はてなキーワード: 大学生とは
タイトルの通り。
ASDとADHDの併発をしているが、良い先生に巡り会えて勉強を頑張ることが出来て、現役で第一希望の大学に進学することが出来た。
上京する前までは「変わり者だが秀才」ポジションで周囲と何とか交流出来ていた。両親も哲学思想をやりたい自分を認めてくれている。
しかし、東京に進学して来ると「変わり者ではないが秀才」が山のようにいる。体育会系の体力お化けの秀才、容姿も人当たりも良い秀才などだ。そんな秀才たちを前に、私は「障害を持つただの変わり者」になった。
最初は、哲学や思想を学んで大学院にも行きたいと思ったが、「高校生の頃にフランス語やってた」とか言う東京育ちと、「親が地方の新聞社の社長」とかいう実家の太い田舎育ちに勝てる気がしない。私が一生懸命、第二外国語をやってる間にラテン語を学び、私がバイトをしてる間に読書や映画を楽しんでいる連中に、どう勝てばいい?
それに哲学思想を学んでも、初任給で両親に喜んでもらえるような物を買うような人生を歩めない。それどころか、大学院生が急に連絡途絶えて行方不明になる話が頻繁にあり、ヤバいんじゃないかと思う。しかし自分のような薬を飲んで何とか大学に通えてるような人間が、他の健常者と同じように就活出来る気もしない。
昔はよく抜け道として、まずは英文学を専攻し大学で英語を担当して食い繋ぎながら、徐々に専門を出していくというやり方があったようだが、日本は大学淘汰時代で、国外で「日本人の英文学者」にお客様以上のポジションが与えられる可能性は低いのではないか。
就職活動をする大学生を企業に斡旋することで、利益を得る、有料職業紹介事業者。
代表取締役は山下 健晴(創業者)で、出身の北海道大学から「北大発認定スタートアップ企業」として称号を受けている。
いや治安わるすぎて殺人起きたユーザー平均年齢40代後半のサイトに来られてピカピカの大学生として追記6で「治安が悪い」いわれましても今さら気づいたんかい。感。
cf https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B2%A1IT%E8%AC%9B%E5%B8%AB%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
それ以外の大学に進学するくらいなら、進学せずに歌舞伎町、アキバ、渋谷のどれがで働いてる方が絶対に良い。
10代を都心で生活したかどうかでその後の一生は完全に別れる。リカバリーできん。
つーかその時期を東京で遊べないなら日本に生まれたメリット、国ガチャで勝ったのを完全に捨てるのと同じ。
卒業してから都内で就職しても大学生と同じような生活はできないし、都内の大学出た人間と決定的なまでに生活基盤が差がついてる。
それが無理なら都内の繁華街でなるべく遊べる仕事する。これ一択。
ここで一生負け組かどうかとっくに別れてる
人生で1.2回くらいしか美容院に行ったことがなかった。大学生の時に勇気を出して行ったがあまりうまくいかず…といった感じで1000円カットに通い詰めて気がついたらこの年になった。
それなのに突然美容院に行こうと思ったのは、端的に書くとアイドルにハマったからだ。
細かく言うと、容姿を整えてアイドルのイベントに行こうと思ったのではなく、容姿を整えてアイドルのイベントに行く遊びをしているファン(女性に多い気がする)が楽しそうで羨ましくなったからである。
ということでまず情報を集めることにした。具体的にはGoogle検索をした。
美容院 髪型 決まってない 男 や 美容院 男性 初めて のような検索をしたところ、なぜ昔失敗したのかわからないくらい簡単であることがわかった。
要はなりたい髪型の写真を探せばよいということがわかったし、それだけ決めていって他の部分は相談してなんとかするものなのだなと思った。
ホットペッパービューティーで自宅から近い店舗を予約した後、メンズの髪型を色々見て、どの髪型も同じくらいのかっこよさに感じるなと思いながら、なんとか1つこれと言えるような髪型を選んだ。
「今日はどんな髪型にされますか?」と聞かれて準備していた写真を見せる自分が、容易に想像できた。店員さんから見ても不審な客にならないだろうと思ったし、はっきり言って自信しかなかった。
当日は冗談みたいに寒かったし雨が降る予報だった。天気予報を見て予約すればよかったかもしれないなと少し後悔しながら向かった。
美容院に着いて、問診票みたいなやつを記入した。普段はオタクだと思われると恥ずかしいから白紙で渡すような趣味の欄も記入して渡した。
そのあと少ししてカット担当の方が来て、少しあいさつなどをした後に言われた。
「長さどうされますか?」
完全にエラーがおきた。長さ??????1000円カットでこの質問に適当に答えていたことを思い出したがそのことはあまり役に立たなかった。
正確には覚えてないがしどろもどろになりながら「あまり決めてなくて...」というようなことを言った。
それを聞いた店員さんが困ってるのを見て、自分が不審な客になっていることに気づいた。
その後は何ラリーか成立しているか怪しい会話をした後、店員さんがカタログ的なものを持ってきてくれて、大体の方針が決まりカットが始まった。
