はてなキーワード: 日本語能力試験とは
税金・国民健康保険に外国人をフリーライドさせるお馬鹿政府・お馬鹿国会議員・お馬鹿官僚がいる
法律の穴を塞げ!
バケツの穴を塞げ!
税金・保険料を上げる前にやる事がある、皆保険・生活保護を日本人限定にしよう!
ナポレオン「真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方である」
地獄への道は善意で舗装されている!(The road to hell is paved with good intentions)
日本人のみに、皆保険医療費・医師・看護師というリソースをつかおう!
一部の自治体は
オーストラリアの皆保険は国民と永住者に限定していて、永住者以外の外国人は皆保険の対象外です!
外国人は難民申請・日本語学校留学・経営者ビザ等で、日本の高額医療にフリーライドしています!
外国人は全額自己負担での治療、若しくは、民間保険での治療、若しくは、祖国・母国に帰国しての治療のいずれかにすべきです!
外国人になるとそうはならないのだ。彼等の扶養家族は不自然に増えて平均で10.2名になる。
控除額は380万円以上となり課税所得がマイナスに作用して0円になる。
国民保険料・介護保険料・市営住宅(公営住宅)・保育料など全て課税所得で決まるので非課税世帯は最低額の算定となる。
www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RIHPIP32SZQZ/
tinyurl.com/koukyounofutan
第五条次の各号のいずれかに該当する外国人は、本邦に上陸することができない。
このままでは日本が「中国人高齢者の“姥捨て山”に」…!海外の介護難民が日本に押し寄せる、介護保険の外国人「タダ乗り問題」の闇
介護期間は亡くなるまで平均7年程度と言われ、日本滞在が認められている限り、
少なくとも1400万円の公金が使われていることになり、介護度が上がればさらに公費負担が膨れ上がります。
特別養護老人ホームに入れば、年間300万円近くが公費負担となるでしょう。
gendai.media/articles/-/136656
トラブル続出中
このままなら中国人で貸し切りになる
「約1500戸の賃貸住宅のうち、300戸以上を中国人世帯が利用しています」(千葉県船橋市の『行田団地』自治会)、
「年々中国人は増えていて、いまでは団地の4割ほどは中国人世帯となっています」(埼玉県川口市の『芝園団地』自治会)
gendai.media/articles/-/2154
tinyurl.com/1800manen
前の病院でも
せっせと納めた社会保険料で。
x.com/KRow_Dr_/status/1791761901552349598
「僕は病気を抱えてね、
自費は数千円しかないわけ。」
x.com/wake_neko/status/1777526842783838319
もう1つ、日本の永住許可申請に健康診断がないのも気になっています。
一定以上の医療費がかかる場合は却下されます(カナダは皆保険です)。
日本のやり方では、どんなに高額な医療費がかかる人でも永住者になってしまいます。
x.com/SailorMoon_Wide/status/1792397188477419540
シンガポールは日本より出生率が低いし、外国人労働者も多いが、それは移民ではない。
あくまで就労ビザ(2年から3年で要更新)の期限が来るまで滞在が許可されているだけだ。
ホワイトカラーも四年制大卒が基本で、給与もローカル以上に高くないとビザが出ない。
x.com/Southern_X777/status/1840909211351597077
シンガポールにおける保険制度は、C P F(Central Provident Fund)と呼ばれる、
留学生の高額治療と感染症の対策を急げ 日本に来て割安な価格で治療を受けられる「抜け穴」
オーストラリアでは留学ビザ希望者に対して、政府が指定した医療機関での健康診断を義務付けている。
検査結果は、クラウド上に置かれ、オーストラリアの担当医師もチェックするという体制になっている。
そのうえで、留学生には「留学生保険」への加入が義務付けられている。
美容の治療や出産、そして出国前から把握されている高額な医療費のかかる慢性疾患(がんやHIV感染症)等については適用されない。
www.sompo-japan.co.jp/kinsurance/leisure/off/tips/pc/04_china/
前払制
中国では
受付時、
保証金も支払わなければなりません。
救急車は有料
朝鮮人は「朝鮮人生活擁護闘争」を展開、地方税の減免や生活保護の適用を求める
w.wiki/AZa5
『困難女性支援法』という今紀最大の男性差別も知らないんでしょ。
・困難の内容、理由不問
・個人情報は秘匿
・ただし女性だけ
すごいだろ。これ「法律」なんだぜ。
x.com/HighWiz/status/1831131849923633286
tinyurl.com/tainouritsu
世帯の絶対数が少ないネパールが日本を含む全国籍の滞納金額の12%
tinyurl.com/tainougaku
tinyurl.com/kazoku-yobiyose
埼玉・川口市がクルド人めぐり国に異例の訴え なぜ?現場で何が?
その中に仮放免のクルド人の治療費も含まれているとみています。
tinyurl.com/iryouhi-mibarai
tinyurl.com/26000000yen
外国人の“国保悪用”急増 「留学」偽り入国、行政書士が手口指南も
www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20170107/dms1701071530005-n1.htm
80歳のガン患者、
年齢制限がないのです
健康保険証を手に入れたらあとは使い放題です
人工透析:年間500万
2024年始まってから散々なんだが!!!!!!世界のこと許さないからなこのカス!!!!!
