はてなキーワード: 悲鳴とは
職場や学校の「白マスク」指定に悲鳴 専門家「管理者の安全感覚鈍い」
https://mainichi.jp/articles/20200418/k00/00m/040/030000c
それまでは東方のオタクで幻想郷の与太話をこねくり回しながら、ボカロを聴いたりラノベを読んだりするライトなオタクだった。
最初にハマったのはてんたつだった。そこからながむつに言って、球磨型姉妹に紅魔館一家みたいな実家感を感じながら、
そこで、赤加賀にハマった。
ツイッターでグダグダ萌えるカプの話をしながらデジタル雑踏で深夜徘徊するのも日課になった頃、ツイッターの夜で出会ったのはなりきりアカウント群だった。
だからそういう文化と相性悪いのかな。って思いもしてたけど、ガチレズ大井bot、正規空母の赤城さん、ヘタレズ加賀が自分をいい感じのオタクにしてくれた。
最初の方にあった瑞阿武は未だに喉の奥に引っかかっている感じがするし、大井の部屋とか、ドスジャギィ金剛のこととかが今書いててとても懐かしい。
ヘタレズ加賀は伝説になったし、ちょっとだけカムバックしてくれた時は本当に熱いものが込み上げた。
ボットの中身さんはオルタの方で元気だし、身の方は色々と成功?されてるみたい。
慢心さんの方もちょっと横目に観測してたけど、結局中の人のことは知らず終いって言ってたのが(幻覚じゃなければ)ずっと心の何処かに突き刺さってる。
自分のおたくとしてのあり方と、いまいち波長が合わないんだと思う。
んだけど、かえみとの、2018年の8月時点で私たち終わってたかもしれないんだよね。っていう配信だけは、観測したし、おもいものが胃の中に落ちてきたし、そのフレーズ、空気感、言葉にできないものをずっと咀嚼してる。
どうあがいても、中に入っていけないし、入っていく気もない。
コミュニティとか界隈とかクラスタとか、そう言ったものの一歩外側でずっと眺めてるだけのぼっち、で、感傷マゾ。
ヘタレズ加賀の加賀屋万筆堂の「白い涙がきこえない」は結局プレビュー版をDLしたっきりで本編は永遠に買い損ねたままだし、EEAAの姫ってつまりこういう。は永遠に焦がれたままだ。
繋がってないようで自分の中では繋がってる話を戻す。
ありえたかもしれない可能性。もしかしたら失ってたかもしれない可能性。
そういうのが好きだ。
オタク(お宅)も、そういうの、好きだろ?
そんな寂寥。
戦艦土佐っていう概念とのファーストコンタクトは、艦これをやりだして、元になった艦船のwikiを足がかりに各種資料とかを漁り始めたまさにそんな時だった。
でも、そうはならなかった存在。
あるいはありもしない存在に(ゲーム的には実装されてない存在に)感情ベクトルを向けるゲーム内キャラ。っていう構図に、どうしようもなく心を惹かれたのかもしれない。
案の定マイナージャンルで、でも、業の深いオタクがエモくて重い作品を書いてくれてて。
そんな本を求めてコミケの会場中を探し歩いたりもしたけどそれはまた別の話だ。
どうしようもなく惹かれて、でも公式(艦これ)では未実装のまま。
ガワが固まりきらないキャラの輪郭っていうのは、そこが抜けた鍋のように、注ぎ込んでも注ぎ込んでも、いつまで立っても何かの形を結ぶことはなかった。
とは言え、そんな与太話をこねくり回しているのはそれはそれで楽しかったけど。
キャラの基盤を知ってるから、その流れでアズールレーンもやるようになった。
アメリカメイン?だからびっくりするほどキャラが多いけど、それぞれちゃんとキャラが立っててすごいなーと思いながら、のんびり気長にプレイしてる。
何かの記事で、中には土佐の名前も見受けられるから、いつかは。というのは思っていたけど、まさかそっちから来るとは。
って感じだったし、天城も土佐も履修済みの身としては、失った片割れを重ねて疑似姉妹ごっこっていう構図は随分とそそるものがあった。
基盤になるものはすでに履修済み。
起工日、なんていう今となっては意味の薄い日の話は置いておいて。
加賀が一月早く進水したけど、すぐに建造中止、2年ほど待って、身を作り変えるという決定を受けた側と、何もなさぬままに沈めと自決を言い渡された側と。
戦艦加賀が持ってた仮面が土佐に受け継がれてて、非常にエモくなった。
一つのたむけだったんだろうか。
その辺りも、これから本編(というかイベントストーリー)で実装してくれるんだろうか。
いつまでも形を持つことのなかった自分の推しキャラが受肉して、めんどくさいオタクたちの感情ベクトルが向かったり向かなかったりすると思うと、
そういえば最近だと夢見りあむお気持ち表明採点botも感情を食ってるって公言してたっけ。
あそこまで突き抜けてこそないけど、原作をぶつけられて吐かれる巨大感情が美味しいから、インターネットの徘徊はいつまで立ってもらやめられない。
中野区の病院で感染爆発した関係で救急外来(以下「救外」表記)現場の悲鳴とかが取り上げられて、ポツポツと「専用の救外作れば…」みたいな意見を見るようになってきた。
ちょっと考えてみ。
専用設けたとして、そこに来る患者ってどんな人?