カットの間ずっと最初に躓いてしまったことについて考えていたが、あることに気がついた。
「長さどうされますか?」は、「ニンニク入れますか?」と似た性質を持っている可能性が高いということだ。
つまり長さをどれくらいにするか答えなくてもいいということだ。きっと緊張していたのもあって、「長さ」と聞かれた時点で長さを示さなければいけないと思考が止まってしまったようだった。髪型を答えるという発想にならなかった。
どのような髪型にするかを探るための質問なので、きっと「長さどうされますか?」と言われたときに、準備していた写真を「こういう感じでお願いしたんですけど」と見せればよかったのだ。
焦らず対応していればよかった。
その後はつつがなく一連の作業が終わった。もともと・静かに過ごしたい にチェックを入れていたからかそれとも他の理由があったからかはわからないが特に店員さんに話しかけられることもなかったが、なんとなくずっと気まずかった。
もちろん普段はメガネを掛けているので、外さなければいけないカットの最中は自分がどういう状態なのかよくわからなかった。すべて終わった後外していたメガネをかけて驚いた。
客観的に見たらチーズが3種から2種になったくらいの変化なんだとは思うが、今は客観は重要じゃないなと思えた。もちろんコミュニケーション能力に障害があるので店員さんに綺麗に感謝を述べることはできなかった。
店員さんの話では大体1ヶ月程度で手入れに来ると良いということだった。
帰り道は雨が降っていたがあまり気にならなかった。
今回「失敗」と感じた部分としてカウンセリングで会話を成立させられなかったというのが10割であり、ここをクリアできれば問題なく通えるようになる気がした。
会話を成立させられなかった要因として大きいのが、どっちでもいいことやわかっていないことが多すぎて質問に答えられないからである。
同窓会があってさ、当時の高1で自◯未遂した奴が来たんよ。(女。Aさん)
Aと別の友達(女。Bさん)が話してる時にさ、酔っぱらった勢いなのか、「あなたさ、私が自◯未遂したときに適当な対応しただろ!こんな状況で真剣に向き合わないなんてどうかしてる!!」って絡み酒したんだよね。
その時にBの目つきが変わって、「お前はクラスの仲間に何した?◯◯(俺w)の事パシリにしてたよな、買ってこさせたパンをどうしてたか知ってるぞ?(これは書けないやつ)そんな奴と誰が真剣に向き合うんだって話をしたいんだけど、していい?あとその理由、大学生の彼氏に5股だからだよね?これもしていい?」って言い出してさ。
酔いがさっと抜けたと同時に、Bの「お前は真剣に向き合ってもらえるように生きてたか?」みたいなのが強く心に刺さったよね。
多分ガキの頃ってさ、誰もが自分に清く正しく真剣に向き合うべきだって勘違いしてるよな。
大人になってSNSとかnoteに当時の教師が向き合ってくれなかったとか書いてる人もいるけど、自分はどうだったのかなあ。
ちなみに俺とBは同級生に全く言わずに結婚してて、妻としての強さにも感動したよね。恥ずかしいけど。
高校生のときはなんとかなっていたが、大学生になってから症状が悪化した。
入学時はまだコロナ禍でほとんどの授業がオンデマンドで行われた。先延ばし人間とオンデマンドは相性が合わない。「期限までに見ればいい」が、だんだん「期限までに録画してみればいい」になる。それが「試験までに見ればいい」に、変わる。当然、試験直前に一教科20時間のビデオなんて見るわけがなく単位を落としまくる。
2年になると対面授業がぼちぼち増えてきた。生活習慣が終わっていたので、授業が始まったらスマホで録音を開始して、あとは寝ていた。当然、視覚情報のない授業なんて聞いてられるわけがなく、また単位を落としまくる。
3年になる。なぜか授業中眠くなることがなくなる。そのおかげか大体の授業はある程度聴くようになった。いつも通り試験対策は直前に5時間ほどやるだけだったが(集中もしていない)、1回でも授業を聴いてるとレジュメの内容をなんとなく理解できるようになり、結果単位もほとんど落とさずに済んだ。
3年秋。就活が始まる。自分はESに書けるようなことはしていないからもっと早く始めるべきだったのに、また先延ばしをしてしまっていた。いや、一応5月くらいに就活サービスみたいなのに登録はしていたが、登録してから毎日電話は5回、メールは20通は来るから嫌になって遠ざけていた。
業界も職種もなんも絞っていないけど、とりあえず面白そうなところにESを書くことにした。猶予はかなりあった。1か月以上前には締め切りを知っていたはず。
なのに、なのに、間に合わなかった。あと10分あれば出せたのに。あのときYouTubeなんか見てなければ。あのときベッドでゴロゴロしていなければ。
毎回あと10分足りない。2時間足りないとかだったらあきらめもつくけど、本当にあと10分だけ足りない。なぜか。
多分あと10分あれば作れたものは、自分が作るもののなかの最低ラインなんだと思う。本来そのクオリティのものはもっと前の時点で作っておいて、そこから何回も何回も推敲してようやくいいものができる。
なのに自分は1発でなんとかしようとしている。この2時間で終わらせるぞ。この半日で終わらせるぞ。