4月も終わるのでもういい加減立ち直りたいが、時間が経つと怒り以外にも寂しさ、悲しさ、いい思い出、憎めないことがぐちゃぐちゃに混ざりさらにカオスな心境になってきた。
渦中にいるときは全体像が把握できないし、何より感情も時間差で処理されるので後になっていろいろと噴出してくるのだ。
そして、ぽつぽつと人に話すと高確率で、文章に感情をまとめると整理されるという助言をもらうので散文を匿名ダイアリーに投げることで成仏を試みる。フィクションです。
知り合って3年、付き合って2年ちょい、1年半同棲していた彼氏から1月に別れを切り出されたことからすべては始まった。
その時になんて言われたのかを思い返してみよう。
「なんか、求めてるエネルギーと違うんだよね。違和感があるというか。。。。会話も出会った頃から弾まないんだよね。」
今まで、ちょいちょい「増田はおばあちゃんみたいだよね。本当におばあちゃんになったときどうなるの?木になるの?」
などと言われたことを思い出し、カスの元カレ(以下春日)が私の陰キャすぎるエネルギーに疑問を持っていたことを知る。
実際に私は友人付き合いが超限られていて、SNSも苦手でインドアなので図星ではあった。
ただ、私の陰キャ化が加速したのはこの1年のことである。特に2023年は諸々のストレスが重なり、精神的にセーフモードで超低空飛行していたのである。
元々、付き合った頃は逆だったのだ。私が春日と出会った頃、彼はまあまあ重めの鬱を患っていた。
コロナ禍を機に、不眠と身体の不調からずぶずぶと鬱に沈んでいき、大学も中退して家から出ることが怖くなりニートになっていた。
ちなみに補足情報として春日は外国人で、私は現在海外の修士課程に留学中の在外邦人である。紆余曲折あって音楽の趣味が合い意気投合したのが出会いだ。
慣れない異国のコロナ禍で不安な中、曲とも呼べない小さな音楽の断片を作って交換したり、好きなことを共有できる相手は私にとって貴重だった。お互いにまあまあ離れた別都市に住んでいたが、友人として気分転換によく春日の街に遊びに行くようになった。
春日の母と一緒に3人で初めてご飯を食べたとき、春日がいきなり号泣し始めて落ち着かせるために必死に彼の手を握っていたことを思い出す。突然号泣したり沈黙し、動けなくなることが多い状況だった。
春日はとても純粋で、鬱でも前向きに生きようと頑張っている姿を見て次第に応援したくなった。春日はとても美しい声を持っていて、時々歌ってくれることが私の心の浄化にもなっていた。ただ、それも不調により以前のようには歌えない状況だったので本人はとても落ち込んでいた。
私自身、現地語のみの授業を理解し、口頭試験を乗り越えていくことに心身を消耗していたが、なるべく春日が外に出るように引っ張り出したり、心に寄り添えるように丁寧なコミュニケーションを心掛けていた。春日は日本語が上手かったが、言語の壁も高かったので尚更慎重に進めた。Rei harakamiの命日に二人で登山して、山頂で終わりの季節を聴いて黙祷したりとか、今思えば二人とも変な奴だった。
そして、プロのカウンセラーの手を借りて春日は鬱を治療することになり、友人になって一年弱が経つころ、恋人として付き合うようになった。
付き合った当初もまだ鬱は強く残っており、春日に関しては特に自己防衛の機能が強く、何か一つ難しいことがあるとできない理由を無理やり探して諦めたり、衝動で物事を瞬時に決めて深く考えずに逃げるという癖が相まって、物事を継続したり、安定して物事を考えることが難しい様子だった。その中で、私が住んでる家から引っ越しを予定してると伝えると私の住んでる周辺の街に春日も住みたいと言い始めた。それもあって一緒に住もうということになったのである。その後も、具体的な計画が進むにつれ、「やっぱり僕には無理!」とか「やっぱり一緒に住もう!」と、決断が二転三転する春日に精神的に振り回されて疲弊したので、その癖を人と共同で何かを決めるときに持ち出すのはやめてくれとお願いした。
ただ、我々の家探しは困難を極めた。そもそも貸し手市場なのに加えて、正式な賃貸契約の場合はニート(実家が細い)&外国人留学生というコンビでは賃貸の審査を受けるという土俵にすら立つことが難しかった。とはいえ私の家の退去期限もあったので謎のモルドヴァ人のおばさんちの小さな一室をとりあえず借りて、極限の生活が始まった。
状況に反して春日はなぜかこの頃精神が強くなっており、審査に通るために黙々と職を探していた。私は定期試験を乗り越えることと賃貸の審査が通りやすくするための準備でいっぱいいっぱいだった。このモルドヴァのおばさんは一ミリも信用できず、家賃交渉で一悶着あったり大変だったが今では笑い話である。そして、春日は不動産の営業という職を見つけたことにより保証に通るようになり、四か月後、アクセスはあんまりよくないがこじんまりした1LDKに住むことに成功した。
その頃、湖畔に弾丸でキャンプに行ったのも良い思い出。4000円ほどの砂浜で使う用のテントとエアーマットレスだけ持って行ってのだが、初日の夜に土砂降りになってしまい、気が付いたらテントの中が湖みたいになっていた。水にマットレスだけプカプカと浮いてて二人で「ノアの箱舟じゃんwwwwww」とか言って馬鹿すぎて爆笑してたよな。そんな状態で7泊もした。
引っ越し後は、私は円安による金欠と奨学金が終了することに焦りを感じ、なにかWeb制作系で働けないか試行錯誤した。春日はニート生活から一転して、スーツを着て一日11時間勤務の社畜へと変化した。ただ、営業職は出来高制で精神的ダメージも大きく、彼は四カ月後に仕事を辞めた。
そうやって2022年は過ぎ、2023年には無職の春日と留年して金欠の外国人という最強の布陣が出来上がった。
一月頃、金欠、将来の不安、引っ越し一連の疲れがどっと出て私は精神を病み始めるが、打破するため近所のカフェでバイトを始めて安定した。一方春日は、営業職で受けた数々の否定の言葉に傷つき、癒しとして貯金を食いつぶしながらやってみたかったドラムを習い始める。
私のバイトは夜勤と早番が不規則に組まれるような状態で、現地語で早朝のラッシュを捌くことに必死だったのであんまり記憶がない。ただしばらくして、伝手でリモートでできる仕事を依頼されるようになり、そっちの方が興味のあるジャンルだったしガタガタな生活リズムを戻したくてバイトを辞めた。そして、春日は相変わらず週一の習い事以外は日本語の本を公園で読む生活をしていた。
卒業に必要な単位も取り終わったころ日本に3週間ほど二人で遊びに行った。春日は牛丼を大層気に入り、吉野家、すき屋、松屋を食べ比べたのちにすき屋の牛丼以外は認めない頑固さを持ち、片っ端からブックオフと古本市場をはしごし、コンビニはローソン以外には入らない外国人となった。日本にずっと行きたかった春日は終始目をキラキラさせていた。
日本から帰ってきたころ、私はリモートの仕事をしながら本業である芸術に関する活動に勤しんだ。おかげで賞を取りちょっとした催しに参加するなどのイベントが発生した。卒業論文にも取り掛かり始めたがその壁が高く、先行研究の論文と本を現地語で読むことで時間が過ぎていった。卒業後の進路や家族の問題、論文のプレッシャー、円安、制作意欲が低下していることなどのストレスが一気に重なり私の精神は下降し続けていた。
一方春日は、貯金が尽きて彼の母からの仕送りで生活するようになった。とはいえ、日本語能力試験一級に挑戦する目標を立て、ひたすらカフェで日本語の本を読んでいた。なにかバイトしたら?と聞くと、「うん、来月から探す~」と言い続けて2023年は終わった。やるやる詐欺を繰り返す春日にムカついていたが、本当に一級に合格したからえらいよね。
