人とコミュニケーションが取れない、楽しくない。
そう思うようになってずいぶん経った。
きっかけははっきりと覚えていて、中学生のとき人間関係でトラブルを起こしたことが原因だ。
それ以来、自分からコミュニケーションをとることに対して臆病になった。
原因はもう忘れてしまったが。
僕は仲直りするきっかけを見いだせず、意地になって謝ることもできず、
Bとは口を利かなくなった。
その後、理科の授業で、唾液のデンプンを分解する作用に関する実験があった。
班員のうち二人の唾液を混ぜても、分解できるか実験してみろ、
というような指示があった。僕はAと同じ班だった。
一人はもう一人の男子が手を挙げた。
もう一人は誰も手を挙げなかったので、
じゃんけんで決めることになった。
じゃんけんは僕が負けた。
でも、僕は唾液をさして仲のよくない男と混ぜられるのが気持ち悪くてしかたなかったので、拒絶した。
今思えば、じゃんけんに参加した時点でそれを拒否することは筋の通らない話だと思う。
でも僕は、うまくいかない人間関係や、思春期の慢性的な不安から来るイライラといった身勝手な理由で自分を正当化し、
「お前、もういいわ」
僕の身勝手さに愛想を尽かしたAはそう言って、自分の唾液をビーカーの中に吐いた。
その日Aと口を利くことはなかった。
今回は100%自分が悪いという自覚はあったが、またしても謝ることはできなかった。
この日のうちに謝ることができていれば…と今でも思う。
たった一日の間に、急激に変わってしまったクラスに僕はただただとまどい、呆けるしかなかった。
とりあえず、寝たフリをしたり、意味もなく学校内を徘徊したりして、やり過ごした。
Bとの喧嘩はともかく、Aへの一言には後悔しかなく、謝りたいと思ってはいたが、
あまりの劇的な変化に、僕は怯えてしまい、逃げることしかできなかった。
筆記用具を壊されたり。
僕の机だけ掃除のあとイスが降ろされていなかったり。
体育の授業で卓球があったが、どこにも入れてもらえず、50分間壁に向かって打ち続けたり。
酷いあだ名で呼ばれたり。
AやBから無視されたり、何かされたりするのは仕方がないと思っていたが、
怖くて怖くて仕方が無くて、僕は前述のように逃げることしかできなかった。
気が付いたときには自分一人ではどうにもできない状態に外部も自分の内面も変わってしまった。
僕は自分の意志ではないが、親の言うことを聞いて勉強はそこそこやっていたので、
勉強を頑張って他の同級生がいないような高校に行けば、やり直せると思っていた。
だからどんなに辛くても勉強は続けて、中学の同級生が数人しかいない学校に入った。
けれど、原因を作ったのは自分とはいえ、誰も助けてくれなかった、もしくは攻撃してきた
大多数の他人への不信感から、僕は人と積極的に関わる意欲を失っていた。
僕は高校時代、話したことが無い人には一度たりとて、自分からは話しかけなかった。
高校1年のときは、みんな友達がいないので、話しかけられたし、それをきっかけにして、
話す人ができた。
けれど、進級するに従い人間関係が固まってくると、そういう消極的な姿勢では
友達の少ない僕はどんどん浮いた存在になった。3年生の時には、クラスに友達が一人もいなかった。
3年間高校に通ったが、何の思い出もできなかった。
大学では学部ではぼっちだったが、入ったサークルには少しだけ馴染めた。
どこか自分と似たような、これまでの学生生活に馴染めなかった人が集まるようなサークル
だった。
そこで人の優しさに触れたり、人と何か協力して物事に取り組んだり、飲みにいったり。
やっている活動自体はあまり楽しくなかったが、そこにいる人たちは好きだった。
けれど3年になって、サークルを引っ張る立場になると、僕はそのプレッシャーに負けた。
また心無いことを言う人間が、年下とはいえきっと僕より濃い人生を送ってきた後輩に何か教えるなんておこがましい
とも思っていた。自分のつまらない劣等感・コンプレックスを克服できなかった。
一応最後までやり遂げたが、かたちだけだったと思う。
直接接した後輩とは最後まで打ち解けることができなかった。
高校よりは自分の中に何かが残った大学生活だったが、悔いは残った。
すっかりコミュ障となった僕は就活では苦労したが、生存本能の為せる業かどうにか自分に嘘をついて
けれどコミュケーションが取れない、愛想はない、仕事もできないで肩身は狭い。
他人のことは怖くて、外にいるだけで疲れる。
友達もいない。
彼女もいない。
今僕は24だが、このままいくと何にも楽しみを見いだせず、
会社では疎まれ、やがてはクビになり、プライベートはずっと一人で、
死んだ顔のまま、年だけを重ねたおぞましい中身空っぽのオヤジになって
誰に気付かれることもなく死んでいくのが容易に想像できる。
「聲の形」という漫画を読んだとき、まさに自分のことだと思った。
石田は自分のしたことに向きあって人の痛みを知る、立派な青年となって、
成人式をトラウマとしか捉えられず欠席した、逃げるしか能のない男になった。
年を重ねれば重ねるほど、可能性は失われていく気がする。
気の持ち様次第で、年を取ってからも自分を変えられる人もいるかもしれないが、
そのハードルはどんどん高くなっていく気がする。
どんどん上がるハードルを目の当たりにして、これから先僕はどんな人生を歩もうか。
どんなことになろうとも、天寿を全うする。