はてなキーワード: 学校生活とは
今日は「シグナル100」というマンガを読みました。いかにも「まんが王国」のバナーで紹介されそうな「デスゲーム」でエログロなどの不快な描写満載のマンガです。以上。
この系統はおそらくマーケットとしてかなり大きいのでしょう。 あくまで個人的な感想ですが全然面白くない「食料人類」が50万部売れるというのだから、それだけエログロ描写には需要がある。 こういう悪趣味な作品の広告ばっかり打ちまくっているビーグリーが上場したということからも、どれだけ潜在的な需要があるのかよくわかるというものです。
不快なバナー広告でおなじみ、まんが王国のビーグリーが上場へ : 市況かぶ全力2階建
※ちなみに「食料人類」原作者ははてなブロガーです。ベストセラー作家なのに読者数少ないのでお前らもっとフォローしようぜ
作品の質なんかよりバナー広告でグロい画像出せばとりあえず売れるくらいの気軽さで作られているのか、とにかく製乱造ぶりが凄まじく、批判されがちな「小説家になろう」の異世界転生ものや、ラノベの中でもポルノ系として批判されがちな作品でも、これらと比べるとよほど出来が良い、と思うような作品が多いです。マジで「まんが王国」はエログロ系など不快なマンガの広告を規制されて倒産して欲しい。
じゃあこういうの読んでる読者を馬鹿にしたいのかというとそうじゃなくて、私はこの手の作品広告を見ると不愉快な気持ちになり、不愉快だからこそ、わざわざ手にとってはやっぱり読む価値がないことを確認して安心する、というのを繰り返してます。
私のような我慢出来ない人間が読んでしまうからいつまでもそういう広告が出てしまうということで、負の連鎖になっているんですが、そうはいってもムカつくものを放置しておくことも出来ないので、さっさとこの手の画像の広告が一刻も早くネットから消え去って欲しいなと思いながらも、今日も無駄に時間を使ってこういうマンガを読んでいます。私も広告を見かけるたびに通報してますが、みなさんも是非通報してください。
一応「シグナル100」の話しておくと……
もちろんこの漫画を人に薦めるつもりは全然ないのでアフィも張りませんし画像も見せるつもりはありませんが、あまりにもテンプレが完成されているなと感じます。
・主人公は学校生活を退屈に思っており、周りの人間を見下している
・パニックになった時に協力し合うという発想はまずない
という、いかにも「ぼくがかんがえたへんさち40以下の学校」という感じです。
実際、多分最初に「設定のテンプレ」があって、それから「できるだけグロい画像でたくさん人が死ぬように」という注文がされて、それに従って作られているのかなと思います。この手の作品は原作者と作画の人が別々であるケースが非常に多いのも特徴ですね。
んで、この作品は、こういうテンプレ作品の中でもかなり出来が悪い方だと思います。
主人公は優柔普段である上に無能であるため、デスゲーム系マンガの中でも最悪クラスなのですが、その分サブキャラが結構頑張ります。なので序盤はそこそこ楽しめる感じでした。
しかし人物の心理描写や行動に一貫性が全くなく、後付で設定が出てきてキャラが変わったりします。朝比奈さんの変化などにはドン引きしました。おそらくストーリーを考える人とマンガを書く人が全然打ち合わせ出来てないんじゃないかな。
3巻からこの作品でやろうとしてることはなんとなくわかってきたんですが、とにかくそれまでの人物描写がひどすぎて、その後の展開とそぐわないんですね。最初からちゃんと全体を考えて作品つくりして欲しい。
思えばずっと甘やかされて育ってきた。
以下、かなり長い自分語りが続くので注意。
先に今現在の話をしておく。
現在私は大学の2回生で、2回生とは言いながら単位を落としすぎて留年した身である。クズと言っても差し支えないだろう。実家が田舎のため上京して都会の大学に通っている。具体的金額は伏せるが、親には割と多めの金額を仕送りとして貰っていた。
私は長男として生まれた。結局2人目以降は出来なかったので、1人っ子として育った。
特に母は本当に私に優しく接してくれた。
私が幼い頃は父と母がよく夫婦喧嘩をしていて、父がよく大声で怒鳴っていたし、母が私にその愚痴を漏らすことが時々あったので、幼少期の私の両親に対する印象は、母が優しい人で、父は怒らせると怖い人、という印象であった。
当時の親や周囲の私の印象は「我の強い子」であったらしい。思い通りにならないと直ぐに癇癪をおこしたそうだ。記憶する限りでは、水泳の授業が嫌いで、水泳のある日は玄関先でこれでもかと言うくらいに抵抗していた。
母は躾はしっかりしていたので、例えば服を脱げば洗濯機に入れるとか、食べた後の食器は台所に運ぶとか、そういうことはきちんと私に教えたし、私も素直に聞いていたらしい。
私が小学校に通うようになると、色んな人と関わる機会が増えた。他の友達の家に遊びに行くようになった。遊びに言った感想は、「何だかごちゃごちゃしている」といった感じだった。恐らく共働き家庭だったり、親があまり片付けたりしないような家庭だったのだろう。もちろん綺麗な家庭も、恐らく3割くらいはあったと思うのだが、子供心に「他所の家庭はもっと雑」という印象が残った。そういう余計な影響を受けて、これまで躾られて出来ていたことをしなくなったらしい。これは結局高校卒業までしていないことになるので、相当である。
関係あるのかどうかは分からないが、この頃に学校でも奇行が目立つ。喧嘩が弱い癖に、喧嘩をよく吹っかけた(そして返り討ちにあっていた)。小学校低学年だからまだ許されたのだろうが、かなり過激なことをやった。クラスメイトのスカートを捲ったりもした。当然学年中の女子から嫌われた。馬鹿である。当たり前のように友達は居なくなった。落書きをよくするようになった。友達はほとんど居なくなったが、ノートにでかい絵を描いて(というか落書きをして)それを見せびらかしたり、長い迷路を書いたりして、周囲の興味を引こうとしていた。健気と言えば健気である。「友達が欲しい」とよく言っていたそうである。母親に泣きついたりしていた。
母親も、この時期は何故かかなり厳しかった。もちろん素行が悪くなったこともあるが、他にもゲームの件がある。私は幼稚園を卒業するころあたりからゲームが好きだった。あまりにも没頭するので、「1日に30分まで」という制限を課された。が、それを素直に受け入れるわけもなく、毎日のように文句を言ったりして親子喧嘩をした。思えばなぜあそこまで熱中していたかは分からないが、ゲームは今でもかなりやっている方だと思う。とにかくゲームが人生のようなものだった。多分尋常じゃないくらいのハマりようだったのだろう。
そんな小学校低学年を送った。
中学年(3年生)くらいになると、流石にさっきのような奇行はなくなった。が、失ったものはそう簡単には戻らない。相変わらず孤独な生活をしていた。この頃になると、いわゆる「クラスの人気者」に対して逆恨みから喧嘩を吹っかけていたような記憶がある(そして返り討ちにされる)。まあとにかく、喧嘩が絶えなかった。そんな時味方でいてくれたのはやはり母である。母は相変わらずゲームに関しては厳しかったが、学校での対人関係では味方でいてくれた。おそらく私の悪い点はちゃんと指摘していたのだろうが、それでも当時の私からすれば無条件の私の味方だった。
悲しいことに、それでも自分の思い通りにならないことがあると癇癪をおこして親に暴言を吐いたりしていたらしい。
高学年になると、県内の進学校目指して中学受験の勉強をするようになる。低学年の頃から学力の高さには自信があり、塾ではほぼ成績1位であった。まあ、自主的に勉強していたわけではなく、自宅での勉強は母が付きっきりだった。しかし、受験しようと言い出したのは私自身であり、親としては別に受験はしなくてもいいという意見だったそうだ。負けず嫌いだったのもあり、勉強は苦痛だったが我慢してやれていた。
この頃になるとわりと多くの友達が出来ていたように思う。まあ、親友と言えるほど親しい相手は数人なのではあるが。
小学校通して、友達が少ないという割には活発で、よく色んな人と遊んだ。矛盾しているように聞こえるが、要するにそんなに仲良くない人にも突っ込んで遊びに誘っていたわけである。友達を人数で計って多い方がいいと言う単純な発想で、家に1度に多くの人が遊びに来た方が偉いという考えである。今思えば極端すぎるが…まあ、自分の好きなもの優先なので、病院に行く予定があるのに勝手に遊びに行く約束を重ねてそちらを優先しようとしたりとかしていた。自己中心的の極みである。まあ、当然親に怒られるのだが…
