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はてなキーワード: 『卒業』とは

2019-02-18

「夜の校舎、窓ガラス壊して回った」って奴がいたな

「そんな中学生だった俺の気持ちあんにわかるんすか?」って自慢げに話してたよ。

結論

尾崎『卒業』を実行する奴は、総じて短絡的なバカばかり

尾崎『卒業』歌詞に自らの反抗期を重ね合わせて聴く奴は、まっとう

尾崎『卒業』にピンとこない奴は、心のひ弱なひきこもり予備軍かセレブ家庭育ち

尾崎『卒業』しかめ面で聴くのは、中学校教師

尾崎『卒業』を聴いて、ほくそ笑むのは町のガラス

2016-06-24

独身者の間からよく聞く言説として、「子供の頃は恋愛不純異性交遊と言われ遠ざけられて育ったのに、大人になってからいきなり恋愛できる訳がない」というのがあるのですが……。私自身も喪女なれど、この言い分には全く賛同できないんですよね。

一つ、現代日本においては未成年者の恋愛セックスは『不純異性交遊』扱いどころか、思い切り推奨されているというのが現実だと思うからです。特に女性場合セックスシンボルはもっぱら十代の少女であり、さらには18、9歳ともなれば薹がたっているかのような扱いです。

いや、恋愛セックス本来別なんですけどね。十代男女に恋愛は薦めてもプラトニックを推奨するならば問題はないと思いますし。けれど現実はそうではなく、「好きならばセックスして当然、十代のうちにセックスするのが正義、二十歳過ぎて童貞処女は恥ずかしい」という社会通念が罷り通っている訳です。こんな世の中なのに「未成年恋愛不純異性交遊として禁止されている」?冗談でしょう?

この傾向はけしてつい最近始まった事ではなく、少なくとも1990年代半ば頃からはずっとそうでした。

二つ、もし仮に「子供の頃は恋愛セックス禁止され」「大人になってから急にしろと言われる」のだとして、それの何処が悪いのでしょうか?もしこれが逆で、子供の頃は許されていた事が大人になったか禁止される場合問題だと思います(例えば、子供のうちはアニメ漫画に夢中になっても許されるのに大人になると何故か『卒業』しないとおかしな目で見られるとか)。でも、子供のうちは禁止されていて大人になってから許されるのならば、何も問題はないのではないでしょうか?だって大人になるまで待てばいいだけの事なのですから。大体の物事において、年齢の上限を設ける事は問題ですが下限を設けるのには問題はないと思います

からセックスについて「子供のうちはしちゃダメだけど、大人になってからしましょうね」と教えるならば、それは全然悪い事ではないと思います現実は全くそうではなく、子供のうちにセックスする事を奨励しているか問題なのですから

2013-09-19

http://anond.hatelabo.jp/20130919170741

承前


斉藤由貴デビューシングル『卒業』を発表した1985年2月、同名のシングルが他に2作、チャートインしていました。菊池桃子『卒業』尾崎豊『卒業』です。毛色の違う尾崎別にして、ここでは斉藤菊池斉藤『卒業』菊池『卒業』比較してみましょう。

80年代女性アイドル格付」では私は斉藤を8位、菊池を9位にしましたが、記録上の実績では菊池の方が上です。菊池オリコン1位のシングルを6枚出していますが、斉藤は『青空のかけら』1作のみです。ただし、1985年から1989年まで、年間の順位で菊池斉藤を上回ったのは1985年のみで、菊池1988年1989年には年間100位以内にチャートインしていませんが、斉藤はしています斉藤の方が息が長いアイドルだったことがうかがえます

1985年菊池の全盛期で、菊池『卒業』オリコン1位になっています斉藤『卒業』も6位ですから新人の実績としては大健闘だったのですが、その時点では菊池版の方が実績を残したのも確かです。しかどうでしょうか、あれから30年近く過ぎて、言及される頻度が高いのも、記憶に残っているのも斉藤『卒業』の方ではないでしょうか。それは楽曲としては斉藤版の方が出来がいいからだと思います

松本隆はもちろん松田聖子プロデュースで知られますが、聖子以外に提供した楽曲の中にも佳作傑作はずいぶんあって、石川秀美『ゆ・れ・て湘南』、薬師丸ひろ子Woman~"Wの悲劇"より』、斉藤由貴『卒業』情熱』は白眉の出来です。

斉藤『卒業』で好きなフレーズは、

ああ 卒業しても友達

それは嘘ではないけれど

でも 過ぎる季節に流されて

逢えないことも知っている

のところですね。集団から浮き上がっている、集団の中では流されない冷静な批評眼が提示されています

これは私のある種の偏見かもしれませんが、女性による批評評論の多くは自己憐憫主観が強すぎて読むに堪えません。平均のライン男性よりもずっと低い。けれども最高水準の批評家何人かを選べと言われればおそらくそれは女性ばかりになるでしょう。批評に限らず創作でも感じることですが、女性全般の平均は低いけれども最高水準の女性書き手男性トップ比較してもなお傑出している。そう感じることが多々あります

