はてなキーワード: スキンシップとは
元増田です。
なんとなく考えていたことや、ぼんやりと思っていた自分の気持ちが言語化してもらったような気持ちです。
悲しいのは、奥さんが、私のこの真剣な悩みを「セックスできなくて不機嫌な状態」としか見てくれていないと思うことです。
この話をしたときに、
「セックスがないのもつらいけど、日常のスキンシップも減って寂しい」
と伝えたら、
「そういうことをすると、セックスにつながっちゃいそうだから、そうならないようにしている」
と言われたのはショックでした。
あげく、
「子犬でも飼おうか」
と、愛情の矛先をそらそうとされたり。
まるで、性欲モンスターにでも思われてるのかと思って、さすがに傷ついたなぁ…。
みんな選択したり、受け入れたりしてるのか…。
うまくやっている人たちが羨ましい限りだ。
夫婦でセックスを最後にしたのは昨年の2月頃だったろうか。セックスレスになって1年3か月ぐらいになる。
誰に相談できるわけでもなく、悶々とした気持ちが続いているので、ここで吐き出してみる。
解決できるようなものではないだろうというのは何となくわかっている。
----------------------
奥さんは1つ下。専業主婦。昨年ぐらいからパートも少し始めた。
----------------------
夫婦間でのセックスは、これまでは、せいぜい月1回とか、運が良くて月2回、運が悪いと2~3か月に1回、というレベル。
自分としては、できれば週1は無理でも、月に2回ぐらいはしたいと思っていたが、いろいろな理由をつけられて、実際には年間で10回もない。
下の子が小学生にあがるぐらいまでは、もっと少なかった。(子供と一緒に寝ていたりとか、疲れているとか、実際育児のストレスもあったと思う)
これまでも、
「次の日の朝が早いから」
「疲れているから」
といった理由で断られることは良くあった。
その時に、「次いついつしようね」とか次は、奥さん側から誘ってくる、なんてことは特になかった。
まぁ、奥さんは、セックスがそれほど好きではなかったのかもしれない。
セックスレスの典型なのだろうが、やはり断られると、こちらも凹むし、声を掛けるのが正直辛くなるので、その後は会話も減るし、スキンシップも激減する。
過去にもそういうことは何回もあった。
自分ではそんなつもりはないが、奥さんは、「不機嫌になっている」と認識していたようだ。
実際客観的に見たら、セックスできなくて不機嫌な旦那、という感じだっただろうなと思う。
奥さんは、穏やかなタイプなので、ケンカになることはないが、お互いの会話が減り、向こうは向こうで、こちらを腫物に触るような態度になっているのは感じていた。
これまでは、向こうからは、何も言ってくることはないので、自分からがんばって声を掛けて、何とか修復してきた。
それが今回は違ったようだった。
ちなみに、以前は、夫婦の寝室で一緒に寝ていたが、昨年の最初の緊急事態宣言の最中に自分が微熱を出し、まだPCR検査とかも受けられない時で、自宅内でも隔離生活を送っていた。
当然寝る部屋も別々にした。
熱は幸いにして、すぐに治まったが、念のため3週間ぐらい隔離生活を続けていた。
さすがにもう大丈夫だろうという頃に、思い切って「久しぶりにしたい」と伝えたが、「うーん、ちょっと…」と拒否された。
「なんでNG?」
と聞いても、
「うーん…なんとなく」
というばかり。
しばらくしてから、もう一度声を掛けてみたが答えは変わらなかった。
逆に、
「もう、セックスをする気になれない」
「更年期かもしれない」
(色々調べてみて、確かに更年期障害の年齢でもあるし、更年期には性欲が減退するようだし、実際そうなのかもしれない。が、正直よくわからない。)
自分だって年齢も年齢なので、そういつまでもセックスするとは考えていなかったが、それはもう少し先の事だと思っていた。
それが、ある日、自分の意図しない所で、「はい、あれが最後のセックスでした。残念!」と言われても、正直受け入れることができなかった。
また、一方的に夫婦の大事な行為を終わらせられたことに対し、納得できないという気持ちもあった。
そうなるとやはり、声を掛けるのがつらくなり、コミュニケーションは激減した。
決して声を荒げたり、怒りの態度を出しているわけではないが、やはり、不機嫌な自分がいた。
一度客観的に自分の態度を観察してみたが、以下のような感じになっていた。
といった状態で、どんどん夫婦の溝が大きくなっているのが分かった。
また、「セックスができなくて不機嫌な男」というのも、なんだか情けなく、「そりゃこんな男とセックスしたいなんんて思わないだろうなぁ」と自己嫌悪にもなった。
決して奥さんが嫌いなわけではなく、むしろ好きなのに冷たい態度をとる自分にうんざりしていた。
そして、「まるで北風と太陽の北風だな、そんなの嫌われるだけだよな。よし家に帰ったら太陽モードで優しくなろう」と思い、家に帰って奥さんに声を掛けたり、優しくしようと心がける。
だが、それも長続きしない。
どんなに優しくしても、相手はこちらの気持ちは理解してくれないだろう、むしろ、「やっとセックスをあきらめてくれたんだ、良かった」と思われるだけだ、という気持ちがわいてきて、結局また北風モードになってしまう。
その後、期間を空けて2回ほど、この話題をだし、
「自分はセックスをしたい、もちろん体調とかに無理のない範囲で構わない」
と伝えたが、それでも
「する気になれない」
の一点張りであった。
そのくせ、
といったのに、向こうからこの話題を持ち出してくることはない。
だが、こちらのストレスは分かっているようなので、その事以外については、こちらに対して気を使って声を掛けてくる。
こちらも、
北風モードの時は「こっちはこんなに苦しんでるのに、何で気安く声掛けてるんだよ」と思ってしまったりする。(で、後で、そう思った自分にまた自己嫌悪になる)
ということで、ダラダラと書いたが、未だに心は落ち着かづ、北風と太陽が心の中をコロコロ変わり、正直自分のメンタルが怪しくなってきた。
現在は、あまり心が揺れないように太陽と北風の真ん中ぐらいになるように心がけている。
会話はするけど、大笑いしたり、積極的に弾ませたりもしない、淡々としている。(虚しさを感じるけど、なるべく自己嫌悪にならないようにしている。)
単純な性欲解消の話ではないので、「風俗とかで外注」で済む問題だと思ってないし、実際行く気にもなれない。
かといって、20年以上一緒に過ごしてきていて、離婚なども考えられない。
正直、セックスの不一致以外は特に不満もなく、むしろ自分には勿体ない奥さんだと思っている。
そんな奥さんを愛しているのに、思いが通じないため、逆に嫌いだと思う瞬間があるというのが本当につらい。
奥さんも更年期でつらいのかもしれない。それなのに、優しくなれない自分が情けない。
これから先もずっと、この不満を抱えたままで夫婦を続けるのかと思うと正直辛い。はぁ。
在宅勤務が増えて、顔を合わせる時間も増えただけに余計に。ちなみに、微熱以降別室で寝るのはそのまま続いている。
夫婦で仲良く食事したり、出かけたり、老後も一緒に旅行行ったりとか夢見てたけど、今は何も考えられない。
なんか泣きたい。
セックスレス夫婦で、双方が納得しているのは問題ないと思うが、そうでない夫婦はどうやって心の折り合いをつけ、どうやって乗り越えたのだろう。
PS.