そしてついに女子からの評判は最悪のまま小学校生活を終えた。まあ、妥当である。ことあるごとに私のことが嫌いという態度を取るので(一種のいじめである。いわゆる「〇〇菌がうつる」とか、席替えで隣になった女子が机を離すとかは日常茶飯事)、こちらも腹が立ってよく喧嘩を吹っかけていた。今思うと馬鹿であるが。女子というものは口達者で、特にそういうところが嫌いだった。女性なんて信用してなるものか、女性というのは陰湿で口達者で陰険で裏表のある連中だ、と子供心に思った。
無事志望校に合格して中学生になった。この頃からコミュ障を発揮し始める。元々喧嘩を売るしかコミュニケーションの取り方を知らないのだから仕方がないのかも知れない。人との距離の取り方が分からない。友達が出来なかったわけではないが、そんなに多くはなかったと思う。この頃ラノベにハマる。オタク路線まっしぐらである…かと思いきや、意外とドライであった。色んなラノベや漫画を読むのではあるが、一つの作品やキャラにどっぷりハマることは無かった。グッズなどはあまり買わなかった。
相変わらずゲームが好きだったし、その事で母と揉めていたのも相変わらずである。ただ、褒められる機会は減ったような気がする。相対的に怒られることが増えた。この頃になると、私にとっての母の印象はただ怒る人になってきていた。
この頃「うごメモ」に出会う。当時DSiでパラパラマンガ的アニメーションを作れるソフトが配信されていたのだか、これが使いこなすと結構なクオリティの物が作れる。これをインターネットに投稿出来るのだ。凝り性な私が作ったうごメモは一定の評価を得た。そのジャンルではそこそこ名の知れたという程度の作者にはなった。どハマりしたのは言うまでもない。やはりそこでも母との対立である。クオリティの高い作品を作りたいのに、時間制限(しかもかなり短い)を課してくる母が憎かったのは覚えている。
あまりにやめようとしなかったので、ついにそのDSiは永遠に没収された。突然の引退である。同時にゲーム禁止令を出され、これが4年間続くことになる。うごメモ続けたかったのに。
一方で生活面ではさながら幼稚園児かというレベルでの親への甘えっぷりが続いていた。至れり尽くせりである。何でも母がやってくれるのである。この頃から生活面での親へ依存から全く抜けられていない。要するに親離れ出来ていないのだ。この時点で母も対策すべきだ思うが、甘やかしてこのまま放置されていた。
中2のときに初恋をした。クラスの中でもかなり可愛い子であり、要するに私は面喰いだったわけである。先述の女性不信の癖に、「この子だけは純粋無垢で優しくて大丈夫」とかいう根拠の無い自信があった。ハマるととことんハマって思い通りにならないと嫌な我の強い性格がここにも発揮されたのか、とにかく追いかけ回す、その勢いまさにストーカーと言っても差し支えない。当然嫌われる。だが、その子は優しいので直接的に迷惑と言わない。告白してもフられるものの、嫌いだとハッキリ言わない。そういうわけなので、私は「ワンチャンある」と3年間くらい信じ続けるハメになるのだ。
そのくせ、何故か他の女の子にもアタックした。いや、アタックしたというか、ただ手当りしだいに告白してただけである。その人数たるや7人である。たぶん誰でも良かったんだと思う。誰でもいいから、異性に好かれたかったのだ。女性不信のくせに。結果は全滅である。当然といえば当然。まあ仲のいい女子なんてひとりも居なかった。関わる機会が無かったわけではないはずなのだが…部活は女子の方が多いのだが、部のほかの男子は女子と仲いい癖に私はなんとなくその輪の外にいたような感じだった。私だって女子と仲良くしたかったのに。ずっと決まった男子とつるんでいた。間違いなくスクールカースト下層だった。
こういう学校のことは、親にはあまり話さなくなっていた。なんだか恥ずかしいのである。なんというか、学校生活、つまり小学校より成長した感じを両親に見せたくない。ずっと小学生のままで居たいような感覚である。要するに甘えてるのだ。この期に及んで。一丁前に恋なんかしてる姿なぞ死んでも見せたくなかった。
高校でもこんな感じである。この頃にはすっかり物事に対するやる気というものをなくし、宿題すらやらなくなって行った。学校に行ってる間は授業はそこそこ真面目に受けるのだが(人並みである)、自宅では全く勉強しない。面倒くさいし、自主的に勉強してる姿を親に見られるのが何より気持ち悪いからだ。
まあ、塾に行っていたのと、学校での授業はそこそこ真面目に聞いていたお陰で、わりといい大学には合格したのだが、自習はほぼ全くしていない。勉強する習慣も皆無である。部活も、文化部ではあったが、練習は真面目にやらなかった。努力らしい努力をしてない。この頃にはもう何かを頑張ると言うことをほぼしなくなっていた。何故だろうか…。
ずっと家でこっそり買ったゲームをしたりとかしていた。
そういえば中高生のときは携帯やスマホの類は親が買ってくれなかった。理由は明白である。まずゲームの件があるから電子機器を与えるのはまずいし、トラブルを引き起こすことも多くメールなどさせたくなかったのだ。一方私としてはそういう電話とかメールとかLINEとかいう繋がりから自分が疎外されているのが嫌で、またそれが原因で輪に入れないのが嫌でやはり抗議した。そして親子での衝突は絶えなかった。
親に甘え続けスネをかじり続けた結果、ろくに身の回りのこともしないクズ大学生の出来上がりである。面倒くさいので次第に出席すらしなくなり、面倒くさいのでテスト勉強はせず、部屋の片付けもせず、洗濯は週1回、辛うじて風呂にだけは入るという堕落しきった生活である。自炊などもってのほか。仕送りは遊ぶ金(しかも大概一人で遊ぶのである。友達もほぼ居ない)に消える。自分自身酷いと思う。
少しは書いたが、高校までの私の親に甘えきった生活も改めて書くと、
着ていた服を洗濯機に入れるなどせずに脱ぎ散らかす
偏食が激しく母にはわざわざ別メニューを作ってもらう
風呂入る順番と時間に文句を言う(入りたい時間に、1番目に入りたいのである)
などなどまあ酷いものである。下二つは文句を言って結局喧嘩になるのだが上三つは本当にそうであったのだ。ちなみに偏食の件、最初は本当に偏食であったのだが今は大体の場合「親の前でだけ食べられない」感じである。親がいないと普通に食べるものも多い。
あまりに酷いので私自身が高二あたりの時に「小さい頃甘やかしすぎたからこうなった」みたいな事を親に言ったら「私の育て方は間違ってない、あんたが勝手にそんなクズになっただけだろ」と言われた。でも親に甘えちゃうから自分から直す気がないあたりが私のクズっぷりである。喧嘩ばかりしてきているし親は嫌いだ。でも親に依存している。
最近は「努力ができたらなあ」と切に思う。目標があっても、そのためになにもしないので何も変わらない。面倒くさいからだ。何か行動を起こし継続して努力出来れば、とよく思う。でもできない。自分の好きなことにすら努力出来ない。
ただ、人にちやほやされたいだけ。承認欲求の塊である。過去が孤独だからだろうか?親の愛情は少なくとも幼少期はたっぷりに受けてきたはずだ。自分に自信が無い。どうしてだろうか。虚栄心ばかりだ。まるで山月記の李徴である。臆病な自尊心と尊大な羞恥心の獣である。変なプライドだけはある。
さて、どうしようか。
スクールカーストの恐ろしさというか、力というかそういうのが
その「普通の価値観では異常なことを押し付けられてしまう」ことだと
少なくとも自分の学校生活ではそう感じたから、そういうものなのだと思ってた。
だから「そこまでおかしなことでもないと思う」と書いてしまったわけだが。
学校のテストの順位みたいな、明確な数字で表されるものですら、順位が下の人間が上の人間を
下ということにしてしまって叩くみたいな、そういう感じだった気がするし。
あと、学校という閉鎖的空間でのカースト関係を語るという文脈では、コミュニケーションってのは辞書的に使われてるんでなく
洗脳の言い換えみたいにカッコつけて使われることも多いように思えた。
僕は5年後10年後を考える海がきこえるで言うところの松野タイプではなく、拓タイプなので詳細なあらすじは書かないが、
ざっくり書くと、普段のラフィはサターニャのことをからかっていたずらをするため、雨の日に傘を差し出すラフィを不審に思うサターニャ、
しかしこの日は特にイタズラを仕掛ける気はなくラフィはただ一緒に傘に入って帰りたいだけだった
みたいな感じかなあ
いや、あらすじの何が難しいって、文章にしちゃうと文章にしたこと以外が伝わらないわけじゃないですか
「だってそれにはまだ名前がないんだもん」だのに、ラフィとサターニャの気持ちに名前をつけてしまうわけじゃないですか
だから、僕が涙止まらなくなった理由を書いたしまうのももどかしい
けど、書かないと伝えられないのも、たいへんだなあ
要するに「相合傘で一緒に帰るぐらいサターニャのことが好きなのに、それがサターニャにはうまく伝わらない様」がなんかこう、悲しいんだよ!