斉藤『卒業』における松本隆作詞は、そうした女性の高度な批評眼を的確に捉えています。彼もまた超一流である証です。卒業と言う感傷の中にある冷静な眼差し、これを書いた松本隆もすごいし、これを歌わせようと思わせた斉藤由貴もすごいですね。菊池桃子『卒業』もいい曲なんですが秋元康は男目線なんですよ、やっぱり。松本隆はさすがに年季が入っているだけあって、頭がいい女性批評眼と言うか冷たさと言うか冷静さ、しっかり捉えていますね。けれども、これを菊池桃子が歌ったら似合わないと思いますから秋元康菊池桃子と言うフォーマットに沿った詞を作っただけかも知れません。

ただ、菊池桃子『卒業』斉藤由貴『卒業』ヒロイン立場は似通っているんですよ。どちらも、付き合っている/付き合ってはいない、は別にして初恋男性を都会(東京)へと送り出す立場です。

菊池『卒業』では、

4月が過ぎて都会へと

旅立ってゆくあの人の

素敵な生き方

うなづいた私

何だか物足りない、妙に物分かりがいい感じがします。対して、斉藤『卒業』では、

セーラーの薄いスカーフ

止まった時間を結びたい

だけど東京で変わってく

あなた未来は縛れない

とより主体的な、色彩の豊かな表現になっています

諸般の要素があるから一概に作詞家の優劣はつけられませんが、出来上がったラインだけを見れば、『卒業』合戦松本隆圧勝なのは明らか、少なくとも私はそう思います。ただ、菊池桃子の歌ではヒロインぼんやりとしているのはわりあい一貫しているんですね。『Broken Sunset』では彼氏からいきなり「他に好きな人が出来た」と切り出されても、「泣かないように目を閉じた」、それが精いっぱいの感情表現なんですね。重要なのは菊池桃子にこういう歌を歌わせたい、こういう歌を歌うべきと作家製作者が考えてサジェストした歌がそういう歌なんだということです。

女性なり女子なりが持っている批評性をみじんも感じさせない、幼女のような聖女のような、どこか現実離れした世界菊池桃子は歌っています。男目線少女の歌ですね。

対して、斉藤由貴楽曲ヒロインは遥かに色彩が豊かです。デビュー曲『卒業』からして、片思いの相手に対する批評が含まれています斉藤由貴はそういう歌を歌わせたくなる、躍動感のあるアイドルです。

斉藤由貴個性が、ライターを刺激して、それが結果的に神曲ばかりになった、ライター歌い手幸福な結合が斉藤由貴楽曲にはあります


女優としての斉藤由貴キャリアを考えてみましょう。

斉藤由貴は一般に演技が上手な女優と見られています。もちろん下手ではありませんが、まず役柄の幅が狭い。活発でお転婆な少女女性)が困難にたいあたりでぶつかって、周囲を動かしてなんとかなってゆく。このタイプの役、仮に斉藤由貴型と呼んでおきますが、こう言う役が非常に多い。

この型の初出は、1985年に放送されたNHK銀河テレビ小説『父(パッパ)からの贈りもの』です。これは日本最初期のコメディエンヌ文学座の重鎮だった新劇女優演出家だった長岡輝子自伝テレビドラマ化したものです。長岡輝子テレビドラマでは『おしん』の加賀屋大奥様役(おしんに文字を教えた老女)で一般には知られています斉藤由貴が出演した連続テレビドラマでは『スケバン刑事』の次、『スケバン刑事』の放送期間中に撮影・放送されたものです。

長岡輝子の父は著名な英文学者で、洋行のたびにお土産を買ってきてくれる、娘思いの父親でしたが、長岡女優になりたい、そのためにパリで芝居修行をしたいと言うと、後押しをして費用も出してくれた、それが「父からの贈りもの」だった、そういう話です。『はいからさんが通る』っぽいというか、非常に『はね駒』的です。斉藤由貴の演技は、この斉藤由貴型、スケバン刑事型(『野球狂の詩』『スケバン刑事』『和宮様御留』『新十津川物語』)、その他型(『小公女セイラ』など)に分けられるとすると、圧倒的に斉藤由貴型が占める割合が高いです。

はね駒』も『あまえないでョ!』でも『はいすくーる落書』でも『吾輩は主婦である』でも、『八代将軍吉宗』や『同窓会』でさえ、基本的には同じ演技、同じキャラクターです。敢えてスケバン刑事型と分けたのもしいて言えばという話であって、ああ、いかにも斉藤由貴の演技だなと思わせるには違いありません。2012年朝ドラおひさま』でも基本線を踏襲していたのには、ある意味、さすがだと思いました。