そうじゃないんだよ。提出物って普通一回寝かせるもんなんだよ。
多分あと10分あれば作れたものを最初から目指していれば、2時間で終わらせることもできたはず。でも、毎回最低ラインのものをつくるために必要な時間しか残っていないのに、最高のものをつくろうとしている。残り15分になってようやく「最低ラインのものをいったんつくらないとダメだろ」ということを思い出す。
いま雑に文を書いてみて分かった。1回目はまず気楽に書く。いいか悪いかはさておきで。とりあえず字数だけ埋める。カスでもいいから全部完成したうえで、修正を加えていく。それが正しい。最初から完璧にしない。
先に延ばす前にいったん埋めるだけで、次書き直すの気持ちがだいぶ楽になるはず。できたらいいけど、
大学時代にバイト先の先輩から告白されて、それを断ったら毎日LINEを送ってくるようになって、終いには定期的に家まで来るようになった。バイト先の人たちはみんな優しくて好きな仕事だったから半年後にお店を閉めることが決まってたのもあってただ耐えた。
でも家がバレてていつ来るか分からないって結構精神的にしんどくて、どこにも安心できる場所がない。大学生でお金もなかったから簡単に引越しなんてできなかったし。毎日送られてくるLINEも「今家の前にいる」とか「どこで(私)を見た」とか来るから動向確認のためにもブロックできなかった。
そんなことがあって、まぁその前にもいろいろあったんだけどそれをきっかけにより男性が怖くなってしまって、大学を卒業して社会人になっても数年はできる限り男性と関わらないように生きた。けど、ある日ひょんなことから男性の友達ができた。
取引先ではないけど同業者で、ある会社関係の集まりで出会った。お互いあまり大人数が得意じゃないのもあって、テキトーに2.3人で集まって挨拶して、話して、解散しての繰り返しに疲れて隅で休んでいる時に、「こういうの、疲れちゃいますよね」なんて言ったのが最初の会話だったと思う。
その時は仕事の話がメインだったけど、少しだけ趣味の話もして、それで連絡先を交換した。
LINEでやりとりをはじめたら映画の話ですごく盛り上がって、今公開されている映画を後日2人で観に行くことになった。お互い1人で観に行くタイプで、感想はフィルマークスに吐き出すしかなかったから映画を観た後にその話ができるのが楽しくて、映画館のあとに行った飲食店ではひたすら話をした。
それからはお互いが好きなものを勧め合ったり、日常的に連絡を取り合いながらたまに会うような関係になって、お互いの趣味以外の個人的なことも話すようになって、真面目な話もバカみたいな話もできる友達になった。お互い今までの友達に話せないようなことでも話せて「1番の友達だわ笑」とか言って笑いあってた。
2.3年その関係が続いて、ある日その人の家でとあるシリーズ作品の一気観をすることになった。もしかしたら俳優か監督の縛りだったかもしれない。どちらにせよそういうことは前にも何度かしていたし、別にいつも通りのことだった。
何本か映画を観終わって、休憩を挟んでいたときに急に告白された。
タイミングが意味が分からなかったし、そもそも向こうにそんな意識があるなんて思いもしてなかったから驚いた。私にはそういう気持ちがなかったからすごく申し訳ないと思いつつ、この後どうすればいいんだろうと考えながら、このまま友達でいようと返事をした。
そこからは最悪だった。
とにかく目が怖かったし、力は強いし、知らない人に見えて、でもこれもこの人の一部なんだというのが受け入れられなかった。今ならまだ冗談で済ませられるって何故か私もへらへらしてしまったり、本当に気持ち悪い空間だったと思う。
終わった後に、私にこんなことをしておいてそれでも尚好きだと言ってくる心理が分からなくてただただ怖かった。
その日その後どうやって家を出たのかは覚えてないけど、後から懺悔のようなLINEが来て、もうこのまま会わない方がお互いのためだと思ったし連絡を返すことはなかった。それで終わり。
自分に非はあると思う。
これまで異性の友達を作ったことはなかったし、男性を避けていた期間があったせいで余計に適切な距離感が分かってなかった。これまでに好意を寄せてくれた人とも付き合ったことはなかったから交際経験もゼロだし。でもこの経験をこうやって出会いから書き出してみると、最後に付き合っていればよくあるハッピーエンド。私がフラグを折ったから脚本がバグった。
そんなことがあって、昔語り合った映画や勧められた映画、その当時自分が好きだった映画は色々思い出してしまうから観れなくなって、映画を観ることは趣味じゃなくなった。
でも数年経って、最近ふと映画が観たくなってそのままの勢いで映画館に足を運んだら本当に面白くて、それから時間を取り戻すようにサブスクに登録したりしてまた映画を観漁ってる。
映画を観るたびに当時のことを思い出してしまったりするんだけど、自分の中で消化できている部分とできていない部分がある。
あの日彼が私の気持ちを考えずにあんなことをしたことに対しては怒っているし悲しいけど、それまでは人として尊敬していたし、なにより一緒にいた時間は楽しかったし、でも私の中でどうしても人と付き合うっていうことに抵抗があって、もしそんな私じゃなければ相手もあの選択をしなかったかもしれないと思うと申し訳ない気持ちになったり。
