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はてなキーワード: 新成人とは

2018-01-09

サービスの正しい価格

成人式着物レンタル着付け会社はれのひ」が夜逃げ計画倒産をした事件について。

新成人を迎える女性被害にあった人はとても可愛そうだとは、まず思うのだけれど、しかしなんぼなんぼでも、こう、不用意すぎねえ? と思うのだ。

素人さらっと考えただけでも、振り袖のレンタルなんてお見合い正月成人式とくらいしか出番がない。つまりレンタル業者側としては数十万〜三桁万の着物および小物を用意してその投資額を年間10日位の出動で回収しなきゃならんわけで、博打性が高い業態だろうなってのは想像がつく。事実着物レンタル旅行代理店も、経営不安定で淘汰が始まってるのは検索すれば2010年位からトレンドだってわかる。

サービスデザイン的な話で言えば、あるサービスが1/20の割合提供されない場合価格的には−5%することが可能なわけで(この構造鏡像化したのが保険という業態で)、「安いサービスを選好する」ってのは、つまり消費者判断としてそういうものだと思うのよ。

もちろん消費者保護って観点重要で、あまりにも疑心暗鬼になり商取引に専門知識必要になりすぎると市場経済が冷え込むんで、悪辣な業者は取り締まらなければならない。それは事実なんだけど、物事の成り立ちとしては「売り手と買い手の野蛮な知恵比べとしての商取引があり、それだと円滑な経済活動の足かせになるから、適度になるまで監視規制を強めた」ってのが経緯でしょう。

取引契約一種なわけで、消費者は常に無謬であり絶対保護されるべきってのは錯覚にすぎない。むしろ基本は自己責任自己防衛であり、企業個人消費者という力関係の中で個人消費者に力が足りない部分をそっと助けるあたりがバランスの落とし所だと思うのよ。

今回被害にあった人がバカだとかそういう意図はまったくないんだけど、何らかのものやらサービスを購入するにあたって、みんな、相場観とかを持たないものなのか?

てるみくらぶときもそうだったけれど、明らかにケアリの価格だったわけでしょう。言い方悪いけれど、安かろう悪かろうなわけで。「このサービスを得るのならばこのくらいの価格クオリティ維持するには必要だろうから、これより下の価格アイテムリスクありそうだな」とか「このサービス提供者は、前入金を急かすようなビジネススキームを使っててひっかかるな」とか、ごく普通世間知として、ないものなのかな。

何かを購入するときに「あれよりこっちのほうが高い/安い」っていう価格比較だけじゃなくて、むしろ正札をブラインドした状態で「このサービスの適価ってどれくらいなんだろう?」「このサービス提供する提供者がサービスを維持可能末端価格はどれくらいだろう?」って意識がないと、やっぱりマズイと思うんだよ。

それがないと、地元商店街追放してベンチャーサービスに飛びついて、結果、そのベンチャーサービスさえも破綻して、そうしたって地元商店街は戻ってこないとか、そういうことになるんじゃないかな。外食だって生鮮食品だって、「その内容を望むならこの価格覚悟すべき」っていう適価があると思うんだよ。

2018-01-08

新成人おめでとうございます

二度と成人式新成人同窓会スタッフはやりたくありません

大人になれガキども

2018-01-07

それでも、なんだかんだ成人式って行ったほうがよくない?という話

副題:イケてない人間成人式をどう迎えたらよいのか?

大学の同期が成人式をむかえる前に書こうと思っていたが、結局こんな時間になってしまった。

この時間になって成人式ねーうん・・・みたいに思ってネット見てる人間が見ればそれでいいや。

成人式に行かない人って、いったいどんな理由があるんでしょうかね」というのは、改めて考えてみるとこれがいまいちよく分からない。

あるいは自分がなんだかんだ言って結局行った方の人だからなのかもしれないが、行くのを結局決めたのは前日の夜になって「ああやっぱ行こうかな、一応準備だけしておいて寝坊したらあきらめるか」といった具合でいたら当日きっちり目が覚めたので、ええホントに行くの俺?みたいな思いを抱きながら行ったという有様だったので、その辺のところ行くまではかなり割れていたのだが、実際行った後になってああやっぱ行ってよかったなとなるような強い価値観の変化があったので、そのあたりのことがいまいちよく思い出せないし、結局行かない側の人ではなくなったので、行かない側の人としての物言いをしなくなったからだと思う。

というのも、その成人式人生三回目のセンター試験の一週間前だったし。

その頃の自分に何があったかというと、まあなんだかよくわからないことになっていた。少し本題とずれるので、結論だけ見たい人は読み飛ばして構わない。

単にシンプル物言いで表したり表されたりしたくないだけなのかもしれないが、一年目も二年目も、センター利用で受かった大学にそれぞれ親に入学金と半期の学費それから半期の休学費用をハタかせておきながら大学受験をおかわりしていたかである

結局一度目はもっと高いランク大学に行きてえと抜かす自己肯定感の欠如と、それでいて自分の有様をよくわかっていないが生きる上では大切な若者特有の貴重な熱意を、18,9年生きててそれだけしか身に付けなかったんかとばかりの崇高な偏差値という単線指標に振り向けて、それさえ達成できればこれまでも中高大と一度たりと第一志望というものに受かったことのない過去自分の救済になると信じて突っ走ったものの、大元問題が何一つ解決されてないがゆえに何一つ解決するはずもなく、終盤完全に行動の伴わない支離滅裂メンヘラという訳の分からない人になりながら本試は全て落とし、所属するが故の苦い部分から解放されもはや生きてるだけで自己肯定感補填できる依存先と化していた元の大学と、唯一受かった1ランク上の、しか受験が終わった後になってどうやら自分本来大学でやりたいと思っていたものと違うらしいということが分かった大学のどちらにすればいいか迷っていると口にし親父を激怒させて終わった。