丹波哲郎がかつて言っていたのですが、キャスティングの時点で、この役はいかにもこの人に合うと思われてキャスティングされているのだから、余計な役作りは不要自分自身がその場に置かれた状態で演じればいいと言っていました。一つの方法論としては分かる気がします。斉藤由貴が役作りをどう捉えているのかは別として、結果的に役を自分の側に引き寄せる人だと思います

役の後ろに斉藤由貴が見えて興醒めだ、というのではないんです。「役を自分に引き寄せる」型の人にはそういう人がいますね。そう言う人は多分、役それ自体に対する理解が足りません。他人に対するアンテナが弱いんじゃないかと思います本質的ナルシストの人は役者には向いていません。

斉藤由貴は役として非常にリアリティがある演技を見せています。ただ、そのリアリティ斉藤由貴と言うフィルターを抜きがたく感じさせる、そういう意味ではたぶん、役そのものとは違います斉藤由貴が実際にそう言う立場だったらこういう反応を返すだろうという意味では非常に説得力があります。ただし、そのリアクション斉藤由貴以外では再現不能という意味おいて、役そのものには根差していないのです。

もちろん、役者の演技なんて誰の演技でもその人以外には、その人であっても再現不能じゃないかと言うならばそうなんです。その通りなんですが、自分と言うフィルターを演技の構築の上でどれだけ重視するかどうかで、役そのものからロジカルに構築するタイプと役を自分に引き寄せるタイプに分かれるのではないか、そう思います。その分け方ならば斉藤由貴は明らかに後者ですね。


続く

http://anond.hatelabo.jp/20130919170749

マスダ80年代女性アイドル論~斉藤由貴

80年代女性アイドル格付

マスダ80年代女性アイドル論~松田聖子論

マスダ80年代女性アイドル論~中森明菜論

マスダ80年代女性アイドル論~小泉今日子論

マスダ80年代女性アイドル論~インターバル

マスダ80年代女性アイドル論~薬師丸ひろ子論

マスダ80年代女性アイドル論~南野陽子論


マスダ女性アイドルシリーズですが、今回で一応の区切りとなりますが、あともう一回、総論とお知らせを書く予定です。


人生山あり谷ありと申しますが、浮き沈みの激しい芸能界、これまで取り上げたトップアイドル5人ですが、プレミアム感を維持しながら、それぞれに生き残っているのはさすがです。80年代に小話のネタで「ミナミヨウコミナミヨウコ、一字違いで大違い」というのがありました。南田洋子さんは若い時は大変な美人女優で、当時も上品美しい人ですから、この言い方はずいぶん失礼だったのですが、まあ若いからすればおばさんには違いない、敢えて南野陽子比較すれば、それは南野陽子の方が当時としては全然いいわけです。でも考えてみれば当時の南田洋子の年齢と、今の南野陽子の年齢はそうものすごく違うというわけでもない。それでいて、今でもテレビバラエティに出てくれば、「あのアイドルナンノちゃんが来てくれました!」みたいなハレの日感を維持していますね。

これは80年代女性アイドルに限った話ではなく、80年代に登場した/有力になった人物、フォーマットは未だに影響力があります。例えばお笑い界で言えば、60年代クレイジーキャッツ70年代ドリフターズ萩本欽一はそれぞれ続く10年では息切れしていましたが、お笑いBIG3は未だにお笑いBIG3です。これと似たような現象が、80年代についてはありとあらゆる分野について見られます

もちろんそうは言っても、人そのものは年齢を重ねてゆくわけですから80年代トップアイドルたちもそれぞれ見せ方を変えてきています。一貫してアイドルである松田聖子でさえ、もう聖子ちゃんカットにはしてくれません。デビュー当初の松田聖子はとてもキュートでしたが、映画野菊の墓』で前髪を上げた時、キュートさがびっくりするくらい無かった、彼女にとって前髪がものすごく重要であることを多くの人が認識したのですが、結婚以後、どういうわけか彼女はかたくなに前髪をオールバックにしていますね。

そういう小さなことから歌唱スタイルをまったく変えてきた中森明菜に至るまで、プレミアム感を維持したトップ芸能人という立場は同じでもその内容は違う、そういう変遷をそれぞれに辿っています

しかほとんどアプローチの仕方が変わっていない人もいて、斉藤由貴がそうです。

彼女場合路線変更や、あれこれ小ネタを仕込む必要もないほど、順調だった、彼女人生行事に合わせて、芸能界仕事がいいように流れて行った、だから流れに身を任せれば良かった、そういう特に恵まれた境遇にあるのが見てとれます