全員コロナなら話が早くていいんだけど、コロナ陰性の人がいたとするね。
その人、良くて濃厚接触で隔離、悪ければ感染。ってなるんじゃね?
逆に専用外来にコロナを振り分けた後の通常の救外はどうなるか。
例えば交通事故で意識不明の患者、念のために検査したら陽性でした。みたいなのが一件発生したらもう詰むよね。
新型の厄介なところのひとつは、「本当に新型?」っていうのを確定させるのに手間がかかるってこと。
一月ごろの中国からの渡航者が陽性確定したときなんて、検査3回やって3回目に陽性ヒットだからね。
治療目的の検査ならいいんだよ(良くないけど)。CTと検体検査と両方やって、どっちかヒットならヒットとして扱えばいい。
でも完全にクリーンな治療環境を構築するとなると、このコロナの病態って救急外来というシステムそのものとものすごく相性悪いから、外来を「専用」に分けただけじゃあんまり効果ない。ウイルス側にハックされてすぐ無効化されるんじゃないかって思う。
かといって、「逆に考えて、もうコロナありきで感染防御捨てたノーガード病棟作れば良くね?」というわけにはいかない。
なんせ悪化するときは数日から数時間という単位で意識不明人工呼吸器までいく病気だ。看護師を呼んでも来ないと思ったらその辺で倒れてた、みたいなことが容易に発生しうる。
結論。
割と詰んでる。
非医療職にできることはヒッキー継続して不要不急の大病・大怪我リスクを下げることくらい。
以上!
なんなんだろう。ネットリテラシーの差なのかな?
巣鴨の縁日とか、老人たちは若者のインフルエンサーたちがSNS使って一生懸命呼びかけてるのを知らないから現状が全くわかってないのかな、とか思った。
昨日、地元で友人の結婚式だったんだけど、さすがにこの時期に東京から地方に行くのは憚られるので先月の下旬にキャンセルの連絡をした。
私の地元は九州の都会ではないが中核市に区分されているくらいには田舎でもないありふれた地方都市で、そこまで田舎ではないので十分に危機感はあると思っていた(田舎の人に危機感がないというわけではないけれど)。
結婚式を予定通り実施するというだけで「ん?」とは思ったんだけど、熟考の上だろうと思ったし新郎新婦の負担を思うととやかく言えないので安全に行われることだけを自宅で祈っていたら出席している友人からLINEでビデオ通話がかかってきたので出た。
えっ、友人、赤ちゃん抱いてニコニコしてる…上の子も連れてる…。当然みんなマスクもしてない…。
悲鳴を上げそうになった。外出すら危ういこの時期に、赤ちゃんを連れて人が集まる場所に行ける危機感のなさ。目眩がした。
地元は先週、市内で1人目の感染者が出て、母親が慌てて電話をかけてきたばかりだ。私は毎日のように電話口で母親が「東京の若者たちは原宿なんて出歩いて平和ボケだ」「飲み会をしているサラリーマン信じられない」などと言っていたので、母自身は十分に危機感を持って行動していると安心していたから「今まで以上に気をつけてね」と伝えると「昨日までスポーツジムのプールで泳いでいた」と言われて顔面蒼白になった。東京人を平和ボケだと言っていたのになぜ!?と聞くと「うちの市は大丈夫だと思っていた」と。東京は違う星だとでも思ってるのか!?
地元の友人たちは、いわゆる『マイルドヤンキー』に属する人たちでインターネットはフェイスブックとLINEくらいでしか触れない。母親もそうだ。だからなのかな?
私は、あらかじめ母に人が集まるところには行かないでほしいこと、スポーツジムは休んで運動は屋外の散歩やジョギングに留めてほしいこと、買い物すら極力避けてほしいことを噛み砕いて説明しなかったことを後悔している。こんなに認識に差があると思わなかったんだ。
この差はどこからくるんだろう。東京と地方の差というように書いてしまったけれど、東京でも私の職場は未だに会議室に集まって不要な会議を繰り返しているしパートのおばさんたちは揃ってランチに出かけている。
何が違うんだろう。リテラシーの差だけではない気もする。テレビでも危機的状況であることはちゃんと伝えてるはずだし…。性格?