自分が友だちだと思って信頼してきた人が、あんなことをした時点であの人は所詮そういう人だったんだと思いたくないのかもしれない。
趣味がきっかけで親友ができて、親友じゃなくなって、もしかしたら向こうは最初から友達だと思ってなかったのかもしれないけど、でもあの時本当に楽しかったことだけは事実だった。
◾️追記
自分がはっきり書かなかったせいで解釈の違いとかで変に対立させてしまったのが申し訳ないです。
告白を断った後に、向こうから一回だけさせてほしいって言われて断ったけどそのままされただけ。相手の力強さとかこうなってしまった悲しさとかで正直途中から諦めてたところもあるし、避妊具を付けずにされるのが1番怖かったから自分から伝えたし、"無理やり"っていう言い方は適さないかも。
コメントの方で書いたんだけど、相手も私と同じく恋愛が苦手って言ってたことを真に受けて勝手に仲間意識持ってたから裏切られた思いが強かったのと過去に色々あったせいで男性が苦手だって話をしてて経験もないって言ってたのにそこに踏み切ってきた失望があって少し被害者意識も強くなったんだと思う。
とにかく怖かったし悔しくて涙が止まらなかったんだけど向こうは私がはじめてだから痛いのかもしれないってやけに身体を気遣ってて、そんなこと思えるなら今すぐやめろよって思うのにやめる気はないし、その状況で勃つのが信じられなかったし軽蔑した。当時はそんな怒りでいっぱいだったんだけど、その怒りの熱も冷めて、時間を置いて今思い出したら楽しかった思い出もたくさん出てきてしまって心情がぐちゃぐちゃだったから書いた。
この出来事自体は2.3年前のことで、直後はまた男性不信になったりしたけど皆が皆性欲をぶつけてくるような人じゃないって少しずつ進んだり戻ったりしながら今は割と普通に接することができてると思う。割り切れたとも言えるかも。今でも付き合うとかは抵抗感があって相変わらず恋愛経験はゼロだし今後もないと思うけど。
男女間の友情なんて成立しないんだって怒って、でもそれって捻くれた考え方なのかもしれないなって思って。でもそれを確かめるためにまた異性の友人を作るほどの勇気はもうない。次に同じようなことがあったら私は今度こそ男性を信じられなくなってしまいそうだから。友人になったところで私相手だとその先で付き合えないし、セフレにもなれないから向こうとしても良くないと思うしね。
でも今後異性と関わる際はちゃんと距離感を意識します。私と相手のために。
※こういう話現実で話せないし、ただ書き散らした文章にせっかく意見貰ったので返信とかしながら改めて考えたりしてたんですが、勢いで書いて後悔してるのでもう返信はしません。ありがとうございました。
びっくりした
陰謀論ってもっと無知な人、知的でない人、老人、子供、無職、みたいな属性の人たちのものと思っていた
40歳はもうおっさんだが、インターネットは小学生の頃に普及し始め、中学時代にポケベル普及、高校時代に携帯普及、mixiやSNS、スマホ普及のときはまだ20代だったわけで、一応デジタルネイティブ初代くらいの年代だ
俺と彼が卒業した高校は偏差値70くらいの学区の頂点にある高校
そして彼も当然国立大に進学していた
世間的な属性や、元々の知的度で言えば、そんなくだらない物に真実を感じちゃう人間では決してないはずだった
ところが10年ぶりくらいに会った彼は、俺はコロナワクチンを打っていないんだ、すごいだろ偉いだろのようなことを誇ったり、飼い犬の狂犬病ワクチン接種が毎年なのはおかしいとか、コロナワクチンを何回も打つのはおかしいとか、ああいうものは全て利権構造があって無意味なことだ、のようなことを言い出した
俺は結構驚いたけど、友人だし否定も肯定もしたくなかったので、
「でも当時は発症者を特定してネットで祭り上げる空気もあったやん、クラスター発生源の飲み会した大学生とかネットリンチになる時代やったやん。意味があるかどうかよりも、自分が感染者になった時に世間的に言い訳がたつ振る舞いをしなければならない時代だったよね。自分がクラスター起こして、ワクチン未接種でしたが許される時代じゃなかったよね。だから自分は打つしかなかったけど、別に本心はどっちでもよかったんだよ」くらいなことを言って濁した
あとは神社の特定の神様が全国に多いのはキリスト教徒が暗躍してて、とか、反ワクチンよりもコメントに困る話をしだし
さらには、生命は極小で不死の生命の源があり、それが出入りして生き物は生きている、急に圧死した貝の化石にはその源が残されているので、貝の化石を食べればガンが治る、みたいな訳の分からない動画を見せてきた
いや、俺は仮にも生物学者なのよ
よりによってこの俺に、DNAより小さいサイズの源で、とか言いながら動く血球を光学顕微鏡で映して、コレって示すような動画見せてさあ
最初ネタなんかと思って笑ってみてたけど、どうやら大真面目に見ているようで
ええ、これどうすんの、と思ってたら彼は動画中に寝落ちしたので何もコメントせずに俺も寝たが
(追記:舞台は彼の家です。久々に実家に用があって帰ったついでに彼の家に飲みに行って泊まった)