わかんないよ、ぶっちゃけ、本当になんとなく見てるだけで、今までの回も飛ばしてる回があるかもしれないぐらい、思い入れがないアニメだから、解釈を間違えている気がしなくもないんだけど、
で、さらに、そのなんか、天使と悪魔の悲哀てきなサムシングが絡むんでしょ?
あーあーあーあーあー、切ないー
いやもう、そのイタズラって具体的になんだよってのが思い出せないぐらいの思い入れしかないのに、なんで泣いちゃうんだろうなあ
今日会社で飲み会だったんですけど、女の子二人がめちゃくちゃイチャイチャするんですよ
大きいところでいうと、枝豆をじかに手で持って食べさせあったり
小さいところでいうと、向かいの料理をとるときにお洋服が料理の皿にくっつかないように手で抑えてあげたり
もう書ききれないぐらいの百合エピソードがあって、ちょっともう心が落ち着かないんですよ
あっ! こういうときはアイマスのアイドルで例えないといけないんですよね
えーっと
みりあちゃんのソロ曲のロマンティクなうって曲あるじゃないですか
あれの
そっかあ、みりあちゃんはみくちゃんと一緒にお歌を歌いのかなーって思ってた
思ってたんだから、仕方ないよね
前を向いたらスプリング
振り向いたならウインター
こんにちは、元いじめられっ子です。小1~中2と8年ほどやられていました。人間関係を完全に一新して誰も同級生が行ってない高校を選んだ今は毎日がスーパーハッピーです。
8年やられると「いじめ」って一括りにしてるけどかなり雑な括りだな、って気がつくようになります。洋食、和食、中華を料理というようなもの。
どんな種類があるか?細かく言うと本当にキリがないので代表的とおもう2つを。
僕はこれを中学1年生のころ受けていました。存在する、という理由で蹴られ、テニスラケットを折られたのは未だに忘れません。おいS~、読んでるか~
これは体験談ではないのですが、自称「いじめられっ子」側(以下A)とAのいう「いじめっ子」側(以下B)が口論になったんですよ。
その場では穏便に済んだのですが、Aはしばらくして記憶が自分に有利なように変わってしまい、あとから傍目から見ていた僕でもわかるほど嘘八百を並べ、いじめをでっち上げていた事案があります。
Bの学校生活は一変。クラスメートは大体の内容を知っているのですがAは様々な方向でBを退学させようとするので夜中に呼び出されたりしていました。
正確には、少ない。
高校でも大学でも学校生活をそこそこ謳歌する程度に同性の友達がいたはずなのに、卒業して数年も経たぬうちに会わなくなった。
異性相手には、嫌に思ったことや、共通の趣味をやる上での辛辣な指摘などを臆せずにできる。
もしその物言いが原因で嫌われても「異性だし」と言い訳できるから。
同性は違う。
本当はキツい言い方しかできない自分が悪い、コミュ力の無い自分が悪い、それを認められなくて、私は異性ばかりと付き合っている。
同性とせっかく仲良くなっても、どこか気を使った態度をとってしまう。
急に本音が出てしまい傷つけてしまったら…という恐怖が常にある。
ずっと仲良くできている小中学校の友達は、「気の置けない友人」と呼べる。
人とコミュニケーションが取れない、楽しくない。
そう思うようになってずいぶん経った。
きっかけははっきりと覚えていて、中学生のとき人間関係でトラブルを起こしたことが原因だ。
それ以来、自分からコミュニケーションをとることに対して臆病になった。
原因はもう忘れてしまったが。
僕は仲直りするきっかけを見いだせず、意地になって謝ることもできず、
Bとは口を利かなくなった。
その後、理科の授業で、唾液のデンプンを分解する作用に関する実験があった。
班員のうち二人の唾液を混ぜても、分解できるか実験してみろ、
というような指示があった。僕はAと同じ班だった。
一人はもう一人の男子が手を挙げた。
もう一人は誰も手を挙げなかったので、
じゃんけんで決めることになった。
じゃんけんは僕が負けた。
でも、僕は唾液をさして仲のよくない男と混ぜられるのが気持ち悪くてしかたなかったので、拒絶した。
今思えば、じゃんけんに参加した時点でそれを拒否することは筋の通らない話だと思う。
でも僕は、うまくいかない人間関係や、思春期の慢性的な不安から来るイライラといった身勝手な理由で自分を正当化し、
「お前、もういいわ」
僕の身勝手さに愛想を尽かしたAはそう言って、自分の唾液をビーカーの中に吐いた。
その日Aと口を利くことはなかった。
今回は100%自分が悪いという自覚はあったが、またしても謝ることはできなかった。
この日のうちに謝ることができていれば…と今でも思う。
たった一日の間に、急激に変わってしまったクラスに僕はただただとまどい、呆けるしかなかった。
とりあえず、寝たフリをしたり、意味もなく学校内を徘徊したりして、やり過ごした。
Bとの喧嘩はともかく、Aへの一言には後悔しかなく、謝りたいと思ってはいたが、
あまりの劇的な変化に、僕は怯えてしまい、逃げることしかできなかった。
筆記用具を壊されたり。
僕の机だけ掃除のあとイスが降ろされていなかったり。
体育の授業で卓球があったが、どこにも入れてもらえず、50分間壁に向かって打ち続けたり。
酷いあだ名で呼ばれたり。
AやBから無視されたり、何かされたりするのは仕方がないと思っていたが、
怖くて怖くて仕方が無くて、僕は前述のように逃げることしかできなかった。
気が付いたときには自分一人ではどうにもできない状態に外部も自分の内面も変わってしまった。
僕は自分の意志ではないが、親の言うことを聞いて勉強はそこそこやっていたので、
勉強を頑張って他の同級生がいないような高校に行けば、やり直せると思っていた。
だからどんなに辛くても勉強は続けて、中学の同級生が数人しかいない学校に入った。
けれど、原因を作ったのは自分とはいえ、誰も助けてくれなかった、もしくは攻撃してきた
大多数の他人への不信感から、僕は人と積極的に関わる意欲を失っていた。
僕は高校時代、話したことが無い人には一度たりとて、自分からは話しかけなかった。
高校1年のときは、みんな友達がいないので、話しかけられたし、それをきっかけにして、
話す人ができた。
けれど、進級するに従い人間関係が固まってくると、そういう消極的な姿勢では
友達の少ない僕はどんどん浮いた存在になった。3年生の時には、クラスに友達が一人もいなかった。
3年間高校に通ったが、何の思い出もできなかった。
大学では学部ではぼっちだったが、入ったサークルには少しだけ馴染めた。
どこか自分と似たような、これまでの学生生活に馴染めなかった人が集まるようなサークル
だった。
そこで人の優しさに触れたり、人と何か協力して物事に取り組んだり、飲みにいったり。
やっている活動自体はあまり楽しくなかったが、そこにいる人たちは好きだった。
けれど3年になって、サークルを引っ張る立場になると、僕はそのプレッシャーに負けた。
また心無いことを言う人間が、年下とはいえきっと僕より濃い人生を送ってきた後輩に何か教えるなんておこがましい