二度目のほうはもはや凄惨と言う他はなく、元の問題、つまり自己肯定感の欠如であるとか偏差値以外の指標を実のところ持ち合わせておらず、大学受験というそういうことの最後の振り分けが終わった後でじゃあ自分が何をすればいいのかがわからない、自分に好きなことややりたいことがあるんだかないんだかわからない、ましてそいつを新しく見つけ出すこともできちゃいないし、前の大学の専門や多分野性は楽しかったし、自分のやりたいことのような気もしていたがそいつ自分でかなぐり捨ててしまった。そうこうしているうちに時間は過ぎ、周囲にいる一つ年下の人間はめいめいにそれを見出したり、あるいはそうでなくても仲間を見出していく。新しい人間を迎えるムードチャネルは閉じていき、ただ一人、コミュニケーションに長けているわけでもなく、まして19になって未だ携帯電話さえ持ったことのない現代人にあるまじき自分人間関係からも完全に弾かれたまま過ぎゆくただ時間に溺れ流されていた。前期の単位は夏前に再受験が決まって期末を受ける必要もなくなっていた前の大学のさえ下回り、初めてのバイトもクビになり、夏が終わるころには高校のころ深刻であった鬱状態が完全に再発状態となり、対人恐怖に加えて社会恐怖に陥り、狭いキャンパスの狭い学科で知っている人間と会うのも、知らない人間がそれぞれ彼らなりの為すべきことや適応見出しているさまを目にするのも耐えられず、大学は来てもまともに講義に出ることもなく普段人の来ない大学非常階段で横になりながら、人の話し声や足音におびえ、ただ一日中耐えぬ眠気と抗うつ薬副作用からくる体調不良でくたばっていた。

そのような状況を見かねてか、というより、自身家族学生相談室もお手上げ状態と化しており、少時に発達障害でかかっていた大学病院心理士やら全落ちした中学受験時代予備校先生にまで話に乗ってもらい、しまいに温情で元の大学に戻るなり、また別のところに入りなおすなり、リセットの機会を与えてもらったというのが11月、という有様であった。

というような具合だったので、高校を出てから二年間の間で、自分人生高校を出るまでは同期で同い年の(自分の周囲にいた)人間が辿っていたそれからは大いに逸脱していた。

二度目の大学の同い年の同期とも、ましてや歳の違う同期からも逸れていた。少なくとも、当時の自身にとってはそうだった。

もとは転勤族で住んでいる地元にそれほど愛着があるわけでもなく、昔から付き合いのある人間もいない。親類ですら、精神物理的に最も長い付き合いがあり、肉親としての付き合いらしさを覚えはじめていた爺さんは最初大学受験の途中で突然死した。ましてや住んでいるところの人間など、地理的なり関係性的になり分断が続いたので、初めて親しいらしき人間関係が三年を超えたのは、電車で一時間高校を出てからのことである

↑以上読み飛ばし

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↓読み飛ばし

そんなわけで当時の自分は、血縁地縁または精神的な人間関係という側面において、また学年や同期など社会的地位としての側面において、そして以前より自分が持っていたイメージ(と現状との乖離)という三つの面において、一般的な「20歳」という存在から離れていた。(すくなくとも、当時はそう自覚していた)

はい成人式ハガキというものは、本人のそうした事情自意識とは全く関係なく、ただいつ生まれてどこに住んでいたかということ以外何一つ問わず、だれの元にも届くものである

ハガキが届いた時点で、すでに自分人生が同年代の多くの人間が歩んでいるのと同じような人生など望むべくもないと思ってはいても(事実そうだとしても)、である

これは生まれ20年の1月を迎えるまでの経緯がどんなに平凡であろうが特殊であろうがおそらく同じことだが、成人式というものは、義務教育を終えた人間に来る、「ただ同じ年(度)に生まれたというだけで世間から全く同じ扱いを受ける」最後の機会だろう。ひょっとしたら最後ではないかもしれないが、少なくとも当分同い年というくくりではこれほどの等しさと無差別性を持った体験をする機会はないだろう。たとえ義務教育をどっかでドロップアウトしようが、義務教育後に社会に出ようが、小中高のどっから私立なり特殊学び舎に通っていようが、あるいはそういうことのなかろうがである

分かりやすいので義務教育を例にとってはいるが、それ以外であっても人間この国で20年も生きていれば意識しようがしまいがなんがしか本人なりの本人しか持たない(あるいは似たような人しか持たない)部分というものが出てくるものだし、そんなことはないと思っていてもそう思えること自体がそうである

これは多分行く前はあんまり分かりにくいことだと思うが、ともかく成人式というのはそういうもの可視化してくれるこの上ない機会だと思うんすよね。

自分が変わっていようが、あるいは変わっていなかろうが、それがどう変わっていて、どう変わっていないのか。会場に集まった普段どこに住んでたんだみたいな70年代珍走団の生き残りみたいな連中やら、無数にいるスーツトレンチコート羽織った黒い大群やら、量産型みたいな晴れ着の女やら、(ときキンキラキンの)紋付袴決めた男達やら、そこにいる連中すべてがまぎれもなく自分と同い年という光景は、少なくとも成人式以外にあるまいと。自分が前日にやっぱ行ってみようかなってなったのは、そういう風な光景って実際どんななんでしょってのを見てみたかったのが一つある。これ考えても実際に見てみないと絶対からないぞと。少なくとも、行ったことは何かの話のタネになるが、行かなかったら何にもならない。あとでやっぱ行けばよかった、がシミのように残ると思った。

成人式ハガキをなくしたのならなくしたと言えば現地で何とかなるし、着ていくものがないならまぁ少しでもちゃんとしてそうな格好をしていけばよいだろうし、そういう成人式だってあってもよいだろう。別に地元友達がいなかろうが、それはそれで自分にとっての成人式はそういうもので、そっから見える光景というものがあるだろう。ひょっとしたら、意外な出会いというものがあるかもしれない。俺の場合は誰一人知り合いとすれ違うこともなかったが、それはそれで面白かった。久しぶりにでも会いたくないやつがいたとしても、そいつと会うのはその日が最後だ。遅刻したって別に会場に入れてくれないということはないし、まあ既に終わってても贈答品くらいは貰えるだろう。

いずれにしても、成人式に行くことによっぽどの、それこそ生命危機が伴いでもしない限り、積極的に行かない理由をひりだすことはないんじゃないか

仮に生命危機があっても相手少年法適用外だ。別に贈答品目当てだってよかろう。地方によっては金券まであるらしいし。ぶっちゃけ、ほかの自治体のでも潜ってる人はいるし、そういう手もあるだろう。