年末年始を彼の地元で過ごし、春日は自分の喉の調子がだいぶ改善したことに気付く。コロナ禍以前は弟の彼女とコンビを組んで路上パフォーマンスをしていたこともあり、再度コンビを組んで地下鉄で歌うと、これがまた投げ銭で儲かった。彼が好きなことでお金を稼げることを発見し私も大層喜んだ。しばらくは家を離れて実家で活動したら?と提案したのだ。
そうして二人で家に帰ってきた2024年一月、冒頭にあるようなことを切り出されたのである。
出会った頃元気がなかった春日の精神はだいぶ安定してきていたのに反して、私は在外年数が増えるにつれ外国人としての立場の弱さやストレス、現地人と対等な土俵に上るための終わりのない努力に疲れ果てていた。きっと、私が春日を家の外に引っ張り出したように、春日が今度は私の人生でつらい時期を支えてくれると期待していたのだ。
しかし現実は違った。もともとは陽キャの素質を持つ春日が好きなことを見つけて元気になったところで、陰キャで元気のない私はただの言葉の通じにくい異邦人のメンタルおばあちゃんでしかなかった。
春日は冒頭の言葉とともに特に話し合わずに足早に地元へ帰り、日銭を稼ぐことに集中した。私は論文に追われてしんどい時期に別れを切り出されたことが悲しくて、その理由も悲しくて、毎日を泣いて過ごした。日が経つにつれて春日がなんの相談もなく結論だけを私に話してすべてを放って逃げたことに怒りがこみ上げ、太宰治崩れのポエムみたいな謝罪文だけ投げてくることも火に油を注ぎ、一日でいいからこっちに帰ってきて話し合え!と伝えると、月末に一日だけこちらに帰ってきた。春日は二時間ほど私に謝り続け、どうしてもやり直したいと言い始めた。
私は春日に対して信頼を失っていたが、それらをゼロからまた積み上げるような努力を一緒にしてくれるならいいよ、と許してしまった。育ってきた背景も母国語、文化も違う二人が関係を健康に維持するにはお互いの努力が必要だ。自分ができることを相手ができないのは当たり前で、自分と違う文化を受け入えてその違いに尊敬を持つことが、同郷人同士以上に必要になる。
もちろん私にも落ち度はあった。私が学業と資金繰り、外国人としての滞在許可証の条件などに四苦八苦してるなか、二十代も半ばになって、苦労して一人で家計を支えている母の仕送りで日本語の本を読んで夜はボードゲームの集まりに参加する貴族のような毎日を送る春日にイライラしており、尊敬を持つことが難しく心の距離を置いていたのも事実である。相変わらずコロコロと判断を変えて振り回されるのも日常茶飯事で、この軽蔑的な感情を外に出さないようにしていたが、確実に伝わっていたに違いない。
そして再び春日は地元に二週間ほど帰り、その間我々はどうやって不安定な時期を乗り越えるのか取り決めを作ったりしていた。その後一週間ほどこちらに春日が帰ってきて、束の間の平和なひと時を過ごした。春日が地元に帰るタイミングで私も着いていって二週間ほど彼の実家で一緒に論文の現地語校正を進めることを決めていた。
そして一緒に帰った翌日、春日に再び「やっぱり波長が合わない。。。。僕はもっと明るくて、引っ張ってくれる人をパートナーにしたい」 「増田とはもう一緒に成長できないし、もう考えてることを伝える気が起きない」 「現地語のスラングを言い合って言語の差なく話したり、もっと協力し合えて一緒に音楽をしてくれる人と付き合いたい」などと散々なことを言われた。
そもそも私だって明るく居たいが、元気ないのは過去のてめえみたいな状況だからだよ。そもそも、外国人にネイティブと同じことを求めるな。私も毎回なんでお前の母国語で話し合いをしなきゃいけないんだって思ってるよ。それでも好きだからやり直したいって懇願してきた二週間前のお前何?蜃気楼?
矢継ぎ早に傷つく言葉を言われて、春日からきっと「こいつはいくら殴っても倒れないから大丈夫」と思われてるのかなとも思った。あのな、自国で家族に囲まれてぬくぬくしてるお前と違って、一度完全に倒れたら誰も私を助けてくれないの。この国に実家もないし親族もいない。ただの病んだアジア人としてさらに劣等感に埋もれて取り返しのつかないレベルに粉々になって、廃人になるだけ。
だから最後の気力だけで完全に折れないようにだけ耐えてんだよカスふざけんな。
というか、鬱を患ったならもうちょっと元気がない人の気持ちがわかって優しくなれるもんじゃないの?と疑問にも思った。しかし、春日の様子を見るに鬱の事実は元気になった今ではもう消し去りたい過去で、鬱の匂いがするものからは遠ざかりたいという心理なのかなと思った。腐ったりんごの隣に置くと、普通のりんごも腐るし困っちゃうよね、みたいな。
「友達としてならうまくやっていけるはず!」とも言われたが、私は春日にとって都合のいい存在で、不都合があると「物足りないなあ...」と切り捨てる程度の存在だったことに絶望した。
私は彼の調子が悪い時に自己肯定感を埋めるだけの存在だったのだ。そもそも、一月から振り回されて論文の進捗もギリギリで、ここでまた振り回されてボロボロになったことにより、私の三カ月間を返せ!!という怒りがこみ上げてきた。一日前に言ってくれたら、あんたの地元行きの電車に乗ってねえよボケナス。
あと、恐らく文化が違うからかもしれないが、彼は愛情表現が強いのだ。「愛してる」という言葉を挨拶のように言う。別れを切り出される数時間前まで「愛してる」と目を見て言われていたその温度差も日本人の私には理解不能で、サイコパスにしか思えなかった。
そこからは、今まで我慢していたいろんな感情が噴出。さらには希死念慮までが唐突に襲ってきて、居場所のない彼の実家で必死に感情を爆弾のように抱えた。
急いで変更した帰りの電車の日まで、知り合いの居ない彼の地元でひたすら論文を書くだけの時間の虚しさ。楽しそうに彼の弟の彼女と爆笑しながら帰宅して、何事もなかったように振る舞ってくる春日から逃げる場のない状況とその惨めさ。さらにムカつくのは私がなぜ傷ついているのか勘違いしているところ。
「ごめんね。。。もう別れることは変えられないから。。。」と言ってくるがオイコラ、全人類のクソ男に告ぐ。そこちゃうねんクソ。お前と別れることに悲しんでるんとちゃうねん。今までそれなりにお互いが人として大切な存在だったはずなのに相手の状況も顧みずに振り回してなんの責任もない別れの仕方をされたことで過去のあんたとの思い出も、私の存在もくそ薄っぺらいものになったことに悲しんでるんじゃボケ。ままごとしてたんとちゃうぞカス。この心境に共感するひとはSHISHAMOの「忘れてやるもんか」を聴くと少しすっきりすると思う。
家に帰ったあと、春日のSNSをすべてブロックした。それでも気になって覗いてしまうSNSでは初ライブもして音楽家としてどんどんバズって有名になっていく春日と弟の彼女が目に突き刺さってきた。それはそれは楽しそうに歌っていて、出会った当時の姿から比べると本当に幸せになってよかったね~と思う気持ちがまだ存在していることにホッとしたが、元カレのSNSを見るのは一種の自傷行為である。
一カ月間、必死に自分のやるべきことをして、フラッシュバックが来るときや寝るときには号泣するということを繰り返してきた。同棲していたので、家の契約とか置いていったものが山ほどあるのでどうしてもいつか顔を合わせなければいけない。あの、世の中の女性はこのような場合どのような顔をして会ってるんですか?