アイドルとしてはもちろん、芸能人として斉藤由貴ほど恵まれた立場にある人はそうはいません。もちろん、アイドルとして彼女よりも成功した人たちはいるのですが、その人たちから見てさえ、斉藤由貴境遇は出来れば替わって欲しいものでしょう。これまで取り上げてきた5人のアイドル斉藤由貴のうち、事務所を移ったことがないことがないのは小泉今日子斉藤由貴だけです。聖子明菜も、薬師丸も南野も、それぞれに苦闘と逆境がありました。小泉は天下のバーニングプロダクションの、郷ひろみと並ぶ最古参タレントのひとりとして安定した立場にありますが、その立場は結果であって、トップアイドル上り詰めて維持するためには試行錯誤セルフプロデュースを試みなければなりませんでした。斉藤由貴のみ、ただ流れに乗っているだけで、他の人が垂涎するような仕事に恵まれて、その流れがずっと維持されています

自分人間関係では子供の時からずっと不器用で苦労しているけれども、こと仕事に関しては順調だった。運動神経もあんまりよくないので『スケバン刑事』の仕事の時はあんまり乗り気じゃなかったけれど、その仕事好調視聴率もよかった。あんまりこの仕事はしたくないというのがないので、来る仕事をそのままこなしていたら、思う以上にいい結果が出て、それがずっと続いている感じです」

斉藤由貴は述べています

ただし、単に流れに身を任せているだけではなくて、彼女場合は結果を出しています。来る仕事来る仕事ホームランで打ち返している、だから次につながっているのです。こと彼女に関しては、東宝芸能と言う事務所マネージメントが的確だったのは確かでしょうが、無理やり事務所ねじこんだタレントではなくて、確実に結果を残してきたから順調であったのです。結果として彼女タレントとしての個性と、東宝芸能と言う事務所芸能界での立ち位置マッチしたとは言えますが、彼女以外のアイドル東宝芸能マネージメントを受けても同じような結果を残せたはずがありません。一方で、やはり他の芸能事務所では斉藤由貴と言う才能を活用しきれなかったでしょう。


斉藤由貴が恵まれたアイドルであるのは間違いありません。恵まれていると言うのは、女優としていい流れで仕事サジェストされてきた、歌手として楽曲の水準が高かったという点においてです。そして最初からずっと順調でした。斉藤由貴デビューが遅いアイドルで、高校三年生の時から芸能活動を開始していますが、1984年春に東宝シンデレラオーディション準グランプリに選出されたのが芸能界入りのきっかけです。よく、ミズマガジンコンテストグランプリから彼女の経歴が書かれることが多いのですが、ミスマガジン東宝シンデレラオーディションの後です。そういう経緯から彼女東宝タレントであるわけです。

東宝は言うまでもなく、大手映画会社の一画を占め、現在は業績においては圧倒的に日本トップ映画会社です(ただしそれはTOHOシネマズなどの映画館チェーンが好調からですが)。それだけではなく阪急東宝財閥中核企業であり、宝塚歌劇団グループ内に抱えていますマネージメント業務を担当する東宝芸能は、数ある芸能事務所の中でも、一番安定していると言えるでしょう。

東宝シンデレラオーディションは、東宝が久しぶりにスター発掘のために開催したオーディションで、第一回のグランプリ沢口靖子準グランプリ斉藤由貴でした。彼女たちは今では東宝の顔になっています東宝マネージメントある意味タレントの自主性を重んじる傾向もあるのですが、東宝シンデレラオーディション出身者、特に第一回の出身である沢口と斉藤については社運をかけているという面もあって、脇をがっちりとサポートして、手塩にかけて育てた、本格派を目指させた、ありとあらゆるチャンスを与えた、そういう感じです。

沢口はデビュー作が、当時、東宝看板映画だった『刑事物語』の三作目、続く二作目がやはり東宝看板作品であるゴジラ』です。沢口は『ゴジラビオランテ』にも出演していますから堂々たるゴジラ女優ですが、こういう売り出し方がアイドル売りの王道とはかけ離れていることは言うまでもないでしょう。沢口や斉藤は、学生、もしくはついこのあいだまで学生だったのですから、学園ものを演じさせればそれなりにはまったはずですが、「身近な経験から演技を構築してゆく」のではない、物語のものからキャラクターを構築してゆく演技を最初から要求されています。そういう演技が難しいのかどうなのか、演技の資質がある人にとってはかえってやりやすいのではないかと思いますが、そうではない人にとっては真夜中に霧の中を進むようなものでしょう。とにかく、日常の「女の子から演技を積み重ねてゆくような、私小説的なアプローチを封じたわけで、これは斉藤由貴についても同様です。

斉藤由貴ドラマ初出演作は『野球狂の詩』で、その次が『スケバン刑事』です。いずれも東宝制作ではありませんが、非日常的と言う点では、十分に非日常的なお話から斉藤は演技をスタートさせています


