2014-12-10

「不幸である自分」が習慣になってしまった

強風が、窓から見える黒黒としたアンテナの塊を大きく揺らしている。それだけでも冷たい風だとわかり、きつい暖房の入った部屋で、小指が凍る思いがする。

12月ももう9日が過ぎた。今年こそ少しでもいい方向へ前進するような気がしていたが、めくるカレンダーはもうないのだ。それはただの願望であり、切なる思いだったと気付かされる。結局はこの1年も、ずっと停頓したまま時間けが無駄に過ぎていった。

虚無な生活を打破する努力は少なからずした。しないとは誰にも言わせない。だが、知人らには嘲弄されてもしかたないだろう。私はもう、「不幸である自分」が習慣になってしまった。それに耐久がつけばいいのだろうが、ただただ寂しさと悲しみに暮れながら、生きる気力というものを日々失っている。

自分に愛想を尽かし、嫌悪しながら生きていくことの辛さは誰にもわかるまい。もう、虚勢を張ることも、努力することにも疲れ果てた。なにも変わらないのなら、冬眠するかのように、このまま時が経つのを待つだけのほうがまだ救われる気がする。

会話も消えた。笑顔も消えた。高揚など欠片もない。私に残されたものはもう待つことだけではないのかと、窓の外を眺めながら思う。風が去り、春が来ても、私は変わらないのだろうか。ただ、死を待つだけの生活なら、いっそこのまま風に飛ばされてどこか遠くの地に叩きつけられたいと思う。

食欲も皆無だ。生きることへの欲求がない私は、なにかを口にすることさえ苦痛を伴う。このまま餓死したいと思うが、働かなければならないことを考えれば、それさえもできない。心中することも考えてはみたが、だとしたら息子が産まれてきた意味が皆無になってしまう。私は拘束衣を着せられた囚人のように、毎日を無心で過ごすことしかできないのだろう。

そんな1年をまた迎えるのだとしたら、おめでたいどころか葬式にも似た気持ちになる。一秒でもいい。早く死にたい、それだけだ。

 

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