異国の地で一人で生きていくには私は弱く、二人で生きていくにも力及ばなかった。そしてつらい時期に、一番大切な人から浴びせられた性格を否定される言葉に一生懸命保っていた自尊心をもぎ取られ、それをまた家族も親友もいない異国で一人で泣きながら拾いなおしていくこの惨めさ。鬱の時期も愛してもらったお前には分らんよな。私だってつらい時期を耐えて、また心から笑って一緒に楽しく過ごしたかった。
私は無償の愛を持っていなかった。助けたから私も助けてほしかった。でも相手はそう思わなかったというただそれだけのことなのだ。フロムの「愛するということ」にもあるように愛することは技術であり、その修練が必要というのは本当で、意識と覚悟をもって愛すことは、感情とは違う部分も大幅に使う。ただ、お互いに技術がなかっただけなのだ。
この一連の出来事のおかげで今まで出会ったことのない感情たちに出会えたことはよかったと言えるだろう。希死念慮も今では優しい死神のようにぴったりと背後で見守っている。自己が消えそうなときは自己の存在を強烈にこの世に残そうとするのか、創作意欲が見事に回復したことも皮肉である。
また、時間が経つと不思議なことに、カオスな感情の中に謎のメタ認知的な視点が表れて、こうやって惨めに醜く足掻いてる自分も、中途半端な執着をもって繰り返し傷付く自分も、なんだか本当に子供すぎていじらしくて愛らしく思えてくる。感情爆発させてて最高に人間らしくていいじゃんって思えるのも、なんだか傷が少しずつ癒えてる気がする。
人に期待しすぎること自体、ただの我儘になってしまうこともある。どれだけ自分が惨めでかっこ悪くてしんどくても、まだ泣き喚けてるだけ健康で、とりあえず自分を裏切らないものを信じる訓練から始めるしかない。ペットや植物、筋トレ、美容、創作活動はいいぞ。
「未成年児童の内臓の中に自らの性器を擦り付け快楽を得る行為(なお、児童側ではがんやHIVの発生リスクが高まる)」を金で買う犯罪者のクソ野郎がただ「キモイ」と言われただけで
「キモイは言葉の暴力!差別!攻撃!酷い!」と大げさに痛がって被害者面してる男様を見てると、本当男ってイージーモードなんだなと思う
ガキの頃、誰かに嫌がらせやちょっかいをかけ続けて怒らせた結果、「バカ」とか言われて反撃されたら泣き出して「ウェーン!!!先生!あいつが俺にバカって言ったー!!!」って被害者面して何故か嫌がらせされてた子に謝らせるクソガキいたじゃん。「キモイ」だけで被害者面する男ってその成功体験で今まで来たんだろうな
人を100回殴っても、1回殴り返されたら被害者面できるっていう
それが通用すると思ってる時点で男って相当イージーゲームだよな
「金で他人の内臓の中に自らの性器を擦り付け快楽を得る行為を買う行為(なお、労働者側ではがんやHIVの発生リスクが高まる)」とか、「女性には何をしても問題ないと思い、性的暴行を加える行為」とか、「女性であることを理由に嫌がらせを行う行為」を行うクソ野郎が、「キモイ」と言われただけで被差別人種になるはずがないのにね
こう言うと「でもキモイおじさんはおじさん全員をキモイ扱いしてるから差別用語!」とお気持ちを述べてくる男さんもいるけど、
「『形容詞+名詞』の文は、『名詞』が全て『形容詞』的であることを主張する意味を持つ」と考えてる時点で日本語能力が著しく欠如しているので日本語能力試験の勉強をすべきでは?
「いや俺の日本語能力には問題ないんだ!」と思うんなら、勝手にそう思ってこの世に存在する『形容詞+名詞』の文を書いた全ての人に対して抗議をしてれば良いのでは?
