2021-04-07

男女の幸福度格差の正体と、それを解消する方法

俺はもっと家事をしたい。家事労働はヒトを幸せにする。掃除洗濯や修繕や調理を通じて、また、傾聴や会話やスキンシップを通じて、妻や子どもに尽くしたい。それこそがヒト(俺に限らない)の幸せに直結することだからだ。

幸福は「与えた」愛情で決まる

ヒトは群れで生活する動物だ。他の構成員ケアし、食べ物を分け合って一緒に食べることに幸せを感じる。これは本能だ。また、ヒトは子育てする動物だ。同じ性質を持った他の生物と同様、子育てに喜びを感じるようにあらかじめプログラムされている。

ベンジャミン・フランクリン効果(助けた相手のことを好きになるという認知的不協和)も無視できない。手がかかる子ほどかわいい、という結果は、手をかけたという事実が生むものだ。家族に尽くせばつくするほど、家族への愛着は深まる。

幸せというのは、受け取った愛情で決まるのではなく、与えた愛情で決まる。愛されているか幸福なのではなく、愛しているから、愛を表現しているか幸福なのだ。実際に手をかけて、家事をし、話をし、食卓を囲むことで、そのように愛情を行動に移した者の幸福度が上がる。家事はその担い手幸福にする。

男性家事育児事実上の制限を受けている

しか現実、俺の家事負担は小さい。週にわずか6回、土曜の昼食から月曜の朝食の調理(買い出しと後片付けを含む)を担当しているのと、家や家財や車や自転車などの修繕全般担当しているほかはすべて手伝い程度で、家事らしい家事は何も担当できていない。俺が長時間の賃労働に縛り付けられているためだ。

家事だけではない。育児限定的だ。子どもの世話をしたり、子どもとともに食卓を囲んだり、さまざまな話をしたり、勉強料理スポーツを教えたり、宿題を手伝ったりといった、育児にかかわる時間の大半を賃労働に奪われている。これもまた、俺のヒトとしての幸福を大いに損なっている。

本邦の男女には世界一幸福格差女性幸福度が高く男性のそれは低い)がある。これを男性視点説明するなら、賃労働負担の大きさと、家事参加の少なさという両面が原因だ。とりわけ家事の少なさは重大だ。我が国男性世界一家事をしない。多くの男性幸せを賃労働に奪われているのだ。

男性が恒久的に時短勤務やパート勤務をする道は狭い

我が家結婚当初は、夫婦両方がフルタイムで働きつつ、平等家事を分担し、夫婦の両方が幸福を感じていた。だが子どもができて夫婦で話し合った結果、俺がフルタイム労働さら残業を増やして家計を支える中心となり、妻はパートタイム労働兼業主婦になることにした。

俺がパート主夫になる案も真剣検討したものの、却下せざるを得なかった。理由は、当時30代前半だった俺が昼間にパートまたは時短で働けて、家から近い職場がないことだった。ジェンダー平等を実感したのはこのときだ。オッサン兼業主夫になるのは非常に難しい。

結果、俺は大半の家事を妻に任せ、ごく一部しか担当できなくなってしまった。うちの場合家事全般について妻より俺のほうが得意であるあくま自己評価だが)にもかかわらず、だ。逆に、賃労働能力は俺よりも妻の方が高い(と俺は思う)にもかかわらず、彼女フルタイム労働を失った。

俺は、この国のジェンダー平等を恨んでいる。俺を賃労働に縛り付け、家事子育て(つまり俺の幸福)を奪ったからだ。

また、ほどよく分担できていれば、家事労働はそれをする者を幸福にする。だが、過分に割り当てられてしまえばそうも言えない。俺の妻はそれほど家事全般が得意でないにもかかわらず大半の家事負担しており、せっかくの家事労働の多くが単なる面倒なタスクになりがちだ。これは幸せなことではない。

ジェンダーギャップ労働問題に過ぎない

ジェンダーギャップ幸福格差不公平家事負担、結果としての男女の賃金格差などはすべて、要するに労働問題だ。男女で賃労働家事を公平に担当しにくい現行制度に原因がある。なので以下のようなことを強力に推進すれば、諸問題はすべて(少なくとも我が家が抱えているものはすべて)解決する。

意識アップデートでは男女平等は実現しない

俺は「意識アップデート」だの「意識改革」だのというものには期待していない。そんなものに期待していたら、ジェンダーギャップ永遠に解消しない。なぜならジェンダーギャップは、制度的な介入をせずに放置していれば自然に拡大していく性質を持っているからだ。

これは良い悪いの話ではない。生物としての自然本能と、適応の結果に過ぎない。

まず女性上昇婚志向がある。これは世界中のどんな社会にもあるものだそうなので、生物としての本能と言える。より多くの資源を獲得する能力を持つオスに魅力を感じることは、生物としてまったく自然だ。そして、ヒトのオスがそれに適応しようとするのもまた本能であり、生物としてまったく自然なことだ。

ただし社会全体でこの本能適応すればするほど、ジェンダーギャップは拡大する。女性上昇婚志向適応した男性たちは、すべての資源男性たちだけで独占し、資源へのアクセス権を女性から剥奪する。前世紀まで、まさにそのような社会世界中で構築された。

このようにヒトの本能ジェンダーギャップを拡大し固定化する方向に作用するため、ジェンダー平等自然に実現することはない。相手無意識下の本能だ。意識改革では解決できない。制度改革しか実現できないものだ。

クオータ制による解決

現実的な解は、強制的なクオータ制の導入だ。繰り返すが、意識本能は変えられない。だから制度を変えるのだ。クオータ制は、結果平等観点で厳格なものであればあるほどよい。

政治家企業役員はもちろん、あらゆる職種で男女比が1:1なるように枠を設け、罰則付きで厳格に運用する。外科医も、看護師も、消防士も、保育士も、研究者も、レジ係も、漁師も、助産師も、土木作業員も、歯科衛生士も、自衛官も、すべて男女同数にする。当然、仕事内容も拘束時間賃金男女平等にする。

当初は各職業における職能水準の低下が問題になるだろう。しかしそんなものは、ほんの20年か30年もすれば解消される。学齢期や新卒時を見ればわかるとおり、平均的な女性能力は平均的な男性のそれを上回っている。クオータ制の導入で一時的に起きる職能水準の低下の問題は、ほどなく時間解決するだろう。

労働家事労働も、男女がどちらか一方に押しつけることなく、平等負担し合う。夫婦のそれぞれが週に20〜30時間ほどずつ賃労働負担し、あとの時間生物として家族としての幸せを追求できる世の中になるのが理想だ。

夫は兼業主夫、妻も兼業主婦だ。

こうなるともはや、主婦主夫)という概念崩壊だ。だがそんな概念産業革命以降にでっち上げられたもので、男性を賃労働で使い倒すための便利な、そして非人道的ジェンダー・ロールだ。こんなものは徹底的に破壊し、すべてのヒトがヒトとしての幸福を追求できる社会を目指したい。

男女がともに幸福を追求できる世界を望む

最後にもう一度強調しておく。家事労働制限されることは、幸福制限されているに等しい。より多くの賃労働負担している者は、幸福度において劣後する。

しかし、現行の制度の中で各家庭が個別部分最適化を進めれば、多くの家庭では、夫は賃労働奴隷、妻は兼業主婦、という形をとることになる。これは不幸なことであり、制度のものを改めるべきである。そして、ここまで述べてきた制度改革の過半は、すでにアイスランドなど北欧諸国において実施されている。

で、こういう男女平等を目指す社会運動ってある? あったら参加したいんだけど。

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