厚生労働省も「3密」を用いている。
「3密」を避けてください
【首相記者会見】首相「三つの『密』を避けて」 - 産経ニュース
夜間のクラブやカラオケで感染多発…「三つの密」回避呼びかけ : 国内 : ニュース : 読売新聞オンライン
「自粛いつまで」歓楽街悲鳴 三つの密、避けられず―立ち入り自粛要請・歌舞伎町:時事ドットコム
三つの「密」リスク再確認を 東北医科薬科大・賀来満夫特任教授に聞く | 河北新報オンラインニュース
「三つの密」という言葉をよく目に… | 社会 | 越山若水 | 福井新聞ONLINE
NHKは「3つの密」だ。(ところで、この見出しから「の調査」を取るか「通信アプリ」を「LINE」に変えると短歌になるな)
「3つの密」避ける対応 不十分 通信アプリの調査 新型コロナ | NHKニュース
飽きてきたので、この辺りで。
まだ覚えてる人はいるだろうか、100日後に死ぬワニ。すでに記憶から風化しつつある人も多いのではないか。
あのtwitter漫画は「善良な一市民の平凡な日常も、突然の死により断絶し得る」というテーマを、死の前日までの99日間、貫き通したものであった。
そんなワニに感情移入する者が多かったが故か、100日目の怒涛の広告展開に憤る者も多かった。
それが、恐らく後の日本の歴史で分岐点として語られるであろう「3連休」初日の話だ。
その時、既に欧米では「平凡な日常」が喪われつつあった。もしくは既に喪われていた。
にも関わらず、日本では「危機は去った」と言わんばかりに警戒を緩める者が大勢いた。大規模興行も行われた。
水面下では帰国者による感染拡大が急速に進んでいたにも関わらず、だ。
今ようやく我々も「平凡な日常」の崩壊の危機に瀕していることを悟ろうとしている。来週には「3連休」の結果が出ることだろう。
そんな状況では「善良な一市民の平凡な日常も、突然の死により断絶し得る」というメッセージそのものが意味を成さなくなる。
だから、100日後に死ぬワニの広告展開は、一刻一秒を争うものだったのではないか。
泡沫の夢のような小康状態の「3連休」初日、皆がまだ「平凡な日常」が続くと当たり前に信じていたあのタイミングを逃すと、日常崩壊の悲鳴に広告の声も掻き消されていたのではないだろうか。
(いくつかフェイクあり)
カウンセリングを受けて何かと楽になったので、知見を共有したい。
それに、カウンセリングを終えてからそろそろ1年が経過するので、ちょうど過去を振り返るのにちょうどいいと考えた。
増田でも、多くの人が「カウンセリングに行ってみたら?」と時には本気で、時には冗談で言うのだけれど、そこが実際にはどんな場なのかを知らないせいで、行くのをためらっている人が多い現状を、変えたいというのもある。
増田だけではなく、ネット上の多くの人が、少しでも楽になれるように祈っている。その助けになれば幸いだ。
長くなりそうだし、愚痴っぽくなるのも嫌なので、代表的なものだけを箇条書きで挙げる。
臨床心理士の資格を持っている50代の女性。中学生くらいの子供がいるらしい。
髪の毛が長く、少しやせ型。落ち着いた物静かな女性だが、明確な自分の考えを持っている印象がある。初恋の人に似ている気がするがおそらくは気のせいというか、投影しているのは間違いない。
初回は風景構成法を行った。これはカウンセラーの指示に従って、順番に山や川、家や田んぼ、人物などを配置していくもので、専門書に当たれば具体的な解釈方法が書かれているが、自分は専門家ではないので省く。当日に描いた作品を今になって振り返ってみると、道のど真ん中に障害物の石が置かれていたり、山が雪に閉ざされていたりと、寒々とした印象を受けた。描かれている人間も逆立ちをしていて、何やら不穏である。蛇も不気味にとぐろを巻いていた。
二回目からは主に夢分析を行った。カウンセリングとカウンセリングの間の一週間に見てきた夢を記録して、それを材料に話をする。つかみどころがないようだが、意外なことにかなり効果があった。理屈はわからないが、この治療中は同じようなテーマの夢を見るようになる。さらに、肝心なのは夢の内容そのものではなく、夢の話をしているうちに自分が何を思い出したか、あるいは漠然とした印象をどのように語りなおしたかで、それによって、自身の考え方の偏りや傾向が見えてきた。現に、夢の内容を話す時間は案外短く、後半の三十分は、そこから思い出した過去の出来事や近況、それについて自分がどう感じたについて話し合うことに費やされた。そうした雑談をきっかけに、突破口を開いたこともある。
夢分析が行き詰まった時には、箱庭療法を試みた。これは、砂の敷かれた箱の上に人形や模型を配置していくもので、話しながら人形を動かしたり、砂の上に模様を描いたりした。うまく説明できないが、非言語的なものを明確にするのに役立った気がする。例えば「このタヌキ(の置物)は寂しくて困っている。友達がいなくて寂しそう。上下がひっくり返って困っている。悲しくて暴れている」などと比喩的な話をすることで、日常使っている言葉の論理で語りたくないことを口にしていた。小さな人形を触っているうちに気分が落ち着いたり、逆にひどく動揺することがあったり、不思議な経験だった。箱庭療法の最初の一回も、自分の心理的混乱が反映されていたのか、人形同士がにらみ合ったりひっくり返ったり無意味に積み上げられたりと、非常に張り詰めた印象のもので、カウンセラーも「ちょっと怖い」という印象を漏らしていた。