いや、まじでこれどうすんのよ
いま思い返せば、「俺は好きじゃない」で済む話を「人類にはそもそも向いてなくておかしくないか?」みたいなことを20代の頃にも言われた記憶はある
その時は何も思わんかったけど、今思えば素質はあったのかもしれない
友人だし、正論とかで叩き潰してもすんなり気持ちが戻ってくるとは思わないし、変に恨み買ってこじれるのも嫌だしさ
まあ直接俺に害がないから放っておけばいいのかもしれないけど、なんとなく彼があのままあんな感じでこじらせていくのはちょっと引き留めてやりたい気もする
なんでこんなことなってんのよほんと
10年ほど前に離婚しているんだけど、あれ以来メンタルを持ち崩してしまったんだろうか
心配だわ
陰謀論はまる人、リアルでは初めて見たから、ちょっと戦慄だった
助けてやりたいけど、難しいわなあ、うーん
21歳の大学生です。政治について少しだけ質問させてください:
自分の考え方は大まかに分類すれば中道左派にあたると思うんですが、ピッタリ意見が一致する政党が見つかりません。
・マイナンバー保険証への一本化:全面的に賛成。(プライバシーリスクは旧制度にもあったし、手続きを簡単にするのは大事だと思う)
・選択的夫婦別姓や同性婚の合法化:全面的に賛成。(もっと言えば戸籍制度を解体してしまってもいいと思うけど、現実的な話としてひとまずどちらも合法にすべきだと思う)
・103万の壁変更:全面的に賛成。(自分や周囲がバイト代のやりくりで苦しんでいるし、物価の上昇を鑑みれば上限額を上げるべきだと思う)
・原発の再稼働:部分的に賛成。(電気代には安くなってほしいし、現在の安全対策は東日本当時より格段によくなっていると感じる。環境のことを考えても賛成)
・防衛費増額:部分的に賛成。(地域の緊張を鑑みれば致し方ない)
・憲法改正:部分的に反対。(同性婚は解釈でどうにかするのではなく憲法を改正したほうが...というのはわかるし、自衛隊は憲法に明記されるべきだと思うけど、緊急事態条項等人権面での改悪が多く諸手で賛成はできない。)
・入管法改正:全面的に反対。(違法滞留は送還されるべきだけど、先進国,元宗主国として日本には難民を受け入れる義務があるし、現状の入管の対応は基本的人権を侵害しすぎているから収容人数を増やせば死ぬ人が増える。レイシズムの高まりに歯止めがかかってほしいという点でも反対)
②私の主張が矛盾していておかしい(Aを認めるならBも認めるべき が作用していない)
③この組み合わせがマイナー
こういうの?
大学生の自転車マナーに怒り狂ったあまり、クレーマーの文体で苦情を大学のサイトに投稿してやろうと目論んだときの怪文書 pic.twitter.com/pwCXc9XSzG— でこ彦 (@decohico) September 12, 2024
あー、わかるw お前はおれかww?
激戦区ではない中堅どころのエリアで料金が高いデリ (2万/60分 くらい) がお勧め。局所最適という感じで可愛い嬢が集中する傾向にある。また激戦区と違って風俗慣れし過ぎてる嬢ばかりという事も無いので、店外に誘いやすい。大人ありといいつつソープでは無くデリでさがすのも、嬢がプロ過ぎないのが大きい。
初回はとりあえず 60 分で様子を見て裏オプ (1万〜2万) 可能か確認する。ここでダメなら大人も無しなので無し。この時、嬢の方から提案されるような場合も無し。風俗慣れし過ぎてるし、ホス狂いの確率が高い。「お店に内緒にしてくれる…?」くらいの温度感で受け入れてくれる嬢は当たりの可能性がある。また大前提として、自分がホストになったくらいのつもりで丁寧に優しく接するのが何より大事。信用と信頼を得られない限り、元々そのつもりの無い嬢のデリ→パパ活への移行は難しい。
2 回目以降はロング (3.5〜4万/120分 くらい) で指名する。また初回からあまり間隔を空けない方が良い。ベストは翌日だが遅くとも 2 週間以内。そもそも大半の風俗嬢は、1 ヶ月に 1 回未満しか来ない客は覚えていない。太客を予感させるためには (実際に太客であるのだが) ロングで 2 週間以内が必須ライン。そしてここでも再びコミュ力が試される。会話も弾んでお互い楽しかったよね、という空気になるかが大事。まあそもそも、そうならない嬢とパパ活したいとは思わないわけで。
3 回目か 4 回目あたりでついに店外に誘う。好きなお酒や食べ物の話から「◯◯が好きなら良いお店知ってるよ!」という、良くあるやつである。都内でラブホが近くにあって高級なレストラン (1万〜2万/人) を色んなシチュエーションに合わせて押さえておくと良い。スマホなど見ずにさらっといくつか言えるとなお良い。ここまでの段階で十分な信頼 —— 紳士的に接してくれる・お金を持っている・楽しい時間を過ごせる —— が築けていれば、断られることはほぼ無い。またここまでで聞けていなくても、食事に行くとなったら LINE も確実に聞ける。