斉藤芸能活動の開始は1984年からですが、高校三年生であったこの年、彼女神奈川の県立高校に在学していたので、大きな活動はありませんでした。ミスマガジンマガジンの表紙を飾ったのと、伝説的なCM『青春という名のラーメン』に出演したくらいです。続く1985年1月月曜ドラマランド枠で『野球狂の詩』が放送され、2月にファーストシングル『卒業』が発売されました。

『卒業』が発売された時には、斉藤由貴はもうかなり話題になっていたので、『卒業』はいきなりベストテン入りして、最高6位までチャート順位を上げていますデビュー曲ベストテン入りしたアイドルは既に映画女優として実績のあった薬師丸ひろ子原田知世おニャン子の流れでデビューした工藤静香を除けば、「80年代女性アイドル格付 」ベストテンの中では斉藤由貴だけです。

そして1985年4月からスケバン刑事』の放送が始まります


ここで彼女異端性について触れておきましょう。ご存じのとおり、彼女信仰心がある人です。現代日本では信仰信心があること自体が異端で、それも仏教系・神道系ではなく、外来キリスト教信仰しているのは異端の中の異端、更にキリスト教の中でも、末日聖徒イエス・キリスト教会モルモン教)の信者であることは異端です。キリスト教新宗教派の中でも、その教義戒律おい異端性が特に濃厚なセクトです。エホバの証人統一教会比較しても、特に異端性が強いと私は見ているのですが、最近はあたりが緩やかになっているのでしょうか。2012年アメリカ大統領選挙で、共和党の候補にモルモン教であるロムニー氏が選ばれたのは意外でした。現在キリスト教おいては、全体がリベラル色を強める中、保守回帰宗派転向する人も増えていますイギリスカトリック転向する人、中南米カトリックから更に原理主義的な新教系原理主義転向する人、そういう例もかなり見られます教皇フランシスコが先日、同性愛を容認する方向についに踏み込みましたが、カトリックからキリスト教原理主義転向する人も増えるかも知れません。

そういう中でモルモン教異端であるがゆえに、より濃厚な保守主義を維持したい人たちの受け皿として浮かび上がっているのかも知れません。

斉藤由貴宗教おいても特に異端性が強いセクト信者であるわけですから、どうしても異端性を自覚して生きてこなければならなかったはずです。それが彼女に他の少女とはまるで違う、ゆらぎのような魅力を与えています。それは純粋さ、純潔さであるように見えますが、要は世界観のずれ、であるわけです。西洋人ジャポニズムに感じたような世界観のずれから生じる「発見」「新感覚の体験」、斉藤由貴はそうした未知の体験を触れる者に与えるのです。

彼女社会おい異端であることを踏まえれば、彼女ある意味おいて「生きづらい」のも当然なのですが、それでいて彼女信仰のものを相対化するようなゆらぎをも抱えています彼女が単純に敬虔信者というならば、二度に及んだ不倫など出来るはずがないのです。彼女自身はその不倫正当化はしていません。そういう意味では信仰を維持しているのは確かですし、その行為があったからと言って「魔性の女」扱いするのは不適当ですが、それほど信仰する宗教の中にあってさえ、時にやむにやまれぬ衝動に突き動かされる、異端性を彼女は持っているということなのです。

そのセクト信者であることによって社会生活おい彼女異端なのですが、彼女自身のキャラクターによって信仰仲間の中にあっても異端なのです。それが彼女の「生きづらさ」になっていますが、事が彼女信条性格に由来するために、それこそ生まれ落ちた時点から彼女はこの異端性を抱えています。だからそれが当たり前なので、ある意味、「もはや問題ではない」のです。空が青いのと同じく、生きづらいのがデフォルトなので、もちろんそれに伴う苦労はあるにしてもそれで悩むことはもはや意味がない、だから悩まない。彼女には異端でありながら底抜け楽天主義があるとしたらその根っこは諦めの境地です。


斉藤由貴特に楽曲に恵まれたアイドルです。シングルはいずれの曲も神曲レベルにあります

作詞では松本隆森雪之丞谷山浩子作曲では筒美京平玉置浩二亀井登志夫原由子らが担当していますが、いずれも彼らのキャリアの中でも一二を争う水準の作品を提供しています。これはおそらく斉藤由貴創作意欲を掻き立てる何かがある、ジャポニズムに触れたゴッホのように、斉藤由貴によって創作トリガーを引かれる何かがあったということなのですが、デビュー曲『卒業』を例に、見てみましょう。

続く

http://anond.hatelabo.jp/20130919170745

2009-03-17

マルチ商法系の話で思い出した某養成所にいたころのこと

これは夢の話ですよ。

いいですね?