成人式という上に述べたような場で何が起こるか、あるいは自分にとっての成人式がどういう場で、どういう体験をしたかってのは、これまでの自分を同じ年齢の違う人間という物差しで照らし合わせて改めて見直すことができるいい機会になりうると思うし、あるいはこれから自分がどうするかを決める上で一つの観点を得られる機会となることもあるだろう。

俺の成人式の話をすると、その日の朝は普段より早く起きて、普段予備校に行く格好のまま家を出て、最寄り駅のトイレカバンに忍ばせたスーツと革靴(最初大学入学祝い)に着替えて行った。

贈答品は会場に一番近いマクドナルドクーポンなのは事前情報で知っていたので、特に期待はない(要らねえけどなんかムカついたから二枚使った)。

日本で最も規模のでかい成人式ひとつなので、夥しい人間がいた。その中で明らかに事前の期待を裏切ってよかったこと・面白かったことが3つと、クソだったことについて書いて終わろう。

まず前座で良かった点、開式の国歌市歌斉唱。これは完全に盲点だった。いや、人生であれだけの人数で国歌市歌斉唱するという機会は以前もなく、おそらく今後もそうないだろう。規模は地元によって変わるところなので一般化はできないが、大勢国歌だとか市歌だとかをまともに歌ってみるというのは、歌というもの(または斉唱)が持つ効果について体感することができたし、本人の政治的スタンスによって様々に見方があるものだと思う。

クソだったのは、少しは面白い話するかとほんのちょっぴり期待していた林文子(市長)が死ぬほどつまらない話しかしなかったこと。マジで役に立たねえ話しねえ。1行で要約すると

携帯電話が普及して直接コミュニケーションをとれる機会が私たち世代より減ったと思うので密接な人間関係を築けるよう頑張りしょう。」

いやもっと役に立つ話しろとは期待が高すぎたかもしれんがせめてなんかそれについて掘り下げた話はできないのかよなんだそのお手本みたいなお年寄りのお手本トーク・・・というもの。これはこれで、ある種の貴重な機会かもしれない。毎年使いまわしてる可能性があるから横浜市民は要チェックだ。

輪をかけてクソだったのがその次の新成人スピーチ。まあ新成人代表なんぞに選ばれてスピーチを打つやつはまず間違いなく模範的成人みたいなやつかそれに類するものだと思っていたのだが(それ以前のスポーツ選手みたいなのの紹介とかもそうで)、そいつの語り口が聞いていて気に食わなかった。正直後のインパクトで話してた内容をあまり詳しく覚えてないのだが、まあ今はボランティアかいろいろやってます系の大学生自分人生を語るというものだったんだが、その途中で(当人人生実態としてどうであれ)妙に「こいつスピーチの話術として落としをやっているな?」というところがなんか聞いていてイラついてくるのである。「いじめられもしました」の言い方が湿っぽいんだよなんか。でもお前いい人に囲まれててよかったねいい人生だねと市長スピーチに続いて半ば来たことを後悔し始めたのだが、ここからがとてもよかった。

乱入である

これは行く前と行った後で最も価値観が変わったこである。かねてから成人式乱入というものはまぁおよそまともなものではないと思っていたが、しかしその場ばかり、その場の自分にとっては違った。

むかし怪獣特撮怪獣が町を破壊するシーンで喝采があがったとかいう話が少し分かった気がした。

成人式というのは、その主役は新成人である。そこにいる、会場に座っている全ての人間が主役である。彼らの社会的日向日陰此方彼方近郊遠方、全てを問わずしかし彼らのものであり、選ばれた新成人と、一世一代の晴れ舞台乱入を試み壇上へ駆け上がった名も知らぬ煌びやかな和装姿の彼と、私と、あるいはすれ違うこともないがしかしそこにいるはずの知人どもとの間に、いったい何の違いがあるというのか。誰が彼と彼らと分かちうる権利を持ちうるのかと。成人式とは、生きてきたこと、為してきたことの如何を問わず万人がそこにいる場ではないのかと。

ひとり私は拍手し、心の中で喝采をした。壱萬の大群と自ら選んだわけでもない代表者という構図の中に包まれていた会場を破戒し、否、そうではない、と示した彼の姿に。

そのように見出した彼の姿に心打たれ、ある種の感謝と、自らの肯定を覚えたからだ。彼の行動によって、万人の場としての当市成人式は成立をなしえたのだから

最後に。これは来ていちばんよかったと思えた光景なのだが、式が終わって駅に行くまでが死ぬほど混んでいたので見物感覚で大回りして駅の空いてるほうに向かっている途中、まあいかにもあまり中学休み時間窓際で話してそうな感じのイケていなさそうな感じの風貌のダウンジャケットの男二人が、しかし久しぶりに会ったと思わしき感じで、いかにも久しぶりにやるその頃の二人のやり取りという感じで楽しげに歩いている、その光景を後ろから見ているときだった。

こういう成人式も、あるのだと思った。

2017-12-08

子供に酒、タバコとの付き合い方、それにマナーを教えた方がよい。

性教育が『子供セックスを教えるなんてけしからん』という声に押されて消えて十年以上が経つ。

今の大人が習った当然のことを今の子から青年にかけては知らない。

セックスの仕方を早々に覚えてしまうことと避妊性病知識がないボンクラとを並べて後者の方が誰かにとって価値があるのだろう。

そんなわけだが、性教育はきっちりした方がいい。

アダルトビデオポルノ雑誌教科書にならないし、故意に間違った知識を流布されても正解も不正解判断がつかない。

酒やタバコに関しても同様に正常な知識必要だ。

実際、この社会では流通にのって割とどこででも売っている嗜好品としての商品を、まるで子供には無いものの様に振る舞うのは無理があるし、結局大人になってからいくらかの人間はこれに耽溺するのだ。

タバコは体に悪いとか、そういうことももちろんだが、吸うにあたっても屋外では法律で禁じられた場所があるとか、屋内でも多くの公共性の高い施設では吸えないとか、吸う前から教えておいた方がいい。