吐き出したら少しはすっきりすると思ったが、全然すっきりしない(苦
あと、この前のガッキー&星野源の話があったので、翌日思い切ってハグをしてみた。それこそ1年ぶりぐらいに奥さんに触れた感じで、正直すごくドキドキした。
が、ただそれだけだった。
わたし:
相手:
3年前に付き合ってた元彼の知り合い
男にふられて自暴自棄になったタイミングと相手が恋人にふられたタイミングがちょうど同じだった。
一晩通話して、お互い一人ぼっちだからとりあえず孤独をごまかすために一緒にいてみようか(≠付き合う)という話になった。
その後ほぼほぼ毎晩寝落ち通話をして、1週間くらい過ぎたときに会うことになった。
ご飯を食べたあと相手の家に直行して、私から求めてセックスをした。
相手から私さえ気持ちよければいいという気持ちが伝わってきて、ああ私は相手から求められていないんだなと悲しくなった。
会ってもう数日したら相手が好きになってしまっていて、付き合ってほしいと伝えたら今のところ恋愛対象として見ていないと言われてしまった。
寝落ち通話をしては翌朝のんびり話したりして、相手が生活の一部になってしまっていて、この生活が相手の未来の恋人に奪われるのが怖くなってしまった。
それからも何度か好きだ、どうか私のことも好きになってほしいと伝えたけれども
恋人としてじゃないけれども好きではある、恋愛対象として見るには私のことを知ることが必要だとか
一緒に何らかの困難を乗り越える必要があるだとかでほんのり期待を持たされる断り方をされている。
先日相手が家に来たときスキンシップをとっても嫌がられないどころか頭をなでてもらったりした。幸せだった。
どうしてこれだけ近いところにいるのに付き合ってもらえないんだろう。
相手がつらいときは私に声をかけてくれるし、私も彼がつらいときは優先して話を聞いている。
正直付き合ったところで今の関係とどう変わるのかという思いもあるんだけれど、
やはり今の関係を相手の未来の恋人に奪われてしまうのが怖くて仕方がない。
すっぱり諦めさせてもらえるのならそれがいいとすら思う。
きっかけは母親が「空気を読む脳」を買ってきたことだった。以前からこの人の主張はおかしいと思っていて耐えられなくなりこの人の他の本も読み、言動についても調べた
酷い。矛盾だらけ、エビデンスにならない動物実験ソース、人を見た目で判断することは科学的に正しいという主張、本人の言っていることとも矛盾した倫理観。
彼女がいつも言う「日本人はセロトニントランスポーターが少ないから不安に駆られやすい」という理論、まずこれが怪しい。SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)について知っている人なら奇妙に感じるだろう。この薬は、セロトニントランスポーターの機能をあえて弱めることでシナプス中のセロトニン濃度を増やし不安を和らげる薬だとされている。つまり、彼女の理論とSSRIの作用機序についての理論は正反対なのだ。モノアミン仮説にもやや怪しい部分はあるが、正反対の解釈というのは流石におかしい。神経科学の専門家はどう思っているのだろうか。
「空気を読む脳」で日本人はサイコパシーの傾向が強い人が「どちらかといえば」少ないから内側前頭前皮質が発達していて倫理や美醜の観念に厳しくそれが変わりやすいのだと書いていた。当たり前だがサイコパスの人の数を正確に見積もるのは難しいのであってそういった数字は単なる誤差か診断基準の違いによるものである可能性の方がずっと高い。仮にサイコパスの人が少なかったとしても内側前頭前皮質が発達している人が多いことを意味するわけではない。サイコパスとは行動や心理をもってそう判断されるものであって実際に内側前頭前皮質の機能が弱いとは限らない。内側前頭前皮質の機能が強い人も弱い人も共に少ないということもあり得る。
ついでに「不倫」では日本人は保守的で変化を好まない民族だとも言っていた。それなのに倫理観が変わりやすいらしい。数年前には問題でなかったことが問題になるのは日本に限ったことではないし「日本人の脳」に原因を求めるのは無理がある。
「戦国武将の精神分析」では汚い手も使って勝った徳川家康が今でも日本人の理想のモデルとして存在しているとも宣っていた。日本人は美しい敗者を好むのではなかったのだろうか。美醜の観念が変わりやすいのではなかったか。
美醜の観念が変わりやすいのに何百年にも渡って義経のような「美しい敗者」が理想化されているらしい。
「不倫」でもこういった飛躍がある。たかだか寝かしつけの習慣があるからといって日本人はオキシトシン受容体が多いのだということにしていた。もちろん実際に日本人の脳を調べたわけではなし。スキンシップの総量が他の国と比べて多いか少ないかわからないのである。オキシトシンの多い人は不倫傾向が弱いとも書いていたが、日本人は不倫が多いという同著での主張とも矛盾する。(よくよく見ると厳密には比較不能な国際調査と国内調査を比較していたが)
更に、セロトニン神経細胞にはオキシトシン受容体が存在し、オキシトシンが増えるとセロトニンが増えるという事実は「日本人はセロトニンが少なく、オキシトシンが多い」というモデルとも上手くかみ合わない。彼女もこの矛盾に気付いているのか、週刊新潮 2020年12月17日号での佐藤優との対談でまだ発見されていない要因があるのかもしれないと言っていた。
更に中国や韓国の「反日」まで「セロトニンが少なく、オキシトシンに頼りがちな遺伝的特質」のせいにしているのには呆れを通り越して笑ってしまった。歴史上何度も革命を起こしている中国人もまた、保守的でリスクを好まない形質の持ち主らしい。
「サイコパス」でフロイトはトンデモだという声もあるほどだなどと書いていたが、リビドーや無意識という概念の代わりにセロトニンやオキシトシンや脳部位が万能の説明法として君臨するようになっただけで間違い方に大して違いはない。
この記事でも指摘されているように、彼女は不要な場合でもひたすら専門用語を使って話す。https://anond.hatelabo.jp/20150908145246そういう言葉を用いれば多くの人間は科学っぽく感じてしまうことをわかっているのだろう。
人間でもそうだという根拠にならない動物実験をたびたび引用して人間の話に繋げる。キツネ、マウス、プレーリーハタネズミ、サバクトビバッタと…
「脳・戦争・ナショナリズム 近代的人間観の超克」(嫌な部分が剥き出しで、是非お勧めしたい本だ!)で人間に何世代も飼いならされたキツネは容姿が変わってくることを挙げて人を見た目で判断するのは科学的に正しいのだという主張に持っていっていた。少し脱線するが「空気を読む脳」でもたかだか0.126の相関で「容姿と知能に関係がないとは言い切れない」などと書いていた。それだけの数値なら関係ないかあったとしてもごくわずかな関係しかないというべきだろう。
「戦国武将の精神分析」でマウスを取り上げて人間でテレゴニーが起こらないと証明されきったわけではないなどと立証責任を押し付けた。確かに人間にもマイクロキメリズムはあるがそれはテレゴニーとは違うものだ。それにしても不倫バッシングを批判する中野がヒト・テレゴニー説に対して好意的なのは面白い。
「不倫」でプレーリーハタネズミのAVPR1a遺伝子を操作すると生殖行動が変わり、AVPR1a遺伝子が人間とボノボで「ほぼ」同じだからといって人間も本来ボノボのように乱婚的だと示唆した。
そのわずかな違いが重要な違いである可能性はあるしAVPR1a遺伝子も実際は空間記憶能力に関わる遺伝子で空気記憶能力の高いプレーリーハタネズミは行動範囲が狭く単婚的になるというのが実際のようである。https://www.eurekalert.org/pub_releases_ml/2015-12/aaft-_4120715.php中野はかなり単純化・歪曲して解釈している。
「空気を読む脳」で書いていたサバクトビバッタに至ってはなんとセロトニンが多いバッタが集団志向になるのだそうだ。同著での主張とは真逆だ。
文藝春秋4月特別号の「脳科学者が小室圭を「分析」する 世間の常識はなぜあの母子には通じないのか」でゴールドウォーター・ルールに触れておきながら小池百合子やドナルド・トランプがサイコパスだなどと言っている。精神科医ですらない人間が直接の診察もなしであの人はサイコパスだなんだと言っているのである。