とも思っていた。自分のつまらない劣等感・コンプレックスを克服できなかった。
一応最後までやり遂げたが、かたちだけだったと思う。
直接接した後輩とは最後まで打ち解けることができなかった。
高校よりは自分の中に何かが残った大学生活だったが、悔いは残った。
すっかりコミュ障となった僕は就活では苦労したが、生存本能の為せる業かどうにか自分に嘘をついて
けれどコミュケーションが取れない、愛想はない、仕事もできないで肩身は狭い。
他人のことは怖くて、外にいるだけで疲れる。
友達もいない。
彼女もいない。
今僕は24だが、このままいくと何にも楽しみを見いだせず、
会社では疎まれ、やがてはクビになり、プライベートはずっと一人で、
死んだ顔のまま、年だけを重ねたおぞましい中身空っぽのオヤジになって
誰に気付かれることもなく死んでいくのが容易に想像できる。
「聲の形」という漫画を読んだとき、まさに自分のことだと思った。
石田は自分のしたことに向きあって人の痛みを知る、立派な青年となって、
成人式をトラウマとしか捉えられず欠席した、逃げるしか能のない男になった。
年を重ねれば重ねるほど、可能性は失われていく気がする。
気の持ち様次第で、年を取ってからも自分を変えられる人もいるかもしれないが、
そのハードルはどんどん高くなっていく気がする。
どんどん上がるハードルを目の当たりにして、これから先僕はどんな人生を歩もうか。
どんなことになろうとも、天寿を全うする。
この時代に「教師になりたい」なんて思う人は凄いなぁと思ってた…
どう考えても割に合わない…というか…
「教師になって またそこに戻りたい」なんて絶対に思えなかったから…
同級生でさえ 何考えてるかわからない、関わりたくないってのがいたり…なのに、
世代も違ってるのに理解なんか無理…ましてや教師だからと言うこと聞かせるなんて…
それでも、教師になったら向き合わざるを得ないのに…
その後ろから親が登場して なんだかんだと口出し…ということもあるのに…
そんなことは百も承知で「教師に」と言ってるんだと思ってたから…
でも、実際には 自分の学校生活が充実してて、学校生活に何も嫌な思い出がなくて、憧れの先生がいて…と
学校が楽しくてしょうがなくて そこにずっと居続けたい…と教師を志望してる人もいるのか…
今になって思い知った感じ?
先生ってのは、人気者で 生徒にチヤホヤされて 権力もあって…とか見えてたのかな…
「アレならいいなw アレなら できそうだw」って?
嫌な思い出もあるけれど そんな思いはもう誰にもさせないように…なんていう熱意を持って…とかいう人もいるのかな…
子供が好きだから…という理由もあるか…「好き」の内容は いろいろありそうだけど…
「先生」ではなく、
「教師」でもなく、
「教員」か…
衣食住、交通費、通信費、レッスン代等々、全部会社持ちで小遣い5万円ってことでしょ?
で「憧れの芸能界」でお仕事して、テレビでしか見れなかった憧れのあの人とすれ違うかもしんないし。
高校生だったら、つまらん学校生活おくるより、そっちの方が楽しそうってなるわ。
ま、なんちゅうか、若者の「あこがれ」や「やりがい」でもって人を搾取する「奴隷的労働」っぽいのは確かなんだけど。
でも、あれだよね。
絶対、幸福の科学は映画だの布教用のビデオだのに酷使しまくって、で、それは「真理への奉仕」みたいなこといって、適切な報酬なんざ支払わないよね。
あと「水着の仕事が嫌だ!」ってごねてたらしくって、気持ちはわからんでもないけど、あの手のオーディション受けるってことは、そもそも自分からそういう商品になりにいくってことだからなあ。。。
http://anond.hatelabo.jp/20170201151127
自分の娘に対してではないけれど、自分でも同じようなことやってた時期があった。
まだ学校に通ってた時期、クラスの中で一人はいた「性格も顔もうけつけないタイプの人間」に無性にイライラして、軽く無視をしたりしていた。
特に関わりを持っていた訳ではないのに、視界に入るだけでイラっとくるので気が散ってしょうがない。
面と向かって罵倒したりはしなかったけれど、割と露骨に避けたりはしてた。今思えばいじめのターゲットにしていた。
環境が変わる度にタゲる対象は変わった。クラスや部活のメンバー全部合わせると、常に一人「性格も顔もうけつけないタイプの人間」がいた。
その時は「なんで定期的にこんな腹立つ人間が出現するんだろう?」って思ってた。自分がそう思う理由は考えもしなかった。
でも冷静に考えると、彼らはちょっとトロかったかもしれないけれど、特に明確な問題点があった訳ではない。
そもそも「性格も顔もうけつけないタイプの人間」が「たまにいる」ことがおかしいんだよね。
いい大人でも付き合いがどうしても無理な人はいる。でも、そういう人は悪口を言ってくるとか暴力を振るってくるとかワキガとか、明確かつ他人に愚痴って納得感のある理由が言える。
そしてそんな人はめったにいない。自分の交際範囲の中に常に一人はいる、という状況はまずない。
当時は自覚なかったけれど、今思えば自分は物事が思い通りにいかない理由を誰か個人に押し付けていたんだと思う。
何か失敗した時にたまたま相手が視界に入っていたから、遡及的に「アイツが視界に入ってイラついたから失敗した」という風に脳内変換してたと思う。
そして「アイツの所為でうまくいなかった」が「アイツさえいなければ世の中うまく回るのに」になっていった。
でも、その時は腹立つ人間と同じ環境にいなきゃいけないなんて自分こそ被害者だって思ってたし、他人を憎んで生きるのはそれなりに苦しかった。
だから「あんな奴に心を惑わされず穏かに生きたい」って本気で思ってた。
これは憶測だけれど、多分元増田は長女を妊娠・出産する中でたくさん「こんなはずじゃなかった」ってことがあったんじゃないかな。
初めての妊娠や出産で、自分の肉体も周辺環境や人間関係も大きく変わる。
元増田は最初はごく普通に、妊娠を喜んで子供を愛そうと思っていたはずだったんだよね。
でも降り積もるいくつもの「こんなはずじゃなかった」に耐えられなかったのかもしれない。
そして元々の原因である長女に対して「こいつさえいなければよかったのに」と思うようになったのかも。
次女はただでさえ甘え上手だろうし、その上元増田は「全部長女の所為」と長女をタゲってるモードに入ってるから、長女なら言うことを聞かないと思ってカッとなる局面でも、次女なら「子供は仕方ないね^^」と思えるのかもしれない。
でもそれは憎い長女との比較の上で成り立っている寛容さなんだよね。
私の場合、時間が経って本格的に環境が変わり、誰かをタゲっているような余裕すらなくなるほど忙しい環境で数年過ごして、気づいたら誰かをタゲる癖は治ってた。
終末回避のために暗躍する秘密の組織とか学校生活の裏で戦う高校生がウケた時代。
日常は変わらず続いていく。むしろ何気ない学校生活の中で特別感を味わいたい。
そうだ異世界に行こう!
