、自分よりもずっと器用というか、得手不得手のばらつきが少なく、個人レッスンを受けるくらい練習に真面目に取り組む他の人らの、明らかな停滞には戸惑いしかない。