基本的には日本語を学ぶ外国人が受ける試験だけど、増田を眺めてると 長文読めなかったり抽象表現の意味が理解できてなかったりで、自分がN1クラスだと思ってるN2やN3がたくさんいそう。
・ 幅広い話題について書かれた新聞の論説、評論など、論理的にやや複雑な文章や抽象度の高い文章などを読んで、文章の構成や内容を理解することができる。
・ さまざまな話題の内容に深みのある読み物を読んで、話の流れや詳細な表現意図を理解することができる。
・ 幅広い話題について書かれた新聞や雑誌の記事・解説、平易な評論など、論旨が明快な文章を読んで文章の内容を理解することができる。
・ 一般的な話題に関する読み物を読んで、話の流れや表現意図を理解することができる。
・ 日常的な話題について書かれた具体的な内容を表す文章を、読んで理解することができる。
・ 日常的な場面で目にする難易度がやや高い文章は、言い換え表現が与えられれば、要旨を理解することができる。
・ 基本的な語彙や漢字を使って書かれた日常生活の中でも身近な話題の文章を、読んで理解することができる。
※末尾に追記あり。最後に追記したのは 2021/03/08 23:40頃※
3月になり、進学や就職、転職などといった人生のイベントが発生して転居するという方もそれなりに多いだろうと思います。その中には入居できる部屋が見つからずに苦戦されている方も居られることでしょう。私の過去の経験から、入居できる部屋が見つからない原因の一部は、いま賃貸住宅市場に存在する「家賃保証会社」なのではないか、と想像しています。
この記事に限らず、人間が発する言葉はほぼ全てポジショントークです。なので初めにポジションを明かしておきたいと思います。マウンティング目的ではありません。
極端な話、私は安い家なら買えてしまうので家賃保証会社の問題に触れずに生涯を送ることができてしまいますが、天涯孤独な若者が生き易い社会を作りたいと強く願っています。
その後「賃貸住宅市場はどうあるべきか?」のところで意見が述べられています。
2009年頃、私は引っ越す必要に迫られました(大阪市内から大阪市内へ)。このとき初めて、家賃保証会社の存在を知りました。体裁は「連帯保証人を用意できないのならば、保証会社にお金を払って保証を受けて下さい」というものでした。この仕組みはとても納得感のあるもので、連帯保証人を用意する手間に比べれば、初期費用で家賃1ヶ月分程度の出費は圧倒的に安いものでした。もちろん保証会社と契約しました。
保証会社からは緊急連絡先を求められましたが、勤務先の情報を提供することで了承を得ました。のちの体験に比べればとても良心的なビジネスでした!
信用の無い人間から金を取って信用を作り出すという仕事、これは資本主義社会においてとても尊いものであると思います(大事なことは二度言う)。
2010年のとある時期、私が仕事上の炎上案件に巻き込まれて残業まみれになり、一度だけ家賃の振込を忘れたことがありました。締日の翌日には家賃債権が保証会社に譲渡されたらしく、保証会社から電話がかかってきました。まぁ、電話の声は明らかにアレな雰囲気なんですが、世の中にはカタギの人でもそういう見た目だったり声だったりの人もいますし、そこは目を瞑りましょう。過労のあまり締め切りまでに振り込まなかった私が悪かったです。その日の夜23時に退勤したあとすぐに24時間営業のATMから家賃を保証会社に振り込んで、保証会社に電話しました。
この家から退去するときに大家さんから告げられたのは、当該の保証会社が倒産していたという事実でした。まぁ確かに収益厳しそうだよなぁ、と思ったのを覚えています。
ワーキングホリデーを終えて日本に帰国しました。最初はホテル住まいで、一般に言う「住所不定無職」というやつです。住民票の住所はホテルの所在地として役所に届けたので、法的には住所のある無職といったところでしょうか。
そして家探しをする訳ですが、無職なので当然のように家賃保証会社の審査には通りません。不動産屋さん曰く、銀行の残高証明とか出せば審査に通るかもしれないよとのことで出したりしましたが、当時150万円弱の資産では通りませんでした。民間で探すことは諦めて、URで家探しをしました。
URでは、家賃&共益費の1年分を前払いすれば経済面の審査を通過するという「家賃等の一時払い制度」という神のような制度(実際には敷金2ヶ月分もかかるので、14ヶ月分のお金が必要)があります。ワーキングホリデーで私が海外に行くことができたのも、この一時払い制度というセーフティネットの存在を知っていたからです。死守していた150万円弱という貯金は、これを利用するためのものでした。
URでは、良い条件の空き部屋はすぐに見つかりましたが、改装工事中とのことで「入居は2週間後」と言われました。ホテル代で2週間も費やすと入居後の生活に困りそうな状態でしたので、窓口のお姉様に泣きつきました。すると、しばらくしてお姉さまが、書類上は改装工事中なんだけども物理的には工事完了している部屋、みたいなものを見つけてきてくれて、土下座する勢いで感謝しました。このURの窓口のお姉様は私の命の恩人だと言っても過言ではありません。契約後に緊急連絡先は求められましたが家族は居ないし無職でこれから就活するところだ、と伝えると免除してもらえました。結果的に、無事に入居して就職活動を進めることができました。また、すぐに就職できました。
余談ですが、就職先からは親族の緊急連絡先を求められましたが「それが必要ならばこの雇用契約は白紙に戻させて下さい」と突っぱねたところ、了承を得ました。職業スキルがあって本当に良かったです(たぶん未経験就職なら「じゃあ白紙に戻そうぜ」ってなってたと思います)。
2017年、収入を上げるためには、家賃相場や満員電車の消耗を差し引いたとしても東京の方が有利かな、と思い東京で家を探していました。
この時、2009年当時の感覚、つまり就職先という緊急連絡先さえ用意することができれば容易に賃貸の契約を締結することができる、という認識ではいましたが、家探しの時点では内定が出てた訳ではなかったので、職場を含めて緊急連絡先を用意することができず、民間の賃貸住宅を借りることを断念しました。「敷金1年積んでもいいから!」と不動産屋さんで懇願しましたが、3件回って全滅し、心が折れました。
当然にURを検討する訳ですが、当時、東京都内の目的のエリアに近いところのURの賃貸住宅は、満室であるか、月額家賃が30万円を超えているか、といった状態でしたので、東京に隣接する県のURの住宅に住むこととしました。これは現在の家になっています。
2019年、東京での仕事に慣れたので、通勤時間を削減するべく、目的のエリアの近くで賃貸住宅を借りようとしました。築10年ほどの1DKの家が月額家賃12万円みたいな区域ですが年収800万円あるので、収入に占める家賃比率は20%を切ってますし問題にならないはずだ、と認識していました。
私があたった不動産会社3社から紹介される家賃保証会社では全て、「親族の緊急連絡先」を必須としていたのです。2017年時点ではまだ職場を緊急連絡先とすることで家を借りる道筋が存在していたのに、それが途絶えていたのです。