さあ、初の店外・パパ活にこぎ着けたならば、これまで同様のコミュ力を発揮し楽しい時間を過ごそう。増田もこのくらいのフェーズになるともう、わっくわっくである。店の予約はなるべく早め、遅くとも 19 時くらいまで。理由はもちろん後に時間が残っていないと困るし、むしろそこからが本番 (ダブルミーニング) だからである。店を出たら「まだ時間ある?」から始めてホテルに誘う。ここで 5 万を提示すれば断られることはない (n=3)。自分の払いとしてはデリ+裏オプと変わらないのだが、嬢の取り分は当然大きいし、お酒も入って楽しくなってるし、そりゃ断る理由がないよね。まだ飲みたいと嬢が言ったら、酒を買い込んでからホテルの入るのも良い。コンビニスイーツを買ったりとかも。あとはタイマー無し風俗を満喫すべし。
2 回目以降はまあ嬢による。裏引きに味を占めてずっとパパ活になる場合もあれば、引き続きお店を通して、パパ活はたまにあるかな、になる場合もある。LINE がもう繋がってるので、出勤のスケジュール調整してもらったり、大学生だったら授業のない時には真っ昼間に来てもらったり、やりたい放題フェーズに入る。
当方、齢37である。来月末に引っ越しをする。大学卒業から約15年、暮らしてきた実家近くのアパートを離れるのである。
社会人としての稼ぎが少なすぎて、実家の手を借りなければ生きられない。よくメシを食べに行っていた。情けない社会人だった。それは結婚しても変わらなかった……幸い、子どもはいない。
妻は、いいやつだ。こんな貧乏暮らしの人間と結婚してくれた。見栄っ張りなのが玉にキズである。親戚や近所同士の集まりでも、コモンカード(MTGで言うと「モグの狂信者」 わかったぞ! わかったぞ! わか……)に等しい私を、高年収の正規サラリマンとして紹介することがあった。
よくできた妻だと思う。私にはもったいないくらいの。悪態をつくことはあるけど、裏切ったりしない。近所の実家にお米や野菜をたかりに行く時も、一緒に付いてきてくれた。
もし、この世界がエロ漫画の世界で、あらくれ氏が描くみたいなオッサンに妻が寝取られてしまったとしても、私は許すと思う。私に尽くしてくれる良妻である。
大学時代、ぜんぜんダメな子だった。偏差値50台の二流以下の大学で、学生時代はアルバイトばかりやっており、部活もサークルもせずにダラダラ過ごしていた。就職活動はひどいものだった。
「Fの就職チャンネル」で就活生の動画(ex.大学4年の6月から就活始めたりする)をたまにやってると思うが、まさにあんな感じの、圧倒的ダメダメ就活生だった。
さて今回、引っ越しをするのは、晴れて正社員としての採用が決まったからである。関西の南の方に住んでるのだが、隣県での採用が決まった。大まかな括りだと機械操作オペレータである。年収+はなんと約200万円。
今まで、この田舎にある小さい製造会社で毎日毎日、機械や仕様書・図面と格闘してきた。25才の時、契約社員として雇ってもらった。それまでは近所にある町中華の店でアルバイトしていた。
正直キツかった。専門知識は一切ない私立文系人間である。マジで辛かったよ。しかも、小さい会社なのに出張まであるんだからな……だがしかし、ついに培ってきたワザが評価されたのだ!!
今年の4月になってから(妻の強い勧めで)転職サイトに登録してみたところ、私のワザというのは、意外と需要のあるスキルだったようである。(ビズリーーーーーーーーーーチッ!!)
大したことは思いつかなかったが、とりあえずやってみたことを列挙する。
・少し高級な中華料理屋で暴飲暴食
・昔の思い出グッズを漁る(MTGカード、進研ゼミ中学版、ガラケーの写真など)
・地元神社の奉納祭り役員への立候補。当日記を書き始めた頃に無事終了
あとは、里山登りかな。幼い頃、祖母に連れられてよく里山散歩をしていた。小高い山の頂上から見下ろす町並みは壮観だった。
なにぶん田舎なので、里山がたくさんある。グーグルマップで見てみると、東京の方でも端っこの方は青々とした山が広がっている。あんな標高数百メートル以内の山を、ひたすらに登っていく。
自宅の裏から繋がる山道の入口から始まって、よいしょよいしょっと里山を登っていく。私が子どもの頃は、近所の人はみんな林業してたから、開けた地形がけっこうあった。里山というよりは丘陵に樹木が生えてる感じだった。
亡き祖父の話によると、戦時中はどの里山もはげ山状態だったらしい。戦争で石油燃料が不足したため、国民単位でみんな柴刈りをやりまくったのだ。グーグルマップで言うと、あの青々とした山がほぼ肌色だったということだ。
今は林業をする人はおらず、里山は荒れ放題である。てっぺんまで行っても町の景色など見えやしない。雑木の群れが頂上を覆い隠している。
樹木が生い茂ってないところだと、町の景色が見えたりする。山の標高は低いけど、限界効用が低いとでも言えばいいのか、珍しい景色なので壮観である。汗ダラダラで意識が朦朧としてるのもある。脳がマヒしている。
https://tadaup.jp/15183559802496/
高校時代の卒業アルバムも読んだっけ。柔道部に籍を置いていた。
高校卒業式の直後、部活メンバーみんなで柔道場でお祝いをするのだが――その時の写真が出てきた。
なんと、みんなからの寄せ書きも残っていた!! 超恥ずかしいけど公開してみよう。別にいいだろ。増田にこういう投稿するの、人生最初で最後なんだからさ。
(部員一同)
増田さんは、□△高校の相川さんがロリロリで好みなんですよね!!