「ペルソナ」でセクハラを告発していたが、「脳・戦争・ナショナリズム」では以前なら当たり前だったことも「セクハラ」「パワハラ」にされてしまうなどと言い、今日かわいいねと言ったら今まではかわいくなかったってことだと思って泣いた子供を批判的に取り上げて世の中が過敏だというニュアンスを込めて論じていた。以前とは考えが変わったという見方もできようが最近でも「昔は乱婚だった、現在の倫理を相対化すべきだ」という主張を繰り返している。当たり前だがある倫理が新しいことはそれを否定する根拠にはならない。私は乱婚社会を悪だとは思わないが。
「ペルソナ」の話に戻ると、親と子の関係に他人が口を挟むなとも書いていた。虐待の温床となる態度である。旧式の価値観に従っていい子でいるくらいなら~などと宣っているが、旧式の価値観にしがみついているのは彼女自身である。
そして最後に「不倫」で書いていた、不倫は遺伝子によって決定されているのだからそれを断罪することは差別や優生学に繋がるという主張について批判しておこう。
別に不倫遺伝子とはあれば絶対に不倫するという因果律を支配する魔法のようなものではない。ある人はない人に比べてその確率が高くなるといった程度のものなのだ。もし殺人やレイプのような重犯罪についてもそのような遺伝子があれば殺人やレイプも断罪してはいけないことになってしまうだろう。不倫バッシングも遺伝子のせいだとすれば不倫バッシングを差別だ優生学だと断罪することもまた差別ということになり自己論駁に陥る。「あなたの脳のしつけ方」では後天的に脳を変えることもできるのだと書いていた。この頃はまだまともな内容を書いていた。
思うに、彼女の本がベストセラーになるのはこういった免罪的側面のせいなのだろう。そういった遺伝決定論に従えば不道徳な行動も遺伝のせいになり免罪される。世の理不尽なことも「脳や遺伝子のせい」とわかった気になれる。
橘玲の本のレビューにも「遺伝によって決まっているのだから学生時代あんなに頑張ることはなかった」とか「子育てするお母さんに読ませたい」というものを見た。遺伝率とは集団規模での決定係数のことであって個人のレベルでは親のIQから予想された数値より高かったり低かったりして当たり前でどのくらい予想された数値と違うかも個人によるのだが。
この記事におかしなところがあったら、具体的な反論をしてほしい。私も流石に脳や遺伝子についてそこまで詳しいわけではない。中野の本を読み、関連する内容を調べた程度なのだ。それでもこれだけ矛盾が見つかる。
追記:2021/5/8
https://next49.hatenadiary.jp/entry/20161220/1482228666
“2000年の論文で「この損害回避とセロトニントランスポーターのプロモーター領域の遺伝子多型との関連を支持する研究と支持しない研究が存在し,今後さらなる検討が必要である」とあり、2009年のメタ分析の論文で少なくともフィンランド人のサンプルにて不安遺伝子を持っているかどうかと損害回避性(harm avoidance)と神経症的傾向を持っているかどうか調べたところ関係があるという証拠はないという結果がでているのだから、セロトニントランスポーター遺伝子が少ないから損害回避的にふるまう傾向があり、そのため、「上位の人間に対して勇気を持って行動できる性質」が日本人にないというのは適切でない主張。”
https://www.ncnp.go.jp/nimh/pdf/kenkyu59.pdf
“さらに、この S/L 多型は、PET により測定される脳内 5-HTT 結合に影響しないこと、前述したように、5-HTTLPR の多型は S 型と L 型の 2 つではなく、14 種類のアリルからなり、それぞれの機能の異なる複雑な多型であることからS 型、L型の2分法での研究自体に疑問が生じているのが現状である ”
https://neurophys11.hatenablog.com/entry/2016/03/01/223747
”ざっとこんな趣旨の記事だが、先に書いたようにそんな気質そのものがたった1つの遺伝子で決まるものでは無いんである。このセロトニントランスポーターが気質を決めるというのは実は結構な前から沢山の論文が発表され、ある程度そう言える部分はありそうなのだが、それでもその決まる程度は極僅かで、決して「日本人気質」を作ってなどいない。
こういった「1つの遺伝子が性格を決めている」系の話は、すべて科学漫談として楽しんでおけばいい。特にセロトニントランスポーターが気質を決めるという話は良く出てくるが、そんなにすごい力コレだけにはないですよ。”
https://www.amed.go.jp/news/release_20160128.html
”SNPの品質管理などから、最終的に1088名について解析を行いました。その結果、BMP2遺伝子近傍のSNPとストレスフルライフイベントの相互作用が、統計学的に有意にうつ状態と関連することを見出しました(図2、図3)。そして、抗うつ薬の作用点であるセロトニントランスポーターなど、古くから知られる候補遺伝子には、有意な関連は認められませんでした。”
どうやらセロトニントランスポーターが「日本人らしさ」を決めているというのがトンデモだというのはまともな研究者ならすぐわかる話のようだ。中野信子はあまりにも本を流行らせ過ぎた。研究者はもっと積極的に反論するべきだろう。
時は来た。それだけだ。
全裸生活は健康に良い!ミニマリスト!マインドフルネス!ダイエット!みたいな文言があちこちに踊る。非常に怪しかった。
しかし結果として俺は5kg痩せ、身体の見た目もよくなり、姿勢も改善した。
部屋の中にちょっとした鏡を増やし、ふとした時に自分の体を意識することができるようにしたのも奏功したのかもしれない。
服装でのごまかしがなくなるので、自分の本来の姿を直視し続けられるようになる。
また、地味にすぐに体重を計れるというのも大きい。体重を計るときは服の差分をなくそうと「同じ服装」とか「いちいち服を脱いで計る」とか「お風呂前に」と工夫するが、全裸だとそんな工夫はいらない。ただ体重計に乗るだけだ。
「今のごはんでこれだけ増えるんだな」「小腹減った時はこんなもんなんだな」とすぐわかる。手軽さに勝るものなし。体重を毎日計るのに苦労していた昔の自分が嘘のようだ。
便意、即、排便
パンツマンですら成しえない圧倒的なスピード感に世の便秘マンは慄くだろう。
15秒でうんこは終わるのだ。つまり、スマホをもって入る必要がなくなり、スマホも綺麗に。
トイレ掃除も全裸なら「服が便器の水で汚れないように…」と気にする必要もない。終わったらシャワー入ればいいだけだ。
またお腹を締め付けないので便通が良くなった。
「トイレ行きたいけどベルト外してズボンおろして…ってめんどくさいから我慢…」ということもなくなった。
うんこした後にそのままソファとかに座るの?と抵抗がある人はいるだろう。
ふわふわのクッションの上にうんこ直後に座れるのか、疑問にも思うだろう。
だが問題はない。
便意、即、排便を体得すればすなわちうんこのキレが良くなっているということとなり、肛門は意外と清潔を保てる。
これは完全にイメージの問題なので、現実的にうんこがソファについちゃうということはない。
どうしても気になるという人は、おしゃれなブランケットを一枚用意すればいいだろう。
その一枚を外付けの服のように使う。
椅子に敷いたり、ソファに敷いたり、郵便配達の対応に体に巻き付けて出たり、夏は汗を拭いたり、体温調節に使う。
当然寒いので、身体を温める食事を意識的に採るとか、部屋の暖房をケチらないという方法をとる必要がある。
とはいえ、俺は「真冬の半そでアイス」な北国に住んでいるので、そもそも部屋の断熱性能が極めて高い。
なので夏を旨として作られた本州型住居では大変かもしれない。
全裸生活でかなり節約ができるので、浮いた部分をまずは暖房に回す、とした方がいいかもしれない。
汚れたら拭くし、汗かいても蒸れないからそんな臭わないので清潔を保てる。
毛が気になったらすぐ剃れる。
蒸れた下着と服に、臭いと菌とバクテリアを飼っている常人にはない清潔さがある。
着ようが着まいが毛は落ちる。
全裸で生活すると掃除に気が向くから、むしろ落ちている毛を発見する機会は減る。
そんな気になるなら剃ればいい。髭剃りの勢いで胸毛が逸れる。それが全裸。