という4要件の揃った人間は、少なくとも筆者が経験する限りにおいては、今の賃貸住宅市場の商習慣のもとでは、住むことのできる住宅が
という方法でしか調達できないという状態になっています。年収が800万円だろうが1000万円だろうが、住宅購入の資金が貯まるまでは選択肢は狭いままです。
これはひとえに、現状の家賃保証会社が親族の緊急連絡先を必須としているからです。
我々のような、「親族が一人も居ないという卑しい身分の人間」は民間の賃貸住宅には住むな、と言われているようなものです。
URも、いつまで存在し続けてくれるのかわかりません。URが運営を停止したり、URの管理物件の老朽化が進んで住めなくなったり、家賃保証会社が現状の業態のまま普及率をさらに上げて溢れた人間がURに殺到して空き部屋が無いという状態になったり、様々なシナリオが考えられます。こうなると、我々のような人間かつコネの無い人間は、その時点で貯蓄が無ければ路頭に迷います。職業能力があって仕事があっても貯蓄が無ければ住所不定です。
このような状況というのは、日本国憲法 第22条「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。」に反するものであると考えています。私たちは、家賃保証会社に「親族の緊急連絡先を提供できない者は住まわせない」という差別ビジネスをやめさせることによって、我々の人権を守らなければなりません。
私たちの人権を守ることと同じくらい、貸主の財産権が守られることも重要です。
家賃の滞納や、通常の使用では発生し得ないような汚損等によって、貸主の財産権は侵害される可能性があります。このような事象が発生したとき、貸主は借主に家賃の支払いを求めたり損害賠償請求をしたり、時には強制退去という手段に出る訳ですが、現行法の下ではこんな手段に出るためのハードルは高く、あっという間に貸主は大赤字です。
そこで家賃保証会社の出番が来たというのが現代社会ですが、そもそも、現行法が悪意または重大な過失のある借主を含めて借主保護に過剰に傾いているからこそ、斯様なビジネスが興った訳です。
以下のようなものを想像していますが、他の設計でも諸問題を解決することはできるでしょうし、私のような法制度設計の素人が組んだものよりはその分野に詳しい方が組んだ方が良いでしょう。
素人が作った制度なんでザルな部分だとかその他の不具合が存在したりするかもしれないですが、政策立案の場面で参考にしてくれたらとても嬉しいです。例えば「親族の緊急連絡先を求めることを禁止する」というだけの改正をした場合、私のような人間は嬉しいですが貸主の保護が弱くなってしまいますので、前述の改正は同時になされるべきです。
こういう法規制が仕上がったとき、家賃保証会社は今の業態のままでは仕事が少なくなるので業態転換をする訳ですが、どのようなビジネスをすることになるでしょうか?私が想像するところでは以下の仕事です。当事者や賢い方なら他にも「三方よし」なビジネスを思いつくかもしれません。
あと、なんか滞納について厳しいことを書いてますけど、これは経済的に困窮したものはタヒねって話ではなくて、生活困窮者を保護するのは大家ではなくて政府だ、ということです。生活保護をもってしてもまだ滞納するのは、それは追い出されるべき悪であるか、身体障害等があって振込という動作に支援が必要であるか、生活保護の額が世情に合致していないか、のいずれかでしょう。
なんにしても、多くの人が幸せになれる社会であって欲しいと願うばかりです。
雇用契約についても、「連帯保証人を設定すること」や「親族が存在すること」を雇用契約の条件に入れることは出生環境による差別ですので、違法とする方向で進めましょう。
僕はある恋をした。去年の1月の末頃の話だ。
相手はマッチングアプリで知り合ったカザフスタンから来た女性だった。
初めて会った時はラーメン屋に連れて行った。来日したての彼女は自分で勉強したという拙い日本語を使って、自分のことや、カザフスタンのことを頑張って話していた。
ただ純粋に1人の女性として魅力的だった。彼女は日本の大学の大学院に進学することを目的に来日して、日本語学校に通っていた。カザフスタンの日本企業で働いていた彼女は、日本での進学に向けて頑張っていた。そんな彼女に、僕は恋をした。
彼女の友達と3人で東京ドームシティで遊んだ。寮を出て先の友達と住む家を探す、という時には通訳、というと聞こえはいいけどどちらかというと家に関する説明を日本語でする、ということもした。
彼女のことが毎日頭に浮かんでいた。2歳年上の彼女に大人に見られたくて、彼女が好きなタバコをもらってふかしてはむせたりもした。
最後に会ったのは、だいぶ前になる。スカイツリーかすみだ水族館に行こう、と話していたが、まだバイトをそんなにしてない彼女にはどっちも値段が高くて、ソフトクリームを食べることになった。その後彼女は具合が悪くなって、すぐに帰ってしまった。
それ以来、彼女からは連絡がなかった。僕はてっきり、何か失礼なことをして、嫌われてしまったのだと思っていた。何度かメッセージを送ったけど、一向に既読がつかないから、それこそブロックされてしまったのだと思っていた。
それからの僕は、普通に暮らしていた。勉強、バイト、趣味。全部、それなりにやって。9月には彼女もできた。今も付き合っている。彼女と恋に落ちた、それだけだった。もちろん、付き合う前、恋に落ちる前に、一瞬カザフスタンから来た女性、好きだった人のことが頭によぎった。でも、嫌われてしまったのだとしたら、どうしようもない。そう思って諦めた。
それからは、あまりその人のことを考えることはなかった。第一、彼女がいるわけだし、考えるタイミングもなかった。
そうして、半年弱が過ぎた今日、突然その人から連絡が来た。その人は、昔と変わらない感じで、連絡をしてきた。僕はびっくりして、てっきり何か家に関して問題が起こってしまったのかと思った。でも、違った。
その人は、僕と連絡が途切れた頃、東京ドームシティで遊んだ友達と仲が悪くなってしまい、引っ越しをしたことや、それこそ大学院について色々調べることで忙しかったのだという。
僕は、ああ、嫌われた訳じゃなかったんだな、と思った。とりあえず、久々に近況報告を兼ねて通話をすることにした。
そこでその人は、1年間の日本語学校で学ぶ留学ビザが切れるので、カザフスタンに帰るのだと語ってくれた。そこでお世話になった人、日本で会った人に連絡を取っているのだという。
大学院の試験は落ちてしまったらしい。でも、その大学院の教授と話すことができ、「日本での就職にはその分野の修士課程を修了したことがあまり役に立たないこと」「もし研究職に就きたいのなら、入るのも一つの道だということ」を教わったらしい。
そして、彼女は帰ることを決めた。僕が日本で就職するのはどうかと訊ねると、試験が終わってからではもう遅く、前に就職活動した時には日本語能力試験のグレードN2をまだ取っていなかったので、就職もできなかったのだと教えてくれた。
僕は、どうしようもない寂しさを感じた。好きだった、というだけであり、今恋心を抱いているわけではないのに、ただ、寂しかった。