数年前、自分も似たような事あったなーと思い出し書き。

でも、厳密にはマルチ商法に関することではなく、

どちらかというと声優になりたい人の夢を粉々に砕くかも知れない話。


当時自分声優養成所(以下学校)に通っていて、

昼は学校、夜はバイトでなんとかやっている状態だった。

ちなみに自分が通っていた学校スケジュールの変更がままあり、

特に上のクラスに上がるほど、学校に居る時間が多くなった。

勿論、仕事とかじゃない。

先生方が生徒達に演技に触れる機会を増やして下さっていただけ。

ただ、突発的な招集も多かった為、バイトは転々とせざるを得なかった。

だから実家から通っている人はともかく、自分のような上京組はいつも生活が逼迫していた。

(もくもくとキャベツだけ齧っていたような時期もあったし、嫌だけど水商売もした。

こっち(芝居)に没頭出来るようにちょっとお金貯めて来る!って言って自衛隊入る人もいた)

脱落者の多くは貧乏に耐えられず、だった。

ある年数に達すると、放逐してくれる学校は、ある意味優しい。

オマエ才能無いよ」って言ってくれるんだから。

でも大概はそんなこと言ってくれない。

プロダクション付きではないけど、そこに上がれる可能性があるクラスに入ろう」

と言われたら、そこから先は見極めが肝心。

人によっては、ただお金を搾り取られるだけに終る。

お金を出すだけ出して、いずれ「あんなこともあったな」みたいな若気の至りになる。

自分の可能性とやらに縋ってしまって抜け出せない人が一番キツい。

私もお世話になった学校にこんなこと言いたくないけれど、

あのシステムは『余程惜しい位置に居る生徒』以外を、飼い殺ししている状態に近い。

2〜3年経っても芽が出ない人間は、基本的にその学校で続けていても何も変わらない。

ほぼ無為に時間を過ごすだけだ。

寧ろ、その学校はあわなかったんだと思って、別の学校に移る方がまだ賢明

環境が変われば、色々見えてくるものも違うし、

講師によっては真逆のことをいうこともあるからだ。

学校目的が、真の役者の育成であっても、単なるお金儲けの為であっても、

基本的には学校だってお金がなければ経営は出来ないし、実績も残したい。

だから懐に入った生徒は基本的に『逃がさない』。

デビューした生徒の経歴は乗せても、毎年何人の生徒が入学して来て、

そこからどれだけの人間が脱落していってるかなんて事は、パンフレットには書かない。

落ちこぼれのはずの生徒を『卒業』させないで、『経過観察』状態にするのは、

果たしてその学校が『寛容だから』か?

その規模が数人なら、私もそう思えたかも知れない。

でも、そのクラスはどんどん規模を拡大していった。

新しいクラスがどんどん増設されていった。

才能の芽が出るまで『待ってくれる』その姿勢は優しいのかも知れないけれど、

自分の実力さえ見極められない未熟者達に、その優しさはどうだろう。

毎年芸能人になるために上京してくる人は数万人に及ぶらしい。

最近声優人気が凄いらしいから、その内の何割かは声優志望なんだろう。

そのうちデビューして、後まで残れる人なんて、ひとつかみどころじゃない。

ひとつまみだ。

しかもそのひとつまみでさえ、大半は子役経験があったり、親が芸能関係仕事に就いてたりする。

何の用意もなく、その身一つで成り上がるのはとんでもなく大変なことなのだ。

ネット声優だのなんだのでちやほやされている人も、冷や水を浴びせられるだけだから、

決してネットの評価で天狗にはならない方がいい。

現場アフレコやってみたら解る。いかに絵に声が乗らないか。

どれだけ自分がしょぼいものしか表現出来ないか。

自分の100%がプロの5%にも満たない事に気付く。

声優業界はそんなプロでさえ、二足のわらじを履いていないと役者業のみで生計を立てることは難しい。

声優アイドル化を嫌悪する人が居るけど、それはその人に

「声で演技してる時以外はどっかのファミレスで皿でも洗ってろ」って言ってるようなもん。

それほど、声優俳優に比べて冷遇されている。

でも、それでも応募者は来るんだよね。毎年。山のように。

と、つらつら書いたけど、こんなもんはまぁ普通なのだ。

マッチョ理論はあんま好きじゃないけど、実際これくらい乗り切れなきゃ芸能界とか無理無理。

バイトガンガン変わるから面接スキルだけは異様に上がるし、

精神的にも体力的にもタフにはなる。

実際へなちょこだった自分も腕立て腹筋背筋200は普通に出来るようになった。

悪いことばっかじゃない。ていうかかなりの糧にはなるから、私的には良い経験になった。

ただお勧めはしない。絶対に。生半可な覚悟では絶対にやらない方が良い。

私は健全なドロップアウトが出来たけど、酷いやめ方をしていく人も多い。

精神を病んだり、学校内で多角関係になって修羅場になったり、講師と寝て妊娠したり。

あと、変な宗教にハマったり?