相川さんを是非モノにしてください
増田先輩の行動で一番驚いたのは、■▲高校の藤田さんの写真をこっそり撮って、救急箱に貼っていたことです
閉会式の時、柔道着の藤田さんが目を閉じて、優勝旗に顔を傾けているやつです
とにかく3年間お疲れ様でした。先輩にはクソお世話になりました!!
増田先輩の柔道、粘り腰で凄かったです。どんな時でもあきらめずに、ベストを尽くしてました
冬の大会で4人抜かれてから5人抜きした時はマジでびっくりしました!
増田先輩の変態エクストリームハートには緊張させられっぱなしでした。
早く警察に捕まってください!!笑
増田先輩へ
増田先輩
お疲れ様でした!!
けど、引退した後もたくさん乱取り付き合ってくれて、たくさん寝技も教えてくれて、感謝してます
いままでありがとうございました♡
増田君が入部してきた頃にはどうなることかと心配をしました。ご卒業おめでとうございます。キャプテンとしての重責、大変ご苦労様でした。柔の道は、将来どこかで役に立つ時がきます。力必達(※つとむればかならずたっす)。何事も最後まで諦めず努めてください
・先輩ご卒業おめでとうございます これからも頑張ってください
・3年間お疲れさまでした 面白い先輩でした笑
・これからも今までみたいに頑張ってください
これはひどいwwwwwwを地で行く内容である。こんなん、人に見せられるもんじゃねーだろ。
でも、いいよ。増田民へのサービスだ。いつもお世話になってるからな。
そんなこんなで先月に就職が決まってから、結局最後までできなかったことがある。大学時代の思い出の開封である。
それ以外の思い出BOXはすぐに開封できた。実家にある元自分の部屋にある段ボール箱のテープを、ビリッとやればそれでよかった。でも、大学生時代は後味が悪すぎる。就職すらできずに、逃げるようにして卒業したんだから。正直、嫌な思い出である。トラウマと言っていい。
いや、大学の卒業式は出席したのだ。謝恩会にも。問題は、マクドナルドでの思い出である。
マクドでアルバイトしてたんだけどさ、卒店式っていうのがある。文字どおり店舗からの卒業式である。毎年3月にある。
卒店式だけど、マクドナルドって経営や店舗運営が外資ルールだから、エリア内の店ごとに売上を競わせるんだよな。
それで、いい結果を出してる店舗だとそれなりの貸館施設で、いまいちな結果の店舗だと近所の公民館を無料で借りて、ジュースやお菓子をテーブルに並べて卒店式をやる。
大学時代にアルバイトをしてたマクドの店は、成績がいいところだった。京都にある四条河原町店という名門店舗である。店舗番号は100番以内、つまりマクドナルド黎明期に作られたお店のひとつだ(今でもあるのかな)。
当時の私は就職活動に失敗して、無職neatでの卒業が決まって落ち込んでいた。
そんな時、自分のひとつ年下の後輩のスウィングマネージャー(※できるアルバイトが社員の仕事をする。時給+50円)から話があった。「増田さん今までお世話になりました。卒店式、ホテルグランヴィア京都でやりますからね。店長が、すげー男を見せてくれた(※足りない分は自腹切ったらしい)んすよ!! 自分、増田先輩のために送辞読みます」とか言ってた。
でも、私は嬉しくなかった。就職活動に失敗してニート確定の自分が、そんな場で送辞を読まれたって嬉しくもなんともない。畜生というやつだ。
結局、卒店式には出ないって後輩君に伝えた。すごくガッカリしていたよ。だって、彼が初心者の頃、私がずっと付いて教えていた。彼が嫌なことあって、アルバイト中に不貞腐れてる時でも、構わずにとにかく、いろいろ教えていったよ。
この子は才能があるから、すぐにうまくなるだろうと思ったけど、やっぱりすぐに上手になった。
ただスキルがあるだけじゃなくて、なんというか、仕事の本質がわかってるというか。能でいうところの上手(うわて)みたいな感じである。世阿弥がさ、『風姿花伝』で伝えてるような、社会人技能について嵩があって丈もあって(※今でいうとT型人材)、本質的なことがわかってる子だった。
一度だけ、後輩君から催促を受けた。二度だったかもしれない。あの時のことは覚えてる。
あれは事務所だった。「卒店式出ましょうよ」というシンプルなものだった。しかし私の答えは……。
「そんな気分じゃない。早く就職しないと。すぐにできないかもしれんが」と言ったら、「増田さん。AJCCで2回も勝ったじゃないですか!! 余裕っすよ」と言ってた。
※AJCC…マクドナルドの技能大会。「2回勝った」とは、地区大会と府大会で部門別優勝したの意。関西大会では、府大会と違うメンツでオペレーションになったので、コミュ障だった私はボロボロの成績だった
その後の後輩君とのやり取りは覚えてない。最後の方だと「あのな、後輩君。どんだけ綺麗に、上手く、速く、素早く、ハンバーガー作れたってな。社会じゃ何の役にも立たねーんだよ!」と悪態をついた。