彼女はこうとも言った。せっかく日本語を1年頑張って勉強したけど、帰ってしまったら忘れてしまうだろう。少し、もったいなく思う、と。
何故だか、落ち込んでいる自分がいる。ただただ、寂しさを感じている自分がいる。これが何の寂しさなのかはわからないが、とても孤独感に苛まれている。
実を言うと、僕はその人に好きだと言ったことがある。しかし、彼女は日本に来る時に、カザフスタンでの彼氏と別れたばかりで付き合う気にはなれない、と言って断られた。
きっと彼女は、特に覚えてないだろう。ただ、それでも、僕はしっかりと覚えていた。
彼女が彼女なりに考えた結果が、カザフスタンに帰るということなのだろう。僕は彼女の何でもないし、止める権利もないだろう。
でも、何故だろうか。いざそう告げられると、まるで自分が1人になってしまうような感覚になってしまう。
これが恋でないことは確信できる。何故なら、前とは全く違った気持ちでその人のことを考えているからだ。それでも、不思議なもので、やはり寂しさを感じてしまう。それこそ、もったいないなぁと思う気持ちや、残念だなぁといった気持ちが大きいが、それでない「寂しい」という気持ちが湧いて出て来るのである。
僕は、彼女が帰る前に一度会ってみようと思う。どうなるかはわからないけど、それが僕の、僕がどうするか、ということの道標になる気がするからだ。
むかついているがどうにもできない。そのことにさらにむかついている。
うちの会社は社員数も売上高も数千の中規模SIだ。いつからかわからないが中国にも支社があり、現地の技術者を採用したりもしている。(こうした実績からグローバル企業を謳ったりもしている…)
この会社に入って最初の合同研修期間で彼らと接することになったのだがまずスペックの高さに驚いた。
まず3ヶ国語を扱える。中国語はもちろんネイティブ、英語はビジネスレベルで習得しており、個人差はあるもののみんな日本語での日常会話に支障はない。外国人に難しいとされる日本語の読み書きも、漢字をある程度知っているだけあってアルファベット圏の人々より習得が早いらしい。
俺は文系学部出身だが在学時からプログラミングを始めてWebサイトをいくつか趣味で立ち上げたりしていて、同期の間ではコードが書ける方だろうなどと思ったりもした。半数を超える文系学生と真面目に勉強してこなかった理系学部生・院生の中ではその自己評価はあまり間違っていなかったが、彼らには到底かなわなかった。コンピュータのことを深く理解していて、俺がにわか知識や付け焼き刃で語っている内容に「それはどうやって動いているの?」「既存のあの技術との違いは?」と鋭い突っ込みを何度もくれた。
彼らとの会話は刺激的だったし、一緒に行ったプログラミング研修は楽しかった。研修後の配属先はバラバラになるが「いつかまた一緒に開発しよう」と話していた。
しかし、それから数年が経ち、彼らはみな会社を去ってしまった。
俺が地方に飛んでいた数年の間に彼らと会話ができたのは数えるほどだった。社内報の退職情報欄に彼らの名前が載る度に「何があったんだろう」と思ってはいたが、開いた距離を積極的に埋めることはしなかった。
ところが最近、辞めた中国人同期のうち2人が俺の住んでいる地方に来るというので久しぶりに会おうという話になった。数年ぶりに再会した彼らの日本語はさらに上達していて、日本人とは遜色ないぐらいで驚いたのを覚えている。
だがそれよりも驚いたのは、彼らが在籍時に会社が彼らをいかに扱ったか、という話だった。
SIerでの業務がいかなるものであるかは世に多くの体験談があるので詳細に書くことはしない。が、一言。うちの会社も例に漏れずExcel仕様書を使い、一時代二時代も遅れた技術を使い、技術者よりも管理者を大事にする会社だとは言っておく。
日本の新卒よりも遥かに優れた技術者である彼らが業務においてコードを書いたのは数えるほどだったという。
ある一人は会社が代理店契約を結んでいるMicrosoftの製品サポートをひたすらやらされ、英語ができない他の社員の代わりにサポートデスクとメールをしていた。Microsoftは日本のサポートも充実しているらしいがなぜそういうやり取りが発生するようになったのか誰もわかっていなかったというし、理解しきれない製品を売っていることも不可解だった。
またある一人は1年目から3年目まで巨大プロジェクトのテストをひたすら任され、それが終わった後には小さな開発案件のサブリーダーとして派遣社員への指示やガントチャートの管理をするようになった。技術者としてプログラムを書いたり研究に没頭したいという主張をしたが受け入れられなかったらしい。この会社にとってプログラマは外注で十分だし、その頃の彼は「テスト歴2年の若手」としか映らず、活かす道はそのまま凡庸な「SE」ぐらいしかないと思われたのかもしれない。
そして最もひどい扱いを受けた一人。彼は1年も俟たずに辞めたがその理由もさもありなん。
彼は同期の中国人の中で最も日本語ができなかった。とはいえ日本人の平均的な会話スピードであればリスニングはできるし、スピーキングも落ち着いていれば悪くない。少なくともグローバルカンパニーを標榜するうちの社員の悲惨な英語力に比べれば圧倒的にマシだった。
しかし、その時点で配属先の部署は彼を役立たず扱いした。「カタコトの日本語では客先に連れていくことはできない」「派遣や請負の方と話すときも伝達の齟齬で仕様ミスを生むかもしれないから必ず上長を介して」などといって、所属しているはずのプロジェクトでも何も仕事を与えられなかった。代わりに経費で購入された日本語の学習本を読むことを一日数時間強要された。彼は一日でも早くその状況から抜け出そうと努力し、1ヶ月でJLPT N2(日本語能力試験の上から2番目)を取得するにいたった。そしてプロジェクトに溶け込もうとしたが、こねくりまわされて複雑怪奇になったドメイン知識やそれを体現するExcel仕様書はJLPT N1より遥かに難しかったという。
「"君たち優秀なグローバル人材の技術力が欲しい"と言われたから移住してまで入社することを決めたのに、中国語も英語も技術力も何の意味もなかった」
「日本の企業で働かなければ純粋に日本を好きなままでいられた」
「中国の同期生は僕がSIerで役に立たない技術やカスタマーサポートやExcel仕様書のために時間を費やしている間にキャリアを積み上げている。面子を大事にする中国に戻れば"出戻り負け組"として侮蔑的な態度を取られることもある」
そんな話を聞いて俺はむかついている。
会社は嘘をついていないし、やっていることに違法性はないらしい。過度なパワハラと訴えることが精々だろうか。その程度では人生の一部を無駄にしてしまった彼らの無念と後悔は晴らせないかもしれない。
優秀な外国人技術者を使い捨てるSIerの実態。「すべてのSIerがそうじゃない」「主語がでかい」と誰かが必ず言うだろう。俺もそう思う。きっと彼らが行くべき会社は他にあったのかもしれない。
でもどうか知ってほしい、こういう会社があることを。
そして止めて欲しい、こうした不幸な選択をする人が身近にいたら。
直に、俺も会社を去る。
小説を書きたいと思った。早速書いてみる。
ダメだ。読みにくいし、つまらない。そもそもこの日本語は本当に正しい日本語なのだろうか?