さらに、喫煙マナーとして妊婦子供の前で吸うなとか、歩きたばこダメとか、吸殻を捨てる携帯灰皿を所持するとか。

価格とかもね。

酒はさ、本当に飲み方を知らない子が突然、未熟な飲み方の集団に入っていくから一気飲みで死人が出る。

大人になって思えば、子供の頃は本当に酒の飲み方を知らない。

成人式で酒瓶を煽る新成人映像流れるが、あれはよく見ると焼酎であることの方が多い。

焼酎生地でラッパするのは一般的に末期のアル中か酒の飲み方を知らない若者くらいだ。

2017-05-22

スポットライトを浴びたくない

http://anond.hatelabo.jp/20170522184118

めっちゃ分かる。

成人式は、その年の何百人何千人といる新成人が十把一絡げだからまだマシだけど、

結婚式自分スポットライトが当たるから絶対嫌。

コンプレックスがあると見て欲しくないよね。

うちは、兄弟問題があったので、親だけ来てもらって顔合わせだけして、

結局、新郎親族には、その兄弟は会わせないまま、結婚した。

結婚式神社でやって、披露宴は無し。

新郎父親入院中で、病院がら式場に往復する状態からそれで済んだ。

2017-02-12

卒業式

卒業式の日。成人式の日。入社式の日。

いつだってイベントごとの日は両親をがっかりさせた。

卒業式ー。

悲しいほど綺麗なままの卒アル

卒業式を終えた子達が集まって、門の前の桜並木写真を撮っており、その周りでは父兄が談笑している。

そんななか、たった一人で一番早く門を出てくる我が子。

そんな子供の姿を見て、母はどう思っていただろうか。

私は、彼等の立つ桜並木には、一生立つことができないだろうと思った。

成人式ー。

これも、身内だけの、小さなさな儀式

誰に見せるわけでもないのに着物を着て、誰に見せるわけでもないのに美容院スタイリングして、最後に家の前で写真を撮った。

テレビをつけると成人式話題ばかりで、華やかに盛り上がる新成人達の姿を見て、わたしは心底面食らった。

卒業式の時感じたあの予感は、あながち間違いではなかった。

入社式ー。

本来であれば入社しているはずの年に、私はそれができなかった。

真新しいピカピカのスーツを着て、意気揚々と歩く新入社員達の姿を町で見て、母は何を思ったのだろう。

これからも、何かイベントごとがある度に、家族を悲しませるだろう。そして何より私自身が挫折し、絶望しなければいけない。

華やかなイベントの裏にこうした人種もいたのだということを、記録に留めておく。

2017-01-09

拝啓 10年前の君へ

成人おめでとう。

田舎なのにテレビで見るような目立ったヤンキーもいなく、

静かで大人しい、立派な新成人たる式でしたね。

あちこちで振袖の重し(つばさと言うそうな)がコロコロと転がっている、

とても風の強い日でしたね。

今のあなたは、怖いものなんてないでしょう。

振袖を着たあなたを、可愛い可愛い写真を撮り続ける両親を見て、

満更でもない気持ちでいるでしょう。

離れたところで仕事中の恋人写真メールを送り、

「綺麗だね」の返信を見て当たり前だと思うでしょう。

中学時代高校時代に好きだった人と久々に再会し、

一緒に写真を撮ったりして、ちょっとセンチメンタルになったりしているでしょう。

今年から始まる就職活動では、当たり前のように一部上場企業しか受けず、

大した苦労もせずに内定をもらいます

でもね。

10年後のあなたは、自分で思っていた理想とはかけ離れていますよ。

まず外見は、今日より8kgも太っています。ただのデブです。

二次会で来た7号のワンピースは、今は太腿までしか入りません。

から可愛いと言われることもなくなり、鏡には疲れた二重顎のおばさんが映っています

今の恋人とも結婚できませんよ。

2年後、社会人になったあなたは、もっと素敵な人が沢山いることに気がつき、

あんなに好きだったあの人をいとも簡単に振ってしまます

そのことを後悔するのはもっとずっとずっと後のこと。

可愛い可愛いチヤホヤされて、失敗しても笑って許されるのは、

せいぜいあと5年。

10年後の私から伝えたいこと。

中身のある人間になってください。

人を見下したりせずに、感謝のできる人間になってください。

私立大学を出してもらえて当たり前、むしろ何で一人暮らしをさせてくれないのと、

いつまでも親を恨むのはやめなさい。

人の価値を、学歴や職歴ではかるのはやめなさい。

些細なことでイライラして、顔に出すのはやめなさい。

23歳の若さで、眉間に皺が刻まれますよ。

本当に好きな人結婚してください。

学歴妥協で決めてはいけません。

毎日泣いて暮らすことになりますよ。

新聞を読んで、本を読んで、世間で起きていることに関心を持ってください。

わかりません、知りませんでは許されない年齢が必ずやってきます

自分の身の丈を知りなさい。

私はこんなことをやるような人間ではないんだとか、

妙なプライドは捨てなさい。

性格の悪さが顔に出ていると言われますよ。

今日から10年間の過ごし方は、きっと人生を変えます

きっと、40歳の私が、30歳の私に書いてくれると信じて、

30歳の私から20歳の私へ。

2017-01-07

成人式における中学という単位

成人式出身中学という単位が重視されるのは、慣習的な部分が大きいから、その感覚批判するのはお門違いではないかと思う。

少なくとも私の地元では、席が出身中学単位に分かれていて(市内中学出身でない場合居住地域にあわせるルール)、当時の担任からメッセージが流れ、市の広報に載る集合写真中学単位撮影新成人代表は「⭕⭕中学出身」が必ず紹介される。

行政側が出身中学を前提に進めてるんだから、そういうもんだと思うわな。

ただ、少子化中学再編が決まったり中高一貫校の構想ができたり、中学卒業から5年のうちに実家が引っ越すケースが珍しくなくなっている現状を考えると、この感覚はいつか過去のものになるかもしれないと思っている。

2016-01-13

成人式DQN

あと100年もすれば、20世紀ヤンキーの格好をした新成人が壇上に上がり、

ナマハゲのように踊り回る、というのが式次第に取り入れられると思う。

2016-01-12

期待族

けしからんとは思いつつも、心のどこかで、暴れる新成人の姿が見たいという気持ちがあったんだよ。

そういう人が多かったかテレビが映すし、それを知ったアホがなんかビッグなことやろうぜーって暴れるんだ。

反省

http://anond.hatelabo.jp/20160112111722

荒れる成人式っていうのも、案外、奥が深い。

荒らすためには、何人もの新成人が同じ系統着物を揃えたり、(実は卒業中学別に被らないように配慮されてたり)