つまり、こっからがマルチ商法がどーのこーののお話

私が居た学校上下関係も割と厳しく、先輩には基本的に絶対服従的な感じだった。

ただ、私は上の人間に媚びへつらうのが大っっっっっ嫌いなので、基本的に演技に関する質問以外、

プライベートには一切立ち入らなかったし、立ち入らせなかった。

同期生は数人が妙な補正下着を販売するサークルに加入させられていた。

補正下着(数十万)を買うだけなのに、何故か会合に参加して親睦を深めなければならないらしい。

私はその話を聞いた瞬間「うっさんくせー」と呟いていた。

いや、だってそれが正常な反応でしょ。

でも、その子は「私だっておかしいとは思うよ、だからあんまり会合には参加したくないんだけど」

と言いながらも、「でもこの下着履いて、少しだけだけど体型変わったんだよ!」と力説。

ごめん、私にはどこがどう変わったのやら。そんな感じ。

本人的には大進歩だったんかも知れない。でも他人の目に映らない効果って、意味有るの?

大体、彼女はそれまでも補正下着なんて付けてなかった。

だったらそんな高いのじゃなくても、他のでも、それなりの効果はあったんじゃないの?

そう聞いたら、黙り込んだ。

「あ、だめだこれは」と直感的に思った。

彼女は「自分はまだ深みにはまり込んでない」と思ってるけど、ずぶっずぶにハマってる。

「やめなよ、そんなの」

そう言ったら

「やめられないよ、だって先輩に誘われたんだもん」

「忙しいとか、大した効果が得られなかったとか理由付けて、会合に参加しなきゃ良いでしょ。

 下着はもう既にお金払ったんだから文句は無いはずじゃない」

「それはそうなんだけど……」

 途中から私はその補正下着を売りつけた相手より、ハッキリしないその子の態度に苛つき始めた。

(若かったので、と思いたい)

「あのさ、そんな風にハッキリしないから補正下着なんて売りつけられるんだよ。

 それで満足してるんなら良いけどさ、不満に思ってることがあるんなら先輩相手だろうがちゃんと言いなよ」

「そりゃ○○ちゃんはそうできるだろうけど…、先輩に悪印象持たれるの怖いし」

 そうなんだ。芸能界って。声優業界って、狭いんだよね。んで、すごい年功序列。(勿論デビューの年数だけど)

 これから『デビュー』を目論んでる人は、悪い噂とか広められるの怖いもんね。

 ちなみに学校辞めてどっか別の場所に行ったら、それが元の学校でどんだけパッとしなかった人でも

 大概元居た所を突き止められるんだ。

 (たま養成所歴長いのが恥ずかしくて履歴書に書かない人も居るらしいけど、いずれバレる)

 でもさ、先輩って言っても相手もヒヨッコなんだよ? 

 ヒヨッコがヒヨッコ相手に威張り散らしてるようなもんでしょ?