これらの技法は、ある種のきっかけというか呼び水だった気がする。どんなことを語っても許されるというか、傾聴してくれる場というのはそれだけで貴重で、話しているうちに自分の思いがけない本音や、ダブルスタンダードに気づいた。また、夢のような一見「どうでもいい」話ができる仲になることで、普通は人に話すこともはばかられるような、野外オナニー願望についても話すことができた。
治療も後半になると、こうした技法はほとんど用いず、通常の雑談に近くなった。自分はこういうことをしてこう言う結果になった。自分の気持ちはこうだ。そうしたことが素直に言えない人のために、これらの技法はあるのかもしれない。
始め、自分は藁にも縋るような思いでカウンセリングを申し込んだ。と同時に、どこか疑ってもいた。自分はカウンセリングの技法についての基礎的な知識はあったし、大体どのようなことをされるのか予想がつくと思い込んでいた。精神分析に関するフロイトの著作だって読んだことがあるし、河合隼雄の「ユング心理学入門」も読んでいた。しかし、カウンセリングの概略を知っていることと、実際にカウンセリングを受けることとは、まったく別の経験だった。水泳の理論と、実際に水に入って泳ぐこと以上に隔てられている。なんといっても、何年にもわたって定期的に同じ人間と会うのだから、必然的に相手には強い感情を持ってしまう。結局、人間が強い感情を持つのは人間に対してであり、人間が変わるのも対人関係を通してだ。
カウンセリングでは何について話すことも自由だった。幼少期の悲しみ、いじめられた経験、両親から受けた不条理な仕打ちなどなど。それだけではない。女性にするべきではないとされている話もした。自分の性生活、自慰行為、風俗店での出来事など、自分は露悪的なまでに細部を語ったが、しっかりと耳を傾けてくれた。
そして肝心なのが、何度同じ話をしても相手は退屈する様子を見せない点だ。自分は、同じ話を繰り返すことで忘れていた細部を思い出すことがあったし、それに新しく意味付けをすることもできた。
最後に、カウンセリングの時間が終わりに近づくと、カウンセラーは僕の話した内容を簡潔に言い直す。そうすると、自分はこういうことを考えていたのか、と毎度のように驚かされる。まとめられた内容を反芻しながら次の一週間を過ごすことで、自分の考えが深まっていった。他にも、自分がすべての不平不満をぶちまけた後で、それに対する解釈を投げ返されることで、その負の感情を自分の一部として取り込むことができるようになった。「あなたがそこで腹を立てるのは当然だ」「あなたの感覚はそれほどおかしなものではない」という趣旨の言葉を返してくれるだけで、自分の過去を少しずつ受け入れることができるようになっていった。
ところで、カウンセリングに通ったのが、2014年3月から2019年8月のことなので、4年以上も同じ人と毎週のように会っていたことになる。途中から自分の気分が落ち着いてきたので隔週に切り替えたのだが、それでもかなりの頻度だ。自分は、自分のあらゆる感情や悩みをぶちまけて、それでも受け入れてくれる存在がうれしかった。モテないあまり風俗に浸っている自分を軽蔑しない彼女の存在が尊く思われた。
珍しくないことだが、自分はカウンセラーに好意を持つようになった。自分は、職業倫理上その気持ちは受け入れてもらえないことだと知ってはいたけれど、「あなたを尊敬しているし、とても強い好意を持っています」と伝えた。カウンセラーからは「私もあなたと会うのが楽しみです」という趣旨の返事をもらった。と同時に、僕は、なぜこのカウンセラーが好きになったのかをじっくり考えだした。すると、自分には好きな人に自分の悩みを洗いざらい吐き出したいという願望があったのだ、と気づいた。同時に、自分は知的水準の高い女性に強いあこがれを持つことも改めて認識した。年齢などどうでもよかった。比較的若く見えるが、相手は五十代の人妻で、自分が手を出すわけにはいかないのだけれど、叶わない想いだとは知りながら、相手に尊敬の念を持ち続けるというのは、思ったよりも悪くなかった。おかげで、自分にとって他人を好きになるとはどういうことかを言語化できたし、他人を尊重することを身をもって学んだ。
一人の女性を好きになり、それを軽蔑されたり馬鹿にされたりしないこと安心感を、自分はたくさんの悩みに取り組む支えとしていった。僕は、このカウンセラーのことが好きになれて、本当によかったと今でも思っている。
過去のどのようなつらい経験も、自分はそれぞれ意味があったのだと、迷いなく考えられるようになった。それから、今までは様々な物事を与えられて当然だと感じていたが、やっとのことで与えられた物事に感謝することを学べたように思う。