移動のためのマイクロバスを手配し、荒らす場所での場所取りをしたりと、いろいろ裏で準備が必要なんだ。

裏方の作業は後輩がすべて行い、その後輩が成人になるときは、さらにその後輩が準備をする。

そうやって、もう15年も続けられている行事なので、少子化で途絶えない限り来年も続くのである

しぬかつ

新宿にAの説明会に行った。

成人式ということで新成人がたくさんいたが、東京新成人はとても品が良くて感動する。田舎とは大違いだ。

とりあえず意識を高めるために業界本を立ち読みしにBookFirstに向かう。がん保険1位とのこと。

会場に行くとカジュアルスーツスーツを着た人がたくさんいた。(案内には出来る限りスーツで来るなと書いてあった)

総合職と一緒の説明会なので女性が7割ぐらいでびびる。

説明会はアホでもわかるように「相互扶助精神」とか「収支相等の原則」とか「第一分野・第二分野」から始まる。

一番最初に「人生という航海に一つだけ持って行くとしたら何を持っていきますか」とかい文系のアホくさいアイスブレイク質問が入る。

会場内「スマホ」と答える人が3人もいてビビる。ちなみに僕は最初は妻が欲しいと思ったんだけどそんなことは恥ずかしくて言えないので奇をてらって「飛行機」と答えた。奇をてらったのはわかっているが、実際飛行機があって操縦できたらいいと思う。ちなみに模範解答は「コンパス」らしい。コンパス持ってても自分が今どこにいるかからなければ意味が無い。やっぱり僕は飛行機俯瞰したいね

「当社は外資系の張り詰めた雰囲気と違って、社員をとても大事にしています」「創業以来リストラを行ったことはありません」

「If we take care of our people,the people will take care of our business」とかホンマかいなと言いたくなる御託が並ぶ。

インターンで学ぶこと:自分自身大切なこと・どのように成長できるか・仕事内容・当社の強み弱み

とかはえんとりーしいとぉを書くときに使えそうだと思った。

人生の4大リスクとは:「しぼう・にゅういん・ながいき・かいご」と言っていて、さすが第三分野の人だなあと思った。

「生きる」を創る。というブランドプロミスには第三分野でやっていくという意味が込められているとわかると確かに面白い

てがきでえんとりーしーとぉ書かされる。字が汚すぎて絶望。その後帰ってすぐにえんとりーしいとぉ通過のお知らせがくる。

その後丸亀製麺を食べて帰宅する。ジム説明会に行こうと思っていたが寝落ち今日は7km走った。東京マラソンに出たいとか富士登山したいとか意味不明感情が沸き上がってきて僕自身知らないうちに心が病んでいるだなと思った。

2016-01-11

成人式には出なかったし、お酒は一度も飲んだことがない

http://anond.hatelabo.jp/20160107125638

自分お酒って、一度も飲んだことないんだよね。ちっとも口をつけたことがない。

から友達いたことがなかったし、飲み会ってやつに誘われたことがない。お酒をのむって、そもそもどうやって体験すればいいのか分からない。

風俗に行けばセックスできるらしい」っていうのと同じで、「店に行けば陳列棚のお酒を買えるらしい」ってぐらいの知識はあるよ。でもそこから先、どうやって体験すればいいのか分からない。ぶっちゃけ興味はあるんだけど、お酒を買ってきて飲んだりするのには抵抗がある。抵抗ありすぎて自分には無理。

 

あ、自分ガリ勉していたから、世間ではそれなりに褒められそうな大学に行ったけど、精神的に追いつめられて結局中退してしまった。だから実家に帰ってきて、今はすこしアルバイトをやっているだけのゴミクズです。さーせん。(昔に勉強してきた内容をすっかり忘れたから、今では多分中卒ぐらいの学力レベルだと思う。つらい。)

 

今年の新成人じゃないけど、成人式には出なかったよ。すでにこうなる未来を予感していたからね。出席しても惨めになると思っていた。じつはそれでも式に出なかったこと、出る勇気がなかったことを今さら後悔している。

 

はてなブックマークを見ると、ふつうはやっぱり地元に昔の友達がいたり、友達はいなくても「嫌いな同級生」がいるものだと感じた。

ぼっちだった自嘲している人も、何でか知らないけど、大抵はお酒を飲むという人生のすごい楽しみを知っている。みんな、それなりに中身のある人生を送っているのかしらと羨ましく思った。

それと比べたら、自分には何もなかった。お酒は飲まないし、それじゃあ飲もうというだけの勇気もない。死にたい。それにセックスもしたことない。

2015-01-14

新成人星人

全身が3-10cm程度の白い体毛で覆われている。全長1mほど。目や手足は無く、消化器官確認されていない。

宿主の首にまとわりついて体毛から直接栄養を吸い取ると考えられている。

成人式を迎えた女性寄生する。

寄生された女性は目元が黒く変容し、幼少期とは似ても似つかぬ相貌になる。

寄生生物認識系・言語系にも影響を与える。寄生前後で宿主の通常の思考には差異が見られないが、寄生生物に対する認識は無くなる。それなに? と聞くと「ファー」としか応えられなくなる。

2015-01-13

http://anond.hatelabo.jp/20150113070445

友達をたくさん作ってください。何か夢中になれるものを見つけてください。

結局これに尽きるんだよね

俺は出来なかった、友達を見つける事も、仕事をしたい事を見つける事も

テレビで見る友達と晴れ着で記念写真撮る新成人とか眩しすぎてつらい

2014-01-22

成人式に行った話

少し前のことだけど、成人式に行った新成人です。

20歳以外のみなさんは、成人式なんか参加しないでしょうから、その様子を。

まぁ愚痴ですけど。

最悪だった。

最初に式があって、前には市議会議員とか市長とか、市から選出の府議会議員さんが来賓していて、その人達新成人に向けて一言ずつしゃべっていくのだけれど、新成人マナーが悪い。