それで、後輩君は黙ってしまって、それ以来やつとは会話していない。最後の勤務日も、淡々と仕事を終わらせて――いや違う、確か女性の学生客がトイレでゲロ吐いたんだっけ――それの片付けを夜に終えて、私にとってのマクドナルドは終焉を迎えた。
帰りに、同じくマクドナルド河原町三条店(※こちらは関西最古の店舗らしい。今でもあるのかな)に寄って、チョコパイかベーコンポテトパイを買って帰った。マックポークだったかもしれない。マックチキン……( ;∀;)
しんみりしてしまった。
学生時代の思い出を開封するのは心理的にキツイ。けど、時間は限られている。いったん妻とこのアパートを出たら、帰ってくるのは十数年後になるかもしれない。妻はうちの実家嫌いなので……。
そんなのはちょっと、想像したくなかった。というわけで、アパートの自室の押し入れを開けて、学生時代の禁断に近い思い出の段ボール箱を開封した。
そしたら、いろんなものが出てきた。当時のガラケーとか、大学時代の成績表とか、学位記とか、マクドナルド辞めてから郵送で届いた卒店式の寄せ書きとか、昔の授業ノートとかだな。産業社会学部のゼミのみんなで撮った記念写真もあった。京都駅の近くで行われた社会科学の研究展示会で賞を取った時のやつだった。当時の日記も出てきた。
その日記、最後の方だけパッと読んでたんだが、どうやら学生時代の私は卒業時に108万円の貯金があったらしい。なんでそんなにあったかというと、大学1回生の時からマクドナルドで週5で働き続けていたからである。いわゆる超修行をしていた。ここまで働いてると、身体が脳をハックするようになる。
……厨房の注文画面が「ピッ」と鳴ったら、考えるよりも前に身体がハンバーガーを作り始める。考えるんじゃなくて、調理行程を『感覚』が捉えるようになる。トングとか、ソースガンとか手に取るんだけど、なんかさ、感覚がさ、一体感がすごい。トングが身体の延長というか、もはやマクドナルドというお店自体が、自分と一つになってるような、そういう感じ。
例えば、トングを握ってパティ(肉)を掴んでる時って、体のどこがそれを認識してるのだろうか。
指先だと思うかもしれない。けど、その指を支えているのは筋肉組織と関節であり、それらをさらに骨組織が支えている。物質に触れている指先というのは、入口である。
骨組織と言ったけど、トングでパティを掴んだ時の刺激って、関節の中を電気信号が走って、最後は脳に伝わる。ということは、刺激というのは、結局は指先じゃなくて『脳』が認識している。
でも、その刺激って指先が認識してると人は解釈することができるし、実際にしている。脳が認識してると捉えることもできるし、体の先っちょが認識してると捉えることもできる。
こういう解釈が成り立つということは、指先が触れてるトングそのものが、パティの感触を認識してるってことにもならないだろうか。
剣道の達人だと、竹刀が体の一部みたいになっていたりする。サッカー選手だったらボールである。そうだ、ここでの私にとっての肉体の最延長は、指先じゃなくて、トングなのだ!!
もう少し延長すると、店舗で働いている自分というのは、床に立っている。呼吸をしている。ほかの従業員やお客さんの存在を感じ取っている。ということは、其処に存在している以上は、その床を、空気を、ほかの店舗スタッフを、お客さんを、なによりマクドナルド四条河原町店という、その存在が――私という人間の延長として考えることはできないだろうか。
実際、国際赤十字とか、国連とか、国際NPOとかで働いている人、それ以外にも人類福祉のための活動してる人って、地球とか、人類社会そのものを自分の延長として捉えてるんじゃないか? そう感じざるを得ないようなニュースがたまに飛び込んできたりする。
それはさておき。108万円の貯金、結局どうしたんだっけ。
あー、そうだ。グータラだった自分は、フリーター生活とともに2年もしないうちに霧消したんだった。でも、あのお金があってよかった。あれがなければ、秋から始まる奨学金の返済に対応できなかった。
あの頃(23~25才)の私は、アルバイトではダメだと、奨学金の返済に耐えられるだけの仕事を探して、探して、探しまくって、ようやくたどり着いたのが今勤めている金型の製造工場だった。
始めは出荷場での勤務だったけど、オペレータの給料が高いというので転属を申し出たのだ。これらは当時の日記を読み返して初めてわかった。案外、人は記憶を改ざんするものである笑
ちなみに、まだ奨学金を返済できていない。普通の社会人だったら、繰り上げで30前半くらいには全額返済できていると思われる。今はその程度の稼ぐ力すらないけど、これから妻と一緒に創り上げていきたい。