変わらない日常にうんざり。転生して自分の心地いい居場所見つけたい。
この余波で正統ファンタジーモノ、戦記モノがちらほら蘇る。
異世界とか飽きた。現実世界は経済とか戦争とか大変になってる。
そうだ可愛い女の子と山奥で自分の村を作ってひっそり暮らそう。
この余波でシムシティが復権。
まぁ真面目に考えると、ラノベ界は大体10年単位で流行を象徴するエポックメイキング作品が出てくる。
異世界転生の代表格はわかんないけど、いわゆるなろうブームがそれに当たるのかな。
新しい年になっても辛気くさい気分のままだから、寝る前に浸りきって、朝が来たらより良い2017年のために頑張りたい。
そのために書いたクソポエムです。
2015年12月31日、私は自分がアイドル絡みで涙を流す日が来るなんて思いもしなかった。純粋に、そこまでの思い入れがなかった。ないと思っていた。ましてやジャニーズアイドルなんて。
同級生の女の子たちが楽しそうにジャニーズの話をしているのが理解できなかった。カッコイイと言うその感覚が分からなかった。テレビできらきら歌い踊る彼らを見ても、彼女たちと同じ熱量で歓声を上げることなんてできそうもないという結論を下すほかなかった。
それでも、女子として学校生活を送る以上「好きなアイドルって誰?」という質問を避けては通れない。そんなとき、私は「SMAPとかかな」と曖昧に笑みを浮かべて答えた。
私は今、社会人1年生。留年なしのストレート。周りは「SMAPなんておっさんじゃん」と切って捨て、「変わってるね」と私のことを笑った。
中学1年のときには花より男子の2期目が放送され、みんな嵐に夢中だったし、デビューしたばかりだったHey! Say! JUNPや関ジャニ∞のファンの子もいた。ごくせんの影響でKAT-TUNが好きな子もいた。その4グループ以外にも、SMAPより後輩のグループなんてほかに沢山ある。
でも、私は「好きなアイドル」にSMAPしか挙げなかった。嵐のグループ名は認知していたし、花より男子は見ていたから松潤の名前も知っていた。適当に嵐ファンの振りをすることも、いま思えばできた。
でもやっぱり、当時の私はSMAPが好きだと言っていた。あの子たちと同じ熱量できゃあきゃあ言ったりできないのに。
SMAPの世界に一つだけの花が好きだった。オレンジや夜空ノムコウが好きだった。SHAKEも好きだった。がんばりましょうも。好きな歌が沢山あった。
母親がスマスマをよく見ていた。母は自分の世代だった近藤真彦が好きで、その後輩たちの動向も気になるらしかった。
世界に一つだけの花がダブルミリオンを達成したと知らせるラジオを母と一緒に聞きながら、小学生のころ、飛び跳ねて喜んだことがある。そのころの私は世界に一つだけの花が空で全部うたえた。
2016年、年明け早々に流れたSMAP解散報道を知ったのは、卒論を書き終えて自堕落に昼過ぎまで惰眠を貪り、起き抜けに枕元のスマホを手に取ったベッドのなかだった。
嘘でしょ、と反射的に思った。SMAP解散報道は今まで何度もされて来たけれど、どれも誤報で、結局SMAPは解散しなかった。だから今度だって誤報に決まってる、つまんない憶測でしょ、信憑性なんかない、と思った。
記事を読み進めていくうちに、今度はかなり深刻らしいと悟った。
気がついたら、涙が一筋こぼれていた。
驚いて、びっくりして、それからダブルミリオンの知らせを聞いたときの嬉しい気持ちを思いだした。
母親がSMAPの番組をよく見ていたから、SMAPが総合司会をやった年の27時間テレビも、SMAPメンバー5人で旅行した5人旅も、見ていた。それぞれのメンバーが個人でやっている番組も見ていた。
気がついたら、私は5人のことをけっこう知っていた。少なくとも中学生だったあの日、苦し紛れに「SMAPが好き」と答えていたあのころより、ずっと沢山のことを知っていた。
最初は5人じゃなくて6人で、メンバーがひとり脱退しちゃってるとか。2回もメンバーが逮捕されてるのに、解散してソロでやっていく判断はしなかったとか。
27時間テレビで見たライブのときの顔、5人旅で見た意外な仲の良さ。
いろんなことを知っていて、点と点を線で繋げられるまでに私は成長していた。昔は分からなかったことの意味が、頭のなかを巡っていた。
自分の部屋を走り出て、リビングにいた母と不安な気持ちで解散報道について話し合ったことを覚えている。
それから、例の謝罪があって、解散が決まって、署名が37万人以上も集まったり、世界に一つだけの花がトリプルミリオンを達成したり、スマスマが終わったり、8面も新聞広告が載ったりした。
私は不安や、よく分からない憤りや悲しみを抱えて、それを眺めていた。画面の向こうで、紙面を見つめて、いろんなことは言うけど、言うだけだった。
母親と相談して、アルバムとBlu-rayを買ったぐらいかな。やったことって。
年の瀬が迫るにつれて、どんどん心配になるのに、なんだから今さら遅すぎる気がしていた。
今さら、本当はちゃんと好きだったって気付いても、遅い。
「ジャニーズなんて」みたいな気おくれも、私を笑う周りの声も、真面目に取り合わなきゃならないようなものじゃなかった。そんなものさっさと捨てればよかった。
ずっとそのままでいてくれるって、いつの間にか思い込んでいたから、多分あまえていた。
いなくなると知って初めて大切さに気付くなんて、やってる本人はドラマチックに浸れるかもしれないけど、やられた方は堪ったものじゃないことは、ずっと前から実地体験して骨身に染みてたはずなのに。
2016年最後の日、初めてアイドルのラジオを聞いた。SMAPの、中居さんのラジオ。
終わったとき、泣いていた。涙が一筋じゃ済まなかった。ぼろぼろ泣いていた。
2016年が終わった。
27時間テレビのノンストップライブの録画がまだ残っていたので昨日、改めて見た。格好いいな、と思った。思ってる。SMAPが好きです。
・ヘブンズランナー アキラ 1~7巻・完結
体長約2メートル、常に白目で、不気味な笑い声を発し、周囲から恐れられている男、アキラがとある少女との出会いによって陸上部に入る。
・のぼる小寺さん 1~3巻
・ゆうべはお楽しみでしたね 1~3巻
オタクなアルバイト店員・たくみがリア充女子・ゴローさんとオンラインゲームがきっかけでシェアハウスする。
・ラララ 1~5巻
自宅ではいつもおっぱい丸出し素っ裸状態の美人で外科医・石村亜衣と紙切れ一枚で始まった元リーマン・桐島士朗の結婚生活。
・恋は光 1~5巻
・服を着るならこんなふうに 1~3巻
居村草輔が登校中に出会った、クラスメートの全身校則違反少女・咲野瑞季との学校生活。
・スピリットサークル 1~6巻・完結
1番のお薦め。
響、小説家になる。
・転生したらスライムだった件 1~3巻
転生したらスライムだった件。
・蜘蛛ですが、なにか? 1~2巻
母親と暮らしていた。水商売だったから夜は一人だった。いつも男を家に上げていた。子供が寝ている横でセックスをしていた。
休日になっても夜型の母親はいびきをかいて寝るだけだった。友達は貴重な休日を家族で出かけて過ごしていたから、休日が辛かった。
一人で出かけて、時間を潰して帰るのがいつもだった。自分を害する気はなかったと思われるが、子供にとって放置が最も苦しかった。
およそ娯楽と呼べるものは家にはなく、しかしブランド物のカバンが複数あった。母親の男は決して長くはないスパンで入れ替わっていた。
父親に引き取られた。再婚していた。新しい母親には罵声を浴びせられた。出て行け、生きている価値がない、といったメッセージが多かった。
しょっちゅう折檻をされた。寝坊したときに15分以上の折檻を受けたこともある。今からだと余計遅刻するだろと思うがお構いなしだった。手足を縛られて押し入れに押し込められたこともあった。
父親も罵声を浴びせてきた。酒を止めようとしても飲み続ける姿は嫌いだった。
高校生の時、アメリカに1週間ほど留学できるという主旨のプリントが学校で配られた。
20万円ほどだったので安い方だと思うが、うちでは行けないと分かっていた。アルバイトをしても間に合わない。何とか策はないかとしばらくプリントを放置していた。期限が過ぎてプリントを処分した。
それから一ヶ月経って何かの拍子で父親と言い合いになった。プリントのことをなじられた。「あんなプリントを置いて、行かせてくれるとでも思っていたのか。うちの経済事情を考えることも出来ない自分勝手なやつだ」もう捨てたんだし期限も切れたんだから放っておいてくれよと思った。