とにかくうるさい。もうマイク使ってもうるさくて聞こえないくらい。

お前らしゃべるなら、外でしゃべれよと思った。

もう、久しぶりに友だちに会ったか何かで、会場内で写真をとったり、大声で話したり。

席に座っているのが半数で、その中でちゃんと話を聞いているのが10%くらい。

来賓の方々も「新成人のみなさん、これから日本をよろしくお願いします。」っておっしゃっていたけど、こんな新成人日本未来を預けるのはさぞかし不安だっただろうな。

いつからこんなに騒ぐ成人式になったのか知らないが、どう考えても異常。

あいつら式に参加しに来てるんじゃなくて、振り袖姿で友だちと写真撮ったりしたいから来てるんだ。

もうほんとに馬鹿ばっかりでイライラした。

自分も頭の良い方ではないけれど、さすがに式のマナーくらいちゃんとする。そういう意味でバカだって言ってる。

わかるかな、前でしゃべっている人は騒いでいるお前らの何倍も努力して、勉強して、認められて、ずっとずっと偉い人達なんだ。

なのにお前らのようなバカがその式を台無しにする。

座って話しくらい聞けよ。

しかし、そう思う反面、来賓の方々にも思う所があった。

事前に用意した紙を読み上げているだけで、スピーチから何も伝わってこない。

ダラダラと話して終わり。

もっと"若い人に伝えたいこと"みたいなのはないのかな。めんどくさい仕事の一つなんだろうな。

そんなだから、会場内がうるさくても気にならずずっと話しているんだろう。

伝えたいことがあって、会場内がうるさいと一喝するような橋下さんみたいな市長の話を聞きたかった。

とにかく、今の成人式には、開催する方にも参加する方にも問題があると思います

2014-01-16

人工知能学会表紙と花魁着付け

人工知能学会誌の表紙デザイン ひ ど す ぎ !!! うつろな目で掃除をする女性ロボット...

↑↓

花魁着付け ひ ど す ぎ !!! 派手な格好で式に参加する新成人...

 

おっ! 朝おきてみると美少女アイコンたちから、リプが!笑  おおきいお友達のみんな、いちばんのもんだいは、表紙デザインのものよりも 「学会がこういう論争が起きかねないことに無自覚」ということなんだよ!♡ わかったかな〜?♡ (๑˃̵ᴗ˂̵)و

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おっ! 朝おきてみると女性自撮アイコンたちから、リプが!笑  たいらな顔のみんな、いちばんのもんだいは、花魁着付けのものよりも 「新成人がこういう論争が起きかねないことに無自覚」ということなんだよ!♡ わかったかな〜?♡ (๑˃̵ᴗ˂̵)و  

 

複数のアニメアイコンから個人攻撃を受けたことに立腹して、関係ない良識あるオタクの人が傷つくツイートをしてしまったことを反省している。ごめんね。でも主張は昨日のツイートと変わらない。「学会誌の表紙デザイン掃除する女性ロボットが起用される現状」を外の視点から見つめ直してほしい。

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複数の女性自撮アイコンから個人攻撃を受けたことに立腹して、関係ない良識ある女性の人が傷つくツイートをしてしまったことを反省している。ごめんね。でも主張は昨日のツイートと変わらない。「成人式花魁着付け新成人が参加する現状」を外の視点から見つめ直してほしい。

 

家事女性がするというステレオタイプ存在していた

女性従順であるというステレオタイプ存在していた

ロボット従順であるステレオタイプ存在する

女性型のロボット家事をしている →ステレオタイプ①〜③を連想する

デザインが起用されたのは学会誌の表紙である

学会学問は国際的な視点が求められる

欧米では①〜④の理由からデザイン学会誌に起用すると明らかに非難される 

⑧①〜④や⑦をふまえずデザインを起用した学会は同問題に無自覚であり国際的視点に欠けると言える

簡単でしょ。わかった?☆

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花魁破廉恥下品というステレオタイプ存在していた

破廉恥下品=素行が悪いというステレオタイプ存在していた

③派手な格好の新成人=不良であるステレオタイプ存在する

新成人が派手な花魁着付けをしている →ステレオタイプ①〜③を連想する

花魁着付け新成人が参加したのは一生に一度の式典である

⑥式典や公共の場は常識的な視点が求められる

⑦一般常識では①〜④の理由から同服装で式典に参加すると明らかに非難される 

⑧①〜④や⑦をふまえず花魁着付けで参加した新成人は同問題に無自覚であり常識視点に欠けると言える

簡単でしょ。わかった?☆

 

 

結論

TPOを考えて行動しよう!

2014-01-14

入場料を取る成人式なんて

http://blogos.com/article/77836/

自治体成人式をやらなければならないという法的義務は確かなかったはずです。自治体がやらなくても良いのならやらなければいいじゃないかと思うんですが。

私は、税は「民の生きるを守る」に直結する対象にのみ使うべきと考えています成人式がなければ、死者が出るかと言うとそうは言えないですね。

不要なのに、実施するというのなら、会場使用料を新成人から徴収するのが筋ですね。

冒頭で「成人式に全く関心がない」と断っているひとの意見マジレスすんのもあれなんだけど。

まず、成人式ってそもそもなんなのか。

例えば学校入学式だったら、主役は入学する皆さんで、学校の皆が入学を祝い、これからはこの学校の一員なんだから頑張ってねと励ますものだろう。

成人式は、主役は申請人を迎える若者たちで、社会の先輩たちが20歳という立派な年令になったことを祝い、もう未成年じゃないんだからしっかりやれよと激励を送るものではないか。

「『はたちになったねおめでとう』を伝えたいからお金ちょうだい」とかアホか。

20歳まで生きてこれた、その民の生命を祝う気持ちはないのか。

税がもったいないという気持ちはわかる。おめでとうというこっちの気持ちも知らず暴れるやつに、カネかけてまで式典を開きたくない気持ちはわかる。じゃあやんなければいいじゃん。税を使わないんなら、新成人からとるんでなく募金活動をすればいいんだ。

2014-01-13

適齢期性比は、長い人類歴史では、女性数が多数だった。

今日成人式である

おそらく、新成人の数は、男性何万人、女性何万人、という報道がなされるだろう。

その際ぜひ注目して欲しいのだが、おそらく男性成人数の方が、女性成人数よりも5~6%は多いはずである

まり知られてないが、実は新生児の段階で、男児の出生数は、女児出生数より、5~6%は多い。(日本における数字)