あらゆる毛を剃ってみるのもいい。全裸なので服に当たってチクチクするということもない。
寝心地は変わるかもしれないが。
外出着のみ必要になるので、ちゃんとお金をかけていい服を着れる。
コンビニに行くのに服を着るのが面倒になるので、行かなくなる。
自炊の機会が多くなる。
これを楽しめる人には最適だろう。
全裸・オン・ズボンの生活だ。下着による蒸れもなくなり、むしろ清潔感は増す。
そもそも普段からズボン履かなくなるので、たまにズボンをはくと色々と迂闊になる。
その代表が、チャックの上げ忘れだ。
常人なら「あの…開いてますよ…」と耳打ちされて「あっ…」で済むが、全裸はそうはいかない。
全裸生活者はチャックが開いていると通報、逮捕、収監…人間の終わりが見えてくる。
そこで、ズボンのチャックは全て縫い付けて開かないようにしておく。
サイズがきつめの場合は、2/3くらいまでしか開かないようにしておく。トイレは座ってすればいい。おしっこした後はちゃんとトイレットペーパーで拭き取ればズボンは汚れない。
あとはお腹の冷えに注意して下痢を防ぎ、括約筋を締めて緊張感をもって姿勢よく歩く。一石二鳥である。
ズボンはこまめに洗う。たまの洗濯なんだからたいして辛いこともない。
よく考えたらたいしたデメリットにもならないな。
「生理の予感が来たら素直にパンツを履く。煩わしいがこればかりは仕方ない。
とのこと。
彼女も何も言わなくてもいいし、俺も気が楽だ。
油はねごときは大したことはない。耐えろ。という身も蓋もない結論にはなるが。
「体に油がはねて熱い」ということは、つまり「普段からそれだけの油を身体に浴びている」ということになる。今までは服が油を吸収してごまかされていただけだ。
身体に当たる分の油が、周辺にも飛び散っていることになる。
だから、料理中に油がはねて熱い、というのは「これ終わったらキッチン周りを軽く拭こう」という動機付けにもなるのだ。
全裸で料理するとキッチンが綺麗になるという現象が起きるわけだ。
全裸のキッチンを見る機会があれば見てみるといい。だいたい綺麗のはずだ。
炒め物はなるべくやめてオーブンで焼くとかすると、油も減らせる。
深い鍋を使えば油はねも軽減できる。
揚げ物は服を着ててもやらないんだから、別にどうということもない。
ならない。
とはいえ、これは個人差は大きそうだ。うちはそうだというだけ。
日常生活でスキンシップの頻度が上がるので、精神安定にもいい。
セックスしたいなぁというときは、おしゃれな下着を履いたり香水を付けたりする。全裸よりもセクシーになる。
それとキンタマが蒸れないので、精子が死ぬことがない。よって精力は上がる。
生産され過ぎて辛くなる時もあるが。
行く。
水でも飲めば収まる。そんなもんだ。慣れる。
身体のどの部位が動いているのか、収縮しているのかダイレクトにわかるので、トレーニング意識が高まる。
ちんちんやキンタマのポジショニングに最初は苦労するかもしれないが。
部屋にいる時でもネックレスやブレスレット、腕輪、アンクレット、トライバルな腰ひも、指輪を付けるようになる。
タトゥーにも興味が湧いてくる。
外出着は普通に着るが、全裸生活でアクセサリーの傾向が変わるので、人によってはオシャレの方向性は変わるかもしれない。
また、部屋で使うブランケットやシーツもこだわるようになり、シーツはサテン織りのものを使っている。
彼女は反物に目覚め、反物を中古で買ってきてそのままブランケットのように使っている。
めちゃくちゃ綺麗だ。
反物をそのまま巻き付けて着物のように見せる着装という方法が普通にあるらしく、それを勉強したりもしている。
タトゥーだとちょっと消せないのが辛いので、ボディペイントをやってみた。
これが面白い。
芳一はチンコにも書いてもらったってことになるが、意外と可能であるという結論に達した。
インスタやSNSに写真を上げる時、鏡面ステンレスに全裸が映り込む危険がある。
全裸になることにより、一番変化を実感したのが部屋の清潔さだ。
部屋が服のようなものなので、出来る限りきれいに保とうと意識が向く。
机を拭くくらいの気軽さで体も拭ける。
体が触れて不愉快な場所を作らなくなるので、整理整頓も上手くいく。
体感として、部屋に占める布の割合が半減するので臭いも籠りにくくなったように感じる。
コロナ禍では宅急便も「ドアのところに置いといてください」が通用するようになったので、全裸生活を始めるには最適の時代だろう。
始めろとは言わないが、始めてもいいかなという人はやってみてもいいと思う。
合わない人はいるだろうが、合う人には合う。
裸になろうぜ。
私が5歳になる頃には完全に家庭は崩壊していて、父には複数の愛人がいたし、母も家庭の外に恋人がいた。俗にいう仮面夫婦というやつである。そんな環境で暮らしているうちに、私は人が人を愛するということが分からなくなってしまい、何度か男性と交際をするもうっすらとした男性への嫌悪感から関係を進展させることができずに破局を繰り返し、気づけば大学を卒業。25歳になっていた。
この頃私は精神的に非常に不安定になっており、さらにコロナウイルスによる自粛・一人暮らしで自分の精神の安定を保てなくなっていた。そんな矢先に「話し相手が欲しいだけならこれをやれ」と勧められたのが、ヤリモクアプリと名高いTinderだった。不安定な時とは何にでもすがりたくなってしまうもので、23年ものの男嫌いのくせにまんまと登録してしまったのである。
数ラリー続けばセックスの打診が来てしまう猿の惑星であったが、そんな中にも普通にチャットができる相手はいるもので。ひとりの奇特な男性とたわいもない趣味の話をだらだらと続ける日々が続いた。
2週間ほどやりとりが続いたある日、Tinderをやめるのでラインを交換しようと彼から提案があった。自分のネットリテラシー的にはNGな提案だったのだが、彼とのやりとりができなくなる方が悲しいと思い、提案を承諾した。
それからも毎日何を食べたとか、今日はどこに行ったとか、そんな日常を報告し合うやりとりが続いた。
不思議なことに、これだけ今まで男性に対して不信感を持って接してきたというのに彼とのやりとりは嫌な感じを持つこともなく、むしろ返信が遅いと心配になってしまうくらいに自分にとって必要なものになっていた。顔も見たことがない、本当の名前も知らない相手に対して、人生で初めて人を好きという感覚を覚えていた。
ある日、電話で「あなたのことが好きだと思う」と伝えた。彼は「嬉しい」と言った。そして「自分のことを知ってほしいから顔を見せるよ」と言うので、「顔が悪くても好きだし、良ければもっと好きになってしまうから送らなくていい」と拒否したのだが、数分後に画像が送られてきて、そこで初めて彼の顔を見た。本名も知った。
それから数週間して、一世一代の決心で彼と初めて対面し、間も無く交際に発展した。過去の恋愛経験を聞かれた流れで、男性が苦手であることや好きな人と付き合うのは初めてで勝手がわからないこと、これまで男性経験もないことを伝えた。
彼はキスの仕方もわからない私を馬鹿にすることもなく、ゆっくりとスキンシップを教えてくれた。キスをすることが好きになった。
キスやハグと違って、体に触れられるのはかなり受け入れ難かった。胸を触られるのすら恥ずかしくて何度も拒んで、一晩かけて慣らされた。よくあんな面倒なことを根気強く続けてくれたと思う。
そうやって何度もチャレンジして初めて彼とセックスをした時、僅かな痛みと、びっくりするほどの幸福感があって、本当に素敵な人と出会えて、抱いてもらえてよかったなあと心の底から思った。暇つぶしで始めたことから、こんな出会いもあるものなのだなあとしみじみ感じた。
そこから1ヶ月ほどでまた二転三転この男性とは色々あったが、現在も交際は続いている。
交際経験が浅いために迷惑をかけることもあるけれど、それも彼はできうる限りで私を受け止めようとしてくれるので頭が上がらない。
自分が辛い思いをしたので、一生結婚はしないし、子供も作らないと決めていたけど、今は彼との子供が欲しいなあなんて考えたりもする。他人のことを愛してるなんて一生分からないと思っていたけど、彼に触れている時に感じる暖かさとか、彼のことを思い出すたびにこみ上げる愛しさとが、そういうの全部が愛なのかなと思う。
初めて投稿させてもらう。
世の中の既婚男性は、どのように処理をしているんだ?