母親からはお前の教育費は高いと言われた。自分は公立なので、私立の他の兄弟よりは圧倒的に安いのだが、高いと言われた。
小学校の時、○○病というのが流行った。女子の集団にやられた。
友人だと思っていたグループで実は嫌われていて、自分一人でそのグループの数人をイジメていたということで排斥された。傘でぶん殴ろうと脅す卑劣なやつ、という事実とは違う形で親に伝わっていた。
教師にもよく殴られた。隣の教室で先生同士の授業参観があって、自分のクラスは自習だった。みんな喋っていた。自分も喋っていた。先生が怒鳴って「騒いでいるのはどいつだ!」と言った。自分だけ手を上げた。自分だけ殴られた。おかしい。自分だけが喋っていたわけじゃないのは分かっているはずなのに。
また別のイジメを行っていると言われた。半年に及ぶということで6回全身を殴られた。
高校では、女に嫌われまくった。何かと指を指して笑われた。
クラスの出し物で、ダンスをすることになった。全員で手をつなぐ場面があった。隣が女子で、そいつは自分のことを気持ち悪がっていた。通し練習で初めて手をつなぐ場面をすることになった。その女子は友達の女子と「地獄がやってくる」などと言っていた。友達の方も「聞こえるよ!」なんて言っていた。聞こえていたので用事を付けて練習から抜けた。もう参加しなかった。
大学は途中から最低限しか行かなくなっていた。女に振られたからだ。その女はレイプされそうになったと周囲に言っていた。それまでの学校生活で女不信になっていたところに致命傷だったと言える。女を警戒して暮らすことになった。
家事ができなくなった。朝起きたらコンビニに飯を買いに行って昼になったら飯を買いに行って夜になったら飯を買いに行った。何もやる気が起きない自分は弱いと思って栄養ドリンクを飲みまくったが何もやる気にならなかった。留年はギリギリ回避して卒業した。
就職した。先輩は酒の席になると自分を罵ってくる。それも二次会で上司がいないとき限定なので、飲み会は一次会で帰るようになった。
親が死んだ。その数カ月後にうっかり二次会まで行ったら事情をお構いなしで詰ってきた。そうやって暮らして6年たった。去年に先輩は異動して会わなくなった。
今日も気分は晴れない。
親のことでしんどい
GF(仮)いうアニメがある。アニメオタクの中ではクソアニメと言われていて、自分でも確かに出来はよくないとは思うんだけど、それでも自分は結構好き。
ストーリーは何の変哲もない日常系なんだけど、登場人物の言動に前向きで温かい感じ、なんというかすべてを許すような所作が感じ取れる。
大げさだが自分はここにいてもいいんだ、というような安心感がある。具体的にどのセリフがどうこうという話ではなく雰囲気としてそういう傾向がある。
誰も同意してくれないだろうし同意してほしいとは思わないが自分の中ではそうだ。
こっちはGF(仮)より優しさと暖かさが具体的に説明しやすい。生まれつき不幸な体質の人間を集めてその人達に幸福を掴み取るための教育を施す「幸福クラス」で、主人公がクラスメートたちと学校生活を送る様子を描くアニメ。全体的にコミカルでバカバカしくて笑える作風になっている。今は不幸でも、皆で協力して自分のペースでゆっくりと幸せになっていけばいいじゃないか。客観的には不幸に見えても、本人が幸せだと思っているなら幸せなんだ。そういったメッセージがあって、見ていて前向きな気分になれるアニメだ。
別に、精神が荒んでいたわけでも疲れていたわけでもないけど、自分はどうも優しさと暖かさが染み出すようなアニメに弱いようだ。
ただARIAや夏目友人帳なんかは違う。あれも確かに優しさと暖かさはあるし、超好きだけど、今言ったようなアニメとはちょっと方向性が違うとは思う。中学校の頃、社会科の先生が「始めて弥勒菩薩を間近で見たとき、そのすべてを許すような微笑みを前にしばらく泣いてしまった」と言っていた。残念ながら自分は弥勒菩薩を見たことはないが、弥勒菩薩を見て泣く感覚はなんとなく理解はできる。多分これらのアニメを見て涙がでるときの感情と同じだと思う。ARIAや夏目友人帳なんかは、理屈として言葉にするのが難しいが、優しくて暖かいだけで許しがないんじゃないかと思う。感覚的な話で申し訳ないがなにかそういうアニメはないだろうか。
先日、同僚数人と飲みに行った時に突如こんな話が出てきた
「いとこが進学校に進学して修学旅行に行ったんだが、修学旅行でテスト漬けで修学旅行じゃなくて完全に勉強合宿だった」
と話した同僚も憔悴した表情で話していた、最近の修学旅行は勉強をここまで強要するものなのだろうか更に同僚は話を続けた
ここまでの話で自分も考えただけでげっそりしそうだが周りも飲みに来たのに話に興味が向いていた
「移動中はずっとテストばっかり、同級生と話す機会なんて殆ど無くて観光なんてほんの少しの時間しかないし勉強漬けで何しに行ったのかわからない」
とのことだった、そこから自分たちの修学旅行の話の話にすり替わったのだがこんな拷問のような旅行じゃなかったのは共通だった。
「そのいとこと同級生のみんながかわいそうだ…!」
そう言った同僚は思わずテーブルを力強く叩いていた、学校生活の楽しみが教員の実験もしくは自己満足か自慰行為で終わる事に費やされてすり減らされているのだから憤るのも致し方ない。
自分も思わず憤りを通り越して晒されない物かと不謹慎ながらに思ってしまった、流石にそんなことは許されないがこのような事が平然と行われている事をどこか片隅にでも覚えていて欲しい
これとか https://note.mu/akiko_saito/n/n3c3d6b264f7e
まじで?そんなわかんないもんなの? 俺はリアルタイムで見ながら普通に解消していったけど...
一個一個答えてみると、
あと村上春樹だけど、初期の頃の作品集に「タイトル書いてみてから想起される物語をさらっと書いてみるというやり方を取っている」とか書いてあったし、普通にシチュエーションだと思う。あとで物語に意味的なものをどんどん入れていったと思うけど、新海誠もそんな風に成長すれば良いんじゃないかと思うけど。村上春樹も初めの作品は評価割れて芥川賞とか取れてないしね。
http://anond.hatelabo.jp/20160904003739
どんよりした気分になった。
ハゲ、ニートに該当する29歳の増田だが、確かに行けないなと思った。
ハゲてなく、確実に話せる友人の参加を確認できれば行くことはできるかもしれないが、
帰り道、どうしてもどんよりした気分にはなるだろう。
彼らとの明らかな差の部分の方がより大きなネックなのかもしれないが。)
超絶美男美女に変貌を遂げたならまだしも、スクールカースト底辺とか、
そもそも母校に何の思い入れもない人が同窓会に行ったところで楽しめないのは当前としても、
それなりに楽しい学校生活を送れ、それなりに同級生の顔も思い浮かぶ俺みたいなやつが
同窓会に参加したら、適当に当時の話をしてそれなりに楽しめるはずだと思う。
想像だが、名門校を卒業した人のその後の人生は主にS級の上、中、下に振り分けられ、
A級じゃ恥ずかしすぎて同窓会に参加できなくて、本当におかしくなってしまった数名がCやDに振り分けられる
といったかんじなのではないだろうか。
A~Fまで多様にそろっている。
その中で自信のある連中が同窓会に参加するのは確かにそうだと思う。
そうだと思うが、本来参加すれば楽しめる自信のない俺みたいな連中は
「同窓会に参加する連中の最低ラインはCとかDぐらいの人生を送っているはずで、自分は……」
みたいな妙な計算をしだして、そこから導き出した結果によって参加できないのかな
なんてことを見ていて思った。
いざ、同窓会が始まったら自慢合戦になってしまうとしても、積極的に同窓会に参加できる連中が
参加を決める時は、自慢してやろうなんてことを思わず、単純に旧友に会いたいとか
君の名は。控えめに言って最高だった。
あまりにも良すぎていてもたってもいられず、この気持ちをひとまず文章にしようと思って書きました。
見てない人はマジでこんな駄文読む価値ないからチケット取って映画行ってきてください。
そして、衝撃。
あれ?こいつらすごく真っ当なキャラ達だぞ?