そしてそのまま、成人時点、或は適齢期時点でも、男性数は女性数より5~6%は多い。

平たく言えば、男性のうち数%は「男余り」なのである

この男女の同世代における個体数比を、人口学的には「性比」という。

女性の方が長生きなので、年齢を重ねるにつれ、性比は男性過剰→女性過剰へシフトし、日本全年齢平均では、多少女性過剰である

生殖的には、「適齢期における男女性比」が問題になる。

人口置換水準出生率が「2.07」とされ、「2.00」じゃない理由は、男性が過剰だから、2.00では男性過剰分が

置換されないからである

性比の話だと、中国韓国インドベトナムの極端な男性過剰問題があって、それは相当深刻なテーマなんだが、今回はその話は割愛する。

自分は長らく「適齢期性比はどの社会でも男性過剰である」と信じていたが、先日1970年の国勢調査人口を見て、目を疑った。

その時点の20代後半の性比は、実は女性のほうが過剰だった。

その時点で20代後半というのは、1940~1945生まれ。

おそらく、乳幼児期に大戦等で栄養状態が悪く、或は感染病の影響などで、女児より男児の方が「自然淘汰」された

結果と思われる。

(徴兵される危険性がある男児を間引いた、という説も考えられなくもないが、おそらくそれはないだろう)

しかしよく考えたら、人類の長い歴史の中では、今のような「飽食」「感染症心配がない」時代の方が、

極めて珍しいのである

人類は常に飢えと感染症の脅威にさらされてきた。

その過程で、多くの乳幼児生殖適齢期になる前に死亡した。(特に男児が死亡)

となると、長い人類歴史の中で、生殖適齢期性比が男性過剰な時代はごく一部でしかなく、男女同数、

ないし女性過剰の時代の方がメジャーだった、と言えるのではないか?

逆に言えば、人類という生物種は、乳幼児における男児死亡率の高さを前提として、

予め新生児時点で、5~6%は男児過剰で生まれてくるように「進化」してきたのではないか?

今の「男児新生児女児より5~6%多く生まれてくる」のは、長い人類生物種としての進化獲得の名残である

先日「男児女児より多数生まれるのは、ヒトの生物種としてのプログラムミスバグである」という趣旨の本の

書評が載っていたが、人類の飢え・感染症との戦いの歴史を見れば、5~6%ほど男児が多く出生する方が、

しろ最適化された性比」ではないか、という気がする。

潔癖なのに不潔な国

今日も、「荒れる新成人」という毎年恒例の話が出てくる。しかし、新成人に文句を言って嘆く既成人たちは、「なにがなぜ悪いのか」を説明して叱れるのだろうか? 叱責が説得力をもつためには、なにがなぜ悪いのかを説明し、しかも叱る当人が己を律していなければならない。

「人を殺してはなぜいけないのか」という疑問が話題になったことがあったが、「そうした疑問をもってはならない」という社会気質が、この国にはある。何も考えずにただ「殺人=悪」だと言う。しかし、そんな思考停止では、真の倫理観は育つまい。究極的には、刺すか刺されるかの状況になれば他人を刺すものが必ず出るし、「死にたい」と思っている者には「他人を殺すまい」という抑止力はきわめて働きづらい。ただ単に「殺人=悪」だと言って洗脳するのでは、ものごとは解決しない。

この社会にあるのは、道徳倫理ではない。潔癖症なのだ。言い換えれば、怖いのだ。多くの者が、死を怖れると同時に、快適に暮らしたいと思っている。その、自分たちにとって心地の良いような潔癖な社会にしようとする理屈でできているのであって、真に「なにが悪いのか」は考えていない。

「なにが悪いのか」を考えずに杓子定規に順守して、「俺も守っているのだからお前も守れ」と言うのだろうが、そんな理屈ではよくわからない。ところが、いまの多くの人たちは、「俺はこんなに頑張っているのに」「私はこんなに苦しいのに」と言って他人に八つ当たりする。大流行中だ。

古くは、自分でも「悪い」とは思いもよらなかった行為を、偉い人に怒られたり、天変地異の原因になったと思ったりしたから、「しきたり」ができるようになり、いささか不合理な「しきたり」でも杓子定規に遵守するという社会気質ができた。それがそのまま江戸時代ころにはもう全国家的に流布されて、皆「お上」の言うことをきく「踏み絵社会」ができあがっていた。

さて、そもそも、社会的善悪というのは、真の善悪とは異なると思う。社会的善悪というのは、人間にとっての都合の良し悪しだ。自分たちの自我にとって「得だ」と思うことが善になり、「損だ」と思うことが悪になる。だから、死にたくなければ他の生物も殺すし、インフルエンザウイルスであれなんであれ、徹底的に殺すようにしているだろう。昔も今も、多くの生物殺戮して、しばしば絶滅させてきた。

昔はもっと、「殺生は悪だ」ということが一般的に言われていた。いまは、平気で生物を殺すし、動物がたくさん殺されて食べられている。動物を殺すのを見たくないから食べない、というのではなく、見ずに食べる方法をつくりだして逃げている。ついには、魚肉や鶏肉に骨がないようにまでしている。もはや、生物っぽくなく、便利に食べられる。もちろん、骨抜き魚肉や骨抜きフライドチキンが出てくる以前に、チキンマックナゲットだろうがハンバーグだろうが、骨を意識することはないのだが。いまの欧米人はこの国の活造りを見ると「残虐だ」と言い出すが、我々はもともとは、生き物を殺して喰らっているという自覚をあえてもって、また、ピチピチしているのを見て「新鮮だ」と言って、喜びと有難みをもってきたのだ。反対に、たとえブロイラーにしようがハンバーグにしようが、動物を殺している残虐からは不可避なのだ。例えばマクドナルドなどにしても、全世界的に食肉を大量生産して流通させているが、膨大な殺生をしている。大量の飼料や水を消費して牛を飼い、また、深海魚まで獲っている。それはムダな消費なのではないか?