下世話な話しだが真剣に悩んでる。
33歳 男 新婚
どれか1つでも教えてもらえないだろうか。
正直、自己処理で良いので、週に3回は安定して行いたい。
もしくは、セックス(orスキンシップ)を月一程度の頻度でコンスタントに行いたい。
結婚前はほぼ毎晩、自己処理していたんだが、結婚してからは週に1回でもできれば良い方になってしまった。
セックスをするには実家ということもあり何かと気を遣うため、新生活が始まって3ヶ月、まだ一度も手合わせしていない。
■周辺状況や頭の中など
2人でホテルに行っても良いが、自分の仕事の終わりが遅いため、なかなか機会を設けられないでいる。
財布は自分で管理しているものの、風俗やメンエスなど、今までそういったプロにお世話になったことが無く、
利用法や良い店の探し方が分からないためか、そこに飛び込むためのハードルが高くなってしまっている。
(スキンシップという意味で解消法の一つとして検討している。)
また、自分の処理の仕方が「足で挟んで刺激し、そのままパンツの中で果てる。」という特殊なものになってしまっているので、利用が難しいと思っている。
婚約前にはセフレがおり、月に一回はお泊りがあった。今はもう連絡先を知らない。
プロにお金を支払うのは良いが、パパ活のような買春はしたくない。
割り切った関係として、セフレを作るのも選択肢として入れてしまっているが、
マッチングアプリはサクラばかりだろうし、インスタなどのSNSで裏垢を作ったところで金を払おうとしない男に需要は無いと感じた。
(実際に裏垢を作り色々と探してみたが、お金の介在しない関係を構築できる気がしなかった。)
とはいえ別に一途でもなく、セフレが居た時期やワンナイトがそれなりにあった。
結婚前からもレス気味ではあるがお互いにしたい気持ちはあり、先日も子作りやセックスのタイミングについて話しをした。
っとまぁそんな感じ。
今までの処理ペースからのギャップに未だに慣れず、モンモンとしながら生活をしている。
何かを得ると何かを捨てないといけないんだろうけど、妥協点も無いのか。
知恵を貸して欲しい。
俺はもっと家事をしたい。家事労働はヒトを幸せにする。掃除や洗濯や修繕や調理を通じて、また、傾聴や会話やスキンシップを通じて、妻や子どもに尽くしたい。それこそがヒト(俺に限らない)の幸せに直結することだからだ。
ヒトは群れで生活する動物だ。他の構成員をケアし、食べ物を分け合って一緒に食べることに幸せを感じる。これは本能だ。また、ヒトは子育てする動物だ。同じ性質を持った他の生物と同様、子育てに喜びを感じるようにあらかじめプログラムされている。
ベンジャミン・フランクリン効果(助けた相手のことを好きになるという認知的不協和)も無視できない。手がかかる子ほどかわいい、という結果は、手をかけたという事実が生むものだ。家族に尽くせばつくするほど、家族への愛着は深まる。
幸せというのは、受け取った愛情で決まるのではなく、与えた愛情で決まる。愛されているから幸福なのではなく、愛しているから、愛を表現しているから幸福なのだ。実際に手をかけて、家事をし、話をし、食卓を囲むことで、そのように愛情を行動に移した者の幸福度が上がる。家事はその担い手を幸福にする。
しかし現実、俺の家事負担は小さい。週にわずか6回、土曜の昼食から月曜の朝食の調理(買い出しと後片付けを含む)を担当しているのと、家や家財や車や自転車などの修繕全般を担当しているほかはすべて手伝い程度で、家事らしい家事は何も担当できていない。俺が長時間の賃労働に縛り付けられているためだ。
家事だけではない。育児も限定的だ。子どもの世話をしたり、子どもとともに食卓を囲んだり、さまざまな話をしたり、勉強や料理やスポーツを教えたり、宿題を手伝ったりといった、育児にかかわる時間の大半を賃労働に奪われている。これもまた、俺のヒトとしての幸福を大いに損なっている。
本邦の男女には世界一の幸福度格差(女性の幸福度が高く男性のそれは低い)がある。これを男性の視点で説明するなら、賃労働負担の大きさと、家事参加の少なさという両面が原因だ。とりわけ家事の少なさは重大だ。我が国の男性は世界一家事をしない。多くの男性は幸せを賃労働に奪われているのだ。
我が家も結婚当初は、夫婦両方がフルタイムで働きつつ、平等に家事を分担し、夫婦の両方が幸福を感じていた。だが子どもができて夫婦で話し合った結果、俺がフルタイム労働でさらに残業を増やして家計を支える中心となり、妻はパートタイム労働の兼業主婦になることにした。
俺がパート主夫になる案も真剣に検討したものの、却下せざるを得なかった。理由は、当時30代前半だった俺が昼間にパートまたは時短で働けて、家から近い職場がないことだった。ジェンダー不平等を実感したのはこのときだ。オッサンが兼業主夫になるのは非常に難しい。
結果、俺は大半の家事を妻に任せ、ごく一部しか担当できなくなってしまった。うちの場合、家事全般について妻より俺のほうが得意である(あくまで自己評価だが)にもかかわらず、だ。逆に、賃労働の能力は俺よりも妻の方が高い(と俺は思う)にもかかわらず、彼女はフルタイムの労働を失った。
俺は、この国のジェンダー不平等を恨んでいる。俺を賃労働に縛り付け、家事や子育て(つまり俺の幸福)を奪ったからだ。
また、ほどよく分担できていれば、家事労働はそれをする者を幸福にする。だが、過分に割り当てられてしまえばそうも言えない。俺の妻はそれほど家事全般が得意でないにもかかわらず大半の家事を負担しており、せっかくの家事労働の多くが単なる面倒なタスクになりがちだ。これは幸せなことではない。
ジェンダー・ギャップ、幸福度格差、不公平な家事負担、結果としての男女の賃金格差などはすべて、要するに労働問題だ。男女で賃労働と家事を公平に担当しにくい現行制度に原因がある。なので以下のようなことを強力に推進すれば、諸問題はすべて(少なくとも我が家が抱えているものはすべて)解決する。
俺は「意識のアップデート」だの「意識改革」だのというものには期待していない。そんなものに期待していたら、ジェンダー・ギャップは永遠に解消しない。なぜならジェンダー・ギャップは、制度的な介入をせずに放置していれば自然に拡大していく性質を持っているからだ。
これは良い悪いの話ではない。生物としての自然な本能と、適応の結果に過ぎない。
まず女性の上昇婚志向がある。これは世界中のどんな社会にもあるものだそうなので、生物としての本能と言える。より多くの資源を獲得する能力を持つオスに魅力を感じることは、生物としてまったく自然だ。そして、ヒトのオスがそれに適応しようとするのもまた本能であり、生物としてまったく自然なことだ。
ただし社会全体でこの本能に適応すればするほど、ジェンダー・ギャップは拡大する。女性の上昇婚志向に適応した男性たちは、すべての資源を男性たちだけで独占し、資源へのアクセス権を女性から剥奪する。前世紀まで、まさにそのような社会が世界中で構築された。
このようにヒトの本能はジェンダー・ギャップを拡大し固定化する方向に作用するため、ジェンダー平等が自然に実現することはない。相手は無意識下の本能だ。意識改革では解決できない。制度改革でしか実現できないものだ。
現実的な解は、強制的なクオータ制の導入だ。繰り返すが、意識で本能は変えられない。だから制度を変えるのだ。クオータ制は、結果平等の観点で厳格なものであればあるほどよい。
政治家や企業役員はもちろん、あらゆる職種で男女比が1:1なるように枠を設け、罰則付きで厳格に運用する。外科医も、看護師も、消防士も、保育士も、研究者も、レジ係も、漁師も、助産師も、土木作業員も、歯科衛生士も、自衛官も、すべて男女同数にする。当然、仕事内容も拘束時間も賃金も男女平等にする。
当初は各職業における職能水準の低下が問題になるだろう。しかしそんなものは、ほんの20年か30年もすれば解消される。学齢期や新卒時を見ればわかるとおり、平均的な女性の能力は平均的な男性のそれを上回っている。クオータ制の導入で一時的に起きる職能水準の低下の問題は、ほどなく時間が解決するだろう。
賃労働も家事労働も、男女がどちらか一方に押しつけることなく、平等に負担し合う。夫婦のそれぞれが週に20〜30時間ほどずつ賃労働を負担し、あとの時間で生物として家族としての幸せを追求できる世の中になるのが理想だ。
こうなるともはや、主婦(主夫)という概念は崩壊だ。だがそんな概念は産業革命以降にでっち上げられたもので、男性を賃労働で使い倒すための便利な、そして非人道的なジェンダー・ロールだ。こんなものは徹底的に破壊し、すべてのヒトがヒトとしての幸福を追求できる社会を目指したい。
最後にもう一度強調しておく。家事労働を制限されることは、幸福を制限されているに等しい。より多くの賃労働を負担している者は、幸福度において劣後する。
しかし、現行の制度の中で各家庭が個別に部分最適化を進めれば、多くの家庭では、夫は賃労働の奴隷、妻は兼業主婦、という形をとることになる。これは不幸なことであり、制度そのものを改めるべきである。そして、ここまで述べてきた制度改革の過半は、すでにアイスランドなど北欧諸国において実施されている。
母親は布団叩きでぶつか、ベランダに閉め出すか、いないように振る舞う人だった。
言葉を交わしたことはほとんどなかったと思う。コミュニケーションを取ったのは家を出て何年か経ったあとだ。
母親は私に触られるのを嫌がっていた。体温が気持ち悪いと言った。触るときはぶつときで、それはとても痛い。
死なせず育てただけで上出来な人だ。
たまに、私がベランダでも廊下でもなく、同じ布団で寝たときに嗅いだ母親の匂いが好きだった。
虐待されていたことを知らなかった。今では知っているけれど、それでも恋しいと思う。
当時の母親の体臭と今の私の体臭はとても似ている。血の繋がった人間は同じ匂いがする。
最初はたぶん幼稚園の時で、触られて写真を撮られた。相手のことも触らされたのを覚えている。
成長してからは写真はないけれど、最後までやられたことがあった。行きずりの人、先生。治安の悪い地域に住んでいて、私は無防備だったと思う。
母親と違ってぶつことはなく、関心をもってくれていて、スキンシップは心地いい。
レイプする人間はぜんぶ同じで、背中に恐れの匂いを背負っている。誰かに見つかるのを恐れている。私のことは恐れていないようなので安心していたし、相手の怯えをなだめなければと思った。
性教育で習うレイプの悲惨さとは全然違って誰にも言う必要性を感じなかった。
触られるのが嬉しかった。
私アセクシャルって断言するほどではないが恋愛欲求性的欲求がめちゃ薄い女だから誰とも恋愛関係に発展する可能性がほぼなく、キモい男にもイケメンにもほぼ同じ態度で接してるわけね セクハラ発言もスキンシップも特に何の感情もなくその程度によって適当に受けたり流したりしてるのよ興味がないからね ガチで臭いレベルで不潔とか性格悪いとかのやつは例外だけどね 男も女も
別に思わせぶりな態度をとっているというわけではなくどちらかというと同性同士のノリに近いかな その先に恋愛セックスはないので無駄に期待させても申し訳ないからライン越えられそうなことは拒否してるし適切なタイミングがあればそういう目で見てないし見ないと言ったりしてる
でもキモい男はね、それでも勘違いして言い寄ってくる率がめちゃくちゃ高いんですよ… ハッキリと絶対に恋愛対象として見れませんってふっても「まあ…おいおいね笑」とか平気で言ってくるしまだ馴れ馴れしくスキンシップしようとしてきたりする
生理的嫌悪感とかはそんなにないんだけど恋愛は絶対無理なのでそうされるとこちらとしては強硬手段でガン無視したり冷たい態度とったりせざるを得なくなるんですねわかってもらうために 別に傷付けたい訳じゃないんだけど 全然引き下がってくれないから
何が言いたいかというと似た感じのプロセスで結果女から冷たくされているキモい男も多いんじゃないかなって
引き下がるべきところでは引き下がる それだけで表面上はそこそこ優しくされるのも可能だったりするんじゃないの?