また、自分の恐れの感情やトラウマにとらわれずに行動できるようになったことで、自分の外側の世界に対して、うまく働きかけることができるようになった。
もちろん、上に書いたような悩みのなかには、直接解決しなかったものもある。でも、それはそれで仕方がない、と受け入れられるようになった。
何よりも現実検討能力がついた。不安を不安のままかかえておけるようになり、不安で頭が真っ白になることがほとんどなくなった。自分の中の膨大な不安のエネルギーが、落ち着くべき場所を見つけたかのようだった。
悩みの解決の過程を言語化するのは難しい。自分の考えがどんな風に変化していったかを記すにとどめる。人によってたどるべき道のりは異なるし、僕の頭の中の理屈をそのまま文字にしても、納得できないことは十分に考えられるからだ。
過去のいじめ、対人関係のトラブルはとても悲しいものだった。でも、おかげで自分は人をできるだけ傷つけないようにしようと心掛けられるようになった。それと同時に、絶対に誰のことも傷つけない発言・表現というのも無理だとも知った。男性であれ女性であれ、相手を一人の個人として尊敬することが大切であり、それは自分と相手は異なっていると認識することだ。だから、できるだけ丁寧に接することは大切だけれども、自分と他人は別の存在なので、礼儀正しくしていたとしても、絶対に不快な思いをさせないでいることは不可能だ。かつての自分は、自分が女性から不快な思いをさせられた経験から、絶対に女性を傷つけてはいけないというルールを自分に課していたのだけれども、それは不可能だと知った。過度に自分を縛る目標は、ある種の呪縛だ。
それに、世間にはいろんな女性がいる。優しい人、冷たい人、知的な人、ちゃらんぽらんな人。一人の女性が自分に暴力を振るったからと言って、そうでない人もたくさんいる。女性一般や平均的女性像みたいなものに、振り回されなくなった。
フェミニズムとの距離感もうまく取れるようになった。納得できることはうなずき、わからないことについては調べ、おかしいと思うことには反対する。それは、フェミニズムだけではない。自分とは違う考えの相手に対する対応の仕方と全く同じだ。
仕事に関しては、転職をした。自分の能力に見合った仕事に切り替えることでやりがいも感じられるようになった。給与は下がったが、例えば600万稼ぐ人間が300万稼ぐ人間の2倍偉いのかといえばそういうわけでもないし、僕にとっての一番大切な価値観は、早寝早起き快食快便が守れる生活が維持できるかどうかだと知った。
男らしくないのではないか、というのも気にしなくなった。世間の価値観がどうあれ、自分が好きなことを好きなようにする。自分らしくあることが自分にとって男らしいことと定義しなおした。
その中で、家族との関係も改善した。今にして思えば、両親は自分と非常に適切にかかわってきてくれた気がする。圧倒的にすがりたいと思っていた両親も50~60代のただの人間なのだ、と実感することができた。しかし、ただの弱みもある人間だからこそ、大事にしたく思えるようになった。距離感が適切になった気がする。
処女厨もロリコンも治った。正確には、そういう願望があることそのものに対して、思い悩まなくなった。一つには、50代の女性に恋をすることで、実際に小学生と恋愛したって、物足りなくなるに決まっていると心の底から理解したというのがあるし、人生経験豊かな女性の魅力に気付いたのもある。さらに、処女厨の根源にあった、「セックスとは汚いものだ」という意識も弱まった。「セックスは気持ちよいものだし、誰かを愛することは素敵なことだ」という感覚しかなかったら、処女喪失を汚れとは認識しないだろう。それよりも、出会った二人が新しく一緒に思い出を作っていくことの喜びに目が向くようになった。まだ彼女はできていないけれども、一緒にデートしたり、他愛のない話をしたり、うとうとしたりしたいし、それに向けて今でも努力している。
女子小学生の裸を見たいという感じもほとんどなくなった。確かにあの年頃の女の子はかわいいけれど、それだけのことだ。どんな感情を抱こうとも人間は自由だと思えるようになったことで、かえってそうしたロリコン的な願望から自由になった。
同時に、野外オナニー願望も消えた。なんというか、得体のしれないドロドロした性欲のエネルギーに、適切な形が与えられた感覚がある。よく夢で、性器を露出したり全裸になったりするパターンが多かったのだけれど、カウンセラーと話すうちに「おちんちん見せるだけじゃ意味ないよね?」みたいな話になり、そうしたことを話しているうちに、セックスって相手あってのことだよね、みたいな認識に到達した(このあたりの話が非常にわかりにくいのではないかと恐れている。ラポール、とでもいうのだろうか、クライアントとカウンセラーの間には、長い間の会話の積み重ねからくる膨大なコンテクストの共有があり、ある種のツーカー関係が出来上がっているので、会話だけも書き起こしても非言語的な部分が多くを占めていて、客観的にはわかりにくくなりがちだ)。