日本語に自信がない。文系の大学に行っている人は、日本語に自信があるだろう。僕は底辺高校卒だ。大学に行きたくなった。文学部に行きたい。
とりあえず自分の人生を悔やんでも意味がないので、書店で中学校の国語の参考書を買ってきて、文法から勉強しなおすことにした。(中学校の国語の参考書をレジに提出したことは全く恥ずかしくない。それよりも知識がないことの方が恥ずかしい)
主語・述語の関係、修飾・被修飾の関係……自立語、付属語……品詞(動詞、形容詞、形容動詞、名詞、代名詞、連体詞、副詞、接続詞、感動詞、助動詞、助詞)……。今考えると、中学生ってかなり高度なことをやっていたんだなと思う。というか、当時の僕は文法の意味が分からなかったから、正解だと思われる回答を適当に選んでいた。本当に恥ずかしい。
いきなり全てを覚えるのは不可能だと思ったので、最初から少しずつ解いていった。毎日2、3時間勉強した。
勉強して驚いたことがある。それは、日本語が極めて論理的に構築されているということ。例えば、よく雑誌やネットの記事で指摘される、『間違いだらけの日本語』というやつを見ても、今までは、それを改善する方法が思いつかなかった。『ら抜き言葉』『~の方 の頻発』が好ましくないということは知っていても、では、どういう時に『ら』を使って良いのか、どういう時に『~の方』を使って良いのか、が分からなかった。それが、文法を勉強すれば、分かるのだ。文章の理屈、文章がどういう風に構成されているのかが分かった、というべきか。結局二週間ほどで文法の勉強を終えた。本当は中学生のうちに覚えておかなければならないことを、二週間かけてやっと理解できた。
しかし、文章力は全然向上しなかった。(『全然』の使い方はあってるのかな?それも分からない)そう、文法を覚えただけじゃダメなのだ。僕は言葉そのものの意味を全く知らなかった。相対? 普遍? 主体? 客体? 混沌? 秩序? パラダイム? どれも言葉として聞いたことはあるが、意味を深く知ったことはない。
僕はまた書店に行き、参考書を探した。高校の現代文の参考書を探してみた。文法の他に、『基本用語700』『重要語・頻出語』といった参考書があったので、パラパラとめくってみた。上記に挙げた、相対、普通、主体、客体、といった言葉がたくさん並んでいて、その一つ一つに丁寧に解説が書かれていた。なるほど、これで語彙を増やすのか。僕は一冊買って再び勉強することにした。
文法を勉強した時とは別の驚きがあった。それは、『言葉』には広がりがあるということ。言葉には意味以外にもプラスのイメージ、マイナスのイメージがあり、問題文で作者が使っている言葉から、事物に肯定的であるか否定的であるかを読み取れ、とその参考書は書いているのだ。はっきり言って僕は衝撃を受けた。言葉の意味さえ知っていれば文章は書ける(もしくは読解出来る)と思っていた僕にとって、『言葉に対するイメージ』という考え方はとても貴重なものに感じられた。日本語の根底に流れる奥深さ、豊潤さに触れたような気さえした。
また、普段普通に使っていた言葉が、実は全く違った意味を持っていた事も分かって、これにはかなり赤面してしまった。一義的であると信じていた言葉が、実はかなり多義的であることも分かった。勉強すればするほど、日本語というものが素晴らしく思えた。(ちなみに『一義』『多義』という言葉も今までは知らなかったので、早速使ってみた)
ただ、上記に挙げた日本語の広がりなども、文系の大学を受験する受験生からしてみれば当然の知識なのだろう。僕はどこまで知らないのだろう。そう考えると、何だか本当に死にたくなった。
それでも、何とか全ページ、700語を読み終えた。(これも2週間かかった)ただ、きちんと覚えた言葉はそのうち200語ぐらいだろう。残りの500語はおそらくうろ覚えだ
。覚えた200語も少しずつ忘れていくかもしれない。だから何度も反復して頭の中に言葉をたたき込まなければならない。(ちなみに『反復』という言葉もこの参考書で覚えた。『はんぷく』って読むらしい。今まで読書しているときは『はんふく』って読んでいた)
ただ、僕はまだ参考書を二冊勉強しただけだ。大学を受験する受験生は何十冊も何百冊も参考書をこなしているだろう。あとどれだけ現代文の参考書を勉強すれば、文系の大学生の文章レベルに追いつけるのだろう?
よく「語彙を増やすには小説を読むと良い」と言うが、小説を読んでも語彙は増えないと思う。あれは文法や言葉の意味を知っている人には良いかもしれないが、文法を正しく捉えていない、また、言葉の意味を理解していない人には意味がないと思う。小説の中に言葉の意味などは書かれていないからだ。それぐらいは分かる。
『論旨』を上手く伝えることが重要だと言うことも分かった。参考書の問題文はどれも上手くて上品で精密でユーモアのある文章ばかり。そして意味がちゃんと伝わる。おそらく『論旨』ってやつがうまく機能しているからだろう。『論旨』についても勉強しないといけない。
ライトノベルではなく、一般的な小説を書いてみたいと思う。ちゃんとした日本語で書かれた小説を書いてみたい。ただ……僕は頭が悪い。頭の精度が悪いというべきか。物覚えが悪いし、勉強したことを瞬時に頭から取り出すのが難しいときがある。今だってそうだ。この文章を書いている時だって、100%正しい日本語で書けているとは思えない。おそらくどこかしらに日本語の間違いかもしくは不適切な表現があるだろう。全ての言葉に間違いが無く、簡潔でウイットの効いた文章を書けるようになるのが目標だ。ある程度勉強したら、日本語能力試験も受けてみようと思う。とりあえずこの文章は格好付けず、出来るだけ素直に書いたつもり。
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