まあでもキモい男にとっては普通の男と同等に人間扱いされること自体が特別だから舞い上がって勘違いして必死になっちゃうみたいなところもあるのかな
1.抑制されるべき性欲(刑法犯になるのはどれからか?というと、こたえはストーキング防止法によりレベル1から刑法犯になり得るのである)
2.所有欲(相手の愛情を他人にあたえたくない独占欲だけであってセックスでつなぎとめたいためにセックスを頻繁に相手にねだるが、もともと本人としてはラインなどで四六時中注意をひきつけておければ満足なのである。めんへらちゃんに強く出がち)
3.繁殖欲(性欲レベル1~3が満たされなくても不妊治療(人工授精)をしてでもとにかく自分のこどもがほしい)
4.ホルモン周期とかちょいエロい恋愛もの作品やアイドルなどの脳内摂取により股間がむずむずする純粋な意味での性欲(「ムラっとする」的な。レベル1~3がみたされなくても大人の通販ショップで一本4000円ほどのおもちゃを買えばとりあえず満足できる人もいる)(年齢要素や生育状況などで生育可能年齢になってもこれが出現しない人もいるし、性的多様性はみとめるべき)
5.冷え性もあって冬は人肌がいい、抱っこされたい(これが元増田のいう「かわいい」とかレベル1~3に一番近いと思われるが実は親子のスキンシップ由来なのである)
そして年齢によっては子供がうまれたあとはたいてい子供の前とかで子供以外とスキンシップしてると子供がすねるのでブレーキ役にならざるを得ないのだぞ
4か5だけにしてもどこからが性欲?はこっちが聞きたいよな
男の一部はムラッとかわいいが脳内で全く同じものとして存在することが前提で話をすすめようとするんだがおかしくないかそれは
元増田と同じくアラサーです。僕、妻、子どもの3人暮らしです。
どちらを選んでも大して変わらないことについて相談してくる
→どっちでもいいよと言うと、俺に決めろと言ってくる
→じゃあAにする、と俺が決めたのに、「でもAは〜」と後から文句を言う
→じゃあBでもいいよ、と言うと「でもBは〜」と言ってくる
・お金の管理はする。しかし、節税や資産運用は説明しても頑なにしたがらない。
iDeCoやNISAはもとより、ふるさと納税すらよく分からないから怖い、と言ってやらない。
・体調が悪いアピールがすごい。毎日どこかしらの不調を訴え、生返事をすると機嫌が悪くなり、しまいには泣き出す。
またストレス耐性が異常に低く、ちょっとしたトラブルでイライラし、しまいには泣き出す。
とにかく自分だけが大変、自分だけが可哀想と思っているフシがある。
・セックスしようとすると、眠いから、子供が起きるからと言って拒む。
そのくせ、スキンシップは過剰に求めてくる。
『「おんぶ」をせがむ小・中学生たち 生育環境で得られなかった「愛」を求めて』
https://news.yahoo.co.jp/articles/dea52ebc67a24556657f9ef4bf1c175d7c8ee8b1
こんな記事があったけど、これって正直かなり危ういと思うんだよね。
親とのスキンシップの機会がなかった子供が塾の講師の男子大生にスキンシップを求めてるんではないかって記事。
男子大生の方に変なつもりが無いとしても、大人が子供に触れる事は常に性的虐待の疑惑を呼ぶ。
女の子だけ禁止して男の子限定にすればマシなのかもしれないけれど、それだってかなり危うい。
ある男性が公園で34歳男性が10歳の女の子に挨拶をするという話を例に出してて
知らない大人が子供に声をかけるなんて有り得ない、許せない、と物凄く叩かれていたけれど、個人的にはそこまで問題か?って思った。
自分としては子供の頃に親戚のおじさん、近所のおじさんに普通に声をかけられたり接触したりしてたけど、特に嫌な思いをした記憶はない。
公園で遊んでいて知らないおじさんから声をかけられる程度の事だって普通にあったし、楽しく遊んだ事もあっておかしいとは思わなかった。
まあそれだって単に自分の運がよかっただけであって、ロリコン変質者の犠牲になった子供だって多くいたんだろう。
リスクを避けるためには子供に多少寂しい思いをさせてもしょうがないし、親以外の大人が子供と関わるのは一切禁止した方が合理的なんだとは思う。
仕事として子供に関わるとしても、スキンシップやプライベートな話は禁止した方がいい。
塾講師にしろ保育士にしろ小学校教師にしろただの仕事だ、仕事はあくまでビジネスとして行うべきであり、一線を越えるべきではない。
そして現代日本においては親子関係であっても血縁至上主義で養子は度外視するような風潮が高まってきているから
実の親とのスキンシップに恵まれなかった子供は一生寂しい思いを抱えて生きろ、大人になったら有料のサービスでも受けて我慢しろ、そういうものだから仕方ないって事なんだろう。
最初に言っておく。俺は「花束みたいな恋をした」が大好きだし、元カノのことも嫌いとは思ってない。大筋は実話だが、バレ対策で所々の事実は曲げてる。この文に厳密に該当する個人は多分いないが、20代の童貞のノンフィクションだと思ってくれて問題ない。
タイトル通り。「はな恋」を見て俺が思い出した元カノは、「はな恋」を見ても元カレ(=俺)とのことなんか全然思い出さなかったらしい、という話だ。
当たり前やろと思った人、盛大な独り相撲が好きなら読んでくれ。
どこかにショックを受けた人、その幻想をぶち殺しにきたから読んでくれ。
はな恋の中身の話もするから未見勢は早く観に行け。行って情緒に九頭龍閃されてこい。
まずは思い出話。
高3のとき、親密ってほどでもないけど話すと楽しいクラスメイトの女子がいた。傾向は違うにせよお互い二次元のオタクだったし、かといって自分の世界に閉じこもり続ける訳でもない、それなりに真面目でそれなりに社会性があってそれなりにリア充を僻んでいるタイプだった。派手に迫害される訳でもなく、かといって異性にチヤホヤされる容姿でもないし浮いた話もない、そういうバランスの男女。たまに話が弾むうちに、お互いにちょっとくらい好感情が出るのは、ヘテロの若者だったら自然だろう。
とはいえ高3だ。少なくとも都会ではない立地の(自称)進学校で、大学が近くなる奴はまあまあレアだ。少なくとも俺は「最後だし気になる人には告白しよう」って思えるほど自己肯定感が高い高校生じゃなかった、遠距離の面倒くささを押しつけるのは気が引けるんだよ。だから例の彼女とも、別の大学行ってそれっきりなんだろうと思ってた。
幸運なことに、あるいは不運なことに。俺も彼女も、違う専攻ながら志望校が一緒なのが分かってきた。一般試験を前提に難関(扱いの大学)に挑む勉強ガチ勢どうし、「一緒に受かろうね」という共闘意識はすぐに共有できた。
共闘意識に加えて。「珍しく気の合う馴染みの女子(男子)が」「同じ大学にいるなら」「お付き合いもできるのでは」という妄想だって始まってた。多分、彼女もそうだった。
娯楽も限られ、空気の閉塞してくる受験期。これだけ利害の一致する人間がいたら頼りたくなる。教室やら予備校やらで顔を合わせる中で、少しずつ距離は近くなっていった。並んで歩いた、肩が触れた、バーガー店に寄り道した、ハイタッチした。ギリギリ友達の範疇の、しかし交わす異性なんていなかった、そんなスキンシップがひたすらに幸福だった。リア充が高校のうちにベッドインまで済ませている傍ら、ちょっと手が触れ合ったくらいで舞い上がるような高校生だった(今さらだが男子校勢には謝っておく)
そうやって、言葉にはしないまま意識だけが積み重なって臨んだ試験で、めでたく二人とも合格した。地方の自称進学校で、ちょっとした快挙になるような大学だった。引っ越しの手続きが落ち着いて、二人で祝勝会カラオケをして(君じゃなきゃダメな健全ロボがレスキュー!したのはうさぎですか?)、そのときに彼女から交際を申し込まれた。告白が叶った女の子が泣くんだって知った。