死への恐怖は、とりあえず先送りされた。これは個人的な経験だけれど、死ぬのが怖くてたまらないときというのは、何か大きな変化を恐れているときか、未知のものに飛び込まなければいけないときに強まるような感覚がある。
カウンセラーには日々の出来事を何でも話すことができたが、別にカウンセラーに聞いてもらわらなくても、別に大丈夫になってきた。さらに、ここで話をしても、これ以上自分は楽にはならない気がするようになってしまった。
とても感謝はしているけれども、自分で自分を励ます考え方ができるようになっていて、あとは毎日の出来事を淡々とカウンセラーに報告するだけみたいになっていた。
というのも、自分の悩みを解決できるのは、最終的には自分だと思うようになったからだ。話を聞いてもらって勇気をもらったり、現実的なアドバイスを受け取ったりすることはあったけれども、実際に行動するは他ならぬ自分なのだ。
ならば、これ以上ここにいても、自分は変われないのではないか、という気がした。そして、3月という区切りのいい時期であったので、そこで終えることにした。
最後にもう一度風景構成法を行った。山には緑があふれるようになり、街には人がたくさん姿を見せるようになった。蛇は道や川のうねりへと姿を変えた。困ったときには駆け込めるような病院や、芸術を鑑賞できるような美術館も街に描かれていた。そこでは、たくさんの人々が連れ立って歩いていた。ずっと住み心地のよさそうな風景だった。
Patreonの一件を見ていてふと思い出したので。
これね。
【#PatreonIsRacist】 Patreon、アニメ顔は体格関係なく未成年扱い。Google Driveまで監視。
https://togetter.com/li/1480967
フェミニストにしてもLGBTにしてもポリコレにしてもリベラルにしてもそうだけど、この手の規制を推進する連中って気に入らないモノを潰そうとするのに失敗したら、次は乗っ取ろうして来るのは常套手段だよねと見ていて思うのよね。
昨今でも日本においても赤十字の一件やJAの一件辺りが記憶に新しいし、集英社辺りのフェミニスト漫画の要求や赤十字の一件の急な掌返しを見ても良く判る事だと思う。
そしてこの手の連中の要求に応じても往々にして碌な事にならないのはPatreonとかの一件を見ても良く判るはず。
Patreonにしてもお気持ちに配慮した結果、今やレイシスト呼ばわりされ出し資金面で悲鳴を上げだしたし、このSCPにしてもLGBTに配慮した結果分裂を招いたし、ポリコレやフェミニスト、LGBT等の要求に答え続けているディズニーやハリウッドのクオリティの低下の惨状をみてもどういう事か良く判るはずだ。
何故作品が下らなくなるかについてはまず思想ありきで作品を作る事になってしまうから。
そしてフェミニストにしてもポリコレにしてもクレームをつけるだけで客になりえないのは様々な騒動を見ていても良く判る事だ。
彼等の言う広く浅く受ける作品を作る事は面白い作品を作れなくする事を意味する。
本来なら一部の深く狭くの人向けに作るのが正解で、それがたまたま世間でもヒットするパターンの方が遥かに多いのは事実なのだけどね。
つーか、SFにしろ時代劇にしろファンタジーにしろホラーにしろ、元は一部のディープな一部の層で好まれていた代物な訳だったんだし。
それこそ少し前に世間様向けで受けていたパヤオさんにしてもナウシカなんて当時は深く狭くの域だったんだし、ドラえもんの作者も火の鳥のあの人も深く狭くの作品を割と多く書いていたわけだしねぇ。
趣味嗜好なんて人それぞれであり、万人向けなんて夢もまた夢な訳だからね。
特化した方が良い結果を招く事も多いのは事実だと思うけどね。
We’re gutted by the mass cancellations hitting the creative community so we’re throwing a weird virtual meet-up to raise funds and come together as a community. If you’re an artist or love one, join us and spread the word. #WeirdStreamathon #Covid_19 https://t.co/PiFudNixWV pic.twitter.com/w9GIlheWmV— Patreon (@Patreon) 2020年3月12日
【#PatreonIsRacist】 Patreon、アニメ顔は体格関係なく未成年扱い。Google Driveまで監視。
https://togetter.com/li/1480967
Patreonが突如日本の画風は児童ポルノだとして排除しクラウドの監視までし始める→世間的にブチ切れ始められる→キャンセルが相次ぎ経営的に資金面で悪化し始める→Patreonが悲鳴を上げる