 格の違いを感じる程の相手ならまだ解るよ。萎縮もするよ。

 でも、たかだか一年先にその学校に入ったってだけで、

 今後の長い芸能生活(をするつもりがあるんなら)ずっと先輩の言うなりになるのかと。

 この補正下着買ってた子は総じて先輩と仲良かったか、気が弱い感じの子だった。

 別に本人が幸せなら良いんだけどさ。

 上下関係持ち出すのは本当に卑怯。

 私はこの頃もう既に学校を辞めていたけど、どうも私達より後の代の子にも売られていたらしい。

 断れないのが解ってるから、本当にタチ悪い。辞めてよかったと心底思った。

 後日、元同じクラスの子と偶然会った。

 そしたら「なんだかすごいパワーが貰える宝石」ってのを、やや興奮気味で語られた。

 若干引きながらも、まぁ悪い子じゃなかったのでとりあえず話を聞いてみた。

宗教なの?」

「違うよ! そんな怪しいのじゃない!!」

 といいながら、会長(というか教祖? ここら辺の単語は忘れた※1)の事を語りだした。

 そして飛び出したこの言葉

「あの方はいずれ日本全土を統一して、国民を率いられるの!」



 ( ゚д゚)ポカーン


 え、ちょ、あの、何言ってるんですか。

「私達は末端の兵士みたいなもので、今の政府なんていずれ消えるから!!」

 笑顔政府転覆宣言。

 ついてけません。

 よし、私の知ってたあの子はいない。

 目を爛々と輝かせ、自国の未来と偉大なる教祖様の語りに入った彼女の横で、

「目を覚まさせようなんて考えるだけ無駄だな」

 そう思って過去の友にグッバイした。

 薄情と言うなら言えばいい。

 養成所に来るやつなんて半分くらいはメンヘラ厨二病なんだ。

 あいつらの都合に合わせてたらこっちの身が持たん。

 ちなみにその子を勧誘してたのは同じ学校の先輩。

 その人は「その宝石のおかげで演技力が向上した」と話を持ちかけたらしい。

 確かにその頃、その先輩は学校でももてはやされてたけどね。

 でも所詮学校レベルの話だし。

 ついでに「自分の実力だ」って言えねえのかよ。だっせえ。

 その後、携帯に久し振りに電話が掛かって来たと思ったら、やっぱり元同期の宗教勧誘だった。

 「今後その話持ちかけたら金輪際お前には会わないし、携帯も着信拒否する」

 そう言って切った。

 某宗教くらい大きくなるともうどうしようもない。

 あれは『雇う側』にもかなりの数居るから。

 日本中そこらに需要に対しての供給を生めるシステム確立してるから。

 あそこの会員であるだけで、実際色々優遇はされる部分がある訳で。

 まぁそれでも実力無きゃいずれ(というか即?)干されるんだろうけど。

 ちなみに一時期枕営業がどうのって話もありましたけど、そんなのしょっちゅう聞いたよ。

 講師ですら生徒食ってるんだしね。

 断固拒否出来る強い精神を持つか、長いものに巻かれるか。

 どっちも選べない人は芸能人なんて目指さない方が良い。


 あーちなみに、本当に健全で真っ当な所もあるのでこれが全てだとは思わないように。

 『まとも』な所に行きたいなら、下調べか見学くらいは当たり前ですね。

 ワークショップなんかがあったら参加してみると良い。

 割と雰囲気は掴めるはず。

 繰り返すけど、お勧めはしない。人によっては時間無駄にするだけ。

 なんか書いてるうちに自分でも何が言いたいんだかよく分からなくなった。

追記===================================

※1 ブコメ見て思い出しましたが、『軍帥』でした。

   そうそう、その強烈な称号に「ねーわ」と思ったんだ。

   id:kowyoshiさんありがとう

2008-11-30

尾崎豊普遍性を持てなかった

■「20年後の10代と尾崎を聴く!ー「15の夜「卒業」シェリー」はどう響くのか?」

http://d.hatena.ne.jp/ykurihara/20041229/1104294205

ちょっ、… マジですか?

私たちの世代は尾崎豊に全く共感できないらしい。

以下は、本文からの引用

大学でこの『卒業』や『15の夜』といった尾崎の代表曲を一八、一九歳の学生に聴かせて感想をきいたところ、多くの学生が「何を怒っているのかわからない」「ひとりよがりの詩で不愉快だ」などと否定的なことを述べた。(中略)歌詞の内容に共感できると答えた学生は約一〇〇人中わずか二人だけだった。〉

記事はもう4年も前のことらしいから、ちょうど私らと一緒の世代なんだな。

2/100らしいぞ!

ホントかよ、信じられん。

自分のまわりの同級生達は、思春期のあの何とも言い難い中二病的な鬱屈した感情を持ったことがないのか?

ってか、中学卒業式の翌日、カラオケで友人達「卒業」合唱しまくったよ。

それも3回くらい。

別にそこまで尾崎好きじゃないよ?

確かに尾崎の歌詞なんて冷めた目で見てみれば完全にDQNですよ。

「結局お前はどうしたいのよwwww?バイク盗んだり、家出したりがしたいのwwww」ってツッコミ入れたい気持ちもよくわかる。

でも2/100って、えー?

では、そこまで尾崎が好きじゃない私が、尾崎に何を感じていたか?

私にとっての尾崎豊は、

   オレこんなんで良いのかなぁ、とか

   なんかもっとすげぇことが出来るんじゃないかとかさ、とか

   毎日がつまらなくてつまらなくて気が狂ってしまいそう、とか

   なんかやらなきゃいけない気がするんだけど何すればいいかわかんねぇよ、とか

そういう気分を代弁してる人なわけなんです。

うーん、うまく言えてる気がしないなぁ。

もうちょい言えば、バカボンドに出てくる又八が武蔵関ヶ原に誘うときのような気持ちかなぁ。

尾崎豊は、若者の反抗の象徴といったイメージが強い。

反抗については、強くは共感できないもののまぁわかる。

でも、それだけじゃなくて又八的な気持ちも歌ってると思うんですね。

そこら辺は、インタビュアーもわかっていて最後の方で「シェリー」を題材にそういう話題を振っている。

しかし、これもかすりもせず。。。

さて、思ったことをサクサク書いてきたけどどうまとめようかな、困ったな。。。

とにかく、2/100という結果を見る限り尾崎豊普遍性は無い。

あると思ってたんだけどね。。。

結構ビビった。

けど、自分の周りにはそういうことをわかってくれる人がたくさんいて、ホントよかったなぁ。

ってことでこの話題は〆ましょうか。

 
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