親も応援してくれた難関大にカップルで進む、進研ゼミもかくやという出来すぎた滑り出しで。お互いの好きなことは邪魔しないようにという(主に彼女の)方針だったから、サークルやバイト優先で、一緒に過ごすことはそんなに多くなかった。それでも連絡は頻繁に取り合っていたし、相手が歩く新しい世界の話は純粋に好きだった。たまにファミレスで喋って、帰り道にキスするくらいで十分だった……俺がセッしたかったのは確かだったが、彼女からその手の話をされることがなかったぶん、踏み込みづらかった。まだ未成年だし、付き合いが長くなればそのうち、くらいの気分だった。自分を好きでいてくれる女の子が近くにいる、それで十分だった。
そんな距離のまま後期になって、学業もサークルも忙しくなってきた。お互いに真面目に取り組みたいのは分かっていたから、彼女からの連絡が少しずつ減るのも気にならなかった。
試験期間が終わって、久しぶりに遊びにいって。そこで「別れたい」と言われた。納得もできないまま地獄に落とされて、それでも受け容れるしかなかった。水泳のときはプールの中で海パンを脱がされるような日常だった小学校の頃以来、久しぶりに自死を考えかけたりもしたが、そんな気持ちまで彼女にぶつけるのはどう考えても間違いだったし(H誌のI田の件は絶許)、何とか立ち直った。カルチャーでつながった相手に振られてもカルチャーで立ち直ったオタクだ。気分転換の得意なフレンズなんだね。
あんまりな別れ方をした直後は絶縁状態だったが、数ヶ月もすれば傷も癒え、少しずつ彼女との交流も戻ってきた。そのときは明言していなかったが、サークルの先輩に心変わりしたのが大きな理由だったらしいし、今ではその彼と良好な関係が続いているという。俺自身、無害な友人としてはともかく、性愛の対象としては魅力に乏しいと自覚してるし、そのくせ意識的にビジュアルを磨こうとも思っていなかったから、他の男に負けるのも無理はないと考えられるくらいになった。以前ほど親密ではないし直に会うことはなくなったが、たまには最近の推しコンテンツを布教しあうような関係になったし、それが結構な打率だった(というか言われる前から気になってる率が高い)ものだから、シンプルにオタ友として付き合えるようになった。何より、秘密を共有する相手というのは大きい。
俺は俺で、学年が上がるにつれて人間関係にリソースを割けなくなってきたし(だから新しい相手もいないまま)、あそこで別れなくてもいずれ、という予感を抱くことも多かった。何より、その先が破局であったとしても、彼女との思い出には励まされてきたのだ。ひとときでも誰かに愛された記憶は尊い、続かなくても間違いじゃなかった、違う道に幸あれ。本気でそう思えていた。別れたときに言えなかった「楽しかったね」だって、もう皮肉なしに言えたのだ。
という風な経験を踏まえると。
「はな恋」がビシャビシャに刺さる人だな、というのは察してもらえると思う。
絹と麦が惹かれあっていく様子は高3の淡さを思い出した。初対面で作家の話ができるの最高だし、「電車に揺られる」と言っていたら気になる。
同棲中の過ごし方は進学当初に描いていた理想そのものだった。同じ本で泣いたのは知っていたから、今度は一緒に読みたかった。
環境が変わると内面が変わるのを誠実に描いてくれたのも良かった。別れてからだって心は通じ合う、そんな関係性に自分たちもなれたと思っていた。
「はな恋」のキャッチコピーにまんまと乗せられた、これは俺たちの映画だ――という直感を抱いた頃、彼女も観る予定だとリア垢TLで見かけた。ただでさえコロナで人と会えない今、久しぶりに喋りたくなって、通話での感想戦を取り付けた。
期待通り、映画の話は大いに盛り上がった、それはそれでちゃんと楽しかった。それは良いんだ。
ただ、何を感じたか――というより「自分の経験のどこに響いたか」は正反対だった。
あらゆるシーンが彼女との思い出に接続されたと、缶ビールを片手に俺が語るのを聞きながら、彼女は段々と歯切れが悪くなっていた。顔は見えなかったが、多分げんなりしていたんだろう。
やはり今が優先されるのが当然か、彼女が主に考えていたのは今カレとの馴れ初めや前途だったらしい。それは分かる。社会人なりたてとして当然。
そこからが致命打だった。「君のことも思い出したけど、それは趣味が合う人がいる楽しさであって」「君と付き合っていた頃のことなんて全然思い出さなかった」「4年も経つのに君に思い出されて、ちょっとビックリしてる」
つまりは、4年以上も前の恋人期を鮮明に思い出している俺に戸惑っていた。そんな言い方はしなかったが、完全に引いていた。
俺から復縁を申し出たことは一回もないし、知らないなりに彼女と今カレの関係は(少なくとも言葉上では)祝福している。よりを戻せるだなんて全く期待していない。君の運命の人は僕じゃない、否めないというか今さら否定する元気もない。
それでも。どうやら俺は、終わった恋に甘えすぎていた。彼女が「思い出」のフォルダに整理した体験を、ずっと大事に抱えたまま、昨日のように覚えたままでいる。
新しい恋人が出来たからだとか、そもそも男女で思い出し方が違いやすいとか、そういう話も分かる。それでも俺は、かつての恋人の中で自分がどれだけ小さくなっているかを示されたのが相当にショックだったのだ。それだけ小さくできる存在が俺だ、そのことに今さら傷ついているのだ。
また好きになれとか、振ったことを後悔しろとかじゃない。こんな映画を観たときに思い出してくれる、そんな存在ではいたかった。絹と麦に憧れたのは、あれだけ幸せな現在を過ごしていたから以上に、幸せな過去を大切にできているからだ。パンフレットの一枚目のフレーズに号泣したの、俺だけじゃないだろ。
薄桜鬼もヘタリアも黒バスも、見かけるたびに彼女が話していたことを思い出す。SAOもゆるゆりも麻枝准も、彼女は多分もう気にしていない。
ラジオの映画評で宇多丸さんが言っていた、「別れた後でも、その思い出がある人生は素晴らしい」ことを描く映画じゃないかと。俺自身がそうだった、それを確かめさせてくれる映画だった。柔肌の熱き血潮は夢のまた夢、それでも、そんなに寂しい訳じゃなかった。あの頃に積み重なった初めての温もりは、どれだけ経っても心を温めてくれていた。そんな粘着質な感情なんて誰にも言えない、言えないけれど。彼女だってそうだったと信じていたのだ。別れたとはいえあんなに分かり合えていた。別れた後も上手く折り合いがついた、それはあの頃への愛着があるからだと思い込んでいた。
あんな未来が待っていた、それは一方通行の夢だ。ずっと知っている。
あんな日々もまだ温かい、それも一方通行の夢だ。知りたくなかった。
それでも好きになってくれた自分が誇らしい、そんな幻想だって、確かに明日への糧になっていたのだ。いつかそう思ってくれる人が現れる、それまでちゃんと生きようと自分に言い聞かせていた、それだって幻想だといよいよ痛感した。
とはいえ。精神に多大なダメージを食らったとはいえ。モラトリアムから目を覚ますには良い機会でもあったのだ。「自然な」出会いなんか一生来ない、やるならちゃんと金をかけてシステム使ってやるしかないし、ひとりで生きてく覚悟を決めたっていい。いずれにせよ、あの頃みたいな出会いなんて一生ない。少なくとも「俺には」ない。
色褪せてきたことに気づかず、花瓶に飾ったままにしていた花束を。そろそろ片付ける頃合だろう。
「今回の件からお前が得るべき教訓は」別れた後の恋人に思い出話なんて、大抵の場合はするもんじゃない。胸の奥の花束は、陽に晒したときには枯れていく。
別れた後も思い出話に花が咲く人がいたら、それはそれで尊敬も応援もする。けど、俺は違った。
かつて恋仲だった俺たちへ別れを告げる、いい機会だった。嫌いにならないまま、後悔まではしないまま、背を向けて手を振ろう。数年の時差はあったが、麦と絹の再演だ。
……ということを書きながら、段々と思いはじめたんだが。
「秒速5センチメートル」を作ったときの新海さん、こんな気分だったんじゃないだろうか。ポスト宮崎駿というか終身名誉レぺセン童貞の誠くん、さっき「はな恋」も観たらしい誠くん、大丈夫? 話聞くよ?