一言だけ言っておく。
ざまぁ。
https://twitter.com/pink_yellowish/status/1057925168406773761?s=20
【2012年】
□第2次安倍内閣発足
【2013年】
●アベノミクス発表
●東京五輪決定
【2014年】
●消費税8%引き上げ
□第3次安倍内閣発足
【2015年】
【2016年】
【2017年】
●森友問題
【2018年】
【2018年続き】
●省庁の障害者雇用水増し発覚
【2018年続き】
□第4次安倍改造内閣発足
【2018年続き】
●平井大臣 選挙運動費用収支報告書に約700万円分の無宛名領収書61枚
【2018年続き】
●片山さつき 暴力団交際者から事務所無償提供&秘書給与肩代わり
【2018年続き】
【2018年続き】
【2019年】
【2019年続き】
【2019年続き】
●安倍首相「自衛隊募集は都道府県6割以上が協力拒否」実際は9割協力
●政府統計 2018年1月から日雇労働者120万人外し賃金操作
【2019年続き】
【2019年続き】
【2019年続き】
【2019年続き】
●消費税8%据え置きの軽減税率食料品 政府指針で増税前値上げを推奨
●エジプト・シナイ半島で活動する多国籍軍に陸上自衛官の派遣決定
●塚田一郎副国土交通相 下関北九州道路建設計画「私が忖度した」発言辞任
●新元号「令和」に米NYタイムズ紙「Order and Peace(命令と平和)」
【2019年続き】
●米WSJ紙社説 日本の消費増税が「自傷行為」になるとの見解
●F35戦闘機 米報告書で未解決欠陥966件 100件以上は安全に関わる重大欠陥→政府100機追加購入
【2019年続き】
【2019年続き】
●WTO逆転敗訴 政府の「日本産食品の科学的安全性認められた」は虚偽説明
●日の丸掲揚と君が代斉唱に従わない教職員の懲戒処分 国際労働機関ILOが是正勧告
【2019年続き】
○元号が令和となる
●経産省キャリア職員 覚醒剤使用で現行犯逮捕 省内の机から注射器押収
●自民党兵庫県議谷口氏 選挙期間中当て逃げ 親族が身代わり出頭
【2019年続き】
【2019年続き】
●トランプ氏来日 過剰接待 大相撲でソファ土俵にスリッパ 日米で批判
【2019年続き】
【2019年続き】
●人口自然減 初の40万人超 出生率3年連続減 出生数過去最少更新
【2019年続き】
●国家戦略特区 政府WG委員関連会社 提案者から指導料200万円
●非正規雇用者 10人中4人に増加 年収200万円未満75%
【2019年続き】
●老後2000万円報告書「質問への答弁控える」政府が閣議決定
【2019年続き】
【2019年続き】
●国連特別報告者 日本メディア独立性疑念への日本の拒絶反応に「驚愕した」
【2019年続き】
俺が転職した理由のひとつに、前の会社にいたら生存が脅かされる・自分を守れないと感じたことがあったんだ。
A社は、世間一般では比較的クリーンなイメージの企業なんだけど、社員を歯車としてしか見てない経営陣の暴君ぶりが年々酷くなり、本当に嫌気がさしていた。
今回のコロナウィルス騒動で、政府があんなにテレワークや時間差通勤を推奨してるのに、2月末のこの状態で未だにA社が何の対応も打ち出さず満員電車で毎日通勤してると元同僚から悲鳴じみた愚痴を聞いて、退社は間違ってなかったと確信に変わったわ。
未だに中国出張・対面複数人での打合せを続け、部署内飲み会を中止せず、時差通勤も実施しない。そしてこの時代にテレワークの仕組みが未だない。(業種的には全然テレワーク可能)
本当に、社員をなんだと思っているんだろう。
自分の判断で休めばいいじゃんて声もあるし、実際俺も退社前は台風とかは普通に自分で休んでたけど、有給って限られてるからね?今回のコロナのような長期に渡る状況ではさすがに厳しいと思うよ。
コロナウィルス、恐れすぎも良くないのは重々承知だが、こいつはある意味リトマス試験紙だ。
社員を大事にしない、判断の遅い会社が炙り出される絶好の機会だ。そんな会社からはみんな逃げよう。
今回のコロナ騒動で自浄作用が働いて、そんな会社が日本から淘汰されることを切に願う。
仕事よりも、自分を大事にしよう。家族がいる人は尚更、会社は自分や家族を守ってくれないってことに気付こう。
ちなみに、俺が転職前に感じたA社での危機、東日本大震災や台風での対応に加えて、特に以下の事件が一番ヤバイと思って、この話聞いて最後の愛想が尽きた感じです。
部署内の社員がなんかの発作で社内で倒れたことがあって。俺はその現場には居なかったんだけど、救急車を呼ぼうとした若い社員がその電話を上司に止められて、まずは防災センターに電話させられたと。30分後に到着した防災センターのスタッフが容態を確認後、健康支援室に電話、更に30分後、健康支援室のスタッフが容態を確認、その後やっと救急車を呼ぶ、っていうくだりがあって。