まあどうせ昔も、「殺生=悪」という「しきたり」でしかなかったのかもしれないが。だが、きっと、釈尊にしてもそうだし、「無益な殺生をしてはいけない」と言った多くの偉人たちのなかにも、「殺生ばかりをしていたら自分たち人間も生きていけないだろう」と直感していた者が少なくなかったのだろう。ただそれが、日本社会では、形式的にばかり順守される「法令さえ守っていればいい」的な実態になったのだ。それは結局のところが、日本社会ほとんどの人が無教養思考停止をしているかなのだろう。つまり洗脳されてきただけだ。

我々が生きていくためには、生物を少なからず殺す必要がある。そうしないと食べていくこともできないだろう。直接にも間接にも、殺生をしている。だが、際限なく殺しまくっていたら、無益な殺生になり、そして殺された生物種がしばしば絶滅する。

自我屁理屈を超えれば、他の生物を殺しすぎるのは、生態系のつりあいを破ることになるから、我々自身も生きていくことが難しくなる。したがって、無益な殺生は、生きていくという観点でも明らかな悪だ。無益な殺生が悪だということは、合理的に説明可能だ。

いまのこの国では、「本当のこと」が言えない。例えば、政治的な発言が忌避されるのも異常だ。「それはおかしいと思う」と言える社会ではなくなっている。例えば原発にしたって殺生にしたって自殺率にしたって、さらには、インフルエンザだろうがHIVだろうがなにもかもを殺戮して存在を消し去ろうとすることの異様さにしても。

他人を叱れないし、叱る能力(冒頭に書いた通り)がそもそもない人が多いのだろう。なにがおかしいのかを言える雰囲気でもなければ、なぜおかしいのかも言えないからなのだろう。ひとりひとりが叱れない社会からマスコミが代弁することで憤懣の捌け口になっているのだろう。

我々は、完全には清廉潔白でいることはできない。殺生をしなければ生きていけないし、他人に迷惑をかけずには生きていけない。

だが、己の穢さを自覚しなければ、不潔であることに対する抑止力は働かないのではないか。

皆がまたぞろ、自分にとって都合のいいと思うことをやりたいから、例えばガソリンなどの資源エネルギーも多用するし、そうして地球温暖化も進んでいるのだろうし、有毒物質もまきちらしているし、将来の資源枯渇へと「ツケまわし」もしている。だが、「それは悪いことだ」とは、ほぼ誰一人として言わない。例えば、「自動車を抜本的に減らせ」とは、ほぼ誰も言わない。乗りたいからなのだろうし、自動車があることで産業があり雇用があるからなのだろう。同じように、「タバコ有害から禁止すべきだ」どころか「増税すべきだ」と言うことすら、すぐさま自民党などから「葉タバコ農家が〜」という屁理屈が返ってくる。それではきっと、葉タバコ農家死の商人だね。JTも、その大株主のこの国も、同じ国民から「血を吸って」「肉を喰らい」生きているのだ。

例えば米国人がやっていたら、この国でもやっていいことになる。迷惑駐車でもポイ捨てでもなんでも「他人たちがやっているか自分もやっていい」という言い訳は必ず出てくるだろう。互いに都合のいいことなのだから、みんなして「赤信号も渡る」のだろうし、「崖っぷちへと突撃する」チキンレースをやりもする。

ところで、自分たちにとって都合の悪いと思われる生物を徹底的に殺戮してきたから、HIVが出てきたり、新型インフルエンザが出てきたりしたのだと思う。少なくとも、薬物耐性病原体は、過度の殺菌をしてこなければ出てこなかっただろう。そうして、潔癖に潰しまくってきたから、いわば「テロ攻撃」が他の生物から地球から、加えられているのだ。

それどころかさらに、いまの我々は、自己の心身にすら欺いて、自我が都合の良いと思うことばかりをしているから、心身の反乱をくらっているのだろう。癌にしても、アレルギーにしても、「精神疾患」にしても。人工的に潔癖な生活空間をつくってきたから、心身にとってかえって不健康なことになっている。

地球生態系のつりあいも、自己の心身のつりあいも、壊しているからだ。だからかえって危機に陥る。不健康になる。

この国では少子化だと騒がれているが、世界人類はいまも増え続けている。はたして、「人口増=善」なのか? 人類が増えすぎたら、地球生態系のつりあいは崩れる。すでに崩れている。しかし、自分が生きたいと思っている人たちは、「出産=悪」だとは決して言わないだろう。真実を言わないし、真実気づきすらしないのかもしれない。

から、例えばクリスチャンは「人は原罪を負っている」と言う。また、この国では浄土真宗の檀信徒が最大多数だと言われているが、そもそもの浄土宗浄土教は、悪の自覚から始まっている。つまり、「自分悪人だ」と自覚しているからこそ、「地獄に堕ちる」と思い、「どうやったら救われるか」と考えるのである。それに比べると、いまの人間には、悪の自覚が足りない。

自分たちを律することができず、ゆがんでいく。ゆがんだことでトラブルが起こるごとに、対症療法をする。砂糖を入れすぎたから塩を足すかのように、余計なものをどんどんと付け足していき、だからますます錯乱していく。ぐにゃぐにゃにゆがんでいく。

究極的には、己の死に対して覚悟がないとはじまらないのだと思う。人類は、過剰な生存意欲があるからこそ絶滅せずに生きていられたのだろう。だが、だからこそ、生存意欲の過剰さに対する自覚をもたないと、欲望も執着も、いくらでも膨張して肥大化していく。そうして、人類も増えすぎるし、生物殺戮するし、資源も食い尽くすし、自己の心身さえも傷つける。

異質な他者存在に対して、多様性に対して、寛容に、しなやかに、ふわっと、受け入れないといけないと思う。究極には己の死に対して覚悟がないと、それはできない。だが、受け入れなければ、「テロ攻撃」が、他人からも、他の生物からも、さらには自分自身の細胞潜在意識からも、加えられていくのだ。

いまのこの日本社会にしても、やっていることは正反対で、威圧して同調化させようとする傾向があり、それは近年ますます増している。それではきっと、ますます危険で不健康暮らしづらい国になっていくのだろうと、私は思っている。

2013-05-22

http://anond.hatelabo.jp/20130522150953

平成24年の新成人は122万人、一つの大学入学者数は規模にもよるがせいぜい4000~7000人くらいだ。

はてなには身近に大卒しか居ない首都圏ユーザーが多いからピンとこないだろうが、日本全体で見ればそんなもんだろ。

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