すごく社交的で友達もいてそれなりに楽しそうな学校生活を過ごしている。
間違っても学校サボって御苑で金麦おばさんと密会なんてしそうにない。
なんかこの時点で、今回の新海監督は今までとは違ったものを作ったんだという実感がビシビシ伝わってきた。
そこからのコミカルな入れ替わりのやり取りはコメディタッチで楽しいんですよ。
TSモノ大好きおじさんとしては、とてもツボなやり取りにニヤニヤしっぱなし。
入れ替わってるのが声からスッと入ってくるから、どんどんのめり込む。
というか二人共めちゃくちゃかわいいし、なんて明るくて楽しい映画なんだ!!
なんて思ってましたよ。
新海監督だってこと忘れて楽しんでたので、中盤隕石落下の下りで
叩き落とされて、そこから這い上がっていく瀧の姿。
で、あのカタワレ時のシーンね。
感動的なのに、口噛み酒やおっぱいで笑かしてくる。
そんなところもすごく楽しかった。
で、マジックが落ちて記憶がなくなっていくシーンは号泣するしかない。
あの、一瞬で音がなくなるシーンは本当に鳥肌が立った。
そこからはずっと泣いてたと思う。
新海イズムみたいなものが全開で、それでもあのハッピーエンド。
で、まず思ったのは、背景。
新海監督の代名詞といえば、あの印象的な背景が上がること多いでしょう。
それが、今回はすごく薄い。
キャラクターの邪魔をしないように、すごく地に足がついた背景になっている。
ただ、一点だけ新海監督らしさを出した部分は彗星の描写でした。
それが効いて、瀧の言う夢のような景色という言葉にすごい臨場感が生まれていたと思います。
メリハリが付いたので、逆に印象的になっていた気がしました
で、でですよ。
あ、これって星を追う子どもと重なるなーと。
まぁその手前でユキちゃん先生が出てきた時点でもうって感じではあるんですが。
そして瀧と三葉の間の繋がりは携帯電話。あ、これってほしのこえかと。
なんか過去作とのオマージュがぐりぐり練りこまれてて、うれしい!うれしすぎる!!
その後も、三葉になった瀧がテッシーの自転車に乗ってるところは信濃新聞のCMを思い浮かべるし、
ラストの就活中の瀧の語る人々の記憶に残るような街づくりがしたいって台詞は大成建設の地図に残る仕事と重なるし、
今まで追ってきた新海監督の作品の思い入れもあって、もう胸が詰まりましたよ!
そしてラストね。
もうあのラスト。
みんな騒いでますけど、あれ秒速5センチメートルですよね。
バッドエンドなんて言われますが、自分はそうは思わないし、それも含めていい作品だと思います。
あのラストはあれでいいんですよ。
出会いないからこそ秒速5センチメートルはあの作品たりえたと思うんです。
でも、タカキには、幸せになって欲しかった、出会って欲しかった。そんな気持ちがあるのもまた事実です。
叶っちゃったよぉぉぉぉっぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!!!!!!
はぁ〜叶っちゃいましたよ。
出会いましたよ。
間を阻む電車にも負けず、ちゃんと振り向いて声をかけて、三葉も振り向いてくれた。
何回かニアミスしてるんですよ。
新宿で、タカキが仕事に押しつぶされて帰る帰路ですら違ってるんですよ。
でも、三葉は毎回きちんと振り向いてくれて、同じ気持ちを共有している。
もちろん君の名は。はそんなオタクの気持ちなんか抜きにしても良い作品です。
ど真ん中どストレートの直球のようなエンタメ作品だと思います。
映画館にカップルや中高生がいっぱいという話を聞いて、当然だと思いました。
それが嬉しくてしょうがありません。
そんな素敵な門出に、こんなオタクにご褒美をくれる。
なんてうれしいんだろう。
新海監督のファンをずっとしてきたからこそのカタルシスがありました。
小説で川村さんがおっしゃっていたように、まさに新海誠の集大成のような映画だったと思います。
そして、そんな君の名は。で初めて新海監督作品を見た人たちが、過去作でも好きな作品を見つけてくれるとうれしいなと思います。
一応それ関連の記事などは一通り読んだつもりですが、報道内容や該当JKのツイッターなどから「本当にその生活が貧困なのか」というような部分に火がついているのだろうと。
産まれた家庭の経済面で他人と比較したことがないですから、相対的に自分の家が貧困だったかは分かりませんが、うちは非課税世帯だったので裕福ではなかったとは思ってます。
そういう家庭で育っているので、うららさんが言っているように将来の進路を選択する時には「金」の問題が常についてきました。入学金の多少、学費の多少、生活費の工面、奨学金などの制度。進路の選択には偏差値などの学力に関する問題と併せて「金」に関しても考えないといけなかった。
しかしこのことについては、よっぽど裕福な家庭に産まれでもしない限り「みんな」同じように考える問題だと思います。こども自信が考えるのか、親だけが考えるのか、考えた結果、選択可能な進路はどれくらいに絞られるのかが違うだけで。そしてこの最終結果となる選択可能性については、特に親の将来設計で大きく変わるのはことは知っています。
そして当事者である子ども本人です。うららさんは「みんなが当たり前にできることが自分だけできない」「夢を持っているのに目指せない自分は不幸」と言っています。この考え方なんですが、自分自身が進路で悩んでいる時と同じなので強くは責められないし、責める資格もないと思う。しかしまぁ、同じようなことを考えていた人だけに何か書かずにはいられないもので。
まず「夢を持っているのに目指せない」ではなく「実現しようとしていない」だけだと思います。確かに親が自分の将来の学費をどれだけ貯めているか、貧乏か裕福かで「進路選択時」だけ切り取れば一見かわいそうな自分が見えてくると思う。でもそれは、そもそも自分が裕福な家庭に育っておらず、将来やりたいことのためにはどれだけのお金がかかるのかを早くから認知していればいくらだって対処法はある。うららさんの言う「夢」はいつから叶えたいものとして彼女の中に湧いたのか、叶えたいものとしてどれくらいの重みがあるのか分からないですけど、本当にやりたいことであれば真剣に考えていれば方法は見えてくるはずだし、見つかるまで考える。
それから、「みんなが当たり前にできること」なんて実はないです。学校なんかで集団生活を送っていると、ほんとうは個人単位で見た時にはそれぞれ出来ない部分があるのに、ある程度おおきな集団の一部になると一部の出来ないものは見えづらくなって「みんな出来る」ものに見えてしまうものです。これは今回のような貧困もそうだし、たとえば自転車の運転、なわとび、計算の速さ、記憶力の違いなんかもそうです。
ほんとうは個人個人、身体的な障害なんかの非常に見えやすい違いを除けば、それぞれが自分の出来なさを克服しながら前に進んでいて、それぞれがそれぞれの苦しさを抱えていると思います。
人は産まれ持つ能力を選べません。自分の将来設計をする上で、たとえば夢を語る時に「才能がないから」という理由で簡単に諦めるような夢ならば語らない方が良い。人より体格が劣っているからメジャーリーガーの夢を諦めていたなら今のイチローは存在しない。夢を実現させたかったら人との差、足りなさを埋める努力をしなければいけない。
産まれ持つ能力を選べないように、産まれる家の財力も選べません。これも言い替えれば「才能」のようなものです。自分に備わってないものは何かしらの手段で埋めるしかありません。
100メートル走で一番になりたいという夢があったとして、その夢はボルトと同じ身体能力を持って生まれ、同じ環境で育つというフィールドが整わないと夢の実現の可能性がないのか。