途中の容態確認では応急処置などは何も行われなかったそうで、一歩間違ったら死んでてもおかしくないと感じた。なぜいきなり救急車呼ぶのはダメなのか、本当に理解に苦しんだ。
幸いその人は助かったのだけど、運が良かったとしか言えない。
べつに戦争までは望んでいないが、まあ戦争になったらべつに良いかなと思っている。
現在私は、そこそこの知名度のある都内の一部上場企業で働いている。(追記:正社員かどうか気になってる方が多いようだが、総合職の正社員である)
いつどこから身バレするかは分からないのでこの辺は適当にぼかすとして、職種としては「なりたい職業ランキング」を見たら50位以内に入っていた。
給与の話をしよう。
今月の手取りは14万だった。
ちなみに都内で生活保護を受けたらどうなるんだろう?と軽い気持ちで調べてみたところ、だいたい金額としては約13万円。
ぴえん🥺🥺とか言っている場合ではない。いやいやいや流石にウケるわ。アホか。こんなん死ねよと言ってるのと一緒やんけ。おもちろ〜い。
この状態で人はどうするのか。
はじめは土日のみ働ける日雇いのバイトを副業として探し、連勤90日をこなした。日給1万円というだけでも当時の自分には生きていくための人権がこれで得られる、と涙を流した。
しかし激つよソルジャーではない自分には限界があった。日常をこなしていくうちに精神は摩耗し、食べるものはすべてトイレに直行。頭痛薬を飲んでも飲んでも治らない痛み。精神科で処方される安定剤。身体が悲鳴を上げていることは明白だった。しかも人権が得られたとは言っても焼け石に水、自分が貧困のステージにいるということは変わらぬままだったし、これからの人生どうなるんだという不安しかなかった。
ここまで書くとただの不幸自慢になってしまう。
これは「ソープ嬢になって人生に希望が持てた話」なので、話を戻す。
そんなわけで私はソープ嬢になった。
色々とここまでに来る葛藤もありはしたがここに書いても文章がただただ長くなるだけなので割愛する。
性病にかかったらどうしようとか、今後できるかもしれない恋人や結婚相手に申し訳ないのかとか、親は悲しまないのかとか。色々な懸念事項は頭によぎるけれど、そんなことは瑣末な問題である。
数十分だけでも相手の恋人として接するという意識もなければ次(リピート)はない。
風俗嬢の増加により、ただただ股を開けば金が貰えるという時代はとうに過ぎているし、コロナで客の母数も減っている。
(追記:2月はそもそも閑散期というのもあるが、まじで人が減っている。多分飲み会→ソープの流れとかは飲み会自体自粛して無くなっているだろうし、出張先でソープ行くのとかも出張自体なくなっちゃってるのでまあ減るわな、と思う)
とはいえ、諭吉は正義である。「今日は稼げなかったなぁ」という日でも、数日働けば昼職の月収は優に超える。それだけでいわゆるクソ客に当たったり等の嫌なことがあってもそんなもんは瑣末なものだと、頭から吹っ飛ぶ。
そしてこれは予想外の収穫だったが、風俗サービスを通して「明日も頑張ろう」と思ってくれる男性が割と多いのである。
自己肯定感が爆上がりしたのだ。
今は月に2回、週末に出勤をしている。
昼職と合わせると連勤であることには違いないのだが、地獄の90日連勤生活からは解放され、色々なことに余裕がもてるようになった。
デパートで売っている憧れの化粧品(とはいえ3000円くらい)に手を伸ばせるようになった。
はなまるうどんのかけ小ではなく、職場近くのずっと気になっていた喫茶店でコーヒーとサンドイッチを頼めるようになった。
諦めていた将来への貯金も、できるようになった。
今はバーでひとり飲みながら、これを書いている。
貯金が100万貯まって、現職でそれなりに結果を上げたら、転職に向けて動き出すつもりである。
それまでに風俗、上がれていたらいいな、と思う。
というわけで、風俗嬢になれて、人生が上向く人もいるんです、という話でした。
長い自分語りにお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
【追記】酔った勢いで書いた自分語りにこんなに反応があるなんて思わなかった。風俗以外で自己肯定感が上がってしまう。みなさん読んでくれて本当にありがとうございます。
ちなみに追記しておいたとおり、自分は一部上場企業の正社員だ。あと大学院卒である。大学院まで行ってこの状況に陥ってるのって相当人生ゲーム下手くそなのか社会が終わってるのかどっちなの? 多分前者だろうな……と思う。
派遣の方が貰ってるだろ、というコメントも見たけれど、多分派遣の方が貰っていると思う。
弊社、お金はあるみたいなんだよな。多分流れるところに流れてないんだろう。流すべき人間ではないと判断されているところに心から血が出そうです。
とりあえず、反応を見て「この状況まじでやべえんだな」と危機感を持てたので早いとこまともなとこに転職します。
でもまともなとこってどうやって見つけたらいいんだろう。自分の審美眼に不信感しかないぞ〜〜。
股開きながら頑張ります。