どうしてこんなにセックスしたくないんだろう。あまりのしたくなさに放っておくと1ヶ月くらいしなくてもいい(いや一切しなくてもいい、1ヶ月は旦那の我慢の限度)ので誘ってくるのはいつも旦那だった。そういう月に1-2回の頻度を続けていたら、過去に旦那が限界を迎えて、週に1度くらいはしてほしい(それでも自分にとっては毎日したいくらいで少ないほう)と言われた。
で、週1ペースでしようとなったが、私の心が死んだ。週1でできなかった月は回数が減ったと言われ、じゃあ週1で…と頑張るの繰り返しで本気で無理になっていった。正確にいうと、こんなに嫌なことを私に強要してくる旦那が嫌いという方向に感情がシフトしていった。結果、生活のパートナーとしての旦那は好きだし1人の人間としても好きだけど、恋人としては好きじゃないと断言できる。というか恋人として好きってなんだ?キスもセックスもしなくても私はいいんだが…
そうして最近、旦那に愛情はあるけど、セックスをしなくてはいけないくらいなら離婚したいとなっている。1人でも気楽だし、楽しいし、子ども欲しいともあまり思わないし。
そういう気持ちでモチベ-100000の状態でしていたら流石にもうちょっと頑張れと旦那に言われて、自分はもうこれ以上無理だ、どんどんあなたのことが嫌いになるから離婚しようと言ってしまった。
旦那の気持ちは理解する。たしかに夫婦はセックス=コミュニケーションであり、愛情表現であり、セックスしないと愛を感じられないという主張は最もだ。それが普通の感覚なんだろう。そういう普通な人がセックスしたくない私と夫婦を続けるのはかわいそうだから別れたほうがいい、と言ったらそれは違うらしい。別れるのは絶対に嫌らしい。旦那は私にセックスを好きになるように頑張って欲しいらしい。私はセックスをすればするほど嫌いになっていって今なんだが…
もともと男らしい男があまり好きではなく、旦那は気が弱くて優しい男なこともあって好きになった。他の人とはしたことない。(し、旦那もしたことないらしい。私と別れたらもう結婚できる気がしないらしい)昔はここまでセックス嫌いじゃなかったはずなんだけど、今となっては男のパートナーはもういらんという気持ちにすらなっている。まあ男でも女でも性欲に差がある相手だと変わらず嫌になりそうな気はする。
何で結婚したんだって思うよな。まあ、一緒にいたかったからなんだけど、セックスはしたくないんだよなあ…
うーん、ともかくそういう状態で私にとったら八方塞がりなのだが、何かいい解決策がないだろうか。こんなことどこで聞いたらいいのかわからなくて…増田に書くの変だったらごめん。
---
ひさびさに見たら反応もらえてて参考になる。こういう話題って言及しづらいだろうと思ってたので、全然スルーされるかと思ってたわ。
書いてて思ったけど、多分夫婦のセックスってスキンシップ(愛情)の問題と性欲解消の問題があって、前者は自分しか出来ないから足りないならなんかするしかないし、後者は外注できるんだよね。その辺がヒントになるかもしれないなあ…と思いながらもっぺん旦那と話してみるよ。ありがとう。
理想のタイプではあるのだけど、性欲だけは本当に昔から合わないんだよね…。 ブコメでも言われてるけど、じゃあなんで結婚したの?って言い始めると、そんな全部一致する人いないんじゃないかなって思う。気性とか金銭感覚とか清潔感とか同じ話だよね、後々変わってきたりもするし…既婚者はこういうの悩みながら、すり合わせながら一緒に暮らしてるもんだと思っているけど、どうなんだろう。
とはいえこのへんの根本的な価値観、すり合わせ難しいんだよな…
「別れないのなら一生セックスをしない」「セックスをしたいのなら別れる」
ありがとう、貴方も悩んでる(悩んでた?)人なのかな。同じ立場の人と話したことないから、夫婦なのにセックスしたくない自分が頑張らなきゃいけないかなって思ってたし、優しいコメント書いてくれてちょっと気が楽になった。
旦那は別れたくないって気持ちの方が強いみたいだから、なんとか妥協点を探るしかなさそうなんだけど、無理しないラインで探してみるよ…。
これはハッとした。確かに、時間や環境で変わるもんなあ。とはいえ、発散したいのが性欲だけなら外注でもいいんだけど、スキンシップの一貫として考えるとパートナーじゃなきゃ意味がなかったりして、悩ましい。(と、旦那は言っていた)
私がシワシワブヨブヨになったら若い女とじゃなきゃヤレないとなるんだろうか…それはそれで都合がいいのだけど…
昔は自分もセックスしたいと思えてたのか、旦那の期待に答えるために昔は頑張れてたけど無理に重なって耐えられなくなってきたか、
自分でもアセクシャル的なやつなのかな?って思ったことはあるんだけど、どの程度だったらアセクシャルって言うのかわかんないんだよね。昔は自慰とかはしてたけど、セックスは別にしたいと思わないんだな。逆に普通の人ってどれくらいセックスしたいもんなの?
付き合い初めの頃は物珍しかったし恋してたし、ちょっとは前向きにやってたんだよね。それでも自分からしたいと思って誘ったことはほとんど記憶にないかな…ずっと抱き合って寝るだけで全然幸せって思って生きてきたし、そう伝えてはいたんだ。男と女は違うからって言われて、そういうもんか…と思って悩みながら生きてきたけど、最近また衝突しちゃったなー。
たしかに、もともとそういう欲がないし頑張っても厳しいというのはわかってもらえてないかもしれないな。もうちょっと伝えてみる、ありがとう。
離婚したい
無限セックスレス編に突入しているのと、自分の家事負担が大きいのと、その他日常生活の諸々で夫への愛情が薄れてきた。
夫は外見も好みだし、気が合うし、一緒にいて楽なので好感は持っているし、同居人としては結構いい人選なのだとは思う。
子供はいつか欲しいと思ってたけど、セックス拒否されてるし、そんな中私の方も夫への愛情がなくなってきている状態でセックスするのも辛いし、難しそう。
かといって、離婚したとして、自分のスペック(年齢その他)で夫と同等かそれ以上に好ましい相手と結婚することは絶望的だろうな。
きっと今後も同居人としては良い夫と、なんとなく平和に暮らしていくのかな。独り身より、頼れる人がいたほうがいいし。
しょうがないけど、どうしても異性として愛情を感じて夫と暮らしたい、という望みを持ってしまって気持ちの整理がつかない。
こういう人は離婚してるのか、あるいはあきらめて生活してるのか。あきらめた場合はどう感情に折り合いをつけているのか聞きたいですね〜。