今回の場合、うららさんがやりたいことはキャラクターデザインの勉強なのか、それとも「お金」がかかるから実現できない(と思っている)専門学校に行くことなのか。
日本は5〜6人に1人(正確じゃなくすみません)の子どもが貧困層らしいです。ひとクラス40人なら7〜8人が貧困層であって、珍しい存在ではありません。ただ実際問題、学校生活で貧困などが問題として表出するのは義務教育以降です。
貧困層の子どもはたいてい学力が低いので、高校に行かないか、行っても同じような貧困層で学校を構成します。なので数字上は珍しくもない貧困の子どもが認知されにくいんだと思います。
貧困だから将来の選択肢が狭まるというのはある意味正しいと思うのです。だから子どもの貧困について知らない人に知らせるというのも大切だとも思います。
自分が貧困だということに早く気づくこと、現実を受け入れること。子どもに対して伝えたくない事実だとは思うけど、親がきちんと伝えること。そして現状を知ったら解決に向けて何が出来るのかを調べること、考えること。
貧困だから叶わない夢って、まぁ金がなきゃ叶わない夢も当然ありますけど、たいていは貧困だから「楽には」叶わない夢なんじゃないでしょうか。
ラノベ作家、漫画家、ゲームクリエーターなどを養成する専門学校の体験入学に参加してきました。
入るつもりは全くないのですけど、後学と言いますか社会の闇を見たくなって突撃した次第です。
別に、自分より程度の低い人たちを見て優越感に浸りたかったわけではありません。
有吉弘行は仕事がなかった頃、お年寄りが集まる場所に行って「まだ自分はやれる」と自分を鼓舞していたそうですけど、私の人間性はそこまで低くありません。信じてください。
もう三年近く専門学校を襲撃していなかったので、ムラムラしていたのですよ(本音)。
三年前の顛末は『ラノベ作家養成専門学校が酷い ~2nd Season~ http://anond.hatelabo.jp/20130901102804 )』にまとめてあります。
この過去エントリー読まなくても本エントリーは楽しく読めるので安心してください。
話は横道に逸れないのですが、『〜2nd Season~』をアップした直後から、Google先生が『ラノベ 専門学校 実態』をサジェストするようになったのはここだけの秘密です。
ちなみに『ラノベ 専門学校』でググると『〜2nd Season~』がトップに表示されます。
あと、このエントリーは若干長いです。3行にまとめると……
・学生超頭(・∀・)イイ!!
・講師陣優秀!
です。
まずはラノベ専攻科について。
卒業生の“掲載作品数”が多いと謳われていて、あっ(察し)ってなりましたね。
その証拠に現役ラノベ作家として活躍する卒業生の声が載っていました。一人。
新人賞取ってなかったり、密林レビューが一番多く付いている作品でもたったの8レビューだったり、3巻前後で打ち切りになっている作品がやたら多かったりと、香ばしいキャリアを詰まれて、もとい積まれております。
次、講師陣。
ハイローミックスですなぁ。
ジョージ・バーナード・ショーが「行動できるものは行動する。できないものが師になる」と言い残していますけど、まぁそうだよね。
それとなぜか名誉職なるポストがあって、まぁそこそこネームバリューのある人が収まっています。仕事しているの?
作家関係の講師ですと、昨年留置場にブチ込まれた方がいらっしゃいます。
すっかり名前を聞かなくなったと思っていたら、こんなところで働いていたのですね。くいぶち!
講師ではないんですけど、コスプレして剣を振り回していたイラストレーターさんや絶対に許さない声優さんが以前講演しに来たようです。
過去のイベント履歴を見ますと、いわゆる業界関係者が間歇的に小金を稼ぎに来ています。低学歴からどんどん搾取していこうな。
次、入試。
多いです。
一人の受験者が複数回筆記や面接試験受けるとかじゃなくて、正味で入試が二十六回あるんですよ。ふ、ふぇええ……
その上まだサイトに掲載されていない入試もあるようで、詳細日程は学校にTELすれば教えてくれるらしいYO!
なんで随時受け付けにしないのでしょうかね? 文科省に怒られるから?
次、各種イベントについて。
体験入学、学校説明会、入試説明会、保護者説明会、個別相談会、学費相談 etc.
大学のオープンキャンパスの比ではなくて、盆なんて関係なしに毎週行われています。
さらに学校までの無料送迎バスが首都圏六県と長野、静岡、福島から出ています(イベントによって発地は若干変わるよ)。
それと東京にある本校だけでなく、地方への出張説明会もあるようです。商魂、逞しい。
たぶんアレがアレしてアレなんでしょうけど、詳述するとPCに触れそうなので、リベラルを自認する私としてはお口にチャックでミッフィーしようと思います。ごめんチャイナ。
各学科の体験入学・学校説明会が開催されているのに、来校している見学者は数えるほど。
在校生と思しき若い人も少なかったです。本気でクリエイターになるなら休みも来ましょうよ……
受付を済ませると、『見学者様控室』に通されました。
見学者は私のほかは一人だけ。ガイジっぽい、専門学校ではなくお医者さんに行った方が良い感じの子が一人。
その子はイラストレーター養成講座の見学なのに、絵は描けないとか言ってる。人生、大丈夫か?
2-1=1だからつまりそのひょっとすると私は一人でラノベ講座を受けるのまさかそんなわけ……うっほほ~い!
パソコンが置いてある、謎の部屋に案内されました。
謎というのは、その部屋にあるパソコンもホワイトボードも何も使わなかったからです。
部屋にはラノベレーベルの編集者を自称するオッサンと、作家を自称するオッサンがいて、あぁ来たのといった感じで私を迎えてくれました。
編集者は所属している出版社名とか言いませんでしたね。専門学校の講師やりながら、激務で知られる編集者ってできるの?
自称作家のおっさんが最後に本を出したのは一年以上前。既刊で密林レビューが付いているのは半分くらい。全く知らない人ですね。
この二人、公式サイトの『講師紹介』には名前がなくて、学校側としては内緒にしておきたいご両人なのでしょうか? まさか講師ですらないというミラクルを私としては期待しております(切り込み隊長感)。
事前説明では小説を二作、ゲームプロットを一つ書く予定だったんですけど、そんなもの全く書かかない。
私はノートPC持参してきて書く気まんまんだし、二人の発言タイプしてるのに、オッサン二人は椅子にふんぞり返っているだけ。メモくらい取れや。
結局、自称業界人のオッサン二人と雑談しただけで“体験入学”は終わりました。
オッサン二人との会話が有意義だったらまだ救われたんですけど、話の内容も酷い。
自称作家は分からないこと聞かれると「作家は魂が重要なんです」みたいな精神論説いて逃げる。
自称編集者は『電撃にいた三木』も知らない、ユーザーが何に可処分時間を使っているかにも関心がない。
お二方とも物事を構造的に見られなくて、アンテナが低くて、社会人としての根本的な能力が疑われます。
三年前、専門学校の体験入学に応募したときは、頼んでもないのにどっさり資料が送りつけられて来たのですよ。
でも、今回はなかったですね……
仕方がないので帰り際に「くれ」って頼んで手に入れました。
ガキ、失敬、入学希望者がスマホで見ることを念頭に置いてるんでしょうかね。
活字びっしりで、内容は学校と企業のパイプがいかに太いか、就職実績はどれだけあるかというもの。
社会の厳しさを知っている親はお花畑スクールライフ見せられたら不愉快ですし、子どもは学校で遊ぶことしか考えていないので、この二方面作戦は賢明だと思います。
あと、学費。
サイトには載っていなくて、紙の募集要項に小さく書いてあるだけ。
年額約百五十万円。